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「国家 偽伝、桓武と最澄とその時代」@新国立劇場小劇場 13時公演

作・演出:松枝佳紀

広野のちの最澄:遠藤雄弥
山部のちの桓武天皇:河合龍之介
陽射/泰範:本仮屋リイナ
信念:山田悠介
安殿のちの平城天皇:真山明大

その名の通り、桓武天皇や最澄が生きていた時代についての舞台。チラシのインパクトと、日本人以外の血が入った天皇と高僧という異端の二人についての物語、という説明に惹かれて見に行った。

休憩なしで三時間ほどの物語。会場の中央に舞台を設置し、前と後ろというよりは右と左から見られるようになっている。舞台のところ狭しと沢山の出演者がいくつもの役で出たり入ったり。
白い衣装をまとった出演者たちがほぼ勢ぞろいで登場し、めいめいに話だす。異端の天皇、異端の僧の物語。過去のかれらの判断が、行動が正しかったのか、それを「ここにおられる八百万の神々に判断して頂きたいのです」とかれらは言う。観客であるわれわれは、歴史を見つめ・判断する「神」に役割を与えられる。おおお期待できそう。

と思ったところで、歴ドル小日向えりが、ショートパンツにネイビーのジャケット姿でiPadを抱えて登場。彼女は現代に生きる「小日向えり」自身として舞台に上り、色々なシーンに現れては舞台の説明をする役。「このあと○年後に、XX事件が起こりました」「この行動がきっかけで▼▼はXXを成功しました」というような、本当のナレーション役。バスガイドみたいな立ち位置。
歴史的な出来事への理解、という意味では非常に効果的な役どころだが、物語の余韻をぶち壊してしまうので良いのか悪いのか微妙なところ。当然ながら彼女の知識でアドリブで話すわけではないので、普通に役者さんが担当したほうが聞きやすかったとは思う。
この小日向えりの役どころと、物語の進行具合が相俟って、なんというかNHKの歴史番組のような舞台だった。再現ドラマ多めでお送りする歴史の学習、という感じ。
ひとつひとつのドラマは非常に魅力的なんだけれど、それらを繋いで一本の糸で結ぶために、司会者を入れてしまった。勉強にはなると思うよ…。

朝鮮人の妾を母に持つため、兄でありながら弟・他戸に皇位継承権で負けている青年、山部。かれに「臭き血」が流れているため、他戸に媚びへつらう人間たちは山部を見えないものとして扱うことも多い。しかし他戸は自分にはない強さと明るさ、視野の広さを持つ兄を慕っており、山部も他戸を可愛がっている。いずれ弟が天皇になった時に良い政治をしてほしいと、世間を教えているのだ。
しかし息子たちの気持ちなど、両者の母親は無視する。天皇の正妻である他戸の母は、愚かな部下たちの意見を真に受けて、戸籍のない人間の首をはねることで他戸の目を覚まさせようとする。日本人ではないことで辛い目に会い続けている山部の母は、なんとかして皇后を出し抜いて自分の息子を次の天皇にしようと画策している。
結果、朝廷の権力者である藤原百川にすり寄った山部の母が勝利し、「臭き血」のものだと非難され続けた、混血の山部が桓武天皇となる。
死期が近いことを察している百川には、混血の天皇であれば、腐敗しきった朝廷と奈良の貴族との癒着を断ち切れるのではないか、という希望があった。実際に桓武は朝廷をまともに機能させるべく、長岡京へ、そして平安京へと都を遷す。

先祖に中国・唐の人物を持つ青年・広野は、戸籍のない少女・陽射と出会ったことで人生が変わる。広野は陽射を「救ってやりたい」と考え、彼女とその家族に戸籍を作ってやろうとする。しかし戸籍を目の前にした陽射の母が実の娘である陽射を利用しようとしたり、陽射の暮らす集落が朝廷から派遣された兵士たちによって襲撃される様子を見たことでかれは絶望する。
絶望した広野は行表という僧のもとへ行く。「救ってやりたい」と思いながら、自分が陽射の存在に救われていたことを知った広野は、行表に弟子入りする。この腐敗した世界で「最も澄んだもの」であるようにと「最澄」という名前を貰ったかれは、俗世を離れて修行に励む。

史実がどうなのかは知らないが、この「混血の天皇」と「外国の血を引く有名な僧」という設定はセンセーショナルで面白い。そういう立場だから出来ること、出来ないことがある。そういう立場の人たちが後々に繋がる大きな事柄を為した、というのもシニカルで良い。
ただ前半大々的に繰り返されていた、かれらが混血であるという話が後半に行くと一切話題にならなくなる・問題視されなくなるのは拍子抜け。結局桓武の古くからの部下はかれと同じく混血であり、かれの息子たちも当然混血になるので、桓武が珍しい存在ではなくなってしまうのだ。

桓武と最澄。
最初の出会いのとき、人々と芋掘りをしていた最澄に向かって桓武は、自分も芋を掘ると言った。やったことがないからどうしたらいいかと聞くと、最澄は「芋の気持ちになれ」と言う。その抽象的な言いまわしに周囲の人間は笑ったが、桓武は真面目に芋の事を考え、優しく土を触って芋を無傷で獲りだした。
正体を隠して、有名な僧侶最澄のもとを訪ねた桓武。その男が帝だと知りながら、一般の客人のように扱う最澄。二人はすぐに意気投合した。桓武は最澄を気に入り、最澄も桓武を慕った。最期の瞬間まで、その友情は変わらなかった。死期の近い桓武は最澄の元に現れ、体調がすこぶる悪いと言ったうえで、「だがまだこの芋、食えるぞ」と笑うシーンが好き。
久々に河合さん見たけど、屈折した部分と子供みたいに純粋な部分、カリスマ性のあるいい桓武天皇だった。こんなにいい声だったっけ、と思った。
D-BOYSを卒業して以来初めて見る遠藤は坊主頭で舞台をかけずり回っていて、こういうお芝居がしたかったんだろうなあ、楽しいんだろうなあ、というのがひしひし伝わってくる。くせのある話し方と籠ったような滑舌が元々あまり得意ではないんだけど、最澄ではあまり感じなかったな。これからも頑張ってほしいなー。
(余談だけど遠藤たちの卒業、柳下のD☆DATE加入によって、結構長い間会員だったDボのFCをとうとう継続しませんでした。芝居を見たい人がどんどんいなくなる・芝居の頻度が下がるんだもん!)

桓武が即位したのち、信念という僧が中国から帰国する。他戸の配下にいたかれは、他戸が排斥されて山部が天皇となったことに深い憤りを感じる。そしてかれは、色々なところで暗躍し、歴史を大きく変えてゆく。
笑顔で人を騙し、残酷な手口で人を追いやる復讐鬼と化した信念に山田悠介。やっぱり巧いなー。声がいいのと、極端な役どころが似合う。信念が種継夫妻を殺し、薬子の心身にに一生消えない傷を残したシーンのインパクトがとても強い。
信念に目の前で父母を殺され、親指を切り落されたことで藤原薬子は心を閉ざしてしまう。元々幼さが残るというか、知的障害があるような感じも匂わせて描かれていた彼女は、天真爛漫で裏表のない少女だった。しかし父母の一件以降、彼女は心から笑うことがなくなった。

そんな彼女の変化を最も嘆いたのが、桓武の長男である安殿だ。薬子が好きだった安殿は彼女をなんとか笑わせたいと願い、彼女の幸福や平穏のために動くようになる。安殿からは、感情の起伏が激しく暴力的な気質が垣間見える。(もう一人の息子・神野はお人よしの平和主義だけど、馬鹿ではない青年で、桓武の性質が二つに別れて息子に遺伝したような感じがする。)
薬子の絶望に引きずられたか、急激な変化に対応できなかったのか、安殿の精神も次第に破綻し始める。特に父の桓武亡き後は絶対に不可能な命令を下したり、むやみに部下を処刑したり、自身が処刑したばかりの部下を呼びつけようとする。常軌を逸していく安殿と薬子の夫妻がたまに見せる冷静な言葉や判断に背筋が冷やされる。

アテルイたち蝦夷の物語も切ない。アテルイ役の藤波心ちゃんがちょっと特徴的な話し方なんだけど、それが年の若い少女であり首長である、という役にマッチしていて魅力的だった。自分の親ぐらいの年齢の人々に「お前たち」「〜しなさい」と指導する口調が優しくていい。アテルイを少女にした、というのも「偽伝」らしくて面白い。

最澄については後半ちょっと説教くさくなってしまった印象。そもそも陽射一人を救いたかった最澄は、行表に弟子入りしたことでそれだけではいけない、と感じる。かれは自分の暮らす寺を訪れるわずかな人々に教えを伝えて、修行の中で生きていくことを望む。
しかし師匠に世間を見るように指導されたことで、最澄は都を見る。そこでは大勢の人が貧困や病に苦しんでおり、自分や仲間の僧侶だけではどうしようもないということにかれは気づく。貴族と懇意にしている僧侶からは、どうせ全員は救えないのだから権力のあるものを優先すべきだ。かれらが救われることが政治に影響を及ぼし、いずれ一般の人々も救われるようになる、と言われるも、最澄は納得できない。
最澄は納得しなかったし、決して正しい意見ではないのだろうけれど、この都の僧の言葉は興味深かった。かれが悪人なわけではない。かれだって全ての人間を救えるのならば救いたいだろう。けれどそれは物理的に無理なのだ。無理なことに挑戦して誰も救えないより、救う相手を絞って集中したほうがまだましだ。誰に絞るのか。勿論かれの中に保身や立身出世への欲がないわけではないだろうが、どうせ絞らざるを得ないなら、貧しい者でも富んだ者でも同じことだ、とも思う。富んだものを救うことが世界全体への救済につながる、というのはある意味間違っていない理屈だろう。
更に最澄は後年、招かれて行った田舎の集落で、人々は「すぐに救われる」ことを願っていると知る。そのために人々が欲したのは、意味を理解しないまま唱えられるお経だった。これを唱えればいいのだ、という精神状態がかれらを生かす。それは最澄が望んだ在り方ではなかった。絶望の中で最澄は実感する。自分が二人いれば、三人いればもっと多くの人が救えるのに、と。そこでかれは、かつて師匠が零していた言葉を思い出す。「人が足りない」
最澄よりも大分若く、センセーショナルな登場をした空海もまた、同じことを考えていたのかもしれない。かれは自分と同じ「空海」を弟子に名乗らせ、各地に派遣した。各地で空海伝説があるのは、そのためだと言われている。最澄が人の足りなさを嘆いているように、空海も同じことに気づき、自分の分身たる弟子の空海たちを生んだのではないだろうか。
空海がチャラい天才として書かれていて面白かった。

ひとつひとつのドラマ自体は面白かった。ただ最初に「八百万の神々」みたいなことまで言われたのに、特にそれについては触れられないまま、小日向さんの「これにて一巻の終わりです」という口上で終わってしまったのには驚いた。教育番組みたいだ…。

本編のあとはトークイベント。
自由席なので空いてるところにつめていいよ、というアナウンスが入って驚いた。自由!
小日向えり司会で、河合龍之介(桓武天皇)・真山明大(安殿)・坂口りょう(坂上田村麻呂)・神木優(神野)・平子哲充(藤原種継)という桓武サイドの五名によるもの。
安殿が薬子を笑わせるシーンはアドリブだとか、この日の朝急遽変更になった演出があって皆がその確認にわたわたしていたとか、そういう話。
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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 13:11 | - | - |

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