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2008.10.31 Friday
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evergreen
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八年前、かれがいなくなったことを知ったのは、ライヴハウスに向かう電車の中だった。
色んな人から来た噂みたいなメールを読んでも、実感はなかった。バンギャルにはつきものの出所の分からない噂にしては悪趣味だと思っていた。
そのあと友人と合流したロケッツの外のトイレ前の階段で泣いている子が何人もいた。そこかしこで悲鳴のように交わされる会話も、偶然聖天使学園のバッグを持っていた知らない子の涙も、なにもかもが現実感を伴わないまま、未だに目の奥に焼き着いている。
その夜は元々、翌日のチケット販売のために徹夜で並ぶ予定だった。あの頃はまだ、何日も前から並んで早番を手に入れるというやり方が主流だったのだ。夜通し関係ない話題で盛り上がって、チケットを無事に手に入れて、道を行くおじさんが持っているスポーツ新聞に記事が出ていた。それでもやっぱり現実感はなかった。
未だにないのかもしれない、と今日思った。わたしはかれがいなくなったことで泣いたことは多分ない。ただその当時間断的に襲ってくる気鬱の回数が増えたことだけが、喪失によって変化したことだ。
もはやかれの死に涙することはないだろう。ただ、曲だけが残った。それでいいと思う。痛みも悲しみも風化して、かれの言葉を借りるなら「逆らえない時の中で」何もかもが褪せていっても、曲だけが色褪せずに存在している。ふと思い立ったときに曲を聴けば、かれはそこにいる。
死者の魂とか、見守っているとか、そういう思想は好きじゃない。死ねばそれまでだと思う。ただ、かれが死んでいなくなっても、曲は残る。使い古された言い回しに頼るならば、曲は生き続ける。たまに思い出したように聞いて、やっぱり好きだと思う。何度でもかれを好きだと思える。そんなことは滅多にあることじゃない。そんなひとに出会えることは殆どない。
けれど何度でもわたしたちはかれに恋することができる。華月と、華月の音楽に。
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2008.10.31 Friday
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月末いろいろ
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最近の外食。
Petit Monsieur
フレンチとカレーのお店。食前酒、前菜三種、カレー、デザートで1800円。手の混んだ前菜で苦手な食材でも食べられた。カレーは全ての具が溶け込んで形状が残ってないタイプのルーで美味しかった。フォンデュ風チーズというのをトッピングしてまろやかになって更に美味しい。
食前酒がシャンパンのヴーヴクリコだった。ホストの特番でしか聞いたことがないヴーヴクリコだったのだが、味が濃厚で美味しかった。カレーとシャンパンって不思議だけれど、美味しかったです。
桜花
もつ鍋屋というよりは、もつ鍋もある居酒屋。人生で初めてもつ鍋を食べたのだが、こってりしていて美味しかった。最後にオプションで追加できる中華麺がまた美味しいのなんの。単品もどれもアタリで、中でも塩焼きのホルモンが非常に美味しかった。
ここで初めてマッコリを飲む。カルピスのような甘い口辺りなのでいくらでもぱかぱか飲めそうだが、後で一気に廻りそうな危険な予感がしたので自重。
少し遅い誕生日を仕事仲間に祝って貰う。おめでとうありがとうプレゼントーキャー!とか言っていたら、お店のひとがアイスをサービスしてくれた。
プレゼントがHGナドレとHGヴァーチェ。00を知らない友人がわたしの好きな機体を調査して、更にプラモデルを作ったこともなければ作れる自信もないわたしのためにわざわざ得意なひとに作ってもらったと言う。ありがたいことだ。プラモを持ったことすらない三人でああでもないこうでもないと言いながらなんとか武器を持たせ、サプライズで頂いたアイスと撮影。すいません。
今は部屋のスピーカーに一体ずつ乗っている。オシャレな部屋からどんどん遠ざかる。
The GARDEN Oriental KYOTO
こちらはイタリアン。清水寺を行くまでの道にある、画家の私邸をレストランにしたというお店。庭の景色がさすがに良い。高級そうだけれど、意外と価格設定がリーズナブル。ランチは1200円からある。
海老のラグーソースのパスタがとっても美味しかった。中心地からは少し歩くけれど、遠方から来た友人を連れて行くのに向いているかな。別世界に行けるのですてき。
エミキュのOPを買った。
青地に黒ラメ。安かった。ここまで青の服は持っていなかったので新鮮。ブランドとしてもこういう青は初めてです、と店員さんが言っていた。大人気のない服だという自覚はあるが、まだまだ着ます。
今買うとノベルティが貰えるんだとひーたそが興奮気味に話していたことは覚えていたのだが、買ったときは全く念頭になかったので、貰えてとても得した気分。
あとは母親の誕生日に水着を買ってあげた。最初はDVD-BOXが欲しいというのでそのつもりだったのだが、一緒に買い物にいったときに試着していたのでこっちでもいいよ、と言ったら「本当は水着を買ってほしかった」と少女のように照れていた。同じような価格なので別に構わないのだが、どうも母のほうが乙女だ。
「アメトーーク」の笑い飯特集が最高に面白かった。「麺の味こそは分からないけれど」がツボりすぎた。雛壇芸人もレポーターも凄い倍率の中で勝ち獲った仕事なので凄いと思うけれど、やはりこういう不器用なくらいにお笑いしかできない芸人というのが好きだ。以前竹若さんが笑い飯のことを、客に素を見せることを嫌がるという意味合いの表現で説明していたけれど、その美学はとてもいい。ここ数年ちょっと微妙だったのだが、やっぱり面白い。類稀なる存在だと思います。
あとは大捕り物を繰り広げて、それこそ高校の体育以来くらいの勢いでかけっこをしたら、翌日になって太腿が悲鳴をあげた。走っているときはいっそ風になったくらいの気持ちだったのだが、体は正直だ。
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2008.10.31 Friday
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志水ゆき「是-ZE-」7
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志水ゆき「是-ZE-」7
近衛と琴葉の過去編の続き。
食べ物で懐柔されたあと、次第に近衛に懐き始めた琴葉が少しずつ自我に似たものを持ち始める過程が描かれている。母の命と引き換えに生まれてきたこと、その力の圧倒的な強さなどから厳重に隔離されていた琴葉は、世話役に目の前で死なれて以降、ひとりきりだった。右も左も分からないような子供が、自分で制御できない力の所為でまともな生活を奪われた。そこに現れた近衛に、琴葉がインプリンティングされたのは当然すぎるほど当然なことだ。
懐いていると言う言葉では軽すぎるくらいの依存を向けてくる琴葉に、戸惑っていた近衛も徐々に絆されてゆく。未だ描かれない力一との過去が、近衛の背中を押した。そして己に訪れる苦痛を承知した上で近衛のために言葉を発した琴葉の事情を知って、近衛は心を決める。
主人を失った傷が癒え切らない紙様と、仕えていた母代わりの紙を失ったばかりの言霊師、ちょうど欠けたものを補い合える二人が寄りそうように互いを必要とした。
そんな近衛の態度を見た和記が「紙様にも母性本能があるのかねぇ」と、まるでそんなものは存在しないとでも言いたげに嘯く。紙様には甘いと称されていたかれだけれど、和記は紙様に本当の意味で優しいわけではないように映る。下位のものとして、自分がいつでもその生命を左右できる程度の玩具として、可愛がっている。気まぐれに手を差し伸べたかと思えば思い立った残酷な仕打ちを強いる、生殺与奪の権利はかれにあるのだ。
そんな和記が望んだのか望まなかったのか、紙様はかれの手を離れたところで意志を持ち、さまざまな種類の愛情を育てた。和記はいつも笑っているけれど、いつも面白くなさそうだ。自分の予想を裏切ってほしいくせに、実際にそうなると不愉快なのだろう。寂しいのかもしれない。
近衛と琴葉の長い関係が、雷蔵が引越してきた頃に追いつくまでにはまだいくつも波乱がありそうだ。現段階では琴葉は近衛を「この」と愛称で呼び、世界を自分の眼で見たこともない。二人は自分たちの間に流れている関係に名前をつけられずにいる。どうやって繋がっていくのかが楽しみだ。
自分の余命が長くないことを知っていながらもまだ彰伊に伝えていない阿沙利と、阿沙利の異変を知ってかれに隠れて近衛に傷を受けされている彰伊のもどかしい関係も描かれている。「俺に言わなあかんことあるんやないか」と阿沙利が言えば、彰伊はいつものポーカーフェイスでとぼけて見せる。本当に言わなくてはいけないことはあるのは阿沙利の方なのに、かれはそれをおくびにも出さない。現在ではようやく治まった二人のもどかしい競り合いも、この時代では始まったばかりだ。
そして人気投票はやっぱりとしか言いようがない。個人的には阿沙利をおしたいところ。
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2008.10.30 Thursday
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夏水りつ「犬も歩けば恋をする」
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夏水りつ「犬も歩けば恋をする」
大学院生のあっくんは、高校の卒業式以来会っていなかった同級生の今井に小説のモデルになってくれと頼まれて承諾する。しかし、今井の望みはセーラー服コスプレで、かれが書いている小説はSM官能小説だった。
他にも出社したらいきなり手乗りサイズになっていた課長の面倒を見ることになったサラリーマン山田くんの一頁連載「山田くんと田中課長」やブルボン家の物語も収録。
今誰が一番かと言われたら、夏水りつの名前をあげるかもしれないくらいに大好きだ。シリアス切ない胸キュン健気などの単語で形容される純粋さと、妄想コスプレ白昼夢と言った変態(になってしまうくらいに強い愛情)っぷりと、まじめな容姿で乙女趣味だったりするようなギャップのある魅力的なキャラクターの三本柱が見事に揃っている。お約束的な展開も含めて、全部が明るくて甘ったるくて、少しいびつで可愛らしい。
もともとそういう部類の物語を書いている人だったけれど、ここ最近の開花っぷりとでも言うか、勢いは凄い。どのシリーズもきっちり面白いのだ。
本誌と単行本のキャッチコピーもすごい。これなんて「きゃわわ大学院生受難物語」である。高橋ゆうと夏水りつに関しては、花音のコピーは神がかっている。
変態今井がひとりで抱えていた妄想は脳内からはみ出して、ついにあっくん本人にぶつけられる。状況が掴みきれないままに流されるあっくんと、完全に目がイッちゃっている今井。なし崩しのままに肉体関係に持ち込むかと思いきや、素直になれなかった過去のやり直しを必死にやろうとする二人がいじらしい。傍から見れば紛うことなき変態なのだが、二人はばかみたいに真剣だ。若くて、自分の気持ちを把握しきれなくて、素直になれなくて言えなかった本音を吐き出して、ようやくスタート地点にまで巻き戻った。現在の会話の随所に挟まれる過去回想がニクい。
その後も二人は相変わらずだ。というのは、今井が本当に変態だからなのだろう。ナチュラル・ボーン・変態。何かの補完ではなく、過去のトラウマなどによる結果でもなく、ストレートに愛情表現した結果のシチュエーションプレイ妄想。顔も頭も圧倒的に良いくせに、根っからの変態であるかれに対して、非常に真っ当な意見と嗜好の持ち主であるはずのあっくんが歩みよる。実際に経験して味をしめたわけでも、今井によって強引に道を踏み外させられたわけでもなく、好きな相手を理解するために歩み寄った。その頃今井は今井で、あっくんのために自分の嗜好を少しでもおさえるための努力をしていた。かれもまた、恋人に歩み寄ろうとしていた。この少女漫画顔負けのリリカルな展開がいい。
結局今井さんは調子に乗ってしまうんだけど、それはご愛嬌。
今井があっくんに恋に落ちた瞬間、それ以降気持ちをどんどん強めていった過程は非常によくわかるのだが、あっくんはこの変態のどこが良かったのだろう…。心配になるが、今井の過剰な愛情に負けず劣らずの愛情を抱いているようなので良いのだ。
それ以外の短編もどれも粒揃い。
特にミニチュアリーマンこと田中課長が可愛いのなんの。自分の体より少し大きいくらいのハンコを必死で押したり、マグカップを裏返して椅子代わりに座ったり。ドリーミング!
色々なシリーズが点在しているごった煮な感じの一冊だが、今井とあっくんの話はこのコミックスから始まるので問題なし。あーかわいい。
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2008.10.29 Wednesday
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樹要「スマない!!マスミくん」
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樹要「スマない!!マスミくん」
妻に出て行かれてから男手ひとつで育ててきた愛娘が、自分の担当者・真清と結婚することになったと聞かされた小説家の章太郎は、あまりの急展開に驚きながらもふたりの結婚を認める。しかし結婚式直前に娘が書きおきを残して失踪、婿養子に入る予定の真清は既に自分の家を引き払っており、行く場所がないという。娘のしでかした事態へのショックや罪悪感も相俟って、章太郎は真清に同居をもちかける。
優しくて親切で誠実でおまけに容姿も整っている、真清は非の打ち所がないくらいよくできた男だ。苦労をさせてきた可愛い娘の相手としてはこれ以上ない結婚相手であり、自分の息子としても最高の男だった。だからこそ、あまりに突然の結婚の申し出にも章太郎は首肯した。担当だったかれが家族になるのは、娘が他の人間のものになる寂しさには勝てないけれど、とても嬉しいことだったはずだ。
それなのにいきなり娘は消えた。動揺している章太郎を尻目に、真清はそれほど驚いても傷ついてもいない。かれが好きなのは彼女ではないし、何よりかれには目論みがあった。
見た目も中身もよく出来た好青年風の真清は実は、普通の人間ならば躊躇するような大それた悪辣な計画を抱いている。よく考えるとものすっごくひどい男だ。それなのにかれが悪者に思えないのは、いかにかれが章太郎に心を寄せているのかが分かるからだ。
最愛の娘が失踪することで、章太郎は一度空っぽになった。以前妻に捨てられたというトラウマが再発しそうなかれの空洞の心に、入り込んできたのが真清だ。他にもあるはずの優しいことやひとをきれいに跳ね除けて、そんなものが介入する余地もないくらいに自分で埋めた。とんでもないエゴに満ちた男だとは思うけれど、かれからあまりどろどろしたものを感じないのは絵柄によるところが大きいだろう。
優しくするだけ、傍にいるだけでは成就されない恋も沢山ある。それが分かっていた真清は章太郎につけ込んだ。しかしたとえ世界に二人きりになったって、結ばれない二人もいる。だからこそ、章太郎が真清に対して同等の感情を抱くようになったのは、かれの無理矢理の行動ばかりが原因でもない。とっくに章太郎も真清を意識していたのだ。
徹頭徹尾振り回されて翻弄されて、弱り顔で笑っているような章太郎ではあるが、流されているばかりでもない。後半、現状でも充分幸せだと言う真清に対して、章太郎が吐いた台詞の確信犯っぷりがすごくいい。相手がなにを考えているのか、どうしようとしているのかがすぐに判断できるあたりは年の功。一見両方が枯れているようで、案外やきもきしている。いいカップルです。
そして褌。昔に比べると大分と割合は上がっただろうが、それでもかなり嗜好として極東の地に位置するであろう褌。時代ものでも前振りがあったわけでもなかったので、いざと言うときにいきなり褌で驚いた。別に真清くんも驚かないあたりがスゴイ。本編では褌に関する話題は出てこず、普通の下着を履いているような顔で褌である。萌えも萎えもないので構わないが、あまりに自然な褌愛好に驚いた。
余談だが小野塚カホリ「花」<AA>はわたしが読んだ中で一番いい褌の出てくるBLだと思う。
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2008.10.28 Tuesday
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東村アキコ「ママはテンパリスト」1
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東村アキコ「ママはテンパリスト」1
東村アキコ「ママはテンパリスト」1
男児を出産し、ママになった漫画家東村アキコと愛息「ごっちゃん」の涙アリ笑いアリの日常を描いたエッセイコミック。
笑った。声をあげて笑った。
とにかくごっちゃんのキャラが脅威的に濃い。
普段は飲み物をコップにつぐときに自分がこぼしても悪びれない素振りをしているかれは、偶然母親が少し飲みものを零したところをみただけで、得意そうに振舞う。どころか母を上から目線で慰めてきたり、他の日になってもその時のことを話題に出して笑ったりしている。このときの表情が最高なので必見。ああ、おっさんのような幼児、ごっちゃん。
どのエピソードも面白くて仕方がないのだが、一番好きだったのは、いつまでも母乳離れができないごっちゃんにあらゆる対策を試すが不発で、しびれをきかせた母親が自転車に乗って走りながら自分の息子がまだ母乳ばなれしていないことを大声で言いながら走るシーンだ。このアイディアはなかなか浮かばないし、浮かんでも実行できる人間は少ないと思うけれど、著者は恥かしげもなく何度も繰り返した。思いやりも愛情も充分にあるけれど、こういう時に本気で張り合って対抗できるすごい親子だ。
我が家が女系家族で、男の赤ちゃんと接する機会というのが殆どない人生を送ってきたこともあって、何から何まで新鮮で面白い。更には子供は勿論弟や妹などもいないので、子育てや赤ちゃんに関する「あるある」には参加できないのだが、そういう人間が読んでも面白い。家族の数だけ、子供の数だけ無茶苦茶なエピソードというのは存在するだろう。著者の家の子供だけがずば抜けて面白かったり、突飛な行動をしているわけではないと思う。そうなるとやはり、子供を見る側の人間の着目点や表現・再現力、描く側の解釈の能力が問われることになる。そう思って読んでも、とにかくこの漫画は面白い。ごっちゃんの奇行・珍行動だけでなく、著者が輪をかけて無茶な試みに挑むことも面白さに磨きをかけている。
こういうエッセイを読むたびに男の子のほうが面白いと思うのはわたしが女だからなのかもしれないが、ともかくごっちゃんが愛らしすぎる。
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2008.10.27 Monday
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麻々原絵里依「VARNISH」
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麻々原絵里依「VARNISH」
個性豊かで優秀なスタッフが揃っているメンズエステ「varnish」を舞台にしたオムニバス・ストーリー。
イケメン俳優を揃えて深夜に30分ドラマ化しそうな話だ、と思って読んでいたら、既にドラマCDが三枚出ているメディアミックス作品だった。納得。
スパルタの兵庫、穏やかな容姿とは正反対にドSの宮城、バカの宇都宮、お花ちゃんの安芸という四人のスタッフが見事にキャラ立ちしているので、毎回事情の異なる客が来店するものの、ほぼスタッフ間の些細な揉め事で話が進む。美しい容姿と穏やかな振る舞いに反して気がきつい宮城というのは非常にテンプレ的キャラだが、男前で能力があるのに口が悪くてスパルタの兵庫というのは、いそうでいないキャラだ。
かれらは常に自分のほうが腕がいいとかどうとかで競い合い、安芸の入れるお茶が殺人兵器並のマズさだと言って顔を青くして逃げてみたり、そういうどうでもいい出来事に対して皆がいちいち真剣になっている。
永遠に続きそうなドタバタっぷりは嫌いじゃない。
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2008.10.27 Monday
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麻々原絵里依「下宿日和」
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格安の家賃と大家のおばあちゃんの人柄、暖かい人間関係で最高の居心地だった藤の木荘での生活は、大家の急死によって一気に変化する。新任の管理人・藤巻は経営難を理由に、住人たちに半年後までに立ち退くように告げる。ある日住人の蔵屋は、藤巻がゲイだと知ってしまう。
とりあえず藤巻が、カバーで言うと中央右寄りにいるメガネをかけた藤巻が、とってもいい魔性のゲイ。とってもゲイゲイしい。ゲイカルチャーに特別詳しいわけでもない人間の思うゲイっぽさなのだが、二次元のゲイっぽいとでも言うか、とにかくルックスが魔性のゲイ。妙に体にフィットしたトップスを着たりするんだ、この男は。
お人よしでどこにでもいる普通の青年蔵屋は偶然、藤巻がゲイで、恋人とうまく行かずに別れたところだと知ってしまう。それ以降、何故か藤巻を意識している蔵屋。自覚がないままかれを目で追い、かれのことばかり考える日々。完全なる片想いの症状なのだが、それに気付かなかったのは、自分がこれまでヘテロとして生きてきたからだ。理屈上はかれが男である藤巻と恋愛関係になる可能性は皆無だったので、蔵屋が気持ちを自覚するまでには時間がかかった。
それまでは恋愛対象として見ていなかった相手のセクシャリティを知って、言ってしまえば友人だと思っていた男がゲイであると知って、意識し始めるようになる物語は沢山ある。男同士の関係を想像して、そこに自分と相手を当てはめるようになって、それがもはや好奇心ではないと知る。蔵屋もまたその道を通るけれど、通常のパターンならば「それは恋じゃない」とか「興味本意で近づくな」とか「生半可な気持ちで言うな」とか言い返す役割である藤巻は、拒まなかった。かれが大人だからか、どこか冷めた付き合いを繰り返していたからか、ともかくなし崩しに関係を持った二人は、その後で散々惑うことになる。相手の気持ちが分からない、知りたいけれども知るのが怖い、なんていう恋愛の基礎のキを、肉体関係のあとに始めることになる。順序が違うだけで、やっていることは幼い子供と同じだ。
そこにそれぞれ独特の趣味や秘密を持った住人たちがわいわいと絡んできたり、下宿立ち退きの問題があったり。根底にあるのは明るく、軽いテンションで展開されるホームコメディのような穏やかさだ。大勢がああでもないこうでもないと討論したり、協力して共通の問題に立ち向かおうとするさまが可愛らしい。
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2008.10.26 Sunday
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機動戦士ガンダム00 #04「戦う理由」
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自分の名前も、何故今ここに存在しているのかも分からない少年が、脳量子波を使って話かけてきた少女に名前を与えられる。マリーが、ひとりの少年にアレルヤという名前をつけた。神に対する感謝の意を冠したその名を聞いて「何に感謝するの」と問うたアレルヤに、マリーが「生きていることによ」と言った瞬間、世界がカラーになる。モノクロだった回想シーンが、一瞬で色づく。後にアレルヤはその体験を「僕にとっての洗礼だった」と考える。ここでの洗礼は、他者から齎される大いなる体験、くらいの意味でとっておけば良いのだろう。この演出と言い、相変わらず芝居がかったアレルヤの言葉と言い、とっても好みだ。
CBに助けられたマリナの言葉で、アザディスタンの現状が見える。刹那が助けたラサは既に亡く、悲惨な状況であるようだ。泣き喚いている赤ん坊の顔の周りに沢山の虫が止まっている絵は衝撃的。
ミレイユが聞いた「恋人なのですか」という言葉に、マリナと刹那がハモって「違う」と即答した。一瞬の惑いも照れもないその返答に、全くその気がないとみて取れるのが面白い。おそらく二人は相手を特別なものだとみなしているけれど、そこに恋は介在しない。今後もそうなのか、ただ現在の状況なのかは定かではないけれど、恋よりももっと強いもので繋がっている。意志の強い目がそっくりだ。
ライルはフェルトに酷い仕打ち。予告でキスシーンだけを見たときは軽い男なのかと思ったけれど、真逆だった。おそらく兄に優しくされ、恋愛感情を抱いたのだと一目で分かるフェルトに対して、自分と兄が別の存在であると「気付かせてやった」のだとかれはハロに呟いた。「比較されたらたまらん」というのはライルが初めて吐いた本音のようにも思える。CBをある意味では利用すべく参加した以上、それぞれの反応は覚悟のうちだっただろうが、プライベートの恋愛事ともなると想定外だろう。なんだかんだで射撃の練習をしている負けず嫌いなところはニールの兄弟という感じだ。
そしてミスター・ブシドー登場。ミスター・ブシドーですよ、ミスター・ブシドー。EDのテロップでもミスター・ブシドー。どんな窮地であれミスター・ブシドー。さすがだよ00…!なんという僥倖…!そしてMSに乗っているときのかれのヘルメットが鬼のようで、さすがだと思った。
「CBは私情で動いている」という分析はなかなかどうして面白い。イオリアの信条にのっとって戦争根絶のためだけに行動した四年前とは皆の心があまりにも違うことは事実だ。では、私情で動くことと、それぞれが戦う理由を見出すことは何が違うのか。
マリナに対しては若干声音が和らぐ刹那。戦いでは何もかもを失くしていくばかり、と言うマリナに対して「破壊の中から生み出せるものもある」と刹那は言った。
沙慈はイアンと会話。誰の話だという特定はしないまま、マイスターやクルーの過去をかいつまんでイアンは沙慈に話す。テロで家族を失ったもの、テロリストに仕立て上げられたもの、様々な人間がいる。ただ自分の過ごしてきた狭い空間だけでものさしを作るのではなく、「世界にはそういう現実があるんだ」ということを沙慈は知らなくてはいけない。そういうものから逃げ続けることが出来ないところまで、事態は来ている。ティエリアに言われた通り、自分の世界を自分の眼で見ることの準備を、意識しないまま沙慈はし始めている。イアンの戦う理由は、戦争を失くすこと、だった。
アレルヤとスメラギの対話。自分の世界を始めてくれたマリーを取り戻すことが、自分と同じ境遇の子供たちを抹殺し終えたあと、どこか抜け殻のようになっていたアレルヤの戦う理由になった。過去を拭いたくて戦いに身を投じたけれど、救われることなどなかったスメラギは戦う理由を見つけられない。見つけられる、とアレルヤに優しく諭されたスメラギは、皆で撮った写真を眺めてもはやこの世にいない仲間たちの名前を呼び、最後に「エミリオ…」と呟いた。これが彼女のとんでもないことをしでかした、としか言われない過去に関係している人間の名前なのだろう。
かれらがそれぞれに抱く戦う理由を、今のティエリアは否定しない。かれの理由は最初からブレないままなのだろうか。
戦いの中で、刹那は少しの迷いを覚える。一緒にアザディスタンに行かないかと言うマリナの言葉がかれを迷わせる。それはほんの一瞬で、刹那は誰にも違和感を感じられることがないまますぐに戦闘に戻ったけれど、これは刹那がおそらく初めて見せた迷いだ。ガンダムに乗って戦うこと、武力に武力を注いで、それでも圧倒的な力でひれ伏させて暴力を
否定することがかれの全てだった。そのことについて、かれが迷っているところは知らない。そんな刹那が一瞬迷った。これは大きな変化だ。命取りになるのか、成熟した大人になる直前だからこそのブレなのか。
敏感に察知してくれる仲間がいない今、かれは必死でひとり立っているのだろうか。
戦うことに理由はいらない。理由があってもなくても、それは戦いでしかないからだ。けれど、自分の感情と向きあって探ることで、答えが自ずと出てくる場合もある。それを言葉にすることで、誰かに知っていてほしいという欲求が満たされ、己の決意を確固たるものにしようと言う意志も沸くだろう。けれど、理由があることは、ひとを強くする。何度破れても立ち上がれる、そういう心の強さをくれる。
お色気担当スメラギさんがちょっとばかりサービス。普段、あんだけシャツのボタンをはだけて谷間を惜しげもなく晒している人が、多少スーツが小さいくらいで照れるのだろうか。つんでれ?
そしてカタギリさんが遂に発起。ブシドーの言う「カタギリ司令」というのはビリーさんのおじさまにあたるようだ。いまのところ二期はBパートのあとにEDが入ってCパート、という構成を選んでいる。この作りだとヒキがとても印象的だし、毎回急展開なので楽しみだ。
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2008.10.26 Sunday
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堀田きいち「君と僕。」6
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堀田きいち「君と僕。」6
相変わらずゆるゆるな日常が続いているけれど、少しずつ、そうではない日の予兆も描かれはじめている。今回出てきたひとつ上の学年である高3生は、受験目前でピリピリしている。苛立ちと焦りで大切な彼女にも優しくできず、少しの時間も穏やかに過ごせない。そんなかれの振る舞いを冷めた目で見て、いつものように茶化しているかれらだけれど、一年経てばそうなるのだ、と先輩であるその男が言っていた。祐希が他人を蹴落とす勢いで勉強に励んだり、春が他人への気遣いを忘れたりするようには見えないけれど、可能性とは皆無ではない。永遠に続きそうなかれらの日常は、それでもゆっくりと進んでいる。考えればすぐ分かることではあるけれど、結構動揺した。
もうひとつの大きな変化は、ここへきて千鶴がメリーに告白したことだ。メリーがどんなに春を好きなのか、誰よりも知っているのが千鶴だ。素直になれない彼女の心情も、結実しなかった精一杯の努力も、自己嫌悪も、千鶴は一番近くで見ていた。かなわないと分かっていて言わなかっただろうに、葛藤するメリーにようやく告げた。
メリーの微妙なリアクションからして、結果が出るのはまだまだ先だろうけれど、上手く行くといいなあ。でも春も他の女の子の告白を断っていたので、見込みが全くないわけでもない、ような。誰もがまだ、自分の中に生じ始めた恋愛未満の曖昧な感情とうまく向き合えずにいる。いまはきっとこれでいいのだ。
要の眼鏡エピソードも面白かった。いつから要は眼鏡になったんだっけ、という話題において「生まれた時からめがねとセットだったよ」「その(=中学の)ころから色めがねで物事見る子ではあったけどね」と散々な双子。こういうちょっとした掛け合い漫才のような台詞の応酬がとても面白い。
祐希に心酔している後輩の物語も良かった。祐希を尊敬する余りかれを主役にした漫画を書こうとするのだが、なまじっかいつも祐希をみているのでかれを存分に理解しており、まともなストーリーが成り立たないのだ。後輩の漫画を取り上げて読む祐希と、あわあわしている後輩のやり取りも可愛らしい。
かれらにとって一番自由で一番バカで、そしておそらく一番楽しいこのモラトリアムが続くといい、と思ってしまう一冊。
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