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2009.08.31 Monday
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小野塚カホリ「生日快楽」
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小野塚カホリ「生日快楽」
やおいに目覚める平均年齢などと言うものがあるとしたら、おそらくわたしはそれよりも早くやおいに出会っていたと思う。出会って夢中になった年月が続き、そのあと少し食傷気味になった。飽きたとまでは言わないが、それ以上に新しいもの・新しい刺激を探していた。そしてたどり着いた先がサブカルだった、というあたり本当に思春期剥き出しで恥ずかしいのだが、わたしは自意識過剰のアングラ少女だった。BLが台頭し、ハッピーエンドが席巻するノリについてゆけなかったのもあるだろう。
そんなときに偶然手にしたのが、「深夜少年」だった。タイトルも表紙も裏表紙のあらすじも、とにかく何もかもに吸い寄せられて、買って、心を撃ち抜かれた気がした。寺山修司を筆頭に、そこかしこに散らばる作者の嗜好がびしびしと刺さり、一筋縄ではいかない展開と繊細な絵柄に惹きこまれた。今思えばわたしにとって小野塚作品は、やおいとサブカルという二つの異なる点を繋いでくれる一本の線だった。
そんな小野塚カホリ、「虜囚」以来9年ぶりのオリジナルBLコミックス。
とは言え収録作品は99年〜00年に雑誌に掲載されたものである。なので当然ながら新境地ではなく、あの頃書いていたものの純然たる延長線上にある作品ばかりだった。
表題作の「生日快楽」はハッピーバースディの意、だそうだ。
一人暮らしの(おそらく)フリーター中野は、遊びに使う金を借金するうち、とうとう返し切れない金額にまで膨れ上がってしまった。金貸しに詰め寄られたかれは、電車で見かけた男を殴って財布を盗むことにした。そうしなければ、自分がひどい目に合うからだ。なぜそいつにしたのかは、その男が電車の中で他の男に痴漢行為をしていたからだ。犯罪者だからとか、同性愛者だからとかではなく、かれがその男にしていたある行為が、どうしても許せなかったからだ。
中野が男の財布を探っているときに、男は意識を取り戻す。状況を把握した男・森中は何故か、財布の中から中野にキャッシュカードを投げてわたし、暗証番号を教えて去った。口座には、中野の借金よりもはるかに高い金額が入っていた。
複数の男と寝ては甘い言葉をまき散らす森中は、しかしながらちっとも精力的ではない。口ばかりの嘘を吐いて、相手のことも自分のことも憎んでいそうな、厭世観に満ちているかれのもとには、そういうものを求める男たちが群がる。恋愛の最高潮のときに死にたいと願うような、破滅衝動を持った男たちだ。そういう男と片っ端から寝て、森中はある実験材料を摂取し続けている。かつて実験材料だった自分を知るために。
おそらく敢えて、話の全容を明らかにしないように作られた物語だ。
ほぼ正体の明らかになった森中と、中野の関係。実験を続けるかれの本当の狙い。金貸しとの関係。ぼんやりと輪郭が見え始めると、一気に姿を消してしまうそれらの真実には、どこまで想像してもたどりつけない。けれど、おそらく中野も一生かかっても森中の真実を知りえないのだろうから、これでいいのだ。
明らかにならない、ということが作品の濃厚な雰囲気を演出している。密室でじわじわと麻痺してゆく感覚、不明瞭になっていく思考。飼いならされることの恍惚、騙されているとわかっているのに逃れられない。真実が見えない不安と、いつまでこうしていられるのか分からない猜疑と、森中から与えられる快楽の中で中野は答えにたどりつく。
知りたくないことは知らないまま、聞きたくないことは聞かないまま、それでも全てを受諾することはできる。森中が聞いた「好きかな」「何もかも?」という言葉に、かれのことをほんの一握りしか知らない中野は「うん 何もかも」と答えた。今知っているところを何もかも、知らないところも何もかも、好きだと言う。いつか知ったときにも、何もかも好きでいるよ、という誓いでもある。神に祈るしかない無力な中野は、神にも救われない森中をこのとき一瞬だけでも、救ったのだ。
「ピーナッツポップガン」は「息もすんじゃねえよ」のしゅーじとナカコーのその後の話。「キャラコリ デュ ネギュス」のキャラも出てくる。懐かしい!物々しかったり陰惨だったりする作品が多い中、まっすぐにラブコメしているかれらは清涼感があって、バランスをうまく保ってくれていた。そしてそれは今回も同じことだ。
付きあってそれなりに経つけれど、相変わらず二人の間には肉体関係がない。以前よりも大分晃司は落ち着いていて、してもいい、という気にはなっている。しかしそうなると、今度は別の不安がかれを襲う。「うまくできなかったら…申し訳ないし…」と思って、なかなか自分からは言い出せないのだ。もしも自分から言ったら、あとには引けなくなる。やっぱり駄目、とは言えない。それをやってひどく罵られた過去があるからこそ、余計に出来ない。修二がそういう人間ではないとわかっているけれど、古傷はまだ癒えていないのだ。
だからかれはぼんやりと思う。「心(じぶん)を失くすまで抱いて」と。なにもかもわからなくなるくらいに、奪われて流されて、すべて済ませてしまいたい。自分の意志とは関係なく、既成事実を作ってしまいたい。けれど、修二はそれをよしとしないだろう。我慢していることを冗談めかしてしか言わないかれは、非常に強い意志で晃司を待っている。いつかかれが自分で決めて、自分で行動することを、信じて待っている。ちゃらんぽらんだけど包容力のある年上と、しっかりしているけれどやっぱり甘ったれな年下。最後の真剣な恋と、初めての真剣な恋が始まっている。
「ポーラー」はすごく懐かしかった。この作品目当てに本誌を買ったことを思い出した。まさかそれがコミックスになるまで九年もかかるなんて、ね。
もうすぐ引っ越していなくなってしまう男と、かれにずっと片想いされていたことをつい先日知った男。実は両想いだったというようなドラマも、かれの思いに心が動いて何もかも捨てて引っ越しについていくような熱意も、遠距離恋愛を続けるような甘さもない。かれらは年の離れた友人同士だったけれど、それは男の告白によって終わった。そこにあるのは、告白した男と告白された男という関係だ。その間に生まれたのは一晩の語らいと、抱擁。
お互いにその日のことは、今後長く思い出すことになるだろう。だからと言って電話をしたり、会いに行ったりはしない。ただ、思いだして、きっと空を見上げる、それだけ。惑星と、そのまわりを回りつづける衛星のように、一定の距離を保ったまま、離れた場所で生きてゆく。そのどうしようもないラストが凄く好きだ。
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2009.08.30 Sunday
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中村春菊「純情ロマンチカ」12
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ロマンチカ組にとって、いらいらする、というのは褒め言葉だと思う。プライドと羞恥からなかなか自分の思いを認めきれない美咲の優柔不断さと、自信がないゆえに美咲の気持ちを信じ切れない秋彦のどうしようもなく堂々巡りの日々。何がすごいって実はこのひとたち同居して三年以上経っているのにこれなんですよ…いい加減にしろ、と言いたくなるけれど、本人たちは至極真面目なのだ。未だにウサギさんは美咲が友人と仲良くしているだけで胸を騒がせて悲観的になるし、美咲は美咲で自分が秋彦に向けている感情が恋なのかはっきりしないと思っており、更にそれを態度に出す。
あらゆる方向から邪魔が入るのもいつものことだけれど、今回は、その邪魔が美咲に剥き出しの悪意をぶつけてくる。ウサギ父も兄もイトコもみんな揃って美咲を好きになったし、角先輩も表面上は穏やかだったので、水樹のようなキャラは珍しい。かれの言うことは、言葉はきついけれど正論で、しかもかれ自身はそう言えるだけの実力がある人物なので、余計に美咲は歯がゆい思いをしている。うるさい、と一蹴してしまうこともできず、いちいち傷付いてしまう。そしてそのことがきっかけで、かれは自分の進路を探すようになる。
求められるところに、求められるものを与えることが得意だった美咲が、自分からやってみたいと思えることが何なのか。それなりに何でもこなせるかれが、できることではなくやりたいことを探し出した。それは多分美咲にとってはすごく難しいことなのだと思う。しかしそろそろ、自分から欲することが殆どなかった、意図的にしないようにもしていた少年時代との決別をする時間がきたのだ。
エゴイストの二人はミニマムバージョンと現在バージョン。
草間園で育った、ということだけが明らかになっていた野分の過去も描かれている。年長者であったこととその性格から、なにごとも譲ってばかりだった野分の幼いころは切ない。たかだか数年の年齢差や体格の差で常に貧乏くじを引き続けてきたかれが、どうしても譲れなかったものが上條と、医者という職業だ。時間帯がばらばらの上に忙しい野分と、同じく非常に多忙を極める上條は、休日を合わせることさえ難しい。それでも二人ともお互いの仕事への思い入れの強さを知っているし、自分だって仕事が大好きだし、そこで譲歩はしない。譲歩したくないし、譲歩しない相手が好きなのだ。それで自分との約束が反故になっても、記念日が台無しになっても、決して仕事のことを責めたりはしない。それはある意味でひどく不器用な生き方なのだろうけれど、でも、とてもかれららしいなと思う。
ロマンチカの二人に比べて、エゴイスト組は着実に恋愛も仕事も前進しているのが見て取れる。もどかしいけれど、しっかりと絆が強まっている。
テロリストは全くなーし!一番好きなので残念だけれど、結構落ち着いてしまったふしがあるので仕方がないのかな。次に期待。
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2009.08.29 Saturday
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Moran「Escort to the Deepest」@大阪FAN J twice
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フロアは8割くらいは埋まっていた。フロアに下りる階段がフロアの後方中よりについているので、ある程度フロアが埋まるとフロアに下りづらいのがこのクラブをライヴハウスとして利用する際の難点だと思う。下りると案外スペースあった、ということになるので。階段で見たい人ばかりだったなら問題はないのですが。
twiceはステージが高くて後方でも見やすいので、結構好きになってきた。
10分押しくらいでようやく暗転。その瞬間からZillコールが起きていた。
Soan、Zill、Veloの順番で楽器隊が登場。さすがにZillコールが物凄く大きかった。最初に言っていた通り帰ってくることが決定したというのはSoanブログで知っていたけれど、やっぱり自分の目で、かれがステージに立っているのを見ると感慨深くなる。おかえりなさい。
三人で「Escort」開始。前を向くのではなく、みんなで向き合っての演奏スタイルがすごいかっこよかった。バンドっぽさの決して濃くないバンドなので、こういう一面が見られるのは面白い。途中でHitomiが現れて、曲にヴォーカルが入る。この曲本当に好きだ。最後の「darkness」で絶叫して、「始めようか!」で「ハーメルン」へ。衣装は全員「HEROINE」の衣装。
いつかは自分たちも君たちも枯れる、というような語りのあと「君たちに種をまく、それだけが真実、そうだろう!」所狭しと暴れまわるZillのステージングは相変わらず。懐かしいな、本当に帰ってきたんだな。それにつられてなのかどうなのか、Veloもかなり動いていた。ライヴっぽくていいね。
「マニキュア」の手拍子など、まごつく客を誘導するようなところがいくつかあった。ライヴでの演奏回数が多くない曲や音源に収録されていない曲などはどうしても反応がまばらになってしまうので、そのあたりを考慮してきたのだろう。いい傾向。
「待ちに待ってたワンマンツアーが始まり、そしてZillが帰ってきました!」「同じ道を歩めることがとても嬉しい、それが一番の贅沢だと思える」というような言葉から「目下の泥濘」へ。この曲はやっぱり、Hitomiの非常に強い所信表明だ。そしてそれと同時に、こういう意図を持って集まった仲間を讃える曲にも成りうる。開始から既にある程度の年月が経った今、根本にあったものを思い返すこともできる。補正されていない泥濘に、汚れると知っていて、その足を下ろす。そうすることでしか得られないもの、たどりつけない場所、そういうものを手にするために、一歩を踏み出す。
ここから「〜恋路」「〜五線譜」の流れは曲が好き過ぎて最高だった。骨の髄まで浸って、沁みこませておきたい。終らなければいいのに。
イントロが始まって、真赤なライトに照らされたHitomiが囁くような声で「寡黙の夕べ」とだけ呟いて、曲へ。悔しいけれど胸がさわいだ。数か月前に聞いた時よりかなり良くなっている。全国をまわって、回数を重ねただけのことはある。「HEROINE」の曲は全体的にそういう感じだった。しかしマイクのエコーがむちゃくちゃかかっていたのはわざとなのか事故なのか。
間奏にコール&レスポンスもあり。こんなアンニュイな曲なのに、一周まわって似合ってしまう。
Zillがいるステージは温度が違う、サポートメンバーとのツアーも楽しかったけど、正しい四人って違うって感じる、というようなことをHitomiが言っていた。正しい四人、というともすれば揚げ足をとられそうな言い回しが好きだ。
しかし話題のZillはステージにへたりこんでいる。それを見て「へろへろじゃん!」とHitomiが大爆笑。「体力がおちてるんだ…」とZillが言っていた。生々しいけれど、ここまできたら笑い飛ばしてしまったほうがいいのだろう。
まっすぐ前を向いててもZillが動いているのが目に入る、とHitomi。そこまでは良かったのだが、「寝るときに蛾が飛んでる感じ」という最悪の比喩が付け加えられる。そのくらいアグレッシブだよ!というフォローにならないフォロー。本人に一切悪気がないところがもうどうしようもない。
そしてここでZillのコメントもあり。「ちょっと長めのお盆休み、夏休みを貰っていました」というような言い方で休養期間のことを語りだす。長いようで短い、短いようで長い、暗闇のトンネルの中をさまよっているようだった、戻ってこられたのはメンバー・スタッフそしてここにいる皆を含めたHolicのおかげだ、と真面目に言って、最後に「ただいま」と。
かれの病状がどれくらい深刻で、どれくらい回復したのかはブログだけでは分からない。けれどあれだけ症状を明らかにして、自分は今こういう状態だけど戻ってくるんだと言いきったのは珍しいことだと思う。全てを明らかにすることだけが正しくて、それ以外は正しくないとも思わない。ただ、帰ってこられるかもわからないような状況を晒して、そういうかれを待つんだと言い続けたスタンスはすごく好きだ。
客席からの「おかえり」の声にはにかんだZillが「ところで俺の名前って何だっけ、ステージでしばらく名前呼ばれてなかったから忘れた」と言いだしてコールを要求する。両耳を手で抑えるから、それでも響くくらい呼んで、と乞われてのコール。十分伝わったであろう声に応じるように、「俺がMoranのベーシストのZillです」と嬉しそうに言っていた。
そのZillの言葉を受けてHitomiが「夏休み終わったけど俺たちの海水浴は今からだから」と嬉しそうに言いだしたので、「〜海岸で」がくるのかと思ったら、「君たち海だよ、大きな波をつくってくれたらZillが泳ぐから」で「Sea of fingers」へ。客席の手と目と声がうねりを作って海になる。このあたりから超盛り上がっていた。
「Helpless」ではSoan以外の三人が左右に移動する例のステップもあり。正直3月のワンマンのときはいまひとつ揃っていなかったのだが、今回はうまくいっていた。ステージがWESTに比べると小さくて三人の距離が近いから合わせやすいというのもあるんだろうけれど、揃うといい感じ。それ以外にもHitomiがマイクスタンドを操って色々なポージングをしたり、パフォーマンスに利用したりしていた。魅せることを意識した、つくられたステージングというものがイベントライヴではほぼ皆無と言っていいほど見られないので、これはワンマンならではの醍醐味ということか。「Helpless」のステップなんかはイベントでやっても楽しそうだけど、と無責任に言い放っておこう。
Hitomiが「歌は好きかい?」と言い出すので、客席からちらほら「好き!」の声が。「俺も大好きだよ。俺の好きなキャラクターが「歌はいいねぇ」って言っててすごく共感した」と言い出したので、おいおいおいおいと思っていたら案外客席の反応が薄くて、Hitomiが思わず「知ってる?」と聞いていた。多分前の方の誰かが応えたらしく、「そう、カヲルくん」と嬉しそうに言っていた。そういえばタクマも言ってたなこんなこと。
Soanのコンタクトの調子が悪い、という話になり、どうやら必死で直していたらしいSoanが「超いてー!」と叫んでいた。そこでなぜかSoanコールが起きて、「うらやましいね、コンタクトレンズずれただけでキャーっていってもらえるんだよ」とHitomiが茶化す。
歌のくだりがようやくここで繋がって、Hitomiの歌ったメロディーを歌え、という掛け合い。なんでこんなにちょっとむずかしいの。
歌ってみようか、と言われたSoanはわざとらしいビブラートでおもしろおかしく歌っていた。そのあと振られたZillは、なんでもいいよと言われていきなり「かわらずーにーなーがーれてーゆくー」と熱唱。Hitomiが聞きとれない!と言うので結局三回ぐらい歌わされていた。面白がったHitomiがそれを客も歌えという話になり、Veloにわざわざコードを合わせることを強要して、結局反町隆史熱唱の会。この本人たちはやけに楽しそうなグダグダ加減がMoranなのだとわかってきた。
延々ララララやったあと、「それだけ歌えれば君たちも俺たちも、立派な勝ち組、いや負け組だ」で「LOSERS' THEATER」へ。文脈的には負け組って言ったんだろうけれど、負け犬に聞こえた。被害妄想?
ZillとVeloがHitomiの後ろに隠れたり、立ち位置交代をしたりする曲があって、そのステージングがすごくいいなと思っていたのだが、どの曲なのかはっきり思い出せない。「Helpless」よりも後だと思うのだけれど、どれだろ。東京で確認しよう。Zillが客席に背を向けたらVeloは客席を見る、そしてZillがこちらを見たらVeloは背を向けている、という入れ替わりがフレーズに合わせて行われて、見ていてほくほくしていたのに忘れた…。あとHitomiがどこかで首元のベルトを外して上半身のボタンをすべて外してここぞとばかりに胸をはだけていたのもどこか忘れた。これはアンコールかな。
散々ぐちゃぐちゃになったあと、ラスト。
「写真て好きかい?撮るのは?」好き!と客席。「撮られるのは?」これは好き!と嫌い!がまばら。そのリアクションに笑いつつ「俺は撮られるの大嫌いなんだよね」とHitomi。プリクラが大嫌いだ、あの箱の中でピースとかするの嫌だ。でも何もしないと手持ちぶさただし、ピースって何?とか考えだすし。男の子だけこういうの(親指と小指だけを立てるジェスチャー)とか、こういうのとか(ギャル男ばりに手をだして)、ウインクしたり舌出したりとか、そんなの嫌だ、という話へ。どうして嫌いなのかと言うと、「あれは嘘だから」だそう。つくられた表情やポーズではなく、現実の断片を切り取ってほしい、たとえば好きなひとと笑ってる瞬間、友だちとバカやってる瞬間、そういうものを切り取ってほしいのだと言う。ただいざ撮るとなるとそうはいかないから、カメラではなく自分の目で切り取るようにしている。そういう瞬間を切り取ってしまってるから、君たちも心の中に切り取って閉まって帰ってください、と告げて「Flower Bed」でおしまい。
長い、大きいアンコールが響く。
その声に歌でこたえる、と言って「Element」へ。
最初の音源の一曲目にあたるこの曲で一気に世界に惹きこまれて、初めて見たライヴでもやっぱり一番魅せられたのはこの曲だった。あのときはたしか、ノアの方舟の話をしていた。この曲がわたしにとっての初期衝動で、いまもなお、わたしを突き動かしている。
そのあとはそれぞれメンバーを呼ぶやりとり。客の声に合わせてどんどん演奏が激しくなるよ、という不思議なコール&レスポンスを延々やった。すごい長かった気がする。
Soan、Zill、Veloときて、楽器のないHitomiはどうするのかと思ったらいきなり「月のないSea side!」と歌い出す。これは結構、にくい…。くやしい…。キュンときた…。もちろん客席は「しゃららららー」で応じる。ワンコーラス全部歌ってから、「今夜、月の無い海岸で」へ。
前回のワンマンで、ほとんど客席が歌っていなかったので(というか客側からすれば、歌うべきなのか歌わないべきなのかはっきりしなかったのだ)、今回最初に声を出させたのはいい試みだったと思う。歌ってほしいのだという意図がみえやすい。
そして皆で一つの怪物を作り上げよう、と誘われての「Party Monster」、更に歌のないセッションがあって、おしまい。いつも通り低い姿勢でベースを弾くZillの頭に、そっとHitomiが手で触れた。そのあとZillが抱きついていた。Soanとも抱き合っていたし、Veloとも何度も向かい合って笑っていた。それをみてようやく、かれにとっては(Moranにとっては)、このステージに立つことが復帰ではなく、このステージをやり遂げることが復帰なのだと思った。ただ舞台の上に立っただけではなく、きちんとバンドのメンバーとして演奏をして、一本のワンマンを完成させること。それがHitomiいわく「正しい四人」のスタート地点になるのだろう。ハケていくメンバーがくちぐちに「ありがとう」とマイクを通して言っていたのが印象的だった。
「その耳に残るものが、その肌に伝わるものが、全部真実だよね。笑ったあなたの顔は、誰よりも素敵だと思うよ」というHitomi節で終了。
正直Hitomiのコンディションは結構ぼろぼろだった。声はあまり出ていないし、歌詞は飛ぶし、歌っても間違っていてコーラスと合ってないし、音程が取れないところもあった。でもそれらが瑣末なことになるくらい楽しかった。世界観最重視だと厳しいのだろうけれど、そのときにしかないものを焼きつけるライヴならば気にならない。
そしてダブルアンコ。幕が閉まったので帰るひともいたのだけれど、このあと「同じ闇の中で」があると何の根拠もなく信じ切っていたのでひたすらアンコールをした。正直こんなに一生懸命アンコールしたのは久しぶり。
しばらくしてから、Soan、Zillが衣装のままで登場。センターのマイクスタンドでSoanが「やる?やっちゃう?はじめようか!」と言い出す。そのあと「Moranは楽器難しいからパートチェンジできない」とかなんとか言っていた。ここでようやくかれにとってのやる?はパートチェンジお遊びのことなのだと知った。たぶん多くのひとはこのときパートチェンジのこと思ってなかったとおもうんだけど…まあいいか。そのあと笑顔で「こういうのが本当のアンコールだなと思う」と言うのを聞いて、このダブルアンコが予定に組み込まれてないものだと知る。
次に出てきたVeloは上のシャツを脱いでタンクトップ。普通のお兄ちゃんが頭だけすごく派手、みたいな感じになっていてシュールだった。そのあと現れたHitomiは白のツアーT、黒のジレ、黒のワイドパンツで足元がサンダル。「衣装のままなのはパンツだけです」と言わなくていいことを言うHitomiさん。
今日から発売になった物販のTシャツを着ている、とHitomi。バンドTシャツがライヴ会場でしか着られなくて、結局パジャマになってしまうのがいやだから意地でも私服にする、みたいなことを言っていた。これを着て出歩いて、偶然俺と出会うとペアルックになるよ、というアピールもあり。客席はうけていたんだけれど、加藤和樹さんがMCで仰っていたのでその印象しかない。でも確かにこのTシャツは可愛かった。
ペアルックになるべく、Hitomiの出没ポイントを聞くSoan。新宿渋谷池袋、と答えるHitomiに客席からは大阪での出没ポイントを聞く声があがる。ライヴがあるときにだけ、心斎橋にくる、という普通の答えに非難轟々。あとはUSJに行きたいけれど、無料でファストパスがとれるTDLと違って早く乗り物に乗るためにお金を払わなければいけないのが微妙。でもそのシステムは大阪だなーと思った。Moranのライヴはどこで見ても同じ値段ですよ、アンコールからはいってきても同じ値段ですよハハハ、みたいなことを自分で言って自分でうけていた。ハハハ。
ラストは「高速Sea of〜」でおしまい。
最後にHitomiが「その勢いで明日の名古屋もくればいいじゃん!」と言ってハケていった。ドラムセットから立ち上がったSoanがそのあと、センターで「その勢いで明日の名古屋もくればいいじゃん!」とまねっこ。おちょくられてるよひとみさん!
幻想的な世界観を構築するということに重きを置いた前回のワンマンと比べると、今回はかなりライヴらしいライヴだった。ステージやハコの規模もあるのかもしれないが、通常のライヴの延長線上にあるライヴだったと思う。しかしそれがすごく良かった。ライヴバンドとしてのMoranというものが明確に提示されていた。作りこまなくても一瞬で世界を変えられる、音が鳴れば色が塗り替えられる、そういう力を感じる良いライヴだった。曲を恒常的に変化しつつ再現する力を感じて、とても楽しかった。
わたしは基本的には飢えているHitomiが好きだ。目と手と声を全身で欲して、得たさきから乾いていって、どこまでも満たされなくて、もっともっとと求めている焦燥感がいい。その渇きはこの日は最終的には満たされていたように見える。でも楽しそうな姿もいいか。その充足をまた得ようとして、更なるものを求めて余計に乾くのだろうけれど。
異様に楽しかった。自分が尋常じゃなくMoranの曲が好きで、並々ならぬ気持ちの悪い思い入れを持っている自覚はあるのだけれど、それだけでなく、純粋にいいライヴだった。たとえわたしが特に好きだと思う曲を悉く演奏しなかったとしても、気にならないくらいに楽しかった。
Escort
ハーメルン
マニキュア
目下の泥濘
人間の人間による人間のための恋路
君がいた五線譜
寡黙の夕べ
Sea of fingers
Silent Whisper
Helpless
Lost Sheep
LOSERS' THEATER
Stage gather
Flower Bed
Encore
Element
今夜、月の無い海岸で
Party Monster
WEncore
Sea of fingers高速ver.
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2009.08.29 Saturday
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秋葉東子「本日も場外乱闘」
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秋葉東子「本日も場外乱闘」
超進学校で学年トップの北村は、近隣のヤンキー高校の生徒にカツアゲされているところを、ヤンキー高校の番長である宝井に助けられる。リンチやカツアゲといった卑怯な手を嫌う宝井は、自分にいっさい怯えない北村を通じて、自分の学校の生徒がカツアゲした金銭を還元したいという話をもちかけてくる。
偏差値差40という進学校とヤンキー校は、当然ながら犬猿の仲である。ヤンキー校は進学校を毛嫌いして暴力で物を言わせ、進学校はヤンキー校を見下してずるをする。どっちもどっちの諍いは、かれらが入学する前から続いており、今後も止む気配がない。
成績優秀で学校内でも一目おかれている北村は、負けん気が強くて向こう見ずだ。カツアゲされても怯えたりしないし、それを更に狂暴そうな男が助けてくれても簡単に礼を言ったりはしない。しかし、その、物おじしない性格が、ヤンキーたちの番長である宝井にとっては都合がよかった。
番長であるかれはカツアゲやリンチを禁止しているが、かれの目を盗んで実行するものはいる。そういう奴らを見つけて、奪った金を没収していた宝井は、しかしその金をどうやって大事にせずに返却できるのかをずっと考えていた。そして、北村に出会った。
最初は宝井が渡した金を、北村が生徒会に託すというだけだった。しかしそのうちに少しずつ会話するようになったかれらは、お調子者の宝井の舎弟の所為もあって、普通の友人のようになった。北村が、留年しそうな宝井の舎弟達の勉強を見たりすることもあった。
北村はどんな場面でも怯えたりしないところがいい。宝井が怒ろうとも、大勢のヤンキーの中に放り込まれようとも、かれは変わらない。いつも通り慇懃無礼に、まっすぐに物を言う。相手によって態度を変えることをよしとせず、常に同じスタンスで居続ける北村の態度は誠実で、なかなか誰にでもできることではない。
そういうかれの性格に好感を持つ舎弟とは違って、宝井は心を許し切ることができずにいる。それは北村の所為ではなく、宝井が以前ある「優等生」に手ひどく裏切られたことが原因だ。かれと北村は全然違う性格で、別の人間だとわかっているけれど、宝井は踏み切れずにいる。高校生に見えない老けた容姿と、番長なんていうものものしい呼び名があるものの、宝井はとても優しくて繊細で傷付きやすい。自分が他の生徒によく思われていないことも知っていて、それでも自分の信じる茨の道を進むかれの純粋さがせつない。
いきなり自分の前に姿を現さなくなった宝井に焦れた北村は、かれの舎弟から、過去の話を聞いた。そのときに負った大きな傷が癒えていないであろうかれのことを思い、それゆえに未だ自分のことを信じ切れないかれを思って、北村は怒った。
見た目の感じも、そしておそらく実際にも宝井×北村なんだけれど、精神的には完璧に北村×宝井だ。根性が据わっていて多少のことでは揺れない芯の通った北村と、辛い過去の所為で心を閉ざしている傷付きやすい宝井の関係性がすごくいい。北村は可愛い系の顔だけどものすごく男前の受だ。超難関高校で、陰険な連中の嫉妬や揶揄にも負けずにトップを走っているだけのことはある。ただ頭が良いのではなく、確実に努力して結果を出し続けているかれは、それだけの自負もある。そしてそういう自分が、これまで宝井と沢山の時間を共有してきた自分が、愚かしい他の誰かと並立で見られたことに、北村は怒った。憐れむでも理解するでもなく、ふざけるなと、誰がお前を利用なんかするかと、見そこなうなと激怒する北村の純粋さは眩しい。
そしてそういうまっすぐな強さに、宝井は救われる。傷を癒すのはこの場合、優しく丁寧な介抱ではなく、荒療治だった。こういう受×攻っぽい話は大好き。
そして二人の関係はひとまず落ち着いたけれど、両校の間の事件はまだまだ解決していない。続くのかな。続くといいな。
同時収録の番外編「俺にいったい何をした!」は高校生の三角関係。とはいえ最後はこっちとくっつくんだろうなーとなめてかかっていたら、予想外の展開になって驚いた。しかし不満が残るわけではなく、話の筋として納得できる。でも意外。
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2009.08.29 Saturday
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papyrus 10月号
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特集は「Cocco 愛と罪悪感の行方」である。
ネットニュースで、拒食症と自傷について語っていると紹介されているのを読んで雑誌を探したので、ある程度覚悟はしていたけれど、表紙を見て息をのんだ。短く切った髪によって、痩せこけた顔の輪郭が剥き出しになっている。自傷と内出血でぼろぼろの両腕、ほとんど肉のない肢体、そしてあの意志のつよすぎる瞳。引きずられてしまいそうになる。
特集では彼女が拒食症と戦っていること、長い間「普通のこととして」セルフハームをし続けてきたことについて触れられている。様々なジャンルのひととの対談もある。写真も沢山あって、「LIVE LIVE AND LIVE」と彫られた腕、たくさんの星、数えきれないほどの傷、棒のような足がみてとれる。
Coccoの腕が傷だらけであることはPVなどでも確認できたし、彼女が拒食症であることは映画「大丈夫であるように」で公表された。そんな彼女が「こっこさんの台所」を出したことで、食べることに向き合っているのだと思っていた。けれど、Coccoにまつわる現実は、いつだってそんなに甘くない。
彼女は食べることに罪悪感をおぼえつづけている。そしていつか息をすることにさえ、罪悪感をおぼえるようになるんじゃないかと思った。そんないつかが来なければいいと切に願うけれど、すごく怖い。
Coccoのもとには、たくさんのSOSが届けられる。自分の生活している場所で起きていることを彼女に知ってほしいひとからの手紙、それ以外にも、たくさんのニュースはいやでも耳に入ってくる。六ヶ所村のことをその地に住むファンからの手紙で知った彼女は、知らなかった自分を恥じて、詫びた。教えてくれたことに感謝を述べていた。それを知っているファンが、自分の生活圏で起きていることを彼女に知ってほしいと思う気持ちは分かる。たとえCoccoが知っていても知らなくても起きていることを、彼女は知らないままでいることにすら罪悪感を持つのだ。だから、Coccoに伝えることはおかしなことじゃない。けれど、彼女は実際、たくさんの「助けて」に押しつぶされそうになっている。見過ごすことができず、だからと言ってなにか具体的な解決策を持つわけもなく、歌うことしかできない自分の無力さをいちいち思い知らされるからだ。そうやってあらゆるひとの「助けて」に押し潰されそうな彼女は、いつかみんなの「生きて」さえ抱えられなくなるんじゃないか。
生きていることのほうが死ぬことよりもよっぽど苦しくて辛くて大変で、そういう彼女にそれでも生きてほしいと願うことが、どれほど残酷な仕打ちなのかは分からない。でも、生きてほしい。だけど、そのために何をすればいいのかがひとつも分からない。そうするための方法はひとつもない。彼女自身だってそんなもの知らないのに、一介のファンごときが彼女を助けられるわけがない。「生きて」という言葉すら彼女を傷つけてしまいそうなのだ。「好きだ」も「愛してる」も、何の効果もない。ものすごい無力感だ。誠意とか、努力とか、そういうものではどうしようもない壁にぶち当たった気分。彼女はあらゆるものに干渉されて、あらゆるものに影響を受けているけれど、それと同じくらい、なにものにも左右されない。掌握も支配もされない。だから、わたしができることはたぶんひとつもない。
もう祈るしかない。生きてほしい、彼女が生きることが少しでも楽になりますように、と。でも誰に祈ればいいのだ。あらゆる神を排除してきたわたしが。「祈る」という言葉すら、大嫌いなわたしが。
「大丈夫であるように」の中で、ひめゆりの生き残りである「おばぁ」達に向かってCoccoが歌う場面があった。生き残った彼女たちは、たくさんのひとが死んだ中で、自分たちだけが生き残ったことを後ろめたく思っていた。生き残ったことに、生き続けていることに罪悪感を抱いていた。そういうおばぁ達のために「ジュゴンの見える丘」は歌われた。「悲しみはいらない 優しい歌だけでいい」とCoccoは歌った。けれど、同じように生きることに罪悪感を抱いている彼女には誰が歌う?誰の言葉が届く?インタビューの中でCoccoは、自分は孤独だと言っていた。傲慢にも聞こえる言葉だけれど、それは真実だ。彼女には誰の言葉も効かない。誰も彼女の隣にはいけない、誰も並べないのだ。Coccoは孤高で、孤独だ。自分勝手で傲慢で気分屋で、優しくて残酷で、誰の助けにも救われない。そして彼女はわたしにとっては、不可侵の神様だ。
ライヴが終わった瞬間に、また何もできなかったと言って絶望するのだと彼女は言っていた。目の前にいる何千人が感動しても、その瞬間救われても、それだけでは意味がないのだ。もっと総大なものを彼女は見ている。ひとりのうたうたいが手に負えるわけもないような大きなものと対峙して、なにもかもを賭けて勝負に出ている。
一度なにもかもから逃げて帰ってきた彼女は、もう諦めたりしない。けれど、その代わりに自滅してしまいそうで怖い。どうか彼女が少しでも楽に呼吸できますように。それで感性が鈍ろうとも、構わないほどにわたしはCoccoが好きだ。これまでに彼女が吐きだしたものだけでこれからも生きてゆけるほどに好きだから、ただ、生きてほしい。それすらもエゴでしかないけれど。
ああ厄介なひとを好きになってしまった。どころかどんどん厄介になる。でも好きで仕方がない。
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2009.08.28 Friday
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砂原糖子「滝村くんと森尾くんのそれから、」
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砂原糖子「滝村くんと森尾くんのそれから、」
夏コミ新刊。
最近文庫化された「ラブストーリーで会いましょう」上<感想>下<感想>のスピンオフ。この感想で、滝村と森尾の関係を「すごく可愛いんですけど!続きは!スピンオフはないのか!」と殴り書いたのだが、出た。わーい。
本編の後半で、上芝が森尾と会話するシーンがある。どんなに拒まれても森尾を誘い続ける滝村について上芝が何の気なしに語ると、森尾が思いっきり動揺するのである。酒を飲むとすぐに酔って、ろくなことにならないから嫌いだ、とも言っていた。そして滝村とのことについては曖昧に言葉を濁してもいた。自分の恋愛で頭がいっぱいだった上芝はそれ以上の言及をしなかったけれど、このあたりの煮え切らない態度についての説明がこの話で為されている。
いつも通り冗談めかした滝村の食事の誘いに、初めて森尾が乗った。それはかれの熱意に圧されたゆえの譲歩ではなく、もう二度と誘われないようにするためだった。森尾は滝村の言葉をひとつも信じていない。当たり前だ。今まで散々オタクだのダサイだの言っていたくせに、眼鏡を外した自分の顔を見た瞬間に掌を返した男の言葉など、信じられるはずがない。しかも滝村は今までのことを謝罪することも否定することもしないのだ。素顔を知った途端に求愛しはじめたかれは、潔いまでに最低である。これまで滝村の言葉に傷つけられていた森尾は、滝村の急な態度の変わりようにも傷つけられた。
滝村には一切悪気がない。努力して美貌を保っている女の子が大好きで、オシャレなものが大好き。だから、見た目に気を使わない森尾のことは見下していた。けれど、眼鏡を外したかれに心を奪われた。そしてよくよく考えてみると、今までにも本当に好きな子にはうまくアプローチできずに意地悪ばかりしてきた自分を思い出す。今までの森尾に対する態度は、気になっていたがゆえの裏返しだったのか、とかれは悟った。けれど、その一連の心情の変化をかれはひとつも森尾に告げていない。森尾にしてみれば、自分は顔だけで態度をあからさまに変えた酷い男としてうつるということにも気付かない。かれはそのとき思ったままに行動しているだけなのだ。
酔った森尾が傷ついていると言っても、滝村は罪悪感をおぼえない。こうなってくるともはや滝村が一方的に悪いというよりは、性格が心底合わないのだろう。価値観が違い過ぎて、分かりあうことが難しそうだ。噛み合わないにもほどがある。
前後不覚になった森尾を家に連れ帰った滝村が起こした行動は、滝村らしい下世話で楽天的で、最低な行動だった。何もかもが終わるはずだった。しかし、目が覚めたあと状況を把握した森尾は、思いがけないことを言った。もしかすると、膠着状態にも似た関係を力ずくで突破されたことで、かれも素直になれたのかもしれない。言いたいことを言って感情を剥き出しにしてすっきりしたら、新しいアイディアが浮かんできたようだ。水を得た魚のようにまくしたてて、年長者で先輩でなおかつ恋愛経験豊富な滝村を、一気に尻に敷いてしまった。ふふんと得意そうに笑う森尾がかわいい。
そしてこれを読んでから本編を読み返すと、前述の森尾は、上芝に滝村の(恋人の)話題を出されて照れていたようにみえる。満更でもなさそうだし、よかったよかった。
非常に同人誌らしいタイトルなんだけれど、「それから」のあとの「、」がすごくしっくりくる。かわいくて良い。
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2009.08.28 Friday
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許斐剛「テニプリっていいな/Smile」
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今更何の説明が必要であろうか、「テニスの王子様」原作者・許斐剛のCDである。漫画家である許斐剛が、作詞作曲して、自分で歌ったCDである。これまでにもラジオに出たり作詞をしたりキャラソンアルバムに歌唱参加したり、実写映画にも出たような作者である、個人名義でCDを出すくらいではそんなに驚いたりしない。けれど、そのタイトルが「テニプリっていいな」であることには、心底驚いた。
直球過ぎて誰にも思いつかない、許斐剛以外は誰も。
ブックレットには、「新テニスの王子様」の番外編として、オールカラー10ページコミック「海パンの王子様」を収録。U-17合宿中のある日、中学生たちがスイカ割りをする、というもの。「焼肉の王子様」「ビーチバレーの王子様」のようなノリのギャグ漫画。突っ込むところが多すぎてどうしていいのか分からない。ひとまず最初のページの風林火山の赤ふんどしによろめいた。そして跡部の、あの圧倒的人気の跡部の行いがショボすぎて面白かった。こういうのを読むと「テニスの王子様」が少年漫画であること、そして登場人物が中学生であることを再認識させられる。
・「テニプリっていいな」許斐剛
作詞作曲許斐剛。何度も繰り返される「テニプリっていいな」が耳に残って仕方がない。そして歌声に関しては、わたしは今回初めて聞いたのだけれど、甘いのなんの。ミディアムテンポのバラードがすごく似合う声で、そのことを自分でも分かっているのだと思った。
特筆すべきは、「テニプリっていいな ボクの全てさ」と言う歌詞が、最後だけ「キミの全てさ」になるところだろう。お前にとってもテニプリは全てだろうと、こうもやわらかく明言されてしまうと、そんな気さえしてくる。押しつけがましくなく断定される。
後半は36名のゲストコーラスが入る。青学、氷帝、立海、比嘉、四天宝寺の面々が同じフレーズを歌ったり、バックコーラスをしたり、奇声をあげたりしている。後ろで中学生がわいわい騒いでいて、その中で大人が歌っているような風景がほほえましい。金太郎は目立ちすぎです。
四天宝寺の荒木さんも参加。
・「Smile」許斐剛
作詞作曲許斐剛。こっちは至極真面目な曲。いや一曲目も真面目だということは分かっているのだが。
こういう歌詞を読むと、許斐剛という漫画家は「笑ってもらうこと」=「楽しんでもらうこと」を至上命題にしている作家なのだと思い知らされる。それが白熱する試合に対する興奮であっても、ありえない展開に対する爆笑であっても構わないのだ。読んでいるひとがその時楽しくなって、心が晴れれば問題ないのだ。天性のサービス精神だ。こういう誠意が透けて見えるから、わたしは「テニスの王子様」が好きなんだろう。
・「Adventure Hero」許斐剛&佐々木収
作詞許斐剛、作曲ササキオサム。これは二人で歌っているもの。とにかく前向きに、楽しく明るく、そして傷つくことを恐れて縮こまってしまう人を励まして奮起させることを意図した歌詞である。
ボーナストラック
・「青春グローリー(TK Piano version)」許斐剛
レコーディングが終了して、雑談する許斐先生と佐々木さん。ちょうど目の前にグランドピアノがあったので、一曲セッションでもしようか、というノリで「青春グローリー」を歌う。二人きりのお遊びのはずだったのに、実はまだ録音していたんですよ、すごく良い出来だったからこれも使いましょうよ!とスタッフに言われて、参ったなあハハハ、といういい感じの茶番。
この不自然な演技がすごく「テニスの王子様」らしくていいの!いやいや普通目の前にピアノなんかねーよ、最初から決まってたことだろ、録音してるかどうかなんて分かるだろ、なんて言ってはいけないのだ。造り手がそういうものを演出したいと思ったのならば、聴き手はそれに乗っかるだけだ。
この曲が一番歌うまかった気がする。
・「56人からのスペシャルメッセージ」
アニメのキャスト56人からのコメント。一人30秒くらいかな。キャスト56名、兼ね役の人も多いのでキャラとしては62名?からのコメントになる。
「テニスの王子様」の存在は連載開始当時から知っていたが、しかしわたしがきちんと漫画を読んだのは、ミュージカルを見てからだ。ミュージカル単体では把握しきれなくなったので原作を読むようになった。漫画としてはあまり巧くないし、ジャンプらしい展開でどんどん過去の設定と矛盾が生じてくるのも気になった。しかしそういうものを補って余りある、溢れんばかりの情熱やポジティブさを好きになった。
そういう経緯なのでアニプリは殆ど門外漢。友人におすすめされた映画は見たけれど、レギュラー放送はろくに見ていない。四天宝寺戦は財前の中の人の関係で見ている。
というわたしが聞いたコメントである。
基本登場は五十音順で、個人なんだけれど、他の誰かとセットで録っている人もあり。
一番が荒木さんなのですごく動揺した。声優と違って俳優は、その演じている役でコメントをする、ということが殆どない。特撮はまたちょっと違うのだけれど、普段の仕事ではそういう機会がないと思う。だからなのか、キャラソン同様に自分と財前の間のあやふやなキャラで話している感じだった。がんばれ。
他のひとは徹頭徹尾キャラとして話している人、キャラと自分半々で分けて話している人、最初から最後まで声優本人として話している人などさまざま。許斐先生に向けてではなく、ずっとテニプリを応援しているファンに向かってのコメントだった。
兼役でやっているひとは演じ分けがすごい。皆7、8年前に経験していることなのだろうけれど、菊丸には本当にびっくりするな…。跡部の存在感はさすが。どんどん次の人に行くのでめまぐるしいけれど面白かった。コメントだけで25分強、全部で50分前後。1680円は安いと思う。
次は歴代ミュキャスコメント付きでCD出しましょうよ先生。黒歴史の人もいるだろうけれど気にしませんよ先生。
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2009.08.28 Friday
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秋山はる「オクターヴ」3
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秋山はる「オクターヴ」3
雪乃はついに男と寝た。幼いころに夢見ていたような憧れの恋の延長じゃなくて、ただなんとなく。アイドルになる夢に破れたあとずっと抱えていた、どうしようもない気持ちの所為で、彼女は二度と会わないかもしれない男と寝た。
いつまでもこんな仕事を続けていられるわけがないという不安、いつまでもこんな仕事をやっていたくないという不満。華やかな世界にいる元メンバーへの羨望、それとは対極的な仕事をする他のメンバーへの圧倒、田舎の友人への安堵と蔑視。節子への愛情と安心と、同じくらいの強さの憎しみ。未だ知らない男性性への興味。雪乃はあらゆるものに揺さぶられて、焦っている。彼女を突き動かすのは焦燥感だ。
男と寝たことのない自分、男を知らない自分、年齢的にも雪乃は焦っていた。それでも今までの彼女は、過去の嫌な思い出から、男というものを嫌悪し続けていた。肉体的接触や、肉欲自体を拒否していたところもある。しかしその呪縛を節子が解いた。そういうものが決して忌み嫌われるものでも、軽蔑すべきものでもないことを彼女が、自分の肉体を使って教えた。
雪乃はおそらくアイドルになれる程度には可愛いのだろう。しかし、可愛い子だらけで構成された世界で生き残れるほど、ずば抜けて光るなにかはなかったようだ。それでも一縷の望みに必死にしがみつく強さも、目的のために手段を選ばない熱意も彼女は持たなかった。持たない自分のことも、知っていた。
学歴も才能も何もない、残った若さや美しさすら日ごとに消費されてゆく、そういう自分を痛いほど雪乃は知っていた。知っていて何もせず、ただ時間だけをやり過ごしていた。しかし彼女は節子に出会い、がらりと世界が変わったような気になった。きれいで才能があって自分というものをきちんと持っている、強い節子に雪乃は憧れた。彼女のようになりたかったし、彼女に愛されたかった。そういう節子に愛されているということが、雪乃を特別な人間になった気にさせた。やりすごすばかりの彼女が、手を伸ばしてほしいものを主張した。死んでいた雪乃の心に、息を吹き返させたのは節子だ。
節子に染められた雪乃は、節子と付き合いながら他の男と関係を持った。後ろめたさはあったけれど、自分が彼女を裏切っているという意識はなかった。節子が傷つくとも思わなかった。その行為は、男と寝ることを止めないという節子の言葉に傷つけられた雪乃の、復讐でもあったのだ。直接的にではなくても、これまで男に散々肉体を消費されてきた雪乃は、男の肉体を利用した。知らないことを知るために、自分につれない恋人への腹いせに、ちょうど都合の良い男を使った。
奔放な節子に色々なことを教え込まれた雪乃は、しかし、一番大切なことを知らないままだった。節子の言葉が足りなかったこともあるが、本当は節子とこういう関係になる前に知っておくべきことだったのだ。「セックスはさ 普通はすごく好きな人とするものなんだよ」と節子に言われた雪乃の顔は、子供みたいだ。知らなかったわけがない、気づかなかったわけがない、だけれども雪乃はそのことを完全に忘れていた。節子が自分をどう思っているのかも、彼女はよく知らなかったのだ。雪乃の無知さは残酷だ。
恋人が他のひとと関係を持ったと知って、節子は泣いた。その場所のアンバランスさも含めて、普通の行動だと思う。けれどそれは、節子に憧れを抱いていた雪乃の目にどう映ったのだろう。雪乃は節子に男性的なものを求めている。守って支えて導いてくれる、芯のぶれないしっかりした強くてさばさばして格好いい節子に憧れて恋している。しかしここで、節子も普通のひとりの女性なのだということが分かってしまった。雪乃はその場では、彼女を傷つけたことにショックをうけて反省していたけれど、二人ははたしてこの先も今までのように付き合っていられるのだろうか。魔法がとけてしまうのではないか、という不安が襲う。
このまま二人が恋人として終わるのか、他の選択をするのか、どちらも同じくらいありえるので怖いけれど楽しみ。
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2009.08.27 Thursday
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LaLa応募者全員サービス「夏目友人帳」DVD
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LaLa本誌についてくる応募用紙を使って、890円で購入できる全員サービスDVD。
全部で一時間弱くらい。
・ストーリーダイジェスト&名場面集
13分ほど。おおまかなストーリーと、これまでのアニメの名場面を夏目が紹介してくれるという形式。露神の話は何度見ても胸がつまる。久々に第一話の冒頭を見た。先生は登場した瞬間からほんとかわいいです。
・キャラ紹介&プロモムービー
約10分。こちらも夏目のナレーションのもと、メインキャラと出演回数の多い妖が紹介される。夏目自身が、誰かに向かってこんなにも長く・沢山話すことのないキャラなので、そういうかれが一生懸命その人物の人となりを説明しているのが不似合いで良かった。うまく説明しきれずまごまごしている感じが滲んでいる。
・キャスト座談会
25分ほど。神谷さん、和彦さん、菅沼さん、木村さん、堀江さんの五人が登場。神谷さん司会のもと、作品に関連する思い出話をしたり、クイズに答えたりするという企画。横並びになった五人で、スケッチブックにお題に対する解答を書いて答えていた。そういう形式だと大抵、面白そうなことを書いた人数名だけが話してあとは次の話題(もしくはカット)、というのがパターンだけれど、どのお題でも全員の答えが聞けるので安心。面白い話からすごくいい話まで。堀江さんの話のときに神谷さんが、「夏目友人帳」はすごく繊細な音で録音している、という話が詳しく知りたい。作画だけでなく、音にも透明感があって作品のもつ世界に非常にふさわしいものになっているとは思っていたけれど、そういう技術云々の差もあったのか。
クイズは、「夏目友人帳」に関するクイズ。第一話のサブタイトルは?なんていう基本事項から、絶対にムリだろこれっていう穴埋め問題まで。神谷さんの成績が良いのは、ほぼ全てのシーンに出ているからと、あとは本人の性格によるものだろう。経済新聞を「ケーザイ新聞」と書いたところがちょっと胡乱でいい。同じように殆どのシーンにいる和彦さんの成績が悪いのは、これまた本人の性格、なのかな。でもそういうところも含めて期待通り。あと和彦さんはニャンコ先生の声を出せば何をやっても許されるということを確実に知っている。穴埋めの分からなかったところに「ニャン」と入れておく周到さがにくい。
ほか三人は出ていないシーンや出ていない話があるので仕方がないといえば仕方がないのだが、だからこそ一人突出して成績の悪い堀江さんがおいしい。罰ゲームも美味しい。しかしこの罰ゲーム、もし和彦さんが最下位だった場合はほかのお題だったのかな。結構ぎりぎりだったけど。
あとは一人一人のコメントがあっておしまい。
・黒ニャンコ奉納イベント特別映像
5分弱。二期開始時の、今戸神社での奉納イベント映像。神谷さんと和彦さんが一人ずつ礼拝しているところも、後ろからだけれど撮影されている。奉納にすごく沢山のひとが参加して、きっとそれでもアニメ制作に携わるほんの一部のひとなのだろうな、と思った。黒い先生もかわいいです。
・続夏目友人帳サントラCD・DVD CM集
・アニメ「夏目友人帳」CM集
数分ずつ。前者はそのまんまCMなのだけれど、後者はアニメの雰囲気をいい感じにぶち壊してくれる。ふざけたクイズもいいけれど、LaLaの実写CMのばかばかしさは素晴らしい。
面白かった。中の人が好きじゃなければ、アニメの総集編にも満たない映像とCMだけなので不満かもしれないが、個人的には大満足。先生グッズなどで夏目搾取の日々が続くLaLaなので、またこういうものも出してほしい。で、原作が溜まったら三期、を。
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2009.08.26 Wednesday
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神谷浩史「ハレノヒ」豪華版
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「今年最大級の衝撃」らしい神谷浩史の個人名義でのCDデビュー作。
豪華版と通常版の差がDVDが付いているか、歌詞ブックレットとは異なるフォトブックが付いているか、それらをしまうスリーブケースが付いているかの三点で、CD自体は同内容であるところにひとまずほっとした。普通のことなんだけれど、大抵ほら、通常版のみにもう一曲入っていたりする世の中ですから。
音楽CDの感想を書くということは、普段殆どやらない。なぜかというと「好き」「好きじゃない」くらいしか感想がないからだ。歌詞についての感想ならまだしも、曲や演奏などもろもろの事についてはよく分からないというのもある。そして更に言うならば、わたしの音楽嗜好からこのCDが外れることに、タイトルが出たときからずっと気づいていたというのもある。ミディアムテンポの優しい楽曲たち、そこそこ具体的な日々の物語、そういうものは好んできく類の音楽ではない。神谷浩史が歌っていなければ。
わたしにしてみればこのCDは、飽くまでも神谷浩史が歌っているということに意味がある。わたしの好きな声優が、というだけでなく、あんなにも歌が苦手でそれを自覚していた声優が、ということも含めて。
・CD「ハレノヒ」
というわけなので特に書くことがないのだが、「優しい風」はとても好きだ。
歌詞も曲調もちょっと寂しい雰囲気が漂っていて良い。ら行がわざと特徴的に歌われているのがこそばゆくてツボる。「名もなき花」も結構すき。
好きなんじゃん。
・DVD
PV「my diary」
おしゃれな休日がテーマらしい。オープンカーで買い物をして、家に帰ってオシャレなランチを作って屋上で食べ、犬とちょっと遊んで、趣味の模型飛行機を作って、近所の河原に飛ばしに行く、というストーリー。見ているこちらにまで緊張が伝わってくるような、不慣れさがきらいじゃない。
making of"ハレノヒ"
これがなかなか見応えがあった。本人のナレーション付きの20分弱のメイキングは、曲選びの段階の会議やレコーディング、PV撮影やジャケット撮影の裏側が詰め込まれている。撮影の合間の自然な様子もいいけれど、個人的にはレコーディングの様子がとても面白かった。
自他共に認める「歌が苦手」な神谷さんが、なぜCDを出すことになったのか。インタビューでは酒の席で流されたとか、普段キャラソンでは歌唱にしか関わらないCD制作の過程を知りたかったとか答えているのを見たけれど、いまひとつしっくりこなかった。そのどれも偽りではないのだろうし、勿論もっとほかの大人たちの思惑もあるのだろうということは分かる。それでも、なんだかうまく消化できずにいたのだが、これを見てようやく腑に落ちた。どういう状況であれ吸収できるものはあるのだ。それは状況の問題ではなく、本人の問題だ。
あとは、敢えて自分名義でCDを出すこと=歌手になること、で、自分を追い込んでいるのだろう。意識的にか無意識的にかは分からないけれど、いつまでも歌が苦手なんですスイマセンと言いながらCDを出し続ける潔くなさに向き合っているように思った。だからと言って今後一切歌いませんというほどの嫌悪もない、そういうあやふやな状況を内心消化しきれずにいたのだろうか。仕事なんだからと言ってしまえば終わりだけれど、弱音を冗談めかして吐きつつも、逃げずに自分の歌と向き合うことをしている。努力だけではどうしようもないものだと知りながら、努力し続けることの困難さをやってのける。この真摯さがすごく良かった。タンバリンをいきなりやらされたときも同様。
本人の声色的にも、カラオケでよく歌う(歌っていた)曲などの話で出る曲の傾向も、結構強めの曲が合うのではないかと思っていた。今まで出たキャラソンでも、比較的そういう曲の方がうまく聞こえる。ただ、敢えてなのか偶然なのか、こういう歌唱力が問われるタイプの曲が集まってしまった。一度聴いたら覚えてしまうようなキャッチーなアニソンっぽいものではなく、穏やかで沁み入るような曲ばかりだ。そのことは苦手なものと向き合うという意味では非常に効果的だったのではないだろうか。
「小学生の音楽の授業みたい」と自分の歌い方を評していたのに物凄く納得してしまった。全部の語調を意識して強く、同じように張る職業病のせいだという。そうだ、寂しい曲でもハキハキしすぎなんだ。
ナレーションの最後、「〜嬉しいです」にちょっとキュンときた。
あと衣装合わせのときの真剣な目がいい。本当にこの人服が好きなんだろうなあ。わかる、わかるよ。
CM集
集、って二本じゃないか、とは言わない。
そんなこんなで自分の中では符号がきっちり噛み合ったようなCDになった。これを作り上げたことで、ようやくスタート地点に立ったのではないかと思う。苦手な音楽、というものからの(多少の)脱却。そこからそのまま走り出すのか、それとも本来の場所に戻るのかは分からないが、どちらにせよ良い影響を齎すのだろう。
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