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雲田はるこ「新宿ラッキーホール」

雲田はるこ「新宿ラッキーホール」

株式会社ラッキーホール。ゲイビデオを撮影してする会社。苦い味と書いてクミと読むへらへらした社長を筆頭にした、たった三人の会社。そこを舞台に物語は進んでいく。

第一話目は、不運続きで金がなくなり思いつめていたところをスカウトされた、世間知らずの男の物語だ。アダルトビデオ出演の面接にスーツで来るようなその男は、男との経験はおろか、女との経験も非常に少ないと言う。緊張して困惑するかれに苦味は実際どんなものなのか知ってもらおうと、よりにもよって自分が出演しているゲイビデオを見せる。
悪びれるどころか照れることもない苦味は、そのまま面接に来た男を押し倒す。苦味の優しい言葉と巧みな行動に男は簡単に翻弄され、陥落する。騙されやすく漬け込まれやすそうな男は、人に優しくされたことがないと喜ぶ。
落ち着いた男から詳しい事情を聞くと、それは簡単に取り返せる金だった。男は金を取り戻せることが明らかになり、ビデオに出る必要がなくなった。それはかれにとって喜ばしいことだが、一方で、苦味との接点がなくなるということも意味していた。優しくしてくれる苦味に一瞬で恋に落ちた男は、会いにきていいでしょうか、と問うた。仕事じゃなく、社長と出演者じゃなく、一人の男として会いたい、という意味だ。
言われた苦味は、二度と来るんじゃねえぞ、と男を突き飛ばした。
冷たくされてもなお、寧ろその冷たい態度によってより一層、男は苦味に惹かれたようなコマで話は結ばれる。

男がしつこく苦味に言い寄ったり、苦味に会うためにビデオに出ようとしたりするのだろうかと思って二話目を開くと、かつて思いつめていた男をスカウトしたサクマの話になる。
ラッキーホールの社員であるサクマは、元ヤクザだ。今は組を抜けているが、鋭すぎる目つきも腹の据わり方もどうみてもカタギではない。そんなかれは、かつての組長の息子・竜と偶然再会する。サクマが初恋だったと言う竜は、弱そうな頭とゆるそうな貞操観念と、かわいそうなほど一途な初恋を抱えていた。好きでもない女と結婚させられる前に、好きな男と寝たいと詰め寄る姿は哀れで痛々しい。
そこに、苦味がサクマを訪ねてくる。サクマは苦味の肩を抱いて「俺の奥さん」と紹介する。事情を一瞬で察した苦味はサクマに抱きついて、「ダーリン」とかれを呼ぶ。なんとかして竜を追い払いたいサクマと、それに協力する苦味。
そうして一度は諦めた竜だが、やっぱりかれの中にあるサクマへの恋心は消えない。必死の思いで結納を抜け出してきた竜の健気さに、サクマは絆される。組長への恨みもあり、サクマは竜を抱いてやる。
ことがおわると、竜は非常に晴れやかな顔をしている。サクマへの恋がなくなったわけではないのだろうけれど、初恋が昇華したような、自分の道を進むことを決めたような表情だ。このままサクマが忘れられない、サクマに対してもっと思いつめる、というようなことがないあたり、かれは生まれながらの極道なのかもしれない。元服を迎えたような、少年が男になったような顔だ。

三話目は、ずっと苦味を思っているラッキーホールのスタッフ・斎木の話。元々苦味のファンだったかれのほのかな思いを知っているのは、男優のレニだけだ。レニの機転があって、斎木は苦味とレニと3Pビデオに出演することになる。憧れの苦味と寝られることは、かれにとって僥倖だった。けれどあまりに舞い上がりすぎた態度から、サクマは斎木の気持ちに気づいてしまう。自分に惚れている相手とは仕事をさせたくない、苦味は俺のだ、と言ってサクマは斎木を追放しようとする。
気持ちに気づかれたこと、苦味の傍にいられる仕事を辞めさせられようとしていること、サクマが述べる苦味とかれの関係に斎木は驚く。
傷ついている斎木につけ込もうとするレニの存在が、斎木をすこし慰める。失恋直後の弱ったところに手を伸ばすのはずるいかもしれないが、一人きりよりはましだろう。

サクマと苦味の関係はよく分からない。一話で苦味は男優希望の男と寝た。二話では竜の前でとってつけたような恋人同士の演技をしてみせたあと、苦味は「嘘つき」とぼやいていた。竜が来たときは、職場にいる苦味をわざわざ追い出してサクマは竜を抱いた。そのあと「ちょっとは妬けよ」と自分の行動を棚上げしてサクマは苦味に言ったが、どちらも特に気にしている様子はなかった。付き合っているのか、思い合っているのか、単なる腐れ縁なのか、はっきりしない。
斎木の気持ちを知ったサクマの言及も、どこまで本当か分からない。狭い人間関係での色恋沙汰が仕事の上で迷惑だから、嘘をついて追い出そうとしたようにも見える。恋人になんて仕事をさせるんだと、自分の欲望を放り出して責める斎木に対する態度を見ればサクマの言葉が本気にように見えるが、いまひとつ信じきれない。初対面の男と寝ていた苦味にとって、斎木の前でサクマと寝ることもなんら抵抗はないだろう。だからサクマの行動も、決定的な答を出してはくれない。

三話かけて浮上させた謎が、四話・五話の「陽の当たらない部屋」で明らかになる。苦味とサクマの過去の話。
父親の借金のかたに売られた美少年の苦味と、ゲイだという理由で苦味を「使い物」になるようにしろと命令されたヤクザのサクマ。ふたりの出会いは最悪だった。
ゲイビデオに出られるようになるために、サクマと共同生活をしてかれに抱かれるという生活の中にも、苦味は早々に順応した。逃げても無駄だということも、そもそも逃げるあてがないことも、高校生のかれは分かっていたのだろう。サクマと暮らしてサクマと寝てサクマとだけ話す日々の中で、苦味はサクマを好きになる。それがほんものの恋なのか、ストックホルム症候群なのか現実逃避なのか、なんて実際のところ誰にも分からないだろう。サクマもまた苦味に執着しはじめる。かれは組長から新しく下された命令に反して、苦味を「生かす」ことを決意する。
サクマが「使い物」になるようにしてくれたおかげでポルノ業界のスターになった苦味は、言われるがままにふるまうだけの子供ではなくなった。世間を知ったかれは、自分がサクマを「生かす」ことを考える。自分の体で稼いだ金で、サクマを解放しようと考えたのだ。
不器用と言うかひとりよがりというか、ばかでどうしようもなくて汚いのに、かんじんなところだけすごくピュアなふたりだなあ。

そして現在の話に戻る。二人の軽口から、実は長らく体のつながりがなかったことが分かる。苦味にいたっては自分たちの関係が何なのか、既に分からなくなっていたらしい。そんな状況なのにサクマは斎木に苦味を「俺の」だと断言していたと思えばなお可愛らしい。

阿仁谷ユイジ「刺青の男」を思い出す構造だった。ラッキーホールという職場を舞台にしたオムニバス。それぞれのスタッフの恋。ただそれだけ、に見えて、暗いところで繋がっている関係。
雲田さんって「〜落語心中」が異様に好きで、BLはそこまででもなかったんだけれど、これはむちゃくちゃ面白かった!
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 21:40 | - | - |

音楽劇「リンダリンダ」@森ノ宮ピロティホール 13時公演

作・演出:鴻上尚史

マサオ:松岡充
ケン:伊礼彼方
ミキ:星野真里
大場:丸尾丸一郎
カオリ:高橋由美子
荒川:大高洋夫
ナナミ:佃井皆美

活動10年になるロックバンド、クール・パルチザン。メジャーデビューを目指すかれらだったが、ある日ヴォーカルだけがレコード会社に引き抜かれたことをきっかけにドラムのゴンパチが脱退を決意する。焦るリーダーのケンは制止するも、ゴンパチはやると決めたことがあった。故郷の福島に戻り、原発20キロ圏内の警戒区域で餓死か安楽死の道しか残されていない牛を救う、という計画だ。柵を壊して牛を解放することが、バンドを辞めた自分の選ぶロックだと言うゴンパチの言葉に、ケンは共鳴する。
ヴォーカルと恋人のつもりだったが、何の相談もなく捨てられてしまった元OLでマネージャーのミキは新しいヴォーカルを探そうとする。ミキにずっと片思いをしているギターのマサオは、自分がヴォーカルをやるために、子供向けの演劇サークルで自信をつけようとしている。サークルの主催者であるナナミはマサオに片思い中。ケンと七年の付き合いになるOLのカオリは、音楽を夢から趣味にしてほしいと願っている。
更に毎晩夜遅くまでミーティングを繰り返すケンの家の近所からの通報を受けて、注意しに来た警官の大場は、クール・パルチザンに加入したいと願い出る。牛を解放するための爆弾を作る相談をしているケンたちの会話を聞いていた謎の男荒川は、かつて過激派として行動していた頃の知識を使ってケンにアドバイスをしはじめる。

***
THE BLUE HEARTSの沢山の楽曲で繰り広げられる音楽劇。ブルーハーツファンではないのだけれど、さすがに半分以上の曲は知っていた。耳馴染みが良いと言うか、一度聞くと忘れられないような印象的なメロディーが沢山ある。
かれがその作品たちを生み、世界観の大きな担い手であったことは理解しているけれど、どうしてもヒロトのヴォーカルに入り込めなかったんだな、と今になって思った。出演者たちが歌うブルーハーツの曲はどれも素晴らしかった。曲の凄さを再認識。公演CD出してほしいな。

売れないバンドにしがみついて現実を見ないバンドマンのケン、ケンほどではないが同じく現実からは遠いマサオ。現実であったOLを辞めて、マネージャーになったミキ。ヴォーカルの裏切りとゴンパチの脱退が、共通の夢に向かっていたかれらの気持ちを一気に削いだ。二人の脱退、新メンバーのめどはたたない。レコード会社は自分たちを選ばなかった、という真実。30代になってアルバイトを続けながらバンドをやっていくことの限界。しかも近づいたはずの夢はかれらを置き去りにして遠くへいってしまった。
そこに参加するのは、警官として働きつつもパンクロックが大好きで、憧れや夢を止められない大場。理想のための闘争を続けすぎて、仲間にも妻子にも置いていかれた荒川は、三か月前に過激派の組織を抜けたにも関わらず、ケンの理想の手助けをしようと決意する。一方、ケンと結婚したいカオリは夢を諦めて欲しいと願うし、マサオの事が好きなナナミはマサオと一緒に子供のための活動をしていきたいと願っている。

ロックという言葉は呪いのようだ、と思った。音楽のジャンルとしてのロック、は厳密ではないけれどなんとなくどんなものなのかわかる。けれどロックという言葉が厄介なのは(そして他の音楽ジャンルを形容する言葉が同じように厄介なのは)、そこに生き様を問うてくるからだ。ロックバンドを辞めたゴンパチは、新しいロックな生き方を見つけたのだと言っていた。爆弾の計画にかかりっきりでバンド活動を停滞させているケンは、「ロックとは何だと思う」のかを大場に問うていた。
ロックに生きる。就職して趣味で音楽を続けることはロックじゃない、とケンは思っている。いなくなったヴォーカルにしがみつくことも、故郷に帰ってバンドではない仕事をすることも。バンドのリーダーであるかれはバンドを後回しにして計画に没頭し、ロックを模索する。
個人的な話だけれどわたしが「ロック」という言葉にどうもなじめないものを覚えるのは、そういう生きざまのような価値観の話になってくるからだと思う。ロックだ、ロックじゃない論争が好きじゃないし、気恥ずかしい。目を逸らしたくなること、口にしづらいことにケンは骨の髄まで浸かっている。
ブルーハーツが好きな伊礼彼方が「リンダリンダ」に出ると聞いた時から、嬉しいだろうなあ、とは思っていた。アルバム「half」でもカバーしていたくらいなので、かつて好きだっただけではなく今も変わらず好きなのだろう、と。そして実際ステージ上にいる伊礼彼方は、ものすごく幸せそうだった。融通が効かない頑固者な面と、お調子者な面を持っている一本気なケンは、物語の中ではずっと渋い顔をしている。怒ったり、必死で誰かを説得しようとしたりしている。歌っている時だって笑顔じゃない。けれどケンからは、伊礼彼方の抑えきれない喜びがあふれていた。驚くほど全力で飛んで、歌って、演じている。本人が出演を「ご褒美」と呼んだこの舞台を見られて良かった。
フライヤーではモヒカン頭だったけれど、実際は黒短髪。一部を後ろになでつけている髪型でした。ほっとしたような残念なような。

マサオ役は松岡充。バンギャルとしてSOPHIAについての知識はおさえつつもそれほど興味があるわけでもない、という立ち位置だったのだが、やっぱり充には華があるなー。ワンフレーズ歌っただけで世界に引っ張ってくれるような強さとか、クセのある歌い声ならではの魅力とか。ヒョウ柄のツナギに金の長髪を盛っている格好だったのだが、子供むけの踊りの練習のシーンでは、ネコミミと尻尾を付けて踊っていた。40代のネコミミ…かわいいです…。
やっとの思いでミキに告白するもかわされ、爆弾を仕掛ける日とナナミとの発表会の日がかぶってしまって思い詰めたマサオが歌う「チェインギャング」がとてもよかった。汗なのか涙なのか両方なのか。顔をあげた頬が光って、途方に暮れたような表情で、けれど眼だけは爛々としている。基本的にはオモシロ要素の多いキャラ・物語だったけれど、この曲は別世界だった。

ケンと喧嘩して家を飛び出したカオリ、マサオに片思いしているナナミ、ケンに片思いしているミキが歌う「キスして欲しい」とか、国籍が「日本人が一番嫌いな国」であるナナミを中心にした「青空」とか、エピソードに合わせた曲がどんどん出てくる。
伊礼彼方が舞台の上で「青空」を歌うことに感動しないわけがないよね。マサオとナナミのやる舞台の演出を利用して、色々な国の民族衣装や格好をした人たちが出てくる。背後のスクリーンには青空がうつる。

ケンの計画を知ったカオリは必死にかれを止めようとしてきた。ゴンパチに秘密裏に連絡を取って止めるように頼んだり、敢えて田舎の両親とのセッティングを同じ日にしたり。それでもケンは頑なになるばかりだ。ついにカオリは言う。ケンが爆弾のことに必死になるのは、その間バンドのことを考えなくていいからだ。自分の才能のなさに目を伏せていられるからだ、と。それまでいつもニコニコしていたカオリが、おそらく何年も前から抱えていた考えなのだろう。別のシーンでは「どうして売れないんだろう」とひとりごちてもいた。彼女は社会と接点があって、おそらくケンのバンドの音楽性にさほど興味がない。だからこそ分かることがある。けれどケンはそれを聞かず、彼女と別れる。
ケンとミキ。そこに抜けたはずの組織から狙われる荒川と、ナナミとの公演を終えたマサオが加わっていざ爆弾をしかけることになる。それを止めるのは、警戒区域の境界に高い壁を作ったゴンパチだ。そんなことをしても何もならない、とかれは言う。牛はどうせ区域の外には出られないし、この先何十年も、一銭も稼げない牛を食わす金はない。ニュースで実態が知られればカンパが集まるかもしれないが、それは短い期間しか続かないだろう。もはや道はないのだ、とかれは語る。けれどケンもマサオも、誰も聞かない。
警察もかれらの計画を知って、壁の前で待機している。そこへ警官である大場が変装して現れ、爆弾に風船を付けて壁の向こうへ飛ばす計画をたてる。警察との攻防を潜り抜け、かれらはその計画を実行する。そのあとリモコンのスイッチを押して爆発音がしたので、柵は爆破されたのだろう。証拠になるはずの爆弾はがれきだらけの警戒区域の中に隠されてしまうし、リモコンは何とでも言い訳できる。何より協力者に現役警官がいたことで、警察はマスコミから情報を隠蔽するほかなくなった。ケンたちは立ち入り禁止区域に入ったということで咎められたが、爆弾についての罪は問われなかった。
音楽活動を一端止めての爆弾にまつわる顛末は以上だ。ミキを諦めないマサオはトラウマを克服してヴォーカリストになる。カオリと事実上別れたケン、妻子とやり直したいと願う荒川、大場は再び音楽を始める。「俺達は歌い続ける」とケンが言い、「終わらない歌」が始まる。

そのままカーテンコール。そのあとのアンコールは客席総立ちでの「リンダリンダ」だった。再び・みたびのアンコールは松岡充が出てきての挨拶。さすがに流暢だしうまい。

***
途中まではハイテンションで切なくておかしくて面白かったのだが、ラストがどうにもこうにも。夢を追い続けることと折り合いをつけること、叶わない恋、立ち入り禁止区域内に残された家畜たち。どれもこれも簡単に答えが出る問題ではない。人の数だけ意見があるし、方法がある。答えも多分人の数だけ。
だから、答えが出ないという終わりに関しては不満はない。けれど、何もかもほったらかしのままで「歌い続ける」と言われてもえええええ…みたいな…いいのかそれで!?全部先送りにしただけじゃないの?
でもそういうのバンドマンらしくていいとおもう、みたいな気持ちもある。

爆弾を作るのに必要なものを荒川が解説してくれる。一般的に手に入るようなものを混ぜて作る爆弾。必要なものの中に、マッチにある燐も含まれている。「燐?」とケンが問うと、荒川が相槌を打つ。「燐だ。燐だ、燐だ」
起爆剤は燐だ、燐だ。リンダリンダ。すごく好きな言葉遊びというか、ふるえるような展開だった。そのあと一切使われなかったネタだけれど、ここが一番すき。
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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 13:00 | - | - |

和泉桂「狂おしき夜に生まれ」

和泉桂「狂おしき夜に生まれ」

前回の「終わりなき夜の果て」で第一部が完結した清澗寺家シリーズの外伝、平安時代編。
雑誌掲載時の感想はこちら。<前編><後編
根本的なところは勿論雑誌掲載時と同じなんだけれど、ノベルスに書かれている通りかなり大幅な改稿がされている。貴将の狙いや過去を含めて細かく描かれたことで、話が非常に分かりやすくなったと思う。

***
現在典薬寮で医師として生きる吉水貴将は、権力闘争によって一族を滅ぼされた過去を持っている。いまの関白への復讐を心に誓うかれは、「禍々しい」ほどに美しい容貌と優しく巧みな言葉で次々と人を誑しながら、その機会を待っている。かれにとって国主である暁成もまた、そのための道具だ。
祭り上げられた天皇である暁成には味方と呼べるものが殆どいない。関白の傀儡となり、孤独の中で生きている。気が弱く、いかにも御しやすそうな純真無垢な若者といった感じだ。父も既に亡く、おどおどとしているかれは、偶然すれ違った貴将に見惚れてしまう。けれどだからと言って何か出来るわけでもない。いやかれの立場ならば何をすることも可能なのだが、暁成は何もしない。何者なのかもわからぬまま、名前も知らぬまま、ただ見つめている。それだけだった。

しかし暁成が怪我をしたときに貴将が居合わせたことで、二人は出会う。いともたやすく貴将に誑された暁成は、すぐに貴将に夢中になった。貴将がうまく理由を作ったり、暁成がその立場を利用して呼びつけたりすることで、二人は何度も顔を合わせる。呆れるほど純粋な暁成は貴将の行動や言葉に一喜一憂する。貴将はそれを全て分かった上で、気づかないふりをしている。

孤独な少年の純情が利用される。利用するつもりで近づいたのに、気づいたら本気になっていた。そういう話は沢山あるし、この話も途中までは、そういうものの一つであるかのように感じられる。けれどそうではない。何も知らないように見えた暁成もまた、貴将のように別の顔を持っていた。
勝手に暁成を穢れのない存在だと思い込んでいた貴将は、暁成の秘密に衝撃を受ける。自分でもうまく咀嚼できない怒りを覚えながら、自分がいつの間にか暁成を愛しく思っていたことに気づく。貴将が好きだと自覚したのが、純真無垢な暁成ではなく、純真無垢に見えて穢れている暁成だ、というところが非情に清澗寺的だなあ。純真無垢に見えて穢れているところと、純真無垢に見えて穢れているけれど心根だけは異様に澄んでいる、その澄み方が状況からすれば異常・異様、みたいないびつさが暁成にはある。復讐のために手段を選ばない貴将の徹底ぶりも歪んでいるのだけれど、暁成の歪みはもっと複雑に絡み合っている。
暁成に魅せられた貴将が徐々に人間らしさを手に入れる・人間になって行く一方で、暁成は変わらない。むしろ、少しずつ狂い・歪みが増しているようにすら思える。暁成がある意味で恐ろしい・不気味なのは、行動の元になる考え自体が一見まともそうなことが原因だろう。貴将が好きだ、貴将が欲しい、妹が可愛い、貴将とずっと一緒にいたい。その果てに思いついたのは、貴将と自分の妹・露草の婚姻だ。そしてたちのわるいことに、思いつきをそのまま実行できる立場にかれはいる。自分で結婚させておいて、貴将と露草の夫婦関係に嫉妬する暁成。愚かだ、無計画だと評してしまうには、あまりに稚拙で、なによりいびつだ。

そして暁成は開花する。冬貴が伏見の前で変貌を遂げたように、暁成も本性を現す。これまで隠していたというよりは、条件がそろったというところだろう。自分の子孫を含めたすべての破壊や絶望や終わりを求める暁成は狂っているのに、まっすぐであどけない。まっすぐ狂っているあたりは冬貴っぽいし、全くブレない純粋さや貪欲さは道貴っぽくもある。暁成と、貴将と、露草。いびつな三人が作り出した清澗寺が、あの大正時代へ繋がっていく。
清澗寺の過去・原点として読めば、本編のキャラと似ているところや異なるところを見つけて楽しむことができる。しかし単体で楽しむにはちょっと弱い、というのが正直な印象かな。もっと昼ドラっぽくて、もっと歪んで狂っている話がよみたい。本編、というか第一部が好きすぎてハードルが上がりすぎている自覚はある。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 21:55 | - | - |

荒川弘「銀の匙」4

荒川弘「銀の匙」4

豚丼の肉を八軒はバイト代で購入した。かれが、出会ったときからいつかは食用の肉になると知っていて、周囲の制止も聞かずに名前をつけた豚。ペットではなく食物なのだという自戒の念をこめてつけた名前が、豚丼。けれど、たとえそれが料理のメニューであれ、名前をつけて、個体を他の個体とは異なる存在なのだと識別して育てることには代わりがない。八軒は豚丼に、他の豚とは違う愛着を抱いてしまった。その上でかれは食用肉になる豚丼を購入することに決める。殺さないためではなく、食べるために。
不器用にもほどがある選択だけれど、八軒をだれも笑わない。とうの昔の時点で命を摂取することと折り合いをつけてきた連中、最初からそうして生きてきた連中は、かれらからすれば遅すぎる八軒の苦難を見届けてくれる。
燻製にする煙を見た駒場は、「葬式みたいだ」と言った。早くに父親を亡くしているかれは、父の葬式を思い出したのだと言う。それは単に煙から連想しただけでなく、八軒の死への向き合い方も関係あるのだろう。他の連中も決して家畜の命を蔑ろにはしていないが、初めて死に向き合う八軒の思い入れは並大抵ではない。人の死と同じくらい大きなものとして家畜の死を受け入れ、ある意味では悼み、そしてかれらは腹を空かせる。供養だと茶化して、喰う。簡単に割り切れない色々な感情が入り混じる中で、かれらは今日も命を喰う。

51キロの豚丼の肉は、到底八軒だけで食べられるものではない。仲間たちと、かれらの持ち寄る具材と一緒に、食べる。最初は勿論豚丼にして。そのあとは自分ひとりでベーコンに加工して、色々な料理法で。
それはかれにとって最大限の誠意であり、最大限の自己満足だった。八軒が一人で加工しようと皆で雑談しながら加工しようと、豚丼の死は変わらない。だから自分ひとりで何とかしたいというのは、かれのエゴだ。それを分かった上で八軒は無茶な行動をとって、自分の気持ちを整理する。根本的には非常に体育会系というか、実際に行動することで納得するタイプだなあ。
兄のすすめもあって実家にベーコンを送った八軒は、次に育てる豚にも名前をつける。同じつらさを繰り返すと分かっていながら、かれは向き合うことを止めない。鈍化しないためや敢えて苦難の道を選んでいると言うより、そうした方がかれにとって最終的に楽なのだろう。エゾノーに逃げてきたかれは、逃げずに向き合うことが自分を救うのだと、エゾノーで知った。逃げた先で、逃げないことを学んだ。

秋になり、三年生は部活を引退する。八軒は所属する馬術部で副部長に指名される。かれより技術のある人間ばかりの中で八軒が選ばれたのは、ひとえにその人間性だ。何ごとも頼まれると断らない・断れない性格が評価されたのだろう。仲間だけでなく先輩から見ても八軒はお人よしで、真面目に対応する人間だということだ。
かれをそう評価した先輩は御影について、他人に一歩踏み込ませないところがある、と語る。皆はそれについて深く考えなかったし、先輩自身も軽く流す程度の会話だったのだが、それは確かに真実だった。自分の悩みを家族に打ち明けないだけでなく、明らかに悩んだり落ち込んでいる時でも、御影はなんでもないふりをする。八軒がそれとなく話を持ちかけていると知っていて、笑顔で話をそらす。勇気を出して正面から聞くと、関係ない、と笑顔で片付けられる。こういうときに素っ気ない態度や、過干渉に怒るような態度を見せないところが御影の人当たりの良さであり、彼女が作る壁の厚さだと思う。非がないので切り込みづらい。
結局聞き出すことができないまま、待て次巻。もやもやしながらも八軒は精神的にどんどん成長して、強くなる。大人になっていくかれが、御影の頑なな心をなんとか開けるのだろうか。
異様な盛り上がりを見せた3巻までと違い、少し穏やかな一冊になった。嵐の前の静けさか、どうか。

「山賊ダイアリー」2巻を読んだら(感想書いてなかった…現役20代猟師のエッセイ漫画。面白いよ!)猪の解体について描かれていた。こちらは精神論ではなく、純然たる解体の解説。機能的・衛生的な解体の話。間逆で面白かったー。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 20:50 | - | - |

「ルドルフ ザ・ラスト・キス」12:30公演@帝国劇場

帝劇二階の飾りがこんな感じ。真っ赤なカーテン、寄り添う二人の亡骸、ピストル、分かりづらいけれど奥には相当の鷲の柄のステッカーが打ち捨てられている。

実は前月「エリザベート」で上京したときに、日比谷シャンテで開催されているこの公演のパネル展に行ってきたんだけれど。
帝劇でも飾ってたー!まあそりゃそうだわな。しかもサイン入りになってる。

悔しいのでこれはシャンテで展示されていたバージョン。パンフレットに使われている写真がエスカレーターの周りにぐるっと飾ってあるだけだけど、どれもいい写真だった。色が好みなのもあるんだろうけど、すごくいい。写真のものは見ての通り、直筆のコメントです。

***

原作:フレデリック・モートン
音楽・原案・脚色:フランク・ワイルドホーン
脚本・歌詞:ジャック・マーフィ
演出:デヴィッド・ルヴォー

ルドルフ:井上芳雄
マリー・ヴェッツェラ:和音美桜
ステファニー:吉沢梨絵
ターフェ:坂元健児
ラリッシュ伯爵夫人:一路真輝
フランツ・ヨーゼフ:村井國夫

***
休憩25分を挟んで3時間強の舞台。

白い額縁で縁取られた舞台は、ボルドーの幕で覆われている。白いシルエットでウィーンの街並みが描かれている。そして幕が上がると、天井も壁も床もボルドー一色。思わず息を飲む美しい装置!担当したマイク・ブリットンは先日の「ロミオ&ジュリエット」(佐藤健と石原さとみのやつ)にも参加していたみたい。確かに冒頭のキャンドル凄かった。

ホーフブルク劇場のオープニングセレモニー。新しい劇場の完成に喜ぶ貴族たちとは対照的に、貧しい生活に怒りをあらわにする民衆たち。世界初の機能を誇る劇場でスピーチをしたフランツ・ヨーゼフの指示で、女性歌手たちの歌が始まる。きらびやかなステージに一人の女性が現れ、銃口をくわえて自殺する。
驚きながら女性の亡骸に近づく皇太子ルドルフを、首相のターフェが制止する。同じく驚きながら女性に手を伸ばそうとする若い女性マリーを、ラリッシュ伯爵夫人が止める。運命の二人はまだ、お互いに気づかない。
真っ白な長いかつらをつけ、真っ白なドレスを着た三人の歌手の前に現れた女性はグレーの服を着ていた。彼女がピストルをくちにくわえると暗転し、銃声のあと照明が付けられると、近くにいた歌手の白いドレスに真っ赤な血が飛び散っている。いきなりの展開、死に驚きながらも、白と赤のコントラストが美しくて魅了される。

セレモニーが台無しにされたことに憤るフランツがターフェと話していると、ルドルフが現れる。煙草を片手に現れた皇太子は、女性が死を選んだ理由、彼女がそこまで追い詰められている政治状況について心を痛めている。しかし皇帝は、迷惑な女性ではなく自分の妻のことを考えろと返すだけで取り合わない。政治のこと国の未来のことを皇帝と話し合いたい、自分の主張を聞いて欲しいと願うルドルフ。今は皇位継承者となる準備をすべきだと繰り返し語るフランツ。お互いに「なぜ聞かない」のかと憤る。
フランツは進歩的な考えを持ち、自分に喰ってかかる息子を苦々しく思っている。「だんだんお前の母親に似てきた」と言うかれからは、シシィへの愛情は感じられない。美しいが奔放な妻に頭を痛めている、ある意味普通の夫・男性像がある。
ターフェとフランツの共通の関心は、ウィーン日報に掲載されたユリウス・フェリックスという男の政治批判的な記事だ。その正体が大公であるヨハン・サルヴァトーレではないか、証拠を突き止めたい、とターフェは言う。
ユリウス・フェリックスの記事が出るまえに、ヨハン・サルヴァトーレが実名で批判記事を出して怒られた、という話を「天上の愛地上の恋」で読んだなあ。あれが史実なら、そりゃ疑われるというものだ。
この作品のルドルフはつねに酒を飲んでいるか煙草を吸うかしている。疲れた顔をして頭を抱えたり、自棄になって奔放に振る舞って自己嫌悪に陥ったり、かれもまた普通の男性だ。父からも母からも精神的に独立して、一人の人間として・皇族として世界を見ている。野心もある。独りで立っているからこそ辛いことが沢山あって、そのために酒や煙草や商売女の手を借りる。
全く違う人間が作っているもので比較すること自体に無理があるのだろうが、やはり「エリザベート」のことを思ってしまう。あっちのルドルフは潔癖のルドルフだ。酒にも煙草にも薬にも女にも頼っている感じがしない。熱に浮かされて現実を見失って暴走し、父にと断絶して絶望し、母に見捨てられて死を選ぶ。潔癖のかれが頼るものは、夢や理想、そして本来利害関係を含まない存在である「ともだち」だ。どっちも好き!
先日のコンサートで歌った「闇が広がる」が物凄く力強くて、王座に座ってしまいそうだったことを思えば、今の井上芳雄が「ルドルフ」のルドルフを演じることは必然だと感じる。「ひ弱」な青年皇太子の影はもう薄ぼんやりとしていて、消えてしまいそうだ。年齢的にもちょうどいい、熟したルドルフだった。
あと今に始まったことではないけれど、正装するために生まれてきたような体型である。着なれた感じすらある軍服もいいんだけれど、ジャケットを脱いだ時に本領が発揮されるね…ウエスト位置が高すぎて違和感があるのがすばらしい。サスペンダーばんざい。あとスリーピースもすばらしいです。
歌はどこを切っても良いのだが、やさぐれているルドルフの芝居も良かったなー。恋の楽しさとか馬鹿騒ぎの浮かれっぷりとかはもちろん安定。

ユリウスの記事に高い関心を持っている人間は他にもいた。まだ10代の男爵令嬢、マリー・ヴェッツェラだ。心から国を思っているユリウスの記事に心酔する彼女は、奨められている結婚に全く乗り気ではない。それをなんとかラリッシュが後押ししようとしている。
男と女の駆け引きは戦争なのだ、とラリッシュと女たちが歌う。数少ない、心から明るくて眩しい曲だ。ストライプのドレスで傘や扇を使って歌う一路さんがかわいらしい。そういえばコミカルな姿を見たことがなかった。ラリッシュが色々なところでフランス語を使うのは何故なんだろう。merci beaucoupとかau revoirとか。

マリーは運命の人との出会いを夢見ている。
ルドルフと妻ステファニーの関係は険悪だ。しかしかれらは皇太子と皇太子妃として、ヴィルヘルム二世のパーティに参加する。そしてルドルフは、ラリッシュと共にパーティに参加したマリーに出会う。奔放で気が強くて気取ったところがなく、皇太子にも心酔しているユリウスの話を熱弁したり、ステファニーにも勇敢に反論するマリーに、ルドルフは惹かれる。
これまで読んだものだと大体ステファニーって容姿が整っていないと言われているんだけれど(残っているものを見ると確かにきれいではない)、吉沢さんのステファニーは超可愛いぞ。彼女を含めたすべての女性が青いドレス(プロイセンブルーというくだりがあったので意図的なんだろう)を着ているパーティのダンスはなかなか壮観。ダンスのリフト、真っ赤なステージに青いドレス、動くバルコニー。装置も美術も美しい!

離れ離れのマリーもルドルフもお互いのことを思っている。
「ただのロマンスじゃない」と繰り返す「それ以上の……」がとても印象に残るきれいな歌だった。同じところで手を顔にかざすポーズをとるところもいい。似たもの同士の二人は一気に恋におちた。和音さんの高音きれい。

ユリウス・フェリックスについて調べるターフェは、ウィーン日報のツェップスを呼び出して話をする。かれはユリウスの正体を聞きだそうとか、暴力を用いてツェップスを従わせようとか、そんなことはしない。「脅しはしない」と言いながら、強い語調でかれは現実を突きつけるだけだ。
ターフェは頭のいい、頭の良すぎる男だ。ユリウスの正体の真相に意味がないこと、むしろ、それが明らかになれば面倒ごとが増えると知っている。坂元さんは本来の顔立ちも声もさわやかな好青年系だが、頭がきれて怒鳴り散らすことも手を汚すことも辞さない、ルドルフやマリーの視点から見れば憎々しい政治家を熱演している。敵役ではない、だからこそ厄介なターフェだった。すてき。

ウィーン日報の本拠地。国の未来を憂う同士たちは、ルドルフに決断を迫る。かれらは既に準備した書類を突きつけ、納得したら署名してほしいと言う。時期尚早だと言うルドルフに、周囲は決断の時だと言う。
ひとり悩むかれの元に、一人の女性が現れる。新聞に広告を出してほしいと言う女性の手紙を開けば、ユリウス・フェリックスへの熱いメッセージがあった。勝手に読んだことを怒るのは、マリー・ヴェッツェラだ。そしてルドルフはマリーに、自分こそがユリウスであることを告げる。
黒のカッター、黒のベスト、黒の革のロングコートにボルドーのロングマフラーのルドルフ。マリーに正体を明かしたあと、二人はスケートリンクでデートをする。アンサンブルも二人もローラーブレードを履いての歌唱。よくあんなもの履いて笑って歌えるなあ、という感想しかない…。途中でルドルフがマフラーをほどいてマリーの体に巻きつけて彼女を引っ張る、というシーンがあるんだけれど、ここが可愛さ半分よくわからないまぬけさ半分、だと思う。
今だけはルドルフと呼んでほしい、とねだるルドルフに、本当はユリウスと呼びたいと言いながらマリーは応じる。こんなに良い名前だと思わなかった、と笑うルドルフの屈託のなさが微笑ましくてやるせない。

マリーは笑いながら秘密を明かす。「ユリウス・フェリックスの方が皇太子よりずっと好きなの」と。ルドルフは笑って「僕もそうなんだ」と良い、「人生がいつもこうならいいのに」とこぼす。けれどマリーは「人生はいつもこういうものよ」と言う。ルドルフは人生は非情に複雑で困難なものだと考えるが、そうではないのだ、と。
ルドルフは、自分が唯一単純でいられる場所があることを思い出す。マイヤーリンクだ。そこでなら自由になれるというかれに、いつか連れて行ってほしい、とマリーは願う。

フランツはターフェから、ユリウス・フェリックスの正体がルドルフである可能性が高いことを聞かされる。一方何度も諦めてしまいそうになるルドルフをマリーは励まし、鼓舞する。

*

悪夢を見て目を覚ましたルドルフは、身支度をして部屋を去ろうとするマリーに甘えて彼女を引きとめる。そこへステファニーが現れる。
暗転、轟音、そして顔に黒い袋をかぶせられた男が絞首刑を受け、天井からぶら下がり落ちてくるところから二部は始まる。アナウンスも特になくいきなり始まったので余計に驚いた。ターフェが誘導するルドルフの見る悪夢。従順さを求めるターフェは、意見の違うものを処分することも、約束を破ることも全く気にしない。黒い袋を顔にかぶった男女のダンスがこわくていい。「手の中の糸」は歌も好きだなー。
マリーを引きとめるルドルフのセリフは「ロミオとジュリエット」のオマージュかな。ひばりとナイチンゲールのはなし。男女が逆でかわいい。
これまでも夫の浮気に耐えてきたステファニーだが、ルドルフがマリーに本気なことを理解しているのだろう、過剰に反応する。妻は自分だけ、神に永遠を近い、死んだあとも同じ墓に入るのは自分だけだと言う彼女のきつい言葉の裏にあるものが切ない。きつい目線とかたく結んだ唇の奥にあるものをルドルフは無視する。気づかないのか、気づいていて見ないふりをしているのか。吉沢さんは台詞回しがすごく四季っぽいけどパワフルでいい。

ステファニーとの離婚をローマ法王に懇願していたルドルフは、フランツの更なる怒りを買う。父子の間の溝は深まり、離婚もマリーとの再婚も認められず、どころか彼女とその家族の安全についての脅しもかけられる。ルドルフはマリーと二人で生きてゆける他の場所が欲しいと願うようになる。
父子共に水色の軍服を着ての口論は夢のようでした。ただの名もない男でいい、とルドルフは自由を欲して嘆く。

会員制の自堕落なサロンに出入りするルドルフの元に、ずっとかれを探していたマリーが現れる。マリーが危険にさらされているからと彼女を避けているルドルフに、マリーは自分の気持ちは決まっていると告げる。
ルドルフのいるところが娼婦のいるサロンだと知った彼女は、そういう女がいいのかと、自分もそういう服装で現れる。このキモの据わり方は彼女の若さであり、強さでもある。人生は複雑で君にはわからない、と酒に逃げるルドルフにマリーが言った「そろそろ皇太子の真似ごとはやめて、本物の皇太子になったら」という台詞が物凄く好き。一番好きなせりふ!彼女はルドルフが世界を変えたいと願っていることを知っていて、そうできると信じている。そのためには、そしてかれとの愛を貫くためには、自分の危険も家族の危険も顧みない。

マリーの言葉に 背中を押されたルドルフは、時代を変えるために再び前を向く。その栄光が一時のものでしかないと分かっているラリッシュはルドルフを懸念する。ルドルフが行動を始めたことを危ぶんでいるターフェは、マリーを呼び出してかれと別れるように告げるがマリーは従わない。
マリーとの関係、父親とは異なる政治的行動、それらをラリッシュは心配している。彼女が歌う後ろでは、ボルドーのカーテンにシルエットがうつっている。抱えあげられるルドルフと、かれに歓声を送る民衆。その喧騒は本人が望んだものなのに、ラリッシュは暗い顔を隠さない。ここの演出も好きだなー。
マリーとターフェの強気対決もすごい。金を出すから別れろというターフェと、絶対に譲らないというマリー。ターフェの部屋の、巨大な地球儀や巨大なチェスボードもいい。
教会で会ったステファニーとの対決でも、やはりマリーは折れない。しかし「どうしてそんなに私を憎むんですか」と素で質問していてびっくりした。君が夫と悪びれず浮気してるからだね!答え出てるね!マリーは当時まだ10代で若かったとはいえさすがにこれはどうなのかと。ルドルフも一切悪びれた様子がなかったのでお似合いか…。まともな人間が割を食う…。

自分の進む道を決めたルドルフは、マリーを危険から守るため、彼女と別れる決意をする。ラリッシュに頼んで彼女に金を残し、元々結婚するはずだった男の元へ向かうように伝えてほしいと告げる。
ターフェの呼び出しから戻ってきたマリーはラリッシュからその話を聞かされる。
「ほんものの皇太子」になることを決めたルドルフが選んだのは、マリーを手放す道だった。ルドルフと別れるくらいなら死を選ぶマリーの気持ちは優先されない。戻ってきたマリーがラリッシュから受け取ったルドルフの手紙が泣ける。どんなことがあっても君のそばにいる、笑い声が聞こえたらそれは僕だ、さわやかなそよかぜがふいたらそれは僕だ、恋する人たちを見たら僕たちがすごした時間を思いだしてほしい。
ここで「それ以上の……」リプライズ。前回はルドルフが座っていてマリーが立っていたけれど、今回はマリーが腰かけて手紙を持っていてルドルフが目的地に向かうために立っている。「あんな人はいない」「忘れるなんて」「忘れるなんて」と言う歌詞が刺さる。同じ歌詞なのに、全く違った意味を含んで歌がひろがる。やはり同じところで顔に手をかざす。

ルドルフは決断して、かつて仲間たちに言われていた書類についに署名する。しかしその署名はターフェの手に渡り、フランツ・ヨーゼフの元へ行く。そしてかれはそれを燃やしてしまう。全ての計画が終わったルドルフは、ターフェにマリーとの関係を「ただの恋」だと揶揄されたことで、自分がただの男になったことに気づき、マリーが出立する駅へ向かう。
書類が本当に燃やされて、元々書類が入っていた箱にしまわれて蓋がされたのにおどろいた。防火ボックスなのね!おそらくターフェがいつも放っていた密告者たちが情報を嗅ぎつけたのだろう。
マリーにかつてプレゼントした指輪を、彼女は返してきた。それをターフェに嫌味たらしく渡されたルドルフは、妙に明るい顔をしている。全ての計画が失敗に終わり、かれは実質皇太子ではなくなったようなものだ。けれどかれはそのことへの哀しみや絶望より、マリーを追うことに気持ちをおいている。

電車は行ったあとで、道にはボルドーのマフラーだけが落ちていた。地面に突っ伏して泣くルドルフは、マリーと再会する。
再び再会したふたりは抱き合う。かつてスケートリンクでしたように、マフラーをマリーの体に巻きつけるルドルフ。やっぱりこの行動はよくわからない…最後一本のマフラーを手繰っていくのが赤い糸的なことなのかな。

マイヤーリンクにたどり着いた二人は死を選ぶ。何もかも失ったので死ぬしかない、というような暗さがない。希望の中で死んでいくような、ふしぎな明るさと前向きさがある。
二人が横たわったベッドが斜めにせり出してきて、閉幕。

***

カテコで塩田さんもステージに上がってたー。塩田さんの、作品の一部というか感情が入った振付のような左手の動き久々にみた。拍手の煽り方とかもなつかしい!あと村井さんのカテコのおちゃめっぷりも。
すごい濃厚だけどさわやかな舞台だった。面白かった!すごいすき!エリザ期間だからこそのお祭りなんだけど、エリザのない期間にやってくれればもうちょっと回数増やせたのにっ。福岡にも帝劇にもルドルフがいらっしゃるってどういうことなの!
web拍手
posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 23:44 | - | - |

ヘルタースケルター

原作:岡崎京子
監督:蜷川実花

りりこ:沢尻エリカ
麻田誠:大森南朋
羽田美知子:寺島しのぶ
奥村伸一:綾野剛
吉川こずえ:水原希子
沢鍋錦二:新井浩文
保須田久美:鈴木杏
比留駒千加子:住吉真理子
南部貴男:窪塚洋介
和智久子:原田美枝子
多田寛子:桃井かおり


原作は既読だけれど、特に思い入れはない。勿論きらいではないけれど、特に好きな作品でもないというのが本音。蜷川実花は写真家としてはすごく好きだけれど、「さくらん」は見ていないので映画監督としては初めて。

***
トップモデルのりりこは、全身整形によって美貌を手に入れたという秘密がある。気性の激しい彼女は自分の美が失われること、自分の勢いが続かないであろうことに怯え、マネージャー・羽田に当り散らすことも少なくない。
若くてうつくしい後輩モデルの登場や恋人の婚約などにより、りりこの精神は徐々に破綻していく。


ひたすらりりこの物語だった。美しさを後天的に手に入れた彼女が、自分の美しさに見とれ、美しさゆえに傲慢になり、美しさゆえに奔放に振舞う。彼女自身が妹に言ったように、彼女は美しいから強くなった。人の目も、揶揄も、批判も恐れない。マネージャーが持ってきたミネラルウォーターの温度が好みじゃないとぶち切れ、メイクルームに訪ねて来た恋人とその場で抱き合う。真っ赤な下着に濃いメイク、自室で高いヒールの靴を履いて煙草を吸う彼女は強くて美しい。
りりこは女王様だけれど馬鹿ではない。自分に演技力や歌唱力や話術がないことを知っているし、自分が替えのきく一時的な存在であることも知っている。だから映画の出演時間のためにプロデューサーと寝るし、仕事を休めば忘れ去られると分かっているからひたすら仕事を詰め込むし、金持ちのお坊ちゃんである恋人との結婚を狙って情報をリークさせる。強い彼女の心の中には、いつだって不安がある。どんなに支持されていても、どれほど歓声をあびていても、彼女は安心できない。何十万人が自分を好きでも、自分はそのひとたちのことを知らない、と彼女は言う。
カメラのシャッターを切られるたびにからっぽになる、とりりこは言う。けれどそのシャッターの音と、安っぽく繰り返される呪文のような「かわいい」「最高」の声で彼女は輝き、甦る。

沢尻エリカはとにかく可愛い。可愛くて綺麗で美しくて、非常に不安定だった。撮影後もりりこの演技に引きずられていると報道されていたけれど、実際に映画を見ると納得する。
りりこの画像を見た検事・麻田は「一見完璧に見えてバランスがずれている」と言う。皮膚と表情と骨格がアンバランスなのだ、と彼女の笑顔を称していた。そう言われてみると、本当にそう見えてくる。沢尻エリカがそう見せてくる、のだ。
羽田との最初の絡みのシーンが凄い。りりこの整形は、単に手術をして完了、の世界ではない。薬とメンテナンスを定期的に摂り続けることでしか維持できないように出来ている。だから放っておけばりりこの体には黒い痣が浮かんでくるし、髪が抜けたり、皮膚の反応が鈍くなってくる。自分の顔にその兆候を見つけたりりこは、部屋の掃除をしながらりりこの美しさを熱弁する羽田の言葉に相槌を打ちながら、涙を零す。真っ黒に縁取られたアイメイクを越えて、彼女の体で数少ない「もとのまんま」の目玉から涙がこぼれる。けれど口元は笑っている。りりこの表情はいびつで、不気味で醜くて、けれどやっぱり美しい。「バランスがずれている」顔だ。ここの芝居が凄すぎてふるえた。

そしてそのあとりりこは泣いていたそぶりも見せず羽田に近づき、彼女を誘惑する。羽田が心酔する美しさで彼女を魅了する。沢尻エリカがすごければ、寺島しのぶはもっと凄い。原作の羽田は20代前半の女性だったが、映画の羽田は35歳だと名乗っている。なぜ羽田の年齢を上げたのか、寺島しのぶにキャスティングしたのか、不思議だった。その確固たる理由はやっぱり分からないけれど、ともかく凄かった。
原作の若い羽田は、その年齢もあって世間を知らないところがあり、おそらく初めて就いた仕事に全力で取り組んでいる。同世代であろう彼氏も仕事をしていて、お互いに愚痴ったり労りあったりしながら同棲している。若いので肌は綺麗だけれど、安い化粧品しか使えないので、りりこにランコムのスキンケアを貰って喜んでいた。
映画の羽田は35歳で、化粧っけが全くなく、りりこに口紅をもらっていた。同棲しているのは年下で、派手な容姿の彼氏だ。りりこの仕事の影響でしばらく家に帰れないというとき、羽田が財布から札を数枚出して食事代だと言っていたのでおそらく無職だろう。仕事から帰ってきた羽田がかいがいしく、似合わないぶりぶりのエプロンをつけて料理をしているのを尻目に、ひたすらソファでゲームをしている。
羽田はお人よしで、馬鹿で騙され易い女だ。人の裏を見ることをせず、言われたとおりに振舞う。似合わないエプロン、ダサい下着(この下着のチョイスは神がかっていた…!!!)、見ているだけで苛々する要領の悪さ。その裏に、狂気のようなりりこへの心酔を秘めている。巻き込まれた感じがつよかった原作の羽田と異なり、映画の羽田は自分で選んで行動した印象がある。りりこに惹かれ、彼女は自分の行動を決めた。りりこの命令に従う、という決断をしたのだ。だから、南部の婚約者を襲ったときも、奥村より羽田の方がキモが据わっていた。
奥村がダメなヒモ(推定)になったことでより一層羽田の要領の悪さ・バカ女っぷりが明らかになった。ふたりの部屋に来たりりこの誘惑に、簡単に乗ってしまいそうなのは映画の奥村だ。

りりこの美しさ、りりこ・羽田・奥村のドラマが濃厚に描かれた分、端折られてしまったのが和智久子を中心にしたクリニックの問題だ。違法な医療行為を重ねていたクリニックの実態や、和智久子の考えなどがぼやけてしまった。麻田がどういう事件を追っていたのか、映画だけを見るとすこし不明瞭ではないかと思う。
個人的には、この和智久子が化粧っけのない女であったという事実と、顔に傷を負った南部の婚約者が母親と一緒に彼女のクリニックに縋ったというエピソードが物凄く印象的だったので、削られてしまったのは残念。南部の婚約者もまた「タイガー・リリー」であったということ、女性心理を煽ってたくさんのタイガー・リリーを生み出した女が自身の美を求めなかったことは非常にシニカルでいいエピソードだと思う。
あと最大のあおりを食らったのはりりこの妹と麻田の関係かな。容姿と気弱な性格でいじめられている千加子に、麻田はりりこの話を聞こうと近づく。彼女の過去の写真を麻田が手にしたのは、かれに憧れていた千加子の強力があったからだ。
りりこが失踪したあと(おそらく)数年が経過したのち、麻田は渋谷の交差点で、かつてよりかなりきれいになった千加子と偶然再会する。前半部分が全くなかったので、数年後のシーンでいきなり千加子が麻田に親しげに話しかけてくるのにびっくりすることになる。
濡れ場そんなに長くなくていいからこっちをもうちょっと見せてよ、と思った。

南部貴男は窪塚洋介。窪塚洋介って格好良いんだな、と今更知ったよ…キャスティングを聞いたときから、漫画から出てきたような似方をしていると思っていたが、想像以上だった。顔がよくて金があって女にもてて、空っぽの男。なりたいものを見つけては片っ端から諦めてきた男は、人にも諦めることを強要する。りりこには自分との結婚を、婚約者には自分とのまともな夫婦生活を諦めさせる。
婚約者がけがをしたあと、りりこは南部と久々に会う。壁を壊すことをせず諦め続けてきた男の言葉を、抱きしめながら聞くりりこの表情は、もはや恋愛をしている人間の顔ではない。仕事も恋人も自分の美貌すらも、自分の手で奪ってきた彼女には、南部はどういう風に見えたのだろう。

こずえも良かった。すらっと伸びた手足と白い肌と、あまり化粧をしていない整った顔。彼女の美しさは、存在するだけでりりこを傷つけるナイフのようだ。
南部の婚約者だけでは飽きたらず、こずえの顔を傷つけるようにりりこは羽田に命令する。思いつめた顔の羽田が自分にカッターナイフを向けたときも、こずえは動じない。どうせ自分もそのうち飽きられる、刹那的な「欲望処理装置」だとこずえは知っている。
モデルの仕事にも人気にも執着しない、生まれながらに美しいこずえ。彼女こそ、りりこが語る「きれいだから強い」の体現者だろう。
映画は、りりこについて関係者が語るシーンを挟む演出で進んでいく。その中でこずえは、「モデルは皆(体型維持のために)吐いている」となんでもないことのように語っていた。実際この日の彼女も、トイレで慣れた手つきで吐いていた。個人的にはこれでこずえのイメージがブレてしまった。渦中にいてなお「タイガー・リリー」にならないのがこずえだったのに、彼女も片足を突っ込んでいるような感じになっている。遊園地でポッキーを食べているところなんかはすごくこずえっぽいのになー。

繰り返す手術と投薬、そのたびに仕事を休まねばならないことへのストレス。自分が休んでいた間にこずえが表紙を飾っていたことを知ったりりこは思いつめる。ビルの屋上にむかう彼女を社長、羽田、メイクのキンちゃんが必死で宥める。屋上で座り込んで、「もうこんな仕事やだ」と泣きじゃくるりりこはまだ少女のようで、それだけに痛々しい。どうしても沢尻本人と重ねてしまって、余計につらい。思わず貰い泣きしてしまった。
生きづらいだろうけれどいい女優だよなあ。鈍化すれば多少は楽だろうけれど、たぶんこの嗅覚あってこそのこの芝居だと思うので、なんとかこのまま女優として続けていってほしい、と思わされる。

錯乱したりりこが見ている幻覚が面白かった。セットの苺に目玉が出て、林檎に口が出て、沢山の蝶が飛び回る。戸川純!マメ山田!(なんという蜷川遺伝子!)

羽田によって全てが白日の下に晒された。押し寄せるマスコミの前で、「特殊メイク」ばりに手をかけて美しくなった彼女は、ナイフを自分の目につきたて、そのまま倒れた。整形を重ねたりりこの、数少ない「そのまんま」の部分。どんどんオリジナルの部分を削って、彼女は更に強くなるのだろう。

全身整形の話、欲望処理装置の話で浜崎あゆみの曲がかかるって、話を持ちかけた方も許可した方もすごいかっこいいと思うよ…。

見ているだけで生気を吸い取られてしまいそうな反面、背中を思いっきり押される映画でもある。物語としての完成度はそこそこで、映像としての完成度はなかなかいい。カメラワークというのか絵コンテというのか、ところどころ違和感を感じることもあれど、どこを切っても濃厚でむせかえるような作品だった。
りりこやこずえが表紙を飾るファッション誌が実在のものであることを始めとした細部へのこだわり、一瞬の撮影シーンのためのメイクとドレスがいちいち可愛くて良かった。羽田の絶妙なダサさ、足が痛くてすぐに脱いでしまうにも関わらずヒールを履き続ける社長の美学、雨の中を走るときですらピンヒールの(おそらくそうでない靴を持っていない)りりこ。オネエであるヘアメイクキンちゃんの服装。全力でオシャレで、全力でイマドキで、全力で消費される刹那的なものたち。残酷で面白かった。
web拍手
posted by: mngn1012 | 映像作品 | 12:43 | - | - |

田中相「千年万年りんごの子」1

田中相「千年万年りんごの子」1
かつて捨て子だった雪之丞は、見合いをしたりんご農家の娘・朝日の家に婿入りする。風邪を引いた朝日のためにもらってきたりんごを食べさせたことで、雪之丞は村の秘密に抵触する。

生後まもなく寺の縁側に捨てられていたという雪之丞は、養父母に育てられ大学まで卒業した。大学院に進むように望まれていたものの、入り婿を希望していたかれは、それまでの学問に関係ない、全く縁のない青森県のりんご農家に婿入りした。見合いの席で出会ってすぐに婿に来て欲しいと言い出した、野暮ったい娘・朝日に惹かれたからではない。かれは早く家を出たかった、それだけだ。
なぜかれが家を出たいと望んだのかは分からない。捨てられていた寺で育てられたかれは、おそらくあまり不自由のない暮らしをしてきたと思われる。養父であろう男(住職?)もいつまでもいていい、と言っているし、そこに嘘があるようには見えない。その妻であろう人物も、特にかれに冷たい・厳しいという印象はない。ただかれは家を出たいと望んでいた。結婚相手も、一生の仕事も、問わないほどに強く。
「捨て子」としてのメンタリティが雪之丞を支配している。名前を呼ばれれば捨てられている赤子を思い浮かべる。一部の人間がすぐ見抜いてしまうような上っ面の笑顔の仮面を貼り付けて、かれは今まで生きてきたのだろう。一見暗い印象は受けない分、かれの中に潜んでいるであろう闇の深さは計り知れない。

大人数の中で育った朝日は屈託がない。明るく奔放で、けれど厳しい自然のと共存してきた強さも持っている。自分たちではどうしようもないことを何度も経験してきた人間ならではの、割り切る強さがある。ずっと一緒に暮らしてきた猫の死に対する朝日の反応に、彼女の強さが出ている。哀しい気持ちは当然あるだろう。けれど彼女は取り乱さない。淡々と思い出を語り、土にかえる猫を「りんごの木になる」と言う。
諦めに似ているけれど全く別物であるそれは、諦めが最初から備わっている雪之丞の心を少しずつ動かす。まだ若い朝日だが、彼女には既に悟ったような、老成したようなところがある。

自分たちはりんごの子だ、と朝日は言う。りんご農家を生業とする家に育った彼女の父も彼女も、その収入で暮らしてきた。その収入で食事をし、学校に通った。親が働いた金で育った、という意味では、他の仕事をしている家族となんら変わらない。けれどそれを「りんごの子」と表現する朝日の口ぶりがとても好き。
りんごの子である朝日は、いずれ自分も土に還って「りんごの木になる」ことを望んでいる。りんごに育てられ、りんごを育て、子を産み育て、いつか自分もりんごの木になる。寒く厳しい風土、白くてきれいなりんごの花、雪深い土地、真っ赤なりんごの実。りんごの木になると確信している朝日。なんとも言えない芯がとおったしなやかさ・美しさに、部外者である雪之丞は魅せられている。雪之丞の目を通して、読み手も魅了される。

慣れない農作業や大家族に雪之丞が少しずつ馴染んだころ、朝日が風邪をひいた。彼女を家にのこして仕事に出た雪之丞は、見舞いのつもりでりんごを持ち帰る。偶然通りかかった道で、季節はずれのりんごを見つけたかれは、それをいくつかもいできた。私有地ではなかったし、数個だし、なにより自分が幼い頃風邪をひいたときにりんごをすりおろしてもらった記憶があったからだ。このことからも、雪之丞が愛されていたことが分かる。
そしてかれは帰宅して、拝借してきたりんごをすって朝日に与えた。それはまだぎこちなさの残る夫妻の、やさしい日常のやり取りになるはずだった。しかし事態は一変する。

朝日に食べさせたりんごの残りは土塊になり、りんごを持ち帰ってきた場所を話せば家族は絶句し、雪之丞が理解できない方言や用語を用いた言葉でぽつぽつと話し、口を閉ざしてしまう。
とにかく何か重大なことをしでかしてしまったことだけは空気で伝わるが、具体的なことは雪之丞には何も分からない。明らかに何かを隠されていることも分かるけれど、家族にはそれ以上聞けない。これ以上の失敗をしないように近所の人間にそれとなく伝承の話をしてもまともに答えてもらえない。素っ気ない対応に、雪之丞は自分が部外者であること、自分が知らないだけでなく、教えてもらえないことがあるのだと実感する。
土地の信仰に反することをした、という漠然とした実感は半分正解で、半分不正解だろう。朝日はそのりんごを食べたことによって巫女になった、と彼女の父は言う。その言葉から受ける印象は漠然としているが、実際は生易しいものではなかった。病気が治った朝日の髪と爪はいきなり何十センチも伸び、彼女は次第に小さくなっていく。原因が自分にある以上、期日がくるまで何も聞かないでほしいという朝日にも、何もなかったこととしてふるまってくる家族にも追求できない。
そんな雪之丞に、唯一真実を話してくれるのが、かれを初対面の時から嫌っていた村の男だ。最初から雪之丞の嘘笑いに気づき、不信感を持っていたかれだけが、本当のことを話してくれる。しかし、雪之丞の精神的なショックに配慮しないからというよりは、今までにないかれの必死さに気おされたから話したという感じがする。決して悪い男ではない。
かれに真実、というよりもかれが知っている謎を聞いた雪之丞は腹をくくる。これまで何事も深追いせず、それなりにうまくやることを最優先にしてきたかれが、禁忌に向かおうとしている。かれが船を漕いで向かう先は村の伝承の真実であると同時に、これまで向き合わずに避け続けてきた己の出生や、心の中にある闇でもある。遠慮して、波風を立てないことをモットーとして生きてきたかれが、そこから一歩踏み出した。

家族の情というものに自信の持てない男が、大家族の中で明るくつよい妻と生きるうちに変化していく、そういう話だと思っていた。しかし中盤から民俗信仰、土着的な信仰にファンタジーが絡まってゆく。
面白かった!!
web拍手
posted by: mngn1012 | 本の感想 | 20:52 | - | - |

原作:大場つぐみ、漫画:小畑健「バクマン。」20

原作:大場つぐみ、漫画:小畑健「バクマン。」20
善良なるヤンキー福田の暴走もあり、その関係が白日の下となったサイコーと亜豆。ネットを中心に話題となり、非難や中傷が盛り上がる中、生放送でラジオリスナーと電話で話すという、どう考えても危険な試みに亜豆は応じる。
リスナーから出た「処女ですか?」という言葉は、女性声優業界の現状を完結に言い表した質問だと思う。気持ち悪いけれどこれが亜豆が身を置く世界で、大枚をはたいて彼女を応援する人間たち(のうちの数割)の興味の中心だ。それを亜豆が改めて実感しただけでなく、ストレートに放送されることで、サイコーもシュージンも香耶も、みんなが知った。亜豆がどんな場所で戦っているのかを知った。サイコーやシュージンがつねに読者アンケートを意識しているように、亜豆はこういう目に晒されながら戦ってきた。
最後の電話がサイコーだった、というのが凄くいい展開。真摯に向き合って戦う亜豆に、サイコーも立ち上がる。彼女を庇うのではなく、彼女とともに戦おうとするスタンスなのがいい。
亜豆が実力で亜城木夢叶作品のヒロイン役を勝ち取ってくれることを信じている、と言うサイコー。堂々と二人が関係を認めたことで、美談として受け入れる風潮も出てくる。あくまでも「出てくる」レベルでとどめられていることも「バクマン。」らしいリアルさだ。かれらの関係を微笑ましく思っているのはそれほど亜豆美保に思い入れのない人間が殆どで、応援しているファンや気にしていないファンもいるだろうが、多くのファンは複雑な心境を抱えている。おおっぴらに叩くものも多いし、他の声優のファンやアンチも沢山いる。

追い風も逆風も思いっきり吹き荒れている中、最大の問題は亜豆がヒロイン役を「実力で勝ち取る」ということにどうやって収集をつけるのか、ということだ。関係が知られていなければ作者の希望で亜豆に決まっていただろうし、亜豆は人気だけでなく実力もあるようなので、おそらくそれほど不満は出なかっただろう。けれど今は違う。亜豆が決まればたとえ裏で正当なオーディションが行われた結果だとしてもコネだと言われ、亜豆がどんなにいい芝居を見せてもこぞって批判される。
スポーツなどと違って、声優という職業の「実力」がそもそも抽象的なものである以上、オチの付け方は難しい。風呂敷を思いっきり広げてどう畳むのか、と思っていたら、アニメ監督からひとつの提案が出る。ヒロインを公開オーディションしたい、というものだ。動画サイトなどを使って一般投票で結果を決めるという方法にシュージンは反対するが、サイコーは賛成する。亜豆ならば実力で結果を出すと信じているサイコーの言葉に、シュージンも納得する。
実際こんなことがあれば、参加しない事務所が出てきたり、一番無名な・キャラに合わない・演技力のないキャストに大量投票する企画が持ち上がったりするだろうけれど。それは置いておくとして、うまく収集のつけられるいい企画だと思う。というかこれ以外に、亜豆が「実力で」役を取ったと示せる方法が思いつかない。

ともかく非常に話題性のある企画である。人気声優や名前を売りたい声優はもちろん、ベテラン声優まで名乗りを上げる。亜豆は冷たい目や心ない陰口も気にすることなくオーディションに挑む。作品を暗記している彼女は台本を持たずにマイク前に立ち、誤植のある台本ではなく原作に忠実な台詞を披露した。彼女がいかに作品を愛しているのか、読み込んで理解していたのかが明らかになる。
そして想像通り亜豆は最多得票を獲得し、ヒロインの座を手に入れる。亜豆が勝つ事は明らかだったので、「誰が勝つか」ではなく「どうやって勝つか」に照準が当てられる。亜豆の芝居がすごく良かった、というのは漫画だけでは伝わりきらないので、台詞の暗記ネタでバックアップした感じかな。
しかしこの一件があってもなくても、亜豆は業界にともだちいなそうだな…。

アニメ化決定、さらに亜豆のヒロイン決定と順調に目標を達成していくふたり。アニメ放送開始前に連載が終了することを服部に告げられた編集長はその計画を却下し、せめて放送途中までは連載を続けるように言うけれど、亜城木夢叶も服部も意見を曲げない。服部は編集生命をかけ、二人は新妻エイジを抜く作品を作ると約束し、かれらは最高の終わりを作ることで予定通りの最終回を描くことを許可される。
エイジの「CROW」最終回までの道のりを思えば、比較的簡単に許可がおりたほうだと思う。しかしその反面、ここまでしなければ作者が作品を終わらせることができないのか、とも思う。人気がなければ強引に終わらせ、人気があれば強引に続けさせる。そのループを断ち切るには、編集者が解雇を賭け、作家がこれまでにないような結果を出すと覚悟するくらいのことが必要なのだ。
会社と作者なら作者の側に立つべきだという服部の熱意は素晴らしいけれど、この追い詰められた末の決意はそう何度も出てくるものではない。これから先も続くであろう編集人生の中で、何度もクビをかけて戦うとも思えない。「REVERSI」がそこまでさせた作品なのだと思わせてくれる反面、そうでない多くの作品は満足のいくラストを迎えられないのだということを物語っている。ストーリー物は完結してこそ完成すると思うので、このシステムは異常だし、作品を殺しかねないと思う。というか今までにどれだけの作品が殺されているか、というね…。
ともあれ「REVERSI」は最高の状態でエンドマークをつけることに成功した。ランキングでも売上でもエイジを越え、かれらはジャンプで一番の漫画家、になった。
かつてエイジがジャンプで一番だったように、亜城木夢叶の「一番」もおそらく簡単に抜かれてしまうだろう。エイジなのか、それとも他の誰かなのか。抜きつ抜かれつを繰り返しながら、かれらは長いまんが道を進んでいく。

「REVERSI」初回放送が終わったらプロポーズに行く、というサイコー。かつて亜豆の母親に恋をし、いつかプロポーズに行くときのプランを描いていた川口たろうのノートを参考に、かれはセッティングをする。フェラーリでスーツでプロポーズ。
引っ張って引っ張ってようやく言えたプロポーズを受けた亜豆が、自分からキスをしてめでたしめでたし。えええここで終わるの!と叫びたくなるぶつ切りエンドだったけれど、この余韻のなさがいいのかもしれない…いや…どうだろう…もうちょっと他にあったのではないかと思ってしまった。

サイコーが香耶に、亜城木夢叶というペンネームを付けてもらったことを感謝したシ−ンが好き。基本的には強引なくらいに積極的な香耶だけれど、自分の名前を入れないところに彼女の遠慮が出ている。岩瀬のもとにシュージンを送り出したりもしていたし、香耶ちゃん良妻。結婚して高木姓になったことで、香耶も亜城「木」夢叶の一員になれたと思っているんだけどどうかな。
「バクマン。」完結。エイジとの対決やプロポーズのくだりの展開の速さに疑問を覚えるところもあれど、面白かった。ジャンプに掲載されながらジャンプのシステムを、問題点を含めて描くという手法の新しさだけで終わらないキャラクターとドラマがたくさんあった。
個人的に「バクマン。」の新しさのひとつに、中井さんがクズだった、という点が挙げられると思う。中井さんは容姿が良くなくて、気が弱くて、モテなくて、努力の甲斐あって実力はあるけれど結果にはまだ結びついていない、どの時代の漫画にもいるキャラクターだ。あるときは格好良い男にふられて傷ついている女を、自分の気持ちを押し殺して励ましてくれたり応援してくれたりする。あるときはとても可愛いヒロインにその優しさを気づかれ、かれのよさを知る男友達たちの声援を受けて幸せを手にする。
けれど中井さんは違う。中井さんは生活サイクルと強欲さと怠惰ゆえに容姿の改善どころか肥満の一路をたどり、人への嫉妬を募らせ、自分より立場が下の人間の前でだけ偉そうにふるまい、小さな権力をなんとか行使しておいしい目を見ようとする。勿論かれなりに思いやりも必死さもあるし、若者にどんどん抜かれていく環境で卑屈になっていくのも分かる。敢えて描かれなかった人間のそういう下衆な部分、負のループが地味に描かれていて面白かった。出てくるたび太ってる!とか、どんどん図々しくなってる!とか。応援したい気持ちが微塵も起こらなくて面白かった。蒼樹さんは容姿も若さも実力も立場も人間性も行動力も中井さんより上の平丸を選ぶ。当たり前だ。
おもしろかったー!
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 11:49 | - | - |

Charaバースデーフェア2012 Charaコミックス 描き下ろし番外編小冊子(A)

Charaコミックスの毎年恒例夏フェア、対象オビのついた既刊コミックスを購入すると貰える描き下ろし小冊子。コミックスは今年は四作品掲載された小冊子が三種類。そのうちの一つ、小冊子Aがこれ。

「憂鬱な朝」は4ページ。写真にまつわる暁人と桂木それぞれの話。本編が現在進行形でどシリアスなので、こういう短編、特に他の作品の読者も目にする媒体・今後(フェアが終了したのちに)作品を知る人を含めたファンが見落とす可能性のある媒体での短編は、過去の微笑ましいエピソードや、現在の二人が直接交わらないかたちのものにならざるを得ないんだろうと思う。
実際のところ、離れ離れになっていた二人の間にこんな穏やかな時間があったのかはさておき、暁人の桂木への好意が不憫で面白かった。そんなに好きか…。

***

というかことしのChara、ことしのフェアの目玉は文庫の全サに「毎日晴天!」が掲載されることだよ…!!!!フェアを意識せず買った新刊のオビを見て椅子から落ちるかと思った。
最近の菅野さんはTwitterやブログは頻繁に更新されているし、エッセイの新刊や過去作品の復刊も多い。復刊された「HARD LUCK」のあとがきでは、止まったままの物語が動き出すということも書かれていて嬉しい反面、新作BLは、というか晴天の続きはどうなっているのかとも思っていた。
本人のブログを読むと手放しで喜べるようなテンションには到底なれないんだけれど(拍手の量がこの日だけ異常)、それでもやっぱり楽しみ。これをきっかけに本編というか長編が再び読めるといいな、という期待もあります。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 10:58 | - | - |

エジプト考古学博物館所蔵 ツタンカーメン展 黄金の秘宝と少年王の真実


大阪天保山特設ギャラリーで開催されているツタンカーメン展、期間が7/16までに延長されたので、滑り込みで見てきた。
開催直後は150分待ちとかの噂も聞いていたんだけれど、三連休初日のこの日は12時に着いた時点で3分待ち。許容範囲というか想像していたよりかなり短くて驚いた。30分も、少しずつ移動しながらの30分なので、それほど長くは感じなかった。

土日祝は入場料300円アップで2800円。なかなかいいお値段。

入場時に撮影飲食など禁止事項の説明を受けて、3分ほどの映像が流れるスクリーンのある部屋へ。さすがにスタッフもみんな慣れたもので、流暢で明快。
みんなの情熱や努力の甲斐あって、王家の谷で見つかった遺跡だよ、という趣旨の説明。この映像が必要かどうかは微妙なところ。
そのあとはテーマ別に6つのステージに別れた122展の展示。

この時代については殆ど知識がなくて、太陽神信仰だということとツタンカーメンのことも若くして死んだ王様、くらいの認識しかない。音声ガイドを聞かないから理解がないままなのだが、調度品や進物を誰が作って貢いだのか・誰が作らせたのか・どういう理由で作られたのか、ということが分からなかった。奴隷?臣下?職人?
分かってて示されてないのか、わかっていないのか。まあともあれ展示物は美しかった。

細部まで彫り物が施されている厨子や、内側と外側で違う絵柄が彫られているサトアメン王女の椅子などは、色合いもあるのか、日本のお寺にもありそう。3500年前のものがこれだけきれいな状態で残っている・見られるってすごい。
祭祀で使われたと考えられている祭具が紹介されたあと、そのモチーフが彫られたものがあったりして面白い。小さな飾りにも、色々な意味がこめられていて、解説と照合するのもひと苦労。青が鮮やかだったり、金色が美しかったり。中でも有翼スカラベ付胸飾りはすごかった。中央にあるスカラベが、隕石が落ちてきて出来た石で出来ているというのもドラマティック。
ツタンカーメンに限らず、多くの像は眉毛とアイラインをはめこんでいるのに驚いた。眼の周りにラインを描いているのではなく、溝を掘って他の素材をはめ込んでいる。なので眉毛がない(溝だけが残っている)ものもあった。このアイラインにはシンパシーを感じるぜ…。

ツタンカーメンの椅子が展示されていたんだけれど、全体のサイズも椅子の前に置かれた足置き台も小さくて明らかに子供用で、9歳で即位したということを実感した。一緒に胎児のミイラが二体埋葬されていた、というのがなかなか衝撃的。死産だったか、早産で即死したかと言われている二人の子供。婚約者が姉だったことなども含めて、色々考えてしまう。
広告のメインになっている黄金のカノポスを始めとして、内臓をしまっておくカノポスがいくつもある。子供のカノポスやミイラマスクは切ないなあ。
ウィーンのシュテファンズドームの地下ツアーでハプスブルク家代々の内臓をおさめた壷を見たけれど、エジプトも高貴な人の内臓を分けて保管するのね。信仰が全く違うだろうに面白い。

チュウヤの人型棺もすごかった。2メートルくらいの黄金の棺は、外は勿論内部にまで細かな細工がされている。一部欠けてはいるけれど、とてもきれいな状態で残っている。これを最初に見つけたときはびっくりしただろうなあ…ぐるっと回って見学。

ステージの途中や最後に発掘状況の写真や今後の発掘への展望などが語られたパネルがある。呪いがどうの、という話もよく聞くけれど、新しい発見があるといいな。

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あとグッズがひたすらバカでいい。
ツタンカーメンメン(麺)というしお・しょうゆ・みそ味のラーメン、ツタンカーメンメン(面)というお面、黄金のラスク(マスク)など、関西ノリ丸出し…。次に開催される上野でどれくらい受け入れられるんだろう。お風呂に浮かべるアヒルがツタンカーメンのコスプレしているおもちゃとかもあった。
あと展示物を使ったネタポストカードなどがあり、お気に入りはこれ。


トリが焼き鳥食べようとしてる…共食いを伴う飲みニケーションを通じて社会の厳しさを示しているのか…ピヨピヨ。
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posted by: mngn1012 | 日常 | 13:07 | - | - |