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Waive「Case of Waive」@渋谷AX

とうとうやってきたこの日。Waive再演の、更に追加の再再演の、最終日。
五年前に解散したWaiveというバンドが、復活でも再結成でもなく再演を終える。解散の仕切り直し。

***
他の公演が開演予定時間10分以内に始まったのに対して、結構おしてた。

***
メンバーが出てきて、当然正面を向いて歌うように立ててあるマイクスタンドを、田澤さんが90度上手に回転させる。完全に上手の、善徳さんの方を向いて「大切なものは 失くしてから気づく」と歌い始めて、ライヴが始まる。背を向けるときも露骨なら、顔を向けるときも露骨。
最初のサビで銀テープの特効。もともと準備されていたのか、それとも大阪の田澤さんのMCを聞いて準備したのか。どちらにせよ似合っててよかった。

序盤から盛り上がっているし、田澤さんは声がちょこちょこ掠れていることをものともしないほどにいい歌をうたう。けれど、何かがうまく噛み合わないような違和感がある。気持ちが先走って体がついていかない、思いが強すぎて吐きだすことが間に合わない、そういう印象のままライヴが進んでいく。同じものを見ているのに、同じところへ向かっているのに、気持ちと体がうまく連動しない。
やっちゃったなあ、と思った。ずっといいライヴだったのに、最後の最後でやっちゃった。これまでの倍の規模の会場だと言ったって、数年前に既に完売させている場所である。大きい会場になったから後ろに届けられない、なんていう次元にかれらはいない。こんなに意気込んで、そこを目指してきて、意気込みが勝りすぎてしまった。どうなるのこれ、と思っていた。
田澤さんの気合いがとにかくひしひしと伝わる、伝わりすぎてしまうほどに伝わるライヴだった。こめかみに当てた指を一気に外へ振って、「リミッターを外す」と言いだしたときはちょっとびっくりした。なんだその仕草!前半のMCは全体的に短くひとことふたこと。感慨深くて言葉にならないという気持ちと、妙にいいこと言おうとしてしくじるパターンが交差していた。ツアーファイナルとかDVDが入ってるとか東京の大きなハコとか、そういう要素が重なるとこうなるんだった…。「心が動いたことないわこんなにも」と思わせたい、と言ってた。

先ほどのリミッターを外す、という話から、「振り切って」何かをする、という話へ。色々な振り切り方があるけれども、ここで「振り切って優しく歌う」と田澤さんが誘導するのが「春色」だった。その言葉の通り、これまでよりも大分と柔らかく、ともすれば誇張がすぎるほどにやわらかく歌われた「春色」だった。なのにそれが全然過剰に感じられないのがすごい。まるで本当に目の前に、開きかけている花があるように、芽吹きそうな草があるように、新しい命やなにかの始まりを包むような仕草をする。
「Unforgettable memories.」はおそるおそる歌い始める。先ほどまでとがらっと世界が変わって翳りが見える。やさしいピンクに覆われた一面が、一気にグレーがかった水色で塗りつぶされる。高音がいいのは相変わらずだけど、低音は絶対今のほうがいい。

「ピチカート」の「あぁ、このまま想い出ごと ガラスの箱に入れて眺めてたいのに」が刺さる。でもガラスの箱にしまったままにできない、しまわれたままでいてくれないからWaiveなのだ。

MCの途中で、幼い子供(赤ちゃん?)が笑う声がして空気が和らいだり、田澤さんが推奨している「口パク防止キャンペーン」の話が改めて出たり、田澤さんが言葉を選んであれこれ喋っている後ろで、下手にいるカメラマンに善徳さんがピースして写真撮ってもらったり。それに下手二人も乗っかったり。ちょっとずつ空気がこなれていく。ちぐはぐだったものが少しずつ噛み合っていく。
田澤さんは相変わらずうまく言いたい言葉を見つけられずにもどかしそう。「伝わるし、伝わってしまう」とか「もっと拾ってほしい」とか抽象的な言葉が続く。揚句の果てには喋るより歌います、と歌にいったり。

あの背を向けたままうたった「Spanner」から五年後の「Spanner」には、あの時みたいなどうしようもない壁はない。その代わり、それぞれが別のところに立っているという紛れもない事実がある。完成度が上がれば上がるほどやるせなくなる。
「世界がすべて沈む-pain-」は個人的に、この再演でもっとも化けた曲だと思う。もともととんでもない曲ではあったけれど、あの当時より格段に良い。他の曲が演奏されたときに感じる懐かしさではなく、眠っていた五年の間に蓄えたものが一気に開花されたような衝撃がある。やさしい声で歌われる別れや孤独が、いっそう痛ましく成長している。この曲だけでも新録してほしいくらい!

「はいこんばんはー!!」と子供番組のような善徳さんの挨拶でMCが始まる。小話を挟みつつの「Waiveです!」という挨拶にすらはっとする。平日なのに集まってくれてありがとうという挨拶のあと、「いつものアレ」と言われたのは、AX恒例・新幹線の話。前日に新大阪から品川まで新幹線で移動したらしいのだが、混んでいたので、何本か遅らせても三人席の通路側しかとれなかったらしい。大荷物なのでいくつかを上の荷物置きに入れようとしたら、窓側に座っている明らかに結婚式帰りの人がひとりで占領している。仕方がないので自分の席の前に置いて、ほぼ三角座りで帰ってきたらしい。机も倒せなかったそう。更には京都で、三人席の真ん中の席に座る女の人がやってきて、おおきな荷物を必死にまたいで座っていた、とかそういう話。地方で全部喋ってしまったし、殆ど移動中寝てるから面白いことが起きようがない、と逆ギレであった。面白いことのために新幹線乗ってるわけやない、面白いこと起こるまで乗ってたら予算オーバーや、というようなことを熱弁する善徳さんをわかったわかった、と諌める田澤さん。
当日券で来た人の多さからも、地方で良いツアーができたと思う、と善徳さん。
今日の開演がおした、という話。「10分くらい?」という善徳さんに会場からブーイング。田澤さんと「25分?」「なんでそんなおしたんやろ」「リハからおしてたもんな」「すいませんでした!」と謝ったあと、「立ちっぱなしでよう待ってられるな」と善徳さん。「想像力をフルに働かして自分がそっちに行っていることを想像すると、俺は無理」という田澤さんに、「気合!」という声がかかる。「それは、キアイのアイはラブ?」と結構素で言った田澤さんにひゅーひゅー声。
あとどこかで、田澤さんが喋っている間に淳とRUIが下手に移動して、カワスミさんともども四人で紙コップにコーラを入れて乾杯してた。「コーラの試飲会がはじまりましたよー!」と拗ねる田澤さん。「俺歌うから、ゲップがほら。俺水飲んでも出るねんな」とどうでもいい情報つき。

ぼんやりした入りで始まったお馴染みのMCでようやく空気が出来上がる。ここから後はとてもしっくりくる、いいライヴだったと思う。感情が溢れすぎてうまく車輪が回りきらないライヴも決して悪いライヴではないというか、それだけ思いがつよいことを目の当たりにできて感慨深くなれるのだけれど。

意外と感傷的にはならなかった。asian~で二人が歌うところで、この情景を見られるのは最後かもしれない・最後だろうとは思ったけれど、寂しいとか哀しいとかが遠いところにある気がした。曲がそういう曲じゃないからかもしれない。
けれどやっぱり「いつか」を聞くと胸が締め付けられる。長い間、Waiveと言えば「Spanner」だった。自分の周りが大抵、Rayからの流れで、結成されたWaiveをそのまま見始めたひと、だったからなのかもしれない。最初の音源の一曲目、タイトル曲。いつライヴに行っても演奏されていたその曲はまさにWaiveの代表曲だったし、聞けば聞くほどよくなっていく曲だった。そのあとにいくつもの曲がつくられて、「Spanner」より好きな曲も出来たけれど、やっぱりWaiveと言えば「Spanner」だったのだ。そういうわたしの(おそらくわたし「たち」共通のものであった)イメージは、「いつか」が出てきたときに変化した。善徳さんが書くきれいで寂しくて切ない曲はどれも好きだけれど、「いつか」はそのきれいさを残したままで、田澤さんの持つ絶対的な生命力みたいなものが前面に押し出された曲になったと思う。ともすれば言いっ放しになりそうな明るさの裏に、「いつか死ぬ」という真理がある。重くなくて、押しつけがましくなくて、でも中身がつまっていて、とにかく吸引力がある。本当にすごい曲だ。

アンコールがあけて出てきたメンバーは、全員衣装のまま。
アンコールありがとう、という言葉のあとすぐに「C.」が演奏される。神妙な顔で歌いだした田澤さんが「あの日からずっとそうだ」のところでつまっちゃって、「…ずっとそうだ」って呟くように言っていたのが刺さる。色々な意味で、まさに「振り切った」歌だった。気持ちを詰め込み過ぎて、壊れる一歩手前のところでなんとか踏ん張っているような、危うい「C.」だったけれど、その危うさがこれ以上なく魅力的。

各会場で、今日が最後の人もいると踏まえた上でメンバー全員がコメントをしてきた。「アホなメンバーたちですが」と前置きされて、一人ずつコメント。
淳は、「Waiveの高井淳です。まあアホなんで。集まったことも、こうやってライヴ出来ることも奇跡。各会場で言おうかとも思ってんけど、Waiveの高井淳であったことを誇りに思います。」というようなことを言っていた。

善徳さんに「ニノカタタカシことルイ」と紹介されて「ただいまご紹介にあずかりました、RUIでございます」と喋り出すRUI。「僕が一番アホなんで」「僕はWaive終わってからずっと音楽を離れていて、ステージに立てるのも不思議」珍しく長々と喋っていて、自分でうまく整理できなくなったのか、最後は笑って「ありがとうございました!」でした。

「五年ぶりでしたが、いやー歌がうまいですね!」と紹介された田澤さん。「皆の笑顔を見ていると、それを奪ってしまったんだな、と思う。」「解散の引き金を引いた人間としては、解散がトラウマになってそれ以来音源が聞けない・映像が見れないという人の気持ちが溶けたらいいな、と思ってやってきた」「感謝しかしてない」「だからってこれまでの事は消えないけれど、足跡は残る」「スタッフ、メンバー、善徳くん、ありがとう」
夏の大阪のときも書いたけれど、メンバーが脱退すること、脱退をきっかけに解散することは非ではない。けれど田澤さんはそれを自分の罪として、加害として抱えている。そのことが田澤さんの歌をよりよいものにしている。複雑だ。かれはその罪の、自分がやったことによって起きたいくつもの事の責任として、おとしまえとして、今回のステージに立っていたのかな、と思う。それは五年前の過程を消すことではなくて、あのひどかった終わりの続きをつくること。軌道修正するのではなく、途絶えた足跡の続きを描いて、どこかもうすこし穏やかな場所まで導くこと。Waiveという、かれらが必死でつくりあげたものが、皆の中できれいな・たのしい・すてきなものとして残るようにすること。自分自身の中でもそうなるようにすること、があるといい。少なくともこの公演で、Waiveが暗黙のタブーである状態は逸脱できたと思う。
善徳さんだってメンバーだよ、と突っ込めない空気があるのがWaiveです。

最後に善徳さん。
「人数の分だけ感想がある。俺は俺のことしか分からないから、俺の感情として。Waiveのリーダーをやってきた人間の感情として。バンドを解散してからバンドをやっていません。ミュージシャンではあります。何をやったところで、バンドで得たことが当たり前の中に自分の中に大きくて、凄く行動に表れている。リーダーシップを考えさせられる。リーダーシップをうまくできなかったから、それだけじゃないけれど、バンドが解散する原因のひとつではあったと思う。」
「夏と今回の再演では全然違うライヴができたと思う。皆が喜んでることが俺らはそういうつもりじゃなかった、ってこともある。手紙やメールで「またWaiveやってください、格好悪くてもいいじゃないですか」と言われる。格好いいからやってるわけじゃないし。誰かのためにやってるわけじゃないし。俺らのためにやってることが皆のためになってるんやと思う。」
「前の解散の日に家帰って、明日から俺何もないわどうしよう、と思った。でもそうじゃなかった。次の出会いがある。前の解散のときに「これはまぎれもなく終わりです」と言ったけれど。」「2050年とかに、みんな生きてたらやるかもしれん」
みたいな話が続く。Waiveを改めて、善徳さんの手で終わらせるのが今回の再再演のテーマだった。けれど実際はそうじゃなくて、Waiveはたぶん終わらない。もう二度と演奏されることがなくても、集合することがなかったとしても、Waiveが終わらずに在る。Waiveで得たものを持ってかれらが進む限り。それが音楽であってもなくても、進み続ける限り終わらないのだ。進まなくても、きっと。
再演できたことに対して、「すごく、すごく嬉しかったです」と言ったのが一番せつなかった。もう一度Waiveができること、が、嬉しいのだ。色々な感情が交差した上であっても、嬉しいという気持ちがあるのならいい。そして「どういう意味に解釈してくれてもいい、またいつか、この面子で逢いましょう」という言葉で終わる。逢えたらいいね。たとえ叶わなくても、そう思える現在がある。たぶんそれが、今への勇気。

そして田澤さんが「改めて思ったこと。何年も前に書いたはずの歌詞が、まるで今のことを歌っているような気がしてなりませんでした。それの一番の曲なんじゃないかな」と紹介する「HEART.」で終わる。たぶんそれは皆が思っていたことだ。皆が「バニラ」の冒頭で心を痛め、「HEART.」に励まされ、「いつか」に支えられてきた。
途中で、中央付近の天井からピンクの紙吹雪。桜かと思ったらハートだったらしい。

演奏のあと、長すぎるほどに長いカーテンコール。手持ちのピックを投げまくるメンバー。何度も上下に移動するメンバー。ピックの飛距離を競うメンバー。それでもやっぱり終わりは来る。
撤収が始まり、「今までWaiveを応援してくださってありがとうございました」というアナウンスが流れる場内。BGMでかかっている「いつか」に合唱が起こる。解散のときは「HEART.」で、二番の英詩になったらいきなり声が小さくなったなあ、と苦笑交じりに思い出す。「いつか」のあと、ステージの方を向いたカメラが出てきて、「銀河鉄道」が流れる。歌えってことか!こんな高音の曲を!とか思いつつ歌って、かえった。

離れ離れだけれどきみがすき。
また2050年に。

バニラ
will
Lost in MUSIC.
Baby,I love you.
わがままロミオ
春色
Unfogettable memories.
TRUEXXX
ピチカート
message~小さな手紙~
君と微笑おう
ASIAN『noir』GENERATION.
Just like me
ドミソファイター
Spanner
世界がすべて沈む-pain-
あの花が咲く頃に
PEACE?
FAKE
assorted lovephobia
Sad.
ネガポジ(Negative&Positive)
ガーリッシュマインド
いつか

Encore
C.
HEART.

SE
いつか
銀河鉄道

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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 20:27 | - | - |

お買いもの


Jane Marple冬物のウールタータンケープポンチョ。
カタログで見て一目惚れしたのだけれど、袖は五分くらいで、ウールとはいえ別段暖かいわけでもない。なぜこの商品を11月下旬に出すのか理解に苦しむ…暖かい地方ならまだしも、寒い地方だと発売されてすぐに買ってもろくに着られないんじゃないのか。個人的には駄目なら来年着よう、くらいの気持ちで買ったのだけれど。10月に出てたらすごく使えたのにー!
そしてJaneお馴染み、ファーの毛がばかすか抜ける。ウールが大したことない、という弊害もあり。分かってて買ったからいいんだもん!ファーはこのまま抜け続けるならいっそ短く切ってやろうかとも思っている。
いいところはポケットがあるところと、可愛いところ。初ポンチョなので似合うのか似合わないのかは分からないのだが、というか髪をかなり短くしたので我ながら珍妙な姿なのだが、服が可愛いからいいのだ!

あとは衝動で黒のショルダーバッグを買った。黒の小さめのバッグが欲しかったのだけれど、百貨店を時間つぶしがてらうろうろしていたらちょうどいいのを見つけて、値段を見たらゼロが一個少ないんじゃないのか寧ろここは雑貨屋なのか、と思うような数字が書いてあったので即決。長い間肩掛けにも斜め掛けにもなるやつ。長らく斜め掛けは似合わないので避けていたんだけれど、案外悪くないかな、と自画自賛。これも髪切った所為かも。

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posted by: mngn1012 | 日常 | 00:09 | - | - |

「ドントクライ、ガール♥」コミックス発売記念全員サービスきせかえブック

ヤマシタトモコ「ドントクライ、ガール♥」の全サ小冊子。コミックスについた応募券と小為替500円で応募。
コミックス購入特典の全サはオビについている応募券を切り取るのが主流なのに対して、今回はコミックスの中のページを切り取って送らなくてはならない。あまり本を丁寧に扱っているとは言いがたいわたしですらコミックス自体を切り取ることには抵抗があるのだけれど、同じような意見に対して作者がTwitterで「応募券を別にすると買ったのに応募券が入っていなかった!という可能性もあるので、きちんと買ってくだすった方に不利益が生じる可能性は避けたい」と言っていた。個人的な意見だが、オビだと、本体よりも盗まれる可能性が上がるというのもあるだろう。流通の際に破れたりぼろぼろになることもないわけではないし。
作者が読者のことを考えた上で判断したことは喜ばしいけれど、やっぱり本を切るのはいやだ!

とか言いつつもまあ切り取って応募したわけです。

「きせかえ&描きおろしマンガ」とうたわれていた通り、本当にメインは着せ替え。つるつるの厚紙(この語彙力!)に描かれた下着姿の升田とたえ子、それぞれのオシャレだったりウェディングだったりする洋服と、背景。とりあえず升田の下着に怒りを覚えておく。切り取って遊ぼう、繰り返し使えるよ、とは言われているものの、切るはずもなく保管する。
たえ子の友人二人による、きせかえの遊び方解説漫画もあり。

描きおろし漫画「be my girl♥」は、本編のあとの二人の話。相変わらず変態で得体のしれないけれど妙に優しい升田と、それに呆れたり突っ込んだりしつつもたまに胸キュンしてしまっているたえ子。一生たぶんこのまま。

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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 20:31 | - | - |

Waive「CASE OF Waive」@心斎橋BIG CAT

善徳さんお誕生日のライヴ。開演前に*の「爆-BOMB-」と「Lovely」が流れていた。*の中では保守的な二曲。な、気がする。ブランキーの「赤いタンバリン」も流れてた。

***
名古屋もそうだったらしいけれど、この日も別段、誕生日だからと言って何か特別なことをするライヴではなかった。後述するサプライズなどはあったけれど、予想の範囲内。Waiveのライヴのうちの一本、でしかないこと。Waiveのライヴのうちの一本、であることを守ったこと。色々と見えてきた気がする。

「ピチカート」やってた。

***
非常にしもねたの多いMCでした。どこをどう気づかって書いたら良いのか分からない。というかそもそも忘備のためのブログなので、覚えていることは極力書いておきたい。ので、ひどいMCでしたよ、ということだけ前置きしておく。まあでもWaiveですしね。こんなもんですよね。一番ひどいことは書かないようにしておく…。

バラードの後、静まり返った客席に田澤さん「静かやと咳こむ声が聞こえる。風邪か?うがいしてね。シャンプーも!髪にも埃とかと一緒にウィルスが付いてるから、あしゃしゃん…朝シャンなんてもってのほかやで!」と噛みつつ力説して、善徳さんに「あなた朝シャン派でしょ?」と噛みつく。「そんな大きな頭して!」とセットされた髪型を指摘された善徳さん、さすがにライヴの後は帰宅してシャワー浴びるけれど、風呂に入ると寝てしまいそうで不安。必死で髪洗って風呂あがって服着て髪乾かすと目が覚めてしまう、と言い返す。風呂で眠ってしまうという話に驚いた田澤さん、に、驚く客席。「皆風呂で寝るの?」と聞いてた。更に善徳さんが「風呂で寝えへんやつは眠ないからやろ。普段寝てるしやで。俺起きてるときずっと眠たいもん」と突っ込んでいた。

数曲終わって、後ろを向いて紙コップに入った飲み物を飲む善徳さんに「何飲んでんの」と聞く田澤さん。「当てていい?」「ヒントちょうだい!」とやけにガンガン話しだす。若干気おされている善徳さんが「一発目からヒントはないわ」と言ったので、「レッドブル!」と田澤さん。ハズレでした。「透明?むそく…無色透明?」とまたも噛みつつがっつく田澤さん。「底は見えてるな」「コカコーラ社の製品やな」というヒントに「ファンタ!」と田澤さん。「何味でしょう」「ファンタは当たってんやな!」「かどうかは分からんけど」「オレンジ!」と田澤さんが答えたところで客席から微妙な反応。「ファンタと言うたらオレンジやろ!」という田澤さんに、「グレープ」の声が飛ぶ。「俺もグレープよりはオレンジの方が好きやけど、でもファンタ言うたらグレープやな。店とか言ってもグレープ出てくるやん。一番好きなのはメロンソーダやけど」とメロンソーダ愛を積極的に押し出す善徳さん。
「そういえばこないだ中華食べに行ってオレンジジュース頼んだら、炭酸抜いたファンタオレンジがでてきた」と思い出す善徳さん。すっごいまずくて微妙に炭酸っぽかったので厨房をのぞいたら、大分残り僅かなファンタオレンジが出てきたそう。そこから、「普段120円で売っているコーラを、そのままの瓶で持ってきて300円とか取られるのが腹立つ」という田澤さんの意見。「俺それ昔、ファンの子に氷が180円なんやって教えられた」という善徳さんの言葉に納得する客席と、ひとり理解していない田澤さん。「え、氷って180円なん?」とか素で言ってた。そのあと遅れて理解してから、「コップとかもあるもんなあ」とぽつり。「バカラかもしれんしな」と善徳さん。
この流れだったか忘れたけど、いまいち善徳さんの話を理解できない田澤さんについて、本人が後ろを向いた瞬間に善徳さんがくるくるぱーのジェスチャーをするところがあって可愛かった。
「にのっち遅ない?」と善徳さん。気づいたら下手にいるはずのRUIがいなかった。「うんこやろ!」と田澤さん。ヴィジュアル系ヴィジュアル系。そのあんまりな言い方に善徳さんがうけていると、ケーキを持ったRUIが登場して、「HAPPY BIRTHDAY」が流れる。HAPPY BIRTHDAYの合唱。名前のところに行く前に田澤さんが「ヨシノリで!」と誘導してくれたので、「Dear 善徳~♪」とスムーズに。金と銀のテープが噴射するバズーカのような巨大クラッカーを放つメンバー。善徳さんがはにかみつつ蝋燭の火を消したケーキはチョコケーキで、大きく「789歳おめでとう」の文字が。
いやーよかったよかった、と思っていると、「もうひとり誕生日が、過ぎてしまったけど」と再度ケーキを持ってくるRUI。改めての「HAPPY BIRTHDAY」は、誰も名前を誘導しないので、「Dear さおsdが△#!」と銘々の叫び声で終わる。「嬉しいけど、タカユキのタカは親孝行の孝で、考えるじゃないんで!」と田澤さん。見えなかったけれど、考介と書いてあったよう。
自分のチョコケーキと田澤さんの生クリームケーキを見比べて「俺のほうが小さない?」と言う善徳さん。RUIが「白は膨張色やから」と謎のフォロー。「俺のほうがイチゴ少なない?」と言う善徳さんに、「子供か!」といいつつ、自分のケーキから苺を分けてあげる田澤さん。かと思えば「このケーキ誰の金で買ったん?」と聞く善徳さん。「大人か!」というツッコミ。茂呂さんの自腹だそうです。
ここから789歳トーク。「この年になるとはっきり年齢もわからん。785から789くらいの間やなと思ってた」「でも来年790になるわけやしな」「まだ俺780代やったんやな」と延々続く。善徳さんのサプライズばかり考えていた田澤さんは、自分のサプライズに驚いていた。
そもそもこのMCはRUIがケーキを準備するための場つなぎだった、と判明した途端「どうりでおもんない話するなーと思っててん」と善徳さん。でも終始はにかんでた。
バズーカのテープを片付けようと脇に挟んだままの田澤さん。「バニラ」のサビとかでばーんと出てきたら面白いなあ、と呟いていた。これが後々生きてくる。

誕生日を久々に実家で、母親としゃぶしゃぶしながら迎えたという善徳さん。お母さんがあまり肉を食べない人らしく、久々の肉に猫が興味津津だったそう。先にささみあげてもろくに食べないで、湯通しした肉を嬉しそうに食べていたとな。
「田澤なんかきったない居酒屋やったもんな」と23日の話。善徳さんが携帯ぱっとみたら12時で、「おおおめでとう」みたいな感じだったらしい。善徳さんだしある程度把握して時間確認した気もするけど。「メニューもろくにない居酒屋で」「いやいや」「山芋短冊食べながら」「まあな」「やっすいホルモン食べて」「油やったな!」みたいなやりとり。

名古屋のあと大阪に来た善徳さんと、東京へ帰った他の面々。「本当は実家でゆっくりしたかったけど、作曲しに帰った」という田澤さんに「まじめか!」と善徳さん。今朝東京から「ティンカントゥエンで」来た田澤さん。「指定席で!」って得意そうであった。客席から「おおー」って言う声があがるのに地味にウケた。9時50分の新幹線に乗ろうって言う話だったのに、37分くらいに駅に着いたから一本早い47分の新幹線に一人で乗った田澤さん。「俺30分には着いてたで!」と主張するRUIに「まじめか!」と田澤さん。「じゃあすれ違ってたかもしれんな、運命やな…しばらく会わへん間にキャラ変ったやろ?」とかなんとか。
喫煙者と非喫煙者がいるけれど車両はどうしているのか、という善徳さんに、「新幹線は今みんな禁煙やで」と淳。実際はそうじゃないけど、「そうなんや」で話が進む。喫煙者と非喫煙者のどっちかが我慢してるのか、別の車両に乗ってるのか興味がある善徳さんに「キツエンシャでもキツエンシャの匂いはきつい」と田澤さん。「なるほど最初は「者」で後は「車」やな」と善徳さんの謎のフォロー。たしかに喫煙車は異様に匂うね。

どういう風に聞いてくれてもいいんだけど、と手を動かしながら非常に抽象的なことをいくつか言って、「C.」へ。苦しそうな表情から生まれるうたが好きだ、と思った。同じくらい苦しそうな顔のギターソロも。そのあとは「世界がすべて沈む-pain-」。歌が終わったあと、マイクスタンドに凭れて何とも言えない顔をしている田澤さんの後ろで、嵐みたいな演奏が続いている。そのギャップが気持ちいい。
「もっと深く届けたいな」みたいなことを言って、「spanner」へ。ここの曲に入るまえの台詞がすっごい良かったんだけれど、飛んでしまった。よかった、ということだけが残ったので、それはそれでいいかな。
曲のあと、「C.、世界がすべて沈む、Spannerで、身を削って歌うということを知った/学んだ」と田澤さん。身を削って、命を削って全身で歌っている。
田澤さんは上手を振り向くことがこわくないのではないか、と書いたけれど、そのときそう思ったことは真実だし、大阪でもそう思ったけれど、ちょっと違うな。うまくいえないけれど、怖さも含めて振り向く強さがある、とでも言うか。その迷いや不安、昇華できないものがあるからこその「世界がすべて沈む-pain-」なのだと思った。

誕生日のプレゼントの話。「何が欲しいですか」って聞かれるときに、大体の奴が「なんでもいい」って言うけどそんなん嘘やん。嘘やって思うやろ?だってPSPが普及して、モンハンやってますとか言うと、皆モンハンのソフト一杯貰ってんで。で、かぶったやつ売ってるんやで?そうなるのが嫌やから、俺はここ最近はずっと「金目のもの」って言ってる、と善徳さん。マンションが欲しいとブログに書いたら「贈与税が大変ですよ、だからマンションの持ち主は別の人で、鍵だけ貰うのがいいですよ」ってコメントを貰った。そういう意味じゃない。マンションが買えるくらいの金目のものがほしい。だってマンションの鍵貰ったら、気づかんうちに他の誰かと共同生活してるかもしれんやん。俺誰かと同じ家に住むとか耐えられへん、と力説するので、「金塊とかな」となんとか話題を面白いほうに緩めようとする田澤さん。しかし善徳さんは「商品券とか」と露骨。
商品券は金や、と言う田澤さん。金はやらしいから商品券がいい、という善徳さん。「商品券で●●買いました!」のほうがええやろ、とあくまでひかない。客席がなんとか理解しようとするけどやっぱり解せない、みたいな空気になってて面白かった。
「なんでもいいわけないやん」のところで、「だって箱にうんこ入ってたら嫌やろ!?」と善徳さんのアホ発言。「いや…おれも正直うんこ考えた…」と田澤さんがアホの二乗。小学生か。でも心をこめて、考えてくれたものは何でも嬉しいよ、と言う巧みなフォローもあって一応話が落ち着く。

ぐだぐだのMCが続く。「俺らの解散前…変な言い方やな、俺らが真剣にWaiveやってた時、こういうMCやると小松がめっっっちゃ怒んねん」と言う善徳さんに噴きだす一同。面白いことを言おう言おうとしてMCが長引くと、「そういうのいらないから!」と尤もなお叱りを受けるらしい。「もっとばしっと「Spanner」に入れないの!」と言われた、と田澤さん。
小松さんが怒ったという話で、「色紙にうんこ書いたときも怒られてた」とRUIさんからのタレコミ。テレビのプレゼントで、サイン色紙を頼まれて、名前も何も書かずにうんこの絵だけ書いたらしい…。「だって誰か知らんやつのサインより、テレビにばーんと絵が出たほうが絶対興味持つやろ!」と一瞬納得させられそうになる言い訳。
いかに自分がテレビ向きでないか、という善徳さんの話。生放送の番組で、広末涼子が結婚したけどどう思いますかと聞かれたときに、「いやー広末涼子も中出ししてたってことですねー」って言ったら、プロデューサーが頭を抱えて崩れるのが見えた、と善徳さん。POP JAMに出たときも、NHKなので一切の宣伝はNGと言われたそう。最後にお題の答をフリップに書くコーナーがあって、「自分の宝物」というようなテーマだった。そこに発売したての「春色」のCDを貼ったらNGが出たらしい。で、どこがぎりぎりかと思って、バットの絵を書いて「マイバット」と書いてやったらOKだった、とのこと。MCでアホなこと言っても流れていくからいいけど、テレビとかで言うと残るからマズい、という話。youtubeとかニコ動とかもあるし。将来子供が出来て、「お父さんの活躍してた時やで」って見せたら「うんこうんこ!」ではシャレにならん、そういうことばかり考える、と妙に理性的な善徳さん。
太郎が辞めたあと、テレビで「ドラムとは何ですか」というようなことを聞かれた善徳さんが「あんなんいらん」「言うこと聞かへんドラムより機械のほうがよっぽどマシ」と言っていたのを偶然見ていたヤスオさん。知らないバンドながら、ドラマーとして当然憤っていたらしい。で、そのあとめぐりめぐって、Waiveというバンドのサポートをやらないかという話を貰って、横浜24にライヴを見に行ったとき「最近どこかで見たな」とずっと思っていたそう。で、終演後に楽屋で挨拶してるときに思い出して、「あいつかー!」と思い出したらしい。よく引き受けたなあ。
あとはいかに仙台と相性が悪いか、仙台では何を喋ってもしれーっとしてて受けない、という善徳さんのお馴染みのボヤキ。

「ガーリッシュマインド」がなかなかのカオス状態。埼玉・横浜では「ちょっと後ろに下がれる?」と何度も言ったり、事あるごとに上に飛ぶよう言ってた田澤さんも何も言わず。別に言わないからって思ってないわけではないんだけど勿論。どころか善徳さんが前まで出てきて「もっと来い」を繰り返すので、圧縮倍率更にドン、でした。「久々に気絶しそうやった」と善徳さんも言ってた。
そのあとの「バニラ」になると、一端片付けられた金銀テープがセンターのスピーカー前にそっと準備される。「いつもこーのー」の部分で田澤さんが投げていた。セルフ特効。

アンコールで出てきてへろへろの面々。田澤さんが足を持って微妙な表情をしているので、足がつったのかと思ったんだけど、「親指の皮がべろーっと行った気がする」とのこと。「見せて」というRUIに同調する客。「それは単にべろっとしたところが見たいの?性欲からなの?」と前回の大阪を彷彿させるMC。「ブログにあげよか?グロ画像注意て書いて」とのこと。
遅れて、おいしい牛乳を片手に現れた眼鏡をかけた善徳さんの二次元っぷり!
善徳さんにだけ椅子が提供されて、座ったところマイクスタンドも下げてもらえて、なんだかわかんないけれどギターを手渡されて、弾き語りの人のポーズになる善徳さん。この日かわすみさん暴走してた。ギターを弾き始めたのに合わせて謎のセッションを始める一同。田澤さんも「最終電車が~♪」とか歌いだすしまつ。最終電車は一本前のやつだったから来ない、みたいな歌詞。
立ち上がった善徳さんは勢いつけすぎて前のめりによろけるし(わざとかも)、その衝動でギターで足を打つし、更には倒れてきたマイクスタンドに田澤さんが走って行って「最終電車が〜♪」と歌いだすし、もうめちゃくちゃ。「体張ってる」と本人談。
とにかく全員へとへとで、気づくと下手の二人もぐでんと座っている。「おいおっさんども!BIG CATにお集まりのおっさんども〜!」と田澤さん。
この中で一番しんどいのはにのっちやろ、と言う田澤さんに最初こそ否定していたものの、徐々に乗っかって腰を曲げるRUI。薄目をあけてヨボヨボしてた。善徳さんには「でも今が勤務時間やろ?」と言われていた。

大阪の本編を終えて。結婚式の司会ばりの声で紹介されたヤスオさんが「ありがとうございました!」とひとこと。淳も短かった。「今日のことをどっかに書いたりしてもいいんちゃうー?」と言っていたので、このひどいMCをwwwに載せる勇気を勝手に貰った。RUIは「楽しかったー?楽しかったらなにより」と。
田澤さんは「皆傷付くかもしれんのに、…傷付くのに、腹くくって覚悟決めて見に来てくれてる」と言っていた。それをバンド側が知っているということが、ファンの救いになるのだ、とわたしは信じている。知っていたって何も変わらないし、知っていた上でかれらはこういう行動に出ているので、ある意味知らずにやっているより救いがないのだけれど、知っていてつけられる傷なら受けようじゃない。「皆を見ていると、全部が見えるわけじゃないけど見ていると、何かがこう、溶けてきているのかな、と実感できる」と言っていた。それはかつて善徳さんがブログで言った、溶けだしそうなもの、と多分同じだ。
最後に善徳さん。
言うことがない。ライヴで伝えられていると思う。誕生日を色々な人に祝ってもらった。皆優しいから、「生まれてきてくれてありがとう」とか言ってくれる。自殺願望とかないし、こういう仕事やってなくても人生ってこんなもんやと思うし、生きる意味とか見つけられたと思うけど、より深い意味を貰った 。自分が音楽をやっていなければ出会えなかった人たちとここで出会えたことに感謝している。皆が望まなければ再演は無かったし。そう思うとすごいものを作ったんだなあと思うし、すごいものを壊してしまったんだなとも思う。 バンドマンと話すと、「解散はするな。とりあえず活動休止にしておけ」と言う。活動休止にしておいたら、俺らみたいに再演やるときにごちゃごちゃ言われへんから。でもWaiveは解散したくてしたバンドやし、あのとき活動休止でええとは誰も思ってなかった。 解散したのにこんなライヴができるのはすごいことだ。解散したからできるのかもしれない。自分が音楽をやったことで出あえた人と、個人的ではあるが記念日を過ごせて、幸せだと思う。クリエイター冥利につきる。もうこんなことはないかもしれないけれど(※おそらくWaive再演のこと)、幸せだ。結局言葉にするとありがとうの5文字になるけれど、それだけだと何にどう感謝しているのか伝わらないから。 感極まっているとかではないけれど、感謝しています、ありがとう。
というようなことを順不同で言っていた。頭がこんがらがっていて脈絡が思い出せない。あとは、今月の30日のうちの5本だけやけど、まるでWaiveというバンドがあって、皆がツアーをしているような感覚がある、と言っていた。それが凄いことだ、とも。実際にはライヴ以外の日に、ソロの仕事をしたり、他のサポートでステージに立ったり、今の仕事をしているみんながいる。決してWaiveのことだけを考えて、Waiveのメンバーとしてだけ生きているわけではない。なのにまるで、ひとつのバンドが短いツアーをやっているような感覚に陥りそうになる。それは決して真実じゃないんだけど、それこそ「正しいかどうかとか そんなことどうでもいい」んだと思う。
感覚の人・瞬発力の人田澤さんと、感情をかなりの割合で言葉に出来る善徳さん。善徳さんが言うことを、田澤さんが凄く真面目な顔で受け止めて聞いて、それを自分の感情と刷りあわせて昇華するという流れは何度となく見てきたけれど、この日もそういう感じだった。
善徳さんの声が最後少しふるえてたのが印象的。

「名古屋は田澤くんの誕生日で田澤くんが物販に立った、今日は俺がやる。にのっちと一緒に。今決めた」と善徳さん。驚きつつも、「解散ツアーでも一緒にやったもんな」と言われて、笑顔で「せやなー」と快諾するRUI。これでこそニノカタタカシだ、と思う。

最後に聞いて下さい、よかったら一緒に大きな声で歌ってください、で「いつか」

曲が終わったあと、上下移動して挨拶したり、ピックを投げたりするメンバー。当然ながらピックのない田澤さんは、上下中央と挨拶したあと、ふっと上手に行って何かを貰っている。上手で何かを投げようとした田澤さんに、善徳さんが何を持ってるのか聞きに行く。マイク通してないので何も聞こえなかったけれど、どうも反応的に善徳さんのピックではない何か別のピック?のよう。「どこまで飛ぶかやってみたかった」と投げて嬉しそうにしている田澤さんの横で、善徳さんが更に遠い距離まで投げる。
ひとり先にステージをはけること、が嫌だったんじゃないかなあ。ステージが名残惜しそうに見えた。そのために何か欲しくて思いついたのがピックだった、という感じ。だといいな、という希望込みで。

HEART.
Lost in MUSIC.
Baby,I LOVE YOU.
will
わがままロミオ
Be Kind
春色
unforgettable memories.
TRUEXXX
君と微笑おう
ピチカート
ASIAN「noir」GENERATION.
ドミソファイター
C.
世界がすべて沈む-pain-
spanner
あの花が咲く頃に
PEACE?
FAKE
assorted lovephobia
Sad.
ネガポジ(Negative&Positive)
ガーリッシュマインド
バニラ
Encore いつか

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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 23:04 | - | - |

英田サキ「心乱される」

英田サキ「心乱される」
一聡は亡くなった知人の息子・俊を引き取って育てている。日に日に成長していく俊が、橋野が好きだったかれの父・草平に似ていくことに、橋野は戸惑いを隠せない。

現在34歳の一聡が引き取った俊は、18歳になったばかりだ。かれは24歳の時に周囲の反対を押し切って俊を引き取り、もともと不仲だった父から勘当された。それ以来、肉体関係のある友人・大宮の容赦ない言葉と励ましによって、奇妙な親子関係を続けてきている。もともとは事故で亡くなった草平への執着と意地で頑張ってきた一聡だが、自分に早くから懐いていた俊との生活はかれの心を慰め、癒してくれた。けれど俊が成長するにつれて、一聡の中には他の感情が生まれる。いけないと分かっていても、かれを男として見てしまう。好きだった男の面影を持つ俊に、目を奪われてしまう。

一聡と亡くなった草平のエピソードが面白い。飲み屋の店長で、離婚して子供を引き取った草平の一生懸命な生き方や魅力的な人柄に一聡は恋をした。口に出せないまま、バイトを辞めて就職したあともずっと草平と俊と懇意にし続けた。けれど、ろくに恋愛経験のない年下の子供の気持ちなど、いくら一聡が隠そうとしていたところで草平にはあからさまだっただろう。長い間、気持ちを打ち明けることもなく黙って二人の傍にいて、色々と尽くしてくれた一聡に草平の良心が折れた。気持ちに応じられないまま友情を続けることに対する罪悪感が、友人としての一聡と過ごす楽しい時間や、かれが俊の面倒を見てくれることで負担が減少することに勝ってしまった。それは草平の誠実さなのだと思う。
しかし気持ちを言い当てられたうえで関係を終わらせようとする草平に、一聡は縋った。このままで構わないと、成就しない恋を抱き続ける覚悟をみせたかれに、今度は草平のモラルが折れた。そんなにも近くで、そんなにも長い間ずっと好きでいてくれた一聡に、かれは揺れる。けれどそれが恋にならないことも分かっている。それでも構わないと言う一聡に、草平は体だけをくれる。その関係はしばらく続くけれど、一度も草平の中に一聡に対する恋愛感情が芽生えたことはなかったし、そのことを一聡も自覚していた、というのが好きだ。流されたり、愛情が生まれてきそうなものなのに、そうならない。どころか草平は一聡に気づかれないところで他の女性と真剣に恋を始めていて、彼女と付き合い始めてからは一聡の誘いを断り続けていた、という。大宮がのちに悪しざまに罵ったように、草平は確かに煮え切らない残酷な仕打ちをしてきたと思う。けれど、思い詰めた一聡に対してかれが出来るせめてもの優しさであり、償いでもあったのだろう。ひどいけれどやさしいだめな男、かれがそうなったのは、特殊な家庭環境やこれまでの経歴にも理由があったのだろうかと思えば不謹慎にもどきどきする。
とうとう草平は心を決める。彼女・祥子と結婚するために、一聡との関係を終わりにすることを決めたのだ。その話を飲んだ一聡の最後の我儘が、取り返しのつかない事故を生んだ。死の間際に立たされた草平は、それまでの優柔不断と紙一重の優しさをかなぐり捨てて、一聡にひどい遺言を託した。俊を祥子に育ててもらってほしいと、自分に恋している一聡に告げた。祥子よりもずっと前から俊の面倒を見てきた一聡に告げた。
幼い息子をおいてゆく身寄りのない父としてやるべき事だったのだろうと思う。結婚する予定だった女性に自分の息子を委ねるのが一番安心だと思った草平には何の罪もない。けれどそれは、これまで必死に立っていた一聡の心を砕いた。馬鹿をみるほどお人よしで、無様なまでに素直なかれに、一世一代の嘘をつかせた。残酷だけれどこの過去がツボった。

バイト先で知り合った友人・幸彦と、大宮によって、俊と一聡はお互いの恋愛対象に同性が含まれることを知ってしまう。そのことで、必死に築いていた壁を崩したのは俊が先だった。ずっと一聡を好きだったと打ち明けたかれは、口にしたことで一気に解放されたのか、歯止めがきかなくなる。暴走してしまいそうな自分をなんとか抑えたり、抑えきれなかったりする俊の気持ちを、しかし一聡は受け止めない。かれが自分の息子であること、草平の息子であること、もしこの関係が壊れたらまだ若い俊は拠り所を失ってしまうこと、俊を引き取るときについた嘘などがかれをとどまらせる。好きではない、恋愛対象ではないと言い続けることで、一聡はこれまでの生活が続いていくことを願う。
そのことを誰も許してはくれなかった。上司の娘との結婚が決まっている大宮は、一聡とただの友人に戻る決意をしている。そのことを一聡は快く受け入れているけれど、大宮には不安が残る。人一倍気を張って頑張りすぎてしまう一聡が心を寄せる相手が必要だとかれは思っている。それには、憎たらしいところもあるけれど、一聡をずっと思い続けている俊が的役なのだ。なにより一聡が本当は俊を意識していること、にもかれは気づいている。
いつまでも意地を張っている一聡の壁を一気に崩してやろうと、大宮と俊はひとつの計画をたてる。

後戻りができないところまで力ずくで押し出してやろうとする大宮と、親切だけれどかれにとっては有難迷惑以外の何物でもない欺瞞を取り払ってやろうとする俊。自分が出した言い訳でがんじがらめになっている一聡を、二人が解放していく。
その理屈は分かるんだけれど、そこで使われる手段が3Pっていうのが個人的にはあんまり納得いかない。「エンジェルヒート」くらい突き抜けてると、そういうものとして受け止めるので気にならないんだけれど、二人がそれぞれ一聡を心から大切に思っていると分かるからこそ、この荒療治を受け止めづらいわたしの思考と嗜好。

素直にならざるを得なくなった一聡が腹をくくって俊と向き合うこと、そのあともすぐに何もかもが埋められるわけではなくてぶつかったりすれ違ったりすること、その中で一聡の心にあったしこりがなくなっていくこと、は良かったと思う。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 12:10 | - | - |

Heimat Rose復刊記念応募者全員プレゼント/鈴木あみ「Heimat Rose After Story」

「Heimat Rose」全四巻を買って、帯の応募券を送付すると貰える。
文庫に挟んで収納できるサイズにこだわった、というあとがきの通り、文庫よりもふたまわりくらい小さな手のひらサイズの16ページ二段組みの小冊子。

「After Story」と言う名の通り、本編の後の物語。
ようやく、やっと、とうとうついにおさまるべきところにおさまったチュールとレイは平和な朝を迎える。とはいえレイは相変わらず我儘で自信家で素直じゃないし、チュールはレイが何を考えているのかよく分からないと思いながらも一緒にいる。ようやく本当の気持ちを告げたところでレイは変わらないし、チュールもそういうレイに不満を抱いて文句を言いつつ一緒にいるのが楽しいのだろう。お似合いというか、他の誰でもだめだった、お互いしかいない二人、なのだと思う。
かれらと同じノリを共有できる数少ない友人・ラフと合流した三人は、一人の少年と出会う。名前も聞いていない、出自も知らない、けれどその少年が誰なのかはチュールにはすぐ分かった。フェルマノワールと同じ美しさを持った、生意気な口を聞くことに慣れている高貴な少年。かれの生意気さを微笑ましく思って機嫌を取ってしまうあたりがチュールなのだろう。フェルマノワールがどれほどひどいことをしても嫌えなかったように、レイの暴君っぷりを笑って許してしまうように、チュールは少年に優しく接する。
懐かしいひととの再会、二度とかえらないひとの面影をつよく持った少年との出会いにチュールは満たされる。残酷な仕打ちも、胸が裂けてしまいそうに哀しかったことも、喜びも、期待も、絶望も、別れも、全部を含めて「昔のことですから」とかれは言う。多くを語らないかれの、その簡単な言葉にかれの強さが滲んでいる。そういうところにアランが惹かれ、フェルマノワールが複雑な思いを抱いた。あるものは付け込み、あるものは苛立ち、なによりレイがはまってしまった。
あらゆる難関を乗り越えたあとかれらにふさわしい、穏やかな一日の話だった。きっとこれから先も、こんな毎日が続くのだろうと確信させられる、優しい一日。

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posted by: mngn1012 | その他やおい・BL関連 | 19:38 | - | - |

モチメ子「恋するバラ色店長」

モチメ子「恋するバラ色店長」
子供の頃からの夢だった花屋を開店することになった上杉は、開店準備中に、幼い子供を連れた藁科と出会う。話を聞けば藁科は、上杉が花屋という職業を志すきっかけとなった優しい近所のお姉さん・愛子の夫だという。運命的な出会いに喜ぶ上杉は、愛子が亡くなっていたことを聞かされる。

花に魅了された上杉少年にとって、親切に花のことを教えてくれる愛子は憧れの対象であり、初恋の相手だった。傾きかけた父の会社を見事な手腕で建て直しながらも、上杉は花屋をやるという夢を諦めきれず、脱サラして店を始めた。その場所は、かつてかれが足しげく通った花屋のあった場所でもある。
かつて妻が花屋をやっていた場所に新しく出来た花屋の存在に藁科は喜んだ。わざわざそんな話をするくらい藁科にとって愛子の花屋は大切な存在であり、藁科は人懐っこかった。花好きの愛子のおかげで普通よりは大分花に詳しい藁科父子と、愛子のおかげで花に夢中になった上杉。そして愛子の店の場所にたてた上杉の花屋。それらがかれらの距離を縮めていく。

出会いが突然なら、恋に落ちるのも突然だった。愛子が大事に育てていたいくつかの花を分けてくれた藁科に、上杉はいきなり恋をした。そして自覚した瞬間に気持ちを打ち明けた。好きだという言葉を友情の意味で捉えた藁科はありがとうと喜び、そのあと誤解が解けて恋愛の意味だと知ってからも、やっぱり嬉しいと言った。だからと言って藁科がすぐに上杉を好きになることはないけれど、二人はその後も変わらず懇意にし続けた。見ようによっては非常に藁科が残酷で、上杉が気の毒にも思える状況だけれど、必死にアプローチする上杉と笑って受け止める藁科の関係はとても和やかだ。ほわほわした絵と、コミカルなノリが事態をうまく緩和していると思う。
そして藁科が恋を自覚するのもまた、突然だった。藁科の幼い息子・善のハプニングに戸惑ったり、仕事に真剣に打ち込んだりとくるくる表情が変わる上杉に、次第にかれが惹かれていったのだろうということは分かる。それをよりにもよって、数週間の出張?から戻ってきた上杉が土産の差出した瞬間に自覚する、というのが可笑しい。植物を渡されると恋に落ちる男たち。

藁科が上杉を愛子の墓前に連れていったとき、かれがかつて愛子の夫の墓前に立った事を思い出す。年齢の離れた愛子も、相手を亡くした過去があったのだ。孤独と幸福、別れと出会いが繰り返している。

いくつかの行き違いを挟みつつ、かれらは恋人同士になる。善と佐藤を連れて外出したときの、藁科と上杉の会話がいい。最愛の子供と、恋人と、関係を知っている仲間と。穏やかな日差しの下でぼんやりする幸せな時間に、藁科は「いまここに愛子さんもいたらいいのに」と言う。
恋人の前で、亡くなったとは言え昔の妻のことをそんな風に言うのはルール違反のようにも思える。相手が傷ついたり、激怒しても仕方がない発言だ。けれど上杉はそうじゃない。愛子がここにいないことが寂しいと、今の幸福を噛み締めながら泣く。愛子さんをずっと好きな藁科が好きだと、迷いのない目で言う。かれにとって愛子は恋人の元妻や恋敵である前に、自分に花の素晴らしさを教えてくれた恩人であり、初恋の相手であり、今出会っていたらきっと好きになったであろう素敵なひと、なのだ。今ここに愛子がいたら、という想像をするふたりは曇りなく楽しそうだ。
性別が違うから、亡くなった人だから、上杉が大分変わった性格だからそう思えるんだと言う気もしないではないが、それも含めて上杉だろう。無神経ともとれる状況だが、暖かく微笑ましい。
子連れやバツイチキャラが出てくるBLでありがちなのが、かつての結婚を否定するパターンだ。同性愛者同士のカモフラージュや政略結婚などそもそも恋愛結婚ではなかったというものや、友情と恋愛を勘違いしていたというもの、とにかく酷い女に騙されていたというものなど、あらゆる状況でかつての恋愛が否定される。それは過去を否定することで現在の恋愛、作品で描かれる恋愛の重要性を高めたり、これが初めての本気の恋だということを描くための演出なのだろうと思う。一度は永遠の愛を誓ったにも関わらず心変わりしてしまうような不実な男ではない、というフォローなのかもしれない。そういう設定にも面白い話は沢山あるのだけれど、妻だったひとをずっと愛している、そういうキャラがいてもいい。この作品のほんわかした世界観だからこそ可能なのかもしれない。藁科と上杉が愛子のことを話しているシーンが良かった。

上杉の仕事の腕を尊敬するあまり、一緒に脱サラしてしまった元部下の佐藤がまたいいキャラ。見た目も中身も一番普通の青年であるかれは、自分達のことになると非常に鈍感になる上杉と藁科に挟まれて、混乱したり焦れたりさあ大変。ふたりが付き合い始めてからは、息善のお守り役になったりと、振り回されっぱなし。あれこれ言いつつも結局一緒にいる、おひとよしの佐藤。善も佐藤に懐いているし、10年後くらいに、成長した善とあれこれ起きたりしないのかしら!
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 21:07 | - | - |

荒川弘「鋼の錬金術師」27

荒川弘「鋼の錬金術師」27

「お父様」こと「フラスコの中の小人(ホムンクルス)」との戦いも最終局面。圧倒的な力を見せ付けるホムンクルス相手に、エドはじりじりとおされてゆく。一対一では勝てるはずのない敵と戦うにあたって必要なものは、奇策と仲間だ。

手を尽くしようがない戦いの最中、リン・ヤオの中にいるグリードは、自分が本当に欲しかったものと向き合うことになる。かれが呼ぶところの「親父殿」が今まさに手にしようとしているような壮大でありながらも空虚なものではなく、最後まで勝利を信じて前を向いていてくれる仲間だった。グリードはリンに嘘をついて体内から出てゆき、「親父殿」を倒すためにかれの中へ入った。自ら炭化することで親父度もろとも崩壊することを狙った、玉砕作戦だ。それによってかれはエドを、世界を救った。それで「十分だ」とかれは言う。かれの肉体は滅び、精神も今滅びようとしている。けれど、自分を省みずに尽くせる仲間を持てたことが、かれの至福だった。
グリードが内側から綻びをつくったホムンクルスを倒すために、アルフォンスはある行動に出る。かつて、母親を練成しようとした報いを受け、肉体の全てを持っていかれたアルの魂を、エドが右腕と引き換えに取り戻してくれた。ならば自らの魂と引き換えに、エドの右腕を戻すことも可能なのではないか、とかれは考え、直感的に確信していた。もはやぼろぼろになった上侵食されて使い物にならない自身と、今ホムンクルスを倒すための兄の右腕を天秤にかけて、かれは腕をとった。それが自暴自棄の自己犠牲や、世界のための艇身によるものではないことは、「勝てよ兄さん」という言葉でわかる。かれが選んだのは、自分と引き換えの兄ではなく、勝利だ。(更に言うならば、かれはエドの勝利と、兄が自身を連れ戻しにきてくれることも信じていたのだと思う。けれど、もしそれが叶わなくても仕方がないと笑いそうな、達観したつよさが見える)
そのための手助けを自分を慕っているメイにやらせるところがアルの天然たらしっぷりだな、とも思う。君にしか頼めないなんて言われたら、断れるわけがないじゃない。

仲間の団結と、追い詰められたものが生み出す奇策によってホムンクルスは敗れる。自身が投げた言葉に追われ、かれは飲み込まれてしまう。

勝利のために「持っていかれた」アルを取り戻すために、かれの仲間たちが掲げてくる提案がいい。リンは賢者の石を使え、と言う。自分の一族のため、国のためにやっとの思いで手にしたものを、少年ひとりの命に提供しようとしている。ホーエンハイムが掲げるものは自分の命だ。かれが十分すぎるほどに生きたこと、子供達を顧みなかった所為でかれらが寂しい想いをして母親を人体練成しようとしたことはおためごかしにすぎない。「父親だから」そうしたいのだとかれは言う。理屈を凌駕した愛情に、エドは納得しないけれど、ようやくかれを「クソ親父」と呼んだ。
人の命を元にして作られている賢者の石や、今生きている人間の命を使ってアルを取り戻すことは、かれらがかつて誓った約束に反している。アルが喜ばないことも、かれらが錬金術師として・人間として犯してはならない禁忌であることもエドにはわかる。悩んだ末にかれはひとり練成陣を描き、何も引き換えにするものを持たないまま、「鋼の錬金術師最後の練成」に向かう。

エドが引き換えにしたものは、自身の真理の扉だ。今後一切錬金術が使えないただの人間になると脅してくる声に、かれは、今の自分もただの人間だと返した。「合成獣にされた女の子ひとり助けられない小さな人間だ」と。なまじっか錬金術が使え、幼くして真理を見たがために、過信したり踊らされたこともあったと振り返って笑うかれは、既に錬金術を手放している。その後に呟かれた「錬金術がなくてもみんながいるさ」という言葉は、ある種の悟りだろう。その言葉に、真理は「正解だ」と笑う。「持って行け 全てを」と。
エドが手にしたものは本来の肉体に魂を戻したアルのみではない。かつて失った右腕だけでも、真理の先にある情報だけでもない。錬金術の先にあるものを、かれは手に入れた。「あきらめろ」と決して言わずに付き合ってくれる仲間、叱ってくれる大人、無条件に自分たちを愛してくれる家族、帰りを待っていてくれるもうひとつの家族。それらが錬金術よりも遙かに大切なものであるとかれは知った。だから「全てを」かれは「持って行」くのだ。何かと引き換えに何かを得る等価交換の法則を超えて、何も失わずに、かれは戻る。

戦いのあとのそれぞれの先も、幸せなことばかりではないのがいい。失われた仲間、荒廃した土地、かつての罪と向き合う政策。傷の男が探さねばならないと悟った「生かされている意味」は、生き残ったもの全てが探しつづけなければならない。

10貰ったら自分の1を追加して11にして他のひとに返す、とアルフォンスは言う。それがかれらの出した、等価交換を否定する新しい法則だ。言葉だけではなく今後実践していくことが必要なのだと、子供とは思えない苦笑をアルは浮かべるけれど、たぶんそれは言葉にされないだけで、世界に満ちている。
子供であるかれらに、立場や利益を考えずヒューズはやさしかった。お節介でお調子者だったけれど、そういうかれの態度にエドやアル、ウィンリィやマスタングはどれほど救われただろう。かれのやさしさに触れた妻子やたくさんの仲間たちは、やさしい人間になって、他の誰かにやさしく接する。たぶんそういうことなのだ。
ヒューズの妻に対して、アルは「助けられなかった女の子がいます その子をずっと忘れることができません」と言った。エドが真理の前で言った、「合成獣にされた女の子」ニーナだ。
「鋼の錬金術師」のエピソードにおいて、まだ明るさの強かった序盤に描かれた、タッカーの事件は衝撃的だった。権威のため収入のために、妻や子供とペットを練成した男。その事実に気づいたふたりは、けれどどうすることもできなかった。タッカーを責めたところでニーナは戻らない。この世に存在してはならないはずの生き物が、「あそぼうよ」と話すシーンは読んでいて鳥肌が立ったことを覚えている。あの一件で兄弟は、かつて自分達が為そうとしたことの罪の重さを再認識し、禁忌と発展の間に理性の境界を設けることができたのだと思う。それと同時に、幼くして錬金術に特化してもてはやされることも多い自分達の無力さを実感した。そのことを、かれらは忘れていなかった。かれらの契機となった事件は深く根ざして、その後のかれらの行動指針となり続けている。そのことが、悲しいけれどとても嬉しい。
だからかれらは踏みとどまれる。間違いそうになっても、惑わされそうになっても、これまでに感じた痛みがある。そして、否定してくれる仲間がいる。帰りを待っていてくれる家族がいる。

仲間がいるからこそ、家族がいるからこそかれらは別々の道をいく。錬金術に苦しむひとを助けたいというひとつの目的のために、よりよい方法を探して旅に出る。
ウィンリィへのエドの告白もかわいい。気のつよいちゃきちゃきの幼馴染みと結ばれるという王道中の王道パターンが、エドには一番似合う。かっこつけて告白したのに、ウィンリィに呆れられた挙句、ひっくり返されちゃうところがまたいい。一生尻に敷かれるんだろうなあ。旅に出てはいきなり家に帰ってきて、連絡しろって怒られながら暖かく迎え入れてもらえるんだろうなあ。自分がホーエンハイムに放り出されて寂しかった分、鬱陶しいくらい子供を可愛がるんだろうなあとか想像したらかわいいかわいい!

「傷みを伴わない教訓には意義がない」とモノローグ。
人一倍つらいこと・かなしいこと・さびしいことが多かったかれらだからこそ、強くやさしくなれる。あきらめないくじけない立ち向かえる、そういう鋼の心を得られるのだろう。

外伝「もうひとつの旅路の果て」もいい。
自分の体であったぼろぼろの鎧を、オートメールのための材料にしてほしいとアルは願い出る。飾っておくこと、部屋にただ置いておくことは「死んでるのと同じだ」とかれは言う。ともに戦ってきた存在だからこそ、誰かのからだの一部になって、道具の一部になって動いて欲しいと言うその考えが非常に兄弟らしい。まっすぐ健全で、躊躇いがない。

あとがきの後に描かれている、トリシャとホーエンハイムの再会もいい。子供のように目を輝かせて、彼女と会わなかった数年の間の話を矢継ぎ早にするホーエンハイムの姿に、かれがどれほどこの早逝した妻を愛していたのか・家族を大切に感じていたのかを実感する。笑顔になるとエドとアルとそっくりなのが微笑ましい。

***
読んでいて何度も目頭があつくなる、胸が詰まる最終巻だった。夢中で読みふけった前半を経て、途中、戦争に対する真摯すぎる姿勢に話が難解・重厚になりすぎたかと思っていたけれど、後半はまた異常なまでに面白かった。何度も立ち止まり、絶望しながらも決して諦めなかった兄弟は本懐を遂げた。それまでの過程の繊細さと、ぶれることなく進んだ話の軸の堅固さが素晴らしかった。
面白かった!!!!
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 11:35 | - | - |

CD「終わりなき夜の果て」特製小冊子/「おしゃべりCD」/アニメイト購入特典SSカード

CD「終わりなき夜の果て」特製小冊子
いーずかムービックの通販限定特典、いつもの小冊子。
・「幸福のかたち」
屋敷で家族が揃った日の夜の物語。国貴に凭れて眠ってしまった和貴が目を覚ましたのち、自室に戻って眠っていると深沢が現れる。国貴に心を許して会話をしたこと、かれの隣で眠ってしまったことを深沢が微笑ましく思ってくれるわけがない。単なる嫉妬ではなくて、どこまでも兄や他者のために尽くしてしまう和貴を心配しているのだ。条件反射的に自分を犠牲にする、持っているものを全てなげうってしまう和貴を知っているからこそ、深沢が制止するほかないのだ。
けれど今の和貴は、昔のかれではない。その証拠に和貴は、最後にはどんな手段を使ってでも深沢の元に戻ってくると告げる。深沢の怒りをおさめたり、自分への攻撃を回避するためのでまかせではなく、本音なのだとわかる。分かるから深沢はそれ以上の追求をせず、話題を変えた。
和貴と深沢の、呼び捨て合戦がこどもみたいで凄く可愛いんだけど、反面、それがデフォルトになってしまうのは嫌だとも思う。深沢はやっぱり敬語+様付けで和貴に接してほしい。今みたいに、たまに呼び捨てにしてどきどきし合ってるくらいが一番すき。そのバランスもちょうどいい。
日本に帰って来て、家族とのわだかまりを解消した国貴は、色々なことを素直に感じられるようになっている。自分がこれまでに傷つけてきた相手のこと、傷つけた行動のこと。心の中で深く詫びて、もう二度と間違えないと誓う。

・インタビュー
さすがに6年、さすがに14枚。野島さんのコメントに頷いたり、納得したり、感心させられたり。神谷さんは相変わらず冬貴の立場を維持するために、敢えて他の人物の心情に触れないようにしている。知らないことがある・分からないままのことがあることが良い方向に作用するって不思議。
福山さんの、和貴は丸くなったっていうか「丸くされた」っていう表現が秀逸だなあ。深沢に丸くされちゃった和貴さま。福山さんの解釈はどんなときでも一歩先にあるというか、見落としてしまいがちなところをすくいあげていて、さすがだと思う。その細やかさとか敏感さがそのまま反映されているような芝居をされる。遊佐さんは6年の間に出来た、寧ろ自分で作ったお約束をちゃんと覚えていて、きちんと今回もそれを踏襲してくれる。クラウディオの名前とか、スケベ父さんとか。お久しぶりのひとも皆勤賞のひとも、基本的に真面目に語っているので読み応えがあって面白い。恒例の一枚目収録の話もあり。

***
CD「終わりなき夜の果て」おしゃべりCD
通販・コミコミ初回特典、野島さんと小西さんのトークCD。しかし清澗寺の世界観と「おしゃべりCD」というすっとぼけたタイトルがあんまりにもアンバランスで可笑しい。
12分ほどのトークCD。収録直後ということで二人のテンションが珍妙。というかフリートークのテンションがそもそも珍妙寄りの二人なので、輪をかけて珍妙。かと思えば結構真面目に作品について語っていた。あまり真面目なコメントは期待していなかったので、思ったより真面目に喋っていて得した気分。
和貴の精神的な成長についての話から、「まさかあんなことをしたら呪縛が解き放たれるとは」と、例の蝶のシーンにふれる小西さん。どうなってるのかいまひとつ想像できないでいたら、遊佐さんが教えてくれて合点がいった、と言う小西さん。実生活の経験の話にもっていく小西さん。しかし野島さんがツッコミじゃないので、適度に乗っかってくれて、二人で分散させて話が終わる。フォローしないままに。疲れてるんだろうな…いいのかなこれ…遊佐さんはとばっちりを受けたような、ひとり勝ちなような。おさすが。

***
「終わりなき夜の果て」下巻・アニメイト購入特典SSカード
下巻の店舗別購入特典、アニメイトの特典は和貴と国貴のSS。上下巻の表紙イラストを合わせたイラストが印刷されたハガキの裏面に、二段組みのSSが掲載されている。表紙の絵にちなんだ、緑の布張りの椅子を買おうとする和貴と深沢、国貴と遼一郎。二人で座るには少し小さい椅子があった時にどうするのか、という二組の答の差がおもしろくてかわいい。

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posted by: mngn1012 | その他やおい・BL関連 | 21:57 | - | - |

展示いろいろ

草間彌生 水玉宇宙の星たち

偶然新丸ビルにランチしに入ったらやっていた。一階からエレベーターで七階に上がるまで全く気づかなかった。外とかに告知されていたのかなあ。エレベーターのドアが開いたらかぼちゃがどーんとゴ鎮座ましましてて驚いた。
名駅高島屋のときといい、なんだかんだでよく見る。
レストラン街である新丸ビル七階の一角で無料で展示されている草間彌生展。白いタイルと白いマネキンに無尽蔵であるかのように貼られた朱色の水玉、ブラックライトに照らされた部屋で発光する色とりどりの水玉。過去に作られた映像や写真なども飾られている。のみならず、その展示されている数部屋の周りの壁も同じようにドット・ドット・ドット。長時間見続けたり近づいて顔を寄せてじっくり見ると気持ちが不安定になる、背中の産毛がぞわっと立ちそうになる、そういう世界。

いちごDAYS〜あの頃のわたしからの招待状〜
 
サンリオのキャラクター紹介、過去から現在に至るまでのグッズ展示など。
写真は外に飾られているパネル。もちろん自分の顔を入れて撮影しましたとも。

初めて見るキャラ、自分が子供だった時に流行っていた・夢中だったキャラ、自分が少し大人になったあとに出てきたキャラ。このときの流行はローマ字での会話だったのねとか、この頃からラメが積極的に使われるようになったのねとか、色々なことを実感できる。ただ特にそういう説明はないので、無言のうちに感じるもよし、ただただ可愛らしさに熱狂するもよし、というところか。

メインキャラクターごとに分かれた部屋には、キャラクター作者による直筆のイラストが飾られている。近くで見ると塗りつぶされた髪の部分の紙がけばだっていたりして、直筆だと実感できる。ああもうかわいいかわいいかわいい!
その近くに、作者がキャラに込める思いを書いたパネルがある。ハローキティ作者の山口さんが
「世界中のみんなと仲良く、助け合って生きていきましょう。キティは、永遠に友情のシンボルキャラクターです」
と書いていたのを見て、いろいろなことの合点がいった。
ハローキティのコラボの多さは失笑を買い、見下され罵られ、呆れられてさえきた。それらの中には可愛いと思えるものや魅力的なものもあったし、反対にキティのイメージを損なうのではないかと思えるようなものもあった。そのコラボを続けた結果、キティは「そういうもの」になった。何とでも積極的にコラボするキャラ。キティのイメージは上がりもしないけれど、結果的にさして落ちもしなかった。熱狂的なファンのひとたちの中では色々あったのかもしれないが、一般の認識はそんなものだと思う。もちろんわたしも含めて。
そういうキティの、失礼な言い方をすれば節操のないコラボは、「世界のみんなと仲良く」することであり、彼女が「友情のシンボル」で在り続けるための行動だったのではないか、と思った。
もちろんそこにはお金が絡んでいるし、そんなきれいな話ばかりでもないんだろうけれど。やけにしっくりきてしまったので、そう思っておくことにする。
Jane Marpleもコラボしてたけど、個人的にはUNDER COVERのコラボが一番印象に残っている。無数のリボンに埋もれて顔がないキティ。きもちわるいけど、今となってはちょっと欲しい。


・中華街


Waive横浜のときに行ったのでついでに。中華街はとにかく中華料理がお手軽な価格でおいしく、それだけで十分過ぎるほどに満足。しかし食事が終わってしまうと、雑貨屋をぶらぶら見て、翡翠さんに「翡翠売ってるよ!」とお約束のボケをしたり、「パンダかわいい!」と言うほかにない。神戸のように近くに百貨店があるとか、時間をつぶせるところがたくさんあればいいのに。とか言ってわたしたちが見つけられていないだけだったりして。美味しそうなカフェなんかは沢山ありました。
一世を風靡した?厄落としの唐辛子ストラップがどこでも叩き売りされていた。「どれでもマジ50円」と書いた看板には噴いた。
毛沢東グッズを見て、毛沢東ライターのことを思い出した。

ブリューゲル版画の世界

偶然このポスターを見かけて、あれよあれよと吸い寄せられてしまった。摩訶不思議でグロテスクだけどキュートな版画と、このタイトルのフォントと、随所に配置された魍魎のようなファンタジックなキャラと、「400年前のワンダーランドへようこそ。」というコピー。
そりゃ行くでしょ。
16世紀・ネーデルラントの画家、ピーテル・ブリューゲルの作品160点ほどが展示されている展覧会。平日の昼間だったけれど思っていたより混んでいた。
農民の生活や当時の村の風景、船や四季を描いた作品などの素朴なものと、聖書をモチーフにした上記ポスターのようなもの、当時流行っていたという諺を題材にしたものなどが幅広く飾られている。版画で表現される細やかな風景画に、思わず「乙嫁語り」を思い出した。森の木々の深さが黒一色、線の太さや細かさで描かれているのがすごい。
しかしやっぱり楽しかったのは聖書関連。七つの大罪をそれぞれ描いたものとかわくわくする。宗教モチーフだいすき!!ただ見てすてきだなあと思うのもいいし、説明を読んで、この家から煙が出ているのにはそういう意味があるのか、と学ぶのもいい。たのしい。
そんなこんなで素敵な作品が沢山展示されていたのだけれど、それを承知で言うならば、この展示はポスターやコピーが非常に優秀だったと思う。「不思議の国のアリス」を思わせるような配色、配置、フォント、コピー。会場周辺も黒の柱に金で囲われたミニスクリーンが設置されて、そこにファンタジックなキャラたち(悪魔たち?)が点在している。それだけでどきどきしちゃう。
更にはグッズ展開もうまい。黒とダークグレーのブロックチェック地に、悪魔たちが描かれたマウスパッドを見たときにはぐうの音も出なかった。ファンタジーキャラ推しの缶バッジやミニフィギュアなど、値段もおさえめにしてとにかく種類をたくさん作る。見事だとおもった。素朴な農民の日常を描いたブリューゲルではなく、聖書モチーフ・諺モチーフのブリューゲルをとにかく前に押し出す方法は、素朴な作風が好きなひとにしてみれば複雑かもしれないが、集客方法としては成功したのではないかしら。と、釣られたものとして言っておく。

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posted by: mngn1012 | 日常 | 11:02 | - | - |