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劇団四季「ジーザス・クライスト=スーパースター ジャポネスク・バージョン」@自由劇場

作詞:ティム・ライス
作曲:アンドリュー・ロイド=ウェバー
演出:浅利慶太

ジーザス・クライスト:神永東吾
イスカリオテのユダ:芝清道
マグダラのマリア:野村玲子

***
イエス・キリストの最後の7日間を描いたミュージカル。10/23から11/18まで「エルサレム・バージョン」が、そのあと11/25から「ジャポネスク・バージョン」が上演されている。両方見たかったんだけど、日程の都合でこちらのみになった。
ジャポネスク・バージョンは白塗りに隈取りの歌舞伎風メイク、ホワイトデニムなどカジュアルな衣装に今風のヘアスタイルのキャストたちによって「キリストの最後の7日間」が描かれる。白い板、大八車、竹の棒という簡易セット。エルサレム・バージョンを見ていないので比較して話すことはできないが、こちらのバージョンを見られて良かった。いくつかの作品を見た限りでは、劇団四季も浅利慶太も本質的には自分に合わないと思うんだが、このアイディアは手放しで素晴らしいと賞賛したい。異形の世界、視覚の暴力、狂っていて美しい。
なによりジーザス・クライストという存在を演じるにおいて、役者の本来の顔がわからなくなるこの化粧はとても効果的だと思った。白い顔なのに首から下はもともとの肌の色で、黒く長い髪を無造作に垂らしている圧倒的な違和感が、かれが「ただものじゃない」ことを強めている。

いきなり場面転換をするので、前知識がないと不親切な作品だと思う。キリスト教や聖書の素地がある国で生まれたものだから仕方ない。まったくそれらのことに興味のない人がふらっと見に行くタイプの芝居ではないだろうからまあいいか。

***
ジーザスは「普通の人」であり、「疲れた人」であり、「神の子」であり、「ユダヤの王」だった。 父親と同じ大工のままなら、地元で暮らしていたなら幸せだった。けれどかれはそうじゃない道を選んだ。やらなかったのか、やれなかったのか。ともあれかれは現状に疲れ、倦んでいる。
けれどその反面、かれには傲慢なまでの「選ばれたもの」としての自負もある。神の子と崇められ、求められることを享受している。そういう相反するものを内に住まわせているからこそのジーザスなんだろう。

そう遠くない未来にくるであろう終わり、最後の日をジーザスは知っている。「神の子」として運命を受け入れようとする気持ちと、解放されたいという「疲れた人」の願いが混在する。
さらに、父に見捨てられることへの嘆きや絶望も存在している。

最後の晩餐のシーンがすごくすき。舞台の奥で集まって輪になり、酒を飲む弟子たち。前方にいるジーザスとユダからは、一触即発の睨み合いのような危うさと、なによりも分かり合ったものならではの通じ合いの両方が感じられる。
弟子たちが、明るい未来の歌を歌う。明日からもジーザスに従って生きてゆき、そうして自分たちの名前を歴史に残す。そのことにかれらは一分の疑いも持っていない。キャンプファイアーを囲んでいるかのような、爽やかで青臭い歌だ。そのまっすぐな歌を背景に、どうしようもないふたりの男の愛憎劇が進行している。
ジーザスが普通の人のままなら幸せだったのにと嘆きながら、かれの神性を誰よりも愛しているユダ。今ジーザスを崇めている人間たちがそう遠くない未来にかれを見捨て、裏切り、死においやると勘づいているからこそ、そうなる前に自分の手でかれを終わらせたいと願い、暴走する。矛盾だらけの男の中では、ジーザスを上回る先見の明を持つ聡明さと、自分の行動を正当化しようと必死に弁解を重ねるみじめさが混在する。ジーザスに最後に与えた一方的な口づけのために、ユダはすべてを、自分のプライドも命も、自分が何より重んじてきたジーザスの全てをもなげうった。
イエスとユダについては思い入れや思い込みがありすぎて、この作品単体でどうこう言うことが難しい。頭の中から「駈込み訴え」を排除できるわけないじゃないですか…。作中のジーザスから感じたもの、ユダから伺えるものが果たして本当に目の前でみているものから得たものなのか、別作品から得た感傷なのか、わからなかった。これは作品や俳優の問題ではなく、完全にわたしの問題。
そういう意味でも、これまでにない視覚的な驚きのあるジャポネスク・バージョンが見られてよかったのだと思う。いままでに目にしてきたイエスとユダの物語では味わえなかったもの、がこの演出には確かに存在する。この異様な画面、好きです。
ヘロデ王が視覚的に強烈だった。ヘロデ王の登場シーンだけちょっとコミカルというか、一息つける。

銀貨30枚と引き換えにジーザスを売ったユダは、ジーザスが捕らえられたあと、言い訳を散々口にしながら自殺する。そのあとジーザスはヘロデ、ピラトとの面会ののち、刑を受けることになる。鞭で39回打たれ、十字架を背負い、罵声を浴びながら歩く。
そのあたりでいきなり、自殺したユダが二人の女性(ソウルガール)を引き連れて天上からあらわれる。そしてかれは高らかに、タイトルにもある「スーパースター」を歌い始める。テレビもない時代のイスラエルでは世界は動かせなかった、自分を聖書の通りだと思うのか、とユダはジーザスに問いかける。ここへきて突然のメタ発言。それまでドシリアスで、しかもこのあとも目を覆いたくなるような残酷なシーンが続くのに、どうしてここだけやけに陽気なのかよくわからなかった。
しかしそのメタ視点のユダが、十字架を背負うジーザスにいばらの冠を捧げるシーンは好き。

十字架にかけられたジーザスが息絶え、真っ暗な中でかれの痩せた体だけが浮き上がっているように見えて、終わる。復活は描かれず、見捨てられた男が死んでゆく。
突っ込みどころ、不思議なところは沢山ある芝居だったけれど、非常に好きなモチーフでした。
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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 22:50 | - | - |

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