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劇団☆新感線・2012越冬興行 SHINKANSEN★RX「五右衛門ロック ZIPANG PUNK」12:30公演@東急シアターオーブ


作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
作詞:森雪之丞

石川五右衛門:古田新太
明智心九郎:三浦春馬
猫の目お銀:蒼井優
シャルル・ド・ボスコーニュ:浦井健治
春来尼:高橋由美子
蜂ヶ屋善兵衛:村井國夫
豊臣秀吉:麿赤兒

***
「五右衛門ロック」、「薔薇とサムライ」に続く第三弾。薔薇サムに関しては、五右衛門ロックを見なくても問題なく楽しめると思うが、今回の「ジパングパンク」は薔薇サムを見て備えたほうがいいというのが個人的な意見。勿論作品中で補足はされているけれど、かなり話の深いところに薔薇サムが関わっているので、不十分に思えた。第一弾の五右衛門ロックも可能なら見ておくとなおよしだと思います。

長い、濃い、笑い沢山アクション派手目、のお祭り騒ぎだった。全体的に1.2倍でやっております、という感じ。年末年始の時期にちょうどいい、ただしい娯楽作品だったと思う。個人的にしばらくメンタルがくすぶっていたので非常に良かった。どんちゃん騒ぎ極まれり。

***
猫の目お銀と賽の目金次の盗人兄妹が仕組んだ噂に乗っかって、津雲寺という古い寺にある黄金目玉像を盗み出すことを決める石川五右衛門。寺の尼僧・春来尼や京都所司代盗賊目付探偵方・明智心九郎とその部下たちの眼をかいくぐり、黄金目玉像を手に入れる。
しかしそれ自体は高価なものではなかった。仏像は、黄金のありかを示す鍵だったのだ。日本に黄金があると知ったマローネ・アヴァンギャルド公爵夫人は死の商人アビラともども、堺の商人である蜂ヶ屋善兵衛と組んで、黄金目玉像を盗むように兄妹に命令していたのだ。そのことを知ったアンヌ・デ・アルワイダは、五右衛門に知らせるようシャルル・ド・ボスコーニュを日本へ送っていた。
朝鮮出兵を命じた老齢の豊臣秀吉には、かれに仕える生真面目な石田三成、派手好きの傾き者である前田慶次という部下がいる。黄金目玉像に導かれて手に入れた黄金を利用して豊臣に一矢報いたいと反旗を翻す心九郎は、かれらを敵に回して勝ち目があるのか。アンヌが伝えた「永遠と黄金の国」の意味とは何なのか。

「薔薇とサムライ」よりアンヌとシャルル、そしてマローネが登場する。また「五右衛門ロック」からはアビラが再登場。アビラについては本作中でも説明される「五右衛門に痛い目にあわされた武器商人」くらいの知識があればいいかなと思うのだが、薔薇サムの方はなかなか複雑に絡み合っている。
マローネの恨みやアンヌ・シャルルのキャラクター、五右衛門との関係性が補足されきっていないし、マローネの行動はお約束・テンドンが多いので、薔薇サムを見ておいたほうが面白いと思うのだ。また脱いだ!とか、またお尻から攻撃した!とか、またお尻に何か刺さった!とかそういうの。

前回よりもあらゆる意味でパワーアップしていたシャルルがとってもかわいかった。安土桃山時代の日本に一人トリコロールでスパンコール!金髪縦ロール!アイシャドウ!いきなり歌い出すところや、意味もなくターンするところは相変わらず。話声もずっと残念だし、細かいリアクションや表情なんかもいちいちうざ残念で面白かった。
複数に襲われかけているところを通りがかった慶次に助けてもらったシャルル。お互いに派手な服を着ていることで一気に意気投合したふたりの歌う「派手好きが世界を救う」が大好き。二人の派手好きの兄弟杯!その場に居合わせた春来尼もハイテンションで混ざって、五右衛門だけが冷静なツッコミを入れていたのだが、あんただって十分派手だよ…。

村井さん演じる善兵衛の派手っぷりも格好良かった。アイメイク濃くてエリマキトカゲのような銀色の衣装で歌う「商人・ザ・スーパースター」がすばらしい。この商人には多かれ少なかれアビラのことも含まれているのだ。

視覚的に凄かったのはモヒカン黒ずくめで大きな鎌を持ったメタルさんの死神右京。「PEACE MAKER鐵」の膕をやるならこの人しかいないと思いました…べつにやらなくていいけど…。
あと村木さんと逆木さんの金太郎コスプレがすばらしかった。おじさん幼児の破壊力すごい。幕間の休憩に入った瞬間に再び登場するので、そこだけ見てから休憩に出て!あと村木さんは番頭福助も面白かった。立派な屋敷に案内されて声も出ない金次・お銀兄妹に向かっていきなり「まあまあです」「触らないでください減りますから」って声をかけるところで超笑った。

明智心九郎は三浦春馬。「探偵」方という役職や、部下が「小林小女(少女ではない)」「少女探偵団」であることから明智小五郎にインスパイアされたキャラであるようにミスリードされているが、実際は秀吉によって滅ぼされた明智光秀の息子である。
京都所司代で忠実な職務を果たしているように見せておきながら、実は裏で善兵衛などと繋がり、秀吉を撃つ機会を待っていた。黄金を手にしたのをきっかけに、かれは堺を武装都市に作り替えようとする。
序盤の心九郎は理屈っぽい残念なイケメン、中盤は復讐の鬼と化した男、そして終盤は夢破れたひとりの青年へと変化してゆく。三浦春馬ってきちんと芝居をしているところはあまり見たことがなかったのだが、そつがなくて上手い。若さやスタイルのおかげもあるだろうけれど、アクションもきれい。アクションで、相手の集団の背中をひょいひょい飛び越えてジャンプしていたところに驚いた。アミューズの人たちはすごいなー。心九郎は、イケメン人気俳優三浦春馬がそれだけではないことを非常に分かりやすく知らしめる役どころだったと思う。
最後に計画が失敗に終わり、騙されていたことを知った心九郎の叫びが好き。

麿さんの秀吉もよかった。服着てる麿さん久々に見たよ。やっぱり今回も白塗りだったけど!
天下を手にした秀吉は、自分の行動を正当化しない。国のためだとか民衆のためだとか言わない。自分が楽しいから、やりたいから、遊びたいから。エゴを通せる立場を手にしたかれは、全力でエゴを通す。やっていることは決して肯定できないが、すごく格好良い。
おなじみ意地悪で嫌味な腹心役の粟根さんだったけど、今回の三成は裏の顔のない男だった。どこかで誰かを裏切ったりするのかと思っていたのだが、ただ言葉にしているままに秀吉に危険を齎すものを排除しようとしているだけの、愚直な男だった。どこまで秀吉に付き合うのか、と最後に慶次に問われた三成が、最後まで、どこまでも付き合うのだという覚悟を見せたのが良かった。秀吉がもう長くないと知っていて、それでもかれの朝鮮出兵という「遊び」を止めない。最期の瞬間まで、付き合い続けようとする。歴史的にそれほどクローズアップされない・評価の高くない三成だからこそ、のキャラ作りなのかな。

今回のボスは善兵衛だけれど、実際のところ一番喰えないのは春来尼だった。空海の教えに従って寺を守っている彼女は、小柄で明るい天然キャラの女性だ。常に食べるものを奨め、ダジャレやギャグを繰り返し、人のギャグにも乗る。彼女の正体は、いつから生きているのかも明らかではない、不死身の尼僧だった。不死身になるおにぎりを食べた彼女は、かつて生き倒れていた秀吉少年を救った。そのあとも、仏に仕えるものとして、嘘を一切つかず、誠実に、津雲寺と財宝を守り続けた。高橋さんのそもそもの年齢不詳っぷりや歌・芝居に、尼僧の衣装が加わって、春来尼は非常に得体のしれない存在になっている。決して敵ではないけれど、本当の意味で味方でもない。喰えない女だ。

不死身のおにぎりを手にした秀吉は、しかしそれを食うのを辞めた。この年齢で、この弱り切った肉体で永遠の時を生きること、に意味を見いだせなかったのだ。今やっている「遊び」を決して辞めない男だが、いずれそう遠くないうちに来る死を迎える覚悟はあるらしい。そのあと、自分の「遊び」を止めることも決めている。
朝鮮出兵を止めようとする五右衛門の「禍根が残るぞ」というせりふがなかなか重い。

基本的にはバカ騒ぎで明るく楽しく元気よく、な作品だった。カーテンコールでシャルルの格好したウラケンと、白塗り殿様の麿さんが並んで踊ってる景色が素晴らしく異世界。







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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 16:26 | - | - |

ミュージカル「アリス・イン・ワンダーランド」@梅田芸術劇場

音楽:フランク・ワイルドホーン
脚本:グレゴリー・ボイド、ジャック・マーフィー
演出:鈴木裕美

アリス・コーンウィンクル:安蘭けい
帽子屋:濱田めぐみ
ウサギ:田代万里生
クロエ:高畑充希
ジャック/白のナイト:石川禅

***
スランプ続きの小説家アリス・コーンウィンクルは、私生活もうまく行っていない。別居中の夫・ジャックと、アリスが家庭を顧みないことを諦めている娘・クロエ。家族カウンセリングも自分の仕事でドタキャンした挙句、仕事の苛立ちを夫や娘に八つ当たりでぶつけてしまう。
「遊び心がない」と却下された上、翌日の午前中が締め切りだと言われた小説を書くため、アリスは夫との話し合いも娘の宿題も家事もすべて後回しにして仮眠をとることにする。次の瞬間クロエは家を飛び出して行く。
慌てて娘を追いかけたアリスがドアを開けようとすると、いきなり謎のエレベーターが急降下。1から8までの番号がついた八つの扉が現れ、アリスは「不思議の国」へといざなわれる。
開演前のアナウンスも兼ねた、舞台回しは万里生くん演じる白ウサギが行う。常に時間に追われていて、何か言われると謝罪して縮こまってしまう白ウサギ。出番は多いんだけれど歌が少ない役柄なのがちょっと残念。
客に話しかけるメタな役どころでもある。

不思議の国でアリスは、数字の順番にドアをくぐり、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」にまつわる様々な体験をする。金髪に黒のリボン、水色のワンピースに白のエプロン、白黒ボーダーの靴下をはいた複数の男女に歓迎されたかと思えば、「DRINK ME」と書かれたメモのついたグラスを飲みほして小さなドアをくぐり、「焦らず急がず冷静に」物を判断することを忠告する芋虫と出会う。
芋虫役はミュージカル初出演のJOY。芸能人だということくらいしか知らないんだけれど、芋虫の奇妙な衣装がとてもよく似合っていたし、お人よしに見えてなかなか喰えなさそうないい芋虫だった。

そのあとハイテンションで「仲間を大切にする」ことと「楽しむこと」を主張するエル・ガトと出会ったアリスは、最初はむすっとしていたものの、次第にかれのペースに呑まれていく。最終的には笑顔でエル・ガトの仲間たちと一緒に踊るアリス。出会う人々が、彼女に色々なことを教えてくれる。
エル・ガトは柿澤勇人。仲間たちと一緒にオープンカーで登場したかれの歌唱力と身体能力はすごかった。気づいたら凄く高い位置でジャンプしていたり、橋にしがみついて逆さにぶらさがっていたり、本当に猫のよう。

次にアリスが出会ったのは白のナイト、というか、現実世界で彼女の夫であるジャック。君を守る、と歌うかれだけれど、実際はお調子者でへたれ。周囲にいるとりまきと常に相談して、役に立たない気休めだけの優しい言葉をくれる。
くせっ毛だった現実のジャックと違い、こちらのジャックはオールバックでぎんぎんのアイメイク。ブルーのカッターに白のジャケットで、ペガサスの頭がついたステッキを持って踊り、歌う。優しい笑顔に偽りはないけれど、特に根拠もない。
禅さんのツーステップのかわいさ!!ちょっと間の抜けたダンスを踊りながらにこにこ歌い、階段をゆっくり下りて、アリスに近づいてくる白のナイトことジャック。アリスは冷たく一瞥して、必要以上につっけんどんに接するけれど、決してかれはめげない。アリスが心底好きで仕方がないのだ。演技半分自分半分と自分で言っていた通り、禅さんの明るさや憎めなさが全面に出たキャラクターだった。自分のことを「君のヒーロー」だと言っちゃうだめな夫かわいい。

ジャックから譲られた招待状を手にしたアリスは、いかれ帽子屋のお茶会に向かうことになる。
帽子屋のしもべ・モリスに翻弄されたアリスの前に満を持して現れた帽子屋は、派手な見た目とは裏腹に非常にまともな人間のように見える。理知的で、まともに話が出来そうな感じがするのだ。そしてアリスは、彼女とどこかで会った気がしてならない。
帽子屋の開いたお茶会は、出席者全員にアリスの悪いところを書かせたカードを集め、その場でモリスが読みあげるというものだ。「頑固」「人に頼らない」などと欠点を次々と読みあげられてゆくアリス。
濱田さんの帽子屋の威圧感、存在感がすばらしかった!帽子屋が現れた瞬間、彼女が歌いだした瞬間、世界が帽子屋のものになる。彼女がその場を支配する。コブシもきいてるし、官能的でもあるし、理知的でもある。
お茶会がめちゃくちゃ意地悪でいいな。殴られた方がましである。

そこに、ハートの女王が現れる。気にいらないことがあれば首を切ることで有名な女王に平伏する人々。女王はアリスに対して順番に扉をくぐるように言い残して去っていく。
女王は渡辺美里。歌っても喋っても渡辺美里だった。歌はもちろんうまい。女王はとにかく衣装が超絶可愛い。他の衣装もすばらしいけれど、女王が一番可愛いなー。白黒トランプが無数に使われていて、ハート型の頭のまんなかには王冠。登場するゴンドラもハートだし、マイク代わりの花束もハート。
女王の「言うべき時に言うべき事を言うべきです 言うべき時ではない時に言うべき事ではない事を言うべきではない」という台詞は哲学的。

アリスの代わりにクロエを「アリスの望むように」しようとする帽子屋。迷いこんだクロエに優しい言葉をかけて近づき、彼女の信頼を早々に得る。「不安消去マシーン」を見せて、クロエにそれを使おうとする。
アリスの手助けがしたいから一緒に行動したいと願う芋虫、エル・ガト、ジャック、ウサギ。中でも人に頼るべきだ、人に意見に耳を貸すべきだと必死に主張するジャックに、アリスは一人がいい、一人で行動したいと反論する。「一人じゃだめだ」と何度も言うジャックの憤りや嘆きの裏には、アリスへの揺らがない愛情がある。そのことがすごくよく見える。
あと、アリスに怒鳴られて脅えてしゃがみ込んでしまうウサギの顔を、のぞきこんで慰めるジャックが好きだった。

一人では越えられないものも皆なら乗り越えられるかもしれないと、アリスは四人とともに鏡の扉を越えてゆく。

二幕。
ジャックたちの制止もむなしく、帽子屋の不安消去マシーンによってクロエは何の自己主張もしない、何も自分で決められない少女に変えられてしまう。ようやくクロエの居所を突き止めたアリスは、娘の変化に驚き戸惑う。帽子屋はマシーンにかけられたクロエこそ、「アリスの望む」クロエの姿なのだと言っていた。クロエを保護していたルイス・キャロルもまた、アリスがとってきた行動の意味を示す。ようやくアリスはこれまで頭ごなしに娘に主張を押しつけてきた自分の行動を顧みる。自分が望んでいたのはこんな娘の在り方ではなかった、と嘆く彼女の思いが伝わったのか、クロエは元に戻る。
これまで人の助けを求めず、伸ばされていた手を振りはらってきたのがアリスだった。ジャックを始めとした不思議の国の面々の応援の申し出すら、最初は拒んだ。最終的には渋々受け入れたものの、決して本意ではなかったはずだ。
しかし今一人きりになったアリスは、途方に暮れる。どうやったら開くのか分からない扉の前で立ち尽くし、誰か助けてほしい、と願う。都合がよいと言ってしまえばそれまでだが、彼女の心が変化してきたとも言える。誰かに頼ることは、アリスの困惑や弱さだけでなく、彼女の選択肢が広がったことも意味する。彼女の心にゆとりができたのだ。
芋虫のメッセージ、エル・ガトの主張、ウサギの問いかけ、ジャックの熱意が彼女を動かした。そのことが、クロエを呼び戻し、母と娘の関係を変化させる。アリスがクロエに言う、「あなたを取り戻したい」はそのまま、人生を・家族生活を・仕事を「取り戻したい」ということだろう。負のスパイラルに入っていたような人生をやり直すきっかけを彼女は手に入れる。
ルイス・キャロルは白ウサギと二役で万里生くん。ウサギと違って出番は少ないけれど、きっちり歌がある。

鏡の国は不思議の国のあべこべの国だ。
鏡の国の女王は不思議の国の女王とは違い、帽子屋の言いなりになっている。女王は帽子屋に言われるがまま、ジャック、芋虫、エル・ガトの死刑を決定する。
二幕の女王の衣装も撮っても可愛らしかった!
連行される三人が悲痛な声をあげるのは当然なのだが、ジャックがずっと「おかちめんこー!!」って叫んでいたのは何だったのだ…真顔なので余計におかしい。

クロエを取り戻したアリスは、牢屋に閉じ込められている三人を助け出す。ナイトを助け出すアリス、の構図がかわいらしい。へたれ夫は、騎士を待つお姫様でいいのです!「君のヒーロー」が逆転していていいのです!へたれ夫の仕事は「励ます」「信じて待つ」などでいいのです!

アリスは帽子屋と決着をつける決心をする。
ジャック、エル・ガト、芋虫、ウサギと同様に、帽子屋もまたアリスの中から生まれた存在だ。アリスの中にあるマイナスの部分だけを取り出して、増幅させたのが彼女の正体だ。アリスが帽子屋と出会った気がするのは当然だ、帽子屋もまたアリス自身なのだから。
一対一の戦いの中、帽子屋はアリスの大切な存在を一人ずつ消してゆく。ジャック、芋虫、エル・ガト、クロエ。彼女の忠実なしもべであるはずのモリスまで、帽子屋は殺してゆく。アリスがついに帽子屋に刃を向けたとき、彼女は言う。自分を殺せばもう小説が描けなくなるぞ、と。手を止めてしまうアリス。小説家であることは、母であること・妻であることと同じくらい、寧ろそれを上回る勢いでアリスのアイデンティティだった。自分の中から生まれた帽子屋を消せば、アリスの創作は止まる。彼女を消せないアリス。

めざまし時計のベルが鳴り、女王が現れ、ついに本人たちの口から、アリスに正体が明かされる。かれらはすべて、アリスから生まれた、アリスの夢の中の登場人物だった。不思議の国も、そこから繋がっている鏡の国も、アリスの夢の産物なのだ。
1から順番に、数字の書かれた扉をくぐってきたアリス。7の扉までくぐったアリスが最後にくぐるのは、8の扉。それはアリスの家の住所だ。1の扉を越えて不思議の国へ来た彼女は、8の扉をこえて戻らなければならないのだ。
そしてアリスは目を覚ます。そこはクロエの部屋のベッドだった。家族カウンセリングも、クロエの明日までの宿題も、家事もすべて後回しにして体をあずけたベッドだ。一時間経過したら起こしてくれとアリスは頼んでいたけれど、もう朝だった。
部屋にやってきたクロエは、昨夜と同じ冷たい口調で、アリスが自分のベッドで眠ったからかわりにアリスのベッドで眠ったこと、起こそうとしたけれど目を覚まさないので朝まで放っておいたことを告げる。そして迎えにきたジャックに送ってもらって、学校へ向かうと言う。
すべては夢だった。クロエは夜中に出て行かなかったし、変な機械に電流を流されてもいない。ジャックもクロエも、ナイフで殺されたりしていない。けれどその代わり、アリスとの関係も昨日の険悪なままだ。
そのことを理解したアリスは、色々なことをリセットしようとする。締め切りを延ばしてもらい、家族カウンセリングを優先させようと決意する。そして家事をして、久しぶりに家族三人で夕飯をとることを決意する。何も変わっていないからこそ、今日から変化させるのだ。
夢からさめたアリスは知っている。「私が変われば世界が変わる」ということを。そのための一歩を、彼女は踏み出した。
帽子屋との対決、正体が明らかになり、現実に戻るまで、の流れがちょっと不親切だった。端っこの席だからか音響がよくなくて、聞きとれないところが少しあったからかも。ただ濱田さんの帽子屋の迫力は十分すぎるほどに伝わってきて、それで満足しているところもある。めちゃくちゃかっこよかったー。「帽子屋さま万歳!」と繰り返すモリスの頸動脈を切る女王様格好いい。

不思議の国の連中は皆アリスに「お前は誰だ」と問うた。そのたびにアリスは「アリス・コーウィンクル」という名前と住所、「小説家」という職業と「かろうじて既婚」という自分の状況を述べた。けれどその答えに満足したものは誰もいなかった。
それは白ウサギがアリスに言った、「どうするべきかじゃなくてどうしたいか」を知りたいという言葉と同じだろう。がんじがらめになっていたアリスは、冷静に考え、楽しみながら行動し、呪縛から解き放たれた。自分が変化すれば環境が変わることを知った。
「みんながアリスだ」と女王以下、不思議の国の面々は歌った。帽子屋も芋虫もエル・ガトも、それ以外の皆も、アリスなのだ。アリスの脳内で生まれた、アリスの一部の特徴を誇張するかたちで存在するみんな。アリスは夢の中で沢山の自分に出会い、その力で自由になることに成功した。
非常に分かりやすい教訓が込められた物語だ。ドラマティックな楽曲と、それを歌いこなすキャスト、ものすっごく素敵な衣装と、魅力的でわかりやすいキャラクター。華やかで楽しいミュージカルだった。

***
そのあとはトークショー。
おなじみ「山崎邦正です!」の挨拶で出てきた塩田さんが司会。
公演中、座席から塩田さんがよく見えたんだけど、ものすっごいのりのりでした。飛び跳ねる、踊る、とっても楽しそう。落ち着いて!と言いたくなるけど、落ち着いたら塩田さんではない…。

参加メンバーは安蘭さん、濱田さん、「城みちるさんです!」と紹介されてその場で歌い出す禅さん。似ていると「ずっと言われてる」と笑う禅さんの顔をまじまじと見て「ほんとだ!」と驚く安蘭さん。
東京公演を終えた後の大阪初日。大阪は熱気がある・ノリがいいという話から「塩田さんの自己紹介は東京ではノーリアクションだけど大阪ではウケてた」と安蘭さん。禅さんは東京公演から一週間ほど空いたので、普段ぬけない歌詞がぽんっと抜けた、と言ってた。濱田さんは意地悪な役なので、アリスの中のいやな部分を演じるというよりは、見ているすべての人のいやな部分を演じるつもりでいる、と言っていた。あと禅さんの「おかちめんこー!」は、リハで「まじめなテンションでばかばかしい事を叫ぶ」という話から生まれたものらしい。濱田さんがいたくお気に入りで、それを絶対採用してほしい、と言ったそう。

役柄と自分との共通点や相違点の話。自分を殺せばもう小説が描けなくなると帽子屋にいわれたアリスが、彼女に向けていたナイフを振りおろせなくなるシーンに共感する、とのこと。仕事のために色々なものを犠牲にしてしまうところがある、と言う話に禅さんも頷いていた。舞台に立つ人は皆、多かれ少なかれそうなんだろう。
騎士の役、ナイト役だと言われて最初無理だと思った禅さんは、本を読んで「いける!」と思ったそう。役作り半分・素半分でできるへたれ夫役のようです。

ワイルドホーンの音楽はどうか、という話。これまで何度もワイルドホーンの作品に出ている濱田さんを中心に、ドラマティックな曲がそろっているという話で盛り上がる。濱田さんがベルティングを使う曲が多いので大変、と語ると、塩田さんがすかさず解説。七つ?くらいある発声方法を挙げて、地声のままで歌う方法をベルティングと呼ぶ、というようなことをフォローしてくれていた。ベルトでしめられたように苦しいのでベルティングと言うんだ、と塩田さんが真面目に言うと笑いだす安蘭さん。だじゃれだと思ったらしいのだが、本当にそれが由来だったそう。「CHESS」のときもそうだったけど、安蘭さんフリーダム。塩田さんのこういう解説はとても勉強になるなー。(ちゃんと覚えられてないけど…)

最後に、今後の大阪の予定をそれぞれが紹介しておわかれ。ホリプロクオリティだけど便利というか参考になりますねこれ。濱田さんが「シラノ」とソロコンサート、安蘭さんと禅さんが「遠い夏のゴッホ」でした。
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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 11:55 | - | - |

劇団四季「ジーザス・クライスト=スーパースター ジャポネスク・バージョン」@自由劇場

作詞:ティム・ライス
作曲:アンドリュー・ロイド=ウェバー
演出:浅利慶太

ジーザス・クライスト:神永東吾
イスカリオテのユダ:芝清道
マグダラのマリア:野村玲子

***
イエス・キリストの最後の7日間を描いたミュージカル。10/23から11/18まで「エルサレム・バージョン」が、そのあと11/25から「ジャポネスク・バージョン」が上演されている。両方見たかったんだけど、日程の都合でこちらのみになった。
ジャポネスク・バージョンは白塗りに隈取りの歌舞伎風メイク、ホワイトデニムなどカジュアルな衣装に今風のヘアスタイルのキャストたちによって「キリストの最後の7日間」が描かれる。白い板、大八車、竹の棒という簡易セット。エルサレム・バージョンを見ていないので比較して話すことはできないが、こちらのバージョンを見られて良かった。いくつかの作品を見た限りでは、劇団四季も浅利慶太も本質的には自分に合わないと思うんだが、このアイディアは手放しで素晴らしいと賞賛したい。異形の世界、視覚の暴力、狂っていて美しい。
なによりジーザス・クライストという存在を演じるにおいて、役者の本来の顔がわからなくなるこの化粧はとても効果的だと思った。白い顔なのに首から下はもともとの肌の色で、黒く長い髪を無造作に垂らしている圧倒的な違和感が、かれが「ただものじゃない」ことを強めている。

いきなり場面転換をするので、前知識がないと不親切な作品だと思う。キリスト教や聖書の素地がある国で生まれたものだから仕方ない。まったくそれらのことに興味のない人がふらっと見に行くタイプの芝居ではないだろうからまあいいか。

***
ジーザスは「普通の人」であり、「疲れた人」であり、「神の子」であり、「ユダヤの王」だった。 父親と同じ大工のままなら、地元で暮らしていたなら幸せだった。けれどかれはそうじゃない道を選んだ。やらなかったのか、やれなかったのか。ともあれかれは現状に疲れ、倦んでいる。
けれどその反面、かれには傲慢なまでの「選ばれたもの」としての自負もある。神の子と崇められ、求められることを享受している。そういう相反するものを内に住まわせているからこそのジーザスなんだろう。

そう遠くない未来にくるであろう終わり、最後の日をジーザスは知っている。「神の子」として運命を受け入れようとする気持ちと、解放されたいという「疲れた人」の願いが混在する。
さらに、父に見捨てられることへの嘆きや絶望も存在している。

最後の晩餐のシーンがすごくすき。舞台の奥で集まって輪になり、酒を飲む弟子たち。前方にいるジーザスとユダからは、一触即発の睨み合いのような危うさと、なによりも分かり合ったものならではの通じ合いの両方が感じられる。
弟子たちが、明るい未来の歌を歌う。明日からもジーザスに従って生きてゆき、そうして自分たちの名前を歴史に残す。そのことにかれらは一分の疑いも持っていない。キャンプファイアーを囲んでいるかのような、爽やかで青臭い歌だ。そのまっすぐな歌を背景に、どうしようもないふたりの男の愛憎劇が進行している。
ジーザスが普通の人のままなら幸せだったのにと嘆きながら、かれの神性を誰よりも愛しているユダ。今ジーザスを崇めている人間たちがそう遠くない未来にかれを見捨て、裏切り、死においやると勘づいているからこそ、そうなる前に自分の手でかれを終わらせたいと願い、暴走する。矛盾だらけの男の中では、ジーザスを上回る先見の明を持つ聡明さと、自分の行動を正当化しようと必死に弁解を重ねるみじめさが混在する。ジーザスに最後に与えた一方的な口づけのために、ユダはすべてを、自分のプライドも命も、自分が何より重んじてきたジーザスの全てをもなげうった。
イエスとユダについては思い入れや思い込みがありすぎて、この作品単体でどうこう言うことが難しい。頭の中から「駈込み訴え」を排除できるわけないじゃないですか…。作中のジーザスから感じたもの、ユダから伺えるものが果たして本当に目の前でみているものから得たものなのか、別作品から得た感傷なのか、わからなかった。これは作品や俳優の問題ではなく、完全にわたしの問題。
そういう意味でも、これまでにない視覚的な驚きのあるジャポネスク・バージョンが見られてよかったのだと思う。いままでに目にしてきたイエスとユダの物語では味わえなかったもの、がこの演出には確かに存在する。この異様な画面、好きです。
ヘロデ王が視覚的に強烈だった。ヘロデ王の登場シーンだけちょっとコミカルというか、一息つける。

銀貨30枚と引き換えにジーザスを売ったユダは、ジーザスが捕らえられたあと、言い訳を散々口にしながら自殺する。そのあとジーザスはヘロデ、ピラトとの面会ののち、刑を受けることになる。鞭で39回打たれ、十字架を背負い、罵声を浴びながら歩く。
そのあたりでいきなり、自殺したユダが二人の女性(ソウルガール)を引き連れて天上からあらわれる。そしてかれは高らかに、タイトルにもある「スーパースター」を歌い始める。テレビもない時代のイスラエルでは世界は動かせなかった、自分を聖書の通りだと思うのか、とユダはジーザスに問いかける。ここへきて突然のメタ発言。それまでドシリアスで、しかもこのあとも目を覆いたくなるような残酷なシーンが続くのに、どうしてここだけやけに陽気なのかよくわからなかった。
しかしそのメタ視点のユダが、十字架を背負うジーザスにいばらの冠を捧げるシーンは好き。

十字架にかけられたジーザスが息絶え、真っ暗な中でかれの痩せた体だけが浮き上がっているように見えて、終わる。復活は描かれず、見捨てられた男が死んでゆく。
突っ込みどころ、不思議なところは沢山ある芝居だったけれど、非常に好きなモチーフでした。
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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 22:50 | - | - |

ウィーン版ミュージカルエリザベート 20周年記念コンサート@梅田芸術劇場 12:30公演

エリザベート:マヤ・ハクフォート
トート:マテ・カマラス
ルキーニ:ブルーノ・グラッシーニ
フランツ・ヨーゼフ:アンドレ・バウアー
ルドルフ:ルカス・ペルマン
少年ルドルフ:トーマス・ウィール

中二階ロビーに飾られていたお花。マヤのファンの方々が送ったアレンジメント、シシィのドレスになっていて物凄くすてきだった!!

***
ウィーン版「エリザベート」のコンサート版。セットが殆どなく、ステージ上にオーケストラが勢揃いしている状況での公演。とはいえメイクや衣装やダンスなどはなされるし、小道具も結構沢山あった。コンサートとミュージカルの間くらいの印象だな。

ウィーン版はDVDを持っている。
内容は全部分かるとは言え、日本版とは歌詞がかなり違うので字幕を見ると、キャストの表情が見られないし、でも表情に集中すると字幕が見られないし、ドイツ語が出来れば…!と結構まじめに思った。大学のときもうちょっと真面目に取り組めばよかった。
曲タイトルもろもろは東宝版にあわせます。あと東宝版との演出の違いなどを折りにふれて言いますが、別のものとしてどちらも大好きです。

***

死の天使たちは男女混合。トートと同じようなジャケットを着て、金か銀の翼を片方の腕につけている。手を動かすと天使の大きな羽根がばさばさ振り回されるようでとても素敵。しかも二人並ぶと翼を持った双頭の生き物、になるのである。

とにかくマヤのシシィがすばらしかった。凛とした女性らしさ、強さ、心の脆さが言語を越えて伝わってくる。少女シシィはあどけなさよりは奔放さ・自由さが前に出ている。気楽なお嬢さんというよりは、意志を持って欲しいものを選びとろうとしているような感じがした。
結婚式翌朝の「私だけに」も、確固たる自我がある少女が長い戦いを始めた決意が表れている。

「愛と死の輪舞」のドイツ語版もすてき!木から落ちたシシィに心を奪われた(というよりはその前から彼女を愛していたような?)トートの語りかけに、シシィも応じる。初めて顔を合わせた「黒い王子」を前から知っていたという彼女も、トートに好意を抱いているようにみえる。この出だしがあると、非常にそのあとの話の展開がスムーズだ。ウィーン版のシシィはトートをそこまで毛嫌いしたり、トートから逃げたりしている印象がない。というかウィーンのトートはシシィから出たもの・シシィから生まれたもの・シシィの想像上の存在、という役割が非常に明確。石丸さんが言ってた「シシィとトートはうつし鏡」というのは、寧ろウィーン版で強く実感した。シシィはそんなトートの存在を受け入れ、ときには心地よく感じながら、それでも独りで立って人生を歩もうとしているのだ。
禅さんがかつて、「マテが『(当時日本でしか歌われていなかった)愛と死の輪舞』を歌いたいと言ってた」という話をしていたけれど、かれは日本語だけでなくドイツ語でも歌うことができたんだな。
マテはちょっとお疲れなのか、東宝版より喉の調子がよくないような印象。優しさや切なさの少ない、黄泉の帝王の絶対者っぷりはとてもよかった。「最後のダンス」の途中の笑い声とか暴力的でいい。

「計画通り」でヘレネが花嫁修業がパアになったと嘆くところ、一緒にゾフィーも怒っていて面白かった。計画が崩れたのはお互い様なのだ。
東宝版は、というか禅さんのフランツはひとめ見たときからシシィに恋をして、ヘレネがそもそもセッティングされていたことも知っていたのかあやしかった。(もしくはそういうそぶりをしていた)けれどアンドレのフランツはすべて理解していて、その上で意図的にシシィを選んだ、という感じ。ヘレネの正面に立ってからシシィのところに行ったのだ。
「あなたが傍にいれば」も良かった。東宝の子供のおままごとみたいな浮かれ切った恋も大好きなんだけれど、ウィーン版は責任を持った男とそれを分かった女の恋の歌だ。ウィーン版ではシシィも状況をある程度分かった上で結婚してるんだよなー。

「強く~厳しく~」のくだり、ウィーン版は歌わずに高らかに叫ぶ。低音でじわじわフランツにプレッシャーをかける東宝版も好きだけど、この正面から全力で圧倒する感じも面白い。こっちのゾフィーはねちねちしていない代わりに遠慮もない。宮廷唯一の「男」からは「母」の匂いがしない。

「退屈しのぎ」の詩的な歌詞大好き!こちらのカフェのお客様たちは、ハプスブルクが終わることを知っているだけでなく、その日を待ちわびている。「ミルク」や「憎しみ」もそうだけれど、政治色が濃いというかしっかり描かれている。エルマーたちが飢えている一握りの庶民たちを煽動したのではなく、国民の総意だというのがよくわかる。 このあたりにトート閣下が全然出てこないので、全てをかれが牛耳っていたというのではなく、当時のウィーンの色々な階級の人々を描いた群像劇のような部分もある。

子ルドが着せられる赤い軍服ジャケットがとってもかわいい。子ルドの足の長さ衝撃!
ベッドで「ママ、何処なの?」を歌っているとトートが歩み寄ってくる。トートはかれを抱き上げて「友達」の約束をする。何につけ東宝版よりもパーソナルスペースが狭く、ボディーランゲージが多いなー。

「エーヤン」でハンガリーの人々が民族衣装をまとっていたり、「エルジャベート」とハンガリー語で彼女を呼んでいたりするのが好き!衣装が華やか。東宝版では幕の奥にぼんやりとうつるだけですぐに馬車に乗りこんでしまうけれど、こちらは戴冠式のシーンがしっかりある。フランツの王冠衣装大好きなので嬉しい。

一幕最後、シシィが出てくるところ大好き!額縁の奥に立つ白いドレスのシシィ!拍手が起こる美しさ。「支配者だから私情をはさまないけれど、君を失いたくないから希望を飲む」とまで言っているフランツに対しての第一声が「理解してほしいなら私のことも理解して」であるシシィの強さ。そのあと、共に歩むことを述べる。
「お言葉嬉しく伺いました」と最初に挨拶代わりの謝辞を述べて、「陛下とともに歩んでまいります」と譲歩を見せてから「ただ私の人生は私のもの」ときっちり念押しして距離を保つ東宝版とは構成が反対で、このあたりも国民性に寄せたものなんだろうな。面白い。

東宝版と違うところは沢山あるんだけれど、フランツの人物像がかなり違う。シシィが大好きでにこにこしている、母からのプレッシャーと折り合いをつけられず思うように為政出来ないことを心苦しく思っている、嫁姑のいさかいに板挟みになって苦しんでいる、シシィのことが大好きで一度のあやまちを悔いている、東宝版のフランツにはある意味日本の夫像みたいなものが非常に色濃く出ている。
ウィーン版のフランツは男性、夫、皇帝という立場にある人間らしいふるまいだった。上から物を言うこと、誰かに指示・命令することに慣れている。人の上に立つことを前提にして育てられてきたのだから当然と言えば当然だ。シシィの心情を鑑みて、優しく諭す、ということはしない。決まりだからこうするんだ、政治・国のためにこうしてくれ、という提案には拒否の選択肢がそもそもない。だからこそシシィは別の道を欲して戦い続けるしかなかった。
マダム・ヴォルフの件のあと、「他の女を知ってからよりシシィが愛しくなった(意訳)」というフランツ・ヨーゼフ陛下アウトー!

ゾフィーとシシィの戦いも顕著だ。「親切で言うのよ 争いたくない」と(それが本音であれ建前であれ)言い続けた東宝とは違い、ウィーンのゾフィーは明白に「戦い」だと語っている。そして最終的に息子とも決別した彼女のソロは、恨みや憎しみが強いものになっている。誰のお陰で皇帝になれたと思っているんだ、辛い思いをして厳しく育てたのに、私の言葉が正しかったと気づいたときにはもう遅いだろう。押しつけがましいほどの我の強さのなかに、けれども確かに愛情や嘆きもあるのだ。大きな双頭の鷲の紋章が飾られる中、ゾフィーはそこで死ぬのではなく、具合の悪い体を引きずるようにして退出する。死すら描かれないこと、天使にいざなわれないことが余計に哀しい。

マダム・ヴォルフのシーン冒頭、ルキーニの歌に字幕が出ない。ミスか、と思っていると今度は日本語で歌い出す。びっくりした!びっくりして、きちんと聞けなかったのが残念。(機材のトラブルが少なくない梅芸なので、本当にミスなのかとも思ったのだが、固定の演出だそうです。twitterで教えて頂きました)
衣装は露出が控えめ。豊満なフラウ・ヴォルフがいいなー。恥じらいや「失礼」は存在しないから楽しんでいって、という直截な感じがいい。

「精神病院」もエキセントリック。ヴィンディッシュの反応も乱暴なら、シシィの反撃も力強い。拘束具でおさえつけられたヴィンディッシュの様子も視覚的に衝撃がつよいので、それを見てなお「自分は肉体だけでなく精神も囚われている」と彼女をうらやむシシィの歌も衝撃が増す。歌詞が日本よりだいぶ刺激的。

ウィーンのルドルフはさらっと「結婚がうまくいってない」みたいなことも言う。東宝のルドルフはまだ思春期の色が残っている。年の離れた若い愛人と死んだりしない。かれにまだ子供の要素・少年の要素が残っていることが、イコールルドルフという放り出された子供の悲哀に繋がっていた。見ているものを切なくさせる不憫さがある。
ウィーンのルドルフはルカスの今の年齢のこともあるのだろうが、きちんと独り立ちした青年で、そういうかれが最後の最後でママに縋ったという悲哀がある。どちらにせよ切ない。ルカスのルドルフは大人で、けれどときたま繊細で壊れそうな顔を見せる。没落してゆくハプスブルクの血がたしかにかれの中に流れているように見える。
かれがフランツに叫ぶ「HASS!」の声のエコーが鳴り響き、そのまま「憎しみ」へ流れる展開も好き。「純血」「浄化」といった、背筋がひやっとするフレーズも織り込まれている。
死の舞踏。
見捨てられて呆然とするルドルフの元に現れる天使たち。かれは天使たちからピストルを奪おうと躍起になり、逆に翻弄される。けれど現れたトートがルドルフの体を拘束してこめかみに銃口を突き付けると、ルドルフは脅えた顔をする。銃を欲しがっていたくせに、死の気配に恐れる。
死の接吻とほぼ同時の死。死んだあともルドルフは天使たちに運ばれず、床に無残に倒れている。

ルドルフの葬儀でシシィはトートに「死なせて」という。それに対してかれは「もう遅い」と彼女を突き放す。ここがいまひとつ理解できない。「まだ私を愛してはいない」(東宝版)は分かりやすいんだけど、「もう遅い」のあと年月が経過したのち、ルキーニの暗殺によってシシィがトートのもとへ行くとかれはそれを愛情深く受け入れるのである。その間に何があったんだろう。今後の課題として考えよう。エリザのない時期を乗り越えるための宿題!

「夜のボート」が最高だった。マヤのシシィはフランツとは異なる「積み荷」を抱えて異なる「ゴール」を目指す孤独なボートだ。
東宝のシシィはそこまで確固たるゴール、目標を見ていないように思う。元々シシィはずば抜けた美しさを持っているものの、それ以外の面では世間知らずで奔放な田舎のお嬢さんだった。そういう彼女がいきなりの恋に浮かれ、その一時期の熱病の勢いで結婚してしまった。皇后になる覚悟はなかっただろうし、結婚直後から彼女を襲う嫌なことに、彼女はすぐ負けてしまった。彼女の「私だけに」は抵抗であり、反抗であった。「放浪の旅」は逃避であった。そういう平凡な思考だからこそ共感できたし、非凡な行動力に憧れを抱くこともできた。シシィは子供のまま大人になった少女で、だからこそ可愛らしかった。
マヤのシシィも出発地点はあまり変わらない。けれど彼女には通したいというだけの主張があった。マヤのシシィは非常にエゴイストで、そういうところが文献などからうかがえるシシィ本人と非常にリンクする。自分の自由のためにルドルフを突き放す、夫や義母のみでなく国がかかっていると分かっていても自分の主張を優先させる、妥協や譲歩のない強い女性だ。
けれどそういう彼女もたしかにフランツを愛していた。かれの不義がわかったあと、バート・イシュルで貰ったネックレスを怒りにまかせて床にたたきつける程度には、彼女はフランツを思っていたし、信じていたし、執着もしていたのだろう。このあたりの喜怒哀楽の強さもマヤシシィの魅力だ。だからシシィは凄くエゴイスティックな人物だけれど、彼女なりのフランツとの決定的な別れは辛かったのだ。幸福になるのが難しい、という二人の歌が泣ける。目の前に愛する人がいるのに分かりあえない、手を取り合って生きることができない。
シシィが歌う「あなたの影ではいやなの」というフレーズが響く。これが答えなんだろうな。影になりたくないのなら、自分の船を漕いで行くしかないのだ。

クライマックスに向かって盛り上げて盛り上げてルキーニの凶行に至る東宝版とは異なり、ウィーン版のラストは非常にあっさりしている。日常の中でシシィがいきなり殺される。ルドルフと同じように舞台に倒れ込んだ彼女はそのまま息を引きとる。美しかった皇妃が最期を迎えるにはあまりに簡素で、残酷だ。そしてトートが迎えに来ると、シシィは黒いドレスを脱ぎすてる。殻のようなそれから抜け出して、トートに駆けよる。
東宝版では、人生を終えたシシィとトートの掛け合いは「私が命委ねるそれは」「私だけに」「俺だけに」と最後までかみ合わない。シシィは自分自身に全てを委ねて生きたと満足気に歌い上げ、隣にいるトートは自分が全てを担っていたのだと歌う。死を契機に愛し合うふたり。「生きたお前に愛されたいんだ」というトートの願いは本当はかなわなかった。長い片思いを続けたトートは最後まで空回りで、その不憫さをわたしは愛している。閣下かわいそう萌え、である。
ウィーン版もラストは同じである。けれどトートはシシィから生まれたシシィの想像の産物である、つまり石丸さん的に言えばシシィとトートは「写し鏡」であるということが非常に顕著なので、ラストに受ける印象がかなり変わってくる。シシィの「私だけに」とトートの「俺だけに」に矛盾がない。シシィは、自分が生み出した死の幻影と時に戦い、時に寄り添いながら、最期の瞬間まで自分にだけ依拠する人生を全うしたのだ。
同じ作品で同じ曲なのに全く違った景色が見える。

ウィーン版の初日公演に際してクンツェさんがエリザは「愛と死」「強制と自由」「罪と許し」のような相反するテーマを持っている、と語っていた。最初のふたつに関しては言うまでもなく納得できるのだが、「罪と許し」がしっくりこなかった。
エリザの登場人物は「許し」を持たないひとばかりに思えるのだ。三年間の花嫁修業がパァになったあとも、いじけず結婚式で微笑んでいたヘレネくらいじゃないのか、と思う。けれどウィーン版を見るとちょっと理解できそうな気がした。
あと20回くらい見れば…きっと…。これも課題にしておこうっと。

***
カテコが非常に豪華だった。
キャストによってかなり細かく曲が変えられるし、ブルーノは「キッチュ」を高らかに歌ってくれる。シシィは白ドレスじゃなくてブルーっぽいドレスだった。

マヤ・ハクフォートのエリザベートはこの日本公演で見おさめになる。すばらしいシシィを生で見ることができて幸せだった。
やっぱり大好きエリザベート!
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NODA・MAP(野田地図)第17回公演「エッグ」@東京芸術劇場プレイハウス


作・演出:野田秀樹
音楽:椎名林檎

阿部比羅夫:妻夫木聡
苺イチエ:深津絵里
粒来幸吉:仲村トオル
オーナー:秋山菜津子
平川:大倉孝二
お床山:藤井隆
劇場案内係・芸術監督:野田秀樹
消田監督:橋爪功

***
リニューアルされた東京芸術劇場へ。
前回見たのがあの震災直後の、節電状態で上演された「南へ」だったので、芸劇が明るいだけでも感動してしまった。
長いエスカレーターは結構怖かったので、なくなったのは個人的には良かった。噴水もなくなっている。あれを使ってのでかでかとした垂れ幕は結構好きでした。いつも大きなポスターが貼られていた柱もなくなってる?他の用途で使われていて見落としているのかな。
プレイハウス(もとの中ホール)座席は席の前のスペースが広くなったのか、人の行き来がしやすくなっているし、何より座っていて快適。見やすくなってる。スタッフのサービスも一層気合いが入っている感じ。
どうでもいいけれどプレイハウスって言われると町田のライヴハウスが浮かぶので、結局中ホールって呼びそう。

以下ネタバレ。
戯曲はこれに載っている。


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ミュージカル「エリザベート」@梅田芸術劇場 13:30公演

エリザベート:瀬奈じゅん
トート:山口祐一郎
フランツ・ヨーゼフ:石川禅
ゾフィー:杜けあき
ルドルフ:平方元基
少年ルドルフ:鈴木知憲

***
大千穐楽。
五月に帝国劇場で幕を開けた「エリザベート」が、博多座・中日劇場を経て、本日この梅田芸術劇場で幕を下ろす。

始まると終わる。一曲終われば、その曲が次に歌われるのはいつになるのか分からない。聞きたいけれど始まって欲しくないような、不思議な気持ちだった。
感無量になっているこちらと同様に、寧ろそれより何倍も強く、舞台の上の感情も過多なほどに強まっているようだった。瀬奈シシィはもともと感情表現が非情に豊かなのだが、今日は更に、笑う、叫ぶ、泣く、怒る、と全身全霊で生きている感じがした。
一幕最後の「私だけに」の扇の使い方が、瀬奈さんも春野さんも同じようにしっくりきていない印象があった。二人ともなので、演出の問題というかわたしと演出の相性の問題なのだと思うが。精神病院のヴィンディッシュの扇の使い方が一番好みだったんだけど、この日は瀬奈シシィもきれいに決まって気持ち良かった。
最初の「私だけに」の表情のつけかたも好き。フランツが出て行ったあと、誰もいない扉に向かって切ない顔を見せる。そのあと正面を向いて歌い始め、次第に夢や希望を取り戻し始める。きりっとした顔でベッドの掛け布団を床に投げる。どんどん生気が戻ってくる。エリザベートが「自我に目覚め」始める。

結婚式、トートの「全て汝の意志であることに間違いはないか」の問いにシシィは笑顔で「はい!」と答える。この時、彼女の言葉を聞いた瞬間に満面の笑みになる禅フランツの可愛さと言ったら。結婚式のシーンは、不安そうな顔をしていたシシィがフランツが現れたことで安堵し、問いに答えることで結婚の自覚を得て幸福に満ち足りた笑顔になるのに対して、フランツは最初からずっとにこにこしている。シシィかわいい!ドレスでさらにかわいい!こんな可愛い子が僕のお嫁さんになるなんて!という浮かれっぷり。
いきなり訪れた恋の成就の幸福の中で歌う「あなたが傍にいれば」と同じメロディーで、永遠に分かりあえないことを歌われる切なさ。この日の「夜のボート」は情感たっぷりで、はちきれそうな寸前のところまで思いを詰め込んでいるような印象。どれほどシシィが好きで、シシィを必要としているのかを伝えるフランツは、これがラストチャンスなのだと知っている。長らくすれ違い続けてきた妻とやり直す機会は、今をおいて他にない。この最後の機会に籠める思いの強さが、大千穐楽の思いの強さとリンクしている、というのは考えすぎかしら。ともあれ今までの中でも随一の渾身っぷりであった。
そのあと「悪夢」に至るフランツの目が潤んでいて更にせつなくなる。この人は本当にシシィが好きだったのだ、と痛いほどに実感できる。それでもフランツは、オペラの特等席に自分を案内するルキーニに対して皇帝らしくふるまう。その習慣、感情を押し殺してつねに求められている姿であろうとする習慣もまた悲しい。禅フランツ大好き!!!!よ!!!!
あとシシィとの掛け合いで、ゾフィが「ルドルフに酷い躾を」しているとシシィに告げられたフランツが「聞いてない」と驚くものの、シシィが「体罰よ小さな子を鞭で打つの」とその実態を明かすと、苦々しく「しきたりだ」と答えるのも切ない。つらそうな反面、そんなことか、という顔にも見えるから、フランツもまたそうやって「しきたり」に則って「酷い躾」をされてきた「小さな子」だったのだと、一瞬で分かってしまう。扉の向こうにいるシシィにはフランツの顔が見えないから分からない。見えたら、分かっていただろうか。分かったとしても彼女はゾフィのやり方を認めなかっただろうけれど。
「独立運動」が失敗に終わったあと、ルドルフの元に現れたフランツ。自分に弁解しようとする息子の言葉を遮って「何も言うなハプスブルクの…」と一息に述べ、すこし間をあけて「ハプスブルクの、名誉にかけて」と繰り返していた。平方くんの「父上!」の絶叫もすごかった。

ルキーニの舌が青いのは、かれが黄泉の国の住人であること・トート閣下の手下であることを象徴しているだけでなく、Un giorno bellissimoな日の空の色ともかかっているのかな、とか今更思った。空の色と血の色が同じだなんてドラマティック!
まあ兄が「今回は舌の色何色にしようかな」と言ってたくらいなので、そんな意味合いはないんでしょうけどね。想像するのは自由よね。

カーテンコールはさすがに数え切れないほど。
拍手を知憲くんが前にでてきて煽ってから三本締め。そのあと高嶋さんがスタンディングオベーションを一端座らせて、「夢から覚める日がやってきました」と挨拶。語りきれないのでここでは語りません、さまざまな人のサポートによってここに立っている、ありがとうございましたというような内容。「東宝ミュージカルお決まりの挨拶が始まるわけですが」という身もふたもない仕切りで、平方くんから順番にコメント。
終わってしまう実感がまったくない、ルドルフという役をやりたいと思ってから実際やれるようになってここまできた。どんな日も舞台に立てば拍手で迎えてもらった、駄目な日もいい日も励まされた、感謝しています、というような話。トークショーでも「楽しいことばかりではなかった」と言っていたし、結構あけすけというかさらっと言いづらいことを言うんだけど、それがいやな風に取られないタイプだなー。
「お決まり」という言い方はよくない、「恒例の」と言い換えます!という高嶋さんの注釈のあとは今井さん。
稽古から六ヶ月目、毎日顔を合わせているメンバーと会えなくなるのは淋しい。シングルキャストで五ヶ月公演は久方ぶりで体力が心配だったが、優秀なスタッフ・共演者の笑顔・お客様の声援で乗り越えられた。いつかどこかの劇場でお会いしましょう、というような話。「会えなくなるのは淋しい」のくだりで、隣の禅さんが淋しそうに笑っていた。
そのあとは杜さん。
「感無量」だと話し始めた杜さん、本当にそうなのだとひしひしと伝わってくるような話し方で聞いていて泣けてきた。千秋楽の拍手は格別、六か月間あっという間。長い人生の中でこんなにすぐ過ぎてしまう五ヶ月は勿体ないけれど役者にとっては格別。孫たちがどんどん大きくなる。ほんの少しのエンプティ感は、カンパニーとお別れする淋しさによるもので、体の殆どは充実感でいっぱい、というような話。
「ほんの少しのエンプティ感」ってすばらしい言いまわし。BABY感と併せて使って行きたい日本語である。
あらゆる意味で期待できる禅さん。
半年前、小池先生が「エリザベート」は激動の時代を生き抜いた独りの女の話で、今激動の日本で上演することに意味がある、と語っていた。フランツは時代を説明する役で、そのことについてのプレッシャーがあった。テレビをつけるのもどきどきするような情勢の中、劇場に足を運んで頂き、カンパニーが心をひとつにして芝居が出来る、こんなにしあわせなことはありません、という真面目な話が続く。「フランツは時代を説明する役」というのは納得だなあ。
そして「最後に!」と声をあげて、健全な肉体には健全な精神が宿ると言うから、皆健康でいなければならない。『孫は優しい』という言葉がありまして、バランスのとれた食生活のために必要なものの頭文字のこと。まは豆!ごはゴマ!わはわかめなどの海藻!やは野菜!しはしいたけなどのキノコ類!いはいも類!これらを摂れば多少のプレッシャーには打ち勝てるのではないかと思います、みなさま元気でおすごしください!というまさかの健康コメントであった。
「ご」のくだりくらいから春風さんが爆笑し、「わ」のあたりから山口さんが怪訝な顔で高嶋さんや今井さんと目を合わせ、ウロウロしはじめていた。石川禅すごい。ほんとすごい。
「50になるとそういうこと気をつけないといけませんね!」という高嶋兄の身も蓋もないコメントに続いて、山口さん。
四捨五入すると…になってしまいますけれど、またこの劇場でお会いできるそのときまで精進してまいります、ありがとうございました!と自虐を入れつつさっぱりご挨拶。かと思えば「三つ忘れていました!」と大きなジェスチャーで拍手を遮る。仲間のマテがコンサートします、明日初代エリザベートの一路さんがドラマシティでコンサートします、宝塚のガラコンサートがこの劇場であります。是非足をお運びください!という宣伝三連発でした。祐さまもたいがいです。
ガラコンチケは完売間近でネットで15万らしいよ、という兄のツッコミのあとは瀬奈さん。
長かった公演も、独りの休演者もなく皆で揃って笑顔でご挨拶できることをほっとしています。歌詞のように「泣いた笑ったくじけ求めた」そんな約半年ではありましたが、このような経験をさせていただき、作品に関わらせていただき、役を与えて頂き、支えてくださった全ての皆さまに感謝しています。連日足をお運びくださいましたお客様、本当にありがとうございました!というような内容。
最後の挨拶のまえにちょっときりっと顔をあげて、声をひときわ張ってお礼を言うところが好き。中心で挨拶を繰り返してきた人のやり方だな、と思う。

そのあともひたすらカテコ。塩田さんを筆頭にオケの人たちが出てきて、一列で手を繋いで万歳したり、小池先生が清史郎くんと一緒に出てきたり。清史郎くん、グレーのカットソーに赤のスキニーパンツに黒のスニーカーで、眼鏡かけててものすごいおしゃれだった。あれはTシャツじゃない、カットソーと呼ぶにふさわしい着こなしだった…恐ろしい子…!うつむいてて、ちゃんと「自分の楽は既に終わってるから一歩下がってる」感じがあった。この子は聡明な分、評価もされているけれど苦労もしているんだろうな。すごくいい俳優さんだったので今後も楽しみ。

小池先生の挨拶。
今日で1067回だそうです、全部出た方もいます。カンパニーの面々はこれからも舞台やテレビに出るので、是非行ったら「エリザベート良かったです」と言ってあげてください、とのこと。引っ張り出されて若干パニックになっていたんだろうけれど、他の舞台見に行って前の舞台の感想言ってどうする…天然…。客席も舞台上も皆失笑しつつの拍手だった。

そのあとはシシィとトートだけで出てきたり、皆で出てきたり。最後は皆床に座って、トートダンサーたちはステージによじ登ってのお手振り。カテコ衣装だと手があまり上がらないから、お手振りが胸の前で小さくバイバイになってしまうフランツ・ヨーゼフ閣下可愛いです。あぐらかいて満面の笑みのトート閣下も可愛いです。

***
「エリザベート」は過去の物語の芝居ではなく、現在まで続いているルキーニの裁判において、毎夜蘇った亡霊たちが証人として過去を演じる物語の芝居である。ステージの上は1898年9月10日ではなく、2012年の今日だ。そしてわたしたちは芝居の観客ではなく、裁判の傍聴人である。
すべての証言を終えたかれらは再び棺桶に入り、再び裁判で召喚されると現れる。またいつか死んだはずのルキーニが絞首台から下ろされ、「毎晩毎晩同じ質問ばかり」繰り返されるその時までの、しばしのお別れ。数に限りがある傍聴席に再び座れる日を、指折り数えて待っています。

とは言っても淋しいので再演してよ!DVD出してよ!CD出してよ!

エリザベート大好き!!!
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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 22:14 | - | - |

ミュージカル「エリザベート」@梅田芸術劇場 12:30公演


エリザベート:春野寿美礼
トート:山口祐一郎
フランツ・ヨーゼフ:岡田浩暉
ゾフィー:杜けあき
ルドルフ:古川雄大
少年ルドルフ:山田瑛瑠

***
冒頭、棺の中で横たわる古川ルドルフが美しい…三階からだと見えてしまうね…自分が見てるからだけど…わたしきもちわるいね…。

「あなたが側にいれば」で「ささやかな幸せも掴めない」と暗い表情で真実を告げるフランツに、「私がつかめる」と励ましたあと、にこっと微笑むシシィがかわいい!それにつられてフランツの表情も明るくなる。かれがシシィに恋をしたのは完全な一目惚れだったけれど、こういう天真爛漫さも好きだったんだろうなあ、と思わされる。
ずっと義務としきたりの中で感情を殺し続けてきたかれは、母の意志に反して、シシィと結婚するという主張をした。それが通ったあと彼女とふたりきりで話す中で、この明るく前向きなシシィと一緒に人生を楽しめそうだと思ったんだろう。残念ながら現実はそうではなかったけれど。
デフォルトの顔がきりっとしていて冷たそうに見える分、春野シシィがここぞという時に見せる笑顔がかわいい。

結婚式翌朝。フランツが出て行った扉の音につられるように扉を振り返る瀬奈シシィとは違い、春野シシィはその音が自我のスイッチに直結しているようだ。苦しそうな表情でフランツが去るのを待ったあと、扉が閉まって完全に自分が一人きりになると、何かを振り切ったような顔で前を向く。

山口トートは静のトートだ。「愛と死の輪舞」においても、戸惑い逃げるシシィを追いかけるようなことはしない。ただ後ろに立っているだけ、少し手を動かすだけで彼女を支配・拘束する。立ち位置だけ見ればシシィも、ルドルフも逃げられそうな距離がある。けれど決して逃げられない。その説得力が山口さんにはあると思う。

今日の古川ルドルフは普段に輪をかけてひよわな皇太子だった。名乗りのシーンはいつもの「ル、ルドルフ」じゃなくて、泣きそうな声で「ルドルフ!」とちょっと早口に言っていた。思い詰めて感情が溢れだしたような名乗りだった。
フランツと対峙したときに、弁解しようとするルドルフを父は「何も言うな」と制止する。二の句が告げないようにする。このシーンの古川ルドルフの、本気で何か言おうとしている感じが伝わってくるのが好き。フランツの顔を見た瞬間から必死で話そうとしていて、フランツに拒絶されたあともまだ、どこかから入りこめるのではないかと必死で様子をうかがっている。
シシィに久しぶりの再会したあと、ママ鏡での「打ち明けるよ」もすごく上ずった涙声だった。そのあとの「最悪の事態に〜」も泣きそうな調子で歌っている。
ルドルフが生きて死ぬ20分以外の古川雄大のみどころは、デブレツィンにおけるあんまりはしゃいでいないハンガリー人っぷりと悪夢の最期、子ルドとゾフィーに左右から「キッチュ!」されても苦笑するだけで迎合しないところ、だと思います。この日も適当に流してた。というかそういうリアクションするから左右からいじられてるんだと思う…平方・大野両名でそんなの見たことないもん…。

ルドルフの葬儀のあと、シシィが頬を寄せている棺から出てくる山口トートはうつむいたまま、顔を上げない。髪と顔の位置で表情を一切伺わせない。トートの雰囲気を察しているシシィはかれに憎しみの言葉をかけたあと、「死なせて」と足もとに縋りつく。そのとき初めてトートは顔をあげ、シシィの表情を見て「まだ私を愛してはいない!」と突き放す。この流れは凄く自然で好きだなー。
自分から現れておいて、シシィがようやく心を決めたのに突き放すのか…とツッコミを入れたくなるシーンなんだけど、この流れだと不自然さがない。つまりシシィの顔を見るまで、トートは彼女が自分をようやく本心から愛して求めるようになったのだ、と思っていたということだ。寧ろかれにしてみればシシィは自分が好きだということが大前提にあり、それを認めただろうと思って棺から登場した、というところか。ともかく非情にわかりやすくて無理がない。
ドヤ顔で登場して、シシィに気づかれるのを待っているトートもかわいいけどね!
シシィとフランツのキャストによる、葬儀のシーンの微妙な違いを把握したいんだけど、頭がこんがらがる。葬儀の場に現れたシシィが一人で立ちつくして泣いていると、フランツが近寄って後ろから抱きしめる。シシィはそれに頼らず、柔らかく振りはらって棺に向かう。禅さんだともうちょっと抱擁というか、多少二人で哀しみを分かち合ってから棺に向かうような印象がある。シシィとフランツの距離や在り方がそれぞれ違っておもしろい。

「エリザベート泣かないで」は本日全部ウィスパーボイスで歌われていた。最後は勿論羽根ペンがきれいに床に刺さる。床に刺さるタイミングでライトが当たってるのに今日気づいた。すごい!

山口トートの日は拍手がすごい。この日は二幕の最初、「キッチュ」の前、背を向けていたルキーニが正面を向いた瞬間に拍手が起きていた。
拍手と言えば、わたしは2008年のエリザベートをこの梅田芸術劇場で三公演見ているんだけれど、シシィやトートのキャストを問わず、一幕最後の「私だけに」でシシィが出てくると拍手が起きていた。拍手したくなる美しさだし、作品の邪魔をしているわけでもないと思うんだけど、それ以降2010公演でも今年の公演でも一切その状況に出くわしていない。
web拍手
posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 21:41 | - | - |

ミュージカル「エリザベート」@梅田芸術劇場 13:30公演

エリザベート:瀬奈じゅん
トート:石丸幹二
フランツ・ヨーゼフ:岡田浩暉
ゾフィー:杜けあき
ルドルフ:平方元基
少年ルドルフ:坂口湧久

***
石丸さんの「最後のダンス」のシャウト、いつもの高音ヘヴィメタ系シャウトではなく、今日は低めではっきりしたシャウトだった。また新しい引き出しが出てきた。メイクが変わったという噂は聞いていたのだが、確かに口紅が以前の青黒ではなくなっている。ベージュ?暖色系の色になっている。その代わりラメが増えてギラギラトート閣下。梅芸が広いことと関係あるのかは分からないが、派手なのはすてきなこと。口紅は引き算したのかしら。素の色に近い口紅での笑顔もいいね。

一幕ラストの「私だけに」でフランツの声がちょっと裏返っちゃってたんだけど、それがかえってフランツのなりふり構わない必死さに拍車をかけていたようにも思える。
今回の「父と息子」は、「待て!」のあとかなり間をあけて「ルドルフお前はこの新聞を知ってるか!」と畳みかけるような語りかけだった。
放浪を続けるシシィに帰ってくるよう語りかけるフランツの、10年後と18年後の差がどんどん明確になっている。腰を曲げているだけでなく、歌声で聞かせる加齢の具合がいい。
バートイシュルのシーン、岡田フランツは差し出された紅茶を普通に受け取っている。禅フランツは与えられることを当然として受け取る。目下の人間に振り返って受け取るようなことはしない、それが皇帝だと指導されたと禅さんが以前言っていたのでいつも気になってしまう。

瀬奈シシィは回数を重ねていることもあってか、細かいタイミングのお芝居が非常にいい。家庭教師とのおいかけっこからルドヴィカとぶつかりそうになるところ、バートイシュルで日傘で遊んでいてゾフィーと顔を合わせるところなどが非常に自然。春野さんはまだどこまで踏み込んでいいのか計りかねているのか、結構手前で引いてしまっている感じがあるんだけど、瀬奈さんは本当にぶつかりそうなところまで行ける。シシィの屈託のなさ、がすごく出ている。
娘のゾフィーの死を知らされたときの絶叫、ルドルフの葬儀あとの絶叫も自然。失礼な物言いをすれば、この二年で「女優」になられたんだなあ、と思う。
結婚翌朝のゾフィーの行動に困惑したシシィは、庇ってくれないフランツが「私を見殺しにするのね」と感じる。そのために「一人にしてください」とかれを追いだす。けれど実際にフランツが出て行って、それを扉の音で知ると、彼女は顔をあげて扉を見てしまう。自分が出ていけといったのに、フランツが出て行ったことに驚いて、悲しくて、切なくなってしまう。この女心…!すごく好きなシーンだった。

平方くんのルドルフを見るのはお久しぶり。三人の中では一番安定していて、なんというかミュージカルらしいミュージカルっぷりを見せてくれていたかれだったが、その印象は今日も変わらなかった。全体的に以前見たときよりも精度が上がっている。
ただ平方ルドルフって、その声のつよさや目のつよさの所為もあって、「ひ弱な皇太子」っぽさが薄い。そつがないし、人に奨めるなら絶対平方ルドルフだけど、個人的な好みの琴線に引っ掛かるようなところがあまりない。声の力があるゆえに、微細な感情の揺れが見えづらいのかな。
トートとうたってもかき消されない「闇広」は格好良いよ!

石丸トートがマイヤーリンクでピストルを落とす。以前の演出だと接吻しながら渡すので、それよりは今回の演出で落とした方が良かったのではないか、と救いにならないフォローを入れておく。
普通に涼しい顔のままで拾って、ルドルフに差し出していた。ルドルフも動じず、ピストルに驚いた顔をして、そのあと死を覚悟する。いつも何か言っている石丸トートだけど、接吻の前に3~4文字のことばを言っているように見えた。唇の感じからして「おやすみ」みたいな気がしたんだけど妄想かな。

「悪夢」で刃物を指揮棒代わりにマエストロをつとめるトート閣下。後半石丸トートがとる、両手をクロスさせて前方を狙い定めるようなポーズは、「ママ、何処なの?」で少年ルドルフの頭上におもちゃの銃を向けた時と同じポーズだ。このポーズ自体も非常に形式ばってて美しいし、何よりそのリンクに心が震える。石丸トート…!!!

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終演後は、ウィーン初演20周年記念ウィークの一貫でトークショー。
司会の塩田さんが「山崎邦正でーす!」というお馴染みのツカミで現れる。2010年帝劇でもトークショーの司会をされていたけれど、今回は梅芸だということもあってか関西弁が非常につよく出ていた。神戸の方だそうです。
今回は石丸さん、瀬奈さん、平方くんの三人がゲスト。瀬奈さんは最初の「パパみたいに」の衣装で登場。石丸さんは下が黒で上がえんじ色の扇子であおぎながら登場。「いつも持ってるね」と塩田さんに突っ込まれたその扇子が「ドン・キホーテで買ったやつ」だと瀬奈さんにバラされていました。
「あさこちゃん…瀬奈様」って愛称がぽろっと出たあと訂正していた石丸さん。瀬奈さんについて、2年前のトークショーで城田が「瀬奈様」と茶化して呼んでいたのがとても可愛かったのでたまに「瀬奈様」って呼んでいるんだけれど、石丸さんも言ってて笑った。塩田さんは普通に終始あさこちゃん呼びだった。

2010年初演のエリザベート同期な瀬奈さんと石丸さん。初演と再演での違いについて石丸さんが、帝劇でしかやらなかった前回と違って今回は四会場で演じるので、会場のサイズなどに合わせて色々芝居を変化させるのが面白い、と語っていた。
瀬奈さんは、「男性の後初めて」だった前回に比べて、今回は「女性でいることに慣れた」そう。前回悔しかったことなどをふまえてやりきりたい、と言っていた。あとは、朝海さんや春野さんなど、演者によってこうも違ってくるのか、と実感したらしい。その中で「私がやる意味」を考えているのだ、と二度語っていた。
春野さんの名前が出たことで、「稽古場で二人で並んでいるとどっちがどっちか分からない」と石丸さん。それに対して平方くんが「そんなことないでしょ」と苦笑気味に突っ込んでいた。「目が悪い」と取り繕う石丸さんに、瀬奈さん・平方くん二人がかりで「目だけ?」「耳もなんか…」と集中攻撃。「人の話をうまくスルーする」と瀬奈さんに言われていた石丸さんは、人の話を聞いていないことが多いらしい。瀬奈さん・平方くんで結構責めたけど改善されない模様。ちなみに石丸さんの口癖は「そっかそっか」で、これを使うときはたいてい話を聞いていない時のよう。
その流れで塩田さんが言った「トートってそんなもんだよね。勝手に歌ったり踊ったりしてる」発言がとても好き。

平方くんは一年前の9月7日に「ロミオ&ジュリエット」でミュージカルデビューしたという話。一周年おめでとう!の拍手のあと、「もっと前からミュージカル界に君臨してるような気がする」と瀬奈さん。錚々たる先輩方がルドルフ役をやったあと、スターへの階段を上っているので、最初にルドルフ役が決まったと聞かされたときはとにかく緊張した、という平方くん。先輩方が今見ている景色を見るためにも頑張る、と野心むき出しで言ってた。それ以外のところでも、平方くんは非常に普通の青年然としていて面白い。余計なこと言わないダニエルみたい。それもうダニエルじゃないけど!
20分の役だけど9分くらいから息が詰まって、置いていかれないようにずっと走っている気分だと言っていた。9分ってどのあたりなんだろうとツイッターで呟いていたら、闇広がちょうど8分目くらいに始まると教えてもらった。

今日は平方ルドルフを「殺し損ねた」という石丸さん。落としたのは初めてだそう。平方くんが駆けるのが早いから~と石丸さんが言うと、平方くんは「逃げれるこのまま!」と思ったそう。
そのあと、マイヤーリンクで石丸トートがいつも色々話しているという塩田さんの話。いつも内容が違う上、平方くんには聞こえるそう。今日は「ママはあなたを見捨てないわよ、ルドルフ」と言っていたと石丸さん。なにそれ…そんな貴重な情報をさらっと…!
ママが帰ってこない、ママが自分を見てくれないという孤独の中でルドルフはトートと出会った。その時トートは、ルドルフの言葉は「ママには聞こえない」と突き放した上で、自分が「友達」であり「呼んでくれれば来てあげる」とかれの孤独に漬け込んだ。
その、何十年も前にはった一度きりの罠でルドルフを捕らえることにトートは成功する。父に続いてママに見捨てられたという絶望を味わうルドルフに、トートは今度はシシィとして語りかける。ママがいなくても自分はいる、ではなく、ママのふりをして。ルドルフに優しくて残酷な慰めをくれる。ルドルフは幸せの中で死ぬことができたんだな。そうすると冒頭の「ママと僕は似ている 分かりあえるはずだった」の流れが自然になるんだよ凄い!!!

石丸トートはねちっこい、という話し。
マイヤーリンクでトートが出てくるとき、石丸さんの指がぱぱぱ…って動くので必死で逃げた、と平方くん。「シシィもたまに…」と瀬奈さんに話を振ろうとすると「いつもだよ!」と瀬奈さん。手ピロピロはいつものことだし、最後のダンスでも「出た~!ダンスの『ウワァー』で出た~!って」思っているそう。
この瀬奈さんと平方くんのテンションが、観客の石丸さんに対するテンションと一緒で大笑いした。本日の「最後のダンス」でも「今日は石丸さんほえないんだろうな~出た~!って」思ってたそうです瀬奈様。超わかります瀬奈さま…。
瀬奈さんが座ったまま足をちょっと上げて、「出たー!」のリアクションとってて可愛かった。トートは自由だと言う瀬奈さんに、石丸さんが「夢の中だし何してもいい」と言ってた。

シシィ、トート、ルキーニを宝塚時代に演じた瀬奈さん。そのあとに演じる東宝シシィについては、宝塚版と歌い出し・テンポ・キーが異なるのみでなく、シシィの存在へのスタンスが違うので、全然違う作品に出ているよう、と言っていた。石丸さんが「そうなんだ…!」と素で驚いていたのも面白い。同じように劇団に長らくいても、違うことはたくさんあるだろうなあ。
宝塚シシィは、女性が演じるトートに対して女性的に見せないといけないので、東宝よりキーが高いそう。瀬奈さんのトートが凄かったという塩田さんに「前世の話です」と瀬奈さん。2010年のとき、石丸・城田のトート初演二人に対してコートさばきの見本を見せてあげるように小池先生に頼まれた瀬奈さんの話。「無理です無理です~」と言いつつもバサバサッ!と格好良く見せてくれた、と石丸さん。
2010年のトークショーで瀬奈さんが実演していたのを思い出した。城田と一緒のトークショーだったはず。あれはコートを脱いで投げる動きだったのかな。確かにものすごくキリッとしてて格好よかった。

塩田さんお馴染みのトート別キスシーンの話。
石丸さんはドゥルルン!ってくるので、吸いこまれそうになる。来るぞ来るぞ…と身構えてしまう、と平方くん。ドゥルルン!のときに手をねじって動かしていた。瀬奈さんが「分かる!」と笑ってた。祐さまは「ソフトタッチ」で、マテは歯をむき出しにしてくるそう。マテは息を吹き込んでくるので、客席から見えないように必死で口をあけて対応している平方くんでした。
ママ鏡はシンコペでルドルフの心の揺れを表現しているので、素晴らしいけれど歌い手は大変、という塩田さん。「一回全部ズレて歌った」という平方くんに「気づいてなかったよね?」と瀬奈さん。瀬奈シシィ相手の日で、瀬奈さんがずっと合図を送ってズレてることを伝えてたのに、途中まで全く気づかなかったのだとか。
ノリノリで指揮をする塩田さんに「塩田先生は誰よりも役者ですよ!!」と興奮する平方くん。「闇広僕より闇広」だそう。塩田さんはエリザは「音楽で芝居をする」ということを心がけているそうで、それを何度もオケに伝えているのだと言っていた。そうじゃないとコンサートになってしまうから、と。「歌い手と音楽の気持ちが合う」と石丸さんは嬉しそうだった。

28日までですね、という話。
「僕は薄着だけどお二人は厚着だから」という石丸さんの話に、「ママは汗かかないんですよ!」と平方くん。瀬奈さんが敢えてわざとらしいドヤ顔で「女優ですから!」と言ってた。確かに「ニューヨークに行きたい」でも橋本さんが汗だくなのに、瀬奈さんは汗かいてなかった、と塩田さん。かつらのためのネットで汗が止まってるのもあるよ、と瀬奈さん。
かつらのない=ネットのない平方くんは汗がだだ流れで、マイヤーリンクのときは「乾いてるところどこ?」と石丸さんは思うらしい。平方くんは、石丸さんにキスされたあと帰って鏡を見たら口周りが「キラッキラ」だと笑っていた。大阪はキラキラバージョンだそうです。

最後に。
全国回って楽しいことばかりではなかったが、お客様の前で歌ったり芝居ができる嬉しさを感じている、これからもよろしく、と平方くん。
カンパニーは五ヶ月目で、今が芝居もコンビネーションも一番いい感じ。更にどんどんよくなるのでまた会いましょう、と石丸さん。
5ヶ月もやるのは初めてだけど、毎日皆のおかげで新鮮な気持ちでやれている。オリンピックに出場した人が皆ファンや家族への感謝を述べる。普通はそれを伝える場がなかなかないけれど、自分は舞台に立つことでそれを伝えられて幸せだ。自分にどれくらいのことができるか分からないけれど、舞台を見た人が少しでも前進できるようなことができれば、と考えている。自分も成長できるし、来てよかったと思ってもらえるように頑張る、と瀬奈さん。すごく言葉を選びながら、自分が伝えたいことをただしく言葉にするように努めながら話していたという印象。瀬奈さんが2010年に何を考えて演じていたのかは分からないけれど、2012年の瀬奈シシィは本当に良くて、その裏にこういう考えがあるからだろうな、と実感した。

最後ソデにハケるときは、瀬奈さんと平方くんが「逃げろーおいかけてくるぞー」とはしゃぎ、石丸さんが両手をにょろにょろさせながら追いかける振りをしていた。仲良しカンパニー!

実りの多いトークショーだった。公演を重ねてカンパニーが仲良くなっていることもあるだろうが、塩田さんの司会の巧さも影響していると思う。それぞれのキャストとの関係も深いし、更には作品や楽曲について当事者として知っている分、こちらが知りたいことを掘り下げて引き出してくれる。おもしろかったー!

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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 23:35 | - | - |

ミュージカル「エリザベート」@梅田芸術劇場 17:30公演

駅について改札を出ると、「私が踊る時」が流れているのが聞こえる。阪急梅田駅の二階中央改札前に、ひたすらCM映像が流れている画面が組み込まれた柱が出来ている。


チラシがずらっと設置されたものと、映像が見られるものが二面づつ。
階段を下りたところの大型モニター、BIGMANでも「エリザベート」のCM映像が流れていた。

さて梅田芸術劇場。
帝国劇場は一階ロビーの天井からメインキャストの写真が吊られ、三人のルドルフの等身大パネルが飾られていた。博多座は行くことがかなわなかったが、外にパンフレットの白黒写真の巨大なパネルが飾られていたと聞いた。中日劇場は一階フロアにメインキャストの写真がでかでかと飾られていた。そして梅芸は、


一階入口入ってすぐのところに、本日のキャストが紹介された巨大ボードを設置してきた。
なにがすごいってこれ、混雑を避けるために撮影可能範囲を示したロープがあるのだが、その中に入ると大きすぎて全体が撮影できないのである…。苦し紛れの斜め撮影。
中二階ではエリザベート20周年の各国でのあゆみを紹介する映像とパネルもあった。
個人的にはいけなかったこともあってか博多座の設置が一番魅力的だったけれど、各会場で違う試みがなされていて面白い。

本日大阪初日から一週間はエリザベートスペシャルウィークということで、

20周年記念誌とミルクの入浴剤がもらえる。一番左の白い紙は、入口でスペシャル特典です!と言って配っていたのでもらったら、リピーターチケットとかウィーン版チケットとかのお得な組み合わせの説明でした。
20周年記念誌は、中二階で設置されているパネルとおそらく同じ内容。

ミルクの入浴剤は、牛乳石鹸が出している入浴剤。
しかしこれ、袋を透明のビニール袋に入れて、キービジュアルを印刷したものを入れてくれているのは良いんだが、ちゃんと右上に「牛乳石鹸」のロゴが入ってるんだよね…地味におもしろい…じわじわくる…。


普通のキャストボードも(物販の隣に)(ものすごくひっそりと)(埋もれてるけれど)あるよ!

***
エリザベート:春野寿美礼
トート:マテ・カマラス
フランツ・ヨーゼフ:岡田浩暉
ゾフィー:寿ひずる
ルドルフ:古川雄大
少年ルドルフ:山田瑛瑠

***
トートのキャストと休日の予定で見に行く公演を選んでいたので、シシィを選んで見ていたわけではない。出来るなら万遍なく両方みたいな、という程度。なので偶然にも久しぶりになってしまった春野シシィ。とりあえずちょっとお疲れなのかな、という第一印象。
最初から細すぎるくらいスレンダーだったけれど、更に痩せられたのかな。夏だしハードスケジュールだしプレッシャーなどもあるだろうし。着替えるシーンの腕の細さに驚いた。今回席が良くて、やっと間近で春野さんを見られたんだけど、どうしてあのポスター写真になってしまったのか…と頭を抱えたくなるきれいさでした。体が華奢なので写真だと分かりづらいけど、顔小さい。あと前髪あるほうがかわいいとおもいます。結婚式の二着目のドレスのときがいちばんかわいい!
春野シシィは歌がうまくて、理知的な感じがする。だから少女の時代のシシィより、ルキーニ曰く「自我に目覚めた」あとのシシィがしっくりくる。とくに、動揺しているシシィより、凛としているシシィが合う。自信があって希望に満ちているシシィの「私が踊る時」とか、既に揺るがない心を持っている「夜のボート」とかすごく魅力的。(瀬奈さんは反対に少女の時の奔放なシシィとか、気持ちの起伏が激しい時のシシィが合う。「パパみたいに」のあと、家庭教師とベンチのまわりで追いかけっこしているときの瀬奈シシィのキラキラっぷりすごい。)
安定の中に細かい変化を歌で出す、のに長けている人なのだと思う。春野シシィって歌はうまいし安心してみていられるんだけど、良い意味で引っかかる部分というか、琴線に触れる部分が少ない印象がある。上質なんだけれど、さらっと流れていくような感じ。けれどこの日は引っかかるというか、何度も反芻したくなるようなところがあった。
「夜のボート」の最後、フランツからの「愛しているよ」に対して「分かって 無理よ 私には」と答えるシシィ。「分かって」のところが心からこぼれてしまったような「分かって」だった。フランツからの愛は痛いほど伝わるし、自分もフランツを愛していないわけではないし、かつて大好きだった人だから決別の言葉を口にするのは辛い。けれどもう歩み寄る力もないし、やり直せるほど若くもない。やり直せるなんていう希望も持てない。旅を続けてウィーンに帰らないことは、シシィにとってフランツから離れると同時に、突き詰めればその先には決別しかないかれとの関係を一時的に保留にできる方法だったのかな、と思った。ここの「分かって」の苦しそうな感じが凄く良かった。

マテトートは、帝劇の終盤の時点で完成していたのだな、と思った。帝劇の最初の方と最後の方に見たらかなり日本語がよくなっていたので、この二ヶ月でどうなったかと思ったんだけれど、帝劇終盤とほとんど一緒。限界、ともいえる。
やっぱりどうしても言葉が気になるというのが本音。かれの努力は素晴らしいと思うし、物凄く勉強して研究してやっているんだということは分かるんだけれど、日本語を理解していたらそんな強弱は付けないのではないか、と思ってしまう部分がいくつもある。理解した上でやっているのなら、かれの解釈がわたしの趣味に合わない、ということだ。
かれのトートへの愛情、「エリザベート」という作品への愛情、日本への強い思いなどは、舞台上でもそれ以外のときも痛いほど伝わってくる。けれど黄泉の帝王トート閣下のシシィへの愛とか、ルドルフへの思いとかが、歌に出てこない感じがする。
ただ、豊かな表情からは凄く伝わる。「独立運動」のあと、ルドルフが尋問される前のトートは、何ともいえない顔をしているのがいい。何十年もかけて張り巡らせた罠にルドルフがかかり、計画通りにことがすすむ。ルドルフが死ぬのもそう遠くはない。それなのにトートは複雑な顔をしている。成功したことへの喜び、どうでもいい人間の死への無関心、どちらでもない。凄くこの時の顔が好きだ。

岡田フランツの「待てルドルフ!」が今日は「ま、待て…ルドルフ!」くらいの感じだった。ちょっと頼りないパパだけど、「ル、ルドルフ…」とリンクしてていいね。言おう言おうと思って準備してたけど、実際に息子がいきなり現れたら一瞬たじろいでしまったような感じ。ルドルフによって対応を変えているのか、その日によって変えているのか、組み合わせが多すぎてそこまで判断できないのが悔しいところ。

大阪公演のマエストロは塩田さん。弾む弾む。カテコで拍手を煽る煽る。
「結婚一年目」のところ、今回は普通にルキーニは「マエストロ」って声をかけてた。あと「キッチュ」でカード?か何かを客席にばらまいていた。何枚か投げてて、一枚が自分の足元に落ちて苦笑してた。初日だからかなー。

古川ルドルフの成長がめざましいと本気で思っているんだけれど、自分の目にフィルターがかかりすぎているので自信がない。歌すごいよくなってるよ当社比!
マイヤーリンク、トートの顔を見たルドルフは必死にかれから逃げようとする。追い詰められ、体を拘束されてもまだ抗っている。けれど銃を見せられて、一瞬躊躇ったのち、表情がすっと落ち着く。こういう道があったのだ、と知ったように穏やかに受け入れようとする。そのあと一端からだを解放されるも、ルドルフはもう逃げようとしない。そして自らトートに向き合い、口づけを受けながら銃をつかう準備をする。
銃で頭を打ち抜いたあとゆっくり倒れるルドルフの動きがきれい。

カテコ、「キッチュ!」のところで瑛瑠くんに物凄く指をさされても、苦笑するだけで自分は参加しない古川がわたしは好きだよ…。
特別カーテンコールは観客総立ちの中で春野さんのコメント。
長いと思っていたけれどもう最終地にきた。最終地の千秋楽までも早いだろう。色々な組み合わせが楽しめる舞台なので、また来てね、というような内容でした。客席を端から端までずいっと見てから話していたのが印象的。
そのあとも拍手が止まないため、マテと春野さんだけの登場、マテと春野さんだけの登場のあとキャストを呼び戻す、というカテコ繰り返し。寿さんに呼ばれて寿さんの前に出た瑛瑠くんが、そのまま前方に出てきて拍手を煽り、三本締め。近くにいた岸さんとか古川の反応から見るに、多分裏で打ち合わせしていたんだろうなー。苦笑しっぱなしの古川氏でした。

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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 17:30 | - | - |

ゴッド田澤@京都夜想

田澤さんとゴッドさんの2マンって誰が楽しいの…わたしです!
びっくりするような幸福な2マンですよねほんとうに。世界がわたしに甘い。

さて、京都夜想である。ライヴ&サロンと名乗っているこの不思議な会場には、以前行ったことがある。その時はテーブルと椅子がいくつか出ていて、そこに座ってお酒を飲みながら音楽を聴く、という形態だった。普段行くライヴハウスだと、テーブルや椅子は客の入りが悪いときに出るものというイメージだが、ここは椅子やテーブルがあるのが普通なのだろう、と思わせるつくりだった。歌い終わった出演者たちも一緒になって席に座り、飲みながら楽しく見ている、そういう空間だった。
椅子&テーブルがデフォルトだろうと思った理由として、ステージが存在しないということもあげられる。フラットな床にアンプがいくつか置かれているだけ。それを境にステージと客席が分かれているのである。
しかしかなり早く完売したこともあり、この日は椅子やテーブルも最低限。普段のライヴハウスのような状態なので、ステージの低さ(というかステージのなさ)に圧倒的な違和感。机をはさんで接するインストアイベントよりも近いよ…!

あとは入場時は、予約した順番にフルネームを呼ばれて並ぶとか、名前を呼ぶ人と入り口でチケット代を受け取る人が同じ人だとか、ドリンクチケットがこまかく切ったチラシに猫のハンコがおされただけのものだったりとフリーダム。イマドキ学園祭でもエクセルで券作るんじゃないかな!
でもドリンクは異様に豊富です。

***
・田澤孝介
出てきた瞬間に客席を見て「近っ」と苦笑した田澤さん。そりゃそうである。端っこからずいっと客席を見るくせがあるので、その時の近さにおどろく。

一時期の刺さるような、悲痛な印象は薄れたかな。曲にもよるんだけれど、穏やかな感じがする。でもやっぱり一瞬で曲に入り込むような、目の色が変わるような瞬間がある。
「愛というものを分かっていない時期に書いた」という紹介から「true colors」、「新月の心」と続く。相変わらず「新月の心」がだんとつで好き。こっちの呼吸が止まってしまいそうな気迫がある。この曲はずっと痛々しいままで残してほしい。
「何も伝えたくない、伝わらなくていいと思って書いた」というこの曲が、自分のことを好きになるきっかけだったと言われることが多い、と言っていた。自分のことを「伝えたいことがあって何か書くタイプではなくて、日々思っていることを発信して、それをどの角度からでも共鳴してもらえたらいいなというタイプ」みたいな分析していたのはここだったかな。

MCはものすごく順不同。田澤さんはごっつぁん呼びしてた。ごっつぁんとのツアー楽しい、機材車に乗せてもらって一緒に移動している、「メンバーは俺のうるささに驚いていることでしょう」と笑ってた。寝ている時以外はずっと喋ってる、返事がなくても喋ってる、だそう。
またツアー一緒に廻ろうと話しているとか、2組合わせるとパートが揃うので何かできないか画策しているとか色々。わーい!

「しょうもない話していい?」という出だしから「京都って何が美味しいの?」というMC。客席から「湯葉」という声が上がるも、湯葉の中にはうまい湯葉とうまくない湯葉があるだろうが、所詮は湯葉で限界が知れている、的な返し。そのあと「天一!(天下一品)」の声に「本店あるもんね」と返事して、「俺好きなラーメン京都ばっかりやねん…この話いらん?」と話し出して自分で止める。
こんなことばっかり言ってるから、MCがなかったら良いのに、と言われるんだと反省する田澤さん。「『田澤はさー喋らなきゃいいのにさー』とか全身黒の人にいわれんねん」と口真似してた。言われてたね…。

「さだめを歌った曲です」で「蒲公英~風に舞え~」をうたったあと、趣味が多様化している中でライヴに行き続けること、音楽やライヴが生活の一部になっていることはすごい、という話に。孤独ではあるけれど居場所が簡単に見つかる世の中だ、ネットにむちゃくちゃ演奏のうまいやつが一杯いるのに、動画配信だけで満足してしまっているのは勿体ない、でもそれで成立しているのも事実だ。そういう時代なのに、わざわざライヴに行き続けるのは本当はすごいことなんだ、と。
だから可能なかぎりは好きなバンドとか音楽を追いかけて、いつか遠い未来に結婚したり家庭を持ったときに、語り継いでください、とのこと。「『遠い未来』っていうのは失礼やって笑うとこやで!」とかもいってたな。語り継いでほしいものが、自分のことではなく、こういうバンドがあったとかこういう曲があったということでもなく、こういうすてきな空間があるのだと伝えてほしい、という文脈だったように感じた。
そこまで喋ったので次は「道標」だろうなーと思っていたら、「間違えた!」と田澤さん。次が「道標」のつもりで喋っていたけれど、本来のセットリストでは違う曲が予定されていたのだと言う。「はい田澤凡ミスー」と自嘲。結局曲順を入れ替えて「道標」へ。いつもの姪甥の話もあり。「無事四人目も生まれたんやけど名前を忘れた…なんかおしゃれな名前やった」とのこと。確かに上の子もおしゃれな名前である。

色々な形態でやっている、という話。「やれツインヴォーカルだ、やれバンドだ、やれ白塗りだ…」「白塗りじゃないんですけどね!肌拭いたら白いのが出てくるんやけどね!」でもピアノと二人きりのソロのかたちはすごく緊張するし、すごく疲れる、とのこと。多分伝わりすぎる、いくらでも伝えられてしまう、から疲弊するのだろう。
ソロだとこの鍵盤と二人きり形式が一番好きかなー。
白塗りと言えばこないだの「AKBINGO!」の偽聖飢魔兇肋个Δ弔發蠅埜たのに、「GIVE ME FIVE!」が田澤さんの声と似合いすぎててなんかものすごく打ちのめされてしまった。GM5自体が切なくていいバンドサウンドなのよねー。

初めて聞く人、家とか外とかで聞く人のことを明確に念頭において書いた曲、「夜想…夜に想う、なんとなく親近感を覚える名前ですね」とひとつ挟んでから「夜に願えば」へ。

キミのそばで
愛情論
truecolors
新月の心
蒲公英〜風に舞え〜
道標
夜に願えば

・the god and death stars
ATP2010以来のゴッドさんは三人揃って黒のカットソーにジーンズ姿であった。制服か?
ドラムの大嵩さんはAKBのみなるんに似ていると思います。前下がりワンレンボブなんだけど、中は刈り上げだった。kazuさんは前髪も全部ひっつめて額全開で黒縁めがね。アンジェラ・アキを彷彿とさせるお姿…。aieさんは麦わらっぽいハット。めまいがするような腕の細さは相変わらず。
前に見たゴッドさんはseekさんがベースだったので、kazuさんで見るのははじめて。ヘッドのないベースだった。ものすごくまぬけな感想だけどいいベーシストですよね。

ツアーで浮かれて食いすぎてお腹をこわしたaieさん。「ここの花畑はお客様と共同」だと笑ってた。この言い回したるや!田澤さんのライヴ中にトイレに行ったものの、余韻を感じさせる沈黙が凄く多くて、流すのをためらってにぎやかになるまで待ってた、と言ってた。
このあとの名阪の告知をして、今日このまま大阪に移動して泊まるという話。kazuさんに「俺ら京都らしいこと何もしてないっすもんねー」と、高校の部活の後輩みたいな口調で話しかけていた。
京都にはまた来たい、2daysくらいやりたい、という話。「まあそんなことが出来る時には俺らラストインディーズって言ってると思うんで」「まあ俺らいつもラストインディーズみたいなつもりだけど」という発言にkazuさん苦笑。
更に告知。「マフラーを巻く季節、12/22に東京でワンマンライヴやります」「今年は俺らがみんなのサンタクロースになるから」ってキリッとした顔で言って自分でウケてた。このツアー用グッズであるゴタザワタオルの宣伝もしてた。

しかしゴッドさんものすごく格好よかった。音源もいいんだけど、ライヴで出してくる雰囲気とか微妙な温度とか、そういうものが凄くいい。それはやっぱり、化粧してなくても行き当たりばったりに見えても(実際行き当たりばったりで変更していることもあるんだけど)、崩れない世界観があるのだと思う。曲名も覚えていないふまじめな客だけど、知ってる曲も知らない新曲もいいのだ。
もうちょっと頻度を上げて見に行きたい。楽しかった!
web拍手
posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 19:35 | - | - |