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砂原糖子「言ノ葉ノ世界」

砂原糖子「言ノ葉ノ世界」
生まれたときから人の心の声が聞こえる仮原は、家の前で交通事故に合う。車を運転していたのは大学准教授の藤野という男で、かれは仮原が初めて出会った、心の声と同じことばを音に出す人間だった。

タイトルでも分かる通り、「言ノ葉ノ花」の関連作。とは言え主役は両方とも今回初登場のキャラだ。スピンオフでも続編でもない。ただ、前作を先に読んでいるのといないのとでは、作品の味わい方がかなり違うと思うので、極力この先を読まずに、「〜花」を先に読むことをおすすめします。勿体ないよ絶対!あとCD<感想>もいいよ!わたしは正直原作よりCDで「〜花」を好きになったので、本気でおすすめする。
同人誌「言ノ葉日和」<感想>もいいよ!

「言ノ葉ノ花」は人の心の声が聞こえるという特殊なちからを持ってしまったために、他者と関係を築くことができなくなってしまった男の話だった。うわべでは笑っている人間が、腹の中で考えている内容のひどさに嫌気がさし、怖くなって逃げた余村和明の物語だった。
「言ノ葉ノ世界」はその余村と、心の声を聞かれても構わないから余村と一緒にいたいと願った長谷部の暮らす世界のパラレルワールドが舞台になっている。パラレルワールドだという話は砂原さんのブログを見て知っていたのだが、その意味が分かるのは後半になってからだ。

生まれつき人の心の声が聞こえる仮原は、そのちからを最大限に利用した生活を送っていた。麻雀をすれば勝てるだけでなく、ほどほどに調整して他人と揉めない程度に稼ぐこともできる。現在は、親切にしてやった赤の他人の老婆が遺してくれた店を経営している。長年不思議な能力と共存せざるをえなかったかれは、それをうまく使いこなしている。
ろくに努力しないまま仕事と家を手に入れ、今もまたちからによって小銭を稼いでいるかれは、しかしながら決して幸福そうではない。店兼家の前で勝手に占いをやっているホームレスの男を始めとして、あれこれと苛立っている。
藤野との出会いもまた、かれを苛立たせるものだった。足を怪我したことのみならず、誠心誠意対応してくる藤野の態度にも仮原は腹を立てる。藤野は本当に申し訳なく思っており、きちんと最後まで責任を取ろうと決めている。慇懃な仮原の対応にも気分を害さず、どこまでも紳士的だ。声も、心の声も。
藤野の様子を仮原は「歌う」ようだと思った。現実の声と心の声が輪唱しているかのように重なっているからだ。そのことが仮原を不安にする。人間は誰しも裏表があるものだと、仮原はこれまでの人生で嫌というほど思い知った。だからこそ裏表がない藤野が不気味に思えるのだ。裏表がない人間を怪しんで疑ってしまう仮原の性格は哀しいけれど、それはかればかりが悪いわけではない。
仮原はとにかく藤野を気にし始める。最初は不快感や疑いから。その後はかれ自身にも説明できない衝動で。藤野を酷いめに合わせることで、異なる裏と表をかれの中にも見出したいのか、それとも、どんなめに合ってもかれだけは大丈夫だと確信したいのか。とにかく仮原は思いつきで行動し、藤野の反応に一喜一憂するようになる。
寝るようになってからも、気持ちを伝え合って付き合い始めてからも、仮原の行動には一貫性がない。というよりも、どうしようもない焦燥感がかれを駆り立てる。短気なうえに思いやりに欠けるかれに振り回される藤野は気の毒だが、本当に哀れなのはそうする他に方法を知らない仮原だ。
藤野になってしまいたい、と考える仮原の精神はとうに限界まで来ていると思う。けれどかれはそのことに気づかない。周囲に気づいてくれるような友人も、家族もない。いるのは藤野だけだ。

仮原の不安定さは、藤野のまっすぐさが支えてくれる。これまでの経験からあまり自分に自信のもてない藤野の臆病さは、かれの希望を察知できる仮原が叶えてくれる。ぎこちなくて割れ鍋に綴じ蓋なきらいのある二人だけれど、多分これでちょうどいいのだろう。

***
店兼家の軒下で占いの商売をやるホームレスに、仮原は冷たかった。もともと店の持ち主だった女性に許可を貰って商売をしているという男に対して、今の持ち主は自分だから許可が欲しければ土下座しろと言い、生きてゆくために仕方がなく頭をさげた男を嘲笑した。それでも男は仮原の家の前にいた。
藤野にひどく当たった日の翌日、男の憎まれ口に仮原はなんとなく返事をしてしまった。なんでもないはずの会話から、男は仮原の能力を察知した。そのことを指摘してくる男に苛立って、仮原が「誰なんだお前は」と問うと、男の心が名前を名乗った。「アキムラカズヨ」と。
アキムラカズヨは、ヨムラカズアキのアナグラムだ。その名前を見てようやく、「パラレルワールド」という説明の意味がわかった。別に二人が出てこなかろうと、同じ能力者がいるべつの世界でも良いんじゃないかと思っていたのだが、この存在で合点がいく。
アキムラカズヨは、自分も仮原と同じ能力を持っていたのだと語る。そしてそれはなくなってしまった、とも。その時は藤野のことで混乱していたこともあり、その話をまともに受けなかった仮原は、その後自分の力をなくしたいと願うようになり、アキムラを尋ねる。何がきっかけで力を失ったのだと問う仮原に、アキムラは「幸福だった」からと答えた。そして力の所為で恋人と上手くいかなかったのだろうという断定を、心の底から否定した。かれはアキムラを振ったりしなかった。アキムラの力を疎んだりもしなかった。ただ、アキムラが逃げたのだ。恐ろしくなって逃げたのだ。
幸福に満たされて能力を失ったあと逃げ出したのだとすれば、おそらく仕事に自信が持てなくなったころで、かれが新人の女性と仲良くしているのを見た時期だろう。思わず会社をずる休みするまでになっていた余村を長谷部がつかまえて、誤解は解かれた。しかしアキムラはそこに至る前に逃げ出したのだろう。もしもあの場で余村が長谷部の言葉に耳を貸さなかったら。心の声が聞こえなくなったことで何も信じられなくなり、ずっと一緒にいた長谷部の言葉すら信じられなくなっていたら、アキムラになっていたのだろう。
「〜花」で長谷部の心が離れていくのを感じ取った余村が、遠くへ行きたいと願ったシーンがある。誰の心の声も聞かなくていいところへ行きたい、と。貯金を食いつぶして、なくなったら自殺すればいい、などと考えながらも、自分にはそんな決断はできないことも余村は知っていた。適当に仕事を探して稼いで逃げる、の繰り返しだと分かっていた。まさにアキムラはその生活を続けてきたのだろう。貯金はなくなり、年齢はいき、とうとう住むところすら失ったまま、かれは生きている。
アキムラは決して仮原を好きではなかった。傍若無人で傲慢で、唯一の宝物すらかれに捨てられてしまった。けれどそれでもどこかで、昔の自分のように迷ったり不安になっているかれに同情する気持ちもあった。次から次へと最低な行動をする仮原の所為で、感情は持続しないけれど。アキムラの忠告が効いたのか、仮原は勇気を出して幸福になる努力をした。かれはこのまま幸せになるのだろう。アキムラだけが残されたままだ。
そしてエピローグ。淋しいと膝を抱えたアキムラの元に、迎えがくる。「探しましたよ」とかれは言う。アキムラが数年前に家を尋ねて行ったときはすでにそこに暮らしていなかったというかれが、これまで何をしていたのかは分からないけれど、たぶんずっと探していたのだろう。十年もの間、ひとりの男を追い続けたのだろう。かれはそういう男だ。そしてアキムラは、あの時言えなかった言葉を告げる。

このエピローグでこの二人に持って行かれたような気もする。良かったねヨムラさん、じゃなくてアキムラさん!

人の心が読める、という設定は決して珍しいものではない。創作の中に出てくるいわゆる「超能力」としては非常にポピュラーなものだ。ただこのシリーズでは、その設定を使って何かを解決したり何かと戦うのではなく、それが日常を生きて恋愛をするうえで障害になる、ということを描いている。勿論そういう話は他にもあるんだろうけれど、その困難さに傷ついて運命を呪いつつも諦めきれず、必死に恋をするところがすごく好きだ。全体に漂う空気も重たくてじめっとしているのに、優しい。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 21:45 | - | - |

ゲキ×シネ「朧の森に棲む鬼」

劇団☆新感線の「朧の森に棲む鬼」のゲキシネ。

咄嗟に思いつく嘘の才能だけを頼りに、弟分・キンタと彷徨い続けているライは、朧の森で三人のオボロと取引をする。この国の王になるというライの望みをかなえる代わりに、オボロたちはライの命を要求する。得体の知れない魔物と取引をしたライは、オボロたちが差し出した刀と舌先三寸を武器に、のし上がってゆく。

作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
ライ:市川染五郎
キンタ:阿倍サダヲ
ツナ:秋山奈津子
シュテン:真木よう子
シキブ:高田聖子
ウラベ:栗根まこと
サダミツ:小須田康人
イチノオオキミ:田山涼成
マダレ:古田新太

休憩を挟んで三時間ほど。冒頭に染五郎さんの挨拶が流れる。とにかくものすごい悪者で、演じていて楽しかった、とのこと。

朧の森でライが出会ったのは三人のオボロ。仮面の下に、それぞれ美しい女の顔を隠しているオボロたちは、強欲で嘘つきの悪人・ライと取引をした。ライの望みである、エイアン国の王になることをかなえてやる代わりに、ライの命を要求したのだ。それも単なる命ではない。誰よりも欲深いライが自ら絶つ、かれの命。何がどうなろうと自殺するようなタマではないライは、その取引をすぐに呑んだ。
それぞれ異なる顔を持つオボロたちは、自分たちと同じ顔の女にライがこの先出会う事を予言した。そしてオボロたちから与えられたのは、嘘だけでここまでやってきたかれの舌が動くのと同じ速さで動く剣。その剣で、これから現れる男を殺すことが、かれの望みを成就させるための第一歩だといわれたライは、迷いなくその後現れた武将を殺した。

ライが殺した男は、エイアン国の四天王の一人でありながら、敵対するオーエ国と通じている将軍・ヤスマサだった。かれの持ち物で事情を悟ったライは、ヤスマサを迎えにきたオーエ国の党首シュテンとその配下に舌先三寸で取り入ることに成功する。ヤスマサと密書でのみ連絡を取り合っていたシュテンたちは、ヤスマサの容貌を知らなかったのだ。疑り深いシュテンたちを、舌先三寸で納得させるライは凄い。
棟梁である少女・シュテンは、三人のオボロのうちの一人と同じ顔をしている。まだ若く美しい彼女は、ライの言葉に納得し、義兄弟となることを懇願する。彼女が持っている木人形に、それぞれの血を塗りつけることで成立する「「血人形の契り」はオーエ国のならわしなのだという。それを果たしたライに満足したシュテンは、エイアン国内部から指示を出すライに従うことにする。
遠方から見ている舞台であればまだしも、映画館の大スクリーンで見ておきながら、シュテンが真木よう子だと気付かなかった…!ちょっと硬いというか、滑舌がもどかしい。わたしがシャキシャキ喋る人が好きだというだけなのだが。しかしやっぱり凄くきれい。

シュテンたちから受け取った大量の金を持って、エイアン国へ移動したライとキンタは、暗黒街ラジョウへ向かう。そこに検非違使たちがいきなり現れ、盗賊を探しにきたという。ここに逃げてきたことは間違いないと主張する検非違使たちを統率するのは、四天王のひとりツナ将軍だ。彼女もまた、オボロの一人と同じ顔をしている。
いかにも真面目で一本気な性格をしているツナは脅しにも退かないが、結局はラジョウを取り仕切っているマダレに諌められてしまう。マダレの手管と、仲間たちからの信頼を見たライは、かれと手を組むためにひと芝居打つことにする。

マダレと協力する取りきめを結んだライは、今度はツナの元へ行く。赴いた戦地で夫が亡くなった哀しみを表に出さず耐える彼女を、国王イチノオオキミの愛人であるシキブが慰める。今は立場が違うけれど、昔は友人だったのだ。こんなときくらい辛い気持ちを打ち明けてくれと言うシキブの思いやりを有りがたく受け取っておいて、それでも心の距離を埋めないツナ。彼女が立ち去ってしまったあと、シキブは吐き捨てるように、そんなツナが嫌いなのだと言う。オオキミの前ではハイテンションで甘ったれの、句を詠むのが得意なだけのバカ女のふりをしているシキブの変わり身が怖い。
シキブの元を退散したツナを待っていた人物がいる。ライだ。ヤスマサが率いていた軍隊に所属していたと自称したライは、死の間際にあったヤスマサからツナ宛の伝言を預かったと嘘をついて、ツナの心に入り込んだ。ツナを守れとヤスマサが言ったのだと主張して、かれはキンタともどもツナの元で働くことに成功した。
すると、ライの存在を聞きつけたシキブからお呼びがかかる。このシキブが、オボロと同じ顔をもつ三人衆の最後の一人だった。実は裏でヤスマサと通じていたシキブは、死の間際に自分にも何か伝言があったはずだとライに詰め寄る。またもや事情を察知したライは口八丁でその場を乗り切り、シキブの心にすら入り込む。

検非違使のツナ、ツナに嫉妬するオオキミの愛人シキブ、エイアン国と敵対しているオーエ国の党首シュテン、そして盗賊の元締めであるラジョウのまとめ役マダレ。それらとそれぞれ繋がったライは、どんどん国で名を上げる。盗賊マダレから貰った情報に従って検非違使として盗賊を逮捕する。シュテンたちに命令して、ヤスマサの部下たちは皆殺しにした。ひとかけらの迷いもないその姿は、見事としか言いようがない。強がっているけれど本当は弱くて脆いツナも、道化の振りをしているけれどしたたかなシキブも、真剣に国を思うシュテンも、ライの心には響かない。全てのひとの事情を知った上で、かれはそれを無残に引き裂く。
そしてそれは、女たちだけではなかった。
ライを信用しきれなかったシュテンたちは、エイアン国の様子を知り、ライの状況を知る。うまいことばかり言うかれに自分達が利用されていたのだと気付いたシュテンは、以前ライと契りを交わした血人情の秘密を語る。人形を傷つけると、人形に塗られた血をもつ人間にも同じ傷を負わせられるのだという。それでライを牛耳った気でいるシュテンに、さすがに一本取られたとばかりにライはうなだれる。そして、どうせなら一息に殺すのではなく、じわじわ傷つけて殺せと言う。手始めに眼を傷つけてはどうだと言うかれの言葉に翻弄されて、シュテンは言われるがまま人形の眼に当たる部分に刃を下した。人形の眼が潰れる。
そして叫び声をあげたのは、キンタだった。契りの話が出たときに何か嫌な予感を感じていたライは、手元にあった巾着に沁みこんでいたキンタの血を代わりに塗ったのだと言う。笑いながら言うライに、キンタは絶望と悲しみと怒りで混乱している。どんなときでもライと一緒にいた。頭の悪いキンタはライに叱られることもよくあったけれど、その代わり腕がたつので何度もライを助けたことがあった。二人は持ちつ持たれつ、相棒のようにうまくやってきたはずだ。けれど、ライにとってキンタはそうではなかったらしい。いつか決定的に利用するために、残しておいたコマだったのだ。

キンタを失い、シュテンを捕らえたライはどんどん暴走する。既に四天王の一人は罠にはめて殺しているし、シキブを使ってイチノオオキミをも殺させた。
シキブがオオキミを殺すところが凄くいい。いつも通り仲良く振る舞い、オオキミの杯に酒を注ぐシキブ。自分は飲んだふりで捨ててしまい、あとはオオキミに飲ませるだけだ。杯に手をやるオオキミのことを何度も振り返って見てしまうシキブの動きはあからさまに怪しい。いくらオオキミがのんびりしていて愚鈍なところがあるとは言え、異変に気づかないはずがない。
最近句を詠まないね、とオオキミがシキブに言う。そうかしら、と気もそぞろのシキブに、何か詠んでくれとオオキミが頼む。命令でもねだりでもなく、普通の夫妻の様な気安さで。シキブは必死になって考えた揚句、前半の彼女からはかけ離れた句を一句詠んだ。それがしっくりこない様子のオオキミは、シキブのことを凄く理解しているのだ。そして凄く、愛しているのだ。シキブはたくさん恋をするといいよ、と優しくいって、「じゃあこれ、飲むから」とオオキミはわざわざ前置きをした。かれは知っている。自分の持つ杯に入っているものの正体を。それを注いだシキブの本音を。知っていて、飲む。それがかれの愛情か。それとも絶望か。
血を吐いて死んだオオキミに縋って、シキブはなんども謝罪する。後悔ではないけれど、今になってようやく、自分が物凄く大変なことをしたのだと気付いたかのようだ。けれど、時間は戻らない。なによりシキブはもう、後戻りできない。
動転するシキブが求めているものは、ライだ。ライが優しく自分を褒めてくれて、手を汚した自分に感謝して、何より愛してくれることを望んでいる。けれどライはすぐにシキブを裏切り、簡単に片付けてしまう。ライはどんどん周囲の人間を失いながら、のぼりつめてゆく。とうとうかれはエイアンの国王にまで辿りついたのだ。

頑ななツナを陥落すべく尽力しているライは、ある事情から、彼女の腕に入った入れ墨のことを知る。彼女の生き別れの兄にも同じ入れ墨があることを聴いたライは、マダレに、入れ墨を入れるよう命令する。何かのときにきっと役にたつと、かれは確信していた。暗黒街をおさめる、盗賊の頭と兄妹であるということは、彼女の弱みになる。実際それは役にたったのだ。
しかしそれは諸刃の剣だった。ライを疑っていたツナは、シュテンやこれまでライに加担した人間の証言によって、かれの悪事を知る。知られたからには生かしておけないと、シュテンもろともツナを葬ろうとするライを止めたのはマダレだった。実はマダレの腕にある入れ墨は、ライに命じられて入れたものではなかった。もともとかれの腕にあったものだった。それはつまり、マダレとツナが真実の兄妹だと言うことに他ならない。ライが吐いた嘘は真実だった。嘘だけで登ってきた男が、真実を口にしてしまった。
それがきっかけなのか、ライの栄華はこれを機に衰え始める。

マダレとツナの連合軍、視力を失ったあとも生き続けてきたキンタによってライは追い詰められてゆく。かれを苦しめたのは、キンタに一瞬見せた優しさだった。本当は殺せば良かったはずなのに、ライは敢えて挑発するようなことをシュテンに言って、血人形の首ではなく眼を斬らせた。あの時放っておけば、シュテンは首を飛ばしていたはずだ。けれどライはそうさせなかった。キンタを失いたくないという気持ちが働いたのか、それとも単なる気まぐれだったのか。ともあれキンタを嵌めておきながら生かしてしまったことが、ライを死に追いやった。かれは自分の責によって死んだのだ。

とにかくライが最低の鬼畜で痛快だった。同情なんてできない、ひとつも庇える長所のないろくでなし。最悪の男。だけれどとてつもない早さで回る舌が綴る嘘は真実にしか聞こえないし、騙されてみたくなる。前半はとにかく最低の人間だったけれど、後半はそこに更に女を片っ端から利用する最低の男としての面も出てくる。いやらしくて卑怯で、けれど女はつい信じてしまう。
キンタも凄く良かった。視力を奪われるまでは、とにかくお調子者でバカだけど良い奴、という感じだったけれど、視力を失ってからは悟りのようなものを開いている。その変化に不自然さがないところが上手い。魅力的で哀しい、可愛いけれど可哀そうな、そんな男だった。

ラスト、雨の中森の奥へ向かうシーンでは、実際にステージ上に雨が降っている。ざあざあと音をたてる土砂降りの中を、ライはどんどん入ってゆく。映像で見ても凄かったので、実際に見たらもっと凄かっただろう。見ごたえがあった。

一瞬の優しさが命取りになった。そのことと、ライが自ら命を絶つことはイコールではないように思うのだけれど、とにかくライが極悪で格好良かったのでよしとしよう。痛快!

終演後も染五郎さんのアナウンスあり。面白かったら他の人にもおすすめしてね、というような内容で、「あなたの染五郎でした」と終わる。

***
映画館を出たら大雨で、なんとなくシンクロしたような気持ちになった。嬉しくないけれど、ちょっとうれしい。








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posted by: mngn1012 | 映像作品 | 22:50 | - | - |

小説Dear+ 2010 ナツ号

小説Dear+ 2010 ナツ号

・一穂ミチ「meet,again.」
「雪よ林檎の香のごとく」<感想>のスピンオフ。
一穂さんのブログで林檎のスピンオフが掲載されていると知ったのだが、その時最初に思いついたキャラが栫で、そのあとすぐに、「栫に恋愛が出来るのか」とも思った。志緒に複雑な心情を抱いていた栫だが、かれを主人公に横恋慕して結局振られた当て馬キャラ、とくくって片付けるには無理がある。もっとややこしくてもっと面倒な、もっとおそろしい男だった。
イラスト担当の竹美家さんがあとがきコメントで、栫のことを「出た!恐怖ジグソーパズルの男」と言っているのだが、これがすごくしっくりきた。栫を形容することばとしてふさわしいのは「恐怖」だ。かれの整った容姿や穏やかで丁寧な物腰だけを見ていれば決してそんな風には思わないけれど、少しでもかれを理解しようと接したら、必ず感じてしまう。あの志緒ですら、「栫さんは、こわい人だ」と言ったのだ。

「meet,again.」はまさにそんな栫の話だった。
栫がどんな人とどんな風に出会えば恋ができるのだろうかと気になって、不安混じりではあったけれど、読んでみた。読み終わって分かった。誰かと簡単に恋の出来るような栫ではなかった。それこそが栫だった。

誰にも打ち明けられない悔恨を抱えて生きてはいるけれど、町村嵐はごく普通の青年だ。、大学生協でバイトをしながら、いずれは父の仕事を継ごうと思っている。かれはとある飲み会で栫に出会った。皆の輪の中にいながらどこか異質なにおいのする栫となんとなく話して、なんとなく知りあって、ともだち、のようなものになった。たまに飲みに行ったり、電話がかかってくるともだち。けれど栫の口調はいつまでも丁寧だけれど素っ気ない。

嵐の眼を通して見る栫は、志緒の眼を通して見た栫と大差ないように思える。丁寧で穏やかで誰にでも優しいけれど誰にも優しくない。冷たくて辛辣で、拭いきれない違和感のようなものが常に付きまとっている。つまり栫はちょっと変わった男だ。
そんな変わった男は、嵐の心のもろい部分にそっと触れてくる。嵐が弱っているとき、恩着せがましくない情をくれる。栫にしか出せない雰囲気、空気を次第に嵐は心地よく感じるようになる。誰にも見せられなかった弱い気持ちや涙も、栫にならば見せられた。自分の中の澱をうまく解放させてくれる栫に嵐は感謝し、好意を抱いた。
けれどそれは栫のジグソーパズルに他ならなかった。八割までが楽しくて、あとは惰性だと言っていたパズル。かけらを絵にしていくことが楽しいだけで、完成品には興味がないと言いきったパズル。嵐という、集団の中にいてもすこし浮いたところのある人間は、栫にとって非常に興味深い存在だったのだろう。かれが隠しているものを、そうとは気取られないように探り、町村嵐を作り上げてゆく。最後のピースは、嵐自身も覚えていない、栫の記憶だ。
嵐が心を許しきったところで、栫はパズルを壊した。嵐の一番よわいところに土足で踏み込んで、一気に蹴散らした。よくもまあここまで残酷になれるものだと、五年もともだち関係を続けていたのに一ミリの迷いもなくぶち壊した栫に感動さえ、する。

それでも嵐は栫を諦めきれなかった。恋愛という意味ではなく、もっとひろく、もっと原始的な気持ちで栫のことが知りたいと思った。嵐の執念が暴いたものは、栫の凄絶な過去と現在だった。
嵐が抱えていたものもすこしばかりファンタジックな、重たい過去だった。栫も同じく作り物めいた話なんだけれど、かれが語ると全てが真実なんだろうと思わされる。だからこそ、取り換えっこをしているうちに自分が「どちら」なのか分からなくなってしまったという栫の言葉に背筋が凍る。自分が誰なのか分からない、というどうしようもないあやふやさ。生きている自分がここにいるのに、どこにいるのかも生きているかもわからない「もうひとり」にかかりっきりになっている母親。愛想を尽かした父親。栫を構成するものはすべからく歪だ。だから栫がこうなったのだ、と結論づけるのは憚られるけれど、一因であることは間違いないだろう。
美夏が吹いているしゃぼん玉から、「しゃぼん玉」の曲の話になって、その歌詞の内容に言及されたところで栫が話をうまく切って話題を変える、というエピソードがある。そんな細かいやりとりにさえ栫の計算高さとやるせなさが滲んでいる。

決して明るくも希望に満ちてもいないけれど、これから先、が少しはあるように見えるラストになっている。だからと言って栫が嵐を好きになって、いつも一緒にいたいとか優しくしたいとか思うようになるのかと言われると、想像できない。栫はこのまま生きて、このまま死んでいきそうな気もするのだ。
明確な先は見えない。見えないことがいいのだと思う。
いつか文庫化されたとき、もしくは雑誌上などで、このふたりの話の続きが見られる日が来るのだろうか。先があるのならば、ちょっと見てみたい。

大学院生となった志緒も出てくる。林檎の冒頭では15歳だったかれが、大学院生だと言う。少なくとも七年は経過しているのだが、志緒は相変わらずだった。妹を迎えに来た場所で、栫と一緒にいる嵐と初めて会ったとき、志緒は遠慮なく嵐を警戒した。とても失礼な態度だし、非常に大人げないのだけれど、それでこそ志緒だという気がする。誰なのか分からないような人に、にこにこするような心をかれは持たない。それは礼儀だし常識だけれど、志緒にとっては鈍感さなのだろう。良い人なのか悪い人なのかもわからないのに、簡単に尻尾を振るような真似はしない。勿論外面だけよくしておいて、裏で舌を出すことも可能だけれど、志緒はそういうことをしない。まっすぐで誠実で刃物のように尖った志緒がすごくいい。
しかしかれは自分で相手に心を許せば、どこまでだって許してくれる。栫の過去を調べるために大学の図書館に入ろうとした嵐は、志緒に学生証を貸してくれと頼んだ。自分で頼んでおいて、志緒が迷わず差し出したことに驚いた。いくらでも悪用できるものを、理由も聞かず、見返りも求めずに志緒が貸したからだ。理由を聞かないことを指摘した嵐に向かってかれは言う。「理由に貸すんじゃない。町村さんに貸すんだ」と。このゆるぎなさ、迷わなさが志緒だ。志緒は志緒のまま大人になった。あの鋭利さはかれの若さゆえのものではなく、かれがかれであるがゆえのものだった。
志緒は栫の傍観者だ。「友達になる?」という志緒の誘いを栫が断ったからだ。それだけでなく、栫の歪みを本能的に察知した上で、自分にはどうすることもできないしどうにかする気もないと、一定の距離を保っているからだ。志緒は時間も労力も桂のためにだけ使いたいから、それでいいのだと思う。

面白かったと簡単には言えない、重くて心に響く話だった。
「朝から朝まで」に収録されている短編「between the night」を思い出した。犯罪の被害者である男と、かれをずっと追いかけてきた報道記者の短い話なのだが、頁数としては非常に短いその話も、同じように重たかった。そして凄く好きだった。
この話も重たいけれど、読み終わったあとも動揺がなかなか落ち着かなかったけれど、好き。


***
その他はダイジェストで。
・月村奎「すき」
コブつき担当編集者と小説家。コミュ力がなく、恋愛経験もろくにない小説家が、手練手管をいっさい使わずに正面から当たって砕ける。何度砕けても諦めきれなくてじめじめぶつかってくる。かわいい。面白かった!

・久我有加「わがまま天国」
人気タレントとマネージャー。タイトルの通りものすっごいわがままなタレントだった。超俺様かと思えば、甘えたの年下男。悪びれない。俺様はラストに痛い目にあってくれるなら幸せになっても許すけど、そうじゃないとなんとなく腑に落ちないので得意じゃない。話としては面白かったので嗜好の問題。

・いつき朔夜「つながりたい」
服飾科の優等生と、ストリートダンスが好きなちゃらんぽらん高校生。学祭のわくわく感と方言がカワイイ。優等生が秘めてる過去のおかしさとか寂しさも読みごたえがあった。

・清白ミユキ「恋の物件探します」
不動産屋と物件を探すサラリーマン。全体的にちょっとぎこちないというか固い感じ?はしたけれど、王道ラブストーリーには違いなし。ラストの台詞とか、ちょっとハーレクインがかったハッピーエンド。

・栗城偲「スイート×リスイート」
幼馴染みのパティシエと、とある事情で甘いものが苦手になった高校生。
庇護すべき対象だった幼馴染みが数年を経て変化したことに戸惑ったり、自分が抱えている秘密の所為で以前のように接することができなくて葛藤したりする主人公が可愛くて良い。重いエピソードと軽いエピソードの緩急が良い感じ。面白かった。
しかし主人公の高校生と同級生の親友の雑談で、「今時昭和生まれでも言わないよそんなこと」という台詞が出てきたことにひっくり返りそうになった。平成生まれどもめ…。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 22:56 | - | - |

KISS×KISS COLLECTION Vol.9「ツンデレキス」(神谷浩史)

今更ながら買ってみた。もともとこの手の語りかけCDはそれほど自分の中で優先順位が高くないことと、出た当時はほかに買うものが沢山あったのだ。それに伴って、聞くものが沢山あったのだ。
最近は尋常ならざる量のアニメで見ることができるのだけれど、そうなるとこういう毛色のものが恋しくなってくるという我儘っぷり。

主人公がシチュエーションでキスをする、そのシーンを切り取ったドラマ。今回の主役である兎狩咲夜という高校三年生は、CDのサブタイトルの通りツンデレである。
他のひとのCDは聞いていないのだけれど、キャストとタイトルからして、演者の得意ジャンル・有名ジャンル・人気ジャンルをテンプレ化した設定が与えられている様子。容姿もどことなく既存のキャラに似ていたりする。顕著なのはVol.6の小野さんの「バトラーキス」かな。一応バトラーと英語にしたもののまんま執事。ジャケ絵の雰囲気もなんていうか、飽くまで執事のあの人風味。
今回の主役咲夜は、青い姫カットで一見早乙女アルトのようだけれど、眼鏡といい横の髪の感じといい、ティエリア風味。
この商売をうまいと言うべきなのか、姑息と言うべきなのか、ともあれさまざまなシチュエーションの咲夜が堪能できる。

内容は上述の通りテンプレツンデレの咲夜が、最近告白されて付き合い始めた恋人と、ぎこちなさ全開の初々しい関係を続けていくもの。プライドが高くて偉そうなことばかり言っているけれど実は誰かと付き合うのは初めてで、緊張している。苦手なアトラクションにも無理をして参加しようとする。
キャラの身長体重誕生日なんていう細かい設定まで、ブックレットには書いてあるのだけれど、実際CDのなかでは殆ど触れられない。かれの名前が何であるのかすら、CDだけ聞いてるとよくわからない。おそらく故意なのだろう。一応キャラがいるけれど、そこは聞く人の想像を優先してくれそう。
そしてこれが故意なのかどうかはさっぱりわからないけれど、話しているかれを咲夜以外のキャラに置き換えることが可能なように、自分であるところの「咲夜と付き合い始めた恋人」が別に女の子じゃなくてもいいような代物になっている。そう思うと俄然たのしくなってきたぞ!

正直脚本に目新しさや、何か特筆すべき点はないのだけれど、たまにはこういう耳触りのものを味わってみたかったのだ。

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posted by: mngn1012 | 音源作品 | 23:29 | - | - |

野田地図(NODA・MAP)第15回公演「ザ・キャラクター」@東京芸術劇場 中ホール 19:00開演


以前行ったときは右端のポスターが気持ち悪いくらい貼られていた池袋駅だけれど、今回はこんな感じに。

芸術劇場の柱にあるポスター。銀粉蝶さんが稽古中に怪我をされて、高橋惠子さんにキャスト変更になったことが付け加えられている。

こちらはキャスト名の入ったポスター。

作・演出:野田秀樹
マドロミ:宮沢りえ
家元:古田新太
会計/ヘルメス:藤井隆
ダプネー:美波
アルゴス:池内博之
アポローン:チョウソンハ
新人:田中哲司
オバチャン:高橋惠子
家元夫人/ヘーラー:野田秀樹
古神/クロノス:橋爪功


以下ネタバレ。
未見の方、少しでも行こうか迷ってる方は極力見ないで頂きたいです。舞台の上で何もかもが解き明かされていくときの感覚が凄まじいので、それを極力無垢の状態で受け止めることをおすすめします。


戯曲はコレに載ってる。

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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 22:25 | - | - |

自販機、標識、バーテン服

二週間前に東京へ出張に行った。翌日、翌々日が休みだったので昼は友人と中野で同人誌を漁り、夜は別の友人と夕食をとってからカラオケでオールして朝帰宅するという、我ながら若いことをした。
カラオケは年に一回くらい行くものの大抵DSを対戦プレイするためなので、歌ったのは実に三年ぶりくらいだと思う。ちなみにわたしは、笑いが取れない程度の中途半端な音痴です。簡単な歌ならうたえるレベル。

そんなこんなで二泊三日で帰って来たのに飽き足らず、今日もまた東京にいます。一泊二日で芝居二本見るよ!
そもそも今回は自由時間があまりにも少ないうえに、ギリギリまで誰にも連絡していなかったので、一人でサクッと一泊して帰るつもりだった。しかしtwitterを見てたら、一時関東に帰国するたれさまに会うべくひーたそが東京入りするという。それを見たたまきさんが、たれさまとひーたそが会ってる姿をこっそり見ると言う。一応東京に行くことだけひーたそに伝えたら、わたしも傍観の会に加えられた。更にその予定をひーたそがmixiにアップしたら、試験で東京にいる厨が行きたいと言い出した。ひーたそがたれさまに話をして、遠目から眺めるのではなく一緒にランチすることに。
つまりあらゆる事情でたまたま東京にいる非東京人四人と、東京人一人が、初対面の間柄も多々ある中集合した、と、そういうわけです。何年か前にもあったなあこんなこと。もはや同じものを追いかけていた時代は遠くになりにけりだけど、集まるときは案外うまくいくものです。

まあ待ち合わせ場所に指定された目印が誰も分からない上、指定した当事者は軽く遅刻し、しかも後から目印が既にないと判明するという、素敵なオチつきだが。分からないなら分からないであらかじめ調べるなり主張するなりしないところがわたしたち。だって携帯電話あるし。ひーたそ遠くにいても分かるし。

五人で食事して、たれさまいるのに好き勝手バンギャル話して、お別れ。楽しかった!またこういう奇跡みたいな偶然があるといいな。居心地よすぎ。

そのあとはたまきさんと乙女ロードうはうはしてから、単身、芸術劇場へ。
池袋だからって自販機見てにやにやしたりしてないよ!標識見てキュンキュンしたりしてないよ!歩道橋と公園は見たよ!「静雄マジかわいい…」とは三回くらい言いました、すみません。
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posted by: mngn1012 | 日常 | 13:05 | - | - |

薄桜鬼 第十二話「剣戟の彼方」

最終回の舞台は、鳥羽伏見の戦いの真っ最中から幕を開ける。
千鶴は懸命に看病をして回る。心配でいても立ってもいられない彼女を落ち着かせるべく、かれらは本物の武士なのだから大丈夫だ、と井上が言ってくれる。しかし時代は既に、武士に優しい時代ではなかった。かれらが井上の言う「ほんものの」武士か否かに関わらず、敵の最終兵器である大量の銃に圧されていった。
それはまさに土方が吐き捨てた「もう刀や槍の時代じゃねえってこと」を意味している。悔しい思いは当然あれども即座にそう判断できるかれの冷静さ・明晰さがとても好きだけれど、同じくらい哀しい。
武士の命といわれる刀にすら固執しないようにみえる土方の行動は、百姓上がりだから・武士じゃないから、と言われることもあるだろうけれど、かれはそれを上回るくらい頭がきれるのだと思う。

一端撤退して、淀城へ援軍を頼むことを計画する土方。援軍を要請する役を買って出たのは千鶴だった。皆が命を賭けて戦っている中、安全な場所で看病をしている自分が、なにもしていないように感じたのだろう。戦いに疲れた面々をたとえ一時でも休ませたいという希望もあったのかもしれない。自分の身すら守れない少女の少々無茶な発案は、井上が同行することで許可された。
しかし淀城は既に寝返っており、かれらの味方にはなりえない。そのことを察知した井上は、即座に退却しようとするが、ここで千鶴が二の足を踏む。淀城に援軍を出してもらうことが、この敗北寸前の戦いの決定打になると分かっていたからこそ、彼女はすぐに戻れない。この場にいたって、たとえ彼女が説得したって何かが変わるわけではない。そのことは千鶴だって気づいている。どころか、銃をこちらに向けた男が淀城の中にいる。それでも駄々をこねる子供のように逡巡する千鶴を、井上が叱責した。千鶴の動揺を止めるために怒鳴ったあと、いつもの穏やかな声音に戻って彼女を納得させようとした井上が、そのとき、撃たれる。
井上の羽織からふたりが新選組だと判断した三人の男たちは、止めをさそうと近づいてくる。千鶴を逃がそうと前に出た井上は、もう自分が生きて帰れないことを知っている。彼女を守るために戦うのではなく、彼女を逃がすために時間を稼ぐのだと決意している。土方への伝言と言う名の遺言を遺して、かれは背を向ける。
源さんの殺され方も結構ムゴい。わたしはこのシーンで、命を賭けて逃がしてもらったにも関わらず逃げずに立ち尽くしている千鶴に対して、そんな簡単に逃げられるものではないと思いつつも結構苛立っていた。深手を負っているとはいえ、死と引き換えに井上が作ってくれた逃げ道を拒んだことだけでなく、二人とも死んでしまえば援軍を待っている隊士達への伝令がかなわなくなると彼女が考えないことにも、複雑な思いを持っていた。それは見殺しにできないという彼女の優しさだし、人の死や争いにそう簡単に順応できるものではないことも分かるけれど、腑に落ちないものがあった。しかしこの殺されるシーンを見ると、そりゃ逃げられないよな、と言う気持ちが改めて強くなる。仲間が、今さっきまで厳しく優しく接してくれていたひとが、三人がかりで惨殺される。簡単に走って逃げられるものではない。
井上を殺して自分に近づく男たちに、千鶴は刀を向けた。わたしたちは誰かの助けが必ず入ることを知っているけれど、当然千鶴本人は誰かが助けてくれると思っているわけでもない。それでも彼女は戦いに挑む。無茶だけれど。
助けに入ったのは風間だった。いとも容易く男たちを斬り捨てて千鶴の命を救った風間は、別に恩着せがましいことを言うわけでもない。わけあって薩摩についているかれは、薩長が官軍となったことを千鶴に伝える。嫌味な口ぶりではあるけれど、別にかれは薩摩の味方でも薩摩が好きなわけでもない。新選組が、人間が嫌いなだけだ。「所詮戦は略奪の大義名分だ」という風間の言葉からは人間に対する嫌悪と、失望が滲んでいる。

そして土方登場。ここでかれがひとり、他の仲間よりもかなり早く現れたことの理由は分からない。戻らない二人の様子を見に来たにしては少し早いし、そうであれば単身乗り込んでくるのはあまり賢明ではない。それほど必死だった、ということにしておくか。
井上の姿を見た土方は、風間を問い詰める。濡れ衣を着せられても風間が動じず、どころか肯定するような挑発をしたのは、かれが土方に負けるはずがないと確信しているからだ。そしてきっと、面白いから、どうでもいいから。
井上を無駄死にと言われた土方は激怒し、風間を追い詰める。その気迫に一瞬圧された風間は、鬼の姿を現した。姿だけでなく、強さも鬼と化した風間に、土方は太刀打ちできない。けれど、そこで引き下がるかれではない。懐から変若水を出してきた土方を見て、風間は更に軽蔑の色を濃くする。愚かだと言われた土方は動じない。これまで変若水を飲んできた連中がどうなったのか、知らないかれではない。自分だけは大丈夫だなんて思えるほど愚かでも楽観的でもない。それでも土方は迷わない。
「元から愚か者どもの集団だ」、「馬鹿げた夢を見てここまできた」のだと土方は笑う。井上が千鶴に託した土方への伝言にも、夢を見られたことへの謝意が込められていた。この時代、本来ならばかれらは夢を叶えることのまえに、夢を見ることすら叶わなかった人種なのだ。井上の言葉はまだ千鶴のもとにあるけれど、土方も同じ気持ちを抱いている。
「まがいもの」と侮蔑された土方は変若水を飲んだ。若干スーパーサイヤ人のような羅刹化を遂げたのち、「鬼のまがいもの」になったかれは、「散々武士のまがいものとして扱われてきた」自らを振り返る。どんな働きをしようと結果を出そうと、かれらは結局壬生狼と呼ばれ続けた。百姓あがりと馬鹿にされ続けた。その一方で、かれらは自らが侍であるという、揺らぐことなき自覚を持っている。武士たらんと振舞い続けた結果、真になったのだ。この一連の台詞は本当にすごく好きなので、アニメでも残っていてよかった。
苛烈になるばかりの戦いに、第三者が介入する。風間を制したのは天霧だった。そして山崎は、土方を身を賭して止めた。手足である自分達と違って、頭である土方がこんな体たらくでどうするんだと、体を張って深手を負って、それでも笑いながら山崎が土方を諌める。天霧の制止もあって、刀をしまった風間は、山崎について何か言うことはしない。かれの誠意を笑うことも侮蔑することもなく、「お互い」命拾いしたようだ、と言った。かれもまたぎりぎりのところで戦っていたのだ。こういうところで虚勢を張らないのが風間だ。嘘をついても刀を交えた土方には分かるし、なにより、偽りで固めたものに何の意味もないと知っているのだろう。

重傷を負った山崎を人に託したあと、土方たちはその場を掘り始める。志半ばで死んでいった仲間を埋める墓だ。おそらくそのあたりにある石で土を掘る隊士たちの顔は真剣で、けれどどこか慣れた風情がある。これが初めてではない、かれらの日常の中の一こまなのだと分かる。

淀を諦めたかれらは大坂へ。土方を待っていたのは、少しばかり回復した近藤と、既に将軍は江戸へ逃げていること、羅刹隊の多くが、銀の弾丸によってやられてしまったという暗い報告だった。羅刹が銀の弾に弱いということは、この攻撃によって得た知識のようだ。敵のほうが先に知っていたことになる。羅刹について、研究していた山南よりも詳しい人物が敵方に存在するということになる。

江戸へ向かう船の中。自分を看病してくれる千鶴に、山崎はこれから先の隊士の体調管理を委ねて、この世を去った。水を汲むために千鶴が背を向けた瞬間に、かれは逝った。そして振り返った千鶴の涙も叫びも、音にならない。
ここからの演出が更に重い。包帯で全身を巻いた山崎を、海へ流す。かれが水葬されたという話は「薄桜鬼」に限らずよく聞くけれど、実際に絵で見るとなかなか凄絶だ。腕を吊った近藤、平助に肩を借りた顔色の悪い沖田が甲板へ出てきて見送る姿もある。言葉を発するわけでもなく、土方や千鶴の後方にちらりと見えるだけの沖田だが、その顔色の悪さと表情から、かれの体調が悪化の一路を辿っていることが良く分かる。もう自分の力だけでは、立ち上がることも歩くことも難しいのだろう。

千鶴の眼は土方を追っている。泣きそうな、けれど決して泣かない土方の曖昧な表情もまた切ない。自分を庇って死んでいった男。自分の命令に忠実で、危険な偵察も、医療への転身もこなした男。その男が死んで、海の藻屑になっていく様子を、かれはどんな思いで見たのだろう。
犬死にだ、と悔しそうに言う新八に、千鶴は反発した。犬死になんかじゃないと主張するのはやりきれないからだ。自分が、なにより土方が。
不気味なほどにきれいな海を見て、喧嘩のやり直しだ、と土方は言う。「喧嘩」という響きはかれの本音だろう。幕府のために生きているわけでも、戦っているわけでもないと言い続けた土方の、新選組の本音だ。敵がいるから戦う。売られた喧嘩はどこまでだって買ってやる。ただ、それだけ。

***
いいアニメだった。ゲームが止め絵な上に非常に繊細できれいな絵柄であるので、作画がどうなるかと思ったりもしていたけれど、悪くなかった。何より、ゲームでは補いきれなかった各ルートのエピソードをうまく整合させ、かつ新しい細やかなエピソードで補完する流れがとても良かった。「薄桜鬼」を、そしてこの時代を理解して、愛している人が作っていると思わせてくれる構成だった。華やかだけれど浮ついていない、地に足のついた細かい改変はどれも原作を貶めるものではない。どころか、原作のもつ魅力を十二分に発揮させるものだった。面白かった!

案の定と言うべきか、秋から二期。洋装土方に胸が高鳴ったけれど、実際はこのあとどんどん暗く重くなる話である。仲間も減って行くし、近藤との別れだってあるのだろう。心して待とうと思う。

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posted by: mngn1012 | 薄桜鬼 | 01:56 | - | - |

アニメ『薄桜鬼』キャラクターCD 幕末花風抄 沖田総司

アニメ「薄桜鬼」キャラクターCD、沖田総司編。
こちらも語り二曲とドラマが一本。あとは語り曲のインストが二曲。

***
・「紅の雨」
嵐の前に散るであろう桜の花と、そう遠くない未来に消えてしまうであろう自分を重ねている沖田の心情を綴っている。「もうすぐ僕も散るよ」なんて、恨みがましくも嫌味たらしくもなく、さらっと言ってしまう辺りが非常に沖田だ。聞いている方は、それが真実であるゆえに何の言葉も返せないのだけれど。でも本人が「運命と笑えばいい」と言うのだ。桜が、天候の前で無力であるように、沖田もまた、自分を襲う病魔の前ではどうすることもできない。ちょうど雷がかれの上で落ちようとも、ようやくつぼみが開いたかと思ったら強い風が吹き荒れようとも、そこから逃げるすべはないのだ。

不治の病を前にした沖田の心はふたつだ。もはや恐れも迷いもない、来るべき死を受け入れるだけだという心。もうひとつは、かれが自身の存在価値だと思っている「敵を斬ること」を果たしてから死にたい、という心。それは決して両立できない望みだ。最後に残されたたった一つの願いさえ、病の前では叶えられない。そのことすら、沖田は知っているだろう。やるせない。

自分の名前も存在も忘れていいと言いながら、沖田は生きた証を残そうとする。それは新選組の、近藤の敵を自らの手で排除することに他ならない。あまり幸福な環境ではなかった幼少時代、かれを支えたのは近藤たちだ。そしてその後もずっと、沖田の支柱にあったのは近藤であり、新選組だ。それは間違いない。けれど、「僕には新選組があった」という語りはさすがにストレート過ぎるきらいがある。個人的にはもうちょっと遠回しというか、比喩っぽいほうが好き。

・「茫漠たる闇」
こちらも沖田が死を見つめている語り。「紅の雨」よりももっと病気が進んでいるのか、もはや戦いのことすら口にしなくなっている。穏やかな曲に合わせて、迫りくる死との対話。

死は闇で、その中に薄く残る光は、いずれ闇に飲みこまれる生命だ。闇を照らす力をもはや持たない僅かな、今にも消えてしまいそうな光は、沖田に自分を連想させる。もうすぐ闇に飲まれる自分を知っていて、それもいいと思い始めている。今のかれが抱えている、墨絵のような懊悩ごと闇は飲んでしまうだろう。
そうすればかれは楽になれる。

この曲だけでなく、沖田だけでなく全体的に言葉を飾る傾向にある「薄桜鬼」だけれど、この曲の語りはその特徴がかなり顕著だ。さすがにちょっとやりすぎというか、過剰かな、と思ってしまった。バンギャルが言うんだからよっぽどですよ!
かと思えば、自分の中にある感情が光によって明らかにされることを恐れ、「どうか照らさないで」とも口にする。打って変わって飾り気のない言葉、幼い子供の祈りのような口調も出る。同じことを何度も口にするかれの苦悩は素直でかわいい。
誰にも知られたくないと必死になって隠す、それを消せるのであればいっそ早く死んてしまいたいとすら願う、沖田の懊悩とは何なのか。生への欲求か、武士としての価値か、それとも。
普段ほとんど本音を口にしない沖田らしくないけれど、その一方で非常にかれらしくもある吐露。

・ミニドラマ「握り飯」
既に松本先生により病名を告知された沖田は、子供たちと遊ぶ約束を入れているが、体調が芳しくない。何とか起き上がって部屋から出ると、そこには千鶴が作った握り飯が用意されている。沖田が子供たちと遊ぶ予定があるのを知っている彼女が、子供たちの分も一緒に作ってくれたのだ。告知された瞬間を聞いてしまった千鶴が、動揺しながらも何か沖田の心を慰めようと考えたのだろう。その気遣いに少々癒された沖田は、平助と偶然顔を合わせる。

平助に予定を聞かれた沖田は、いつもの通り子供たちに「遊んでもらう」のだと言う。今更なので平助も、一応は突っ込むものの相手にしない。しかし千鶴の握り飯には思いっきり食いついた。子供の分を差し引いてもまだ余りがあると聞いた平助は、沖田の分になるであろうそれを賭けて勝負をしようと言ってくる。数に余裕があるので、一つ分けてくれって言えばいいのに…独り占めしたいのか。というか千鶴に作ってくれって言えばいいのに…言えたら平助じゃないよなあ。おくておくて!新八あたりは即座に頼み込んで作ってもらいそうです。
ジャンケンのようなゲームで勝負するのだけれど、ここで出てきた「国姓爺合戦」の単語に噴いた。教科書でしか見たことないよ!

握り飯を賭ける沖田に対して、最初、平助は何も賭けなかった。勝負の前に沖田に問われた平助は、負けないからいいんだ、と子供の理論を振りかざしただけだ。原田あたりなら聞いてくれるかもしれないが、通常の沖田であればそれを簡単に受け入れるとは思いがたい。
負けに負けた平助に対して沖田はひとつの条件を提示した。自分の言うことを一つきく、というものだ。性格がよろしくない沖田の出す命令は、勿論生易しいものではない。到底平助が出来そうもないものを羅列して困らせるだけ困らせたあと、かれは、「僕の代わりに子供たちと遊んでよ」と言った。それまでに挙げたことに比べればなんでもない、何てことのない課題だ。平助にしてみれば助け船のようなその提案は、それでも沖田には叶えられない願いだった。
沖田はこのために、最初の段階で賭け対象について言及しなかったのではないかとすら思えてくる。体調が悪くて遊べそうもないけれど、約束を楽しみにしている子供たちがいる、当日いきなり中止にはできない、だから代わりに遊んでほしいと頼んでいたら、きっと平助は引き受けただろう。沖田の病気を知らなくても、かれの調子がずっと芳しくないことは平助だって分かっている。平助が駄目でも他の誰かは、きっと代わってくれただろう。たとえ冗談で恩着せがましいことを言ったとしても、本心からそう思うような連中ではない。けれど沖田はそうしない。かれらが気のいい仲間だと知っていて、それでもこういう方法を取った。それはかれのプライドであり、気を使わせないための方法だ。食えない男。

平助と子供が遊んでいるのを沖田は見ている。普段の生活が嘘のように平和で、穏やかで、ゆっくり流れる時間は、これまでに何度もかれを救ったのだろう。「嘘みたいに」平和なひとときを実感することで息抜きをして、同時に、それを真実にすることを心に誓っていたのだろう。人を斬ることしかできないと嘯いていたかれが呟く理想にはっとさせられる。
平助との遊びを楽しみながらも、子供たちは沖田と遊びたがる。そしてかれは子供たちに、「よくなったら遊ぼ」と、叶わない約束をする。

店舗特典のドラマCDなどの沖田は大抵、しれっと余計なことを言ったり、悪びれずにひとの地雷を踏んだり、土方の俳句をからかったり土方の俳句を暗記して朗誦したり土方の俳句集を盗んだり土方の俳句集を餌に人を操ったりしている。かれのポジションは物事を引っ掻き回す悪ガキだ。そういう役回りになることが多いかれなので、迫ってくる死を受け入れながら生きている様子ばかりが描かれているのは珍しいと思う。集団の中にいて、次第に弱っていく沖田を描いているアニメ派生のCDならではかな。重いけれど好きだ。
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posted by: mngn1012 | 薄桜鬼 | 21:14 | - | - |

島本和彦「アオイホノオ」4

島本和彦「アオイホノオ」4

「アオイホノオ」は架空の人物である焔燃を主人公においた、フィクションだ。とは言えその大まかな流れは島本和彦本人が経験した青春に他ならない。物語のために事実とは異なるエピソードも多分に含まれていると言うけれど、基本的には実体験だ。
全く根拠はないけれど何故かかれの中に満ち満ちている自信と、それが真か偽かを確かめるような行動をしないことによって、焔はプライドを保っている。本気を出せば俺はできる、というのがかれの主張だ。ただ、さまざまな事情によってまだ本気を出していない。いつでもできるから、今はまだやらない。本人が自覚していたのかいなかったのかはさておき、臆病者が得意とする逃げ口上だ。オタクの常套手段と言ってもいい。行動に起こさないうちは自分の身の程を知らなくてすむし、知られなくてすむ。そうやって守られた場所にいて、行動している人間を上から評論家気どりで批判する。そのイタさが快感。

そうやって大学生活を送り続けてきた焔が、ようやく重すぎるほどに重い腰を上げ始めた。雑誌への投稿だ。当然ながら結果は出ない。自分の才能に全幅の信頼を置いていた焔の心が、ここで初めての大きな挫折を覚え、揺らぐ。かれが眼を伏せていた現実が、一気に眼の前にやってきた。
それでも一度に何もかもを受け入れられない焔は、あらゆる理屈や言い訳を用いて自分や、周囲の人間を誤魔化そうとする。誤魔化されてくれるものも、素直にそれを信じるものもあるけれど、かれが一番騙したいであろうかれ自身は、さすがに騙されてはくれなかった。
認めたくない気持ちと、真実との間で揺れる焔がいい。ようやくかれは、ひとつの殻を破るのだ。

一方で、焔と同じ大学に通う庵野秀明は絶好調だ。焔の眼を通して、たまにしか描かれない庵野ではあるけれど、かれが焔と違って他のことにわき目もふらず、創作を続けてきたであろうことは伺える。焔とは違いどんどん製作し、どんどん世界に出し、評価を受けてきた。
物語だけを追えば、庵野にとって他者の評価は二の次で、自身が納得するものを作りたいだけのように見える。自分の中に沸いてくるものを、次から次へとかたちにしているかのようだ。他人の目を意識するあまり素直に振舞えず、言い訳ばかり上手くなる焔と比べると、庵野は天才的で筋が通っていて格好良く見える。勿論かれにだって色々な計算や葛藤はあるだろうけれど、焔にはそれが分からない。焔に分からないということは、わたしたちにも分からないということなのだ。
登場直後からその特異性と才能を発揮していた庵野だけれど、今巻では更に凄まじい。おそらく真実に基づいているであろう庵野の作品は、格が違う。上級生の度肝すら抜いてしまう庵野の発表、そしてそれがマグレではないことを証明するかのような多作っぷりに、かれがこの頃から凄かったことを知る。何を考えているのかよくわからない庵野青年だからこそ余計に、その凄さが浮き彫りになる。
後半は庵野秀明物語のようであった。

自分や世間と向き合うことを始めたというか余儀なくされたというか、とにかく伏せ続けていた眼をようやっと開いた焔。まだまだよそ見してばかりだけれど、これからもっとひどい絶望を味わうのだろうけれど、楽しみ。恒例になりつつある、素人大学生によるあだち充批判も相変わらず冴えている。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 22:14 | - | - |

崎谷はるひ「やさしい傷跡」

崎谷はるひ「やさしい傷跡」
エンストした車を直すべく炎天下悪戦苦闘していた宙彦は、通りがかった志朗に助けられる。中古車ディーラーだと後で明かした志朗は親切に対応してくれたあと、貧血で倒れかけていた宙彦を家まで送り届けてくれた。その時に面倒を見てもらったことをきっかけに、志朗は宙彦の家に頻繁に訪れるようになる。

99年に発売されたノベルスの文庫化。改稿などはされていない。

炎天下、体調のことなど全く考えずに必死で車を直そうとしていた行動が示す通り、宙彦は地に足がついていないところがある。整ってはいるが血が通っていなそうに見える容貌の所為も相まって、かれは全体的に人間味がうすい。生きている感じが希薄なのだ。若いころに事故で家族を失くしたかれは、身の回りのことをしてくれるひとを雇って一切を委ね、金の無心をしてくる親戚を跳ねのけ、一人きりで生きている。
詳しい事情は分からなくても、宙彦の人となりや普段の生活を垣間見た志朗は、うすぼんやりと生きているかれの生活に介入してくるようになった。看病から始まったかれの世話焼きは、建てつけや庭の木の手入れなど、どんどん広がっていく。初っ端から自分を呼び捨てにし、遠慮のない関西弁でものを言う年下の志朗は、しかし宙彦にとって煩わしい存在ではなかった。ずけずけと心の中に入ってくるかと思えば、宙彦が踏み込まれたくない部分をきちんと理解して線をひく。のみならず、宙彦が気にしていることを見抜いて、フォローまでしてくれる。
がさつなようでいて繊細な男の訪問を宙彦は無意識のうちに喜んで受け入れるようになり、いつの間にか、かれが来ることを楽しみに待つようになった。口うるさく生活態度を叱られることも、かれならば嫌ではなかった。その一方で、いつまでこんな日々が送れるのかと言う寂寞感もある。自分と違って明るく人好きのするかれのことだ、もっと楽しい相手や面白いことを見つける日はそう遠くないだろう。その日が来ると思いながらも、宙彦は自分が志朗にどんどん熱っぽい感情を抱くことを止められない。

心ない強欲な親戚に傷つけられたくせに、自分に非があるような顔をする宙彦に、志朗は手を伸ばした。触ってもいいかと聞きながら、答えを聞く前に宙彦に触れたその手は、宙彦が拒んでも引っ込められなかった。宙彦の言葉が本音から来るものではないと分かっているからなのか、それとも、理性を失っていたからか。だめだ、という宙彦も理性をどこかへ飛ばし始めている。けれど言葉の代わりに態度で示される愛情は、きちんと相手に伝わっている。
このあたり、今の崎谷はるひだったらすれ違いそうだな、と思った。きちんと言葉にして伝えられない思いは、えてして誤解を招いてしまう。誤解した上で、それでも構わないから傍にいたいと思うがゆえの行動が更に泥沼、というのが近年のパターンだからだ。勿論不安も迷いも全くないわけではないけれど、心配をしつつもかれは志朗の人となりを信じている。自身がかれにとって信用に足る存在でないことは少しさびしいけれど、少なくとも志朗の気持ちを勝手に解釈したり、早とちりはしない。

そして志朗が巻き込まれた事件に関する一報が入る。言葉が足りない相手から来た連絡によって、宙彦は動転する。死にそうな思いで志朗のもとを訪れたかれを待っていたのは、元気な志朗の姿だった。聞いていた話とは全く違うその状況にすぐさま対応できない宙彦は茫然として、そのあと、自覚がないまま泣きだした。心配したのだ。それこそ、宙彦自身がどうにかなってしまうのではないかと思えるほどに、心配したのだ。
それでも宙彦は志朗を責めない。志朗に直接的な非がないとは言え、こういうときは心配したことを相手に強く言ってしまいがちだ。けれど宙彦は一切そうしない。自分が心配したことも、辛くて仕方がなかったことも、不安だったことも、自分の問題だ。ただ、志朗が目の前にいてくれることを喜ぶ。喜んで、泣く。そんなかれを、志朗が愛しく思わないはずがない。

崎谷はるひ作品としては非常にあっさりした、薄味の一冊だ。ページ数もさほど多くないし、今の作者であればこことここに波乱を挟んでくるんじゃないのかな、などと余計なことも考えてしまった。いくらでも問題にできそうなこと、揉め事に膨らみそうな火種はあるのだけれど、それは火種のまま物語から消えてゆく。だからと言って、物足りないとか不十分だとかそういうことではない。

どこか一歩引いたところから語られているような作風が、人との関わりの薄い浮世離れした宙彦に似合っている。敢えて深入りしないことで、宙彦が浴びせられたひどい言葉や態度がかれにつけた傷が見える。志朗が背負い続けている罪悪感の重さが見える。それは長い年月を経ても癒え切らなかったものだし、かれらがこれからも抱え続けるものだ。何でも打ち明けられる、心を明け渡せる相手が出来たところで、今まであったものが一気になくなるわけではない。ゆるやかな風化はあれども、それはほんとうにゆるやかで、多分かれらが生きている間に風化しきらないだろう。そういうものを抱えてふたり、これからも生きていくのだ。タイトル通り、「やさしい」物語だった。過酷で凄絶な過去に負った傷を撫でる、「やさしい」物語。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 22:42 | - | - |