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水城せとな「脳内ポイズンベリー」1

水城せとな「脳内ポイズンベリー」1
もうすぐ30歳になるいちこは、以前飲み会で少し会話しただけの早乙女を偶然ホームで見かける。かれを良いなと思っていたいちこは、話しかけるべきか迷う。

「窮鼠はチーズの夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」の中で、目先の快楽や都合のいい展開に流されやすい主人公・恭一が選択肢を突きつけられたときに、かれの心象表現として「黒恭一」「白恭一」「グレー恭一」という三名が討論するシーンが何度か描かれていた。それに限ったことではなく、財布を拾ったとき、警察に届けようと言う天使と、このまま自分のものにしてしまおうと言う悪魔が言い争うような表現や、複数の選択肢をトランプのカードに見立てた表現など、葛藤した人間の選択肢の具象化はこれまでに数え切れないほど描かれている。

寧ろ最近では古びてしまったのか、あまり見なくなったきらいのあるこの表現を思いっきり描いたのがこの作品。29歳、独身、彼氏ナシのいちこは、ぼんやりしているけれどごく普通の女性だ。全体的に受け身で、積極的に人に話しかけるタイプではないけれど、ずば抜けて無口なわけでも人見知りが過ぎるわけでもない。ちまちましたものを作ったりするのが好きで、掃除のときはきびきび動く。恋愛経験もそれなりにあるようだ。
いちこは先月、しっかりものの友人が開いてくれた飲み会で出会った早乙女を、ちょっといいなと思った。そのちょっといいな、にはあまり確固たる理由はない。顔とか服とかお箸の持ち方とか雰囲気とか、とりあえずひっくるめて「感じ」が良かった。一回会っただけでフルネームを覚える程度には好印象で、だからと言って友達づてに連絡先を聞いたりもう一度セッティングして欲しいと言うほどの熱意もなかった。そういうちょっといいな、は多分世の中にゴマンと転がっている。それを次に繋げるのか繋げないのかは本人たちの行動力と、運次第だ。
いちこにはその運が来た。偶然かれが一人でホームにいるところに出くわした。声をかけて失敗したとき、つまり相手が覚えていなかったり邪険な態度をとったりしたときに、一番恥をかかなくて済む状況。すぐに立ち去ることもできる。でもでもだからと言って、気軽に声をかけられる訳じゃない。この上ないチャンスだと分かってるし、それほど不自然でもないし、でも勇気がいる。前もってこんな時が来ると分かっていれば気の利いた言葉を考える事も、友達にアドバイスを貰うこともできるけれど、大抵のチャンスはいきなりやってくるのだ。そして逃してから後悔しても、遅い。

ホームに立って電車が来るまでの、おそらく僅かな時間、いちこの頭の中は話しかけるかかけないか・かけるとしたら何と言うのか、パニック状態だ。その状態が、見た目も性格もばらばらの、それぞれ名前までついているキャラたちの会議というかたちで描かれている。
単純でその場の感情を最優先するロリータファッションのハトコ、ポジティブで人のよさそうな男・石橋、ネガティブで頑固なスーツ女・池田、多数決を重んじるあまり若干流されやすい眼鏡の男・吉田、あらゆる事を書き溜めておきて記憶や過去を振り返る書記の老人・岸。いちこの行動はかれらの討論の上の多数決と、多少の暴走によって決められる。
少し口を開いただけではっきりキャラが見えてくる脳内の住人達のやりとりがてんでばらばらでいちいちハイテンションで面白い。何でもありのキャラなので、絶望すれば目の前に首を吊る縄が下りてくるしまつ。それぞれの異なる主張が全部どこかしら共感できるので、いちこがなかなか答を出せないのもよくわかる。

雰囲気が良くてかわいい年下の男は、アーティストなこともあって自由気ままで何を考えているのかよく分からない。いちこの感情の機微に鈍いし、気も利かない。けれど単純でフシギで可愛い。
早乙女にしてみればいちこは30歳としては「ないわー」な若さで、ぼんやりしているかと思ったら案外しっかりきびきびした面も持っていて、自分が何気なく言ったことを思いっきりネガティブにあさっての方向に解釈していて、かと思えば他の男の事を嬉しそうに話す。
年齢が離れている上に性格も違う男と女は、なかなか分かり合えない。脳内会議で疲れ果てて導き出した答えが、必ずしも効果的に働くとも限らない。

早乙女といちこの関係は一筋縄じゃいかないし、いちこに居心地の良い環境をくれる上早乙女との仲を応援してくれる越智は、早乙女の昔の恋人の話を聞いて表情が曇ったあたり因縁がありそうだし、単なる恋愛ものとしても非常に続きが気になる。なんてったって水城さんなので、どうせ最終的には早乙女といちこがうまくいくんでしょ、なんて気楽に身構えていられない。早乙女と拗れたあと越智とうまくいくならまだしも、全然予想だにしていなかった終わりを見せてくれることもあるのが水城せとなだ。

更には脳内に突如現れた、他の住人が知らなかった「謎の女」の存在。かれらの多数決を無視して行動を起こさせた彼女の力ともども、今後が気になるところ。自分が記した過去のノートをひらくことができる岸が、閲覧を禁じられている「暗黒付箋」も気になる。単なる選択肢の擬人化で終わらせず、ファンタジーの中にもミステリー要素が含まれているところがまた面白い。

あとがきで作者がコミュニケーション障害についてふれている。何故相手がそんなことを言うのか、今何を考えているのか、分からないからこそ自分も色々余計なことを考えてしまう。効果的な言葉を探して失敗したり、心にもないことを言ってしまうこともある。相手もまた同じだ。自分に良く思われようとしてしくじったり、自分を馬鹿にしている気持ちを隠して褒めてみせたり、試行錯誤と手練手管とそのときの気分、第三者の悪意や善意、なんだか色々絡まって、ストレートな本音を寸分違わず伝えることなんか、きっと不可能だ。言葉と態度、嘘とごまかしと作戦、ああもう面倒だけれど、我々はそれ無しには人と付き合うことが出来ないのだ。
勿論それは同性の友人相手にも、異性の友人相手にも、家族相手にも言える。けれどやっぱり一番顕著なのは恋愛相手、それも元々持っている言語が異なる(ことが同性と比べて多い)異性の恋愛相手なのだろう。
幸いなのか不幸なのか、多くの男性と多くの女性はコミュニケーションの取り方が全く違う。ストレートなことを好む男性と、回りくどくても波風を立てない方法を好む女性、なんて大まかに分けてしまうのは乱暴だけれど、多くの男女はそうなのだと思う。恋愛が絡むとお互いに、友情よりもテンションがあがって敏感になっているから余計に差が開いてしまう。だから早乙女の一言をいちこは拡大解釈して、勘繰って傷つく。だからその傷を見せずに去ったいちこの言葉にしない気持ちが、早乙女には分からない。

水城さんにはもっとBLを描いて欲しいという気もするんだけれど、ご本人がBLジャンルで求められているものに応じられないと言っていたのも分かるし、なにより分母が大きいだけでBLと挿げ替え可能な男女物を描いているのではなく、男女物でしかできないことをやっているのだと毎回実感できるので、素直に提示されるものを楽しむことにしよう。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 21:15 | - | - |

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