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一穂ミチ「off you go」

一穂ミチ「off you go」

「is in you」<感想>のスピンオフ。
かつて鳥羽一束が香港で関係を持っていた佐伯は、一束が出会った時はもう既婚者だった。赴任先の外国各地で女を作ると有名な佐伯が香港で選んだ相手が一束だったのだ。
それ以外にも佐伯の有名な噂は沢山あった。無理やり通した領収書。人間性を補って余りある才能や情報収集能力。そして、かつて同じ病院の闘病仲間として知り合った、今も病気がちで海外に帯同できるような状態ではない妻を溺愛していること。
「is in you」で得られる佐伯の情報は決して多くない。皮肉屋で仕事が出来てぜんそく持ち。幼い頃入院していた時に、外に出てゆく冒険の物語を愛読していたこと。その頃の反動のように、外国を飛び回る仕事を気に入っていること。口が悪い。スーツ姿でいることが好き。食が細い。一束に一切金を出させない。一度だけ間違えて呼んだ、妻の名前は「静」。

新聞社で働く良時は、長年連れ添った妻が他の男との間に子供を作ったことが原因で離婚したばかりだ。一人暮らしに戻った家に、いきなり一人の男が訪ねてくる。長い付き合いの友人で、同じ会社の別部署で働く同期で、妹の夫。赴任先の香港から帰国して日本で働くことになったかれは、帰国早々妻の待つマンションではなく良時の家に来た。帰国したらマンションが解約されており、実家に帰った妻は「離婚したい」と一方的に告げただけでこちらからの連絡に応じないのだと言う。しかしいきなりの大事態にそれほど驚いた様子も困った様子もないのは分かっていたからなのか、元々の食えない性格の所為か。
ともあれ、良時はその男を、妻が出て行ったあと一人のものになった我が家にしばらく泊めることになった。それが、佐伯密だった。

静良時には二歳年下の、生まれた時からいくつもの器官に欠陥のある体を持った妹・静十和子がいた。「静」は佐伯にとって妻の、そして妻の兄の名字だった。一般的な両親と、10代のころから住み込みの家政婦のようなことをしている親戚の雪絵、そして健康で運動も勉強も人間関係も比較的良好な自分。家族の関心が十和子に向いてしまうことを不満に思ったこともなく、良時はそれなりの小学生生活を謳歌していた。佐伯に出会ったのは、かれが十和子の隣のベッドに入院したことがきっかけだ。一方的に佐伯に懐いている十和子が、大好きな友達に大好きな兄を紹介したのがきっかけで知り合いになった。
この時既に皮肉屋で大人顔負けの知識と憎まれ口を持ち、本を読んで英語のラジオを聞いていた佐伯は、良時にとって珍しい存在だった。かと思えば十和子のために本の漢字にふりがなを振ってくれたり、ヒステリックになった母とぶつかった自分を気遣うようなそぶりも見せる。佐伯と十和子と良時が心を許して仲良くなるのに、時間はかからなかった。

佐伯の退院が決まったころ、十和子は良時に佐伯から聞いた話をした。佐伯は元気になったら、大人になったら、世界中を回ると言っているのだと目を輝かせて話す十和子に、良時は「十和子も元気になって連れてってもらえよ」と言った。小学生たちが話す、なんでもない未来の話。けれど十和子は、それが自分には無理なのだと知っている。具体的に大きなひとつの病を抱えているのではない代わりに、先天的に複数の不備のある体を一生抱えなければならない十和子は、海外を飛び回れるほど「元気に」なる日など来ない。どこまで理解しているのか分からないが、たぶん十和子は、そのことを知っている。
だから彼女は言う、佐伯と兄が遊んできて、帰ってきたらそのことを十和子に教えてくれればいい、と。「十和子はずっとそれでいいよ」と。十歳にも満たない段階で諦めて割り切って明るくふるまうことを身に付けた妹の姿が、良時には耐えられない。そのことを後で打ち明けると、佐伯は「心配すんな」と言った。三人で「ずっと遊んでようぜ」と。
それを良時は宣言のようだと感じた。実際、それは佐伯の人生の指針になり、かれはそのための努力を三十年以上続けることになる。

佐伯の退院後も、それぞれの進学後も三人の関係は続いた。良時に彼女がいるときもいない時も、十和子が入院しているときも実家にいるときも、三人の友情は途切れなかった。良時の視点で振り替えられる自分たち三人の過去と、帰国して以降同じ会社で働く佐伯の仕事ぶりや自分の関係、佐伯と話し合うつもりもない妹十和子との会話など、現在と過去が交差しながら、出会ってから今までの三十年強が語られていく。
どのエピソードも印象的で魅力的で、鮮烈だ。ある時佐伯にとって唯一の家族だった父が死んだと聞かされて、良時は夜行列車に飛び乗って佐伯の元に駆けつけた。葬式や火葬場での不謹慎だけれど共感できてしまうエピソードと、その夜別れる瞬間に佐伯が一瞬見せた弱さのバランスがいい。またある時は、当時地方に転勤していた良時の元にいきなり佐伯が来た。とうに既婚者だったかれに良時が結婚することを告げると、佐伯は予定を切り上げて帰って行った。その理由を多分二人とも知っていた。

大学生のとき、同じ新聞社を受けた佐伯と良時は合否結果を待っていた。働くことなど到底できるはずもない十和子が初任給で何を買ってくれるのかと冗談を言ったとき、「すげえもんやる」と佐伯は言った。
そして良時と同じ会社に就職が決まった佐伯は十和子にプロポーズし、卒業早々彼女と籍を入れた。佐伯にとってずっと一番大切な女の子は十和子だったし、佐伯は十和子を愛していた。けれどその思いよりもつよく、そうすることでかれは三人が「ずっと遊んで」いられるようにしたのだと思う。
就職して家を出ても、転勤で遠くの地域に住むようになっても、めったに会えなくなっても、良時と十和子は永遠に兄妹の絆で結ばれている。同じ会社に勤めている良時と佐伯も、たとえ遠く離れても、何かと会うことが出来る。けれど十和子は永遠に家から出られない。調子が良ければ外食や買い物に行くことくらいは出来るが、それが限界だ。「三人」でいるには十和子と佐伯の絆を堅く結ぶ必要があった。そして、十和子と佐伯・十和子と良時の絆を永遠のものとすることで、自動的に佐伯と良時の関係も家族になり、永遠になった。
おそらく佐伯にしてみれば、そうすることで十和子が両親を安堵させられるという効果も狙っていたのではないだろうか。十和子を「結婚できないくらい弱く産んだ」ことに負い目のあった父母は、十和子の事情を須らく理解したうえで結婚したいと申し出る一流企業勤めの男の登場に、少なからず救われた。そのことを十和子が理解していた以上に、聡明な佐伯は理解していたように思える。勿論かれは十和子抜きで良時と生きてゆく道を強引に選ばない程度には、本当に十和子を愛していたのだと思う。

けれど今十和子と佐伯の関係は崩れようとしている。良時と八重が夫婦の関係を解いて他人となったように、十和子と佐伯も夫婦ではなくなろうとしている。その代わり、同じ家で暮らして同じ会社で働く良時と佐伯の間はどんどん濃厚になる。
いつから好きだったとか、決定的なきっかけとか、そんなものはない。けれど確かに、気づいた時には佐伯は良時が好きだったし、良時は佐伯が好きだった。佐伯は十和子を含めた三人の関係を持続する道を選び、良時は佐伯が結婚したことに焦って八重と結婚を決めた。そしてそれらが崩れた今、かれらを阻むものはないに等しかった。
背を押したのは、佐伯が露悪的に吐露した香港での話だった。香港で付き合っていた相手を結構本気気に入っていたのに、後から出てきた男に寝とられてしまった。その相手はこれまでのような女じゃなく、男だった。男と何度も寝た。その自白に、良時は怒り、我を忘れて佐伯を抱いた。
お互い意識しつつも踏み切れなかった一束と圭輔が一線を越えたのも、圭輔が一束と佐伯の関係を知ってかっとなったことがきっかけだった。そう思うと佐伯と一束はやっぱり似たもの同士なんだろう。

佐伯が良時を好きなことも、その上でどれほどの想いで自分と結婚しようと決めたのかも、自分を本当に愛していることも十和子は知っていた。良時がずっと佐伯を好きだったことも、その上で十和子と佐伯の結婚生活を祝福し、長く続くように心から願っていたことも、彼女は知っていたのだろう。
佐伯の妻として両親を看取った十和子は、「幸せな娘」で在り続ける責務から解放された。そして、佐伯と良時を解放することを決めた。良時が、十和子を愛している佐伯の姿を見て微笑ましく思っていたように、十和子は、良時を愛している佐伯を見ることが嫌ではなかったのだろう。良時も十和子も、嫉妬よりも深くきょうだいを愛していたし、ある意味で誠実な佐伯の愛を認めていた。いびつな関係の筈なのに、何故か歪んだ感じはしない。

佐伯との関係を圭輔に聞かれた一束は、「絶対に僕をいちばんに思わないところが好きだった」と言った。誰よりも妻を愛している佐伯との関係は一束にとって楽だった。お互いに一番じゃない、プラスチックで出来たホンコンフラワーみたいに、にせものだから枯れずに続く関係だったから。
一束の想像は、半分正解で半分はずれだった。佐伯にとって一束は確かに一番ではなかった。かれには一束ではない本命がいた。けれどそれは、一束が確信している妻ではなかった。佐伯は十和子を今までもこれからも愛しているけれど、一束に触れたような意味で欲し続けていたのは良時のほうだった。一束が本物の花を手に入れたあと数カ月遅れて、佐伯もまた、長年求め続けてきたものを手にした。

ちょっと自分でも気持ち悪くなるくらい「is in you」が好きなんだけど、こちらもむちゃくちゃ面白かった。皮肉屋で口が悪くてワンマンだけど相手を立てることができて仕事ができる、とんでもない男がとにかく魅力的に描かれている。その長所だけでなく、弱さとか脆さも魅力的だからずるい。そして振り回される良時も、行動力があって寛容で、けれど庶民的な感覚を持っている。かれら二人にとって一番大切な女性である十和子も、浮世離れしているけれど物語上都合よく立ち回ってくれる不思議ちゃんというわけでもなく、困難な状況の中で色々考えて人生を見通す大人の女性だった。
佐伯と十和子がディナーの帰りにタクシーの中で交わす会話が大好き。やっぱり佐伯は十和子を、単に妹のように・家族のように・ともだちのように好きなだけでなく、恋愛対象の女性としても好きだったのではないかな。それが性愛には結びつかなかったけれど、全く恋がないとも言い切れない。だからこそ良時に、十和子と「ひとりの人間で生まれてきてくれなかった」ことを恨む、と言ったのだろう。
割り切れないこと、佐伯が繰り返した「ままならねえ」ことの沢山ある世界。沢山ある人間関係。だからこそ美しい。

十和子の面倒を死ぬまで見るつもりでいる家政婦・雪絵の台詞が印象的だ。どうやら複雑な環境に生まれたらしい彼女は、進学も結婚も一切考えず、静の家に尽くしてきた。姉のように十和子の体を心配し、母親の精神状態が不安定な時は良時を庇ってくれた。口の悪い佐伯に最初から好意的ではなかった雪絵は、口さがないことも言ったけれど、いつだって良時と、何より十和子の味方だった。
その彼女が佐伯について言った「十和子さんに、知恵という喜びを最初に授けてくれたのは、あの憎たらしい密さんでした。だから私は今でも、その一点においてはあの人に、感謝をしているんです」という台詞が大好きだ。体の所為でまともに通学できず、院内授業もしばしば休むために拒んでいた十和子は、仕方がないことながら年齢に応じた教育を受けられない子供だった。人として大切なことは知っていたけれど、決定的に知識や学問に触れる機会が少なかった。それでもいいと思って特に勉強を強いることも薦めることもしなかった家族と違い、佐伯は十和子がものを知らないことを真正面から指摘し、彼女に本を与えた。漢字が読めないと言えばふりがなをいちいち振ってやり、外出も日常生活もままならない彼女に本の面白さを教えた。他の世界の楽しさを、遠い国の魅力を、教えた。
良時が十和子に生きることばかりを望んで他のことを教えなかった自分や家族の在り方に気づいていたように、雪絵もまた、外からやってきた生意気な少年が十和子に齎したものを知っていたのだ。雪絵の十和子への想いと十和子の飢えを思うと泣ける台詞だ。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 21:10 | - | - |

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