-
2011.01.31 Monday
-
藤谷陽子「るったとこだま」2
-
藤谷陽子「るったとこだま」2
(もはや元、になりつつある)不良のるったと、転校生でとても普通の学生こだま。同じクラスで寮の同室で、ちょっと前から恋人同士。
既に前巻で紆余曲折を経て付き合うところまでいっているので、今回は付き合ってからの、恋人同士としての物語。勿論恋人関係になってからだっていくらでも問題は発生させられるのだけれど、二人の前にはとくにそういったものは立ちはだからない。るったを慕う新キャラも出てくるけれど、それが二人の恋愛を引き裂いたりひっかきまわしたりするようなことは、気配すらない。第三者の登場による嫉妬も、誰かの悪意や悪気のない嘘による動揺も、大人たちからの口出しも、なにもない。その何もなさがいい。
最近とみにこの手の、ヤマもオチもないけれどイミだけが残るほんわか幸せ漫画が好きなんだけれど(悲惨な主従とか駆け引きとかも相変わらず好き)、細かい設定や突飛な事件を必要としないだけに、かえって技量が問われる路線だと思う。読み終わったあとに「で?」のひとことで片付けられてしまうものも多いし、それこそヤマもオチもイミもない話になってしまう。そういう中で、このシリーズは読後感がとてもいい、優れた日常BLまんがだと思う。
1巻の最後でちょっと匂わされていたリバのはなし。誰かとこういう、肉体を伴う恋人関係になるのが初めてのこだまにとって、「そっち側」は未知の領域だ。今の自分のポジションが不満だということではなく、純粋な興味がある。男の子だもの、味わってみたいと思ってしまう。
その話をされたるったは最初動揺して、プロの女を紹介するなんていうけれど、勿論そんな流れになるはずがない。立ち位置が変わろうと、こだまがそういうことをしたいのはるっただけ、なのだ。それを知ってしまえば、拒むるったではない。ポジションチェンジは決して嬉しいわけではないだろうが、こだまの好きにさせるるったがいい。結局未遂に終わるんだけれど、本当にこだまが望むならば構わないとるったは言う。自棄でもなく、その場しのぎの約束でもなく本気なのだと分かるのがるったのいいところだ。るったの愛情だ。
このオチはすごく好きだけれど、どんどんリバっていいと思うよ!リバすき。
家族とうまくいっていないるったが、冬休みにこだまの実家へ一緒に帰る話もかわいい。ぽっちゃりでちゃきちゃきのお母さんと、しゅっとした穏やかなお父さんの間で、こだまは沢山愛されて育ったのだと実感できる。その愛情がいまのかれを作り、るったの尖った心を少しずつ研磨している。
こだまの両親がるったを気に入ったのは、転校が多いせいでなかなか友達と深く仲良くなることが難しいこだまが家にまで招待したほどの人物だというフィルターもあるだろうけれど、二人が人を見た目や素っ気ない最初の態度だけで判断しないからだろう。見た目は相変わらず不良のまんまのるったに嫌な顔をするどころか、二人はすぐに打ち解けた。その素直さや他人を見る目がこだまにも受け継がれている。るったの中にある、穏やかで冷静で面倒見の良い本質を見抜いて、その部分を気に入ってくれているのだ。
今回は飽くまで友人としての訪問だったけれど、いつか恋人として帰る日がくるのかな。驚いたり混乱したりしても、あの両親なら受け入れてくれそうだ。
二人は学年が上がってべつのクラスになってしまう。そのことは寂しいけれど仕方がないことだし、ある程度可能性として覚悟していたことでもあるだろう。恋人は当然お互いだけだが、友達は他にもいる。これまでこだまとセットで行動していたるったは一人に戻るけれど、ヤンキーだからと敬遠されるばかりでもない。運動神経の良さや、案外頼まれると断れない性格を知られているのか、そこそこ仲良く楽しくやっている。一年前のかれからは考えられなかった展開は、こだまの影響によるるったの変化の成果だろう。こだまに振り回されたり、かれと楽しく盛り上がっているるったは、普通の高校生にしか見えない。それがかれの周りにあった壁を壊してくれた。
こだまはこだまで、るったに感化されて体力をつけることを決意する。るったのコーチのもと早朝からトレーニングしているかれは、その積み重ねが齎した変化を実感する。るったの影響がこだまを変える。お互いがお互いに作用しあって、足りないところを補って、新しい発見をして、そうやって毎日がきらきら輝く。晴れの日も雨の日もきらきらしてる。
たまに垣間見えるるったのおとなびた闇や孤独。雨の日に猫を拾ったるったを、ベタだと笑い飛ばすこだまの男子高校生らしさ。ぽやっとした絵柄、なんでもない日々。携帯電話の待ち受けとか、イベントとか、可愛い可愛い可愛い!
-
2011.01.30 Sunday
-
歌舞伎座さよなら公演 記念ドキュメンタリー作品「わが心の歌舞伎座」
-
その名の通り、2010年の4月で改装工事のために一端幕を閉じた東京・歌舞伎座のドキュメンタリー映画。合間に幕間として10分ほどの休憩を挟んだ三時間強の作品。
歌舞伎座に数多く出演した俳優たちの、一番印象に残っていること・思い出・今後の抱負など、歌舞伎座にまつわるインタビューを中心として、これまでの歴史や普段見られない裏側の事情などが、ナレーションで紹介される。
歌舞伎座という建物自体にまつわる思い出というのは結局、そこで演じた作品や作品を作り上げる上での他者との交流や繋がりの思い出だ。語られるのはかれらが代々受け継がれてきた歌舞伎というものをどう感じているのか、どう受け止めて、どのように作ろうとしているのか、ということが主だ。更にインタビューなどで語られる思い出の作品のダイジェストが沢山紹介されるので、歌舞伎座に直接行ったことがない・思い入れのない歌舞伎好きのひとでも十分楽しめると思う。
テレビのドキュメンタリー番組とさほど切り口は変わらないので、あまり堅苦しくなく見られる。正直家でみかんとか食べながらごろごろ見たい感じ。
インタビューに応じる語り手は市川團十郎、尾上菊五郎、片岡仁左衛門、坂田藤十郎、中村勘三郎、中村吉右衛門、中村芝翫、中村富十郎、中村梅玉、坂東玉三郎、松本幸四郎の11名。
勘三郎さんが語るのは、自分が幼かった頃に遊んでもらったり叱られたりした、歌舞伎座で働いていた女性との思い出。退職して何十年も経過している彼女に無理に出てきてもらって、公演を見てもらったという話だ。無理だと言う彼女の家に車をよこして、車椅子でそのまま来てもらい、公演の後花束を渡して撮った写真が紹介されていた。大分弱っておられること・決して体調がよくないことがひと目でわかる痩せこけたその女の人は、嬉しそうに笑っていた。そして「もう思い残すことはない」と仰って、一ヶ月後に亡くなられたらしい。涙をこらえて話す勘三郎さんにもらい泣きした。それ以外にも、いかに伝統を守ることが大切か、子供たちに伝えることが大切か、ということを勘三郎さんは語る。大勢の人が守って、築いてきたものの重みをかれが語るのは何も今に始まったことではない。従来の歌舞伎を覆すような試みを次から次へとやる勘三郎さんの中にたしかにある、伝統への敬意と尊重の念。両方がたしかにある。破天荒に暗黙のルールをぶち壊したかと思えば、教わった通り、自分を殺して正統を伝えようと決心する。世話になった人と母親の名前が同じで、その人と自分の妻の名前が同じだ、なんていう偶然にも運命を覚えてみたりする。このアンバランスさがまた魅力。
「鏡獅子」について、音楽や唄に任せた踊りができるようになってきた、と語る。ようやく心が分かってきた、けれど体力がいつまでもつのか、いつまであの踊りを完璧に踊り続けられるのか、とも。わたしは本気で、当代中村勘三郎がいるこの時代に生まれてきたこと・かれの作り出すものをオンタイムで共有できることが幸福だと思っている。なので、中でも非常に熟した勘三郎さんを体感できる今を大切にしたい。
あとは「仮名手本忠臣蔵」のダイジェストシーンもすごい。配下たちが現れて皆が一斉に伏せるシーンがあるんだけれど、このシーン、人数の都合で舞台の上に出られない(=観客から姿が全く見えない)ところにいる役者も皆頭を下げたままなのだ。見えなくても、その情熱や、その姿に感化されたひとたちの舞台上の演技が客席につたわる。鳥肌がたった。
梅玉さんが語る思い出も涙涙。
養父・歌右衛門さんが亡くなられた翌日から、父の死が大きなテーマである「頼朝の死」の頼家を演じたというめぐりあわせも凄いけれど、なにより納骨の日に立ち寄った歌舞伎座でのエピソードが凄い。スタッフのひとに言われて車を降りて歌舞伎座に立ち寄ったら、「道成寺」のセットが組まれていて、「成駒屋」の大向こうがかかったと言う話。なにそれもう泣ける…。
花道を走り抜けたまま、荒い息を吐きながら團十郎さんが自分の楽屋へ戻るシーン。重い衣装を着けて全力で芝居をしたあと、狭い道を歩いて急な階段を上って戻るのは大変そうだ。こういうところはエスカレーターにすればいいんじゃないの、と思うんだけれど、歩くことが精神的・肉体的に必要なのかな寧ろ。伝統と利便性の問題だけでなく、たとえばその道を歩くことでじわじわクールダウンされるとかかもしれないし。そのあたりのことは分からないけれど、荒い呼吸のまま部屋へ戻ってゆく姿とか、出番前に真剣な顔で座って待っている姿とか、そういうものが見られるのがドキュメンタリーの醍醐味だ。
仁左衛門さんの役作りの真摯さとか、菊五郎さんの弁天小僧とか、まだまだ自分の演技に納得していない吉右衛門さんとか、子供と共演できたことが一番の思い出だときらきらした目で語る富十郎さんとか(ドレス姿の娘さんの手を引いてる後ろ姿もかわいらしかった)、作り上げてきたものを更に次の段階へ進めたいと願う幸四郎さんとか。伝えることや、役作りの難しさを騙る芝翫さんとか、上方歌舞伎の醍醐味を話す藤十郎さんとか、歌舞伎座の裏側の面白さを話す玉三郎さんとか。みんな歌舞伎の話・歌舞伎座の話になると非常に真剣で、だけれど楽しそうだ。仁左衛門さんの「道明寺」すてき!!!
この演目も見たいなあとか、この人でこの役を見てみたいなあとか、取り敢えず無限に希望と欲望が広がる。危険。
裏方さんなどの現場も面白い。どの仕事もプロの技巧が見られたけれど、黒御簾の中での演奏姿が特にすごかった。あんな小さな窓から微かに見える景色に合わせて音をつけるなんて信じられない…!
***
歌舞伎座が帰るべきホームだ、と誰かが言う。全世界のどんなステージよりも歌舞伎座がいい、と誰かが言う。歌舞伎座が閉まっている間に他の会場で鍛錬を積んで、ふたたび幕が開いたときにがっかりされない芝居をしなくては、と誰かが言う。すり減った敷居、穴だらけの床、傷だらけの柱、少年の時に踏み入れた憧れの場所、師匠の踊りを盗もうと見つめた場所。
歌舞伎座にはなんどか足を運んだ。わたしのまだ短い観劇人生におけるエポックのひとつ「研ぎ辰の討たれ」を見たのもこの会場だ。思い出の沢山詰まった、印象的な会場のひとつだ。ただ決して優れた客席だとは思わない。古いゆえに、座席は硬くて狭いし、階段も非常に急であぶない。しばらく閉鎖されることは寂しいけれど、幅広い年齢層の今後の観劇のためにも、そのあたりは改善された方がいいと思う。
先人達が踏んだ敷居も舞台も、とおった階段も変わってしまうかもしれない。けれど結局いつだって、その時代の演劇ばか・歌舞伎ばかが集まって、より良いものをつくろうとしていることに変わりはない。歌舞伎座に恥ずかしくない芝居をする・歌舞伎座が戻ってきたときに調子を合わせておきたい・歌舞伎座が戻ってきたらこの演目をやるのだと、大の大人たちが目を輝かせて語っている。
またね歌舞伎座。新しい姿に会えることを楽しみにしています。
-
2011.01.29 Saturday
-
三木眞一郎・平川大輔・小野大輔・神谷浩史「言ノ葉ノ世界」(原作:砂原糖子)
-
三木眞一郎・平川大輔・小野大輔・神谷浩史「言ノ葉ノ世界」(原作:砂原糖子)
生まれたときから人の心の声が聞こえる仮原は、家の前で交通事故に合う。車を運転していたのは大学准教授の藤野という男で、かれは仮原が初めて出会った、心の声と同じことばを音に出す人間だった。
原作既読。感想はコチラ。
二枚組で一枚目に「言ノ葉ノ世界」、二枚目に「言ノ葉ノ光」が収録されている。
キャストが出たときからぴったりだと思っていたのだけれど本当にぴったりでした。藤野の人を苛立たせてしまったり、人を図に乗せてしまったりするほどの善良さも、世の中にすれきってやさぐれた仮原もぴったりだ。正直、ぴったりだと思って楽しみにしていました、実際に聞いたら期待以上にぴったりでした、で感想が終わってしまう。
仮原視点で語られる物語なので、モノローグは三木さん。三木さんのモノローグはほんといいなあ。ナレーションじゃないし、かといって心情が入りすぎてないし、仮原が語っている感じ、がとてもある。原作を読んでいて、仮原のモノローグで好きだったのは「藤野のものになってしまいたい」というくだりと、かれの犬になった夢を見て「幸福だった」と感じるところだ。語る仮原の声は普段通りのようで、でもかれ自身すら自覚していないような空虚さが確かにある。平気な顔で、傷つきも悲しみもせずに藤野のものになりたいと願う仮原はかわいそうだ。弱々しいわけじゃないのに確かにかわいそう。仮原の言葉は自分がかわいそうだと知らない、かわいそうな子供みたいだ。
物理的な壁と精神的な壁があって、本来両方成立しているはずなのに、仮原には精神的な壁が生まれつき存在しない。そのことがかれを苦しめ、悲しませてきた。適当にコントロールして他者と接するすべを覚えた仮原だが、状況が変わらない以上かれの苦しみは取り除かれない。そして適当に接することができない相手に出会ったとき、かれは苦悩する。苦悩して、いっそ精神的な壁が得られないのならば、物理的な壁も取り除かれればいいと願うようになる。それが「藤野のものになってしまいたい」ということなんだろうか、とふと思った。
仮原は藤野と初めて会ったとき、パッヘルベルの「カノン」を思い出す。心の声と実際に口に出す声の内容が全く同じかれは、ひとりで輪唱しているように思えたのだ。CDでは仮原の思考と同時に、カノンが実際に流れる。その後も何度も、藤野の心の声と口に出す言葉の象徴としてカノンが使われている。いいなこの演出。
音と言えば、たまに「言ノ葉ノ花」で使われていたものと同じBGMが使われている個所がある。大抵はアキムラ関連なのだけれど、「~花」を飽きるほど聞いた身としては非常に嬉しい。あと仮原の携帯電話の着信メロディが「~花」の余村のそれと同じで(まあこれは単にSEの問題なのだろうが)どきどきした。
占い師・アキムラはてっきり余村の声で話すのだと思っていたら、それよりも大分低く重いトーン。それは「言ノ葉ノ花」の時の余村よりも十年年齢を重ねていることと、かれがその十年間非常に苦しい生活をしていたことによって起きた変化なのだろう。家を持たず橋の下で眠っているアキムラは、生活面だけでなく精神的にも参っている。その荒みがいい。
クリスマスの夜。自分を避けている藤野に、仮原は自ら会いにいく。
藤野が避けていると確実に分かった上で積極的に行動したのは、アキムラの言葉が気になっていたからだ。「君は不幸になる」という、呪いのような宣言が頭から離れなかったからだ。仮原を責めながら、かつて大切なひとを信じられなかった自分を責めるアキムラが切ない。それまでの感情のない低い声ではなく、取り返しのつかないことへの後悔が滲む。慌てて藤野と過ごすクリスマスについて色々想像して「ついでに自分ももらってくれたらいい」と考える仮原の声はいつにもなく明るく、なにより幼い。本当に子供みたいで痛々しい。
結局予定をうやむやにした藤野に仮原は会いに行く。必死で優しく穏やかに接する仮原に対して、藤野は警戒心を拭えない。仮原を信じられないだけでなく、怯えている。取り繕う藤野の言葉とは裏腹に、心の声は仮原を拒否している。それを知った仮原は激昂し、嘆く。このあたりのモノローグがさすがの安定感で、さすがのクオリティ。叫ぶ藤野も、それに更に叫んで返す仮原もほんと期待以上。そこに「カノン」が流れて切なさクライマックス!過剰にドラマティック!好きだよこういうの!好きに決まってるじゃない!
二枚目は「言ノ葉ノ光」
心の声を聞かないことができる、と仮原は嘘をついた。藤野を安心させたくて、藤野に嫌われたくなくてついた嘘だった。素直な藤野はその言葉を当然信じたので、仮原は今更嘘だったと言い出せない。言うことで嫌われる・恐れられるのがこわいのだ。その嘘がどんどん仮原を苦しめる。ぼろを出さないようにと考えるうち、かれと一緒にいること自体が困難になっていく。更には藤野が親しくしている、顔も知らない学生に嫉妬したり、アキムラの言葉が気になったり、元々何かに執着するようなことのなかった仮原がどんどん煮詰まっていく。
何でもない居酒屋での会話が好きだ。進化について滔々と語る藤野の言葉、それを完璧に理解できなくても楽しく聞いている仮原の相槌。ショーウィンドウを見る帰り道。恋人たちのやりとりがとっても自然でかわいらしい。
再びの言い合いは、自分の言葉を信じない仮原に怒った藤野が心の声を使う。言葉を発さず、心の声だけで話しかけてくるという展開は非常にCD向きだし、いつもにこやかな声を出していた藤野が初めて聞かせる心の底から怒っている冷えた声もいい。かれが仮原よりも年上であること、しっかりした大人の男であることを実感させられる。
平川さんの藤野はとっても藤野でいい。あとはもうちょっと濡れ場が控えめでもいいんだけどね…。
仮原は前置きなしにいきなり行動に出るタイプなので、アキムラに暴力を振るったりかれの携帯電話を放り投げたりするのだけれど、そのあたりが少し音声だけでは分かりづらいかな。CDによっては行動を全部織り込んだ不自然な台詞が入ることもあるけれど、その違和感はなかった。その分、原作を知らないといまひとつ何がどうなったのか不明瞭なところもある。どちらを取るか難しいんだけれど、まあ原作読んでるので後者で良かったかな。
「~光」でもアキムラは荒みを抱えたままだ。一番大切なものを仮原に棄てられてしまったかれは強く仮原を憎み、絶望する。余村はそういうタイプではなかったというか、ここまで酷い目に合わされていなかったので珍しい一面だ。仮原を責めるアキムラの涙まじりの声がせつなく刺さる。
本編では土手にひとり佇んでいるアキムラをシュウが迎えに来るシーンで終わっていたけれど、CDではかれらのその後が別の展開で描かれている。仮原の店の軒下で占いをしているアキムラの元に、かれを探し続けていたシュウが客として現れる。驚いているアキムラに畳みかけるようにシュウが話して、「言ノ葉ノ花」で使われていたBGMが流れ、アキムラが泣きだす。うわーうわーー!!!なにこの展開凄く良い!シュウは10年前の長谷部と同じ誠実でまっすぐな言葉を話す。それが沁みこんだアキムラはが返す言葉は、10年前の余村の声に戻っている。
「~花」は、自分の力とそれによって拗れる人間関係に疲れ・憂いを帯びた余村の気だるさが大好きだった。それと同じくらい、言葉数が多いわけでも気のきいたことを言うでもない長谷部のトーンも好きだった。個人的に長谷部は、小野さんが演じたあらゆるキャラクターの中で一二を争うくらい好きな演技だ。それを改めて聞けて嬉しい。数年前の長谷部と全く変わらない。ただ以前よりも遠慮なく、言いたいことを言うようになっている。それはかれが10年間、仕事をしながら(出世もしながら)恋人を探し続ける中で得たつよさなのだろう。さすがに小野さんの登場シーンは増やされると思って(期待して)いたのだけれど、とてもいい改変で満足!
***
キャストコメントは平川さんと三木さん、神谷さん個人、小野さん個人。
平川さんと三木さんがしょっぱなから「ぶっちゃけ俺らの話でもあるけど俺らの話じゃない」「今回の主役は神谷君」と言いだすしまつ。まああのラストはね…このCD単体でみるとなんでこの脇キャラで最後終わってるの、って話ですよね…。
神谷さんが名乗るときに「占い師の声」と言ったのが印象的。「アキムラ」とは名乗らないんだな。
「ギャラ泥棒」と言われた小野さんのコメントがとっても良かった。神谷さんが余村とアキムラを「別な役」「そのキャラなのかそうじゃないのか」と言うのに対して、小野さんは「シュウって長谷部くんのことですよね」と笑いながら言う。どっちが正しいとかどっちが好きとかじゃなくて、とても性格が出てるなあと思う。選択肢を聴き手に残す・委ねるけれど、自分の中ではおそらく確固たる答えがある(もしくは選択肢を残したままでその先に進んでいる)中で演技する神谷さんと、答えを迷いなく出してそれに添って演技する小野さん。それがアキムラと余村の違いと同一性、シュウと長谷部の酷似っぷりに繋がっている。小野さんが「長谷部くん」「余村さん」って敬称を変えて・原作に忠実に呼ぶのが凄くすき!
-
2011.01.28 Friday
-
「ろくでなし啄木」@シアターBRAVA!
-
作・演出:三谷幸喜
石川一:藤原竜也
テツ:中村勘太郎
トミ:吹石一恵
大河ドラマ「新選組!」以降、酒の席で「芝居を書いて欲しい」と言い続けていた藤原竜也の念願がようやくかなった芝居、だったらしい。「新選組!」の面々が非常に仲が良いこと、いまでも集まって飲んだりしているという話は堺雅人さんが以前何かの番組で嬉しそうに語っていたので知っていたんだけれど、これもそういう縁のひとつなのだろう。
わたしはあの「新選組!」という、荒唐無稽なところの多々ある、おおよそNHKの大河ドラマらしからぬ内容とテンションの物語がそれはもう大好きだったので、久々の三谷作品に藤原竜也が出る、という喜び以上のものがあります。あのドラマは歴史好き・新選組好きとしてはおいおい、と突っ込みたくなるところがとっても沢山あるんだけれど、それを補ってあまりある熱量の作品だった。河合耆三郎の話がとっても好きだった。
そんなこんなで「ろくでなし啄木」は、「新選組!」で沖田総司を演じていた藤原竜也、藤堂平助を演じていた中村勘太郎、八木家の娘・ひでを演じていた吹石一恵の三人が語る、石川啄木の物語だ。
***
15分ほど前のアナウンスが三谷さんと野田さん。三谷さんが諸注意をボケながらいうので、それに野田さんが突っ込むかたちで進行される。禁止事項の話で「録音、撮影、排泄」と言う三谷さんに「排泄はしないでしょ…」と呆れる野田さん。「録音、巻き戻し、再生」と言えば「カセットテープだねそれ…」と突っ込む。あとは携帯電話の電源オフのところで「電池を壊して」と言う三谷さんに「そこまでやらなくていいね」と突っ込んだり。「開演後は舞台の効果上非常灯を消灯します。効果的かどうかは知りません」と話をずらせば「そうだねそれはお客さんが決めることだねえ」と妙に納得したり。三谷さんが普通に進行すると「面白いこと言わないの?」と聞いたりもしていた。
あとは前のめりになるな、という話のところで「二階の最前列のお客様は危険なので手すりに時限爆弾を仕掛けないでください」とか。前のめりはだめだけど海老反りはいいらしいよ。
そんな感じで楽しくご案内。豪華!***
啄木の碑の前を通りかかったトミは、裕福な身なりの男に声をかけられる。かつてトミが交際していた石川啄木(石川一)の友人で、トミ自身も非常に世話になった男・テツだ。久々の再会を喜ぶ彼女は、ずっと気になっていた過去のことをテツに問いかける。12年前、一と三人で旅行に出た温泉宿。ふたりが最後に一と顔を会わせることになったあの夜、何が起こったのか。話したがらないテツをよそに、トミはその夜の思い出話を始める。
雨の中真っ黒な傘をさして、黒い上着を着た男が舞台の中央奥に立ちつくしている。その背景に「ろくでなし啄木」の文字が浮かぶ。
温泉から上がったトミが部屋に戻るとだれもいない。浴衣姿の彼女が待っていると、恋人である一が戻ってくる。そしてしばらくすると、かれらの共通の友人であるテツも帰ってくる。一がトミを驚かせるために準備していたイモリでひと騒ぎしたあと、かれらは明日の予定を相談する。とはいえ真面目に話しているのはトミとお人よしのテツだけで、自由奔放な一は好き勝手だ。
かれらの会話から色々なことが分かる。トミと一が恋仲であること、三人分の旅行費用の一切をテツが負担していること、真面目に働いてテツはそこそこ貯金をしておりもうすぐ250円たまること、仕事の傍ら創作活動をしている一は成果が出ずにいること。
一を好きなあまり世話を焼いては鬱陶しがられるけれど、そんなところも含めて一を心の底から愛しているトミ、気まぐれで気分屋で偉そうな事を言ったり自棄に殊勝になったりもする、掴みどころのない一、そんな二人ともに気をまわして優しく関係をとりもつテツ。悪ふざけが好きな三人はそのテンションが合わさるととてもバランスが良く歯止めが利かなくなるほどはしゃぎ倒すが、反面、噛み合わないとすぐに拗れる。というよりも一が癇癪を起して出て行ってしまうのだ。
この夜もそんな夜だった。トミは常識人のテツの肩を持つし(もっともこれは彼氏と彼氏の友達と三人でいる以上、一般的な彼女の行動だと思う)、テツは何かとトミを庇う(これもまた、友人よりその彼女を庇う、一般的な友人の行動だ)。そんなことが分からない一でもないだろうに、かれは部屋をでたり戻ってきたり、怒ったりはしゃいだりと忙しい。相手を驚かせるために嘘をついてみせたり、手の込んだ芝居をしてひと泡吹かせたり、そんな夜だった。
テツは向かいの部屋に自分用の部屋をもう一室とってある、と言う。いくら自分が金を出していて、仲良しの三人であっても、さすがに恋人同士の邪魔はしない、と笑ってかれは自分の部屋に帰る。
二人きりになった一は、トミにある提案を持ちかける。珍しくテツに一杯喰わされたのが悔しくて思いついたというていで語られるその悪戯は、次第に色を変える。テツを驚かせるための話はいつの間にか、テツを騙して金を巻き上げる話になる。頭の回転が速く口がうまいために気づかないうちに一のいいなりになっていることが多いと言うトミですら、さすがにそれが尋常ならざる計画であることには気がついた。けれど、そこで退く一ではない。暴力や大声で従わせるのでもなく、泣き落としでトミを揺さぶる。残り100円の借金を返せば全てが終わる、心を改めて働いていく、と。借金がある状態でろくに働かず賭博や遊女あそびで金を使ってしまう男が、そんなことをするわけがない。けれどトミは騙されてしまい、一に言われるがまま、テツを誘惑する。かつてトミに告白して振られたことがあるテツにとってそれは、思いもよらないことであり、これ以上ないチャンスだった。当然ながらその誘惑にかれは乗る。そして事前に決めた合図を何度トミが送っても、一は助けにこなかった。
テツに抱かれてしまったトミが風呂から戻ると、嬉しそうなテツが待っている。友人の女を強姦した後ろ暗さも、自棄もない。にこにこと優しく振る舞い、女将から貰ったという林檎を剥こうかと話しかけてくるかれが不気味で仕方がないと思っていたのだが、なんとかれは両思いだと思っていたのだ。合意の上でこういう関係になったのだ、と。トミから誘ったのだからそう考えてもおかしくない。誠実で愚直に見えるテツは、やはりそういう男だった。そしてかれは、トミから一の目論みを聞かされる。100円あれば全てが解決するから100円を恵んでほしいと真剣な目で頼むトミに、テツは「そういうことか。繋がった」とひとりごちる。そしてかれは「全財産」の115円をトミにやった。
その後戻ってきた一は、隠れていたら人に見つかったので雨の中を必死に遠くまで逃げ回っていたと言い訳をしてトミを抱きしめ、事に及ぼうとして、途中ではたと止めて部屋を出た。体調がすぐれないから温泉に入ると言い残した。時間をもてあましたトミはテツの部屋へ行き、先ほどの礼と、今後の自分たちの夢を語る。居酒屋をやって、上に一の仕事場を作る。特等席にはテツさんしか座らせない、と嬉しそうに話して、部屋へ戻る。このトミの行動がこわい。いくら向こうは合意だと思ってたとは言えついさっき無理やり自分を抱いた男の部屋へ一人で遊びに行くことも、かれが自分に思いを寄せていると知っていながら一との将来を語ることも、不気味だ。イモリの演技といい、彼女も単に純粋で尽くしているだけの女じゃなくて、結構タチの悪い女なんだよなあ。
トミが部屋へ戻っても一はまだ帰っていない。そして、そのまま二度と帰ってこなかった。
そのあと一は石川啄木という名前で作品を発表して評価され、北海道から来た母と、トミが知らなかった「妻子」とともに暮らすも、二年後に帰らぬひととなった。
この一晩のことを、8割の回想と2割の語りでトミがテツに話す。回想シーンは馬鹿騒ぎ7割シリアス3割くらいかな。若い男女が旅行先で大はしゃぎしたり、はしゃぎすぎてもめたり、はしゃいで仲直りしたり。過去の馬鹿な思い出を話して、自己嫌悪に陥って、とにかくその熱量がいい。ハイテンションで繰り出される下ネタや罵声や奇妙で躍動感がありすぎる動きで舞台が進む。かと思えばひどく真剣で、毎日の生活が苦しいという屈辱的な吐露がある。振れ幅が非常に大きくて、しかも物凄いスピードで行き来している。片時も目が離せない。
トミには沢山の疑問がある。何故もうすぐ250円貯金できると言っていた、つねに金を肌身離さず持っているテツの「全財産」が115円だったのか。雨の中を必死に逃げていたという一の体は濡れていなかったのか。テツが言った「繋がった」とはどういうことだったのか。何故、一は消えてしまったのか。どうしても真実が知りたいと食い下がる彼女に、とうとうテツが口を開く。あの夜何があったのか、を語る決意をしたところで、一幕終了。
休憩をはさんで二幕。
語り手はトミからテツへ移行する。商売に成功して名を上げ、外国人の美しく愛すべき妻をめとったというかれは、それでも苦々しそうに話しはじめる。あの夜何があったのか、を。
もう一度、正面奥には黒ずくめの男。今度は背を向けて立っている。傘をさして、雨の中。そこに浮かぶタイトルは鏡文字。
「一回表・一回裏」と名付けた前半・後半に話を分け、前半で何が起こっていたのかを後半で巻き戻して解説する「木更津キャッツアイ」を思い出した。それは謎解きでもあり、トミが知り得ない彼女がいない場所で行われていた会話や作戦をただ紹介する場でもある。
風呂から上がったトミがひとり部屋で待っている間、実は向かいの部屋に二人はいた。トミさんは自分をもう好きじゃない、テツさんが好きなんだ、と一がテツに真剣な面持ちで打ち明けていたのだ。曰く、トミさんはテツさんが好きだけれど、自分からはなかなか言い出せないだろう。だから俺に気兼ねせずテツさんから積極的に彼女に向かっていってほしい。女性関係で百戦錬磨の自分だからこそ分かるのだ。テツさんは良い奴だから、友達の女とそういう風になるのは気がひけるだろう。だから金を払ってくれ。それを払うことでテツさんの気が済んで、すんなりトミさんと恋仲になれるはずだ。
どうしようもない性悪の言葉を簡単に信じるようなテツではない。トミのことはまだ好きだけれど、彼女は自分の友人に心底惚れているようにしか見えない。けれどその迷いは、一の口八丁で次第に霧散して行く。意気込んでトミの部屋へ行くかれは、何も知らないトミの行動に一喜一憂して動揺する。
同じシーンを再現して、「俺はこのときあなたが分からなかった!」「本当はこの時辛かった…」などとオーディオコメンタリーばりに解説するテツが可笑しい。かれが十代の頃股間を有刺鉄線で傷つけたというバカ話をしていたとき、本当は恋への期待と失恋の嘆きで引き裂かれそうだったのかと思えばやるせないようなばかばかしさが増すような。この二幕のテツの話を聞くと、もう一度一幕を見たくなる。裏で行われていたことを理解した上で表をもう一度見てみたい。
そしてこの裏のやりとりを知ると、トミを抱いたあとのテツの心情がよく分かる。散々一にトミは自分が好きなのだと言われ、うまく納得させられたあとにあんな誘惑的な態度を取られたら、そりゃあ信じてしまう。だからトミが風呂に入っている間中テツは幸福の絶頂にいたのだ。女将から貰った蜜柑を、わざわざ剥いてテツに差し出そうとするくらいに。
そしてかれに既に100円払っていたテツの「全財産」は115円であり、もともと一がトミを経由してテツからもう100円貰おうとしていたことを理解したからこその「繋がった」だったのだ。
更に、何故一の服が濡れていなかったのかもかれは知っている。テツの100円を持って賭場へ行ったからだ。そしてすっからかんに負けてしまったかれは、返す金がなくなったと笑ってみせる。恋人に美人局を吹っかけておいて、助けるどころかほったらかしで賭場へ行く。美人局の相手に選んだのは、これまでに散々金を借りたり貰ったりしている友人。あまりの最低さに、さすがのテツも声を荒げた。けれどそれでも一は笑う。テツが言う通り自分は最低なのだと認めた上で、「そんな自分がいとおしくてならない」のだとかれは言う。まともじゃないこと、悪辣なろくでなしであることが嬉しい。そういう人間こそが、ものかきとしてふさわしいのだとかれは言う。ものを書かない凡人のお前達には分からないだろうとでも言いたげに。
そこでテツが再び激昂した。騙されていたこと、トミが体を張ってかれに尽くしていることに対してではなく、一が「その程度で」悪ぶっていることにだ。人の良さや羽振りの良さから育ちの良い金持ちにも見えるテツだが、実際は幼いころから苦労して、辛酸をなめて金を稼いできた男だ。悪いことも沢山やったし、悪い人も沢山見てきた。見ず知らずの人間の金を奪ったり、その結果一家心中させたりする人間を沢山見てきたというかれは、一なんかろくでなしじゃない・そんないいものじゃないと嘲笑する。荒んだ顔つきになって一に詰め寄るテツ。完全に形勢が逆転している。地獄を見てきたテツの指摘も良いし、言い返したいのに返す言葉がなくて言われるがままの子供みたいな表情の一もいい。この舞台の全ての時間の中で、言われるがままになっている呆然とした一が一番好きだと思った。
お前なんか悪じゃないと散々こき下ろしたあと、テツは言う。「そういうお前が書いたものを俺は読みたい」と。無理して悪ぶらなくていい、そのままのお前で、真面目にトミと仲良く生活して、その中で生まれたものを書けばいいのだと。そして部屋を訪ねてきたトミに会いたくない隠れた一は、襖越しに彼女の夢を聞いて、そのまま戻ってこなかった。それが、テツが知っている一の最後だ。
そのあと妻子と母と暮らしている姿を遠くから見たことはあるけれど、話しかけなかったとかれは語る。
全てが繋がった。トミの中の謎は消え、テツの中のわだかまりも溶けただろう。啄木の碑を見つめるふたりは、過去に思いを馳せている。
きれいなラストに見えたそのとき、二人の向こうから一人の男が出てくる。「はいどうもー啄木でーす!」と和装の一が登場し、バラエティ番組のオープニング漫談のようなトークが始まる。二人の思い出話をずっと聞いていたかれは言いたいことがある、と二人の回りを走りまわってあれこれ突っ込む。ここでは一が語る過去の話が紹介される。死人に口はないけれど、かれは二人には見えない姿で所狭しと動き回り、少しの回想を挟みつつ、あの日のこと・その夜の果てにある朝のことを話す。
これはびっくりした。死者を二つの異なる視点から暴くことで点が繋がって線になるのだと思っていたら、もう一点あったらしい。
一が語るのは、二人の記憶の中の唯一の相違点だ。テツが気づかず、トミが気づいた相違点。かれらが抱き合ったあと、テツがトミに差し出してくれた果物。トミの回想の中ではそれは林檎だった。皮を剥くために用意されていた包丁をトミは手に取り自害しようとして、テツに制止され包丁を取り上げられる。けれどテツはその果物を蜜柑だったと主張する。かれが手で皮を剥いてやろうとした蜜柑。その途中で、自分の包丁で自害しようとするトミを制止し、かれはその包丁を預かった。
そのことが、二人の知らなかった一の本音に近づくための鍵になる。
実際、存在したくだものは蜜柑だった。それをトミが林檎だと思ったのは、隣に包丁があったからだ。蜜柑に包丁は必要ない。包丁があったからこそ、彼女は包丁の必要な果物だったのだと記憶違いをしていたのだ。テツがトミの私物だと思い、トミが旅館の借り物だと思っていた包丁。けれど果物が蜜柑である以上、女将は包丁を出さない。しかしそれはトミのものではないし、テツのものでもない。
そう、一があらかじめ用意していたものだったのだ。重なる借金、うまくいかない創作、何より悪化するばかりの体調、そして北海道から出てくるという家族からの手紙。家族との再会は、トミやテツとの楽しい一時の終焉でもある。なにもかもが嫌になった一は、死を望んだ。けれどテツが指摘したように臆病な小物であるかれは自殺などできない。だからこの大がかりな仕掛けを用意し、逆上したテツかトミ、どちらかに消してほしかったのだ。
本当にろくでなしだ。なにもかも自分の蒔いた種だ。一気に萌芽したそれらに耐えきれなくなった一は、他人の手で刈り取ってもらうことを望んだ。けれどそれは叶わなかった。トミもテツも自分を許した。どころか、自分との明るい未来を嬉しそうに語ってくる。そのことに、一は耐えられなかった。退廃を望むかれには、もはやそこは自分の居場所ではなかった。だからこそ逃げたのだと、苦しみながら一は吐きだす。明るくなっていく空、朝日、そういうものがかれを動かす。
ここの長い一人芝居は見どころというか、ザッツ藤原竜也、という感じ。朝日がさしてきたときの絶望と、魂が抜けたような表情がいい。
どれだけ一が翌朝のことを語っても、テツにもトミにも届かない。それでいい。分からないままのことも沢山ある。分かっているのは、翌朝に見た朝日だけ。
***
物凄いエネルギーの舞台だった。笑いを控えめにして、シリアスなミステリ風回想にまとめることも出来るはずだけれど、実際に生まれたものは笑いとシリアスが混在しているとんでもない威力の話だ。大笑いした直後に驚いて、泣いたかと思えばまたばかばかしい笑いが来る。けれど脈絡がないということではない。面白かった。勘太郎さんがインタビュー動画で言っていた「色んな人にざまあみろ」っていう言葉がひどくしっくりくる、このメンバーでなければ成立しない舞台だった。面白かったー!
才能があって自由気ままで我がままで人を魅了する半面、内にどうしようもない泥濘や爆弾を抱えている藤原竜也。お人よしで優しくて誠実で騙されても笑っている鈍感さと、なにもかもを許容する深い懐を持つ中村勘太郎。中村勘太郎に心底から慕われながらもあまり気づかず、気ままな藤原竜也を思い続ける吹石一恵、という三角関係は「新選組!」と同じ構図だ。敢えてなのか、偶然なのか。
どっちにせよ男性二人はそういう役を演じることが多いし、ぴったりと言えばぴったりなんだけれど、もうちょっと予想外でも良かったかなー。得意分野を突き詰めた芝居は見ごたえがあって良かったけれど、逆なら逆で面白かったんじゃないの?とか素人らしい無計画な発言をしておく。
勘太郎さんがどんどん勘三郎さんに似てくる。よく考えると歌舞伎以外の芝居を見るのはとっても久しぶりだったので余計にそう思ったのかも。声も似てるし、面白おかしい動きなんかもそっくり!すごいなー親子だなー。別にコピーというのではなく、にじみ出てるものが似ている。
あと取り敢えず裸になることが多かったんだけれど、落ち着いて浴衣を着るときの所作とか、帯の結び方がとてもきれいで、そんなシーンじゃないのに見とれてしまった。体も全身がしなやかなばねというか武器のようでした。飛んだり跳ねたり倒れたりしまくってた。
竜也は相変わらず良かった。どんな舞台で見る藤原竜也も好きなんだけど、はっちゃけきったぶっ壊れコメディと、地の底から悲鳴をあげるような独壇場の両方が一気に見られておいしい。
吹石さんは初舞台だったと後で知ったんだけれど良かった。多少ぎこちないところもあったけれど、全体的に飄々としていてかわいくてきれいで無鉄砲でばかで、傍にいたら大っきらいだろうなこの女、っていうトミを見事に演じていたと思う。あとまあそりゃもう足が白くて細くてきれいでした…。
面白かった。三谷幸喜生誕50周年、他の作品も楽しみです。
-
2011.01.27 Thursday
-
鬼頭莫宏「なにかもちがってますか」1
-
鬼頭莫宏「なにかもちがってますか」1
平凡な中学生の日比野は中学3年の一日目、転校生の一社から呼び出され、訳も分からないまま「死ね」とバットで殴られる。
人が死ぬほうの鬼頭まんが。自転車がさっぱり分からないというハンデを抱えてでも読み続けるくらいには「のりりん」も面白いんだけれど、やっぱり子供たちが残酷な運命を背負ったり強いられたり弄ばれたりする様子を描く鬼頭まんがが好き。子供の生や性が大人によって踏みにじられる鬼頭まんがが好き。
日々に違和感を持ちながらも、幼馴染みの女の子やヤンキーの友人とまったり生きている日比野。全てを馬鹿にした目で見る、最初から喧嘩腰の転校生一社。日比野が他の人間にはない特殊な力を持っていると見抜いた一社は、半ば一方的に日比野に計画を持ちかける。かれが思う社会のゴミを駆逐する、危険な計画を。
読み終えて表3にある作者コメントを見てぞっとした。「また、ささやかな世直しごっこを始めたいと思います」という所信表明のようなそれが恐ろしくて仕方がない。「また」という言葉は考えるまでもなく、「なるたる」にかかっているだろう。自分たちの理論で世界を変えようとして、無残に散っていった、かわいそうでおろかな子供たち。そういう世界が再び描かれることへの期待と恐れ、なにより、作者自身があれを「世直し『ごっこ』」と呼んだことへのえもいわれぬ気持ちで、背筋が凍った。
一社はまさに「ごっこ」遊びをしている。自分自身の目線でしかものを見られない、他の目線を想像だにしない稚拙な子供が考える善悪。相手の言い分を聞かない一方的な自称・正義。後先や影響なんてものを微塵も考えないで行う暴挙。何も持っていないくせに無駄に高い、取るに足らない、優先される必要のないプライド。周りが見えない暴走。そういうものが非常に鋭利に、かつ愚かしく描かれている。むちゃくちゃなかれの理論に腹を立てつつも、本気で話し合うことすらばかばかしく思えるのは、かれの行動が「ごっこ」でしかないからだ。思春期の子供にありがちな、暴走した感受性がなせる病のようなものにしか見えないからだ。
けれど一社は日比野を見つけた。社会は頭脳役と肉体役の二つに分かれるというかれの理論に従って言うならば、頭脳である一社の思想に基づいて動く肉体を見つけたのだ。自分の考えを日比野が実行すれば、一社の思想は現実のものになる。子供が考えた稚拙な考えが、実行されてしまう。ちなみに相変わらずの凝った設定は、日比野の能力に活かされている。
自分からたとえ話を持ち出しておいて、つっこまれると「たとえ話で揚げ足を取るな」と怒るような一社の、脆いはりぼての理論も愚かで「痛い」けれど、かれに巻き込まれる日比野もまた不気味で「痛い」。元々日常に違和感を抱いていたかれは、一社の言い分が正しいと思っていないのに、かれの主張になんとなく流されて行動を共にする。実際、実行にうつす力を持っているのは日比野のみなので、かれが行動をしているのだ。あらゆることに受身な日比野は、深く物事を考えず、強く言われるとなんとなく従ってしまうあたり、一社が言う肉体役が向いているのだろう。考えないのか、考えられないのか。かれは事件の中心にいるくせに、手を下している実感がないからか、つねに他人事のように笑っている。ひどく不気味だ。
取り返しの付かない事件を起こしたあと、日比野はようやくことの大きさに少し気付く。目の前で亡くなったクラスメイトより、好きな女子の会ったこともない父親のほうが存在が大きいあたりも愚かでいい。
気になっていた女の子。友人をなくした彼女は、悲しみのどん底で気丈にも真実を突き止めようとしていた。そのために信じられるのは日比野だけだと言った彼女の、父を殺したのは日比野だ。
死んでわびよう、と日比野は考える。かれなりに考えたのだろうが、到達点があまりにちんけだ。そして更にかれは思う。その前に一社を殺そう、と。その発想も非常に子供じみている。子供がいらだったときに口にする「死ね」「殺す」の域を出ていない。ただひとつ違ったのは、日比野にはその力があったことだ。
それまでは一社の言葉に納得したり丸め込まれたりして力をつかっていた日比野が、初めて自分の意思で行動に出ようとする。肉体役がものを考え、頭脳役の仕事をするようになった。脳だけでは生きてゆけない、肉体だけでは意味を成さない。脳を持った肉体に、一社はどう向かうのか。
どっちに転んでも幸せな未来が待っているようには思えなくて、続きがとっても楽しみ。
-
2011.01.26 Wednesday
-
野守美奈「それを静寂が伝える」
-
野守美奈「それを静寂が伝える」
穏やかで上品な雰囲気を持つ貝藤と口数が少なくそっけない江長は、寮のルームメイトとしてそれなりにうまくやっている。幼い頃からピアノをやっている貝藤の大きな手に江長が興味を持って触れたことがきっかけで、二人の関係は変わり始める。
黙っていると怒っているように見える江長と、黙っていても微笑んでいるような雰囲気のある貝藤。誰かとつるむことが好きじゃない江長と、大抵人の輪の中にいる貝藤。なにもかもが違う二人は、寮の部屋でもそれほど会話が多いわけじゃない。仲が悪いわけではないし、むしろ居心地が良いと思っているけれど、どちらも雄弁なタイプではないのだ。
その代わり、かれらは相手に触れる。
最初は単なる、手の大きさの話題だった。ピアノを長くやっている貝藤は手が大きく、指もよく広がる。雑談から確かめてみようと手を合わせたのはよくある話で、そして、やめられなくなった。その日以降も自分の手を無言で触る江長を、貝藤は拒まなかった。ただ無言で手を触らせる。真剣な眼差しで指に触れるかれの貌を見る。それが普通のことではないと知っている。手を合わせること自体に問題はなくても、他の友人が江長と同じことをしてきたら、多分貝藤は二度目から拒むだろう。のみならずいきなり部屋を訪れた友人たちに目撃されたとき、貝藤は慌ててごまかした。
江長のそれは、そういう意味合いを確かに含んだ触れ合いなのだ。そして貝藤は、そうと知った上で受け入れている。
かれらがその先に進むことに時間はかからなかった。会話より態度が先に出る、言葉より眼が雄弁な江長は貝藤にキスしながら心の中で語りかける。自分の行動が愛撫だったことを、前戯であったことを知っているだろう、と。
この言い回しが凄くいい。関係が始まったのはキスをした今じゃなく、かれに触れる他の男に嫉妬したついさっきじゃなく、ずっと前からだったのだ。江長の手を貝藤が拒まなかったときから、受け入れたときから、長い関係は動いていたのだ。
始まってしまえば、今までのくすぶりが何だったのかというくらいに、二人は順調に昼夜をともにする。クラスも部屋も同じかれらは、涼しい顔をしているその裏で、誰にもさとられないように恋愛にのめり込んでいく。
将来のことを教えてもらえなかったと落ち込み、江長の中の自分の立ち位置について考える貝藤。貝藤が何気なく話す言葉の端々から、自分たちが卒業するまでの関係だと言われているように感じて、憤る江長。卒業したあともずっと一緒にいたい、関係を続けたいと思っている二人は、その素直な気持ちを口にしないまま、相手の気持ちを量りかねて葛藤する。同じことを考えている。不器用でお互い様でどっちもどっちで、かわいい。
二人は多分ずっと相容れないままだ。気持ちを疑われていたのかと怒り、傷ついて涙を流す貝藤に江長は「泣くか」と言う。そしてその分かりやすい態度が示す自分への気持ちを知って喜ぶ。怒らせたこと・傷つけたことへの謝罪も反省もない。けれど貝藤はそれでいいと思っている。いきなり嫉妬したりいきなり触ってくる、言葉の少ない男の傍が一番居心地がいいのだと思っている。これから先もきっと、気持ちをろくに言葉にしない男の隣で、案外飄々と生きていくんだろうな。
貝藤のピアノに対するスタンスが好きだ。母親から過度の期待をかけられていた貝藤は、真剣にピアノと向き合ってきたし、かれ自身今もピアノを大好きだと感じている。けれど自分のピアノは厳しい世界の中で生計を立てられるものではないという自覚もある。高校入学前にして既に、かれは人生や限界を知って諦めた経験を持っている。それが元々穏やかだった貝藤の性格を更におとなびたものにさせているのだろう。
貝藤の父の提案とそれに従ったかれの判断は決して間違いではないだろう。長い人生を生きてゆくためには必要なことだった。けれど江長はそれを「逃げ」だと言う。貝藤のおとなびてさっぱりした性格が、なにものにも執着しないように見えたのだろう。自分にも執着せず、ピアノのように簡単に諦めてしまうのではないか、逃げるのではないかと思ってしまった。
そう指摘された貝藤は憤る。姉ほどの才能がないことを知っていたかれは、吹っ切って遠方の高校に来たことでピアノと新しい付き合い方が出来るようになった。必死になって追いかけていた時代とはまた違う、ピアノとどこまでも寄り添える付き合いを見つけたのだ。それはかれにとってとても幸福なことだった。だから「逃げ」と言われたことも、その「逃げ」に江長が含まれることも貝藤にとっては心外だったのだ。貝藤の怒りはもっともだが、それよりも、かれが進学して見つけたピアノとの在り方が微笑ましい。仕事にならなくても、一番になれなくても、好きなことを続けること・好きでい続けることはできる。貝藤がたどり着いた答えが、かれをつよくしたのだと思う。
全体的にどこか懐かしいにおいのする作品で面白かった。なにより雄弁な目線が乾いているのに官能的で、健康的なのにどこか翳りがあっていい。
-
2011.01.25 Tuesday
-
高遠琉加「酷いくらいに」
-
高遠琉加「酷いくらいに」
広見の日課は、出勤前に友人である秋の飼い犬の散歩をして、かれと朝食をとることだ。事故で車椅子生活を送る秋は穏やかで優しい広見の思い人で、もともと広見の兄・克至の恋人だった。
秋はもともと克至の高校時代の同級生だったけれど当時は交流が殆どなく、数年後、克至がつとめる病院に車椅子の秋が通院していたときに偶然再会する。品行方正・成績優秀で人柄もいい、非の打ちどころがない克至と秋は付き合うようになった。広見が秋と初めて会ったのは、その出来がいい兄が秋を家に連れてきたときだ。かれの足の事情ではなく、なぜか秋がとても印象強く心に残ってしまった広見は、そのあと図書館で会ったのをきっかけに、かれと仲良くなる。
体力作りのためにジョギングを日課にしようとしている広見は秋の犬・コーデリアの散歩を請け負うことになった。料理人見習いとして働いているかれは、早朝の散歩のあと自分と秋の分の朝食をつくった。実家は居心地が悪く家を出た一人暮らしの広見と、両親を事故で亡くして以来家族はコーデリアだけの秋。レストラン勤務のためサラリーマンより出勤時間が遅い広見と、在宅で通訳の仕事をしている秋。二人が毎日のように朝を共有することに何の支障もなかった。
少し年の離れた友人関係は非常に順調だった。言葉がきつく、考えなしに感じたまま喋ってしまうことも多い広見を秋は咎めることなく、言葉の裏にある誠実さに気づいて受け止めてくれる。必要以上に手助けをしたり気を使うことをしない広見のおおらかさが秋には心地いい。今後も続いていくであろう穏やかな友情は、広見が克至と秋の会話を盗み聞きしたことで終わる。恋人同士の会話の合間にキスしている二人を見て、広見はただの同級生ではない二人の親密な関係と、なにより、自分が今まで秋に抱いていた気持ちの真実を知る。かれは恋の自覚と失恋を同時に経験してしまう。
それでも広見は秋との毎日を続けた。兄がどんな風に秋に触れるのか、考えたくないのに想像して嫉妬して、秋をひどく貪りたいと願って叶わないことや秋が寄せてくれる信頼を裏切っていることに自己嫌悪して、それでも一緒にいた。そんなある日、兄が婚約したことをかれは知ってしまう。別に勘当されているわけでもない、社会人になって家を出ただけの次男だ。長男が結婚するとなれば、母から連絡が入るのは普通のことだ。そして広見は兄の相手より兄自身より、秋を思った。
広見視点で語られる物語においては、とにかく広見がいかに秋を好きなのかということと、いかにこの恋がはじめから絶望的なのかということが語られる。結婚を決めた克至と秋は当然ながら別れた。自分の存在が兄を連想させるということを理由にしてしばらく秋に会いに行かなかったけれど、結局広見は秋と同じ時間を共有している。今までと変わらない、傍から見れば穏やかな日々が続く。
けれど何事も起きないわけではなかった。いつも通り秋の家に行ったある日、広見は克至が風呂場で秋に迫っているのを見てしまう。別れた恋人がよりを戻そうとしているとか、いけないと分かっていても諦められないとか、そういう感じではなかった。体の自由がきかない秋を服のまま風呂に入れ、シャワーを出し、やり直そうと懇願している克至は常軌を逸していた。普段のよくできたかれとは全く違う、暴力とはまた違った狂気の恐ろしさがある。それより少し前から、結婚したあとも友人として秋に接してくる克至と、それを受け止めている秋に苛立っていた広見は、とうとうぶち切れる。克至を腕っぷしで追いだした。保身のために恋人を捨てて名家の娘と結婚したかと思えば、恋人の弱点を利用して追い詰めてくる。そんな兄が許せないとかれは憤る。
けれどそれよりも深く憤っていたのは秋だった。この、温厚を絵にかいたような印象の秋が見せる本音がとてもいい。かれは、先に恋に醒めたのは自分のほうだ、と言った。克至が権威や私欲のために優しい秋を裏切って傷つけたと広見は思っているけれど、そうではなかった。勿論別れたあとの克至のあまりに急な展開はあまり誠実ではない匂いがするけれど、別れの理由は克至だけではなかったのだ。以前克至が結婚すると知ったとき、広見の問いに対して秋は、克至を「好きだった」けれど「もう終わった」と言った。その会話は、優しい秋が好きな相手の心変わりを受け止めて許しているように見える。けれど、たぶん本当に好き「だった」のだ。好きなのは過去であって、今はそうではないのだ。「終わった」のは関係だけでも克至の思いだけでもなく、秋の気持ちも終わっていたのだ。
更に秋は打ち明ける。恋人といたのに、ほかの人のことばかり考えていた、と広見の眼を見てかれは言う。最初に会ったときから意識していたのは広見ばかりじゃなかった。確かにそう言われて考えると、図書館でばったり会ったあとの秋の必死なまでの積極性は違和感がある。その後の控えめなかれの性格を思うに、大分無理をして、気になる相手と交流を持とうとしていたのだろう。一見そう見えない秋の恋愛に対する奮闘っぷりや、恋人がいるのに他の相手(しかも恋人の兄弟)を好きになってしまう情熱がぼんやりと浮かんでくる。もう二度と家に来てくれないかもしれない、これっきりかもしれない広見が好きだと言っていたバターを遠出してまで買いに行ったのも、恋が為せる技だと思えば更に微笑ましい。ただのきれいな人の秋より、どろどろしたものを中に秘めている秋のほうがいい。
そしてきれいなだけじゃない秋が望んだのは愛されることだった。優しくされることや親切にされること、気をまわしてもらえることじゃない。その足の所為で人の優しさに接する機会が増えたであろうかれは、他者が向けてくる優しさに敏感になった。同情や憐れみは欲しくないと思うあまり、優しいばかりの情を信じることに怯えている。優しくされるだけじゃ嫌だと、強引に乱暴に求められたいという熱い願いを抱えている。きれいで優しい秋の、きれいでも優しくもないリアルな恋愛への欲求がすごくいい。
その後の二人を描いた「ひとの望みのよろこびよ」もいい。
秋はクリスチャンだ。母がクリスチャンだったので元々身近なものだったのだろう。事故で両親と足の自由をなくしたかれは、その後洗礼を受けた。食事の前に祈ったり、神という目に見えない存在に辛い日々を支えられたことを語ったりしているかれは押しつけがましくなく自然だ。
付き合い始めた二人の関係は順調だけれど、そこにいくつもの問題が重なってくる。ボランティアで知り合った少女に奇妙ななつかれ方をした秋、一人前になるために避けて通れない試練が訪れた広見。些細な不安や迷いが相乗効果で大きくなり、苛立ちがすれ違いに発展する。
秋が好きだから秋に頼ってほしい広見。広見が好きだから広見に迷惑をかけたくないと頼らない秋。けれど秋が頼らないのはそれだけが理由じゃない。広見に依存して頼りっきりになったら、広見がいなくなったときが辛いからだ。別れたあと、かれが去ったあとのことを考えてしまうのは秋のほうが大人だからか。身を切られるような突然の別れを経験してきたからか。一人で生きることが難しいからか。
別れたあとを考えて行動を制限するのは愚かだろうか、不実だろうか。広見にしてみればその秋の考え自体が裏切りに映っただろう。秋との未来ばかり考えているかれから見れば不実だろう。けれど秋の気持ちも、自制しなければ無尽蔵にかれに頼って甘えてしまうくらい広見が好きだからこそ生まれるものだ。両親の死や、克至との関係の終わりが秋の心に傷を残している。けれど広見はそれを乗り越えて、自分に手を伸ばして欲しがっている。
広見と喧嘩している間に秋を傷つけるいくつもの事柄が起きる。最後の決定打をくらったかれは、それまでの我慢を爆発させる。広見が今大変な時期にあること。今後タイトな予定が入っていることを知った上で、夜中の電話でかれは言った。「会いたい」と。それは秋がこれまでの長い間、それこそ事故のあとずっとかたく閉めていた扉を開けた瞬間だったのだろう。叶わないかもしれない、裏切られるかもしれない願いを口にすること。我儘を言うこと。
それが広見の喜びになる。
どこか懐かしい、古い一人称で描かれた表題先に比べて続編は穏やかで宗教的ですらある。けれど秋の生き方のように押しつけがましくなくて、胸を打たれる。好き。
***
物語の中で紹介されていた、実在の言葉「病者の祈り」があまりに衝撃的だった。物語よりもこっちへの動揺がつよくて、なかなか咀嚼できなかった。いや今も出来ていないのだけれど。すごかった…。
-
2011.01.24 Monday
-
雲之助「幸せになるのさ!」
-
雲之助「幸せになるのさ!」
金を貸した親友に裏切られた小松は、ヤケ酒をした帰り道、公園でひとりヤケ酒をかっくらっている歩と出会う。男の恋人にふられたばかりという歩と意気投合して飲んだくれた小松は、翌朝、歩に付き合ってみようと提案する。
両方が真っ赤になってもじもじしてる恋愛漫画がだいすきです。
小松は誠実でおひとよしのサラリーマンだ。親友に大金を貸してくれと頼まれて、「親友だから」借用書も書かず、「親友だから」貸した。そして裏切られてしまった。
最初はなんとなく勢いとかノリとかと、第一印象の好感度で始まった恋だった。けれど二人で時間を過ごすうちに、かれらは二人はお互いを意識して、好きになる。
好きになったらもっと会いたい・もっと一緒にいたいと思うのが小松で、好きになったから嫌われたくない・自分の悪いところを知られたくないと考えるのが歩だ。自分を振った男が指摘した自分の欠点を思い出して、歩はこれまでのように気軽に小松に接することができなくなる。けれど関係を戻したいわけでも、会いたくないわけでもない。混乱の中で嫌われたくないという気持ちを告げる歩に、小松はかつての男に言われたことを引きずっているのかと見抜いた。このときの小松の顔が、それまでのかれからは想像できない鋭い目をしていてとてもいい。温和でおひとよしなかれが影をひそめ、会った事のない男に嫉妬して憤る男の顔になる。でもそのあとも小松は温厚で優しくて、歩がいっぱい喋ってもちょっとわがままを言ってもにこにこ受け止めている。元々はそういう男なのだ。そういうかれが、ふと見せる強い一面がいい。気の強い歩がたまに出してくる不安や怯えといいバランス。
小松の仕事がたてこんでしばらく会えない日が続く。前もってそういう状態になることは言われていたし、その気持ちを疑ったりするわけじゃない。ただ、さみしい。居酒屋で友人に愚痴る歩の言葉が聞こえてきた店員が、実は小松とも知り合いで、いかに小松の仕事が大変なのか・小松が真面目でいいやつなのかと語り、励ましてくれる。そのことは一瞬歩を元気付け、不満を漏らしたことを反省させるけれど根本的な解決にはならない。だって会えないのはさみしいから。
いきなり貰った休みに、小松は歩の家を訪ねる。前もって連絡することもなく押しかけてきた小松に、歩の気持ちが一気に高ぶる。会いたかった寂しかった連絡しろと泣き出す歩に、小松も涙を浮かべる。
あらすじだけを追うと、いくら付き合いたてだからって、社会人になって久しい大の大人が仕事でしばらく会えないだけでお互い泣くのはいかがなものかと思うけれど、そんなまともな感覚が吹っ飛ぶくらいふたりが可愛い。泣き出す歩を慰めるのではなく、一緒になって泣く小松。ふたりで会いたかったと抱き合って、ちょっとずつ落ち着く。あー可愛い!
さみしいこと、過去の恋愛でついた傷がぶり返して不安になること、そういう些細なトラブルはどうやったって訪れる。傍から見れば些細でどこにでもある問題は、当事者にとっては世界がひっくり返るほどの大事件だ。それをひとつひとつないがしろにせず受け止めて、一喜一憂して、毎日が続いていく。
二人が旅行に行って、ぼんやりと幸せを噛み締めているところが好き。友人達との飲み会のあと、嬉しそうにその日のことを喋りながら帰るのが好き。その何にもなさこそ、何にもないところで実感できる幸福こそ、恋愛の醍醐味だから。
-
2011.01.22 Saturday
-
唄友〜新年会スペシャル〜@OSAKA MUSE
-
Dear LovingのMASA主催イベント。会場に入ったらパイプ椅子が並んでいて驚いた。普段ホールライヴに行くことが殆どないので新鮮。というかすごい楽。チケットバンド予約とかも久々に体験したけど楽だわ…。
始まったら立つのかなあ、とか思いつつ座って待つ。実際は終盤まで座りっぱなし。座高が高いので見やすかったですとても。
●MASA
ひとまず主催者のMASA登場。初めての個人主催。普段バンドマンと遊ばない自分がプライベートで遊ぶ数少ない仲間、唄で繋がった友達「唄友」を紹介するイベントです、とのこと。ヴィジュアル系だったときの仲間を集めて、じっくり唄を聴いて欲しいので持ち時間も多めに取ってる。「GLAM POPみたいやな!」と言って自分でウケてた。懐かしくて胃が痛い。
●Kaim(松下彰宏)
「Kaimでーす!」と紹介されて登場したKaimさんが「はいどうも、松下でーす!」と挨拶して始まる不思議なライヴ。カウントダウンで「今後は松下名義でやる」と言ってたし、実際フライヤーも松下名義だったので今は松下さんなんだろうけれど、この日はチケットも全部Kaim表記だった。まあ同じ人だし。本人も気にしてなさそうだし。
あとで喋る時間を別に確保してるから、ということでMCは少なめ。ミューズホールにはお世話になった・育ててもらった・ことあるごとに出してもらった、と言ったあと「床が知らない間に小洒落てて」とブロックチェックの床をつっこむ。椅子だと余計に床の柄も見えるだろう。
「ヴィジュアル系やってました松下でーす!」と言う自己紹介に、石井さんも「一緒にヴィジュアル系やってましたー!」と。告知を求められた石井さんは「明日TAKUMAくんのライヴがあるけど…ブログとか見てもらえれば…」と弱気。どうも杮落とし公演になるハコの名前や場所がうろ覚えだったらしい。「なんでTAKUMAの告知してんのやろな、まあええやんな仲間やし」とKaimさん。
こんなときなんで、とPlasticの「HANDS UP」をアコースティックで。アコギをおいてマイクを持って歌いだした瞬間に、動きが昔のものになるのが面白い。曲と一緒に染み付いてるんだろうな。手をー手をー手をー。
ソロの、松下彰宏としての名刺になる音源が欲しいので、しばらくはライヴせずに制作活動に入ります、という今後の話をしてライヴが終わる。
●MASA、Kaim
そのあとハケることなくMASAが出てくるのを待ってトークに移行する。椅子が出てくるので座ってじっくりトークタイム。
・初対面の話。Dear Lovingがちょっと売れてて、サラサラ黒髪にカラコンのヴォーカルが増えてきていた。いいことだと思っていたら、対バンしたPlasticのヴォーカルもそんな感じだった。なので「自分感じ似てるな」と声をかけたら、「ファンの子によく言われるんです」とKaimさんが返事した、それが初対面だ、というMASA。Kaimさんは、当時はディアラビじゃなかった、「歩くランドセル」だったとMASAについて語る。シークレットバンドの名前を考えるときに、ラルクアンシエルみたいな名前がいいなと思って命名したのが歩くランドセルだったらしい。ですので歩く〜ランド~セルのイントネーションでお読み下さい。二人でタッキー&翼をやったら異様に受けて江坂でPV作ったとか、プリクラ撮りにいったとか、コント考えたとかそういう思い出話。同い年だけど歴が全然違うのでKaimさんはいまだに敬語で話すらしい。「まあ僕育ちがいいので」というKaimさんに「そうかー!?」とMASA。
・バンドを始めたきっかけの話。Kaimさんはサッカーをやってたので始まりが遅くて22歳のとき。テレビで見た「vivid colors」(Mステだね!)でラルクを見て、女性だと思ったhydeに影響されて、カラオケに行って歌ったら案外歌えたのがきっかけらしい。MASAは15歳のときにメンバー3名を連れてカラオケに行き、尾崎豊を歌って聞かせ、「…な?」と言ったそう。「俺ヴォーカルやりたいからお前ギター、お前ドラム」「モテるで」と強引に始めたらしい。「俺ジャイアンやし」と自分で言ってた。歌の巧いジャイアンでよかったです。
・今後の話。PlasticやEWToAと今で何が違うか、という問いに、アコギ一本で歌うようになって、自分がいかに唄に向き合ってなかったかを自覚した、とKaimさん。当時は勿論向き合ってたつもりだったけれど、そうじゃなかったことが分かったそう。「バンドやらへんの?やったらええやん」というMASAに、とりあえずソロで名刺・武器になる音源を作ってから、と返してたので、全くやらないわけでもないのかな。
昨日のサッカー見たかとか、寛平さん(ちゃんとさん付けしてた!)のゴールみて号泣したとかそういう話もあった。あとは楽屋がすっごい盛り上がってて楽しい、田澤とYUKIがうるさいという話。皆が拾えなかったり拾わなかったりするYUKIのボケを全部拾ってくれる田澤さんだそう。「ユキットマンジョン」と言うと、即座にスキャットマン・ジョンの歌を歌いだす田澤さんに感動したらしいよ。その画が見える…・。あとはPlasticのファンがPlasticを略して「プ」と呼ぶのがどうしても解せなかったらしい。「プラ」だとPlastic Treeになるからだろうけど、もうちょっとなんかあるやろ!と。あと「プラッチック」とも言ってたな。大阪のおばちゃん。
・初めて買ったCDの話。Kaimさんは米米CLUBの「君がいるだけで」だった。「素顔のままで」やで!とひとしきり盛り上がったあと、「知らん人おる?」と挙手を求める。知らない人が殆どいなくて「結構みんなええ年なんやね」とさらりと。くっ…。カンナ…。
じゃあそれを歌ってもらいましょうということで、ディアラビの二人も登場。YUKIさんが素晴らしくうるさくて鬱陶しくて面白かった。いっこいっこ拾ってつっこむのも大変だわこりゃ。
Kaim、MASA、YUKI、KURO「君がいるだけで」(米米CLUB)
●田澤孝介
Kaimさんがハケて、転換中に田澤さんぬるっと登場。マイクを通さずに「はいどうもみなさんようこそお越し下さいました田澤孝介です!」みたいなことを言いながらステージギリギリまで前に出てくる田澤さんに、MASAが苦笑しながらマイクを渡す。「ああどうも、声がよく通るんです」といいながら受け取る。「MASAが今日のお客さんはすごい良いお客さんだって言ってたけど、こんないいイベントに来てくれるのがいいお客さんじゃないわけないじゃないかバカヤロー」とかなんとかぶつぶつ言ってた。
あとで喋る時間沢山あるから、と何度も色々喋りだしそうになるのを堪えてさくさく歌に行く。暗い会場の中で、ライトがそこだけ当たって、歌ってる姿が浮かんで見える。アコギで曲が始まると、石井さんのほうを向いて笑ったりにやにやしたりするんだけど、歌いだすと顔が変わる。空気がつめたくなって、神経が研ぎ澄まされていく。飾りがなくても、歌だけで他の世界へ連れて行くことは可能なのだと、押し付けるのではなく歌うことで証明してる。(飾られた・作りこまれた世界観に誘導されることが好きだという気持ちと真っ向から矛盾してるけれど、これもまた真実だ)
ソロで最初にライヴをしたときに神戸でディアラビと対バンした。そのときは喋りたいことが沢山あって、喋らないと一人の空間を持て余してしまいそうで、そのときにも歌った、ソロの最初の曲です、で「蒲公英」
あったかいイベントで、会場があったまってたのに、お聞きの通り、暗い曲しかありません、と自己紹介。大丈夫?重くないわけないか。といいつつライヴは進む。
「道標」の前にMC。こないだのカウントダウンでも言ってた、妹の子供を見ていると、誰かの背中を見るばかりでなく、背中を見られる存在になったと思う、という話。前回よりだいぶクリアで分かりやすい話になっていた。
ラブレター
新月の心
蒲公英
道標
キミのそばで
●田澤孝介、MASA
終わったあともすぐに出てこないMASAに、「おーい終わったよー」と呼びかける田澤さん。「ディアーとラビングー、終わったよー」と言ってたらMASA登場。こちらも座って、同じようにトーク。
・初対面の話。Waiveとディアラビとして出会って長い付き合いになる、と思われているけれどもっと早くに出会っている。自分がJanne Da Arcのローディのときに【zo:diaek】のローディだった田澤さんを見ているらしい。髪が長くて女の子だと思ってた。この子すごい歌がうまい、と紹介されて、一礼しあった程度の挨拶だったらしい。で、のちに「善徳くんがバンド始めたときに、どっかで見たヴォーカルやなー、あーあいつやー!」となったそう。「大体10代のときの初見は女子や」という田澤さん。「善徳くんも最初に見たとき女やと思ったらしいもん」とお馴染みの話題。
・どこへ行きたいの?の話。Waiveのあとストロボを経て、ソロ・SPIRAL MIND・なんとかニシオン(「エルニシオンや!」と突っ込み)と三つもやってるわけやけど、どこへ行きたいの?何をしたいの?というMASAの質問。ともすれば失礼な質問だけれど、本人曰く「嫌味とかじゃなくて」とのこと。「誘われる、引く手あまたってことなんやろうけど」といわれた田澤さんが、でも全部自分主体で、やりたいからやってるんだ、と訂正。Rayflowerを忘れてるのかな、とも思ったけれど、まああれは田澤さん主体じゃないしね。
エルニシオンをメジャーデビューさせたいと思っている。自分のソロよりポピュラリティがあるし、力もあると思う。で、レコード会社の新人発掘担当者をライヴに呼んだりしている。すると皆口をそろえたように、「曲はいいけれど、30過ぎてるから」と言う。そういうことを言う奴らと仕事したくないからいいけれど、そういう世界だ、と。ただそういう中で、見にきてくれる人がいる。だから音楽を続けていられる。それは凄いことだと思う。こないだのソロワンマンのときにも言ったけれど、自分が、これを守っていけば幸せになれるというものを見つけたと思った。それを大事にしていきたい、大きく売れることとか上に行くことだけが幸福じゃない、それぞれの幸せのかたちがあるんだと、逃げじゃなくそう思う、と言っていた。
MASAがそこで、昔Kaimが「僕ファンの子が大好きなんです」と言ってて、すごくそれが格好良かった。バンドやってく中で色々あって、2ちゃんとかで色々書かれたりして、匿名だから誰かわからなくて、もしかしたらこいつかも・あいつかもと客席を見て思ってた時代もあった。けれどそういうことから抜け出して、今Kaimの当時の気持ちに追いついたと思える、と話していた。不信感のくだりで田澤さんも「そういう時期あるなあ」と言ってた。
バンドをやってて色々ある中で、どんなときでも態度が変わらなかった人もいる。そういう人と結局長く付き合っていられる。Kaimもタカもそう、とMASA。自分のいいときもわるいときも同じように二人は接してくれたし、俺もタカのいいときもタカの地獄も見た、と言うことばに田澤さんが苦笑してた。田澤さんの苦笑がすきだよわたしは!
・ヴォーカルになったきっかけの話。もともとギタリストでコピバンをやってて、「バンやろ」でヴォーカル募集したけれど、そんなに上手い奴でもなくて、更に身ライヴ前日に「家に空き巣入ったから明日行かれへんわ」と連絡があった。で、自分がギター弾きながら歌ったけれど、両方ぼろぼろだった。そのあとオリジナルに転向しようということになって、曲を作り出したら愛着が沸いてきた。前回のことがあって、どこの馬の骨とも知らんやつに歌わせたくないと思い始めたから、しばらく考えてヴォーカルになった。で、ヴォーカルになったことを【zo:diaek】のドラムに報告したら、「お前がヴォーカルとか売れへん」みたいなことを言われて、「お前かて売れてへんやんけ」とカチンときて、絶対に見返してやろうと思ってボイトレの本とかを買って練習したらしい。ただ練習はできてもそれを正解だと言ってくれる人がいないから、自分を信じるしかなかった、とのこと。このヨミさんとのくだりは初めて喋った、と本人が笑ってた。
・赤レンジャーの話。ヴォーカルを始めたけれど最初は乗り気でもなかったという田澤さんに、「え!主役やで!!」「レンジャーで言うたら赤やん!」というMASAに、青とか黒が良いとずっと思ってたという田澤さん。ヴォーカルをやってからもその気持ちはずっと残ってたのだが、30を越えたくらいでようやく「あ、俺赤やん!!」と気づいたらしい。空気を掌握する、コール&レスポンスのきっかけが自分であることの気持ちよさは元々感じていたらしいけれど、そこへきてようやく気づいたらしい。
・Xのコピーをやってたという田澤さんに、ビデオ残ってないのか、と聞くMASA。残ってると応えられたら当然「見せて!」となるわけで、「べろんべろんに酔っ払ったら見せたる」と田澤さん。お客さんにも見せようよという話から、次にこういうイベントがあったらMASAのBOØWYのコピービデオと一緒に披露するという展開に。「俺18やけど38に見えるくらい老けてんねん!でもマイクこう持ってて(※勿論氷室京介の持ち方)めっちゃいきってんねん!」とMASA。ビデオが劣化する前に早く披露するんだ。
「普通のヴォーカルはX歌えへん」という話のあと、Xのカヴァーに。「紅だーっ!」とかやりたかったけどいかんせんアコギなんで、ということで「Say Anything」へ。「タカのエッキスを」「エッキスの二乗な」「昔の学校の先生な」「32ペーシとかも言うよな」みたいな小話を挟んで、楽器隊登場。こっからが長い長い。
「たったかたー!」「俺タカめっちゃすきやー!」「うますぎターカー」「タカの歌には、(胸を拳で叩いて)ここがある!」と暴走するYUKIさんにいちいち突っ込む田澤さんとMASA。「お前財布持ってくんなよ」「でも最近楽屋にシーフが出ますよ」とか。あとセッティングしてるYUKIさんに「お前カルバンクラインのパンツ見えてんぞ」とMASAが突っ込むと、田澤さんが「俺もそれ言おうと思った!気合うなあ、付き合う?きっとうまくいくと思うで」と入ってくる。そこへ「それは俺も入ってんの?」とYUKIさん。「普通は付き合うって二人なの!」と田澤さん。
田澤孝介、石井真之、MASA、YUKI、KURO「Say Anything」(X)
うますぎてちょっと笑えるうまさ。そしてちょっと似てる。高音を高音がカヴァーする上異様にうまいので、新鮮味がかえってないという不思議な展開に。しかし聴き応えがあった。
ハケていく田澤さんが「俺もここで聞いてたい」「最近のMASAやんの歌はほんまにいいとおもう。(YUKIのまねをして)ここがある」と真面目に言う田澤さんに被せてYUKIさんが「お前が一番ここがあるな!」と入ってくる。「俺のええとこや!」と田澤さん。自分のバンドのヴォーカルが一番だ、って嬉しそうに言うの微笑ましいなあ。
ここでちょっとだけ転換。このイベントは三人の歌い手が出るイベントライヴというより、三人でひとつのライヴを作ってるようなつくりでとても充実していたと思うけれど、トイレ休憩が…ほしいです…。
●MASA
最後はMASA。
わたしがDear Lovingを見たのは03年の4月ぶりだ。その時もかなり久々に見て、方向性の変化に驚いた記憶がある。そしてこの日また久々に見て驚いた。失礼な言い方をすれば、こんな風に歌に向き合う人だと初めて知った。歌が好きで、歌うことと生きることと生きる意味が一緒になってるような人だったんだなあ。そういう人だったのか、そういう人になったのか、は分からないけれど。
何度も、「何のことか分からん子はごめんな」とか言いつつ、去年メンバーが脱退したことについても話していた。一番印象的だったのは、「3人のDear Lovingが4人のDear Lovingに勝てるわけがないと思ってた」という言葉。けれどそうじゃない、三人で同じものを背負っていくし、前を向いている姿を見せたい。その中で、それぞれがそれぞれのタイミングややり方で過去を振り返ったりすればいい、という姿に胸がしめつけられた。そうやって20年、30年を迎えたい。ずっとここで歌ってたい、と言っていた。
ファンの子が大事、と何度も、照れずにまっすぐ前を向いて言う姿がいい。たぶんかつてMASAが見たKaimさんと同じ顔をしているのだと思う。
いいイベントだった。音楽の趣味としては若干好みからズレるんだけれど、そういうことをひとまず置いていて楽しめるイベントだった。満足!
-
2011.01.21 Friday
-
樋口美沙緒「愛の巣へ落ちろ!」
-
樋口美沙緒「愛の巣へ落ちろ!」
ロウクラスに属するシジミチョウ科の翼は、体調を崩しているときに見たテレビをきっかけに、ハイクラスのエリートばかりが通う名門学校への進学を決意する。勉強の甲斐あって見事合格したものの、学校中から心ない中傷や差別を受ける毎日。進学するきっかけになったタランチュラ科の澄也と学食で顔を合わせた翼は、興奮のままにかれに話しかけるが、澄也からは「シジミチョウは嫌いだ」と冷たくあしらわれてしまう。
虫擬人化ではなく、生態系と文明の危機により虫と人間が融合した近未来という設定。取り敢えず全員が虫と融合した人間であり、その虫の特性を持っている。毒を持つ虫なら毒を、カマを持つ虫ならカマを肉体に備えて生まれている。虫のことは詳しくないのでどれくらい忠実なのか・細かい設定なのかは分からないけれど、ぱっと読んだ印象ではうまくできていると思う。虫についての知識がなくても作品中で捕捉されているので問題はない。虫の名前を字面で見るだけでも無理!というひとは別にすれば、虫嫌いでも特に嫌悪感をおぼえずに読めると思う。挿絵にも虫っぽいものはない。
かれらの世界はロウクラス・ハイクラスという種別がされている。その名の通りロウクラスは下等種と認識されており、ハイクラス種ばかりの世界では軽視されるのが常だ。だからロウクラスはロウクラス同士で固まって生活し、ロウクラスが通う学校へ行く。かれらの世界はそういうものだ。
しかし翼はそうしなかった。テレビで放映された、ハイクラス種ばかりが通う学校で、かつてロウクラスの、しかも自分と同じシジミチョウ科の生徒が首席卒業したという事実がかれを勇気づけた。そしてその番組でタランチュラの男が言った、自分の人生を生ききったヤツこそが幸せなのだという言葉が、翼の背中を押した。そしてかれは、ハイクラスの中でもエリートばかりが通う星北学園に見事合格する。
突飛な設定に乗るのは、非常にベタというか王道の格差・身分差物語だ。学園に存在するだけで揶揄され批難されるシジミチョウの翼と、誰もが魅了されるフェロモンと整った容姿を持つタランチュラの澄也。出会う前から澄也に憧れていた翼の幻想は顔を合わせた数分後には打ち砕かれた。しかも澄也が嫌いだと言ったのは「シジミチョウ」だ。翼個人ではない。翼個人の人となりを知ることもなく、もとより知る気もなく、澄也は翼を否定した。それは、他の誰に否定されるよりも翼を傷つけた。この手の、自分に非のないことでひたすら虐げられる主人公の可哀そうなエピソードは不憫で好きだ。
体の事情で殆ど学校に通えずにいた翼は、同世代の男子と比べて色々なことに疎い。澄也に近づけば「食べられる」と言う真耶の忠告も、かれには理解できなかった。理解できないまま、かれは澄也の部屋へ向かってしまい、まさにかれに「食べられ」てしまう。虫と融合した人間という設定は、かれらの格差を示すだけでなく、こういう場でも活きてくる。タランチュラのように澄也は指から糸を出し、翼を拘束する。それ以外にもあれこれ使えるので、セルフ触手・セルフ媚薬といったところ。便利便利。
自分に酷いことを言ったり冷たい態度をとったかと思えば、誰よりも優しく扱ったり、心ない連中の手から助けだしたりもしてくれる澄也の行動に翼は動揺する。かれに抱かれることは嫌じゃない。ただ、かれがどういうつもりで自分に何度も手を出すのかが分からないから、どう受け止めていいのか分からないのだ。自分のことを好きで、自分だけにこういうことをするのなら構わない。けれど、澄也は口を開けば自分を下等種のあさましい存在だと繰り返すし、かつてのように誰かれ構わず関係を持ったりもする。翼はどうしていいのかわかりかねている。
かれを苦しめるのはそのことばかりではない。かれが小・中学校にほとんど行けなかった理由は、かれがただ病気がちなだけではない。ある特別な理由があるのだ。翼が必死で隠そうとしているその事情は、動物(こちらは虫だけど)になぞらえた特性や階級制もともなってどうしても「SEX PISTOLS」を彷彿させるけれど、こちらも十分面白かった。
翼には澄也の気持ちが分からない。優しくされれば自分のことを好きなのかと思うし、冷たくされればやっぱり見下されているんだと思う。恋愛経験のなさや、澄也の人となりがそもそも分からないために翼は迷い続けるけれど、自分と同じように澄也が冷めた傲慢な人間のままでいて欲しいと望む澄やの親戚・陶也の言葉で、翼は少しずつ考えるようになる。澄也の言葉の裏に隠されたもの。澄也が隠そうとして、隠しきれない態度が示す本当の気持ち。
それは、澄也がなりふり構わず自分を助けにきたときに確信に変わる。自分を心配して、興奮と怒りと反省で涙を流す澄也を見た翼は、かれが自分を好きなのだと知る。ここの澄也の、助けに来たというシチュエーションの格好良さを払拭するくらい情けない泣きっぷりがいい。認めちゃうよね。好きになっちゃうよね。
澄也は非常に傲慢で残酷だ。腕力でも能力でも勝てるはずのない翼を手荒に扱った揚句ひどい言葉で突き放したかと思えば、たまに優しくかれに接する。そして翼が少し心をゆるし始めた頃、また酷い態度に出る。故意に態度を変えているわけではないし、駆け引きをする意図がないことは後々分かるのだけれど、それにしてもひどい。翼目線で語られる物語においては、澄也はとても嫌なやつだ。
けれどそういうかれへの苛立ち・むかつきは、あとがきの後ろに掲載されている短篇「愛とはかくも、恐ろしきもの」で昇華される。
付き合い始めたふたりはひとつの喧嘩をする。澄也が付き合う前と同じように、翼に優しくない態度をとったのが原因だ。翼は傷ついて涙を流し、自分の部屋に帰ってしまう。ここまでは今までと同じなのだけれど、その翼の態度に対して澄也は動揺し、どうすればいいのか分からず真耶に相談を持ちかける。これまでは幼馴染みだということもあって真耶に対して素っ気ない態度しかとってこなかった澄也が、本当に弱って、真耶に助けを求めるシーンがとても情けなくていい。そのあと翼に謝るところはもっと情けない。みっともなくて、格好悪くて、でもかれがどれほど翼に本気なのか、翼にまいっているのかが分かる。その姿を見てしまえば、散々翼を傷つけたかれが翼と付き合うことを真耶たちが応援しているように、翼が何度でも許すように、許すしかなくなる。かわいい。
翼をロウクラス・シジミチョウだからと言って差別することもなく、どころかかれを中傷する連中をしかり飛ばしてくれた先輩・スズメバチの真耶がとってもいい。翼に対しては非常に親切だが、かれを悪く言う生徒などにはひとつの遠慮もなく辛辣な言葉を投げかける。同じように翼を差別せず、気にかけて心配しているけれど、その誠実さを上回るお調子者の兜に対する態度を見ていると、二人の間にあれこれ期待せずにはいられない。下半身がだらしないけれど仕事ができて人がいい兜が、お堅い真耶をマヤマヤと呼んでからかったりしてるのが可愛い。スピンオフ出ないのかな!
-
全 [4] ページ中 [1] ページを表示しています。