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志水ゆき「是-ZE- かみのほん」

志水ゆき「是-ZE- かみのほん」

一部店舗限定の購入特典ペーパー、購入者対象の全員応募サービスペーパー、サイン会での配布ペーパーや他の本に収録されていた掌編など、コミックス「是-ZE-」全11巻に収録されていない漫画を一挙にまとめた本。「かみのほん」っていうタイトルが凄く上手い。ペーパー=紙の本だし、紙様たちの本だし。

とはいえ全てが収録されているわけでもない。11巻の応募者特典ペーパーは勿論収録されていないし、この「かみのほん」に購入者特典ペーパーが付いたり、画集「いろのほん」にもペーパーが封入されていたので、網羅することは不可能だ。
ただ、ここに掲載されているペーパーが高額で転売されていることを思えば、きちんと利益が作者に還元されるシステムを使って再び世に出たことは良かったと思う。読んだことあるものと初めて読むものがある身としては、巻末の描き下ろしコミックは嬉しいけれど、全てのペーパーを持っていたらこの短い漫画一本のためにコミックスを買わねばならない、という矛盾もある。この手の問題はいつだって解決しないし、最初の状況が異なる以上すべてのひとが納得できる最善策は存在しないけれど、こういう本が出るのは「是-ZE-」が多くのひとに愛されて求められた作品だからに違いない。BL漫画にしては珍しく巻数の多い作品なのでその分ペーパーも多かったということも理由に挙げられるが、それを差し引いても、やっぱり「是-ZE-」は幸せな作品なのだ、と思う。

作品は「中の巻」と「外の巻」に分かれる。中は紺、琴葉、阿沙利。外が氷見と守夜。初陽とか真鉄は殆どいない。この中外は和記の家を基準としたものなのかな。寧ろ三刀さんちの中と外、か。
人気に順じているのか、玄間と氷見、守夜と隆成の話が多いこと多いこと。しかもこの二組は関わりがあるので、大体セットで出てくる。隆成が氷見を褒めてあとで二組ともおしおき、更に玄間に酔い潰される隆成、のパターン。もうわかった!氷見が人気なのは十分わかったから!と言いたくなる氷見特集っぷりだった。表紙もこの二人だし。

阿沙利と彰伊がかつて交わした約束をお互いに覚えている「永遠の約束」が好き。現在の段階ではちょうど同世代くらいに見えるし、彰伊に貫禄があるというか若さがないので忘れそうになるけれど、実際はものすごい年差のある年下攻なのであった。まだ若い彰伊を翻弄しながら自分好みに教育する阿沙利ちゃんマジ源氏物語。そうしたら思ったよりも遥かに情がうつって、思ったよりも遥かに惚れられたわけだが、めでたしめでたしなのでいい。阿沙利と彰伊の、物凄く両思いなのに一見それっぽくないところがいい。阿沙利の憎まれ口と、彰伊の余裕のなさがいつまでたっても二人の関係にどこか距離をつくる。その一筋縄じゃいかなさが阿沙利なんだろうなあ。この二人が!好き!

しかし守夜と隆成編が実写映画化には驚いた。年齢的にも問題ないし、ファンタジー要素が他のキャラに比べてかなり薄いので、実写にしやすい二人なんだろうけれども。慄きつつも詳細を待つ。実写化は最近見ていないけれど、玉石混合だということは学んだので、これも蓋を開けてみないと分からない。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 20:41 | - | - |

梶本レイカ「高3限定」1

梶本レイカ「高3限定」1
全寮制の男子校に通う小野は、現国教師・イケダが毎年三年生から一人の生徒を選んで愛人にしているという噂を聞き、その「高3限定」の愛人に立候補する。

「ミ・ディアブロ」でもキャラクターが心身ともに酷い目にあう描写が多かった作者だが、この話はその比ではないくらいに暴力的で、残酷で、得体の知れない不気味さや薄気味悪さが漂う物語だ。

小野はイケダに恋をしていた。いつもどこかに傷を作っている、痩せっぽちのイケダに、やけにひょうきんなイケダに、一方的な感情を抱き続けてきた。だからこそ、「高3限定」の噂にかれは飛びついた。
そして晴れてイケダの「高3限定」の愛人になったかれは、服の下のイケダの姿と、かれの抱える闇に向き合うことになる。
とにかくイケダの姿、イケダと小野のセックスのすべてがグロテスクだ。背中に大きく残るアイロンのかたちの火傷にはじまり、歯は総入歯で目は義眼、股関節も悪く、それ以外の細かい傷も相俟って、かれはつぎはぎだらけの痩せっぽちのフランケンシュタインのようだ。そんなかれの姿を知っても小野はかれを溺愛し、神格化し、かれを抱く。小野にとってイケダはどれほど穢されてもなお美しい、愛すべき存在なのだ。

小野はイケダを盲信的に愛しているけれど、イケダは決して気持ちを返してくれない。イケダにしてみれば自分は、毎年変わる「高3限定」の一人でしかないことを小野は痛感している。その上で、イケダからも愛されたいと願う。
小野はいつもにこにこしている、上背のある、至極普通の高校生だ。少なくとも、最初は、そう見える。しかしかれもまた酷く歪んだものを内側に抱えていることが次第に明らかになる。寧ろ、かれの中で蠢いているその闇がなければ、小野はイケダに惹かれはしなかっただろう。
実際それが正しいかどうかは別として、小野は自分を家族の中で不要の存在・邪魔な存在だと認識していた。両親に愛されるために優良な子供であろうとしたかれだが、その結果も空しく、両親は全寮制の学校に進学するようにかれに薦めた。それが、仕事に忙しい二人の厄介払いだったのか、本当に息子の事を思った上での選択だったのかは分からない。
けれど小野はその推薦を、自分への不要通知だと思ってしまった。優良なよくできた少年で在ったことが、かえって両親からかれを独立させてしまったとも考えられる。手がかからない子になればそばに置いてもらえるだろうと考えた小野と、手がかからないならそばで見ていなくても大丈夫だと考えた両親。求める愛を得られなかった小野の渇きはつよく、イケダを愛することとイケダに愛されることで埋め合わせをしようとかれは考えている。しかし前者は叶ったけれど、後者は叶わない。その苛立ちがときに小野を暴力に走らせるが、イケダにしてみれば小野の暴力もセックスも大差ないようにみえる。
徐々に小野の笑顔が怖くなる。表情自体は最初と同じなのだが、かれが内に秘める狂気を知るたびに、その笑顔が恐ろしく見える。狂っている。イケダの能天気に見える笑顔もまた、喜怒哀楽のスイッチが狂ってしまった壊れたおもちゃのように見えて仕方がない。

普通の男子校、普通のクラスメイトや教師たち。その中でイケダと小野だけが狂っていたのか、それともイケダという存在が小野を狂わせたのか。誰しも持っているコンプレックスや闇を、イケダが駆り立てるのか。どちらにせよ二人はもう狂っている。

逃げようとするイケダ、美容整形に関わる両親の仕事を見ていた小野、代々受け継がれるSMビデオ、狂ったような行動をとり続ける犬、「高3限定」の噂。かれらに触発されたのか、それとも最初からそうだったのか、世界も狂い始めているように見える。正しいもの、美しいものなどどこにもないように思えてくる。読み進めるうちに空気が薄くなっていくようで、苦しくて目を伏せたくなる。

まだ物語は途中なので、彼らに何が起こったのかは分からない。しかし巻末に収録されている「親友トミーの証言」を読むと、何か大きな事件が起きたのだということだけは分かる。小野の親友であったトミーが抽象的に、言葉を濁しながら第三者に語る言葉からでも、二人が平穏に幸福に生きているわけではないこと、が痛いほどに伝わってくる。
それよりも衝撃的だったのは、トミーが語るイケダ像と小野の目を通して語られるイケダの姿に大分と差があることだ。トミーという、イケダに愛情を抱いているわけではない男子高校生から見たイケダは、非常に気味の悪い、ひどい外見をしていたようだ。普通ならば恋は盲目、と笑って片付けることのできる事実だが、イケダと小野になるとそうもいかない。えもいわれぬ怖さがある。

きっと読んだ人の多くが思うだろうが、非常に人に薦めにくい本である。グロや残酷な描写に特に抵抗のない(べつに取り立てて好きなわけでもない)わたし自身でも、一気読みできなくて一端本を閉じたくらいだ。けれど不思議なほどに、2巻を楽しみに待ってしまう。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 20:10 | - | - |

凪良ゆう「もったいない!」

凪良ゆう「もったいない!」
生活能力が乏しい両親と姉に囲まれている大学生の日向は、常に細かい節約を心がける毎日を送っている。騙されて多額の借金を負った父は、肩替りしてもらう代わりに姉と幼馴染みの圭吾の婚約を決める。しかし姉が駆け落ちをしてしまったため、日向は圭吾の家政夫となることを決意する。

角川ルビーらしいドタバタラブコメだった。
家族仲はとてもいい。しかし画家の父の収入はムラがあり、更に芸術家肌なのであまり気にしていない。母と姉はふわふわした性格で、悲観的になることもなくにこにこと生きている。お互いに思いあう人間関係は良好この上ないが、生活をしていくにはそれだけでは足りない。ゆえに、こまかい節電を徹底し、副業になりそうな父の仕事を組み込むのは、しっかりものの日向の仕事だった。
そんな地に足のついていない父は、友人と呼ぶのもはばかられるような元クラスメイトの自己破産にまきこまれて多額の借金を負ってしまう。その金は、会社社長である父の友人に一端肩替りして払ってもらったために借金取りが家に押しかけてくるようなことにはならないが、借金があることには変わりない。
その借金を帳消しにする条件を、社長である友人は提示する。かれの息子であり、日向と姉が幼いころ一緒に遊んだ圭吾と、姉・成子の婚約だ。おっとりした美人の成子を、圭吾の父は是非息子の妻に、と希望した。自己主張の弱い姉は圭吾を「素敵」と言っていたので、いつもの様子からして特に不満もないだろう、と皆が解釈した。しかしそれは誤解だった。恋人がいたらしい姉は、意図しない男を結婚させられることに焦り、書きおきを残して駆け落ちした。
そうなるともはや手の尽くしようがない。ドラマなら身代わりで息子を差し出すこともできるけど…などと、フラグを温厚な口調で母親がへし折ってしまったので、姉の振りをすることもできない。いくらしばらく会っていなくても、姉と弟を間違えるわけがないのだ。仕方がないから地味に借金を返すという父の言葉に、日向は立ちあがった。

圭吾は日向の初恋の相手だった。最初は単なる仲良しの幼馴染みだった圭吾が、男とキスしているところを見てしまったことをきっかけに、日向は自分が圭吾に恋をしていると気づいてしまったのだ。
久々に会った圭吾は相変わらず容姿端麗頭脳明晰で、友人からの信頼も厚く、将来を見据えてボランティアサークルの活動を熱心にこなしている、あだ名の通り「王子」な男だった。
日向は圭吾に事情を打ち明け、その上でかれの父親に黙っていて欲しいと頼む。姉の代わりに自分が恋人になるという提案は冗談として流されてしまったけれど、せめて、独り暮らしをしている圭吾の世話をさせてほしいと必死に懇願する。そこにあるのは圭吾への罪悪感ではなく、両親が旅行に出かけている間、圭吾の家に寝泊まりすることで経費を削減しようという狙いと、自分に恋をさせることで借金をチャラにしてもらおうという狙いがあった。
ひとまず期間限定の同居を許可した圭吾だが、次第にかれの化けの皮が剥がれてくる。掃除は嫌い、野菜は嫌い、節約などは考えたこともなく、だらしなくて性格が悪い。王子からはかけ離れたその正体に日向は驚き、長年の恋が冷めるのを実感する。
母親の家庭菜園はおろか、道に生えている草を料理して夕食に出す日向。とにかく肉さえ食べられればいい圭吾。勝手に家中の色々なものを節約モードに切り替える日向と、貧乏くさい真似をするなと怒る圭吾。相容れない二人の口論は生活感に満ちていて面白い。

日向の恋は、圭吾の本性を知って終わったはずだった。口が滑って本人にも昔好きだったことを知られてしまったが、それも含めて終わった恋だった。今は単に幼馴染みとして、理解者として、一緒に暮らしている。そのはずだった。
しかし圭吾の秘密を知るたび、日向の胸は苦しくなる。父親に許されなかった子供向けの漫画ばかり読む圭吾。かぶり物をして、メンバーにも自分のプロフィールを明かさずにハードコアバンドをしている圭吾。そういう、イメージと違う自分にコンプレックスを抱いている圭吾。病死した母親の望む自分になれなかった「期待はずれ」の自分を嘲笑する圭吾に、「今の圭ちゃんも好きだよ」と日向は告げた。それは恋愛の意味ではなかったし、圭吾もそういう意味で解釈しなかった。けれどそれを機に、圭吾は日向に触れてくるようになる。日向を甘やかし、日向のために行動するようになる。

王子様の時の圭吾より、口が悪くて生活能力がなくて空回りする、けれど優しい圭吾のことを日向は改めて好きになる。お互いに性格が正反対で、だからこそ埋め合える。王道の本筋に、細かく面白い細部がくっついて楽しく読める一冊。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 13:40 | - | - |

NODA・MAP番外公演「THE BEE」Japanese version@大阪ビジネスパーク円形ホール

共同脚本:野田秀樹 コリン・ティーバン
(原作:筒井康隆「毟りあい」より)
演出:野田秀樹

小古呂の妻/リポーター:宮沢りえ
百百山警部/シェフ/リポーター:池田成志
安直/小古呂/小古呂の息子/リポーター:近藤良平
井戸:野田秀樹

***
大阪ビジネスパーク円形ホールには初めて行った。方向音痴&大阪よくわからないので地図を見てもぴんとこなかったのだが、大阪城ホール、シアターBRAVA!ととても近い。満員で500名弱くらいの席配置になっていたと思う。
しかし野田さんのお芝居が大阪に来るのって結構久々じゃないですか!嬉しい。

Japanese version、JAPAN TOURなどと書かれているのは日本語ではないバージョン、日本以外の場所での公演があったから。NY、ロンドン、香港、東京では英語バージョンが上演された。英語バージョンも見てみたかったなー。

***

戯曲はこれに掲載。以下ネタバレです。
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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 19:05 | - | - |

中村明日美子「ウツボラ」2

中村明日美子「ウツボラ」2

完結巻。
溝呂木の盗作について周囲が動き出す物語の中に過去のシーンが挟まれて、真実が次第に明らかになっていく。しかしその一方で、読むたびに印象や解釈が変わってしまうストーリーに頭が混乱する。

「ウツボラ」が盗作だと確信している矢田部は、本来の著者を編集の辻だと推測していた。しかし辻と腹を割って話すことで、それが誤りだと気づく。本来の著者の正体に興味があるわけでもない矢田部は、ただ溝呂木の行動を不満に思っている。作家としてのプライドとか友人としての怒りとかではなく、もっとぼんやりと、「ウツボラはつまらない」とかれは言う。
一方で辻は、「ウツボラは盗作」だと言う電話を受ける。かれが直接会うことを決めた電話の主は、藤乃朱を名乗る、朱・桜にそっくりな女だった。おそらく溝呂木の前に桜として現れた女性と考えていいだろう。彼女と辻の会話と過去の回想により、溝呂木が盗んだ「ウツボラ」と辻の引き出しに入っている「ウツボラ」の二作が存在するのかが明らかになる。本来の作者が書いた「ウツボラ」を、作者ではない女が編集部に送った。その頃作者は、自分自身でも「ウツボラ」を編集部に応募していた。ひとつを溝呂木が盗んで自分の名前で発表し、もうひとつは新人賞投稿作品の下読みをしていた辻が目を付け、いずれ作者に会おうと自分のものにした。ゆえに「ウツボラ」は辻以外の編集者の目にふれることがなく、溝呂木の盗作は気づかれなかった。
作者=朱が溝呂木の熱狂的なファンで、かれの作品や文体に影響を受けていたということも背中を押した。だから「ウツボラ」は、往年の溝呂木を彷彿させるような作品、として歓迎されたのだ。

朱のマンションで溝呂木は桜と寝る。しかし溝呂木の肉体的な事情により、挿入は為されない。そういう自分の肉体についてかれは「男と言うのもおこがましい」と自嘲する。年齢や心境や相手に左右されるものではないのだろう。かれは若いころからずっと不能のままだ。
挿入を伴わない行為を溝呂木と繰り返しながら、桜は辻を誘惑する。さも、溝呂木と寝ているような口ぶりで辻と寝た彼女は、早々にホテルの部屋を出る。彼女が去ったあと、辻はその女が処女だったと知る。
辻は桜から受け取った「ウツボラ」の次回作と、溝呂木が提出してきた次回作が同じものであったこと、その真実を伝えた編集長が握りつぶしたこと、担当作家の女に執拗に好かれて枕仕事をさせられていることなどのストレスで仕事を辞めてしまう。溝呂木の作品が好きだったかれは、溝呂木の作家としてのプライドのなさ、のみならず業界全体の腐敗に心を折られたのだろう。秘密の隠匿と引き換えにコヨミを一晩貸すよう溝呂木に提案した時のかれは、その腐敗に染まっていた。けれど結局かれはコヨミの嫌がるようなことはしなかった。できなかった。そして、去った。
本当に哀れなのは、好意を抱いている溝呂木に利用されようとしたコヨミでも、それほどまでに追い詰められていた辻でもない。「ウツボラ」のために、可愛い姪を手放すことも辞さない、彼女を利用することも躊躇わない溝呂木だ。というかこの段階で既に、溝呂木は理性を手離しているようにみえる。名誉のためにコヨミを天秤にかけて捨てたというような利己的な判断、卑怯で悪辣な選択が出来たようには見えない。幾重にも重なる焦燥感に追いやられて、そのまま悪魔の甘言に惑わされたような印象だ。かれはもう狂っている。

二人組の刑事は自分のマンションに戻ってきた桜を突き止め、偽りのプロフィールを告げたことを咎めたあと、藤乃朱のものとされる遺骨を届けにきた。遺体の身元確認も確証がとれておらず、双子の妹を名乗る桜のあらゆるプロフィールが偽りだと分かっている状態で遺骨を渡してしまっていいのだろうか。最初、中身が空っぽとかで、桜に話をするために用意した小道具なのかと思ったのだけれど、どうも本当の遺骨のようだった。
ともあれ遺骨を渡した後、刑事は言う。なぜ秋山富士子名義のマンションに三木桜がかえってくるのか、と。桜は「友人です」と言って扉を閉めるが、刑事は桜=富士子だと確信する。そして部屋には溝呂木の切り抜きで埋められた壁。
刑事の調査から色々なことが明らかになる。顔のない死体は会社の金を横領した元OLで、藤乃朱の小説を勝手に投稿し、パーティで朱を自称して溝呂木と出会った女だ。彼女は美容整形クリニックに秋山富士子を紹介している。そしてクリニックで顔を変えた秋山富士子こそ、溝呂木の熱狂的なファンで、かれに影響を受けて「ウツボラ」を書いたほんものの藤乃朱だ。彼女は自称三木桜である。
残る謎は何故元OLが死を選んだのか、ということだ。
その謎を追ううち、一度は明らかになったはずの、一度は確信を持っていたはずのこの構図が崩れていく。わたしの読解力の問題かもしれないが、読んでいて頭がこんがらがっていく。

溝呂木は桜が秋山富士子であること、名前は知らないけれど、藤乃朱という名前でファンレターを送り続けた「ウツボラ」の著者であると見抜く。そして目の前にいる桜はそれを肯定した。刑事の読み通り、桜=富士子だった。
しかし、死んだ女は生きている女に対して、「本当に欲しかったもの」が「あなたのおかげ」で「分かった」と言った。溝呂木の作品とかれ自身を愛しており、愛されたかった彼女はそれが無理だと分かってしまった。溝呂木が愛しているのは自分の作品だけだから。ならばかれの作品になればいい、と彼女は気づく。死んで「永遠」となり、「私のこと」を書いてもらえばいいのだ、と。
その言葉のあと携帯電話の電話帳を消去するくだりがあるので、これは「顔のない死体」となった女の最期の言葉だ。けれど、この溝呂木への執着、溝呂木への愛ゆえの自殺をするのはかれの熱狂的なファンであった藤乃朱=秋山富士子であるべきだ、と思う。富士子はあの部屋の壁や手紙の量から納得ができるミザリーっぷりなので、そういう行動に出てもおかしくない。しかしそうなると、顔のない死体=秋山富士子になってしまう。今生きている桜が横領した元OLになってしまう。

桜はかつて飛び降りた同じ顔の女と同じ方法で自殺を選ぶが、安全装置によって生き残る。入院先の病院を抜け出した桜は、遺骨を持って行方をくらました溝呂木と再会する。そして溝呂木は自分の力で「ウツボラ」を再考し、書きあげたあと桜に言う。「君は『ウツボラ』の作者じゃない」と。桜は富士子ではなく、やはり元OLだった。溝呂木への愛ゆえに死んだ女が富士子=朱だった。
そして翌朝溝呂木は矢田部に遺書を送りつけたあと、ひとり入水自殺する。

朱の死の理由は本編で語られている通り明確だ。失敗に終わった桜の自殺は、朱の思いに引きずられ、彼女の振りをしているうちに同化したのだろうか。溝呂木の中にはずっと自分の生への不安があった。幼いころの事故が原因なのか、それとももっと以前からの機能の問題なのか、「次へとつなぐことのできない」肉体であることのコンプレックスがかれを苛み続けていた。小説も書けなくなり、もはやかれは何かを生み出すことがあらゆる意味でできなくなった。そういう中で生きること、はかれにとって苦痛でしかなかった。
その心情を、のちに矢田部はコヨミに語る。「書けない作家は作家じゃない」「書けない作家は死人と同じだ」と。作家溝呂木ではなく「おじさま」としての溝呂木を慕っていたコヨミは理解できないと憤るけれど、たぶん矢田部の語った言葉は、かつて溝呂木が自分に何度となく言い続けた罵声なのだろう。
このくだりがどうしても、一時期作家業を休養していた明日美子さんとかぶってしまう。「書けない作家は死人」だと思っていたのだろうか。そうだとすれば悲しいけれど、そのあとのコヨミの言葉で救われる。作家ではない部分の溝呂木と接した中で楽しかった日常の思い出をたくさん持っているコヨミは、それを挙げて、「おじさまがいてくれたらそれで」良かったのだと泣く。その言葉は溝呂木には届かなかったし、届いたところで響いたかどうかは怪しいけれど、そう思っている人間もいるのだ。

ラストシーンが印象的。溝呂木の墓参りを終えて道を行くコヨミは、一人の女性とすれ違う。黒くて長い髪をした、印象的な顔の、喪服の妊婦。身ごもっている桜のお腹の子の父親は、彼女の処女を奪った辻か、それとも死の前日彼女と抱き合った溝呂木か。
溝呂木と桜の最後の夜については一切の具体的な記述がないので、全くの推測でしかないのだけれど、せめて溝呂木の子であってほしいという希望が残る。

双子モノ入れ替わりモノってどうにも理解力が及ばなくてこんがらがってしまうので、「ウツボラ」も怪しいものである。理解できたかはさておき、面白かった…!
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 14:41 | - | - |

秀良子「彼のバラ色の人生」

秀良子「彼のバラ色の人生」

「リンゴに蜂蜜」<感想>で付き合うまでの過程と、そのあとの短いストーリーが描かれたコマノと夏樹の続編。
一言で言うならば、コマノとの関係に勝手にあらゆる不安を抱いて燻っている夏樹の話、である。夏樹のコンプレックス、トラウマ、不安は根が深い。かれの中にずっとあるそれらを刺激する最大の問題が、コマノがノンケであることだ。物心ついたときからゲイだった自分と違って、コマノはこれまで女と付き合ってきたノンケだ。これまでゲイであることやそれっぽく見えることをからかわれ続けてきた夏樹にとって、ゲイではない人間にゲイだと知られることは怖い。それがたとえ自分と付き合っている相手であっても、だ。
その不安に、コマノのしれっとした立ち居振る舞いや軽そうなノリが重なる。たくさんの男女と行動しながら、へらへら笑っているコマノは夏樹とは違う世界の住人、「宇宙人」だ。おそらくコマノとその友人たちのノリが、夏樹をからかい馬鹿にしていた連中のノリと重なるのだろう。かれらが決して悪い人間ではないと分かっていても、対人のスタンスが違いすぎて夏樹は物怖じしてしまう。
つまりコマノのなにもかもが、夏樹を不安にさせる。

なにもコマノばかりが悪いわけではない。かれは確かにへらへらしているし、自分がゲイであることを罪のように感じてひた隠ししている夏樹の心情など微塵も察することなく校舎の物陰でキスをしてくるような男だけれど、決して不実なわけではない。
信用されないコマノに原因があるのなら、信用できない夏樹にも原因はあるのだ。夏樹は最初から、コマノの言葉を信じていない。コマノが軽くて適当なやつだと思っているので(それはある意味で事実ではあるのだが)、かれの雑談も疑ってかかる。コマノの部屋で映画のDVDを見ているとき、かれはこの映画の監督が好きだ、と言った。そんななんでもない会話すら、夏樹は嘘だと思ってしまう。その会話のあとにコマノが夏樹を押し倒したというのもあるだろうが、夏樹の中にコマノは信用できない、という前提がありすぎる。
のみならず、コマノの言葉を夏樹は悪いほうにばかり解釈する。卑屈になって接触に怯える夏樹を抱きしめたコマノが言った「ふつーじゃん」という感想は、夏樹におかしなところや変わったところなどない、という肯定だった。けれど夏樹にしてみれば、男に相手にしてもらえない普通の男の体、という意味になる。コマノの言葉は足りないし、夏樹の解釈は自虐すぎる。なんという鬱屈としたひとりよがりで面倒くさい、愛すべき受!

結局夏樹の中に「自分が幸せになれると思えない」という気持ちがある以上、すれ違うし食い違う。普通なら既にキレて怒鳴り散らしてもおかしくないような夏樹の卑屈さを、しかしコマノは怒らない。呆れてもいない。誠心誠意受け止めている感じもない代わりに、きちんと夏樹と話して関係を進めようとしている。適当だけど押さえるところは押さえる年下飄々攻ばんざい。

夏樹の考え方はすぐには治らない。長年にわたってかれを苛んできた過去と、それによるトラウマの傷は簡単に癒えるものではないし、元々の性格の所為もあるだろう。勝手に暴走して身を引こうとしてみたり、コマノの友人にびくついてみたり、当日に映画に誘ったコマノに先約があって気が滅入ったり、コマノの携帯電話の通知を見て落ち込んだりする。

後半に収録されている「おいしいカレーの作り方」が印象的。夏樹が気になったコマノは「カレー部」という架空のサークルを立ち上げて、それに夏樹を誘った。夏樹が偶然カレーを食べていたというだけの理由で作られた、話すためのきっかけだった。
そして紆余曲折あって付き合い始めて、今。コマノの部屋にいきなり現れたかれの母親のなんでもない雑談に、また夏樹の心は揺れる。夏樹を単なる大学の友人・先輩だと思っている母親の会話に、打ちひしがれて家に帰ってしまう。自分とコマノに向けられた彼女はいるの、なんていうなんでもない会話にも負けてしまうのは、夏樹の中にある傷のかさぶたがはがれてしまうからだ。そしてもうひとつ、コマノの友人が言うように、幸せに慣れていないからだ。幸せが怖くて、不安で、逃げ出してしまいたくなるのだ。

夏樹はひとりでカレーを作るけれど、味見してもしっくりこない。カレーすら作れないこと、に夏樹の気持ちは更に滅入る。夏樹の家に来たコマノはめざとくその鍋を見つける。夏樹が料理したことに驚いて食べてみたいと言うかれに、夏樹は声を荒げて無理だと言う。何回作っても変な味だった、と。
夏樹にとってはカレーを作れないということは、単にカレーが不得手だとか料理が下手だとか言うだけの意味では終わらないのだろう。誰にでもできる料理、簡単で、作り方通りにやれば失敗しない家庭料理。それは夏樹にとって、「普通」「常識」「一般」みたいなもののモチーフだ。カレーが作れない自分がその枠を逸脱しているのではなく、そこからはみ出している自分だからカレーを作れない、と無意識のうちにかれは思っている。だからかれは何回作っても、自分のカレーを変な味だと感じてしまう。
問題はカレーそのものや夏樹の料理の腕前ではない。だからこそ、食べる前から「まずいカレーなんてないでしょ」と言ってくれるコマノと一緒にいると、カレーは美味しく感じられる。根拠があるのかあやしいコマノの言葉が、夏樹を救う。
面倒くさい夏樹をコマノは半分くらい理解して、半分くらい見落としてる。それくらいじゃないと夏樹とは付き合っていけないだろうし、ちょうどいいバランスなんだろう。うじうじしてて凄い面白かった!
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 09:14 | - | - |

中村明日美子「空と原」

中村明日美子「空と原」
卒業した生徒・佐条への失恋を引きずっている原は、久々に行ったゲイクラブで若い男を引っ掛けてホテルに行く。結局途中で頓挫してしまったのだが、その相手は自分の勤める学校の新入生・ソラノだった。

「同級生」「卒業生-冬-」「卒業生-春-」のスピンオフ。佐条と草壁の通う高校の音楽教師であり、かれらの関係に唯一感づいていた男であり、佐条をかなり気に入っていたハラセンの物語。

「同級生」「卒業生」ではあっさりというか、茶化し気味に描かれることが多かったのだけれど、ハラセンは佐条に案外本気だった。自分から言ったにも関わらず、かれらのキスシーンを見て落ち込んでしまう程度には本気で、あの真面目が服を着ているような佐条のことを好きだった。

作中で実際に佐条に確認するところがあるけれど、それを読むまでもなく、かつての佐条が原に惹かれていたことは明らかだった。けれど佐条は自分からそんなことを言えるようなタイプではないし、原にもまた、決して破ることはできない不文律があった。生徒には絶対手を出さない、というものだ。それが原を抑制している間に佐条は草壁に出会い、原への淡い思いを強い恋に変化させる前に、草壁と惹かれあうようになった。
タイミングも含めて恋愛なので、あの時原が先に行動に出ていたら、と考えたところで答えはでない。しかしどちらにせよ、原の中には行動に出なかったためにいつまでも吹っ切れずに燻っている思いが残っている。かれが自分に課したルールさえなければ。

もう自分の「生徒」ではなくなった佐条と会って長引いた思いを振り切る一方で、一人の男の存在が原を動揺させる。ある教師の代理で赴任してきた、かれが学生の時に教師だった有坂という男だ。「卒業生-冬-」に収録された番外編「げに大人というものは」で描かれた、結婚していながら原に恋をしていた、原の前でだけ結婚指輪を外していた、原とキスをしたあとそれを「なかったこと」にするように頼んで学校を休職した、有坂だ。
真面目そうであたりの柔らかい、眼鏡の男。お人よしっぽい、押しに弱そうな男。原がかつて好きだった男は、当時も年を重ねた今も、佐条のようなタイプだ。ゲイを隠して結婚したもののうまく行かず離婚して、好きな相手ともうまくいっていないという有坂の現状を聞いた原の心は揺れる。もう今は教師と生徒ではないし、結婚という一般的な幸せのかたち、を有坂は求めていない。
しかし結果的には、原は有坂がうまくいっていない相手との間を取り持つことになる。前の学校で生徒と恋愛関係になった有坂は、事情を知った生徒の母親に阻止されたことで、一度は諦めようとした。有坂を好きだと言う生徒の言葉を聞かず、それが正しい選択なのだと押しきろうとした。それを制止して、きちんと向き合うように進めたのが原だ。原と有坂の間に何があったのかははっきり描かれないけれど、かれが叫んだ「また彼を捨てるんですか」という言葉がすべてを語っている。ソラノが見抜いた通り、かつて捨てられた「彼」が原だ。自分のセクシャリティにコンプレックスを抱いて素直に振舞えず、ひとの好意を受け取ることも出来ず、その先に幸福があるのだと信じて女性と結婚して子供を持った有坂に原は「捨て」られたのだ。
しかし再会したあとの有坂の態度を見ると、有坂にどれほどの自覚があったのかは怪しい。かれにしてみれば、原はかつて短い間憧れていた生徒、くらいなのだろう。原がゲイだということもよく分かっていないし、原が有坂に思いを抱いたことも知らないままのようだ。ともあれ有坂に本音をぶつけられたこと、何より有坂が幸せになるためにかつて踏み出せなかった方向に一歩踏み出したことが、原の救いになった。かれが一歩踏み出すための後押しにもなったのだと思う。
特に描かれているわけではないけれど、有坂が原が自分に「生徒には絶対手を出さん」というルールを与えたきっかけなのかな。勿論単純に教師という職業に就くもののモラル、人間としてのモラルとして課したという可能性もあるんだけれど、どうもしこりのありそうな言い方をしていたので。

佐条と会うことをセッティングしてくれたのがソラノなら、かれへの思いをようやく過去にできたときに隣にいたのもソラノだった。ソラノが誰にも言えずにいた恋を打ち明けられたのは原だけだし、原がトラウマのように抱え続けていた過去と向き合ったときも、傍にいたのはソラノだ。偶然が必然になって、ふたりは傷みを共有するようになる。傷みをひとりで抱え込みながら、なんでもないことのように振舞うお互いに、かれらは興味を向ける。

関係ないものだと思っていた事件が実は重なっていて、ようやく解決したあと、ソラノは原への気持ちを改めて自覚する。そして「先生のこと好きだ」「二人で幸せになろうよ」と告げる。ソラノのこのテンションがハラセンに必要なものなんだろう、と思った。一見気楽で軽くて適当に聞こえてしまうような告白だけれど、かれがそういう男ではないことはもう原も、読者も分かっている。相手のことを思って自分の気持ちを押し殺したり、嘘をついて安堵させることも辞さない男だ。原が辛い目にあったとき、自分のことのように怒ったり泣いたりするような男だ。
その一方で、「幸せにしてやるよ」「二人で幸せになろうよ」とさらっと言う素直さ、強さを持っている。ハラセンは実のところものすごく常識人で真面目なので、慎重な相手の手を引いて新しい世界へ連れて行くより、自分の手を引いてどんどん進もうとする相手を適度に制止しつつ一緒に行くほうが合ってるんだろうな。あと口が悪いので、繊細なひとに配慮して話すより、何を言っても適当に受け流してくれる相手の方が向いている。辛い恋を重ねていたけれど、ソラノに出会えて良かった。

***
正体を知らずに出会った時を除けば、最後に海辺でキスしただけで、卒業後はご想像にお任せします的展開なんだけれど、これハラセンが受でいいんだよね…?ソラノが先生より長身になりたいと思ってた、みたいなこと言ってたもんね…違うと言われても聞かないけど!リバでもいいよ!年下イケメンオシャレ彼氏に溺愛されて老後まで看取ってもらえばいいとおもいます。逆転ホームラン人生!
というすべてを台無しにする感想。本体表紙にものすごく萌えたので、卒業以降の話も「OPERA」で連載開始した「O.B.」で描かれるといいな。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 01:05 | - | - |

中村明日美子「ウツボラ」1

中村明日美子「ウツボラ」1
ある日、作家である溝呂木のところに藤乃朱から電話がかかってくる。しかし実際に発信しているのは刑事で、用件は損傷して身元確認が出来ない飛び降り死体について。事情を話すために朱の遺体確認に向かった溝呂木は、朱と瓜二つの女性・桜と出会う。

溝呂木が呼ばれたのは、刑事がかれに言ったとおり携帯電話の電話帳にかれの名前があったからだ。しかし刑事は嘘をついていないけれど、本当のこともいわなかった。電話帳には溝呂木と桜、ふたりの電話番号しかなかったのだ。
朱の双子の妹だが、最近彼女と交流を持つようになったばかりなのだと言う桜に声をかけた溝呂木は、故人を偲ぶという名目で彼女と喫茶店に入る。溝呂木は桜が特に悲しんでいる様子・ショックを受けている様子がないことを遠まわしに指摘するが、かれだって同じようなものだ。かれが桜を引き止めたのは朱のことを語りたかったのでも、一人になりたくなかったのでもない。どうしても聞かなければいけないことがあったのだ。桜は何か遺言をのこしていなかったか、メモなどはなかったか。
明日美子さんは発表する作品によって白明日美子・黒明日美子と呼ばれるくらい、明るくさわやかなものから暗いもの・悲惨なものまで幅広く描く作家だ。「ウツボラ」はモロに黒明日美子。細い線で描かれる絵が美しいのは今に始まったことではないが、やせ細った髭の似合う和装の耽美作家や眼鏡の似合う繊細そうな担当作家はとても魅力的。そして何より、切りそろえられた黒髪と大きな眼が美しい朱・桜が印象的。サスペンス向きの絵というか、サスペンスでも活きる絵、だと思う。その同じタッチで学生の淡い恋を描ききる、というのもすごい。さわやかだったりコミカルだったりするタッチだが、一歩ずれると非常に官能的になる。朱・桜のもの言いたげな瞳が官能的なのは勿論、喫茶店で紅茶と一緒に出された砂時計までがなまめかしい。新境地というよりは、もともと持っているものにこういう使い方もあるのだと魅せてきた、という感じ。

溝呂木舜は作家である。経歴は長いが、ここしばらくはコラムなどばかり書いて小説を発表していなかった。そんなかれが最近開始した雑誌連載「ウツボラ」は好評を博している。
編集担当の辻はしかし、そのことを上司から褒められても渋い顔をしている。かれの手元には、「藤乃朱」名義の「ウツボラ」の原稿があるからだ。
職業柄溝呂木の家に行くことも多く、かれを「おじさま」と慕う同居人のコヨミとも顔馴染みの辻は、溝呂木の不在中にかれの家に行くことが可能だ。その立場を利用した辻は、溝呂木の部屋を家捜ししようとする。

溝呂木は桜に誘われ、朱のマンションに行くことになる。それは刑事からの電話で、桜が刑事に名乗ったあらゆるプロフィールが偽装だと聞かされた直後だった。けれどかれはそのことを桜に告げたり、桜の誘いを断ることはしない。それは、かれにとって朱のマンションに行くこと以上に重要な用件はなかったからだ。どうしても、誰にも秘密で、彼女の部屋で探さねばならないものがあった。そういう意味では桜の正体が不明であること・桜も警察に言えない事情を持っているかもしれないことは寧ろありがたかったのかもしれないが、どちらにせよ溝呂木にはそんなことを考える余裕はなかった。
だから、桜が席を立った隙に朱の部屋の家捜しをしているところを見つかった時、溝呂木は絶望したはずだ。秘密がばれてしまう。全てが終わってしまう。しかし桜は溝呂木の秘密を知っていた。知っていて、「ウツボラ」の第二話の原稿を差し出した。

そもそもは辻と初めて出会った時に遡る。出版社の編集部で溝呂木に挨拶したあと、辻はすこし席を離れた。そのときに溝呂木は、出版社に送られてきた未開封の封筒の中から、一つを盗った。
これがイコール「ウツボラ」になるのかは分からない。辻の手元に「ウツボラ」の原稿がある以上、溝呂木が「持ち帰った」「未開封」の作品とは別物なのかもしれない。ともかく、溝呂木の久々の新作小説は、かれの作品ではなかったのだ。
そのことに気づいているのは、「ウツボラ」を持っている辻だけではない。溝呂木の古くからの友人である作家・矢田部は、細かい事情を知らないながらに、「ウツボラ」がかれの作品ではないと察している。誰かの盗作だろう、と。友人としての勘か作家としての勘か、ともあれ気づいているらしいかれは辻に問う。「辻くんは文章を書く人?」と。
矢田部の考察では、ウツボラは辻の作品だということになる。スランプの作家が担当編集に作品を提供してもらったのか、若者が有名作家の名前を使って自己主張しようとしたのか。辻が朱名義の原稿を持っていること、コヨミが漏らしたファンから送られてくる小説の話にやけに食いついたこと、必死に溝呂木の部屋を探していたことからウツボラの作者が辻である、辻=藤乃朱である可能性は低いだろう。
矢田部も人を食った色気のある昭和の男、という感じでいい。

溝呂木が焦っていた理由は明らかになった。かれは遺体の第一候補とされる朱の作品を自分の名前で発表していた。そのことがばれることと、その続きが提供されなくなることに焦っていたのだ。それはかれにとって、朱という女性が死んだかもしれないことよりも深い哀しみを齎すことだった。
朱の事件を聞いて正気でいられないのは、しかし溝呂木だけではなかった。この件を担当する二人の刑事のうちの若い方・海馬は、ともに行動する上司に隠れて動きまわっている。暴走するかれは、溝呂木に新しい情報を齎す。朱の携帯電話の契約者が秋山富士子という、藤乃朱(ふじのあき)によく似た名前の、しかし似ても似つかない女性であること。彼女の行方が現在明らかになっていないこと。
そこから導き出される推測は、顔の潰れた遺体の正体が朱ではなく富士子なのではないか、ということだ。そうすると、朱は生きているという可能性も出てくる。実在しないプロフィールを語って、刑事を出し抜いた桜こそが、朱本人なのではないか、と海馬は考えている。朱が富士子を殺したあと、桜という別人のふりをしているのではないか、という可能性が出てくる。桜とはなにものなのか。そもそも、朱とはなにものなのか。
たとえば知人が瓜二つの双子のふりをしたとき、人はどれくらい気づけるんだろう。物凄く仲の良い相手ならば見抜けるだろう。溝呂木と朱は親密で、秘密を共有していたけれど、何もかもを理解しあっているような関係からは程遠かった。いきなり死んだと聞かされて動揺しているところへ自称双子の妹が現れたら、理性的な判断ができなくなってもおかしくない。損傷した遺体のきれいな部分だけを見せられたり、刑事から事情を聞かれたりすれば、尚更。人間はいい加減なものだなあ、と思う。案外気づかずに、まんまと信じてしまうものなのだろう。本人に向かって彼女の思い出話をするかもしれない。
それと同じように、目の前の人間が本当にその人なのか、ということも疑いだすと分からなくなるだろう。自分の事情を事細かに知っている双子だとしたら、見抜けるだろうか。普段はそんなこと考えないけれど、そういう(擬態している)可能性がある、ということを知らされると不安になるかもしれない。双子ってミステリとかサスペンスとか、あとホラーなんかでもお馴染のモチーフだけれど、明日美子さんの絵で描かれると幻想的。携帯電話がある、とても現代の話なんだけれど、溝呂木や矢田部のキャラクターもあってか、昭和のサスペンス映画みたいな重厚な雰囲気が出ている。

結局海馬の暴走は、部下の動きを察していた上司によって制止される。海馬が事件解決のためではなく、朱(とされる遺体の正体)に三年前に飛び降り自殺をした妹を重ねて混同しているだけなのだというかれの説教によって、かれは平静を取り戻す。
不審な行動に出ていた海馬の本心が明らかになった(かれがシロだと明らかになった)と同時に、事件解決の糸口となりかけていた行動が止まってしまう。それと同時に、いきなり生を止めてしまった人に対する周囲の人間の哀しみが語られる。一人の少女を失ってしまった家族の哀しみと、気づいてやれなかったことへの自責、無念さが語られる。それは本来、事実死んでいるとするならば藤乃朱にも抱かれるべき感傷だ。けれど、電話帳に二人しか登録されていない顔のない女性には、だれも鎮魂や哀悼を向けることをしない。

混乱し動揺する溝呂木に向かって、桜は、桜と名乗る正体不明の女は言う。二人で「ウツボラ」を本にしよう、と。それが朱なのか朱じゃないのか、ならば誰なのか、何も分からないまま、溝呂木はその言葉を受け止める。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 18:10 | - | - |

ミュージカル「エリザベート」17:30公演@帝国劇場 

 
エリザベート:春野寿美礼    
トート:マテ・カマラス
フランツ:岡田浩暉
ゾフィー:寿ひずる
ルドルフ:平方元基
少年ルドルフ:山田瑛瑠

***
この日の終演後にルドルフ役の平方くんの握手会があり、そこにハローキティも登場するとブログに記載されていたのだが、終演予定時刻が20:35なのに対して握手会は21時開始予定ということだったので、参加せずに帰った。対象が誰であれもともと握手会とかは苦手なんだけど、軍服で出てくるかもしれないし、キティも見てみたかったのだが残念。(ブログ見たら軍服じゃなくてコラボTシャツだった)
ちなみに開演前と休憩中に整理券を配っていて、それをもらった人のみが参加できる、とのことでした。

***
連続でソワレ。
さてはてマテトートである。日本語を母語としない、日本語での会話があまりできるわけではないマテ・カマラスによる、日本語のエリザベート。
「エリザベート」作品におけるかれの日本語での歌は、記者会見の時と舞台稽古の時の映像を見て以来だけど、そのときよりもかなり上達している。会見と稽古の間の成長もあったし、その稽古から更に成長しているとおもう。とは言え、ふたりのトートと比べて遜色がないか、と言われるとそんなことはない。どうしたって片言っぽさは抜けない。曲によってもその精度が変わる。比較的序盤に歌われるものはかなりなめらかだが、後半にいくにつれてぎこちなくなる。危ういとか聞き取れない、というようなレベルでは決してないけれど、やっぱり違和感は残る。多分回数を重ねるうちに精度は上がるだろうけれど、9月末に完全に滑らかになっているのかと想像すると、肯定はしにくい。
ただ、「ダンス」「ロンド」のようなそもそも日本語ではない単語や、「エリザベート」のような海外の人名をきちんと日本語のイントネーションで歌っているところは凄く好き。山口さんの方がよっぽど外国語風だよ!
そしてなめらかに歌うことに比べて、なめらかに話すことはその何倍も難しいのだろう。台詞に関してはかなりカタコトだなあ。不幸の始まりにおける「すべて汝の〜」のあたりは、日本人の結婚式でお馴染みの外国人牧師/神父のようだった。台詞も後半よりは前半の方が滑らか。
「MITSUKO」の時や記者会見の時から現時点でここまで上達したのは、ひとえにかれと周囲の人間の努力や、かれの「エリザベート」という作品への理解・愛情によるものだとも思う。ただそういうバックボーンを鑑みてもなお、カタコトである、という評価は覆せないのが現状です。
物凄くパワフルな歌や狂暴な表情はこれまでのトートにはないタイプなので、そのあたりはとても魅力的。ウィーン版が楽しみです。いやこの後もマテトート何回も見る予定なんだけど。

個人で歌うものと比べて、誰かと歌うものはまた印象が違う。「私が踊る時」や「闇が広がる」みたいに対立するというか、主張しあうようなものだと相手の言葉の強さ・クリアさに押されてしまう。ただラストの「私だけに」のように寄り添う内容のものだときれい。
あとラストがお姫様抱っこだった!

どうしても言葉回しが気になって細かい動きや表情にまで意識が向かわなかったんだけど、「悪夢」の指揮が物凄く良かった。べつに台詞・歌がないシーンだからでも、そういう皮肉でもなく、純粋にこれまでの悪夢で一番好きかもしれない。
音楽に合わせてタクト代わりのナイフを振りながら、左右に出ては消えてゆく王族たちの不幸な最期を示す。今までで一番明確に、それらの死もトートが操っているのだ・齎したものなのだ、と分かる指揮だった。王族たちの悲鳴や銃声に合わせて顔を顰めるトートが美しい。エキセントリックで残酷できれい。こんなに沢山表情持ってるのね、と終盤になってようやく気づいた。

「〜泣かないで」の登場は椅子だったのかな、見落としてた。羽根ペンは興味なさそうに弄んでぽいっと捨ててた。
かれに限ったことではないんだけれど、ルドルフの葬儀の時、シシィだけになったのを見計らったように棺から出てくるトートの姿はなかなかシュールである。珍しく自分から声をかけないのは、さすがに空気を読んでいるのだろうか。無言で立ち尽くして気づいてもらえるのを待ってて地味に面白い。

ルドルフ二人目は平方くん。変な言い方をすると非常のまっとうなルドルフだった。歌も芝居もミュージカルしてていい。声にせよ顔立ちにせよしっかりした、芯の強そうなルドルフなんだけど、何も感じないわけではない。国中に渦巻いている憎しみを感じとって心を痛めている。こういう骨太っぽいタイプが崩れるのはいいなートートもさぞかし苛めがいがあったでしょう。ママに縋るところがもうちょっと情けなくてもいいかなと思うけど、表に出せないからこその切なさはある。
マイヤーリンクで髪が乱れるとくせのある前髪が落ちるのでいいね。オールバックだと骨太な感じだけど、前髪がおりると繊細さが見える。銃を渡されたあと、死をすんなり受け入れたような感じがした。あっさりしているとか諦めがいいとかではなく、それを渡されて意図を察知して腑に落ちた、というような印象。
わたしは独立運動のあと名前を名乗るルドルフ・マイヤーリンクのどこで死を決意したか・どの瞬間に死んだか、について何十時間でも考え続けることができると思う。

「夜のボート」で春野さんのマイクがちょっとトラブってた。カテコ、最後二人で出てきたマテと春野さんがステージ前方まで出てきて、前屈みになって両手を前にのばしてからぐいっと持ち上げて拍手を煽ったあと、三本締めをしていた。そのあとはマテが春野さんの手の甲にキスして、客席からヒューヒュー言われてた。
カンパニーたのしそう。

***
終演後、この時間にしか販売されないポスターを買って帰った。色々なところに貼られているものと同じ、かなり大きなサイズのポスターが無地の細長い段ボール箱に入ったものを渡される。袋はない。そんな箱が入るようなバッグなどは持っていないので、傍目には角材のような茶色い箱を持って有楽町を歩く。新幹線の最終までそれほど余裕があるわけではないので小走りしながら、ふと二年前のことを思い出した。二年前も同じように帝劇で17:30からのソワレを見て、終演後にポスター買って小走りしたなあ。まるで成長していない…。
部屋に2010年版のポスターが貼ってあるので並べて貼るんだい!
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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 20:43 | - | - |

ミュージカル「エリザベート」12:30公演@帝国劇場

 
エリザベート:瀬奈じゅん
トート:山口祐一郎
フランツ:岡田浩暉
ゾフィー:寿ひずる
ルドルフ:大野拓朗
少年ルドルフ:鈴木知憲

***
お久しぶりの瀬奈シシィ、印象が変わったというかクリアになった。感情表現がとても豊かで力強い。ちょっとキリッとしすぎ・はきはきしすぎなんじゃ、と突っ込みたくなるところもあるけれど、トータルで見た感想としては2010年よりも良くなっている、と思う。
とりあえず「パパみたいに」がとっても可愛い。天真爛漫でやんちゃでおてんばな少女。フランス語教師とベンチの周りで追いかけっこしているときのはしゃいだ声が凄くすき!きらきらしてる。
あと「家庭教師の目を盗み」の「目を」の仕草が変わってなくて嬉しかった。
バートイシュルのドレスは黄色。ルキーニに抱えられたり、かれの帽子を取って仰いだ挙句適当に放り投げたりする一連の仕草がすごくいいよー!
「あなたが傍にいれば」のネックレスのシーン「とても重い」のところ、瀬奈さんはやっぱり神妙な顔をする。物量だけではないもの、をこの明るいシシィは彼女なりに察している。けれどいきなり舞い降りた恋に浮かれて、小さな不安はすぐに払拭されてしまう。

山口さんも好調だった。ウィーンミュージカルコンサートだと歌っていて窮屈そうなところがあったけれど、この日はそういう感じが一切なかった。「最後のダンス」の「俺だ」のところとか、独立運動のダンスとかの、両手を高く上げて上半身を揺らす動きがかわいいよね山口トートね。天変地異くらい軽く起こしそう。
トートの歌は「私を燃やす愛」が最初になるんだけど、この歌の入りと山口さんの囁くような歌声が非常にマッチしている、ということを山口トートを見るたびに思うのである。
あとシシィを最初に見て恋に落ちたときのハッとした表情が好き。山口トート、べつだん凄く優しい態度を取ってるわけでもないんだけど、シシィへの愛がさほど独善的に見えない。素直になれないのね、不器用なのね、とプラスに解釈してしまう。歌声の所為かしら。ところどころ少女漫画的なにおいがする。
圧倒的なスタッカート!

ドクトルゼーブルガーが正体をあらわして「待っていた」と言うシーン、コートをぶん回して投げるところの大一番っぷりも健在。ちょいちょい裾を翻して去っていくところもいいです。ジャケットプレイ的なサービスマント。マントじゃないけど。

瀬奈シシィは「私だけに」でなかなか笑わない。宮廷生活への不満と怒りを歌い、歌う中で更にその怒りが強まるのだが、自分が出した答えによって治めようとする。自分がやりたいことを挙げて気分を落ち着かせ、そのあとポジティブな昂揚を齎す。そして覚悟を決めて晴れやかな顔になる。

「エリザベート泣かないで」の登場シーン、山口トートはシシィの椅子に座っている。羽根ペンを手慰み程度に持ち上げて、床に投げる。床にきれいに刺さるのはどういうからくりなんだろう。ダーツの矢みたいになってるのかなあ。今回初めて気がついた自分にもおどろきである。

精神病院のシーンは前回の倦んだ感じも良かったなあ。はきはきしていた少女シシィは年月を経て、毅然とした強い皇后になるのだけれど、そこを押し出しすぎて弱さとか脆さが薄まっているような印象。精神病院、夜のボートの会話、「行きましょうスターレイ」あたりの憂いのある低い話し声が好きだったので、あのままのトーンを継続してほしかったかも。
ルドルフの葬儀の泣き崩れっぷりは前回よりパワフルというかより悲壮感が漂っていて好き。ルドルフの葬儀で一人泣いているところにルキーニが現れて写真を撮るシーン、前回「いやあああ」って顔を覆いながら逃げていったのはどちらのシシィだったかな。両方?今回は瀬奈さんも春野さんも無言で逃げてしまう。声あるほうが好きだな。

大野ルドルフ、ママ鏡鼻声じゃなかった。前回のは偶然だったのね。この日は死の舞踏のあと、銃を渡された時に死を覚悟したように見えた。トートの口付けを受ける前に、既に精神が落ち着いていたようだった。独立運動で名前を言うところの、諦めと自暴自棄の漂う表情が結構すき。

春野さんのシシィ凄く好きだけど、瀬奈さんもとても素敵なシシィで、これはもう…大変だぞ…。
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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 12:01 | - | - |