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和泉桂「雛鳥は愛で孵る」

和泉桂「雛鳥は愛で孵る」
嘯風館で事務として働く羽鳥充は、父親同士が一卵性双生児で、本人も自分と瓜二つの従兄弟羽鳥智にいきなり一時間だけ身代わりになってくれと頼まれる。嘯風館でバイトする傍ら一流の俳優を目指している智は、今度オーディションがある映画の原作者の都築と、自分のふりをして会話をして欲しいというのだ。元々作品の大ファンだった充は断りきれず、見た目はそっくりだけど中身は正反対の智として都築に近づく。

嘯風館第二弾、でもいきなりこっちから読んでも意味は分かると思う。

顔かたちがそっくりであることを気付かせないくらい、充と智は内面が違う。元々あまり見た目に興味がなく、両親を亡くして智の家で面倒をみてもらったという負い目もあって非常に大人しい充。好奇心旺盛で向上心があり、人見知りをせずに自分の気持ちを素直に言葉にできる智。そんな智は充になついているけれど、そのことが却って充のコンプレックスを刺激する。智が羨ましくて仕方がない充は、魅力的な智のことを好きだけれど、かれとずっと一緒にいるとそれ以上に自尊心が傷ついてしまう。
そのために家を出て一人暮らしをし始めたのに、智は充の就職先でバイトを始める。薄れるはずだったコンプレックスは燻り続け、その結果として充は自分に自信が全くない青年になってしまった。

自分を最初に会った「智」だと思っている都築にも、なかなか充は本当の事が言えない。それは嘘をついていたことを怒られたり嫌われたりするのではないかという恐怖からではなく、別人であると分かった智ともう一度会われたら、都築の気持ちが自分から充に放れて行ってしまうと思っているからだ。徹底したネガティブの充はその結果頑なになり、都築の言葉も信じ切れない。恋愛に晩生な充が混乱したり慌てたり苦悩しているところがいじらしくて可笑しくて良い。まさに雛鳥。

野暮ったい眼鏡、という設定の充の黒縁眼鏡のダサさがとてもいい。ザ・瓶底眼鏡。どうして表紙が瓶底じゃないのかと問い詰めたいくらいに勿体無い。智と二人の挿絵は、二人の違いがよく分かって良い感じ。

学生時代に本屋でアルバイトしていた充が、たまたま店で都築と出会い、言葉を交わすシーンがある。このことで充は元々ファンだった都築への思いを更に強め、数年後に智にいきなり都築と会話してくれと言われても応じたのだと思う。好きな作家である都築が、きちんと肉体を持って存在しているのだとその時初めて充は実感したのかもしれない。その実感があったからこそ、感想を本人に伝えたいと思ったのだろう。そういう充の大切な過去が、都築と親しくなってから話題に上がらなかったことにちょっと驚いた。どこかで「あの時実は…」というバラシが入ると思っていたのだが。

何をするのも初めてで、何でもかんでも都築に質問や確認をしていた雛鳥・充もいずれは雛ではなくなる。元々大人しいだけで仕事もできるし要領も良いし、近い将来孵化してきれいな大人の鳥になって、都築をそうとは知らずに振り回すのだろう。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 23:52 | - | - |

和泉桂「佳人は愛で綻びる」

和泉桂「佳人は愛で綻びる」
それぞれ数百万と言われている入会費と年会費を支払い、オーナーによる面接を受けないと会員になれない社交クラブ嘯風館に通う実紀は、最近嘯風館で見かけるようになった高階と交換条件を結ぶ。経営不振の父の会社を救うべく援助してくれる男の愛人になることにした実紀は恋愛の術を、高階は祖母が決めたまだ見ぬ婚約者の機嫌を取るために社交性を互いから学ぶために、二人の関係が始まる。

嘯風館シリーズその一は、世間知らずなりに家族の役に立とうと発起したお坊ちゃまと、復讐を兼ねたビジネスを成功させるために会った事もない人間と結婚するやり手の金持ち男の物語。

こういうガッチガチの設定ものは好きだ。嘯風館は大正・昭和初期の雰囲気を色濃く残した会員制の社交クラブだ。女人禁制なことも災いして巷ではまことしやかに悪い噂を立てられているけれど、実際のところはそういう下世話なシステムなど一切なく、お酒を飲んだり語り合ったりする純然たる社交クラブである。ただ、参加している会員たちが並外れた権力者だというだけだ。
一般人が思い浮かべるセレブのイメージの中にありそうなこの会員制クラブというモチーフをきっちり設定として成り立つレベルまで昇華しているところが良い。
BLはファンタジーだから、設定がきちんとしていたらどこにでも行ける。

見ず知らずの男の愛人になると決めた実紀と、見ず知らずの女と結婚すると決めた高階は、ろくに自分の事情を語らぬまま行動を共にする。お互いが相手の裏をかこうとしているうちに芽生えた感情を押し殺して、期間限定の日々を堪能することに必死になる。

数ヶ月後には誰とも知らぬ男の愛人になり、おそらくそのまま自由など永遠に得られないと考えている実紀は、それまでの間自分がどうすべきなのかという答えを見出せずにいる。残された時間が少ないからこそ好きに振舞うべきか、いつかは終わってしまうのだから我慢すべきか、本当に道はないのか。裕福な家で甘やかされて育ってきた少年には、どうすればいいのか分かるはずもない。
あまり幸福とはいえない生い立ちもあって屈折した性格の持ち主である高階もまた、どうするのが最善の策なのかを迷っている。駆け引きをして主導権を握ろうとしても、何の作為もない実紀の行動に翻弄される。

展開としては最後真相が明らかになるところまで一貫してベタに次ぐベタっぷりで少し苦し紛れの部分もあるのだが、設定とキャラの濃さで作品として成り立っている。嘯風館の中ではみんなが浮世のことを忘れられるのか、現代ではおそらく誰もしないような振る舞いが出来てしまう。芝居がかった行為も、嘯風館においては通用する。設定勝ち、というところか。

同時収録の短編「冷たい情熱」は、高階の元秘書安達と、かれの先輩の更に先輩である辻谷の物語。利益を最優先するあまり高階とひと悶着あった安達は、初対面の辻谷が自分と同じように高階に鬱屈を抱えていると考え、共同戦線を貼るべくかまをかける。
こちらはもうザッツ和泉桂、というストーリー。調教が好きだと豪語する和泉さんらしい、深沢と和貴ばりの調教。強気で勝気な男が支配されること、奪われることに幸福を見出していくというお馴染みの展開。短編なので展開が早く、過程が物足りなくも感じるのだが、それを凌駕するくらい作者が楽しんでいる感じが伝わってくる。これはこれで良いんじゃないかしら。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 22:53 | - | - |

夏目友人帳 第八話「儚い光」

地味な男の子がピンクとか着ると非常に萌える。夏目のワードローブは使い回しが多くて、それがその辺の高校生っぽくて好きだ。相変わらず人付き合いが苦手で、章史さんとの会話もぎこちない夏目が良い。

先生は肩に乗ったり背中にしがみついたり、だっこされたりおんぶされたり、自分で歩いたりと移動手段のバリエーションが豊富。あーかわいい。
夜道を二人が走るとき、最初から先生の背中に乗れば早いのに、どちらもそうとは言い出さない。緊急事態になったり、不便さがわかってから初めて斑に変身した先生が一足飛びに連れて行ってくれる。この距離感がたまらない。

蛍のエピソードはとても切ない。自分のことを見ることすらできない相手との再会をひたすら待ち望んでいた燕も切なかったけれど、最初は見えていた分蛍の絶望は計り知れない。話をして、一緒に遊んで、触れ合うこともできたのに、いきなり全てが絶たれてしまう。目の前にいる自分を探して絶叫する男を見て、蛍はどれほど哀しかっただろうか。傍にいるのかもしれない蛍を見つけてやれない章史は、どれほど辛かっただろうか。
章史以外に誰も好きになれなかった蛍は、もうじき結婚するという章史を心から祝福する。章史の苦悩を知っていたからこそ、章史を愛しているからこそ、かれの幸せを自分のものとした。
蛍のことを過去の話として夏目に伝える章史の真横に寄り添っている蛍がたまらなく切ない。

そのことを見た夏目は、自分もまた章史のようになるかもしれない、見えなくなるかもしれないという可能性を知ってしまう。蛍が言った「お前もいつの日か見えなるだろうか」という言葉が夏目を苦しめる。そのことを考えたときにふと口をついた「いやだ」という言葉がとてもさりげない口調で、その分本音なのだろうと思わせてくれる。明日来るかもしれないその日が果たして「解放なのだろうか それとも」と夏目自身も答えを出せずにいる。

眠っている夏目に近寄ってくる蛍に対して、「俺は章史さんじゃないよ」と言う台詞が物凄く優しい声音で、とても哀しかった。蛍の哀しみが夏目に伝染する。そしてそこに引きずり込まれない先生。バランスが良い。

見えなくなることへの恐怖が拭えない夏目に対して先生は、夏目が見えなくなっても「逃がさんからな」と言う。それは最後まで一緒にいてやる、という何よりも安心できる約束だ。そう言われた夏目がうずくまって先生を抱き上げて、無表情のまま見詰め合うシーンで泣きそうになった。夏目の視点から見た先生が上目遣いで可愛すぎる。シチュエーションによって大きさが変化している気もするが問題ない。
先生が憎まれ口を聞くように、夏目もまた軽口で返す。「約束だろ、先生」と言われた先生がにゅふ、と笑ったのがもう超可愛くて困る。依存しすぎない二人の関係は、言葉よりも信頼できるもの、言葉よりも雄弁なものに溢れている。今回はどこを切っても好きだ。
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posted by: mngn1012 | アニメ | 01:05 | - | - |

安芸まくら「明日も愛してる」

安芸まくら「明日も愛してる」
朝起きると知らない場所にいた櫂は、自分が13分しか記憶を保てず、その生活を17年間過ごし続けていると記されたファイルを見つける。訳がわからず戸惑っていると、ハウスキーパーを自称するツダという男が現れる。

どういう理由なのかは知らないが、今まで木原音瀬作品しか発行してこなかったホリーノベルズが、遂に他の作家の本を出した。その第一弾がこれ。
しかしまあなんという嗅覚を持って見つけてきたのだろう、といいたくなるような作品だ。決して木原さんと作風が似ているというわけではないのだが、一筋縄ではいかなさ加減は負けずとも劣らず。

現在35歳の櫂の記憶は18歳の大学生当時で止まっている。それまでのことは大体思い出せるけれど、その先の17年間の記憶がない。5年前に事故に合って、現在では記憶を13分しか保っていられない。セットしてから11分後にアラームがなる腕時計を常にはめて、その度に覚えておきたいことを反芻する。自転車に乗れるという記憶がなくても自転車には乗れるように、アラームが鳴るとそのことを思い出すことができる。
とは言うものの、13分ごとに全てがリセットされるということもなさそうだ。ついさっき自分が言った事や、自己紹介したばかりの津田の名前を忘れたりもするけれど、毎回慌てて状況判断が全くできないばかりでもないようだ。眠ると記憶がゼロになる、と言っていたので、眠らなければゼロになるわけではないようだ。読んだ印象では、起きているときは断続的に記憶が残ったり消えたりしているようだ。

自分がどうやって17年間生きていたのか全く知らない櫂に対して、津田は状況に応じて色々なことを言う。クラブオーナーだと言ったり、派遣されたデリヘルボーイだと言ったり、塾の講師だと言ったりして、真実がどれなのかははっきりと明かされない。おそらくこれが真実ないしはそれに近いことなんだろうという発言はあるけれど、確信はない。どうやって出逢ったのか、どうやって付き合うようになったのか、どういう事故にあったのか、それらは全て想像で補うしかない。
ぶつぎれのフィルムを上映されているようなもどかしさは、自分の足元が永遠に固まらない櫂の葛藤と共鳴する。意識が戻るといきなり知らない男に告白されたり、裸で一緒に眠っていたりする衝撃の中、更にお前は記憶が13分しか保てないのだと教えられる。どれを信じたらいいのかわからないという意味では、櫂とわたしたち読者はイコールで結ばれる。この困惑によってどんどん話に入り込んでいくことになる。

そんな櫂に向けられる津田の愛情が切ない。職業も年齢も何も明らかにならない津田がどのようにして二人分の生活を保っているのか、最初に三日間不在にしたのはどんな関係があるのか、何も分からない。ただ他に情報がない分、櫂を尋常ならざる強さで思っていることだけが痛いほどに伝わってくる。
ハウスキーパーとして仕事のふりで世話を焼いたり、男娼を買った変な性癖の男を演じたり、飲み屋で意気投合した他人のふりをしたり、かと思えば熱烈に愛情を伝えたりもする。それらは全て、その時の櫂にもっとも相応しいかたちを津田が選択しているのだ。恋人に対して一日に何十回も津田は自己紹介をし続けたのだろう。そんな日々を何年も続けてきたのだろう。
過去の二人の会話から、事故直後から出た症状なのではないと察することが出来る。徐々に忘れていく櫂を、少しずつ記憶を保つ時間が短くなっていく櫂を津田はどんな思いで見つめたのか。どんな言葉でかれを支え、どんな苦悩を抱いたのだろうか。想像の数だけ答えがあるのだと思うけれど、どんな想像も等しく哀しい。

ラストにいきなり浮上した津田の小指の話にも驚いた。原因は明かされないままだが、事故と関係があるのだろうか。それとも出逢った頃からそうだったのか、どんな行動を取るのか知れない櫂の起こす何らかの事象によって起きたのか。
二人の出会いから事故までの四年間同様に、描かれないことが、何よりも雄弁に語ってくれる。

その後の旅館での朝のシーンがとても好きだ。自分を知らない男、これから先も知ることのない相手を愛し続けることは本当に恋や愛なのか。惰性や習慣ではないのか。付き合って九年、と津田は言った。事故がおきたのが五年前だから、既に事故った後の櫂との付き合いのほうが長いことになる。きっと想像を絶する苦悩をしたであろう津田は、櫂にずっと幸せにする魔法をかけられているのだと考えるようになった。
最後の津田の自己紹介は泣ける。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 23:04 | - | - |

榎田尤利「獅子は獲物に手懐けられる」

榎田尤利「獅子は獲物に手懐けられる」
幼い頃のある出来事が原因で義兄に恨まれ続けている医者千昭はある日、自宅で何者かに襲われかける。それは義兄の深見に雇われた会員制デートクラブに勤務する真だった。

「犬ほど素敵な商売はない」<AA>の主役倖生が勤めていた会員制デートクラブ『Pet Lovers』に真も勤めているのだが、前作のキャラが出てきたりするようなことは特にないのでこれから読んでも問題なし。

ライオンのような真に「ガゼルだ」と言われた通り、千昭は義兄にひたすら搾取される生活を何年も送っていた。病気の母と学生の妹が人質であるかのような脅しをかけられ、恒常的に暴力を振るわれて金を奪われる。深見がホモフォビアであることが唯一の救いだったけれど、他人を使うことで千昭の性すら辱めようとしてくる。深見の一連の行動に対する反撃の手立てはひとつもなく、千昭はただ耐えるしかなかった。その生活を繰り返し続けた千昭は、義兄が何かしてくるのをただ怯えて構え、諦めることで毎日をやり過ごしている。
既に抵抗することすら考えられず、絶望しながら生きている、感情を押し殺したキャラは好きだ。あらゆる期待や対策はこれまでに悉く打ち砕かれたのだろう、期待する時期をもう終えているので、真からの質問にもまともに応じようとしない。頑なになることで更なる被害を少しでも防いでいる千昭に、深見は更なる暴力を発案する。ここが最下層だ、今が一番最悪なのだといくら思っても、更に酷い目に合わされる。最後の希望まで握りつぶされて、蟻地獄のようにずるずる引きずられていく様子が残酷で目が離せない。

真と過ごしたたった一日で千昭は変化する。お互いに演技だと言いながら始めた言葉遊びに本気になり、現実と設定の境界が曖昧になっていく。他の多くの人間がとっくに経験したようなことや、大切だとすら思わないであろう些細なことのひとつひとつに反応する千昭が哀れだ。それは単に今まで知らずにいたからというだけではなく、また翌日から同じ地獄が永遠に続くと判っているからだ。何よりも自由に憧れている千昭は、決して足枷を外すことができないことを自覚している。

ライオンに解放された「痣だらけのガゼル」は一日だけ肉食獣のように振舞って、またガゼルに戻る。深見が本人や他人によって齎してくる残虐な行為の描写はなかなか壮絶だ。どれもこれもかなり酷かったけれど、お母さんの件は取り返しがつかないだけに救われなくて驚いた。あんまりだ。このフォローのない仕打ちは後味が悪いけれど、悪役としては完璧だ。こんなに庇えない悪役もなかなかいない。
とうとう生きる気力すら失っていく千昭が、真と交わす会話が切ない。辛ければ辛いほど、楽しかった日が思い出されて余計に辛くなる。似た会話を交わしているのに、その時と今とではあまりに状況が違いすぎる。

さすがにあとは上手くいくだけだろう、と思ってからもまだまだ気が抜けない。言葉遊びから生まれた罰ゲームがそのままになっていたのがちょっと残念だが、徹底的な深見の嫌がらせ、そして明かされていく真実とあらゆる事件の回収っぷりがさすがに面白い。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 15:40 | - | - |

夏目友人帳 第七話「子狐のぼうし」 

今回いつもより夏目の体格がよろしい気がする。ガチムチとまでは言わないが、比較的がっちり。子狐が小さいから余計にそう感じるのかもしれない。

先生のアクビが可愛すぎる。舌が可愛い。

夏目の友人二人が何を思ってあの陰気で嘘っぽい笑みを浮かべた、私生活の見えない、いつもネコを連れた転校生と仲良くしているのかわからないが、かれらは夏目の日常に過度の干渉をしない良い友人だ。その所為で夏目の壁は壊されないままなのだが、干渉されたら話が進まないのでこれで良いのだ。
そんな友人たちとそれなりに仲良くしている感じだが、それでも夏目にしてみれば大きな進歩だ。しかしその様子を見た子狐は「なんか嘘っぽい」「言葉も仕草も気配もどこか嘘っぽい」と感じる。挙句「本当は人間じゃないのかも」「僕と同じ人間に化けてて」「僕と同じひとりぼっちで」とすら思う。結果だけいえばこれは勿論間違いなのだけれど、どうしようもない孤独を抱えながらも異質のものに擬態しているという意味では正解だと言えなくもない。夏目の孤独に子狐は自分の孤独を共鳴させる。

子狐のピンチのたびに助けに入り、存在価値や人間関係は「役に立つ立たないじゃないんだ」と夏目は諭す。それは本人が友人や今の家族から教わったことであり、おそらく先生からも教わったことであり、不安定になる自分に言い聞かせていることなのだろう。

みんなが釣った魚を食う先生。かわいい。

窮地を何度も助け、子狐の精一杯の気遣いに感謝の意を示し、家まで来た子狐を追いかけて、ついには「今度は俺が会いにいくよ」などとのたまう夏目は王子様のようだ。結構天然で魔性。先生もコミで三人で電車で眠っているところが可愛い。

矢島さんが出ているたびに思うが、クレしんと同じ人だとは思えない…。
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posted by: mngn1012 | アニメ | 11:50 | - | - |

A Noble was Born in Chaos@OSAKA MUSE

versaillesワンマン行ってきた。

なかなかの満員御礼。
開演時間くらいに中に入ったらドア周辺は人だらけ。下手は比較的スペースがあったので、名古屋の魂を抱い下手へ。
イベントに比べて男性が多い。開演まで延々クラシックが流れていたのだが、荘厳な雰囲気というよりはのんびりとした名曲喫茶のようだった。いまいちノーブルになりきれないこのあたりの温度が良い。

暗転して「We are!」「versailles!」の掛け合い起きる中メンバー登場。正直このメンバーが出てくるまでのこの掛け合いが一番盛り上がっていた気さえするくらい、勢いがあった。

「Prelude」から「Aristocrat's Symphony」〜「Zombie」までは『NOBLE』の流れそのもの。途中でドラムソロを挟んで、メンバーが戻ってきて「INTRO」から今度は『Lyrical Sympathy』の流れで演奏。最後はバラードが続き、本編ラストは「History Of The Other Side」で幕が閉じる。
アンコールの掛け声はどこからともなく起きる「We are!」「versailles!」のコール&レスポンス。「After Cloudia」「The Red Carpet Day」の二曲。
もう一度アンコールが起きて、最後は「The Revenant Choir」だった。曲が終わったあと、メンバーが一列に並んで手を繋いで万歳、でおしまい。

音源になっている曲は殆どやったはず。MCは短めでひたすら曲を詰め込んだようなセットリストで満足。
CDのクオリティが結構高いので再現率が及第点に到達していないところも多々あったけれど、これは経験値が上がるにつれてそれなりに解決していく問題だと思う。
そう言えば大阪初ライヴを見たのも同じOSAKA MUSEだったが、その頃と比べるとメンバーの動きは変化したように思う。全員で合わせたターンのように作られた演出としてのアクションも見ごたえがあって凄く好きなのだが、今の自由な動きもライヴ然としていて良い。しかしKAMIJOがマントを翻したり、メンバーが全員でターンしたり、メンバーが全員一斉に前に出てきたりすると華やかなパレードのようでテンションが上がるので、これはこれで残しておいて欲しい。

ヴェルサイユの音楽以外の世界観を率先して構築しているのがKAMIJOだとするならば、それを率先してぶち壊しているのもKAMIJOだ。個人的には完璧なものよりは多少破綻しているもののほうが好きだし、欠けたところが魅力でもある。おそらく先を考えずに話しているあたりや、失笑をかって盛り上がっていたテンションを下げてしまう台無し感がKAMIJOならではなので愛しくもあるけれど、失言がちょくちょくあるのが心配。このバンドがどうなっていくのかは勿論誰にもわからないけれど、それこそこのまま注目されて世界規模で活動していくときに枷にならないと良いのだけれど。
「楽しく、激しく、美しく暴れて行こうかー!」「次の曲(=「After Cloudia」)で頭振らない奴は頭が高い!」とかもあったけれど、これは失笑レベルなので別にいい。前回の大阪のMCで言っていた草メタルの話をまたして、男性陣が沸いていた。薔薇の末裔なのにメタルだったり、物販のタオルを回したりするあたりのアンバランスさが好きだ。

客のアンコールを受けて、「俺たちがversaillesだー!」とKAMIJOが叫んでいた。ファンのコールにしてもこの絶叫にしても、もうすぐ”versailles”でなくなることへの焦りがあるのかもしれない。

盛った頭でヘドバンして、涼しい顔をしているHIZAKIは隙がない。姫袖で客席を煽るギターヒーロー。かと思えばかと思えば最後にメンバーが一列に並んだときに一人ドラムの設置されている段に登り、他のメンバーを見下ろして身長を比べるような仕草をして笑ってみたりする。あまり女形のひとを見て可愛いと思うことは普段ないのだが、いやあ可愛いのなんの。物販より実物のほうが可愛いっていうのは何なのだろう。

ライヴだとまだ視覚が齎す衝撃に音楽が負けているようにも思うが、なんだかんだで好きなバンドだ。また見たい。
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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 15:55 | - | - |

るるる

梅田で厨と待ち合わせて、久し振りにJane以外の洋服を色々と見た。秋冬はとりあえず必要以上にテンションが上がるのだが、中でもキャシャレルの秋物にイーリーキシモトが参加したというのが一番やばかった。可愛いの何の。値段は全然可愛くないのだが、イーリーに比べたらまだキャシャレルのほうが可愛いような気さえする。しかし普通に膝まであるコートと、ショート丈のジャケットが同じ値段だということが理解しがたい…。

それとは全く関係ないヴィヴィアンのどう見てもクリスマスなハンカチを買った。使うのではなく部屋にかざる。持ち歩く分にはハンカチよりもミニタオルのほうが便利なので隙です。
一時間くらい興奮したら疲れたので、昼食前だと言うのにマールブランシュでケーキを食べた。

そしてひーたそと合流してつるとんたんへ。ずっと行きたかったのだがなかなかチャンスがなく、去年の冬ぶりだったので迷わずに行けるのかが不安だったけれど、文殊の知恵を発揮して三人で無事に到着した。これで次からは自力で行ける筈。
明太子クリームのおうどんを食す。比較対照は煙草。皆麺の量は同じなのだが、クリームだからなのかわたしの器が一番ばかでかかった。
つるとんたん
どれもこれもおいしかった。明太クリームは想像以上に明太子が沢山入っていてお得な感じ。すだちのおうどんは何玉でも食べられそうだ。カレーはとろとろの牛すじがたくさん入っている甘めのカレーで、これまた美味しかったのだが、かなりお腹が膨れる。

その後厨さまと別れて二人で心斎橋へ。
Emily Temple Luluというシャーリーの新ラインを見に行く。えみりーてんぷるるる!
Lulu自体も可愛いし、ラインの洋服もどれもこれも可愛いのだが、サイズ展開が子供服で140まで?らしいので入るわけがなく。しかもLuluにせよシャーリーにせよ、可愛いと思うものに限ってエミキュで展開されていないという切なさ。ノベルティの ショッピングバッグも可愛かった。
そして本屋でspoon.を立ち読みしてエミキュの秋物&誌上通販限定商品にひーたそと発狂。ベレー帽が超可愛い。黒ベレーは夏物しか持っていないので買っちゃおうかしら。ロゴソックスもかわいい。王冠カットソーも良い感じ。

MILK&エミキュに行ってお買い物する翡翠さんを横目に色々物色。もうコートが出ていた。秋ってステキ!
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posted by: mngn1012 | 日常 | 15:02 | - | - |

柵に乗り上げ掛かって来いと叫ぶのもまた愛なわけで

バンド側で情報が出ていたので。
映画づいている荒木さんの新作に動揺を隠しきれない。何がどうなったのかヴィジュアル系バンドの青春映画、である。
SuGとSCREWのオフィから行けるエキストラ募集フォーム(締め切り)


理央さまの影響とは言え私服が黒ずくめ+シルバーアクセだったり、ヴィヴィアンのアクセを多様したり、雑誌でもh.naotoを着たりと、バンギャルに優しい立ち位置だと思っていたら、遂にバンドマンになる、らしい。

バンギャルは無意識にあらゆる男子について、化粧が似合うか否かを判断しているところがあると思う。少なくともわたしの周りでは、このひとは化粧映えするか否かという討論は幾度となく繰り返された話題である。その観点から見ると荒木さんは似合うだろうとずっと思っていたし、写真集のパイレーツコスもかなりよかったので、その辺りは楽しみ。今の爽やか青年な感じもかなり良いんだけれど、化粧した男子が好きな気持ちには勝てず。化粧した荒木がエリアに立ったりしたら萌え死ぬ。

問題の内容は全くわからないので、震えて待つか。衣装と化粧に全力投球してくれたらいい。
寧ろカヒミカリィが好きでオシャレポップがやりたい荒木さんが女社長に無理矢理化粧させられる話でいいんじゃないの。マント的な意味で。

しかしわたしの節操のなさは自他ともに認めるところだと思うのだが、そんな中珍しく全く食指が動かなかったPS COMPANYにこんなところで巡り会うとは思わなかった。

アクエリアンエイジにせよ篠谷聖の写真にせよ、若手俳優とヴィジュアル系のコラボが地味に存在するのは、テニミュや特撮を好むおたくとバンギャルがかなりニアな存在だからなんだろうなあ、と我が身を振り返ってみる。

ひとまず関西でやりますように!

日程すらはっきりしないエキストラへの応募は、気持ち的にもスケジュール的にも無理なのだが、自分が今大学生なら行ったかもしれないなー。好きな俳優に向かって咲くことなんて多分今後一生できないし。
※実際に咲けるかどうかは知りません。
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posted by: mngn1012 | 日常 | 23:54 | - | - |

ヤマシタトモコ「イルミナシオン」

ヤマシタトモコ「イルミナシオン」
女たらしの幼馴染みをずっと思っている幹田、偶然飲み屋で話しかけた幹田と関係を持ったゲイの州田、いきなり疎遠になった幹田の態度に戸惑う幼馴染みの小矢。平穏な日常が崩れていくことが皆辛いのに、それでも止まらない。

誰もが抱いているうまく言葉にできない曖昧な感情や、煮え切らない微妙な関係というものを書かせるとヤマシタトモコは最高に上手い。どうしようもないもどかしさ、何もかも投げ出してしまいたいほどの苛立ち、それだけで死んでしまえるくらいの慢性的な孤独。お互いに仲良くしたいと思っているのに、言葉が通じないかのように理解しあえない。ディスコミュニケーションが生み出すあらゆる感情がヤマシタトモコの作品には詰まっている。

表題作「イルミナシオン」は三角関係にすらなっていない、友情と愛情の微妙な三つ巴が描かれている。それぞれの視点で描かれた三話完結という形式によって、全てのキャラの葛藤が見える。同性の友人を好きになった男も、彼女の話までしていた友人に肉体込みで恋われていた男も、性格と性癖の所為で恋が成就しない男も、いつだって苦悩している。誰かに優しくすることは、誰かをおざなりにすることだ。誰かを選ぶことは、誰かを切り捨てることだ。
それぞれの立場からみたモノローグが秀逸すぎる。好きなところが多すぎて、良いところが多すぎて抜き出して提示できないくらいにたまらない。大切なところにマーカーを引きだしたらあれもこれも大切で、気付いたら教科書が丸々ピンクの線に覆われていたかのように、全てが好みで困惑する。

ずっと好きなひとの相談を、目の前にいる本人に向かってしている男の物語「ラブとかいうらしい」も切ない。「もしおれがその好かれてるやつだとしたら」と相手は言う。当事者になったつもりで、自分ならどう思うのかを切々と説く。その仮定が仮定ではなく現実だと知ったら、かれはどうするだろうか。仮定と同じように誰かに思われることの偉大さを噛み締めるだろうか、それとも自分に矛先が向かってきた途端に目の色を変えるだろうか。どちらにせよ、冷静に恋愛相談を聞いているかれはその相手が好きなわけではない。それだけは確実で、だから男は告白をしないのだろう。
自分を好きでいてくれてありがとう、でも君の気持ちには応えられないなんて言われることと、気持ち悪いと一蹴されることは、受け入れてもらえないという意味では何も違わない。返事がどっちであれ、一度気持ちを言ってしまったら、もう二度とかれは自分が使っているひざ掛けの中に男を誘わないだろう。かれの膝の温かみを知ってしまったらもう、知らなかったころには戻れない。
「フォギー・シーン」にも似た、大切すぎて今の関係を壊すのが恐くて、受け入れられなくても構わないからと告白することができない男の物語。

「ばらといばらとばらばらのばらん」は自分が好きな男を、同じ種類の感情で思っているであろうクラスメイトと何故か仲良くなった少女の物語。強気で口が悪くて正義感がそれなりにある普通の女の子の目から見た、叶わない恋が描かれている。「ベイビー、ハートに釘」っぽい設定だけれど、この場合はもっと残酷だ。自分がひとを憎みたくなくて、酷い目に合わされている恋敵に手を伸ばす少女の行動理念は判りやすく、若さゆえの愚かさと眩しさがある。

最初からネタが見えているのに最後になるとじわじわと沁みてくる「あの人のこと」は、ショート・ショートのノリがある。ヤマシタさんの漫画はモノローグにせよ台詞にせよ、あまり現代の漫画では使わないような独特の少し古い言い回しが思わぬところから出てくるのが好きだ。

以前何かのインタビューで存在を知って以来、ずっと読みたかったデビュー作「神の名は夜」も収録。ヤクザの話だった。今よりも大分ストレートな恋愛関係にあるはずの二人だが、回りくどいことを言わない代わりに必要なことも言わない同士というハンデがある。雰囲気と暴力重視の短編だけれど、ぶつ切りのフィルムを見ているような感覚になれて面白い。

これを読むと「くいもの処明楽」のような、ネガキャラがいても最終的には明朗快活なハッピーエンドラブストーリーのほうが寧ろイレギュラーなのだと思えてくる。とにかくヤマシタトモコが相変わらず好きでたまらない。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 23:10 | - | - |