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2010.12.31 Friday
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山中ヒコ「エンドゲーム」2
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山中ヒコ「エンドゲーム」2
母を轢き殺した上、いまだ捕まっていない犯人が透なのではないかと思うようになっていた克哉の疑問は的中する。自分が殺したのだと自白した透を、克哉は当然ながら詰った。透が大切に残していた、恥ずかしくなるほどの枚数の写真すら、今のかれには腹立たしい。いい父親を演じることが、透の浅ましい罪滅ぼしの行為のように見えるのだ。それにまんまと騙されるように、かれを好きになってしまったことが口惜しいのだ。
何を言われても仕方がないと俯き黙っていた透だが、その克哉の指摘には反応した。いつか真実を知った克哉が全てを持って家を出るとき、たくさん写真があれば、一枚くらい自分の手元に残るかもしれないと考えたのだ。
克哉が罪滅ぼしだと考えた写真は、たぶん逆だ。写真を撮れば撮るほど、シャッターを押せば押すほど、透の罪は濃くなった。いるはずの母親の不在、与えられてはならない克哉からの無条件の好意、それらに追い詰められるだけだ。
子供からの信頼も、好きな男からの愛情も永久に失ってしまった透は呆然とする。透もまた、克哉を男として見ていた。一生懸命重たい荷物を無理して持っていた子供が次第に筋力をつけていくように、小さな子供が自分を見下ろすくらい大きくなるように、ゆるやかな時間の流れの中でかれは克哉を好きになった。けれどそれは絶対に伝えてはいけない恋だった。克哉がかつて思っていた男同士だから・家族だからという禁忌に加えて、透には永遠に消せない罪がある。克哉を見る眼差しが、血を流す母親の傍で泣いていた子供の幻を見つける。残酷でやりきれない。
家を出てぶらついていた克哉は、かつて母親が轢き逃げされたと教えてきた男と出会う。故意に停止させた思考で、克哉はかれについていく。
しかしその男・黒田こそが、克哉が憎むべき相手だった。裕福な家に生まれ育ち、才能があると他人から褒められ、その自覚もあった傲慢な黒田は、かつて透をいいように振り回した恋人であり、飲酒運転の末に起こした交通事故から逃げ出した男だった。同乗していた透が慌てて対応しようとするのを制止して逃げ、罪を償うことなく逃亡しつづけた男。事故のことを反省しているどころか、克哉のことも透のこともばかにしたように笑う黒田の態度に、当然ながら克哉の怒りは限界を迎える。
けれどかれは踏みとどまった。それは、自分が拘束されていることや、助けにきた透に危害を加えられる可能性があるというどうしようもない理由もあるけれど、なにより、克哉自身の理性によるものだ。
そのことを克哉は、透に育てられていなかったらあんたを殺してた、と語る。透の不器用だけれどまっすぐな愛情に包まれて育った克哉は、我慢することを知っていた。許せないと憎んでも、手を出さずに堪えるすべを教わっていた。だからかれは言う。透に「会えてよかった」と。母が死んで孤児院にいたから出会えた相手。母が黒田によって殺されたから、克哉は透と暮らすことができた。その残酷すぎる状況を分かった上で、克哉は言うのだ。残酷だけれど、こんな状況だからこそ愛情のつよさが分かる。
全てを知っても克哉は、透を「好きになってよかった」と思うのだ。
真相が暴かれたところで母は帰ってこないし、透と克哉のぎこちない関係も変わらない。すべてを知っても同じように透のことが好きだった克哉は、透から自分を引き離すために遠方の大学へ進学することを決める。
送り出す透は、さみしいと泣くようなことはしない。「いってらっしゃい」と言うことも、しない。いってらっしゃいはおかえりなさいとセットだ。いってらっしゃいと送り出すから、おかえりなさいと迎えられる。送り出す言葉を貰えないと、まるで帰ってきてはいけないような気がする。帰ってくることを想定されていないような気になる。
それは透なりの拒絶だった。
それを理解した克哉は一度はそのまま家を出るが、途中で引き返す。いきなり開けた玄関先、号泣している透の顔を見て、敢えて希望を言葉にしない透の代わりに、克哉はいろいろなことを確認する。透がなぜ何も言わないのか、痛いほどにわかっているからこそ、自分が言うことにしたのだろう。
透はべつに好きだとは言わない。さみしいとも、行くなとも、帰ってこいともいわない。ただ、「いってらっしゃい」とだけ、言った。けれど克哉にはそれで十分なのだ。それさえあれば構わない。「こわれたものあつめて何度でも始められる」から。
追い詰めて追い詰めてどんどん息苦しくなってゆく展開、張りつめていた糸がぷつっと切れて終わるようなラストだった。いきなりすぎるというか、ちょっと呆気ない感じもするけれど、糸が切れた落ちたものをやわらかく受け止める土壌はある。大団円大満足、ではないけれど、意表を突かれたラスト。
番外編は黒田の物語と、本編の後日談。黒田の話は、以前も使われた、淡々とモノローグで状況が語られる手法だ。かれが透の元を訪れる前で終わるので、一つも救いがなくていい。ラストのコマのぶった切り感とおそろしさが好き。
後日談は、相変わらず好きだと言わない透と、透が何故言わないのかを知っている克哉の話。いくら血縁が全くなくてもかれらは父子で、被害者遺族と加害者の関係者で、大人と子供で。両思いだからと言ってただの恋人に帰結するには難しい。難しいけれど、難しさを受け止めたまま続けるしかないから、そうする。
書き下ろし「幸せな機械」も同様に、透が世界で一番幸せで、世界で一番不幸せな顔で笑っている。儚くて、今にも泣き出しそうで、死んでしまいそうで、でも多分幸せなんだろう。薄暗くてぶきみで、幸せと不幸せを行き来するような物語だった。
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2010.12.29 Wednesday
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樋口美沙緒「愛はね、」
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樋口美沙緒「愛はね、」
予備校生の望は、恋人と破局するたびに幼馴染みの俊一のもとに泣き付いている。のんびりした性格のために苛められたり、いいように利用されることが多かった望を昔からずっと助けてくれたのが俊一だった。
おっとりしていると言えば聞こえはいいが、実際はのろくて鈍い。優しいと言えば聞こえはいいが、実際は騙されやすく学習能力がない。存在するだけで人に利用されたりいいように扱われる望を、小学生のときから俊一が助けてくれた。何でもできる俊一の面倒見のよさ・優しさが、母亡きあと仕事で省みる余裕がない父と、出来の悪い弟に苛立つ兄に囲まれて生活する望の支えだった。医者である父と、医者を目指して順調にステップアップしている兄のいる家を望が出たのは高校二年のときだ。男とキスしている様子を見た父が、望に金と家を与えたのだ。
家族に知られるより早く、望は俊一に自分がゲイだとカムアウトしている。俊一ならば、驚いたとしても無碍にするようなことはないと思っていた望の予想は的中する。けれど、想定外のこともあった。ゲイだと知っても俊一は気味悪がったり嫌な顔をしたりはしなかったが、ひとつの線引きをした。「俺を好きにならないなら、べつにいいよ」と。
自分を苛めていた同級生が、忘れ物をしたと言えば貸してやる。その結果、貸したものが乱暴に扱われても許してしまう。望はそういう子供だった。それは平均的な子供だった俊一には信じられないことだったし、ひとのいい望を利用する連中に腹もたった。なにより、何度同じ事をされても断れないどころか、断るという選択肢すらない望に苛立ちもした。
望はそのまま大人になった。自分の性嗜好を吹聴する元恋人も、当り散らして殴る恋人も、かつてひどく扱ってきた男も、望は許してしまう。「さみしい」と言われれば会ってしまう。「何もしない」と言われれば、部屋にあげてしまう。さみしいのが辛いと知っているかれは、嘘の「さみしい」にも心の底から同調してしまう。それを「誰でもいい」「淫乱」と罵られても望は怒らない。自分は誰でもいいのかもしれないな、と少し自嘲して、同じことを繰り返す。好きだと言ってくれる人、自分を欲してくれる人の手をとってしまう。
彼女のいる俊一はそういう望に慣れてはいるけれどやっぱり呆れていて、腹もたてていて、けれど失恋後のいきなりの訪問を許してくれている。面倒見の良い小学生は面倒見の良い大学生になって、望を慰めたり叱咤してくれたりする。
俊一が望に感じているのは友情と、兄のような心配と、うまく名前をつけられない独占欲だ。出版社でバイトをしている俊一はカメラマンの篠原がモデルとして探している人物像が望と重なると知っていて、なかなかかれを紹介したがらない。極力モデルをやらせたくなくて必死になっている姿は、単なる友人の姿にしてはいきすぎている。そして鈍い望と違って、他人の感情にも自分の感情にも敏感な俊一は、自分が抱いているその気持ちの先にあるものを薄々感じている。認めたくないと足掻いてもいる。
だから、バイセクシャルの篠原が望を気に入って付き合いたいと俊一に相談してきたとき、俊一は望と離れることを決意した。表向きには、これまでの男と違って篠原は誠実な人物で望を任せるに足ると信用しているから。けれど本当は、このまま望との濃い関係を続けることに限界を感じていたのだろう。篠原を望に薦め、自分達は少し離れたほうがいいと言い出す俊一には、いつにない頑固さがある。望と、なにより自分に言い聞かせているような必死さがある。
実際の篠原はこれまでの恋人に負けず劣らず、どころかその中でも最悪の男だった。誠実で落ち着いた紳士のように見えたかれは、望の気持ちが自分にないのを知っていて無理強いをせずにいてくれたかと思えば、俊一の名前を出した望を怒鳴りつけたり殴ったりし、翌朝反省して甘やかしてくる。かれが初対面の印象の男ではないとわかっても、望は何もできなかった。謝れれば許す。罵られれば自分が悪いのだと反省する。誰かに判断を求めようと思っても、唯一の相談相手だった俊一には距離をとられている。俊一がいないということは、誰もいないということだ。家族も、友達もいない。DVの恋人しかいない望の八方塞りがやるせない。
普段は海外にいる次兄・康平と望は久しぶりに会う。元々の性格に海外生活が合わさってか、フラットなものの見方をする兄の意見は非常に望にとって必要な言葉ばかりだった。自分のさみしさを埋めたくて、相手のさみしいに引きずられて、好きでもない人の手を取ってばかりの望に康平はさみしさを上手に愛せるのが大人なのだと言う。そして、自分を踏みにじる相手を責めなければならない、とも言った。この兄がずっと日本にいたならば、望はここまでさみしい思いや哀しい思いばかりしなくてすんだのではないかと思わされる。
いきなりの言葉は望にはすぐ伝わらない。だからかれは篠原のもとへ戻り、殴られて病院へ運ばれた。そもそも篠原を信用していたからこそ望を手離す決意ができた俊一は驚き、自分の家でしばらく望を預かると言う。俊一が言葉にしない細やかな心情の変化など分かるはずもない望は拒み、おそらく何の気なしに俊一が言った言葉にとうとう爆発する。
ずっと、15の春からずっとためていた言葉を俊一にぶつける望が痛ましくていい。そのときの俊一の言葉は望と俊一の間に確固たる線を引いた。それまで何を言われても穏やかに受け流していた望が、「泥の中にいる」と自分を称するくだりが哀しい。抜け出せないから苦しいのに、さっさと上がってこいといとも簡単に言う俊一の残酷さにかれはずっと傷つけられてきたのだ。
ここからはまさに泥沼だ。彼女を後回しにして望を家に泊める俊一、当然ながら不満を主張する彼女、下手に出る篠原を許してしまいそうな望。ぎこちなくなる会話。望が夜中に部屋を飛び出して土手に行き、いきなり泣き出すシーンも好きだ。決定的ななにかがあったわけじゃなく、ただ、そこが限界だったのだ。
こういう話はほかにないわけではない。けれどわたしがこの作品を、そういうほかの話と比べて好きだと思うのは、残酷なのは俊一ばかりではないというところだ。
俊一にしてみれば望は大切な友達だ。のんびりしていて世話がやけるやつではあるけれど、かれが自分の意思で望を庇い、望と一緒にいたのだ。俊一だって望が好きなのだ。けれど、その好きが望が抱く好きと違うという理由で、かれの好きは否定され続ける。望が自分と違う種類の「好き」を向けてくることを一度として俊一は否定しなかったけれど、俊一が望に向ける「好き」はやんわりと無視される。それじゃない、と言われ続ける。好きって気持ちがひとつならいいのに、と思ったのは、望だけじゃないだろう。
だから、どこまでも学習しない望の行動に対して俊一が言った「疲れた」は、かれの心からの言葉だったのだ。望のことを心配して、望のために何かをしても、俊一は決して報われなかったのだ。実らない相手を思い続けることは辛いけれど、応えられない相手から思われ続けることも辛い。
俊一の本音を聞かされた望は、自分はそのことを知っていたと感じる。好かれているのと同じくらい憎まれていることをずっと知っていた。それをこれまで堪えていた俊一がとうとう口に出した以上、望はもうかれの家にいられない。
そのあと起きた事件によって、止まっていた望の時間が一気に動き出す。父や兄との和解は少し唐突過ぎるように見えたけれど、五島との会話や俊一とのやりとりで望が気づいたように、父や兄との不和に望も非があったのだろう。お互いがないものねだりをしていたのだ。
全てを失ったからか、失っても残るものがあったと気づいたからか、望は憑き物が落ちたようにフラットになる。そんなかれに残った気持ちはやはり、俊一が好きだというものだ。叶わなくてもさみしくても、そのさみしさごと俊一への思いを抱いて生きてゆこうと望は決意する。俊一の代わりになる誰かを探すのではなく、さみしさと添い遂げる決意をした。康平が言っていた、さみしさを愛する大人に望はなろうとしている。
そうしてみると、気まずそうに見舞いに来た俊一への態度も変わる。俊一と顔を合わせるだけで、この世界にいることが嬉しい気持ちで満たされると実感する。最後まで言葉にされなかった「愛はね、」の答えは、きっとそういうことだ。
一方俊一は望にどうふるまうべきかを模索している感じがする。家族との関係が修復に向かい、もう馬鹿な男と揉めることもなくなり、将来の展望が見えてきた望は、俊一が世話を焼いてやる必要もない。ただ友人として付き合おうとする望に、俊一が翻弄されている。そもそも「自分を変えられるのが怖い」とか、望に手を出す男の気持ちが分かるとか思っていた俊一である、陥落する日もそう遠くない、のかな。
続編がとっても楽しみな、非常に読ませてくれる一冊だった。とても丁寧に細やかにひとの心が変わっていく様子、関係が動いていく様子が描かれていたので、そのスタンスのままで続きが描かれますように!
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2010.12.29 Wednesday
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榎田尤利「スウィーパーはときどき笑う 交渉人シリーズEX.」
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榎田尤利「スウィーパーはときどき笑う 交渉人シリーズEX.」
特殊清掃人兼芽吹ネゴオフィススタッフの紀宵は、芽吹が兵頭に巻き込まれた事件で知り合ったヤクザの息子・智紀に一目惚れをした。頭がキレて口が悪くて乱暴で小さくて可愛い智紀とは、微妙な友達関係を続けている。ある日紀宵のアルバイトを手伝うことになった智紀は、ゴミ屋敷の庭の倉庫で小さな子供を見つける。
交渉人シリーズ番外編。兵頭と芽吹が揉めたり歩み寄ったり揉めたり揉めたりしている横で、地味に距離を縮めていった「おっきいの」キヨと「ちっちゃいの」トモの話。芽吹視点で語られる本編では、かれらがどういう経緯を経て仲良く?なっていったのかが分からない。気づいたらメアドを交換していたり、二人で出かけたりしているのを、芽吹と一緒になって驚いたり微笑ましく見たりすることしかできない。だからこそ、二人の番外編を思いっきり待ってた!待ってたよ!!!
芽吹と最初に出会ったときの智紀は、非常に危険なガキだった。ヤクザの息子で、いかにも腕っ節の強そうな連中を連れているガキ。しかも、頭が異様にキレる。その辺のヤンキーと智紀が違ったのは、かれのその知性と、欲の無さだろう。金が欲しいドラッグや酒が欲しい女にもてたい、という欲が無い。暇つぶしのために、未成年であることを楯にして、その知性をふんだんに悪用する。それは智紀のタチの悪さであると同時に、芽吹が交渉するためにちょうどいい隙間だった。
気分よく芽吹を論破したつもりで、気づいたら芽吹の交渉に翻弄されていたことに気づいた智紀は、悔しさを抱えつつも芽吹を気に入った。そして芽吹のオフィスに出入りするうち、チーム芽吹の一員となった。顔がいいのに行動がおっさんで、立派な資格も職歴もあるのに儲けのすくない仕事に必死になって、なによりお人よしの芽吹を中心にしたその輪に入ることで、智紀は変わり始める。
物語は「〜諦めない」の事件のあと、智紀の視点で語られる。
頭がいい智紀は自分の「不幸」を知っている。背が低いこと、ヤクザの家に生まれたこと、頭がいいこと。それはたぶん智紀が幼いころからずっと抱えてきた不満だ。けれどかれはもう知っている。ヤクザの家ではあったけれど、両親は自分を溺愛し、思いやってくれていたこと。ヤクザじゃない親とうまくいっていない人間を沢山見るなかで、智紀は親へのわだかまりが解けていったはずだ。そして自分の頭がよすぎるから他者とぶつかるのではなく、自分がその知能を使いこなせていないからぶつかるのだということ。傍に頭が良いからこそ、一歩ひくことができる芽吹のつよさがあったのだ。そこに気づかないほどかれはばかじゃない。
身長ばかりはどうしようもないけれど。
ともあれこれまでの事件で成長・変化を遂げた智紀は、金に困っていないのにアルバイトを始める。人に使われることに慣れていない智紀の悪戦苦闘を、舎弟もとい友人たちははらはら見守っている。
なかなかうまくいかないバイトが終わって店を出ると、紀宵が待っているシーンがすごくいい。約束はしてないし、待っているというメールもない。ただ、智紀のシフトを知っているので待っていたのだ。ちょっとびっくりした智紀と、その反応にどこまで気づいているのかいないのか、相変わらずな紀宵の会話は、8:2くらいの割合で智紀が喋っている。しかも紀宵の2の半分くらいは「ン」という返事だ。きゃんきゃん喋る智紀の後ろを、コンパスが絶対的に違うはずなのに紀宵はゆっくりついてくる。この雰囲気、この空気、あーもうちっちゃいのとおっきいのかわいい!!道を歩いてるだけでかわいいって何事!地団駄地団駄!
かわいいふたりの関係を結果的に後押しするのは、かつて智紀が狂犬チワワだったころに返り討ちにあわせたことを根に持っており、一泡拭かせてやりたいと突っかかってくる土屋一味の復讐と、ゴミ屋敷清掃の手伝いに来た智紀が倉庫で見つけたひとりぼっちの子供の母親探し、そして、偶然聞いてしまった兵頭と芽吹のラブシーンだ。ネゴオフィスの奥、芽吹の私室で抱き合う二人の声を聞いてしまった紀宵と智紀は、それがいけないことだと分かっているのにその場を離れられない。こっそり忍び込んだように、こっそり出て行けばいいだけなのに、真っ赤になって蹲ったまま、耳を離せない。
それまでの紀宵と智紀の関係はあくまで友人だった。紀宵は智紀にひとめ惚れしたことも、ちっちゃくてかわいい智紀にさわりたいと思っていたことも別に口にしていない。隠すつもりもないだろうし、そもそも雰囲気がダダ漏れではあったけれど、はっきりとした告白はない。けれど、頭のいい智紀には分かっていただろう。分かっていて一緒にいたというのは、まんざらでもないということだ。
その辺りをどう思っていたのか、紀宵はいきなり智紀に手を伸ばし、そのまま抱きしめてキスをする。おっきいの頑張った…!言葉より先に行動が出て、でもこれまでの態度にも今の行動にも、どうしようもできないほどの感情が出ている。微笑ましくてじれったくてどきどきするよかわいいなもう!
智紀は変わった。見ず知らずの子供を守るために怪我を負い、これまで絶対にしなかった、父親の名前を出して相手を威嚇する事も辞さなかった。虎の威を借るのではなく、最優先事項のために使えるものを使った。
情報屋から得た情報をもとに、これ以上は手に負えないと思った紀宵は、イチローを施設へ預けようと言う。イチローの信頼を少しずつ勝ち取り、このまま守ってやりたいと思い始めていた智紀は、それでも紀宵の案に賛同した。自分にあるのは気持ちだけで、何も出来ないのだということをかれは知っているのだ。身の程を知ること、引き際を知ることは大人になることだ。無茶を通して得られるのは自己満足だけで、周りにも迷惑がかかる恐れがある。だから紀宵はイチローを安全な場所へ預けることを納得した。
けれど狂犬チワワは何もかもに納得できるわけではない。紀宵が自分に隠して真実に近づこうとしていることを知ってしまった智紀は、紀宵に黙って勝手に危険な行動にでた。その結果、イチローの母親と接触することはできたけれど、紀宵に大きな怪我を負わせてしまうことになる。イチローを守りたいという気持ち、紀宵に隠し事をされていたという気持ち、もともとの好奇心、それらが重なった結果の暴走が、紀宵を傷つけてしまった。
過信による暴走が招いた事態を痛感した智紀は、紀宵を助けるために兵頭の力を借りた。大嫌いなヤクザに頼った。そのために、土下座までした。智紀にしてみれば、自分がしでかしたことの尻拭いをひとにしてもらったという羞恥心で一杯だが、紀宵はそれに対して、一番いい方法をとってくれたのだと礼を言う。
一度にはすべて変われない。ちょっと成長して、やっぱり失敗して、の繰り返し。智紀が前に進んでいくその過程を、紀宵はずっと見てる。
ゴミ屋敷バイトで注意した以外、紀宵は智紀を叱らなかった。自分自身や周囲の危険を顧みず潜入して大失敗した智紀の、イチローを守ろうとした心を褒めた。甘やかしすぎな気もするけれど、自分よりよっぽど口のたつ芽吹が先に叱ってくれているし、そもそも智紀自身が己の愚かさを散々反省しているので、紀宵はこれでいいのだろう。
道を歩いてるだけでも可愛いふたりの、期待していた話なので読めて嬉しかったけれど、物語としては結構ぼんやりしている。このシリーズは本編が異常な面白さだというのもあるのだが、イチローにせよ紀宵の過去にせよ事件の顛末にせよ、もう一歩掘り下げたものを読んでみたかった。
お互いが相手や死について考えるとき、同じことを考えている・求めているのも良かったんだけれど、ちょっと唐突な印象。なにもかも違うふたりの、核の部分がそっくりだというのは可愛くて微笑ましいんだけれど。
口が悪くて乱暴な智紀なので、もっとツンツンするのかと思っていたけれど、いざ自分の気持ちを認めたあとの智紀は素直なものだった。基本的にはあのままなんだけれど、自分が紀宵を好きなことを認めて受け入れる様子が男らしい。意外だったけれど、いざそうなっている智紀を見ると非常にしっくりくる。ばかな行動に出るときも、両想いになるときも、智紀はまっすぐだ。
紆余曲折を経て、おさまるべきところへおさまった智紀は思う。自分ひとりでは食べきれないメニューも、紀宵と一緒なら問題ない。空に近い紀宵と、道ばらのノラ猫を撫でやすい自分。ふたりでいることが完璧なのだ、と。みっつの不幸のうち、どうすることもできなかった最後の砦・身長すら、智紀は受け入れ始めている。その上背ゆえに隣に並ばれることすら不快だった紀宵と一緒にいることで自分の背の低さを痛感するのではなく、二人でいるときのバランスの良さを知って、満たされている。
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2010.12.27 Monday
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一穂ミチ「街の灯ひとつ」
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一穂ミチ「街の灯ひとつ」
会社のしがらみで仕方なく中学の同窓会に参加した初鹿野は、記憶にない夏目という男と会話をする。夏目と二人抜け出して飲みに行った初鹿野は、その夜夏目に無理矢理抱かれてしまう。翌朝目を覚ました初鹿野に、夏目は土下座したまま、ずっと好きだったと伝えてきた。
いきなり思い立って携帯電話の番号を変え、ろくに誰にも知らせなかった初鹿野は、中学時代の同級生との接点を殆ど経っていた。何度も開かれているものの、一度も顔を出さなかった同窓会に参加したのも本意ではない。サラリーマンならではの、やむにやまれぬ事情があったのだ。
久々に顔を合わせる友人たちと適当な会話を交わしながらも、初鹿野はなんともいえない居心地の悪さを感じている。昔の彼女と目が合ったというのもあったけれど、それだけじゃなかった。だからかれは、ちっとも記憶に残っていない、「夏目」という名札をつけた男に声をかけた。部外者なのではないかと本気で思っていたその男と適当な雑談をしたあと、初鹿野はかれに抜け出して酒を飲まないかと持ちかけた。体調が芳しくないので立食は嫌だというのが建前。本音はたぶん、夏目が全く知らない男だったから。知ってる連中といるくらいなら、知らない誰かと二人きりが良かったのだろう。
夏目が顔なじみのクラブで飲んだあと、酔った初鹿野は夏目の家に連れていかれ、あれよあれよとのしかかられ、抵抗空しく強姦されてしまう。翌朝目を覚ました初鹿野は、夏目と名乗る男の平謝りと、十年暖めてきた片思いの告白と、かれが当時片喰という名字であったことを一気に体感する。
最悪の再会だった。けれど初鹿野と片喰の奇妙な関係は、この日から続くことになる。一足飛びに恋人になったりするようなことは勿論ないし、恋人未満でまずはお友達からということでもない。友達ともちょっと違う。思うものと思われるもの。加害者と被害者。ともかく二人はこの後も会っては話をする関係になる。
初鹿野と片喰には、本人達の意思とは無関係の縁があった。寧ろ途中で出来た、というべきだ。かれらが中学生のとき、片喰の父親と初鹿野の母親がダブル不倫の末に結ばれて家を出て行った。思春期にいきなり起きた親の浮気・不倫・離婚、しかも相手が同級生の親であるというショックは二人の人生に大きく影響している。
初鹿野は熱量の強い思いを嫌がるようになった。遠くにある灯や光のように熱がないものを好むようになったのは、つよい愛情によって人生が狂わされる状況を目の当たりにしたからだろう。決して恋愛に奔放なタイプではなかった母を狂わせたもの。父の人生や自分たちの人生を狂わせたものを、かれは避けた。
一方片喰は、母とは違う女性と生きようとする父のつよい思いやまっすぐな生き方に焦がれた。地味な父が恋に衝き動かされるさまに、尊敬すら抱いた。同じ目にあった二人の少年は全く違う受け止め方をして、全く違う大人になった。
二人の微妙な関係がとてもかわいい。「おととい夢に出てきてくれたこと」とか、「すてきな感じ」とか、妹をさん付けで呼ぶこととか、片喰の気持ち悪さと紙一重の(寧ろその向こう側の)愛情がおもしろかわいい。
俺のどこが好きなの、なんて付き合ったばかりの恋人同士の会話のようなことを、何の気なしに振ってくる初鹿野に対する片喰の答がまたいい。他のひとにしてみればなんでもないようなところをいくつもいくつも並べて、普段口数の少ないかれらしくない饒舌さと情熱で語る。黙っていれば永遠に続きそうな告白を制したのは、初鹿野から寄せた唇だった。熱が苦手だと言い続けているかれは、片喰の情熱にふらりと吸い寄せられた。
片喰が売れっ子漫画家だと知らされた初鹿野は、かれのもとを訪ねて玄関先で罵る。腹立たしくて、悲しくて、恥ずかしかった。自分はいままで誰にも言わなかった本当の気持ちを喋ったのに、片喰はほんとうのことを言わなかった。漫画家のアシスタントをしてる、自分で作品は書かない、なんて言っていた。そこそこの収入のサラリーマンである自分が一生かけて稼げるかどうか、という金額を既に稼いでいて、それを宝くじで当たったなんて言った。ほんとうの気持ちを与えた相手に嘘をつかれていた。しかもいくつも。
初鹿野は、社会人としてしっかりしているのも、稼いでいるのも自分の方だと思っていただろう。学生時代から目立つグループの真ん中にいた初鹿野と、地味でからかわれることも多かった片喰。そんな片喰を初鹿野は決して馬鹿にしなかったけれど、それでもどこかに、勝手に兄貴分になったような奢りがあった。なにより片喰は自分にずっと恋をしている。自分は片喰に恋をしているわけではない。自分を妄信的に思い続けているかれの中に、惚れた弱みがあると思ってもおかしくない。
そういう初鹿野のずるい部分や汚い部分に、片喰以外の人間から聞かされた片喰の真実が光を当てた。見たくなかった自分のエゴと向き合った初鹿野は、泣きながら片喰に食って掛かる。金を貸してほしい、と。ただそこで終わるのではなく、片喰の恋愛感情を逆手にとって「お前と寝てやるよ」とも言った。おそらく何の見返りもなく大金を貸してくれるであろう片喰の真意を知った上で、きたないことを言った。かれが金をかさに人を意のままにするような人間に仕立て上げ、自分を金のためになんでもする人間に貶めた。
もともとフラットでまっすぐな初鹿野が追い詰められている様子を見て、片喰は「ごめんなさい」と詫びた。そこまで初鹿野を傷つけ、追い詰めたのは自分だとかれは思っている。言った初鹿野ではなく、言わせた自分が悪いと思っている。
強姦されたときにも泣かなかった初鹿野が、ここで涙を見せるのがとても好き。かれがどこにプライドを持っているのか、何にコンプレックスを抱いているのかが良くわかる。
恋に落ちたときもいまも、変わらず初鹿野は光っていると片喰は言った。初鹿野だけが光って見える。光っているから好きになったのかもしれない、と言うかれに、初鹿野は「お前おかしい」「気持ち悪い」と言った。それは反射的な感想でしかなく、後で初鹿野は心ない言葉をかけたことを謝罪している。けれど、本能で感じた初鹿野の意見はたぶん間違っていなかった。片喰はたしかに「おかしい」のだ。
初鹿野について書いたノートが、27冊目になったことや、これまでに交わした何でもないやり取りや、本人ですら忘れていた当時の好物、気にも留めていなかった腕や脚のつくりを鮮明に覚えていること。「ストーカー」と自称していたかれの、偏執的な愛し方は、一般的の域を超えている。初鹿野がそれにヒきつつも適当に流していること、片喰のおっとりしたキャラや整った容姿、最初の一回を除いて決して片喰が強引な態度に出ないことと描写でコミカルに見せているけれど、とうていまともではない。
けれど何より片喰のおかしさ・異常さが際立っているのは、かれが雷に打たれたあとのエピソードだろう。不幸な事故によって、今後自分の記憶に障害が出るかもしれないと知った片喰は、病院を抜け出して初鹿野について描かれたノートを取りに戻り、読み返して、自分がそれらを忘れていないことに安堵する。命に関わる事態で、二度と会えないかもしれない、中学のときに好きだっただけの相手の記憶を最優先にした。そのことを訥々と語る片喰は、やわらかく狂っている。
みんながからかう自分の苗字を庇って褒めてくれた相手への淡い思いが、長年の月日を経て、片喰を修羅にした。片喰の中には「昏い熱」がある、と初鹿野は実感する。それを見せ付けられたら、逃げるか飛び込むか、しかない。
一穂さんのすごいところは突飛な展開でも「そんなばかな」って思わせないとこだと思う。めったにないけど、その数少ない「ある」が今なんだ、って思える。雷に打たれることも、覚えていない相手と再会したときに偶然人の流れが途切れることも、なにもかも。 ほんと好きだー!
付き合いだしてからの二人を描いた短編「恋の灯ひとつ」はかわいい。片喰の恋が芽生えたときとか、小さな嫉妬をしあうところとかがかわいい。しかしいざとなると、三文字の感想しか出てこない。
EGG…。
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2010.12.26 Sunday
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M-1グランプリ2010
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最後のM-1!
普段のかれら、というものをさっぱりしらない人間の感想。初めて見たとか去年のM-1ぶりに見たとか、そういうコンビが一杯です。
今回はワイプで審査員の顔がうつるものの、漫才中に客席にいる芸能人の笑い顔が割り込むようなカメラワークもなく、CMも少なく、見ていてストレスの少ない番組構成だった。最後だけど改善されて良かった!
・カナリア
遠目で見ると水嶋ヒロに似てるなーと思ったら自分で言ってた。「継母」とか「疎開先」とか、言葉の選び方がちょいちょいシニカルで良いんだけれど、同じフレーズをひたすら歌うのでちょっとだれた。というか、いつ盛り上がるんだろう・いつ面白くなるんだろうと思ってネタフリを見守ってたら実はそれがクライマックスでした、という感じ。わくわくして待ってたら終わってしまった。
・ジャルジャル
漫才がうまい大阪の高校生がそのまま精度をめちゃくちゃ上げた、みたいな漫才。ツッコミが下手ではないんだけれど硬いというか、こういう人飲み会とかにいるよね、という喋りだった。最初にベタベタのエチュードをやって、それを後半で台無しにする感じは結構すき。「次何言うか知ってる」「練習の成果」のくだりが面白かった。
・スリムクラブ
初めてみたので、普段がどんなものなのか、普段とくらべてこの日の漫才がどういう位置にあるのかさっぱり分からないけれど面白かった。ボケの手が震えてるのは緊張なのか元からなのか。不安になる一歩手前で会話が成り立っている。ツッコミがみせる、半笑いの不穏な目が可笑しい。ボケのキャラが単なる非常識な人・おかしい人で終わらずに、不気味な人・やばい人なのがいい。左手の指全部折っちゃうし。放射能だし。塔だし。
・銀シャリ
銀シャリは巧いと思うんだけれど、どうにもこうにも好みの笑いではない。しかし伝統を守った、王道の漫才も突き詰めると非常に斬新だ。あと展開の王道さ・昭和さと、言葉選びの新しさがいい具合にアンバランスでおかしい。「アルファベット難民」に笑った。
・ナイツ
ヤホーで検索して言い間違え倒すこれまでのナイツではなく、前半ゆるめに積み重ねたボケを、後半再度引っ張り出して来てもう一回ボケるニューナイツだった。前半ボケとして使われたものが、後半にはツカミとして再利用されて、そこにもう一段階新しいボケが重なる。時事ネタ満載だったり、かつての自分達のネタを持ってきたりとやっぱり巧い。これまでと比べてゆったりペースというか、詰め込む密度が下がっていたのはわざとなんだろうけれど、頭で理解するまえにどんどん次のボケが来るこれまでのペースの方が好きかな。というかいつも面白いので、いつも通り面白い、では物足りなく感じてしまうのだ。
・笑い飯
サンタウロス。去年の、上半身が鳥・下半身が人間の生物「鳥人」で大爆笑をとった笑い飯が、今年も敢えて上半身と下半身が違うものネタできた。ライバルは自分です的な。しかも上がサンタで下がトナカイのサンタウロス。この無駄な知性。
結論からするとすっごい面白かった。鳥人より好き!「いつも皆の嘲笑の的」「いつもみんなの蔑みもの」だよ…頭おかしいこのひとたち…超好き…。
客席が完全に笑い飯色に染まっていたと思った。「代われ」だけで笑いが起きる。代わってからが面白いことになるはずなのに、その前から笑いが生まれている。代わったら面白いものが見られると知っているから。期待はすごく高いけれど、実際期待値以上の笑いで満たされる。それが相乗効果で高まって行って、面白かったなあ。あーもう大好き!終わった瞬間、別に勝っても負けてもいいや、って思った。そのあとすぐにやっぱり勝ってほしい、と思うんだけれど。
ビキビキビッキーズにも噴いた。
・ハライチ
アラスカ!
去年ほどの衝撃はなかったけれど、このパターン凄く好き。「鉄鍋でバーン!」「鍋蓋でペーン! 」みたいな、雑で意味のない擬音をちょいちょい挟んできたり、「筆箱にチーズ」「下駄箱にチーズ」と間をあけたてんどんを入れたり、面白いなあ。すきすき。滑舌甘いのに聞き取れるし噛まない、その危うさも魅力。
・ピース
又吉さんの蔵書に「赤い雪」が…!
さすがの言葉選び、さすがのネガティブ、さすがの世界観なんだけれど、漫才として好きかと言われるとちょっと言葉に詰まる。「笑っていいとも!」のことわざを言いかえるコーナーで意味分からんくらいフィーチャーされてた、又吉のネガティブことわざの方が好きだ。ハマればハマるんだろうけれど、しっくりこない一本でした。もう一本やれたら変わってたかも。
・パンクブーブー
かつてのフットボールアワーもそうだけれど、優勝した経歴があるにも関わらず、再度挑戦者として出ようとする姿勢がかっこいい。しかもパンクブーブーの場合、フットが出て結果を出せなかったという前例があるのに更に出たのだ、二年連続で。
敗者復活から勝ち上がっての一本目はさすがに面白かった。圧倒的な巧さと、しゃべくりだけで何重にも構築される世界。面白かった。どこまでがほんとうで、どこからがペテンなのか分からなくさせる技巧が、全然嫌味じゃなくつかわれている。
漫才終わるとコメントが壊滅的なのも不器用できらいじゃないよ。
最終決戦
笑い飯とパンクブーブーが同点で一位だったのだが、パンクブーブーに高得点をつけた審査員の方が多いため、パンクブーブーが一位で決勝に進出。この順位に従って発表順番を選べるし、最終審査が同点だった場合優勝となる。
・スリムクラブ
さっきは笑い飯色に染まってた客席は、今は完全にスリムクラブ。審査員が口々に「もう一本見たい」「判断しづらい」と言ったこともあるだろうが、おそらく多くの人がこの日初めてみたコンビの真価を見極めようとしている。ヒキのカメラワークで見ると、中腰の変な姿勢すらおかしく見えてしまう。完全にかれらの舞台になっていた。序盤の「話下手ですね」っていう、ストレートすぎるツッコミに受けた。宮迫さんが言ってたけれど、ほんとにツッコミじゃなくて説得だこれ。スリムクラブが話題にすると、民主党っていうフレーズも時事ネタじゃなくて、おもしろキーワードになる。
ただこのゆっくり喋るのでどこまで行けるのかなーとも思う。今はむちゃくちゃ面白いけれど、過ぎるほどに間をとる漫才に皆が慣れてしまってから、が正念場。しかし最後のM-1に面白くて新しいこのコンビが出てきて、決勝に間に合ってよかった。
・笑い飯
前回のチンポジ程ではないけれど、やっぱり二本目はトーンダウンするなあ。チンポジの迷走バカっぷりに比べると、小銭の神様は小さくまとまっちゃった印象が残る。頼むで金本ホームラン!とか、随所に面白いこと散りばめられてるんだけれども。後半の畳みかけっぷりでなんとかオチたけれど、前半は不安でした。どうかなーーどうかなーーと思いながら見てた。
・パンクブーブー
一本目の、そう言った/そうやったと思わせて実は言ってない/やってないネタを踏まえた上で、二本目は言ったと思わせて言わなかったり、言わなかったと思わせて言ったり、そもそも設定が無茶だったり、という応用パターンを持ってきた。一本目を巧く利用して、はいはいどうせ言ってないんでしょと思わせて実は言ってたんです、まあ言った相手は別のひとなんですけど、という人を食った展開が続く。痛快ではあるけれど、このままこの流れで最後まで行くとは思わなかった。途中で違う流れになると思っていたら、まさかの同じオチ。これ単体で見ていたら普通に面白かったと思うので、策に溺れたと見るべきか。驚いた。
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そして優勝は笑い飯。勝たなくてもいいとか思いつつもやっぱり勝ったらすっごい嬉しい!結局駄目でした、謎の新人にラスト全部持って行かれましてん、無冠ですねん、でも面白かったとは思うけれどね。松ちゃんが「取らせてあげたい」なんていう温情得点みたいなことを言ったのに、そうだろうなあ功労賞の面もあるんだよなあと思いつつしょんぼりしたんだけれど、ひとまずおめでとうございました。
幼いころ、とんねるずもドリフもウンナンも面白いと思えなかったわたしにとって、お笑いの原体験はダウンタウンで、松本人志だ。本当に大好きだったし、天才だと思ってた。今見ても、あの時のダウンタウンより面白い存在はいないと思ってる。けれど松本人志はどんどん年をとって、面白くなくなった。面白いか否かはもとより主観であることは百も承知だが、敢えて言う。松本人志は面白くなくなっていった。ここだ、というところで冴えたコメントが出てこない。ボケが全部テロップで出るような番組で、兄さん兄さんと呼ばれて神格化されている松本人志を見るのは悲しかった。次こそは、と期待するたびに裏切られた。わたしにとってお笑いはイコール松本人志だったから、お笑い自体に興味が薄れていった。
そういうときに出てきたのがM-1で、笑い飯だった。笑い飯はお笑いってやっぱりいいよなあ、って思わせてくれた存在だったのだと今になって思う。漫才大好き。全力でバカやって、でも見え隠れする知識とか知性があって、でも小学生男子のノリで。最初に見た笑い飯への衝動は、たぶん感動だったのだ。それからどんどん磨かれて面白くなって、途中停滞して、でもやっぱり笑い飯は面白かった。
M-1最後の年、出来すぎた舞台の主役に立たされたような感じだが、わたしは心から今年のM-1でサンタウロスが一番面白いと思ってるので満足!
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2010.12.24 Friday
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Moran「Awake」@高田馬場AREA
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定時を少しすぎて、暗転。暗いままのステージに聞こえる「メリークリスマス、はじめようか」の声で雪解けがはじまる。「Element」とともに、早い春がやってくる。
「サポートメンバーSizna」を加えてのFreezeや、急遽アコースティックになったMinority of rock.another night(このバンド名秀逸すぎる)での公演はあったものの、実質メンバーSiznaを迎えてのMoranはこの日が初お披露目。サポートは真悟さん。
左サイドだけを赤く染めたHitomiは、その部分だけ巻き髪。ストレートのほうが、鳥の羽がくっついてるみたいでかわいいのに。衣装は銀ラメジャケットと細いストール、インナーとパンツはゴールド?ベージュ?のラメ。動きが制限されそうな大きな花のコサージュをつけて、装苑から飛び出してきたような衣装が好きなのですが、まあそれも瑣末なこと。
Siznaさんのギターに、真悟さんのゴリゴリベースが入ったMoranは、かつてよりバンドサウンドがつよくなった印象がある。元々難しいことをやろうとしていたMoranに、難しいことをやっていたSugarの弦楽器隊が重なって、更に難しいことを目指しているという印象。この日は演奏も歌詞も取り敢えず初ライヴらしい微妙で荒いものだったけれど、今日が一番だめな日だと思える、これからよくなっていくと思えるライヴでもあった。実際「彼」を含めた新曲や、次の音源に収録されることが発表された「Silent Whisper」なんかは凄く格好良くて、完成度の高いものになっていた。あとは既存の曲が、ライヴやる中でこなれていくのを待つのみなので楽しみ。良いものになる気配は色濃く存在しているので、楽観的に構えていようとおもう。
しかしこの日のライヴがいまひとつ突き抜けたものにならなかったのは、新加入のメンバーや怪我が治りきっていないメンバーや、もちろんサポートメンバーでもなく、Hitomiが原因だったように思う。曲の合間の語りも歌も、あと一歩足りない。凍結前のMoranは、来るべきその日に向けて、終わりのために進んでゆくようなところがあったので、それゆえの悲痛さがあった。それがなくなってしまえば、これくらいのテンションになるのか。歌詞もすっ飛んでたし、どうしたのかな。しかし狭いステージを客のモッシュに負けじと左右へばたばた動いて、左右のメンバーにぶつかってるHitomiさんはかわいくてよかったです。マイクスタンドを担いだりステッキに見立てて踊るHitomiさんも楽しそうで何よりです。
あとは、Moranのホームがエリアであることは百も承知なのだが、どうも個人的にMoranのエリアで当たりだったためしがないなーホームすぎるからかな。
「マニキュア」のコーラス、Siznaさんはあの声でコーラスするので面白いんだけどやけにハマってる。「Helpless」の左右ステップは続行されてた。好きなので嬉しい。
大切なことがありすぎて、何から話していいのか分からない、というHitomiさん。ひとつめの話題は「黒服限定GIG外れました。Siznaも外れました…」だった。ブログにでもちまっと書いてくれれば…余ってたのに…と思ったファンはわたしだけじゃあるまい。「余ってる人は手紙にでも入れて」って遅いよ!
そんな雑談のあとに「一発目の気持ち」でライヴに挑んだと紹介されたSiznaさんの紹介。「一生懸命やりますのでよろしくお願いします」と勿論あの声で挨拶。真悟さんのサポートもしばらく続行。次のひとはハードル上がるな…。
「君のいた五線譜」の終わり、「君が笑って」のくだりはアレンジされていて、アカペラでゆっくり歌いあげる。こういうときに話し声や物音がしないのが(寧ろそうならないからこそこういう演出ができるのが)ワンマンの醍醐味だ、と思う。緑のライトに照らされての「カクタス亜科」では「根が吸い上げてしまう」のところで、膝をついたHitomiが、根のように茎のように、上を向いてもがくような動きをする。
おばあちゃんになってる飼い猫の話。腎臓を悪くして、食べても太れない体質になってしまった。一時間置きにお腹をすかせてHitomiの顔を見て鳴く。与えるとすごい量を食べる。与えるべきなのかいけないものなのか、そのときの判断基準は猫目線でなくてはならないと思う。もうすぐ死ぬかもしれない、自由でなくなるかもしれないという気分はどういうものなのか、と言うような。たぶんこういうものの見方から詩が生まれるんだろうなあ、と思った。鳴かれると与えてしまう、いけないと思ってもあげちゃう、っていうところがHitomiさんだ。
我慢をすることは皆沢山ある。小さい頃からずっと、色々な我慢を強いられてきた。けれど我慢するのが大嫌い。我慢が美徳とされている風潮が嫌い。ヴィジュアル系バンドのHP見ると書いてある、ライヴマナーとかも嫌い。極力我慢しなくて良い場所を作りたいと思っている。ハコの中で人殺しちゃだめ、とかも要らないとおもう。だって捕まるし!別のハコに入れられるし。(ここでSoanが「うまいね!」とツッコミ)外タレみたいに演奏とかで腹が立ったらペットボトル投げてきてもいいよ、客席にむかついたらメンバーが降りてってぶん殴ったり、そういうのいいんじゃないかと思う、という話。あまり型にはまらずに、普段はまってる型を外していこう。そういうMoranを作りたい。ストレス感じない場所をつくりたい。
Hitomiさんの好きなとこ。「ヴィジュアル系」って言い続けるとこ。Hitomiさんのだめなとこ。誰かが我慢しないと、その裏に我慢するひとが出てくると忘れてるとこ。嫌いなとこ、じゃないとこがわたしのだめなとこ。
新曲に行く前に、床のセトリカンペを見て「ドラム、MC、煽りって書いてある!」とSoanを見るHitomiさんに、Soanから「それ読まないで貰えます?流れっつーもんがあるから。演出っつーもんがあるから」と大人の駄目だし。しかも「あ、こっちじゃない。二枚に渡ってるからわかんなかった」と聞いてないHitomiさん。
「南へ」という曲です。歌詞の歌いだしは「今すぐ南へ行こう」っていう曲、とHitomiがオモシロ風に言うので笑う客席。音源になればどういうことを言ってるのか分かるよ、偏差値48以上なら!と言ってドラムに合図を送るも、「そこから曲には行けない」とSoan。「絶対お客さん歌いだし笑うぜ」とまともすぎる指摘。分かった、と前を向いたHitomiは「ミナミちゃんはいる?ミナミちゃん。浅倉南ちゃん」と全く理解してないことがよくわかるMC。あとHitomiさん浅倉南っていうチョイスが既に古いですよ…。結局ミナミちゃんはいなくて、なんとなく曲へ。でもこの曲かっこよかったよー。二番で「今すぐ砂漠へ行こう」も言ってたと思う。
「今夜、月の無い海岸で」というHitomiの紹介で始まった「Lost Sheep」。大丈夫なのHitomiさん…さすがにしまった!という顔してて、客席もイントロ聞いて半笑い。上述したけれど、「Silent Whisper」はアレンジが大分入っていて、格好良くなってた。音源楽しみ。
「Stage gazer」が終わってあっさりハケていくメンバー。曲数も短いしどうしたのかと思ったら、幕が閉じられて、聞いたことのない曲をBGMに映像が映される。順番は忘れたけれど、12/31のHOLIDAYライヴ追加、3/23ミニアルバム「Apples」発売、2/14・15主催ライヴ発表、全国ツアー決定の告知。そのあとは、10/14のライヴ写真が出て、メンバーひとりひとりのコメント。長い上に結構な早さで流れていくので読むのに必死で頭の中に入らなかった。Siznaさんが、加入を見守ってくれてありがとう、みたいなことを書いてたような。Soanも待たせたな、的なことだった、ような。Hitomiは「Apples」によせて、腐敗した赤い果実が…というような詩を載せていた。これどこかで読みたいよー。
そのあとは幕が開いて先ほどまで流れていた曲、「彼」が始まる。Zill曲らしい曲だった。「黒髪の怪物」ってとこしか聞き取れなかったのでだけど楽しみ。上手寄りのセンターで見ていたため、あまり真悟さんが見えなかった所為もあるんだけれど、そちらを見たらZillがいつもみたいに頭振って演奏してそうだった。
曲の途中でSoan煽り。これが多分さっきHitomiさんが声にしてしまった「ドラム、MC、煽り」なんだろうなと思ってしまった。「俺の名前を呼んでくれ」「ギター誰だ!ギター呼んでくれ」「サポートベースは!」「もうひとり、この曲を作ったベース呼んでくれ!」「そして!自分で『俺の名前呼んで』って言って」と投げられたHitomiがさらっと「メリークリスマス…俺の名前呼んでみ?」とちょっと高慢に言ったのにものすごくときめいたたすけて。
コールのあと曲に戻って、そのまま今度こそ「今夜、月の無い海岸で」へ。
Wアンコールでアルバムの話。
「bleach」の中でリンゴという言葉を使ってる。詩集でも「Apple in the bag」という詩を書いてる。大体自分が使うリンゴは命か心の象徴。心臓に似てるから。「Apple~」のリンゴは恋心のこと。
それを何故タイトルにしたかというと、心や命の重みを知ってほしかった・正しい言い方をすれば俺がそれを書きたかったから。
バレンタインライヴの流れで「Sizna、チョコ好き?」と小声で聞かれたSiznaさん。もったいぶってもったいぶってマイクに顔を近づけて、ひとこと「ロッテ」と。こういう面白さはどこから来るんだ…くやしい…。「好きじゃないんだよね?」と言われたSoanは「甘いもの食べない」と返事した上で、ツアーが上は北海道・下は鹿児島まで行くと追加情報。12/31ライヴが増えてお金が飛んでいくね、という話。「悪いのは渋公…CCレモンのチケ代が高いから」とHitomiさん。
「bleach」いい曲だなあ。歌詞にある「かなしいうたがやさしくひびいて」というのは、ある意味でHitomiの根幹なのではないか、と思った。
そして、クリスマスイヴに新しい第一歩を踏み出せて、この時間を共有できてとてもうれしい、と語りだす。傷付くことや折れてしまいそうになることがあるけれど、それが人間として当たり前のことで、当たり前のことが外では許されなくても、ここでだったら許されるような場所でいたいと思っている。
心が折れそうになるときもステージに立つと、折れてる部分が補強される。目に見えない君たちの手があって、俺の折れてる部分を支えてくれてんだよね。皆の折れてる部分支えるために力を貸したい。音楽とかメンバーとかファンとかそういうことより、こうやってひとつの場所に集まることが大事。これからも時間があるときは皆で集まって時間を共有してそれがMoranなんだって言えるようにしていこう。再始動にあたって一番言いたかったのはそれ。完全に溶けていないのかもしれないけど、もう止めずに行きます。なので、皆ついて来てください。
というような話。一番らしいなあ、と思ったのは、音楽よりも集まって時間を共有すること=ライヴが大事、と当たり前のように言うところだ。ステージに立つこと・ステージで求められることで補強されるHitomiは、ステージに立つことで同じものを返そうとする。それはその場に行けないひとにしてみれば残酷ともとれる言い分だけれど、やっぱり音源だけでは、個人の動きだけでは埋められないものがあると思う。それをかれは知ってて、相互依存が止められていた期間が辛かったのがどちらか一方ではないのだと語りかけてくる。
ちょっとBGMに力を借り過ぎてるようなきらいもあったけれど、最後の「もう止めずに行くから」のさらっとした言い方に泣きそうになった。HitomiさんのMCの声が優しいのが直球でくる。
二回目の「ハーメルン」は「サンタクロースが俺のもとにきたら捕まえちゃうから それっきり会えないよ」と残酷に笑ったり、同じく二回目の「Silent Whisper」で「首をぼとりと落としちゃってよ 根こそぎもってくぜ」と語ったり、決して本調子には戻らなかったけれど流石にペースを上げてくる。力技で上書き。
「それクリスマステンションなの?」と突拍子もないHitomiMC。いきなり「クリスマステンション見せて」と言われたSiznaさんが、「ちゃらちゃっちゃーちゃらちゃちゃーサンタクロースィズカッミーントゥーミー!」と高音でドヤ顔で歌う。ばかうけするHitomiさん、「これを見習って」と客席に向かって言ったあと、「to me」だけでいいよ、と訂正。Soanが何かうまいこと言うから、お客さんは「to me」って言って、というフリ。勿論Soanはあんぐり。訳が分からないというSoanに説明するHitomiさん、勢い余って「だからTowaが…」と言っちゃって、客席から総突っ込み。
本気で悩んでたっぽいSoanが「Hitomiくん先に何かやって」と言うと、しれっと「ウォーター」とHitomiさん。客席の「to me」に乗っかって「はい、水」と水さしだして終わり。結局すぐ出番が回ってきたSoan、手元に何かあげられるものがないかとか悩んでたけど結局思いつかず、客席からの「投げキッス!」という声をHitomiさんが拾い上げて、それを実践することに。しれっと終えるつもりがマイクがリップ音拾っててすごい恥ずかしそうだった。
散々もだもだしたSoanのあとに振られた真悟さんは、あまり考えることもなく「ベースプレイ」と言って、「to me」に応えてベースを弾いてた。頭がいい…!そのあとSoanが「リズム隊」でやってた。
やっぱりHitomiはちゃんとやるべきだ、という展開になったときに客席から「裸!」「お尻!」と声がかかる。そこで苦笑したHitomiさんが「『34丁目の奇跡』っていう映画で、サンタが『自分は希望の象徴だ、幻滅させてはいけない』というようなことを言っていた」と言いだす。何の話だ、と思ってると、「今日12/24じゃん。となると、サンタ俺しかいないじゃん」としれっと言ったあと、「だから破廉恥なことはしない!っていうかMoranではしてないでしょ!」と言う。大半のバンドマンはそもそもステージ上でお尻出しませんよひとみさん。結局「クリスマスっぽい曲を」と言うことで、「Santa Claus Is Coming To Town」をアカペラで途中まで歌って、「こっから分かんない」と苦笑してた。クリスマスにちなんだ曲を用意してるかな、とか思ってたアテは外れたけれど、これが聴けたのでいいや。
そのあとの「Stage gazer」の終盤でメンバーの元に言って何かをささやいてるかと思ったら、一曲追加しようという話だったらしく、「終わろうと思ったけどもう一曲いくぞ」で「今夜月の無い海岸で」へ。Soanに「手大丈夫か?気合いで大丈夫か?」と気づかってるんだか気づかってないんだか、な言葉をかけてるのいい。
全ての曲が終わってメンバーがハケていく。Siznaが「メリークリスマス!」と叫んでた。
一人になったHitomiが話しだす。
誰かの代わりはどこにもいなくて、俺が歌うのを止めても他の歌手が色んな歌を歌うだろうけれど、俺の代わりはどこにもいない。俺だけじゃなくて、アーティストだけじゃなくて、君もそうで。
自分の目的や居場所や存在価値・存在理由がなくて、金持ってたり恋人のいるやつだけが幸せなんじゃなくて、皆他人の幸せを羨みながら生きてるけど。牢屋の中にいる人は牢屋から出たら幸せだって思ってる。戦争が終わりさえすれば幸せだって思う。でも今不幸だと思ってるとして、一歩踏み出した先でも同じようなことを思う。俺はずっと幸せだしずっと不幸です。不幸だからこんな暗い詩を書くんだけれど、幸せってこんな特別な日に会いに行ける人がいるっていうこと。クリスマスがずっと好きなのは、クリスマスに会いに行ける人がいるから。俺にはまだまだ捨てられないものがある。またイベントごとがあるときは皆と一緒に過ごせたらと思う。
というような話。「俺はずっと幸せだしずっと不幸です」って言うときの笑顔で胸がつまる。
これまでの沢山の別れと、今年の春夏にあった大きな別れを超えて、Hitomiは物凄く生とか死について言及するようになった。これまでの婉曲的な言い方や、分かる人にだけ分かればいい、ではいけないのだと思っているようにみえる。言葉の端々に、迷って飲みこんだ言葉にすら、生きろというメッセージが見え隠れする。けれど絶対に、「楽しいことがある」「幸せになれる」「今の辛い時期を超えれば・離れれば楽になれる」とは言わない。そうじゃない、と知ってるから。前向きな言葉で背中を押すのではなく、さみしさやかなしさで、だれもが孤独なのだと、だれも孤独じゃないのだと言おうとしている。
嫌なことから逃げだしたって、一歩踏み出したって嫌なことが待ってる。でも生きてほしい、というどうすることもできない矛盾の中でかれが出した答えが、制約されない場所となること・それを提供し続ける自分達であること、なのだと思う。まだ先の約束をし続けることが、誰かの支えになると知っているから。どうせ今年もまた誕生日はライヴでしょ・クリスマスはライヴでしょって思えることが、誰かの安堵に繋がると知っているから。止まらずにMoranが存在し続けることが、その場にいけるひとたちだけじゃなくて、その日はその場に行けない誰かの目標になると知っているから。
あーもう大好き。
春はもうそこまで。
Element
ハーメルン
マニキュア
Helpless
目下の泥濘
君のいた五線譜
カクタス亜科
南へ
Sea of fingers
Lost Seep
Silent whisper
Stage gazer
Encore
彼
今夜、月の無い海岸で
Party Monster
Encore2
Bleach
ハーメルン
Silent whisper
Stage gazer
今夜、月の無い海岸で
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2010.12.23 Thursday
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草間さかえ「真昼の恋」
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草間さかえ「真昼の恋」
憧れている課長とともに仕事をすることが喜びだった中川は、課長と別件の仕事を任されたことにショックを受けている。しかも中川が担当するのは、父の後を継いだばかりの岡崎が経営することになった、到底うまくいきそうもない工場なのだ。
かつて岡崎の父親が経営していた町工場は、中川の知らないある事情によって閉鎖された。五十嵐とともに何度か工場に足を運んだこともある中川は、てっきり父親が亡くなったものだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。ともかく、その一度は閉じられた工場を、まだ若い息子が再開することになった。そして中川は、五十嵐と共通の仕事を外され、岡崎の工場を任されることになった。中川はそれをこれまで担当していた相手から自分に対する文句が出たための措置だと考え、経験のない青年が始める潰れそうな工場を任されるなど、遠回しな退職勧告なのだと真剣に受け止める。
しかし実際に顔をあわせて見ると、岡崎は未熟ながらも非常に前向きで案外やり手の青年だった。中川が大嫌いな下の名前を、そうとは知らずにこやかに何度も呼んで来る岡崎に、中川の調子が狂う。
年上の男が好きで、課長のように包容力がある男に憧れて、その場限りの関係を適当に繰り返している中川にとって、岡崎は完全に対象外だ。けれどなぜか岡崎のために何かしてやりたいと思うようになる。かれの誠実で不器用な姿勢に苛立ったり、何もできない自分がもどかしかったり、年上の中川がひとりで勝手に嵐に飲まれて翻弄されている様子がかわいい。
更には何も言われていないのに自分は年上の男が好きだとか、名前が嫌いだとか、誰にも言った事のないことまで勢いでぶちまけてしまう。一方的にぐるぐるしている、厄介で面倒くさい中川を、岡崎は持ち前の前向きな思考で受け止める。自分にだけ打ち明けてくれたこと、特別扱いされたことが嬉しいと抱きしめる。
そんなふうにあれよあれよと付き合い始めたふたりには、付き合い始めてから知ることがたくさんある。工場が一端閉鎖した理由、中川が岡崎の担当に回された理由。付き合い始めてから経験することもたくさんある。仕事上のトラブルや異動やそれぞれの親との付き合い方。
短編形式で描かれ続けるそれぞれのエピソードには、暗くて重たい内容のものも多い。それらを真正面から受け止めて、当然かれらは落ち込んだり傷ついたりする。けれど一話完結だからなのか、作者の持ち味であるコミカルな作風のおかげなのか、読んでいて重たくなりすぎない。ライトに読めて、どたばたラブコメテイストで〆られるので読後感がいい。
普段はできるサラリーマンなのに、息子の恋人が男性だと知っている岡崎の父親と会ったときに妙なことを口走ってしまったり、半ば絶縁状態だった自分の父親とようやく話し合いの場にこぎつけたときに余計なことを言ってしまったりする中川がかわいい。
そして草間さんなのに眼鏡キャラがいないという非常にレアな一冊!
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2010.12.23 Thursday
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かいもの
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Jane Marple Dans Le Salonのマトリョーシカ柄ミニスカート。
スカーフのような薄さのポリエステル素材で、裏地なし。元々パンツと合わせて履くつもりで買ったので薄さは気にしていなかったのだが、タイツ履けばミニスカート一枚でも問題ないと思う。背が低いか足が細ければな!
マトリョーシカ様。
数年前にマトリョーシカOP買って気が済んだと思ったのだが、実際に出るとやっぱりほしくなるのよね。仕方ない。
クリスマスノベルティ。
ノベルティに関しては、貰えたらラッキーぐらいのスタンスでいようと思っている。いや本当は超ほしいんだけれど、今回のように期間や条件を前もって明文化されている場合と、買ったらいきなり貰える場合があるので、コンプリートするつもりでいると取りこぼしたときにショックなので、無理やり自分にそう言い聞かせている。今のところ大半のものはもらえていると思うので、これでいいや。
携帯電話のカメラが残念+撮影者の腕が残念のコンボで非常に暗い写真しか撮れなかった。携帯電話のオートフォーカスが完全にあだになっている。
ゴールドの王冠にストーンが嵌められたチャームと、「25」「(←こんな感じのリボンマーク)」「JM」と刻印されたプレートのチャームがセットになったペンダントトップ。かわいい!かわいい!アイラブ王冠!
最近Janeがくれるノベルティの精度が高すぎて、Janeでアクセサリーをさっぱり買っていない体たらく。いやメッキが合わないというのもあるんだけれど、これは服の上からつけられるので嬉しいなー。
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あとは長年使っていたBOBBI BROWNのアイライナーを一端やめて色々試してみたり、グレーのアイシャドウを買ってみたり、つけまつげ試行錯誤したり、ひっさびさにコテ出してきて髪巻いたら結構いい感じになったり、数年前に買って殆ど履いてないブーティ愛用したり、なんだかそんな感じで、冬です。
BOBBIのアイライナーは良いんだけれど、使い切る前に乾いてしまって勿体無いのが耐えられず。コスパいいんだけれど、ほぼ毎日両目の上下にアイライン引いても使いきれないってどういうことなの。しかも毎回。混ぜたらある程度回復するんだけど、結局むだになってしまうし。しかしあの筆とリキッドのおかげで、アイライン技術はかなり鍛錬されたと思う。
ずっと秋冬だといいのになー。
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2010.12.22 Wednesday
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椎崎夕「スペアの恋」
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椎崎夕「スペアの恋」
ある事情で引っ越してきたばかりの俊は、家の前で倒れていたところを隣人父子に助けられる。息子の幼稚園児・孝太が初対面の自分にやけになついてくるのがきっかけで、俊は孝太の面倒を見るようになる。
不摂生がたたって倒れた俊を介抱してくれた渡辺の態度は決して優しいものではなかった。意識が朦朧としていた俊の発言が行動が不審だったということもあるだろうが、あからさまに迷惑だ・不愉快だという心情を表に出してくる。月に二度報告のために出社する以外、在宅勤務というかたちをとっている俊は、社会人とは思えない長髪であることも相俟って、傍から見れば働いている様子が見えない。異様なまでに俊に懐いてきた息子・孝太とは正反対に、渡辺は内心俊を不審がっていたのかもしれない。
しかしその不信感は、自分が高く評価していた取引先の仕事をしていたのが俊だと判明したことと、離婚した元妻が誘拐のような勢いで連れ去ろうとした孝太を、俊が体を張って助けてくれたことで拭い去られる。この事件によって孝太が外出に恐怖をおぼえたり、俊に今まで以上に懐くようになったこともあり、渡辺と孝太と俊という三人で外出する事も出てくるようになった。
そして孝太がなんとか心を開いていたシッターが手術を理由に数ヶ月仕事を休むと決まったとき、俊の仕事内容を知っていた渡辺は、かれに孝太の面倒を見る仕事を持ちかける。幼稚園に孝太を引き取りに行き、渡辺が帰ってくるまでの間面倒を見る。本来の仕事もあるが、俊はそれを引き受けた。渡辺が話してくれた孝太の不憫な経緯、自分に手放しで懐いてくる孝太への愛情、言葉や態度がきついものの孝太にも俊にも誠実に接している渡辺への情、そういうものが俊に仕事を引き受けさせた。
手当ての金額を聞くこともなく引き受けた俊がいい。もともとの性格とこれまでの散々だった過去が相俟って、俊は非常に穏やかな性格をしており、なにより欲がない。渡辺の元妻に暴行を受けたときの治療費も、孝太に食べさせる料理代も、渡辺から受け取ろうとしない。金に困っていないというより、かれの性格なのだと思う。渡辺のあからさまに嫌味で失礼な態度にも腹を立てることなく受け止めている。けれどなぜか親切・優しいという印象は残らない。決して不親切でも嫌なやつでもないのだけれど、どちらかといえば無気力に、あらゆることが自分の前を通り過ぎるのを待っているように見える。長年罵られてきたもの、冷遇されてきたものの哀しい慣れもみえる。
孝太の希望で、休日に渡辺と三人でヒーローショーを見に行ったとき、俊は一番会いたくなかった人間と偶然再会する。大学の同級生で、もうすぐ結婚する予定の伸也だ。大学の時からずっと付き合っている、今も別れていない伸也だ。
伸也と俊の関係が、俊という人物を非常によく表している。高校生でセクシャリティを自覚したときからずっと、恋をしては対象に気味悪がられ、罵られてきた俊は、華やかな輪の中心にいながら、バイセクシャルであることをろくに隠しもしない伸也に誘われるまま付き合いはじめる。俊と関係を持ちながらも堂々と複数の女性と遊んだり付き合ったりする伸也の行動を、俊は不満に思いながらも別れられない。逃げる様に引っ越してみても、携帯電話を新しく買ってみても、古い携帯電話を解約できない。電源を落とす事はできても、解約して何もかもリセットはできない。
それはおそらく、伸也との長年続いた関係を全て終わりにしてしまえば、俊は世界でひとりぼっちになってしまうからだ。友人にはセクシャリティを悟られ避けられる、尊敬していた上司からもいつの間にか避けられ始め、親兄弟には勘当された。仕事は上司との兼ね合いから数年他社へ出向したのち、在宅に切り替えた。伸也との関係に煮詰まると引っ越していては、近所づきあいなどもできやしない。そういう孤独や不安が背景にあるからこそ、俊は伸也との関係を断ち切れない。誰かにいきなり避けられたとき、親に面と向かって罵られたとき、優しくしてくれたのは伸也だけだったから。
だから、彼女を愛しているから結婚するけれど、これまで通りの付き合いを続けたい、彼女にあやしまれないために、結婚式にも参加してほしいなどと言う伸也を拒みきれない。
渡辺に対してはたまにちくりとやり返す、ようなところも持っているくせに、伸也の大きな裏切りを責められないのだ。
かわいそうな俊の態度は、渡辺には腹立たしい。俊から事情を聞いた渡辺は、俊と距離をとるようになった。そのことがまた、俊を追い詰める。何度味わってもきつい感覚の中、家を突き止めた伸也とその場にいた渡辺、俊の三名による話し合いが行われる。伸也の暴論を当然渡辺は俊の友人の立場から批判するが、伸也が帰ったあと、俊は伸也を無意識に庇うようなことを言う。ずっとそういう性格なのだ、けれど誰と関係を持ったって自分のところに「返って来てくれた」のだと言う俊に、渡辺は憤り、俊を都合の良い「スペア」だと称した。
真実を言われた俊は認めたくなくて声を荒げる。渡辺の干渉はかれの性格からすると、既に単なる隣人・友人を超えているように見えるけれど、興奮した俊には分からない。人の心の機微を察することに疎いかれに分かるのは、渡辺が何度も繰り返し、「俺には関係ない」と前置きをすることだけだ。
伸也との再会以降渡辺との関係もぎくしゃくしはじめ、遂には約束の期間よりもずいぶん早く孝太の面倒を見る仕事を終了される。更に、近隣の住民が俊を不審者だと疑っているという話も出てくる。渡辺はろくに会話もしてくれないし、孝太が近づいてくると渡辺から言い含められているのかシッターが割って入ってくる。近所の人間の目は冷たい。この次から次へと畳み掛けてくるような不幸の連鎖は非常に椎崎さんらしくて好きだ。あーかわいそうかわいそうと思って、胸を痛めつつ読むのが好きでたまらない。
渡辺との間は拗れるばかりだが、何事にも積極性がなく、流されるままだった俊は少しずつ変わっていく。渡辺に言われたことを思い出して伸也に対して本音をぶつけ、かれとのどうしようもない関係を終わらせていく。伸也の態度は決して誠実なものではなかったけれど、本音を飲み込んでそれを承認し図に乗らせたのは俊だ。誠実でなかったのはなにも伸也ばかりではない。
最初の日。倒れている俊を心配して騒いだのは孝太だった。息子が言うから俊を介抱したのだ、というようなことを、悪びれもせず渡辺は言っていた。かれらを出会わせたのは孝太だった。
そして一度は途絶えたかれらの関係をもう一度結びつけるのも、やっぱり孝太だ。孝太にとっては、普段仕事で遅くまで帰ってこない父親と、大好きな「すーちゃん」と三人で出かける休日が一番楽しい時間だったはずだ。けれど孝太には状況が見えないまま、大人の都合でその時間は終わってしまった。終わったことも知らされないまま、根拠のない「今度」なんていう約束をされただけだ。
直感的に何かを感じたのか、それともいつまで経っても実現されない「今度」が待ちきれなくなったのか、孝太は行動を起こした。二人の大人を心から心配させたその事件は、結果的に二人を再会させ、素直にさせた。
毎日会社に出勤し、遅くまで帰ってこない渡辺と、れっきとした会社員だが一ヶ月の殆どを家でひとりきりで過ごす俊。幼稚園に通う実の息子を立派に育てている渡辺と、恋人からふらふら逃げ回っている俊。はっきり意見を持って発言する渡辺と、曖昧に笑ってやりすごすことも多い俊。どこからどう見ても渡辺のほうがしっかりしているし、年長者に見えるけれど、実際は俊のほうが少し年上だ。作品の中でも描写されているその事実を頭に入れて読むと、渡辺の筋が通っているようで案外理不尽な態度とか、大人気ないふるまいとかが可愛らしく見えてくるから不思議。
覚悟を決めた・責任を取るとまで言った渡辺が、それでも最後まで俊に「好き」だと言わなかったことが、非常にかれらしいと笑いそうになる反面、なんとなく物足りないように思えていたのだけれど、不実な(元)恋人を庇う好きな人に苛立つ年下攻だと思えば酷さや憎たらしさも多少削減。
たぶん。
俊はこの後渡辺に散々甘やかされて幸せを実感したり、渡辺を立てているようで手のひらの上で転がしたりすればいいと思う。一生。
あと多分息子は俊に一目惚れしてると思うんだ。
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2010.12.21 Tuesday
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崎谷はるひ「夢をみてるみたいに」
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崎谷はるひ「夢をみてるみたいに」
高い倍率の中大手アパレルメーカーに勤務することになった未来は、営業部主任の樋口に片思いをしている。とある理由でゲイだとカムアウトしている未来だが、樋口とはなかなか接点がつかめない。社長令息で、やたらと未来になついてくる弓彦とばかり、距離が縮まっていく。
2001年のノベルスの文庫化。書き下ろしなどはないが、今の時代に読んで違和感が出ないように添削はなされているという。10年経っても学生はあまり変わらないけれど、会社員は結構変わってしまう。
企画部に配属され、現在入社二年目の未来は、仕事ができるけれど主張が人一倍激しい女性社員たちの潤滑剤であり、清涼剤であり、マスコットでもある雑用係だ。ひとくせもふたくせもある部の連中は、未来がゲイであることや、彼女達の中ではすこぶる評価の低い営業部の樋口に一方的な恋心を募らせていることを知っている。そういう未来に必要以上に気を使うこともなければ、非難することもない。ただ、かれのありのままを受け入れて、純情すぎる恋をからかったりしている。
メインデザイナーがゲイであるかれらの会社には、性的指向で他人を差別しないという、破れば減棒や解雇にも繋がる鉄の掟があるのだが、彼女達は罰則を恐れてそれを守っているという感じではない。彼女たちがもともとそういう性格なのだ。
それは未来にとってはこの上ない幸福な環境であり、これまでのことを思えば信じられない状況だ。セクシャリティの所為で揶揄されいじめられ続けた未来は、地元で居場所がなかった。この辛かった過去が未来を恋愛や人づきあいにおいて臆病にし、あらゆる面で卑屈にした。否定されつづけてきた子供だったかれが、確固たる自信を持てるはずがないのだ。
逃げるように専門学校進学のために上京したかれは、メインデザイナーである万世がゲイであることを隠さず、ありのまま人前に出て、ありのまま仕事をしている姿に感銘を受ける。ファッションを志すものの憧れの的である株式会社ミリオンに入社できるなどと全く思っていなかったけれど、思い出受験のようなかたちで未来は試験を受けた。緊張や興奮でいっぱいいっぱいになっていたかれは、最終面接に置いて、他の連中がそつなく解答していく中、志望動機についてひとり的外れなことを言ってしまう。大勢の他人の前でセクシャリティを公言し、質問の意図とはずれた解答をして、何重にも恥をかいたかれは、いたたまれなくなって会場を飛び出した。トイレで、コンタクトが外れてしまうくらいに号泣していたところをひとりの男が助けてくれる。優しい言葉をかけ、ハンカチを差し出してくれた男の顔は見えなかった。名前も聞かなかった。けれど、ハンカチから匂う香水で、それが樋口だったと未来は付きとめた。
最悪の人生の中でも、最悪の思い出となるはずだった面接は、思わぬ結果を齎した。ミリオンが未来の情熱を買ってくれたのだ。こうして一転、未来はたくさんのものを手に入れる。憧れだった会社での仕事、セクシャリティを隠す必要がない職場、ありのままの自分を受け入れてくれる上司や仕事仲間、そして恋。どれも未来が今までひとつも持っていなかったものだ。
恋は叶いそうもなく、ただ遠くから見つめているだが、それでも未来は幸せだった。かれの唯一の幸せを乱すのは、社長の長男でありながら、雑用アルバイトをつとめる大学生の弓彦だ。偉そうにふるまったり嫌味を言ったりしないかれは、明るくて優しくて気が利く男だ。誰も気づかない程度に未来が困っていると自然に助けてくれるし、手を抜いて仕事するようなこともない。ただ、未来の前では過剰なまでのスキンシップをとってくる。触るだの抱きつくだのというレベルではなく、まだ誰ともキスしたことがなかった未来の唇に、最初にふれたのはかれだ。人前ではじゃれあってる友人のように見せている弓彦の強引な態度に振り回されつつも、未来は傷付いている。いくらゲイだからって、男が恋愛対象だからって、何してもいいというものではないのだと、思っている。
見栄えが良くて華やかで、社長の娘との恋愛関係も取りざたされている、直接口を聞いたことがない樋口。すぐにちょっかいをかけてきて、からかってばかりの弓彦。二人に対する未来の感情は次第に変化していってしまう。
評判が悪いだけでなく、実際目の当たりにすると決して好青年でもない樋口。樋口と同じ香水を使っているであろう弓彦。自分が好きな樋口は本当に好きに値する存在なのか、強引な弓彦の態度がなんだかんだで憎めないのはなぜだろうか。制御できない気持ちは不安を募らせるばかりだ。いくら時分は樋口が好きなのだと思い込んだところで、未来の気持ちは晴れないままだ。
それはもうすぎるほどに想像通りの物語だった。どこかであったような物語。どこかで聞いたような話。けれどそこにキャラクタの個性や、わざと拍子抜けさせる展開が肉付けされることで、ほどほどの読みごたえが与えられる。
近年の作品のような重厚感はないけれど、読みやすくてライトなラブストーリー。
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