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「レ・ミゼラブル」

監督:トム・フーパー
作:アラン・ブーブリル&クロード=ミッシェル・シェーンベルク
原作:ヴィクトル・ユゴー
作詞:ハーバート・クレッツマー
作曲:クロード=ミッシェル・シェーンベルク

ジャン・バルジャン:ヒュー・ジャックマン
ジャベール:ラッセル・クロウ
ファンテーヌ:アン・ハサウェイ
コゼット:アマンダ・セイフライド
マリウス:エディ・レッドメイン
テナルディエ:サシャ・バロン・コーエン
マダム・テナルディエ:ヘレナ・ボナム=カーター
エポニーヌ:サマンサ・バークス
アンジョルラス:アーロン・トヴェイト

*********
元旦から見てきました。1日は1000円だということもあるのかもしれないが、案外元旦の映画館って混んでるのね。

散々言われてるだろうけれど、ファンテーヌはマグダラのマリアだとラストシーンで改めて思った。アン・ハサウェイのファンテーヌにはそうつよく思わせるだけの高潔さがあった。美しい長い髪と、粗末だけれど清潔なピンクの服をまとっていたときのファンテーヌは悪目立ちして周囲の嫉妬をかうくらい美しかったけれど、コゼットのために何もかもを手放して生きる娼婦の彼女には、それを経験した彼女にはまた違う美しさがある。もともと大きな目が、痩せた(やつれた)ことと髪を短くしたことでさらに大きく見えて零れ落ちそう。ほぼ固定カメラで歌われる「I dreamed a dream」すばらしかった!
ジャン・バルジャンを迎えにくるのは、かれがそのために結果19年を犠牲にすることになった妹とその子供やほかの家族ではなく、数十年前に偶然出会ったファンテーヌなのだ、というあたりも示唆的。決して長い時間傍にいたわけでも、何か楽しい時間を共有したわけでもないふたりは、コゼットというひとりの娘を育てたことでつながっている。コゼットを育てるという約束を交わしたこと、実際にひとりで父と母を兼ねて彼女と時間をともにしたことで、かれらはある意味で夫妻になり、家族になった。触れ合うことなく、プラトニックなまま、ひとりの子供をひとりの大人にした。

ガブローシュにひたすら泣かされて、ついに自分が子供の行動に涙腺が緩む年齢になったか、と思った。市民の応援が来ないことを仲間に告げ、去りたいものは去っていいと言ったアンジョルラスの言葉に一同は押し黙る。迷いがなかったわけではないだろう。一気に勝ち目が薄れた戦いの前に、死の前に、今ならまだ戻れるという気持ちが、まったくなかったわけではないだろう。けれど、かれらの中に引き返すという選択は出てこない。苦悶の中で出した答えをようやく行動に移し始めたのに、いまさら戻ろうとも思えない。
そういう微妙な心情をどう言葉にすべきなのかと思っているところで、ガブローシュが歌いだす。どんな言葉よりも態度よりも雄弁な答えだった。
かつてはガブローシュに正体を見破られて危ない目にあったジャベールが、かれの亡骸に勲章を置いて去ってゆくところも泣ける。

原作で「ブルドック」と称される容姿のジャベール、ラッセル・クロウはぴったりだなー!ジャベールさんはひとりで悶々としたり、葛藤したり、暴走したり、葛藤したり、かわいらしい。制服ぴちぴちかわいい!
囚人の子として刑務所で生まれたかれは、努力で成り上がった分、貧しい人々・恵まれない境遇の人々に厳しかった。自分がかつてそうだったからこそ、そしてそこから脱却したからこそ、脱却できずに不平を漏らす・施しを要求する人間を見下しているのだ。きれいな服を着て馬に乗り、死にそうな人々に冷たい目を向ける。そこにあるのは、馬車に乗った貴族たちの抱く、持たざるものへの哀れみと失笑と優越感ではない。憤りだ。
「友がいない」といわれていたファンテーヌ、仮釈放になったあと自分には何もないことを嘆いていたジャン・バルジャンはもとより、ジャベールもともだちいそうにない。
自殺のシーンは壮大すぎてちょっとびっくりした。

ヒュー・ジャックマンが言っていた「ミュージカルの穴」はかなり埋められている映画だと思うけれど、それでもやっぱりまったくないわけではない。わたしは基本的に映画脳ではなく舞台脳なのであまり気にしなくなっていると思うが、それでもやっぱり裁判に乗り込んで自分こそが逃亡した仮釈放の男だと名乗り出たジャン・バルジャンが、どうやってファンテーヌの入院する病院に来たのか、というところは説明不足だと思う。まあそんなこと言ったらどうやって数年で素性を偽って市長になったの、って話なんだけどな…。

ジャン・バルジャンが幸福だったのは、永久に「危険人物」とされる運命から逃れられたことでも、裕福な暮らしができたことでも、コゼットという家族を得て孤独ではなくなったことでもない。コゼットというかれ曰く「宝物」を祝福して、幸福の中で手放せたことなのだと思う。
コゼットとマリウスが両思いであることを知ったかれは、コゼットが奪われることに危機感を覚える。大切に育てた、かれにとって唯一心安らぐ相手が自分の前から消えてしまうことにかれは怯える。それは、かれが誰かに愛情を持って手放されたこと・送り出されたことのない人間だったからだろう。愛情を持って育てられ、ひとり立ちすることを祝福された経験のないかれは、ようやく手に入れたものを盗られて、またもとの惨めで孤独な人間に戻ってしまう気がするのだ。
けれど実際にマリウスやかれの仲間たちの行動を見たジャン・バルジャンは気持ちを入れかえる。コゼットを愛した、コゼットを愛する青年を死なせたくないと願う。自分が代わりに死んでもかまわないと思うほどに強く願った「Bring him home」は、かれがかつて願った「善人」になったことを示している。
そしてジャン・バルジャンはマリウスを命がけで助け、コゼットをかれに託して二人の前から去る。菅野彰の小説「子供の言い分」の中で、家庭に恵まれず家族に飢えていた秀は、血のつながらない息子の勇太に対して、家族というものについて「本当はいつでも手を離せるもののことを言う」と語る。自分が大切に育てた子供が誰か他の人の手を取ることができたら、自分が与えたものを他の誰かに与えることができたら「本当にやっと家族を持ったって思える」のだと。
読んだ当時はそれほど重く響かなかった台詞が、最近になってすごく刺さる。ジャン・バルジャンはコゼットの手を離せたことで、彼女と本当の家族になれたのだ。コゼットを自分ひとりで独占する宝物のままではなく、マリウスと新しい家庭を作ることができる女性に、かれがした。ジャン・バルジャンは、本当の意味でコゼットの父に、親になれたのだ。この辺泣きっぱなし。
ヒュー・ジャックマンの、あっさりした中にも苦悩とか孤独とかが痛いほど出ているジャン・バルジャンもよかった。

いかにもお坊ちゃんの抜けないマリウスとか(カフェソングがPVみたい!)安定感のありすぎるテナルディエ夫妻とか(スウィーニー・トッド!)もいい。

エポニーヌもよかった!かなわないとわかっているからこそ応援したくなる、切なくてかわいそうな、けれど凛とした、少女と女性の間にいる子。いまさらだけど、なんであの親であの環境でこんないい子になったんだろうな。恋ってすごい。

泣いて泣いて泣いて、ラストシーンでまた泣いた。いい映画でした。泣きすぎて頭痛いので気軽に見に行けないのが難点!

@k_scalaza: お知らせ!今日から公開、当館では2/16から上映の『レ・ミゼラブル』で「ミュージカル割」をやります。受付で歌いながらチケットを注文したら1,000円です。これは当館のみの割引ですので、他の劇場でやったら迷惑がられると思います。
https://twitter.com/k_scalaza/status/282018927054303233

川越スカラ座さんアツい。「on my own」歌えばいいのかな。一人でも二人だわ!
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posted by: mngn1012 | 日常 | 23:15 | - | - |

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