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一穂ミチ「藍より甘く」

一穂ミチ「藍より甘く」
大学のゼミもバイト先も同じ、自他ともに認める親友の遥から、暁行はいきなり告白された。最初から受け入れてもらえることを想定していない遥の告白のあとも、ふたりは変わらず友人として付き合っていたが、暁行は次第に遥を意識し始める。

最初の作品であった「雪よ林檎の香のごとく」を読んだとき、多少の内容の不足分など補ってあまりあるほどに、文章の清冽さが好みだと感じた。それから数えて四冊目になる「はな咲く家路」を読んだ時は、処女作にあった気恥ずかしいほどの清冽さや胸をえぐる峻烈さがなりを潜めてしまったように思った。その分話の構成は格段にうまくなったように思ったので、両立することは難しいのだろうと勝手に自己完結していた。
しかしこれはその両方を成立させた作品だと思う。予想できない物語展開と、胸をうつ文章、そのふたつがきれいに形になった。なんでもない会話のやりとりも、暁行の些細な感情の変化も、殆ど表面に出さない遥の思いも、全部がすごくいい。好きすぎて打ちひしがれてしまうくらい、好き。

暁行には付き合って三年目になる、同じ大学の彼女がいる。そのことは遥も当然知っているし、二人はうまくいっている。このままいけば、就職して何年かして結婚するんだろうと本人を含めたみんなが思っている、そういう順調なカップルだ。
それでなくてもヘテロで、そんなことはおいておいても自分に一切そういう意識を抱いていない暁行が、自分を好きになるなんて遥は微塵も思っていなかった。困らせることは分かり切っていたし、もしかすれば憎まれたり避けられたりするかもしれないから、告白するつもりなんてなかった。なのに、魔がさした。逃げ場のない観覧車の中で、思わず隠してきた気持ちを告げてしまった。

セクシャリティと片思いの両方を一度に知られてしまった遥よりも、知ってしまった暁行の方が動揺した。自分になにか思わせぶりなところがあったのではないか、今まで無意識のうちに傷つけてきたのではないか、自分のどこが好きなのか、誰にも言えないその気持ちを、暁行はブログに書き綴った。誰かに読ませるためのテキストではなく、ひとりで抱えきれない気持ちを吐き出すだけの文章をアップしつづけた。
それでも消化しきれない気持ちは、遥自身に向けられることもあった。思わず酷い言葉を投げてしまったり、よかれと思って言ったことでかれの胸を抉ったりして、それでも二人は一緒にいた。同じバイト先で働き、一緒に帰り、夏休みには泊り込んで遥の家業を手伝ったりもした。暁行はそのどれもが楽しくて、同じくらい居心地の悪い思いもおぼえていた。たまに見せる遥の本音からも、かれが複雑な心情を押し殺していることは伝わってきた。それでもかれらは一緒にいた。

代々藍染めをしている家に生まれた遥は、暁行や他の大学生が知らないことをたくさん知っている。そのなかの最たるものが、一概に青と読んでしまうようなさまざまな色合いの名称だ。藍色や青色のものを見るたびに、暁行はその名前を遥に聞いた。かれは由来を含めた名称をすぐに答えてくれた。そんな他愛もない会話を交わしながら季節は過ぎてゆく。暁行の就職活動、夏休み、そしてクリスマス。これからも永遠に続いていくような会話をしながらも、二人の間にはどうしようもないズレが生じていた。暁行はもう彼女の話を遥にすることはできなくなったし、たとえば二人でどこかへ出かけようとかいうことも、一人暮らしをしている遥の家に気軽に行くようなことも難しくなった。恋人みたいだな、なんていう軽口の冗談は、二度ときけなくなった。
激しいやり取りはひとつもない。穏やかで優しい時間の中ですれ違いが生じ、広がり、取り返しがつかなくなった。ゆるやかに起きる変化だからこそ、修復できない。暁行が別れを告げようとする夜に遥が巻いていたのは、秘色と呼ばれる青いマフラーだった。秘色。それについてのエピソードは語られなかったけれど、せつない決別の夜にこれ以上ふさわしい響きの色はないように思える。

いくつかの事件があって、暁行は遥が引越し作業をしているところを訪れる。暁行が別れを切り出したときですら、最初からわかっていたかのように落ち着いてそれを受け入れた遥が、ここでようやく本音を出した。言葉も態度も分かりづらいかれがどんなに自分のことを好きだったのか実感した暁行は、思わずかれを抱き寄せて「ばかめ」と言った。ごめんでもありがとうでも、ましてや好きだでもなく、「ばかめ」と。こんなに自分を好きになって、叶わない恋にひとりで耐えて、不満のひとつも言わずに消えることしかできない遥に一番ふさわしい、やさしい言葉だった。遥を理解したからこそ言える言葉だった。友情かも同情かもしれないけれど、とにかく暖かい情が動いた。

その日会ったばかりの男と寝ようとしたことがある、と言った遥に、暁行は怒った。なにも本気で激怒したわけでなく、過去のあやまちを突っ込んだくらいの強さで。しかし遥はそのことを後悔も否定もしなかった。「自分にだけしっぽがついてるって思いこんで生きてたら、ほかにもしっぽ生えてる人がいて、そしたら見せ合って安心したいじゃん。しっぽ生えてるよね、おかしくないよねって言いたいじゃん」というかれの比喩が哀しい。
自分は異物だとかれは思い続けてきた。一見他の皆と何も変わらない人間なのに、実はしっぽがついている。殆どのひとにはついていないことも知っている。ついていないひとは、ついていないひとのことなんて考えないから、平気な顔でしっぽのついていない姿を見せてくる。そのたびに遥は傷ついて、自分のしっぽを悟られないようにふるまった。けれどそこに、自分もしっぽがついていると言う人間が現れた。そうなったら、たとえそのひとが良く知らないひとでも、好きでも嫌いでもないひとでも、とにかく確認してみたくなったのだ。自分ひとりじゃないことを一刻も早く確認して、安心したかったのだ。
「おかしくないよね」という言葉が苦しい。かれがずっと自分はおかしいのではないかと思ってきて、それを払拭するための手立てを探していたのだとわかってしまう。そこまで追い詰められていたのだと、おとぎ話のような例えを聞いて、暁行は知った。

そのあともなかなか一筋縄ではいかないことばかり。しかしブログのことも、彼女のことも、すごくいい結末だった。暁行の彼女である真希が、ちっともいやな子じゃないところがまたいい。不実なわけでも身勝手なわけでもない、とても普通の子だ。このあとバイトに行くから全て落とさなくてはいけないのに、彼氏に会うためだけにネイルアートを丁寧にやってきて、それを褒めてとも言わない子だ。女兄弟のいた暁行はそういうことにきちんと気づく。そういう健気さをありがたいと思っていて、可愛いと思っている。それでもかれは遥を選んだ。真希がだめだからじゃなく、遥がいいから。遥のほうがいいから。
終わった瞬間に最初に戻ってもう一度読み返したくなる、そういう結末だった。

本編の後日談にあたる掌編二本もよかった。かれらは恋人としては付き合いはじめたばかりだけれど、友人としては長い付き合いだ。その微妙な差異が可笑しくて可愛い。お互いのことを凄くよく分かっているかと思いきや、今まで全く知らなかった面を見て驚いたりもする。そういうことが増えていって、いつかはなにもかもが同じになるのだろうけれど、しばらくは新鮮な気持ちを楽しむのだろう。

本当にものすごくよかった。すっごく好き。

そして読み終えてから表紙を改めてみると、最初に思っていた、雰囲気のあって素敵な絵だな、なんていう感想は吹っ飛ぶ。作品の中で二人が乗っていたのは普通のゴンドラだったけれど、表紙では遥だけが、透明のゴンドラに乗っている。透明なゴンドラはかれにとっては単なるアトラクションではなく、世界の中にいる自分そのものだ。たくさんゴンドラがぶらさがってゆっくり回る観覧車。その中にぽつぽつと点在する透明のゴンドラ。どうやっても周りと同じにはなれない、外から丸見えのゴンドラ。だけど独立することなんてできない、永遠に同じつながりの中で回り続けるしかないのだ。その中で複雑な表情をしている遥。作品に似合いすぎているくらい、似合っている。
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posted by: mngn1012 | 本の感想(BL・やおい・百合) | 17:48 | - | - |

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