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カサイウカ「いつか友達じゃなくなるとしても」

カサイウカ「いつか友達じゃなくなるとしても」
一人暮らしをしているトモは、幼馴染みの柊平の家に頻繁に世話になっている。家族同然に接してくれる柊平一家だからこそ、トモは柊平への恋愛感情を決して打ち明けないと決めている。

この表紙から溢れるセンシティブBL感そのままの作品だった。青くて繊細で切なくて恥ずかしくて、こういうの好き!!!

トモが高校生になった年に母親が蒸発、兄は住み込みの仕事に就いていたため、トモは独り暮らしを余儀なくされた。兄のわずかな仕送りと自分のバイト代でなんとか生活しているトモが、心身ともに困らずに済んでいるのは、ひとえに柊平一家のおかげだろう。トモと同い年の柊平以外に祖父母両親兄夫妻とその子供に妹が二人いるという大家族はいつもにぎやかで、あらゆる客人に親切だ。中でもトモのことは本当の家族のように接している。トモを含めた「家族旅行」が毎年恒例だし、トモが家に来るとかれらはみんな「おかえり」と声をかける。トモは柊平の家に頻繁に寝泊まりし、面倒見がよくて器用な柊平が作った弁当を持って学校に行く。
トモの孤独を満たすその日々には何の問題もない。唯一あるとすれば、あまりに幸福で深く繋がっているがゆえに、トモが決して恋愛感情を打ち明けられない、ということだろう。成就するか否かという問題ではなく、柊平を好きだという気持ちをそのものを悟られてはいけないのだ。
そういう日々をこれまでにもずっと過ごしてきたであろうトモに、小さな変化が起こる。幼稚園の同級生の「彼氏」が出来た柊平の妹が、トモに恋愛話を持ちかけたのだ。突然の話題への反応から、トモに片思いしている相手がいることが柊平に知られてしまう。毎日かれといる柊平にとっては驚くべき出来事であったし、相手を明かそうとしないことに心配もしているけれど、別段踏み込んでくるわけでもない。むしろトモ自身の方が、思い続けてきた柊平への思いがここへきて加速しはじめ、次第に持てあますようになる。隠し続けるのは大変で、頻度が増えた恋愛話にいちいち動揺するから、どんどん辛くなる。

いつものように柊平の部屋で一緒に寝ているトモは、かけたまま眠ってしまった柊平の眼鏡を外してやろうとかれに近づいて、そのままキスをする。目を閉じている柊平の目元には、うっすらと傷が残っている。幼いころ、トモとの喧嘩が原因でついた傷だろう。それに触れたあと、トモは衝動的に柊平にキスをして、かれがまだ眠っている間に家に帰った。
柊平は起きていた。起きていたけれど、あまりにトモが真剣で、震えていたから、寝たふりをするしかなかった。言葉がなくても、トモの気持ちはすぐに分かっただろう。トモが隠している「好きな相手」が自分であることを、柊平は知ってしまった。

抑えがきかなくなりつつある自分に焦るトモの元に、兄が久々に顔を出す。口の悪い兄は柊平とその家族が嫌いだと言う。なにも、トモのいないところでひどく当たられたり、嫌なことを言われたりしたわけではない。むしろそういうことが一切ないことが兄の気にさわる。本人は決してそうは言わないけれど、ばらばらになった自分の家との違いを見せつけられるから、というのもあるんじゃないのかなあ。
親友だった二人の仲を決定的に混乱させるのがこの兄だ。弟可愛さに生来の性格の歪みが合わさって、兄は柊平に余計なことばかり言う。トモには、柊平だって腹の中では何を考えているか分からない・柊平はお前のことを重いと言っていた、と嘘をつく。柊平には、トモはお前と居たいために無理をして体を壊している、と誇張した話をする。関係をこじらせて、トモを引っ越しさせようとしているのだろう。

何でも出来る柊平は、実は左目が見えていない。子供のころのトモとのケンカ中に起こった事故が原因で、かれは堅めの視力を失ってしまった。そしてそれに引きずられるように、残った右目の視力も徐々に落ちている。そのことを柊平は気にしていない。子供の頃のことだし、自分にだって非はあった、と医者に言うかれは、おそらく本気でそう思っている。だけでなく、息子の片目をだめにされた家族も、同じように思っている。更に、そのことをトモが負い目に感じないように、明るく振る舞ったりかれの前でその話題を出さないように配慮している。
それは非常に大きなエピソードだと思うのだが、かれらの恋愛にこの事件は影響しておらず、そのことがとても好きだと思った。勿論事故にあってもなお寛大な柊平というのは、トモの抱く好意を強くしているはずだ。けれどそれはあくまで追加要素であって、トモが長い間柊平を好きでいたことと一切関係がない。そのバランスがいい。
一番好きだったエピソードは、兄がトモの恋愛感情を見抜いたシーンだ。友情ではない感情を指摘した兄は、トモの中に根付いている「怪我させた罪悪感」がそうさせたのか、と言う。償いきれないことへの謝罪の気持ち、それでも優しく接してくれることへの感謝の気持ち、幼いころからの孤独を埋めてくれることへの依存心。それらが混同して自己犠牲の精神になり、恋愛感情だとトモが思っている献身的なものになったのではないか、と。そう言われたトモは「ちがう」「ちゃんと柊平が好きだよ」と顔を手で覆いながら言う。色々なことがありすぎたけれど、それでもトモの中にあるのは純粋で単純な恋愛感情だ。意地悪なことばかり言う兄に、縋るような目で「柊平にバレてないよね大丈夫だよね」と確認するところがかわいそうでやりきれない。
そこまで柊平のことしか考えていないトモの姿も、兄としてはやりきれないだろうけれど。

キスされてトモの気持ちを知った柊平は、兄の介入もあり、自分の気持ちに向き合うことになる。失明しても泣かなかったかれは、トモが引っ越すかもしれないと聞いて泣いた。トモの飯は「ずっとおれが作ってやる」と言い、トモが泣いているとどうしていいのか分からない気持ちになる。トモが体を壊しそうになってもなお、自分と一緒にいたいと努力してくれていることが嬉しい。それらの理由を、賢明な柊平は知っている。
二人きりになったトモに、柊平は言う。おれ「も」友達以上にトモが特別なんだ、気づくのがおそくてごめんな、と。一度も自分の気持ちを告げていないトモだけれど、柊平はトモの気持ちを知っていることを隠さないし、疑わない。全て自分の気持ちを明かした上で、トモの我慢しない本音を知りたい、と聞いてくれる。そうでもしないとトモは絶対に素直に告げないと、長い付き合いのかれは知っているのだろう。そしてトモは一番欲しいものを口にして、手に入れる。

柊平がさっさと家族にカムアウトしちゃって、それをなんだかんだで家族が受け入れるところもいい。妹の、二人のことはキモいけど、誰かがキモいって言ってきたらブン殴る、という立ち位置が分かりやすくて好きだな。元々家族同然の付き合いをしていたトモは、とうとう本当に柊平の家の一員になった。友達じゃなくなって、恋人に、家族になった。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 10:18 | - | - |

久世番子「よちよち文藝部」

久世番子「よちよち文藝部」

文豪の作品や人となりを紹介するエッセイコミック。「暴れん坊本屋さん」などで、文豪の同人誌を書いていたとカムアウトしていた番子さんにぴったりの企画!と思っていたら、かなり偏った読み方をしていたらしく、本人が好きな作家と興味のない作家とのギャップがすごかった。
ただ、好きな作家には好きな作家なりの、そうではない(=興味がない、今回初めて読んだ、かつて読んでいたけれど合わなかった)作家にはそうではない作家なりのアプローチを持っているので、どの作家の回も面白かった。本人のテンションや読み手の好みによって面白さの強度は分かれるが、平均値が非常に高い。対象に対する好意や思い入れの強弱と、面白さの強弱が必ずしも比例しないところがエッセイ漫画描きとしての番子さんの巧さだなあ。
これは得意分野(=オタク黒歴史、実際に働いていた書店業務)と、そうではない分野(=ファッション)の両方を描いてきたからこそのわざだろう。ともあれ面白いんですよこの本。これまでの本に比べて間口が凄く狭いと思うんだけど、だからこその濃度と、ぴったりはまったときの喜びがある。

どういう本かと言うと、三島って切腹好きの変態ナルシストだよねとか、芥川って陰気だよねとか、太宰が太宰ならファンもファンだよねとか、賢治大好き!!!!とか、中也はあの写真のおかげで大分得してるとか、中島敦あんな野暮ったいのにモテてたなんて許せないとか、そういう本じゃな…いこともない本である。
一人の作者に絞って数作を紹介したり、一つの作品だけを紹介したり、数名の作者について述べたりと、回によってパターンもいろいろ。
面白かったのはやっぱり三島由紀夫関連。映画出演時の棒読み演技っぷり、脱ぎたがりボディビルダーっぷり、切腹への異様な執着っぷり。突っ込みどころだらけの三島を、気持ちいいくらいにぶった斬って突っ込んでくれる。
宮沢賢治の回もいいな。軽々しく取り上げたくないと冗談交じりに、でもおそらく本音で言っている番子さんの思い入れが非常によく伝わってくる。でも褒め称えるだけでなく、さらっとシスコン童貞だって主張するあたりのバランスがいい。宮沢賢治自身はまったく合わなかったけれど、この切り口は好きだなー。
散歩し続けた梶井基次郎の裏にあった(かもしれない)焦燥についてとか、過剰な自意識と人に愛されるひょうきんな性格の両方を持ちえたからこそ「山月記」を書けた中島敦分析とか、茶化しつつも愛情を持って真面目に語られている。

あと番子さん、太宰が芥川賞ほしさに手紙を書いたっていうネタやけに好きだよね…わたしもだよ…太宰の甘ったれ弟属性お坊ちゃん気質がフルパワー全開で萌える…。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 20:36 | - | - |

原作:京極夏彦、漫画:志水アキ「百器徒然袋 山颪 薔薇十字探偵の憤慨」

原作:京極夏彦、漫画:志水アキ「百器徒然袋 山颪 薔薇十字探偵の憤慨」
探偵を題材にした作品を描きたいと言う紙芝居屋の友人に頼まれて、本島は榎木津のことを尋ねに中禅寺を訪ねる。そこで出会った中禅寺・関口とともに、かれは新たな事件に巻き込まれる。

「鳴釜」「瓶長」に続くシリーズ三作目。一言でいえば、前作同様に魅力的で非常によくできたコミカライズだった。
京極作品のややこしさと、「百器徒然袋」シリーズの快刀乱麻っぷりがきれいに共存している。無関係の別問題だと思っていたあれこれが実はひとつの事柄に端を発していて、それらがきれいに回収されていく過程は小説で読んでも漫画で読んでも心地いい。

相変わらずまともな名前で呼ぶことすらされない下僕・本島は、榎木津のことを聞こうと京極堂へ向かう道すがら、中禅寺と関口に会う。榎木津のことを聞こうとおもって榎木津のところへ行かないあたり、下僕生活でかなり学習しているらしい。そういえば本島は関口に会うのは初めてだった。読者にはおなじみだが、陰気な「猿」こと関口の噂ばかり聞かされていた本島にとっては噂の人物である。
その関口がほんとうにだめなやつで非常によかった。本編は特に関口視点で物語が進むことが多いため、なんだかんだでかれはそこそこ普通の男性のように見える。なので作品を読めば読むほど、遠慮のない口の悪い仲間には悪し様に言われているけれど、関口は大して問題のない男なのではないか、と思い込んでしまう。
しかし視覚を伴って、初対面の本島の前に現れた関口はどうしようもないやつだった。京極堂を始めとした連中が罵るのも納得である。
でも中禅寺のうんちくを関口が悲壮な顔で「そんなことはどうでもいいよ!」と言うと、中禅寺は逸れてしまった話をちゃんと本筋に戻すんだよな。関口を散々こき下ろすくせに、そういうところは譲歩する。この距離感が好き。

中禅寺たちが待ち合わせしていた僧侶の相談事を一緒に聞くことになった本島は、あれよあれよと事件に巻き込まれる。望む望まないは関係ない。それはもうかれが榎木津という人間、かれ曰く神、と出会ったときからの必然なのかもしれない。
関口やいさま屋もいいキャラだったけれど、今回一番好きだったのは榎木津に心酔している巡査・河原崎かな。昔の児童向け漫画みたいな顔をした暑苦しい男は、榎木津に「ボロ松」と呼ばれて嬉しそうに返事をしている。どこも「ボロ」なところなんてないのに、だ。
榎木津が本島を「僕の信者」と紹介すれば「私と同じ宗派ですな!」と嬉しそうに叫ぶ。自分が薔薇十字団の一員であることを誇りに感じている。キてる。
原作でも大好きだったシーンとしては、榎木津が「僕は誰だ?」と聞くと、河原崎が真顔で「神であります」と即答するところ。常軌を逸してる!大好き!

能力で悟った犯人を退治すべく家柄を利用してもぐりこみ、異様にキレる頭を使って最悪の計画を立てて実行し、最終的には力づくでとっちめる。榎木津はすべてにおいて恵まれていて、なのにとっても残念で、だからこそ魅力的だ。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 20:44 | - | - |

J.GARDEN 33新刊

一穂ミチ「please,Mr.Lostman」
「meet,again.」番外編。
「G」から始まる都道府県での就職が決まった栫と、同じく「G」から始まる都道府県に修行に出ることになった嵐。かれらの「G」が同じ場所か否かについては、結局語られなかった。この話においても言及はされていない。嵐の部屋に栫の置いて行った本がある程度には会っているし、栫が今どこに何をしに出ているかを把握している程度には連絡を取っているようだけれど、同じ県に住んでいるのか離れているのかを絞れるほどの情報ではない。栫のことなのでちゃっかり同じ都道府県に就職するくらいの超常現象が起こせても驚かないぞ。

大雨の熱帯夜、ひとり寝ている嵐のもとにかかってくる謎の電話。交通規制されているはずなのに現れた栫。みたことのないかたちの果物、傘を持ってきていないのに濡れていない栫の体は冷え切っている。そしてお盆。自分を訪ねてきた男が栫なのか、それとも会ったことのない(会えない)もう一人の栫なのか、嵐はわからなくなってしまう。

不謹慎で無神経で人を食ったことをやるのが好きな栫らしい、身を削った悪乗りギャグ。自分自身も数日間眠りこんだりしたのに、それでもかれはこういうしょうもないことをやってしまうんだよな。好きになった栫が本当はろくでなしだと知って、それでもそのろくでなしと付き合っている嵐は、呆れるし怒るけれど後を引かない。ある意味諦めているんだろう。そういう栫にため息をつきながら、たぶんずっと一緒にいるんだろう。
大雨や停電という異常なシチュエーションの中、嵐といられる栫はテンションが上がっているように思える。そもそもかれは最初から驚かすために、死んだきょうだいのふりをして嵐を怖がらせるために来たわけではない。その時ちょうどピークだった雨やいたずら電話に嵐がすこし不安になっていたからつけこんだだけで、普通に嵐が寝ていたらこんな芝居はしなかっただろう。となると結局、栫はただ出張帰りに、土産を持って恋人の家に直行しただけだ。時刻が少々非常識で、かれが買ってきた飴が輪をかけて非常識だったものの、一刻も早く嵐に会いたかった、のかな。
珍しい桃もらった!恋人がそれを見て嫌な顔をするであろうお土産見つけたから買ってきた!って栫さん浮かれすぎじゃないですか。嵐より栫の方がはしゃいでいるような気が、しないでも、ない。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 10:36 | - | - |

ライチ☆光クラブ展

 
仕事が忙しすぎて声をかけることすらできなかった友達に少し時間が出来たので、久々に会うことに。「特撮博物館とライチ☆光クラブ展どっちがいい?」という非常に優秀な問いを貰ったので、「ライチ」とお返事。素晴らしく気のきいた二者択一!

会場になるpixiv Zingaroは中野ブロードウェイの中にある小さなスペース。でかでかと看板が出ていてときめく。
所せましと飾られた原画、その辺の百均で売ってそうなファイルに無造作にしまわれた直筆のネーム、何がいくらで手に入るのか一切書かれていないガチャガチャの機械、Tシャツなどの物販、そして会場の中央には、棺。

棺。
柩。(ひときわ格好良い字面)

よく見たら、好きに入って撮影していいよ、と書いてある。平日の昼間にも関わらずそれなりに人がいたのだが、誰も棺に入らない。旅の恥はかき捨て!二人でやればこわくない!と思って、棺に入って写真の撮りあいっこした!「ヴィジュアル系の憧れの棺!」「人生でそうそう入れないよね棺!」とハイテンションでした。たのしかった。あと意外と寝心地がいい。目を閉じてても人の視線をひしひしと感じるけどな!
わたしたちが入ったことで皆もやるようになるんじゃ、と思ってたけど、そのあとも誰も入ってなかった…。
ちなみにこのサイドに軍手とか学生帽とか眼帯とか置いてあったので、たぶん装着して撮影していいのだと思います。すごい親切設計だけど説明不足にもほどがある。

原画は白黒中心だけど面白かったー描きこみが半端ないので見ごたえがある。一部デジタルなのかな。血や臓物や唇の赤さが白黒なのに見えてくる。

ちなみにわたしが行ったのが5日だったのですが、6日からライチ人形が展示されていたと今知った…惜しい…入場無料だし前もって知ってても予定はずらせなかったけれど…惜しい…。
おもしろかった。

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posted by: mngn1012 | 日常 | 22:32 | - | - |

ウィーン版ミュージカルエリザベート 20周年記念コンサート@梅田芸術劇場 12:30公演

エリザベート:マヤ・ハクフォート
トート:マテ・カマラス
ルキーニ:ブルーノ・グラッシーニ
フランツ・ヨーゼフ:アンドレ・バウアー
ルドルフ:ルカス・ペルマン
少年ルドルフ:トーマス・ウィール

中二階ロビーに飾られていたお花。マヤのファンの方々が送ったアレンジメント、シシィのドレスになっていて物凄くすてきだった!!

***
ウィーン版「エリザベート」のコンサート版。セットが殆どなく、ステージ上にオーケストラが勢揃いしている状況での公演。とはいえメイクや衣装やダンスなどはなされるし、小道具も結構沢山あった。コンサートとミュージカルの間くらいの印象だな。

ウィーン版はDVDを持っている。
内容は全部分かるとは言え、日本版とは歌詞がかなり違うので字幕を見ると、キャストの表情が見られないし、でも表情に集中すると字幕が見られないし、ドイツ語が出来れば…!と結構まじめに思った。大学のときもうちょっと真面目に取り組めばよかった。
曲タイトルもろもろは東宝版にあわせます。あと東宝版との演出の違いなどを折りにふれて言いますが、別のものとしてどちらも大好きです。

***

死の天使たちは男女混合。トートと同じようなジャケットを着て、金か銀の翼を片方の腕につけている。手を動かすと天使の大きな羽根がばさばさ振り回されるようでとても素敵。しかも二人並ぶと翼を持った双頭の生き物、になるのである。

とにかくマヤのシシィがすばらしかった。凛とした女性らしさ、強さ、心の脆さが言語を越えて伝わってくる。少女シシィはあどけなさよりは奔放さ・自由さが前に出ている。気楽なお嬢さんというよりは、意志を持って欲しいものを選びとろうとしているような感じがした。
結婚式翌朝の「私だけに」も、確固たる自我がある少女が長い戦いを始めた決意が表れている。

「愛と死の輪舞」のドイツ語版もすてき!木から落ちたシシィに心を奪われた(というよりはその前から彼女を愛していたような?)トートの語りかけに、シシィも応じる。初めて顔を合わせた「黒い王子」を前から知っていたという彼女も、トートに好意を抱いているようにみえる。この出だしがあると、非常にそのあとの話の展開がスムーズだ。ウィーン版のシシィはトートをそこまで毛嫌いしたり、トートから逃げたりしている印象がない。というかウィーンのトートはシシィから出たもの・シシィから生まれたもの・シシィの想像上の存在、という役割が非常に明確。石丸さんが言ってた「シシィとトートはうつし鏡」というのは、寧ろウィーン版で強く実感した。シシィはそんなトートの存在を受け入れ、ときには心地よく感じながら、それでも独りで立って人生を歩もうとしているのだ。
禅さんがかつて、「マテが『(当時日本でしか歌われていなかった)愛と死の輪舞』を歌いたいと言ってた」という話をしていたけれど、かれは日本語だけでなくドイツ語でも歌うことができたんだな。
マテはちょっとお疲れなのか、東宝版より喉の調子がよくないような印象。優しさや切なさの少ない、黄泉の帝王の絶対者っぷりはとてもよかった。「最後のダンス」の途中の笑い声とか暴力的でいい。

「計画通り」でヘレネが花嫁修業がパアになったと嘆くところ、一緒にゾフィーも怒っていて面白かった。計画が崩れたのはお互い様なのだ。
東宝版は、というか禅さんのフランツはひとめ見たときからシシィに恋をして、ヘレネがそもそもセッティングされていたことも知っていたのかあやしかった。(もしくはそういうそぶりをしていた)けれどアンドレのフランツはすべて理解していて、その上で意図的にシシィを選んだ、という感じ。ヘレネの正面に立ってからシシィのところに行ったのだ。
「あなたが傍にいれば」も良かった。東宝の子供のおままごとみたいな浮かれ切った恋も大好きなんだけれど、ウィーン版は責任を持った男とそれを分かった女の恋の歌だ。ウィーン版ではシシィも状況をある程度分かった上で結婚してるんだよなー。

「強く~厳しく~」のくだり、ウィーン版は歌わずに高らかに叫ぶ。低音でじわじわフランツにプレッシャーをかける東宝版も好きだけど、この正面から全力で圧倒する感じも面白い。こっちのゾフィーはねちねちしていない代わりに遠慮もない。宮廷唯一の「男」からは「母」の匂いがしない。

「退屈しのぎ」の詩的な歌詞大好き!こちらのカフェのお客様たちは、ハプスブルクが終わることを知っているだけでなく、その日を待ちわびている。「ミルク」や「憎しみ」もそうだけれど、政治色が濃いというかしっかり描かれている。エルマーたちが飢えている一握りの庶民たちを煽動したのではなく、国民の総意だというのがよくわかる。 このあたりにトート閣下が全然出てこないので、全てをかれが牛耳っていたというのではなく、当時のウィーンの色々な階級の人々を描いた群像劇のような部分もある。

子ルドが着せられる赤い軍服ジャケットがとってもかわいい。子ルドの足の長さ衝撃!
ベッドで「ママ、何処なの?」を歌っているとトートが歩み寄ってくる。トートはかれを抱き上げて「友達」の約束をする。何につけ東宝版よりもパーソナルスペースが狭く、ボディーランゲージが多いなー。

「エーヤン」でハンガリーの人々が民族衣装をまとっていたり、「エルジャベート」とハンガリー語で彼女を呼んでいたりするのが好き!衣装が華やか。東宝版では幕の奥にぼんやりとうつるだけですぐに馬車に乗りこんでしまうけれど、こちらは戴冠式のシーンがしっかりある。フランツの王冠衣装大好きなので嬉しい。

一幕最後、シシィが出てくるところ大好き!額縁の奥に立つ白いドレスのシシィ!拍手が起こる美しさ。「支配者だから私情をはさまないけれど、君を失いたくないから希望を飲む」とまで言っているフランツに対しての第一声が「理解してほしいなら私のことも理解して」であるシシィの強さ。そのあと、共に歩むことを述べる。
「お言葉嬉しく伺いました」と最初に挨拶代わりの謝辞を述べて、「陛下とともに歩んでまいります」と譲歩を見せてから「ただ私の人生は私のもの」ときっちり念押しして距離を保つ東宝版とは構成が反対で、このあたりも国民性に寄せたものなんだろうな。面白い。

東宝版と違うところは沢山あるんだけれど、フランツの人物像がかなり違う。シシィが大好きでにこにこしている、母からのプレッシャーと折り合いをつけられず思うように為政出来ないことを心苦しく思っている、嫁姑のいさかいに板挟みになって苦しんでいる、シシィのことが大好きで一度のあやまちを悔いている、東宝版のフランツにはある意味日本の夫像みたいなものが非常に色濃く出ている。
ウィーン版のフランツは男性、夫、皇帝という立場にある人間らしいふるまいだった。上から物を言うこと、誰かに指示・命令することに慣れている。人の上に立つことを前提にして育てられてきたのだから当然と言えば当然だ。シシィの心情を鑑みて、優しく諭す、ということはしない。決まりだからこうするんだ、政治・国のためにこうしてくれ、という提案には拒否の選択肢がそもそもない。だからこそシシィは別の道を欲して戦い続けるしかなかった。
マダム・ヴォルフの件のあと、「他の女を知ってからよりシシィが愛しくなった(意訳)」というフランツ・ヨーゼフ陛下アウトー!

ゾフィーとシシィの戦いも顕著だ。「親切で言うのよ 争いたくない」と(それが本音であれ建前であれ)言い続けた東宝とは違い、ウィーンのゾフィーは明白に「戦い」だと語っている。そして最終的に息子とも決別した彼女のソロは、恨みや憎しみが強いものになっている。誰のお陰で皇帝になれたと思っているんだ、辛い思いをして厳しく育てたのに、私の言葉が正しかったと気づいたときにはもう遅いだろう。押しつけがましいほどの我の強さのなかに、けれども確かに愛情や嘆きもあるのだ。大きな双頭の鷲の紋章が飾られる中、ゾフィーはそこで死ぬのではなく、具合の悪い体を引きずるようにして退出する。死すら描かれないこと、天使にいざなわれないことが余計に哀しい。

マダム・ヴォルフのシーン冒頭、ルキーニの歌に字幕が出ない。ミスか、と思っていると今度は日本語で歌い出す。びっくりした!びっくりして、きちんと聞けなかったのが残念。(機材のトラブルが少なくない梅芸なので、本当にミスなのかとも思ったのだが、固定の演出だそうです。twitterで教えて頂きました)
衣装は露出が控えめ。豊満なフラウ・ヴォルフがいいなー。恥じらいや「失礼」は存在しないから楽しんでいって、という直截な感じがいい。

「精神病院」もエキセントリック。ヴィンディッシュの反応も乱暴なら、シシィの反撃も力強い。拘束具でおさえつけられたヴィンディッシュの様子も視覚的に衝撃がつよいので、それを見てなお「自分は肉体だけでなく精神も囚われている」と彼女をうらやむシシィの歌も衝撃が増す。歌詞が日本よりだいぶ刺激的。

ウィーンのルドルフはさらっと「結婚がうまくいってない」みたいなことも言う。東宝のルドルフはまだ思春期の色が残っている。年の離れた若い愛人と死んだりしない。かれにまだ子供の要素・少年の要素が残っていることが、イコールルドルフという放り出された子供の悲哀に繋がっていた。見ているものを切なくさせる不憫さがある。
ウィーンのルドルフはルカスの今の年齢のこともあるのだろうが、きちんと独り立ちした青年で、そういうかれが最後の最後でママに縋ったという悲哀がある。どちらにせよ切ない。ルカスのルドルフは大人で、けれどときたま繊細で壊れそうな顔を見せる。没落してゆくハプスブルクの血がたしかにかれの中に流れているように見える。
かれがフランツに叫ぶ「HASS!」の声のエコーが鳴り響き、そのまま「憎しみ」へ流れる展開も好き。「純血」「浄化」といった、背筋がひやっとするフレーズも織り込まれている。
死の舞踏。
見捨てられて呆然とするルドルフの元に現れる天使たち。かれは天使たちからピストルを奪おうと躍起になり、逆に翻弄される。けれど現れたトートがルドルフの体を拘束してこめかみに銃口を突き付けると、ルドルフは脅えた顔をする。銃を欲しがっていたくせに、死の気配に恐れる。
死の接吻とほぼ同時の死。死んだあともルドルフは天使たちに運ばれず、床に無残に倒れている。

ルドルフの葬儀でシシィはトートに「死なせて」という。それに対してかれは「もう遅い」と彼女を突き放す。ここがいまひとつ理解できない。「まだ私を愛してはいない」(東宝版)は分かりやすいんだけど、「もう遅い」のあと年月が経過したのち、ルキーニの暗殺によってシシィがトートのもとへ行くとかれはそれを愛情深く受け入れるのである。その間に何があったんだろう。今後の課題として考えよう。エリザのない時期を乗り越えるための宿題!

「夜のボート」が最高だった。マヤのシシィはフランツとは異なる「積み荷」を抱えて異なる「ゴール」を目指す孤独なボートだ。
東宝のシシィはそこまで確固たるゴール、目標を見ていないように思う。元々シシィはずば抜けた美しさを持っているものの、それ以外の面では世間知らずで奔放な田舎のお嬢さんだった。そういう彼女がいきなりの恋に浮かれ、その一時期の熱病の勢いで結婚してしまった。皇后になる覚悟はなかっただろうし、結婚直後から彼女を襲う嫌なことに、彼女はすぐ負けてしまった。彼女の「私だけに」は抵抗であり、反抗であった。「放浪の旅」は逃避であった。そういう平凡な思考だからこそ共感できたし、非凡な行動力に憧れを抱くこともできた。シシィは子供のまま大人になった少女で、だからこそ可愛らしかった。
マヤのシシィも出発地点はあまり変わらない。けれど彼女には通したいというだけの主張があった。マヤのシシィは非常にエゴイストで、そういうところが文献などからうかがえるシシィ本人と非常にリンクする。自分の自由のためにルドルフを突き放す、夫や義母のみでなく国がかかっていると分かっていても自分の主張を優先させる、妥協や譲歩のない強い女性だ。
けれどそういう彼女もたしかにフランツを愛していた。かれの不義がわかったあと、バート・イシュルで貰ったネックレスを怒りにまかせて床にたたきつける程度には、彼女はフランツを思っていたし、信じていたし、執着もしていたのだろう。このあたりの喜怒哀楽の強さもマヤシシィの魅力だ。だからシシィは凄くエゴイスティックな人物だけれど、彼女なりのフランツとの決定的な別れは辛かったのだ。幸福になるのが難しい、という二人の歌が泣ける。目の前に愛する人がいるのに分かりあえない、手を取り合って生きることができない。
シシィが歌う「あなたの影ではいやなの」というフレーズが響く。これが答えなんだろうな。影になりたくないのなら、自分の船を漕いで行くしかないのだ。

クライマックスに向かって盛り上げて盛り上げてルキーニの凶行に至る東宝版とは異なり、ウィーン版のラストは非常にあっさりしている。日常の中でシシィがいきなり殺される。ルドルフと同じように舞台に倒れ込んだ彼女はそのまま息を引きとる。美しかった皇妃が最期を迎えるにはあまりに簡素で、残酷だ。そしてトートが迎えに来ると、シシィは黒いドレスを脱ぎすてる。殻のようなそれから抜け出して、トートに駆けよる。
東宝版では、人生を終えたシシィとトートの掛け合いは「私が命委ねるそれは」「私だけに」「俺だけに」と最後までかみ合わない。シシィは自分自身に全てを委ねて生きたと満足気に歌い上げ、隣にいるトートは自分が全てを担っていたのだと歌う。死を契機に愛し合うふたり。「生きたお前に愛されたいんだ」というトートの願いは本当はかなわなかった。長い片思いを続けたトートは最後まで空回りで、その不憫さをわたしは愛している。閣下かわいそう萌え、である。
ウィーン版もラストは同じである。けれどトートはシシィから生まれたシシィの想像の産物である、つまり石丸さん的に言えばシシィとトートは「写し鏡」であるということが非常に顕著なので、ラストに受ける印象がかなり変わってくる。シシィの「私だけに」とトートの「俺だけに」に矛盾がない。シシィは、自分が生み出した死の幻影と時に戦い、時に寄り添いながら、最期の瞬間まで自分にだけ依拠する人生を全うしたのだ。
同じ作品で同じ曲なのに全く違った景色が見える。

ウィーン版の初日公演に際してクンツェさんがエリザは「愛と死」「強制と自由」「罪と許し」のような相反するテーマを持っている、と語っていた。最初のふたつに関しては言うまでもなく納得できるのだが、「罪と許し」がしっくりこなかった。
エリザの登場人物は「許し」を持たないひとばかりに思えるのだ。三年間の花嫁修業がパァになったあとも、いじけず結婚式で微笑んでいたヘレネくらいじゃないのか、と思う。けれどウィーン版を見るとちょっと理解できそうな気がした。
あと20回くらい見れば…きっと…。これも課題にしておこうっと。

***
カテコが非常に豪華だった。
キャストによってかなり細かく曲が変えられるし、ブルーノは「キッチュ」を高らかに歌ってくれる。シシィは白ドレスじゃなくてブルーっぽいドレスだった。

マヤ・ハクフォートのエリザベートはこの日本公演で見おさめになる。すばらしいシシィを生で見ることができて幸せだった。
やっぱり大好きエリザベート!
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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 19:59 | - | - |

荒川弘「銀の匙」5

荒川弘「銀の匙」5

エゾノー祭に備えて色々と準備を始める学生たち。八軒・御影が所属する馬術部も例外ではなく、出し物を何にするのかで頭を悩ませている。

高校野球秋季大会。駒場の登板する試合を観戦した八軒たちは、普段駒場が味わっている緊張感や試合のスケール、勝敗の残酷さの片鱗を伺って、いてもたってもいられなくなる。いつも同じように馬鹿をやっているクラスメイトの、大舞台での勇姿に触発されたかれらが、交通機関を使わず走って寮に帰ろうとするあたりがばかばかしいけれどかわいい。
八軒が駒場の試合から得たものは、何かしなければ、という衝動だけではなかった。いまいち野球のルールや大会の仕組みを知らないまま駒場の試合を見たかれは、それでも十分に興奮し、感動した。ならばその理屈は、馬術部にも活かせるのではないだろうか、とかれは考える。馬術部の飾らない「いつもの姿」が出し物になる、と。

ニワトリの解剖、牛の直腸検査、犬の予防接種などのエピソードを織り込みつつ、八軒は更に忙しい日々を送ることになる。
何でも背負い込み、考えすぎてしまう八軒に対して駒場は「人にばっかかまってねーで自分のことやれよ」といった。それは「自分のこと」を精一杯やっているかれなりのアドバイスであり、八軒にかまってもらった「人」のうちの一人であるかれの謝辞でもある。その会話の途中、黙って聞いていた御影の表情が曇った。
御影は何でも背負い込んでしまう八軒の性格について、以前進路の話聞いてくれたことが「すごく嬉しかった」と評価した。八軒が自分のやりたい仕事と実家の仕事の相違を気にしていることは、御影にとって迷惑なばかりでもないらしい。彼女がこの会話の中で顔を曇らせたのは、自分もまた八軒を忙しくさせている「人」だという認識によるものなのか。相談したいけれどできない、迷惑はかけられないという自省か。
馬のことになるとことさら積極的になる御影を見ていた八軒は、やはり馬関係の仕事に就くべきなのではないかと声をかける。そのことについて御影は、「親とケンカしたくない」と苦笑して話を終わらせた。彼女もまた家族に対しては、「人ばっかかまって」るタイプの人間だ。駒場が八軒にかけた「自分のことやれよ」というアドバイスが彼女にも刺さり、だからこそ顔が曇ったのかもしれない。御影の問題は根が深く、まだ解決しそうにない。

馬術部では障害ジャンプの練習が始まる。低いバーを跳び越える練習だ。同じように素人だった部員達が次々と跳び越える中、八軒だけが跳べない。というよりも八軒の乗っている馬だけが、跳ぼうとせずに障害の前で回れ右してしまうのだ。しかも同じ馬に他の部員が乗ると、馬は簡単に跳ぶ。
自分だけができない、という事実が八軒を追い詰める。中学のときに味わった、勉強で置いていかれる、オチこぼれる、という恐怖が再びかれを襲う。人一倍練習しないと、と思いつめた目で呟くかれの姿から、八軒がどんな中学生だったのか想像できてしまう。

見かねた御影はかれを乗馬クラブに連れていく。そこで八軒は、色々な年齢・レベルの男女が愉しく乗馬をしている姿を見て、あることに気づく。かれらは皆口をそろえたように「馬がすごい」「馬に気持ちよく跳んでもらえてよかった」「馬に助けられた」と言う。八軒の素直な賞賛も感心も、かれらはそのまま馬へ流してしまう。
そして馬への感謝や信頼が必要なのだと学んだ八軒は、無事になんとか障害を乗り越えることに成功する。
動物と接することのない人生を送ってきたせいか、いまいちしっくりこないエピソードだった。跳べるかな、と同じように緊張している部員達の中で八軒だけが跳べなくて、それがかれの「うまく跳んでいいところを見せたい」という自己顕示欲によるものだ、というのはぴんとこない。そのあと躍起になって馬に跳ばせようとするかれの態度が馬に伝わったのは、分かる、気がする。

しかしながら、馬術部の前を通った女子生徒たちに、部員たちは一生懸命馬や乗馬の魅力を語っていた。勧誘ではなく「馬の良さを知って欲しい」「馬を好きになって欲しいだけ」と言っていた彼女たちの言葉に、本当に偽りがなかったことは分かった。
そして八軒はエゾノー祭での出し物において、「馬の超かっこいいところを見せる」ことを提案する。自分たちの普段の姿ではなく、馬のかっこいいところ。見せるものは自分達人間ではなく、馬なのだとかれは思う。それは多分他の部員たちの気持ちと同じだろう。

ひとつの問題が解消した八軒だが、祭に向けて用事は増えるばかり。元々やるべき仕事、自分よりうまく出来る人間に作業を依頼した分の報酬の仕事、誰かに代わってもらった仕事の報酬の仕事。
共同生活は誰かに助けられているのだとかつて学んだ八軒だが、その分、誰かを助けることも出てくる。他の仲間たちも勿論忙しいけれど、かれらは慣れている作業や知っている授業内容が多い上に、得意分野を依頼されている。けれど八軒には、勉強以外の得意分野がなく、しかもその勉強もここでは役に立たない教科ばかりだ。かれの仕事は増える一方で、疲労も比例してこの先どんどん蓄積するだろう。
社会人じゃないかれらの行動は、全てが本人たちの関係や人柄で成り立っている。助けてもらったら、助け返すのが基本だ。それは人間関係の根幹であり、非常に大切なことだけれど、代償も大きい。
人手が足りないとき、時間が足りないとき、自分ではどうしようもできないことがあるとき、仕事ならば人を雇うことができる。お金で解決と言うと聞こえは悪いが、そうすることで仕事は立ち行くのだ。けれどかれらはそれができない。何かしたいことがあれば、友人の友人の友人のような伝手を頼ったり、いきなり知らない人に話しかけたりしながら、交渉と説得を繰り返すほかない。それは学生のときにしかできないことで、今後のかれらに大きく影響する大切なことだ。
大変だし、既に八軒はショート寸前だけれど、祭の前のにぎやかさは、見ているだけでわくわくするし美しい。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 20:44 | - | - |

TDR奮闘記4

うろうろ景色を見つつ、行き当たったフォートレス・エクスプロレーションへ。
ダ・ヴィンチ(CV:永井一郎)からの依頼という設定で、与えられた地図に沿って動いていくと謎が解けるというアトラクション。結構いい運動になるなー。それぞれ異なる地図が与えられるので、周りの人についていくこともできないあたりはちゃんとしている。

自分たちのペースで探検するので、中断してショー「レジェンド・オブ・ミシカ」を見ることもできる。
壮大で面白かった。「ファンタズミック!」とテンションのパターンは同じ。一端退いたミッキーが戻ってくると、クールダウンしたはずのテンションがぐわっっと上がる。ミニーの女帝っぷりも好き。思わず手振っちゃうもんね。ゲーラカイト!花火!派手な精たち!
メッセージも押し付けがましくない程度にきっちり織り込まれていて、見ごたえがある。

「ハロウィーン・デイドリーム」も一部見た。なにあの振り付け難しい!難しいのにミッキーが更にテンポをあげてくるので踊れない!サディスティック!アジテーター!でもバンギャル心をくすぐるダンスではあります。

そのあともう少し時間があったし、折角両方行けるパスなのだから、とTDLにもう一度戻る。
待ち時間の少なかったキャプテンEOを見る。マイケル・ジャクソン主演の3D映画アトラクション。歌手としてのMJの凄さはわからないけれど、これだけの年月が経過してもなお、世界各国で人が集まるっていうのはすごい。キャプテンEOがマントを脱ぎ捨てるシーンが3D演出になっていなかったことに対して、ルーカス君とコッポラ君を問い詰めたい気持ち。

そのあとぐるっとまわって退園。さようなら夢の国!また行くぞ!!!

東京駅でビール飲んでかえりました。

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posted by: mngn1012 | 日常 | 19:47 | - | - |

TDR奮闘記3

明けて13日。
元々はホテルでだらだらしてのんびりTDSに行く予定だったのだが、ホテルで新アトラクションのトイストーリーマニア!がFP配布数分で終了するだの200分待ちはざらだのという話を聞いたので、宿泊者専用エントランスからの開園前入場を活用することに。
本来の開園20分ほど前に、ミラコスタ宿泊客のみが使える専用ゲートで入場できる。8時開園なので7:45に行ったら既にそのゲートに100名以上の行列ができていた。きちんと宿泊が証明できるものを確認してくれるのもいいね。(ちなみにカードキーは人数分、名前のと日付の印字ありで渡されて持ち帰れるようになっている)

トイストーリーマニア!にダッシュ。前の人についていけばいいだろう、と思っていたら案の定でした。ちなみにこの段階で取ったFPで10:25〜11:25だった。みなさんそのあともダッシュでレストランの予約をしたり、パレードの場所を取ったりと精力的。
のんびり歩いていたら、通常開演の人たちが入場してくる。マラソンのようだった。道の向かいに渡れない。風が起こってる。天気が良い土曜日すごい!

わたしたちよりかなり先にミラコスタのゲートに並んでいる人たちが、人気のアトラクションやキャラクターに目もくれず、入場直後からショー・パレードの場所取りをしているのが印象的。当たり前だけれど人の数だけ楽しみ方があって、それぞれの楽しみ方に熱狂的な人がついている。色々な楽しみ方が出来るのがTDRの魅力だなー。わたし自身、絶叫系のアトラクションが苦手なので他のテーマパークには殆ど行ったことがないのだけれど、TDRは何度でも行きたいと思えるもんね。同行者を選ばないと迷惑をかけることになるけれど、たとえ乗り物にまったく乗らなくても楽しい、っていうのがすごい。


入り口のミッキー。天空を掌握しておられる。崇高。

ホテルの朝食ブッフェの予約時刻まで余裕があったので、ヴェネツィアン・ゴンドラへ。

いい天気ー。昨夜ミラコスタで誕生日のシールを貰ったので貼っていたら、ゴンドリエがイタリア語でHappy Birthdayを歌ってくれた。わーい!
というかこのゴンドラ1時間くらい乗ってられるなーたとえばヴェネツィアに旅行してゴンドラに乗るのとか想像したこともなかったけれど、楽しいんだろうな、と開眼した。

ホテルに戻って、ベッラヴィスタ・ラウンジで朝食。チェックインの際に予約しておくので、景色がよく見える良い席だった。ここからショーを見るのも確かに良さそう。

こんな感じで見える。

怒涛の朝食、というかブランチ。どれもこれも美味しかったー!
ディズニーっぽいものはミッキーの形のフォカッチャやパン、あとはナタデココの入ったデザートにミッキーのかたちのプラスチック楊枝(名前がわからない…)が刺さっていたくらいかな。すごい食べたぞ。TDLもTDSもがっつり食べたので間食が全然できなかった。

そのあとしばしだらだらしてチェックアウト。荷物をウェルカムセンターへ届けてもらう。
わたしは基本的に行ったことのないところに行くのが好きだし、どんなに楽しくても一回満喫すれば満たされるんだけど、ミラコスタはまた行きたいと心底思った。ここも夢の国ですね。

そしてTDSに再び戻ってトイストーリーマニア!へ。

この時点で250分待ち?だった気がする。
乗り物に乗りながらの3Dシューティングゲーム。テンション上がって楽しい!普通にアトラクションとして面白いし、次から次へとキャラも出てくるし、まさにおもちゃ箱。

そのあとはTDSならでは、のビール購入。午前中から晴天の下でビール飲むしあわせ。
ほろ酔いの中、トランジットスチーマーラインでTDS一周。地図を見るより簡単に、シーの構造が頭に入るので便利だな。次はあっち行ってみよう、とか思える。

橋をひとつくぐるとまったくの別世界、が続くので面白い。
このアトラクションは15分待ちだったのですが、隣がヴィレッジ・グリーティングプレイス(※ダッフィーと写真が撮れる)で、ものすごい混雑状況だった。4時間待ちとキャストが叫んでいた。
どのキャラをかわいいと思うかは個人の嗜好によるし、ダッフィーをかわいいと思う嗜好も理解できる。ただ、なぜダッフィーだけがあんなにもパーク内で抱きかかえられるキャラであるのか、が不思議でならない。そもそも人気に火が付いたのも、抱きかかえている人を見た人が自分も欲しくなって購入…の連鎖だったと色々なところで読んだ。何なんだろう。
わたしはクマに関してはプーさんに精神的操を立てているので、ダッフィーには別段惹かれず。ただダッフィーとシェリーメイのエピソードは、ミッキーがついにアダムとイヴを創り出した神の領域に到達したような気がして大好きです。
ジャックと写真撮れるなら4時間並ぶよ!!

アトラクションが悉く混んでいたので、あとはぶらぶら。
空いているというだけの理由で乗ったシンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジも面白かった。
アトラクションとしては地味なカリブの海賊と言うか、ちょっと今風のイッツ・ア・スモール・ワールドというか、なんだけれど、歌がやけに壮大で感動する。
船にしか乗っていない…。

で、また、ビール。

フローズンビールもあるよ!

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posted by: mngn1012 | 日常 | 18:43 | - | - |

TDR奮闘記2

やはり特筆すべきは、エレベーターの声がミッキーということだろう…。「ニカイー!ロビーダヨー!」とかいちいちミッキーがお知らせしてくれるのだ…。そしてそのたびにSiznaさんの顔がちらつくのだ…。エレベーターでムービーまで録ったよ!


相手がチェックインしてくれている間に異常に広いラウンジへ案内される。

ウェルカムドリンクのビールも充実の三種類でございます。折角なのでイタリア気分でモレッティ!
せっかくなのでレストランではなく部屋でルームサービスで夕食をとろうということになっていたので、ビールを飲みつつメニューを見る。遅めの昼食で結構お腹が膨れていたし、コースではなくアラカルトで。オーダー後、出してもらったナッツと一緒にモレッティを飲んでたらことさらお腹が膨れ、急遽夕食一品減らしてもらったけどね…。自分の胃を過信している。
そして両親が部屋にシャンパンの差し入れをしていることを聞かされる。溺愛ひとりっこ!
誰かのおめでたい際にはやろう。


こっちはサプライズで用意しておいてくれたケーキ。

宿泊特典のトランプ。なぜトランプ。
ありがたいんですけど一部屋一つなので、これ友達同士とか普段離れて暮らしている姉妹とかで泊まっていたら奪い合いになるのではないかしら。

こっちも宿泊特典のお花。全く写真では分からないけれど、バスケットがミッキー型になっているのです。持ち帰り可能といわれたので、いただいてきた。これは生花だけど、今後はプリザーブドフラワー入れてもいいし、小物入れでもいいな。

アメニティ様。なんでも写真撮るところが貧乏性。
左はフェラガモのシャンプー、コンディショナー、ボディーソープ、ボディーローション、石鹸が入った袋。ミッキーミニーの歯ブラシ、シャンプー・コンディショナー・ボディーソープ、コットンや綿棒が入った缶、持ち帰り可能なプラスチックのコップ、バスバブル。更に資生堂エリクシオールのスキンケアセットもあった。どっどれで体洗えばいいのかわかんない!!

スリッパもミッキーのロゴ入ってるし、トイレットペーパーもミラコスタのMマークのエンボスあり。
あとお皿にミッキー型におかれたポプリがあったり。壁紙やシーツにはひっそりTDSで扱われているキャラ(アリエルとかピノキオとか)が隠れているし、床にもミッキー。おしゃれなのにちゃんとディズニー!!うひょー!
あとはバナナ2本・リンゴ・オレンジ・マンゴー・パパイヤが机にあった。「食べたいときに剥くので呼び出してください」といわれたものの、気が引けるのでバナナだけ食べました…。
ドリンクも充実してた!

ホテルの方から頂いたカード。

ナチュラルな上から目線ありがとうございます…!

そしてひとまず部屋からショー「ファンタズミック!」を見る。実はTDSにせよTDLにせよまともに最初から最後までショーを見たことってなかったんだけれど、実際に見ると、よくもまああの20分程度にこれだけの構成を組んでるなあ、と感動した。ストーリーも特効もさすが。

魔法使いの弟子になったミッキーが魅せる、イマジネーションの世界。ドラゴンと戦って退治したミッキーが「イマジネーション、フフフ!」って笑うと、もうなんか世界すら創造したんじゃないかと思えるね。会場が徐々に盛り上がっていって熱気が熱狂に変わり、クライマックスを迎えたのち一端静まり、穏やかな時間がながれたあと再びミッキーが現れて先ほどを超える熱狂の渦、というパターン展開が巧い。見終わるとミッキィィィ!ディズニィィィ!ってなる。洗脳されるね…!


終わったあとはこんなかんじ。

興奮冷めやらぬ状況の中でルームサービス。

わーいシャンパン。pommery!
ちなみに食事自体はソーセージとフライドポテトとピザという、みごとなジャンクフードです。居酒屋メニューです。でもさすがに全部美味しかった…!!


おケーキさまさま。
スポンジケーキにオレンジピール。美味しかったけれど結構大きかったので、半分は翌朝の朝食になりました。


閉園後のTDS。
疲れて結構早い時間に眠ったので厳密には分からないけれど、かなり長い間ライトがついていた。ホテルのひと曰く、22時閉園でも23時くらいまでは普通にお客さんがいるらしい。大変だなあ。全員帰ったのかチェックするだけで大仕事だろうなー。下世話ながらどういう構造なのか知りたくなった。

部屋から窓越しに見ているので、TDSにいるキャストの作業も結構見える。細かいことや会話などは勿論さっぱり分からないけれど、閉園あとも常に誰かが見ている(可能性がある)状況で仕事をし続けるのはすごいなー背筋が伸びる思いです。

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posted by: mngn1012 | 日常 | 14:26 | - | - |