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えばんふみ「ブルーフレンド」1

えばんふみ「ブルーフレンド」1
ソフトボール部に所属する、長身で男勝りの歩は、クラス替えで、校内で有名な美少女・美鈴の隣の席になる。持ち前の明るい性格で美鈴に話しかける歩だが、彼女は素っ気無い。よくも悪くも注目されて絡まれる美鈴を歩が庇ったことから、美鈴は歩に心を開くようになる。

帯にもはっきり書かれている通りの百合漫画。掲載誌は「りぼん」である。あの「りぼん」にそういう漫画が載っていることに驚く気持ちも勿論あるけれど、元りぼん読者としては、ファンタジー路線の強かった「なかよし」や更に子供っぽかった「ちゃお」(飽くまでわたしが子供だった時代のイメージ)ではなく、恋愛度数が高く、流行を取り入れるのが早かった「りぼん」に載っていることは納得できる。
80年代に「絶愛-1989-」を掲載させた「マーガレット」の集英社だもの!

中学二年生のクラス替えで二人は出会う。真面目で誠実で正直で曲がったことが嫌いな歩は、その長身もあって、男っぽく受け止められている。部活に一生懸命で、他人の噂話に興味のない彼女は、誰もが知っている美鈴のことを知らなかった。そういうところも含めて、彼女は同性の友人たちから非常に慕われるムードメーカーのひとりだ。
一方美鈴はこれ以上ないほど女子から嫌われている。それは群を抜いて整った彼女の容姿や、それが男子を惹きつけることへの嫉妬や羨望、そして、彼女の全てをばかにしたような目つきと態度の所為だ。男子は彼女が好きだけれど、それは彼女の人間性ではなく、人形のようなルックスだけに向けられた好意だ。通りがかった彼女を複数で携帯電話で隠し撮りするような、彼女の人間性を無視した好意だ。美鈴自身、美鈴の人間性は、誰にも好かれていない。

けれど歩は違った。彼女が隣の席だから挨拶をしたし、彼女が持っている消しゴムが可愛いから話しかけた。歩は数ある消しゴムの中からそれを選んで買った美鈴の嗜好、人間性に反応した。それが最初のきっかけだった。
この消しゴムっていうところが中学生らしくてかわいい。普段からその年代の子たちの話を書いている、その年代の子たちのことを調べたり考えたりしているであろう作家ならではの、気負いのない自然でしっくりくるエピソードだと思う。

いつも一人で行動している美鈴、全てを諦めて抵抗する力もない美鈴が巻き込まれた、彼女にとってはいつものことであろう事件を偶然見かけた歩は、それを許さなかった。知らん振りせず、彼女を庇った。話しかけてもまともに取り合ってこないような美鈴を助けたのは、歩の正義感だ。見返りを求めるわけでもない歩の行動に、美鈴は心を許した。そしてこれまでの態度が嘘のように、彼女は歩にべったりになる。
新しい友達が出来たこと、気が合う彼女と過ごす時間が面白いこと、誰にも心を許さない子であったこと。それらに歩は純粋な喜びを覚える。前から仲の良い友達がそれをよく思っておらず、その気持ちを歩に隠さないというストレスもあったけれど、歩は美鈴と過ごす日々を楽しんでいる。
しかし美鈴の好意が度を越し始めるのに、そう時間はかからなかった。彼女は歩への独占欲を強め、次第に表に出し始める。なにも持っていなかった彼女は、唯一手に入れた歩という存在を、誰かと共有したくなかった。自分に歩しかいないように、歩にも自分だけがいればいい、自分しかいなければいい、と考えるようになる。その強い気持ちの中には、友情ではないものが確かに含まれている。

自分に依存し、自分からあらゆるものを排除しようとする美鈴を、さすがの歩も怪訝に思うようになる。歩には他にも大切な友人がたくさんいるし、先輩後輩と共に頑張る部活もあるし、一度は儚く消えてしまったけれど、とくべつな男の子との恋愛への淡い憧れもある。それは本来個人との友情と両立できるもののはずだけれど、美鈴はそれを許さない。歩は次第に追い詰められ、美鈴を負担だと思うようになる。
恋に舞い上がる歩、それを必死で阻止する美鈴、策略を持って歩に近づく男、歩を取り戻してもう一度美鈴を孤立させたいクラスメイトたち。若さよりも更に未熟な幼さの残る少年少女たちは、なにひとつ妥協をゆるさない。全てに本気でぶつかって、不器用な駆け引きを仕掛けて、卑怯な方法も辞さない真剣さで欲しいものを手に入れようとする。暫定で欲しいものを手に入れることに成功したのは、一番必死だった美鈴だ。彼女は歩の信頼を取り戻し、彼女の中に孤独な自分への庇護欲を植えつけた。思春期特有の、壊れやすくて繊細だけれど、残酷で図太い心の機微が丁寧に描かれているのは少女漫画の醍醐味だと思う。

美鈴が歩に抱く恋、動揺しつつも拒みきれない歩。美鈴が頑ななまでに男を嫌う理由、彼女を追い詰める手紙を出し続ける少女の正体、色々なドラマを孕んで物語が展開していく。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 12:36 | - | - |

エリザベート2010

エリザベート千穐楽おめでとうございました。

楽が近づいたらもっと動揺するかと思ったけれど、最後に見た10/9公演があまりにも良くて燃え尽きてしまったようで、自分がその場にいないこと・行けないことに対する哀しさや悔しさは自然と沸いてこなかった。

仕事との兼ね合い、キャストの兼ね合いで取ったチケットだったけれど、思いのほかトークショーと被って嬉しかった。きりのいい数字やキャストのお誕生日、誰かの楽日などは狙わなかったけれど、次は積極的に狙っていきたい。
でも一方で、こんなにばかをやれるのは今回限りなのかもなあ、とも思う。取り敢えず出来ることはやった。

3トート×3ルドルフの「闇が広がる」を見て、どれが一番好きなのか考えよう、と思っていたけれど、結局出た答えは「全部好き」だった。声の相性、そのときの調子、色々な要因はあれども、なんだかんだで全部好き。みんな大好き。

いくらでも言葉が出てくるし、思い出も思い入れも出てくるけれど、浦井さんの言っていた「エリザベート大好きです、ありがとうございました」という言葉と、禅さんが言った「幸せな三ヶ月間でした」という言葉に尽きる。

どんなに見ても足りない、潤った先から飢えていくような気持ちを持ち続けられたこと。夢に浮かされていたこと、夢に衝き動かされたこと。崩壊していくハプスブルク、沈んでいく世界。
ルキーニの尋問を傍観する役を演じられて、ほんとうに幸せな三か月だった。

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posted by: mngn1012 | 日常 | 23:54 | - | - |

一穂ミチ「さみしさのレシピ」

一穂ミチ「さみしさのレシピ」
彼女と最低の別れ方をした後実家に戻って来ていた知明は、幼いころによく面倒を見てくれた叔母・実華子が亡くなったという電話を受ける。知らない間に結婚していた叔母の夫・慈雨のもとを慌てて訪れた知明は、広いかれの家に居候することになる。

実華子は知明の母の妹で、きれいなひとだった。虐待や放置などはされなかったが、父母から愛情らしきものを受け取ったとは言い難い知明にとって、初対面から優しく暖かく接してくれた実華子は特別なひとだった。理由は分からないけれど、彼女が自分の母にあからさまにひどく当たられ、親戚もまた彼女に冷ややかな目を向けていることも、知明にとっては実華子に懐いた理由だろう。まだ幼かった知明はさっぱりした彼女の家をたびたび訪ねた。実華子はどんなときだって知明を歓迎してくれた。その関係を壊したのは、幼かった知明が追い詰められた末に発した言葉だ。
実華子の印象を慈雨に聞かれた知明は、「さみしい人」だと言った。沢山の思い出やエピソードがあるだろうに、知明にとっては、家に帰るときにいつまでも自分を見送る彼女の姿が一番の思い出だ。そして実華子もまた、知明を「さみしい子」と称していたことを聞かされる。家族の中での居場所のなさ、さみしさ、そういうものに一人の大人と一人の子供は共鳴していたのだ。

実華子は幼かった知明の逃げ場だっただけでなく、今のかれの仕事のきっかけを作ってくれたひとでもある。実華子の家にある一冊の料理本が、知明の人生を変えた。子供にもわかるやさしい言葉で書かれた本を偶然手にとったかれは、その本に夢中になり、調理師になった。のみならず、高揚している知明に実華子がファンレターを書くように薦めたことがきっかけで、その著者である皐月と長い間文通にも似た手紙のやりとりを続け、かれは今皐月の弟子の仕事をしている。

彼女と別れたことで仕方がなく戻った実家の居心地の悪さ、慈雨の家のキッチンの雰囲気、なにより慈雨の言葉から伺える実華子への愛情、複合的な理由で知明は慈雨の家に居候することになった。翻訳家のかれは在宅で仕事をし、ろくに食事をせずに酒ばかり飲んでいる。知明はかれの食事を作り、掃除をし、庭のメンテナンスをする。そして二人で酒を飲んだり、なんでもない会話を交わす。なんてことのない雑談、慈雨の不親切で少ない言葉がぐさぐさ刺さってくるあたりがこの作者の技巧だと思う。雨と晴れの境目の話、モンローのレントゲンの話、生活の中にそっと混ぜられている話が魅力的で、いちいち好きだなあと思わされる。
一番印象的なのは、慈雨が見ていた映画から自然に流れる英語の発音の話だ。ウに濁点がついた音、vの音はあらゆるところで見かけるようになったけれど、日本人の多くはきちんと発音することができないのだと慈雨は言う。こんなに沢山目にするのに、それは日本ではやっぱりまだ「存在しない音」なのだ。幽霊みたいだ、とかれはいつもの皮肉っぽい物言いをして笑う。

優しいひとたちに囲まれたやりがいのある仕事、居心地の良い住まい、慈雨との会話、そういうものに満たされてもなお、知明には気になって仕方がないことがある。慈雨に聞きたくて、けれど怖くて聞けないことがある。酔った慈雨に持ちかけるのはためらわれて、知明は明日話す、と言った。それを慈雨も受け入れた。
けれどその「明日」に慈雨は帰ってこなかった。実際には日付が変わってから、泥酔して、連れの男・咲彦に介抱されながら帰ってきた。知明は腹を立てるけれど、かれの苛立ちはただ約束を反故にされたことによるものではない。自分が言いだしたときはすげなく断った雨漏りの修理を、酔っ払った慈雨が咲彦に無邪気に頼む姿や、実華子のことも知っているという咲彦の態度や、慈雨と男の精神的な距離の近さにかれは苛立っているのだ。そのことも、その理由もまだかれは知らない。
酔った慈雨に、知明は話そうとしていたことをたやすく言い当てられる。すなわち、自分が実華子の子なのではないか、ということ。やけに冷たい両親の態度や、実華子の優しく受け入れてくれる様子から思い当ったことであると同時に、それは知明の希望でもあった。まともな愛情を親から受けなかったことの理由、自分が誰かを愛することが不得意な理由、それが外部に明確なかたちであればいいという願いだ。
その切願は慈雨によって鼻で笑われて否定される。いくら年下だと言え知明は立派な大人だからオブラートに包んで優しく言う必要はない。なによりかれが知らない実華子の真実を知っている慈雨にとっては、見当はずれすぎて腹立たしさすら感じたのだろう。酒が入っていることを考慮しても、慈雨の言葉はきつかった。

翌朝、寝ぼけた慈雨に、「咲彦と間違えて」キスをされた知明は、色々なことを一気に知る。慈雨がゲイであること、咲彦は元恋人で、慈雨と別れて結婚したこと、実華子と慈雨の関係は失恋したもの同士の結婚であったこと。一晩明けてもまだ気持ちが収まっていないところで衝撃の真実に出くわした知明は動揺し、慈雨を罵る。実華子も承諾して結婚したこと、彼女が慈雨といて本当に幸せだったことを知っている知明にはそんな資格はない。けれど慈雨は反論しなかった。関係ない、自分と実華子の問題だ、と言えばいいのに、かれは言い返さなかった。
行き場のない、辻褄の合わない自分勝手なかれの怒りを昇華したのは、皐月が話す家族の話と、咲彦が見せてくれた慈雨のコラムだ。この、もう長くない実華子のことを書いた短いコラムが凄くいい。なんでもない夫婦のちょっとしたやりとり、二人だけが分かるわざと直さないままの勘違い、分かっててつく嘘、その言葉から、慈雨にとっていかに実華子が大切な存在だったのかが分かる。そこに燃えるような恋愛感情がなくても、周囲を跳ねのけるような独占欲がなくても、かれは確かに実華子を愛していた。それを見てしまえば、知明はもう怒れない。そもそもかれの怒りは、実華子が愛されていなかった・愛情が足りなかったという思いこみによるものなのだ。慈雨の愛情が分かってしまえば頭も冷える。

反省して慈雨の家に戻った知明に、慈雨は自分が「ウのてんてん」だと言う。かつて雑談の中で話題にした、存在するのは分かるのにきちんと発音できる人がとても少ない、存在しない音。まさに知られているのに理解されない幽霊のようだ、とかれは自嘲する。
ウの濁点は、「藍より甘く」でかつて遥が言った、「しっぽ」の比喩と同じだ。異性愛者の中、異性愛が普通でまっとうで、異性愛しか存在しないような輪の中で自分の居場所を確保できないかれら。それを遥は服を着たままでは見えない「しっぽ」と表現し、慈雨はたしかにそこにあるのに存在しない音として扱われる「ウのてんてん」と言った。loveに入っているvが発音できなくて、どんなに一生懸命発音してもrubととられてしまう。愛ではなくこする、だと受け止められてしまう。
それでもいい、と慈雨は言う。けれど、ときどき「さみしくて気が狂いそうになる」と。
元気なときはウの濁点、と言った慈雨が、弱るとウのてんてん、と零すところが凄く可愛くて、幼く見えて胸が痛くなる。さびしいじゃなくてさみしい、なのも余計に可哀そうでいい。

さみしさを誰もが抱えている。両親から望む愛情を受けなかった知明、家族に腫れもののように扱われた揚句恋人に捨てられた慈雨、同じく家族に排除された実華子。両親が離婚したことを引きずっている皐月。親のため自分のために、愛していた男を棄てて結婚した咲彦。殻の巻き方向の所為で番が見つからないカタツムリ。皆がどこかにさみしさを抱いて、慰め合ったり傷つけあったりして生きている。 
鼻歌をきっかけにした会話で、慈雨は言う。「孤独やさみしさじゃ誰も死ねない」と。まるでさみしさで死んでしまいたかったかのように。さみしさで死ぬことはできないから、かれはさみしいまま生きている。

知明の仕事についてきた慈雨が皐月を見たことで、事態は更に展開する。慈雨が言葉を濁した実華子の失恋の事実、料理をしない彼女の家で異彩を放つ料理本のこと、母が実華子を嫌悪した理由。実華子と皐月もまた、慈雨と咲彦のように、結婚のために別れた恋人同士であった。その事実を知った上で物語を読み進めると、些細な会話や疑問にならずに流していた事柄が腑に落ちる。
大失恋をしたレズビアンの女とゲイの男の結婚、というのは物語のオチとしてはありふれている。実は恋愛関係ではなかった、という事実発覚は、離婚歴のあるキャラにお馴染みのパターンだ。けれど慈雨は確かに実華子を愛していた。その愛を分析すれば友情になるのかもしれないが、そんなことがどうでもいいほどのつよい愛だった。その愛に実華子は救われたはずだし、慈雨も彼女の存在に救われ癒されていただろう。だからかれらの結婚は決して偽装結婚ではないし、そういう二人だからこそ分かりあえて結婚したんだろうけれど、このオチは少し拍子抜けした。勿論それを補って余りあるほどの愛情の描写があるのだけれど、お約束の展開になったという感想を持たずにはいられない。

さみしい知明はさみしい慈雨に出会って、かれを好きになった。かれのあらゆる面を短い期間で一気に見て、気づいたら好きになっていた。慈雨もまた、知明を好きだと思っていた。どこがどう、という具体的な話はない。いつから、なんていうこともない。ただ、畳みかけるように起こる変化の中でかれらが交わした会話を見ればわかる。哀しいとき、辛いとき、思いもよらない言葉をくれる相手。自分とはあまりに違いすぎて、いちいち言うことなすこと信じられなくて見ていたら好きになった。食の細い慈雨が喜ぶ料理をつくってやりたい、明日の朝も作ってやりたいと思う。酒とつまみがあれば良かったのに、知明のつくるものが一番美味しくて、それを明日の朝も食べたいと思う。それで十分だ。

「さみしさ」で瓦解した人間関係、「さみしさ」の中で育まれる人間関係。知明の親や慈雨の親のように、分かりあえない存在もある。だからこそ分かりあえることが奇跡みたいで、きらきらしている。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 21:49 | - | - |

薄桜鬼 碧血録 第十五話「遠き面影」

これまでの羅刹の最大の欠陥のひとつであった、日中行動できない・太陽の下で行動できないという点を克服した新しい羅刹を綱道は開発した。人間よりも力もすばやさも上で、回復が早く、なにより忠実な羅刹を用いて、綱道は雪村家の再興を目指さんとする。
開発を知らなかった不知火は怒る。知らなかったことではなく、自分よりも強いかもしれない存在が大量生産されていることでもなく、その非人道的な行いに怒る。そしてかれは、敵でありながらもその志を買っている原田に一時休戦を持ちかける。羅刹を倒さなければ、原田と自分のまっとうな戦いは出来そうもないからだ。いずれきちんと命をかけて戦うために、手を組んで共通の敵を倒すという行動は矛盾しているように見えるけれど、かれららしい。

山道を抜けようとする近藤と千鶴の前に、男の格好の薫が現れる。薫は自分が本当は男であること、千鶴の兄であること、綱道が千鶴や自分の実父ではないことなどを彼女に畳み掛けるように告げる。千鶴を救うために来た、とかれは言った。けれど薫の目標は、綱道ともども雪村家の再興にある。人間に滅ぼされた自分たちの家を復興するためには、当然、人間を滅ぼす必要がある。そのために綱道が作ったのが羅刹だ。薫が千鶴を、妹を救いたい気持ちは本物だろうけれど、それは千鶴の望むものではなかった。
千鶴に優しい言葉をかけて、一緒に行こう、とかれは言う。その言葉も表情も、離れ離れで暮らしていた妹への慈愛に満ちているように見える。けれど一方で、刀を抜いた近藤を容赦なく叩きのめす。千鶴が世話になっている新選組、千鶴が大好きな近藤を倒す。千鶴の幸せが何なのか、千鶴の哀しみが何なのか、薫は全く分かっていない。
千鶴には、近藤を守って生き抜くと土方と交わした約束がある。そのために彼女自ら刀を抜いた。既に手が震えている彼女が何かできるとは思えないし、やり手の薫に勝てる可能性は万に一つもないけれど、揃いの刀を向けられた薫の心は確かに傷を負った。
ルートによって薫の性格は微妙に変化する。全く千鶴と相容れない、非常に厄介な敵のときもあれば、敵として登場しても心の奥にどこか非情になりきれない気持ちを秘めた兄のときもある。なので、千鶴に真摯な目を向ける薫の本音がなかなか見えない。千鶴に刀を向けられた薫の表情は、傷ついて揺れるけれど、それが本当なのか疑ってしまう。優しくして千鶴を絆しておいて、一気に形勢逆転を狙っているのではないかと言う目を向けてしまう。
千鶴に刀を向けられた薫は応戦する。勿論かれがいとも簡単に千鶴を倒す。覚悟を決めてとどめをさそうとしたかれを後ろから刀で貫くのは、土方が準備した洋装に袖を通した、羅刹化した沖田だ。もとより訝っていた薫を見過ごせなかったのか、病床で苦しんでいたはずのかれが現れた。
しかし羅刹化したところで沖田の病態は悪いままだ。すぐに発作で人間に戻ってしまうかれに、「変若水じゃ労咳は治らない」と薫は笑う。近藤と千鶴が驚いていたけれど、近藤はここまで病名を知らなかったのかな。さすがに気づきそうなものだと思うのだけれど。一気に薫に刃を向けられる沖田を、近藤が助けようとしないのがちょっと哀しい。本人も満身創痍なのは分かるんだけれど、沖田の思いの強さを知っているだけにやるせないなあ。勿論沖田はそんなことちっとも望んでいないのだけれど。
その場を制するのは風間だ。鬼の誇りを忘れ、雪村の名を汚す薫をかれは許さなかった。このタイミングで出てきたということは、風間が沖田を死なせたくないと、心のどこかで思っていたということなのだろうか。沖田を殺した薫を殺すのではなく、沖田を殺す前にかれの命を奪ったことに意味があるといい。
地面に倒れこんだ薫は、這うようにして千鶴に近づく。この期に及んでも、まだ薫が何かしでかすのではないかと思ってしまう。命をかけた罠を張ろうとしているのではないか、と。しかし実際は、千鶴が兄と遊んだ幼い頃の楽しい思い出を回想するだけだ。薫に手を伸ばすけれど時は遅く、その指が薫に触れる前にかれは息絶える。いつも真っ直ぐな千鶴らしくない迷い、躊躇いが見られていい。
鬼の誇りを大切に思う風間は、このままいくと次は綱道に刃を向ける。そして父親がかれに敵うはずがない、と千鶴は思ったのだろう。風間が手を下す前に、話をする時間がほしいと彼女は主張する。

ひとまずの撤退を成功させ、身を寄せている旗本屋敷でまだ明るいうちから隊士たちは酒を飲む。このときは全員同じ洋装なのだけれど、それぞれが好きなように着こなしているのが制服のようでかわいい。着崩したりきっちり着たり。
相変わらず新八は近藤の不満をこぼす。原田が庇うけれど、お約束の応酬になるだけだし、その言葉にも力がない。もうどうしようもないところまで亀裂は入っている。
綱道のことで気を落としつつも、自分に出来ることをしようとしている千鶴を慰めるのは原田だ。一緒に元の家を訪ねてみたり、昔のように団子を食べようと誘ってみたりするけれど、慰める側のかれだって決していい精神状態ではない。思い出話をしながら、「少し前のことなのにあの頃が遠い昔みてえだ」というかれは、楽しかったあの頃にはもう戻れないこと、再び同じような時代は来ないであろうことを知っている。
団子を持って沖田の見舞いへ。明らかに体調が悪そうだけれど、沖田の世話って誰がしてるんだっけ…。帰り際、新八によろしくと言う沖田に、原田は一瞬返事に詰まる。沖田と新八が再会することがおそらくないだろうと思っているからか。

近藤が帰還したことを喜ぶ隊士たちの中、険しい顔をした新八が近藤を呼ぶ。ならば、と自分も向かう原田を見て、土方はお前もか、とだけ言った。話を聞く前から、またすべてを分かっている。その頭の良さや勘の鋭さはかれの長所だし、そのお陰で何度も勝利や成功を収めてきたのだけれど、かれ個人としては良いことばかりでもないんだろうと思わされる。

原田・永倉、離隊。
近藤との話し合いや、それを最初に聞かされたときの千鶴の驚きなどは描かれない。けれど、これまで散々近藤への不信感を滲ませていた新八たちの口ぶりや、以前斎藤と平助が離隊したときの千鶴の様子から想像できる。
離れていくことを決めた新八は、もう近藤のことをとやかく言ったりはしない。ただ後悔しないために自分の思う道を行くのだ、と笑うかれの態度は清々しい。守ってやりたがったが途中で放り出すみたいですまないな、と原田は笑う。平助のときと同じだ。千鶴を守ってやりたい気持ちは確かにあるけれど、かれらにはそれよりも優先すべきことがあるのだ。原田にしてみれば、千鶴を守るべき存在は自分ではないと分かっているというのもあるだろう。かれが言った「あの人」という言葉に動揺するような千鶴なのだ。自分の出る幕ではない、とも思っているだろう。
しかし原田との思い出回想、原田と新八二人との思い出回想はあるのに、新八と二人きりや原田がいない輪での回想がないあたりが物悲しい。これが攻略キャラと非攻略キャラの差ってやつなのか…。
別れを惜しむ千鶴に、同じ空の下でこれからも戦うんだ、と言って二人は去る。また会おうとも、また会えるとも言わない。偶然会う可能性は勿論ゼロではないけれど、限りなくゼロに近いし、偶然以外の理由で会う可能性は、きっとない。そうと知っていて去っていくふたり、そうと知っていて見送りに行かない平助、そうと知っていて笑顔で分かれる斎藤と島田。いろいろ。

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posted by: mngn1012 | 薄桜鬼 | 19:37 | - | - |

今日マチ子「cocoon」

今日マチ子「cocoon」
悪化して行く戦況の中、とうとうシマ一番の学校に通う女学生であるサンたちも、看護のために戦地へ駆り出される。

淡々とした絵柄で描かれる戦争の状況はとても凄惨で、思わず読むのを途中で辞めてしまいそうになる。白黒で描かれる紙の上から、赤黒い血が溢れだしてきそうだ。

この物語が第二次大戦中の沖縄を舞台にしていることは明らかだが、作品の中では敢えて地名や年代、それを示すようなことは描かれない。描かなくても伝わっているということもあるが、なにより、これは決して限定された場所や時代にのみ起きたこと、ではないのだ。世界のあらゆるところで、現在も含めたあらゆる時代に、戦争は在り続けている。

戦争が壊すものはいくらでもある。建物、畑、自然、命、心…その中で、何も持たない少女たちが守れるものは心だけだったのだと思う。他の被害は、彼女たちの力でどうすることもできない。だからこそ、彼女たちは心を守ることにした。
そのためにサンは考える。わたしたちは想像の繭に守られているのだ、と。自分たちと世界の間には目に見えない繭がある。その繭がいつも自分たちを守ってくれる。哀しいことや辛いことを想像で改変して正気を保ち、彼女たちは生きようとする。

少女たちはまだ世間を知らなくて、きたないものや恐ろしいものも知らない。だから彼女たちは必死に自分を守ろうとする。自分を脅かすものの正体が分からないからこそ、一切の妥協も油断もせずに自身の大切なものを守る。そのために命を失うことも辞さない。サンがマユたちと逃亡している途中、純潔を守るために集団自決する同世代の少女たちと出くわす場面がある。濁りがない少女たちのつよい意思を感じる言葉に一瞬サンは揺らぎそうになるが、理性を失った「白い影法師」に「純潔」を奪われてしまった彼女は、もはや自分にはその輪に入ることができないと思って逃げ出す。
輪に入れないと思ったのか、入りたくないと思ったのか。とにかく彼女は生を選択する。他の少女たちのように生命よりも純潔を優先しなかった彼女はすでに、少女の外へ足を踏み出していた。彼女をそうさせたのは白い影法師による凌辱であるとすれば皮肉なことだ。彼女の意思とは無関係のところで彼女の肉体が少女でなくなったことが、サンの心を少女の先へ進ませた。彼女を守っている少女の繭がほころび始める。
(一応注釈しておくと、わたし個人は強姦されたこと/合意でセックスすることで少女でなくなる・純潔でなくなる・汚れるとか一切思っていないし、そういう周囲からの意見や思想を憎んですらいる。ただかつて少女だったものとして、少女自身がそう感じてしまう感覚は理解できる)

少女特有の思い詰めた気持ち、愚かなまでの真剣さ、頑固さが描かれる一方で、少女らしい残酷さも描かれる。戦地へ赴いた少女たちは「お国のために」と看護に従事する。家族以外の男性と顔を合わせる機会も少ない中で、負傷した兵士たちの世話をする。壊死しかけている体を切断したり、傷口に這う虫を際限なく殺していったりする。裏で嘔吐しながら必死につとめる彼女たちは、休憩時間になると笑顔で雑談をすることもある。自分の容姿に自信があるために、ろくに話も聞かずずっと鏡を見ているような子もいる。それは今の女子高生と何ら変わらない。変わらないからこそ、今と違いすぎる環境ばかりがやるせない。
彼女たちの気持ちの切り替えは、ある種の残酷さすら感じられる。けれど切り替えがあるからこそひとは生きていける。切り替えられなくて正気を失ってしまう子がいる中、移り気な少女ならではの残個置くさが彼女たちを守っているのだ。

仲間が一人、また一人といなくなっていく中、サンはとうとう親友のマユと二人きりで行動する。まだ学校があったとき、長身でスポーツができるマユは格好良くて女生徒たちに人気だった。そんなマユが、平凡な自分と一番の友人であることがサンのちょっとした誇りだった。なぜマユが自分にそんなに優しいのか、と思いつつも、サンとマユはいつも一緒だった。ここへきてもマユはサンを庇ってくれる。サンを襲った影法師を裏で始末してくれ、どんなに爆撃がきても手を引いて走り抜けようとしてくれる。離れない、離さないと誓った手は、しかしながら離れるときを迎える。マユが爆撃されたのだ。サンは、自分よりも大柄なマユを何とか非難させ、友人を生かしたい一心で行動し、偶然マユの秘密を知ってしまった。
マユの真実については、なにも詳しいことは描かれない。ただそのことが無限に想像力を膨らませてくれる。サンはマユが大好きだったけれど、マユがサンに向ける好意はまた違ったものだったのだろう。帯に書かれた「憧れも、初戀も、爆撃も、死も」という言葉が、このマユの正体によって補完される。サンがマユに抱いたのは憧れだったけれど、マユがサンに向けた気持ち、それはたしかに初戀だったのだ。そしてマユが恋する相手に向けたのは、「サン 死ぬのは負けだ 繭を破ってふ化するんだ」という言葉だった。

繭の中にいる蚕はいずれサナギになる。蚕がつくった繭の生糸をとるとき、生糸を傷つけないように生きた繭をそのまま煮るという方法がある。勿論中にいる蚕は死んでしまう。けれど、生糸をとるために全ての蚕を殺してしまったら先がなくなるので、何頭かの蚕は生かして孵化させる必要がある。次のサイクルのために。次の時代、次の世代のために。
彼女たちは皆、心を守るために作った、想像の繭の中で生きる蚕だ。けれど蚕はいつまでも繭の中にいられない。繭ごと煮られていのちが終わるか、孵化して厳しい世界へ飛び立っていくか、そのどちらかしかない。それを身をもって体感したマユが言うのだ。何が起こっているのか分からないまま煮られて、やさしい繭の中で死ぬのは負けなのだ、と。どんなに辛い現実とも対峙して、生きるのだ、と。
マユは繭は、サンは蚕だ。サンは、自分を今まで守りつづけてくれたマユから孵化しなければならない。蚕が孵化するときに突き破られる繭のように、腹を爆撃で貫かれたマユを棄てて。

そして終戦を迎える。
サンは家族と再会し、優しい男性と恋愛関係を育まんとしている。目を覆いたくなるような惨状の中を生き伸び、友人という友人を悉く失った彼女は、笑顔でいる。彼女は想像の繭を出て、現実の中で孵化することに成功した。そして彼女は繭の中で死んでいった数え切れないほどの蚕の命を、望むと臨まざるとに関係なく背負って、次の世代へ命を繋いでゆく。

想像の繭の中で死ぬことも、現実の中で生きることも苦しい。想像の繭の中にいたころのほうが、穏やかな心でいられたかもしれない。けれどサンは生きた。ほぼ唯一生き残った彼女が発する言葉は、おそらく全ての仲間の言葉だろう。
「だけど ほんとうは だれも死にたくなんてなかった」
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 10:34 | - | - |

羽生山へび子「僕の先輩」

羽生山へび子「僕の先輩」
夏祭りで友人とはぐれ、不良に絡まれていたはじめは、通りがかった男に助けられる。不良たちに負けず劣らず悪そうな風体のその男は、はじめに恩を着せるでもなく、名前を聞かれても返事をせずにその場を立ち去った。男のことが忘れられないはじめは、高校の下駄箱でかれと偶然再会する。

表紙と帯を見てギャグだと思って読み始めたら実際ギャグで、気づいたら最後は泣きそうになっていた…恐ろしい…。

ぷくぷくした丸顔の高校生・はじめは、自分を助けてくれた男が、学校の不良からも一目置かれている・二宮だと知る。自分を助けてくれたかれに興味を持ち、恋をしたはじめは、滅多に学校に来ない二宮の情報を必死に仕入れ、かれとまた偶然すれ違えるように計画を練る。実際に顔を合わせればどこまでも追いかけていく。
自分よりもかなり大柄で、大体いつも一人で歩いている二宮がどんなにきつく怒鳴っても拒んでもはじめはめげない。危険な目に合おうとも、二宮に脅されようとも、まっすぐ正面から二宮を見つめ続ける。半端な嘘やごまかしは通用しないその眼の強さとかれの執念に、二宮が折れた。「せんぱい、せんぱい」と懐いてくる得体のしれない後輩をどう思ったのかはさておき、ひとまずはじめの気持ちをある程度尊重してくれる方向で二宮が対応してくる。
顔見知りとして、後輩として、友人として、恋人として、どの立場で受け入れたのかは分からない。けれど、いつものように煙草を吸いながら先に歩いて行こうとする二宮に向かってはじめが「待って」と言うまえに、角を曲がって少ししたところで二宮が少しこちらを振り返って待っている。ともかく二宮の中で、はじめの存在が受け入れられたのだ。

自分の危機を助けてくれた、一匹狼な不良に恋をした。ぶっきらぼうだけれど優しいかれは、前向きで行動派な自分のドジを笑ったり口で馬鹿にしたりしつつも、なにかあったら助けてくれる。かれは無口だけれど喋ると結構面白い。この展開、まさに少女漫画。
というわけで恋愛ものの王道をすがすがしいほどに踏襲しているのだけれど、読み応えがあるのは点在している小ネタが効いているからと、ろくに会話しない二宮の微妙な表情の変化やはじめの心情が丁寧に描かれているからだ。
ギャグ要素が強いので、ちょっとした言葉の選択や、小道具の名前なんかがいちいち面白い。自分を避けている二宮に向かってはじめが言った「僕ぁ 愛のハゲタカだよ!せんぱいが消耗するの待ってるんだ」に始まって、はじめのバイト先の名称やキャラの容姿、友人との雑談などがじわじわと効いてくる。二宮のバイト先の、熊の様な容姿の社長がピアノを習っていて、「土建界のショパン」と呼ばれているのが一番面白かった。着てるトレーナーも可笑しいよ社長!合コンのシーンは決して長々と書かれるわけでも、それほど本筋に重要なわけでもないんだけれど、書き文字のちょっとした台詞まで素晴らしい。サービス精神旺盛。
ギャグもさることながら恋愛もいい。はじめと二宮はあらゆる面で違いすぎる。両親と暮らし、そこそこ馬鹿もやるけれど決して常識を踏み外さない友人たちと一緒にいるはじめ。高校生でありながらすでに一人でアパート暮らしをし、舎弟らしき人間がたまに尋ねてくるだけの二宮。猪突猛進で鬱陶しいほどに前向きな努力家のはじめ。飄々と生きているようで、既に色々なことを諦めている、なるようになるしかないと悟っている二宮。話したいことや聞きたいことがたくさんあるはじめ。面倒だからすっとばしたい二宮。とにかく違いすぎるふたりは、何度も噛み合わなくなる。どちらかに非があるのではなく、思うままに行動すればすれ違ってしまうのだ。だからこそ分かりあおうとする。はじめの力技と根性、二宮の慣れない歩み寄りと優しさで二人は徐々に、二人だけの空気を作っていく。二人だけが通じ合える世界が出来て行く。ひとつひとつのエピソードがなんてことのない日常の中で生まれたものなんだけれど、とても重要で忘れられない思い出になる。理解できないことも、分かりすぎるくらい分かることも全部が大切だ。普段あんまり恋人同士のように振舞わない二人だけれど、たまに見えるラブの気配が可愛らしくてどきどきする。日常の延長線上にいきなりラブがやってくる。

徒歩でいつでも訪ねていける距離にある先輩の家に入り浸って、お弁当を食べたりゲームをしたりしている日常ははじめにとって最高に楽しいものだった。永遠に続くように見えたし、かれもそう思っていただろう。けれど実際二宮ははじめよりも先輩で、はじめよりも先に卒業する。卒業したあともかれの人生は続くのだから、何かしなければならない。大工のバイトしている二宮は、社長から、沖縄へ行かないかと持ちかけられる。
はじめと離れ離れになることに二宮は迷い、すぐに返事ができない。仕事としてはこの上なく成長できるいい話だけれど、即答できない。だからと言ってはじめに相談もしない。どころか、進路を聞かれたかれは、今の生活が続くと嘘をついてしまう。喜ぶはじめに対して表情が変わらない二宮が、それでも心底迷っていることが伝わってくる。
しかしはじめも沖縄行きの話を知っていた。知っていてかまをかけて、二宮がこのままだと言うので安堵していたのだ。更に二宮が考えを変えないように、何も知らないふりで口約束を取り付ける。ずるいのはお互い様だ。
どちらも悪くないし、どちらもずるい。いつまでも隠していられるものでもなくて、結局二宮は沖縄行きをはじめに打ち明ける。合間にそれまで通り挟まるギャグや小ネタが、この展開も日常の続きであることを教えてくれる。それが余計に切ない。

はじめに何かしてやりたいのに何をすべきか分からない、何かやりたいのに何もやれるものがない、と言う二宮は、かれが唯一持っているものをはじめにくれた。かれ自身だ。全部やる、という漠然とした言葉がストレートに胸にくる。「笑って待ってろ」という二宮の言葉で、かれがはじめをいかに理解しているか、はじめのどういうところを好きになったのかが痛いほどによく分かる。

ラストもいい。ここまで引っ張ってきた、培ってきた作品のテイストがあるからこそ問題なく受け入れられるラストだ。ギャグの強みがシリアスと良い具合に混ざっている。
笑って泣いて幸せになれる。表紙の印象のままなんだけれど、表紙の印象からは想像できない感動がそこにある!

***
作者のHPの「先輩と僕」というコンテンツに相関図とか番外編?とか色々あった。
HP:裏蛇船
ここの現在進行形で続いている「LOVE」がまた泣けるのでおすすめ。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 22:35 | - | - |

寿たらこ「SEX PISTOLS」6

寿たらこ「SEX PISTOLS」6

わたしはファンタジーが苦手だ。
理由はいくつもあるけれど、その中にどうしても「理解できない」というものがある。現実では起こりえない状況の設定や時間軸。辻褄が合っていないものを許容するのは容易ではないし、世界が難解なものは理解しきれなくて悔しい。最近は理解することを諦めて、その設定の上で起きるドラマだけを追うようなこともしているけれど、それでもやっぱり悔しい。
ただ「SEX PISTOLS」は理解できないことが面白いのだと思う。人物関係図を多用して語られてもなお、かれらの関係は難解だ。かれらは何しろ男女、男同士、女同士を問わずに妊娠出産が可能だ。そして複数のパートナーを持つことや、複数の相手と子供を持つことへの背徳がない。性別を問わずに妊娠出産が可能ということは、一人の人間が妊娠する事も相手を妊娠させることも可能、ということだ。実際斑目巻尾は米国の母であり、愛美の父であるし、マクシミリアン・シーモアは米国の父であり、英国の母なのだ。結局だれとだれが兄弟なのか、だれとだれが親子なのかがよく分からないことになる。
輪をかけて難解なのが斑類の世界だ。こちらもピラミッドやキャラからノリ夫への説明として何度となく語られているのだけれど、謎が多いこともあって、理解が難しい。普通の家庭に育ったノリ夫が困惑しっぱなしなのもよく分かる。どんどん新しい設定や話が出てくるので、最初から綿密に全て練られていたのか、それとも新しく思いついて追加されていくものなのかは正直疑わしい。実際設定の綻びも見られる。しかし話が滞るようなミスがなければまあいいか、と思えてしまう。それくらいにこの物語は魅力的だ。

余りにも価値観が違いすぎてすれ違っていたノリ夫と国政の関係は、課題はあれども良好なものに戻った。それぞれのカップルもパートナーのもとに収まっている。そして今回は新しい物語の兆しがいくつも見える。その兆しが非常に不穏で、翳りがあってたまらない。

いつもの自信満々で高慢な物言いをしないどころか、ノリ夫に縋るように結婚を持ち出した国政の不安の正体は気になるけれど、ノリ夫がどこまでもまっすぐ国政を好きなので、根拠はないけれど大丈夫だと思わせてくれる。かれの感覚のまともさと頑固さが、最終的には国政を明るいところへ必ず引っ張っていってくれるだろう。国政もそういう気持ちがあるから、年下で小柄で、まだ斑類の世界の恐ろしさを全然知らないノリ夫に頼ってしまう。体の大きなかれが弱っているのがかわいい。

ノリ夫の親友で、ザ・脇役!という顔の、というかタンタン以外の何者でもないはじめが物語に絡んでくる。かれが出会った「人魚」は、触れた相手と同じ顔を手に入れ、更には次に触れた相手と服を入れ替えた。これまでに出てきた斑類とは比べ物にならない能力を持っているかれは、屈託のなさと迷いのなさからしても、非常に上の位の存在なのだろう。猿人であるはじめとのバランスにせよ、はじめの性格にせよ、嫌な予感しかしないところが素晴らしい。

そして国政たちの兄である志信の物語。血気盛んな弟たちとは違い、非常に冷静な志信は、ノリ夫にも優しく接してくれた。気遣いができて丁寧で他人を慮ることができる、けれどきちんと主張はするし正すべきところは正す、立派な大人に見えた。見えすぎて、かれが斑類であることや、かれにもドラマがあることなど考えもしなかった。
その志信と因縁浅からぬ関係にあるのが、獅子と人魚の接木雑種(キメラ)だというヴァルネラだ。このヴァルネラが明らかにまともではないこと、狂気を孕んだ残酷性を持っていることが、志信の過去回想を見なくても伝わってくる。絶対こいつやばい、と本能にはたらきかけてくるような目をしている。落ち着きはらった志信と、存在するだけで毒みたいなヴァルネラの間になにがあったのか、これから何が起きるのか、ものすごく楽しみ…!
この接木雑種はWikiによると「異なる品種の作物を接ぎ木した結果、変異などにより、生じた新種」ということらしいので、ヴァルネラが新種なことは分かるんだけれど、その読み方に「キメラ」とふったことの意味も気になる。混血とはまた違うのだろう。

回想に出てくる志信たちの父・斑目国光も、ヴァルネラばりに危険な目をしていて、今後の展開にわくわくするし、ぞくぞくもする。嵐がもうすぐ来るのだ。嵐の前の静けさのような、台風の目の中にいるがゆえのひとときの安定のような、そういう一冊。このあとの嵐が何を壊すのか、何を明らかにするのか、悪い予感で胸が高鳴る。

「NATURAL DOGY'S DIARY」でも感じられた絵柄の変化は相変わらず。以前の繊細な絵のほうが好きだったけれど、最低限の荒い線で描かれるキメラや国光の恐ろしさはとてつもない。
番外編の短編はどれも微笑ましくて可愛かった。ハブとマングースはどっちもどっちでかわいらしい。

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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 15:29 | - | - |

D-BOYS STAGE 2010 trial-3「アメリカ」19時公演@森ノ宮ピロティホール/終演後トークショー

2010年のD-BOYS STAGEはテーマとメンバーを三つに分けて演じられた。第一弾は「笑える・友情・グッとくる」がキーになる「NOW LOADING」、第二弾は「感動・実話・スポーツ」の「ラストゲーム」、続く第三弾が「切ない・深い・リアル」の「アメリカ」だ。キーワードを見たときから、この第三弾が一番楽しみだった。

稔:柳下大
八田:加治将樹
池田:鈴木裕樹
森:植松俊介(シャカ)
佐々木:山田悠介
小田島:黒田大輔(THE SHAMPOO HAT)
宗教勧誘員A:長田奈麻(ナイロン100℃)
宗教勧誘員B:滝沢恵(THE SHAMPOO HAT)
引越屋:ブー藤原(超新塾)
隣人:廣川三憲(ナイロン100℃)
清:荒木宏文

THE SHAMPOO HATの舞台ほか、ドラマなどでも演じられてきた「アメリカ」。
二列目の真ん中あたりでした。
以下ネタバレ。
 
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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 19:00 | - | - |

和泉桂「終わりなき夜の果て」上

和泉桂「終わりなき夜の果て」上

清澗寺家シリーズ第六弾。
本当に待ってた…!!!07年8月に出た「紅楼の夜に罪を咬む」以来の新刊。とはいえ表題作は07年の時点で雑誌に発表されていた。作者のほかの著作などは刊行されていたし、清澗寺シリーズも第二部や過去編が雑誌に掲載されたり、作者による同人誌なども沢山出ていたので、何故これが今発売になるのかは分からない。作者のブログなどによれば、収録された書き下ろし自体も結構前に出来上がっていたようだし。
わたしがこのシリーズを好きになったときには既に「終わりなき夜の果て」が掲載されたリンクスは手に入らなかったので、ただただ待つのみ、という状態だった。古本屋などで地道に探してはいたんだけれど見つからず、一生読めないのではないかとすら思っていたよ…!!!

***
・「宵闇」
嵯峨野と貴久の掌編。官職を辞退して商売を始めようとしていることを咎める嵯峨野の言葉を、貴久は当然ながら聞かない。嵯峨野も嵯峨野で、本当にこの目の前の男が自分の意見に耳を貸して従うなどとは思ってもいない。貴久と親しい嵯峨野ですら、やっぱり貴久が何を考えているのかは分からなくて、そのことが口惜しかったりもどかしかったり、けれどどこかで諦めていたりする。そんな嵯峨野の、口に出さない葛藤を貴久は知っている。知っていて、何もしない。
しかし関係性は逆転するときもある。何を考えているのか、一人で無茶なことを始めようとしている貴久を知った嵯峨野は、貴久にも想像できなかった言葉を発する。嵯峨野にとって貴久が読めない男であるように、嵯峨野もまた、貴久にとって想像を越えたところを持つ男なのだ。だからこそかれは嵯峨野を気に入っているのだろう。
嵯峨野と貴久の間にある、言葉で表現できない濃厚な関係が凄くいい。肉体関係や恋愛関係には(おそらく)一度も陥らなかったからこその、えも言われぬ淫靡さに窒息しそう。

・「終わりなき夜の果て」前編
鞠子との婚約を解消したのち清澗寺家の養子となった深沢と和貴の関係は一見順調に見える。深沢の手腕によって清澗寺財閥は持ち直してきているし、兄の出奔のあと事実上一家の長におさまった和貴も仕事をこなしており、特に大きな問題はない。けれど和貴の心が完全に晴れることはない。どんなに深沢に尽くされても、朝起きて鏡を見るたびに父にそっくりの顔を見なければならない。そのたびに、幸福や充足や何も考えなくていい時間を与えられた夜を忘れて、和貴の心は曇ってしまう。自分でもいけないと分かっているのに、止められない。

和貴がそういう精神状態に陥るのは何も珍しいことではない。しかし今回は沢山の問題がかれを襲う。中国の抗日運動激化、いきなり現れて悪しざまに深沢を罵る義弟、暴漢に襲われ怪我をして帰宅する深沢、深沢の現状は外聞がよくないと揺さぶってくる久慈、冬貴のいきなりの入院、重なって起こるそれらの事態に、和貴の精神はどんどん追い詰められていく。
更に深沢の義弟・稔に呼び出されたことで状況は更に悪化する。家族の誇りであり、貧しい暮らしをしているかれらの希望であった深沢は、理想を抱いた政治家の卵を辞して、清澗寺家におさまった。たとえかれからの送金で大学進学がかなったとしても、それは稔にとって許せるものではなかった。ショックで父母が相次いでなくなったと聞かされれば、今まで深沢の家族のことなどまともに考えたこともなかった和貴が今まで通りに振舞えるはずがない。家族に複雑な思いを抱きながらも、家族に縛られている和貴をいつだって深沢は支えてくれた。けれどその深沢は和貴のために家族を棄てたのだ。

思い詰めた和貴は体調を壊し、伏見に助けられる。伏見との時間は心地よく、和貴をひととき癒してくれる。聡し、助け、優しくしてくれるけれど結局冬貴のもとへ帰る伏見とひととき一緒にいることは、この上なく気が楽なのだ。常識から見れば逸脱したスキンシップや、駆け引きめいた会話すら、二人にしてみれば家族のやりとりなのだろう。けれどそれは深沢には通用しない。否むしろ、深沢は誰よりもその絆を理解しているからこそ許さないのだ。
熱に浮かされている和貴を無理やり犯しながら罵る深沢の言葉と態度に、和貴が溜めこんでいた気持ちが爆発する。いつもはその方法によって和貴は澱を吐きだして楽になれるのだけれど、今回はどんどん苦しくなる。自分が大嫌いだという気持ち、深沢が好きでたまらないという気持ちを心底実感して号泣する和貴が哀しい。「せつなさは夜の媚薬」の終盤もそうだけれど、相手への愛情と別れなければならない事情の間で板挟みになっているところで、抱かれながら感情を暴発させるシーンが凄くいい。そして夜中に目を覚ました和貴は、苦しそうな表情をする深沢を盗み見て、心を決める。深沢を愛しているから、自分なんかがかれを繋ぎとめるべきではない。それはかれの周囲にいるかれを求めている、(自分なんかよりもよっぽど価値のある)ひとびとのためにも、(誰よりも愛している)かれ自身のためにもならない。遂に和貴は深沢の手を放す。

自分から深沢を追いだした和貴は、深沢に捨てられた心境に陥る。見事なまでのネガティブ思考は思わず笑ってしまいそうになるけれど、かれは心底本気なのだ。食べることも眠ることも難しくなり、酒量だけが増えて目に見えて弱っていく和貴を窘めるのはやはり伏見だ。伏見との会話で和貴は自分が何を思って行動に出たのかを再認識する。口にすることで気持ちが整理される。結局かれは、深沢を失う日が来るのが怖くて自分から投げ出したのだ。いつか来る(と信じている)その日を怯えるくらいなら、今終わらせてしまおうと思ったのだ。その考えを和貴は間違っていると思わない。けれど哀しみは日ごとに募る。深沢の名前を呼んで泣きだす和貴は情けなくてばかで可愛い。

自分が清澗寺であることを受け入れ、許せるようになるには深沢が恒常的に必要だった。それを失った今、和貴の足元は不安定なものに戻る。父の入院で実感した、父が死ねば自分が清澗寺を背負わなければならないという不安は、上海にいる道貴が行方不明だという電報を受け取ったことで増大する。いずれ訪れるであろう父亡き後、清澗寺が自分だけになること・冬貴の血を引く人間が自分だけになることは耐えられないと和貴は思い始める。この辺の思考の飛びっぷりがまた和貴。明るくて家族思いの弟の生死が不明であることの不安も勿論あるのに、自分の保身ばかり考えているような気になって、また落ち込んでしまうあたりもまた和貴。
その不安に駆られて、誰にも知らせず危険な上海へ向かう和貴に気付いたのは、離れて暮らす深沢だけだった。確信を持って駅に来た深沢は和貴をつかまえる。そんなドラマティックな展開が、不自然に思えないのが深沢という男だ。かれにつれられるまま和貴は金沢、能登へ向かう。

故郷の険しい道を歩きながら深沢が初めて語る、かれの凄惨な過去がひどくかれに似合う。最初からどこか達観していたような深沢は、幼いころに地獄を見てきたのだ。貧しい家庭に生まれ、父亡きあと支え合って暮らしていた母に一方的に捨てられた深沢は養子に出た。養父母も義弟も優しい人格者だったとかれは語る。そのあと木島に見出されて東京へ出てきたかれが、出会ったばかりの和貴に語っていた理想がある。生まれながらの貧富の差が一生を決める現状はおかしい、その仕組みを変えたい、と深沢は言っていた。その時期のかれの振る舞いは、和貴を安堵させ、自分を軽視させるための作戦だったけれど、この思想が全く嘘だとはどうしても思えない。社会制度を変革させるために志した政治家の道を自ら絶ったけれど、深沢の中にはそういうものが残っていると思えて仕方がない。冬貴のために何もかもを棄てた伏見とは、深沢はまたちょっと違うように見える。その焔が完全に消えていない様子を見てみたい。
深沢が語るかれが背負ってきたものは、和貴のためにかれが捨てたものでもある。その重みを痛感する和貴に、深沢は今すぐかれを壊すこと、深沢の手でかれを殺すことをほのめかす。それは和貴がずっとどこかで望んでいたことでもある。何度も深沢が解放してくれた、けれどそのつど襲ってくる死の魅力。逃れきれなかった和貴は深沢にゆっくり首を絞められてゆく。深沢によって全てが終わらされる、全てから解放されることは和貴にとってこの上ない幸福だ。けれど、かれが口にした、和貴のあとを自分も負うとう言葉に和貴は思いとどまる。深沢を死なせたくないと和貴は思う。そのためならばどんなに苦しくても生きていられると、かれを生かすために絶望の中で前進できると思う。その気持ちは、かつて深沢が抱いた気持ちと同じものだと、かれはいつか知るだろうか。生きたいと初めて心の底から思えた和貴の言葉に、深沢が泣いた。和貴の前では完璧な人間のようだった深沢がおそらく初めて見せた弱さだ。死の呪縛から解放されない和貴を時に甘やかし、時に傷つけて何とか生きるように仕向けてきた深沢も、限界のところにいたのだ。

下の名前で呼び合うところがかわいくていい。呼び捨てにされただけでときめいてしまう和貴さまはばかでかわいい。深沢さんのいいところは、あんなに鬼畜眼鏡なのに下の名前が女性っぽいところだと思う。そんなやりとりの中で、和貴は「清澗寺和貴でよかった」と実感する。かれが清澗寺和貴だから深沢と出会えたのだ。これまでのことを思うと、そのあまりに単純な境地に和貴が到達できたことに泣ける…。
自分をようやく受け入れられた和貴は自宅へ戻る。ここで生きていくのだという覚悟を持って。
そしてすごくいいところで以下続刊!

・「罪の褥を満たす愛」
箱根での一件の翌年の、伏見と冬貴の中編。
名目だけ伏見を結婚させたいと嵯峨野に話をもちかけられた冬貴は、それを拒絶する。しかし嵯峨野とて、単に恋人同士の間にもめごとを作りたいわけではない。伏見が独身のままでは、かれの今後に影響が出るのだ。かれを守るために、結婚しているという事実が必要なのだとなおも食い下がってくる嵯峨野を一蹴して冬貴は言う。自分が伏見を守る、と。
華族とは言え社会的な地位は地に落ちっぱなし、腕力も権力も持たない冬貴が持っているものは肉体と心だ。そして心は既に伏見にやってしまったため、現状のかれが持っているのは肉体だけだ。そのことを冬貴は理解しており、微塵も恥じたり傷ついたりもしない。これが和貴との決定的な差なのだろう。持っているものが肉体なら、その肉体を使うのみだ。

相変わらず忙しい伏見との逢瀬を続けながら、冬貴は片岡という学生と知りあう。冬貴に一目ぼれでもしたのか、あからさまに不自然なアプローチをしてきた片岡を冬貴は特に拒まなかった。冬貴の噂を知っていてもかれに惹かれるものは後を絶たない。そして冬貴がそれらをつまみ食いしていることもまた、今に始まったことではない。だから誰も、伏見ですら、そのことに取り立てて注目しなかった。
生真面目な片岡が冬貴に熱弁して貸してくれた雑誌に目を通しているとき、そこに恋文が挟んであるのを冬貴は見つける。床に落ちたそれをかれは気に止めることもなく、踏みつけて立ち去る。手紙なんかよりも一時のぬくもりのほうがましだ、と思いながら。冬貴がかつて伏見から届いた手紙をひとつのこらず保管して、何度も読み返していたことを思うと、何を考えているのか分かりにくいかれの本心が見えてくる。こんなにも伏見だけが特別だ。

片岡は冬貴の美しさに心奪われてかれに近づいたわけではなかった。華族制度の廃止を謳う集団に属しているかれは、伏見経由で嵯峨野を揺さぶるために冬貴に近づいたのだ。実際華族制度について、冬貴相手に色々と語ったりもしている。けれど誤算だったのは、かれが本当に冬貴に魅入られてしまったことだ。何もかも捨てて冬貴とともに生きたいと、独りよがりで思いこんでしまったことだ。
それに気づいた仲間たちが冬貴を誘拐する。自由を奪われ罵られ、複数によってたかって凌辱されたところで動じる冬貴ではない。どころか、何もかも不利な状況のかれのほうが余裕にすら見える。このあたりも同じように誘拐された和貴とは全然違う。
そして全ては冬貴の思った通りに展開する。冬貴がそうさせる。

嵯峨野の挑発に乗せられた結果、そういう事態を引き起こした冬貴だが、勿論伏見はそのことを知らない。必死に事件を揉み消そうとするかれを助けてくれるのは嵯峨野だ。その代わり、自分がもってきた結婚話をうけるように、という条件つきだ。片岡たち集団の一件を裏で牛耳っていたことも含めて、嵯峨野の狸っぷりが素晴らしい。
しかし冬貴はやっぱりそれも上回る。というより、かれには普通の理屈や駆け引きが通じない。一筋縄ではいかない嵯峨野が、自分に持ち出した話とは違う話を伏見に持ち出すことに真正面から怒ったりはしない。ただ刀を抜いて、結婚するなら殺す、と伏見に言うだけだ。そうすれば端から結婚する気のない伏見よりも、嵯峨野を揺さぶれる。伏見が名ばかりの結婚をするより、伏見(と自分)が死んだほうがいいのだ。結婚したあとも何らふたりの関係は制限されないと分かっていても、冬貴は死を選ぶ。この話の通じなさが冬貴で、この潔さが冬貴だ。

「罪の褥も濡れる夜」を読んだとき、冬貴のことが理解できそうでいまいち理解できなかった。腑に落ちないというか、輪郭がぼんやりしているような印象があった。けれどこの話を読むと、冬貴がどういう人間なのか非常によく分かる。人の話の裏の裏まで見透かして、使えるものを最大限に利用するかれは、伏見のことだけを考えている。伏見が自分のために兄を売ったことも、未だに罪悪感を覚えていることも知っている。完治はしないが年月とともに癒えてゆく傷口を開かないためになら、かれは何だってする。分かりにくいようで誰よりも分かりやすい。

・「滴る蜜」
「終わりなき夜の果て」前編で明かされた、裏で深沢と和貴の間を裂こうと画策していた久慈の一件のその後の話。というか名前で呼ぶことにでれでれしている恋人同士の話。「呼ばなくて結構」と言った一分後には「呼んでください」と言う深沢さんの無茶苦茶さ…すてき…。

***
取り敢えずは待て後編なんだけれど、和貴と深沢の話がひと段落ついたことにおおいに感動した。待ちすぎて勝手に自分の中でどんどん期待値が膨らんでいることは自覚していたし、そこまで期待してそれほどでもなかったらどうしようなんて思っていたんだけれど、期待以上でした。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 14:13 | - | - |

薄桜鬼 碧血録 第十四話「蹉跌の回廊」

病床の沖田は、近くに置かれた自分用の洋服を見て、土方と千鶴が訪ねてきたときのことを思い出す。
近藤とともに甲州へ向かう、と知らせにきた土方を沖田は責める。それは怪我から復帰したばかりのかれを連れての遠出への怒りだけれど、自分が行かれないことへの憤りや、土方が行けることへの嫉妬、新選組と離れることへの不安などがあるのだろう。もはや隠せないほどに体調が悪い表情で、自分が近藤を守るんだと立ち上がろうとする沖田は痛々しい。近藤は沖田に甘いけれど、沖田もまた近藤に甘いというか、近藤のことになると冷静な判断ができなくなる。
今のかれは土方の言うとおり「足手まとい」にしかならない。沖田本人だって分かっていることをはっきり言ってかれの動きを止めてから、「待ってるぞ」と言う土方のアメムチっぷりが素晴らしい…。しかも無意識でやってるからな…。

故郷の日野でもてなされる近藤を置いて、一行は甲府へ向かう。宴席に出てばかりの近藤は危機感がないと不満を抱く新八、故郷だから仕方がないと情にあつい原田、新しい隊士への配慮だととりなす土方。どれが真実なのかは近藤のみぞ知る、むしろ近藤自身にも分かっていないのか。全部あるんだろう。
そんな中斎藤は、今回の戦に勝てると思っているのかと土方に聞く。その質問自体、斎藤がそう思っていないこと・思えないでいることの表明だ。そして土方もまた、難しいだろうと素直に答える。そのことが千鶴には信じられない。戦に勝てないかもしれないと思いながら戦うことも、思っているのに戦うために前進することも。

夜、ひとり陣を抜け出す斎藤を見かけた千鶴はそっとついていく。気配に気づいた斎藤に叱られるところなんかは斎藤ルート。薄桜鬼のアニメは、土方メインで進んでいることに間違いはないけれど、他の隊士をおろそかにしないのがいい。絵柄にクセはあるけれど、ほんとに丁寧に愛情を持って作られていると実感できるいいアニメだよ…。
死ぬことではなく、信じているものを見失うのが恐ろしい、と斎藤は言う。それはかれが信じているものを見失いそうだと実感しているということだ。一度は失ってしまった「本当の強さ」の答え、新選組に入って取り戻したその答えを斎藤は見失いそうになっている。新八や原田のように口に出して誰かにぶつけることをしない分、かれの不安はこれまで拭われずにきた。斎藤の揺れに気づけないから、誰も斎藤を落ち着ける答えをくれない。本人は自身で見つけるべきだと思っているんだろうけれど、それだけでは保ちきれないところにまで来たのだ。
そして不安を打ち明けられた千鶴が、斎藤に答えをくれる。刀が必要なくなっても斎藤が必要なくなるわけではない。大切なのは武士の魂だ、と。

守るために向かっている甲府城が既に敵の手の中であることが判明する。中腰で松明持ってる千鶴がちょっとカワイイ。
ここは一端退くべきだという新八・原田に対して、近藤は飽くまで交戦の構えを崩さない。その理由が、お上に命令されている任務だから退却すれば面目が立たないというものだから、かれらは呆れてしまう。近藤の権威欲や名声欲が透けて見える。それが真実かどうかは問題ではなく、かれらにはもはや近藤は「そう見える」のだ。
鳥羽伏見の戦いを経験していないからそんなことが言えるのだ、と新八は尚も食い下がる。新しい武器の威力を目の当たりにしたかれらには、いかに現状が不利で勝ち目がないかが実感できる。けれど近藤にはその感覚がない。それでも進むのだという近藤は、ひとり守っている和服と相俟って、とても時代遅れに見えてしまう。ついこの間まで皆が髪を伸ばして和装だったのにおかしなものだ。時代の流れはあまりに早く、そしてほんの僅かな過去にすら戻れない。
喧々諤々の討論を収めたのはやっぱり土方だった。援軍を呼んでくるから交戦してくれというかれの意見に、「あんたが言うなら」と新八は話を呑んだ。土方の言うことならば聞こう、信じよう、という風潮が強まっている。精神的支柱の近藤と、実際の策を練る土方という役割分担から、土方に全てが預けられるように変化している。いずれは他の道を選ぶことになる原田・新八と近藤の間に、徐々に亀裂が入っていく様子が丁寧に描かれているのもいい。

見送りにきた千鶴に、土方はここを離れろと言った。しかし新選組の力になりたいから行きたくないと彼女は主張し、頭を下げる。ここで頭を深々と下げた千鶴に対しては土方も何も言わないんだなあ。前回あんなに頭を下げるなと言ってたのに。
必死で主張する彼女に、土方は二つの命令を下す。ひとつは近藤を守れというもの。そしてもう一つは、絶対に死ぬなというもの。命を懸けて守ることと楯になって守ることは、たぶんきっと、絶対的に違うのだ。
千鶴の小太刀と金打したあとに、武士が誓いを立てるときにするものだ、と説明する土方の、ちょっと違和感のある物言いがすごくいい。自分が「本物の武士」ではないことを苦笑いしてはいるけれど、卑屈な感じはない。こういう細かい芝居が…!

戦はかれらの多くが見込んだとおり勝てるようなものではなかった。どんどん死んでいく隊士を見て、撤退命令を出せと言う原田・新八の言葉にも近藤は耳を貸さない。
どころか総大将自ら突撃をして銃撃をくらい、命を投げ打った隊士に庇われて助かる始末だ。自分に寄りかかる、もはや息絶えた隊士を見て、近藤はようやく戦場を見る。刀の時代の終わり、それは気合いや根性の時代の終わりでもあった。近藤が信じて、必死で上り詰めようとしていた時代の終わりだ。自分の古いこだわりがどれほどの被害を出したのかということと、信じていたものが終わったことに呆然とした近藤は、遂に撤退を決める。
しかしかれ本人は撤退をしようとしない。多くの部下を死なせて生きて帰れるか、と死を決意したかれからは、優しくて思いやりのある近藤らしい罪悪感よりも、逃避の願いが強く滲んでいる。
そうだと知っていて千鶴は、生きてくださいと言う。最初からずっと暖かく接してくれた近藤を死なせたくないという気持ち、ひとはやり直せるという気持ち、そして土方との約束が彼女を突き動かす。「近藤さんを信じて死んでいった皆さんのために」生きろという彼女は優しいだけの、弱いだけの子供ではない。
そして近藤は生きることを決める。

撤退を決めたかれらの元に、いくつもの厄介な存在が現れる。原田の前にやってきた不知火、かれらごと巻き込もうとする、昼間に太陽の下をうろつける新型の羅刹。しかも傷を負っても異常な速さで修復するかれらが相手では勝ち目がない。
存在に驚くあまり、敵である不知火にどういうことなのかと原田が問い詰めるも、かれも本当に知らないようだ。しかし、ひとつだけ分かることがある。こんなことが出来るのは、こんな羅刹を開発できるのは、たったひとりだけだ。変若水を作った当の本人、雪村綱道だけだ。
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posted by: mngn1012 | 薄桜鬼 | 20:57 | - | - |