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2009.12.31 Thursday
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2009年非BL漫画個人的ランキング(と振り返っていろいろ)
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そこそこに読みました。
10位
よしながふみ「大奥」5 <感想>
序盤で止めたひとにももう一度読み直してほしいくらい、面白すぎて鳥肌。
9位
鬼頭莫宏「ぼくらの」11
とうとう完結。感想間に合わなかったけれど、残酷で美しいラストだった。
8位
水城せとな「失恋ショコラティエ」1 <感想>
水城せとな「失恋ショコラティエ」2 <感想>
恋愛がドロドロで駆け引きだらけのゲームで相手を落とすために腹の中が真っ黒なのことに、べつに同性も異性も関係ない。甘くて可愛いショコラと、ろくでもない恋愛にむせかえりそう。
7位
青桐ナツ「flat」2 <感想>
相変わらず可愛いあっくん。同時収録の短編が面白かったので他の作品も見てみたい。
6位
西炯子「娚の一生」1 <感想>
西炯子「娚の一生」2 <感想>
こんないやらしい関西弁を使う、枯れる寸前の色気を放った見目の良い哲学教授いねーよ!と関西の哲学科を出たわたしが言う。でもいたらいいなって思うのは罪じゃない。恋愛に素直になれる時期をもう終えたふたりが、それでも必死になってゆくさまがいい。
5位
峰倉かずや「最遊記外伝」4 <感想>
外伝完結。キャラは本編の方が好きだし愛着もあるけれど、この終わりは非常にキた。分かり切っていた結末なのに、それでも哀しかった。悟空が三蔵と、八戒と悟浄と出会えてよかった。
4位
ヤマシタトモコ「Love,Hate,Love.」 <感想>
恋ってすてき。世界がきらきらして、自分が少し地面から浮いているような気がする。苛々することが増えて、哀しいことも不安も増えるけれど、やっぱり恋って素敵、と思わせてくれる。
3位
高河ゆん「機動戦士ガンダム00 高河ゆん Dear Meisters COMIC&ARTS」 <感想>
収録されたコミックが全部良かった。やっぱりわたしは高河ゆんが好きで、ガンダム00が好き。
2位
スエカネクミコ「放課後のカリスマ」1 <感想>
スエカネクミコ「放課後のカリスマ」2
スエカネクミコ「放課後のカリスマ」3 <感想>
設定の面白さにエピソードの面白さが加わった、新しい話が始まった。先の読めなさと、全体に漂う薄暗さが良い。
1位
清水玲子「秘密-トップ・シークレット-」6 <感想>
清水玲子「秘密-トップ・シークレット-」7 <感想>
何故今これを、と自分でも言いたくなるが、7巻が自分の中で非常に面白かったので。どんどん話も技術も熟してきて、巻を追うごとに面白くなる。そして巻を追うごとに救いが消えてゆく。
こうやって見ると少女漫画というか、女性向け漫画ばっかりだな。男性向けも読んでいるんだけれど。そして毎年同じ本が入っている。
あとは去年に引き続き「腐女子ッス!」「アオイホノオ」「パーム」「よんでますよ、アザゼルさん。」が面白かった。「臨死!江古田ちゃん」は隠れ猛禽という新しい概念を生み出したし、「ママはテンパリスト」「聖☆おにいさん」には今年も爆笑させられた。「君に届け」にはいちいちじたばたさせられたし、「乙嫁語り」の初々しい恋愛も可愛くて大好き。「青の祓魔師」も面白かった!
「NANA-ナナ-」の復活も地道に待っています。
今年も一般小説ランキングはありませんです。
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2009.12.31 Thursday
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2009年BL小説個人的ランキング(と振り返っていろいろ)
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いっぱい読もうとしたんだけれど、ものすごく偏った。
10位
玉木ゆら「ポチとタマ」 <感想>
ヤマもオチもないように見えるカップルの日常は、実は細々とした諍いと仲直りで成立している。コミックも良かったけれど、タマの過去などが描かれた小説の方が好きかな。
9位
崎谷はるひ「ヒマワリのコトバ-チュウイ-」 <感想>
信号機シリーズラストはものすっごく重かった。キーパーソンとなるひかりのトンデモっぷりには目を疑ったけれど、主役二人の関係は胃を痛めつつ楽しく読んだ。
8位
岩本薫「ロッセリーニ家の息子 共犯者」 <感想>
ゴージャス!三男の話が可愛くて好きです。
7位
崎谷はるひ「ラブスクエア」 <感想>
過去の作品の文庫化。ベッタベタなBLテンプレ展開なんだけれど、目新しさはひとつもないんだけれど、やけに好き。
6位
崎谷はるひ「ただ青くひかる音」 <感想>
待ってましたのブルーサウンド。二冊同時で両方面白かったのだけれど、和輝と笙惟の話が好きなのでこっちにしてみた。あと一歩、がオチない関係がもどかしいんだけれど面白い。
5位
英田サキ「最果ての空」 <感想>
何度考えてもこういう答えしか出ない、篠塚さんの生き様。
4位
一穂ミチ「オールトの雲」 <感想>
言葉のひとつひとつが刺さる。自分がさびしいことも耐えられると思えるのは相手のことが好きだからであり、さびしさを知らないくらい若いからでもある。青い純情が凄く好き。
3位
崎谷はるひ「やすらかな夜のための寓話」 <感想>
待望のシリーズ最新作。期待していただけにどうなるかという不安がないわけでもなかったのだけれど、やっぱり面白かった。
2位
榎田尤利「交渉人は振り返る」 <感想>
個人的にはシリーズ最高傑作なんじゃないのか、と思ったくらい面白かった。後半の芽吹のモノローグが好きすぎる。格好良いはずの兵頭のいまひとつかっこよくなりきれないところとか、芽吹の冴えなさも含めて生きている感じがする。
キヨと智紀の話をものすごく待っている。
1位
一穂ミチ「藍より甘く」 <感想>
好き好き大好き。沸き起こる情動を持て余すくらい、好き。言葉選びも展開も全部が好み。華やかさはないんだけれど、じわじわ沁みる。
ものすごく偏った…なんだこのランキング。でもわたしの素直な気持ち。
「空色スピカ」のシリーズが可愛かったり、「スリープ」や「兄弟の事情」も良かったんだけれど、結局わたしは自分で思っているよりも遥かに崎谷はるひが好きらしい。でもこれでも今年出た本の半分にも満たないっていうあたりもすごい。
一穂さんに出会えたのが幸運だった。発売当初から気になりつつも手にとらなかった「雪よ林檎~」を買って読んでみたことであれよあれよと転がったのだ。来年も新規開拓できますように。
去年のランキングを見たら、「毎日晴天!」の文庫未収録分の文庫化と菅野さんの新作を待望している。前者は叶わなかったけれど、後者はJ庭の新作でちょっと叶った。新作を…新作を…!
そしてもうひとつの願い、「終わりなき夜の果て」は結局刊行されずじまいの一年だった。来年こそは…。
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2009.12.30 Wednesday
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2009年BL漫画個人的ランキング(と振り返っていろいろ)
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今年も沢山読みました。
10位
夏水りつ「犬も走って恋をする」 <感想>
今井はやっぱり変態で、あっくんはやっぱり可愛かった。
赤面男子、睫毛ばさばさ男子さいこう。
9位
井ノ本リカ子「SWEET」 <感想>
清く正しく美しくえろまんが。エロが根本にある漫画は多々あれど、短編なのにストーリー性を感じさせて、それでいてエロ漫画である本質がぶれないというのは凄いと思う。あと井ノ本さんの描く白髪垂れ目口悪い男子がすき。
8位
稲荷家房之介「ザイオンの小枝」 <感想>
ナチスで腸内洗浄でオヤジ。聖書ネタなんかもあったりして、更に軍服。という畳み掛けるような萌えを感じさせつつも、話はどんよりヘヴィーでよかった。
7位
北上れん「みちづれポリシー」 <感想>
モノローグが相変わらず冴えている。北上さんのモノローグは過不足がない。のほほんとしているのに深刻。
6位
本間アキラ「兎オトコ虎オトコ」1 <感想>
ああん超可愛い超切ない!と悶える、虎×兎の物語。単にラブコメで終わらず、非常にシリアスな一面もあったことが後半判明する。そしてものすごくいいところで終わるので、歯軋り。
5位
富士山ひょうた「純情」3 <感想>
とっても良い終わりだった。同性カップルが抱える家族問題を示唆しつつも重くなりすぎない、バランスが素晴らしかった。
4位
楢崎壮太「誘惑レシピ」3 <感想>
4巻も出たのだけれど、わたしにとってこの3巻の萌えが尋常じゃなかったので。自分は愛されない、愛するに値しない存在だと思い込んで何もかもを諦めてきた青年が、どうしても諦められないものに出会って、一歩を踏み出すところが沁みた。
3位
原作:遠野春日、漫画:麻々原絵里依「茅島氏の優雅な生活」 <感想>
大好きな原作のコミカライズということで期待も恐怖も同じくらい強くあったのだけれど、想像以上に良かった。茅島氏の平素の能面っぷりと、たまに滲ませる感情の機微が良かった。絵で見る庭や豪邸がまたよし。
2位
日高ショーコ「憂鬱な朝」1 <感想>
世界観がモロ好み。馬鹿丁寧な口調ながらちっとも服従の意を示さない従者と、かれと対等になりたいと願う傲慢な主の、傷つけあってばかりの関係がたまらない。
1位
水城せとな「俎上の鯉は二度跳ねる」 <感想>
大好きなのに軽い気持ちでは読み返せない、どこまで行こうとも行き着く先がハッピーエンドではない二人の恋愛に、とにかく振り回された。すごかった。
わたしが主従が好きだ、ということが出た結果な気がする。
「るったとこだま」はリバりそうでリバらない雰囲気が可愛かったし、「愛くらいちゃんと」「本日も場外乱闘」も同じく可愛かった。「生徒会長に忠告」は非常に長いすれ違いを経ての両思いに心の中で万歳三唱したし、「生日快楽」では小野塚カホリの復活に沸いたし、「猿喰山疑獄事件」はデッサンの狂いを補ってあまりあるストーリーだった。「春を抱いていた」も、無事とは言わないが完結した。
BLをお休みするらしいヤマシタトモコの作品「ジュテーム、カフェ・ノワール」、「YES IT'S ME」も良かった。「夢は夜ひらく」が最高だった。
「幾千の夜」や「是-ZE-」は続きが気になるし、「流れ星ミュージアム」も続編が出て欲しいところ。
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去年のランキングを見ていると、わたしは「卒業生」と「茅島氏の優雅な生活」「百日の薔薇」を楽しみにしていたらしい。「茅島氏〜」は出たし、「卒業生」ももうすぐ出る。「百日の薔薇」」は…出ないね…。
今の楽しみは木原音瀬×小椋ムク「キャッスルマンゴー」です。ペース遅すぎるけど面白いからゆるす。「恋愛操作」もそろそろ出てもいいんじゃないかしら!あと「神様の腕の中」ってもう続かないのかなー。
来年もたくさん読めますように。
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2009.12.30 Wednesday
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崎谷はるひ「やすらかな夜のための寓話」
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崎谷はるひ「やすらかな夜のための寓話」
「しなやかな熱情」「ひめやかな殉情」「あざやかな恋情」とこれまでに三冊発行されている、慈英×臣シリーズの短編集。
わたしはこのシリーズが好きだ。大好きだ。異常なまでに好きだ。シリーズ新刊が出ると作者のブログで知った日から半年以上もおあずけをくらわされ、発売日には朝イチで購入して読破してから仕事に出た。この日は興奮のあまり、よく眠れなかった。買ってからほぼ毎日のように読み、十冊買ったら新しいエピソードが出てこないかな、とかよくわからない想像に耽ったりもした。あたまがおかしい。
***
・「やすらかな夜のための寓話」
「しなやかな熱情」「さらさら。」のあと、ようやく結ばれたものの、まだお互いに理解できていない部分の沢山ある頃の物語だ。初出は同人誌で、そのあと作者のHPにも掲載されていた。同人誌は持っていないのだけれど、WEB版と今回収録されたものは、細かい文章の違いがあるくらいで基本的には同じ。
二人の関係がなかなかうまくいかなかった原因のひとつに、臣の強い自己否定がある。ろくでもない過去と、幸福でない恋愛ばかりを経験してきたかれは、どうしても手放しで自分を肯定できない。自分はろくな奴じゃない、愛されるに値しない、という考えは深くかれの中に根付いている。そんなことを考えてしまうのは、自分への思いだけで住まいまで変えてしまった慈英に失礼だということも臣は分かっている。かれの愛情を侮辱することになりかねないと知っているから、本当はそんなことを思いたくない。でも思ってしまう。思ってしまう自分に、また、嫌悪感が募る。
序盤、ほろ酔いで慈英に抱きつく臣の無邪気さが可愛い。可愛いと同時に、些細なことでその上機嫌が地に落ちてしまうかれの危うさも伝わる。酒が入った分だけいつもより素直になったかれは、慈英への愛情も不安も剥き出しにしている。
元々の臣は明るくてまっすぐな性格をしている。辛い過去がかれを捻じ曲げた。捻じ曲げないで生きてはゆけなかった。そういう臣が嫌なのは、慈英ではなく臣自身だ。堺一家のおかげもあって大分と本来の明るい臣が出てきたけれど、何かきっかけがあるとかれはまたネガティブな方向に思考を巡らせてしまう。
拒まれることを恐れるあまり、臣は要求を口にしない。心で考えていることが慈英には丸分かりだとしても、口にさえしなければ許されるとでも言うように、かれは何も願わない。そのままではいけない。望みが叶えられるのだと、臣は知らなければならない。
叶う願いが沢山あることを知って、願うことを普通のことだと理解するように慈英は仕向ける。かれは臣の願いを口にさせる。口に出して言うことを条件にして、かれの願いを叶えてやる。慈英が少しずつ臣をつくりかえていく。
結局のところ臣自身の問題でしかないのだ。ちいさなことで何度も迷って不安になる臣に対して、慈英は根気よく過剰なまでの愛情を注いで、好きだと言い続けてきた。雨垂れが岩に大きな穴をあけるように、がちがちに固まった臣の心を解いてきた。それを受け止めて、臣は変わらなくてはならない。慈英の愛情に報いるためには、揺らがない愛を手にしている自分に気づかなければならない。そして、愛されるに値する自分であることを知らなければならない。
教えられるばかりでは、根本的な解決にはならない。「あなたもちゃんと考えて」と慈英は言った。何故自分が東京から長野に引っ越してきたのか。インテリアや住まいにこだわりがあるわけでもない自分が大きな家を借りて、空き部屋を用意しているのか。
勿論すぐに何かが変わるというものではない。臣はこの後も相変わらず落ち込んだり自棄になったりしているし、自分を大切にしなかったと慈英に怒られたりもしている。それでも慈英は諦めずに臣を明るい方へ導き続けた。それが今の、「あざやか〜」やCD「さらさら。」で描かれた現在の二人の関係になっていくのだ。
・「SWEET CANDY ICE」
付き合いだして二年くらいが経過したころの物語。
慈英との関係にもようやく慣れ始めた臣は、忙しい毎日だけれども完全に人生がばら色だ。自分に慈英がいる環境に馴染んだのだろう、恋人のことを完全に頭数に入れた生活をしている。車は買わないかなとか、今度どこに行こうかなとか、そういう他愛もない未来を無意識に想像できるようになった。この先もかれと一緒にいるのだという確信が、臣の中に根付き始めている。恋愛体質だと言っていたけれど、まさにそんな感じ。
ようやくの休み、久々に会えると胸を高鳴らせて家を訪ねた臣に対して、慈英は予想外の対応に出た。声のトーンは暗く、表情は疲れたまま、このまま帰れとだけ告げた。理由も謝罪もなく、ただそれだけを。
二年付き合ってる恋人にいきなりそんなことを言われたら、大半のひとは怒るか問い詰めるだろう。けれど臣にはできなかった。二年もまともな恋愛ができただけでも奇跡だったと自分に言い聞かせて、あろうことか意味も分からないまま謝罪して、そのまま消えようとした。このあたりまだ、治りきっていない。すぐに自分が悪いんだと思ってしまう臣の考えはよろしくないけれど、こういうところがすごく好きなの…。
慈英が臣よりも年下であることや、いくら大人びていてもまだ青い部分のある青年であること、そして何より、他人とは相容れない異質な才能を持った存在であることが顕著な短編だ。
以前揉めた相手が慈英をこき下ろしたレビューを雑誌に載せた。そのことに慈英は荒れている。自分の作品が罵倒されたことや、存在しないコネクションによる優遇をさも存在するように書かれたことに怒っているのであれば、真っ当な感覚だった。そうではない。ただ、誰が誰に向けたものであるとか関係なく、そういうよろしくない、醜い感情がこの世に存在していることにかれは苛立っている。そして何より、よくあることだとそういうものを受け入れてしまいかねない自分に。
臣に接するときの慈英は温厚なただの男だけれど、かれは無から有を生みだす芸術家でもある。しかも、天才的な。他の誰にも、臣にさえも完全に理解することのできないことに打ちひしがれているかれを見て、臣はどこか嬉しくもあった。普段自分を諌めているばかりの男が我を忘れていることも、その苛立ちが凶暴な欲望に変化することも、臣を煽る。
残酷な言葉と乱暴な態度の両方を掲げてくる慈英を、臣は拒まなかった。奪われることへのほの暗い悦びもあったし、根底に自分への思いやりや愛がある慈英ならば本当にひどいことはしないだろうという信頼もあった。自分が弱音を吐いたり恐怖を見せればすぐに慈英が無理をしていつものかれに戻ろうとするだろうという確信があった臣は、意地の悪い慈英の欲望に付き合った。
理想の恋人のような慈英もいいけれど、普段のかれができすぎているだけに、人間らしく荒れるさまを見るとちょっと安堵する。与えられるばかりだと思っている臣が、かれに返せるものがあった。許されてばかりは息苦しいから、許すこともしたい。
全てが終わったあと、慈英はようやく落ち着いた。気になったのは、こんなときに限って慈英は臣に決して詫びなかったということだ。普段は全然自分が悪くないことでも謝っているきらいのある慈英なのに、臣を傷つけて巻き込んだ今回のことに対しては謝罪も感謝の言葉もなかった。その不器用さやバランスの悪さが慈英に人間味を与えている。
・「MISSING LINK」
上記「SWEET CANDY ICE」の後、ついに慈英の家に住むことを決めた臣の、引っ越し前日の物語。
何の気なしに慈英が押入れにあった袋の中身を確認しようとしたことで、臣は自身の辛い過去を思い出した。怖いものなどなにもないと言うように、居場所を探して遊び歩いていた少年時代のことではなく、今の仕事に就いてから経験したろくでもないいくつかの恋愛について、かれは思い出してしまった。
本当は一夜限りの体だけの相手ではなく、ずっと一緒に過ごせる恋人を臣は求めていた。けれど求め続けても期待しても得られないことに疲れて、最初から求めないようになった。どうせ自分なんかまともな恋愛ができないんだ、誰かに愛されたり大切にされるような価値はないんだというかれの思いは、この時代に更に強まったのだと思う。かれは結果を気にせず挑み続けられるほど強くなかったし、なり振り構わず恋に溺れるほど愚かでもなかった。
昔の男にひどい目にあわされたとき、刑事と言う素性を隠していたことと偽名を使っていたことに臣は安堵した。けれどきっと付き合っている間、かれはそのことを後ろめたく思っていたのだろうなと思う。結果的には偽りであったけれど優しく暖かい情を向けてくれる相手に対して、警戒心を解けない自分を情けなく感じていたように思えるのだ。自分の何もかもを曝け出して恋をする、そんなことをどこかで諦めきれずにいたんじゃないだろうか。
ひどい過去を思い出すきっかけを作ったことを慈英は詫びた。こういうところでは謝れるんだよな…。臣は臣で、褒められたものではない過去を黙っていたことを慈英に詫びた。そんな自分は大切にしてもらう価値がないのだと、いつものネガティブに入りだすかれに慈英は、今まで辛かった分幸福を与えてやりたいと思う。哀しかった経験が、今の幸福につながっているのであれば、それらは無駄にならない。
これまでのひどい過去を補ってあまりあるほどのやさしさを与えられる権利がある、その相手が自分で構わないかと慈英が聞くところがすごく好きだ。「それが俺でもいいですか?」なんて優しすぎて。
目がさめれば同じひとつの家に帰ることになる恋人に、臣は、改まって「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」と言った。嫁入りする娘の定番の台詞を、茶化しつつも本気で述べた臣を抱きしめた慈英は、「大事に、します」とこれまた定番の返事をした。それは昔のドラマのような言葉のやりとりだけれど、二人は痛いほどに本気だ。そして慈英は続ける。「愛してる。一生、大切にするから」と。
どんなときであれ敬語を崩さない慈英が、珍しく敬語を外して告げた言葉に、読んでいて胸が詰まった。言葉がうまくない慈英が、これまた単純すぎるほどに単純で分かりやすい言葉を吐いた。使い古された感さえあるその言葉が、それでも一番沁みた。
わたしがこのシリーズを好いているのは、育った環境も土地も経験も何もかもが違う他人同士が出会って恋に落ちて、恋を実らせていくということがいかに困難であるか、そしていかに素晴らしいことであるかが描かれているように思えるからだ。すれ違いを繰り返した先にある両想いもまた、通過点にしか過ぎない。相手と向き合ってかれのことを知って、自分のことも教えて、出会うまでの空白の期間を埋めていく。その中で生まれる齟齬を解消して、徐々に分かりあっていく。相手が自分よりも自分を分かっている特別な存在になる。そのなんと素晴らしいことか。恋愛っていい、両想いって本当にすごく幸せなことなんだと、読むたびに思わされる。
・「雪を蹴る道、ぼくは君に還る」
「ひめやかな殉情」のあとの物語。大晦日だと言うのに仕事で東京に行った慈英は、息がつまりそうなパーティ会場でひとりぽつんと立っている少年を見つける。これ以上面倒な話に巻き込まれたくない慈英は、かれと話すことで他の人間を遮断しようとする。
慈英視点の掌編。作者のHPにある「イジメテミタイ」「ナカセテミタイ」のリンク作。そちらは今回慈英が見つけた少年・朱斗が主役である。その二作は「チョコレート密度」「オモチャになりたい」「バタフライ・ルージュ」と同系統の、素直になれないにもほどがある暴君と何をされても結局かれを好きな純真な子の話。
お互いに心底愛し合っているけれど、それでも齟齬はあるし、触れられないようなことも在るという慈英のモノローグが好きだ。それは臣が気にしている性別や年齢の問題ではなく、揶揄されるように慈英が変わり者だというだけでなく、あらゆる恋人同士が経験する問題なのだ。そういう意味でかれらもまた、「ふつうの」恋人同士である。
・「ネオテニー<幼形成熟>」
「あざやかな恋情」よりも後の物語。駐在として勤務中の臣と慈英が久々に共に過ごせる休みの日に、いきなり前触れもなく慈英の従兄の照映が訪れる。臣を相変わらずからかってばかりのかれだが、実は、一枚の絵を臣に差し出すべく持ってきていたのだ。
照映さん登場の巻。
それぞれに出会うまでの二人は孤独だった。しかし、全く一人というわけでもなかった。臣にとっては父であり上司である堺が心の支えになっていたように、慈英にとっては歳の離れたこの従兄が、かろうじてかれを人間として留めておく唯一の存在だった。
自分がとても変わった子供で、周囲の人間を惑わせていたこと、そんなときに照映だけが向き合ってくれたことを慈英は以前話していた。それと同様に、そんな尊敬する従兄が絵筆を折ったのは、自分の所為だということも。照映とかれの恋人未紘の物語「インクルージョン」においても苦い過去として描かれたその事件を含めた二人の過去が、序盤で描かれている。
いかに慈英が浮世離れした子供であったのかが非常によく分かるエピソードだった。自身も平均からはみ出したところの多い照映にはそれが面白く、更には集団に溶け込めないこどもを放っておけないかれらしい責任感もあったのだろう、世話を焼いてやっている。慈英にしてみればこのときの世界は照映とその他、の二つで構成されていたのだろう。話を聞いてくれるのは照映だけで、照映のアドバイス通りにしていれば息苦しさも軽減された。そしてそんなかれが熱中しているものに興味を示して、かれは絵筆をとった。かれが初めて描いたものが照映だったのは必然だろう。しかしそれゆえに、照映は絵を描くことを止めた。慈英の自分に対する思いが言葉よりも態度よりもはっきり分かってしまったから、責めることもできなかった。
この話が伝聞形式ではなくきちんとした物語として読めたことが嬉しい。
そして現在。
連絡もなくいきなりやってきた照映に、慈英は嬉しそうだ。かれにしてみれば、そのぶっつけ本番でやってくるところも照映らしくて微笑ましいようで、臣には腹が立つ。二人きりで過ごせる休日がなくなったと悟って不満げな臣に対して、かれは「照映の代わりに」謝罪する。照映をもてなすことばかりに気が行く。そんなところもまた臣を苛立たせる。親戚にまで嫉妬する臣さんも臣さんだが、親戚相手にキャッキャしてる慈英も慈英である。照映さんの恋人が男だと知っても全然動じない臣さんもさすがである。
照映が泊まるからと早めに休みを切り上げて駐在所に戻った臣の元にやってきた慈英は少し荒れていた。荒れている自分をなんとか抑え込もうと苦心して、うまくできないでいた。あまり外部の言葉に左右されない慈英は普段精神が安定しているだけに、一端落ち込むと深い。仕事を抜け出そうとねだる慈英は酒の所為もあってちょっと正気じゃない。
弱り切った慈英の我儘を、臣は受け入れなかった。たとえ自分が抜け出しても、きっと何の問題もないだろう。けれど、それでも首を縦には振れない。慈英が傷ついていることが分かるし、その傷を癒してやりたいとも思う。自分にできることはなんでもしてやりたい。けれど、仕事だけは放り出せない。恋愛体質である臣の矜持がいい。踏み台にしていいものとよくないものがある。守らなければいけない一線がある。それを崩すとどこまでも落ちるだけだから、踏み応えなければいけない。自分たちには永く続いていく「これから」があるから、守らなければならないのだ。
照映が慈英にしてきたことは、特殊な存在であるかれをそのまま成長させるということだった。そのままでいいんだ、と全てを受け入れて許して伸ばしてきた。少年期のかれにそういう相手がいたことは幸福だったし、それが今の天才画家を作ったというのも真実だ。
しかし臣はそれをしない。間違っていることは間違っていると窘める。傷つきやすい臣の性格のおかげで、自分が何をすべきなのか何が足りないのか分かることができる、と慈英も言っていた。臣の存在によって慈英は、社会と繋がるすべを知ったのだ。
照映が臣に渡したものは、かれの最後の作品だった。その一枚の絵に込められたものは非常に重い。照映がなんとかして守ってきた慈英という無防備な魂を、託されたも同然だからだ。
普段小説を読むにあたって、挿絵というものはさほど気にしない。イラストが気になって手に取ることは少ないながらもゼロではないけれど、結局あらすじや文章で判断するので、衝動買いするようなことはまずない。
けれど、すぐれた挿絵は物語を更に膨らませると思う。今回の蓮川さんのイラストはまさにそれ。ものすごい力がある。満足満足!
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2009.12.28 Monday
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「薄桜鬼 ドラマCD〜千鶴誘拐事件帳〜」
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「薄桜鬼 ドラマCD〜千鶴誘拐事件帳〜」
池田屋での乱闘を終え、いつも通り巡察を繰り返す日々に戻った新選組。しかし幹部たちは、雪村千鶴をやけに気にする怪しい隊士の存在に気づいていた。
タイトルコールは原田左之助。
時期は池田屋のあとなので、藤堂と沖田はまだ療養中というか、療養しろよと鬼の副長に言われ続けているところ。
ゲームキャラのうち、このCDに登場するのは攻略対象メンバーと永倉、山崎。羅刹のことや鬼のことは話題にすら出てこない。
池田屋の事件に貢献したことによって、幹部隊士が千鶴に抱くイメージはかなり変わった。彼女はもはや口封じのために匿っている女の子ではなく、幹部たちにとって気になる存在になっていた。そんな幹部たちの何気ない会話の端々から、千鶴がいかに皆を気遣って日々を送っているのかが伺える。ただ何もせずにぼんやりと過ごし、守られるだけ食事を与えられるだけの生活では彼女は納得できない。それでなくても忙しい隊士たちの、何でもいいから仕事を軽減させてあげたい、自分ができることならば肩代わりしたいと思っている。ワーカホリックな隊士たちの体調を気にしてばかりいる。それぞれが千鶴について述べる言葉はさまざまだが、どれも柔らかく、甘い。
その一方で、千鶴といるときや千鶴の話をしているときに、得体のしれない視線が自分たちに注がれていることにも、かれらは気付いていた。
CDでも斎藤さんは声を張らない。ゲーム同様に斎藤の台詞だけ音を大きくしたりして、ね。
斎藤と土方の会話はたとえ二人きりであろうとも距離がさっぱり縮まらない。斎藤が堅苦しいスタンスを一切崩さず、敬語を緩めることもなく、いついかなるときも真剣に話しているものだから、土方がいくら距離を縮めようとしても無駄だ。山崎と土方もそんな感じ。素晴らしい上下関係である。わっくわく。
平助は千鶴に対しての好意を隠さない。傍で聞いていて恥ずかしくなるくらい、かれは千鶴を褒める。いつも一生懸命で他人の心配ばかりしている千鶴の優しさを素直に受け止めて、そんな彼女だから幸せになってほしいと願っている。彼女のことを気にかけて、少し落ち込んだりするとすぐに心配になる。とにかくかれは千鶴が大好きで、千鶴のことを常に頭のどこかに留めている。
自分の手で彼女を笑顔にしてやりたいと思う一方で、自分では役不足だというのもかれは分かっている。腕が立つのは沖田や斎藤だし、女の扱いが上手いのは原田だ。自分ではどうすることもできないと知っている。それが歯痒くて、せつない。平助の純情が青くて可愛い。こんなに好き好き前面に出されると流されちゃうよ…!
新入り隊士に絡まれている千鶴を助けたのは原田だった。そのあとの千鶴と原田の会話は、原田の一人喋りで展開していく。千鶴はゲームでもキャストがいないし、相手の男の一人芝居を聞くことで自分が話しかけられている主役であるという意識を抱かせるのは、女性向けのアイテムではよく使われる手法だ。ものによっては不自然すぎて話に入り込めないようなものもあるけれど、このCDにおいてはさほど問題なかったと思う。
剣の稽古を見学している沖田と斎藤の会話がいい。実力を隠して稽古をしている隊士を見つけた腕利きの二人が、ひそひそこそこそと分析している。おそらく不信感を抱いていることなどおくびにも出さず、お互いいつもの表情のまま、雑談でもするようなかたちで話しているのだろう。「うちも舐められたものだね」と言う沖田の声は、言葉とは裏腹に嬉しそうだ。怒りながらも、敵に挑発されていることにわくわくしているのだろう。強い敵の出現に意気揚々とする沖田は、やっぱり生死に対してどこか危ういところがある。
千鶴が事件に巻き込まれることに不安を抱いていたのは藤堂と、原田だ。早めに不安を取り除きたい二人と違って、土方はもう少し怪しい男を泳がせたいと考えた。証拠をつかんでから捕らえたい、手足として動く下っ端一人だけではなく指示を出している頭を捕らえたい、とかれは思っているのだ。そのために千鶴を囮にすることも辞さない。厭わないのではなく、新選組の目的のためなら苦しいけれど敢えてその決断を下すことも有り得る、という意味だ。
早く出立しようと言う隊士たちの言葉に首を縦に振らない土方は冷徹で非情にみえるけれど、目的のために手段を選ばないかれの苦悩をわたしたちは知っている。憎まれても、軽蔑されても、かれは揺らがない。千鶴を心配している気持ちはかれも同じなのに、そのことを口にはしない。口にすれば、自分の下した判断を取り消してしまいそうになるからなのかもしれない。
相変わらず全方向に憎まれ口を叩く沖田を、山崎が窘める。幹部隊士たちは沖田と付き合いが長くて可愛がってることもあるが、山崎は容赦ない。たぶん山崎にしてみれば、誰よりも、局長よりも尊敬している土方を悪しざまに言う沖田に、元々良い印象は持っていないのだろう。仲が悪くていい。
口論している二人を遮ったのは当事者の土方だ。「御用改めだ!」にはやっぱり気持ちが高揚する。
そして御用改め。
池田屋での怪我が治りきっていない二人も参戦。心配する永倉に対して沖田が言った「僕が刀を握れなくなるなんてありえないよ」「どんなことがあってもね!」という台詞がせつない。この頃の沖田は強がりでなくそう確信しているのだろうか。それとももう、今までにない体の異変に気付き始めて、そんな不安を取り除くために自分自身に向けて言ったのだろうか。
千鶴を助けたのは原田だった。相手が原田の十番組隊士であったこともあって、かれが紛うことなくヒーローだったと思う。勿論原田が千鶴を助けにいけるように、他の隊士たちがそれぞれの役目を果たしたということが大前提にあるんだけれど、そのあたりが一部しか描かれなかった。前述の沖田と藤堂は見せ場があって、永倉も相変わらずなんだけれど、…斎藤さんが…。他の隊士の危機や、自分の戦闘においても声をよく発する永倉などとは違って、基本斎藤は寡黙である。黙ってどんどん斬っていくタイプなので、かれが仕事をきちんとこなしている以上はかれの声は聞こえてこないのだ。便りがないのは元気な証拠、って違うか。
短くてもせめてこの戦場でそれぞれに見せ場があったら良かったのにな、と思う。
千鶴が事件に巻き込まれたことが発覚したとき、沖田は彼女を悪しざまに言った。何も心から千鶴を罵って見殺しにしたいと言っているのではなく、いつもの憎まれ口の延長でしかないと思うが、事態が事態だけに平助は腹を立てた。あとあと、彼女が迂闊だったわけではなく、寧ろ事件解決に協力しようとした結果だと判明したので、千鶴に謝れと平助は沖田に言った。
べつに本人に向かって悪く言ったわけじゃないと断る沖田にも、珍しく平助は退かない。その熱意におされたようなふりをして沖田は平助の提案を飲んだ。飲んで、眠っている彼女の耳元に唇を寄せて、囁いた。ここの台詞がもう、さすが沖田。究極のいじめっこが素直に謝るわけがない。ここで一気に原田の活躍をかっさらっていった気さえする。というかわたしが薄桜鬼の沖田像が好きだというのもあるんだろうけれど、さすが沖田。
「薄桜鬼」のドラマCDを聞いたのはこれが最初。WEBラジオのミニドラマは聞いたものの、長編になるとどういうクオリティになるのか見当もつかなかったのだが、純粋に面白かった。ゲーム同様に恋愛要素やキャラ単体萌え要素の薄い、ストーリーありきのCDだったので満足。
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2009.12.27 Sunday
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沢木まひろ「きみの背中で、僕は溺れる」
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沢木まひろ「きみの背中で、僕は溺れる」
ゲイであることを家族に隠して生きている大学生の祐司は、姉が見合いで出会った婚約者・佐伯に一目で恋に落ちてしまった。言い出せるわけもなく義弟として接している祐司だったが、ある日佐伯に誘われるまま二人で外出することになる。
実写の表紙の所為でなかなか手が出せなかった一冊。上半身裸の男性の寝顔が、はだけたり乗っかられたりしてる男子二人のイラストの表紙よりも買いづらいというのも不思議な話だが、この表紙はなかなかハードルが高い。でも挿絵がないので表紙さえ隠してしまえば公共の場で読みやすい気がするよ。
一話目の「But Beautiful」は祐司と姉の夫佐伯の物語。
祐司がゲイだと知っているのは、大学の同級生で、かれに恋をしていた少女だけだ。はきはきして容姿の整った彼女にアプローチをかけられた祐司が自分の性嗜好を告白したところ、彼女は受け入れて友人になってくれた。それ以外には、一番仲の良い男友達も、仲良しの姉も両親も、誰も知らない。
更に、別にそのことと直接関係はないが、大学卒業目前でありながら祐司は進路が決まっていない。就職活動を懸命にしたけれど結果が出ていないというのではなく、なんとなく決まっていない。非常に真っ当に生きているかれだったが、どこかそういう危ういところがある。だらしないとかいい加減だとかと言うのは少し違う、ほんの僅かなズレがあるのだ。社会や世界から、気付かれない程度にかれは外れている。
姉が連れてきた婚約者を見た瞬間に祐司は恋に落ちた。容姿が良くて会話のセンスがあってそつのないその男は、姉に言わせるとどこか距離のある男だった。「手放しで笑わない」と彼女は評していたが、その通り、いつもどこか取り繕ってるような感じがした。それは多分、祐司の持つ「ズレ」と同じ類のものなのだろう。
おそらくかれがそうなった原因を、姉は知らない。かれが姉に言わなかったからだ。きっと今まで知り合った誰にも、かれは言わなかっただろう。なのになぜか祐司には自分から話した。家族になるひとに一生嘘をつき通すと決めた男の告解か、偽って生きることに対する不安からくる弱音か、祐司の気を引こうとするための作戦か。ともかく祐司は揺れた。まだ若いかれが知らない社会の闇みたいなものに、そして、恋している男が見せてくる本音に揺れ、そのままベッドに引きずりこまれた。
「きもちいいこと、いっぱい教えてあげられるよ」とかれは言った。そのあとですぐ「俺が教えてほしいんだ、きみに」と訂正した。まだ子供で、恋愛についてもろくに知らない祐司から佐伯が教わりたかったものは何だったんだろう。
結局祐司は何もかもを投げ捨てるように、佐伯にのめりこんだ。自分を顧みない両親とは違って弟に精一杯の愛情と関心を向けてくれた姉を裏切り、親友を裏切り、ろくでもない男との刹那に溺れた。
佐伯はとにかく悪辣な男だ。妻を愛していないし今後愛せる自信もないくせに、老後をひとりで過ごすことが嫌で結婚した。そんなことはおくびにも出さず良い夫良い婿を演じきり、その一方で義弟に手を出した。まだ結婚や恋や社会を知らない義弟のほのかな憧れを片っ端かた打ち砕くような言葉を吐き出して、フォローもせずにかれを貪る。佐伯が祐司に教えたのは汚い大人の本音のほかには、お互いを尊重し合い支え合うような柔らかい感情ではなく、理性もモラルもかなぐり捨てて求めあう醜く卑怯な情だけだった。
それでも佐伯は可愛くもあった。ゲイである自分を押し隠していたかれもまた、祐司にひとめで恋に落ちていた。そのかれを自分の腕に抱けることになった日、佐伯ははしゃいで「うれしい」と連呼した。無理して予定をあけて祐司と逢瀬を続け、かれに身の回りのものを買い与えるさまは、恋人に溺れる普通の男のようだ。
そしてかれは何より脆かった。父親の心が脆いから、その血を引く息子も脆いんだ、というばかばかしいたとえ話をしたのは佐伯だった。それは突拍子もない愚かなたとえ話だったけれど、かれはどこかで自分をそんな風に思っていたのだろう。新婚早々不倫を始めるなんていうろくでもない男のくせに、祐司の前では佐伯は純粋だった。繊細な子供のようでもあった。
未来の話をすることさえあった二人の恋は、いきなり終止符を打つ。一気に全てを失った佐伯と逢った祐司は、驚くほど冷静だった。この話では一貫して祐司は冷静だ。とんでもないことをしでかしているくせに、かれは大きく動揺したり慌てるようなことがない。恋をしているのだからそれなりに格好悪いこともしているけれど、それでも、心の芯が冷えたままにみえる。佐伯もまた、焦がれても焦がれても芯が温まらない。けれど二人とも心底本気で恋をしている。そのアンバランスさが、アンバランスなまま描かれていて独特の空気を醸し出している。
姉は弟を責めきれなかった。弟もまた、姉を憎みきれなかった。ひとりの男を奪い合うかたちになった姉弟は、それでも揺らがない愛情を注ぎ合っている。二人から愛されているはずの佐伯を孤独にするほどに。
この別れ話のシーンがすごくいい。自業自得で身を滅ぼした佐伯は情けなく、哀れで、愛おしかった。独り身になった佐伯と祐司が晴れてお付き合いする、という道がなかったわけではない。もはやかれは姉の婚約者でも夫でもないのだから、祐司はかれを手にすることもできた。けれどそうはならなかった。佐伯もそれを望まなかった。祐司は佐伯に愛され続ける自信がなかったし、佐伯は祐司を愛し続ける自信がなかった。確固たる目的を持って挑んだ結婚であれば続けられるけれど、社会的なゴールもなくただ愛のみで継続するような恋は、かれにはできなかった。それが二人とも分かっていた。不倫のときは数年先の話を軽くできたのに、いざ二人になったら先が見えない。
ひどくやるせないのに、どうしようもないことが分かるから受け入れるしかない展開だ。どちらが悪いわけでもない。佐伯がこういう性格なのは、両親の所為ばかりでもない。そういう男なのだ。そして祐司はそういう男を前にして、それでも一緒にいたいとか、自分がなんとかかれの傷を癒したいと思えるような男ではなかった。佐伯はかれ自身が言っていたように、白樺の樹だ。一度つけられた傷は永遠に癒えない、その傷を抱えて生きるしかない白樺なのだ。どうやって癒すかではなく、その傷が美しいかどうかだけを気にする、孤独であわれな存在だ。
出会った時既に傷を負っていたかれの幹に、祐司はひととき止まっただけの蝉なのだ。蝉の命は短いから、永く留まることなどできやしない。
二本目「What's New?」はそれから六年後、留学を終えて帰国し、レストランで働く祐司の物語になる。
そこそこ無難に順調に仕事をしている祐司は、しかし相変わらずだ。会話の端々や日常の何でもないことで佐伯を思い出してばかりいる。テレビを見ても、友人と雑談しても、考えるのは佐伯のことばかりだ。自分のことよりも佐伯のことを先に思っているようでもある。
そして友人に連れられたバーで、とあるピアニストにくぎ付けになる。正しくは、かれの指に。けれどそれは佐伯を最初に見たときのような痺れる恋ではなく、寧ろ苛立ちの類だった。
そのあと祐司はピアニストを偶然見かけ、故意にかれのあとを追って店に入り、そして自分の意思とは関係なくかれの家に行った。酔った自分を介抱してくれたのがかれだったのだ。
神月という名のピアニストに対する祐司の態度はろくなものではなかった。義理もないのに親切に介抱してくれたかれに向かって無礼な態度と言葉をかける。それに神月が反論することもなく受け流すので、余計に祐司は苛立つ。こんなかれは六年前には一度も見なかった。けれどかれの性格が変わったようにも見えないし、キャラクター設定がブレているようにも思えない。あの祐司が六年たって神月に怒鳴っていることが、至極自然なのだ。ふしぎだけどふしぎじゃない。
祐司は神月に好意を抱いているわけでも、良い印象を持っているわけでもない。けれどかれのことが自棄に気になる。普段あらゆることに対して冷めている祐司が、神月にはやけに感情の起伏が激しくなる。神月のことばかり考えてしまい。佐伯のことを思う時間が短くなっていった。
ただ、佐伯のつけた傷だけはきっちりと祐司に残っている。別れ話のときは分からなかった傷が、年々浮き上がってきたかのようだ。今の祐司は、ゲイの男が結婚することに過剰なまでの嫌悪感を抱いている。それだけは許せないと思っている。それはかれが佐伯を許せていないということであり、なにより自分自身を許せていないということだろう。
もう二度と逢わないかもしれない佐伯に、祐司が心の中で語りかける言葉がすごくよかった。佐伯がいなければ今の自分はない、と祐司は思っている。そこには怒りや恨みがない代わりに、感謝もない。ただ、佐伯と出会って過ごした二カ月が、そのまでの祐司を粉々に砕いて、新しい祐司を構築したという事実だけがある。その新しい祐司が今生きている。生きて、神月に恋をした。
自己主張をしない祐司が恋をしたのは、祐司に対して醜悪なまでに自分をさらけ出そうとする佐伯だった。そして六年が経ち、言いたいことを言い放つ祐司が恋をしたのは、誰にも言わない決意を秘めた神月だった。祐司は佐伯に出会って年齢を重ねることを恐れた。そして神月に会って、歳をとることも悪くないと知った。どちらも、そのとき出会ったからこそ恋に落ちたのだ。絶好の巡り合わせだ。それがまさに、祐司が言った「縁」なのだろう。
見た目より結構年齢がいっている神月の、普段は枯れているのにここぞと言うときに見せるがっつきも良いんだけれど、どうしようもない佐伯に惹かれる。祐司の相手としては神月がベストだし、佐伯とはいくら一緒にいても傷つけあってしまうだけだとは分かっているんだけれど、この情けない最低の男がツボった。十年先も一人でいるのかと思うと怖いと言った佐伯は、六年後の今、一人でいるのだろうか。誰かといるのだろうか。誰かといても佐伯は一人でいるようなところがあるんだけれど。
清廉な文章から、内に秘めたもやもやした熱みたいなものが滲んでいる面白い文章だった。好き!
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2009.12.26 Saturday
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歌舞伎座さよなら公演 十二月大歌舞伎 昼の部
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一泊して翌日に昼の部を見た。
千穐楽の看板が出ていた。垂れ幕もあったのだけれどすごい沢山の人がいたので、立ち止まって撮影する余裕などはなく。
カウントダウンもきっちり。
この日は二階の後列。一般発売ではなかなか一階席がとれない。見られるだけでも十分です。
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一、操り三番叟
三番叟:中村勘太郎
後見:尾上松也
千歳:中村鶴松
翁:中村獅童
天下泰平と護国豊穣を祈願して翁と千歳が舞ったあと、箱の中から糸で操られた人形を出してきて、踊らせる。昼の部にのみ獅童さんも参加。三谷幸喜のドラマや「ピンポン」などでは良い味を出していたけれど、歌舞伎役者としての獅童さんには正直殆ど興味がなかった。以前見て、とくに印象に残らなかったのだ。けれど翁は貫録があって良かったなあ。というか久々に見た方が殆どなので、誰を見ても感動する。
操り人形に扮した勘太郎さんの踊りも良い。大きくて派手なアクションが沢山あって見ごたえがあるだけでなく、体についた無数の糸を引かれた時の反応がすごい。これ後見の動きの全てが見えているわけではないと思うのだけど、ほんとに糸があるようだった。腕の糸を引かれて単に腕を上げるだけでなく、いかにも糸で引かれたように、重力に逆らわない無機物であるように見える。
衣装もライトも背景も華やかで分かりやすくて面白かった。
二、新版歌祭文 野崎村
お光:中村福助
お染:片岡孝太郎
後家お常:坂東秀調
久作:坂東彌十郎
久松:中村橋之助
奉公に出ていた久松が急遽戻ってくることが決まったため、かれの許嫁であるお光は婚礼に向けて浮足立っている。そこへ元の奉公先の娘であり、久松と現地で良い仲だったお染が訪ねてくる。彼女の存在に気付いたお光は意地悪をして追い返そうとするが、お染は帰らない。父親ともども奥から出てきた久松は、お染の存在に気づいてしまう。婚礼の準備をすべく父に連れられてお光が奥へ行くと、久松とお染は再会する。もはやこの世で結ばれないのならばいっそ心中しようと二人は誓いあう。
久作とお光は父娘であるが、久松もまた久作の養子である。養子が多いこの時代。ちなみに久作の妻であり二人の母である女性は大病をしている。
お光は田舎の百姓の娘である。普通の着物をきて、うきうきと料理に精を出している。かと思えば髪を整えて、奇妙な花飾りをつけてみたりと、とても普通の女の子だ。ずっと好きだったひとと離れ離れだったのに、かれが帰ってきてくれて、しかも結婚できるのだ。浮かれないわけがないじゃない!結婚したら眉を落とすので、手ぬぐいで自分の眉を隠した姿を鏡にうつしてにやけてるところなんて本当に恋する女子。自分の名前に彼氏の名字をくっつけてにやにやしている女子となんら変わらない。大根を切るときに「あらええお大根」と妙に低い声で言ったり、ここぞとばかりに音を立てて刻んだりと細かい動きが可笑しい。
それに比べてお染はきらびやかな着物と眩しいほどの髪飾り。一緒に来た下女に「立てば芍薬〜よっ松島屋!」と褒められていたほどにきれいだ。彼女を見た瞬間に、お光はあらゆることを悟る。恋する女の勘は鋭いのだ。直観的にこの女と久松を会わせてはならないと思ったのだ。意地悪が些細な割にねちっこいのがいい。こういう福助さんがね!好きなの!
しかし結局久松の心はお染にあった。彼女の幸福のために、他の男と結婚するように勧めたけれど、本心ではそんなこと望んでいるわけがない。だからと言って奉公先にも帰れないし、お光と結婚して幸せな所帯を持つことも考えられない。もはやかれらに残された道は、死しかなかった。死を誓い合った二人は、娘に結婚の支度をさせて一人戻ってきた久作に見つかってしまう。死ぬばかりが武士じゃない、死ぬばかりが貞淑じゃない、と泣きながら久作が二人に言って聞かせるシーンが見せ場だ。久作はお光の父であるばかりでなく、久松の父でもあるし、お染の人生の先輩でもある。老人の涙におされた二人は、納得するほかなかった。
しかしお光の行動によって、結局お光と久松の結婚は成されない。久松を思っていた彼女には、久松の真意も、久松の願いも分かっていたのだ。そしてそれを力づくで捻じ曲げることは、彼女にはできなかった。嘘をついて家を飛び出して男のもとまで遠路はるばる来るのがお染の愛なら、男の幸せのために永遠に女としての幸せを捨ててしまうのがお光の愛だ。
お染は船で、久松は駕籠でそれぞれ久作の家を経つ。顔に笑みを浮かべて、恋しい男と恋敵の両方を見送るお光は既に仏のようでもある。それぞれが挨拶を交わして出発するのだが、この出発までがとても長い。名残惜しいからか、誰も言葉を切らずに話し続ける。さよならと言ってからが長いのが日本人だ、と野田さんが筋書に書いていたけれど、まさにこのシーンもそういう感じだ。
そしてようやくそれぞれが出発する。見えなくなるまで笑顔で見送って、そしてお光は一気に泣き崩れた。膝をついて、父に縋って号泣した。それまでの彼女がとにかく穏やかだったので、彼女の中にこんな強い感情があったことを忘れていた。やるせない、悲鳴のような嗚咽が響いて、閉幕。
三、新古演劇十種の内 身替座禅
山蔭右京:中村勘三郎
太郎冠者:市川染五郎
侍女千枝:坂東巳之助
侍女小枝:坂東新悟
奥方玉の井:坂東三津五郎
山蔭右京は遠方より上洛してきた愛人のもとに逢いに行きたいが、始終自分の傍に妻の玉の井がいるため叶わない。そこで、最近夢見が悪いから仏詣に行くと持ちかけるも却下される。提案しては却下され、最終的に妥協して今夜一晩籠って座禅を組むことにする。なんとか自由な一晩を勝ち取った山蔭右京は、太郎冠者に自分の身代りに座禅を一晩組むように言いつける。
この演目はすっごい分かりやすくて面白くて可愛くて好きだ。
色好みで短絡的だけど憎めない山蔭右京と、完全に夫を尻に敷いて恐怖政治をしている妻玉の井。でも玉の井は山蔭右京が大好きだから、何かと世話を焼きたがるし、嫉妬もするのだ。ただその表現方法が不器用で、あとどっからどう見ても、こわい。鬼嫁と下半身にだらしない夫の面白おかしい浮気のやりとり。
勘三郎さんはこの日も出たときから声がガラガラ。第一声からしてかすれていたので、この先大丈夫なのかと不安になってしまった。ただ山蔭右京の愛らしさはさすが。染五郎さんは前日とは違ってこの日は大丈夫だった。
誰も入るなと言いつけて籠った部屋で、衾を頭から被って座禅を組む。つまり誰かが座って衾を被ってさえいれば、中が誰でも分からないのだ。山蔭右京はお調子者の太郎冠者を説得し、と言うよりは玉の井が怖いから嫌だという太郎冠者を脅して、協力させた。奥様が怖いから殿様の命令聞けません、って言われちゃうような家庭なわけだ。
で、いざ太郎冠者が座禅を組むわけだけれど、勿論玉の井は夫の言いつけなど聞かずにずかずか入ってくる。差し入れまで持ってやってくる。夫が心配だから様子を見に来ただけだし、いざ見たら頑張っているので励ましたくなっただけだし、傍に来たからにはちらりと顔を見たい・声を聞きたいと思ってしまったのだ。なにも間違ったところはない、と、彼女は本気で思っている。そして見るからに力の強そうな彼女は、衾を取ってしまった。
怒るだけで済まないのが玉の井だ。今度は自分が衾を被って夫の帰りを待つ。そんなことは知らない夫は、怒り狂った妻が中にいるとも知らず、衾を被った相手に向かって今夜のことをべらべら喋る。愚かな男。妻に嘘をついて若い愛人のもとに行くなんて最低の行動なのに、その悪辣さはまぬけなキャラクターによって相殺される。このあと玉の井の大目玉を食らうだろうと容易に想像できるので、余計に憎めない。来るぞ来るぞ、と思っていると来るのだが、そのタイミングが痛快。期待がピークに高まったところで、期待以上のものが来る。
最初から最後までテンションが高くてテンポの早いドタバタコメディ。なんだかんだ言いつつ結局添い遂げちゃうんだろうなあこの夫婦、と思えるから可愛い。
四、大江戸りびんぐでっど
半助:市川染五郎
お葉:中村七之助
大工の辰:中村勘太郎
根岸肥前守:坂東彌十郎
遣手お菊:市村萬次郎
丁兵衛:片岡市蔵
与兵衛:片岡亀蔵
佐平次:井之上隆志
紙屑屋久六:市川猿弥
和尚実は死神:中村獅童
石坂段右衛門:中村橋之助
女郎お染:中村扇雀
女郎喜瀬川:中村福助
四十郎:坂東三津五郎
新吉:中村勘三郎作・演出を宮藤官九郎が手掛けた新作歌舞伎。演出カンクロー、出演カンクローとはいかなかったけれど、勘三郎さんとクドカンである。やじきたの映画にものすごくインパクトのあるチョイ役で勘三郎さんが出てたねそう言えば。
舞台は、「らくだ衆」と呼ばれる死んだ人間が生き返って街を徘徊し、生きた人間に噛みついて仲間にしてしまうという噂がまことしやかに流れている江戸。評判のくさや売りだった夫と死に別れ、田舎から江戸へ出てきたお葉は、夫の友人ながらさっぱり商売がうまくいかないくさや売りの半助と再会する。
四年に一度のお楽しみだと遊郭に遊びにきていた大工の辰は、その直前に聞かされたらくだの話に震えている。半ば強制的にかれの部屋に来た年増の遊女お染と共にいても、恐怖はぬぐえない。そんな時、かれらのいる部屋に無数の影が寄ってくる。そして一気に、全ての障子から手が突き出される。このシーン怖かった!思わず悲鳴が色々なところから上がっていた。
辰の勘太郎さんがすごく良かった!おかしな動きも沢山するし、口はよく回るし、お調子者でちょっと下品なところもある職人気質の江戸っ子で活き活きしていた。年増で、チェンジされてばかりだという女郎・扇雀さんもすごかった。辰を力づくで押し倒して乗りかかり、「あたしらは一回一回が大事なんだよ!年増の性欲舐めんな!」と襲っていたのに噴いた。いいのかこれで。(いいです)
ともあれ遊郭に無数のらくだがやってきたので、逃げるしかない客と女郎。するとお染とは仲が悪いらしい女郎喜瀬川が、自分のまぶである浪人がいるから片っ端から斬ってもらえばいいと提案する。呼ばれて出てきたのが四十郎だ。ものすごく格好つけて現れて、第一声が「トゥス!」である。見栄を切るんだけれど、いまいち顔の位置がぐらぐらする。というのもかれは自分が一番格好よく見える角度があるそうで、常にその斜めの角度でいるのだ。これが傑作だった。三津五郎さんだって一瞬分からなかった。すっごくマヌケな役なんだけれどすっごく美味しい。それに惚れてる喜瀬川さんの気持ちもよくわからない…。
しかしいくら斬っても奴らは死なない。死んでるんだから死にようがない。結局お染と四十郎も奴らの仲間になってしまう。困ったところで半助登場。らくだともども根岸肥前守の元へ行き、自分のくさや汁が原因だとかれは話し出す。
生きていた魚を裁いて殺す。そこにくさや汁を塗る。同じように斬り殺された人間にくさや汁を塗ると、かれらは死んだあとも生きるのだと言う。そしてこのくさや汁は自分が代々守ってきたもので、以前同業者の新吉が盗みに入ったけれど、決して渡さなかったのだとも言った。そのとき揉み合って新吉を刺殺してしまったのだが、かれの傷口にくさや汁が沁みたために新吉は墓場から舞い戻って、自分たちの地元の島中の人間をらくだの仲間にしたのだと。そして自分のくさや汁には責任があるから、らくだ衆を飼いならして、危険な仕事や面倒な仕事の手伝いとして安値で派遣させたいと持ちかける。
お葉は半助の言葉が嘘だと知っている。今半助が持ってるのは代々新吉が守ってきたくさや汁で、それを狙う暴漢と戦って新吉は命を失ったのだ。話をややこしくするだけだと黙らされ、半助に優しくされているうちに、お葉の心も変わってゆく。
本来洋風のものである「ゾンビ」を、ばかばかしいけれど和風のツールを用いて出演させ、テーマソングまで作ってダンスさせる演出は見事だ。「えど おおえど りびんぐでっど」という不気味な曲に合わせて大勢のゾンビが踊る。和服に身を包んだゾンビが笑顔で踊る。狂ってて良い。
ゾンビがテーマであるだけでなく、今問題になっている「人材派遣」「派遣社員」も題材に扱われている。死なないという理由でゾンビたちは、危ない仕事を勤めさせられる。心がいまひとつあるんだかないんだか、なかれらは文句も言わずに働く。最初は怪訝な顔をしていた人々も、かれらが自分に危害を加えず、安い賃金で文句を言わずに働く姿をみて意識を変えていった。かれらは「はけん」と呼ばれ、どこへでも呼ばれた。そして成果を出して次の仕事に繋げていくうち、生きている人間の仕事がなくなっていく。仕事を奪われてやさぐれている人間に対して、他の人間たちが言う。悔しかったらはけんと同じ金額で同じだけの仕事をしてみなさいよ、と。ちょっと分かりやす過ぎるきらいもあるけれど、設定が設定だけにシュールだ。
そして物語の核になるのはもうひとつ、半助と新吉の関係だ。新吉はよぼよぼになりながら、半助の前に現れたのだ。根岸肥前守に半助は、自分のくさや汁を盗もうとした新吉を殺して、かれが最初の生ける屍になったのだと語った。その一方でお葉には、本当は新吉のくさや汁を盗もうとしたのは自分で、かれを殺してしまったのだと告げた。これは口八丁で生きてきたかれらしくない、偽らざる本音だった。懺悔であり、お葉との永劫の別れになることも覚悟したであろう半助の言葉にも、お葉は動じなかった。知っていて一緒にいたのだ、知っていて家族になったのだと言った。自分への愛情を隠そうとしない新吉の不器用な愛情表現に、彼女の心は動かされたのだ。いつまでも死んだ人を思っていても仕方がないという割り切りもあったのかもしれない。
新吉はそのことを責めなかった。最愛の女性の幸せがかれの願いであり、彼女がそう決めたのであればもはや出る幕はなかった。けれど新吉には、自分の安否以上に大きな真実があった。半助に腹を刺された新吉は、かれの首筋に噛みついた。最初のゾンビであるかれが、生きた半助に噛みつけば最後、半助もまたゾンビになるはずだった。
しかし、かれに変化は起きなかった。驚いている半助に、更に新吉は続ける。本当は俺は死んでいないのだ、と。お前に前に刺された傷は浅く、墓場の中で目を覚ましてしまったのだ、それだけなのだと。
そして、既に死んでいるのは、半助のほうだと。お前は死んでおり、俺のくさや汁が傷に沁みこんで、ゾンビとして生きているんだよ、と。
嘘だと否定しながらも、半助はそれを突っぱねられない。「だから子供ができやしないんだ」とかれは叫んだ。子供が欲しい、子供を産んでいつか三人で地元の島に帰りたいとお葉は言っていた。その申し出を半助は心底喜んだ。けれど二人の間にはいつまでたっても子供ができなかった。お葉の体に問題があるのかと思っていたけれど、問題があったのは半助の方だった。死んだ体で何をしようと、新しい生命に結びつくわけがないのだ。半助の絶望は大きい。それを見て新吉は嬉しそうに笑う。自分の全てを奪って壊した親友への復讐だった。
勘三郎さんの新吉と染五郎さんの半助のこの言い合いのシーンがクライマックスだと思う。宮藤さんの作品を網羅しているわけではないけれど、前半とにかく馬鹿みたいに突き抜けて明るくて、後半一気にどん底に突き落とすようなものが結構あるように思う。これもその一つ。
前半は半助によって、ゾンビと人間が共存する世界が作られているようにすら見えたのだ。あーとかうーとかしか言えなかったゾンビたちは次第に言葉を覚え、智慧をつけた。取り戻した、と言うべきか。かれらの食糧の問題や、職を失った人間の問題はあれども、異なる種類の生命が共に生きて、なんだかめでたしめでたしになりそうな様子だったのだ。それなのに。物語は大きく爆発して、後に残るのは瓦礫ばかりだ。このブッ壊しが痛快。真実に鳥肌が立ったけれど、ぞくぞくしながらも次の展開が楽しみで仕方がない。
半助は人間を憎み、ゾンビを憎んで生き始める。ゾンビを見下し、人間を軽蔑し、自分の立ち位置を見失って生きる。そこへ、ゾンビたちが作った橋が落ちる。手抜き工事だ、素人ばかりがやったからだと大工はわめくが、それどころではない。人がどんどん河に落ちる。その中には、田舎へ帰したはずのお葉の姿もあった。
千切れた片腕を治そうともせず、半助は彼女を助けにいく。真ん中が落ちた橋は大混乱で、次々ゾンビが落ちていく。そこで半助はゾンビたちを足場にして、お葉を乗せた板を送らせることを思いつく。そうすれば彼女が自分の側へ来られるのではないかと思ったのだ。
不満を言いながらもゾンビはその通りにしてくれる。お葉と半助は手を取り合い、めでたしめでたし、になる。
怖いのは、なにひとつめでたしめでたしではないことだ。ゾンビたちは基本的に気の良い奴ばかりだが、かれらは常に飢えている。人間の肉を食うなと半助に言われたからだ。最大の御馳走が食べられないかれらが、いつか反乱をおこすかもしれない。更には死ねないかれらが、今後どうなるのかも定かではない。「はけん」に仕事を取られてやさぐれた人間たちのことだって何ら解決していない。それでもかれらは満面の笑みで笑っている。ゾンビの親玉のような男と、自分の夫を殺した男と添い遂げるつもりの人間の女を中心にして、ゾンビも人間も笑っている。狂っている。狂いすぎている。それでもこれはハッピーエンドで、かれらは歌に合わせてまた踊る。
男と心中しようとしてひとり生き残った喜瀬川の代わりに、水死体の役をやってくれと頼まれたお染のエピソードがすごく良かった。年増の女郎を所望の客がいるので、喜瀬川が必要だ。しかし心中に失敗してそのまま何事もなかったように仕事に出るわけにもいかない。だからとっくの昔に死んだはずのお染の体を使えば、人数が合う。気軽に提案する人間どもに渋い顔をしながらも、お染は立ち上がる。髪をおろして自分から水を被って、水死体になりに行く。ここ無茶苦茶かっこよかった!多分一生喜瀬川には響かないんだけれど、それでもお染は行くのだ。かっこいい。
すごい舞台だった。話もそうだが、この突飛な話を歌舞伎座でやっていること、熟練の技を持った歌舞伎役者たちが渾身の演技で作り上げていることがすごくいい。アンバランスさがたまらない。
獅童さんが和尚のふりした死神の役で出ていたのもおかしくて良かった。背中に「四×二=三」って入った髑髏の全身タイツを着こんだ姿だった。しに、が、み…。
あとはこういった内容でも大向こうがばんばん飛ぶのが面白かった。ゾンビがうようよいるところで大向こう!ピストル持ってるゾンビに向かって「高麗屋!」って!シュールで楽しい。
面白かったという気持ちと、とにかく見られて良かったという気持ちがある。どちらかというと後者が強いんだけれど。話としては不満なところもあるんだけれど、それも含めて欠けた部分があるからこそ美しいのかもしれない。
カーテンコールもあり。閉じた幕が開いたら、勘三郎さんたちが下手のソデに向かって手招きして、宮藤さん登場。黒いキャップにカーキのパーカー姿だった。何か話すように仕向けられて、「四人ほどのスタンディングオベーションありがとうございました…あの、また、見に来てください」とまごついて言っていた。またって千穐楽だけどな!細かった。
そのあと幕が閉まっても拍手は止まず。年配のひとは帰る用意をしてて、若いひとが必死で拍手してる感じだけど、その二層っぷりもまたいいじゃない。結局幕が開いて、染五郎さんが「これは 歌舞伎 です!」と苦笑してた。こんだけブッ壊して、それでも演者が歌舞伎って言うんだから歌舞伎だ。くたくたの染五郎さんを見て、そりゃ声も枯れるわ、と前日の夜の部を思い出した。
楽しかった。二月の演目も楽しそうだけれど、たぶん次に歌舞伎座に行くのは改築されてからだろうな。沢山楽しいお芝居を見られました。腰が痛くなる座席だったけれど、大好きです歌舞伎座。
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2009.12.25 Friday
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歌舞伎座さよなら公演 十二月大歌舞伎 夜の部
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来年五月に建て替え工事を着工する歌舞伎座のさよなら公演。まあずっとさよならって言い続けるさよなら商法なのだが、「さらば」って言ったあとに新作を作った映画もあるので、そんなものだ。
確かに歌舞伎座、階段は一段一段が高いし急だし、座席は狭いし硬いし、前に背の高い人が来ようものなら全然見えないし、決して快適な施設ではない。主要客の年齢を考えても、このままではよろしくないだろう。一生大切にしたいような芝居を見た歌舞伎座は形を変えるけれど、思い出は壊れないからいいのだ。
歌舞伎座の前にあるカウントダウン電光掲示板。だってほら、さよならって言ったってまだ127日もあるのよ!
この夜の部は16:45開演。それはいいのだが、昼の部の終演予定時刻が16:10である。夜の部は16:45開演。開場じゃないよ、開演だよ。
というわけで、昼の部を見終わって出てきたひとの波に流されつつ、とにかく人が出ただけ、というような会場に入る。スケジュールがタイトすぎるけれど、特に問題なく定時開演。さすが!
この日は二階の最前列なので見やすかった。
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一、双蝶々曲輪日記 引窓
南与兵衛後に南方十次兵衛:坂東三津五郎
濡髪長五郎:中村橋之助
平岡丹平:坂東秀調
三原伝造:坂東巳之助
母お幸:市川右之助
お早:中村扇雀
亡き夫の連れ子である息子の帰りを待つ母・お幸と、嫁・お早が暮らす家に、大柄の男が入ってくる。濡髪長五郎という名のその男は、幼い頃に奉公に出したお幸の実の子だった。かれとの再会を喜び、与兵衛ともども仲良くしたいと言う母と嫁だが、長五郎はいい顔をしない。
かれが奥の部屋に行ったのち、出世した息子・十次兵衛が帰ってくる。歓談ののち同行した二人の武士との会話に入る。かれらはそれぞれの肉親を殺した仇を探しているから手助けして欲しいと頼んでくる。快く請合う十次兵衛だったが、隠れて話を聞いていた母と嫁は震えていた。その犯人こそ、奥の部屋にいる長五郎だったのだ。
十次兵衛はその犯人が自分の義理の兄であることも、事情を知らない母と嫁が犯人を奥の部屋に案内していることも知らない。しかし、奥の部屋から様子を伺っている長五郎の姿が、水鏡に映っていた。特徴的な容姿とただならぬ母嫁の状況から、かれは真実を悟ってしまう。
事情は言えないけれど頼むから似顔絵を売ってくれと頭を下げる老母と、上からお達しの出た仕事を無碍にすることは出来ない戸惑う息子のやり取りがせつない。必死に母が守った命であると言うのに、迷惑をかけられないから自首すると言い出す長五郎と、断腸の思いで母の願いをかなえた十次兵衛の気持ちを無駄にするなと説得する母・嫁のやり取りもまた、せつない。母が実子を庇うのを義理の息子は複雑な思いで受け止めている。ちょっとこのあたりの掛け合いが長いと感じてしまったのだが、生死がかかっているのだから長くて当然でもある。
長五郎は力士でかなり大柄の風体な上に髷を結っており、更には右頬に大きなほくろがあるのでものすごく目立つ。このままでは逃げおおせないと思った母と嫁は長五郎の髷を剃り落とす。ここまではいいのだが、肝心のほくろはどうしようもない。いっそ剃り落とそうかという話になるも、母も嫁もさすがに男の顔に刃をあててほくろを剥ぐようなことはできない。どうしようかと思っていたら、十次兵衛が兄に渡すつもりの路銀を投げつけ、かれのほくろを落として(潰して?)しまう。この展開には正直びっくりした。目を疑った。ほくろって、そういうもの、だっけ。ともあれ無事にほくろがとれてよかったよかった。たぶん。
タイトルになっている「引窓」は、電気のないこの時代、明かりを取るべく屋根につけた窓のことだ。太陽の出ている昼間は窓をあけ、夜になると紐を引いて窓を閉める。窓が閉まっている間は夜で、窓が開けば昼になる。長五郎を夜に追う仕事を引き受けた十次兵衛は、その窓を使って理屈をこね、巧く義兄を逃がそうとする。
前述の通りちょっと冗長気味に感じたところもあったのだけれど、窓と水鏡による展開が面白い。肉襦袢でかなり大柄になった橋之助さんが格好よかった。
二、御名残押絵交張 雪傾城
傾城:中村芝翫
役者栄之丞:中村勘太郎
芝居茶屋娘お久:中村七之助
新造香梅:中村児太郎
雪の精 奴:中村国生
雪の精 景清:中村宗生
雪の精 禿:中村宜生
雪景色の舞台の中央に、いかにも子供が作ったような、顔のいびつな雪だるまが三つ。
恋人同士の栄之丞とお久は寄り添って相合傘で花道から登場する。芝居の成功を祈願する二人の前で、雪だるまから、雪の精が登場する。驚いて気を失う二人。
そのあと傾城が新造を連れて雪道を歩いてくる。恋しいひとを思いながら舞う傾城。最後は全員で芝居の祈願の舞をする。
八十一歳になる芝翫さんと、かれの孫が全員出演した踊りだった。筋書で本人と勘太郎・七之助が揃って、今の歌舞伎座のうちに全員で舞台を踏めたことが嬉しいと言っていた。これはそういう舞台なのだと思う。長い間歌舞伎に生きて歌舞伎を牽引してきた祖父が、今後牽引していく孫たちに、言葉やかたちではないものを伝えよう・遺そうとする、その気概を見る舞台だった。
わたしが元々舞踊についてよく知らず、基本的には台詞があって物語が成立している芝居を好むこともあって、良し悪しはよく分からなかった。存在するだけで圧倒的ななにかがある、ということも取り立てて思わなかった。ただ、出てくるだけで会場は沸く。勘三郎さんが出てきたときの沸き方とはまた違う、永くやり続けている・戦い続けているひとへの尊敬と功労の高揚だ。その空気を作ることが出来るのは、この舞台で、このひとだけだ。
橋之助さんの小さな息子たちが雪だるまから飛び出す雪の精を演じていたのが可愛かった。とくに三男坊が自分の頭よりも大きいくらいの飾りをつけて真っ赤な着物で踊っているとき、長男がずーっとそちらを心配そうに見ていたのが微笑ましかった。おにいちゃん…!
外はそれほど気温も低くなかったけれど、歌舞伎座はホワイトクリスマスだった。
三、野田版 鼠小僧
棺桶屋三太:中村勘三郎
お高:中村福助
與吉:中村橋之助
大岡妻りよ:片岡孝太郎
稲葉幸蔵:市川染五郎
目明しの清吉:中村勘太郎
おしな:中村七之助
さん太:中村宜生
與惣兵衛:井之上隆志
凧蔵:市川猿弥
辺見勢左衛門:片岡亀蔵
独楽太:片岡市蔵
番頭藤太郎:坂東彌十郎
おらん:中村扇雀
大岡忠相:坂東三津五郎
金持ちから金を奪っては貧しい市民に配る義賊「鼠小僧」の芝居が大流行している江戸時代。皆が鼠小僧に夢中でも、守銭奴の嫌われ者・三太だけは相変わらずだ。金のことばかり考えているかれのもとに、兄嫁おらんとその娘おしながやってくる。おしなはこれから金持ちのもとに嫁ぐのだが、昨晩三太の兄・勢左衛門が亡くなったのだという。兄の莫大な財産相続について書かれた遺言状を全員の前で開封すると、町中の人気者・與吉に全てを与えると書いてあった。激怒した三太は、與吉が受け取る前に兄の財産を奪ってやろうと考える。
平成15年の初演を見ているのだけれど、やっぱりむっちゃくちゃ、異常に、信じられないくらい、面白かった。舞台の上を所狭しと現れるキャスト、めいめいがその場で一度に喋りだすので耳も目も二つじゃ足りない。とにかく始まった瞬間から息をつくひまもなく、最後まで全速力で走りぬける舞台だ。
前に見たのが何せ6年半前のことなので(初演は夏だった)、微妙な差異にはさっぱり気付けなかったが、勘三郎さんが登場したときに客席の熱量が一気に上がる感じは明らかに強くなっている。勿論あの時も既に大スターだったけれど、今は更に「大」の字が三つくらい増えて、星の輝きが一層明るくなったような、そんな感じがする。夜の部はこの作品で初めて登場するということもあって、とにかく客席が待ち侘びていたのだと伝わる空気だった。
ただ登場したときからかなり声は枯れ気味で、このあとの長丁場を思うと心配になった。一か月全力で走り続けていれば、そりゃ声も枯れるわ…。染五郎さんも、最初に演劇の方の鼠小僧を演じている役者として登場するだけなのだが、声がかなり枯れていた。この理由は翌日、昼の部を見て悟ることになる…。
亡くなった勢左衛門の娘・おしなを演じる七之助もすごく良くなったと思った。とんでもない醜男のもとに嫁ぐことに憐れみの言葉をかけられると、おしなは言う「男は顔じゃありません!」と。その優等生の返事を聞いた三太が嫌そうにじゃあ何なのかと聞くと、彼女は堂々と言うのだ「男は金です!」と。この声でおしなのキャラが見える。夫を足がかりに、どんどん出世して金を儲けようとする青写真を語る彼女は非常に図太くて下品で露骨でたまらなくいい。七之助さんは最初に見たときはまだ青年というよりは少年とでも言ったほうが良いくらいで、痩身なこともあってどこか弱弱しく見えたけれど、最近はすごく凛としている。相変わらず細いけど、芯がすごく太くなったような印象。
見上げた根性の娘を応援する母もかなりの守銭奴。扇雀さんも面白いなあ。黙ってるとキレイなのに、口を開くとものすごく下品なおばちゃん、というのがすごくはまってる。
序盤で、内容は忘れてしまったんだけれど、三太が何度も同じ駄洒落を繰り返すシーンがあった。そのあとで「くだらんことを言わせるな、野田秀樹いいいい」と勘三郎さんが叫びながらハケていった。
あとは「俺の目は節穴じゃねえぞ。女子アナでもねえぞ。…小林麻央じゃあ、ねえぞ」とも言ってた。おめでたい話です。
あとは後半、勘太郎さん演じる目明しの清吉と接するシーンで「こいつ小さい女と九年も付き合ってやがって、馬鹿じゃねえの」と嬉しそうにからかって走って行った。ここで勘太郎さんに面白いことを言い返す能力が備わるのはあと十年くらいかかりそうです。当分はお父さんの勝ちでいいか。
色んな偶然が重なって、三太は鼠小僧になった。他人の金をせしめてばかりいた男は、ついに堂々と盗みを繰り返すようになった。本来矮小な男であるかれにそんな大きな犯行を踏み切らせたのは、皆をペテンにかけていた悪人與吉への恨みと、「市民は鼠小僧の味方だから、最悪捕まってもきっと赦してもらえる」という過信だった。かれが金を撒いたのは最初の一回きり、それも幻覚を見て手が滑ったからという理由だけだったが、市民はいつか鼠小僧が金をばらまいてくれるのだと信じている。当の本人は、「人に施しをすると死んでしまう」体質だというのに。
中盤から出てくる、後家のお高に福助さん。福助さんやっと出てきた!!こういう性格のひんまがった役の福助さんが大好き!おきゃんだったり婀娜っぽかったり、ビッチな感じだったりするのがいい。ちなみにお嬢吉三が一番好きだ。
七年前に亡くなった亭主に操を立て続けている後家のお高は、近所でも評判の女性だ。男性たちからは憧れと尊敬の眼差しを向けられるマドンナだけれど、本当は物凄く性格が悪い。夫の死後一週間で他の男に乗り換えたおらんに対してネチネチ嫌味を言うあたりが痛快。
その貞淑の代表お高の家で繰り広げられるすったもんだがまた最高に面白い。夫の生前からお高を囲っているのは人気奉行大岡越前、夫の死の直後からお高と恋仲の間男はあの與吉だ。與吉がお高の家に隠している遺産を、お高は勝手に半分遣いこんでしまった。下女に化けた三太の誘導でどんどん修羅場になる三角関係の中に、大岡越前の妻のりよが踏みこんできて更に大変。あっちもこっちもどたばたどたばたでお腹が痛いくらい笑った。ヒィヒィ言った。
逮捕された三太のお裁きをするのは勿論大岡越前だ。三太が握っている真実は、越前にも與吉にもお高にも具合が悪い。それを白日のもとに晒してやろうと思っていた三太に、越前は言う。お前がちゃんとすれば、寛大な裁きをするぞ、と。具体的なことはなにひとつ言わずに、ただ、それだけを言った。三太は迷う。言えばいいのか、言わなければいいのか。自分が鼠小僧だと認めればいいのか、認めなければいいのか。なにが越前たちにとって最も良いこたえで、なにを言えば自分の命が助かるのか、何度も混乱することになる。
このお裁きのシーンも見事。三太にとって正しいこたえが分からないように、見ている側にも、この事件がどこへ落ち着くのかが分からない。嘘できれいに塗りかためて皆に愛されている奴らが憎い、でも死にたくはない、自分が鼠小僧だと信じない奴らが憎い、でも死にたくない。三太の逡巡は浅ましく、それでいて非常に人間らしい。嫌いな奴に頭を下げて、心にもない謝罪をして、それで命が助かるならば構わないとかれは思った。当然だ。命を捨ててまで守るようなプライドなんてない。命あってのものだね、だ。
そしてお裁きは一件落着、のはずだった。與吉が余計なひとことを言うまでは。心にもない歯の浮くような事ばかり言って、心にもない親切な態度ばかりとっている分、與吉のストレスは大きい。恋人だと思っていた女には他に男がいて自分は間男だったという事実や、たとえ疑いは拭えたとは言え明かされたくない真実を次から次へと言われたことがかれに多大な心労をかけていた。自業自得ではあるのだが、その憂さが晴れ切らないかれは、言ってはならないことを言った。それに三太がぶち切れた。
話の内容じゃなくて、誰が話しているかでその話を信じるかどうか決めるんだろう、と三太は絶叫した。俺が棺桶屋の三太なら信じないけれど、俺が鼠小僧だったら信じるんだろう、と。それは本当は普通のことだ。子供が貰ったお年玉まで奪おうとするような、身内が死んでも金のことばかり考えるような三太の言うことよりも、見ず知らずの人間にまでお守りをくれる與吉の言葉を信じるに決まっている。それが善であれ偽善であれ、これまでの行動がその人への評価になる。その評価が信頼へ結びつく。そんなことを、三太は知らない。誰とも心を通わせることなく、誰とも約束をすることなく生きてきた三太は。誰かのものを貰うこと奪うことばかりで、誰かに何かを与えることなど一度もしてこなかった三太は。
けれどここで三太は初めて、ひとのために行動した。べつにその相手がそれを知るわけでも、それを知ったところで喜ぶわけでもない。そんなことは三太も知っている。知っていて、それでも止められなかった。
三太は自分が、私利私欲のために他人の金を盗む悪人だと自覚していた。自分が悪くないなんていわない、ただ、悪いのは自分だけじゃない。自分以外にも悪いやつはいる。そのことを知ってほしいだけだとかれは言った。その言葉は、届かなかった。
三太を一方的に英雄にすることも、憐れむこともできない。けれどどうしても憎めない、愛すべき馬鹿な男だった。義賊にすらなれない、孤独な男だった。
ラスト、息も絶え絶えに屋根に上る三太がいい。他人に施しをすると死んでしまう、と口癖のようにいっていたその言葉通りになってしまったと、悔しさと哀しさと可笑しさが混じったような口調でかれは言う。何とも言えない表情だ。勘三郎さんはこういうところで変な気負いが見えないのが本当にすごい。見せ場であればあるほど、劇的な場面であればあるほど、シンプルな演技になる。あらゆるものを削ぎ落としたような、魂だけが舞台に乗っているような演技になる。
雪が降って、朝が来る。クリスマスイヴは終わり、クリスマスの朝が来る。
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この日に歌舞伎座へ行ったのは偶然だった。わたしの都合と、同行した大伯母の予定が逢うのがこの週末くらいだったからだ。素敵なクリスマスになるなあ、とは思っていたけれど、「野田版 鼠小僧」がクリスマスイヴにクライマックスを迎えて、クリスマスの朝で幕を閉じる物語だということは忘れていた。偶然だけれど、なんという素晴らしいタイミング。幸せでした。
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2009.12.25 Friday
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冨樫義博「HUNTER×HUNTER」27
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冨樫義博「HUNTER×HUNTER」27
心を持たなかったものたち、心を持つことを必要としなかったものたちが、心を持ち始めた。最初にその兆候が現れたのは王だった。自分以外のすべてを統べるという最大にして唯一の目的を抱いて生まれたかれは、生まれながらにして自分以外の世界が愚かに見えた。美味い食糧と美味くない食糧、役に立つ部下と別に役にも立たないけれど本人が望むから受け入れてやっただけの部下、それだけだった。
そんなかれはコムギと出会い、まるで人間のような心を抱き始める。相手に興味を示し、関心を抱き、相手の状況や心情を慮って尊重することを覚える。それは無情の王にとっては異例のことで、かれの周囲にいる者はそれを危険だと薄々気づいていた。強くも美しくもない特定のものに心を奪われることなど、あってはならなかった。世界を統べるためにのみ、行動すればよいと思われていたのだ。
しかし王はコムギのために自分の体を傷つけた。彼女の治癒をユピーに依頼すらした。それまでの暴虐の限りを尽くす愚かな獣のような王の姿は薄れ、よく研いだ刃物のように鋭利で聡明な存在であるように見えた。王は確かに変わった。
ピトーもまた新たな顔を見せてきた。王のためなら、王の望みを完遂するためなら、敵に頭を下げることなど辞さない。王のため、王にしかできない統治のため、かれはプライドを捨てた。
そしてこれまではただの戦う獣だったユピーにも、心が生まれ始めた。命を賭けて友人を守り戦うナックルの見苦しいまでの熱血っぷりに揺さぶられ、尊敬の念を抱くまでになった。実力は自分の方が上だと分かっていて、それでも相手に敬意を抱いた。簡単に殺せるはずの相手なのに、殺せなかった。殺したくなかったのだ。
頭数は多いものの実力で劣っている部分も多いゴンたちにとっては、キメラアントたちの変化はありがたいものになるはずだった。力で勝てなくても、なんとかかれらが計画を止める可能性が出てきたからだ。
だがそれと同じくらい、危険でもある。心を持ったかれらは、今までのような100%の敵ではなくなってしまった。戦いの中であらゆる感情を知り、あらゆる関係を結ぶ自分たちと、変わらないものであると分かってしまうかもしれない。問答無用で根絶やしにしてしまって構わない悪いやつ、じゃなくなれば、振り上げた拳で襲いかかることは難しくなる。
圧倒的に強い力を持って生まれた王は、自分が先天的に取得しているその力が何のために存在するのか、自分はそれを何のために使うのか考えた。そして答を出した。暴力や恐怖という方法を用いて、かれが作り出すものは理不尽なことのない世界だと言う。圧倒的な独裁者のもとでは、かれ以外の全てがひとしく無力となる。そこには貧富の差も、飢えもない。そんなものを王は願ってしまった。
それを聞いたネテロは、これ以上王と会話することを嫌がった。「心がぶれる前に」早めに闘うことを望んだ。ぶれるのは未だ成熟しきっていない王の心であり、なによりネテロ自身の心だ。武道を極め多くの人間から慕われるかれですら、逆らえないものはある。面倒な人間関係や権利問題に巻き込まれて生きている。命をかけることも戦うこともしない奴らに顎で使われて、こんなところまで派遣されたことにだって複雑な思いはあるだろう。王の話は魅力的だ。口だけでなく、かれにはそれを実現する力がある。そのことを傍にいるネテロは肌で感じているからこそ、余計に惹かれそうになるのだろう。
一歩のところで踏みとどまったネテロが選んだのは、卑怯な方法だった。いくら強くても王はまだ幼い。老獪なネテロの罠にひとまずかれはかかった。しかしそんなもののために理念を曲げてまで戦おうとすること自体、王が持つ心の闇の深さを物語っている。
バトルに次ぐバトル展開はさすがにちょっと食傷気味になってきたけれど、ストーリーは相変わらず腹が立つくらい面白い。
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2009.12.24 Thursday
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和泉桂「タナトスの双子 1917」
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和泉桂「タナトスの双子 1917」
「タナトスの双子 1912」<感想>の続編。
最悪の別れで終わった前巻のあと、双子の境遇は大きく変化した。二度も犯罪者を逃がした罪を追ったユーリは拘束され、屈辱的な立場に身を置かれ、ミハイルを憎むようになった。ただ憎いのではなく、憎しみを抱くことを決めた、という感じがする。どうしようもなく哀しくやるせない事件を前に、憎む相手を欲したのだ。誰かを、愛情と同じくらい強く憎まなければ、愛よりも深く思わなければ、もう二度と立ち上がることさえできなくなっていた。
空っぽになったユーリの心に、憎しみの種をまいて培養するのがヴィクトールだ。かれはユーリに屈辱を味わわせることで、かれの中に眠る復讐の意思を起こそうとしている。優しさや慈しみではなく、そんな風にしかふるまえないヴィクトールの歪な思いがいい。もちろん調教つき。
ユーリの心に消えない傷となった最悪の瞬間を、ミハイルは目にしていなかった。目を覚ましたかれは幼いころの記憶を取り戻し、その代わり以前事故に合ったあとの記憶を一時期失ってしまった。
この展開には驚いた。ようやくユーリがミハイルを殺したいほど憎みだして、二人が対等な関係になったかと思いきや、今度はミハイルの中から憎しみが消えた。自分と同じ顔をした半身への愛情でいっぱいになったかれの無邪気さが哀しく恐ろしい。
そのあとミハイルの記憶は落ち着き、かれはこれまでの全てを思いだすけれど、そのあともユーリへの思慕は募る。募れば募るほど、自己嫌悪も強くなる。それと同じくらい、ユーリへの憎しみも芽生えては消えてゆく。
安定しないミハイルの心を支えるのはアンドレイだ。かれは初めからずっと、ぶれることのない思いでミハイルを見つめ続けている。永遠に叶わないかにも思えたその優しい愛情は、少しずつミハイルの頑なな心を溶かしてゆく。
お互いへ向けた双子の思いは、どんどん縺れていく。相手の所為でマクシムを失ったのだとかれらは思い、そのために相手を憎んでいる。それと同じくらい、マクシムを失ったのは自分の所為だとも思っている。相手からマクシムを奪った自分は、相手に殺されるべきなのだとも思っている。誰よりも愛しい相手を傷つけたのだという気持ちと、誰よりも愛している相手に傷つけられたのだという気持ちが、ひとつの矛盾もなくかれらの中にある。
絶対に相手を殺すことなどできないくらい愛している。誰よりも憎いからこそこの手で殺したい。愛する相手の手で命を終わらせて欲しい。憎しみは憎しみを生むだけだと知っていて、それでもかれらは憎むことを止められない。愛することを止められない。お互いに、自分を想ってくれる相手を傍に置きながら、自分と同じ顔の男のことばかり考えている。そこには確固たる理由がない。ないからこそ、二人の体を流れる血がそうさせるのではないかと思ってしまう。ないからこそ、その想像の信憑性が高くなる。命をかけて本気で憎しみ合うか、命をかけて愛し合うしか選択肢がない。そういうさだめだ。カルマだ。
どんどん高まる市民の不満、一向に良くならない景気、ロシア帝国の終わりはもう始まっている。正反対の立場なれど、激化する戦いに身を置く双子は、あらゆるしがらみを断ち切って生きてゆく。兄弟への歪んだ愛ゆえに、自分の立場での仕事を全うできない双子は共に集団から疎まれ始めていた。どうしても裏切れない存在を前にしたら、長年付き合ってきた仲間ですら意味をなさない。次第に家族とも友人とも疎遠になり、かれらは傍にいる男と二人きりになる。終わりゆく国と同じように、双子もまた、ひとつずつ関係を終わらせてゆく。淘汰でもしているかのように、繋がりあう社会を遮断する。
生きるために。
そしてラスト。ついに再会した双子はお互いに銃口を向け合い、話し始める。
どうなるのかなかなか読めないラストだったけれど、後味が良い終わり方だった。かれらが一連の争いを終えるためには、そうするしかなかったのだろう。
ロシアの歴史については詳しくない。「オルフェウスの窓」を読んだ程度である。ただ、ひとつの国が終わりを目前にしている、目に見えて衰退していく様子というのにはやはり惹かれるものがある。滅亡直前、腐り果てる直前の危うさがたまらないのだ。
前巻の感想でも書いたけれど、作者のほかの作品と比べても、明らかに心情描写を減らした作品だった。人間関係や恋愛などのエピソードもあまり多くは語られない。ヴィクトールの調教や、ユーリの足の怪我など、いくらでも膨らむ素材はあったのに、描かないことを選択したのだろう。しかし言葉少なに語られるエピソードはどれも印象的だし、描かないことが雄弁にそれらの事実を現わしている。個人的には、この設定と世界観描写にいつもの調子の心理描写を加えて、全10巻くらいで発行してくれたら最強だったのに、と思うが。
ともあれ強い意欲を伺える作品だったし、今後もこういう系統の物語が生まれることを待ちたいと思う。歴史、主従大好き!
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