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2011.07.31 Sunday
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三木眞一郎、神谷浩史「はなやかな哀情 プレミアムCD」(原作:崎谷はるひ)
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ドラマCD「はなやかな哀情」を締め切り日までに買うと貰える特典CD。
これまでに購入者特典として配布されたSSカード二種類を元にした10分ほどのドラマと、5分程度のキャストコメント。
二枚のSSカードのうちの一枚が「ルチル文庫崎谷はるひミリオンフェア」の「はなやかな哀情 番外編」<感想>なのは、実物を持っているので確かだけれど、もう一枚は「あざやかな恋情」の時のSSカードでいいのかな。こっちは持っていない&読んだことがないので不確かです。
記憶を取り戻した慈英と臣の、なんでもない一日の会話。二人で見る景色の美しさとか、普段何も想わずに使う言葉の違和感とか、疑問とか、言ってしまえばどうでもいい瑣末なことを分かち合う。そんな時間は今まで何度も過ごしてきたし、お互いとでなくても共有できるけれど、つい最近までもう一度こういう関係になれるかどうかが分からなかったからこそ大切なものだと思わされる。この何でもないやりとりすら、ほんとうは奇跡と努力の積み重ねなのだ。
疑問をぽんぽん口に出す、子どものようなあどけない臣と、その発想を笑ったりせずに受け止める慈英。臣の疑問にこたえてやって、そこから自明の理として普通の口調のままで口説いてくる慈英。いつまでたっても慣れずに焦ったり照れたりする臣。かわいいなーずっと聞いていたい。
そこから臣の爪の話へ。爪切りで切ってるものの巻き爪や二枚爪がもとで怪我をしてしまうことの多い臣の爪を、慈英が丁寧にやすりで磨いてやる。爪だけでなく全体的に自分の健康に無頓着な臣の態度を、慈英は今更完璧に改めさせることはできないとわかっているけれど、快く思っていない。それでなくても危険なことの多い仕事だ、気が気じゃないのもよくわかる。
自分の見た目が年齢とともに衰えていくことを不安に思っているかと思えば、怪我をすることなどなんとも思っていない臣さんの矛盾がかわいい。
自分が大切にしている体なんだから、臣自身にも大切にして欲しいと言う慈英。そんなこと言われてしまったら、実際に慈英が自分のためにどれほど気を使ってくれているか知ってしまったら、言い返せない。
でもこれから先も臣さんは自分を省みずに危険なところへ突っ込んでいったり、怪我したりするのです。
キャストコメントは記憶喪失についてのあれこれとか、こういう状況になったときに臣が諦めてしまうことへの感想とか、スケジュールがなかなか合わないとか、そんな感じの軽い話。
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2011.07.30 Saturday
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三木眞一郎、神谷浩史「はなやかな哀情」(原作:崎谷はるひ)
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原作既読。感想はコチラ。
時間の都合によって各所を削りつつも、基本的には原作に非常に忠実な作りになっていた。良くも悪くも忠実だ、と思ってしまうのは、原作に「これまでのシリーズ作品と比べて」不満があるからなので、CDが悪いわけではない。
事件に巻き込まれる前の慈英が回想する、長野での臣との時間がとても幸せで落ち着いていて、だからこそこの後のことを思うとせつない。「ば・か・だ・ろ」が可愛すぎる。慈英がどんどん甘ったれになってきて、臣さんも幸せそうにでれでれ甘やかしてて、しあわせ。
自分のことだけを思い出さない慈英について照映から責められたときの臣の返しがすごかった。普段照映の前では感情をあらわにしてきた臣が、低い声を震わせて早口で喋り始めて、徐々に気持ちが高ぶって、自分でも抑えきれなくなる。涙交じりの声で照映に食ってかかり、悲鳴のように叫ぶ。荒い息と、しゃくりあげるような声が刺さる。喜怒哀楽が分かりやすいくせに、こういう気持ちを限界までさらけ出さない臣だからこそ、どれほどかれが辛いのか分かる。
記憶を失くした慈英の心ない言葉に傷ついて返事のトーンが落ちたり、たまにむっとして怒りを孕んだり、心配する周囲に強がってみせたり、全部がものすごく臣さんで、ものすごくかわいそう。
事情を知っている堺さんとの電話のシーンの臣が、弱り切った声で、それでも前を向いて頑張るのだというようなことを言っていて、すごく切なかった。堺相手の声にはちょっと甘えがあって、堺さんは臣さんにとって本当の家族で、張りつめていた心を少し解してくれるのだと実感できる。
自分たちの関係を知り、そのことについて問うてくる慈英に対して臣が語った、同じ恋はもうできないというような話も切ない。目の前にいるのに、この世のどこにもいない恋人のことを語る臣の声は弱弱しくて、優しい。恋人ののろけを話すように嬉しそうで、これまでのことを思い出して楽しくなって、けれどそれがもう戻ってこない(かもしれない)ことを受け止めている。二人のこれまでを見て・聞いてきた分、色々なことを思い出して同調してしまう。
ほかにも、絵を描けないでいる慈英に気づいて「東京に帰れ」と言う臣の寂しい優しさとか、かれがどれほど慈英を好きだったのかが分かる。
今回大変だった慈英に関しては、何の不安も持っていなかったのだけれど、案の定何の問題もなかった。今の慈英が七年前の、しかも挫折を知らないバージョンの自信家で他人に興味を持たない無神経な慈英になり、更に記憶のこと・絵のことで苛立って普段よりも配慮をなくす慈英になる。そしてそんな慈英が臣と接して少しずつ変化し、最終的には臣に恋をする。その微妙な揺れとか変化とかもう余裕ですよね、余裕でした。自分が結構三木さんに盲目なことは知っているよ。だってすげえんだもん。
とまれ、少しずつ違う色々な慈英の口から発される「小山さん」という言葉の残酷さはすごい。臣さんと同じように傷ついてしまう。
単に臣についての記憶がないだけでなく、ここで出てくる慈英にとって大きいのは、かれは鹿間とのあれこれを知らない慈英だということだ。挫折を知らないかれは、他人の挫折や傷に、これまでに増して鈍い。苛立ちもあって配慮がない。適当に笑ってごまかすような処世術もすくなく、あからさまに不満な声で返事をしたり、言ってはいけないようなことを平気で口にする。
「しなやか〜」のときの慈英のようで、そうじゃない。でも別人でもない。この強烈な違和感が少しずつ臣を傷つけ、聞いているものを傷つける。慈英なのに慈英じゃない。
一番つらかったのは、慈英の元に送られてきた和恵のメールだ。原作では既に消去されていて内容が明かされないまま終わった、慈英が和恵に送ったメールが残っていたのは驚いたけれど、それよりも和恵のつたない言葉で語られる臣の話がやるせない。強がりだけれど傷つきやすくて、これまで恋に傷つけられてきた臣を心配する家族の言葉。ここ泣けた…!
事件に巻き込まれて怪我をして命の危険に晒されたうえ、記憶の一部を失ったという、完全に被害者の慈英に対しても一貫して冷たい態度をとり続ける久遠に檜山さん。檜山さんと最初に聞いたときは、合うような合わないようなどうなのかしらと思っていたんだけれど、とても良い感じ。久遠の底意地の悪さがじわじわ出ている。最初から臣に好意的で、臣に親切な久遠だけれど、それが慈英の前になるとわざとらしいほどになる。あー意地悪。
慈英と二人のときの意地悪っぷりはすごい。これまでの慈英のことも、本人いわく「嫌い」だった久遠は、かれがこんな目にあった今ですら態度を変えない。むしろ、記憶を失ったことで更に慈英を嫌いになっている。かつての慈英が悪気がないとは言え人を傷つけたことを怒るならまだしも、今回は完全に被害者だ。けれど久遠は気遣うようなそぶりも見せず、慈英を責め、罵り、呆れ果てたように見放す。この久遠の態度については原作の時にいかがなものかと思ったのだけれど、飄々とした声がつくことで重さが軽減されていい。久遠さんが女の子を好きなのが惜しい。
「やすらか〜」でもツンツン俺様っぷりを発揮していた弓削はここでもツンツン。こちらも被害者である慈英相手にさんざんな言いようだけれど、弓削だしね、と思わされる。一方的な弓削の主張には、朱斗が心配していることへの苛立ちと、記憶を失くした慈英が前と同じことをのほほんと言うことへの呆れと、全てを含んだ怒りがある。もともとのツンが更にツンになってて、とげとげしくていい。
小説の弓削の話はあんまり好きじゃなかったのだが、CDに脇役で出てくる弓削はとても好きだ。
繰り返しになるのであんまり言いたくないんだけれど、照映さんがきつい…。豪放磊落というよりは無神経なキャラクター自体が苦手なのも少なからずあるんだけれど、風間さんがすごく、わたしのイメージの照映さんと合わない。浅野のときは、イメージから外れないけれど喋り方が苦手だなあと思ったので、今回は二重だ。あんまりキャラにも演者さんにもこういうこと思わないんだけれど、長台詞とか大切な台詞を聴き続けるのがしんどい…長野に帰ってきてからばっかり聴いちゃう。物語に思い入れも強いから余計に、か。
奈美子さんが恒松さんなのにもびっくり。豪華だな…閉鎖的な田舎に嫁ぎ、夫が長く家を離れている上、帰るところがないという彼女の苦悩や孤独が切ない。親身になってはくれるものの、力があるわけでもないおばあちゃんしか味方がない彼女の「どうにもできない」という涙声がやるせない。
おばあちゃんや浩三さんはいつも通りの安定感。浩三さんは警察官じゃないのに活躍しすぎです!
取り敢えずCDで一番聞きたかったのは、最後に全ての記憶を取り戻し、これまでの記憶も全て残っている慈英が臣に話しかけるところだ。どんな芝居をするのかというか、慈英はどういう声で喋ったのか、想像がつかなかったからだ。「五日どころじゃなくなりましたね」でおおお!と思い、「ただいま」ですとんと納得した。その言葉の内容と、なにより話し方で慈英が戻ってきたと分かる。
分かったからこそ臣は、「遅い!」と泣き叫んだ。事件からこっち、今まで慈英が何を言ってもかれに大きな声をあげなかった臣は、慈英が戻った瞬間にかれを責めた。臣が正面から責められる、本音をぶつけられるかれに戻ったのだと思えば感慨深い。
「入籍したら返す」も、ちょっと声を震わせてためらいつつの言い方で可愛かった。でも実際口にしはじめるとまた気持ちが高ぶってきてしまって、泣きながら喋るはめになる。で、慈英もまた泣いちゃって、ああもうほんとよかった。
辛かった時間が長かったので、両想いになってから・慈英が戻ってからのシーンが短いのは原作同様。カタルシス不足なのも原作同様…仕方がないけど。でも文字で読むよりは音で聞くほうが丁寧だし時間がかかるので、少しは改善されたかな。
さて、「たおやかな真情」ドラマCD待機に入ります。
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2011.07.29 Friday
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荒川弘「銀の匙」1
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荒川弘「銀の匙」1
寮があるという理由で農業高校に入学した八軒は、これまで全く想像したこともなかった生活に振り回される。
「鋼の錬金術師」でも生きること・死ぬことについて何度も画面を通して語ってきた荒川弘が、かつて実家の酪農を手伝っていたことや、そこで家畜というもの・自然というものへの視線が養われたことは「百姓貴族」から伝わってきた。そして新連載は、農業学校もの。
札幌の中高ほぼ一貫進学校に通っていた八軒は、高校への内部進学を辞めて、誰も知ったもののいない農業高校に進学した。広大すぎる土地や、動物達がその辺りにいることに戸惑っていたかれは、クラスの自己紹介で度肝を抜かれる。一人ずつ、席順で自己紹介をするクラスメイトたちは、皆夢を持っているのだ。将来実家を継ぐために勉強に来たもの、家業を更に飛躍させようという目標を語るもの、この学校でしか学べないことを学びに来たもの、皆がまるで好きなテレビ番組やスポーツでも言うように、将来を語る。
そしてそれが口だけでないことは、勉強が決してできるわけではないかれらが、非常に潤沢な専門知識を持っていることからも分かる。皆が、夢に向かって既に走り出している。
八軒はこのクラスメイトたち、この学校の雰囲気を「夢持ってなきゃダメ人間みたいな空気」と称したけれど、そう感じているのは今のところかれだけだ。実際八軒が自分の将来を語らなかったことについて、誰もかれを責めたり冷やかしたりはしない。出身中学や家庭環境から珍しいとは思っているだろうが、特に拘ることも追求することもなく、みんな和やかに接している。
屈折したものを抱えているであろう八軒は、しかし非常に「いい人」だ。勉強が出来ないというクラスメイトがいれば分かるまで丁寧に教えてくれるし、ニワトリが逃げて困っている先輩が助けを求めてくると我先に手伝おうとする。ニワトリについてよく知らないということもあるだろうけれど、かれはきっと知ってても手をあげただろう。体力も知識も誰よりもないけれど、かれにはその「いい人」という長所がある。
そんな「いい人」の目を通して見る、農業高校の生活はすさまじい。全員参加必須の部活は運動部のみ、寮の風呂は15分、マラソンの校内一周は20キロ、グループ分けしての家畜舎実習は朝5時起き。実習が終わったと思えば、寒波で飛ばされそうなビニルハウスを全力で押さえにいく。楽しみは食堂のご飯。捕まえた家畜は目の前で首を落とされる。そしてそうやって加工された食事は美味い。
更には人懐っこい女子生徒・御影につられて入部した馬術部は朝4時起きで、ひたすら馬小屋の掃除で活動が終わる。
笑えることも笑えないことも、大変なこともそうでないことも、同じテンションで描かれているのが良い。現実を残酷だと言うことも、家畜の命と向き合う仕事を続けるひとびとを普通以上に誉めそやすことも必要ない。けれど知っておくべきことだ。現実として、仕事として、そこにある。
家畜の命と向き合うのは、食肉業に携わるものだけではない。獣医を志望してこの高校へ来たというクラスメイトと、獣医として競馬場で馬の診療をしている男の言葉で、八軒はそれを知る。
夢があって、その夢を達成するためには何が必要なのかをかれは知っている。そしてこの学校に入学することも、必要なステップに組み込まれている。既に将来のヴィジョンがあって、着実に進んでいるかれは八軒にすれば素直にすごい人物で、羨ましいとすら思う。けれどかれは浮かない表情で、それだけじゃだめなんだ、と言う。
その答をかれから聞くことは出来なかった。その代わりに八軒は、競馬場でつとめる獣医に問う。学費を払うための金なども勿論大切だが、一番大切なことは「殺れるかどうか」だと獣医は言う。残酷とも取れる発言だけれど、それはどうしたって逃れようのない真実で、寧ろ目を伏せたまま夢をかなえてしまった方が問題になる。動物が好きで、動物の病や怪我を治したいと願って獣医を志したとしても、死の問題は必ず付きまとう。誰だって殺したくないけれど、そこを無視しては通れない。
「殺れるかどうか」という返事を大きなコマで描いたこと、回りくどい言いまわしではなくて「殺」という文字をきちんと使って答えたことに大きな意味があると思う。そこに悪意は全くなくて、誠意や善意に満ちていたとしても、「殺す」ことを決めることがあるから。
夢を持ち、それに向かって進むということは、現実と闘う覚悟を持つことだと獣医は言う。
その覚悟を、生徒たちは既に持っている。家庭環境から進学できず、早々に家を継ぐことを決めたもの。競馬で結果を出さなければ殺処分されると知っているから、家の馬を必死に応援するもの。手塩にかけた馬が、急死する可能性があることを知っている馬主。
自己紹介の時に語られた夢の数だけ、戦う現実がある。清濁併せのんだ上で前を向く生徒たちに、「夢がない」八軒は焦ったり、落ち込んだり、尊敬したり、感心したり、力を与えられたりしながら毎日を生きる。知らないことだらけの農業学校で、一歩前を行く仲間たちとの毎日が、かれを変えていく。
現実と夢と、殆どの人にとっては初めて知ることになる農業学校のリアル。食べること生きることを考えさせられるけれど、説教臭さはない。出来が悪いものから淘汰されて殺処分され加工されていくことも、疲れたあとのご飯がいつもより美味しいことも、どちらも同じ現実なのだ。
荒川さんは何を描いても面白いのだ、ということが証明された。
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2011.07.27 Wednesday
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峰倉かずや「峰倉かずや短編集 蜂の巣」
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峰倉かずや「峰倉かずや短編集 蜂の巣」
治安の悪化により、臓器目当てで遺体を奪おうと画策する連中が増えた世界。そんな中遺体を守って無事に火葬場まで連れて行くことを職業にしている人々がいる。保健所に勤める「葬迎員」だ。
短編集とは言うものの、殆どはこの「葬迎員」二人組のドタバタ一話完結エピソードの連作で構成されている。
右目に常に眼帯をしている若い男と、丸いサングラスに白髪交じりの髭がトレードマークの年上の男。黒いスーツに黒いネクタイという喪服に常に身を包んだ二人は、死亡した人の家を訪ねて遺族から遺体を引き取り、棺桶に入れて、黒塗りの車で火葬場まで連れていく。それだけ聞くと、葬儀会社の仕事のひとつのようだけれど、実際は違う。
臓器売買の横行により、「新鮮な遺体」はブローカーや金儲けをたくらむ連中にとって非常においしい宝となった。他人の遺体から勝手に臓器を抜いて売買するなんていうことをしでかすのは、勿論血なまぐさい連中だ。つまり葬迎員は、かれらの攻撃から無事に遺体を守る義務があるのだ。
かれらの仕事は厄介だ。大切なひとを失ったばかりで悲しみにくれているひとびとから、遺体を出来るだけ早く回収しなければならない。そして車に乗せるや否や、どこから嗅ぎつけたのか遺体を狙ってくる人間たちの攻撃を避け、あるいは応戦しなければならない。無事に火葬場へ運び入れ、身元確認に問題がなければお仕事完了。命も精神もすり減らしそうなこの仕事は、決して給料が良いわけではない。あくまで保健所の役員なのだ。
日々色々な遺体と対面するかれらは、服装こそ神妙なものの、非常に気楽かつローテンションで、良くも悪くもテキトーだ。その辺の飯屋に入って仕事の話をして周囲の人間がブルーになっても気にしない。峰倉作品ではお馴染みの煙草を片手に、車を運転して銃を撃って、へらへらしながら毎日の仕事を確実にこなしていく。
どこまでもヘヴィになることも可能な設定と、それをいい意味で裏切るキャラのおちゃらけた感じ。その人生を謳歌してそうなかれらの奥に潜んでいる、闇や悲哀。バランスのよさと、物語の根底に走るフキンシンが心地いい。 この表紙のフキンシンなこと!
大切な人を失って嘆き悲しみ、遺体と別れたくないという女。自分もともに死ぬという男。その死を受け止められない・信じられないでいる幼い子供。その死を利用しようとするも一杯食わされて、ばかをみた男。
遺体の数だけ、遺されたものの数だけ存在するドラマに葬迎員たちは向き合い、いつのまにか出演者のひとりに組み込まれる。かれらは冷静だけれど、決して冷酷ではない。数え切れない遺体を見送ってきたかれらだから、数え切れないドラマに出演してきたかれらだから言えることがある。到達できた答えがある。
峰倉かずやの作品では、ひとはいつも死と背中合わせの生を送る。死はいつだってすぐ傍にあって、少しのズレでそちら側へ行ってしまう。その危うさの中で目一杯生きるさまが、眩しくて愚かでいとしい。
臓器売買を牛耳る男なども出てくるけれど、まだ物語りには絡んでこない。このまま一冊完結でも問題ない程度にしか登場していないとも言えるし、いかにも悪そうな笑顔の男がこの先どう暗躍するのかが楽しみとも言える。回収できるかわからない種を撒き散らしている、という印象はない。
「Arcana」に掲載されていた、テーマ別の短編集も面白い。長編とは股違った、けれど確かに峰倉かずやとしか言いようのない毒のある物語。「星の王子様」の実は甘ったるいエンドとか「七匹の仔ヤギ」の気持ちいい不快感とか、楽しい。
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2011.07.26 Tuesday
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TIGER&BUNNY #08「There is always a next time.」
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ルナティックの行動と発言以降、ヒーローの存在意義・必要性が問われている。チャリティーショーでタイガーの足を蹴った少年以外にも、犯罪者・悪い奴は逮捕ではなく「やっつけ」られるべきなのだと考えている人間は多い、ということだ。
そういった意見が増えることはすなわちヒーローへの不信やかれらの不人気につながり、HERO TVの視聴率低下やスポンサーの撤退にも結び付きかねない。慌てた各企業の代表が集まった会議には、ユーリ・ペトロフも参加している。普段通りの顔でルナティックの逮捕策について述べるかれの底がしれない。
結局はマーベリックによる、ヒーローの信頼回復という提案で話は一端お開きになる。
「Let's believe HERO」なんて書いた襷をつけて老人ホーム慰問やゴミ拾いなどにヒーローたちが分担される中、ワイルドタイガーとバーナビー、そして折紙サイクロンはヒーローアカデミーへの訪問を課せられる。バーナビーと折紙は卒業生だからで、ワイルドタイガーはバーナビーとの抱き合わせだろう。
ともあれ次のヒーローを目指す人々に暖かく迎えられたかれらは、一様に浮かない顔をしている。タイガーは面倒ながらもそれなりに仕事として受け止めているようだが、バーナビーは少しでも多くウロボロス究明に時間を割きたいと考えている。かれにとってはヒーローの人気とか理論とかは、両親の仇の前ではとるに足らないことだからだ。 そして折紙サイクロンことイワン・カレリンは、見切れるばかりでポイントも最下位の自分がかれらにとって憧れるようなヒーローではないことを知っているからこそ、浮かない顔をしている。
楽屋代わりの教室で、アンダースーツ姿のバーナビーが「あー帰りたい」とぼやくところに驚いた。どんな時だって愛想よく人に接して、「疲れないのか」と問われても「仕事ですから」と返していたバーナビーからは考えられない態度だ。ここに三人しかいないとしても、かれがどれほどおじさんに心を開いてきたのかが分かる。
それぞれの講義。ポイント最優先だとドヤ顔で言うバニーと人命救助のためなら器物損壊も気にしないと言うおじさんの話は素直に聞いていた生徒たちも、スポンサーアピール最優先の折紙の講義には不満を隠さない。バニーも決して良いこと言ってるわけじゃないので、講義内容と言うよりは普段の活動に対する反応の違いもあるのだろう。
生徒たちが自分のNEXT能力を見てほしいとタイガーに願い出る。ひとりずつ見てやるものの、殆どはびっくり人間としか言いようがないもので、人命救助などに活かせそうにはない。けれどここでそう言ってしまうのは得策ではないので、笑顔を褒めてやりすごすワイルドタイガー。
その様子を見ていたイワンが、ようやく解放されたタイガーに声をかけて自分の能力を見せる。これまで見切れることや、不特定多数の人間に出来るような行動しかとってこなかった折紙サイクロンのNEXT能力は、擬態だった。声は努力すれば似せられるけれど、能力までは同じに出来ない。しかしいかにも「特殊能力」という感じの力だ。
しかしその能力は未だヒーローとして発揮されていない。そもそも折紙サイクロンのヒーロースーツに身を纏っている以上、擬態もくそもない。そのことを一番分かっているのはかれ自身で、どうせ自分なんか、とイワンは落ち込み始める。
そんなかれに、お前の能力にしかできないことがあるんじゃないのか、とワイルドタイガーは言う。ありふれた、けれど真っ当なその慰めに、イワンは過敏に反応する。かつて、同じことを言ってくれた人がいたからだ。ヒーローアカデミーに通っていた時に行動を共にしていた友人。学年一のNEXTで、次期ヒーロー間違いなしだと言われていた男。
その話を聞いたワイルドタイガーは、しかしそんな男が現在ヒーローとして存在していない事実を踏まえて、イワンに適性があったからだ、と言う。何も知らなければ多くの人間はそう思うだろう。ブログの炎上などで落ち込みがちのイワンが自分を卑下しているだけだと、思うだろう。思うからこそ慰めようとし、もしくは結果を素直に受け止めない態度に苛立ち、畳みかけるようにタイガーはイワンを鼓舞する。けれどそれは逆効果で、結局のところイワンは走り去ってしまう。 人の話を聞かないタイガーと、人に話をしないイワン。人を理解することが苦手なタイガーと、人に理解されることが苦手なイワン。
事情を話さずに逃げ去ったイワンの過去を、タイガーはアカデミーの校長から聞くことになる。かれが語った次期ヒーロー候補の生徒エドワードと一緒に外出したイワンは、女性を人質にとった強盗が警察と対峙しているところに出くわす。人質がいる以上どうすることも出来ない警察は、ヒーローが来るのを待っているが、まだたどり着かないらしい。エドワードはイワンに、女性を助けて事件を解決するように誘う。しかし校則で外での能力使用が禁じられていることを理由に、イワンはその誘いを受けない。校則どうこうよりも、自信がないかれには元々行動するという選択肢がなかったように感じる。
痺れをきらしたエドワードは一人立ち向かう。地面や壁を砂状にして、自分や他人を飲み込んだり移動させたり出来るイワンは、犯人の手から銃を奪った。しかしそのあとすぐに強盗の仲間が現れ、形勢逆転してしまう。囲まれたかれは、観衆の中にいるイワンに助けを求めるも応えてもらえず、結局その手にあった銃が人質だった女性に向けて発砲してしまう。不幸な事故で彼女は亡くなり、エドワードは実刑判決を受けた。当然ヒーローになる資格も失った。人を助けるのに校則なんて気にしていられないと言ったエドワードは犯罪者として収容され、何もしなかったイワンは七人のヒーローのうちの一人となった。
この会話の前にあった、バニーちゃんは全校生徒の憧れでファンクラブがあって、全員同じ眼鏡をかけていたという謎の(寧ろ恐怖の)エピソードとか、折紙のことばかり考えていたおじさんが校長にかれのことを尋ねたのを自分のことだと勘違いしてまんざらでもなさそうなバニーちゃんとか、そのあと折紙の話題だと分かってムッとしたバニーちゃんとか、ジワジワ面白い。オモシロナルシスト。
タイガーの元から走り去ったイワンが中庭で一人座っていると、坊主頭の男がやってくる。エドワードだ。かつては長髪だったかれが坊主頭になっているあたり、いかにも刑務所という感じで生々しい。
かれが現れた瞬間、イワンはそれがまっとうな出所ではないと悟る。つまりイワンはエドワードの刑期をきちんと把握しており、かれの出所にはまだ早いと分かっていたということだ。そのことが既に、イワンの今も続く後悔や罪悪感を示している。
けれどエドワードはそんなことに気づかないのか、気づいたところでどうでもいいのか、イワンに復讐をしに来たのだと笑う。かれを砂に埋めながら、かつての事件で何もしなかったイワンを責め、自分とかれの現状に怒りをあらわにする。苦しそうなイワンは、しかし抵抗をしない。
エドワードが脱獄したと話を聞いたタイガーとバーナビーの登場によって間一髪のところで助かったイワンは、感謝のことばではなく「殺されても良かった」と言った。自分が助けなかったことがエドワードの人生を狂わせてしまったのだと、イワンは思っている。それに対する償いが、エドワードの望む復讐の完遂なのだ、とも。
「折紙先輩に非はない」とバーナビーは言った。よりにもよってここで「折紙先輩」呼び…やだかわいい…。年下だとしてもヒーローとしては先輩だもんね。学校も先輩なのかな。会話的に学生時代が被っていた感じがしないんだけれど、入学年齢が自由そうなのでそういうこともありうるのかな。別にスーツ着てないから本名でもいいはずなのに、「折紙先輩」呼び、かわいいです。
ともあれ「非はない」と言うバーナビー。確かにイワンに非はない。校則を守って能力を外で使わなかったかれに非はない。たとえヒーローが到着しないまま強盗犯が逃げ切っていても、警察が動いて人質の女性が殺されていたとしても、イワンに非はない。他の見物客と同じように、非はない。けれどそんな言葉で癒されるイワンなら、こんなにもずっと過去を引きずってはこなかった。エドワードにされるがままになってはいなかった。
バーナビーの言葉も聞かず自分を責めるイワンに、「だからこそ止めてやれよ」とワイルドタイガーは言う。「お前の所為で罪を背負わせた」のだから、と。おじさんがイワンに非があったと思っているとか、イワンの所為でエドワードがヒーローとしての可能性を断たれてしまったと思っているのではなく、そういうのが一番イワンの背中を押すと分かっているからだろう。そうしてイワンが前へ進むことが、かれを救うということも。
「お前はもうヒーローなんだぞ」と言う言葉に、イワンは走り出した。前はまだただの生徒だった。能力があるだけの、ただの子供だったからこそ、何もしなかったイワンは責められなかった。けれど今は違う。今のかれは、たとえポイント最下位でも、人気がなくても、れっきとしたヒーローなのだ。
「今いいこと言った」と自画自賛するワイルドタイガーに、「うわ、自分で言った」と突っ込むバニーちゃん。憎まれ口の言葉遊びすら、普通になってきている。校長の言うとおり「いいパートナー」になってきた。
自分を探しにきたイワンにエドワードが暴力をふるっているところへ、ルナティックが現れる。罪を償わずに脱獄したエドワードは、ルナティックの正義からすれば許されるはずもない。かれの断罪が始まる。
慌てたイワンはエドワードに擬態してルナティックの前に現れる。「罪びとは歩み出よ」というルナティックの言葉にも、先に反応して前に出たのはかれだった。それを呆然と見つめるしかできないエドワード。その様子からルナティックは、どちらが本物なのかを見抜く。罪びとは卑怯だから、というかれの根拠が正解だった。エドワードは既に、打算を考えずに人のために行動するヒーローとしての心を、かつてかれが事件の日には持っていた子ことをなくしていた。
慌てたイワンは元の姿に戻ってエドワードの前に立ちはだかり、「エドワードは僕が守る」「僕が守るんじゃ!」と言う。語尾が忍者口調になるのは折紙サイクロンの特徴で、それを「イワン」の姿のかれが迷いなく口にした。イワン・カレリンは本当の意味で折紙サイクロンに、ヒーローになった。
そんな二人を助けたのがワイルドタイガーで、ルナティックにキックで襲いかかったのがバーナビーだ。まだルナティックがウロボロスに繋がっていると思っているバーナビーはここでようやく、ルナティックが組織とは無関係であることを知らされる。ルナティックは犯罪組織に身を置いているのではなく、犯罪者を己の判断で裁いて処刑することを求めているのだ。
邪魔をするバーナビーに向かって攻撃するにあたって、「タナトスの声を聞け!」と叫ぶルナティック。真剣だけど笑ってしまうだろこれ。
しかし攻撃自体は非常に威力のあるものだ。それを真正面からくらいそうになったバーナビーの前に、ワイルドタイガーが走ってきて、かれが受けるはずだった攻撃を受け、ルナティックに一撃をお見舞い。 ルナティックのフェイスというか仮面というか絵を描いたゆでたまごの殻みたいな顔にヒビが入る。フェイスが傷つくのいい!
人を殺めたものに、同等の償いを課すことが自分の正義なのだ、とかれは言った。そしておそらく、罪を悔いて償おうとしていないもの、が対象だろう。ウロボロスに、犯罪組織に、受刑者に、エドワードに、かれは鉄槌を下す。法ではなくかれが裁き、かれが処刑する。
逮捕されて連行されるエドワードに向かってイワンは、僕の失敗もエドワードの失敗も一緒にやり直そう、と言った。この台詞すごく好き。自分にもかれにも非があることを、卑屈になるのではなく受け止めている。だからエドワードが「うるせえ」と言ったところで、かれは脅えも傷つきもしない。
最後にありがとうと言ったエドワードはおそらく脱獄した分だけ刑期が伸びるだろうが、今度こそきちんと自分のしたことと向き合い、きちんとつとめてくるだろう。
傷を負って担架で運ばれるタイガーは、心配そうに付添うバーナビーに対して、ルナティックがウロボロスではないと判明したことが良かった、と笑った。そのあと、何の問題も解決していないどころか手がかりがなくなってふりだしに戻ったことを思い出して「いや、よくねえか」と言う。その言葉にバーナビーは何も言えない。きっとかれは、この状況で自分の復讐を一番に気にかけているワイルドタイガーの思考に心底驚いている。
かれを乗せた救急車を見送り、ルナティックの攻撃で焼け焦げたタイガーの襷を拾い上げる。
ユーリさんの拷問部屋みたいな配色と構造の部屋がキてる。気が休まらないことこの上ない配色。
家に帰ったバーナビーは持ち帰った襷を見ながら、自分が今までタイガーにかけた言葉を思い出している。信じていない、頼りにしない、と散々辛辣な言葉をかけてきた。けれどそんな自分を、タイガーは庇った。そのことに少し微笑むバーナビーは、普通の青年のようだ。
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2011.07.25 Monday
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はるな檸檬「ZUCCA×ZUCA」1(&竹内佐千子「おっかけ!」)
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はるな檸檬「ZUCCA×ZUCA」1
元々はweb連載されていた中高生、幼稚園児の母、アラサーOLなどあらゆる世代のヅカヲタ女性たちのエッセイコミック。1巻の続きがここで読める。
わたしはいわゆるヅカヲタではないし、ヅカヲタではないひとたちと比べてヅカに詳しいわけでもない。実際この本の中で名前が挙がっている人も、顔まで分かるのはほんの数名で、名前は聞いたことあるけれど顔が分からない人・名前すら初めて聞いた人が殆どだ。作品に関しても同様だ。しかし、宝塚に耽溺する女性たちの姿は面白かった。
そしてこれを読んで、竹内佐千子の「おっかけ!」<AA>を思い出した。
「おっかけ!」は、ヴィジュアル系バンド・テニミュとそこから派生するいわゆる若手イケメン俳優・ジャニーズなどに次々とハマっては全国を「おっかけ」る著者による、エッセイコミックだ。おそらくおっかける対象がマイナーだったりメジャーだったりすること、その幅が広くて客層があまり被っていない可能性があることなどもあり、その対象やそれぞれのおっかけのルールやその業界ならではのお約束などを、理屈っぽくならない程度に詳しく説明してくれている。
ここで一部読める。
知っている人間にとっては「あるある」で、知らない人間にとっては普段足を踏み入れることのない世界の面白さや特殊さをのぞき見ることができる。
著者のキャラやもともとの作品のテンションもあり、いわゆる「おっかけ」の熱意や必死さ、次から次へと奇妙なものにハマる自分たちの行動の無茶さ・我慢できないダメさをネタにして笑いを生んでいる本だ。わたしたちこんなに必死で残念だけどいつだって一生懸命で人生楽しいっすよ!という感じが、おっかける対象を問わず滲んでいる。自分たちを卑下するのではなく、ネタにしてしまうことで昇華されるものがある。それはこの本に限らず、竹内さんの作品の全体に共通することだと思う。
それに比べて「ZUCCA×ZUCA」は説明をしない。「おっかけ!」で扱われていたものより宝塚歌劇はメジャーではあるけれど、細かいことなどは多くの人は知らない。作品の間に脚注が多少入るレベルで、それ以外の知らない言葉や世界は、この漫画でなんとなくお察し下さい、という作りになっている。何よりあまり多くを語らないことがかえって興味をひくと同時に、分からないからこその可笑しさに繋がっている。
キャラクターが沢山いて、名前がついていたり付いていなかったり、設定が語られたり語られなかったりする距離感が、淡々とした絵柄と相俟って、荒れ狂った心の中とのギャップを面白く演出している。すっごい嬉しいとき、すっごい哀しいとき、すっごい驚いたとき。どれも表情の変化が地味なんだけれど、その分ちょっとした台詞や動きがジワジワくる。
一番好きだなと思ったのは、全国各地に常に見たいもの・行きたいことがあって、更には雑誌やDVDやグッズなど欲しいものが常に更新されて、若い人を好きになったり、既に退団しているかつてのスターを好きになったりして、常にお金も暇もないけれど、とにかくその状態がこの上なく幸せなのだ、という描写が多いことだ。
他のジャンルでは味わえないこともある「退団」という悲しい別れが常に待っていて、何度経験しても好きなひとが退団すると聞いては落ち込んで、それでも彼女たちは幸せなのだ。貯金がなくなろうとも構わないほどに。嫌で仕方がなくて辞めようと思っていた仕事へのやる気を取り戻すほどに。その様子は傍から見れば滑稽かもしれない。気楽で現実逃避しているように見えるかもしれない。けれど趣味にどっぷりハマるってそういうことだよね。
メインで動かすキャラをきっちり絞らないでいることも、良いのだと思う。学生には学生のテンションがあり、OLにはOLの付き合い方があり、ママにはママの愛し方がある。同じ趣味の姉妹を持つもの、母親にどん引きされているもの、娘に影響を与えまくってしまったもの、彼氏に黙ってたびたび兵庫へ行くもの、年齢が違えば環境も色々だ。ヅカヲタも非ヅカヲタも、どこかに自分や知り合いを投影できる。そして皆が自分の状況で出来る限りの必死さでヅカを愛し、ヅカを愛しているという行動に出る。そして皆、もっとこうしたい、ああできればいいのにと果てのない欲望を口にしつつも、今でも十分幸せそうだ。
なにか、凄く大好きで大切で元気をくれるものと生きてゆくこと。翻弄されて悲しまされて、それでも何よりも喜ばしてくれるものと寄りそって人生を乗り越えること。そこに共有できる仲間がいれば、たぶん人生はとても幸せ。
***
面白かったのは、あとがきで描かれているこの作品が出来るまでの経緯に。東村アキコが大きく関わっていることだ。もともと東村さんのアシだった著者は、彼女の家で宝塚の映像を見てあれよあれよとハマったらしい。ストーリーマンガを描いていた作者の原稿を見て、宝塚をネタにしろと言ったのも、タイトル決めたのも東村さんだと言う。彼女に感謝している著者のコメントだけでは状況が分からないところもあるけれど、東村さんはプロデューサーとしての目もたしかなのだと思った。自分の作品に対する目も勿論肥えているだろうし、他人についての判断も出来る。
おそるべし。
エリザネタがところどころあるのにも大喜びです。
ソーラーパワーを感じろ。
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2011.07.23 Saturday
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cune「Re;union」@OSAKA MUSE
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「再結成一本目」と亮三さんがMCで言っていたこの日のライヴ。
雨の音がひたすら流れる会場で、10分くらい押して開演。メンバー一人ずつが出てくる中、最初に出てきた公登さんが、亮三さんが出てくるまで待てずに一人で声をあげはじめる、不思議な緊張感。雨の音から雨の歌「リフレイン」へ。わあ、cuneだ。
二曲目の「流れ星」のサビを歌わない亮三さんを受けて、歌う客席。そのナチュラルな感じに、cuneという、ソフビ出としては(この認識は改めないぞ!)非常に高く評価されたけれど、それでもある意味不遇だったバンドがどれほど思われていたのかを実感した。
亮三さんは金髪に白のシャツを羽織った衣装で「汗をかくとどんどん乳首が透ける」仕組み。耕治さんは全身黒で左肩あたりに羽根のようなコサージュ?をつけてる。泰造さんは金髪黒ハット白カッターにブルーのネクタイ。公登さんは全然見えなかったけれど、グレーのハンチングに淡い色の服のはず。耕治さん顔ちいさい…。
亮三さんが途中で言っていたように、まさに「cuneのヒットナンバー」を詰め込んだセットリスト。あの曲もこの曲も惜しまずやったよ、という感じ。「クローバー」も「青空」も「星をみてれば」も「SAMURAI DRIVE」も「イナズマ」もみんなやったよ!
中盤にさしかかる前に、赤い照明の中で亮三さんが「東京!」とかるくぽんっと呟いて、「東京」へ。この曲には並々ならぬ思い入れがあるというか出来てしまったというか、なのだけれど、やっぱりいい曲だなあ。わたしは決して「東京」へ出たわけではないのだけれど、この関西から「東京」へ出たものの動揺とか葛藤とか前向きさとか後ろ向きさとか、自分が経験していないはずの情景までありありと見える。サビを歌わされて、ちょっと泣けた。
MCいろいろ。
「cuneが休止したのが2006年の12月やから…」に客からブーイング。思わず泰造さんが「10月!」と笑いながら突っ込みを入れる。そのあとも「2006年の10月ということは、丸6年?」と、未来に生きている亮三さん。客席から訂正が入って5年と言い直す。「曜日感覚とか僕ないんで」と言ってたけれど、曜日じゃないね!ともあれcuneの休止について「もうやりたくないと言ったのは僕」「一時期は本当に嫌で、耕治さんとも殆ど口もきかなかった」と亮三さん。耕治さんは「そんなことないやん、飯食いにいってたやん」と笑ってたけれど。で、やりたいと思ったのも自分。ファミレスにメンバーを呼んで、取り敢えず一回やろうと言ったら承諾してくれた、と。
この流れで「皆バンドとかサポートとかで忙しい、暇なのば僕だけ」とも言ってたな。耕治さんがそんなことない、と苦笑して否定していた。「cuneは凄く大切なバンドで、演奏するとなっただけでも物凄く緊張する」とも。ここで耕治さんが掌に人を書いて飲んでいた。謎。
アップテンポの曲をやったあと、「皆年取ったんとちゃう?」と客席を笑いながら煽る、というのを数回。確かに、精神的な意味での期待とか高揚は凄かったと思うけれど、ライヴの盛り上がりとしては若干さぐりさぐりと言うか、ぎこちない感じもあった。
「商売繁盛!」と客席に言って、「笹持ってこい!」と言わせるタイプのコール&レスポンスを数回。Kaimさんの「関西電気」「保安協会」を彷彿させる関西臭。
ここ心斎橋ミューズホール、今はOSAKA MUSEですけど、ここに育ててもらったと言っても過言ではない。だから、cune再結成の最初のライヴ、「再結成」としての最初のライヴをここで出来て非常に嬉しい、とも。再結成というよりは活動再開だと思うんだけれど、実際一度解散したようなもの・崩壊してしまったようなものだったので、本人たちが「再結成」と呼ぶのならそれに従うまでだ。
「曲を作ったり、そういう創作活動に入っている」との言葉に沸く会場。再演や期間限定の復活ではなく再結成するというのはそういうことなんだけれど、実際にそうしていることを聞かされるとやっぱり嬉しい。
汗だくになり、途中でシャツをちょっと破いてしまった亮三さん。「もともと破くつもりだった」と言いつつも、自分で思っていたところよりかなり早い段階で破いてしまったらしく、このあとのセクションを考えるとよくない、みたいなことを言っていた。そのあとさらに汗をかき、「脱ぐ」と言って上半身裸になったものの、客席の感触が芳しくなかったらしく「ドン引きされたし着るわ」と物販のTシャツを着て「この計算されたプロモーション!」と笑う。
アンコールは全員物販Tシャツ。素材に拘った耕治さん。デザインは亮三さんが言ったものをデザイナーさんがそのまま形にしてくれたらしい。他の色も作ったら買う?みんなが欲しい色を手に取れるような仕組みにしたい、と耕治さん。泰造さんは同じく物販のタオルを広げて宣伝。
MCを挟んで数曲、の流れで順調にライヴがすすむ。衝撃的な変化とか、圧倒的な向上とか、残念な衰退とか、そういうもののあまり感じられない、なんというか「普通にいいライヴ」だった。特別感慨深くなることもなく、淡々と名曲が演奏される。ひとつひとつが切なくて、まさに胸キュン。
楽器隊の、厚いんだけど過剰な装飾がない、洗練された生音が好き。耕治さんが体を反らしたり、ぎらついたような目で客席を見ていたりするのがいいねえ。かと思えば物凄く穏やかな顔になっていたりする。そうなのわたしギターが好きなの!と最近ヴォーカルを見ることが多いので、実感できるところで必要以上に実感しておく。リズム隊も非常にきもちいい。
そして亮三さん。かれが発表したろくでもないプライベートによって、曲の価値やバンドの価値が下がるとは思わないけれど、多くの人にとってそれはやっぱり聞きたくなかったこと、なのだと思う。聞かずにいられるなら聞かずにいたかった。別にかれに恋をしているとか、家族を持つかれに夢を抱いていたわけではないけれど、たとえこれが全く知らない男の声明だとしても、やっぱり不愉快だ。今かれが現在進行形で傷つけている相手に向けての愛の曲だってある以上、その曲ごと敬遠してしまう人だって少なくないだろう。わたしだって少なくとも、そんな亮三さんがもっと好きになった、なんてことはない。
結局かれがとった行動がわたしに齎したものは、かれに対するハードルを上げるということだ。ろくでもないプライベート、ろくでもない生活、そういうものへの不満や嫌悪を制圧してしまえるだけの表現者としてステージに立って貰わないと困る。それは、かれ自身が狙ったことのひとつでもあるのかな、とは思っている。アーティストとしてミュージシャンとしてヴォーカリストとして、とにかくなんでもいいけれど、自分を追い込むこと。その目論みは成功した。けれどこの日のかれが、ハードルを越えたとは思わない。何も語らないままの小林亮三だったならば、決して悪くなかった。高音もきれいに伸びていたし、苦しそうなところもあまりなかった。けれど語ってしまった小林亮三としては物足りない。
どうするんだろうね。自分で蒔いた、蒔き散らしまくった種なので、自分でなんとかしてもらわないと。嫌いになりたくないから、嫌われない・嫌わせないくらいの人でいてもらわないと。そしてソロじゃない以上、かれの上げたハードルが他のメンバーにもかかってくるのだ。
こういう発言だけでなく、亮三さんというのは色々な意味で爆弾なのだと思う。だからこその魅力があるし、それを危険と背中合わせで持ち続けるというスリルへの昂揚もある。次はうまくいきますように。
新曲を作っているなんていかにもまだまだ形になっていないような言い方で発表しておいて、しれっと「新曲を用意してきました」と言うあたりはにくい。「雨の曲でデビューしたから」雨の曲を作ってきた、ということで、アカペラから始まる新曲。雨という通りどんよりしていて非常に良かった。皆が喜ぶような曲を狙ってつくることはもうしないけれど、自分達が良いと思うものと、皆が求めるものが一致することを祈っている、と言っていたのが印象的。この曲好きだ。
最後は「Butterfly」でおしまい。
終わったあとは四人が前に出てきて手を繋いで万歳。ドラムセットの奥からやってきた公登さんが下手の端、泰造さんの隣に並んだあと、なぜか両手を腰に当てたままぼうっとしていて、泰造さんに笑われていた。手が繋げないよ。
ひとまず再結成。これから。
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2011.07.22 Friday
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崎谷はるひ「たおやかな真情」
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崎谷はるひ「たおやかな真情」
慈英の記憶が全て戻ったことで、臣との関係も元に戻るかに思われたが、実際はそう簡単ではない。臣に関する記憶だけを一切失っていた間のことも忘れていない慈英の態度はいまだにどこかぎこちなく、それにつられて臣も何かと遠慮してしまう。お互いにもどかしいと思いながらも、自分と相手の間にある薄いけれど堅固な壁を崩しきれないでいる。
検査で東京へ行った慈英は御崎と対面する。かれからの話は大きく分けて二つ。慈英の作品と称してオークションにかけられていたものが贋作だったと、わざわざ詳細を添えて御崎の元へ送りつけてきた、「3islands」という人物がいるということ。更に、東京にいる御崎が長野の山奥で暮らす慈英のすべてのマネージメントをするのには、もはや限界がきていること。御崎は年老いて体にトラブルを抱えることも多く、まだ若い慈英をこの先長きにわたって支えていけるわけではない。それに、世界規模で評価を上げてゆく慈英と、進んでゆく業界に、いつまでも同じ体制では対応しきれない。
そのことにいち早く気づいていた御崎は、慈英に紹介するためにアメリカからエージェントを呼んでいた。
想い合っているのにぎこちない空気が解消できない二人のもとに、一人の男から電話がかかってくる。三島慈彦。慈英の大学の同級生であり、親しく付き合っていたにも関わらず。慈英の記憶からきれいさっぱり抜け落ちていた男。慈英の彼女を何人も寝とり、慈英のデッサンを盗んで絵を提出して評価されたのに、本当の意味で慈英の目に一度も映らなかった男。宗教に傾倒して仕事を辞め、臣と慈英の間をひっかきまわしたあと姿を消した男からの三年ぶりの電話だ。
駐在所の前から電話をかけてきた三島は、御崎に送付した贋作で慈英に貸しを作ったのだから、その借りを返すために願いを聞いてほしい、と提案する。あまりに一方的な申し出を、二人が飲む義務は当然ない。けれど三島の真剣すぎる様子と、かれが持ち込んだ事情に二人は承諾せざるを得なくなる。
三島の願いは、かれが連れてきた美少女をしばらくの間保護して欲しい、というものだった。彼女は三島が信仰している宗教・光臨の導きの二代目総代主査、いわゆる教祖である上水流壱都だ。開祖であった母亡き跡を継いだかたちで総代に収まった彼女は、先代や彼女の思想とは異なり、金儲けをしたいと考える役員たちから狙われているのだと言う。既に足の骨を数人がかりで折られており、命の危険もある。二か月前に亡くなった先代の死亡届を出しに三島が東京へ出る間、彼女を預かって欲しいというのが、慈英と臣に向けられた願いだった。そのために三島は金銭的に決して余裕があるわけではない状況の中、慈英の贋作を落札した。そしてわざと臣の前でその話をし、更には壱都の事情を打ち明けた。その二つの話を聞いて無視できるような臣ではないことを、頭の回転が良いかれは知っている。そして臣が側にいる以上、何か危険な事態に巻き込まれたらどんな手を使ってでも守るであろう慈英のことも、知っている。
三年前のあの日で、慈英と臣の印象が止まっている三島が内心驚いていたように、今の二人の関係は非常に複雑だ。何も妨げるものはないはずなのに、噛み合わない。噛み合わないことをどこか冷静に見つめている臣に対して、慈英は焦る一方だ。臣には言えない仕事のこと、照映への嫉妬、口をつく心ない言葉。それらに動揺するのは向けられた臣よりも、かれ自身の方なのだ。
記憶を失っていた間、臣にひどい態度をとり続けていた自分のことを、慈英は覚えている。そのたび傷ついて、それでも今の慈英は挫折を知らなかった慈英なのだと自分に言い聞かせてなんとか乗り越えた臣よりも、まとめて一気に背負い込んだ慈英の方がダメージが大きい。誰よりも大切な相手、繊細で傷つきやすくてそれを表に出さない強さを持った相手を、よりにもよって自分が傷つけつづけた。そのことへの苦い悔恨、記憶のない自分に対して「好きだったかどうかさすがに分からない」といった臣の言葉の鋭さ、臣に入籍すると決めさせた記憶のない自分への嫉妬。矛盾していると分かっていながらも御しきれないものが、かれを苦しめる。
そして慈英の抱える問題のひとつであった、新しいエージェント候補の女性の辛辣な言葉が、くすぶっているかれを更に悩ませる。
金銭的には恵まれた家庭に育ったうえ、早くから評価されて金に困ったことがない慈英は、派手なことを敬遠する性格もあって、大々的に評価されたいと思っているわけではない。かれにとっての苦悩はいつだって「描けないこと」という自分自身の問題であって、認められないとか誰かに負けたとか、誰かに盗作されたとか、そんなこととは関係がない。けれどそれで全てを突っぱねて、みすみす世界に出るチャンスを逃し、臣と二人で生きてゆくだけではいけないのだと、どこかで分かってもいる。
それは慈英だけでなく、そういう人生をかれに「選ばせた」と思ってしまうであろう臣にとっても良くない。更にもし慈英がつぶれたとき、臣の性格からして、かれは自分を責めるに違いない。そしてもし慈英が今のままの生活を続けることが業界的に決して褒められた状況ではないことを知れば、臣は慈英をどこへだって送り出すだろう。どんなに寂しくても辛くても、頑固なかれは慈英がとどまることを許さないだろう。それが慈英にとって一番恐ろしいことなのだ。だからこそ、かれはこんなにも入籍を焦っている。それにどれほどの効果を期待しているのか、世間的なこと一般的なことにまったくとらわれない慈英とは思えない必死さに、かれの切実さが透けてみえて切ない。
あらすじを読んだ時はどうなるかと思った新キャラ、壱都のキャラが結構良い。ワンピースを纏った13,4の美少女として現れた壱都が、実は20歳の少年であったことや、低俗な言い方をすれば新興宗教の教祖らしい不思議な能力や感性を持ったカリスマであったことに、物語の中で違和感がない。かれに三島が傅いていることも、ひどく自然に思える。いつまで経っても修復しない二人の仲を是正するのに壱都が非常に役立っているのだけれど、あまり無理やりというかご都合主義的なキャラにも見えない。便利なキャラではあるだろうけれど。
元々自分が宗教ネタが凄く好きだというのもあるけれど、「ひめやか〜」とリンクするように引っ張ってきたこの題材がとてもいい。
三島から強引に預けられた壱都と過ごす夏は、車上荒らしや観光客、面倒見のよい浩三さんや村の人々と帰省してきているその家族とともに過ぎてゆく。
当初の予定を過ぎても三島は東京から戻らず、連絡も絶える。その一方で、壱都と対立している派閥のトップであった男は横領で逮捕される。それで全てが終わるかのように思われたが、三島からの連絡はない。けれどかれが壱都を置いてどこかへ逃亡するはずがないことは、臣も慈英も壱都も分かっている。分かっているから、待つしかできない。
壱都との会話でようやく記憶を失っていた間の自分と、今の自分を共存させることに成功した慈英は、臣に真実を打ち明ける。御崎からの話と、かれが紹介してくれたエージェント、そして彼女の強行と耳に痛い発言。年単位での海外移住も必要になる、彼女の提案。
臣が自分の仕事を好きでいること、臣らしくあり続けるためには必要不可欠であることを、臣も慈英も知っている。そして慈英もまた、かれの仕事なしには生きてゆかれないと、二人ともが知っている。
「なにか言うことは?」と慈英は聞いた。どうしてほしいとは一切言わずに事実だけを述べて尋ねた臣の気持ちは、考えさせてくれという保留だった。
このあとの臣の葛藤がいい。仕事は捨てられない。仕事をやりぬくことで、卓越した才能を持つ慈英の隣に卑屈にならずに並べる。仕事で必要とされることで、好きになれなかった自分自身を肯定できる。けれどその仕事をする限り、慈英と離れて暮らす日々を続けることになる。答えの出ない煩悶が切ない。
臣がこれまでどれほど必死に仕事をやってきたか、渋っていた昇進試験にも向き合えるようになったか、結果を出してきたのかを知っている。ある意味で慈英よりも大切にしてきたものだ。慈英が事件に巻き込まれたときだって、仕事の引き継ぎをしないと東京へ出られなかった。傷ついたかれがねだっても、仕事を放り出して一緒にいることは選べなかった。それが臣の矜持だったのだと思う。けれどそれを貫けたのは、慈英という場所や時間に拘束されることが少ない職業についた恋人がいたからだ。これまでのことを思えば思うほど臣の葛藤に感情移入してしまって苦しい。
そして五日後。保留にしたままの臣に、慈英は答えが出たのかと聞く。臣は寧ろ、答えを出すのは慈英の方ではないのか、という。「おまえは、何を訊きたいんだ?」というかれの問いは真っ当だ。実際慈英はついてこいとも待っててくれとも言っていない。
けれどそれは、慈英なりの譲歩なのだ。臣が回想しているように、かつてかれが一度長野を離れたふりをして臣を追い詰め、臣の感情を無理やり引き出したような駆け引きを慈英はもうしない。臣が決めなければいけないと、かれは思っている。
臣しかいらない、ほかのことはどうでもいいと言った慈英の狂気は消えていないけれど、それが必ずしも正解ではないことを今のかれはもう知っている。なによりそれが臣を追い詰めることを知っている。人と関わる職業の中で自分を保っている臣のためにも、慈英も変わらなければいけない。
既に慈英は変わり始めている。かれは三島に強引に押し付けられた壱都に、情を抱いている。壱都の言葉に救われたということもあるだろうが、まっすぐで無邪気な子供のような壱都を守ってやりたいと思っている。愛おしんで守ってやりたいという気持ち、幸福になってほしいという優しさを、他人に関心を持っている。照映だけだった世界に臣が入ってきたように、慈英の狭く閉鎖された世界に壱都が入った。そしてこれから先はもっと沢山の人間が入るだろう。それが臣と生きてゆくこと、でもある。
慈英が言った「俺はあのひとが好きで、しかたがないよ」という台詞がとても好き。単純なんだけれど、この上なくかれの気持ちを表している。そのために慈英は変わるし、優しくも厳しくもなる。
消息不明だった三島が巻き込まれていた事件、更に壱都の命を狙う連中の事件がすべて解決したあと、臣は慈英に答えを出すことになる。 とはいえ話しだしたのは慈英だった。一カ月後にはニューヨークへ行くと決定事項を語った慈英に、臣は動揺しながら「気をつけてな」と言った。それがかれの答えではなかっただろうけれど、慈英は臣から望んでいる答えが出ないことを悟ってしまった。
いくなと言えという慈英に、臣は抵抗する。言わない、と、どこへでもいけ、とかれは叫ぶ。今も昔も、それが臣の出来る最大の愛情表現だ。
どんな答えを出すのかと思っていたけれど、結局はここに落ち着く。頑固な臣は自分がぼろぼろになっても慈英を送り出すので、その痛ましさに慈英がネタばらしをする。海外とここを行ったり来たりするものの、長期間の滞在などはしない条件でエージェントと話をつけたのだ、と。おそらくこれは意図的に、「ひめやかな哀情」のラストと重ねているのだろう。地方へ行くから待っていて欲しいと言った臣に、慈英は待てないからついていくと言った。仕事の都合で海外へ行くことも多くなると言った慈英を、臣は送りだそうとした。あのときと今では、臣の考えは基本的に変わっていない。
追いかけると決めていた、けれどそれだけでは足りない、と慈英は言う。自分が追うだけでは足りないというかれは、何も仕事を捨ててついてきてほしいと言っているのではない。臣に追ってほしいと言っているのでもないと思う。追いかけるから、追いかけてほしいと臣の口から言わせたいのではないだろうか。今回だったら「いくな」と。慈英の仕事を考えて自分の気持ちを殺すのではなく、慈英の仕事を思ってもそれでも一緒にいたいと言ってほしい、抑えきれない我儘な願いを口にしてほしいのではないだろうか。そしてそれはまだ臣には出来ない。
「さらさら。」の最後で爆発したのが最初で最後だ。あれが最初に書かれた物語だと思うと余計に、長年の臣の自己犠牲っぷりが浮き彫りになる。それでこそ臣さんと言う気もするけれど、慈英は我儘を言われることで愛されていると更に実感できるんだろうな、とも思う。臣への、次の課題となるのか。
三島と壱都の可愛らしい関係もいい。臣さんがにやにや勘ぐっていた通りになるといいな!
そして今回、シリーズ初めてのヒキでの終わり。次がとても楽しみ。 上記の通り好きなテーマだというのもあったけれど、今回ものすっごい面白かった。「はなやかな哀情」が色々と物足りない部分のある物語だったのに比べて、今回は個人的には不満のない、素晴らしい出来でした。ほんとに良かった。
あとは相変わらず挿絵も素晴らしい。蓮川さんは崩れることとか、調子が悪いということがあんまりないのかな。天井知らずで巧くなってる印象。
ドラマCD待機するよ!三枚組でもいいよ!
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2011.07.21 Thursday
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TIGER&BUNNY #07「The wolf knows what the ill beast thinks.」
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追い求めていた「ウロボロス」のタトゥーを入れた男を殺した犯人をバーナビー、ワイルドタイガーは追うけれど、逃げられてしまう。
ワイルドタイガーが自分を制止したためにウロボロスの手がかりを掴み損ねたと言うバーナビー。バーナビーがブチ切れた所為で、捕まえることができた犯罪者が殺されたのだというワイルドタイガー。当然ながらかれの事情を知らないワイルドタイガーがかけてくる言葉に苛立ったバーナビーの、「こっちは親を殺されてるんだ」という激昂が切ない。普段取り澄ました顔をして、いやになるくらい冷静なバーナビーだけれど、本当はこういうものを中に秘めていたのだ。
こんな状況だけど、アポロンメディアのお二人のアンダースーツいいね!座っているファイアーエンブレムのマントの加工もいいね。
ウロボロスがバーナビーの両親を殺害した犯罪組織であることと、青い炎を遠くから放った相手が連続焼死事件の犯人であることは分かった。けれどその二点の関連性も、組織や相手の正体も何も分からない。分からないからこそ共に考えて探すのではなく、「あなたに頼るつもりは」ないから「僕には構わないで」とバーナビーは言い残して、去る。
ネイサンの会社で待ち合わせする虎徹。ネイサンと同じような肌の色をした太ももがミニスカートから出ている、下からのアングルはずるい。ミニスカートで出てきたのかと思ったじゃない。今更ミニスカートでも驚かないぞ! バーナビーの両親の殺害事件を扱った新聞を見つけ出したネイサンは、青い炎のネクストは組織の一員で、口封じのためにアニエスたちを狙ってロボットを運転していた男の更なる口封じ役だったのではないかと推測する。浮上した二つの事件を、無理なく繋げた形になる。
記事から両親が殺害されたときバーナビーが4歳であったことを知ったネイサンは、そのときからずっと一人でそのことを考えて生きてきたかれの半生を思う。かれの事情を初めて知った虎徹は、「誰だって色んな事情抱えて生きてんだ」と言う。早くに妻を亡くし、母親に娘を預けて、仕事の内容を隠して生きる虎徹だって「事情」を抱えている。そして今のところ多くは語られていないけれど、会社社長でヒーローの上にセクシャルマイノリティ(多分シュテルンビルトでもマイノリティだろう)のネイサンもまた、多くの「事情」を抱えているだろう。虎徹が冷たくてネイサンが優しいわけでも、ネイサンがお節介で虎徹が普通なわけでもなく、「事情」を抱えたものの数だけ、他人の「事情」への向き合い方がある。
そしてバーナビーの過去を「簡単に触れて欲しくない過去かも」という虎徹は、自分の過去についてもそう思っているような、印象。
ロイズが呼んでも来ないバーナビーの代役に、ブルーローズが現れる。急遽組まれたコンビ、タイガー&ブルーローズの戦いがとっても可愛い!打ち合わせを無視するブルーローズと、打ち合わせを忘れるワイルドタイガー。ブルーローズが、指から発生させた氷に乗ることで空を飛ぶのが可愛くて好きだ。おじさんはいつもかわいい。
バーナビーが来ないことを心配したブルーローズが「バーナビーとは喧嘩したの?」と聞くと、「ん?バニーか」とおじさん。バーナビーでの認識に時間がかかってるのか…。そして急遽呼び出されたのにバーナビーを意識していると誤解されるブルーローズの報われなさが微笑ましくて、おじさんの無自覚モテがこわい。
あまりにスムーズな戦いだと思ったらチャリティーショーだったのね。(ということに気づくまでに数回かかりました…)終わったあと裏で休んでいるワイルドタイガーに向かって、子供が「なんでやっつけなかった」のかと聞く。犯人達は鮮やかに一人残らず逮捕されたけれど、かれはそれだけでは不満なのだ。捕まえただけではだめだ、「やっつけ」なければいけないという考えがある。
幼い少年がどこまで考えているのか分からないけれど、その「やっつけ」は、さっきみたいに締め上げられる以上のものなのだ。裁判で決められた刑を受けるだけではない、もっと分かりやすくて暴力的で、胸のすくものが求められている。
ショーのあと、ロイズがマーベリックを連れて虎徹の元に現れる。日々の労いに、疲労回復の効果がある超高濃度酸素カプセルへと招待するマーベリック。そこへ赴いた虎徹は、マーベリックに呼ばれたバーナビーと顔を合わせる。機嫌が悪いともばつが悪いとも取れる態度で特に何も言わないバニーの代わりに、マーベリックさんが謝罪するところは、親代わりであると思えばまっとうなのかもしれないが、ちょっとバニーちゃん情けない。
家では散々ゴネてたカリーナだって、一人のヒーローとして・社会人としてそれなりに怒られたりしていたことを思うと、バニーの扱いは格別だなあ。かれにとって良いことではない、とも思う。
そして「寝たのかー!?」と何度も叫ぶ斎藤さんの可愛さ。単に「マイクを通すとうるさい」というオモシロ個性を活かした笑いどころなのか、何らかの理由で虎徹を眠らせないようにしているのか、読めない。いかにも洗脳されそうなカプセルなので余計に深読みしてしまう。
そして出動要請。良く考えるとおじさん昼間にショーとは言え一仕事やって、そのあと夜にガチのヒーロー業があるって大変だ。なんだかんだで会話もないまま、普通にコンビで出動するふたり。バーナビーの素直さと、虎徹の寛容さが良い具合に作用している。
とはいえかれらに課せられた最初の仕事は、犯罪組織のアジトへの突入を生中継したいと考えるアニエスが司法局から認可を受けるまでの待機だ。ようやく掴んだアジトも、ようやく逮捕できる犯罪者たちも、スリルを求めるテレビの前では形無し。
そして待っている間、ぼそぼそとふたりは言葉を交わす。青い炎のネクストはウロボロスの口封じ役ではないかと提案したあと、褒められるとファイアーエンブレムの受け売りであることをばらす。いつも通りのおじさんの会話で、ようやく空気が和んでくる。「同情するし逸る気持ちも分かるけれど、仕事は仕事だ」という、優しいけれど厳しい言葉がすごくすき。それに素直にハイと言わずに、あまり険のない憎まれ口で返すバニーもいい。ちょっとずつ良いコンビになってきた。
ヒーロー間の会話が全て放送されるように回線が開かれ、生中継が開始しようかというそのとき、アジトに青い炎が落とされる。アニエスの指示など待つわけもなく一番に動いたのは、ワイルドタイガーだった。「どうする気だ、虎徹!」と本名を叫ぶアントニオさんは反省してもらうとして、ワイルドタイガーの答えは単純明快「人命救助」だった。人を助ける、命を助けることがヒーローの至上命題だとかれは思っている。その命を、犯罪者かどうかで区別しない。
そしてバーナビーに「こっちは俺らに任せろ」と言う。ファイアーエンブレムも、かれを陽気に送り出してくれる。放火殺人犯を放っておくわけにもいかないけれど、救出には一人でも人数が多いほうが良いはずだ。けれど「事情」を知っている大人たちは、バーナビーの背中を押す。「あなたには頼らない」と言ったかれに、その大きさが伝わるのは、まだ先。
そして青い炎のネクストがようやく口を開く。バーナビーと一対一で戦うかれの強さは圧倒的だ。そしてかれは、戦闘における強さと掲げる理想が比例するかのように語りだす。自分の正義こそが「本当の正義」だと主張し、バーナビーを煽る。
しかしこれバーナビーは目の前の男が両親殺しの関係者だと思い込んでいるからこそ、かれの言う「正義」に激怒しているのであって、本当の意味でかれの言う「正義」に過敏に反応しているのはワイルドタイガーだと思う。犯罪者を捕まえるのではなく、命ごと絶つことに対する是非を、バーナビーはこの時点では持っていないように思える。勿論ウロボロスのことでそれどころじゃないというのが一番なのだろうけれど。
「お前は正義ではない、ただの人殺しだ」とワイルドタイガーは言う。かれの「正義」から見ると、男はその範疇から大きく外れている。人を守るためにあるネクストの力を悪用し、更には「正義」を掲げる男に、ワイルドタイガーは怒っているのだと思う。
ルナティックと名乗った男は、ワイルドタイガーのワイヤーで拘束されるも、それを焼ききって逃げる。拘束されていたというよりは、話をするために逃げなかったと言うべきか。
結局何もつかめないまま、バーナビーはルナティックを逃がしてしまう。そのことに意気消沈するかれをワイルドタイガーが慰める。放火されたアジトにいた男がひとり、息を吹き返したのだと言う。
それは確かに、ヒーローたちの人命救助によるものだ。
結局病院で犯人の体を見るも、ウロボロスのタトゥーはなかった。突き止めたアジトとウロボロスが関係なさそうなことにかれらは落ち込む。そしてウロボロスと関係のないであろう組織にもルナティックが火を放ったということにより、ネイサンの提示したルナティックはウロボロス一員で仲間の口封じ役である、という仮説も崩れる。
しかしバーナビーはどこかすっきりしている。「もうじたばたしても仕方ありません」と、わずかばかり腹をくくったようだ。
バーナビーが先に出た病室から、今回の面会に立ち会った裁判官が現れる。ヒーローたちに協力は惜しまないというかれのネクタイの模様は、ルナティックの仮面とよく似ていた。
声でとっくに分かってるよね、というのはこの際おいておく。
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2011.07.20 Wednesday
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TIGER&BUNNY #06「Fire is a good servant but a bad master」
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薄暗い刑務所、収容されているものの全く反省の色などない受刑者の男が三人、自慢げにこれまでの犯罪の思い出話をしている。見回りの刑務官?も私語を嗜めるだけで、その内容についてはいちいち言及しない。ろくでもない男が上辺だけの返事をした直後、事件は起こる。青い炎がどこからともなく現れ、かれらを包む。
物語上仕方がないとはいえ、三人組の犯罪者たちがひとつの部屋に収容されてるってどうなの、とかはいちいち言わないようにする。三人の中心人物っぽい、鼻の先が赤い男はどこかで見た印象。
どこかの撮影スタジオ。白いスーツを着てポーズをとりながら微笑むバーナビーと、その様子を退屈そうに見つめるおじさん。こういう時のかっこつけバニーちゃんが、自分が格好良い自覚があってそれなりにやる気なのか、仕事だと思って馬鹿馬鹿しいなりに取り組んでいるのか、アイドル扱いに反吐が出そうな気持ちを隠してやっているのか、見えそうで見えない。
バニーちゃんの携帯電話でこっそり自分の写真を撮っておくワイルドタイガー。携帯電話置きっぱなしでロックもかけないバーナビーは案外無防備。
その場にあった新聞に載っていた犯罪グループの死亡報道。それはアバンで火に襲われたかれらで、バーナビーがヒーローとしてデビューした時に捕まえた三人組だった。
かれらが死んだこと・殺されたことに驚くワイルドタイガーと、何とも思わないバーナビー。記事の写真を見ても、その三人が数ヶ月前に自分と対峙した犯罪者であったことを思い出せなかったのに、その死に衝撃を受けるワイルドタイガーと、かれらの顔を見た瞬間にいつ逮捕した連中か分かったけれど、その死を心底どうでもよさそうに受け止めるバーナビー。正反対で面白い。
人が死ぬということを軽んじているように見えるバーナビーに、ワイルドタイガーは憤る。いきなり怒鳴られたバニーが、どこか寂しそうな、きょとんとした顔をしたあと、「価値観を押し付けないでください」と言うところにかれの幼さが出ている。
妻の死を経験して人の死の重さを深刻にとらえる虎轍と、両親の死を経験して大切な人の死とそうでない人の死の重さを冷静に分断するバーナビー。おじさんがお人よしなわけでも、バーナビーが人でなしなわけでもない。
撮影を見守るロイズの元に入った一本の電話によって、ワイルドタイガーはスーツをまとってファイアーエンブレムの炎の実験に付き合わされることになる。なんでも、刑務所の焼死事件の疑いが、ずば抜けた炎を出せるファイアーエンブレムにかかっているというのだ。事件に使われた火と、ファイアーエンブレムの火を検分することで、アニエスたちが疑いを晴らそうとするのは分かる。けれどそこにどうしてワイルドタイガーが必要なのか。その火がスーツの中にいるかれに被害を及ぼす可能性は決してゼロではないはずだ。
その答えは斎藤さんが持っている。いかに自分のスーツが優秀なのかを、ワイルドタイガーに示したかっただけ、だ。傷一つ負っていないおじさん相手に自慢げ!無邪気!
ファイアーエンブレムの疑いが晴れず謹慎させられるようなことになったら、HERO TVの視聴率に痛手だ、というアニエス。それが唯一の理由だとしても、ファイアーエンブレムの無実を証明したい彼女の照れ隠しの言い訳だとしても構わないんだけれど、アニエスが「彼」と呼んだことが気になる。彼女じゃないのー!
三人が刑務所のグラウンドらしきところを横切るとき、ベンチに座っている老いた囚人がいきなり発火する。体を動かす若い男たちには混ざらずにいた男が、どこからともなく飛んできた火に焼かれる。こういうときに一番に助けに行くのがワイルドタイガーだ。自分の上着を使って火を消そうとし、声をかける。
ふと、高いところからの視線を感じたかれはビルに飛び乗るが、そこには誰もいない。そんなかれを車の中から見ている目が、ある。
バーナビーの回想シーンが随所に挟まる。インタビューで「炎」「火」が嫌いだと答えたかれは、業火に包まれる家を思い出している。大柄な男が立っている。銃を持っている。その手には、謎の刺青。
そのマークを覚えていたバーナビーは、紙に書いて聞き込みをする。幼い子供がひとり、紙切れに書いた絵だけをたよりに、男を捜し続ける様子はせつない。それが未だに終わっていないことも。
人を救えなかったことに落ち込む虎徹を、ネイサンが慰める。真っ向から諭したり褒めたりするのではなく、「今晩添い寝してあげようか」と茶化して声をかける。これが多分、かれらのちょうどいい距離なのだろう。少ない人数で、命をかけて体を張って市民という不特定多数で自分勝手な人間たちを守る同志だし、協力もする。けれど常に共に行動する仲間でもない。ポイントを競い合うライバルという意識は二人にはあまり強くなさそうだが、譲れないものもある。会社を、社員を、家族を、生活を、守るために戦う。
正社員ヒーローだけあって、まさに違う会社に勤める知り合い、という感じの関係。大人になってから、その会社の人間として出会ったものならではの、深入りしなさがいい。飲みに行くけどそういえば家族構成とか知らないや、みたいな。
あとネイサンがすごくいい感じに女子トーンで話すのが可愛かった!
ネイサンと別れて一人道を歩く虎徹は、いきなりロボットに襲われる。生身で太刀打ちできるようなものではないので、慌てて逃げつつ斎藤さんに電話するも、繋がらない。そこへ、携帯電話にいたずらされたことに気付いたバーナビーからのお叱りの電話。事情を説明するも、普段の適当さがたたって信じてもらえないまま通話終了。まああんなサプライズしたくらいだしな…。
とりあえず走って走って走って、ネイサンの車に追いつく虎徹。最初は状況が読み込めていなかったネイサンが、自分の車を砲撃された瞬間にドス声で「何してくれてんだよ!」と叫ぶシーンがいい。どこかで男声を出すだろうなとは思っていたけれど、車でした。
5分間しか保たない能力は、人助けという最大の目的のときに使えないと困るから、とネイサンに攻撃させる虎徹。ハンドレッドパワーは非常に不便な能力なので、自分の中できちんと考えてペース配分しないと大変そう。そういう意味ではワイルドタイガーもバーナビーも、仲間と共に役割分担をして戦うべき能力だよなあ。
ロボの中にいる男こそ、一連の焼死事件の犯人なのではないか、という二人。ネイサンと虎徹の連携プレイで中の男を確認することができるも、結局取り逃がしてしまう。
いつものバイクに一人で乗ったバーナビーが、スーツの設置された車を引き連れて登場したのがかっこいい。なんだかんだでおじさんの電話に冗談ではないものを感じ取ったのか。爆発音とかも聞こえてそうだしな。むしろ最初のサプライズの、超絶棒読み芝居ですら出てきてくれたので、憎まれ口をたたきつつも良い子です。
そして「遅い」という虎徹に対して、「別にあなたのために来た訳じゃありませんから」という、90年代のツンデレみたいなテンプレ発言!お約束!ツンツン!
閉所恐怖症のフェアリー斎藤さんとの会話で、ロボットの中にいた男が、エレベーターに爆弾をしかけた男だと思い出す虎徹。掃除夫の格好をしていたかれが虎徹を狙ったということは、口封じが目的だと考えるのが一番自然だ。そうなると、次に狙われるのは同行していたアニエスとカメラマンということになる。
そしてかれらは三人乗りでバイクにまたがり、アニエス・ジュベールの元へ。選択肢が他にもある中で、三人揃ってアニエスさんのところへ向かったのは何故なの…カメラマンが先に狙われてたら完全に死んでた。車あるんだから別行動すれば良いのに。せめてアニエスが車を止めていたのがテレビ局の駐車場で、直前までカメラマンたちと一緒に仕事をしていた描写とか、アニエスが車に乗り込むところを見送るシーンでもあれば自然だったのにな。
間一髪のところでアニエスを助けて、攻撃するバーナビーがものすごく強い。そして「どうした、もう終わりか?」と冷酷な声をかけると、アニエスを保護したファイアーエンブレムから「いいぞーハンサムゥー」の声。
ポイントも得られないからとワイルドタイガーに確保を譲ったバーナビーは(むしろ余計な体力使いたくないのかも)、男の首に自分が探しまわっていたマークのタトゥーがあるのを見つけた瞬間、人が変わったように男を追及する。
何年もかけて、その紋章が「ウロボロス」という何かに関わりがあることだけをようやく突き止めたかれは、男に暴力を振るって話させようとする。ヒーローらしからぬ、かれらしからぬ態度を諌めようとしたワイルドタイガーの言葉も届かない。かれらを仲介しようとネイサンが割ってはいったところ、男がアニエスを人質にする。
一転優位にたった男は、刑務所の連中を殺した理由を聞くワイルドタイガーの問いに「知らねえ」と言う。ウロボロスについての質問をされていた時とは違って、故意に隠しているというよりは本当に知らないように見える。言いがかりを付けられて面倒、不快、そういう様子が出ている。
そしてアニエスを人質に取られたヒーローたちに男の銃口が向けられたとき、炎の矢が男の手から銃を弾く。赤い月を背景に、塔の上に立つ男がこちらを見ている。犯人に火が放たれる様子を、かれらは呆然と見ているほか、ない。
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