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神谷浩史、小野大輔「言ノ葉日和」(原作:砂原糖子)

Atis collectionのポイントチケット5枚で交換できるドラマCD。公式ブログでも発送までに時間がかかっていると明記されていた通り、応募してから一か月くらいで届いた。

原作は2008年に出た同人誌。休日に水族館に出かけた二人の話をほぼまるごと収録していて、30分くらい。コメントなどは音声にもブックレット(って一枚紙だけど)にもなし。
冒頭、長谷部が語りだす前に、お馴染みのSEが流れる。それだけでなんだかもう胸が締め付けられそう!

長谷部視点で進む物語。感情を表に出すことがとにかく昔から苦手だったかれは、小さい頃大人が期待する振る舞いを出来なかったことや、かつて余村を傷つけたことを未だに後悔している。恋人になる前もなってからも一貫して口数の少ない男なので、かれが何を考えているのかが描かれているのは貴重だ。
しかし朴訥な喋り方なので、長々と長谷部のモノローグになるとちょっと間延びする。小野さんが悪いのではなく、長谷部のキャラを貫くとこうなるほかないのだと思う。不器用ですから。

同人誌版を読んだとき、デートの日とその次の日に長谷部が、同じ内容を初めて言うかのように余村に話すシーンがあって違和感を覚えていたんだけれど、CDではきちんと訂正というか片方だけになっていたので良かった。

基本的にはお付き合いを始めた二人が相手を好きで好きでたまらなくて舞いあがってる、みたいな小話。いつかは家族にも打ち明けたい、どれほど一緒にいても時間が足りない、そういうちょっと不安な未来図と幸せな焦燥感。なんでもない恋人同士の会話も幸せそう。
余村さんは相変わらず穏やか。かつての憂いや厭世感は薄まったけれど、元々持ち合わせているであろう陰は拭いきれるものではない。そういうちょっとどんよりした感じと、その雰囲気を持ったままお土産選びにうきうきしている感じにズレがない。余村さんだ…!

長谷部が余村に体調不良を気づかわれたことがきっかけでかれを意識するようになったこと、慣れ染めと言うにはあまりに地味な過去のエピソードも、長谷部の回想というかたちで織り込まれている。この時の余村は人の心の声を聞くことができたし、実際その力によって長谷部の不調を察することができた。おそらくほぼ初めて長谷部に声をかけることや、力の所為で知ってしまう周囲の人間の本音に常時疲れていたであろうかれの声音は今より大分冷たくて素っ気ない。そうだ最初の余村はこんな感じだった。

原作でも凄く好きだと思ったラストの余村の台詞、想像通りというか想像以上というか可愛らしくて何回もそこばっかり聞いている。意外と恋愛偏差値が高い余村さんでした。

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posted by: mngn1012 | BLCD | 21:30 | - | - |

神谷浩史、小野大輔「言ノ葉日和」(原作:砂原糖子)

Atis collectionのポイントチケット5枚で交換できるドラマCD。公式ブログでも発送までに時間がかかっていると明記されていた通り、応募してから一か月くらいで届いた。

原作は2008年に出た同人誌。休日に水族館に出かけた二人の話をほぼまるごと収録していて、30分くらい。コメントなどは音声にもブックレット(って一枚紙だけど)にもなし。
冒頭、長谷部が語りだす前に、お馴染みのSEが流れる。それだけでなんだかもう胸が締め付けられそう!

長谷部視点で進む物語。感情を表に出すことがとにかく昔から苦手だったかれは、小さい頃大人が期待する振る舞いを出来なかったことや、かつて余村を傷つけたことを未だに後悔している。恋人になる前もなってからも一貫して口数の少ない男なので、かれが何を考えているのかが描かれているのは貴重だ。
しかし朴訥な喋り方なので、長々と長谷部のモノローグになるとちょっと間延びする。小野さんが悪いのではなく、長谷部のキャラを貫くとこうなるほかないのだと思う。不器用ですから。

同人誌版を読んだとき、デートの日とその次の日に長谷部が、同じ内容を初めて言うかのように余村に話すシーンがあって違和感を覚えていたんだけれど、CDではきちんと訂正というか片方だけになっていたので良かった。

基本的にはお付き合いを始めた二人が相手を好きで好きでたまらなくて舞いあがってる、みたいな小話。いつかは家族にも打ち明けたい、どれほど一緒にいても時間が足りない、そういうちょっと不安な未来図と幸せな焦燥感。なんでもない恋人同士の会話も幸せそう。
余村さんは相変わらず穏やか。かつての憂いや厭世感は薄まったけれど、元々持ち合わせているであろう陰は拭いきれるものではない。そういうちょっとどんよりした感じと、その雰囲気を持ったままお土産選びにうきうきしている感じにズレがない。余村さんだ…!

長谷部が余村に体調不良を気づかわれたことがきっかけでかれを意識するようになったこと、慣れ染めと言うにはあまりに地味な過去のエピソードも、長谷部の回想というかたちで織り込まれている。この時の余村は人の心の声を聞くことができたし、実際その力によって長谷部の不調を察することができた。おそらくほぼ初めて長谷部に声をかけることや、力の所為で知ってしまう周囲の人間の本音に常時疲れていたであろうかれの声音は今より大分冷たくて素っ気ない。そうだ最初の余村はこんな感じだった。

原作でも凄く好きだと思ったラストの余村の台詞、想像通りというか想像以上というか可愛らしくて何回もそこばっかり聞いている。意外と恋愛偏差値が高い余村さんでした。

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posted by: mngn1012 | BLCD | 21:30 | - | - |

三木眞一郎、神谷浩史「はなやかな哀情」(原作:崎谷はるひ)

原作既読。感想はコチラ

時間の都合によって各所を削りつつも、基本的には原作に非常に忠実な作りになっていた。良くも悪くも忠実だ、と思ってしまうのは、原作に「これまでのシリーズ作品と比べて」不満があるからなので、CDが悪いわけではない。

事件に巻き込まれる前の慈英が回想する、長野での臣との時間がとても幸せで落ち着いていて、だからこそこの後のことを思うとせつない。「ば・か・だ・ろ」が可愛すぎる。慈英がどんどん甘ったれになってきて、臣さんも幸せそうにでれでれ甘やかしてて、しあわせ。

自分のことだけを思い出さない慈英について照映から責められたときの臣の返しがすごかった。普段照映の前では感情をあらわにしてきた臣が、低い声を震わせて早口で喋り始めて、徐々に気持ちが高ぶって、自分でも抑えきれなくなる。涙交じりの声で照映に食ってかかり、悲鳴のように叫ぶ。荒い息と、しゃくりあげるような声が刺さる。喜怒哀楽が分かりやすいくせに、こういう気持ちを限界までさらけ出さない臣だからこそ、どれほどかれが辛いのか分かる。

記憶を失くした慈英の心ない言葉に傷ついて返事のトーンが落ちたり、たまにむっとして怒りを孕んだり、心配する周囲に強がってみせたり、全部がものすごく臣さんで、ものすごくかわいそう。
事情を知っている堺さんとの電話のシーンの臣が、弱り切った声で、それでも前を向いて頑張るのだというようなことを言っていて、すごく切なかった。堺相手の声にはちょっと甘えがあって、堺さんは臣さんにとって本当の家族で、張りつめていた心を少し解してくれるのだと実感できる。

自分たちの関係を知り、そのことについて問うてくる慈英に対して臣が語った、同じ恋はもうできないというような話も切ない。目の前にいるのに、この世のどこにもいない恋人のことを語る臣の声は弱弱しくて、優しい。恋人ののろけを話すように嬉しそうで、これまでのことを思い出して楽しくなって、けれどそれがもう戻ってこない(かもしれない)ことを受け止めている。二人のこれまでを見て・聞いてきた分、色々なことを思い出して同調してしまう。
ほかにも、絵を描けないでいる慈英に気づいて「東京に帰れ」と言う臣の寂しい優しさとか、かれがどれほど慈英を好きだったのかが分かる。

今回大変だった慈英に関しては、何の不安も持っていなかったのだけれど、案の定何の問題もなかった。今の慈英が七年前の、しかも挫折を知らないバージョンの自信家で他人に興味を持たない無神経な慈英になり、更に記憶のこと・絵のことで苛立って普段よりも配慮をなくす慈英になる。そしてそんな慈英が臣と接して少しずつ変化し、最終的には臣に恋をする。その微妙な揺れとか変化とかもう余裕ですよね、余裕でした。自分が結構三木さんに盲目なことは知っているよ。だってすげえんだもん。
とまれ、少しずつ違う色々な慈英の口から発される「小山さん」という言葉の残酷さはすごい。臣さんと同じように傷ついてしまう。
単に臣についての記憶がないだけでなく、ここで出てくる慈英にとって大きいのは、かれは鹿間とのあれこれを知らない慈英だということだ。挫折を知らないかれは、他人の挫折や傷に、これまでに増して鈍い。苛立ちもあって配慮がない。適当に笑ってごまかすような処世術もすくなく、あからさまに不満な声で返事をしたり、言ってはいけないようなことを平気で口にする。
「しなやか〜」のときの慈英のようで、そうじゃない。でも別人でもない。この強烈な違和感が少しずつ臣を傷つけ、聞いているものを傷つける。慈英なのに慈英じゃない。

一番つらかったのは、慈英の元に送られてきた和恵のメールだ。原作では既に消去されていて内容が明かされないまま終わった、慈英が和恵に送ったメールが残っていたのは驚いたけれど、それよりも和恵のつたない言葉で語られる臣の話がやるせない。強がりだけれど傷つきやすくて、これまで恋に傷つけられてきた臣を心配する家族の言葉。ここ泣けた…!

事件に巻き込まれて怪我をして命の危険に晒されたうえ、記憶の一部を失ったという、完全に被害者の慈英に対しても一貫して冷たい態度をとり続ける久遠に檜山さん。檜山さんと最初に聞いたときは、合うような合わないようなどうなのかしらと思っていたんだけれど、とても良い感じ。久遠の底意地の悪さがじわじわ出ている。最初から臣に好意的で、臣に親切な久遠だけれど、それが慈英の前になるとわざとらしいほどになる。あー意地悪。
慈英と二人のときの意地悪っぷりはすごい。これまでの慈英のことも、本人いわく「嫌い」だった久遠は、かれがこんな目にあった今ですら態度を変えない。むしろ、記憶を失ったことで更に慈英を嫌いになっている。かつての慈英が悪気がないとは言え人を傷つけたことを怒るならまだしも、今回は完全に被害者だ。けれど久遠は気遣うようなそぶりも見せず、慈英を責め、罵り、呆れ果てたように見放す。この久遠の態度については原作の時にいかがなものかと思ったのだけれど、飄々とした声がつくことで重さが軽減されていい。久遠さんが女の子を好きなのが惜しい。

「やすらか〜」でもツンツン俺様っぷりを発揮していた弓削はここでもツンツン。こちらも被害者である慈英相手にさんざんな言いようだけれど、弓削だしね、と思わされる。一方的な弓削の主張には、朱斗が心配していることへの苛立ちと、記憶を失くした慈英が前と同じことをのほほんと言うことへの呆れと、全てを含んだ怒りがある。もともとのツンが更にツンになってて、とげとげしくていい。
小説の弓削の話はあんまり好きじゃなかったのだが、CDに脇役で出てくる弓削はとても好きだ。

繰り返しになるのであんまり言いたくないんだけれど、照映さんがきつい…。豪放磊落というよりは無神経なキャラクター自体が苦手なのも少なからずあるんだけれど、風間さんがすごく、わたしのイメージの照映さんと合わない。浅野のときは、イメージから外れないけれど喋り方が苦手だなあと思ったので、今回は二重だ。あんまりキャラにも演者さんにもこういうこと思わないんだけれど、長台詞とか大切な台詞を聴き続けるのがしんどい…長野に帰ってきてからばっかり聴いちゃう。物語に思い入れも強いから余計に、か。

奈美子さんが恒松さんなのにもびっくり。豪華だな…閉鎖的な田舎に嫁ぎ、夫が長く家を離れている上、帰るところがないという彼女の苦悩や孤独が切ない。親身になってはくれるものの、力があるわけでもないおばあちゃんしか味方がない彼女の「どうにもできない」という涙声がやるせない。
おばあちゃんや浩三さんはいつも通りの安定感。浩三さんは警察官じゃないのに活躍しすぎです!

取り敢えずCDで一番聞きたかったのは、最後に全ての記憶を取り戻し、これまでの記憶も全て残っている慈英が臣に話しかけるところだ。どんな芝居をするのかというか、慈英はどういう声で喋ったのか、想像がつかなかったからだ。「五日どころじゃなくなりましたね」でおおお!と思い、「ただいま」ですとんと納得した。その言葉の内容と、なにより話し方で慈英が戻ってきたと分かる。
分かったからこそ臣は、「遅い!」と泣き叫んだ。事件からこっち、今まで慈英が何を言ってもかれに大きな声をあげなかった臣は、慈英が戻った瞬間にかれを責めた。臣が正面から責められる、本音をぶつけられるかれに戻ったのだと思えば感慨深い。
「入籍したら返す」も、ちょっと声を震わせてためらいつつの言い方で可愛かった。でも実際口にしはじめるとまた気持ちが高ぶってきてしまって、泣きながら喋るはめになる。で、慈英もまた泣いちゃって、ああもうほんとよかった。

辛かった時間が長かったので、両想いになってから・慈英が戻ってからのシーンが短いのは原作同様。カタルシス不足なのも原作同様…仕方がないけど。でも文字で読むよりは音で聞くほうが丁寧だし時間がかかるので、少しは改善されたかな。

さて、「たおやかな真情」ドラマCD待機に入ります。
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posted by: mngn1012 | BLCD | 03:01 | - | - |

三木眞一郎・神谷浩史「やすらかな夜のための寓話」(原作:崎谷はるひ)

三木眞一郎・神谷浩史「やすらかな夜のための寓話」(原作:崎谷はるひ)

原作はきもちわるいくらい既読。きもちわるい感想はコチラ
五本の作品が入った同タイトルの短編集より、「雪を蹴る小道、ぼくは君に還る」と「ネオテニー<幼形成熟>」を収録。表題作が選ばれなかったので、「やすらか~」と名のついたCDなのに「やすらか~」が入っていないという状況。
この二作品が音声化されると聞いたときから、多くの人が、既に発売されていた「はなやかな哀情」の音声化を見越してのことだと思ったことだと思う。二人が過ごす日々のある一日を切り取った他の三タイトルとは違って、今回選ばれた二作は「はなやかな哀情」に深く関わっている。とくに「ネオテニー<幼形成熟>」を無視しては、「はなやか~」で不明瞭な部分が出てくるほどだ。「雪~」がないと弓削も朱斗もいきなり現れた新キャラとしか思えない。作者HPに掲載されている小説に出てくるのだけれど、それを読む人は「やすらか~」も読んでいると思うし。CDを聞く人における原作を読む人の割合は分からないけれど、CDだけでも話が理解できるものにしようとすると、この二作は外せない。
それは分かる。しかし、この原作の中で作品に順位を付けると、個人的にこの二作は四位・五位なのでちょっとかなしい。いや、この二作もいいんだ。だから何が言いたいかと言うと、なんで殆ど二枚組のシリーズなのに、敢えてこれだけ一枚なのかと。二枚にして残りの三作も音声化すればいいじゃないかと。別に三枚組でもいいよと。「MISSING LINK」のプロポーズ聞かせてくれよと。
同じような日記を書いた記憶があるけれど繰り返しておく。

***
・「雪を蹴る道、ぼくは君に還る」
大晦日だと言うのに仕事で東京に行った慈英は、息がつまりそうなパーティ会場でひとりぽつんと立っている少年を見つける。これ以上面倒な話に巻き込まれたくない慈英は、かれと話すことで他の人間を遮断しようとする。
つまらなく居心地が悪いパーティの最中、「臣さんどうしてるかな…」という慈英のモノローグでいつもの音楽が流れ、大晦日に用事が入ったと伝えたときの臣のリアクションに回想。もうこの曲聞くだけでテンション上がる…!そして臣さん!臣さん!臣さんひさしぶり!

弓削と朱斗登場の前半と、慈英のそれでなくても度を超えている愛情が暴走する後半。原作ではモロ関西弁の朱斗は、標準語と関西弁がミックスな感じに変更されている。梶くんが関西人じゃないから、という配慮だったらしいけれど、この関東に出てきて結構たつのに微妙に関西弁が抜けきれなくて、ぽろっと出てしまう感じは朱斗らしくて良かったと思う。かと言って関西弁で押し通さないところも、はなやかな世界にいる弓削に気後れしつつ何とかついていかないと、と思ってる感じで。こういう改変が自然なのは原作者脚本ならでは。
そして原作やWEB掲載小説ではパーティで慈英に話しかけることのなかった弓削も、CDでは話しかけてくる。この弓削の高慢で慈英にあからさまに敵意を持ってますっていうアピール、言葉こそ丁寧なものの、慈英のことがだいっきらいと全面に出ている感じが凄く良かった。気持ちいいくらい嫌な奴。好演好演。「はなやか〜」も楽しみ。

そして長野。なんていうか臣さんかわいい、の一言で全部が終わるんだけれど。この時期の臣は「ひめやか」と「あざやか」の間くらいの話なので、慈英との関係にある程度の時間が重なって心を許している反面、まだ愛される自信が持ちきれずにちょっと不安もある、揺れやすい頃の臣だ。それにしてはちょっと臣さん落ち着き過ぎのきらいもあるような。
おそらく無自覚のストレスが溜まっていた慈英が暴走する。普段は優しくて若干押しが弱いところもある慈英がたまに見せる狂気に臣が翻弄される。こわい、と怯える臣がかわいそうでかわいい。
ラストが「明けましておめでとう」になっているのもいいな。
あと慈英視点の話は相変わらずびっくりするぐらいに巧い…。

・「ネオテニー<幼形成熟>」
臣と慈英が久々に共に過ごせる休みの日に、いきなり前触れもなく慈英の従兄の照映が訪れる。臣を相変わらずからかってばかりのかれだが、実は、一枚の絵を臣に差し出すべく持ってきていたのだ。
冒頭は照映視点で慈英との過去、自分が絵筆を折ったきっかけの話。そのあとは臣視点で、いきなりの従兄の来訪に舞い上がる慈英にむしゃくしゃしたり、弱る慈英を甘やかしたり。
照映さんが原作から苦手な上、演技ももってまわったような喋り方なのがしっくりこない。抑揚がない。子供慈英はまあ…出番が少ないからまあこんなもんか、と思うんだけれど、照映は出番が多いのでちょっと苦しい。一方で浩三さんの安定感の素晴らしさ。一人で鼻歌うたいながら途中でくしゃみして帰って行くフリーダムっぷりがいとしい。

照映が現れた瞬間からのものすごく棒読みリアクションの臣とか、照映が来たことで舞い上がって浮足立っている慈英とか、そんな慈英に苛立つ臣とか、照映が来たことでいつもと違う心情になる二人がかわいい。普段は全体的にローな慈英がふわふわして機敏に動いているだけでなく、照映という永遠にかなわない年長者を前にして幼くなっている。

照映の「かなわねえな」のくだりは直前の臣のえらそうな「見せろ」がないと生きてこないんじゃないのかな。これは脚本の話。ここだけじゃなく崎谷さん自身が脚本をつとめることの利点と難点については前から悶々としていて、答えが出ないままだ。作者ならではの遊び心のある改変や大胆な設定変更が、時間が限られているCDとしての分かりやすさ。本職ではないがゆえの脆さと、客観性の欠如。このあたりの擦り合わせがもうちょっと出来ると凄く良いものができると思うのだけれど。
自分が入れて欲しいシーンがない!ということへの八つ当たりかもしれないが。

照映が絵をやめたことは幼い慈英にとって大きな事件であり、かれは大きな罪を背負うことになった。そして照映が改めて過去の絵を持ちだして臣に渡したことで、改めて慈英はその罪と向き合うことになる。弱った慈英が臣に吐露する積年の苦悩が切なくていい。人物画を描くのが好きじゃないという慈英は、溜めこんでいたものを臣にぶつけて許されようとしている。甘えている慈英の弱り切った声がかわいい。慈英さんには不満がないよ…。
そして慰める臣はやっぱり大人で、年上なのだと思い知らされる。参ってしまっている慈英を気づかいながらも、どこかでかれが自分を頼ってくれることへのほの暗い喜びも感じている。優しく甘やかす声の中に、必要とされていることへの嬉しさが滲む。

こちらの慈英は「雪〜」の何倍も思い詰めている。そしていくつもの困難を超えてきた分、臣への執着が強くなっている。臣は自分のものだから独占する、と切羽詰まった声で言う慈英の必死さがこわくていい。半端な気持ちでは向き合えないくらいの強さがある。それに戸惑いつつも喜んでいる臣もまた、狂気めいている。愛情を重ねて穏やかになるのではなく、どんどん深く強くなって思い詰める。
臣さんのモノローグは今回が一番ナチュラルで良かった。

「はなやか〜」前哨戦、伏線といった印象がつよい出来のCD。CD単体での出来は物足りないところも多いけれど、慈英も臣も相変わらず素晴らしかった。三年ぶりって信じられない。
やっぱり「やすらか〜2」として残りの三話も音声化してほしいよう。
あとは神谷さんの新作がめったにないので、期待値が物凄く膨れ上がっているのだと思う。だからもっとコンスタントにBLに出ればいいとおもいます。出て!

***
特典トークCDは物語に出てきたアイテムやキーワードからのトーク。「蕎麦」とか「パーティ」とか「雪とかそういうの。三木さんがべらんめぇハイテンション。同窓会で自分みたいな格好してる人いないでしょ・みんなもっとかっちりした格好している、という話になったときに、特に三木さんみたいな人はいないという流れで、神谷さんが三木さんの細さを「病気じゃないけど病的」と言ってたのが面白かった。たしかにね。
ものすごく「はなやか~」について繰り返していてお別れ。取り立てて何ということもないけれど、そつのない感じのコメントCDでした。
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posted by: mngn1012 | BLCD | 10:49 | - | - |

三木眞一郎・平川大輔・小野大輔・神谷浩史「言ノ葉ノ世界」(原作:砂原糖子)

三木眞一郎・平川大輔・小野大輔・神谷浩史「言ノ葉ノ世界」(原作:砂原糖子)
生まれたときから人の心の声が聞こえる仮原は、家の前で交通事故に合う。車を運転していたのは大学准教授の藤野という男で、かれは仮原が初めて出会った、心の声と同じことばを音に出す人間だった。

原作既読。感想はコチラ
二枚組で一枚目に「言ノ葉ノ世界」、二枚目に「言ノ葉ノ光」が収録されている。
キャストが出たときからぴったりだと思っていたのだけれど本当にぴったりでした。藤野の人を苛立たせてしまったり、人を図に乗せてしまったりするほどの善良さも、世の中にすれきってやさぐれた仮原もぴったりだ。正直、ぴったりだと思って楽しみにしていました、実際に聞いたら期待以上にぴったりでした、で感想が終わってしまう。

仮原視点で語られる物語なので、モノローグは三木さん。三木さんのモノローグはほんといいなあ。ナレーションじゃないし、かといって心情が入りすぎてないし、仮原が語っている感じ、がとてもある。原作を読んでいて、仮原のモノローグで好きだったのは「藤野のものになってしまいたい」というくだりと、かれの犬になった夢を見て「幸福だった」と感じるところだ。語る仮原の声は普段通りのようで、でもかれ自身すら自覚していないような空虚さが確かにある。平気な顔で、傷つきも悲しみもせずに藤野のものになりたいと願う仮原はかわいそうだ。弱々しいわけじゃないのに確かにかわいそう。仮原の言葉は自分がかわいそうだと知らない、かわいそうな子供みたいだ。
物理的な壁と精神的な壁があって、本来両方成立しているはずなのに、仮原には精神的な壁が生まれつき存在しない。そのことがかれを苦しめ、悲しませてきた。適当にコントロールして他者と接するすべを覚えた仮原だが、状況が変わらない以上かれの苦しみは取り除かれない。そして適当に接することができない相手に出会ったとき、かれは苦悩する。苦悩して、いっそ精神的な壁が得られないのならば、物理的な壁も取り除かれればいいと願うようになる。それが「藤野のものになってしまいたい」ということなんだろうか、とふと思った。

仮原は藤野と初めて会ったとき、パッヘルベルの「カノン」を思い出す。心の声と実際に口に出す声の内容が全く同じかれは、ひとりで輪唱しているように思えたのだ。CDでは仮原の思考と同時に、カノンが実際に流れる。その後も何度も、藤野の心の声と口に出す言葉の象徴としてカノンが使われている。いいなこの演出。
音と言えば、たまに「言ノ葉ノ花」で使われていたものと同じBGMが使われている個所がある。大抵はアキムラ関連なのだけれど、「~花」を飽きるほど聞いた身としては非常に嬉しい。あと仮原の携帯電話の着信メロディが「~花」の余村のそれと同じで(まあこれは単にSEの問題なのだろうが)どきどきした。

占い師・アキムラはてっきり余村の声で話すのだと思っていたら、それよりも大分低く重いトーン。それは「言ノ葉ノ花」の時の余村よりも十年年齢を重ねていることと、かれがその十年間非常に苦しい生活をしていたことによって起きた変化なのだろう。家を持たず橋の下で眠っているアキムラは、生活面だけでなく精神的にも参っている。その荒みがいい。

クリスマスの夜。自分を避けている藤野に、仮原は自ら会いにいく。
藤野が避けていると確実に分かった上で積極的に行動したのは、アキムラの言葉が気になっていたからだ。「君は不幸になる」という、呪いのような宣言が頭から離れなかったからだ。仮原を責めながら、かつて大切なひとを信じられなかった自分を責めるアキムラが切ない。それまでの感情のない低い声ではなく、取り返しのつかないことへの後悔が滲む。慌てて藤野と過ごすクリスマスについて色々想像して「ついでに自分ももらってくれたらいい」と考える仮原の声はいつにもなく明るく、なにより幼い。本当に子供みたいで痛々しい。
結局予定をうやむやにした藤野に仮原は会いに行く。必死で優しく穏やかに接する仮原に対して、藤野は警戒心を拭えない。仮原を信じられないだけでなく、怯えている。取り繕う藤野の言葉とは裏腹に、心の声は仮原を拒否している。それを知った仮原は激昂し、嘆く。このあたりのモノローグがさすがの安定感で、さすがのクオリティ。叫ぶ藤野も、それに更に叫んで返す仮原もほんと期待以上。そこに「カノン」が流れて切なさクライマックス!過剰にドラマティック!好きだよこういうの!好きに決まってるじゃない!

二枚目は「言ノ葉ノ光」
心の声を聞かないことができる、と仮原は嘘をついた。藤野を安心させたくて、藤野に嫌われたくなくてついた嘘だった。素直な藤野はその言葉を当然信じたので、仮原は今更嘘だったと言い出せない。言うことで嫌われる・恐れられるのがこわいのだ。その嘘がどんどん仮原を苦しめる。ぼろを出さないようにと考えるうち、かれと一緒にいること自体が困難になっていく。更には藤野が親しくしている、顔も知らない学生に嫉妬したり、アキムラの言葉が気になったり、元々何かに執着するようなことのなかった仮原がどんどん煮詰まっていく。

何でもない居酒屋での会話が好きだ。進化について滔々と語る藤野の言葉、それを完璧に理解できなくても楽しく聞いている仮原の相槌。ショーウィンドウを見る帰り道。恋人たちのやりとりがとっても自然でかわいらしい。

再びの言い合いは、自分の言葉を信じない仮原に怒った藤野が心の声を使う。言葉を発さず、心の声だけで話しかけてくるという展開は非常にCD向きだし、いつもにこやかな声を出していた藤野が初めて聞かせる心の底から怒っている冷えた声もいい。かれが仮原よりも年上であること、しっかりした大人の男であることを実感させられる。
平川さんの藤野はとっても藤野でいい。あとはもうちょっと濡れ場が控えめでもいいんだけどね…。

仮原は前置きなしにいきなり行動に出るタイプなので、アキムラに暴力を振るったりかれの携帯電話を放り投げたりするのだけれど、そのあたりが少し音声だけでは分かりづらいかな。CDによっては行動を全部織り込んだ不自然な台詞が入ることもあるけれど、その違和感はなかった。その分、原作を知らないといまひとつ何がどうなったのか不明瞭なところもある。どちらを取るか難しいんだけれど、まあ原作読んでるので後者で良かったかな。

「~光」でもアキムラは荒みを抱えたままだ。一番大切なものを仮原に棄てられてしまったかれは強く仮原を憎み、絶望する。余村はそういうタイプではなかったというか、ここまで酷い目に合わされていなかったので珍しい一面だ。仮原を責めるアキムラの涙まじりの声がせつなく刺さる。
本編では土手にひとり佇んでいるアキムラをシュウが迎えに来るシーンで終わっていたけれど、CDではかれらのその後が別の展開で描かれている。仮原の店の軒下で占いをしているアキムラの元に、かれを探し続けていたシュウが客として現れる。驚いているアキムラに畳みかけるようにシュウが話して、「言ノ葉ノ花」で使われていたBGMが流れ、アキムラが泣きだす。うわーうわーー!!!なにこの展開凄く良い!シュウは10年前の長谷部と同じ誠実でまっすぐな言葉を話す。それが沁みこんだアキムラはが返す言葉は、10年前の余村の声に戻っている。
「~花」は、自分の力とそれによって拗れる人間関係に疲れ・憂いを帯びた余村の気だるさが大好きだった。それと同じくらい、言葉数が多いわけでも気のきいたことを言うでもない長谷部のトーンも好きだった。個人的に長谷部は、小野さんが演じたあらゆるキャラクターの中で一二を争うくらい好きな演技だ。それを改めて聞けて嬉しい。数年前の長谷部と全く変わらない。ただ以前よりも遠慮なく、言いたいことを言うようになっている。それはかれが10年間、仕事をしながら(出世もしながら)恋人を探し続ける中で得たつよさなのだろう。さすがに小野さんの登場シーンは増やされると思って(期待して)いたのだけれど、とてもいい改変で満足!

***
キャストコメントは平川さんと三木さん、神谷さん個人、小野さん個人。
平川さんと三木さんがしょっぱなから「ぶっちゃけ俺らの話でもあるけど俺らの話じゃない」「今回の主役は神谷君」と言いだすしまつ。まああのラストはね…このCD単体でみるとなんでこの脇キャラで最後終わってるの、って話ですよね…。
神谷さんが名乗るときに「占い師の声」と言ったのが印象的。「アキムラ」とは名乗らないんだな。
「ギャラ泥棒」と言われた小野さんのコメントがとっても良かった。神谷さんが余村とアキムラを「別な役」「そのキャラなのかそうじゃないのか」と言うのに対して、小野さんは「シュウって長谷部くんのことですよね」と笑いながら言う。どっちが正しいとかどっちが好きとかじゃなくて、とても性格が出てるなあと思う。選択肢を聴き手に残す・委ねるけれど、自分の中ではおそらく確固たる答えがある(もしくは選択肢を残したままでその先に進んでいる)中で演技する神谷さんと、答えを迷いなく出してそれに添って演技する小野さん。それがアキムラと余村の違いと同一性、シュウと長谷部の酷似っぷりに繋がっている。小野さんが「長谷部くん」「余村さん」って敬称を変えて・原作に忠実に呼ぶのが凄くすき!
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posted by: mngn1012 | BLCD | 01:55 | - | - |

小西克幸・野島健児・千葉進歩・置鮎龍太郎「終わりなき夜の果て」(原作:和泉桂)

野島健児(清澗寺和貴),千葉進歩(清澗寺国貴),小西克幸(深沢直巳),置鮎龍太郎(成田遼一郎),福山潤(清澗寺道貴),神谷浩史(清澗寺冬貴),遊佐浩二(伏見義康),諏訪部順一(クラウディオ・アルフィエーリ)

小西克幸・野島健児・千葉進歩・置鮎龍太郎「終わりなき夜の果て」(原作:和泉桂)

清澗寺家シリーズのドラマCD第六弾。既に慣れてしまった三枚組!
上下巻で刊行された「終わりなき夜の果て」のうち、同タイトルの本編だけを忠実にドラマ化したもの。

原作の感想はこちら。<上巻><下巻
清澗寺家シリーズのCDは、原作好きゆえの心配を全く必要としないクオリティで作られているので、今回も気にせずただただ楽しみに待っていたのだけれど、案の定素晴らしい出来だった。
ブックレットでもタイトルコールでも、「前編」「後編」と分けてあるのがいい。上巻(前編収録)発売→読了→CD前編だけを聴く→下巻発売→下巻読了→後編を聴く、ということができる。まあ一か月生殺しでしたけど…。

当然CDには収録時間が決められているし、音だけでは理解できない箇所もあるので、そのあたりは端折られたり付けくわえられたりしているけれど、そのあたりの判断もさすがに六作目。一か所だけ不満があったけれど、それ以外には文句のつけようがないCDだった。

話が進むごとに歳月が経過して年齢が進む物語なので、最初と比べるとキャラが大分年をとっている。顕著なのは伏見だ。少しずつ老いていく感じが、わざとらしくない程度に出ている。毎回伏見の変化には驚かされるけれど、今回もそれは変わらず。自分の意思で老いを止めている妖精冬貴の、伏見と比べると細かい変化もいい。原作での登場シーンが少ないふたりだが、CDになると多少出番が増えているところに制作の判断力を感じる…それでも冬貴さんの出番は前編で5分、とかのレベルなんだけれど。インパクトがつよいのでもっと長い印象。
冬貴の、年齢を超えたトーンは相変わらず。伏見相手には少し冷えた声が穏やかになるのもいいけれど、和貴相手に意地悪になるのもいい。冬貴が和貴をからかって押し倒すところがいじめっこでいい。あそこで伏見が来なかったら冬貴はどうしたのだろう、とも思うけれど、伏見が来ないなどという選択肢は端からかれの中に無いのだろう。だって冬貴だし。

お久しぶりのクラウディオと道貴も、気持ちがいいくらい相変わらず。クラウディオと道貴のシーンも、本編を全く害さないように微妙に付け加えられていて、ここにも制作の判断力をみた。いいぞもっとやれ。
みずみずしい道貴の明るさ・真っ直ぐさも、クラウディオの口から発される見事なまでの甘ったるい台詞も、「せつなさは夜の媚薬」のときから何も変わっていない。クラウディオの道貴への愛の言葉を永遠に聞いていたい気持ち!そんなおもしろかっこいいイタリア男なんだけれど、国貴を説得するときは真剣そのもので、既に家族を失った男の哀しみも感じられる。クラウディオと道貴の続編もCDになるべき!と思えるおふたりの好演がさすが。

国貴と、これまたお久しぶりの遼一郎。一枚目以来となる遼一郎、あの当時矯正のこともあって微妙に喋り方にくせが出ていた置鮎さんだけれど、今回は問題なく。国貴の、和貴とはまた違うどんよりした感じも相変わらず。痛々しく陰鬱な和貴と違って、国貴はぬぐい去れない鬱屈が滲んでいるような印象。そういうかれが次第に現実を見つめて、解放されていく様子がとてもいい。

そして和貴と深沢。深沢は相変わらずの低音で、あらゆる感情を押し殺した態度を取っている。押し殺していることが微かに分かる程度には見えている、その微妙な匙加減が本当に素晴らしい。ああもう深沢…好き…!同じところをぐるぐる回っている和貴を、愛しているからこその苛立ちとか、葛藤とか、哀しみとか、伏見への敵愾心とか、そういうものが透けて見える。
和貴もほんとうに凄かった。幸福に慣れていないかれの不安や自己嫌悪、伏見への甘え、深沢への不安定な情などが凄くいい。野島さんすごい、としか言いようがない。

鞠子の清涼感のある声が、重苦しい世界の中できらきらしている。あまり無茶を言わず、兄の幸せを優先させるような性格の所為もあるけれど、鞠子は泣いても世話を焼くようなことを言っても透明感がちっとも崩れないのがすごい。和貴はそりゃこの子を守りたいと思うよね、という感じ。道貴と鞠子が喋っているところがとってもお坊ちゃんお嬢さんしててかわいい!
そして今後の伏線となりそうな、現在進行形の暗い恋を抱えている影も出ている。

最初から自分のものではない伏見に和貴は安堵している。自分のものではないからこそ失う可能性がない伏見といることは、かれにとって非常に楽なのだ。そのことに深沢は苛立つ。父であり恋人であり共犯者でもある、なんて言ってのける関係に嫉妬している。風邪をひいている和貴をひどいめに合わせる深沢の態度に、和貴の心が荒れる。かれが自分を「大嫌いだ」と言い、深沢を「好きだ」という対比が切ないシーンがあるんだけれど、ここの「大嫌い」が省かれていたのがショックだった。濡れ場削ってもいいから「大嫌い」を!!!この最初の「大嫌い」があるからこそ、後の「好き」が活きてくるんじゃないの!!!ここだけが唯一不満だった。
深沢に首を絞められた和貴が、初めて生きることを選択するシーンの、深沢の涙がとてもいい。あの深沢が泣くからこそ胸が締め付けられる。不安や悲しみを表に出さない深沢が初めて見せた弱さに、かれがどれほど長い間不安だったのか、どれほど強く和貴を思っているのか分かる。

一家が再会するシーン、国貴と接する和貴もすごい。深沢との一連の過程を経た和貴は穏やかで、安定している。けれど国貴に対しては非常に緊張している。国貴と対峙するとき、和貴は価値のない自分に戻ってしまう。国貴に嫌悪され呆れられた、放蕩息子の和貴のままで止まっている。怯えながら国貴に接する和貴がせつないけれど、その時間はゆっくり動きだす。誤解が解け、考えは変わり、兄と弟は和解する。
そして別れのシーン、「一緒に沈んでくれる人を見つけました」の台詞。どんな声で話すのか、どんな風に語るのか、原作を読んだ段階では分からなかった。そしてCDを聞いて合点がいった。野島さんはこういう演技をするのか、ではなく、和貴はこういう声で話すのか、と納得した。そして原作と同じこのシーンで案の定泣いたよ…優しい声で話す和貴は、いつか自分を押し潰すかもしれない棺の中で幸福なのだと分かる。穏やかで、けれどもう覚悟を決めている。頑なには聞こえないけれど、決して揺らがない。もう二度と、永遠に会えないであろう大切な兄に、つとめて明るく気丈に振舞おうとしている。けれど不安や寂しさもある。心残りだってないわけじゃない。そういう複雑な心情が出ていて、作品が更に深いものになっている。相乗効果でどんどん良くなる。
大好きな原作と大好きなドラマCD、素晴らしい第一部の結末だった。

***
ブックレットには、遼一郎と深沢のやりとりを描いた「帰郷」が収録されている。国貴の帰還や、国貴のことを良く思っていない深沢だけれど、かれと遼一郎が再び無事に旅立つことができれば、かれにとっても大きな問題をひとつ解決することになる。道貴が提示した、きちんと挨拶をして家を経つ、という条件がクリアできれば、国貴と遼一郎は二度とこの屋敷には戻ってこない。和貴のもとに、かれらが戻ってくることはない。
和貴が清澗寺の屋敷を二人の棺と決める前から、深沢はずっと、「他の要素は必要ない」と思いつづけてきたのだろう。そのために道貴を円満に排除したほどだ。自分しか残してやらないと言い続けているかれは、和貴がその結論に達するのをずっと待っていたのだろうと思う。深沢だけいればいい、深沢と二人きりで最期まで生きてゆくのだという結論に辿りつくまで。そしてそれは成就した。
清澗寺家は深沢にとっても自宅となった。遼一郎にとっても、二度と足を踏み入れることができない、けれど確かに故郷なのだろう。誰もが憎んで押しつぶされそうになった屋敷は、時を経て、拠り所となった。

***
本当にいいCDだった。他の短編・中編もCDにならないかなあ。とくにおじいさまと嵯峨野のおじさまの話…!!!
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posted by: mngn1012 | BLCD | 21:21 | - | - |

鳥海浩輔、森久保祥太郎、楠田敏之「朝から朝まで」(原作:一穂ミチ)

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鳥海浩輔、森久保祥太郎、楠田敏之「朝から朝まで」(原作:一穂ミチ)
早朝の生放送テレビ番組でバイトをしている大学生の結は、ようやく仕事も覚え始めてなんとか楽しくなってきたところだ。先輩の本橋は優しくしてくれるし、何より報道記者の京平の存在が気になって仕方がない。

原作既読。感想はコチラ
一枚組のCDなので、当然話はかなり端折られている。結の家族の過去の話が一切カットされているので、それによって母親が息子のバイトをよく思っていないこと、逆に京平の家族には良い影響を齎したことも全く描かれていない。バイト仲間の女の子・尾崎も出てこない。一般的ではない時間帯や忙しさの中でバイトする結と、カタブツで有名な京平の不器用な恋愛に、京平が携わっている病気の子供のエピソードが少し挟まれるくらいだ。

結視点で進むこの物語の序盤は、かれのバイト先での状況が語られる。本橋が優しくしてくれることや、とにかく一分一秒を惜しんで仕事していること、最初は失敗も多かったけれど最近は慣れてきたこと。バイトの自分にも敬語で話す京平の誠実な人柄と、仕事への真摯な態度。そして過去にかれと交わしたなんでもないような会話のあれこれ。わたしがこれまでに聞いた森久保さんは大体ひと癖もふた癖もある、ちょっと嫌な奴を演じていることが多かったのだが、屈託のない結の天真爛漫さが出ていた。あんまり先のことを考えない、とても普通の青年だった。
楠田さんの本橋は、原作からそのまんま出てきた感じ。見た目も口調も軽そうなのに、実は物凄く熱いものを持っている。仕事への愛情、仲間への愛情、後輩への愛情、普段は恥ずかしくて見せないそれをたまに出してくる羽村は頼れる先輩であり、格好良い仕事人だ。
仕事は出来るが、口数が少なく何を考えているのかよく分からない京平は鳥海さん。聞かれたことに生真面目に答えている京平はまさに堅物という感じなのだけれど、たまに自分から口を開いたときのピントのズレた会話が微笑ましい。かれもただ真面目なだけではなく、仕事に対する情熱も人一倍持っている。なかなか窺い知れない部分がたまに見えるのが良い。

派手な業界が舞台なのにも関わらず派手さのない原作同様に、地味に、しかし着実に、物語は進んでいく。京平の昔の彼女である女子アナが、代打で番組にやってきた頃から話は盛り上がる。普段の結ならば気にならなかったような彼女の言動にいちいち腹を立てて、言ってはいけないと分かっていることが口をついたり、その勢いで更に心にもないことを言ってしまったりする結に当然京平は良い顔をしない。結自身も自己嫌悪でいっぱいになってしまって落ち込んで、なかなかうまくふるまえない。その上新人でもしないような大きなミスをしてしまって落ち込み、皆が気を使って自分を責めないことにも落ち込んでいる。基本的には結の恋愛の物語であるけれど、随所に出てくる仕事に対するそれぞれの向き合い方やこだわりみたいなものが顔を出すのは原作もCDも同じだ。

落ち込んでいる結のもとに、先日ひどいことばを投げてしまった京平が現れる。自分のミスを知っているかれが、わざわざ様子を見に来てくれたのだと分かっていて、それでも結はいやな態度をとってしまう。嬉しいはずなのに、先日のことすらまだ謝罪できていないのに、憎まれ口がこぼれてしまう。それでも京平は気にせず、話しかけてくる。
差し出されるコーヒーを突っぱねた結に、京平はおにぎりを差し出した。そして何を思ったか、おにぎりの話を始める。いまどき中学生でももうちょっと気のきいたことが言えそうなものだが、かれにはそれ以上のアイディアは浮かばなかったんだろう。真剣なトーンでおにぎりの海苔についての雑談を始める京平の不器用さが可愛い。それに呆れつつ結が笑うこのシーンが一番可愛くて好きだ。なんでもない日常の中のその一頁は、きっと京平にしてみたら破り捨てたいほど恥ずかしい不出来さだろうけれど、可愛らしくてあったかくて凄くすてき。

本橋が番組を降りると知った結は落ち込む。可愛がってくれたかれがいなくなることは寂しいし、何よりその理由が哀しかった。そのやるせなさを抱えた結は家に帰りたくなくて、結はまたテレビ局へ向かう。そこで偶然顔を合わせた京平と、その寂しさを分かち合いたくて話を振るも、京平の態度は結の期待していたものではなかった。会話の途中でかっとなる結は、しかし京平の言葉に腹を立てていたわけではない。大人の決断をどうこう出来るわけがない、すぐに慣れると冷たいことを言う京平が、本当にそう思っていないことが分かるから、苛立つのだ。憔悴した表情の癖に、その気持ちを隠そうとすることに怒っているのだ。
いつも結が突っかかってもそれなりにいなしている京平が、しかしすぐに声を荒げた。そして荒げたかと思うと、すぐ冷静に戻って謝罪する。取り繕いきれないほど心に澱を貯めこんでいる京平に、「三文字で距離を取らないで」と感じる結のモノローグが哀しい。

いやになるほど常識人の京平がいきなり結に電話をしてきて、話があるから今から会いたいと言ってきた。そこでかれは、ずっと自分が隠し持っていた結のメモについて明かす。それは良いんだけれど、ここは原作通り先に、亡くなった少年の番組の告知が欲しかったところ。普段決してそんなことを言わない京平が、唯一結に「見てほしい」と言ったのだ。ただ見てほしいのではなく、「君に」とかれは言った。そこは端折らないで欲しかったな、と地味に突っ込み。

告白のときのちょっと決まらない、間の抜けた感じはすごくよく出ていた。仕事に関しては誰よりも格好良い京平の、格好つけられないプライベート。格好がつかない駄目な告白がいい。
結の告白もまたいきなりで、シチュエーションもくそもなくて、京平の挨拶の言葉と被さっちゃっていい。休暇中であろうと携帯電話が鳴ればすぐ仕事に向かう京平と、携帯電話のメールで親に連絡する結の、物凄くアナログな恋愛。余裕で一カ月とか間が空いちゃうかと思いきや、いっそくとびに事が進んだりして、まるで二人の仕事(とバイト)みたい。

本編CDにコメントはなく、初回特典として鳥海さん森久保さん楠田さんの10分弱のフリートークCDが付いてきた。森久保さんが司会で、特にお題もなく、作品についてだらーんと喋る。楠田さんが原作を読んだと言っておられて、まあ原作読むひとは他にもおられるんだけどやはり原作ファンとしては嬉しいなーとほくほくしていたら、CDにない場面やエピソードについても語っておられて気持ちが高揚した。だよねだよね!と言いたくなる。
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posted by: mngn1012 | BLCD | 21:13 | - | - |

前野智昭、鈴木達央「手を伸ばして目を閉じないで」(原作:渡海奈穂)

前野智昭、鈴木達央「手を伸ばして目を閉じないで」(原作:渡海奈穂)
小さな頃からずっとピッチャーとしてチームを勝利に導いてきた樋崎は、高3の夏、甲子園直前に事故にあって再起不能になった。それ以来仲間とも縁を切り、知り合いのいない大学に通いながらコンビニバイトをする樋崎のもとに、高校の後輩明石が訪れる。大学リーグで現役ピッチャーとして活躍する明石は憧れていた樋崎に懐くけれど、過去を思い出したくない樋崎はかれを冷たい言葉で拒み続ける。

原作既読。感想はコチラ
原作がすごく好きだったので、どうかなと思っていたのだけれどCDも良かった。特に二人が感情的に言い合うシーンは文章よりも音にした方が迫力がある。あとは何もかもに投げやりに生きている樋崎の無気力ぶりを鈴木達央が好演していたと思う。

かなり原作に忠実な作り。殆ど樋崎と明石二人のやりとりで構成されている。
あらゆるものが煩わしい樋崎にとって、明石は目障りな存在以外のなにものでもなかった。再会した憧れの人を前にしてテンションを上げる明石と、自分の過去を知っている人間が存在しているだけで腹が立って仕方がない樋崎。前野さん演じる明石の屈託のない態度は非常に普通の大学生男子で、だからこそそれに腹を立てる樋崎が異様に過敏にみえる。
目標も友人も趣味もなにもない、ただ生きているだけの樋崎のモノローグがとてもいい。やさぐれた感じが出ている。

何度も自分の前に現れる明石に樋崎は徐々に苛立ってくる。そしてそれを制御しきれず、後輩に八当たりをしている自分に余計苛立ってしまう。明石の存在さえなければ、と思いながらも、自分の前に現れるかれを拒み切れない。
「樋崎直嗣は自分らの憧れでした」という明石の台詞が潔すぎて眩しい。殆ど「俺」なのにときたま一人称が「自分」になる。前野さんの声は明快ですぱっとしていて体育会系っぽい。なまじ自分が真っ直ぐなもので、曲ってしまったものをなかなか理解できない、明石の長所であり短所である一本気なところが滲んでいる。

食事シーンがちょっと微妙かな。いまひとつ物食べてる感じがしない。あとは演技の問題ではないのだが、効果音がところどころはっきりしない。明石が樋崎の部屋を出ていくときのドアの音が不自然な印象。まあ本筋からみると瑣末なことだ。

距離が縮まるにつれ、心の距離が遠くなる。樋崎を知れば知るほど、明石はもどかしくなる。もっと腹を割って話がしたい、自分に向き合って欲しい。自分に本音を聞かせてほしい。怒りや弱音や甘えを引き出したい。どんな種類であれ、強い感情を見せてほしい。そのために明石はいろいろな方法で働きかける。

野球をしている明石を見て、樋崎の心は余計にささくれる。考えれば考えるほど落ち込んでしまう。野球のことを考えたくなくて、極力そうしてきたのに、明石の存在によってそれができなくなる。もう二度とできない野球というものに対峙せざるをえなくなる。「仕方ねえだろ、好きなんだよ、野球」という吐き捨てるようなモノローグがすごく良い。

なし崩しに始まった肉体関係に、樋崎は結構はやく順応した。どうせ抵抗してもかないっこないと頭で考えて、一度も試すことなく、最初から受け入れた。そんな自分を「たぶん、ずっと寂しかったんだと思う。誰かと過ごす時間まで、野球と一緒に失っていたんだ。」とかれは分析する。明石の変化も自分の変化も、かれは冷静に見ているふしがある。こんな異常な状況に巻き込まれてもまだ、かれは他人ごとのように受け止めている。その代わり、それまでより声が低くなって、テンションも更にうつろになっている。
その状況に結局明石は耐えられない。自分を見ろと必死で叫ぶ明石の声は、それでも樋崎に届かない。叫び尽してとうとう諦めた明石に、樋崎は遂に見放されたのだと思う。このあたりの言い合いがすごく好き。自分の何が責められているのかすら、樋崎にはわからないのだ。「俺だって俺のことなんかいらねえよ」と、ひとりごとのように呟いた樋崎が哀れだ。けれど明石はかれを哀れまず、対等の存在だと思うからこそ、かれの前から去った。明石はもうちょっと、抑揚の抑部分があっても良かったかも。

そのあとも丁寧なつくりで良かった。「その先の」の部分にあたるエピソードで、敗退した後輩に向かって叱咤激励したあと、気持ちが高ぶりすぎてそのまま泣き出す樋崎がいい。小説では泣いた、としか書かれていないけれど、思いっきり号泣していた。ちっとも格好よくも可愛くもない、情けない鳴き声がすごく良かった。見苦しいほどに、自分の気持ちを解放することができたのだ。

サイレンで終わるラストがすごくいい。試合が始まるように、かれらの話もこれから始まるのだ。
原作を読んだときは、傷ついた樋崎の再生の物語だと思った。CDを聴いて感じたのは、樋崎を再生させるために、まず明石はかれを壊したのだと思った。核となるものを失ってぼろぼろになった自分を、中途半端にかき集めて樋崎はなんとか形にした。それは歪で不安定で、かろうじて存在しているだけのものだった。それをいくら大切にしたところで、樋崎は喜ばない。パーツが足りないから以前のようになれないと嘆くかれのために、一端それを粉々にしてやる必要があった。そして樋崎は今あるものだけで新しい形を構築し、再生した。
良い話だな、と改めて思えるCD。

ブックレットに書きおろし小説もあり。相変わらず口の悪い樋崎と、全然それを気にしない明石。仲良し仲良し。
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posted by: mngn1012 | BLCD | 22:43 | - | - |

小西克幸・野島健児・遊佐浩二・神谷浩史「夜ごと蜜は滴りて2」(原作:和泉桂)

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小西克幸・野島健児・遊佐浩二・神谷浩史「夜ごと蜜は滴りて2」(原作:和泉桂)

清澗寺家シリーズのドラマCD第五弾。和貴主役の中編が三本収録されている。
とにかく待ってましたのCD最新作は、これまでの流れで原作五冊目をドラマ化するのではなく、ノベルスに収録されている中編を集めたものになった。五作目が番外編のような内容で清澗寺家の面々が殆ど出てこないので、こういう形にしたのだろう。

・「蜜よりも夜は甘く」(「夜ごと蜜は滴りて」内)
「夜ごと蜜は滴りて」の後日談。ようやく思いが通じ合ったと思ったのに、自分に一切手を出してこない深沢の所為で、和貴はまたも疑心暗鬼にかかる。飽きられたのではないか、捨てられるのではないかという不安に苛まれたかれは妹の鞠子を利用して深沢をつなぎ止めようと画策し、二人を避暑地に旅行させ、自分はひとり屋敷で夏を過ごす。
相変わらずの昼ドラBGMが冴えわたる世界観に安定したキャスト。日に日に鬱屈としてゆく和貴と、もともとテンションの低い深沢の会話劇の中で、鞠子の清涼感のある声に救われる。
結構脚本は原作をいじっているように思った。改良や改悪と言うよりは、短時間にまとめるための策という感じ。ずっと同じ脚本家で、作品を理解しているからこその手の入れ方だから良いのだけれど、結果的にお互いの気持ちが分かりやすくなりすぎたかな。傍目には両想いの恋人関係にあるのに、決して甘い言葉を囁き合ってお互いを認め合うような関係には見えない二人の気持ちが出過ぎているので残念。
しかし演出や演技はいつも通りとても好み。不安に駆られる和貴の繊細さは全面にでており、父親と同じ顔をしている自分を嫌悪するシーンもすごく良かった。「畜生」と言って物に当たるんだけれど、その当たり方がいまいち弱弱しいあたりが非常に和貴。
そしてひとり屋敷に帰ってきた深沢により、父親の襦袢を着せられ、以前父と伏見が抱き合っていた離れに連れて行かれる和貴の絶叫が切ない。自分の家の中なのに、ここには父も伏見もいないのに、和貴は本気で嫌がっている。恐れている。
そして和貴は、深沢により「躾直し」をされる。手足の自由を奪われ、生活のすべてを深沢によって管理される。動けないなりに最初は抵抗していた和貴が、徐々に諦めて倦んでいく微妙な変化がすごくいい。重苦しく濃厚な雰囲気がとても清澗寺。
和貴と二人きりのときの深沢は、仕事で人前に立っているときのかれとは随分違う。囁くように和貴をあやし、焦らし、責め立てる。この常に囁くような声音がものすごく良かった…!常に吐息多め。
優しさを簡単に滲ませてはくれないところが深沢だ。和貴への愛情を人一倍持っているくせに、かれはそれを和貴に悟られないように秘めている。それがかれの愛し方であり、和貴にとって一番良い方法なのだと信じているからだ。
その所為で和貴は迷い、苦しみ、追い詰められる。精神的に壊れてしまいそうなぎりぎりのラインでなんとか踏みとどまっている、いまにも泣きだして何もかもを吐露してしまいそうな和貴の心情がとてもいい。一番欲しいもの以外のすべてを与えてくれる深沢に、和貴は狂おしい気持ちで縋る。あと一歩で手に入るのに、その僅かな距離が届かない。ぼろぼろになる和貴に、ほんの僅かだけ深沢の声のトーンが優しくなるところが凄くいい。感情の振れ幅が物凄く小さいので、ほんとうに微細な変化だけれど。

国貴に置き去りにされた過去の傷を泣きながら吐露する和貴が可哀想でせつない。結局かれの根幹にあるのは父そっくりの容姿ではなく、それによって受けた辛さをひとつも汲み取ってくれなかった兄の態度だ。
そしてかれがずっと背負わされ続け、今後も決して捨てられない重荷を深沢は持ってやろうとしている。言葉ではなく態度で、和貴が気付かないうちにその荷物を減らしてやろうとしているのだ。「私の愛し方がわかったでしょう」と何事もないように言うかれの内心の覚悟の大きさが伝わってくる。後半は深沢の台詞が全部決め台詞のようで素晴らしい。深沢はわたしの好きなタイプの形式美攻なので、深沢過多で気が動転しそうである。そして小西深沢がこんなに好きでどうしたらいいのだ。

いっそ家を捨ててしまえばいいと深沢が言ったとき、和貴はそれを拒む。弟妹や父がいるから、と。
そのときの返事の即答ぶりと、言い方の屈託のなさが切ない。かれの心を潤してくれる兄弟を守りたいという兄の気持ちは分かるけれど、こういうときに和貴は絶対冬貴を数に入れる。あんなにも自分を苦しめる存在なのに、いっそ殺してやろうかと思ったことまであったのに、それでも決してかれは父を捨てない。だからこそ苦しい。

風鈴の音をBGMにした「私の膝枕ではかたくないですか?」にはちょっと笑った。膝枕をしているという状況を表現するためには仕方がないのだろうけれど、そんなときまでトーンが真面目なので可笑しい。結構バカップル。


・「禁じられた夜の蜜」(「せつなさは夜の媚薬」内)
清澗寺紡績の社長に就任した和貴は、鞠子と出かけたある夜、誘拐されてしまう。社会主義運動団体を名乗る連中は和貴を監禁し、身代金を清澗寺家に要求する。
道貴がクラウディオと中国に行ったあとの話。
久々に浅野さんが登場。和貴が国貴の話をしたときに浅野の表情が微妙に変わる、というのがかれの見どころだと思うのだけれど、それはCDではさすがに表現できず。ちょっと残念。
家に帰る途中タクシーに乗っているときの和貴の内心モノローグと、運転手に対する態度の差がすごくいい。成果を出したので深沢に早く伝えたいという気持ちをすごく柔らかい声で思っているのに、運転手に「そこを右に」と指図する声音はとても冷たく、会社の社長然としている。こういう細かい演技にキュンキュンするわたし。

伏見の小父さまも登場。自分を放っておいて冬貴と話している深沢に苛立つ和貴を宥める小父さまは、何だかんだで和貴のことを気にかけて大切にしている。物言いがいつまでたっても子供をあやす風なのが官能的でいらっしゃる。それを特に疑問に思わない和貴のおぼっちゃまっぷりも良い。自分たちの間が非常に独特で奇妙なものであることに、伏見は気付いたうえで気にしていないけれど、和貴は気付いていないのだ。

社会主義運動団体を名乗るごろつきどもに監禁された和貴は、拘束された挙句媚薬を塗られて放置される。原作では更に足首に張り型を付けられていたのだけれど、それは端折られていた。快楽がひかず、さりとて与えられるでもない和貴の思考は少しずつ狂ってゆく。どうせ助かってもいずれは深沢に捨てられる、それならば今死ぬのもその時死ぬのも同じではないかと苦悩する。「どうして深沢とひとつの体で生まれてこなかったのだろう」というモノローグがせつない。
そしてかれが快楽と戦っている間、深沢はあらゆる策を練っていた。伏見にも憲兵にも借りを作るわけにはいかないと今後のことも考えて動くかれは一見冷酷にうつるけれど、内心はひどく焦っている。和貴が殺されてしまえば、自分も死のうと決めているくらいには、冷静でないのだ。

珍しくあっちこっち大きく行動するので展開は全体的に早め。
穏やかに見えた再会のあと、深沢は和貴に呆れ怒っている。その理由が分からない和貴は、また自分が飽きられたのだと思っている。卑屈に構えて、「どうせ捨てるつもりなら、最後にもう一度くらい使ってみろ」と自虐的に吐き捨てる。縋りたい気持ちを押し殺して、上から構えて気楽にふるまうことで、かれをもう一度だけでも手に入れようとする。「楽しませてやる」と高圧的に言うかれが哀しい。
その態度により深沢の怒りは強くなる。自分がどんなに和貴を好きなのか、ひそめてくぐもった声で
言う深沢が良い。こんなに思い合っているのに、すぐにかれらはすれ違う。傷つけあって奪い合うことでしか、共にいられない。愛なんてこの世界になければいいのにお前を愛している、という和貴の台詞の矛盾がかれらの関係を象徴的に表現している。
そんな風なのに、下の名前で呼ばれただけで腰が砕ける和貴の可愛さよ。

和貴目線の物語と同時進行で、深沢目線のモノローグも介入する。和貴に初めて出会ったときからずっと覚めない夢の中にいる、と語り出した深沢は、これからも夢を見続けるためになら何でもするととうに腹をくくっている。不安定で崩れやすい和貴との関係を、かれは最高のものだと思っている。傷つけて奪って慰めて甘やかす、学習しないその関係を至上のものだと自負している。幸福だと信じてやまないかれの歪んだ愛情が、余計に作品の世界観を深く濃いものにしている。


・「凍える蜜を蕩かす夜」(「紅楼の夜に罪を咬む」収録)
14歳の和貴は、父に似た容姿の所為で教師からも生徒からも父兄からも嫌な顔をされている。更に兄が学校の寮からちっとも戻ってこないことを心細く思っていたかれは、あることをきっかけに、伏見に手ほどきを乞うようになる。

回想シーンに出てくる伏見の小父さまはとっても若い。言葉数も多くないんだけれど、ちょっとした笑い声が通常の小父さまよりも随分若い。すごい。

とにかく和貴があらゆる場面で可哀想。かれ個人に非はないのに、学校では苛められ、それを見ていた教師には叱られ、道を歩いていれば襲われかけ、必死で逃げて家に帰ると執事に責められ、唯一の話相手である伏見は常に冬貴を最優先にする。まだ幼く柔らかい心を剥き出しのままで生きているかれは、いちいちそれに傷つく。「僕はみんなに嫌われていますから」と少し笑ったように言う和貴が可哀想でならない。かれは純粋で家族想いの心優しい少年なのだ。

そしてようやく三本目で登場した冬貴の第一声はもちろん「義康」である。
まだ父親に対する感情をはっきり定めきれずにいる和貴に対して「お前、寂しいのか」と何の慈しみも見せずに言う冬貴がすごくいい。和貴と二人きりのやりとりというのはここしかないのだが、こんなに冷たい声をかけるのか、と背中が冷えた。故意にかれを突き放し、傷つけようとしているようだ。

傷だらけの和貴はとうとう、連絡をしてこない兄に自ら会いに行く。国貴兄さん出た!一枚目以来の登場になる千葉さんは、その時よりも大分若い年齢の国貴を演じるのだけれど、ばっちり若かった。過敏で視野狭窄に陥っている生真面目すぎる少年という感じ。優等生で大人からの信頼も篤いかれは、和貴の憧れであり誇りであった。しかし潔癖すぎる兄には、汚れた父と同じ容姿の弟を受け入れることができなかった。和貴の言葉を聞きもせず、途中で遮ってかれを突き放すような言葉を吐き捨てる。ひとかけらの優しさもない声が、和貴を決定的に苛む。

そして和貴は伏見に手ほどきを請うた。冬貴の子どもたちを我が子同然に可愛がってきた伏見にとって、冬貴にそっくりの容姿と、ひと一倍繊細な心を持った和貴は特別気にかかる存在だった。かれをずっと見てきた伏見には、和貴の迷いも苦しみも手に取るようにわかった。和貴は冬貴が決して持ち得なかったものを持っているのだ。
子供同然に思っていたのに、と軽口を叩く伏見だけれど、内心は複雑だっただろう。冬貴が一番であることには変わりなかったが、慈しんで見守ってきたかれの申し出は哀しかったかもしれない。けれど今自分がそうしなければ、もっとひどい展開がかれに訪れるであろうことも分かっていたから、そうするほかなかったのだ。厳しいことを言いつつもどこか寂しそうな伏見の声音は、他の場面では聞いたことのないものだ。どこか気だるそうで、憂鬱そうだ。悪びれる口調にも元気がない。これは本を読んでるときには気付かなかった。なんと素敵な解釈。

冬貴への恋に狂った千野の兄が、拳銃を持って屋敷を訪れる。この兄の狂いっぷりが凄く良かった。挿絵にも描かれていないこの、冬貴に焦がれたその他大勢のうちの一人でしかない男だけれど、その一人一人にドラマがある。悲痛でいいな。
それに対する冬貴はちっとも動じない。この冬貴の台詞が原作そのままで、全く削られても弄られてもいなかったのが嬉しかった。ずっと淡々と話していた冬貴が最後だけ、「死ぬのだろう?」と語調を強めたのがいい。どうだやってみろ、と突き詰めている。できないだろう、と嘲っている。そしてもしできたとしても、別に構わないと心底思っている冬貴はやっぱり最強だ。

小父さまとの約束の夜。やっぱりこの日も小父さまはどこか乗り気じゃない。この日に和貴が来なければいいと思っていたかのようだ。この日得た和貴の充足感は、その直後に打ち砕かれる。もちろん、冬貴によって。その劣等感と焦りは、歳月を経ても変わらない。かれはずっと水底にいるような気分なのだ。モノローグとかぶる水音がいい。

舞台は現在に戻る。長い間もがき苦しんでいた水底から助けてくれたのは深沢だった。原作にあったベッドシーンを全廃してしまったのがここに関しては非常に英断だと思った。何でもない穏やかな時間が、和貴のこれまでの苦悩を思えばどれほど素晴らしいものなのか分かる。


とにかく徹頭徹尾世界観を守って作られた、今までのシリーズと違わないクオリティの作品だった。自分が異常にこのシリーズを好きなのが気持ち悪いのだけれど、もともとの原作を更に深めてくれる良いCDだと思う。

ブックレットに掲載されている小説は「理想と現実」。焼き芋をしつつ、以前同じように深沢が和貴を焼き芋に誘った日のことを思い出す二人。相変わらず意地の悪い深沢と素直に慣れない和貴の掛け合いはいつも通りで、平和。

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posted by: mngn1012 | BLCD | 22:45 | - | - |

安元洋貴、神谷浩史、鳥海浩輔、鈴村健一、平川大輔「ひとり占めセオリー」(原作:北上れん)

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安元洋貴、神谷浩史、鳥海浩輔、鈴村健一、平川大輔「ひとり占めセオリー」(原作:北上れん)
佐倉のマンションに押し掛けたまま、二年間同居している立花は、自分が佐倉に抱いている独占欲の強さを実感する。佐倉に彼女が出来たら、卒業して道が離れたら…いつか自分が佐倉の一番ではない日が来ることを、立花は恐れ始める。
面食いの若宮は、高校からの親友である高尾の顔が何よりも好きだ。最近親しくなった準教授がやけに高尾に執心していることが気に入らない若宮は、二人が近づくことを恐れて、思わぬ行動に出る。


原作既読。
高尾と若宮の物語「恋落ちルール」、「蜜月ルール」、佐倉と立花の「ひとり占めセオリー」、更に高尾と若宮のその後「雨天決行ルール」がドラマ化。

「ひとり占めセオリー」のいいところと言うか、北上作品のいいところは、すごくBLテンプレなところだと思う。ザッツBL、ザッツボーイズラブ。思わず息をのむようなびっくりする展開や、驚かされるオチなどは取り立ててないのだけれど、ひとつひとつの物語のクオリティがとても高い。大きな事件があるわけでもない、普通の大学生たちの毎日が非常に丁寧に描かれている。些細な誤解や嫉妬、かれらの細やかな心情変化が自然で、しっくりくる。
そういった原作の、派手さはないが堅実な魅力をそのまま音声化したような作品だと思う。
感情を思いっきりぶつけて大泣きしたり、衝撃の事実が明らかになったり、大勢に寄ってたかって襲われたりするような、分かりやすい聴きどころはないけれど、その辺にいる大学生っぽさが心地よい。原作が非常に読みやすい、門戸の広い作品であるのと同様に、CDも非常に手を出しやすい一枚だと思った。笑いもありつつ、シリアスで、ハッピーな感じ。

とにかく高尾の顔が好きで、高尾にふらふらしている若宮と、そんな若宮の気持ちなどお見通しの高尾。若宮が困っている姿を見るのが好きな高尾は、自分からはなかなか動かない。若宮が焦れて爆発するのを待っている。
無意識に翻弄されっぱなしの若宮に神谷さん。ちょっと抜けた普通の明るい男子像が基本にあるので、中盤以降恋に悩むあたりのモノローグがギャップも相俟ってとても切ない。恋が叶う、という選択肢がないところが健気で良い。若宮の「まだだ、まだ終わらんよ…!」には笑った。
高尾は安元さん。とにかく好かれているのだという自信に満ちていて、それなのにあまり嫌な奴にならないあたりが良かった。よくよく考えると高尾って最低だと思うんだけど、そう思わせないだけの雰囲気があるのだ。立花に、若宮は高尾の顔が大好きだって知ってるかと聞かれて、「知ってるよ」と返事したときの得意そうな声音がすごく良い。
甘党で温和な準教授西岡に平川さん。ああすごく西岡。ものすっごく西岡。原作では助教授だったけれど、そのあといろいろ改正されたのでCDではちゃんと準教授になっていた。

何をやってもそれなりにヌルい立花と、なんでもそつなくこなしてしまう優秀な佐倉の話もまた、大きな事件がないままゆったりと時間が流れる話。佐倉のことを考えて考えて考えて爆発寸前の立花に鈴村さん。立花は四人の中でも、一番普通の男子学生という感じがする。そういう普通の男子学生が、その普通のテンションのままで一喜一憂している様子がとても出ていた。優秀な佐倉に鳥海さん。口数が多くなくて、しれっと何でもこなす佐倉は、立花と正反対の人間にみえる。そういうかれが実は熱いものを秘めているということがじわじわと明らかになっていく。
他人の相談を受けるときの若宮は普通の、どちらかと言うと冷静な大学生だ。立花と話しているときの普通さは、高尾相手にうじうじしているときと比較すると面白い。

安定感のあるCDだった。台詞とモノローグと書き文字の台詞や心情といったものが、漫画では入れ替わり立ち替わりはさまれているので、それを音声にするとなると整理する必要がある。何を優先するか、ひとつの台詞がどの台詞に対する応答なのかをきちんと処理してある良い脚本だった。そして何が相手に向けた台詞で、何が伝えるつもりのない独り言で、何がモノローグなのかが聞いていてはっきり分かる演技で、緊張感なく楽しめた。
フリトもだらーーんとしてる感じ。
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posted by: mngn1012 | BLCD | 21:29 | - | - |