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2010.04.30 Friday
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鈴木あみ「Heimat Rose-覇王-」
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鈴木あみ「Heimat Rose-覇王-」
「Heimat Rose-虜囚-」<感想>「Heimat Rose-寵愛-」<感想>に続く第三弾。
いまにもチュールに斬首刑が執行されようとするところで終わった「寵愛」の続きは、レイが墓を掘り起こして赤い髪の男性の亡き骸を抱きしめて泣き叫ぶ場面から始まる。前回が非常に良いところで終わったとはいえ、主人公であるチュールがそのまま死刑で殺されてしまうなどとは当然思っていない。ただ気になるのは、かれがどうやって助かったのか、誰かが助けたのであれば誰が助けたのか、だ。そしてこの展開を読むに、レイはその救出劇に噛んでいないと分かる。チュールを殺すように命令したかれは、チュールを助けなかった。しかし、かれの死を自らの手を汚して確かめ、絶望している。レイが既に腐敗が始まっている亡き骸を抱きしめる描写がリアルでいい。
フェルマノワールを罠にはめたレイは、かれを放逐してオルタンスと結婚し、すべてを手に入れた。ヴァルハイにいるころレイが忘れられない女として語っていたのがまさに妻となったオルタンスなのだが、かれは彼女を一切重んじない。大切にしている素振りを見せながら、彼女からあらゆる権限を奪う。部下に関してもかれは信用をおかず、独裁的にものごとを進めていく。そのやり方は自棄のようでもあり、生き急いでいるようにも見える。なにかを振り切るようにかれは政策をすすめ、逃亡したフェルマノワールを撃つための計画を立てる。もともと口調のきついレイなのでこれまでとの違いを見出しにくいけれど、かれはどんどん孤独になっていく。
生きていたチュールは仲間に匿われ優しくされながらも、レイのことが忘れられない。自分でも見苦しいと分かっている。自分がフェルマノワールを逃がしたとは言え、レイが下した命令は、チュールを殺すことだった。つまりかれは、チュールを殺したいと思ったのだ。死ねばいいのだと、死んで欲しいと願ったのだ。けれどそれでもチュールはレイを思ってしまう。かれと過ごした短くも輝かしい日々が忘れられないというのもあるし、何より、どれほど憎まれてもチュールはレイが、レイだけが好きなのだ。そのことに理由は要らない。ただ、レイが好きなだけ、なのだ。
チュールは健気でかわいそうで、何より馬鹿だと思う。けれどかれのその愚かさこそがレイを癒し、人々を惹きつける。愚かなまでの情の深さと、心のつよさ。死んでも構わないほどにレイが好きで、死んでも構わないからこそ行動を起こす。
チュールを助けたのは、ヴァルハイから出てきた仲間であり、レイの側近でもあるラフたちだ。チュールを死なせるわけにはいかないと考えたかれらは、必死で計画を練ってチュールを助け出してくれた。それはチュールにしてみれば感謝すべきことだったし、計画は成功した。けれど、ラフは思う。
チュールの死を実際目でみたわけではないけれど、亡き骸を見たことで確信したレイは、「緩慢な自殺」をしているかのような勢いで働き続けている。もし自分達が手を出さなければ、もしかしたらレイ自身がチュールを助けたのかもしれない。そうすればチュールはレイによって生かされる。レイは自分の死を望んでいないのだ、自分の生をこそ望んでいるのだと考えることができる。必要とされているのだと実感することができた。もしかしたら自分達はその機会を奪ってしまったのではないだろうか。
勿論レイが助けに行く予定だったという保証はないから、放っておけばあのままチュールが亡きものになっていた可能性が高い。しかしレイの反応を見るだに、かれはチュールの死を望んでも予想してもいなかったと思わされる。
結局単独行動を選んだチュールだったが、レイが砲弾に倒れて傷を負ったと知り、かれはいてもたってもいられずレイのもとを尋ねる。かれは本来ならば既に死んでいるはずの人間だ。仲間以外にそのことを気付かれれば非常にまずいことになる。けれどかれは向かってしまう。それがチュールだ。
レイが眠る部屋への入室を許可されたチュールは、薬の所為で意識がうすぼんやりしているレイと再会し、言葉を交わす。夢か現実かはっきりしていないレイの状態を良いことに、かれは本音をぶつける。殺そうとしたくせに、と。しかしそこで返されたレイの言葉で、チュールは真実を知る。死刑を命じたかれが描いていたその後のプラン、実現しなかったその案を聞けば、もうチュールはレイを許してしまう。
傷を負って体に包帯を巻いた、安静にしている必要があるレイはチュールに手を伸ばす。チュールが体にさわると言っても聞く耳を持たず、死んじゃうと言えば「死んでもいい」と返す。真顔に真剣なトーンで言ったであろうその言葉に、レイが決して言わない本音が滲んでいる。本当に生死の淵に立っていてなお、今抱き合えるなら死んでも構わないと言いきれるほどの激情が、愛以外の何かであるはずがない。
言葉も事情もなく抱き合って別れた二人は、また離れ離れになる。レイとフェルマノワールの直接対決もそろそろのようなので続きが楽しみ。
フェルマノワールが投獄されている期間の幸福なレイとチュールの一日を描いた「腕の揺りかご」、フェルマノワールの忠実すぎる部下であるガスパールとフェルマノワールの出逢いを描いた「輪舞曲」も収録。当然ながら主従が好きなわたしはガスパールの存在ににやにやしているので、二人のある意味最悪の出会いから現在に至るまでの過程が読めて面白かった。フェルマノワールが語っていた過去である、レイとフェルマノワールが戦ってレイが勝てばレイを褒め、フェルマノワールが勝てばレイを叱り、どんな時でもフェルマノワールを見ない公爵も登場。かれのせいではなく居場所がないフェルマノワールの孤独と嘆きと、それを上回る諦めがかなしい。
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2010.04.29 Thursday
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「OPERA」vol.20
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通常のコミックに加えて、「20号継続記念特別寄稿”おめでとうメッセージ&コミック”」が多数掲載されている。その名の通り、一枚絵の作家から、自キャラでのお祝いマンガ、思い出エッセイを書いた作家まで色々だけれど、ルネッサンス吉田さんのエッセイには笑った。あの言葉で言い表しづらい独特の薄暗くて湿り気のある世界観をそのままエッセイにしたような感じがたまらない。DMCのパクリにも噴いた。そのあと、編集長の薦めでルネッサンス吉田さんのアシスタントをすることになった宮沢草雨さんのエッセイを読むと、余計にわけが分からなくなるルネ…。
阿仁谷ユイジさんのエッセイはOPERAというよりは、荷田はしおさんとの思い出エッセイになってしまっていて、気持ちは伝わるけれど分かりづらいのが正直な感想。荷田さんのコミックスとかに掲載されていたら感動したかもしれないなー。
おめでとうございます。
ドラマCD「卒業生」の収録レポート「ドラマCDができるまで」もあり。
明日美子さんが、神谷さんの服装を「草壁に着せたい服とかぶる」と称していたのだが、トマト柄の黄色のTシャツとか余計な服を沢山思い出した。いやでも明日美子せんせいにオシャレって言われててキュンとしたよ!野島さんは相変わらずマスコットキャラで、石川さんは相変わらず原先生だった。そして似顔絵がそっくり。後姿もそっくり。
そして、詳細がはっきりしなかった「卒業生」の音声つき付録の正体は、QRコードが付いた四連クリアしおり。QRコードを読むか、もしくはしおりの台紙に記載されているURLにアクセスしてパスワードを入力することで、オリジナルシナリオのボイスを聞くことが出来る。
内容は佐条、草壁、原先生のそれぞれの自己紹介ボイス。携帯電話でも聞けるくらいの短いものなんだけれど、萌えと笑いがきちんと詰まっていて素晴らしい。
「こんにちは、佐条です」で始まる佐条のコメントは、いきなり自己紹介をするように振られて戸惑う様子が出ている。最初の一言を聞いただけで赤面して焦ってる佐条が目に浮かぶ!それをにやにや見てる草壁とハラセンの顔も浮かぶ。ファンタスティック…!
何を話せばいいのか分からないという佐条に横槍が入る。真面目にぱんつの柄を答える佐条の可愛さよ…そのあともからかわれて、最後はちょっと怒った早口でお別れ。
「おつ!草壁光です」と草壁登場。特技が早口言葉だという草壁は、さすがに淀みない早口言葉を言ったあと、自分で言い始めた早口言葉の揚げ足を取って、トリビアまで披露してさっさと退散。
最後は「皆様こんばんは、原学です」とハラセン登場。三人とも聞いて思ったのは、佐条だけが下の名前を言わなかったこと。自分の名前が似合わないからコンプレックスだと言っていた佐条らしい。今更言うことでもないけれど、草壁が光で佐条が利人=Licht=光、ってすごくすきな設定です。
特技が歌だと言うハラセンは、草壁の昔懐かしい音楽番組のような曲紹介を挟んで、歌いだす。このネタ、シャンプーハットのこいちゃんこと小出水が熱唱していたのを数年前に番組で見たんだけど、それ以外に元ネタがあるのかな。
ともあれ自主規制でおやすみなさい。
三話目になる「空と原」も相変わらず面白い。果たして空と原に恋が生まれるのか生まれないのかすら定かではないけれど、ひとまず今はまだその段階ではない。ハラセンは叶わなかった恋を諦めているし、成就させようとは思っていないけれど、まだ引きずっている。かれにしてみれば三年間気にかけていた、あわよくばと思っていた相手である。そんな簡単に割り切れるものでもない。次の恋が始まればいいのかもしれないが、ソラノは(いまのところ)そんな風ではない。佐条と引き合わせようとするソラノに他意はなく見えるし、かと言って当然佐条にも裏はない。
しかしいくら草壁の了解があるとは言え、佐条はちょっと迂闊な気もするのだが、その辺りは今後明かされるのかな。楽しみにしていよう。
休日の外出時のハラセンの格好とか、ソラノくんのレギンス男子っぷりとか、かっちりしている佐条の服とか、とにかくいちいちかわいい。
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2010.04.28 Wednesday
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薄桜鬼 第四話「闇より来る者」
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今回面白かった!
アバンは千姫と君菊。今はまだ正体も姿も明かさない、あからさまに重要人物っぽい演出をされて、言葉少なに話すだけ。
いわゆる禁門の変に出立する隊士たちを見送るのは、山南・沖田・平助という、安静にしている必要がある三人だ。自分(たち)が留守番に不平を漏らすのは最年少の平助だけれど、一番状況が明るいのも、復帰できる見込みがあるのも平助だ。二度と前線に戻れないと暗に示す山南の言葉を聞いて、沖田が平助を肘でつつくあたりは、平助が年下だと思わされる。
山南は動かなくなった腕を押さえ、薬のことを呟く。怪我を負って屯所へ戻ってきた日からずっと、かれは自問自答し続けている。ゲームでは山南が変若水に手を出すまでの葛藤があまり描かれていなかったので、この辺りは非常に新鮮。思慮深いかれらしい、苦しみと弱さが出ている。
奉行所に行くも相手にされない一行は、藩邸から九条河原へとたらいまわしにされる。こういうところに新選組の京都での立ち位置が見えていい。しかし一般隊士の中にいると幹部隊士は異様だ。髪の色も髪型も異様だし、なんか首に巻いてるやつもいるし!
そんな斎藤さんは肌がひとり土気色で、紫の髪で、ひとり人外。
結局会津藩の予備兵たちともども、河原で夜通し待機することになった隊士たちだが、焚き火の前でも正座する斎藤。千鶴に、眠るのならば「俺の膝くらいなら貸してやる」と笑う原田。原田という男はいったい軟派なのか硬派なのか、女好きなのか別にそうでもないのか、単に良い奴なのかからかっているのか、はっきりしないことが多々ある。これもそういう原田ならではの台詞だ。沖田が同じことを言ったら、混乱する千鶴が見たいんだな、と分かるんだけれど。
夜が明けるころ、長州が攻めて来た。眼を覚ました一行は立ち上がり、すぐに現場へ向かおうとする。同じく待機していた会津藩士たちに命令が下っていないと制止されるも、聞くような新選組ではない。何のために待機しているんだ、という土方の怒声が飛ぶ。ゲームのシナリオよりは端折られていて、このくだりは好きなのでちょっと悔しいけれど、臨場感があっていい。
現場へ着いたあと、土方の指示で隊士達はそれぞれの持ち場へ向かう。それぞれの状況が一気に見られるのはアニメの醍醐味だ。
原田は長州藩を撃つべく公家御門へ向かい、不知火と出会う。ゲームでもかなり奇妙ないでたちをしていた不知火は、アニメになって動くとより一層奇妙な感じがする。どこで売ってるのその服!でもあの独特の喋り方と、原田の後ろから自分を狙う隊士を見逃さない鋭さがよく出ていたと思う。そして謎のアクロバティックな技で退場。
斎藤は山崎と蛤御門へ。会津藩に向かう山崎と別れて戦の後始末をしようとするかれは、薩摩藩士と会津藩士が手柄を取り合って揉めているところへ出食わす。それは斎藤の目指す武士の在り方、かれの思う武士の道とは全く違うものだった。浪人と揶揄される自分やほかの隊士よりも上の身分であるはずの、武士であるかれらのその醜態に斎藤は呆れている。かれらの挑発もどこ吹く風だ。
そこへ、薩摩藩とともに行動する天霧が現れる。ひと目でかれが他の藩士たちとは格が違うことを見抜いた斎藤に、天霧は池田屋で平助を倒したのが自分であると匂わせるようなことを言う。丁寧な口調ではあるが、斎藤はそれを平助への侮辱と受け取った。仲間の侮辱、組の侮辱を続けるようならばかれは天霧を許さない。しかし天霧が藩士たちの分もまとめて謝罪したことで、一時休戦。相手が只者ではないと悟ったのはお互い様だ。
近藤さんと源さんは守護職のもとへ向かい、あとは土方について天王山へ向かう。「残りの者は俺と来い!」と叫んだ土方が一瞬だけ千鶴と目を合わせて、彼女の返事を聞く前に逸らした。
天王山へ向かう途中、橋の上でかれらを待ち伏せているのは風間だ。天王山へ向かう隊士に斬りつけたかれを見た千鶴は、池田屋で沖田と対峙した相手であることを思い出す。それを彼女が土方に伝えると、風間はいつもの調子で沖田を罵る。それを聞いていた新八が、総司を何と言おうと構わないが、何故隊士をいきなり斬ったのかと問うた。ここが斎藤と新八で全く違っていて面白い。沖田を否定されても貶されても構わないと新八が言うのは、かれが仲間を大切に思っていないからでも、誇りを持たないからでもない。どうでもいい人間に何を言われたところで、どうでもいいからだろう。こういうそれぞれの美学がいい。
もはや敗北を受け入れて、あとは死ぬだけの長州藩士を追い詰めようとする新選組を風間は軽蔑し、その憤りを露にする。手柄を立てることに躍起になって、武士の誇りを蔑ろにするのだと怒る風間に、真っ向から反論したのは千鶴だった。誇りのために人を斬って構わないのか、と恐れずに問う彼女は、目の前で倒れている隊士だけではなく、あの日血を吐いていた沖田のことも思っているはずだ。こういうところで前に出てしまうのは千鶴の強さであり、後先を考えない愚かさでもあると思う。
当然千鶴に言われたくらいで押し負けるわけではない風間に、今度は土方がかれの思想を伝える。お上に楯突いた罪人は斬首刑で十分だ、とかれは言う。切腹の重さを知らないから追うのではなく、切腹の重さを知っているからこそ追うのだ。長州藩に武士の誇りがあるのなら、自分たちの武士の誇りを持って相対するのが正しいとかれは思っている。この言い合いのシーンはゲームでも大好きだったけれど、アニメでもやっぱり好き!
土方と斬り合いになる風間が手を放した刀が、千鶴の腕を掠った。切れた着物の奥から、傷ついて血を流す腕が見える。千鶴がそれを手で覆ったけれど、風間は、その傷が尋常ではない速さで塞がっていくところを見てしまった。池田屋とたった今、二回言葉を交わしたことで、かれは千鶴にひとつの疑いを持った。そして、それが真実だと確認した。
戦い自体は天霧の仲裁によって中断する。土方にしても、本来果たすべき目的があったので深追いはせず。
先に天王山へ向かっていた新八たちと合流した土方は、長州藩士が既に全員自決していたことを聞かされ、敵ながら見事だ、と素直な心のうちを述べた。先ほど風間に言っていたこととは矛盾するけれど、これもまたかれの真意だ。決して容赦はしないけれど、全力で追いかけた結果ならば、内容がどうであれ受け入れる。潔さを認めるのに敵も味方もない、と言った土方の言葉を、千鶴は「分かるような分からないような、です」と評した。本当に心から出た、彼女の飾りのない本音に土方は微笑む。
長州藩士が放った火によって、京都の町は大火に見舞われる。祇園会の山鉾も大半が焼失したという千鶴のモノローグが、前回の終盤のシーンを思い出させる。原田と新八と寄り道をして、祭りの中に飛び込んで行ったのはつい先日のことだ。新八が言った盛者必衰が、こんなにも早く現実のものとなった。
予告では伊東さん登場。そして山南さんの「人としても死なせて下さい」の台詞に、とうとう羅刹来るか!
今回は作画も安定していたと思う。そして耽美度が上がっていた印象。キラッキラしてるし、下唇の陰影のつけかたがものすごい。土方さんがバンコランみたいでした…好きだけどさ!
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2010.04.27 Tuesday
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菅野彰「毎日晴天!6 子供たちの長い夜」
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菅野彰「毎日晴天!6 子供たちの長い夜」
・「竜頭町三丁目の初恋」
真弓の幼馴染で親友でもある魚屋の達也ことウオタツの物語。
付き合い始めたばかりの彼女・亜矢と一緒に町内の祭に行くことになった達也は、彼女と町を歩きながら、中学二年の時の夏祭りに思いを馳せる。真弓が女官の格好で祭に参加した最後の年だったその夏は、達也にとって忘れられない夏になった。
同じく真弓と達也の幼馴染みである御幸の同級生である亜矢は、去年の夏祭りで達也に一目惚れをしたという少女だ。達也もまた、可愛い彼女を意識し始めて、付き合いだすようになった。まだ二人の間にはぎこちない空気が流れているけれど、初々しくて微笑ましい。しかし順調だと思っている達也をよそに、亜矢には少し気にかかることがあった。達也の友人や近所の人々は、自分を見るたびに複雑な顔をするのだ。可愛いとか達也には勿体ないと言ってくれるけれど、その言葉をかける前に、少しだけ間がある。それが繊細な彼女を不安にさせるけれど、おおむね交際は順調だ。
まだまだ柄の悪い人間も多い地域だという話のあと、絡まれたら喧嘩するのか、という亜矢の問いに、達也は「逃げる」と答えた。まだまだ虚勢を張りたい年代らしくないその答えの理由を、達也は適当に交わしたけれど、本当は決定的な理由があった。絶対に勝てない喧嘩を買ったりしないという誓いを、十四の夏に立てたのだ。
タイトルの「初恋」は、達也が初めて自分から告白した亜矢のことを指すのではない。達也の、そしてケンジや御幸の初恋の相手は、皆真弓なのだ。可愛らしいピンクのスモックに身を包んだ、誰よりも可愛い女の子。兄達の溺愛を受けて育った、どこからどう見ても美少女だった真弓だ。
真弓の性別を知った御幸は、泣く泣くその恋を終わらせた。具体的には語られないけれど、ケンジ達祭り囃子保存会の面々も同じだっただろう。あれが男だなんて詐欺だひどいと泣きながら、自分の恋が淡く消えてゆくのを見送った。達也もそのはずだった。少なくとも本人はそう思っていた。他の連中と一緒になって騙されたよなあと笑いながら、いい思い出にして女の子と付き合う、そういう人生を送り始めていた。
けれど、かれだけが忘れられなかった。想い出にしきれずに、高校三年になる今までくすぶり続けていた。それは他の仲間よりも達也の方が、一歩真弓に近いところにいた所為もあっただろう。性格もあっただろう。けれど達也は、皆と同じように「見た目が可愛い真弓」に恋をしたけれど、そのあとかれと友人関係を続ける中で、真弓本来の男らしい性格にも恋をしていったのだと思う。気がきつくて喧嘩っぱやいところもあって、辛辣でずる賢いところもあるけれど寛容なかれの人間性を知るたびに、達也は真弓に惹かれていった。
十四歳の真弓は、自分が女官の姿をすることに揺れていた。兄や友人や近所の人が心から喜んでくれることも、自分が嫌だと言ったらおおごとになることも、今年で最後であることも知っている。もっと言えば、自分が女官をやらないという選択肢が殆ど残されていないことも知っている。それでもやはり、中学二年生という多感な時期に、男子が女性の格好をしたいわけがないのだ。達也やケンジたちが女の格好をしろと言われたら全力で拒むように、真弓だって拒みたかったのだ。
そのことに、帯刀家の人間も含めた誰も気づいていなかった。気付かないようにしていたのかもしれない。かれらにしてみたら「真弓は可愛い」「似合う」「慣れてる」で片付けられることだったのだ。普段男子として学校に通っている真弓が年に数回、見知った人間の中で女装することくらい、大したことでもなかったのだろう。けれど真弓にしてみればその期待すら重荷だった。必死に口にしないよう、態度にしないように努めてきたかれがふと零した気持ちに、達也は過剰反応した。真弓自身が持てあます気持ちにふれたかれもまた、日ごろの鬱屈を爆発させてしまう。それは単なる年齢や時期の苛立ちだけでなく、真弓が別のものへと変わり始めたことに対する焦りでもあったのだろう。いつまでも誰のものにもならない、性別すらあやしい、可愛い真弓でいてほしかったのだ。叶うならば、女の子の真弓のままでいてほしかった。
しかしそのことを真弓が知っていたこと、気に病んでいたことを達也は知る。自分が女の格好をすれば皆が喜ぶことで複雑な心境に陥っている真弓は、何故自分が女ではないのかと呟く。自分ではない誰かのために、いっそ最初から女であれば良かったと言う。そして達也は、自分たちがどれほど真弓を追い詰めていたのか、真弓がどれほど我慢して笑っていたのかを知る。
おまえが男で良かった、とかれは言った。女なら嫁にできる、嫁にしたらずっと一緒にいられると思ったのだ。ずっと一緒にいられるのであれば、べつに男友達だって問題ない、と言う言葉は真弓に向けられたものだったけれど、達也が必死に自分に言い聞かせていたのだろう。男の真弓と一生「友達」でいられればそれでいいんだと、かれは自分の中にせりあがってくるものを必死に押しとどめたのだ。
達也が十四の時に封印し、そのまま風化させるはずだった感情を表に出させたのは、男である真弓と付き合っている男・勇太の存在であり、偶然出会った亜矢だった。真弓が可愛い女の子と付き合い始めたら、諦めが付いたかもしれない。けれど真弓は男と恋人になった。そして自分は、真弓にそっくりな少女と出会ってしまった。
真弓と顔を合わせた亜矢は、全てを悟ってしまう。その場にいた勇太もまた、気付いてしまった。達也がずっと秘めてきた、本人が自覚していない気持ちを、部外者の二人が察知したのだ。その反応を見た達也が遅れて、自分が蓋をし続けた気持ちととうとう向き合った。
当然亜矢に振られた達也を、ひとり、何もしらない真弓が慰める。親友にする気楽さで、振られたばかりの達也を慰めてくれる真弓に、達也は事故と故意の間のようなキスをした。真弓がそれに微塵も動じなかったこともまた、達也にとっては切ないだろう。男と付き合っている真弓にしても、それは笑って済ませられる程度のことなのだ。
その様子を見ていた勇太は翌日達也の元に行き、話を聞いたのち、許すと言って達也を川に投げ捨てた。そしてようやくかれの初恋は終わりを迎える。完全に終わることはないだろうけれど、不自然に無理やり隠すのではなく曝け出してしまうことで、やっとかれは先に進めるのだ。
・「子供たちの長い夜」
その祭りの夜以降、真弓と勇太の関係はこじれていた。勇太が一方的に怒って、真弓とろくに口を聞かないのだ。真弓が問い詰めると浮気をしたからには謝れと繰り返す勇太に、真弓も意地になる。あれは浮気ではなく友情ゆえの抱擁であること、家族同然の達也にだからしたことであり、唇が触れたのは偶然でしかないことを真弓は主張するのだが、勇太は聞く耳を持たない。どんどん悪化する関係に、当事者であるはずの真弓は何とも言えない違和感を覚えている。周囲も真弓も、すぐに終わるなんてことのない言い合いだと思っていたのに、一向に勇太の機嫌が直らないのだ。どころか荒んでいくばかりで、真弓すらも取り残されてしまう。どうしようもない温度差が広がっていく。
現在11巻まで出ているシリーズの中で最もぶ厚く、もっとも重くて苦しい作品だと思う。真弓が抱えている傷を勇太は見抜き、受け入れた。背中の傷にまつわる兄への執着も、置いて行かれ続けたゆえに生まれた不信感も、勇太が受け止めてくれた。そして真弓もまた、家族を持たなかった勇太の不安を必死で突きとめて引き受けた。それでもうかれらは落ち着いたのだと、まだ行くところまでいっていない大河たちや、色々としこりの残っている明信たちに比べて片付いてしまったのだと、本人たちも読者も思っていたふしがある。けれどそうではなかった。秀や勇太の口から時々語られる勇太の過去は凄まじく、かれが心に負っている傷はあまりに多く、深い。だから何度も立ち止まってしまう。ひとつふたつ癒えても、まだ沢山残っている。
きっかけは、達也を慰める真弓を見たことだった。意地になりはじめたとき、引きとめようと自分の腕をつかんだ真弓を振り払ったはずみで、頬に手が当たった。そこへ、岸和田の祖母から一通の手紙が来る。そのあとも、普段ならば流してしまえるような些細な言い合いや、真弓と兄弟たちの絆のつよさを目の当たりにすることがあって、勇太は完全に閉じこもってしまった。
真弓に黙ってバイトを始め、意味もなく怒鳴ったり、わざと真弓を傷つけるために言葉を選ぶ。勇太らしくない行動だけれど、何が自分らしいことなのかすら、勇太は見失ってしまった。どんどん目に見えて荒んでいくかれを、皆が心配している。真弓も秀も兄弟たちも、達也も龍も、近所のひとびとさえも。けれど一端泥沼にはまってしまった勇太にはそれすら辛い。今の幸福も、竜頭町のひとびとの優しさも、自分が置いてきた過去を思い出してしまうからだ。薄暗く、暴力にまみれた、幸福になる方法を見失ったひとびとの町と、そこにおいてきた父を思い出してしまうからだ。
「子供の本分」で龍に「まだツケを払ってねえような顔だ。先は長いぞ」と指摘された勇太は、その言葉の重みを受け止めて苦笑しながら「俺は過去には縛られん主義や」と言った。それはその時勇太が確かに思っていた気持ちだったけれど、そうしなければ生きてこられなかったからこそ生まれた主義でもある。過去を簡単に捨てて忘れることができたのではなく、過去に蓋をして放り投げてしまわなければ、背負うものの多さに押しつぶされてしまうことが明白だったからだ。
目の前で母に出て行かれ、暴力と酒に溺れる父を本気で殺そうと思ったこともあった。勇太が同じものに溺れずなんとか踏みとどまれたのは、秀が助け出してくれたからだ。勇太はそうして救われたけれど、父親を引きあげてくれるものはなかった。かれは深すぎて足のつかない水底に、少しずつ沈んで行った。
そして、父が死んだという知らせがきた。自分は抜け出せたものから出ることなく、かれは死んだのだ。不安定だった勇太の心は一気に揺れる。真弓を傷つけてしまう自分への嫌悪、必死に自分の機嫌を取ろうとしている真弓への苛立ち、周囲の人間の優しさを見ればどんどん自分だけが汚れたつまらないものに見える。自分で自分を追い詰める勇太にはもう、余裕がない。
不安なのは真弓だって同じだ。ひとりでどんどん壊れていく恋人に、自分の言葉がちっとも届かないようで、焦って気持ちを繋ごうとする。けれど痛々しい誘惑も、切実な言葉も、逆効果でしかない。何かを言えば「おまえにはわからん」という一言で突っぱねられる。それでも勇太が好きだから、荒れているかれを真弓は許そうとする。何をしてもいい、何をやっても許すというのは、おそらく真弓がこれまで兄姉に受けてきた愛情だ。我儘も許容された。辛いときは皆が慰めてくれた。そういうものを、今度は勇太にささげようとしている。
けれどそれすら、勇太を傷つける。
また勇太は消えた。真弓はずっと、勇太のことを考えている。勇太の幸せとは何なのか、どうすれば自分が勇太を幸せにできるのか、どうすれば勇太の傍で勇太と幸せを共有できるのか。
自分には沢山のひとがいる、と真弓は知っている。親身になって自分を気遣い、心配し、愛して応援して、どんなときでも味方になってくれるひとがいる。だから真弓は頑張れる。けれど、今の勇太はそれを持っていない。自分達が勇太に抱く感情を思えば、見ないふりされていること・気付かれないことは悲しいし腹立たしいけれど、「しょうがねえよな」と達也は言った。本当はとっくに持っているはずなのに、長い間持たずにいたかれには、そのことが分からないのだ。そのことを怒って、教えてやれるのは、もう、真弓だけだ。
同じくらい心配しているはずの秀は、憔悴しきって、それでも真弓に全てを託した。自分が何の手掛かりも持っていないことも、真弓が何かを掴んでいることも分かった上で、問い詰めるのではなく、真弓に任せた。それは秀にとってどれほど苦渋の決断だったろう。苦しむ勇太を見て自分の無力を知り、自分がやってきたことが正しかったのかと不安に思い、けれど全てを呑みこんで秀は真弓を送りだす。これはかれの父親としての情なのだと思う。息子が一番必要としているものが何なのかを見極めて、身を引いた。真弓が秀にかける言葉が優しくて切なくて泣ける。
とうとう勇太を見つけた真弓は、勇太が何に怯えていたのかを知る。いくつもの事件が重なって荒んでいく自分がいたのにも関わらず、勇太を愛するあまり勇太の全てを受け入れて肯定しようと躍起になっていた真弓のスタンスが、勇太を不安にしていたのだ。優しい愛情をこどもの頃に受けられなかった勇太に沢山の愛情を注いだけれど、それだけでは不足だった。何が正しいのか悪いことなのかを判断して、何が哀しいのか嫌なのかをきちんと伝える必要があったのだ。
殴られて怒鳴られたことはあったし、関係を断絶するような喧嘩は数え切れないくらいしてきた勇太だけれど、関係を向上させるため、継続させるために叱られることなど殆どなかったのだろう。好きだからこそ理不尽に対しては怒る、これからも一緒にいたいからこそされて嫌なことを伝える、そういう関係をかれは経験してこなかった。優しい愛情も叱咤も知らなかったかれは、片方だけを与えられ続けて、もう一方に対する欲が出た。情緒面に関しては子供から老人にワープしたきらいのある勇太が、少しずつ年相応の感覚をつけてきている。
亡くなった父親と勇太の間には、消化しきれない憎しみや悲しさや寂しさがある。一度は心から死を願った相手だけれど、その底にはいつでも、もっと他の関係を築けるものなら築きたいという願いがあった。父を憎みながら、たったひとりの父を憎むことを嘆く気持ちも勇太の中に残っていた。愛したいのに愛することができない。父の死の知らせによって、長い間閉じたままにしていた蓋を無理やり開かされた勇太の過去の心情には、屈折した嘆きがある。
父の死後に託された言葉や物によって、それらの勇太の感情は少し昇華されたように思う。ろくでもない父のろくでもない記憶が、ほんの僅かだけれども浄化されたような、救いがみえる。その救いは更に、そんな父の真意を見抜けず捨ててしまった自分への後悔にもつながるのだけれど。
それを踏まえて、「おまえはきれいで、俺は汚い」と勇太は言う。それは以前かれが何度も言ったことで、真弓が必死になって訂正した「日なた」と同じ話だ。けれど、今度の勇太は非常に落ち着いた口調でそれを告げた。真弓もまた、否定はしなかった。勇太の心の中に根付くそれを、強引に取り除こうとすることが正しい方法ではないと知ったからだ。そして勇太は続ける。これからまた間違えるかもしれない、腐ってしまうかもしれないけれど、助けて欲しい、と。
何も持っていないと思い込んでいた勇太が、いつとも分からない未来のことについて、真弓を頼った。自分を叱って励まして支えてくれる絶対の味方がいるのだと、かれは知った。勇太の長い夜が明けたのだ。
夜が明けて朝になっても、また夜は来る。雨の日も嵐の日もあるし、もっと深い暗闇に覆われる夜がまた襲ってくるかもしれない。けれど、そんな時もひとりきりじゃないことを、勇太は知っている。
そして二人は家に帰る。これまで打ち明けなかった大きな秘密と、普段学校や家で交わすような軽い口調の雑談を交互にしながら、家族の待つ家へ。
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2010.04.26 Monday
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志水ゆき/ディアプラス編集部「是-ZE-ファンブック」
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志水ゆき15周年企画と聞いたときは、もう15年かと驚いたり、その割に刊行された作品の少なさをぼんやり見つめてみたり。とにもかくにもおめでとうございます。
・「是-ZE-」イラストギャラリー
その名の通り、カラーイラストの再録。コミックスのピンナップになっているものとか、雑誌の表紙になったものとか。志水さんは決して絵が物凄くうまい作家さんではないと思うのだけれど(もちろん以前に比べてどんどん上手くなっていることは確かだ)、人数が1〜3人くらいのカラーだととても目を引く。華があるというか、後ろにある物語を想像させる。
・「是-ZE-」番外編「春も宵宵」
書き下ろし番外編コミックス。
おそらくコンビニのクジでペアの温泉旅行を当てた隆成と、かれに言われるがままについてきた守夜は、旅先で氷見を連れた玄間と偶然出会う。クジで特賞を当てた隆成と、普通に旅行でやってきて格上の部屋をとっている玄間の差がいい。隆成はちょっと貧乏でやりくりに困っているくらいでいいし、玄間は胡散臭いくらいに金持ちでこそ、だ。
玄間と隆成の関係性もあってか、よくペアで出ることが多い二組。それぞれの言霊師と紙様の在り方が一番対極にあるというのもあるだろう。分かりやす過ぎるくらい玄間に忠誠も愛情も何もかも捧げて幸せそうな氷見と、言葉だけは丁寧だけれどちっとも隆成を敬う気が感じられない守夜。けれど本当は氷見が玄間を振り回しているし、守夜は何よりも隆成を重んじている。そのことを知っているのは、自分たちだけでいい。
玄間には余計な事ばかり言う隆成だけれど、氷見に対しては露骨なまでに優しいし親切だ。隆成にとって氷見は「先輩/兄貴分の彼女さん」みたいな位置なんだろうな。ヤンキーとヘッドの彼女、みたいなそういう謎の上下関係。ヤクザと姐さん、ではなく。守夜に対する態度や、十麻子への遠慮のない口調を思うとちょっと可笑しい。
ともあれつかの間の平穏な日々。
・No.1お気に入りシーン発表/キャラクター&ストーリーズ
漫画のファンブック・キャラブックにありがちなコーナー。既出のコマやシーン、イラストを切り貼りしたキャラ紹介やシーン紹介に、読者からのコメントが入ったもの。お気に入りシーンに近日発売の「是-ZE-」9巻に掲載される分がランクインしているというちょっと困った代物。まあ同時発売を狙っていたんだろうけれども。個人的には雑誌を読んでいるので問題ないけれど、コミックス派のひとにしてみたら相当のネタバレである。
・ゲストコーナー
ここからが凄い。新書館パワーというべきか、かなり豪華作家陣によるアンソロ。イラスト一枚のひとも何人かいるけれど、殆どはコミックないし小説での参加で、読み応えがある。面白い、面白いよ!
オールキャラ物のひとも、カップル一組に限ったひともいるのだが、この作家さんならそりゃこの二人で描くよね!と納得したり、そう来たか!と膝を打ったり大忙し。
読者人気では玄間と氷見がダントツ一位だったけれど、近衛と琴葉を描いているひとが多い印象。キャラ的に描きやすい、というのもあるのかな。アイス大好きっ子と世話焼きおかん。
イサクさんの玄間と隆成のやりとりが本人の作品かと思うくらい自然だったりとか、藤川さんの初陽が異様に可愛かったりとか、橋本さんの短編に萌えたりとか、新也さんの勇気を褒め讃えたりとか、南野ましろさんの作風のブレのなさに感嘆の息を漏らしたりとか、あとなんだっけ、金ひかるさんの漫画も凄い可愛くて面白かった!門地さんの彰伊気持ち悪くて最高!北上さんのおいしいとこ取ろうと思ったら全部でした、みたいな贅沢なギャグもいいし、ムクさんも可愛いし、取り敢えず凄かった。これだけキャラクターと関係性が立っている原作も凄いし、それぞれの料理の仕方も見事。にやにやが止まらない。贅沢にもほどがある。
小説も凄い。榎田さんのパラレルの暴走っぷりもいいし、輪をかけて暴走している木原さんも流石すぎる。木原さんにはこういう世界が見えているのか、木原さんはこういう世界を見ることができるのか、とその片鱗に触れた気分だ。
そして一穂さんの雷蔵と紺がかわいくて仕方がない。原作の最初の方の、まだ雷蔵を訝しがったり、雷蔵の真っ直ぐさに惹かれながらも引け目を感じてつんけんしてしまう紺が一穂さんの作風と凄くマッチしている。純粋で不器用でぶっきらぼうで、傍目には非常に分かりにくいけれど雷蔵に影響を受けて少しずつ変化していく、ちょうどその途中にいるのだ。
津守時生さんとの対談もあり。非常に生々しい、プロ作家としての在り方と、表現者としての在り方の狭間で揺れる心情みたいなものを暴き合っていたような対談だった。読み応えがあったし、こういう場でないとなかなか聞けないような内容ではあったけれど、どうすることもできないことをそのまま聞かされたような印象もある。
ファンの望むものを書きたい、けれどそうすると自分の描きたいものとズレることもある、ファンからは反応がないから怖い、不安だけれど書くしかない、というのは多分書き手ならではの意見なのだろう。わたしはプロ漫画家でもプロ小説家でも、他のなんらかの表現者でもないのでその気持ちを予想することはできても、実感することはできない。ただ、それを15周年記念のめでたい本で言わなくても、という気もした。耳触りの良い言葉だけが欲しいわけではないけれど、ちょっとやるせない。わたしが過剰に反応しているだけなのかもしれないけれど、うーん。
勿論内容はそのことだけではなくて、是のキャラ作りや設定の裏話なんかも沢山あったので、最終的にはきれいにまとまっている。
最後には参加した作家さんからのひとことコメントもあり。
志水さんからのコメントがないのがちょっと残念かな。裏表紙には魂の叫びがあるけれど、締めがない。
・ドラマCD「是-ZE- 特別番外編『春も宵宵』」
収録されていたコミックスをCD化したもの。基本的には原作通りだけれど、玄間が隆成を温泉で成敗している回想シーンなどにつけたしもあり。玄間に力任せに攻撃されている隆成のツッコミが可笑しかった。
小野さんのBL久々に聴いたけれど、隆成が以前より滑らかになっていて良かった。あとのお三方も相変わらずのクオリティ。平川さんの氷見はいつ聴いてもびっくりするくらいぴったりだ。
個人的には値段相応の価値のある、楽しみどころが沢山ありすぎる一冊だった。
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2010.04.25 Sunday
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スナエハタ「鋼鉄のベイビー・リーフ」
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スナエハタ「鋼鉄のベイビー・リーフ」
高校生の葉介は、先輩の時生に一年もの間毎日言い寄られている。自分が植物の世話をしている姿に恋をしたという時生の熱烈なアピールに引きながらも、葉介はかれとの時間を楽しんでいる自分に気づく。
時生は勉強が出来て容姿が整っていて、女の子からもよく告白されている。明るくて爽やかに見えるかれだけれど、実際は、名前もクラスも分からない葉介に一目惚れをして、あらゆる情報を調べ上げるストーカーっぽい面も持っている。毎日欠かさず葉介に弁当を作ってくるような執着心もある。眩しい笑顔のままで悪びれずに行動するから、葉介もなんとなく突っ込んだり呆れたりしながらも受け入れているけれど、なかなか気持ち悪い。格好良いイメージとのギャップが残念だけれど憎めない。
そういうかれの言う「好き」を、葉介は適当に流している。疑っているわけではないけれど、痛感しているというほどでもない。時生の口から何度も出てくる「好き」を、どこかで軽いものだと思い込んでいる。そしてそれを一年間あしらい続けて来たことで、これからもそうしていくのだと勝手に解決してしまっている。
時生の好意は葉介にとって望ましいものではないけれど、時生の存在自体は決して嫌なものではなかった。かれに強引に誘われて行った植物園での「デート」は楽しかった。けれど、かれとの時間を楽しめば楽しむほど、葉介の中には複雑な気持ちも生まれる。他の誰かと喋っているときの時生を見て、なんともいえない気持ちになる。自分でも解しきれないその気持ちを、遠慮なく葉介は時生に伝える。先輩と話していても楽しくない、と。酷い言葉を投げながら、ようやく葉介はその気持ちの中に潜むものを知る。自分を好きだという時生は、いつも自分に優しい言葉ばかりをくれる。葉介にあわせた会話、葉介の機嫌をとるような話題、そのやりとりを繰り返すうち、時生がどういう人間なのかが分からなくなってしまったのだ。
他の友人には遠慮なく見せている時生本来の性格を、毎日一緒にいて、好きだと連呼される葉介だけが知らない。そのことへの憤りをかれは時生本人にぶつける。
しかしそれを指摘された時生は、珍しく反論した。「どういう俺なら興味持ってくれるんだろうな」と、これまで散々邪険にされ続けてきたことを暗に責めるような言葉を返した。傷ついた表情でなんとか微笑みながら言う時をを見た葉介は、その場から逃げた。自分の機嫌を取ってくれる面白い先輩ではなく、一向に成就しない片思いに耐えているひとりの男である時生を、葉介が初めて見た瞬間だった。かれがずっと見たいと思っていた、取り繕わない時生の本音を初めて見た瞬間だったのだ。
時生が自分を本気で好きなこと、自分にあしらわれて傷ついていることを知った葉介だけれど、だからといって一足飛びにかれと両思いになったりするようなことはない。まだ、時生のほんの僅かな真実に触れただけだ。
一年前に既に自分の気持ちと向き合って答を出している時生と違って、葉介は何もかもがこれからだ。本当に時生は自分が好きなのか、どうして友達じゃだめなのか、男同士であることなどに一つずつ立ち止まって、悩む。先輩とはいえたかだか一学年上なだけの時生にも答えられないことや、耐えられなくなることは沢山あって、傷付け合ってしまうこともある。残酷なまでの初々しさや純粋さが切なかったり微笑ましかったり、可愛かったり。自分たちのことに関する少しの疑問も不審も許せない葉介の潔癖さが、変態チックな時生の行動やボケとツッコミで構成されているお気楽な会話の間からたまに覗く、そのバランスがいい。
ちびちび進んでいく関係が可愛くって大変。
短編「神さまをやめる時」もシリアスとコメディのバランスが好き。説明不足というか分かりづらいところもあるけれど、ぼんやりした話の中にも胸が詰まるものがある。タイトルがまたいいじゃない!
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2010.04.24 Saturday
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ALiCE IN WoNDERLaND
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ティム・バートンがディズニーで「不思議な国のアリス」を製作する、と聞いたときはびっくりした。バートンもディズニーもアリスも大好きなので、夢のような企画だと思ったし、物凄く期待した。しかしここ数年のバートン作品は個人的にどれもいまひとつだったので、あまり期待しないようにもしていた。アリスだバートンだ!と期待して見に行くと、たぶんがっかりするだろうな、と思ったのだ。
ともあれ、過剰な期待はしないまでもそこそこ期待して見に行ったアリス。折角なので3Dで見ることにした。文字や映像が浮かび上がってくるのは凄いけれど、TDSのアトラクション「マジック・ランプ・シアター」でも経験しているので想定内。3Dだと字幕が読みづらいという話も聞いていたけれど、特にそうは思わなかった。ただ字幕の文字も浮かぶので、酔ったり疲れたりするひとがいてもおかしくないとは思う。
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19歳のアリス・キングスレーは美しいけれど、変わったところのある少女。母親に連れられて行った食事会で、貴族に公開プロポーズをされる間も、草むらを走るウサギが気になって仕方がない。にやけた男に告白をされた彼女は、その返事もおざなりに、ウサギを追いかけて森の奥へ走り、樹の根にある穴に落ちてしまう。
キャロルの「不思議の国のアリス」の映画化ではなく、その後の物語。「鏡の国のアリス」にのみ出てくるキャラも登場するので、不思議の国、鏡の国に行って戻ってきた(夢を見た)アリスが大人になった、という設定だと思う。原作でも浮世離れしたところのあるアリスだったが、それは映画でも同じだ。しかし幼いころのように口うるさく自分で自分に問いかけたり叱咤したりするようなことはなくなり、ぼうっと馬車に揺られている。これから自分が行く食事会も、そのために母親に着せられたであろうドレスも、彼女にとってはつまらないものだ。そしてそのつまらない日々は今日に限ったことではないだろう。姉たちや猫と旅行に出たり、好き勝手に遊んで楽しく過ごしていた子供時代は終わってしまったのだ。美しい彼女を取り巻く色々な事象に飽いて、倦んでいる、アリスはそういう目をしている。
いけすかない貴族の青年とダンスをしている時のアリスが凄くいい。あからさまにつまらないという表情で適当に体を動かしながらも、空を飛ぶ鳥を見つめている。空を飛べたらな、と考えていたのだろと彼女は言う。自分が飛べないことを彼女は知っているけれど、それでも飛べたらという空想をすることは止められない。そういう彼女は、幼いころに怖い夢を繰り返し見ては夜中に目を覚まし、父のもとに逃げ込んだ少女のままだ。地に足のつかない少女。他の少女とは違うアリス。けれど彼女は自分がおかしいのではないか、気がくるってしまったのではないかとは思わない。幼いころそう考えた彼女に向かって、「君は頭がおかしいかもしれない。でも、優れている人はみんな 頭がおかしいんだよ」と父親が言ってくれたからだ。その言葉は少女の不安を取り除くとともに、少女の空想を肯定したのだ。
結果非常に自由な少女になったアリスは、コルセットもストッキングもつけず、ドレスにソックスで踊っている。そして彼女は、自分以外の全員が参加している出来レースのようなドッキリプロポーズに嫌気がさして、時計ウサギを追いかけて、ウサギ穴へ落ちた。
穴に落ちてゆくところは3Dの見ごたえがあった。くるくる回るアリスの体、色々なものが降ってきたり、ぶつかりそうになって間一髪のところで避けたりするスリルが味わえる。
不思議の国へたどりついてからは、原作の踏襲とオリジナルストーリーがちょうど良いバランスで展開される。アリスの物語を知らなくても勿論楽しめるつくりになっていると思うけれど、やっぱり原作を踏まえて見るに越したことはないと思う。
あとはアリスの物語を知っていると、なにもかも明らかにして描くことだけが正しいわけではない、とわかるので良いと思う。答えを知らされない謎かけ、意味のわからない文句、ちんぷんかんぷんのルール、それがはびこっている世界は不可解で荒唐無稽だけれど、愛おしい。それが「不思議の国」なのだ。
とにかくワンダーランドの描写が素晴らしい、のひとことに尽きる。キャラクターデザインも衣装もセットも背景も、期待通り期待以上で素晴らしい。アリスが最初にたどり着く、ドアだらけの部屋の床の柄からしてかわいすぎる。可愛くて奇妙で気持ち悪くてお洒落でナンセンスで、うっとりする。全シーンをコマ送りで見たいくらいだ。EAT MEのケーキすら可愛い。
一番好きだったのは赤の女王の城と庭だ。真っ赤なハートをメインアイコンに形成された城も庭も可愛すぎて大変!処刑台すらハート型で本当に可愛い。かわいいかわいいかわいい!!!
ミア・ワシコウスカ演じるアリスはどこか血の通っていない、美しいお人形のような少女だ。結婚してもおかしくない、19歳の素敵な女性なんだけれど、まだ未分化の美しさがある。男でも女でもないもの、子供でも大人でもないもの、そういう清冽なにおいがする。まっすぐのびた細い腕、あまり凹凸のない体、殆ど化粧をしていない顔、強すぎる視線、少年のようでもあり少女のようでもある。水色のドレスも真っ赤なドレスも鎧も似合っていて可愛かった。無造作に延ばされたウェーブがかった髪がまたいい。
ジョニー・デップのマッドハッターは、キービジュアルを見たときにちょっとやり過ぎだと思ったのだが、案の定やりすぎ。白塗りにぼうぼうの眉毛で歯抜けという、決して格好良くないマッドハッターなのだけれど、茶目っけと哀愁があってステキ。アリスを探しに来た女王の使いから彼女をかくまうべく、ティーポットの中に彼女を入れたり、自分の帽子のつばに乗せてくれる。ウサギたちとお茶をするかれは確かに「いかれ」ているけれど、冷静で機転のきく男だ。
そういうかれはアリスをかばって女王に捕えられ、次第に不安定になる。女王にうまく取り入って、囚人ながらも彼女のために帽子を作ることを許可される。頭の大きな女王に似合う帽子を一心不乱に次々作り上げたかと思えば、癇癪を起してそのあたりにあるものを投げて叫びだす。かれの足には枷がはめられ、鎖で繋がれているのだ。
いかれた男を演じている間に本当にいかれてしまったのか、かれを安定させていた「いかれ」が進んでしまったのか、アリスに向かってかれは、自分の頭がおかしいのではないかと聞いてくる。傍から見れば既に狂人であるはずのかれのその問いに、アリスは父の言葉を呟く。「頭がおかしいかもしれない。でも、優れている人はみんな 頭がおかしい」と。彼女を救った言葉で、今度は彼女がひとを救う。
マッドハッターとアリスの関係は少しずつ深くなる。恋ではないかもしれないけれど、単なる仲間意識でも友情でもない、特別なものになっていく。マッドハッターが大切にしている愛用の帽子を探しに行ったりするアリスがまた可愛い。
おそらく敢えて、物語の中核となる赤の女王と白の女王の対決については詳しく語られない。頭が異常に大きくて癇癪持ちで偉そうで我が儘な赤の女王は、愛されることよりも、恐れられることで人々を支配しようとした。周囲にも自分のように、耳が大きいとか鼻が大きいとか、とにかく他のひととは異なる特徴を持った人間ばかりを集めた。片方の目にある傷をハートの眼帯で覆ったジャックだけを愛し、甘やかし、自分の支えとした。彼女の孤独は、アップルクーヘンの食べ過ぎによって大きくなりすぎたアリスを簡単に信用したことからもわかる。大きくなりすぎて服がない、女王様なら分かってくれるでしょう、というアリスの言葉に女王は一も二もなく親切にした。あのように大きな人間がいれば、もっと早く女王の耳に入っていたはずだ。なのに、名前すらろくに語らない、不審者であるアリスを女王は手厚く扱った。異形のものである彼女は、同じく異形のアリスとすぐに打ち解けた。それは、アリスが勝手に城内を歩きまわっていたことからもわかる。女王はすぐにアリスに心を許したのだ。
ヘレナ・ボナム・カーターの原型をあまり留めていない赤の女王だけれど、ハートのジャックに対するときだけは表情がとろけそうになる。時たま見せる寂しい顔がせつない。
クリスピン・グローヴァー演じるハートのジャックは、女王に忠誠を誓いながらも内心では彼女を毛嫌いしている。デカい女が好き、という性癖もあるようだ。このジャックのヴィジュアルがハートの眼帯、長髪、マントってどれだけステキなの…!ただかれがどういう意図で女王に近づいたのか、女王のもとにいたのかも明らかにされず仕舞い。
赤の女王の妹である白の女王は美しい。穏やかで、部下にも動物にも優しく、いつも微笑んでいる。すぐに人の首をはねろと命令する姉とは対照的に、彼女は殺生をしないと誓っている。そういう性格の所為か誰にでも愛される美しい容姿の所為か、昔、国を治めていたのは彼女だったようだ。姉を差し置いて。妹である彼女を、父親の国王が選んだのだと匂わせるシーンもあった。
アン・ハサウェイの白の女王は、むちゃくちゃ可愛いんだけれどちょっと怖い。おっとりしすぎていて、常に同じぶりっこポーズでゆっくり喋るあたりが怖い。まっ白な髪とドレスでメイクが真っ黒。
そういう彼女を姉は憎み、いきなり攻め込んだ。兵を使わせて焼き払ってまわり、王冠を奪った。白の女王につかえていたマッドハッターは当然赤の女王を憎み、いつか倒すことを願っていた。
白の女王の立ち位置は完全なる善だ。しかし彼女は全く純粋でひとつの誤りも汚れもない存在として描かれてはいない。おっとりしているように見えて、本当はわざとそう振舞っているだけなのではないか、実際は腹黒いのではないかと思わされるシーンが随処にある。そして彼女は姉が支配するグリフォンを倒す戦士を選ぶのだ、と言うけれど、それほど必死に探しまわっているようにも見えない。戦いの日は決まっているのに焦りがない。どうも食えない奴っぽいのだ。
まあでも戦士として描かれているアリスに戦うことを強要せず、自分で決めていいのだと判断をゆだねたり、アリスが来ないとなると自ら馬に乗って戦いに挑もうとする様子もあったので、本当に善人なのだろう。自分は殺生しないけど、自分の部下として戦うアリスがジャバウォックを殺生することには特に問題ないあたりがやっぱり腹黒そうだけど。それくらいの黒さがないと国を治めるのは無理なのかしら。
自分が以前にもこの国へ来たことがある、と思いだしたアリスが回想するシーンが素晴らしい。ブルーのワンピースに白いフリルエプロンをつけた少女が、不思議の国で過ごす短くも輝かしい時間。まだきれいな身なりをしているマッドハッターや三月ウサギとの楽しいお茶会、ハートの女王の庭の白い薔薇をペンキで赤く塗るアリス、回る時計とともに回想される断片的なシーンがどれもこれも可愛くて可愛くてたまらない。原作を忠実に映像化したものも、バートンで是非見てみたい。「鏡の国のアリス」もね!ハンプティ・ダンプティとか想像しただけで気持ちが高揚して止まらない!
戦いを終えたアリスは、不思議の国が平和になったのを見届けて、元の世界へ帰ることにする。このままとどまってほしいと言うマッドハッターに対して、すべきことを見つけた、やるべきことがあるのだと彼女は言った。ほったらかしにして逃げたプロポーズのことや、亡くなった父の仕事のことなどが気がかりだ。アリスだっていつまでも好きなことだけをしている子供ではいられない。
それは、夢ばかり見て空想と現実の狭間で生きていた子供時代のアリスにはなかった見解だ。彼女は子供だったし、少々風変わりであっても、子供として存在しているだけで良かったのだ。けれど19歳のアリスは違う。少年期の終わり、思春期の終わり、それを彼女は経験する。到着したばかりの頃は曖昧にしか解答できなかった、「自分は何者なのか/誰なのか」というアブソレムからの問いに、彼女は答えることが出来るようになった。自分が何者なのかを知った彼女は、自分が何をすべきなのかも悟ったのだ。寂しいけれど、それはひとつの時代の終わりなのだ。
不思議の国でさなぎになったアブソレムが、羽化するのだと言ってアリスに別れを告げた。白い繭に包まれてゆくかれは、また会おう、とアリスに言った。それは単なる挨拶文句のようでもあったけれど、実際にかれはアリスの前に現れた。芋虫であったときと変わらぬ美しい青色をした蝶として、船に乗るアリスの肩に止まって、羽ばたいていった。ワンダーランドで出会ったかれに、現実の世界で再会することの意味はなんだろう。
不思議の国についてからのアリスは何度も、今自分が体験していることは「自分の夢だ」と考えていた。それは幼いころのアリスが考えなかったことであり、今のアリスが19歳であるからこその思考だ。こんな馬鹿げたことが起こるはずがない、ケーキを食べて大きくなったりジュースを飲んで小さくなるようなことはないのだと彼女は思っている。自分が憧れたり想像することはあっても、実際に起こり得ないことなのだと知っている。けれど彼女が経験したことは夢ではなかった。その証拠に、自分をつねってみても眼は覚めなかった。不思議の国は、アリスがそれまで生活していた現実とは違う世界だけれど、確かに存在する世界なのだろう。
マッドハッターと別れるとき、アリスはまた来る、と言った。どうやって来るのかも知らない筈なのに、自信満々に告げた。そしてあの世界にいたアブソレムは、この世界にやってきたのだ。不思議の国と現実の世界は繋がっているのかもしれない。ウサギ穴やジャバウォックの血のように、もうひとつの世界につながるドアは、沢山あるのかもしれない。それについての解説はされないけれど、きっとある。アリスはマッドハッターや、共に闘ったおかしな仲間たちと再会する。そう考えたい。
物語のアラやご都合主義、物足りないところを補って余りある描写だった。アリスの物語もモチーフも大好きでバートンのセンスが好きなので、バートンが頭の中で描くワンダーランドを眼で見ることができただけでも幸せ!その中に入り込めるなんて夢みたい。
バートン復活!とは思えなかったけれど、やっぱり大好きな監督。
3Dは効果的で面白かったけれど、色のついたレンズ越しに見るので画面の色をそのまま見ている感じではなかった。途中で何度か3D眼鏡をずらして肉眼でスクリーンを見たら、レンズを通して見るよりもきれいな青空や緑が広がっていたので、次は2Dで見るぞ!
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2010.04.22 Thursday
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薄桜鬼 第三話「宵闇に咲く華」
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さて、池田屋。
池田屋に向かった面々ははしゃいでいて、楽しそうですらある。どうなるかと思った戦闘シーンは案外悪くない。圧倒的に人数で負けているのにも関わらず、かれらが敵を圧倒していく感じがよく出ている。
四国屋へ辿り着いた千鶴の伝令によって、四国屋で待機していた土方たちは慌てて池田屋へ向かう。
それぞれが持ち場へ向かう中、斎藤が隊士に指示を出していてちょっとびっくりした。組長なんだから出すに決まってるんだけれど、見たことのないシーンだったので新鮮だ。「突入する」が格好良い。
土方はひとり、ようやく来た会津藩士たちを足止めする役を買ってでる。命を賭けて戦う仲間のために、かれは憎まれ役を進んで名乗り出た。大人数でやってきた会津藩士たちをものともしない、何があろうとも決して藩士を進ませない意思が、背中からにじみ出ている。羽織を着た背中、というとどうしてもノーマルルートの最後のスチルを思い出してせつなくなってしまうのだけれど。
裏に回りこんだ原田が、怪我した平隊士と、殉職した隊士の名前を呼んで声をかけるシーンが好きだ。かれらは物語の中ではその他大勢の平隊士だけれど、ひとりひとり名前のある人間であり、原田にとっては大切な仲間であり部下であるのだと思わされる。原田という男の、大雑把だけれど繊細な人間性も垣間見えていい。
外で土方が戦っているころ、池田屋の中でも死闘が繰り広げられていた。
平助と沖田は、天霧と風間が控えている部屋へと辿り着いた。天霧も風間もちょっとゲームで聞いたトーンと違うかとも思ったのだけれど、どの台詞が採用されてどの台詞が採用されないのかプレイヤー次第で変わるゲームは、台詞の一つ一つが重くなる。それに比べてアニメは台詞全体の流れに重きが置かれるのかな、という印象。風間にゲームの調子で喋られたら話がなっかなか進まないだろうし。
鉢がねを天霧に素手で割られる平助と、風間に苦戦する沖田。血を吐くあたりは、スチルだけのゲームよりかなり生々しい。足元がふらついているあたりもいい。風間が蹴りを入れたシーンが結構好きなんだけれど、作画がトホホ。
隊士が怪我をしたことを知って、池田屋へ飛び込む千鶴。当然ながら驚く近藤たちだけれど、平隊士にまで奥へ行くよう送り出されている。平隊士にとって千鶴はどういう位置にいるんだろう。
千鶴がやってきた時、既に沖田は立っているのがやっとという状態だった。それでもかれは千鶴を庇う。人を斬ったことも斬る覚悟もない彼女が、衝動的にここまで来たことをもはや誰も責めない。彼女がそういう子であること、それが彼女の欠点でもあるけれど長所でもあることを、沖田はもう知っている。きっと、ほかの隊士も。
土方ルートに沿って物語が進むから仕方がないといえば仕方がないのだけれど、ここは是非とも沖田の「後でいっぱい褒めてあげる」を入れて欲しかった。あの台詞最高なのに…っ!
担架で運ばれる沖田に「どうして私を庇ったんですか」と千鶴が聞くと、かれは無理やり微笑んで「そういえば何でだろう」と応えた。普段嘘や適当なことばかり言って真意を見せない沖田らしい答だけれど、たぶんそれはかれの本音なのだろう。何でなのかは分からないけれど、庇ってしまったのだ。
池田屋事変も終わり、幹部隊士たちが一つの部屋で食事しながら雑談をしている。そこにはもう普通に千鶴がいる。石田散薬を飲まされる負傷者たちが、千鶴に石田散薬について説明するのだけれど、ドラマCDではもはやお馴染みになった「効かない」ネタはなかった。
土方の命令で、巡察について行く日ではないのに原田の巡察について行く千鶴。そこで他のルートで巡察していた新八と出会うまでは良かったのだが、隊士をお互い引き連れた中で「よう千鶴ちゃん!」はないだろ新八。ゲームでは幹部隊士だけの絵があって、背景は景色や建物だったのであまり気にしていなかったけれど、あのよく通る大きな声で女ものの名前を呼ぶシーンは、アニメで見ると無理がある。隠す気ないのか。そしてヤボ用があるから、と平隊士と別行動する組長たち。どういう組織なんだ。
わけのわからないまま原田と新八に誘導された千鶴は、祇園祭を体験する。意外にも本が好きな新八が千鶴に「平家物語」の説明をすると、原田もそこに付け加える。かれらが笑いながら言う「盛者必衰」の言葉が切ない。
祭の華やかな雰囲気に嬉しそうにする千鶴は、この案を出したのが土方だと教えられる。ここで自分たちの手柄にしないあたりが二人とも良い奴だ。そして土方が慕われていることの証明でもある。千鶴にはいつもきつい言葉を冷たく言い放つだけのかれが、本当は優しい気遣いのできる人間であることを原田も新八も知っている。千鶴にも知って欲しいと思っている。
そして心置きなく楽しもうと、祭りの人ごみに溶け込むべく走り出す三人。なのだけれど。まさかの。まさかの、キラキラスローモーション…!海岸とかでカップルがアハハウフフやる、あれである。びっくりした。薄桜鬼のキャラは誰ひとりこのシチュエーションが似合わないと思うし、まだこの二人は似合う方だとすら思うけれど(だって斎藤とか土方とかfile not foundにもほどがある!)、なぜこんなことをしたんだ…。びっくりした。笑った。まあいいか。
新選組の一番いい時期は池田屋のあたりだ、というのはよく聞く。実際、このあとは時代の流れが少しずつかれらに逆風となっていく苦しい時代に突入するので、あながち間違いではないと思う。今はひとときの、良い時期だ。栄えている短いひとときだ。今が輝いていればいるほど、そのあとに来る影が深く暗いものになる。
その影は既に下り始めている。手始めに、山南のもとに。
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2010.04.21 Wednesday
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原作:鈴木あみ、漫画:樹要「愛で痴れる夜の純情 華園編」
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原作:鈴木あみ、漫画:樹要「愛で痴れる夜の純情 華園編」
禿編、傾城編ときて第三弾。
蜻蛉は岩崎の身請けの話を受けることを決意した。それは、身請けの話を受ければいいと軽口をたたいた帰蝶の言葉の所為でもあったし、家族に引き取られることが決まった帰蝶の幸福のためでもあったし、何より、自分の力では当分出ることが出来ない遊郭の外でかれと会うことができるかもしれないという、淡い期待によるものだった。蜻蛉の行動はずっと前から、帰蝶を軸に動いている。素直になれないと自覚している蜻蛉だけれど、傍目から見ればこれほど分かりやすいこともない。
かれを見ていれば、そんなことはすぐに分かるのだ。帰蝶本人は勿論、仕事のためにかれを見守っていた鷹村も、蜻蛉をずっと思っていた岩崎も、ずっと知っていたのだ。
自分の身請けの話を受けた蜻蛉の真意を、岩崎は知っていた。そもそも蜻蛉の心が帰蝶に向いていると知った上でかれを引き受けることを望んだのだ。だからと言って、自分のもとに来たあともその気持ちを許すわけではない。一緒に外国へ行くんだ、戻りがいつになるのかは分からない、と岩崎は言った。楽しそうに、いつもの優しい口調で言ったあと、残酷に笑った岩崎に蜻蛉は絶望する。
蜻蛉は子供だ。好きなものを好きと言うことが恥ずかしくて、自分を構う帰蝶にそっけない態度を取っておきながら、かれが同じ態度を取ると傷つく。感情を表に出している自覚がないまま、帰蝶の行動に一喜一憂する。ひとの裏を読むことができないかれは、帰蝶の冷たい言葉や意地の悪いからかいの裏にある優しさや愛情になかなか気づけない。同じように、人気の娼妓である自分に優しく接する岩崎が隠している切実な思いにも企みにも、気づけない。
幼くして家族に売られ、きれいな容姿ゆえに妬まれるか特別扱いされるかの二択だった蜻蛉が、年相応に成長しなかったとしても仕方がない。寧ろ、きつそうな顔立ちからは想像できないその稚拙さや愚かなまでの純粋さに、ひとは魅了されるのだ。
後先考えない子供の蜻蛉は、帰蝶と会えなくなることに思い悩み、大罪である足抜けを試みる。準備もせず深く考えることもなく、思い立ったまま決行するあたりがかれらしい。何の案もないその大胆な行動が成功するはずもなく、かれは連れ戻されて捕らえられる。罰を与えるのは、帰蝶だ。自ら名乗り出たのだと悪びれずにほくそ笑むかれは、縛られた蜻蛉をひとが見ている牢で犯す。
誰よりも好きな相手、そのために足抜けまでしようとした相手から与えられる罰に、蜻蛉は戸惑う。好きだからこそ戸惑うし悲しくも腹立たしくもあるけれど、嫌だと突っぱねきれない。自分と帰蝶の複雑すぎる心情を理解できないまま、更には快楽で思考がまとまらず、蜻蛉は本音を引き出される。意地も虚勢も剥がれていって、最後に残った気持ちは、帰蝶と一緒にいたい、という願いだ。幼いころに交わした約束が忘れられないのだ。
自分ではどうしようもない境遇の所為で、不幸な世界に無理やり引きずり込まれた子供たちの、幼い約束だった。自分の身に起こることもはっきり分からないほど無知だったかれらだから言えた、ともいえる。きっと花降楼では沢山の子供達が似たような約束をして、年を重ねるごとに忘れたり諦めたり、いい思い出だったと笑って、反故にしていくのだろう。けれど二人はどうしても忘れられなかった。
そして、ついにその約束を果たす。
こそこそ隠れて足抜けするのではなく、堂々とふたりで門を出て行くところがすごく「らしい」と思った。勿論その陰には帰蝶の周到な計画があるんだけれど、そのあたりはさらっと蜉蝣に説明する程度に留めておくところがまたいい。とうとう約束を叶えることになったかれらの前途が明るいものだと確信させてくれる、そういうシーンだ。
無事に足を洗い、一緒に暮らし始めた二人を描いた「華園を遠く離れて」も収録。
家のことがなにもできない蜉蝣は、帰蝶に抱かれるだけの生活を送っている。かれに見受けされた娼妓のような自分に落ち込む蜉蝣は、このままだと早々に飽きられると東院に指摘されて更に思い詰める。しかし帰蝶はそのままでいいんだ、と笑って受け止めてくれる。
蜉蝣の不安を拭わんとするかれの言葉は優しい。たとえ知らないことやできないことが沢山あっても蜉蝣が好きだと言うかれは、短くした髪も相まって非常に格好良い。これから覚えていけばいいから気にしていないというより、蜉蝣が何もできずにいること、自分を頼って生きていることに帰蝶はほの暗い悦びを覚えているのだ。自由にしたいと言う気持ちと、ずっと自分だけのものとして囲いたい気持ちの両方がかれの中にある。似たものである東院はそのことが理解できるけれど、きっと蜉蝣は説明されても実感できないであろう。それでいいのだ。
蜉蝣目線で話が進むときは、蜉蝣は帰蝶が好きなのに比べて帰蝶の愛情が足りないように感じる。しかし帰蝶目線の物語においては、蜉蝣に惚れすぎてすこしばかり狂気を孕んでいる帰蝶の愛の深さに、蜉蝣の愛は到底勝てないだろうと思わされる。お互いがすぎるほどに相手を思っていることが分かる。
刊行ペースのゆっくりした雑誌で連載されていたこともあり、なかなかどうしてゆっくりしたペースで進む物語だった。挿絵担当作家自らのコミカライズという点も良かったし、なにより特殊な世界である花降楼や着物をきたかれらの作画も分かりやすくて美しい。読み応えがある贅沢な漫画だった。
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2010.04.20 Tuesday
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deep sleepers@OSAKA MUSE
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cocklobinと9GOATS BLACK OUTの2マンツアーいん大阪。
仕事が終わってから猛ダッシュする予定だったので、開演から見られないことは分かっていた。しかし思ったより乗り換えがスムーズに行ったので、多分3曲目くらいから見られたんじゃないかな。
・cocklobin
先攻はcocklobin。去年の一月のBLACK Sugar POTで見た以来で、しかもその時はOAで、更に言うとniguの調子が非常に悪くて声が全然出ていない状態だったので、ある意味初めて見たようなもの。取り敢えずniguさんがスダレ頭じゃなくなってたのにびっくりした。依織は黒ブラウスに黒パンツで黒の革の太めのチョーカーというか首輪。黒髪ふわふわで相変わらず顔が小さい。相変わらずどこも見ていないような目つきをしたり、流し目をしたかと思えば子供みたいな顔で笑ったりしてた。わーい!
曲は音源で聴いたときと印象が異なる。バンドっぽくなっていたし、分かりやすくもなっていた。分かりにくさが好きだという部分もあるので一概に喜べないのだけれど、でもバンドの在り方としては良いと思う。
MCは色々喋ってたけど、取り敢えずniguが「俺が喋るとなんでも面白く聞こえるのなんでだ…」と呟いていた。人徳だよ、たぶん!かと思えばだだ滑りして静まり返った&失笑が起こる客席に向かって「なんか…ごめんね?」も言ってた。
cocklobinが「死と再生」、9GOATSが「TANATOS」と、どちらも死についてのアルバムを出したという話もあり。言いたいことは歌詞に込めているんだけど、とにかく「生きて」ということだけ、と言葉を選びながら話していた。
ツアー告知、ワンマン告知、あとは「死と再生」が売り切れた話もあり。在庫なくなって、物販分もなくなったので、慌てて再プレスかけます、親指サイズのおっさんたちが頑張ってます、と言って、言った直後に後悔してた。
ライヴ自体は非常に盛り上がっていた。本人たちも楽しそう。新人バンドのようでもあり、既に
7、8年やっているバンドのようでもあった。
最後に依織がおんぶされてハケていったのにびっくりした。いや、細っこいけどさ。
・9GOATS BLACK OUT
sink
TANATOS
HERMS
BABEL
宛名のない手紙
SALOME
Lastat
Den lille hevfrue
690min
Who's the MAD
headache
願い
niguの「まだまだ今夜は続くぞー!この後も目一杯楽しんで!」と言う言葉で引き継がれた9GOATSだが、なかなか始まらない。下手で機材トラブルがあったのかな?という感じで、転換に時間がかかってた。
9GOATSもなんだかんだで久々だった。akayaさんが金髪の五分刈りくらいで眉毛なし真っ黒アイメイクで黒のノースリタートルネックニットにタイトなパンツという出で立ちで立ってるとびっくりする。
漾さんは白の、ものっすごいフリルシャツ。照明で袖のラッセルレースの模様が影になって顔や手にうつっていい感じ。片手を水平に挙げたまま、もう片方の手を回して、深々とピエロのようにお辞儀をしたり、上から糸で操られているマリオネットのような動きをしたりと、非常に動きが多いステージングになっていた。それ以外にも動く動く。盛り上がって上下へ移動してくる姿はよく見たけれど、こんなに踊っている姿はあまり記憶にない。いや見てなかっただけかもしれないけれど。…その可能性が高いけれど。
とかくライヴに当たり外れの多い9GOATSだけれど、この日は当たりだった。大阪で見るたび大阪のノリが好きだと繰り返しているように、盛り上げるということに関して大阪はつよいと思う。本人たちがああ言うから余計に、というのもあるのだろう。
「大阪の声が好きです」とか「男からの声も大歓迎だ!」とか、「女ァ!」「男ォ!」とかコール要求が多い多い。盛り上げるだけ盛り上げて、「俺、タモリさんみたい」とも言ってた。
akayaさんはakayaさんで、MC中に「大阪でこんな風に喋れることが嬉しい」と言ってた。あとは「イエー!」「イエー!」みたいなコール&レスポンスのときに、akayaさんが変な奇声をあげたために客が乗り切れず、「なんか…ごめんね」とniguさんのまねっこ。
先日出た「TANATOS」は、名盤ながら、これまでの作品と比べて内に籠もりすぎてバンドらしさの薄い音源になっていたと思った。奥深くへ潜る試みは好きだけれど、それでなくても楽曲にバンドらしさの薄いこのバンドが、更に閉じているように感じた。枷が少なくなって自由に動きまわれる状態になった途端、奥へ入ってしまったような、うまく言えない違和感があった。けれどライヴになるとそのあたりは緩和されるかな。ライヴバンドかと言われると肯定しづらいのだが、うまくいった日のライヴは音源以上のものがある、と思う。色々なことがしっくり来るライヴだった。
しかしcocklobinではバンドっぽくなったと不満を言い、9GOATSでは奥に入りすぎだと文句を言う、いやな客である。
途中で、センターに二つ設置されているアンプのうち上手側にあるものから「これ邪魔なんだよ」とセットリストをはがして捨てる漾さん。「これ見てると『死と再生』とか歌いそう」ということなので、cocklobinセトリが貼ったままだったんだな。そんなときでも嬉しそうだった。
「cocklobinと回ってきたツアーももう終了…終幕…なんだっけ、なんて言うんだっけこういうの?」と言葉が出てこない漾さんに、客席から「終盤」と声があがる。「そう、それがいいたかったの、そう」と嬉しそう。ツアーがとにかく楽しいらしい。漾さんはクックロビンのイントネーションが最初の「ク」にあるのに地味に驚いた。ちなみにniguさんもわたしも二つ目の「ク」におく。
肉親を亡くして、分かったことは、死は終わりではないということ。俺らも激しいだけじゃない…まあ煽ってるけど、激しいだけじゃないし、そういう何て言うのかな…バイオリズム、そういうものがある。言いたいことは歌詞にこめているし、伝わってるかな…とも思うけれど。家族とか恋人とか友達とか、ペットとか…自分の大切なもの、ひとは傍にいる。何か、そういう大切な存在を思い浮かべて聞いてください、「願い」
ちょっとniguさんのMCとこんがらがっているかも。
自分でも少し考えがまとまらないというか、言いたいこと・伝えたいことは明確にあるけれど言葉にしつくせないような感じだった。
だからこそ歌うのだろう。
・セッション
chloe(9GOATS BLACK OUT+nigu)
一端メンバーがはけて、アンコール。
アキさんはアー写で被ってるキャップ込みで登場。hatiさんはストール外していた。utaさんは拍手しながら登場。akayaさんはふつうに。
アンコールありがとう、では先生をお呼びしましょう、という紹介のあと「niguせんせーーえ!」と呼ばれたniguさんがコラボタオルを持って登場。「またセンター三人新潟人だな!」と嬉しそうなniguさんに、口元だけで笑う新潟弦楽器隊。コラボ物販の紹介をしたあと、「chloe」へ。
既に本編でもやっていたし、いい感じに盛り上がりきったあとのセッションだったので、ばか騒ぎ。ほんとniguさん楽しそうなんだもん!こっちまで楽しくなっちゃうよ。
そして途中でこっそり、トップスをバンドTに着替えた漾さん登場。すっと出てきたので気づいてないniguさん。後ろを振り返って漾さんがいたのにはしゃいでてた。それによってツインボーカルになるかと思えば、akayaさんも登場してのトリプルボーカル体制。っていうかヴォーカルふたりがはしゃいじゃって、akayaさんのワンマンショー状態だった。サビの拳を上げるところで、何を思ったかセンターで向かい合って万歳する新潟人ヴォーカリストふたりが微笑ましかった。あんたたちお客さんはこっちですよ!
演奏が終わったあともわいわい盛り上がって、めいめいにマイクを通さず「ありがとう!」と言うメンバー。誰が始めたのか一列になって手を繋ぎだす。ドラムセットからやってきたアキさんも列に組み込んで、ばんざーい。思わずともだちと、知らないひとと手つないでばんざいしちゃったよ!どこのオサレバンドだよ!超楽しかったよ!
こういうバンドが細々とであっても、長く続いてくれるといいな。
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