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西原理恵子「毎日かあさん 6 うろうろドサ編」

西原理恵子「毎日かあさん 6 うろうろドサ編」

子供が幼い時の育児漫画を敢えて書こうとしなかったのは、「赤ちゃん(子供)が可愛い」というオチで完結してしまう話を書くことは自分の作風と合わないと思ったから。そのあと、子供にそれぞれの人格ができてくる様子が非常に面白かったので、それを漫画にすることにした、と西原理恵子は色々なところで語っている。
単に喜怒哀楽を泣いて示す赤子ではなく、かと言って大人には検討のつかないような奇怪な行動を次から次へと取り続ける、ちょうどいい時期にいる二人の子供の話が「毎日かあさん」では描かれている。大人の一年と違って子供の一年はとても長く、想像できないほどの変化を成し遂げることもままある。ちょうど男の子と女の子が一人ずついる、というのも話の幅が広がって良かったのだろう。行動に理由のない男の子と、既に女性としての手練手管を身につけ始めている女の子。二人の子を持つ「かあさん」と、その周囲の人間たちが子供に振り回されたりする様子がおかしかった。

けれど子供はどんどん大人になる。と言ってもまだ小学生だけれど、二人の行動にこれまでのような突飛さを見ることは少なくなった。哀しい別れや沢山の出会いを経験して子供たちは大人になる。そのことは誰しもが経験する通過儀礼だし、喜ばしいことでもあるけれど、漫画のネタが変わっていくことを余儀なくされる。手を叩いてお腹を抱えて笑わされるような話は、それが実話に基づくものであれフィクションであれ、少なくなった。
これからも子供は成長する。兄夫妻が経験した「反抗期」を迎えるのか、案外迎えないまますっと大人になるのかは分からないけれど、どちらにせよ大人になってゆく。長男は泥だらけの溝にはまって遊んだりしなくなるし、長女は将来の夢を聞かれて「ハム太郎」とは答えないだろう。寂しいけれど、世の中のかあさんは(とうさんも)それを経験してきているのだ。
西原理恵子はその日が近づいていると知っていて、けれどこの巻ではまだ受け止めきれずにいるようにみえる。子離れできそうにない、と描く彼女の不安や寂寞が溢れている。その雲が作品全体を覆って、麦ちゃんのおうちのようなばかばかしくも愛しいエピソードにも、どこかキレがないように思った。毒がないというか、突き抜けきっていないような不発感が漂っている。それもまた、子供を持つかあさんのリアルな気持ちなのだろう。

あとは二人の子が、年齢にしては非常に物分かりの良い子に育っていて、微笑ましいと同時にすこし寂しくもある。二人がかあさんのワガママをはいはいって言いながら嚥下して聞いてくれているような印象を受ける。今は振り回されていると思っているのかもしれないけれど、実際そうなのだけれど、他の子供たちが見られないものを沢山味わった経験が、いつか大人になったふたりの財産になるといいな。

三人でカンボジアへ行った話もいくつか。
鴨ちゃんが「カンボジアでたくさん死体をみてきたから カンボジア人の子供がひとり欲しいな」と言ったというエピソードを思い出した。そのとき西原は「いいよ」と言ったけれど、結局それはかなわなかった。けれど鴨ちゃんが西原に見せたもの、聞かせたものは彼女の中にたくさん残っていて、それが子供たちに伝えられていることは随所に描かれていて、うれしくなる。

鴨ちゃんが子供につけようとしていた名前のエピソードも印象的。それをただ西原が覚えているだけでなく、子供たちもきちんと知っている。そして両親の間では叶わなかったことを、娘が自分がいつか子供を産んだ時に叶えようとしている。まだ10歳くらいの子が、年齢ゆえの幼さと、年齢に似つかわしくない信念を持って存在している。すごいなあ。

この巻だけで言えば、他の巻に比べていまひとつという感想しか浮かばないのだけれど、そのいまひとつなところも含めて、今後の子供たちと西原の心情が楽しみでもある。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 22:32 | - | - |

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