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雁須磨子「かわいいかくれんぼ」

雁須磨子「かわいいかくれんぼ」
ゲイの教師田中は、教え子の牛島が同じクラスの家村に向ける熱い目線が気になっている。どうも世話を焼いてしまう田中に心を許した牛島はかれに懐き、一方で家村と距離を近づけていく。

雁須磨子のBLはかわいい。おぼこくてぎこちなくて焦って空ぶって、とにかく一生懸命恋をしたり恋をされたり、誰かの恋を見守ったり。一喜一憂しながら生きているその様子すべてが、どうにもこうにも可愛らしい。その中で起こるドラマのひとつひとつはそれほど奇をてらったものではないのだけれど、繊細かと思えば大胆な経緯・展開と、他の人が見逃すところを見落とさない心情描写で雁須磨子にしか描けないものが毎回出来上がる。それがもう初々しくって可愛くてじたばたしてしまう。

牛島がクラスメートの家村に向ける目は、恋をしている人間の目だった。そのことに気づいていたのは、クラス全体に目を向けるべき教師であり、かれらよりも年長者であり、同性を恋愛対象とする人間がいる可能性に迷いなくたどり着けるゲイの田中と、実際に目を向けられている家村だけだった。若さと不器用さと純粋さからあからさまなほどの好意を家村に向ける牛島を、余計なことだと思いながらも田中はフォローし、応援してやる。
きっかけは家村の、内心の読めない発言だった。家村がいるというだけで部活を決めた牛島に対して、家村は、田中と付き合っているのかと問うてくる。顧問は確かに田中だが、よりにもよって片思い相手にそんなことを言われてしまった牛島は深く傷つく。そしてその場面を見てしまった田中のとっさのフォローに、かれは自分の家村への恋が見抜かれていることを知る。
混乱のあまり本心にないことを言ってしまった牛島は、その夜田中の家を訪ねる。自分から来たくせに、田中の部屋にあるゲイ雑誌や男の裸のポスターに躊躇う牛島がうぶでかわいい。これまで自分の性嗜好に悩み、孤独だった牛島は、田中という「同族」を見つけたことで少し楽になる。
冷静に考えるとそれぐらいのことで好きな相手が家村から田中にすぐ変わるはずもないのだが、そのあと牛島と家村が親しくなったのは意外だった。田中が慰めの言葉として使っていたように、家村も本当に田中を意識していたのだ。こういうところが雁須磨子の食えないところだと思う。驚きと嬉しい超展開と肩透かしのバランスがうまい。アニメTシャツを着てくる非おたく男子という、全く本編に関係ないコマを挟んでくるところも好き!

しかしながら牛島と家村の関係は長くは続かなかった。家村の言葉だけを聞けば、かれに思いやりが足りなくて暴走した結果牛島を傷つけて捨てたように思えるけれど、それはかれなりの優しさであり、強がりでもあったのだ。牛島がいざという時になって他の男を思いだしてしまったなんて、当の本人の前で言えるはずがない。

そうしてあれよあれよと付き合いだした大人と子供、教師と生徒。付き合ってからも些細なことですれ違ったり苛立ったり、かと思えば一年経過して牛島が大きくなっていたり、時間軸もすっ飛ばしで揉めたり仲良くしたり、の日々。須磨子さんは面白いとか面白くないとか言うより、合う合わないが非常に顕著に出る作家だと思うのだが、相変わらずかわいらしくて好きな作品だった。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 21:23 | comments(0) | trackbacks(0) |

虚淵玄「Fate/Zero」3 王たちの狂宴

虚淵玄「Fate/Zero」3 王たちの狂宴
アインツベルンが冬木に構えた屋敷内での作戦会議においても、切嗣は一切セイバーに言葉をかけない。舞弥からの情報を得て、アイリに確認を取り、話をすすめる。審判である履正が命じたキャスター討伐にも意欲を見せず、寧ろほかのサーヴァントに任せて、自分はそのすきにほかのマスターの背後を狙うつもりでいる。キャスターが罪のない冬木の子供たちを大量に誘拐していることも、龍之介が連続殺人犯であることも、かれにとってはどうでもいいことなのだ。それは勿論正義の人セイバーにとって許せない判断だが、切嗣は耳を貸さずに一方的な指示を終えて出て行ってしまう。
セイバーと二人きりの長い一日を過ごしたこともあり、さすがに彼女を気の毒に思ったアイリが切嗣を追いかけていくと、そこには先ほどまでのかれとは全く違う男がいた。綺礼が自分を狙っていることを不安に思い、大切なものを失うかもしれない戦いに参加することを今更ながら脅えている切嗣だ。弱さを見せないために強く冷たく振舞うかれを知ってしまえば、アイリはもう何もいえない。
切嗣は見れば見るほど、知れば知るほどモテるのがわかるキャラだなあ。冷酷な姿の奥に隠された孤独や不安や弱さ。ベタながらそのギャップにみんながふらふらと吸い寄せられてしまう。舞弥の存在を複雑に思っていたはずのアイリが、かれを鼓舞するために彼女の名前を出してしまうほどに。

そして幼い子供をたくさん連れたキャスターが、ジャンヌに会いにアインツベルンの森へやってくる。セイバーはアイリの命令でキャスター討伐に向かい、アイリは舞弥に護衛させて遠くへ逃げるために屋敷を出、切嗣は屋敷に残る。
ランサーの一撃以降左手がうまく使えないセイバーでは、キャスターとの戦いに決着がつけられない。消耗するばかりの戦いの途中、キャスター討伐を命じられたランサーが現れ、キャスターを倒すために一時期セイバーと共闘する。セイバーの腕を使いものにならなくしたのがほかでもないかれである以上、それ以外の誰かがそのハンデを利用して彼女を倒そうとすることは、ランサーの騎士道に反する行いなのだ。

ランサーを行かせたあと、ケイネスはアインツベルンの屋敷に向かう。堂々と名乗りをあげるも返事はないため、かれは自在に操れる水銀ともども切嗣を探すべく屋敷に乗り込む。
アニメを数話見た段階で原作をまとめて読んだので、このあたりは既に原作を読んでからアニメを見たかたちになる。読むか読まないか迷った末に読んだんだけれど、このシーンをアニメで見たとき、先に読んでおいて良かったと思った。だってアニメだけ見たら全然意味分からなかったもの。拳銃などの武器についても、ファンタジックな魔術の設定についても、そもそもバトルシーンについてもよくわかっていないので、いきなりジドウサクテキとか言われても脳内で変換できない。時間の都合もあって大分アニメははしょられていたので、このあたりはいくらでも地の文が書ける小説ならではの読み応えがあった。
とはいえアニメにもアニメならではの長所がある。切嗣の体の第十二肋骨を摘出して、その骨から銃弾を作ったというエピソードは小説にも描かれているのだが、それを実行したのが「誰なのか」ということはここでは明らかになっていない。アニメでは回想シーンでばっちり出てくるので、お互いに補完しあえて面白い。

舞弥と森を出ようとしていたアイリは、自分たちの方へ向かってくる相手の存在に気づく。おそらく切嗣を探しに来た、言峰綺礼だ。切嗣を愛する二人の女はそのとき一瞬で、綺礼を切嗣のところへ行かせてはならないと確信する。それは二人がいかに切嗣を思い、理解し、愛しているのかということだ。妻と愛人という最も相いれない関係性にありながら、この非常事態に同じ考えを同じ男に向けて持つ女がいることに、アイリは安堵してしまう。愛する男の味方がいることに、嫉妬や焦りではなく喜びを覚えてしまう。
武器の扱いに長けている舞弥と、切嗣に教わった魔術を使うアイリ。正直どのキャラであっても戦闘シーンは経過に意識がいく程度でそれほど細かいことに興味が持てないんだけれど、アイリの針金細工の魔術は彼女にぴったりで好きだ。アニメで見てとってもきれいだったというのもある。
想像を絶するような綺礼の強さの前に、二人の女は重傷を負う。それでも切嗣のことを一切吐かず、なんとかして戦いつづけようとする女たちの姿に綺礼は動揺する。その強い意志に慄いたとか敬意を抱いたとかそんなきれいなものではなくて、二人が切嗣にそれほどの価値を見出していることに驚いたのだ。得体のしれないやつだとばかり思っていた切嗣には理解者がいて、命をかけて守ろうとする者がいる。かれは孤独ではない。そのことが綺礼を苦しめ、立ち去らせる。
なんとか生き残ったふたり。傷を負った舞弥を見たアイリは、「二人で切嗣を守り抜こうね」とまで思うようになった。この心情については凄く理解できるような、ある意味全然理解できないような、複雑な気持ちになる。

切嗣がケイネスに重傷を負わせたことに、離れた場所でキャスターと戦っていたランサーは気がついた。そのことを口にした言葉を聞いた瞬間、セイバーはその相手が誰なのか察知した。そして、その場にその相手、つまり自分のマスターである衛宮切嗣がいると承知のうえで、ランサーを一人で行かせた。
筋道を立てた戦い、騎士としての誇り、同じく誇りを持つものへの敬意というセイバーの美学、信念がさせた行動だった。彼女はそのことに何の後ろめたさも迷いも抱いていないし、何度だって同じことを繰り返すだろう。崇高な騎士の在り方。けれどどうしたって彼女の判断は愚かだと思えて仕方がない。
ケイネスを迎えにきたランサーが去ったあと切嗣が思ったように、ケイネスに意識があって令呪でランサーに切嗣を殺すよう命じていれば、すべては終わっていた。確かにランサーはセイバーの信頼を裏切って切嗣を討つような卑劣な輩ではないが、かれのマスターがそうでないことは、既に最初の戦いで目の当たりにしている。令呪に逆らえず、望まない行動を口惜しく思っていたランサーも見ている。けれど、セイバーはランサーの誇りを尊重するのだ。セイバーは信念のために死ぬことも辞さないし、裏切ったり疑って卑劣な勝利を得るくらいなら、信じて誉れ高い死を選びそうですらある。けれど彼女がその時賭けるものは、どこにでもいる少女の命ひとつではない。彼女の判断次第では切嗣は死に、彼女もその後魔力供給を断たれて死に、アイリスフィールだって舞弥だって死んでいただろう。何より、唯一尊重していた切嗣の世界平和という理想すら、死滅させられる。そこまで考えていないんだろうなあ。
セイバーに関しては最初の戦いでの、口ではとやかく言うのに今すぐにでも殺されそうな判断ミスっぷりの時点からどうなのかなと思っていたので、ここで本当にだめだ、と思った。自分が思っているだけでなく、切嗣がセイバーに苛立ち、呆れてくれるので読みやすい。単にセイバーが理想に準じる正義で、切嗣が嫌な奴、という簡単な二元論でないところが好き。

もはや立つことも難しいケイネスに対して、労りの甘い言葉と真実を突く厳しい言葉、ねだるような優しい態度と、命をも脅かす脅迫で、ソラウはかれの右手の令呪を引き継いだ。元々気の強い女性だったのだろうが、恋してなりふり構っていられなくなったことが更に彼女の背中をおす。これまでの二人で成り立つマスターから、ソラウ一人がディルムッドのマスターになった。
それに対して、飽くまで自分の主人はケイネス一人だと言うランサー。かれはソラウの燃えるような眼差しや必死すぎるほどの執着を、かつて出会った女と重ねていた。辛い過去があったからこそ聖杯も何も望まず、単に忠義の臣下として振舞うことだけを願ったのに、そのたったひとつのことが、かれにはかなわない。
さすがの幸運E。

例のTシャツに加えてズボンを得たイスカンダルは、勝手にマッケンジー家の客人としての自分の設定を作り、老夫妻と楽しく食事をする始末。かと思えばウェイバーの申し出通り川の水を汲んできたりする、妙に忠実なサーヴァントである。
その川の水からキャスターの魔術工房の位置をウェイバーが発見したことで、二人は早速工房へと向かう。惨憺たる猟奇殺人の現場であるそこは直視できるものではない。気分を悪くしてしまうウェイバーはそんな自分を恥じるけれど、ライダーにとってはそういう人間味溢れるところが好ましいようだ。ウェイバーはケイネスにも繰り返し揶揄されていたような、「凡才」である自分がいやで仕方がない。凡才ではないものになろうと足掻き、うまく行けば自分は凡才ではないのだとうぬぼれ、少し失敗すると自分は凡才なのだと卑屈になる。けれどそれらの感情の動きは、たぶん魔術師の中では非常に稀有なのだろう。一般的な喜怒哀楽を持つかれを、すぎるほどに豪快なこの王は気に入っている。
ウェイバーにとってライダーは父であり兄であり師であり友だ。かれはそのどれも認めず、サーヴァントなんだ従者なんだと言うだろうけれど、褒めるところは褒めて叱るところは叱り、縮こまっていた長所を伸ばして短所を吹き飛ばし自信を持たせてくれる、そんな相手はなかなかいない。

聖杯戦争のため、遠坂の家から母の実家へ移動していた凛は、ある夜家を抜け出す。行方不明になった友人を探すためだ。勝気な彼女は真っ暗な外へ出るも、能力があるものならではの違和感や恐怖を察知し、脅えてしまう。
娘がいなくなっていることに葵が気づいたのはそれからしばらく経ってからだった。慌てて娘を探しに出た彼女は、ベンチで眠っている娘と、彼女を助けた一人の男と出会う。久しぶりに会う、変わり果てた間桐雁夜だった。
桜だけは何とかして助ける、と言う雁夜の言葉に、魔術師の妻である葵は色々なことを悟る。ここの彼女のモノローグで初めて、桜のため、葵のために雁夜がしたことは、葵を苦しめることに繋がるのだと気づいたわたしは雁夜おじさん並みの鈍感でした…。
覚悟していたとはいえ実の娘をよそへ委ねることに、葵は当然悲しんでいた。雁夜が聖杯戦争に参加して勝利し、聖杯を手に入れて間桐に持ち帰ることを条件に、桜は間桐から解放される。だからこそ雁夜は、自分が聖杯戦争で勝てば、桜の虫蔵と葵の哀しみ両方が終わる、解放されると思っている。けれど、雁夜が挑む聖杯戦争には遠坂時臣も参加しているのだ。雁夜が参加するというのは時臣と戦うことで、雁夜が聖杯を手に入れるというのは時臣が破れること、すなわち死ぬことだ。それは葵にとっては最愛の夫を亡くすということになる。ひとつの哀しみは終わるかもしれないが、新しい哀しみが生まれるのだ。そのことに、時臣を諸悪の根源だと思いこんでいる雁夜は気づかない。

キャスターの工房で見たものにつよい不快感を抱いたライダーは、こんなときは自棄酒だとばかり、ウェイバーを連れてアインツベルンの森へ向かう。かれが求めるのはセイバーとの対決ではなく、自分と同じように王を名乗る二人のサーヴァントとの酒宴に他ならない。アーチャー、セイバー、ライダーによる酒の席、「聖杯問答」がはじまる。
目的を持たない綺礼をして、自分と同類だと思わせたアーチャー。かれが果たして何のために聖杯を求めるのかと言えば、臣下の礼を尽くす時臣に報いてやるだけではない。かれの理屈から言うとこの世の全ての財宝は既にかれのものであり、そこには当然聖杯も含まれる。つまりかれは未だ手にしていない聖杯を手に入れようとしているのではなく、自分のものである聖杯を奪おうとする輩を成敗しようとしているのだ。それがかれの法だ。全てのものにかれの法を遵守させることそのものがかれの目的であり、聖杯に何かを願うなどということは別段ない。
ライダーは受肉を求めている。霊体化したり、マスターから魔術を供給されて成り立ついまの仮の姿ではなく、ヒトの形を取り戻したい。それこそが征服の基点だとかれは言う。肉体を持つことは現在より便利になることばかりではないだろう。けれどそれでもかれは肉体を求める。その制限された有限の体を使って征服することが、イスカンダルの描く征服には不可欠なのだ。
そして最後に明かされたセイバーの望みは、かつて滅びた彼女の国、ブリテンの運命を覆すというものだった。呆然とするライダーと、爆笑するアーチャー。かれら二人は全く異なる気質を持った王だが、王というものの在り方については共感するところが多いようだ。王は暴君であり、だからこそ英雄になりうる。臣下は自分では到底叶わない王に魅了され、羨望したり嫉妬したりしながら憧憬の念を抱く。自分もかくありたいと願い、克己する。叶わない王に臣下として導かれることは幸福であり、昂揚を齎す。
しかしセイバーは違う。王は国民に尽くすものであり、そこに私欲を介入させることをよしとしない。ヒトではなく、常に正義の規範として在ることで、人々を救う。それが彼女の描く王の姿だ。エクスカリバーによって不老の呪いをかけられたため、いつまでも少女の姿のままの騎士王に向けるライダーの目に、憐憫が宿る。呆れや失笑ではなく、痛ましい道を進まんとすることへの同情が向けられる。それは通常であればライダーの人情、優しさであったかもしれないが、曲がりなりにも一国の王に抱くべき情ではない。このときライダーはセイバーに対する判断を、評価を変えたのだ。
一方痛ましいまでの歪み、自己犠牲はアーチャーの気に入ったようだ。かつて綺礼にヒトの業を愛でるといっていただけのことはある。

そこへ、残っている全てのアサシンが集結する。一体ごとの力は劣るが、結構な人数である。集まれば簡単な敵とはいえない。ライダーはもうひとつの宝具を惜しげもなく開帳してアサシンを殲滅する。かれがこのとき本当にしたかったのは、宴席にきた無粋な連中の相手ではなく、心を殺して生きることしかできない騎士王に、そうではない王のあり方を見せること、だったのだろう。イスカンダルの夢に自分の夢を重ねて、共に最期の瞬間まで戦った仲間たち。昂揚に満ちた、「導く」王の在り方。
そしてかれはセイバーを「もう王じゃない」と言って、一方的に始めた宴を終わらせる。
上述の通り、その前から持っていたセイバーに対する不信感とか違和感を、二人の王が寄ってたかって代弁してくれたような聖杯問答。ライダーもアーチャーも切嗣とは全く違う視点から見ているので、あらゆる方向から非難されるセイバーである。自分を数にいれないで動く彼女の痛々しいまでの必死さと、そこまでしてなお結果に結びつかないあたりはやるせなくていいのだけれど。正義だ騎士道だと言って人を殺すよりは、暴君だと名乗って人を殺すほうが、同じ事をしていてもつじつまが合っているように思えて好感を持てるから不思議だ。

遂に時臣が出る。この人半分は座って前時代的なアイテムの前でワイン傾けてただけです。しかも舌の肥えたアーチャーにボロカスに言われるようなワイン。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 16:30 | comments(0) | trackbacks(0) |

虚淵玄「Fate/Zero」2 英霊参集

虚淵玄「Fate/Zero」2 英霊参集

切嗣・アイリスフィール夫妻は日本で別行動をすることになる。切嗣はかれが育てた暗殺者・久宇舞弥と再会し、彼女に準備させた武器を確認する。必要なことしか話さない女と、そういうふうに女を仕向けた男。ホテルの一室で武器を確認して、他のマスターの状況について話し合って、切嗣の張りつめていた気持ちががくっと弱まる。置いてきたイリヤのこと、危険な目に合わせた挙句、最終的に「殺す羽目になる」アイリのこと。考えれば考えるほど辛くなって、切嗣は弱音を吐いてしまう。
イリヤが生まれたときもこの時もこれから後も、意外ながら結構切嗣は不安や弱音を他者に晒すことが多い。普段冷酷な癖にそういう顔を見せるからもてるんだよなー。

アイリはセイバーと冬木の地に降り立ち、初めての外の世界を堪能する。アイリの我儘で世間知らずなところ、そんなことを表に出しても許してしまえるくらい本物の温室育ちであるところと、実は物凄く覚悟を決めて動いている強さ、そのバランスが良い。男装したセイバーが「騎士のつとめ」としてアイリをエスコートするというのも可愛い。
けれど彼女たちが冬木へ来たのは物見遊山ではない。だから彼女たちが街を歩いているその夜にほかのサーヴァントが現れたことは当然のことであり、寧ろ昼間無事に下界を堪能できたことを幸福に思うべきなのかもしれない。
セイバー達を尾行し、人気のないところで正々堂々と戦いを挑んできたのは、ケイネス・アーチボルト・エルメロイのサーヴァントであるランサーだ。整った顔立ちのかれが持っている魅了の魔術をかれ自身がどう思っているのか、が食えなくて面白い。持って生まれた呪いだなんて言うくせに、満更でもないようなそぶりも見せる。本気で煩わしいと思っているのか、俺って罪な男だよなハハハと斜に構えてるのかよく分かんない!
ともあれ戦いに対しては騎士道を重んじるランサーは、セイバーにとって非常に好感のもてる対戦相手だった。セイバーの風王結界が凄く面白い技だなー。それに対して、開帳を許されたランサーの宝具のひとつが魔力を断つ槍であり、セイバーの剣の正体を暴かんとするというのもにくい。さらにもう一本の槍は、決して癒えない傷をつけられるという。セイバーはその槍によって左手の親指を負傷してしまう。

戦いを見ていたライダーは、慌てて戦場へ赴く。二人が潰し合ってから襲えばいいと思っていたウェイバー(やほかのマスター)とは違い、かれはまとめて相手するつもりなのだ。それにやいのやいの言いつつも、放り出されるのがいやで連れていってもらうウェイバー。ここで驚きとか怒りとか高所への恐怖が勝って、令呪を使うなんてことが頭から吹っ飛ぶのがウェイバーだ。
そして登場するや否や真名を名乗り、戦っている途中のサーヴァント二人に自分の傘下に入らないか誘うという無茶っぷり。かと思えば、聖遺物を盗んでマスターとして聖杯戦争に参加しているウェイバーを責めるケイネスに対して、姿を晒さない臆病者のケイネスではなく一緒に戦場に出るウェイバーがマスターで良かったと言い放つ。この愚かなほどの裏表のなさこそがライダーだ。
更に顔を出さないものは腰ぬけだ、侮蔑するとライダーが大声で宣言したところ、新たなサーヴァントたちが顔を出す。人一倍プライドが高い、時臣のサーヴァントだ。ライダーの言葉を聞いた瞬間の時臣と綺礼の「拙いな」「拙いですね」のやり取りが凄くかわいくて好き。最初っから激怒しているアーチャーが登場し、上からの物言いを続けているところへ、時臣への私怨で一杯の雁夜がバーサーカーを放つ。アーチャーが次から次へと放つ武器を受けて、己の武器として攻撃し返すバーサーカー。怒りに任せてアーチャーが宝具を更に開帳しようとしているのを見て、時臣が慌てて令呪でかれを撤退させる。それは雁夜にとって、勝利にも等しい事態だった。たかだか一年足らずの間修行をしただけの自分が、魔術師として生き続けているかれと対等に戦った。撤退させた。雁夜にとって諸悪の根源であり、全ての哀しみ憎しみ怒りの元である時臣にひと泡吹かせてやることができたのだ。もはやこの時の雁夜の狙いは聖杯戦争の勝利でも、万能の願望機の獲得でもなかった。アーチャーがいなくなった以上、バーサーカーを留まらせる理由はないのだとかれは思っている。しかし何のステータスも見えない狂った戦士は、セイバーを見るやいなや彼女に襲いかかる。

左手に癒えない傷を負ったセイバーはバーサーカーにおされるが、すぐ近くにアサシンがいる以上切嗣と舞弥は隠れて加勢することが難しい。けれどこのままいけば彼女は負ける。そんなとき戦いに割って入ったのは、先に彼女と戦っていたランサーだった。戦いに横入りしてきたバーサーカーを倒してから、もう一度セイバーと真っ向勝負したいとかれは考えている。それがかれの美学であり、騎士として取るべき道だった。今黙って見ていればセイバーは倒されるか深手を負う。そうすれば聖杯戦争が有利に進む。だとしても、かれは見過ごせない。
しかしケイネスはそのようなことを許さない。命令にランサーが従わないとなると、令呪を使ってセイバーを殺すよう差し向ける。不本意な戦いを挑まざるを得なくなったランサーの嘆きを見たライダーは、更にその戦いに割って入り、このまま令呪の命令を撤回しないなら自分がセイバーに加勢してランサーを倒すと言う。かれは二人の騎士に比べてそれほどまでに騎士としての正道にこだわっているようには見えないし、他人は他人で好きにすればいいと思っているふしが見えるけれど、それでもさすがに見逃せなかったのだろう。
同じくサーヴァントとして現界したものの共感か、歴史に名を残した戦士としての計らいか。ともあれ一端全ての争いは制止され、次へと持ちこされる。

それらの争いを遠くから見ているものがいた。龍之介とキャスターは、キャスターの水晶ですべてを見ていたのだ。想像を絶する戦い、殺し合いに興奮する龍之介の横で、キャスターは歓喜に咽び泣いていた。
そして数時間後、かれは拠点へ車を走らせるアイリとセイバーの道行きを遮っていた。セイバーを「ジャンヌ」「聖処女」と呼ぶかれは、目の前の金髪の少女との「再会」を喜んでいる。
ジャンヌという名にも、キャスターが名乗った真名にも覚えがないと一蹴するセイバーの言葉はキャスターには届かない。忘れているのだ、錯乱しているのだ、心を閉ざしているのだと決めつけて、自分が間違っているという可能性を微塵も想像しない。神の所為だのなんだのと勝手に理由を作ってしまっているのだ。更に、自分が聖杯を手にしたときに願おうと思っていたジャンヌの復活が既に完遂されているのだから、聖杯は自分が手にしているのだ、聖杯戦争そのものが終わっているのだと言いだすしまつだ。
動揺から怒りへと態度を変えるセイバーに対して、再会を一方的に約束してキャスターことジル・ド・レェは消える。このキャスターの会話の通じなさ具合、自分にとって都合の良いように、ないしは自分が納得できるようにしか物事を解釈しなさ具合が怖い。分かっていて認めたくないとか、知っていてわざと話を曲げているとかじゃない。かれは本気でそう思っているのだ。かれが人間ではないからとか、長年の妄執がそうさせたというのもあるんだろうけれど、それにしても不気味。
そういうキャスターと女がらみは厄介だとか感情の起伏が激しくて厄介だとか思いつつも仲良くやっている龍之介は、本当にかれの理解者なのだろう。殺人について意見が噛み合わない時ですら、キャスターへの敬意と、龍之介生来の温厚さで話を合わせている。相手への敬意と譲歩する心を持っているキャスター陣営は、いつだって円満だ。
雨生龍之介はその殺人行為に対する並はずれた執着さえなければ、この聖杯戦争で誰よりも普通の青年で、誰よりも善人なのだろうと思う。そしてキャスターもまた、普段は紳士的で柔和な人物だ。人間オルガンを制作しながら龍之介が思い出していたキャスターの言葉が非常によくできた教師の言葉のようで、その内容の素晴らしさと実践していることの醜悪さのバランスに苦笑するしかない。

ランサーは当然ながらケイネスの逆鱗にふれた。命令を聞かずみすみす勝てた敵を逃した上、令呪をひとつ消費させてしまったのだ。騎士道なんてものは最初からどうでもいいと思っているケイネスにしてみれば、ランサーの行動は命令違反以外の何物でもない。
しかしそんなケイネスの罵声に耐えるランサーを庇う者がある。ケイネスの婚約者であり、ランサーに魔力を与える、ある意味でもうひとりのマスター・ソラウだ。勝気な美女ソラウはやけにランサーの肩を持ち、それがまたケイネスの怒りに繋がる。ランサーの魅了がソラウにも影響しているのではないかと、かれは辛辣な婚約者を疑ってしまう。
どうでもいいけれどソラウのイントネーションは最初に聞いたとき驚いた。ラにアクセントがあるんだな。ソにあるんだと思ってました。

無能なランサーへの怒り、ランサーにばかり意識を向けているソラウへの恋慕、そして何より優秀な魔術師としての自負によって、ケイネスは宿泊しているホテルのワンフロアを魔術工房に仕立て上げた。攻撃してくるマスターやサーヴァントが現れたら最後、決して逃がすまいと何重にも罠を張ってあるのだ。
しかしその芸術は日の目を見ることがなかった。ホテルごと、衛宮切嗣によって爆破されてしまったからだ。

切嗣を探しに外出した綺礼が成果を上げられず聖堂教会に用意された部屋へ戻ると、そこには先客がいた。アーチャーが勝手に入りこみ、綺礼のワインを飲んでいる。
ここのアーチャーと綺礼の会話が大好き!!!酒の趣味も聖杯を得る目的も何もかもがかれにとってみれば「退屈」な時臣に比べて、アーチャーはろくに会話もしていない綺礼に関心を抱いている。相変わらず傲慢が過ぎるほどの物言いをぶつけてくるアーチャーだが、綺礼は面倒くさそうだがそれほど本気で嫌がっているようには見えない。アーチャーは綺礼を「雑種」と呼び、綺礼もまたアーチャーを「サーヴァント風情」と言う。しかしそこに険呑な空気はない。そしてこの英雄王との会話こそが、綺礼の最大の謎であり苦悩であった目的のなさ、情熱のなさ、にもかかわらず令呪を宿した事実に対する答えをつかむ手掛かりになる。
愉悦についてのやりとりが特にいい。何とも言えない官能、退廃とか背徳とかそういう、決して健全ではない色の官能に満ちていている。普通に喋ってるだけでやらしい!自分の言葉を遮って否定しようとする綺礼にアーチャーが言った「この世の贅と快楽を貪り尽くした王の言葉だぞ」という台詞がたまらなく好き。聖杯戦争に参加する理由・聖杯を手にする目的が希薄な二人の関係がすごくいい。
そして綺礼はアーチャーにそそのかされるようにして、時臣のサポートをしながら、それぞれのマスターの意図や目的を探ることになる。他者の願望や欲を知り、それに向き合うことで、かれの中に生まれてくるものを探すのだ。

その一方で、雑誌の広告見てTシャツ通販しているライダーと、それをぷんすか叱りつつも値段が安くてほっとしているウェイバーの健全なかわいさと言ったら…。ぱんつ履けとりあえず。
これまでまともに評価されたことがなく、非難や批判ばかりされてきたウェイバーにとって、昨夜のイスカンダルの言葉は嬉しいものだった。魔術師としては足元にも及ばないほど優れたケイネスに対して、かれではなく自分がマスターで良かったと、自分こそがマスターにふさわしいのだとライダーは宣言した。それは褒められ慣れていないウェイバーにとっては面映ゆく、けれど忘れられない充足だった。

アサシンからの報告で、今冬木を騒がせている連続殺人事件の犯人がキャスター陣営なのだと明らかになる。罪のない一般市民を巻き込むだけでなく、魔術という本来一般市民には知らせてならないものを気にせず多用していることが、時臣や聖堂教会にとって許し難いことだった。
ゆえに第四次聖杯戦争の審判である言峰璃正は今回の参加者であるマスターたちを呼び付け、代理で現れた使い魔たちに告げる。一端の停戦とキャスター陣営の討伐、そしてかれらを討ったものには追加で令呪を授ける、と。
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虚淵玄「Fate/Zero」1 第四次聖杯戦争秘話

虚淵玄「Fate/Zero」1

アニメ一話を見てまんまとハマり、話数を進めるごとにどっぷり浸かり、アニメのコミカライズでは飽き足らず、とうとう原作にまで手を出してしまった。最初はアニメが終わるまではオリジナルアニメの要領で次の展開を予想したり、待ち遠しく思ったりして、終わったらまとめて読もうと思っていたんだけれど、分割2クールは待てなかった…。
余談ですが原作を読んでいないアニメにおいて、原作を途中で買いあさって読むというのは個人的にはものすごく珍しい。ぎゃーぎゃー言いつつ楽しんでいた「デュラララ!!」も「化物語」も放送中に読むようなことはなかったし、今思えば読もうという考えすらなかった。あれ、わたし「Fate/Zero」に夢中じゃない?と後で気づいた。

ちなみに「Fate/stay night」などなど関連作品は殆ど知らないので、このZeroも誰が生き残るのか(10年後であるstay nightに登場するのか)、誰がZeroの(虚淵さんの)オリジナルキャラなのかも知らないまま読んだ。

***

衛宮切嗣という人間は本当は非常に単純で純粋な人間だ。世界平和、争いのない世界、それは多くの人間が望むものだ。そのために多かれ少なかれ尽力している人間も決して少なくない。何らかの犠牲を払ってでも遂行しようとするもの、実際にし続けているものだっている。けれどかれは規模が違った。犠牲として自分が持つ全てを投げ打つ覚悟があるのみならず、己にあらゆる例外を許さなかった。数の多い方を守るため、「天秤の計り手」であるため、かれは自分の大切な存在と見ず知らずの人間を同じ重さの命として計測することを自分に強いている。そしてそんなことを続けていながら、かれは非常に人間らしい心の持ち主だった。平和のために審判を下し続けているかれは、「最大の罰」を負わされる。
それは結局のところ、かれが愛した女・アイリスフィールを「いつか死なせる羽目になる」ということなのだろう。彼女との間に生まれたイリヤスフィールとの別れ、も含んでいるのかもしれない。
アニメではイリヤがホムンクルスだということが最初語られなかったので最初に知ったとき凄く驚いたんだけれど、小説だと序盤も序盤からさらっと描かれているので再び驚いた。奥さんがホムンクルスって結構凄いことだと思うんだけど、英霊召喚しているような世界ではそんなに珍しくないのかしら。

言峰綺礼にとって最大の疑問は、何故自分の右手に令呪が宿ったのか、ということだった。聖杯戦争の三年前に既に手の甲に紋章を宿したかれは、その疑問にこの後長く悩まされることになる。
非常に優秀な人物でありながら、綺礼には目的も喜びも情熱も、一度として手にしたことがなかった。他者に理解されたこともまた、なかった。謙虚だとか真面目だとか愚直だとか、一見そういう言葉で片付けられそうなものだが、実際は違う。かれはもっと深い命題として、己の意欲のなさをとらえている。そんなかれをある意味で救い克己し、ある意味で絶望させ続けたのが信仰だったのだろう。家庭環境もあったのか、神はいるのだと疑わなかったかれは、他人が持つものを持たない自分が未熟なのだと思った。そして努力して修行を重ね、結局答えにたどり着けないまま、今に至る。そんなかれは「必要とする者から選抜される」聖杯戦争のマスターになったことが疑問で、不可解で仕方がない。
そんな綺礼の疑問に、父とその友人によってひとつの答えをもたらされる。聖杯を獲得しようとする魔術師・遠坂時臣を援護するためなのではないか、と。都合のよい解釈だが、二人は半ば本気でそう思っていたようだ。時臣の聖杯獲得は聖堂教会にとっても「望ましい」ため、願望のない綺礼は父の言いつけ通り、かれに聖杯を与えるべく行動することになる。

その時臣の妻である遠坂葵に、間桐雁夜は長い間恋をしていた。彼女の幸せを願うあまり気持ちを告げることもなく、時臣との結婚を受け入れ、今は二人の間に出来た姉妹を可愛がっている。
実家と絶縁状態にあるかれにとって、葵と二人の娘との時間は穏やかで幸福なものだったのだろう。しかしかれはある日、妹の桜が遠坂の家から、間桐へ養子に出されたことを知る。
能力のない兄の鶴野と、家を出た雁夜の所為でこのままでは家が守れなくなると思った間桐に、幼い桜は引き取られた。涙を隠して仕方がないことなのだと言う葵の姿を、黙って見ていられる雁夜ではない。実家へ戻るとかれは、桜の代わりに自分が聖杯戦争に参加して勝利する意志を告げる。全てを捨てて家を出たため魔術師としての経験が一切ない雁夜が、直近に迫った聖杯戦争で勝利することなど到底無理だ。分かっているからこそかれは、危険な策である刻印虫を使用することを自ら持ち出した。
アニメで見た時よくわからなかったんだけど、素直に若いころからきちんと修行?して秘伝を伝承していれば虫に頼らなくて良かった、ということでいいのかな。じゃないとどっちにせよおじさん死んじゃう。で、まだ幼い桜が虫蔵に入れられたのは、元々間桐の生まれじゃないから属性を変更したり改造しないといけないから、かな。ちょっと混乱。
小説だと桜が虫に犯されているところを見ないで身代わりになることを決意したのに対して、アニメでは実際虫蔵に入れられているところを見せられた上で身代わりになると改めて断言させられている。映像の問題なんだろうけれど、後者の方がより雁夜の決意の強さとか信念が見られて好きな演出だ。

ウェイバー・ベルベットはその出自のために、正当な評価を得られずにいることにひたすら憤っていた。出自や歴史が魔術師としての力に大きく影響することは事実だが、自分の才能はそれを覆しうるのだとかれは思っていた。持論をケイネス・エルメロイに冷笑されたことを根に持っていたかれは、間違って届いたケイネス宛の聖遺物をそのまま頂戴し、日本へと旅立った。
魔術教会は腐っている、というウェイバーの見解はどこまで本当なのかな。どの社会にもそういう一面はあると思うけれど、本当にウェイバーは他の歴史ある家の人々よりも優秀なのか、ウェイバーの提唱した理論は正しいのか、どうなのか。あんまりウェイバー自身はずば抜けてデキる子には見えない。

成就への執念だけで外部から自分を引き入れたアインツベルンの中で、切嗣は次々明らかになるマスターについて調査している。かれが気になるのは、その経歴から有能であることがわかると同時に、何の情熱も持っていないと分析できる綺礼の存在だ。
そして時臣から数名のマスターの情報を得た綺礼もまた、切嗣を気にしている。危険な地域に身をおき続けた切嗣の行動からは利己が一つも感じられない。時臣が言うような金目当てにも思えない。この時代のかれは何を求めて行動していたのか。そしてそんな男が何故、アインツベルンに呼ばれたあと一切沈黙し続けたのか。そこで何を得たのか。そのことを気にする綺礼は、自分が切嗣に対して暗い情熱や執着を抱き始めたことに気づかない。

刻印虫と戦い続けて肉体を壊しきった雁夜がいい。葵が好きだと思いながらも、時臣といて幸せそうな様子を見て何も言えなかったかれは、何事にも戦わずに生きてきたのだろう。
勿論家を出るまでにあの妖怪のような父と争い、腹をくくって決断したんだろうけれど、それはたぶんあの界隈では「逃げ」なのだ。自分の家や血や運命から逃げた、魔術師の生業から逃げた、とみられるのだろう。そういうかれが今虫蔵にほうりこまれ、体に虫を飼いながら生きている。惚れた女の幸せのため、その女の娘の平穏のために、戦い続けている。それにしてはあまりに大きい、そして永遠に取り返しのつかない犠牲を払った。既に雁夜の寿命は二カ月をきっている。
絶望して心を閉ざすことで正気を保っている桜に対して、雁夜は自分が彼女を救いだすために奮闘していることを告げなかった。淡い期待を抱かせてしまうと、桜の絶望が薄まって現状に耐えられなくなるからだ。早く抜け出したいと、いつか抜け出せるのだと思わせてしまうわけにはいかない。
期待が希望ではなく、絶望という殻を破る凶器になるのだという雁夜の歪んだ(けれど正しい)認識が好き。

セイバー、アーチャー、バーサーカー、ライダーが召喚され、四名の英霊がこの地に現界する。
やっぱりライダーのキャラは素晴らしいなー。ウェイバーとコンビになることでお互いが何倍にも輝く。豪快で無神経な大男と、粘着質でコンプレックスのかたまりのちびっこのドタバタ可愛い!ウェイバーの言葉を全然聞いていないようでしっかり聞いて受け止めていたり、小馬鹿にしているようで実は物凄くためになることを言ってくれるイスカンダル。正当な評価がほしいウェイバーと、世界を獲りたいイスカンダル。仲良しとはちょっと違うけれど、見事に意見は合わないけれど、言いたいことを言い合える関係が最初の瞬間に出来てしまう。

それとは正反対なのがセイバー組だ。そもそも聖遺物からアーサー王が召喚されるであろうと悟った瞬間に不快感を示していた切嗣は、実際彼女が召喚されて以降、眼を合わせることも言葉をかけることも一切していない。今後の作戦もアイリスフィールと共に行動させ、他の陣営に彼女がマスターだと思わせておいて自身が背後を狙うというものだ。
かの有名なアーサー王が女性であったこと、エクスカリバーの力によるものだとしても一見少女のような年齢であることを知って、周囲の大人に憤っているのだ、とアイリは切嗣の態度を分析した。だから男性が出てくるより更に素っ気なくなっているのだろう、と。しかしこの、若い女に戦いを強いた周囲への憤りはこの後も全然感じられなかった。私情を出さないことにたけていた、と言われればそれまでなんだけれど、夫を愛するアイリの穿ちすぎにも見えてしまう。

一方、最初から気も合ったのがキャスター組だ。
かれらがほかの陣営と全く違うのは、マスターである雨生龍之介に聖杯に対する意欲が一切ないことだ。そもそも聖杯戦争についても何ひとつ知らない、当然魔術師ではないかれが魔方陣を描き、英霊を召喚したのは重なった偶然の産物だ。
そもそもは恐れていた死に対して興味を持つようになった龍之介は、死についてより深く知りたいと願い、猟奇的な殺人を繰り返すようになる。そんなかれの最初の殺人が姉であり、その死体が両親の暮らす実家の蔵に放置されっぱなしになっている、というエピソードがまたいい。素晴らしく気味悪く、趣味が悪くていい。
蔵で見つけた古書を参考にした儀式を利用した殺人を繰り返すうち、龍之介はキャスターを召喚する。万が一成功して悪魔あたりが出てきたときのために用意しておいた生贄の少年を差し出した龍之介に対して、キャスターは何かを唱えたあと、かれを解放する。悲劇の現場である家から逃げ出すように告げ、実際に少年が安堵して扉に向かった瞬間に、絶望の淵に落とす。
この一連のシーンと、キャスターの「恐怖というものには鮮度があります」から始まる台詞は見事だった。最悪!最低!でも胸の昂揚が止められない!
当然最高の相棒であり、敬愛できる師匠を見つけた龍之介は大興奮。理解者に出会えたキャスターも大喜び。第四次聖杯戦争中、最も互いを認め合い尊敬しあう、最も円満な、陣営がここに生まれる。

誰よりも早くサーヴァント召喚を済ませていた綺礼は、自らのサーヴァントに遠坂時臣の暗殺を命令する。恐るるに足らず、というマスターの言葉を信じて遠坂邸に乗り込んだアサシンは、時臣のサーヴァントであるアーチャーに、恐れる暇もなく消滅させられる。
本人が知らなかったアサシンの目的は、他のマスターが使い魔を放っている中で殺されること、だった。アサシンが敗退して、そのマスターである言峰綺礼が早々に戦争から撤退したと見せつけること、それゆえに身柄の保護を求めて綺礼が審判役の聖堂教会へ向かうこと、それらを知らしめることがかれの命を賭けた仕事だった。
読んでいる時は早速綺礼が時臣裏切った!と思ってしまった…どれだけ騙されやすいのだ。
そして父のいる教会に保護された綺礼は、残りのアサシンに偵察の命を下す。アサシンは単一ではなく、複数で「アサシン」となるサーヴァントだった。

全て仕組まれたことと知りながら、乗り込んできたアサシンを片付けたのはアーチャーだ。我と書いてオレと読む、単独行動可能な王さま。確かに強いけれど高慢で沸点がものすごく低い。
そんなかれに、マスターでありながら時臣は臣下の態度をとる。単にご機嫌とりやものごとを潤滑に進めるためのパフォーマンスというわけではなく、敬う価値のある相手だからこその行動だとかれ自身も思っている。
けれど勿論心底全力で尊敬しているわけではないので、かれが去ると「やれやれ」などと言っている。この慇懃無礼な態度と掌の返しようが凄くいい。アニメだと更に速水さんの声がつくので大変…この従者っぷりに正気でいられない…。

***
取り敢えず1巻はアニメと比べても、大きく違うところや、補完されているところは少ないかな。
虚淵さんの文章は初めて読んだ。最初はクセがあるかなーと思っていたんだけど、進んでいくと特に気にならなくなった。言葉選びがガチガチなんだけどなめらか。あと驚いたのは、出てくるキャラの容姿の描写がすごく少ないこと。アニメや挿絵で容姿がわかっていれば問題ないけれど、文章だけ読んだら大きさくらいしか分からない。Twitterで「キャラは徹底して観念だけで書いちゃって絵としてのイメージはないまま進めてしまう」と本人が言っていたので納得した。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 00:18 | - | - |

崎谷はるひ「リナリアのナミダ-マワレ-」

崎谷はるひ「リナリアのナミダ-マワレ-」
美大受験に連続して失敗した佐光にとって、レベルの低い専門学校も家族も幼馴染みも何もかもが煩わしい。しかし全席禁煙の食堂で喫煙しているところを窘められて以降、売店の店員である高間に何かと構われるようになる。

信号機シリーズも6冊目。今回は、名前だけは以前から出ていたものの、震災を機に作者が発表の順番を遅らせた二人の話。この話単独でも読めるとは思うけれど、これまでの本を読んでいることが前提になっているような、描かれていないことを匂わせる物言いをするキャラがたくさんいるので、さすがにおいてけぼりになりそう。ある意味そのおいてけぼり感は朗やムラジと話しているときの佐光の感覚に通じるものがあるんだけれど、佐光のように大きな目標があってそのために瑣末なことを無視して構わないという状態でないと厳しそうだ。
前作「プリズムのヒトミ-ヤスメ-」より先に発表されるはずの作品であり、それよりも一年前の物語なので、小島と徳井の名前が頻出する。ここの問題が解決していないと描くことを年代設定の説明としているのかもしれないが、いっそなくても良かった気がする。というかこの話、小島と徳井以外にもキャラが多くて全体的に散漫になっていた印象。

実力以外の理由で、つまり天候とか事故とかそういうことによって、合格間違いなしと言われていた美大受験に悉く失敗してきた佐光は、もう一年浪人することは親に許されず、誰でも入れる専門学校へ入学した。同学年の多くとは3歳年離れている上、入学を機に絵の勉強を始めるものが多いこの学校で、かれは完全に浮いていた。行きたくないところに通っているうえ、レベルが違いすぎて馬鹿馬鹿しい。学生からも教師からも一目置かれもてあまされている生徒、それが佐光だった。
そしてかれの不幸は、なにも学校だけではなかった。家に帰れば、自分だけが血の繋がらない養子であることを自覚して以降荒むばかりの兄と、兄に強く出られないうえ数年前に兄との間に起きた事件以降佐光を腫れ物扱いする両親がいる。近所を出歩けば、悪意と敵意を佐光に撒き散すばかりの引きこもりの幼馴染みと出会う。つまらない女の誘いに乗って時間を消費するくらいしか、かれには残されていなかった。
そして女の言葉に適当に乗って遊びあるいているうち、かれは知らず知らずのうちに道を踏み外す。それなりに節度を守って遊んでいると思っていたのは本人だけで、とんでもないところまで堕ちていたのだとかれが知ったのは、いきつけのクラブで女から薬物を進められたときだった。隣にいる馬鹿な女だけではなく周囲の全てがそれを無言で強要していると気づいた瞬間、佐光は危機を感じ、けれど同じくらい、逃げられないことも感じていた。
そこを助けてくれたのが、これまで学校で顔を合わせるたびに何度となく所定の場所以外での喫煙を咎めてきた売店のスタッフ・高間だった。高間は普段の野暮ったく温厚そうなかれとは全く別人のような鋭い口調と態度で佐光を助け、叱った。
高間のもうひとつの顔と自分の堕落を身に沁みて実感した佐光は素直に反省し、これまで何度となくかれの言葉を邪険にしていたことが嘘のように高間に懐きはじめる。そして高間と話すうち、かれは家族との和解や諦めかけてきた美大受験といった問題の解決の糸口を見つけるようになる。

タイトルにある「リナリア」は植物の名前で、佐光の体にあるタトゥの柄だ。クラブで助けてくれた時点でかれが見たままの男でないことは分かっていたけれど、まだ若い佐光の想像を絶するくらい、かれの半生はディープなものだった。
それだけで大長編になりそうな過去は、高間の行きつけのバーの店長である暁生と高間の会話、高間の回想、佐光への説明によって断片的に明らかになる。高間から恋愛への意欲を削ぎ、暁生を散々心配させるその過去を、しかし佐光は淡々と受け止める。佐光の気質にある「アーティスト」が都合よく使われているような気もするが、過去の男の怨念めいたタトゥーも、破天荒な人生も、そもそも高間がゲイであることも、なんとなく受け止められてしまう。そういうタイプじゃないと高間とは付き合えないんだろうけれど、佐光の性格の所為でことがうまく行き過ぎかなあ。事件は次から次へと起こるのに、恋愛的な意味での波乱がなかった。

とりあえず上にも書いたけれど散漫で、どこに照準が合っているのか(合わせているのか)よく分からなかった。佐光の過去の不合格にまつわる事件、佐光の家族間の軋轢、佐光の再受験、佐光の奇妙な幼馴染み、当然ながら佐光と高間の恋愛、高間の過去、高間の人間関係。
幾つもの要素が絡み合って、足を引っ張られたり背中を押されたりしながら恋愛が動いていくのが定石なんだけれど、今回は要素が皆好きな方角に向かっていって散り散りになったような感じがする。どれが言いたかったのか分からない。
佐光兄についてはいまひとつキャラが定まっていない。国立大学出でいいところに勤めていて、帰って来ると爆音で音楽をかけたり部屋にこもってネット三昧。無言で暴力をふるってきたかと思えば、次の瞬間弟思いの兄の顔を見せて、そのままうぶで小心な善人になる。兄の恋も描かれるっぽいんだけれど、結局どんな人だったのかわかんない。悪役まがいの嫌なやつにも実はやむにやまれぬ事情があったことがスピンオフで明らかになる、という展開は今までに何度もあったけれど、今回は兄の輪郭がおおいにぼやけたままだ。
中でも高間に対して暴君のようにふるまっていた廉の、不器用で歪んだ愛情表現について最後に描かれるので、破天荒な廉という男に意識が行ってしまう。高間が気づかなかったその愛情を知った佐光が、黙っていてもいいのに敢えて高間に言ったのは、かれの深い愛情であり、過去の男への対抗心でもあった。そこから高間が完全に抜け出して治癒するにはまだ長い、もしかすると半永久的かもしれない時間が必要で、その時間を佐光がともにすることは分かる。なのでそのあたりのフォローを、読者の想像の中ではなく、本編で読みたかった。
というか寧ろ「オモチャにされたい」「くちびるに蝶の骨」あたりを読むと、廉と高間の方が作者の萌えっぽいなあ。強烈なカリスマを持ったサディストで理屈が通じない暴君で、でも笑えるほどに純情な愛があったんですよ、っていう。

***

最近の崎谷さんは全体的に不発だなあ。というか以前むちゃくちゃ好きだったのに比べて、手離しでよかった!!と言えるものが少ない。好きな箇所はやっぱりあるし、安心して読める文章なので多分もうしばらくは買い続けると思うけれど。
この作品とは全く関係ないんだけれど、男女物の小説を始めるにあたって本人が何度も口にしている「初の恋愛小説」というフレーズがどうにもこうにも引っかかって仕方がないのだ。わたしが今まで読んできたものは何だったの、あの中にあったのは恋愛じゃないの、かれらは恋愛をしていたんじゃなかったの、と言いたくなる。出版社がキャッチコピーで使ってる分には苦笑していれば済むけれど、本人が連呼しているので結構ショック。
BLに対してNLという言葉があって、それは実際同人誌のジャンル分けなどでは非常に便利だと思うんだけど、NがノーマルのNである以上、公に使うには問題がある言葉だ。せめて「一般」とか(これだって全く問題がないとは言えない)、素直に「男女物」とか言えばいいじゃないか。なんだよ初の恋愛小説って!
ということで最近の作品へのもやもやに、最近の作者の発言へのもやもやが合わさっております…慈英は恋愛以外のどんな理由で長野県に移住したのよ…「恋をしました」って言ってたじゃない…。(みたいなことを読んで好きだった話とそのカプ数だけ思ってるよ!)
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 20:57 | - | - |

久世番子「神は細部に宿るのよ」1〜2

久世番子「神は細部に宿るのよ」1〜2

自身の書店アルバイト経験をフルに活かした「暴れん坊本屋さん」、書店のみならずあらゆる本を扱う・本にまつわることを生業にする人々を描いた「番線」、そして本を書く人々・愛する人々のなおりかけたかさぶたを引っぺがしたオタク少女の黒歴史「私の血はインクでできているのよ」と、番子さんのエッセイは常に本と関わってきた。そのどれもが共感や感心を呼ぶものだったと思うし、テーマだけではなく「エッセイ」としての魅力に溢れていた。
そして、今回の「神は細部に宿るのよ」は、全く本に関係のない事柄に照準を絞ったエッセイである。しかもある意味彼女がこれまで書いてきたものとは対岸にあるもの、ファッション。

とはいえ相変わらず話を進めるのはあの二頭身の番子さんだし、二巻の表紙でも作中でも、たびたびあのエプロンをつけたまま、あらゆるものにツッコミを入れている。
これはファッションに人生を賭けたり、ファッションに大枚をはたいたり、美容のためにあらゆる艱難辛苦を耐える、そういう一部の人たちのためのファッションエッセイではない。そういう一部の人たちをオシャレの「川上」にいる人たちとしてくくり、そこそこの敬意と少しの呆然を含んだ異種のものを見る眼差しを向け、憧れるでも嫉妬するでもだからと言って軽蔑嘲笑するでもなく、自分たちはそれなりに服を買ったり着たりしてそれなりに一喜一憂している「オシャレの川下」の住人たちのためのエッセイなのだ。
着られれば何でもいいと言うほど全くオシャレに興味がないわけじゃないし、それなりに自分のコダワリと、流行との兼ね合いがある。たまには奮発して高いものを買うけれど、そういうものに限って評判が悪かったりサイズが微妙に合わなかったり。太ってウエストがきつくなったり、季節を考えずに服を着て大変な目に合ったり。そういうひとの方が本当は大多数なのだと思う。勿論だからこそ「川上」の人に興味を持ち、憧れ、近づきたいと願ったり努力したりするのだが、そんな理想ばかり抱えてたって毎日起きて服を着るのは、到底選ばれた一部の人間にはなれない平凡な自分である。そういう平凡な自分が、平凡な周囲の人たちと一緒に、相応の着飾りで生きていく。

そしてこの、ファッションというテーマで描かれた本作を見て思ったのは、番子さんのエッセイの巧さだ。普段見逃してしまうような些細なことを見逃さずチェックして、「あるある」に昇華する。時事ネタやしょうもない失敗、彼女ならではの薀蓄がうまく合わさって、そのあるあるネタにきれいなオチがつく。更にはお得意の妄想や擬人化が、読者を選ばない程度に挟まれているのもうまい。イニシャルや名前のロゴのネックレスをつけられるか否かというネタなんて、見事というほかない。
そんな番子さんなので、共感できないネタも(個人的に「あるある」として成立しないネタも)押し付けがましくないのできっちり面白いのだ。
非常に不遜な物言いだけれど、これを読むと、番子さんはこの先どんな本・オタク以外のテーマに当たっても、一定以上のクオリティのエッセイが書けることが証明されたのだと思う。

どのエピソードも好きなんだけど、「毎年のように夏になるとマリンが流行ってるから、去年のマリンで今年のマリンも乗り切れる」みたいなのが一番笑った。Gジャンブームのネタからも、流行が一定タームで回ってくるものでありながら、決して同じかたちでは回ってこないことを知っているのだと分かる。それでも多くの人はそんなこと気にせず、今までのマリンでなんとかやっていくのだ。何回マリン迎えてると思ってんだ!
他のファッションエッセイのように、読後にもっと努力してきれいになろう!とか、●●が欲しい!とかは一切思わないんだけれど、面白くて楽しくて、このままでいいよねーという安心感が得られる。
それってすごく幸せなことだ。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 21:43 | - | - |

一穂ミチ「窓の灯とおく」

一穂ミチ「窓の灯とおく」
通勤途中の満員電車で痴漢騒ぎに巻き込まれかけた築は、面倒ごとに関わりたくないという理由で嘘をついてその場を去る。追いかけてきた男・新は、同じ電車で通勤する、向かいのマンションの住人だった。

「街の灯ひとつ」のスピンオフ。とは言うものの、たまに「街〜」の主役の初鹿野が出てくるくらいで本筋には関わらないので、これから読んでも問題ない。というか最初のほう、築が「街〜」にちらっと出てきたキャラだということに気づかなかったよ…。

人づきあいが嫌いな築は、30年間誰かと付き合うこともなく、淡々と仕事をして生きてきた。明るく活発な家族とは全くもって不仲じゃないけれどテンションが合わないし、職場の連中とも特別何かするようなことはない。休日に予定があることもなく、そんな人生を不満に思うこともなく生きてきた。
だからかれが、満員電車で痴漢を見つけたときに黙っていたことも、痴漢を糾弾する男に現場を見たかと問われたのが面倒で見ていないと嘘をついたことも、かれにとっては普通のことだった。更には、あとあと男に腕を掴まれて嘘をついたと指摘されたときに、それを素直に認めることも。現場で揉めていちゃもんをつけられたり、裁判だのなんだのという場に証言を求められたりするのが面倒で嘘をついた。だから、そういう揉めごとが過ぎれば素直に真実を認める。とにかく築はかれなりの理屈を持っていて、それに従って行動している。
自分から指摘してきた癖に素直に認められて逆に呆気にとられてしまった男・新とは、そのあとも電車でよく顔を合わせた。一般的に見れば変わった奴との最悪の出会いだと思うのだが、新はそう思わなかったらしい。自分の理屈で築を責めたことを反省したかれは築に謝罪し、築の素っ気ない態度も気にせず話しかけてくる。そして同じ駅で降りたかれが、築の家の向かいに住んでいることが分かる。

遺伝子の研究をしている築と、義肢を制作している新。一穂さんの描く物語に出てくるキャラクターはさまざまで、学生もいれば商社マンもいるし、特殊清掃業者や藍染めの家業を継ごうとしているものもいる。かれらもそんな中のひとりで、個性的ではあるけれどどれも等しく同じ「仕事」だ。そういう仕事を、単に「仕事」とくくって終わらせるのではなく、裏にあるドラマを抜き出してくるバランスがとても好きだ。
大仰なことじゃなくて、些細な、けれど欠かせないドラマ。その仕事を選んだ理由とか、やりがいとか、反対に一番つらいこととか。その仕事ならではの注意点とか、職業病とか、目線とか。そういうものは全ての職にあると思う。そこには貴賎はなくて、人の数だけの物語がある。学校からの流れで研究についた築にも、中学のときにこの仕事を知ってやってみたいと思った新にも。
物語と仕事、物語と恋愛、仕事と恋愛、の結びつきがすごく好き。どれも外せないから、しっかり結ぶ。

新は築を「面白い」と事あるごとに感心し、そう言った。築の一般的ではないものの考え方や、遠慮のない行動・発言に怒ったり傷付いたりすることなく、楽しそうに笑っていた。そういうかれも大概変わっている。引っ越したばかりとは言え、カーテンを取りつけずに生活していることから始まり、築の耳の形をやけに褒めたり、些細な感情の機微に気づいたりもする。築の拒絶も笑って聞き流し、どんどn距離を縮めてくる。一緒にご飯を食べたり、携帯電話のアドレスを交換したり、そういう「普通」のことを、するようになる。
そうするうちに新のことが分かってくる。お酒は飲まない。遺伝子に興味がある。手の込んでいない料理が得意。家族に憧れがあり、家族をつくりたいと切望にも近いつよさで願っている。そして、築が会社でおしつけられた蚕の餌である桑の葉を分けてくれる知り合いがいる。そしてその「知り合い」であるまどかの家に強制的に同行させられたことと、その場に吹いた風によって、人に興味がなく鈍感だと自負している築は、いくつかのことを悟る。
まどかは新の客、つまり新に義肢を依頼している。新はまどかに恋をしている。新は自分には打ち明けていない秘密を持っている。まどかの依頼パーツとかけて、それを築は新にとっての「見せられない耳」と呼んだ。面倒で他人に極力干渉しないよう、関わらないようつとめてきた築が、新が隠しているものに興味を持った。長く伸ばした髪のように、見せられないものを覆い隠すための壁を乗り越えて、それを見たいと言ったも同然だ。自覚して驚くほどの勢いで、築は変わって来ている。

新の秘密を知ったり、まどかに恋人がいることが明らかになったり、築が実家に新を連れて行ったり、更に関係は密接になる。生まれた家庭に問題があり、そのことが家庭を出た今でも深い傷になっている新と、何不自由のない暮らしをしてきた築。自分に誠実で優しい両親と兄と姉、そう言う中で暮らしてきたからこそ、築は新にかけることばを探して、飲みこんでしまう。
あまりに新の家庭に配慮する築に向かって、新がもう過ぎ去ったことなのだからと笑い飛ばす。けれど築はそれを、それが自分への気づかいだと分かっていてもなお、笑わない。「生まれる前に親を選り好みしてるなんていう寝言につき合うなら、何で(新が)この家(=築の家)に決めなかったのかと思う」と築が言えば、「お前に譲ったんだよ。覚えてねーの?」「じゃあ代わってやればよかった」「俺がされてきたような目にお前が遭うのは絶対にいやだ」という会話が凄く好き。
ただのお向かいさんなのに、まどかに「友達」と紹介した新の言葉を遮って「知り合いです」なんて言ったくせに、築は本気で言っている。それが本気だと分かるから、新も譲らない。たとえ何を言ったところで過去は変わらないし、二人の家庭が交換されるわけじゃない。けれど、二人とも譲らない。地獄を見てきたからこそ築に味わわせたくないと思う新と、想像できないほどの地獄だと知りながら代わってやりたいという築。たぶん築はどんな地獄を見たとしても、やっぱりやめた、とは言わないだろう。
関係が濃くなるにつれ、築の中に異変が起こる。なんでもないことで苛立ったり、どうしようもなく焦ったり、そんな自分を持て余す。
一穂さんの書く、恋の自覚が凄く好きだ。いらいらした気持ちが何なのか自分でもうまく判断できなかった築は、夕方、隣を歩いている新の顔にフェンスの網目の影が落ちているのを見て、一気に泣きだしたくなる。そしてその夜、それが恋だと気づくのだ。初めて一緒に歩いたわけじゃないし、家に行ったりもした。けれど恋はいきなりやってくる。いきなり隕石みたいにやってきたとも、これまでのちいさな積み重ねが到達したとも言える。

築の初めての恋は、成就を願うものではなかった。ただひたすら新の幸福を願う恋だった。つらい過去を全て脱皮して生まれ変われたらいいのに、自分に自信を持って好きになった人に真正面から告白できるようになればいいのに、暖かい家族を作れればいいのに。
そのために築はひとつの大きな計画を立てる。新が好きになった女性と結ばれて家族を作るための計画。それはイコール築の失恋の計画だったけれど、かれは必死で計画を遂行する。そしてそれこそが、これまで計画も目標もなく生きてきた自分の、人生をかけた「全う」になるのだと確信している。
築は恋を知ったけれど、かれは実った恋を知らない。好きなひとと両想いになったときの幸福をかれは知らない。だからこそこの大胆な計画に出られたのだとも思うけれど、たぶんそうじゃなくてもかれは同じ行動に出ただろう。引き裂かれるような思いをしても、かれは自分より新を取る。その不器用さや真っ直ぐさは、かつて新が評価した「ぶれない」「築だけの芯がある」ということなんだろう。

新にも同じころ、変化が起こっていた。築の計画を知って新の気持ちが動くんじゃなくて、築が新を思って画策している時に、新が築を好きになった、というのが凄く良かった。結果的に両思いだけど、先に言ったのは新だ。そしてそれを何とか断って、計画通りにことをすすめたい築と、その計画の先にある「まどかと家族を持ちたい」という希望を既に持っていない新。なかなか巧くいかないけれど、焦れったくてもどかしくて、恋愛は面倒で、だからいい。面倒なことに首を突っ込んで、余計なことを沢山してしまう、そういうものに築も足を踏み入れたのだ。

再三言ってる自覚はあるけれど、本当に一穂さんの文章が好き。どんどん好きが増しているように思う。些細な比喩とか情景描写とかもかわいくてくせがあって、行間に埋もれてしまいたい気持ち!
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 23:34 | - | - |

10月ごはん

・チャブヤ本店

何度か行ってる「ちゃぶや」は焼き鳥屋で、こちらはもつ料理メインのお店。…ということに行ってから気づいた。焼・刺・煮と色々揃ったもつ鍋屋。焼き鳥同様美味しい!

・おかし

ひーたそから送られてきた太宰クッキー(仮)!正面に値札シール直張りするあたりが土産品だよ!

中身はこんなかんじ。味は至ってふつうの林檎クッキーなんだけれど、装丁が夢のよう。いいなあ弘前行ってみたい!

・祇園小石

京都らしいところへご案内ということで、行ってみました祇園小石。地元民にありがちなことに行ったことがなかった。黒糖ミルクにコーヒーゼリーが入っている。パフェなんかもそうだけれど、伝統云々というよりは京都・和風・お茶を使った創作スイーツって感じだなあ。ガチガチの和菓子なんかに比べてとっつきやすいと思う。都路里のパフェなんかと同義。

・炉ばた りん

炉端焼きメインの居酒屋。魚料理が!いっぱい!魚!好き!
ほっけと塩サバの両方を頼んだら「多いんで片方にしたほうがいいですよ」と言われたので塩サバにしてみた。確かに大きいわ…比較生中ジョッキ。

ほたて!
刺身も焼魚もどれもこれもおいしかったー。肉などの魚以外のメニューもあります。この店、偶然つけたテレビで(たびたびロケで京都に来る)船越英一郎がお気に入りとして紹介していたんだけど、店内に所狭しと船越さんのポスターが貼ってあってわらった。

・Sugary

そのあと飲み会に合流。各国のビールとピザやパスタを置いているお店。
で、最後に食べたケーキ。
次は食事で行きたいなー。

・懐食こおげ

北新地はつるとんたんくらいしか行ったことないんだけど、前情報がないとどこに入っていいのかさっぱり分からない構造だなあ。ここは友人がピックアップしてくれた店のうちのひとつ。ランチ1000円ということも知っていた。
雑居ビルのエレベーターに乗り、ドアが開くとすぐに店の前。入ってみると少し混んでいるので出るまでに時間がかかるけれど、待ってもらえるならば、と案内される。で、最初に告げられていた時間よりかなり早くランチが出てくる。美味しかったし、接客も良かった。のはいいんだけれど、メニューがない。壁に書いて張ってあるようなこともない。食べ終わってレジに向かうまで、値段が分からない。
これが、北新地…!
(たぶん忙しくて色々すっ飛ばしてただけだろうけど)
手の込んだ和食のお膳で美味しかった。しかしせめてフタ開けて写真撮れよって感じですね。

・DRUNK BEARS

NU茶屋町の地下。外国のビールと完全に酒のアテであるサイドメニュー。ナチョス美味しかったけど、ソースとそれ以外の割合がおかしくて、中盤以降は単にスナック菓子を食べている状態でした…。

・ethnic diner eve

梅田のカフェ。店の真ん中に大きな水槽がある。数年前に行ったときはランチだったので、夜は水槽がライトアップされていると初めてしった。誕生日が近かったのでお祝いしてもらったー。わいわい。
アイスクリームチョコがけ。

・アマポーラ

ルミネ新宿の中にあるスペイン料理屋。パエリアが食べたいという友人と行ってきた。彼女がパエリア・アーデって言ったことを忘れずにいようとおもいます。
小さめのパエリアとタパスにデザート・ドリンクがついて1400円くらいというお値打ちランチ。タパスもパエリアも美味しかったんだけど、

デザートのお皿は他にないのか…?
値段的にもボリューム的にもこの量で問題ないので、あとは皿を…いっそコーヒーのソーサーでもいいから皿を…。
アマポーラってきくと「なるたる」を思い出しますね。

・スタバ

そのあとブラブラして、お茶でもしようかとスタバに行くと満席。で、よく見ると奥にカウンターがあって、そこだけ席が空いている。あそこに座っても良いのかと聞くと、そこは特殊メニューでコーヒー入れますよ、的なことを言われる。よくわからないまま座ると、好きな豆を選んで、それを入れてくれる、つまり普通のコーヒーにこだわった喫茶店ような状態。
豆とか正直全然わからないので取り敢えず飲みやすそうなものを薦めてもらって、それを頼む。「ルワンダスワヒリ」というやつ。コーヒーはひとくくりにして「コーヒー」だというくらいの認識なんだけど、手順を説明してくれるので面白かった。

・はなの舞

久々に会ったさえこりんとMoranのあと飲む。翌日R&J梅田に行くため夜バスで帰るので、バス乗り場の近くにしてもらったらはなの舞しかなかったぜ。
長らく会えてなかったんだけど久々に会えてよかった。お互い色々くすぶってますけどネ!

・懐石 蛍

家族でご飯。いくら和食でもいくら懐石でも沢山食べたらお腹が膨れる。
季節的に松茸オンパレードで、松茸のすき焼きがメニューにあった。食べられないわけではないがキノコ苦手なので、最初に苦手なメニューを聞かれたときに「すき焼きの松茸を他のメニューにしてくれ」って頼んだら、山盛りの国産のまいたけが出てきて非常に申し訳ない気持ちになりました…キノコが駄目って言えば良かった…。
家族がおいしくいただきました。

・ふれんちラぁ麺ガスパール
テレビで紹介されてたラーメン屋さん。凄く美味しそうなのでともだちと行ってみたら大行列。二時間近く並んでしまった…下調べが甘かった…。
バケットとハムのムース、メインの麺、更に最後に出てくるひとくちサイズのご飯がデフォルトのセット。ラーメンは普通サイズとミニサイズが選べる。

ラーメンは四種類。二種類のつけめんと二種類のラーメン。これはアサリのラーメン。もともとアサリが大量に入っているんだけれど、更にアサリを追加してくれるのでびっくりした。食べても食べてもなくならないアサリ!好き!

ご飯とメンチカツ。ここにラーメンのスープをかけて食べる。おいしい。
美味しかったので他のメニューも食べに行きたいんだけど、さすがに二時間はつらいので、ほとぼりが冷めたら行こうと思う。…さめるのか?

・風枝

和風の中華料理という感じのお店。なので本格的な中華よりあっさりしていて馴染みやすい。
写真はコラーゲン鍋。

・flowing karasuma

二件目に連れて行ってもらったカフェ。この日は夕方からウェディングパーティをやっていて、それが終わったあと通常営業に戻したそう。店員さんが二人でケーキを持ってきてくれたのだが、微妙に「おめでとうございまーす…」「まーす」みたいなテンションで面白かった。おつかれです。
べつに4とは関係のない年齢になりましたよ!

あとは飲み会で連れてってもらった店が美味しかったけどさっぱり名前も場所も分かってないとか、広島に続いて二件目となるモスド京都が非常に残念だったりとか、居酒屋で飲み会→牛角→金龍ラーメンでオールして死にそうとか、そんな感じです(なにがアレってこの会合わたしが群を抜いた最年少だということ…わたし20年後に同じことできる自信ないよ…)。牛角のレジに日本酒の虎徹があったことをわたしは見逃さなかったよ!にくいね!
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posted by: mngn1012 | 日常 | 14:10 | - | - |

山中ヒコ「王子様と灰色の日々」1

山中ヒコ「王子様と灰色の日々」1
貧しい家に生まれた敦子は、酒飲みの父とのろくでもない暮らしを送っている。ある日大金持ちの男子高校生たちと出会った彼女は、失踪した御曹司・至の身代わりを依頼される。

少女が少年の格好をして、少年として生活する。男子校に入ったり、男子の部活に入ったりする。それは少女漫画において繰り返し描かれてきたテーマだ。
この主人公敦子も、乃木グループの跡取り息子・至にそっくりだったことから、かれの振りをするように頼まれる。寧ろ自分とそっくりな敦子と偶然出会ったことで、至は失踪を決断したのだ。至がいなくなったことを外部に悟られては困る周囲の人間たちと、生きてゆくための最低限の金にも困っている敦子。無理やりに利害を一致させるかたちで、敦子は至の家である「宮殿」で暮らすことになる。

飲んだくれで働かず、娘が危険を犯して手に入れた僅かな金での食事を良しとしないろくでなしの父親とぼろアパートで暮らしている敦子は、三食食べて毎日風呂に入る生活すらままならない。勉強だけはできるけれど、隠し切れない異臭やすさんだ精神の所為で友人がいるはずもない。修学旅行にもクラブにも参加しない彼女は教師からの評判も悪い。援助交際詐欺のようなことを繰り返してはした金を稼いでいる彼女の願いはただ一つ、はやく大人になって金を稼ぎたい、というものだ。
敦子の貧しさにはひとつの笑いもない。周囲からの嘲笑はあっても、彼女自身が笑ってしまうようなことはない。気を抜いて過ごせる時間も一切ない。それが本当に貧しいということ、そして、家族に恵まれないということだ。救いのなさ、安らぎのなさ、少しの油断が新しい絶望を連れてくるような生活は、この先しばらく終わることもない。

ある日彼女はいかにも金のある高校生三人がコンビニで気まぐれにおでんを買い、食うの食わないの捨てるのと言っているところに出くわす。実際敦子にしてみれば、同世代の見目麗しい男たちに会ったというより、問題もないのに廃棄されようとしている食糧に出会ったと言ったほうがふさわしいだろう。しかし自分を見ていたセーラー服の野暮ったい少女が気になった男たちは、敦子をいとも簡単に浚い、宮殿のような屋敷へと連行する。
さらうように指示したのはその屋敷の住人であり、乃木グループという巨大な企業の跡取り息子・至だった。最初から王になるものとして育てられたことがひしひしと伝わる、悪気のない傲慢さを持った至は敦子の服を脱がせ、あろうことかそれを自分で着た。そして着るものがないという敦子に自分が脱いだ制服を着させたとき、かれは目の前の少女が自分と瓜二つであること、髪の長さ以外のなにもかもがそっくりであることに気づく。物怖じしない敦子は怒り、屋敷を出てゆく。片方の靴をなくしたままどしどし歩く彼女に慌て、自分が履いていたぶかぶかのスニーカーを片方履かせてくれたのが信也だ。触れたものにすら匂いがうつると陰口を叩かれていた敦子の足にふれ、履かせてくれた。

同じ顔をした二人の人間の家に、時を同じくして事件が起こる。至が失踪した頃、父親の借金のかたにやくざに売られそうになった敦子は家を飛び出した。そこへ昨日敦子をさらった三人のうちの最後の一人である遼が来て、至の身代わりをするように依頼する。それは困り果てた男の懇願ではなく、取引ですらなく、敦子自身ですらまだはっきりと気づいていなかった信也への思いを利用したある種の恐喝だった。
そして彼女はそれに乗る。母を愛したために娘を押し付けて逃げられた父のように、信也を好きになったために、このろくでもない提案を受け入れてしまうのだ。
貧しいゆえに酷い目にあってきた敦子は思う。「この世で一番不幸なことは 人を好きになること」だと。誰かを好きになることは身動きがとれなくなることで、不利益な提案を承諾してしまうことだ。

信也にも黙って敦子を至にした遼は、辛辣で遠慮がなく、信也を好きな敦子を馬鹿だと思っている。自分から振っておいたくせに、こんな話を受ける彼女を愚かだと思い、軽蔑さえしている。しかし敦子のあまりの必死さや、ときどき見せる表情にかれの気持ちは揺れる。好きだというだけでここまでできる敦子に驚いてしまう。
けれど敦子にしてみれば遼だって同じだった。至が帰って来る日まで何事も起こらないように、何事も起きていないように、手を回して取り繕っているのは他でもないかれだ。指摘された遼から語られる理由もやるせなくていい。

遼に計画を聞かされていなかった信也は、偶然至の身代わりをしている少女に会う。かれは至の格好をしているのが敦子だと、あの時自分がスニーカーの片方をくれてやったセーラー服の少女だと気づかなかった。「どこかで会った」と聞く信也の言葉に敦子は首を横に振った。
その前の会話で、信也にどうしようもなく好きな人がいると知った。けれどそれだけじゃないだろう。たとえ信也の心を占める人がいなくても、敦子は果たして名乗っていたか、定かではない。

恋であれ何であれ、誰かを好きになることは辛い。誰かに愛されないこともまた、辛い。母に捨てられ、父に売られかけた敦子。母に愛されなかった至。家族と縁遠かった遼。伝えることすらできない恋に奔走する信也。正体すら明かさず恋に殉じる敦子。

もしかしてこれは、いや寧ろもしかしなくてもこれは、「花より男子」のアンチテーゼなのかなあ。貧しい家庭、いじめ、想像を絶するお坊ちゃん集団。そこに「花盛りの君たちへ」「桜蘭高校ホスト部」ばりの男装が入りこむ。明るくポジティブな作品の要素が複数見られるのに、この話ときたらどこを切ってもネガティブ。山中ヒコ作品としては決して珍しくないトーンなんだけれど、暗い重い酷い。少女漫画の命題である恋愛の素晴らしさを序盤で全否定して、さあどこへ連れて行ってくれるのか。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 20:46 | - | - |

カガノミハチ「アド・アストラ スキピオとハンニバル」1

カガノミハチ「アド・アストラ スキピオとハンニバル」1
紀元前三世紀、海運国家カルタゴと共和制ローマは地中海の覇権を賭けて争い続けていた。成長し続けるローマに圧されていたカルタゴは、バール神の恩恵を受けていると言われるハンニバルを中心に、人の裏をかいた奇策でローマを脅かし始める。

世界史はさっぱり分かっていないのだけれど、その分思い入れも自分の解釈との齟齬も違和感もツッコミもなく楽しく読めた。主役はローマ最大の困難と言われたカルタゴの英雄ハンニバルと、奢れるローマの執政官の息子スキピオ(小スキピオ)。
対ローマの指揮をとっていた父にとって待望の男児であったハンニバル・バルカは、生まれた時からその他大勢の人間とは大きく異なっていた。しかしそのことがかれをバール神に祝福された存在であると思わせた。実際ハンニバルは少年の時から非常に回転が速く切れる頭と、子供らしさの微塵もないがらんどうの瞳を持った特別な子であった。
破れたカルタゴを嘲笑し、侮辱するような態度を取るローマ人に、カルタゴの人々は抵抗する術を持たない。憎しみに満ちた瞳でにらみつけたところで、家族を人質に取られてしまっては罵ることも、立ち上がることもできない。そんな中、ハンニバルはその何もうつしていないような漆黒の瞳と、子供とは思えない狡猾な物言い、挑発的な態度を向ける。それは子供だから、と到底許されるようなものではなかった。相手が大人気ないからではなく、ハンニバルの物言いが決して子供のそれではなかったからだ。かれは既に成熟した発想と、大人ならではの駆け引きや悪意を持っていた。少しの邂逅で確信できるほど、末恐ろしい子供だった。
そしてその子供は、周囲の大人の確信を裏切らず、恐ろしい怪物になった。 かれの戦術は想像を絶するようなものばかりだし、さらにたとえ他の人間がその案を出しても、かれの特異な人心掌握能力がなければ実現できなかっただろう。そんな戦を次から次へと繰り出す手腕と、倣岸な言葉が魅力的だ。

対してローマ執政官の息子としておそらくそれなりに恵まれて幸福な子供時代を過ごしてきたであろうスキピオは、 一見気さくで明るい青年に育っていた。貴族であるかれが庶民である仲間たちとわいわい楽しくやっていることからも、この時のローマの繁栄と、スキピオの人間性が見える。
しかし、スキピオは単なる坊ちゃんでもなければ、必ずしも好青年というわけでもない。ひとりの男と賭けをするシーンで、かれが実は非常に頭のきれる男であること、にこやかな笑顔の奥に強い意志や冷たい言葉を持っていることが明らかになる。冗談を言って笑いあいながら、次の瞬間には冷徹な目をして厳しい真実を突きつける。
そういうかれは執政官である父と、同じく権力者である叔父と共に戦場に赴き、他の人間にはない発想力や推察力を発揮することになる。肉親ですら今まで見抜けなかった、思わぬ才能の登場である。

まだ二人の男の人物紹介やローマとカルタゴの関係の解説に重きを置いた序盤だ。この時代の事をよく知らないこともあって、いまひとつ理解しきれた訳ではないけれど、多分あまり細かく説明が続くと導入が長すぎて早速中だるみしそうなので、これくらいで本題に入ってくれて良かったと思う。また、あとがきやインタビューを見ている限り作者が格段この時代や人物に思いいれがあるわけではなさそうなので、そのドライさが二人の男を描く上でのバランスをとるのに巧く作用している。

ハンニバルに比べてまだ人間的というか普通の人間の感覚を持っているスキピオの目線で、戦いが描かれる。ハンニバルという男が「怪物」と呼ばれる所以である考えと行動。底が知れない危険な男が次に打ってくる手はどのようなものなのか、スキピオとローマ軍の驚きや恐怖と一緒に描かれるであろうそれらは、史実をよく知らないので余計に楽しみ。ローマ側の反撃を含めた攻防が楽しみだ。
あとはまだ得体の知れないハンニバルが何を考えているのか、「がらんどう」だった男の目にどんな光が宿るのか。その辺りも描かれると嬉しい。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 14:05 | - | - |