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「ノンフィクションW 蜷川幸雄〜それでも演劇は希望を探す」「トロイアの女たち」

「ノンフィクションW 蜷川幸雄〜それでも演劇は希望を探す」
WOWOWで放送された45分のドキュメンタリー番組。蜷川幸雄が演出し、日本とイスラエルで上演された舞台「トロイアの女たち」の製作風景や稽古のようすなど。

「トロイアの女たち」は敗戦後、さまざまな困難を味わう女たちについて描かれた、エウリピデスのギリシア悲劇だ。その舞台を演出するに際して蜷川は、日本人・イスラエルに暮らすユダヤ人とパレスチナ人という異なる民族・言語の俳優たちの共演を実施した。日本とイスラエルの国交60周年を記念した政策に参加する条件に、火種の絶えないユダヤ系とパレスチナ系の共演を掲げたのだという。
日本に来たときから、刺激的な試みだと嬉しそうに興奮しているユダヤ系と、仲間から非難されるかもしれないと複雑そうに笑うパレスチナ系の俳優の間には何とも言えない溝がある。ワークショップではちょっとした会話で論争が起こってしまったり、ガザ地区への襲撃が起きたりする。しかし、大きなプロジェクトに参加し、それを成功させようとする俳優としてのかれらの意識と、傍から見れば少し過剰なまでに気を使っている蜷川の手腕によって、次第に三つのグループは大きなひとつのカンパニーになっていく。

三つの言語が登場する舞台のため、それぞれの言語を別の人物が翻訳したものが台本になっている。日本人の日本語、ユダヤ人のヘブライ語、パレスチナ人のアラビア語。ヘブライとアラビアの両方を理解する俳優から見ると、同じ台詞でも訳し方に大きな差があるのだと言う。俳優たちが揃って本を読み合わせて初めて、そのままの台本ではだめだと明らかになる。そしてパレスチナ俳優たち自らが、本を書きなおすことになった。
言葉がばらばらなら感情表現もばらばら。蜷川さんが外国から来た俳優たちにことさら「自由に」と言っていたのには、おそらくいくつかの理由があるのだろう。本人が言っていたように、些細な一言で信頼を失ってしまうことを恐れていたから。「自由に」動いてもらうことで、日本人があまり多く接したことのないかれらの自然な姿、日常的なふるまい、感情から素直に出る動作を知ることができるから。それらを統一せずに一つの舞台に乗せることこそが、狙いだったのだろう。
蜷川が自分たちの芝居について何も言わなかったことが淋しかった、とあとで日本人以外の俳優たちが語っていた。それは上述の通り信頼を失うことを恐れていたという理由もあるだろうが(こういうところがよくもわるくも非常に「普通の」「真っ当な」人であるところだと思う)、日本の演劇を見続け・作り続けてきた蜷川の意見によって、かれららしさを消すことを恐れた部分もあったのだろう。
稽古中、日本人俳優たちには厳しく指導し、それを必ず毎回翻訳して他の国の俳優たちにも伝えさせたと言う。それによって蜷川幸雄の狙い、舞台についての意気込みや解釈を、他のふたつの国の人々にも伝えることができる。

演劇によって何かが変わるとは思わない、と蜷川は言う。ただ、最初の気まずい状況のときでもガザの襲撃のときでも、芝居を作るということ・演劇をするということについて謙虚であったかれらの姿に、希望はある。

***
「トロイアの女たち」
作:エウリピデス
演出:蜷川幸雄

こちらもWOWOWで放映されたもの。
先に上述のドキュメンタリーを見ていたので、話のおおまかな筋も、三つの言語からなるコロス(合唱舞踏団)が同じ台詞を三回ずつ繰り返すことも知っていた。面白い試みだと思う反面、全部の台詞を三回ずつ聞かされるのは辛いのでは・中だるみしてしまうのではないかとも考えていたのだが、全くそんなことはなかった。面白かった。蜷川さんが演出した舞台で、トータルで見てこの作品以上に好きなものは沢山あるけれど、この作品は演出に関して全く文句がない。

ギリシアのメネラオスの妻ヘレネが、トロイアの王子パリスと駆け落ちしたことで始まった戦争は、トロイアの敗北というかたちで幕を閉じる。老いた王妃ヘカベを始めとして、夫や子供を失った女性たちは、奴隷としてギリシアに連行されようとしている。
トロイの木馬とかそういうことは知っていると更に楽しめると思いますが、取り敢えず終戦直後の敗戦国、ということだけ分かっていればいいと思う。

ひとことで言えば、冒頭にあった「死んだものも生き延びたものも哀れ」という台詞が全てを物語っている作品だった。
戦場に赴いたまま帰ってこない、遺体を回収されることも弔われることもなく、浄められることもなく彷徨い続ける父や夫や息子。夫を殺したギリシアに、嫁ぐことを命じられた寡婦。神に誓った独身・純潔を否定され、慰み者になる巫女と、それをどうしてやることもできない母親。ただ勇敢な男の息子だと言うだけで、終戦後にも関わらず、無残な死を与えられる子供とその亡骸を十分に弔うこともできないまま連行される母、そしてなけなしの持ちものでせめて飾り立ててやろうとする祖母。
戦争は終わったのに、女たちの地獄はまだ続く。寧ろ、母国を追われ、知らない土地にばらばらに連れてゆかれ、ここからまた地獄が始まるのだ。そしてそれは、彼女たちの父や夫や息子が奪われ、母国が破壊されてしまった以上、終わることがない。

ほぼ出ずっぱりのトロイア王妃ヘカベ(日本語とヘブライ語では「ヘカベ」だけどアラビア語では「ヘコバ」に近い音なのもおもしろかった!)は白石加代子。白石さんの出ているお芝居見るときは大体白石さんの調子がいまひとつだったんだけど、これは素晴らしかった。王妃の気迫や誇り、母や祖母としての慈しみと悲哀、杖なしで歩くこともつらい老いた身の物悲しさなど、色々なものが交ざり合っている。
そのヘカベを囲むのが、大勢のコロスだ。日本人、ユダヤ人、パレスチナ人と三つの民族に分かれたコロスは順番に同じ台詞を繰り返す。映像で見ていると、日本人が話したあと、ふたつの民族が順番に話すときに字幕が出る。なので日本人コロスが言った聞きとれない部分が(数名で声をそろえて叫ぶので、どうも聞きとれないところが出てくる)あとの二回で補われる。次々繰り返される耳慣れないふたつの言語は、音楽と合わさって、蜷川が言ったように「祈り」めいてくる。

戦争の発端となったヘレネに和央ようか。散々話題だけ・名前だけが出ていて後半ようやく登場するヘレネは、この舞台で異質なまでに着飾っている。つややかな黒い髪はまっすぐのびているし、きちんと化粧をして真っ赤な口紅をひいている。露出度の高い真っ赤なドレスも相俟って、彼女がいかに場違いであるかを雄弁に語る。メネラオスに弁解をする彼女の言葉がどこまで本当なのか。トロイアの女たちは元凶であるヘレネを心底憎んでいるので当然全てを嘘だと断定するし、裏切られたメネラオスも信じない。けれど彼女の言葉が保身と快楽のためだけの嘘だと決めつける証拠も、見ている我々にはないのである。
和央さんだけずっとドスの聞いた口調で話していてすごく違和感があったんだけど、彼女はいつもこうなの…?それとも敢えて選択した芝居なの…?この芝居で唯一腑に落ちなかったのが彼女のヘレネだった。出番少なくてほっとした…。

コロスの台詞には、トロイアやギリシアの土地についての台詞がたくさん含まれている。どこの山がきれいとか、どこの水がいいとか。ギリシア神話の話も混ざって、彼女たちは朗々と謳いあげる。普段あまりこういう本筋と関わらない台詞には興味が持てないんだけれど、台本の言葉が(翻訳された言葉が)美しい所為もあってか、とても魅力的だった。残酷なまでに言葉がきれい。

「哀れな祖国」に別れを告げ、哀れな女たちの地獄が始まる。非常に興味深い芝居だった。

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posted by: mngn1012 | 映像作品 | 15:29 | - | - |

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