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2009.07.31 Friday
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浪花が大変
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一応解説すると、「浪花が大変」というのは、心斎橋にある六か所のライブハウスで行われるライブイベントである。チケットを購入して当日BIG CAT一階に設置された受付でチケットを見せると、リストバンドを貰える。それを付けていると、会場となっている六か所のライブハウスの入退場が自由になる。そのリストバンドと前もって発表されているタイムテーブルを駆使して、好きなバンドを好きなだけ見てね、というイベント。
一曲聞いてみて、合わなかったら出て他のハコに行ってもよし。途中で抜けてご飯食べてもどってきてもよし、という緩さがありがたい。常にどこかでライヴをやっている状態。
ちなみにこれがリストバンド。
・DEATHGAZE@FanJ twice
genocide and mass murder
paranoid parade
abyss
闇に雨 腐敗した世界。
「294036224052」
音源は聴いていたのだが、鐚依さんがヴォーカルの藍さんになってからは初めて見ることになる。
一曲目はうまく噛み合っておらず、見ていて若干苦しいものがあったのだけれど、そのあとは特に問題なかった。こういういわゆるデスボイスの暴れバンドはたくさんあって、現れては消えてゆく。その中でデスゲイズになぜか優しい気持ちになってしまうのは、名古屋だということと、程よい距離感と、かれらが必死に守り続けているものが見えるからだろう。
正直デスゲイズというバンドは、何度もリセットボタンを押しても構わない状況に追い込まれたバンドだ。他のバンドであったら、早々にリセットして、メンバーのうちの数名で新しくバンドを構成していたかもしれない。しかしデスゲイズはそれを選ばなかった。そこにどういう意図があったのかは知らないけれど、そうやってかれらが守ってきたもの、作り続けてきたものがある。それがたぶんわたしは結構好きなのだ。
何も知らずに見たら、まさかヴォーカルが昔ベーシストだったなんて思わないと思う。いい感じにヴォーカルだった。「闇に〜」でテンション昂揚。
・Art Cube@FanJ twice
四曲かな。最後が「瑠璃雨」だった。
素晴らしくコテコテ。洋服だけじゃなくて曲も演奏もとにかくコテコテ。こういうバンドは外せないじゃない。
曲が結構好きだったので一度実物を見たいと思って見に行った。なかなかそれ目当てには足を運ばないけれど、見てみたいなーというバンドをたくさん見られるのが対バン形式の良いところだと思うので、そういう意味では非常に収穫。
実際見た感想としては、物凄くずば抜けてここが好き!というところはないのだけれど、普通によかった。あとはこういうバンドは今本当に稀なので、是非とも続けてほしいと願うばかりです。
MCが素晴らしく不安定なのはコテコテバンドのお約束か。
・アヲイ@OSAKA MUSE
五曲。最後が「声」だったことだけが確実。
自分がこのバンドを地味に好きなことは気付いている。関西のバンドだということもあってか、普段見る対バンライヴのときと遜色なく盛り上がっていたと思う。結構いつ見てもテンションが変わらなくて、ハズレの日がないのが良い。
「声」、好きです。こういう歌詞を、全身の力をこめて歌うヴォーカルは良い。
・ジュリィー@OSAKA MUSE
綯音
バースデイ
深海魚
手紙
晩餐
叫騒曲
グローリージェネレーション
感情揺さぶられまくり琴線に触れまくりで、自分でもどうしたのかと思ったのだが、それが最後まで途絶えなかった。ジュリィーのライヴはすごく疲れる。動きの問題ではなく、というかわたしそんなに動かないのだが、ただ聴いているだけで色々と吸い取られそうなのだ。与えられる分だけ、吸い取られる、そういう感じがする。生歌がすごくいい。音源も決して悪くないのだけれど、本人がMCで軽く言っていた「命がけの音楽」というものが、生になると大袈裟じゃなく伝わってくるのだ。笑ってしまいそうな言葉だけれど、なぜかひどく説得力がある。歌うことイコール生きること、みたいなひとだなあ。
実家に久々に帰って、十年ぶりに誰かに向けて曲を作った、という話があって、そこから「手紙」へ。歌を聴いて涙腺が危なくなったのは久々だ。
ハコの大きさに比べてすごく動員があったわけではないのだけれど、盛りあがりっぷりがフラットで良かった。慎一郎さんが途中で客席に落ちて笑ってた。あとはMUSEだけちょっと離れてるのにわざわざ来てくれてありがとう、と何度も言っていたのが印象的。
・Moran@OSAKA MUSE
同じ闇の中で
ハーメルン
今夜、月のない海岸で
Stage gazer
Party Monster
イベントライヴで、初っ端に長いバラードを持ってくるようなバンドは大好きです。
新衣装。Hitomiが全身白のアウアア。左足だけが短いパンツで、下に黒のパンツを重ねている。頭には飾りなし。Veloは顔の大きさくらいありそうな白の髪飾り、白のジャケット?に紫か黒のインナーで黒のパンツ。このインナーがカジュアルで、首から上の大仰さと首から下のカジュアルさがちょっとアンバランスかもしれない。Soanは頭に物凄く大きな羽がいっぱいついてた。動きにくくないのかな。サポート真吾は白のカッターを肘くらいまで捲り上げて、中の黒のカットソーが見えていた。その上に黒のジレ。個人的にHitomiの前回の衣装はそれほどツボらなかったというか、最初の装苑っぽいヴィジュアルイメージを異常に愛していたわたしとしてはそこからずれてしまって不満だったので、今回の衣装はすごく好きだ。いや前のも似合っていたんだけれど、ね。
幕が閉まったまま、イントロが鳴って曲が始まり、左右に幕が開く。この曲本当に大好き!後半の「伝う温度を信じてる」のあと、サビに入る前にHitomiが絶叫したところが物凄く良かった。溜めこんだものを一気に解き放つ、静かな曲なのに感情の起伏が激しい、そのギャップがとても好きだ。
「ハーメルン」「今夜、月のない海岸で」はいつも通り。真吾さんのベースは急遽サポートと思えないくらい上手くてそつがないけれど、演奏力という意味ではMoranの誰よりも上なのだが、程よくMoranには合いきらない。変な言い方だが、その微妙な違和感があって安心した。
三曲終わってちょっとMC。「夏なのに露出が少ないんじゃない?」と言って自分だけがウケるHitomiさんの残念なところがすごく良いです…。「新しいCDが出来ました、もう聴いたひともまだ聴いていないひとも、アルバムの中に「Stage gazer」という曲があるんですけど、…まああの、やったら分かるから」で「Stage gazer」へ。何が言いたかったのかは正直分からなかったけれど、初めて生で聴けたので満足。ただ、本人が期待していたのかもしれない盛り上がりについては今一つ。ライヴで数をこなしていない曲になると戸惑うふしがある。経験値の問題ではあるが。たぶんこの曲のときに、Hitomiが衣装のボタンを外して刺青を見せるような動きをしていた。首元のボタンを外さないで胸だけ外すところがいかにもだな。
そしていつもの「誰が一番貪欲か見せてくれ!」で「Party Monster」へ。盛りあがっていたけれど、いかにも不完全燃焼だという雰囲気が充満していた。何が悪いわけでもないのだけれど、なんとなく散漫というか、ぼんやりした出来だった。
メンバーがハケたあと、Hitomiだけが残って、「また大阪来るから今度こそ…」と言っていた。聞きとれなかったけれど、次はそのぼんやりした感じを払拭したいというようなところかな。
明確な原因はないのだけれど、このイベントならではかもしれない。選択肢が多いので、見に来ている人の多くはそのバンドが好きかそれなりに強い興味があることになる。なので結果としてどのライヴも、客の少ない、スペースに余裕のあるワンマンという不思議な状態になっていた。そのことが悪い方向に作用したのだろう。
勿論そうならなかったバンドも沢山あるのだが。色んな客のいるイベントライヴの方が必死になれていいのかしら。
・heidi.@BIG CAT
さすがに大きい会場でライヴをすることに慣れている。
heidi.は他のバンドだったらこうはならないだろう、というアクロバティックなノリが多数あって、若干首を傾げることもあるのだけれど、それが揃っているさまを後ろから見るのは圧巻だ。
前述したこのイベント特有の雰囲気がなせるのか、客数の割に熱量の薄い、分散されているライヴではあったけれど、ステージ上の完成度はとても高い。
相変わらず耳馴染みが良いいい曲がいっぱいあって楽しかった。
・摩天楼オペラ@BIG CAT
以前摩天楼オペラのライヴを見たとき、「なんだかしっくりこないライヴだった。」「うまく噛み合っていないような印象」と書いたのだが、その気持ちに変化なし、というのが素直なところ。凄くいい素材がいっぱいあるのに料理がいまひとつ美味しくない。まずいわけではなく、こんなにいい素材を使った割には微妙、という程度なのだが。音源が並はずれて好きなもので、期待しすぎているのかしら。
何が足りないのかと言うと、ヴィジュアル系を構成する上で欠かせない、そして他のジャンルではおそらくあまり重要ではないファクターである「思想」「コンセプト」なんじゃないのかと…。
本編ラストの「alkaroid showcase」を聞いて、やっぱり曲がむちゃくちゃ好きだな、と実感させられる。アンコールの「honey drop」で更にその気持ちが強まる。強まるだけにもったいないという気持ちも強くなる。
しかし前回は苑さんの喉の調子が良くなかったので、今回のおそらく通常の状態の声を聴けたので満足。あまり強くなさそうだが、あの高音は素晴らしい。アンコールも含めての持ち時間なのにちょっと驚いた。
そして摩天楼オペラのアンコールが終わった段階で、この半日がかりの大イベントが終わることになるのだが、特にそれについての言及はどこからもなし。客席はその実感があるのか、長い間拍手が響いていた。おつかれさま、わたしたち。
一般的なフェスとは違い、ライヴハウスを移動するというかたちになるので、そういう連帯感みたいなものは生まれるはずもない。これまでのようなシークレットゲストもない。ちょっとさびしいけれど、昼から十分楽しませてもらった。
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2009.07.31 Friday
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三島一彦「ベイビィ★アイラブユー」
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三島一彦「ベイビィ★アイラブユー」
高校生になる秋生は義理の父の親友である平坂に、10年も片想いをしている。以前は父に恋していた平坂の家に押し掛けては求愛するけれど、なかなか受け入れてもらえない。
「パパ★アイラブユー」のスピンオフ。あちらは義理の息子(兄)×父だったのだが、こちらは義理の息子(弟)×父の親友。しかし本編で十分過去のことは話してくれるのでこちらをいきなり読んでも問題なし。
真山家の父・薫の親友である平坂は、ずっと父のことを思っていた。たとえ薫本人には、女にだらしなくてとっかえひっかえ適当に遊んでいるように思われていたとしても、気持ちを知られるよりは良かった。平坂の願いは叶い、薫がかれの気持ちに気づくことはなかったけれど、幼い秋生はうっすらとそのことに気づいてしまった。それは秋生が、平坂のことをずっと見ていたからだ。自分が子供だからと言って露骨に猫撫で声を出してみたりしない、他の大人に接するのと同じように接してくれる平坂に、秋生が惹かれていたからだ。
時は過ぎ、最初に会ったときは5歳だった秋生は15歳になった。まだ幼さの残るかれは、女の子のような顔に小柄な体格、そして凶悪な性格の少年になった。この秋生のアクマっぷりがすごくいい。カワイイ見た目で、一人称は「秋」、そして腹の中は真っ黒。したたかな秋生は、自分の容姿がどのように評価されているのかも、自分のふるまいがどのように作用されるのかも知っている。そしてその知識をもとに、全く遠慮せずに自分の武器を使う。
こういう「僕かわいいでしょ」系はキャラとして非常に好きなのだが、攻になると俄然好き度が増す。僕かわいいでしょ?僕のこと好きでしょ?僕のものになるでしょ?ね?そういう攻大好き!ショタ攻さいこう!
その力は、平坂にだけは効かない。一番効いてほしいひとなのに、かれに効き目がなければ何の意味もないのに、平坂には通用しない。可愛くて人気者のアイドルっぽい秋生が、平坂の前でだけは感情表現を露骨にする。普通の男子になる。感情を剥き出しにする秋生がせつなくていい。
真剣なのに、本気なのに、なかなか取り合って貰えない秋の葛藤がいい。子供だからと一蹴されたり、話を聞かずに否定されたり、散々に傷つけられて、それでも秋は平坂が好きで仕方がない。秋生のことは可愛いと思うものの、平坂には考えなくてはいけない問題がいくつもある。親友であり、何より秋生の父である薫のこと。世間の目。性別や年齢差のこと。そういうことにひとつひとつ囚われてしまう平坂は普通の大人なのだ。しかし秋はそんなことを考えない。平坂が好きだという、ただ、それだけ。それだけでかれはどこまでも行けるのだ。
しかし付き合い始めると、二人の関係性は変わってゆく。平坂が冷たかろうと雑だろうと笑顔だった秋は、平坂のとある一言でキレる。それが本気ではないとわかっていて、それでも許さないとかれは怒った。そして平坂が傷つくと分かっていながら、かれの前で酷い行動を取り始める。それは散々傷つけられた秋なりの報復であり、いつまでも素直にならない平坂への警告であり、どこかで不安になってしまう平坂の気持ちの確認だった。試すようなことをして、不器用な駆け引きをして、平坂をつなぎ止めようとするかれの健気さと幼さが可愛い。
秋生の勢いに最初は渋い顔をしていた平坂も、次第に絆されて緩和されていく。これから大人になっていく少年と、一度は身についてしまったあらゆる枷を少しずつ外されてゆく大人。あまりにも違い過ぎるからこそ、かれらは惹かれあって、一緒にいるのだ。
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2009.07.30 Thursday
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サウンドシアター ドラマCD「真夏の夜の夢」
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サウンドシアター ドラマCD「真夏の夜の夢」
モモグレメンズオンリーシリーズという、男性声優だけで構成されるドラマCDの第二弾。
森川智之(シーシアス/男性)
小西克幸(ヒポリタ/女性)
諏訪部順一(ナレーション、イジアス/男性)
羽多野渉(ライサンダー/男性)
前野智昭(デミトリアス/男性)
櫻井孝宏(ハーミア/女性)
野島健児(ヘレナ/女性)
大川透(オーベロン/男性、妖精王)
下野紘(パック/男性、妖精)
ややこしいのでキャスト表。性別つけてみた。
この間観劇した「NINAGAWA十二夜」が面白かったのでシェイクスピア喜劇に興味が沸いた。昔はとにかく不幸だったり暗かったり重かったりするものが好きで、というかそれだけが好きで、それ以外は嫌いだと言っても過言ではなかった。しかし人間年齢を重ねれば丸くなるもので、中二から大分年をとったわたしは、喜劇も楽しいと思えるようになってきたようだ。
ということで、原作を全く知らないまま聞いた。
シーシアスとヒポリタは結婚式を間近に迎えた仲睦まじい恋人同士。父イジアスによってデミトリアスと結婚させられる娘ハーミアは、本当はライサンダーと恋仲だ。ハーミアの親友であるヘレナはデミトリアスに夢中だけれど、かれはハーミアと結婚したいと思っている。
親の決めた結婚相手と結婚することが絶対であったこの時代、このままデミトリアスと結婚しなければ、ハーミアに残された道は死ぬか尼になるか、その二択だった。そこでハーミアとライサンダーは駆け落ちすべく。家を抜け出して夜に森で会うことを約束する。
ハーミアは親友のヘレナにだけ、そのことを打ち明けた。しかしハーミアに恋をしているデミトリアスのことを強く思っているヘレナは、そのことをデミトリアスに教えてしまう。かくしてデミトリアスは森へ行き、かれについてヘレナもまた森へと入った。
取り敢えずキャストを見て一番気になっていたのは、小西さんの女性役。同じく女性役をやる二人と比べて、ずば抜けて想像がつかなかったのだけれど、実際聞くと女性に聞こえるから不思議。勿論モロに女の人に聞こえるわけではないのだが、男の人が女声を出している、以上のものがある。ハーミアとヘレナに比べて、ヒポリタは落ち着いて口数の多くない女性なのだが、そういう慎ましやかさみたいなものが滲んでいる。シーシアスはいかにも身分が高く、ひとに好かれている中心人物という感じ。
ナレーションとイジアスを兼ねている諏訪部さんの、イジアスは終始頑固親父だった。ここまで造っているキャラって初めて聴いたかもしれない。頭の硬そうな、娘を所有物だと豪語して憚らないおじさん。
娘のハーミアが櫻井さん。このハーミアは器量良し性格良しでとってももてるそうだ。そういう人を惹きつける雰囲気が出ていると同時に、そうではない女にとっては非常に嫌味で苛立つであろう雰囲気もところどころに感じられる。
ハーミアの恋人ライサンダーに羽多野さん。とても好青年っぽい。かれとハーミアを巡って戦うデミトリアスが前野さん。こちらもハーミアの前では普通の良い青年っぽいのだが、自分のことが好きでまとわりつくヘレナにはものすごく残酷で厳しい。そのギャップが、いかにも恋に溺れているバカな男と言う感じで面白い。
好きな相手に全く相手にされず、罵倒されて拒否され続けている娘ヘレナに野島さん。それでもいいの、わたしはあなたのスパニエル犬なの、とポジティブに言いながらデミトリアスのあとをついてゆく彼女のガッツは凄い。恋に恋しているのか、恋している自分が好きなのか、と言いたくなるくらいに、デミトリアスに何を言われてもついてゆく。言い回しが一番舞台っぽいというか、芝居がかっているのがこのヘレナだ。
四人は森へゆく。偶然ヘレナの様子を見ていた妖精王オベロンは彼女を気の毒に思い、せめてひとときだけでも恋した男と両想いにさせてやろうと、パックに命令をする。自分が作った惚れ薬を使え、と。しかしおっちょこちょいでいたずら好きのパックは当然失敗する。まぶたに塗ると、最初に見た相手に惚れてしまう薬の所為で、デミトリアスとライサンダーの両者がヘレナに恋をしてしまったのだ。
デミトリアスとライサンダーがヘレナに異常な求愛っぷり。いきなりの展開に担がれているのだと思って傷つくヘレナ。ライサンダーの愛情がいきなり自分から離れてしまったことについてゆけないハーミア。混乱する四人の罵りあいがすごく面白い。若い男女が本性出してぎゃあぎゃあ叫んでる感じ。言葉選びが独特なので余計に笑えた。「どんぐり!」っていう悪口は意味合いは分からないけど結構ひどいな。
「ベルセルク」の妖精がパックなのもここからきていると初めて知った。
状況を把握して慌てた王によって四人の関係はリセットされ、ライサンダーとハーミア、デミトリアスとヘレナという二組のカップルが成立する。そして心を決めた四人はシーシアス公たちに自分の気持ちを告げ、公の祝福を得る。かくして三組の夫婦が誕生する。めでたしめでたし。
ここまではいいのだけれど、三組の結婚式の夜に、結婚式の祝いとは思えないバッドエンドの芝居が披露される。
このあたりがよくわからなかった。いきなりやってきた芸人たちの劇が延々繰り広げられる。六人がそれぞれの性格丸出しで突っ込む様子は面白いのだけれど、ただそれがどうしたのだ、という気もした。原作ではこの劇が話の序盤から四人に絡んでいるようで、それを知ると面白いのだろうけれど、CDではあまりにいきなり登場したので消化不良気味だ。しかし感想を通じて、ヘレナとデミトリアスは物事を穿ってみるあまりよろしくない性格の持ち主で、ハーミアとライサンダーは話をまっすぐ受け止めるタイプだとわかる。お似合いなのね。
妖精王夫妻のやりとりも漠然としか背景が見えないので釈然としないけれど、大団円なのでいいか。面白かったことには変わりない!
収録されているフリートークが15分弱。
羽多野さん司会で、人数が多いので最初にあげられたお題を一人ずつまとめて答えていく形式。櫻井さんの「ほぼ地でやった」が地味に面白かった。どうもわたしこのひとの、一歩間違えると他人の神経を苛立たせる人を食ったトークがツボに入りやすい。それでも昔のものに比べるとかなり遠慮するようになったというか、「言わない方がいいこと」の判断を厳しくしている気がする。飽くまで本人比だが。
抜き録りの人が数名いるので、自己紹介をして「お疲れ様でした」と言ったときに、他のキャストに「お疲れ様でしたー!」とかえしてもらえる人と無視されている人がいるように聞こえる気の毒な展開。
大抵のひとは舞台か養成所でシェイクスピアをやったりするんだなあ。
初回特典フリートークは45分弱。
こちらも羽多野さん司会で、メンバーは野島さんと櫻井さん。あとは前野さんと下野さんがそれぞれ抜き録りコメント。
羽多野さんをいじめる大人気のない二人。苛められて嬉しそうな羽多野さん。面白かった。
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2009.07.29 Wednesday
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中村明日美子「ダブルミンツ」
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中村明日美子「ダブルミンツ」
壱川光夫はある日、高校時代同じクラスだった同姓同名の男市川光央に呼び出される。久々に会ったかれは出会うなりいきなり、女を殺してしまったのでなんとかしろと言い出した。その無茶な話を光夫は拒めない。なぜならかれは光夫の「犬」だからだ。
SEとして勤務している光夫が「ミツオ」で、ヤクザの下っ端をやっている光央が「みつお」もしくは「みつおくん」である。女の死体の事件をきっかけに、みつおと再会したミツオは、自分が相変わらずみつおによこしまな感情を抱いていると再確認する。一筋縄ではいかない二人の男の関係はころころ変わって定まらないのだが、そこが非常に読み応えがあって面白かった。
たとえ漢字が違うとは言え、自分と全く同じ響きを持つ相手と呼び合うことはとても不思議な感覚を齎す。文字では「みつお」と「ミツオ」で分けられているけれど、実際声にしてみればその間には何の差もないのだから。
自分の名前を呼びながら、同じ名前の他人と抱き合う。相手が読んでいるのは自分の名前であると同時に、かれ自身の名前でもある。そこにはなんとも言えない倒錯がある。
物語の中で、二人は決して相手に好きだと言わない。それに近い言葉も吐き出さない。相手がいないところであれ、心の中であれそれは同じだ。素直になれないとか、今更言うまでもないとか、きっとそういうことではない。好きなのかどうか、そんなことは分からないし、たぶん凄くどうでもいい。同級生だったとか、みつおにとってのミツオが犬だとか、ミツオにとってみつおはくだらない自分を壊してくれるであろう相手だとか、そういうこともそれほど大切ではない。
ただ、二人の中に、お互いに対するどうしようもない衝動がある。御しきれない欲望が、相手の前では顕著に出てしまう。優しい態度や落ち着いた言葉とは正反対の、相手を思いっきり傷つける暴力的な衝動。そして同じくらい強い、めちゃくちゃにしてほしいという被虐的な欲求。そういうものに二人は支配されている。ある時は嗜虐的に、ある時は奴隷のように振る舞って、頭を空っぽにしてようやく到達できる高みに手を伸ばす。
頭のきれるミツオは単純でキレやすいみつおを挑発して自分を殴らせ、顔に傷を作られることで、かれをつなぎ止めようとした。学生時代にみつおがネタで、顔に傷をつけたら責任とらなきゃいけない、と言っていたのを覚えていたのだ。そんな言葉に拘束力はないけれど、それでもみつおは事あるごとにミツオを呼びだした。ミツオのあまりの狂気に当てられて、かれもおかしくなっていた。
みつおもまた、無意識のふりをしてミツオを揺さぶり続けていた。過去には、ミツオの彼女をかれよりも先に抱いてしまったこともあった。彼女に魅力を感じていたわけでもないし、ミツオと付き合っている彼女に嫉妬していたというようにも見えない。ただ二人の仲を引っ掻きまわしてミツオを試した。それとも、ミツオに壊されたがっているみつおの強い願いが、ミツオを動かしたのだろうか。とうにおかしくなっている互いの行動が更に相手を狂わせ、突き動かし、後戻りできなくさせてゆく。
二人の関係はいわゆる主従関係やSM関係とは少し違うように思う。基本的に支配しているのはみつおで、ミツオは喜んで首輪をつけてもらっているように見える。しかし、ミツオの行動がみつおを驚かせ、時には支配する。関係は常に変化しているのだ。
ミツオの断髪式という名の輪姦映像はさすが。髪を剃られて怯えるミツオの姿は惨めで哀れだ。その哀れさは、哀れがゆえに淫猥だ。その映像を見られたと知ったミツオは刃物を手にとって振りかざし、自分の腹に突き刺した。攻撃されると思っていたみつおは驚いた。
しかしこれもミツオにしてみれば、自分を傷つけると同時に相手を傷付けたことになる。かれは知られたからと羞恥で死を選ぶようなタイプではなかった。その証拠に、刺してすぐ、救急車を呼べと言っているのだ。ただ自分(相手)を少し傷つけて、相手(自分)を罰して、生まれかわったことにしたのだ。生まれ変わったのはみつおであり、ミツオでもある。
暴力的で俗っぽいのにどこか知的なにおいのする、奇妙さのバランスがすごくいい作品だった。
政治家先生の前で出張ボーイに抱かれる秘書の物語「温室の果実」も面白かった。語られないことが多いがゆえにいくらでも想像できる、雰囲気が独特で官能的。
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2009.07.28 Tuesday
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峰倉かずや「最遊記外伝」4
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峰倉かずや「最遊記外伝」4
前巻から続く「最後の夜」の顛末のすべてが描かれている。
「最遊記外伝」は初めから、結末の分かっている物語だ。三人の男を待ち受けるものは死であり、悟空に与えられるのは半永久的な孤独だと、最初から語られている物語だ。
だからこの作品は、金蝉、天蓬、捲簾が悟空に優しくするたびに、かれがその後味わうであろう哀しみの深さを思って切なくなったり、三人が笑顔で交わす約束を見るたびに、それが叶わない未来を考えて哀しくなる、そういう要素を内包している話であったのだ。
しかし守られない約束ばかりに満ちた短い日々だったとしても、かれらと悟空の過ごした時間はとても大切で、輝いている。下らない冗談、ばかばかしい言い合いやスキンシップ、性格や趣味が見事なほどに一致しないからこそ与えあえる情報。金蝉の人生をこれまで埋めていた「退屈」を見事に拭い去った、美しい毎日。それらは打ち砕かれ、二度と戻ってこない。それでも、その日々は決して無駄ではない。
ひとり、またひとりとパーティは減ってゆく。
予め相談していたわけでは勿論ないけれど、三人は悟空を生かすこと、下界におろすことを至上としていた。全員揃って逃げられはしないと分かる状況のとき、かれらは誰かを切り捨てて悟空を守った。それは盟友のときもあれば、自分自身のときもあった。
初めにいなくなったのは捲簾だ。人間たちによって意図的に造られた生物たちのできそこないと戦わざるを得なくなったかれは、自分が生き残るために精一杯戦う。しかしそこには動物として自分の命を守るための感情があるだけだ。利用されるだけの生命であるかれらに対しては、嫌悪感も憐憫もない。同じ生き物として、同じ立場でかれは戦っている。どちらが生き残っても、どちらが死んでも、それが自然界の断りであるかのようにかれは笑う。結果がどちらであれ、それはかれが大嫌いな人間たちへの反抗になるからだ。以前、父親にすらろくに優しくされず、機械として利用されるばかりの哪吒を庇って罰を受けたことのあるかれらしい生き様だった。
次にいなくなったのは天蓬だ。捲簾がオトリになると言い出したとき、俯いたままその意志を汲んだのがかれだった。捲簾と一番長く、深く交流のあったかれが一番捲簾のことを知っていた。一番哀しかったのもかれだろうけれど、決してかれはそのことを表に出さなかった。そして、自分もまた敵の集中を惹きつける役を買って出た。飄々と生きた男らしい、日常の続きにあるような死だった。壮絶な戦いを続けた上での死には到底思えない、生の目と鼻の先にある死だった。
捲簾のときは驚きが先に出た悟空も、二人目になる天蓬のときにはさすがに状況を把握し、嫌だと泣いた。泣いたということは、かれらを見殺しにしてしまうとわかっているからだ。もう会えないと、感じているからだ。
これ以上進みたくない、だって二人が、と泣いている悟空の頬を掴んで金蝉は言う。「……だからだ。」と。二人がこうまでして道を拓いてくれたのだから、だから行かなくてはいけないのだ。哀しくても、辛くても、進むしかないのだ。
そして残された金蝉もまた、悟空を下界へ導くための礎になった。最初に出会った、まだ名もなかった悟空に太陽のようだと言われたかれだが、かれにとっては悟空こそが太陽だった。かれの太陽たらんと欲して行動し、自分の太陽を残すために、命を賭けた。
閉じようとする扉を必死に抑えていた金蝉だったが、悟空の目の前でその扉に挟まれてしまう。その瞬間、かれは砂塵となった。目の前に降ってきたその砂を掻き集めようと悟空は欲して手を伸ばし、それすら自分の腕にとどまらないと知る。風にまきあげられてゆく様子を見て、悟空は声にならない声を上げた。かれの絶望の深さがひしひしと伝わってきて苦しい。
「生きて生きて----」という、ただそれだけのモノローグが胸にくる。何を失っても、何を奪われても、ただひたすら前を向いて生き続けること。最後にあるものが何なのかなんて、皆、知っている。知っていてそれでも、その瞬間まで生き続ける。誰かに微笑みを齎す太陽でいられるように。
結末がここまで分かっているのに、読んでみてやはり哀しい物語だった。悟空がかれらを大好きだったとわかるからこそ、その喪失が哀しすぎる。しかし絶望が大きいからこそ、五百年後の物語を思い浮かべて、胸をなでおろすこともできる。今の仲間たちに出会えてよかったと思える。
息をのんで読んで、終わった瞬間に大きな息を吐いた、そういう物語だ。ふたつの物語がきれいにひとつの物語に繋がって、そして先へと続いてゆく。
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2009.07.27 Monday
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小西克幸、神谷浩史、三木眞一郎、平川大輔「三百年の恋の果て」(原作:海野幸)
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小西克幸、神谷浩史、三木眞一郎、平川大輔「三百年の恋の果て」(原作:海野幸)
彫物師の秀誠は、友人で神社の神主である祥真の元を訪れたとき、ある白狐の像に魅せられる。その像に封じ込められていた妖の封印を秀誠は解いてしまう。目の前に現れた少年・紺は秀誠を見るなり、自分と秀誠は三百年前にとある理由で引き裂かれてしまった恋人同士なのだと言い始める。
原作未読。
元々妖怪とかファンタジーの類はそれほど得意ではないので後回しにしていたのだが、健気だと聞いたので俄然やる気が出た。健気受だいすき。
話はファンタジーな上に、特殊能力だの変化だのがばんばん出てくるので、音だけでは少し分かりにくい部分もあった。大筋としては分かるので問題ないと言えば問題ないのだが、何が起こったのかはっきり分からないところがちょこちょこあった。あと、仕方がないのだが序盤の説明がちょっとだれる。
雷が落ちた白狐の像を助けるようとして誤って紺の封印を解いてしまった秀誠は、人体化した紺がやけに気になる。何故胸が騒ぐのかわからないまま、不安定な衝動が何度も自分を突き動かす。そして目覚めた紺は秀誠を見るなり、かれが三百年間迎えに来なかったことを泣きながら責めた。
三百年前、狐と人間でありながら仲良く生活していた紺と秀誠だったけれど、村人たちによって紺は像に封じ込められてしまった。その時秀誠は、必ず迎えに行くから待っていてくれ、と叫んだ。その言葉をひたすら信じて、今まで待っていたのだと紺は泣いた。
神谷さん演じる、15歳くらいの少年、というていの紺は思ったよりも男の子っぽかった。挿絵の印象もあってか、もっとコテコテにカワイイ系かと思っていたけれど、男の子だしこれくらいがちょうどいいのかな。感情表現が豊かなので、すぐに泣きわめく。秀誠が少し優しい態度を見せるとはにかんでみせる。落ち込んだり浮かれたり忙しい。はにかむところがとてもすてき。
秀誠@小西さんはとても普通の男という感じだ。大体わたしが聴くCDの小西さんは口数が多くなくて落ち着いていて、という感じの役が多いのだが、秀誠はもっと等身大の若者というところ。軽口も叩くし、呆れたり怒ったりもする。
生まれ変わってでも助けにいく、という秀誠の言葉を信じていた紺は、現在目の前にいる秀誠が、三百年前の秀誠の生まれ変わりだと信じて疑わない。しかし「生まれ変わり」という考えは、秀誠がもっとも嫌うものだった。非常に高名な彫物師だった上、志半ばで亡くなった祖父の生まれ変わりだと散々言われてきた秀誠にとって、自分が誰かの生まれ変わりだと認めることだけはできなかったのだ。
おそらくかれにとって最大のコンプレックスを、かれは初対面の狐にいきなり話した。それを聞いた紺は納得はしなかったけれど、それまでのように強く出ることはしなくなった。紺が吐きだした「あなたが僕の待ち人じゃないのなら、こんなに胸が痛むのは何故でしょう…」という、悲痛なつぶやきが切ない。かわいそうな子いい。
妖に対して憐憫を向けない祥真は、すぐに紺を祓ってしまおうと切り出すが、秀誠はそれを受け入れられない。だけど、自分が生まれ変わりだとは決して認められない。それはかれのこれまでの人生を否定することになるからだ。自分を何とか思い出してもらえるように時間がほしいと言った紺の主張は受け入れられ、ひと晩だけかれは猶予を貰った。
祥真@三木さんはちゃらんぽらんな容姿と口調だけど、妖に関してはかなり辛辣だ。単なるお坊ちゃんではないのだと、言葉の端々に感じられる。そんな祥真に仕える妖・緋耀が平川さん。知的で落ち着いていて、全体的に秘書っぽい。丁寧な敬語と穏やかな物腰とは対照的に、そこそこ黒いものを抱えていそうだ。
祥真によって紺にはめられた数珠の所為で紺と秀誠は一定距離以上近づけないことになっている。近づくと、紺に痛みが走るようになっている。夜明け前、それでもいいから抱きしめてほしいと紺は言った。しかし秀誠は頷かない。かれに苦痛を与えてしまうことよりも、自分が、紺が焦がれている相手とは別人だと確信しているからだ。自分は紺に惹かれている、抱きしめたい、だけど、紺が好きなのは自分ではない。秀誠の苦悩がいい。
二回目の「だっこしてください」が可愛かった。15歳だと思うとすごくいけないんだけど、300年以上生きているからいいよね。いいよ。
紺が化狐に戻るシーンがすごい。効果音と共に、獣の鳴き声が響き渡る。Atisインタビューによるとこれが神谷さんの演技らしいのだが、こんな声人間が出せるもんなのかといまいち信じられない。もちろんエフェクトはかかっているのだが、どう聞いても動物。すごい。正直祥真の解説も秀誠の逡巡も最初は頭に入らなかった。肉食動物がいる…!
山に逃げた紺を追って秀誠も山へ入る。秀誠を憎みながらも憎みきれない紺の嘆きと、矛盾したかれごと好きになってしまった秀誠の会話は、感情がぎりぎりまで追い詰められて切ない。
過去の秀誠が何を考えていたのかということを目の前にいる秀誠に聞く紺に、秀誠は嫉妬する。自分と昔の秀誠は別人だから、予測はできるけれど、かれの気持ちは分からない。それでも。「それでもとびきりお前のことが好きな男がここにいるぞ」という台詞が沁みる。生まれ変わったわけではない。それでも、自分と(初めて)出会うまでに紺が三百年待ったのだと言えば、「三百年も待たせて悪かった」とかれは言うのだ。この包容力が素晴らしい。こういう攻大好き…!
秀誠と紺のその後の生活もまだまだ不安定。仕事ばかりで自分を構わず、更には明らかに隠し事をしているという秀誠の様子に紺は不安になる。素っ気ない秀誠の態度にいちいいち傷つきつつも、寂しいと本音を言えない紺が可哀想でいい。
もしかしたら三百年前のようにまた封印されてしまうのではないかと思った紺は、自分が秀誠に見えないようにする。しかし紺が故意に姿を消したとは考えもしない秀誠は、自分がかれを見る能力を失ったのではないかと不安になる。恋に溺れた男が人目も気にせず、暴走するところがいい。必死すぎて無様で凄くいい。
和解しあったあともまた秀誠が優しいのだ。その優しさに紺は反省し、いかに自分が愛されているのかを実感する。バカップル微笑ましい。
もう一本は祥真と緋耀の出会いと慣れ染め。緋耀に最初に出会ったときの祥真は中学生なのだが、そこの三木さんの演じ分けが凄かった。
長い間ずっと一緒にいる二人は既に完成しきった関係性を築いているように見えて、実際はそうでもない。ずっと祥真を思い続けている緋耀と、緋耀の気持ちを知りながら今の関係を保ち続けようとしている祥真。限界がきた緋耀の爆発っぷりが、それまでのかれがおとなしかったからこそ凄い。こういうタイプは一回キレるとこわいのだ。だからこそ、ちゃらんぽらんな祥真の手綱を握っていられるのだろう。
全体的に設定や状況説明が多めではあったけれど、面白かった。
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2009.07.26 Sunday
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西炯子「ひとりで生きるモン!」3
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西炯子「ひとりで生きるモン!」3
新井理恵の「×-ペケ-」亡き今、わたしが最もというか唯一というか愛している四コマ漫画である。
隔月誌に(しかもBL誌…)毎回8ページずつの連載なので、なっかなかコミックスが出ないところも含めて大好きである。
相変わらずどうしようもない下ネタや、オチていないことがオチになるネタ、それがどうしたんだと言いたくなるどうでもいいネタが沢山詰め込まれている。敢えて無駄なことを全力でやってのけて、最後のコマは常にキメポーズで叫ぶだけ、という「ムダマン」がばかばかしくて大好き。ムダマンに代表される、何かに全力で挑戦した結果「何やってんだろ…」と我にかえって一気にクールダウンするネタは結構多いのだが、行動する人間とその周囲にいるツッコミの人間のキャラによってがらりと雰囲気が変わる。
あとは日常生活や会話の中で出てくる普通の言い回しや物にやけに興奮してしまう男とか、架空の恋人の設定を綿密に作り過ぎて本当に昔付き合っていた気になってくる男の子とか、ああほんと皆バカでいい。
西さんの下ネタは中学生男子レベルと、オヤジギャグと、本気で妄想を極めた一部の人間しか到達できないであろう領域が共存して、とってもいい具合に変態である。「G」のシリーズは噴いた。
しかし今回はこれまでに比べて、独身妙齢女性の魂の叫びが少なかった。裏表紙の「生きてミルミル」に代表されるその手のネタが大好きなので寂しい。ちなみにその裏のネタは「溜息つくと幸せが逃げる」と友人に言われた女子が、「溜息ついたぐらいで逃げるような頼りない幸せなんぞ 要らんわぁ!」と叫ぶもの。いいぞいいぞ!
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2009.07.25 Saturday
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杉田智和、小野大輔、神谷浩史「名作文学(笑)ドラマCD『走れ☆メロス』」
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企画が発表されたときからどうなの、と思っていたのだが、実際聞いてみてふと思った。こういう舞台あるよな。皆が知っている話を敢えて現代風にしてみたり、敢えて設定を一部変えて面白くする喜劇。そういうものだと思えばいいんだ。
小野さん演じるメロスは正義漢で、考えなしに猪突猛進で行動するタイプ。頭もあんまりよろしくない。唯一の身内である妹を溺愛しており、ちょっとシスコン。言葉回しは今風だし、誇張もあるけれど、案外原作からブレていない。
親友セリヌンティウスは杉田さん。冷静な性格がメロスと正反対でいいコンビ。ちょこちょこメロスをバカにしてみたり、かれの自由すぎる行動に苛立ったりもしているけれど、基本的には仲良しの良いやつ。まあこれも強ちズレていない。
そして邪知暴虐でおなじみディオニス王が神谷さん。王様はまだ若いという設定になってる。ひどく気が短く、なにも信じたりはしないかれは、自分に楯つくものや怪しいものはすぐに処刑する。自分が人間を信じられないだけでなく、信頼しあっている友人関係が嫌いで、ぶっ壊してやりたいと思っている。この辺はまあ、年齢以外は原作とさほど違わない。
RPGのお城のシーンのようなBGMが流れる中で響く、王様の高笑いがいい。ザッツ悪役。「お前にわたしの孤独がわかるものか」という台詞がすきだ。
メロスの妹は台詞なし。メロスが妹に向けている台詞はあるのでちょっと不思議な感じ。ここモノローグで片付けてしまえばよかったのに。そしていくら都会ではないとはいえ、牛の鳴き声がシュールだ。
花婿@佐藤雄大くんに散々絡んだあと、メロスはひと眠りして、家を出た。シラクスの町に向う途中、かれは行くべきか迷ってしまう。そのあたりの心情描写は原作よりかなりこってりと描かれている。
セリヌンティウスと過ごした楽しかった日々の回想もある。二人の立ち位置は今と変わらず、バカをやるメロスをセリヌンティウスが呆れつつ許したり、面倒をみたりしている。あんなにも心を許せる友人はほかにいない。あんなに大切な友人はかれしかいない、そう思いなおしてメロスが再び走り出す、その経過が自然でよかった。
そして約束の時間になんとか間に合うメロス。すわ処刑、と言うところで走ってきたメロスの姿を視認した王が息をのむ。最近この驚いて息を飲む演技がどの作品でも少し過剰というか、大仰な気がする…。
疑ったから殴ってくれ、のくだりはまとも。というか根底に流れるテーマはそのままだし、その部分だけは守ったのだろうと伝わってくる。だからこそこの「名作文学(笑)」というタイトルに違和感をおぼえる。この笑いは正直「スイーツ(笑)」「自分磨き(笑)」と同じ意図で用いられる「(笑)」だと思うのだ。つまり、悪意をもって嘲笑するという意味の記号に感じられる。「名作?文学」ないしは「名作文学?」くらいに抑えてくれればよかったと思うのだが、それだと注目度が上がらないのかな。
そして二人が友情の絆を更に強めたところで、王様は改心したと宣言する。そこまではいいのだが、そのあとの王様はなかなか素直になれず、どんどんツンデレ化する。声を上ずらせて、なんとか言葉を伝えようとするところがテンプレですごくいい。
ツンデレなんて知らない二人は、憎まれ口を叩きつつも自分たちを解放した王様にとっても快く接してくれる。「もう知らない仲じゃないんだ」とか爽やかに言いきられて、「え…」と戸惑う王様嬉しそう。ヨカッタネ。
ドラマCDになるときいた時から、あんな掌編だけでCDになるのかと思っていたのだが、本編終了後はおまけのifシリーズ。もしも○○がXXだったら、という前提のミニドラマというかショートコントというか。
虚弱体質編
メロスが虚弱体質だったらどうするか。
想像した通りの結果にしかなりようがない。バックはナイス高笑い。
方言編
メロスとセリヌンティウスが方言丸出しで喋っていたらどうするか。
メロスが久々にシラクスにやってくるので、王様もセリヌンティウスの家に来いよ!パーティしようぜ!という旨のお誘いがくる。そのことを相変わらずのツンデレで話す王様に対して、部下が涙ながらに喜んでいる。そうか、王様が友達いないことを部下も心配してたんだね…家族も含めて人を殺しまくってたわりに可愛がられてるなこの王様。
ウキウキでお呼ばれしていったのに、二人が土佐弁で話すので、まったく会話に入れない王様。小野さんは当然としても、杉田さんの土佐弁もなかなか堂に入っていると思った。
被害妄想編
セリヌンティウスが物凄く被害妄想が強かったら。
信じるって言ったけどメロスって時間守れなくね?大体あいついい加減なところあるし、あれ、信じるとか言ったけど絶対戻ってこなくね?あれ俺ピンチじゃね?という葛藤を全部口に出して喋るセリヌンティウス。いちいちメロスの過去の発言は声色を変えて話すので面白い。ものすっごい早口な上に句読点なく喋る喋る。こういう役をやると杉田さんは輝く。
同志編
もしも王様とセリヌンティウスが隠れ二次元オタクだったら。
王様が絵師って言った…!二人がいわゆるネットスラング的なものを多々お使いになられるのですが、セリヌンティウスの「俺だー結婚してくれー」の言い方がすごくこなれていて感動した。こういう役をやると杉田さんは以下略。
ディオたま呼びはちょっと不満。中2丸出しのハンドルネームつけて、それで呼んでもらったらいいのにー。セリヌンティウスの鎖をはずさせたあと、心おきなくオタ話ができると嬉しそうな王様がちょっと可愛い。
肉食女子編
もしもメロスとセリヌンティウスが肉食女子だったら。
おかまじゃないのよ、女子なのよ。どう聞いても創作上のおかまだけどな。
カフェに来たメロスが「あたしカフェモカね!」というところの小野さんの演技が最高によかった。ギャグなのでこんなものでいいんだけれど、作り込みすぎない方がおかまっぽくて面白い。やりすぎて声が濁ってて、それはそれで面白いんだけれどもったいない。杉田さんはオカマとか女とかじゃなくて半分若本さんだった。
王様だけ男のままなのかと不思議に思っていたら、イケメンなので二人に狙われていた。男の好みが被る二人は大変そう!
トーク
小野・杉田・佐藤という「爆笑王」たちのトークを聞きつつ、神谷さんがオーディオコメンタリーするという不思議な企画。
小野さんをODって呼ぶ後輩は、昔のDGSの時と変化していなければ沢城さんだな。元々トークにお題があったのか、まったくなかったのかは定かではないが、ほぼ雑談で進む会話に神谷さんがぼそぼそ突っ込むというかたちで進む。抜き録りだったので苦肉の策だったのだろうが、ひとが盛り上がっているのを聞いて、それをちょっと遠くから突っ込んでいる感じは、神谷さんに似合いの立ち位置だと思った。
杉田さんが原作者に謝ろうと言い出したまではよかったのだが、「みなさんもご一緒に」と聞いている人間にまで言うのでびっくりした。謝らないといけないのか。
すいません。
最近しつこく主張しているが、わたしは太宰治という、弱くて情けなくて繊細でプライドがひと一倍高いくせに恥知らずな作家が大好きだ。脆いようで図太い、卑屈な割に前向きな、そういうひとつも辻褄の合うところがないこの作家が異常に好きだ。そして「こころ」や「山月記」、宮沢賢治作品などのいわゆる名作、純文学と呼ばれるものがドラマCD化される風潮を眺めて、いつか太宰作品もこういうものにならないかと願っていた。もうひとつ言えば、そこに神谷さんがキャスティングされないかと、ものすごく願っていた。更に告白するならば、同じく最近いくつか発売された昔話のように、朗読でもいいなと妄想したりもした。
その願いは半分叶い、半分叶わなかった。太宰の繊細でうつくしくて破綻した、かれの人間性そのもののような文章は悉く改竄されてしまったからだ。特に王は元々は一人称が「わし」の、それなりに年輪を重ねた男なので、オリジナルキャラを聞いているようだった。
でもこれはこれで作品として成立しているので、別物として面白かった。
それとは別にモモグレがいつもの感じで出してくれないかなあ。あそこはしれっと男だけの「赤毛のアン」を出したりもするので侮れないが、基本的に原作に忠実なので期待している。そうなると一回他の作品でキャスティングされたら出にくいとかあるのかな、とか素で思ってしまうくらいには神谷さんの太宰が聴きたいです。
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2009.07.25 Saturday
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三浦しをん「風が強く吹いている」
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三浦しをん「風が強く吹いている」
ある夜銭湯に出かけたハイジは、パンを万引きした男に出くわす。その時、逃げる男の走りに魅了されてしまったかれは、自分が暮らす竹青荘へ犯人を連れてくる。その犯人である走が同じ大学だと判明すると、ハイジはかれを半ば強引に、破格の家賃プラスまかない付きの竹青荘に入居させてしまう。
そして晴れて仲間になった走の歓迎会の途中、ハイジはひとつの野望を語る。箱根駅伝に出よう、と。
面白かった!萌えるではなく、燃える。萌えもするけど、とにかく燃える。
いくらオンボロとは言え、学生寮としても破格の竹青荘には、ひとつ落とし穴があった。アオタケと呼ばれるその寮は実は、かれらの通う寛政大学の陸上部の部員寮だったのだ。つまりかれらは入寮すると同時に、問答無用で陸上部に入部することになる。これまでの間まったく活動がなかっただけなのだ。
アオタケで暮らしているのは走を入れて十人になったばかり。箱根駅伝は十区間を一人ずつが走るため、必要最低人数が十人となる。ハイジにしてみれば、走は降ってわいた奇跡的な存在だったのだ。かれのうつくしい走りだけでなく、その存在そのものが、ハイジには福音だった。
しかも元々アオタケには部屋は九室しかない。なぜその寮に十人が暮らせるのかと言えば、走と同じ入学生に仲良しの一卵性双子がおり、かれらが一番広い部屋に二人で住んでいるからだ。これまた奇跡的に、十人の部員が揃ったことになる。
偶然はそれだけでは終わらない。
いきなり駅伝に出ようと言い出したハイジのことばを、皆はまともに受け止めない。ハイジと走が高校時代に陸上で全国的に素晴らしい成績を残していたとは言え、あとは寄せ集めの集団だ、勝てるわけがないとかれらは笑って流そうとする。たとえ入部と引き換えに安値で暮らしていようとも、ハイジにそれぞれ恩義があろうとも、じゃあやりましょう、優勝狙いましょうと言えるような話ではない。
そういうかれらに向かってハイジは滔々と語る。きみたちは既にそれぞれ長距離選手に必要なものを持っているのだ。オタクである王子の粘着性、山道を歩いて高校に通っていた神童の脚力、黒人留学生のムサの秘めたる身体能力などなど、無理矢理だろうがこじつけだろうが、かれは熱弁した。乗り気でない住人達を何とかやる気にさせるための言い訳がましい台詞だが、なかなかどうして説得力がある。奇跡的な布陣がそろったのだとばかりに息巻くハイジの言葉に納得させられる。
ニコチャンも陸上経験者だったとはいえ、七人はズブの素人だ。そういうかれらが一年弱で箱根駅伝に出られるなんていうことはまずもってあり得ない。物語だからこそできる設定だというほかないが、しかし、何故かそういう苦しさは感じなかった。ありえないはずなのに、ありえてしまうことに違和感がない。
個性豊かな登場人物たちが漠然とした駅伝のイメージしかないまま練習を始める。ハイジの的確な指示でそれぞれが力をつけてゆく過程で、キャラの性格とアオタケでの立ち位置や関係性、駅伝の大まかなルールが明らかになる。そうなればあとはもう、走るだけだ。
かれらはひたすら走る。鍛えぬいた肉体だけをたよりに、走る。一人で走る時間は二十分にも満たないけれど、その間、かれらは誰にも干渉されない。同じ地区を走る他の選手との接戦や駆け引きはあろうとも、根本的には自分が少しでも早く、少しでも理想に近づけるように走るだけだ。
緊張の中で仲間から襷を受け取って走りだしたかれらは、さまざまなことを考える。タイムは?順位は?自分はほんとうに本調子なのか?試合経験がほとんどないものはとくに、余計なことに気を取られてしまう。しかし走り出すと、一年弱のトレーニングが活きてくる。
自分のペースを掴みはじめると、心は走りにまつわる瑣末なことから解放される。解放されて、かれらが抱えることが心を占拠し始める。仲間にも言えなかった悩みや、コンプレックス。いつも心のどこかにあったそういうものと、かれらは向き合うことになる。手足は勝手に動いてくれる。誰も邪魔をしない環境の中、普段は目を逸らして深く考えないようにしていた自分自身の問題が顔を出す。
一人ずつ丁寧に描かれるこの心情描写がとっても良かった。家族、恋、友情、自分自身の性格、あまり見たくないそういうものとこの時ばかりは真っ正面から向き合うことができたかれらの心は多少なりとも軽くなる。かなりの接戦を続けて、体は疲弊しきっているはずだ。そういう描写もあるのに、なぜか走者たちがひどく満たされて、まるで天にのぼってゆくような状態であることが伺える。経験したものにしか見えない景色があるのだろう、一握りの人間にしか到達できない高みがあるのだろう。かれらは走っているそのとき、確かにそこにいた。
舞台を先に見たときにも感じた、葉菜子の「走る姿がこんなに美しいなんて、知らなかった。これはなんて原始的で、孤独なスポーツなんだろう。」という台詞は秀逸だ。道具もない、ただ、普段車が走っているような道を筋肉だけをたよりに走りぬく。その様子は原始的で、さびしくて、崇高ですらある。そのときだけは誰にも近寄れない。たとえひとつのコースを共有するほかの走者であっても、好きな女の子であっても。その絶対的なさまをとてもよく表した台詞だと思う。
ハイジと走は異なる人生を歩んできた。しかしかれらはともに走ることに焦がれ、なにもかもを捧げ、そして一番大切だった走ることに裏切られた経験を持つ。それでも走ることが止められなかったかれらは、これまで自分たちが必死で追いかけた基準以外のものを知る。親や教師から叩き込まれた、誰よりも早く走って、一番を取ること、ひいては試合で勝つことを唯一無二としていたかれらは、それだけがすべてじゃないと知る。走よりも前にそれを知っていたハイジは、何度も根気よく走に言い続けていたけれど、走がそのことの本当の意味を知ったのは、かれが走ってからだった。走はようやくそれを体得したのだ。速くではなく、「強く」なること。肉体も精神も本当の意味で強くなって、走りと向き合うことを知って、再起する。
走ることへのつよい思いは再生する。これまでよりも強く、深く、確固たるものとしてもう一度かれらのもとにやってくる。そしてもう、離れない。
とても清々しい小説だった。挫折した男たちの再生、立ち止まっていた男たちの復帰、そういうことがいい具合に青臭く描かれている。結果を知っていてもページをめくる手が止められなかった。
以下は舞台版と比較して思ったことなど。ちなみに舞台の感想はコチラ。
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2009.07.24 Friday
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「ルチルSWEET」
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「ルチルSWEET」<リンク>
7/23配信開始のwebコミック。毎週木曜に配信されるけれど、連載が週刊なわけではない。第何木曜なのかをずらしてほぼ月刊連載にしてゆくかたちみたいだ。
新作の連載と、あとは既にコミックスになっている作品の一話目の無料配信。これで気に入ったらコミックスを買ってね、というところか。BLコミックスはもともと見本小冊子を作っているところが少ないし、自主的に見本を作っている本屋も一般コミックスの比ではない少なさなので、買うかどうか迷っているひとにはありがたいかもしれない。少なくとも表紙に釣られたら中の絵が全然違った!みたいな事態は防げるのでいいのではなかろうか。
・原作:崎谷はるひ、漫画:雪広うたこ「きみと手をつないで」
これが目当て。
コミカライズを担当する作家さんが知らないひとだったのでどうなるのか全く読めなかったのだけれど、すごく原作に忠実で良かった。キャラデザがほぼ挿絵と同じなので違和感もなかった。どちらかと言うと織田さんよりの絵という感じかな。
初対面の香澄が、作家先生の御稚児さん的愛人だと誤解した神堂のいでたちがまさにそのものずばりで可愛らしい。あとは後半現れた仲井への懐きっぷりが尋常じゃなくていい。無邪気な笑顔のバックにはハートが飛んでいる。
結構長い原作だけど、このまま丁寧にコミカライズしていってほしいな。
・原作:雪代鞠絵、漫画:ほり恵利織「新妻ふわふわ日記」
何かとタイトルはよく耳にする作品だけれど、読んだことはないし、まともに話の筋も知らなかった。たぶん普通にコミックスになっていれば手を出すことなく終わっていたと思うのだが、無料コミックだととりあえず一話目だけでも読んでみようと言う気になる。
とにかく17歳の少年が新婚ほやほやの新妻である。一応日本では男子は18歳になるまで結婚できないことになっているのだが、まあそんなこと言いだしたら同性で結婚できないしね。気にしない。
ストーリーはBL結婚モノにありがちな、ものすごく素敵な旦那さまとものすごく可愛い奥様の、恥ずかしいくらい甘くて幸せな新婚エピソードなのだが、妻の真尋がどうも体が弱いようだ。そしてそれは単なる風邪のような軽いものではなさそうである。ただ、それが今後の話に大きく関わるのかは現時点では不明。あまり深刻な雰囲気でもないし、このまま原作を読まずに次回を待とうかな。
・原作:神奈木智、漫画:古田アキラ「執事は沈黙に恋をする」
これはコミカライズじゃなくて原作書き下ろし。長年仕えていた執事の死後現れた、年下の癖に非情に出来る、いけすかない執事と御主人さまのお話。BL非BL問わず執事物は飽食気味になりつつあるけれど、こういう主に膝を折る気のない従が出てくる主従ものはいくつあってもいい。
テンプレっぽさの中に独特の設定や言い回しが入っていてなかなか面白い。亡くなった執事と御主人さまの、完璧な信頼関係も好きである。
・平喜多ゆや「キミとひみつの夏休み」
新連載四本の中でこれだけがオリジナル。
母親は既に病死、父は仕事で殆ど家にいないという環境に辟易した少年は、夏休みを利用して祖父母の暮らす田舎へやってくる。そこでかれは、祖父母の家によく出入りしている、同世代の少年と出会う。
田舎、夏休みとくれば地元の子との出会い、である。タイムリミットはすでに決まっている中での交流が描かれるのが常だが、今回はそこに田舎+人外というのもうひとつの王道設定が入る。設定にあまり目新しさはないけれど、祖父母の家に帰ってきたときに自分以外の子がいていきなりテンションが下がってしまう主人公の心情が結構好きだ。
二人で暮らしている祖父母は、娘が亡くなり、自分ともなかなか会えずに寂しいのではないかと思っていた。しかし寂しかったのは自分だけで、かれらは毎日楽しく暮らしていたのだ。思いもよらない現実に行きあったかれは、いきなり自分の存在価値を見失う。夏休みの計画全てを台無しにされてしまったような気にすらなる。祖父母が悪いわけではないことは分かるから、どうしてもやるせない憤りの矛先は少年に向かう。
だけどその相手もまた憎めないくらいいいやつで、寧ろ仲良くなれそうな予感がしている。そういう、幼さの残るかれの稚拙だけれど分かりやすくて深刻な心情がよかった。
ひとまず続けて読もうと思う。問題は更新を忘れてしまいそうなことであるが、売り切れるわけじゃないのでいいか。
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