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「ベッジ・パードン」

作・演出:三谷幸喜
夏目金之助:野村萬斎
アニー・ペリン:深津絵里
畑中惣太郎:大泉洋
グリムズビー:浦井健治
ハロルド・ブレット/サラ・ブレット/ケイト・スパロウ/ウィリアム・クレイグ/弾丸ロス/ミスタージャックほか:浅野和之

三谷幸喜生誕50周年企画の舞台の中で唯一地方公演がなかった作品。WOWOWで見た。

***
日本で英語教師をしていた金之助は、語学を学ぶため、ロンドンでの生活を始める。新しい下宿先でかれは、英語が堪能で社交性にあふれる惣太郎、親切な大家のハロルドと厳しい妻サラ、そしてイースト・エンド出身で訛りのひどい使用人・アニーと出会う。
ロンドンに蔓延する人種差別からくる人々の蔑視や、イギリス人と対等に会話する惣太郎への劣等感、日本に残してきた妻から一切連絡がないことに金之助の精神は疲弊する。そんなかれを励ますのは、昨日見た夢の話ばかりするアニーだ。
アニーと恋人関係になった金之助は、次第に彼女と生きてゆく覚悟を決める。下宿先が店じまいすることをきっかけに、かれは帰国後妻と別れ、アニーと結婚することを誓う。しかし実は金之助を妬んでいる惣太郎が、かれの妻からの手紙をすべて隠していたことが明らかになる。妻は金之助を愛していた。そのことを知った金之助が涙を流すのを見たアニーはその場を去り、ギャンブル好きの弟の借金返済のため、娼婦となって働く決意をする。
アニーが去ったあと、後悔して部屋の中でひきこもる生活を送る金之助。そんな時かれは、アニーの夢を見る。これまで夢で見た沢山の話をしてくれたアニーは金之助に物語を書くよう奨める。「次はあなたの番」と。

夏目漱石の若き日の物語。この後かれは有名すぎるほど有名な小説家になるのだが、今はまだ小説家になるという意識も、小説を書くこともしていない。

3・11のあと、笑えるもの・楽しめるものを、ということで書かれた作品のようだ。確かに非常に軽快で明るい物語だが、後味の悪さは50周年企画の中でも上位に入ると思う。救いがない…。
物語の軸になるのは金之助とアニーの恋だ。外国で味わう孤独、会話がうまくできないことへの焦り、相手が何を言っているのか理解できないことへの不安、周囲からの奇異の目・嘲笑・蔑視。ロンドンでそれらを味わう目になった金之助を支えてくれたのは、がさつで何度も同じことで叱られ、いつまでたっても訛りがなおらないアニーだった。イギリス貴族に見下されて落ち込んだ金之助は、同じように悩みやコンプレックスを抱えたアニーを抱きしめて言う。「君は、私だ」と。
アニーと付き合いだしたことで、少し金之助は明るくなる。日本に妻子がいることをなかなか言い出せないという問題はあれども、まっすぐなアニーとの時間はかれを楽にしてくれる。そしてついにかれはアニーと生きてゆくことを決めるのだ。
金之助のプロポーズを受けたアニーは、彼女がこの時唯一持っていたものを手放すことになる。それが弟、グリムズビーだ。二人きりの家族だった弟を、アニーはどんな時だって可愛がっていた。金の無心にも応じ、我儘も聞いてやった。グリムズビーも姉を慕い、姉には頭が上がらないように見えた。ふたりはすごくいい家族だった。グリムズビーは金之助を最初に会ったときから気に入っていたし、金之助もグリムズビーを受け入れていた。
しかし二人の結婚が決まったとき、グリムズビーが現れて金の無心をする。これまでのような小遣いではない、アニーの年収よりも多い額だ。ギャンブルで作ってしまった借金で、それを返済しなければグリムズビーは殺されてしまう。期限は迫っているが、アニーにも金之助にも払える額ではない。
そのことも分かっていたであろうグリムズビーは最後に一つ提案をする。弾丸ロスという犯罪者がアニーを気に入っており、かれのもとで仕事をするならグリムズビーに金を出してくれると言う。グリムズビーは必ず借金を返して連れ戻すと言うけれど、それを簡単に信じられるわけがない。アニーはグリムズビーの提案を断る。自分は金之助と結婚して日本に行くのだ、と弟を拒む。アニーは縋る弟の手を放し、金之助を選んだ。
しかしそのあと、惣太郎が金之助宛の手紙を隠していたことが明らかになる。アニーのいる前でその手紙をかき集め、読んで涙する金之助を見たアニーはそっと部屋から出て、グリムズビーの願いをかなえる。
そのあと彼女は病院に運ばれ、金之助に教わった日本語の歌を歌いながら死んだ。金之助は日本に帰って小説家として名を挙げる。なんとも救いのないラストだ。アニーが金之助に教わった歌を歌っていたというのは、彼女が最後までかれを愛していたということを意味しているだろう。妻子がいたことを黙って自分に手を出し、離婚すると言った直後に妻の手紙を読みふけっていた男を愛していた。愚かな弟の尻拭いをさせられ、娼婦として死んでいった。「恋愛もの」と銘打たれておきながら、本筋の恋愛はひどいものである。ハッピーエンドでもバッドエンドでもない、何とも言えないいやな終わり。

ただ本筋以外のところ、ふたりの恋以外の話については興味深いエピソードがたくさんある。
イギリス人と話すときは緊張してうまく言葉が出ないのに、アニーと話すときは楽に言葉が出る、と金之助は言う。なぜか彼女といるときは力を抜いて話せるのだ。そう言ったかれに、アニーは理由を教えてくれる。自分を「下に見ているから」だと。緊張する必要がない、うまく立ち回る必要がないと思っているから、自然に会話ができるのだ。
田舎の生まれ、労働者階級のアニーへの蔑視は続く。金之助に英語を教えるクレイグは、アニーを「本物のロンドン子」と言いながら、彼女が出したお茶に一切口を付けなかった。惣太郎や金之助ですら、アニーの訛りをからかった。訛りがひどく、彼女が「I beg your pardon?」と言うと「ベッジ・パードン」に聞こえるアニーを、金之助は「ベッジ」と呼んだ。そこには親密さや優しさが溢れているけれど、一歩間違えると嘲笑のようなものも見えてきそうだ。
アニー(ベッジ)の深津絵里は好演。とっても可愛いのに下品で空気が読めなくて知性がなくて、けれど頭はきれる。しっかりした姉であり、切ない恋をする女性でもある。がさつな発声すら魅力的。
金之助も差別される人間だ。英語を勉強中のかれは、大家夫妻や他の人とたびたび会話が通じないことがある。そのコンプレックスを、同じ日本人でありながら流暢に英語を話す惣太郎の存在が増幅させる。更に、通りがかりのイギリス人たちが金之助に奇異の目を向け、かれを見て笑う。その繰り返しに、かれは次第に心を閉ざしてゆく。
萬斎さんの金之助は、ぎこちなさと脆さがあって素敵だった。実際ロンドン留学をしていた萬斎さん自身のエピソードも含まれているらしく、なまなましかった。しかしこの髭と服装が、どうしても世界のナベアツを彷彿させる…。
しかし惣太郎もまた、差別される側の人間であった。秋田の生まれであるかれは、東京で暮らしても訛りが抜けず、からかわれ続けてきた。金之助と二人のときも決して日本語で話そうとしなかったのは、そういう理由があったからだ。英語は非常に堪能なかれだが、やはりロンドンでは黄色人種を理由に差別を受けることもある。日本にもイギリスにも居場所のないかれは、「イギリス人になってやる」と吐き捨てる。
大泉洋っていままでまともにお芝居を見たことがなく、テレビもみないので「気づいたらすごい人気だった人」という印象なのだが、人気が出るのもわかるね。笑いも怒りも悔しさもいい。何年遅れの実感だ、という感じではあるが。
三者三様のコンプレックス、差別。生きる上で感じる不自由さ、コミュニケーションの困難さ。そういうものをコミカルに、けれど辛辣に描いている。

グリムズビーは浦井健治。ウラケンは与えられる(もしくは手に入れる)役の幅が広くて、非常に恵まれた俳優なのだ、と最近つよく思い始めた。へたれもろくでなしも好青年も、真面目もおばかも演じている。似たようなタイプの役ばかり来る役者が多い中で、幸せだなー。どれもこれもいい味出してるし。
あと妙に歌わされるよねこの人ね。分かるけどね。無駄に格好良い「ロンドン橋落ちた」でした。

それ以外の11役を浅野和之。下宿先の主人夫妻、妻の妹、犯罪者とそれを追う警察、金之助の教師とかれの友人である男女、元軍人にエリザベス女王に、犬。ロンドンに溶け込めずノイローゼになっていく金之助が「イギリス人がみな同じ顔に見える」と思い詰めた顔をするのだが、みな同じ人がやってました、というオチ。笑えるけれど、背筋がひやっとするような恐怖もある。
途中から「どうせまた浅野さんがやるんだろうな」という良い意味での脱力感を持って新キャラを受け入れることができるのだが、最初はけっこう驚いた。驚いたし、一瞬気づかないキャラもいた。客席の後方だったら気づかなかったかも。おばさんステキ。

夫に出て行かれた大家の妻は、自分の考えを「言わなくても(夫には)分かると思っていた」と言う。けれど彼女は、夫がずっと前から自分と別れることを考えていたと知らなかった。夫が言わなかったから、分からなかった。言葉にしなければ分からないことは沢山ある。
けれどその言葉にする、という段階でわれわれは躓いてしまう。

アニーは昨日見た夢の話ばかりする女性だった。最後にそれが実は夢の話なのだと明らかにするのではなく、最初に「こんな夢を見た」と言って話してほしいと金之助は言うが、彼女は断る。そうすれば皆聞いてくれなくなるからだ。
夢の話ばかりするのには理由があった。タイミングがつかめない、同じことを繰り返し言われても忘れる、皆の言っていることが理解できない。アニーにはたびたびそういうことがあった。だからアニーが何か話すたび、周囲の人間が彼女を否定し、訂正し続けた。そこでアニーは夢の話をする。夢の話なら、誰にも否定されないからだ。彼女が見た夢は彼女だけのものだから、彼女しか知らないから。だから「夢の話をするな」と言わないでほしい、とアニーは言う。それを止められてしまったら、彼女にはもう話すことがなくなってしまうのだ。(落ち込んでいるからそっとしておいてほしい、今はアニーの話を聞く余裕がないという金之助に対して、非常に配慮のない主張ではあるが、それが金之助の心をつかんだのでまあいいのだろう…)
しかし最後にアニーは言う。「あたいの夢はもういい」と。夢の話以外に話すことのない彼女が、その夢を捨てた。彼女にはもう話すことがない。話す体も、時間もない。
話すこと、でひとは繋がる。話さなければ分からないからだ。けれど話すことを否定され、嗤われるひとたちがいる。話し方の否定、話す内容の否定は、かれ(彼女)のひととの繋がりを断ち切っているのと同じことだ。
そういう本筋ではない脇の部分で楽しめる作品だった。


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posted by: mngn1012 | 映像作品 | 18:16 | - | - |

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