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荒川弘「銀の匙」3

荒川弘「銀の匙」3
御影が何か悩んでいること、は八軒の眼にも明らかだ。自分がそれを話してもらえるだけの器ではないからと踏み込まずにいたかれだが、堪えられずに御影に事情を聞いた。内容は想像通り、家業とは異なる夢があること。けれどそれを家族に言い出せないのだ、と辛そうに御影は笑う。

そのことに八軒は憤る。夢を持っていない上、家族と向き合うことから逃げていることを自覚しているかれは、だからこそ自分は御影の相談を受けるに値しないと思っていた。ただ実際に相談を受ければ、そういう自分だからこそ御影に忠告が出来るのだとかれは思う。夢があって家族と良好な関係にあるならば向き合えると、向き合うべきだと背中を押す。いざ相談されてみると言いたい事があった、というのがかわいらしい。

話をするのもいやだ、分かり合えないと思っている家族のひとり、兄登場。しかしいざ向き合ってみると、兄は決して敵ではなかった。悪気なく八軒を傷つけるようなことを笑顔で言ったり、次元が違いすぎて会話が成立しないところはあるから味方にはなりえないかもしれないが、かれは八軒が家を出た理由を分かっている。そして家を出るというだけの理由で決めたこの学校が、弟にとって良いことを齎すであろうことも確信している。本当の敵は、八軒がいつか向き合わねばならないのは、兄を電話口でどやしつけた父なのだろう。
また兄が憎めないいいキャラなのである。兄にせよ新学期の噂にせよ、細かく笑いやドタバタを入れてくるところが絶妙だ。うまく緊張を緩和して、次の事件に切り替えてくれる。

夏休みが終わり、バイト代を支給された八軒は戸惑う。その直前に自分のミスで大きな損益を出してしまったからだ。金をもらえる立場じゃない、補償したいとかれは思い、そう口にする。バイト初日に携帯電話が気になってまともに仕事が出来ずに叱られたことを思えばたいした成長だ。身の程をしらないときは無意識に奢り、身の程を知れば恐縮してしまう。
自分が出した損益なのに補償をしないばかりか、給料まで貰ってしまう。最初から自分がいなければ向こうに損は出なかったし、給料を出す必要もなかったのではないか、と思ってしまうのはバイトや仕事の初期あるあるだと思う。そうやって縮こまってしまった子を宥め、労働に対する正当な報酬をきちんと受け取らせるのが大人の、かつてそういう子供だったひとびとの使命だ。
自分が必死で稼いだ金を何に使うか。金の遣い方で男の価値はわかる、と御影の祖母は孫娘に話した。「男」と言ったのは彼女が昔の人間であることと、八軒を婿候補に見ているから使ったまでで、金の遣い方が示す価値は女も変わらないだろう。ともあれ八軒は生まれて初めての報酬を、苦い反省とともに受け取ることになる。

そして新学期。
タマコが痩せたり常盤がチャラついたりしつつも変わらぬ新学期。八軒はとうとう、豚丼(とかれが名づけた豚)の死と直面する。それはこれまでに何度もほのめかされていた、いつかくると分かっていた事柄だ。夏休みに事故死した鹿を捌いたりはしたものの、生きている動物をそのために殺すこと、もともと可愛がって育てていたものを殺すこと、はまた違う。名前をつけると愛着が沸くから、という周囲の制止も聞かずに豚を可愛がっていた八軒にとって最大の試練が訪れる。
とは言えなにも八軒が殺したり、八軒の目の前で誰かが殺したりするわけではない。かれらの仕事は直前まで育てて、万全の状態で送り出すことだ。殺して食肉にするために、出来る限りのことをする。

その現実と向き合うことになった八軒は考えて、その日が来るまで、当番実習をやらせてもらうように申し出る。真面目なかれらしい思いつめ方ではあるけれど、これまで色々なものから逃げてきたかれが、友人いわく「苦行」に自ら身を置こうとしているのだから大きな変化だ。そしてそれは進歩と呼んで間違いない、と思う。
とうとう前日、八軒はもうひとつの決意をする。豚丼をバイト代で買うことに決めたのだ。ただし生きているままでなく、食肉となった豚丼を。見ないでいることも可能な現実を、あえて直視しようと決めた八軒の決意には驚いたけれど、非常にらしいなあ、と思った。このスイッチの切り替えというか、決めるととことん貫く性格が良くもあり悪くもあるんだろうけれど。御影の祖母が知れば、八軒の金の遣い方をどう評価するだろう。

それを聞いた教師は、敢えて授業でと殺のDVDを見せることを決める。参加必須ではないと言われた授業だが、多くの生徒は参加した。その中には八軒も、獣医になりたいと考えている相川もいた。獣医になりたいと考えてこの高校に来たものの、自分には足りないものがあると言っていたかれだ。
獣医になるのに必要なものは金や頭脳は勿論だが、「殺れるかどうか」だと競馬場でつとめる獣医は言っていた。そのときの相川にはそれがなかった。正しくはそれを出来るであろうという自信が、全くなかった。
それでもかれは夢のために一歩進んだ。見ないという選択ではなく、見ることを決めた。終わったあとの表情からしてかなりのダメージを受けていたようだが、かれはDVDの中の人物たちが持っている技術や知識を「欲しい」と言った。そう思えるかぎり大丈夫だろう。
生きているものの命を扱うという意味では人間も獣医も同じだし、必要とあれば医療行為で肉体に刃物をつきたてることだってある。けれど常に命を救うためにメスを入れる医師と違い、獣医は命を終わらせる選択をするときがある、ということかな。それは(人間の価値観で言えば)広い意味での「救い」の在り方だけれど、実践するひとは簡単に割り切れないだろう。それでもかれは獣医を目指し続けるようだ。清濁併せ呑んで前進する姿は美しい。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 21:57 | - | - |

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