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「ノンフィクションW 蜷川幸雄〜それでも演劇は希望を探す」「トロイアの女たち」

「ノンフィクションW 蜷川幸雄〜それでも演劇は希望を探す」
WOWOWで放送された45分のドキュメンタリー番組。蜷川幸雄が演出し、日本とイスラエルで上演された舞台「トロイアの女たち」の製作風景や稽古のようすなど。

「トロイアの女たち」は敗戦後、さまざまな困難を味わう女たちについて描かれた、エウリピデスのギリシア悲劇だ。その舞台を演出するに際して蜷川は、日本人・イスラエルに暮らすユダヤ人とパレスチナ人という異なる民族・言語の俳優たちの共演を実施した。日本とイスラエルの国交60周年を記念した政策に参加する条件に、火種の絶えないユダヤ系とパレスチナ系の共演を掲げたのだという。
日本に来たときから、刺激的な試みだと嬉しそうに興奮しているユダヤ系と、仲間から非難されるかもしれないと複雑そうに笑うパレスチナ系の俳優の間には何とも言えない溝がある。ワークショップではちょっとした会話で論争が起こってしまったり、ガザ地区への襲撃が起きたりする。しかし、大きなプロジェクトに参加し、それを成功させようとする俳優としてのかれらの意識と、傍から見れば少し過剰なまでに気を使っている蜷川の手腕によって、次第に三つのグループは大きなひとつのカンパニーになっていく。

三つの言語が登場する舞台のため、それぞれの言語を別の人物が翻訳したものが台本になっている。日本人の日本語、ユダヤ人のヘブライ語、パレスチナ人のアラビア語。ヘブライとアラビアの両方を理解する俳優から見ると、同じ台詞でも訳し方に大きな差があるのだと言う。俳優たちが揃って本を読み合わせて初めて、そのままの台本ではだめだと明らかになる。そしてパレスチナ俳優たち自らが、本を書きなおすことになった。
言葉がばらばらなら感情表現もばらばら。蜷川さんが外国から来た俳優たちにことさら「自由に」と言っていたのには、おそらくいくつかの理由があるのだろう。本人が言っていたように、些細な一言で信頼を失ってしまうことを恐れていたから。「自由に」動いてもらうことで、日本人があまり多く接したことのないかれらの自然な姿、日常的なふるまい、感情から素直に出る動作を知ることができるから。それらを統一せずに一つの舞台に乗せることこそが、狙いだったのだろう。
蜷川が自分たちの芝居について何も言わなかったことが淋しかった、とあとで日本人以外の俳優たちが語っていた。それは上述の通り信頼を失うことを恐れていたという理由もあるだろうが(こういうところがよくもわるくも非常に「普通の」「真っ当な」人であるところだと思う)、日本の演劇を見続け・作り続けてきた蜷川の意見によって、かれららしさを消すことを恐れた部分もあったのだろう。
稽古中、日本人俳優たちには厳しく指導し、それを必ず毎回翻訳して他の国の俳優たちにも伝えさせたと言う。それによって蜷川幸雄の狙い、舞台についての意気込みや解釈を、他のふたつの国の人々にも伝えることができる。

演劇によって何かが変わるとは思わない、と蜷川は言う。ただ、最初の気まずい状況のときでもガザの襲撃のときでも、芝居を作るということ・演劇をするということについて謙虚であったかれらの姿に、希望はある。

***
「トロイアの女たち」
作:エウリピデス
演出:蜷川幸雄

こちらもWOWOWで放映されたもの。
先に上述のドキュメンタリーを見ていたので、話のおおまかな筋も、三つの言語からなるコロス(合唱舞踏団)が同じ台詞を三回ずつ繰り返すことも知っていた。面白い試みだと思う反面、全部の台詞を三回ずつ聞かされるのは辛いのでは・中だるみしてしまうのではないかとも考えていたのだが、全くそんなことはなかった。面白かった。蜷川さんが演出した舞台で、トータルで見てこの作品以上に好きなものは沢山あるけれど、この作品は演出に関して全く文句がない。

ギリシアのメネラオスの妻ヘレネが、トロイアの王子パリスと駆け落ちしたことで始まった戦争は、トロイアの敗北というかたちで幕を閉じる。老いた王妃ヘカベを始めとして、夫や子供を失った女性たちは、奴隷としてギリシアに連行されようとしている。
トロイの木馬とかそういうことは知っていると更に楽しめると思いますが、取り敢えず終戦直後の敗戦国、ということだけ分かっていればいいと思う。

ひとことで言えば、冒頭にあった「死んだものも生き延びたものも哀れ」という台詞が全てを物語っている作品だった。
戦場に赴いたまま帰ってこない、遺体を回収されることも弔われることもなく、浄められることもなく彷徨い続ける父や夫や息子。夫を殺したギリシアに、嫁ぐことを命じられた寡婦。神に誓った独身・純潔を否定され、慰み者になる巫女と、それをどうしてやることもできない母親。ただ勇敢な男の息子だと言うだけで、終戦後にも関わらず、無残な死を与えられる子供とその亡骸を十分に弔うこともできないまま連行される母、そしてなけなしの持ちものでせめて飾り立ててやろうとする祖母。
戦争は終わったのに、女たちの地獄はまだ続く。寧ろ、母国を追われ、知らない土地にばらばらに連れてゆかれ、ここからまた地獄が始まるのだ。そしてそれは、彼女たちの父や夫や息子が奪われ、母国が破壊されてしまった以上、終わることがない。

ほぼ出ずっぱりのトロイア王妃ヘカベ(日本語とヘブライ語では「ヘカベ」だけどアラビア語では「ヘコバ」に近い音なのもおもしろかった!)は白石加代子。白石さんの出ているお芝居見るときは大体白石さんの調子がいまひとつだったんだけど、これは素晴らしかった。王妃の気迫や誇り、母や祖母としての慈しみと悲哀、杖なしで歩くこともつらい老いた身の物悲しさなど、色々なものが交ざり合っている。
そのヘカベを囲むのが、大勢のコロスだ。日本人、ユダヤ人、パレスチナ人と三つの民族に分かれたコロスは順番に同じ台詞を繰り返す。映像で見ていると、日本人が話したあと、ふたつの民族が順番に話すときに字幕が出る。なので日本人コロスが言った聞きとれない部分が(数名で声をそろえて叫ぶので、どうも聞きとれないところが出てくる)あとの二回で補われる。次々繰り返される耳慣れないふたつの言語は、音楽と合わさって、蜷川が言ったように「祈り」めいてくる。

戦争の発端となったヘレネに和央ようか。散々話題だけ・名前だけが出ていて後半ようやく登場するヘレネは、この舞台で異質なまでに着飾っている。つややかな黒い髪はまっすぐのびているし、きちんと化粧をして真っ赤な口紅をひいている。露出度の高い真っ赤なドレスも相俟って、彼女がいかに場違いであるかを雄弁に語る。メネラオスに弁解をする彼女の言葉がどこまで本当なのか。トロイアの女たちは元凶であるヘレネを心底憎んでいるので当然全てを嘘だと断定するし、裏切られたメネラオスも信じない。けれど彼女の言葉が保身と快楽のためだけの嘘だと決めつける証拠も、見ている我々にはないのである。
和央さんだけずっとドスの聞いた口調で話していてすごく違和感があったんだけど、彼女はいつもこうなの…?それとも敢えて選択した芝居なの…?この芝居で唯一腑に落ちなかったのが彼女のヘレネだった。出番少なくてほっとした…。

コロスの台詞には、トロイアやギリシアの土地についての台詞がたくさん含まれている。どこの山がきれいとか、どこの水がいいとか。ギリシア神話の話も混ざって、彼女たちは朗々と謳いあげる。普段あまりこういう本筋と関わらない台詞には興味が持てないんだけれど、台本の言葉が(翻訳された言葉が)美しい所為もあってか、とても魅力的だった。残酷なまでに言葉がきれい。

「哀れな祖国」に別れを告げ、哀れな女たちの地獄が始まる。非常に興味深い芝居だった。

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posted by: mngn1012 | 映像作品 | 15:29 | - | - |

おのれナポレオン@東京芸術劇場プレイハウス 14時開演

作・演出:三谷幸喜

ナポレオン・ボナパルト:野田秀樹
アルヴィーヌ・モントロン:天海祐希
シャルル・モントロン:山本耕史
マルシャン:浅利陽介
アントンマルキ:今井朋彦
ハドソン・ロウ:内野聖陽

***
セントヘレナ島に幽閉されたナポレオンは、パリに戻ることなく胃癌で生涯を終えた。それから20年後、かれの死に疑問を抱く人間が、かれと晩年を過ごした人間たちに話を聞いて回る。かれらによって語られる英雄ナポレオンの真実の物語。

ステージシートという、ステージ横(実際ステージ上になりうる場所と高さ)の席だったため、むちゃくちゃ近いけれど正面からは見られなかった。その代わりに舞台脇に演者が来たときや、正面から顔を隠して何かをしようとしている様子はとてもよく見える。正面とサイドの両方を見られたらとても良さそう。日程が合えばライブビューイングで補完したいところだけれど、叶わず。

ナポレオンの死を調べる人物は実際には出てこない。その人物がそこにいるていで、代わる代わる出てくる人物はナポレオンについて語る。セントヘレナを出たあとばらばらになった自分たちを探し当てた人物に対して、みなそれなりに好意的だ。飲み物を出してやり、ナポレオンと過ごした孤島での思い出を語りだす。
かれらが実際に語っている現在と、その会話によって振りかえられるかつてのセントヘレナでの出来事が入り組んで語られ、次第にナポレオンの死の真相が明らかになる。

今は独身で酒場の女主人をしているというアルヴィーヌは、かつて夫のシャルルと共にナポレオンのセントヘレナ行きに同行した。もともと社交界で浮名を流していた彼女は、ナポレオンと懇意にしていたようだ。枕元で本を朗読し、ピアノを演奏し、彼女はセントヘレネでナポレオンの子を出産した。
アルヴィーヌは天海さん。やっぱり超絶きれい。格好良いし美しい彼女だけれど、すてきなコメディエンヌでもある。というかあの美貌で面白いことやると、普通の容姿でやるより数倍インパクトがあってギャップがあって面白いんだよな…。
ナポレオンに「でかい!!」と罵られたアルヴィーヌが、かれが居なくなってから「自分が小さいんじゃない!!」と叫んでいたところが好き。

夫シャルルはナポレオンから譲られた高額の遺産も賭博で使い果たし、今は女に食わせてもらっているジゴロだと言う。多くの臣下が去っていく中、最後までナポレオンの傍に残ったかれは、妻を寝取った皇帝陛下について怒りや憎しみを抱いていたわけではないと言う。
シャルルは山本耕史。こういうひとくせもふたくせもある、頭はいいけれどひねくれすぎているような役が本当に似合う。皮肉屋で、どこまでが本当で嘘なのか分からない。誰のことも好きじゃないような目をして笑っている。

ナポレオンの主治医であったアントンマルキは、現在も医師として活動しているようだ。一時期ナポレオンの不興を買って屋敷への立ち入りを禁じられていたこともあるかれだが、ナポレオンの死因については胃癌であったと確信を抱いている。そう、疑われているのはナポレオンの死因だ。病死であったと公表されたものの、かれの生前の状況や死後の状態から、ヒ素中毒の可能性が囁かれているのだ。
アントンマルキは今井朋彦。けちな男というか、どこか小物感が見え隠れする医師っぷりがすごくよかった。自意識の強さと脅えが共存しているような感じ。

イギリスに命じられて、セントヘレナでの全権を掌握していた男ハドソン・ロウは、ナポレオンの死後帰国してからの風当たりが強く、今は貯蓄を少しずつ減らしている日々だという。かつては栄華を極めた男が老いて、貧しさの中で生きている。訪ねてきた人物に妙に優しいのは、あまり人と接していないからだろう。そんな嬉しそうな姿さえ哀れでならない。
内野聖陽のハドソン・ロウがすばらしかった!今は凄くだめな見苦しい老人だが、かつてのかれは自信に満ちていた。自信があるからこそナポレオンに反発し、対立さえした。人間くさい意地とか見栄とか、常識とか倫理とか。秀才な凡人であったかれの人となりがよく見える。

ナポレオンは本当に殺されたのか。そうだとすれば一体誰が、どのように、何の理由で殺したのか。砒素で殺されたという疑念を持った人物は、その三つを徐々に解き明かそうとする。
同じようにナポレオンが砒素を盛られているのではないか、と疑った人物がいた。主治医であるアントンマルキだ。ナポレオンが食事に毒を盛られているのではないかと考えた彼はいくつかの事象から、誰かが毒薬辞典を使ってナポレオンのワインに砒素が入れたことを突き止めた。では一体、誰が?
皆がナポレオンへの憎しみを抱いていた。同性愛者(両性愛者?)であることを従僕のマルシャンに密告されて、ナポレオンに一時期出禁にされた医師アントンマルキ。ナポレオンに妻を奪われたシャルル。幽閉されている捕虜だという自覚が皆無のナポレオンに振り回され、更にはチェスで大敗して恥をかかされたハドソン・ロウ。誰にでも理由はあった。
しかしそれは決して殺すほどのことではなかった。アントンマルキに下された罰は期間限定のものだったし、シャルルは次第に狂ってゆくナポレオンに憐れみすら覚えていた。ハドソン・ロウは軍人として、天才ナポレオンをある意味では尊敬していた。ナポレオンを殺そうとしていたのは、いつからかかれを本気で愛し、かれと永遠にこの島にいたいと願うようになったアルヴィーヌだ。彼女はナポレオンのセントヘレナ脱出計画が実現しそうだという話を聞き、独占欲のためにかれを殺そうとした。パリに戻って大勢の女のうちのひとりになるくらいなら、かれを殺してしまいたかったのだ。
しかしその計画はナポレオンの命を奪う前に終了した。彼女の犯行を見抜いた人々が、彼女を島から追い出したのだ。
ではナポレオンはやはり病死だったのか。それも少し違う。体調を崩したナポレオンに、医師としての能力があまり高くないアントンマルキが、数回にわたって誤った薬を出したのだ。ナポレオンの体に、かつてアルヴィーヌに飲まされた砒素が残っている可能性があることを考えれば、決して正しい選択ではなかった。しかしアントンマルキはその薬を最善だと考え、ナポレオンに飲ませた。医療ミスがナポレオンを殺したのだ。
アルヴィーヌが飲ませた砒素の残っていたナポレオンに、アントンマルキが誤った薬を処方し、それを(そうとは知らないにせよ)シャルルが飲ませた。三人の行為が重なって起きた死亡事故を、全て知った上でハドソン・ロウが揉み消した。セントヘレナ総督だったかれは、敵国の英雄を手違いで死なせたと言うわけにはいかなかったのだ。
このくだりが明かされる前、シャルルやアルヴィーヌが首を必死で絞めてもナポレオンの筋力が鍛えられすぎててびくともしない、というドタバタのやりとりが長く続く。もともとそこまでコメディが好きではないということもあってか、ちょっと冗長に感じた。シリアスと笑いの割合がもう少しシリアス多めだと嬉しい。完全に個人的な趣味だけどさ。

ナポレオンの死にまつわる真実にたどり着いた人物は、最後のひとりを訪ねる。ナポレオンの忠実なるしもべ、マルシャンだ。ナポレオン以外の人物とは最低限しか口を利かず、常にかれのために行動し続けた男。ナポレオンの紹介で得た仕事に就いているかれは、人物にカフェオレをすすめ、全てを話した。
ナポレオンに恋したアルヴィーヌの暴走。いつも同じ処方をするアントンマルキ。かつて自分の遺産を狙ってセントヘレナについてきたシャルル。名誉を重んじるハドソン・ロウ。それら全てを、天才ナポレオン・ボナパルトは知っていた。かれらがどう行動するか知っていて、マルシャンに狙いを打ち明けた。幽閉された島で安全ながらも不自由で不名誉な生涯を送ることは、かれにとっては「緩慢な死」だ。それよりも「一瞬の死」を選ぶ、と。
しかしナポレオンにとって自殺は惨めなものであったし、かれはカトリック教徒でもあった。そのかれが思いついたのは、マルシャンにいくつかの手助けをして貰い、周囲の人々の連携によって自分を殺させる、という一世一代の作戦であった。それはすべて、ナポレオンの想像の通りに進んだ。そう、ナポレオン暗殺の犯人はナポレオンなのだ。
躊躇うことなく全てを語るマルシャン、そして四人。かれらの話には続きがある。アルヴィーヌが使った砒素は、セントヘレナに残っていた。だからかれらはそれを五等分し、ナポレオンの死に疑問を持って自分たちに辿り着いた人物がいたら、少しずつ砒素を与えて消してしまおうと誓ったのだ。ある人物が訪ねた先で飲まされたワイン、お茶、カフェオレ。それらがすべて、砒素入りだったのだ。
真実に至った人物は、そうして息を引き取る。ナポレオンの名誉は、ナポレオンの死後も、ナポレオン自身の計画によって守られるのだ。

ナポレオンは野田秀樹。さすがに当て書きしただけあって、せっかちな小男だったというナポレオンはぴったりだった。甲高い声をあげ、ちょこまかと走り回り、自分で自分に笑ってしまうところもある。ものすごく頭がきれて、奇妙な人望があって、自尊心が高い。我儘を言っても、女にでれでれしていても、どこかにいつでも底知れないものを持っている。
ハドソン・ロウとナポレオンは一度だけチェスをした。数手先のロウの手まで読んだナポレオンの圧勝だった。しかしチェスと同時並行で行われた舌戦の時に激昂したナポレオンのある態度がルール違反に当たるとして、ロウは負けを認めなかった。それはチェスの試合内容には関係のないルール違反であることはロウが一番良く知っていて、それでもかれは「勝者」として振舞い、席をたった。その時ナポレオンはロウに言葉をかける。これが本物の戦場じゃなくてよかった。そうだったら君の軍は既に、殆どを失っていただろう、と。
情けないロウの態度に怒る臣下たちの中でナポレオンだけが冷静だった。冷静で冷酷で、何よりもロウを苦しめた。このうすら寒いまでの知性と、嫌味。おのれナポレオン、である。

途中から明らかにマルシャンがあやしかったし、訪ねてきた相手に二度も「カフェオレを飲みながらゆっくり話をきいてください」というようなことを繰り返していたので砒素が盛られているのだろうということも分かった。その先にナポレオンがいることも、かれがナポレオンの忠実なるしもべであるということを考えればそれほど難しい答えではない。なによりこれは「おのれナポレオン」なのだ。ナポレオンに悔しさと憎しみをにじませつつ、それでも感嘆してしまうのだ。よくもやってくれたな!と、笑いながら怒るしかない。
ミステリではあるものの、犯人が誰であるのかはそれほど大きな問題ではない。そういう意味でこのオチに不満はないけれど、そこまでのガイドが親切すぎる気がした。そこまで一から十まで言わなくても察することができるよ、わかるよ、と言いたくなる。噛み砕きすぎて、こちらに想像の余地がない。きっちり話を伝える、広い間口に向かって見せる、という意味では正しいんだろうけれど(そしてこの舞台はその話題性や今後ライブビューイングされることなどを鑑みてそういう舞台なんだけれど)、ちょっと淋しかったな。
十分面白かったんだけどドラマ的というか、あんまり舞台見た!という感じではなかった。

***
ロビーには舞台の模型が展示されている。美術は勿論堀尾さん!
この試みとても好きだなーすべてのお芝居でやってほしいくらい。

特筆すべきは物販の素晴らしさです。王冠。
トートバッグが1000円なので二つ買ってしまった。可愛いんだもん…。同じデザインでTシャツも出ていたんだけれど、色がトートバックに比べて淡いというか好みじゃなかったので断念した。携帯ストラップもあったけれど付けるところないし、ね!がまん!


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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 21:38 | - | - |

「私のダーリン」@シアタークリエ

作・演出・振付:玉野和紀
音楽・歌唱指導:NASA

黒木瞳
玉野和紀
石川禅
坂元健児
愛音羽麗
町田慎悟
古川雄大
村井良太
大河元気
愛花実花

出会ってもうすぐ10年になる夢子と虎衛門夫妻は、ちょうど10年目になる日、両隣に暮らす人々を招いてのパーティを計画している。
奇妙な出会いから付き合って結婚し、引っ越してきたこの家でご近所さんと仲良く過ごす日々を思い返す夢子。そして10年目のパーティの朝が来る。

二幕で二時間半くらいのミュージカル。
ネタバレを避けるあまり、HPのあらすじなどもちゃんと読まずに舞台を見ることが多い。そのため、この話も黒木瞳がいろんな男にちやほやされる乙女ゲのような話だと勝手に思っていた…全然そんな話じゃないよ!
明らかに不慣れな占い師の夢子は、偶然通りがかった男に声をかけ、なんとか占いをしようとする。煩わしそうに応対する男だったが、二人で揉み合って池に落ちたことが原因で、二人は付き合い始める。
取り敢えず黒木瞳のかわいさがすごかった…。顔小さい!足細い!顔が可愛い!あれやこれやそれを(お察しください)帳消しにする、とは言わないが、補えるくらいの可愛さ。素材の良さに維持するための努力が加わっているのだろう。歌も芝居も気にならない!!
こともないけど。

二人が池に落ちると舞台中央くらいにある幕が閉まり、鯉の着ぐるみを来た男女が現れる。この瞬間、この舞台を見に来たのは失敗だったかもしれない、と思った。最終的にはその気持ちは払拭されたのだが、とにかく徹頭徹尾曲が冴えない。ふた昔前くらいの曲に何とも言えない歌詞が乗っていて、歌のたびにトホホな気分になった。
ちなみに鯉の男性は古川町田村井大河の四人です…かれらをクリエで見ることになるとは。しかも鯉。

その後夢子は従業員三名の便利屋会社の社長になり、夫の虎衛門(PN)はなんとか細々と小説家を続けている。数年前に引っ越した家の隣に暮らす人見知りの獣医や、反対側の隣に暮らすヤクザの娘とチンピラの仲良し夫妻との関係も良好だ。
ご近所さんとの過去のエピソードも振り返って語られる。無理やりお見合いさせられることになった獣医と夢子の笑い話、隣の夫妻が父親に引き裂かれそうになった関係を夢子が取り持った話。夢子の明るさや行動力に、皆が救われている。
この気の弱い獣医が禅さん。白衣を着ておどおどし、人間より動物のほうが付き合いやすいであろう姿がかわいらしい。ちょっと夢子に気があるというか、ほのかな好意を抱いていそうでもある。ちなみにヤンキー夫妻の妻の父、ヤクザの組長も禅さん。牛柄のスーツ。
更に便利屋のスタッフが古川村井大河の三人。夢子の指示のもと色々なことをこなすかれらは、遊園地のアトラクションのためにショッカーに紛したり、ホストクラブの応援スタッフになったりと大忙しだ。 「どうして僕たちがショッカーなんですか!」「むしろどっちかと言えば、こっちです!」で特撮のポーズを決める古川&村井、という中の人ネタもあり。更には待機中の三人に向かって虎衛門が「みな同じテニスサークルの出身だったんだって?」と無茶振りして、三人がテニミュの持ち役の得意技でエアテニスラリーをしていた。不二先輩がトリプルカウンター大放出でした。

そしてパーティを翌日に迎えた夜。夢子と虎衛門は言い争いになる。内容は、夢子がアイディアを出して虎衛門がついに書きあげた小説「夢子の秘密」についてだ。自分たちや隣人たちを元にしたキャラクターが登場し、実際に起こった出来事をヒントにした物語だというそれを、今になって夢子はなかったことにしたいと言うのだ。しかし当然虎衛門は聞き入れない。物別れに終わった口論のあと、虎衛門は散歩に出る。

翌朝。パーティの用意をして真っ赤なドレスに着替えた夢子は、いつものように虎衛門を起こす。次第に集まってくる隣人や従業員、虎衛門の担当編集。隣人たちがおかしな表情をしているのに気付かないまま、幸せの絶頂にいる桃子。
獣医のカメラで記念写真が撮られ、ようやく桃子はそこに虎衛門がいないことを確認する。かれは昨夜、亡くなったのだ。
おもむろに立ち上がった夢子はポケットからタブレットを出して口に入れ、「今、行くわ」と虎衛門に語りかけ、乾杯用の酒で流し込む。
ここで一幕終了。これはさすがにびっくりした。虎衛門と桃子の日課で、朝なかなか起きない虎衛門に対して桃子が、かれが死んでしまったような芝居をする、というものがある。「ひどい」「置いていかないで」とベッド突っ伏して泣いたふりをすると、むくりと虎衛門が起きるのだ。それがある意味伏線だったのかな。すごくいいヒキで休憩に突入することになる。

二幕は打って変わって、「LOVE FATE」という看板が吊るされた派手なキャバレーのような舞台。そこの三人の女性に、男たちがプレゼントを持って現れ求婚するという物語。二人の男に口説かれた女性は両方と付き合うことを決め、三人から告白された女性は店のスタッフを選び、最後に残った女性は宝石を持参した貴族を拒んで貧しい青年を選んだ。この最後の女性が黒木瞳で、青年が玉野和紀。夢子と虎衛門ではなく、他の人物である。
いきなり何の話かと思えば、この舞台の登場人物が脚本に沿って行動しているのだと言う。天から下ってきた脚本はかれらにとって絶対であり、変更できないのだ。そのことに不満を持ちつつも、脚本通り進めていく女性。しかし彼女の不満は募り、脚本を変更させたいと考えるようになる。そこで彼女は、脚本を書いたペンでなくては脚本を書き変えられないと知り、白いタブレットを飲んで夢子や虎衛門がいる世界へ行く。
宝石を持ってきたのに振られた伯爵が禅さん。高慢な伯爵を演じるかれは、脚本に疑問を抱く夢子に対して「脚本は絶対だ」と厳しい態度で反論する。禅さんだけに限らず、一人三役四役しているので、それぞれの色が見られて面白い。
二人目の女性を射とめたスタッフの男が坂元さん。若者たちの告白のあと、歌で割りこんで結局美味しいところを持っていく。ドヤ顔で高らかに歌い上げる歌が素晴らしいのが腹立たしい、みたいなキャラ。

再びペンを持って世界を移動する女性=夢子。このLOVE FATEの世界は、虎衛門が書いた小説「夢子の秘密」の世界なのだ。虎衛門が書いたペンで脚本を訂正しようとするけれど、書いた本人でないと直せないのだと知る。その後貧しい青年=虎衛門に訂正させようとするもかなわず、夢子は元の世界に戻る。
そこはパーティが行われている夢子と虎衛門の家だった。虎衛門は昨日散歩の途中に亡くなっており、夢子が酒と一緒に飲んだのは睡眠薬だった。彼女は死にきれず、物語の世界で現実を変更することもできず、戻ってきた。
前述の通り虎衛門が死んだふりをするのが日課だったり、物語の中に入り込むような何でもありの世界なので、最後は虎衛門が生き返るのだと思った。かれが死なないルートに軌道修正されるのだ、と。しかし現実はそううまくいかない。夢子は最初に虎衛門と出会い、池に落ちた場所でかれの幻と会話をする。書きなおせるならどんな話がいいか。子供が出来て、その子の結婚式を見て、最後は公園で一緒に安らかに息を引き取る。嬉しそうに話す夢子をいとおしそうに見つめる虎衛門。しかし、それは夢でしかない。ふたりは離れ離れになってしまった。
虎衛門はかつて、夢子をたんぽぽに喩えた。綿帽子を飛ばして花を咲かせる、色々なところに幸福を届ける花。夢子がたんぽぽでいる限り、自分は風になる、とかれの幻が囁く。そして夢子は一人で、心優しい隣人や従業員に囲まれて生きてゆく決意をする。

最後はちょっとほろっと来る良い話だった。生き返ると思ったのに…!玉野さんがタップダンスの第一人者だということもあって、非常にタップの多い舞台だった。そんなにタップふまなくても!と思いつつも、面白かった。
しかしわたし抜きんでてリズム感がないので、音楽をバックにして披露されるタップダンスのリズムが合ってるのか合ってないのか、さっぱりわかりません…。

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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 01:14 | - | - |