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一穂ミチ「is in you」

一穂ミチ「is in you」
父の仕事の都合で七年間暮らした香港から日本へ戻ってきた高校一年生の一束は、学校生活のあらゆる面に馴染めず、旧校舎で一人時間を潰してばかりいる。一人きりの世界にいきなり入ってきたのは、三年生で水泳部に属する圭輔だった。しかしうまく自分の気持ちを受け入れることさえできない一束は、圭輔の告白を振り切ってしまう。
そして十三年後、香港でコーディネーターをしている一束は、転勤してきた圭輔と再会する。

読み終わったあとも動揺とか高揚が取れず、数日間世界に引っ張り込まれた作品だった。寝ても覚めても余韻が残っている、そういう話だった。面白かった!

いくつもの不便や差別を経てようやく慣れ親しんだ香港からの帰国に一束は倦んでいた。日本の風景も学生も何もかもが合わず、掌を返したように日本を称賛する母親を疎み、不満を抱えて立ち入り禁止の旧校舎で煙草を吹かす。誰にも入られないためにダイヤル式の錠まで付けて。
けれど圭輔はその数字を説いて旧校舎の、一束が籠る教室へ踏み込んだ。そしてかれは、何重にも警戒の網を張った一束の心にも踏み込んでくる。
背中の毛を全て逆立てて警戒していると言いたげな態度と、瞬きすら億劫でなにもかもどうでもいいと言いたげな態度。日本に苛立つと同時に、中国への返還という大きなイベントを迎える香港に今いないことに消沈している一束は、その両方を滲ませていた。けれど、遠慮がない代わりに素直で真っ直ぐな圭輔の言葉に、かれは心を開く。他の誰に言われても不快だったことが、圭輔だと気にならない。だれともろくに会話していない一束を見抜いたのか、圭輔はかれと沢山会話をしてくれた。香港の話を聞きだしたり、水泳部に勧誘してみたり、数学記号の読み方の違いを言い合ったり、まだ漠然とした将来の夢を語ったり。なんでもない学生の会話がつもって、一束は圭輔に興味を持つようになる。学校で会うだけでは足りないと思うようになる。友達との会話や付き合いに慣れていない一束が、考えるより先に口から出してしまったその希望を、圭輔は飲んでくれた。

奇妙なほどに順調に進む展開は、そう長くは続かない。初めて学校の外で会うと決めた日、待ち合わせ場所に来た圭輔は、自分の彼女と部の後輩という、あからさまに一束に興味を持っている女子を連れてやってきた。圭輔に同じ部の彼女がいることはクラスメイトの噂で知っていたし、圭輔が彼女に後輩の男子である一束と二人で出掛けることを報告していてもおかしくない。部活の子に言ったって、別に悪くはない。ひと組のカップルと、男と、その男と仲良くなりたい女。どう見たって「そういうこと」だ。圭輔が発案者ではないにしても、かれは「そういう」状況を作ってしまった。
何より一束が腹を立てたのは、圭輔が後ろめたそうにしていることだ。圭輔はこの状況に対して罪悪感を抱いている。この状況が、一束にとって望まない状況だと知っている。知っていて、二人を連れてきた。
怒りの衝動のまま、一束は店を出る。追いかけてくる圭輔に、日本語では言えない本音を広東語でぶちまけて、雨の中を傘もささずに帰る。この頃の一束にとって、日本語はうまく気持ちを乗せきれない、表現しきれないものだった。先日まで日常的に使っていた広東語を口にしたことが、かれ自身も整理しきれないでいた感情を暴発させた。腹が立つ、訳が分からない、かなしい。
はじめ、一束は伝えたくないから圭輔に分からない言葉を選んだのかと思ったけれど、そうではなかった。かれにとって最初に出た言葉が、一番感情を表せる言葉がそれだったのだ。それほどまでに一束はこの時感情的になっていたのだ。

そしてその言葉は、広東語をひとつも知らないはずの圭輔に伝わった。後日冷静になった一束は圭輔からの謝罪を受け、彼女と別れたという話を聞き、ふと、自分が言ったことが伝わったかと聞いた。広東語を浴びせかけた圭輔の顔色が途中で変わった気がしたからだ。すると圭輔は、分からないけれど、と前置きしたうえで、かれが察知した雰囲気を口にした。それはそのまま、あの時一束が抱いて一方的にぶつけた感情だった。
分かられている。分かってくれている。その感情が一束を揺さぶる。泣きだしてしまったかれに圭輔は狼狽し、けれど抱きしめて、「好きだ」と言った。二人きりの待ち合わせに女の子たちを連れて行った理由。これまで一束に抱いていた感情。それは一束の望むもので、一束と同じ感情だった。けれど圭輔の手が体をまさぐった瞬間、一束は力一杯かれを突き飛ばして、逃げた。
そしてそれっきり、十三年間会わなかった。

十三年後の香港でかれらは再会する。香港在住のコーディネーターとして週に数日新聞社の仕事を手伝う一束が紹介された、新しく赴任してた支局長こそ、圭輔だったのだ。
若かったとはいえ、ひどい別れ方をしたのだ。気まずくないはずがない。一束だってそのあと恋愛経験を重ねているし、公私混同で仕事に支障が出るようなことは望まない。けれどどうしたって気さくに打ち解けられるはずがない。そういう微妙な心情を知ってか知らずか、圭輔は気軽に話しかけてくる。仕事の話、香港でのルールや住居の相談、仕事仲間の噂話。そうやってある程度気持ちがほぐれてきたところで、かつての、あの最後の日のことを謝罪する。圭輔は昔からそうだった。年齢の差なんか関係なく、自分が悪いときは謝ることのできる男だった。単純だけれど気配りもできる、そういう男だから一束は好きになったのだ。なあなあで済ませずきちんと謝罪した圭輔の言葉を受け入れた一束は、その上で新しい関係をつくろうと言う。

圭輔の前任の支局長であり、もうすぐ日本へ帰る上司・佐伯が凄くいい。幼いころから病弱だったかれは、日本で待つ同じく病気がちな妻を溺愛しており、かつ、一束と寝る関係にある。お互いに相手が自分の一番でないこと、自分が相手の一番でないこの関係を楽だと感じる一束は、佐伯が香港にいる間だけのことだと割り切って関係をずるずる続けている。
仕事ができて皮肉屋で、新聞記者らしい無茶も通す佐伯は魅力的だ。けれどかれの一番の魅力は、どうやったって隠しきれない昏い影や憂いだ。健康なもの、自由なものへの過度な憧れが形を変えたいびつな嫉妬。手に入れられないものがひとより沢山あった子供は、諦めることに慣れた大人になって、その分自分が手に入れたものを欲している相手にわざと見せびらかす。妻を愛する気持ちに偽りもぶれもないかれは、見るからに一束に惹かれている圭輔の前で、わざと露悪的に振舞ってみせる。かれにとって、若くて健康で健全な精神を持っている圭輔は最も憎たらしい相手だったのだ。
そう思えば、赴任先で女と遊びまくっていたという噂も流れる佐伯が、香港で一束とばかり関係を持っていたのも分かる気がする。既に克服したとは言え、佐伯と同じように自分ではどうしようもない病を持っていた一束は、かれにとって心が許せる、魅力的な存在だったのだろう。佐伯は一束の体のことを知らなかったし手術痕を見ても特に話題にしなかったけれど、病の内容やその状態ではなく、病を持っていたことのある一束の心が佐伯を引き寄せた。
一番好きなエピソードは、佐伯が子供のころに読んだ本の話をするところだ。なんでもない雑談、お約束とも言える物語の羅列から、一束は少年時代の佐伯の鬱屈を感じ取った。感じ取れる一束だからこそ佐伯はかれを気に入った。

佐伯の露悪的で攻撃的な挑発は圭輔を煽った。おそらく過去の経験から必死に自分を抑えていた圭輔は、佐伯との事を投げやりに語る一束の態度に焦りと憤りと、単純で純粋な欲求を覚える。どこまでいっても素直に圭輔を好きだと言えない一束には、この方法が一番良かったのだろう。
かれがあの時好きだった圭輔を拒んだ理由、ぶかぶかの服ばかり着ていた理由も明らかになる。事情は分かっても、圭輔はその時の一束の心情を本当の意味で理解することはできないだろう。佐伯ならば言わなくても分かってくれるその気持ちを、口にされても圭輔は分からない。けれど、分からないからこそ乗り越えられる。なにより、そんなことは瑣末だと思えるくらい、一束も圭輔が好きなのだ。

十三年間ずっと一束のことだけを思っていたと言えば嘘になるけれど、一束以上に好きになる人はいなかった、と圭輔は言った。都合がいいけれど、自分でも都合がいいと分かった上でかれが言った、言わずにおれなかった、不器用な告白だ。
それが嘘でも大げさでもなかったことは、何も言わずに混乱した国へ飛び立って行った圭輔のマンションを一束が家探ししているときに明らかになる。一束に見せると言っておきながら約束が反故になった飼い犬の写真の裏に隠されている、文字の消えかけたメモ。それだけで一束はすべての覚悟を決める。

ふしぎなラストだった。それまでの展開からは想像しがたい展開がどこへゆくのかと思ったら、あっさり解決してしまう、そういうオチだった。けれど結果ではなく、一束の心情が確かに変化したこと、圭輔の長い愛情が分かることが大切だったのだと思う。拍子抜けしたというよりは奇妙な感覚に陥ったけれど、その不思議さも含めてとても好きな話。

その後の話「is in me」はもう少しやわらかめの話。「朝から朝まで」でも感じたけれど、作者が「報道」というものに対して一過言ありそうな印象を、こちらでも受けた。最悪の状況で、それでも眠ってしまう圭輔なんかすごく生々しい。それをあさっての方向で受け止めてる一束が可愛くていじらしくてピントがずれてていい。

久々に手放しで好き!大好き!と言える作品。

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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 22:24 | - | - |

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