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2009.09.18 Friday
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小西克幸・野島健児・遊佐浩二・神谷浩史「夜ごと蜜は滴りて2」(原作:和泉桂)
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小西克幸・野島健児・遊佐浩二・神谷浩史「夜ごと蜜は滴りて2」(原作:和泉桂)
清澗寺家シリーズのドラマCD第五弾。和貴主役の中編が三本収録されている。
とにかく待ってましたのCD最新作は、これまでの流れで原作五冊目をドラマ化するのではなく、ノベルスに収録されている中編を集めたものになった。五作目が番外編のような内容で清澗寺家の面々が殆ど出てこないので、こういう形にしたのだろう。
・「蜜よりも夜は甘く」(「夜ごと蜜は滴りて」内)
「夜ごと蜜は滴りて」の後日談。ようやく思いが通じ合ったと思ったのに、自分に一切手を出してこない深沢の所為で、和貴はまたも疑心暗鬼にかかる。飽きられたのではないか、捨てられるのではないかという不安に苛まれたかれは妹の鞠子を利用して深沢をつなぎ止めようと画策し、二人を避暑地に旅行させ、自分はひとり屋敷で夏を過ごす。
相変わらずの昼ドラBGMが冴えわたる世界観に安定したキャスト。日に日に鬱屈としてゆく和貴と、もともとテンションの低い深沢の会話劇の中で、鞠子の清涼感のある声に救われる。
結構脚本は原作をいじっているように思った。改良や改悪と言うよりは、短時間にまとめるための策という感じ。ずっと同じ脚本家で、作品を理解しているからこその手の入れ方だから良いのだけれど、結果的にお互いの気持ちが分かりやすくなりすぎたかな。傍目には両想いの恋人関係にあるのに、決して甘い言葉を囁き合ってお互いを認め合うような関係には見えない二人の気持ちが出過ぎているので残念。
しかし演出や演技はいつも通りとても好み。不安に駆られる和貴の繊細さは全面にでており、父親と同じ顔をしている自分を嫌悪するシーンもすごく良かった。「畜生」と言って物に当たるんだけれど、その当たり方がいまいち弱弱しいあたりが非常に和貴。
そしてひとり屋敷に帰ってきた深沢により、父親の襦袢を着せられ、以前父と伏見が抱き合っていた離れに連れて行かれる和貴の絶叫が切ない。自分の家の中なのに、ここには父も伏見もいないのに、和貴は本気で嫌がっている。恐れている。
そして和貴は、深沢により「躾直し」をされる。手足の自由を奪われ、生活のすべてを深沢によって管理される。動けないなりに最初は抵抗していた和貴が、徐々に諦めて倦んでいく微妙な変化がすごくいい。重苦しく濃厚な雰囲気がとても清澗寺。
和貴と二人きりのときの深沢は、仕事で人前に立っているときのかれとは随分違う。囁くように和貴をあやし、焦らし、責め立てる。この常に囁くような声音がものすごく良かった…!常に吐息多め。
優しさを簡単に滲ませてはくれないところが深沢だ。和貴への愛情を人一倍持っているくせに、かれはそれを和貴に悟られないように秘めている。それがかれの愛し方であり、和貴にとって一番良い方法なのだと信じているからだ。
その所為で和貴は迷い、苦しみ、追い詰められる。精神的に壊れてしまいそうなぎりぎりのラインでなんとか踏みとどまっている、いまにも泣きだして何もかもを吐露してしまいそうな和貴の心情がとてもいい。一番欲しいもの以外のすべてを与えてくれる深沢に、和貴は狂おしい気持ちで縋る。あと一歩で手に入るのに、その僅かな距離が届かない。ぼろぼろになる和貴に、ほんの僅かだけ深沢の声のトーンが優しくなるところが凄くいい。感情の振れ幅が物凄く小さいので、ほんとうに微細な変化だけれど。
国貴に置き去りにされた過去の傷を泣きながら吐露する和貴が可哀想でせつない。結局かれの根幹にあるのは父そっくりの容姿ではなく、それによって受けた辛さをひとつも汲み取ってくれなかった兄の態度だ。
そしてかれがずっと背負わされ続け、今後も決して捨てられない重荷を深沢は持ってやろうとしている。言葉ではなく態度で、和貴が気付かないうちにその荷物を減らしてやろうとしているのだ。「私の愛し方がわかったでしょう」と何事もないように言うかれの内心の覚悟の大きさが伝わってくる。後半は深沢の台詞が全部決め台詞のようで素晴らしい。深沢はわたしの好きなタイプの形式美攻なので、深沢過多で気が動転しそうである。そして小西深沢がこんなに好きでどうしたらいいのだ。
いっそ家を捨ててしまえばいいと深沢が言ったとき、和貴はそれを拒む。弟妹や父がいるから、と。
そのときの返事の即答ぶりと、言い方の屈託のなさが切ない。かれの心を潤してくれる兄弟を守りたいという兄の気持ちは分かるけれど、こういうときに和貴は絶対冬貴を数に入れる。あんなにも自分を苦しめる存在なのに、いっそ殺してやろうかと思ったことまであったのに、それでも決してかれは父を捨てない。だからこそ苦しい。
風鈴の音をBGMにした「私の膝枕ではかたくないですか?」にはちょっと笑った。膝枕をしているという状況を表現するためには仕方がないのだろうけれど、そんなときまでトーンが真面目なので可笑しい。結構バカップル。
・「禁じられた夜の蜜」(「せつなさは夜の媚薬」内)
清澗寺紡績の社長に就任した和貴は、鞠子と出かけたある夜、誘拐されてしまう。社会主義運動団体を名乗る連中は和貴を監禁し、身代金を清澗寺家に要求する。
道貴がクラウディオと中国に行ったあとの話。
久々に浅野さんが登場。和貴が国貴の話をしたときに浅野の表情が微妙に変わる、というのがかれの見どころだと思うのだけれど、それはCDではさすがに表現できず。ちょっと残念。
家に帰る途中タクシーに乗っているときの和貴の内心モノローグと、運転手に対する態度の差がすごくいい。成果を出したので深沢に早く伝えたいという気持ちをすごく柔らかい声で思っているのに、運転手に「そこを右に」と指図する声音はとても冷たく、会社の社長然としている。こういう細かい演技にキュンキュンするわたし。
伏見の小父さまも登場。自分を放っておいて冬貴と話している深沢に苛立つ和貴を宥める小父さまは、何だかんだで和貴のことを気にかけて大切にしている。物言いがいつまでたっても子供をあやす風なのが官能的でいらっしゃる。それを特に疑問に思わない和貴のおぼっちゃまっぷりも良い。自分たちの間が非常に独特で奇妙なものであることに、伏見は気付いたうえで気にしていないけれど、和貴は気付いていないのだ。
社会主義運動団体を名乗るごろつきどもに監禁された和貴は、拘束された挙句媚薬を塗られて放置される。原作では更に足首に張り型を付けられていたのだけれど、それは端折られていた。快楽がひかず、さりとて与えられるでもない和貴の思考は少しずつ狂ってゆく。どうせ助かってもいずれは深沢に捨てられる、それならば今死ぬのもその時死ぬのも同じではないかと苦悩する。「どうして深沢とひとつの体で生まれてこなかったのだろう」というモノローグがせつない。
そしてかれが快楽と戦っている間、深沢はあらゆる策を練っていた。伏見にも憲兵にも借りを作るわけにはいかないと今後のことも考えて動くかれは一見冷酷にうつるけれど、内心はひどく焦っている。和貴が殺されてしまえば、自分も死のうと決めているくらいには、冷静でないのだ。
珍しくあっちこっち大きく行動するので展開は全体的に早め。
穏やかに見えた再会のあと、深沢は和貴に呆れ怒っている。その理由が分からない和貴は、また自分が飽きられたのだと思っている。卑屈に構えて、「どうせ捨てるつもりなら、最後にもう一度くらい使ってみろ」と自虐的に吐き捨てる。縋りたい気持ちを押し殺して、上から構えて気楽にふるまうことで、かれをもう一度だけでも手に入れようとする。「楽しませてやる」と高圧的に言うかれが哀しい。
その態度により深沢の怒りは強くなる。自分がどんなに和貴を好きなのか、ひそめてくぐもった声で
言う深沢が良い。こんなに思い合っているのに、すぐにかれらはすれ違う。傷つけあって奪い合うことでしか、共にいられない。愛なんてこの世界になければいいのにお前を愛している、という和貴の台詞の矛盾がかれらの関係を象徴的に表現している。
そんな風なのに、下の名前で呼ばれただけで腰が砕ける和貴の可愛さよ。
和貴目線の物語と同時進行で、深沢目線のモノローグも介入する。和貴に初めて出会ったときからずっと覚めない夢の中にいる、と語り出した深沢は、これからも夢を見続けるためになら何でもするととうに腹をくくっている。不安定で崩れやすい和貴との関係を、かれは最高のものだと思っている。傷つけて奪って慰めて甘やかす、学習しないその関係を至上のものだと自負している。幸福だと信じてやまないかれの歪んだ愛情が、余計に作品の世界観を深く濃いものにしている。
・「凍える蜜を蕩かす夜」(「紅楼の夜に罪を咬む」収録)
14歳の和貴は、父に似た容姿の所為で教師からも生徒からも父兄からも嫌な顔をされている。更に兄が学校の寮からちっとも戻ってこないことを心細く思っていたかれは、あることをきっかけに、伏見に手ほどきを乞うようになる。
回想シーンに出てくる伏見の小父さまはとっても若い。言葉数も多くないんだけれど、ちょっとした笑い声が通常の小父さまよりも随分若い。すごい。
とにかく和貴があらゆる場面で可哀想。かれ個人に非はないのに、学校では苛められ、それを見ていた教師には叱られ、道を歩いていれば襲われかけ、必死で逃げて家に帰ると執事に責められ、唯一の話相手である伏見は常に冬貴を最優先にする。まだ幼く柔らかい心を剥き出しのままで生きているかれは、いちいちそれに傷つく。「僕はみんなに嫌われていますから」と少し笑ったように言う和貴が可哀想でならない。かれは純粋で家族想いの心優しい少年なのだ。
そしてようやく三本目で登場した冬貴の第一声はもちろん「義康」である。
まだ父親に対する感情をはっきり定めきれずにいる和貴に対して「お前、寂しいのか」と何の慈しみも見せずに言う冬貴がすごくいい。和貴と二人きりのやりとりというのはここしかないのだが、こんなに冷たい声をかけるのか、と背中が冷えた。故意にかれを突き放し、傷つけようとしているようだ。
傷だらけの和貴はとうとう、連絡をしてこない兄に自ら会いに行く。国貴兄さん出た!一枚目以来の登場になる千葉さんは、その時よりも大分若い年齢の国貴を演じるのだけれど、ばっちり若かった。過敏で視野狭窄に陥っている生真面目すぎる少年という感じ。優等生で大人からの信頼も篤いかれは、和貴の憧れであり誇りであった。しかし潔癖すぎる兄には、汚れた父と同じ容姿の弟を受け入れることができなかった。和貴の言葉を聞きもせず、途中で遮ってかれを突き放すような言葉を吐き捨てる。ひとかけらの優しさもない声が、和貴を決定的に苛む。
そして和貴は伏見に手ほどきを請うた。冬貴の子どもたちを我が子同然に可愛がってきた伏見にとって、冬貴にそっくりの容姿と、ひと一倍繊細な心を持った和貴は特別気にかかる存在だった。かれをずっと見てきた伏見には、和貴の迷いも苦しみも手に取るようにわかった。和貴は冬貴が決して持ち得なかったものを持っているのだ。
子供同然に思っていたのに、と軽口を叩く伏見だけれど、内心は複雑だっただろう。冬貴が一番であることには変わりなかったが、慈しんで見守ってきたかれの申し出は哀しかったかもしれない。けれど今自分がそうしなければ、もっとひどい展開がかれに訪れるであろうことも分かっていたから、そうするほかなかったのだ。厳しいことを言いつつもどこか寂しそうな伏見の声音は、他の場面では聞いたことのないものだ。どこか気だるそうで、憂鬱そうだ。悪びれる口調にも元気がない。これは本を読んでるときには気付かなかった。なんと素敵な解釈。
冬貴への恋に狂った千野の兄が、拳銃を持って屋敷を訪れる。この兄の狂いっぷりが凄く良かった。挿絵にも描かれていないこの、冬貴に焦がれたその他大勢のうちの一人でしかない男だけれど、その一人一人にドラマがある。悲痛でいいな。
それに対する冬貴はちっとも動じない。この冬貴の台詞が原作そのままで、全く削られても弄られてもいなかったのが嬉しかった。ずっと淡々と話していた冬貴が最後だけ、「死ぬのだろう?」と語調を強めたのがいい。どうだやってみろ、と突き詰めている。できないだろう、と嘲っている。そしてもしできたとしても、別に構わないと心底思っている冬貴はやっぱり最強だ。
小父さまとの約束の夜。やっぱりこの日も小父さまはどこか乗り気じゃない。この日に和貴が来なければいいと思っていたかのようだ。この日得た和貴の充足感は、その直後に打ち砕かれる。もちろん、冬貴によって。その劣等感と焦りは、歳月を経ても変わらない。かれはずっと水底にいるような気分なのだ。モノローグとかぶる水音がいい。
舞台は現在に戻る。長い間もがき苦しんでいた水底から助けてくれたのは深沢だった。原作にあったベッドシーンを全廃してしまったのがここに関しては非常に英断だと思った。何でもない穏やかな時間が、和貴のこれまでの苦悩を思えばどれほど素晴らしいものなのか分かる。
とにかく徹頭徹尾世界観を守って作られた、今までのシリーズと違わないクオリティの作品だった。自分が異常にこのシリーズを好きなのが気持ち悪いのだけれど、もともとの原作を更に深めてくれる良いCDだと思う。
ブックレットに掲載されている小説は「理想と現実」。焼き芋をしつつ、以前同じように深沢が和貴を焼き芋に誘った日のことを思い出す二人。相変わらず意地の悪い深沢と素直に慣れない和貴の掛け合いはいつも通りで、平和。
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2013.05.19 Sunday
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