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ヤマシタトモコ「ひばりの朝」1

ヤマシタトモコ「ひばりの朝」1

生まれながらにしてオンナ、である子供がいる。
少しずつ少女から女性になったり、色々な経験を経て女性としての手管を習得するのとは全然違う。生まれたときから女そのものだったような子供。いるだけで男を挑発し、いるだけで女を嫌悪させる。
14歳の日波里はそういう少女だ。

日波里という少女についてそれほど多くは語られない。彼女の重たそうなまぶた、長くて濃い睫毛、少しひらいた分厚いくちびる、肉感的なむっちりしたからだ。それらが、どんな台詞やモノローグよりも雄弁に彼女を語っている。母をして「オンナ」と言わせる日波里。
彼女は非常に分かりやすいある種のアイコンであり、周囲の人間のうつし鏡だ。日波里は女の自意識や自尊心を存在するだけで逆撫で、男の欲望を見透かしているようにみえる。彼女と出会ってしまった人間はみんな、冷静なままではいられない。彼女を通して、知りたくなかった自分を知ってしまう。それは決して彼女が見せたわけではないのだけれど、羞恥心や罪悪感や自己嫌悪に苦しめられた怒りをどこへぶつけることもできず、彼女に向ける。

従兄の完は、日波里は自分に惚れていると思う。口にするわけでもなく、親戚の子に慕われることを喜んでいる大学生なんてまだ健全なものだろう。適当で無神経なところがあるけれど、根本的には善人である完の人のよさが出ている。
自信家で周囲の人間を心の中で罵って嘲笑している憲人は、日波里と会うことで完を見返したいと思う。完の恋人である富子が好きだった(今もおそらく好きでいる)かれは、そのことで完を出し抜ける気がしたのだ。自分より勝ったところがあるわけではないのに富子と付き合っている完。もっと言えば、富子の処女を手に入れた完。かれへの屈折したコンプレックスが、憲人を突き動かす。
中性的な容姿からさばさばした男らしい女だと見られる完の彼女・富子は、日波里に、日波里のようなあらゆるオンナに嫉妬する。自分が欲しくても手に入れられないものを最初から持っていて、自分が異性から女として見られることを決して疑わない。そういう女性全般へのコンプレックスが日波里の存在によって膨れ上がる。
同級生の男子・勇は、日波里のことをずっと考えていることで、クラスで浮いている彼女を理解した気になっている。小学校の時から日波里を意識してきたかれは、日波里が好きだと言って友人にからかわれたのをきっかけにその気持ちを隠すようになった。黙ってただ目で追うだけだ。日波里が浮いていても庇ったり助けたり、声をかけたりもしない。日波里が色々な男にただ性的なだけの目で見られていることを知っていて、自分は違うと思っている。子供の、残酷でひとりよがりな恋は、誰も幸せにしない。
他人の不幸が大好きな同級生の美知花は、クラスで一目おかれている女子だ。ヒエラルキーの上に立つ者、輪の中心にいる者としての傲慢さで、彼女は日波里に声をかける。優しい友人のふりをして、母と義父と暮らしている日波里の家庭事情を聞きたがる。日波里から聞いた義父の不穏な行動を面白く感じた美知花は、思わずそれを人に話してしまう。彼女の過ぎた好奇心、他人の不幸をもっと知りたいという欲望は、最終的に彼女の身にふりかかる。日波里を苦しめ、決して助けなかった美知花は、当然、困ったときに日波里に助けてもらえなかった。
生徒にも親にも同僚にも、あらゆる興味を持たずに生きてきた教師の辻は、日波里に対する周囲の目や態度を冷静に見ている。性の目で見る教師や男子生徒、あからさまに嫌悪を向ける女子生徒。そこに、彼女のそういう事情を知った上で笑い飛ばす母親が入った瞬間、辻は今まで保っていた他者への無関心を貫けなくなる。それは教師としても大人としても間違ったことではない。けれど、凍らせていた感情を動かしたことで、辻はこれから先色々なことに傷つくだろう。日波里を巡る不条理だけでなく、自分の容姿を馬鹿にする生徒や同僚に、容姿ゆえに自分に真摯な態度をとらない人間に、彼女は向かわなければならない。

日波里の母もまた、おそらく生まれたときからオンナだった類の女だ。完の回想から辿るに彼女はそのことを10代の終わりだか20代の始めだかの頃には既に自覚しており、楽しそうに高慢に利用しようとすらしている。肉感的なボディラインの出る服を着て、親戚の若い少年まで挑発する。
母親が日波里くらいの年齢だったころ、何を考えていたのかは分からない。彼女も自分が「そういう」人間であることを自覚しない時期があったり、周囲に特別な接し方をされたり、それが哀しかったり不快だったりした時期があったのだろうか。その上で開き直るか諦めるかすれるかして今のようなスタンスの女性になったのか、最初からそういう自分を気に入っている女性だったのかは分からない。日波里と母が同じタイプのオンナでありながら決定的にスタンスが異なるのは、年齢だけの問題なのか、どうか。

見た目の通り頭の軽そうな(けれど真理を突いてくる)母親と違い、日波里はそれなりにものを考えている。彼女の言葉は稚拙だし、内容も憲人曰く「クソつまんねー」話のようだ。これは彼女が、家族を含めたあらゆる人間と、まともに会話をする経験が非常に少なかった所為もあるのだろう。
ともあれ日波里の話はぶつ切れの単語で出来ていて、流れも分かりづらい。けれどその内容は深く、暗い。彼女は全てを憎んでいる。教師もクラスメイトも皆、「死ね」と願っている。もちろん願うだけでは叶わないことも、対象が多すぎて実現不可能であることも彼女は知っている。だから思う。自分が死ねば、すべてが死んだのと同じことではないか、と。「あたしがわるい」と。

***
日波里をめぐる状況を「いじめ」と呼ぶことは不可能ではない。いやな噂を流されたりするのはいじめの一種だと思う。けれど彼女が浮いていること、誰も彼女に話しかけたくないこと、はどうしようもない。彼女に話しかけると罰される、たとえば自分が無視されたり暴力を受けたりする、というようなルールはない。実際美知花は日波里に話しかけているが、クラスでの位置を保っている。
女たちが日波里を敬遠すること、男たちが日波里に劣情をおぼえること。行動にうつさなければ罪ではないと思うし、必ずしもかれらに非があるわけではない。心の中の好意や悪意まで、規制も管理もできない。ならば日波里に非があるのか。絶対にそうではない。けれど、学校やクラス単位ではない、不特定多数の人間が彼女に感情を揺さぶられてしまうことについて、彼女に何の原因もないと言えるのだろうか。その無言の圧力が、まだ14歳の子に「あたしがわるい」と言わせてしまう。
日波里みたいな子は沢山いる。彼女たちの一部は日波里の母のようになり、一部は富子の職場の後輩のようになる。けれど日波里はそのどちらになるイメージも見えてこない。どこへ行くのかさっぱり分からない。
何ともいえない後味の話。非常に生々しい人間の感情をあつめて、これでもかと見せ付けているのだが、書き手が自分の感情・主張をひとつに集中させないようにしている感じがする。一方的な意見の押し付けにならないように、たとえば劣情を抱く側にも抱かれる側にも事情があるように描いているので、押し付けがましくなるぎりぎり手前のところで作品が保たれているのだと思う。濃厚でむせ返るような苦しさのある、けれど読んでしまう作品。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 21:17 | - | - |

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