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日高ショーコ「憂鬱な朝」4

日高ショーコ「憂鬱な朝」4

佐条公爵の娘・俔子との婚約を一方的に解消した暁人は、学校にも行かず、友人の石崎に手配してもらった「別邸」で暮らしている。成金の石崎家が金にものを言わせて手に入れた屋敷などではなく、元女中が暮らしていた、一般的な家だ。なにもそこは、群を抜いてひどい環境の家ではない。しかし屋敷で、多くの使用人たちに囲まれて暮らしている暁人のこれまでを思えば、信じがたい状況である。
ここで暮らす暁人は非常に達観しているように見える。桂木の出生と、かれの当初の狙いを知った暁人はひどく傷つき、動揺していた。けれどそこまで追い詰められたからこそ、暁人は桂木の本心を聞くことができた。そのことがかれを強くしたようだ。厳しい桂木に叱られたり、学校で心ない人間の言葉を聞き流していた暁人はここにはいない。今まで知らなかった世の中のことわりを少し見て、使用人と離れた生活をしている暁人は、自立したひとりの男性であるかのように見える。
本来の暁人はこういう人間なのだろう。出来がよくて、素直で人懐っこくて、寛容で視野が広い。かれをそうしたのは久世の雰囲気と、桂木の教育だ。久世の屋敷に帰ってきてからも、桂木のいない暁人を埋めるのは、桂木が教えてくれたことたちだ。口やかましい桂木の教えが、暁人に次の行動を促す。暁人の心の孤独を埋める。

久世の家を出た桂木は、大番頭という立場で石崎家に入った。久世を離れたのではなく、久世を、暁人を外部から支えるためだ。頭がきれる反面冷酷に人を切り捨てるきらいのある石崎家当主は、放っておけばいつ暁人にとって危険な存在になるか分からない。父の跡を継ぐ石崎も、押さえておくにこしたことはない。
かつて久世の家にいるとき、桂木は久世のため、暁人のためだと言って、幼いかれに厳しくふるまい続けた。けれどそれは暁人のためばかりではなかった。亡くなった先代のためであったり、かれ自身の狙いのためでもあった。けれど今の桂木は、本当に暁人のために動いている。暁人と離れることも辞さないほどに、暁人の今と未来のために動いている。
その出生から、桂木にも久世にも自分の居場所を見つけられずにいた桂木に対して、「『居場所』を与えてやりたい」と暁人は言う。桂木もまた、暁人の安定した「居場所」のために動いている。お互いのために動くことそのものがかれらの喜び、かれらの機動力になっているんだけれど、二人が一緒にいる道、の選択肢がないのが切ない。
石崎は家柄のために、いつか父の決めた相手と結婚するだろう。かれ自身もそれは分かっている。だからこそ、恋仲の芸者を今のうちに囲ってしまえと久世も桂木もかれに提案する。本気ならば離すな、傍におけ、と。「なのにどうして お前たちは自分にそれができない」と石崎が言いたくなるのももっともだ。

暁人は雨宮を久世家の新しい家令として迎え入れる。自分を主だと思っていない、桂木をまつりあげようとしている雨宮を、そうだと知った上で。暁人が自分の知っていること、を知っている雨宮は当然ながら驚く。驚くと同時に、暁人に対して興味を抱く。思慮深く、何か凡人の想像の及ばぬところでものを考えているようにみえる。何を考えているのか、何を狙っているのか。興味、関心で目が離せなくなる。暁人にはそういうところがある。それはたとえばカリスマ性、みたいな名前で呼ばれうるものなのかもしれない。
暁人の狙いは明快だった。久世の爵位を上げ、桂木に久世を継がせる。そのために雨宮を利用して、権力者である森山侯の弱点を見つけ出し、暁人自ら侯爵に詰め寄る。

暁人の「別邸」住まいを知った桂木は、慌ててそこへ向かう。荒れた手で茶を入れる暁人の表情は明るく、そのことが桂木を更に神妙な面持ちにさせる。その表情には、一人の生活への快適さや解放感だけではないものがあった。かれがずっと練ってきた計画が、もうすぐ成就しそうだという理由がある。もうすぐ桂木が久世の当主になる日がくる。
それを知った桂木は動揺する。暁人を動かしているのは、かつての約束だ。暁人が桂木を叙爵させる代わりに、桂木は暁人に体をゆるす。桂木が一生涯暁人に仕える代わりに、暁人は久世の爵位を上げる。売り言葉に買い言葉、興奮した状態での言い合いのようなやりとりだったけれど、暁人は誰よりも本気だった。桂木に教わった手管で、暁人はあと一歩のところまで来た。
けれどそれよりも、暁人がつらそうに吐きだした「お前しか好きになれない」という本音の方が桂木を動かしたように見える。桂木に「居場所」を与えること(それはイコール暁人の「居場所」の喪失につながるというのに)を喜びだと笑う暁人の顔が、桂木の心を溶かす。
暁人と抱き合う中で、ついに桂木はかれの名前を呼んだ。かつて暁人が乞うても決して名前を呼ばなかったのは、声を出せば本音が出てしまいそうで怖かったからだ。けれど桂木は自分から暁人を呼んだ。

暁人の行動を知った桂木は、第三の方法を考え出す。暁人が久世の当主になるのでも、桂木が久世の当主になるのでもない新しい選択肢。家柄的に問題のない先々代のもうひとりの庶子に、久世の家を継がせるというものだ。暁人は隠居し、桂木は暁人に生涯仕える。二人の「取引」に何の問題もない。
桂木と暁人の間にはいくつもの問題があった。桂木の暁人への嫉妬や憤り、かれをいつか排除しようとしていた目論見。それがなくなってもなお二人が一緒にいられなかったのは、石崎の言うとおり二人が「久世の当主」としての意識を強く持っていたからだ。使用人たちの人生を背負っているという自覚がある以上、何もかも捨てて逃げ出すわけにはいかない。「気持ちだけでどうにかできる」立場にいないのだ。
しかしここで新しい当主を立てることができれば、かれらはその気持ちのままに動くことができる。

かつて桂木の狙いが明らかになったとき、暁人は「お前が僕に何の感情も持っていないことくらい知っている」と泣いた。自分の気持ちと桂木の気持ちが違うことを知った上で、それでも強引にかれを自分のものにしてきた。それがかれの心を動かすに至らないことをかれは知っていた。
けれど桂木が「別邸」にきたとき、桂木ならば「今からでも僕の存在を消すことができる」だろうと暁人は言った。子供をつくることもできるだろう、と。桂木の心の中に、消さなければならない程度には自分が存在することを、暁人は自覚している。桂木の気持ちを知っている。それはどこかの段階で気づいたというよりも、かれの教えと同じように、離れることで見えたものなのだろうか。一人で行動することで、察することができたものなのだろうか。
暁人の気持ちと狙いを理解した桂木は、「好きです」とかれに告げた。畳みかけるように喋るかれらしくない不器用な言葉に、だから暁人は「知ってるよ…」と言うのだ。

この告白のシーンが入っている20話目の扉絵は、二人がスーツ姿で立っているものだ。地面いっぱいに蔦が這っているが、暁人は足元に絡まるそれを脚と手で取り除いているところだし、桂木は一足早くそれを終わらせたようだ。手には細かくむしられた蔦の葉がある。
これまで何度となくモチーフとして描かれてきた蔦はどんどん増殖し、身動きがとれなくなるほどにきつく絡まっていた。しかしここへきてかれらはそれを排除する。わずかに足に絡まっているけれど、一歩踏み出せばすぐにほどけてしまう程度のものだ。ここまできたのだなあ。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 10:36 | - | - |

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