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三大ミュージカルプリンスコンサート StarS@東急シアターオーブ 14時公演

 
見てきましたStarS。全員がドットのシャツ着てるこの服が一番かわいいと思います。この衣装で出てくると思ってたのに、実際の衣装は黒・グレー・シルバーあたりの色合いの比較的まっとうな衣装だった。残念。
げきぴあの公開リハーサルレポートに載ってる写真が当日の衣装。

山崎くんのブログで予告があったように、販売されていたサイリウム。これは折る前の色で、折ると白くなります。300円。

***

開演時間直前、メンバー三人によるアナウンス。
自己紹介のあと、「サイリウムやペンライトはお持ちですか」「ご準備できていますか」「turn on light」「さあ光らせて」「この会場を星たちで満たして」「さあ暗くなりますよ」「enjoy StarS show」「3、2、1、go」の声とともに、暗転。
多分英語を挟んでるのは山崎くん。この時点でもうわたしの血管が切れそうだった。恥ずかしい!なにこれ!これから始まる世界を正気で直視できない!ロビーに出てハートランドを流し込みたい!
そして三人が登場し、「Gleam」へ。ダンスきた!微笑みきた!さわやか!あああもうだめ絶対顔がにやけてる!
ちなみに井上・山崎両名がワイパーを客席に誘導している中、浦井健治さんは一人超ハイテンションで手拍子をし続けておられました。特に推しがいないので満遍なく三人を見ているんだけど、ウラケン見てる間だけノリが周囲とずれてしまう…。
そのあとは「HAIRSPRAY」より「You can't stop the beat(日本語版)」へ。「ハート」という歌詞の部分では腕でハートを作ったり、間奏で「リーダー!」「いっくん!」「健ちゃん!」というメンバー紹介あり。ここがわたしの恥じらいのピークでした。このあとゆるやかに慣れてゆき、最終的には笑顔でペンライトを振っている自分がいた…。

「StarSです!」で始まったMCは物凄く自由。途中で浦井くんが水を飲みに行って「自由!」だといじられていた。ちなみに本人を識別するためにドリンクにカラーテープ?が貼られているんだけれど、浦井くん赤・芳雄さん青・山崎くん黄色でした。
アルバムのオリコンデイリーチャートの話。この日出た結果がデイリー6位だったのかな。その結果に対して客席に井上・山崎が感謝を述べる中、「数は問題ではなくて、ハートが大事」みたいなことを言い出す浦井健治さん…。
あとは「皆さんの感性でペンライトを振ってください、決まりはありません」と芳雄さん。「育三郎先生が煽り担当です。浦井くんのはあまり参考にしないでください」と付け足していて笑った。ですよねー。
このあと自分たちが出演したミュージカルの曲を披露する、という話。その前に初めて自分たちを見たという人は拍手して、という山崎くんの問いかけに、二人くらいの拍手が起こる。そのうちの一人を散々いじる芳雄さん。このあと披露する「闇が広がる」の説明の際に、「まあ初めて見る人は『闇が広がる』って言われても何のことかわかりませんよね、暗い歌だな演歌かよ、みたいな」とか、「トートって言われても誰だって感じですよね」「トートって人…まあ人なのかもわかりませんが」「トートってドイツ語で死神っていう意味なんですよお客様!」とか喋る喋る。

TdVの「さあ招待しよう」「今招待しよう」「真っ赤に流れる血が欲しい モラルもルールもまっぴら」から、山崎ロミオと浦井マーキューシオでR&Jの「世界の王」へ。この曲大好き!!嬉しい反面、再演には二人とも出演しないことを思うと少し淋しい。
スマホとかフェイスブック演出は気の毒だったけれど、(何が気の毒って、浦井くんが滑ったみたいな空気になるのが気の毒だったのだ…)曲は本当に素晴らしいミュージカルだと思う。
そのあとは井上・山崎でレミゼの「I dreamed a dream」を英語で。切なくてすごくよかった!
WアルフレートによるTdVの「サラへ」も懐かしい。TdVって他のウィーンミュージカルと比べてちょっと印象が薄いというか、あまり話題にならない印象があるんだけれど、楽しくて不条理で好き。しかしM!もTdVも主演の男性が赤ジャケットなので、一瞬誰がどっちに出ていたか(出ていないか)混乱してしまうな。
そのあとは井上トートでエリザの「最後のダンス」。ステージの二階からゆっくり階段を下りてステージへ、そして客席へ。大きな影を連れてのトート。「あなたの愛を巡って」のところから。爬虫類的なんだけれど王道。王道なんだけど一筋縄ではいかない感じ。コンサートでこれなんだから、実際の芝居になったらどうなるんだろう。いつ芳雄さんトートやるの!!
「闇の中から〜」のコーラスを浦井・山崎が担当していて、豪華さに倒れそう。
そこから芳雄トートと浦井ルドルフで「闇が広がる」へ。浦井ルドルフの第一声に眩暈がする。浦井くんのルドルフは本当に「不安で壊れそう」でたまらない。
「世界が沈む時」から浦井トートと山崎ルドルフ。「CHESS in concert」でも思ったけれど、浦井くんのこういう役って実はものすごくハマっている。低音でちょっと艶っぽくてすごくいい。いつ浦井くんトートやるの!!山崎ルドルフは想像通りの健気さと、隠しきれない我の強さのバランスが好き。我慢できなさそう。
「見過ごすのか」から山崎トートと井上ルドルフ。山崎トートは情が薄そうでいいな。以前のウィーンミュージカルコンサートで、山崎くんの「闇が広がる」が聞けなかったことを物凄く後悔していたので、すこし補完で来たかな。いつ山崎くんトートやるの!!
でも個人的には山崎くんはトートよりもルキーニのほうが好きだった。三人でのサビも相俟って、頭の血管切れそうな豪華さ。何これ夢?幻?わたし死ぬのかな?
そのあとは三人でM!の「影を逃れて」へ。「たおやかなシンフォニー」のあたりからのコーラスがものすごく豪華で幸せだった。

汗だくになった山崎くんに、「顔に汗かかない」と言って「女優か」「女優きどりか」と突っ込まれる浦井くん。
「影を逃れて」をうたうと腕が痛くなる、と山崎くん。アマデが子役なので、何度かペンを実際に刺されて血を流しながらうたったこともあるそう。その話に対して「中川晃教くんは鼻血を流しながらうたったことある」と芳雄さん。更にモノマネを振られた浦井くんが、アッキーと芳雄さんのモノマネをしていた。井上ヴォルフの真似として「影〜か〜ら〜♪」の部分をものすごいコブシまわしながら歌うんだけど超似てる。山崎くんはえなりくんのモノマネで「僕だってStarSに入りたいんだ」と言ってた。結構似てる。
この後は自分たちがやっていないミュージカル曲を披露する、という流れ。「defying gravity」は「重力に逆らう」という意味だという話から、浦井くんは重力に逆らっている・重力を感じていないという話へ。浦井くんは裏でもそのままだと言う山崎くんが、「いっくんおつかれー!ハハハー!」と帰っていく浦井くんの真似をしたり、「闇が広がる」を練習中に「いきなり『となりのトート』って言いだした」と芳雄さんがバラしたり。何年もルドルフやってたのに何故今…。

井上・浦井でWICKEDの「Defying Gravity(英語版)」!元々この曲好きなんだけど、男性二人バージョンもすごくいい。さわやかで自由でちょっとさみしい。
山崎くんのRENTの「Today 4 U(日本語)」はファンキーで可愛らしい。ショキピンのパンツでクネクネしててナイスオネエ!
「バーレスク」を見たことがない芳雄さんが想像でやるという「Welcome To Burlesque(日本語)」も淫靡な感じで良かった。膝丈のパンツに中網タイツ。脚ほっそい!この曲をやるにあたって、映画を見たことがないと言って演出家に驚かれた、というエピソードを芳雄さんが話してたんだけど、誰の選曲なんだろう。映画を見ていないけれど曲だけ知っている・好き・やりたいということも勿論あるだろうけれど、そのあたり気になる。defying gravityを選んでくれた人本当にありがとう!
そしてロングコートを着た浦井くんで、Hedwig and the Angry Inchの「Midnight Radio(日本語)」へ。曲紹介の時に「大切に歌います」と言っていた通り、メッセージがそのまま伝わってくるような歌だった。「Lift up your hands」のところでは二人も出てきて、一緒に手を挙げながら歌っていた。

そのあとは楽器陣の紹介。音楽監督カミムラ周平さんの紹介とコメントもあり。
山崎くんの足が細いという話から、加圧トレーニングをしているという芳雄さん、「若いうちは代謝がいい」けれど徐々にそうじゃなくなる、という話。同窓会に行って同級生に驚くそう。
同じく30歳を超えた浦井くん、「30超えて何か変わったか」と聞かれて「中身が伴ってない…どこに行っても31歳と言うと驚かれる」と返事。山崎くんに「失礼ですけど14歳くらい」と言われていた。

そのあとはミュージカルナンバー以外の曲。
浦井くんのFunの「We Are Young」を日本語で。この隙に二人が着替えるんだと思ったら、普通にステージの二階に居てコーラスしたり、客席のノリを煽動したりしていた。
そのあとは山崎くんがLADY GAGAの「Born This Way」を披露。「盛り上がって行きましょう!」という掛け声で登場するも客席の反応が鈍く、「そうでもなーい!」と叫んでいた。このあたりの返しが巧いなー。盛り上がっていないというよりは、普段コンサートに行かないのでどうしていいのか分からない、という反応だと思う。あと曲自体をよく知らなくてどうしていいやら、という反応かな。
そしてダンサーの個人紹介のあと、ダンス披露。ここが着替えタイムだった。

そしてStarSの「Blue Fish」へ。
CDをつくるにあたって色々な話をした、という話題から、比較的意見が合ったのでそれほど譲り合うこともなかった、話す井上・浦井。山崎くんが反論があると手を挙げる。
衣装を決めるときに、三種類のデザインが出たら「どれを着たいか」と皆で順番をつけていたそう。すると大体全員の順番が同じになり、「一番順位が低かったものは、基本的に僕が着せて頂いています」と言っていた。がんばれ最年少。しかも「一番着たいっていうのは必ず芳雄さんが着ています」と浦井くんがばらしてしまう。
「僕はこれが着たいんだよね、これじゃなくてもいいんだけど、これが着たいなー」と穏やかに言うそうで、芳雄さんマジ歌のうまいジャイアンです…。芳雄さんも「お前分かってるよな的な空気を出しました」と自分で言ってた。
「これ女優がいたら大変…「私はこれしか着ません!」とか」って芳雄さんが言うと、二人が「ああー…」と黙ってしまった。それ以上はだめ!

次もオリジナルで「今ここにいること」へ。略して「今ここ」だと言う三人から、客席に「略してー?」とレスポンスの要求。微妙なことをさせて、とても嬉しそうな三人でした。
そのあとはCDに収録されていないオリジナル曲「Shake It Out」へ。「皆さん心の中に悪魔がいらっしゃるでしょう」「でも劇場にいる間だけは振り払おう、という曲です」という芳雄さんに「悪魔いませんよ!!」と慌てる二人。

「あと2曲です」のアナウンスに、「ええー!」と観客から声が上がる。それが嬉しかったようで、もう一回「あと、2曲です!」と言っていた。更に声を挙げる客席に、満足そうな三人。コンサートっぽいこと、がいちいち楽しいみたい。
今日はてっきり土曜日だと思っていた芳雄さん。平日の昼に客席が満員なことに今更驚き、「皆さん何されているんですか」「有給?」「家事手伝い?」と毒づく。それを聞いた山崎くんが「最近芳雄さんのトーク見てるときみまろさんを思い出す」と呟き、「ちょっとずつそっちに移行しようと思って」と芳雄さん。「事情はどうあれ満員で嬉しい」と仰るプリンス…。
芳雄さんが帝劇100周年の特番で誰と対談したいかと言われたときに、「ミュージカルについて語るのはこの二人しかいない」と二人を指名したことから始まった関係だ、という話。そのあと、「他のところで他の人に対して同じこと言ってたらすみません」「この二人しかいない、ってことはないね」「この二人「何かやりたいね」という話が上がるのは普通だが、それが実現したのが嬉しい、舞台を見に来てくれるみなさんのおかげ、とのこと。舞台俳優はそんなに誰でも知っているものではないけれど、デビューの時から可愛がってもらえて今がある、と芳雄さん。まあ舞台俳優であなたのようなデビューをして、そのままやってきた人はそんなにいないですけどね…!
この帝劇特番は実際に見ていたのだけど、それほどテレビでは三人の話を大きく扱っていたわけでもないので(ものすっごいレミゼ中心だった記憶)、これがきっかけだというのは意外だった。

そのあとはサイモン&ガーファンクルで「Bridge Over The Water」の日本語版へ。StarSの複数形の中にはファンも入っている、出会えた奇跡を大切にして、橋をかけて生きてゆこうというようなメッセージが込められているのだとか。
原曲が好きなので原曲で聞きたかったけれど、これはこれでいいね。というか曲が美しい。
本編最後はジキル&ハイドの「This Is The Moment(日本語版)」でおしまい。

アンコールは全員黒のStarSロゴTシャツで。ちなみにこの日既に黒のTシャツは売り切れていた模様。他の色がパステルっぽかったので仕方がないけれど、売り切れてる日は他の色着ればより売れるのではないかしら、などと下世話なことを考えた。
「StarSのあの一番星の曲」という山崎くんの謎の紹介から、「Gleam」へ。最初は戸惑っていたこの曲なのに、最後は余裕でペンライトを振っているわたしがいました…染まった…。ちなみにこの曲だけ皆立ってたので立ちました。

きらきらしてて楽しかった!アンチエイジング!笑い皺でむしろ老ける?
DVDにならないのかなー。
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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 23:19 | - | - |

おのれナポレオン@東京芸術劇場プレイハウス 14時開演

作・演出:三谷幸喜

ナポレオン・ボナパルト:野田秀樹
アルヴィーヌ・モントロン:天海祐希
シャルル・モントロン:山本耕史
マルシャン:浅利陽介
アントンマルキ:今井朋彦
ハドソン・ロウ:内野聖陽

***
セントヘレナ島に幽閉されたナポレオンは、パリに戻ることなく胃癌で生涯を終えた。それから20年後、かれの死に疑問を抱く人間が、かれと晩年を過ごした人間たちに話を聞いて回る。かれらによって語られる英雄ナポレオンの真実の物語。

ステージシートという、ステージ横(実際ステージ上になりうる場所と高さ)の席だったため、むちゃくちゃ近いけれど正面からは見られなかった。その代わりに舞台脇に演者が来たときや、正面から顔を隠して何かをしようとしている様子はとてもよく見える。正面とサイドの両方を見られたらとても良さそう。日程が合えばライブビューイングで補完したいところだけれど、叶わず。

ナポレオンの死を調べる人物は実際には出てこない。その人物がそこにいるていで、代わる代わる出てくる人物はナポレオンについて語る。セントヘレナを出たあとばらばらになった自分たちを探し当てた人物に対して、みなそれなりに好意的だ。飲み物を出してやり、ナポレオンと過ごした孤島での思い出を語りだす。
かれらが実際に語っている現在と、その会話によって振りかえられるかつてのセントヘレナでの出来事が入り組んで語られ、次第にナポレオンの死の真相が明らかになる。

今は独身で酒場の女主人をしているというアルヴィーヌは、かつて夫のシャルルと共にナポレオンのセントヘレナ行きに同行した。もともと社交界で浮名を流していた彼女は、ナポレオンと懇意にしていたようだ。枕元で本を朗読し、ピアノを演奏し、彼女はセントヘレネでナポレオンの子を出産した。
アルヴィーヌは天海さん。やっぱり超絶きれい。格好良いし美しい彼女だけれど、すてきなコメディエンヌでもある。というかあの美貌で面白いことやると、普通の容姿でやるより数倍インパクトがあってギャップがあって面白いんだよな…。
ナポレオンに「でかい!!」と罵られたアルヴィーヌが、かれが居なくなってから「自分が小さいんじゃない!!」と叫んでいたところが好き。

夫シャルルはナポレオンから譲られた高額の遺産も賭博で使い果たし、今は女に食わせてもらっているジゴロだと言う。多くの臣下が去っていく中、最後までナポレオンの傍に残ったかれは、妻を寝取った皇帝陛下について怒りや憎しみを抱いていたわけではないと言う。
シャルルは山本耕史。こういうひとくせもふたくせもある、頭はいいけれどひねくれすぎているような役が本当に似合う。皮肉屋で、どこまでが本当で嘘なのか分からない。誰のことも好きじゃないような目をして笑っている。

ナポレオンの主治医であったアントンマルキは、現在も医師として活動しているようだ。一時期ナポレオンの不興を買って屋敷への立ち入りを禁じられていたこともあるかれだが、ナポレオンの死因については胃癌であったと確信を抱いている。そう、疑われているのはナポレオンの死因だ。病死であったと公表されたものの、かれの生前の状況や死後の状態から、ヒ素中毒の可能性が囁かれているのだ。
アントンマルキは今井朋彦。けちな男というか、どこか小物感が見え隠れする医師っぷりがすごくよかった。自意識の強さと脅えが共存しているような感じ。

イギリスに命じられて、セントヘレナでの全権を掌握していた男ハドソン・ロウは、ナポレオンの死後帰国してからの風当たりが強く、今は貯蓄を少しずつ減らしている日々だという。かつては栄華を極めた男が老いて、貧しさの中で生きている。訪ねてきた人物に妙に優しいのは、あまり人と接していないからだろう。そんな嬉しそうな姿さえ哀れでならない。
内野聖陽のハドソン・ロウがすばらしかった!今は凄くだめな見苦しい老人だが、かつてのかれは自信に満ちていた。自信があるからこそナポレオンに反発し、対立さえした。人間くさい意地とか見栄とか、常識とか倫理とか。秀才な凡人であったかれの人となりがよく見える。

ナポレオンは本当に殺されたのか。そうだとすれば一体誰が、どのように、何の理由で殺したのか。砒素で殺されたという疑念を持った人物は、その三つを徐々に解き明かそうとする。
同じようにナポレオンが砒素を盛られているのではないか、と疑った人物がいた。主治医であるアントンマルキだ。ナポレオンが食事に毒を盛られているのではないかと考えた彼はいくつかの事象から、誰かが毒薬辞典を使ってナポレオンのワインに砒素が入れたことを突き止めた。では一体、誰が?
皆がナポレオンへの憎しみを抱いていた。同性愛者(両性愛者?)であることを従僕のマルシャンに密告されて、ナポレオンに一時期出禁にされた医師アントンマルキ。ナポレオンに妻を奪われたシャルル。幽閉されている捕虜だという自覚が皆無のナポレオンに振り回され、更にはチェスで大敗して恥をかかされたハドソン・ロウ。誰にでも理由はあった。
しかしそれは決して殺すほどのことではなかった。アントンマルキに下された罰は期間限定のものだったし、シャルルは次第に狂ってゆくナポレオンに憐れみすら覚えていた。ハドソン・ロウは軍人として、天才ナポレオンをある意味では尊敬していた。ナポレオンを殺そうとしていたのは、いつからかかれを本気で愛し、かれと永遠にこの島にいたいと願うようになったアルヴィーヌだ。彼女はナポレオンのセントヘレナ脱出計画が実現しそうだという話を聞き、独占欲のためにかれを殺そうとした。パリに戻って大勢の女のうちのひとりになるくらいなら、かれを殺してしまいたかったのだ。
しかしその計画はナポレオンの命を奪う前に終了した。彼女の犯行を見抜いた人々が、彼女を島から追い出したのだ。
ではナポレオンはやはり病死だったのか。それも少し違う。体調を崩したナポレオンに、医師としての能力があまり高くないアントンマルキが、数回にわたって誤った薬を出したのだ。ナポレオンの体に、かつてアルヴィーヌに飲まされた砒素が残っている可能性があることを考えれば、決して正しい選択ではなかった。しかしアントンマルキはその薬を最善だと考え、ナポレオンに飲ませた。医療ミスがナポレオンを殺したのだ。
アルヴィーヌが飲ませた砒素の残っていたナポレオンに、アントンマルキが誤った薬を処方し、それを(そうとは知らないにせよ)シャルルが飲ませた。三人の行為が重なって起きた死亡事故を、全て知った上でハドソン・ロウが揉み消した。セントヘレナ総督だったかれは、敵国の英雄を手違いで死なせたと言うわけにはいかなかったのだ。
このくだりが明かされる前、シャルルやアルヴィーヌが首を必死で絞めてもナポレオンの筋力が鍛えられすぎててびくともしない、というドタバタのやりとりが長く続く。もともとそこまでコメディが好きではないということもあってか、ちょっと冗長に感じた。シリアスと笑いの割合がもう少しシリアス多めだと嬉しい。完全に個人的な趣味だけどさ。

ナポレオンの死にまつわる真実にたどり着いた人物は、最後のひとりを訪ねる。ナポレオンの忠実なるしもべ、マルシャンだ。ナポレオン以外の人物とは最低限しか口を利かず、常にかれのために行動し続けた男。ナポレオンの紹介で得た仕事に就いているかれは、人物にカフェオレをすすめ、全てを話した。
ナポレオンに恋したアルヴィーヌの暴走。いつも同じ処方をするアントンマルキ。かつて自分の遺産を狙ってセントヘレナについてきたシャルル。名誉を重んじるハドソン・ロウ。それら全てを、天才ナポレオン・ボナパルトは知っていた。かれらがどう行動するか知っていて、マルシャンに狙いを打ち明けた。幽閉された島で安全ながらも不自由で不名誉な生涯を送ることは、かれにとっては「緩慢な死」だ。それよりも「一瞬の死」を選ぶ、と。
しかしナポレオンにとって自殺は惨めなものであったし、かれはカトリック教徒でもあった。そのかれが思いついたのは、マルシャンにいくつかの手助けをして貰い、周囲の人々の連携によって自分を殺させる、という一世一代の作戦であった。それはすべて、ナポレオンの想像の通りに進んだ。そう、ナポレオン暗殺の犯人はナポレオンなのだ。
躊躇うことなく全てを語るマルシャン、そして四人。かれらの話には続きがある。アルヴィーヌが使った砒素は、セントヘレナに残っていた。だからかれらはそれを五等分し、ナポレオンの死に疑問を持って自分たちに辿り着いた人物がいたら、少しずつ砒素を与えて消してしまおうと誓ったのだ。ある人物が訪ねた先で飲まされたワイン、お茶、カフェオレ。それらがすべて、砒素入りだったのだ。
真実に至った人物は、そうして息を引き取る。ナポレオンの名誉は、ナポレオンの死後も、ナポレオン自身の計画によって守られるのだ。

ナポレオンは野田秀樹。さすがに当て書きしただけあって、せっかちな小男だったというナポレオンはぴったりだった。甲高い声をあげ、ちょこまかと走り回り、自分で自分に笑ってしまうところもある。ものすごく頭がきれて、奇妙な人望があって、自尊心が高い。我儘を言っても、女にでれでれしていても、どこかにいつでも底知れないものを持っている。
ハドソン・ロウとナポレオンは一度だけチェスをした。数手先のロウの手まで読んだナポレオンの圧勝だった。しかしチェスと同時並行で行われた舌戦の時に激昂したナポレオンのある態度がルール違反に当たるとして、ロウは負けを認めなかった。それはチェスの試合内容には関係のないルール違反であることはロウが一番良く知っていて、それでもかれは「勝者」として振舞い、席をたった。その時ナポレオンはロウに言葉をかける。これが本物の戦場じゃなくてよかった。そうだったら君の軍は既に、殆どを失っていただろう、と。
情けないロウの態度に怒る臣下たちの中でナポレオンだけが冷静だった。冷静で冷酷で、何よりもロウを苦しめた。このうすら寒いまでの知性と、嫌味。おのれナポレオン、である。

途中から明らかにマルシャンがあやしかったし、訪ねてきた相手に二度も「カフェオレを飲みながらゆっくり話をきいてください」というようなことを繰り返していたので砒素が盛られているのだろうということも分かった。その先にナポレオンがいることも、かれがナポレオンの忠実なるしもべであるということを考えればそれほど難しい答えではない。なによりこれは「おのれナポレオン」なのだ。ナポレオンに悔しさと憎しみをにじませつつ、それでも感嘆してしまうのだ。よくもやってくれたな!と、笑いながら怒るしかない。
ミステリではあるものの、犯人が誰であるのかはそれほど大きな問題ではない。そういう意味でこのオチに不満はないけれど、そこまでのガイドが親切すぎる気がした。そこまで一から十まで言わなくても察することができるよ、わかるよ、と言いたくなる。噛み砕きすぎて、こちらに想像の余地がない。きっちり話を伝える、広い間口に向かって見せる、という意味では正しいんだろうけれど(そしてこの舞台はその話題性や今後ライブビューイングされることなどを鑑みてそういう舞台なんだけれど)、ちょっと淋しかったな。
十分面白かったんだけどドラマ的というか、あんまり舞台見た!という感じではなかった。

***
ロビーには舞台の模型が展示されている。美術は勿論堀尾さん!
この試みとても好きだなーすべてのお芝居でやってほしいくらい。

特筆すべきは物販の素晴らしさです。王冠。
トートバッグが1000円なので二つ買ってしまった。可愛いんだもん…。同じデザインでTシャツも出ていたんだけれど、色がトートバックに比べて淡いというか好みじゃなかったので断念した。携帯ストラップもあったけれど付けるところないし、ね!がまん!


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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 21:38 | - | - |

「私のダーリン」@シアタークリエ

作・演出・振付:玉野和紀
音楽・歌唱指導:NASA

黒木瞳
玉野和紀
石川禅
坂元健児
愛音羽麗
町田慎悟
古川雄大
村井良太
大河元気
愛花実花

出会ってもうすぐ10年になる夢子と虎衛門夫妻は、ちょうど10年目になる日、両隣に暮らす人々を招いてのパーティを計画している。
奇妙な出会いから付き合って結婚し、引っ越してきたこの家でご近所さんと仲良く過ごす日々を思い返す夢子。そして10年目のパーティの朝が来る。

二幕で二時間半くらいのミュージカル。
ネタバレを避けるあまり、HPのあらすじなどもちゃんと読まずに舞台を見ることが多い。そのため、この話も黒木瞳がいろんな男にちやほやされる乙女ゲのような話だと勝手に思っていた…全然そんな話じゃないよ!
明らかに不慣れな占い師の夢子は、偶然通りがかった男に声をかけ、なんとか占いをしようとする。煩わしそうに応対する男だったが、二人で揉み合って池に落ちたことが原因で、二人は付き合い始める。
取り敢えず黒木瞳のかわいさがすごかった…。顔小さい!足細い!顔が可愛い!あれやこれやそれを(お察しください)帳消しにする、とは言わないが、補えるくらいの可愛さ。素材の良さに維持するための努力が加わっているのだろう。歌も芝居も気にならない!!
こともないけど。

二人が池に落ちると舞台中央くらいにある幕が閉まり、鯉の着ぐるみを来た男女が現れる。この瞬間、この舞台を見に来たのは失敗だったかもしれない、と思った。最終的にはその気持ちは払拭されたのだが、とにかく徹頭徹尾曲が冴えない。ふた昔前くらいの曲に何とも言えない歌詞が乗っていて、歌のたびにトホホな気分になった。
ちなみに鯉の男性は古川町田村井大河の四人です…かれらをクリエで見ることになるとは。しかも鯉。

その後夢子は従業員三名の便利屋会社の社長になり、夫の虎衛門(PN)はなんとか細々と小説家を続けている。数年前に引っ越した家の隣に暮らす人見知りの獣医や、反対側の隣に暮らすヤクザの娘とチンピラの仲良し夫妻との関係も良好だ。
ご近所さんとの過去のエピソードも振り返って語られる。無理やりお見合いさせられることになった獣医と夢子の笑い話、隣の夫妻が父親に引き裂かれそうになった関係を夢子が取り持った話。夢子の明るさや行動力に、皆が救われている。
この気の弱い獣医が禅さん。白衣を着ておどおどし、人間より動物のほうが付き合いやすいであろう姿がかわいらしい。ちょっと夢子に気があるというか、ほのかな好意を抱いていそうでもある。ちなみにヤンキー夫妻の妻の父、ヤクザの組長も禅さん。牛柄のスーツ。
更に便利屋のスタッフが古川村井大河の三人。夢子の指示のもと色々なことをこなすかれらは、遊園地のアトラクションのためにショッカーに紛したり、ホストクラブの応援スタッフになったりと大忙しだ。 「どうして僕たちがショッカーなんですか!」「むしろどっちかと言えば、こっちです!」で特撮のポーズを決める古川&村井、という中の人ネタもあり。更には待機中の三人に向かって虎衛門が「みな同じテニスサークルの出身だったんだって?」と無茶振りして、三人がテニミュの持ち役の得意技でエアテニスラリーをしていた。不二先輩がトリプルカウンター大放出でした。

そしてパーティを翌日に迎えた夜。夢子と虎衛門は言い争いになる。内容は、夢子がアイディアを出して虎衛門がついに書きあげた小説「夢子の秘密」についてだ。自分たちや隣人たちを元にしたキャラクターが登場し、実際に起こった出来事をヒントにした物語だというそれを、今になって夢子はなかったことにしたいと言うのだ。しかし当然虎衛門は聞き入れない。物別れに終わった口論のあと、虎衛門は散歩に出る。

翌朝。パーティの用意をして真っ赤なドレスに着替えた夢子は、いつものように虎衛門を起こす。次第に集まってくる隣人や従業員、虎衛門の担当編集。隣人たちがおかしな表情をしているのに気付かないまま、幸せの絶頂にいる桃子。
獣医のカメラで記念写真が撮られ、ようやく桃子はそこに虎衛門がいないことを確認する。かれは昨夜、亡くなったのだ。
おもむろに立ち上がった夢子はポケットからタブレットを出して口に入れ、「今、行くわ」と虎衛門に語りかけ、乾杯用の酒で流し込む。
ここで一幕終了。これはさすがにびっくりした。虎衛門と桃子の日課で、朝なかなか起きない虎衛門に対して桃子が、かれが死んでしまったような芝居をする、というものがある。「ひどい」「置いていかないで」とベッド突っ伏して泣いたふりをすると、むくりと虎衛門が起きるのだ。それがある意味伏線だったのかな。すごくいいヒキで休憩に突入することになる。

二幕は打って変わって、「LOVE FATE」という看板が吊るされた派手なキャバレーのような舞台。そこの三人の女性に、男たちがプレゼントを持って現れ求婚するという物語。二人の男に口説かれた女性は両方と付き合うことを決め、三人から告白された女性は店のスタッフを選び、最後に残った女性は宝石を持参した貴族を拒んで貧しい青年を選んだ。この最後の女性が黒木瞳で、青年が玉野和紀。夢子と虎衛門ではなく、他の人物である。
いきなり何の話かと思えば、この舞台の登場人物が脚本に沿って行動しているのだと言う。天から下ってきた脚本はかれらにとって絶対であり、変更できないのだ。そのことに不満を持ちつつも、脚本通り進めていく女性。しかし彼女の不満は募り、脚本を変更させたいと考えるようになる。そこで彼女は、脚本を書いたペンでなくては脚本を書き変えられないと知り、白いタブレットを飲んで夢子や虎衛門がいる世界へ行く。
宝石を持ってきたのに振られた伯爵が禅さん。高慢な伯爵を演じるかれは、脚本に疑問を抱く夢子に対して「脚本は絶対だ」と厳しい態度で反論する。禅さんだけに限らず、一人三役四役しているので、それぞれの色が見られて面白い。
二人目の女性を射とめたスタッフの男が坂元さん。若者たちの告白のあと、歌で割りこんで結局美味しいところを持っていく。ドヤ顔で高らかに歌い上げる歌が素晴らしいのが腹立たしい、みたいなキャラ。

再びペンを持って世界を移動する女性=夢子。このLOVE FATEの世界は、虎衛門が書いた小説「夢子の秘密」の世界なのだ。虎衛門が書いたペンで脚本を訂正しようとするけれど、書いた本人でないと直せないのだと知る。その後貧しい青年=虎衛門に訂正させようとするもかなわず、夢子は元の世界に戻る。
そこはパーティが行われている夢子と虎衛門の家だった。虎衛門は昨日散歩の途中に亡くなっており、夢子が酒と一緒に飲んだのは睡眠薬だった。彼女は死にきれず、物語の世界で現実を変更することもできず、戻ってきた。
前述の通り虎衛門が死んだふりをするのが日課だったり、物語の中に入り込むような何でもありの世界なので、最後は虎衛門が生き返るのだと思った。かれが死なないルートに軌道修正されるのだ、と。しかし現実はそううまくいかない。夢子は最初に虎衛門と出会い、池に落ちた場所でかれの幻と会話をする。書きなおせるならどんな話がいいか。子供が出来て、その子の結婚式を見て、最後は公園で一緒に安らかに息を引き取る。嬉しそうに話す夢子をいとおしそうに見つめる虎衛門。しかし、それは夢でしかない。ふたりは離れ離れになってしまった。
虎衛門はかつて、夢子をたんぽぽに喩えた。綿帽子を飛ばして花を咲かせる、色々なところに幸福を届ける花。夢子がたんぽぽでいる限り、自分は風になる、とかれの幻が囁く。そして夢子は一人で、心優しい隣人や従業員に囲まれて生きてゆく決意をする。

最後はちょっとほろっと来る良い話だった。生き返ると思ったのに…!玉野さんがタップダンスの第一人者だということもあって、非常にタップの多い舞台だった。そんなにタップふまなくても!と思いつつも、面白かった。
しかしわたし抜きんでてリズム感がないので、音楽をバックにして披露されるタップダンスのリズムが合ってるのか合ってないのか、さっぱりわかりません…。

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「国家 偽伝、桓武と最澄とその時代」@新国立劇場小劇場 13時公演

作・演出:松枝佳紀

広野のちの最澄:遠藤雄弥
山部のちの桓武天皇:河合龍之介
陽射/泰範:本仮屋リイナ
信念:山田悠介
安殿のちの平城天皇:真山明大

その名の通り、桓武天皇や最澄が生きていた時代についての舞台。チラシのインパクトと、日本人以外の血が入った天皇と高僧という異端の二人についての物語、という説明に惹かれて見に行った。

休憩なしで三時間ほどの物語。会場の中央に舞台を設置し、前と後ろというよりは右と左から見られるようになっている。舞台のところ狭しと沢山の出演者がいくつもの役で出たり入ったり。
白い衣装をまとった出演者たちがほぼ勢ぞろいで登場し、めいめいに話だす。異端の天皇、異端の僧の物語。過去のかれらの判断が、行動が正しかったのか、それを「ここにおられる八百万の神々に判断して頂きたいのです」とかれらは言う。観客であるわれわれは、歴史を見つめ・判断する「神」に役割を与えられる。おおお期待できそう。

と思ったところで、歴ドル小日向えりが、ショートパンツにネイビーのジャケット姿でiPadを抱えて登場。彼女は現代に生きる「小日向えり」自身として舞台に上り、色々なシーンに現れては舞台の説明をする役。「このあと○年後に、XX事件が起こりました」「この行動がきっかけで▼▼はXXを成功しました」というような、本当のナレーション役。バスガイドみたいな立ち位置。
歴史的な出来事への理解、という意味では非常に効果的な役どころだが、物語の余韻をぶち壊してしまうので良いのか悪いのか微妙なところ。当然ながら彼女の知識でアドリブで話すわけではないので、普通に役者さんが担当したほうが聞きやすかったとは思う。
この小日向えりの役どころと、物語の進行具合が相俟って、なんというかNHKの歴史番組のような舞台だった。再現ドラマ多めでお送りする歴史の学習、という感じ。
ひとつひとつのドラマは非常に魅力的なんだけれど、それらを繋いで一本の糸で結ぶために、司会者を入れてしまった。勉強にはなると思うよ…。

朝鮮人の妾を母に持つため、兄でありながら弟・他戸に皇位継承権で負けている青年、山部。かれに「臭き血」が流れているため、他戸に媚びへつらう人間たちは山部を見えないものとして扱うことも多い。しかし他戸は自分にはない強さと明るさ、視野の広さを持つ兄を慕っており、山部も他戸を可愛がっている。いずれ弟が天皇になった時に良い政治をしてほしいと、世間を教えているのだ。
しかし息子たちの気持ちなど、両者の母親は無視する。天皇の正妻である他戸の母は、愚かな部下たちの意見を真に受けて、戸籍のない人間の首をはねることで他戸の目を覚まさせようとする。日本人ではないことで辛い目に会い続けている山部の母は、なんとかして皇后を出し抜いて自分の息子を次の天皇にしようと画策している。
結果、朝廷の権力者である藤原百川にすり寄った山部の母が勝利し、「臭き血」のものだと非難され続けた、混血の山部が桓武天皇となる。
死期が近いことを察している百川には、混血の天皇であれば、腐敗しきった朝廷と奈良の貴族との癒着を断ち切れるのではないか、という希望があった。実際に桓武は朝廷をまともに機能させるべく、長岡京へ、そして平安京へと都を遷す。

先祖に中国・唐の人物を持つ青年・広野は、戸籍のない少女・陽射と出会ったことで人生が変わる。広野は陽射を「救ってやりたい」と考え、彼女とその家族に戸籍を作ってやろうとする。しかし戸籍を目の前にした陽射の母が実の娘である陽射を利用しようとしたり、陽射の暮らす集落が朝廷から派遣された兵士たちによって襲撃される様子を見たことでかれは絶望する。
絶望した広野は行表という僧のもとへ行く。「救ってやりたい」と思いながら、自分が陽射の存在に救われていたことを知った広野は、行表に弟子入りする。この腐敗した世界で「最も澄んだもの」であるようにと「最澄」という名前を貰ったかれは、俗世を離れて修行に励む。

史実がどうなのかは知らないが、この「混血の天皇」と「外国の血を引く有名な僧」という設定はセンセーショナルで面白い。そういう立場だから出来ること、出来ないことがある。そういう立場の人たちが後々に繋がる大きな事柄を為した、というのもシニカルで良い。
ただ前半大々的に繰り返されていた、かれらが混血であるという話が後半に行くと一切話題にならなくなる・問題視されなくなるのは拍子抜け。結局桓武の古くからの部下はかれと同じく混血であり、かれの息子たちも当然混血になるので、桓武が珍しい存在ではなくなってしまうのだ。

桓武と最澄。
最初の出会いのとき、人々と芋掘りをしていた最澄に向かって桓武は、自分も芋を掘ると言った。やったことがないからどうしたらいいかと聞くと、最澄は「芋の気持ちになれ」と言う。その抽象的な言いまわしに周囲の人間は笑ったが、桓武は真面目に芋の事を考え、優しく土を触って芋を無傷で獲りだした。
正体を隠して、有名な僧侶最澄のもとを訪ねた桓武。その男が帝だと知りながら、一般の客人のように扱う最澄。二人はすぐに意気投合した。桓武は最澄を気に入り、最澄も桓武を慕った。最期の瞬間まで、その友情は変わらなかった。死期の近い桓武は最澄の元に現れ、体調がすこぶる悪いと言ったうえで、「だがまだこの芋、食えるぞ」と笑うシーンが好き。
久々に河合さん見たけど、屈折した部分と子供みたいに純粋な部分、カリスマ性のあるいい桓武天皇だった。こんなにいい声だったっけ、と思った。
D-BOYSを卒業して以来初めて見る遠藤は坊主頭で舞台をかけずり回っていて、こういうお芝居がしたかったんだろうなあ、楽しいんだろうなあ、というのがひしひし伝わってくる。くせのある話し方と籠ったような滑舌が元々あまり得意ではないんだけど、最澄ではあまり感じなかったな。これからも頑張ってほしいなー。
(余談だけど遠藤たちの卒業、柳下のD☆DATE加入によって、結構長い間会員だったDボのFCをとうとう継続しませんでした。芝居を見たい人がどんどんいなくなる・芝居の頻度が下がるんだもん!)

桓武が即位したのち、信念という僧が中国から帰国する。他戸の配下にいたかれは、他戸が排斥されて山部が天皇となったことに深い憤りを感じる。そしてかれは、色々なところで暗躍し、歴史を大きく変えてゆく。
笑顔で人を騙し、残酷な手口で人を追いやる復讐鬼と化した信念に山田悠介。やっぱり巧いなー。声がいいのと、極端な役どころが似合う。信念が種継夫妻を殺し、薬子の心身にに一生消えない傷を残したシーンのインパクトがとても強い。
信念に目の前で父母を殺され、親指を切り落されたことで藤原薬子は心を閉ざしてしまう。元々幼さが残るというか、知的障害があるような感じも匂わせて描かれていた彼女は、天真爛漫で裏表のない少女だった。しかし父母の一件以降、彼女は心から笑うことがなくなった。

そんな彼女の変化を最も嘆いたのが、桓武の長男である安殿だ。薬子が好きだった安殿は彼女をなんとか笑わせたいと願い、彼女の幸福や平穏のために動くようになる。安殿からは、感情の起伏が激しく暴力的な気質が垣間見える。(もう一人の息子・神野はお人よしの平和主義だけど、馬鹿ではない青年で、桓武の性質が二つに別れて息子に遺伝したような感じがする。)
薬子の絶望に引きずられたか、急激な変化に対応できなかったのか、安殿の精神も次第に破綻し始める。特に父の桓武亡き後は絶対に不可能な命令を下したり、むやみに部下を処刑したり、自身が処刑したばかりの部下を呼びつけようとする。常軌を逸していく安殿と薬子の夫妻がたまに見せる冷静な言葉や判断に背筋が冷やされる。

アテルイたち蝦夷の物語も切ない。アテルイ役の藤波心ちゃんがちょっと特徴的な話し方なんだけど、それが年の若い少女であり首長である、という役にマッチしていて魅力的だった。自分の親ぐらいの年齢の人々に「お前たち」「〜しなさい」と指導する口調が優しくていい。アテルイを少女にした、というのも「偽伝」らしくて面白い。

最澄については後半ちょっと説教くさくなってしまった印象。そもそも陽射一人を救いたかった最澄は、行表に弟子入りしたことでそれだけではいけない、と感じる。かれは自分の暮らす寺を訪れるわずかな人々に教えを伝えて、修行の中で生きていくことを望む。
しかし師匠に世間を見るように指導されたことで、最澄は都を見る。そこでは大勢の人が貧困や病に苦しんでおり、自分や仲間の僧侶だけではどうしようもないということにかれは気づく。貴族と懇意にしている僧侶からは、どうせ全員は救えないのだから権力のあるものを優先すべきだ。かれらが救われることが政治に影響を及ぼし、いずれ一般の人々も救われるようになる、と言われるも、最澄は納得できない。
最澄は納得しなかったし、決して正しい意見ではないのだろうけれど、この都の僧の言葉は興味深かった。かれが悪人なわけではない。かれだって全ての人間を救えるのならば救いたいだろう。けれどそれは物理的に無理なのだ。無理なことに挑戦して誰も救えないより、救う相手を絞って集中したほうがまだましだ。誰に絞るのか。勿論かれの中に保身や立身出世への欲がないわけではないだろうが、どうせ絞らざるを得ないなら、貧しい者でも富んだ者でも同じことだ、とも思う。富んだものを救うことが世界全体への救済につながる、というのはある意味間違っていない理屈だろう。
更に最澄は後年、招かれて行った田舎の集落で、人々は「すぐに救われる」ことを願っていると知る。そのために人々が欲したのは、意味を理解しないまま唱えられるお経だった。これを唱えればいいのだ、という精神状態がかれらを生かす。それは最澄が望んだ在り方ではなかった。絶望の中で最澄は実感する。自分が二人いれば、三人いればもっと多くの人が救えるのに、と。そこでかれは、かつて師匠が零していた言葉を思い出す。「人が足りない」
最澄よりも大分若く、センセーショナルな登場をした空海もまた、同じことを考えていたのかもしれない。かれは自分と同じ「空海」を弟子に名乗らせ、各地に派遣した。各地で空海伝説があるのは、そのためだと言われている。最澄が人の足りなさを嘆いているように、空海も同じことに気づき、自分の分身たる弟子の空海たちを生んだのではないだろうか。
空海がチャラい天才として書かれていて面白かった。

ひとつひとつのドラマ自体は面白かった。ただ最初に「八百万の神々」みたいなことまで言われたのに、特にそれについては触れられないまま、小日向さんの「これにて一巻の終わりです」という口上で終わってしまったのには驚いた。教育番組みたいだ…。

本編のあとはトークイベント。
自由席なので空いてるところにつめていいよ、というアナウンスが入って驚いた。自由!
小日向えり司会で、河合龍之介(桓武天皇)・真山明大(安殿)・坂口りょう(坂上田村麻呂)・神木優(神野)・平子哲充(藤原種継)という桓武サイドの五名によるもの。
安殿が薬子を笑わせるシーンはアドリブだとか、この日の朝急遽変更になった演出があって皆がその確認にわたわたしていたとか、そういう話。
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ミュージカル「スリル・ミー」14時公演@銀河劇場

原作・音楽・脚本:ステファン・ドルギノフ
演出:栗山民也

私:良知真次
彼:小西遼生

***
ピアノ一台、演者ふたりのミュージカル。沢山うたっているのだけれど、なぜかストレートプレイのような匂いもする濃厚な心理劇だった。
1924年にアメリカで起きた、恋愛関係にある二人の男性が犯した少年誘拐殺人事件「レオポルド&ローブ事件」をもとにしたフィクション。

無期懲役刑を宣告され、30年以上牢獄で過ごしている50代の男。もう五度目になる仮釈放を申請する場で、男はかつての犯行について語る。何故、恐ろしい事件を起こしたのか。現在の男の吐露と回想を交えて物語は進んでいく。

同じ学校に通い、同じく成績優秀で飛び級して高校を卒業し同じ大学に通っていた二人の男。しかし「彼」は「私」に黙って、いきなり別の大学に移ってしまう。
その後再会した二人。大学でニーチェの超人思想に傾倒した彼は、自分が「超人」であることを確信する。その証明のため、そしてスリルを味わいたいという欲求のため、完全犯罪の実行を考えるようになる。そして彼にどれほど冷たくされても好意を抱き続ける私の気持ちを利用して、彼は私に犯罪の手伝いを強いる。
彼に見放されるのが嫌だという一心で悪に手を染める私だが、犯罪の悪質さが増すに連れて躊躇するようになる。そこで彼は、お互いの要求に全て応じるという誓約書を交わすことを提案する。彼の愛を求めるあまり、応じる私。
そしてとうとう二人は殺人を計画する。何の関わりもない少年を誘拐し殺人と死体遺棄を実行した二人だが、これまでの事件と異なり、警察に犯行を暴かれてしまう。そのきっかけは、犯行現場に残された私の眼鏡だった。

役名が「彼」と「私」なので感想が書きにくい!いちいちカギカッコつけると読みづらいかな、と思ったのでそのまま書きます。なので男性の代名詞としての「彼」や、ブログエントリ筆者の一人称としての「私」はここでは使わってない。はず。

彼に恋をしている私と、その好意を知った上ですげなくあしらったり、適当に相手をしてやったりと態度を変えて私を弄ぶ彼。自分に手を伸ばしてくる私の手を無視したり、近付いてくる私を押しのけたりするのはまだ良いほうで、心理的にも揺さぶってくる。いきなり熱烈なキスをしてくるのに、驚いた私がそっと体に手をかけるとすぐに離れて「これで満足か」「こうしてほしかったんだろ」と冷たく言う。それなりに親しげに会話している中で私が手を伸ばして「触って」と言えば、伸ばされた手を冷たく一瞥したあとで「ちゃんとお願いしろよ」と支配・被支配関係を示してくる。読書をしている彼に私が何を読んでいるのかと問えば、もう読み終わったからと本を閉じて手渡そうとし、すんでのところで床に落とす。手渡しはしない、床から拾え、と暗に言っているのだ。
サディスティックな態度、意地悪な行為と言うよりは、調教に近いと思う。コンスタントにそういう態度を見せることで、二人の関係性を何度も私に再認識させるのだ。対等ではない、と繰り返し刷りこもうとする。恐怖で支配し、自分に従順な私を作り上げようとしているという意味ではDVに近いのかな。その辺りは疎いのでうまくカテゴライズできないが。

私を抱きしめるときもキスするときも命令するときも、彼は煩わしそうだ。神経質そうな顔には少しの煩わしさ意外の表情がない。そんな、何も感じていないかのような彼の顔が、放火をした時に変化する。
ひどく昂揚した彼は、歪んだ笑みを浮かべている。一方で歌詞にあるように、気持ちが落ち着いているようにも見える。久々に見たこにたんは顔つきが変わったように思ったのだが、単なる経年変化ではなく、役柄の所為なのだろう。何とも言えない、けれどどこか違和感を感じる顔は「彼」の顔なのだ。美しいのに美しくない、ねじの外れた男の顔をしている。
こにたんは黙っているとマネキンのような造形だからこその恐ろしさ、残酷さがある。それに存在感が強まり、持ち物である肉体を使いこなす術も増えてきている。独特の歌声も健在で魅力的だった。

彼は弟に何らかの劣等感ないしは嫌悪感みたいなものを抱いていた。最初は、金と引き替えに自分の情報を私に売ってしまうことへの憤りだと思っていたが、どうやらそれだけではないようだ。最近「ケチになってきた」父の金庫の暗証番号は「どうせ弟の誕生日だろう」と吐き捨てるように言う彼。単に父の経済観念が変化したというよりは、彼に金を使わなくなった・お気に入りである彼の弟に使うようになった、という感じがする。父の中で兄である彼よりも弟のほうが優先順位が上のようだ。実際にそういう態度に出ているのか、彼の思いこみかは分からないが。
だからこそ彼は最初に殺人を口にしたとき、自分の弟を殺そうと言った。しかもそれによって父がショックを受けること、父が死ぬことも喜ばしい、という。弟が亡くなることで父のものが全て自分のものになるという狙いもあったようだが、単に弟を消したいという願いがあるようだ。彼と弟の間に、もしくはそこに父を入れた三人の間に何があったのか。語られないままだ。

一方私は名家の息子で、非常に可愛がられて育ったようだ。三人しか持っていない眼鏡フレームを買い与えてくれた父は、息子の裁判に際して非常に腕利きの弁護士を雇ってくれた。そのおかげで二人は絞首刑を免れたようなものだ。
しかし皮肉にも、その父親の愛情が犯人特定につながった。彼にとっては残念なことに、しかし私にとっては幸いなことに、だ。
裁判が終わり、99年の懲役を科せられた二人は護送車で刑務所へと送られる。その中で私は真実を明かす。わざと眼鏡を犯行現場に落とし、これまでの事件も含めてあらゆる指紋を拭き取らず証拠を残してきたこと。その理由は、彼と一緒にいたかったから。彼と二人で絞首刑になっても、彼と二人で懲役刑になっても、私はどちらでもよかったのだ。いや、本当はかれと生きてゆきたかっただけだろうけれど、大学の時みたいにいきなりいなくなってしまうかもしれない、不特定多数の(ないしはたった一人の)女の子と遊んでいる彼を見るよりも、あらゆる自由のない場所で二人きりになることを願った。
そのことを告げる私の顔は歪んでいる。嬉しそうに打ち明ける口元は歪み、目もうまく笑えずにひきつっている。けれどこれまでのどんなシーンよりも強気で、自信に満ちている。誇らしげだと言ってもいい。全てを手にしたかれは、それが失われないことを知っている。移動の自由を制限されているし、本当はとても弱い彼が、知らない人間ばかりの刑務所で唯一知っている私をむげにできないことも、死を選ぶようなことができないことも、既に私は知っているのだ。
彼は本当は情けない男だ。自分に警察の容疑が向くといきなり脅え始めたり、助かるために私に縋ってくるような男だ。裁判の判決が出る前日、一人きりの拘置所で怖いと言って泣いていたような男だ。それでも私は彼が好きだった。彼の本質を知った上で好きだからこそ、こういう方法に出たのだろう。

再会したあと最初の犯行、放火の現場で、彼は私を久々に呼び名で呼んで「昔のレイのままだ、幼い」とからかった。さっきまで脅えながらガソリンをまいていた私は炎を見て落ち着いたのか、冷静なトーンで「どれだけ成長したか見せてやるよ」と返す。このシーンだけ、妙に私が彼に対して対等というか普通の口を聞いている。
そのあと「触って」「ちゃんとお願いしろよ」「…触ってください」という調教にうつるのでそれほど気にしていなかったけれど、あとで思えばこれは、私の計画の布石だったのではないだろうか。かつて彼にいきなり置いて行かれた私が「どれだけ成長したのか」を、護送車の中で彼は知ったのだ。

これはラストを見た上で、もう一度最初に巻き戻って私の行動を見直したいなー。犯行に脅え、彼の命令に従い、何度も彼の計画を辞めさせようとした。眼鏡を失くしたかもしれないと不安がって彼に何度も電話をかけたりした。そういう全てが、彼の自尊心を高めて注意力を散漫にさせるための、裏切るための、そして手に入れるための芝居だった。
純朴で臆病で気弱(に見えていた)私が、一気に本性を見せる。野暮ったさすら感じる良知くんの私が開花する瞬間の歪み方がとてもよかった。それまでが物凄く健気だったので、余計に一瞬の変化が映える。

刑務所で「99年」一緒にいることが確約されたことについて「奇妙な鳥が2羽、籠の中で飼われているみたいに」と私は言う。バード・ウォッチングが好きな私ならではの言いまわしだろう。永遠に出られない「籠」に、彼を連れて飛び込んだ私。羽根をもがれて永遠に飛べなくても、幸せなのだ。

己の優秀さを証明するため、そしてスリルを求めて、彼は犯行を繰り返した。私は彼を愛していたからこそ犯行を手助けした。彼こそが、私にスリルを与えてくれる、Thrill me=ぞくぞくさせてくれる相手だったからだろう。更に、自分の優位に立っていると確信している彼を裏切るための算段を立てて、気づかれないようにじわじわと追い詰めていく行為も、きっと私にスリルを与えたはずだ。
でもそれと同じくらい、私にはそのことそのものが悲しかっただろうとも思える。ただ彼が好きで、彼を手に入れたくて協力しただけの私は、彼に愛される道を探していただけだ。彼を裏切りたかったのでも、貶めたかったのでもない。けれど他に道がなかったのだ。彼を諦める、という選択肢を選ばない以上、こうするしかなかった。その結果私は彼よりも一歩上を行き、彼よりも「超人」と呼ばれるにふさわしい人間になってしまった。

自分を超人だと信じて疑わなかった男がはめられ、その男と共に生きたかっただけの男が超人となった。自分の人生をすべて賭けて、通りすがりの子供を「犠牲の仔羊」にして、凡人の男を手に入れた。

***
カテコは3回?かな。最後、良知くんが右隣にいるこにたんに手を出すも無視される。そのままハケようと移動したこにたんがちょうど自分の左側に来たときに、再び手を出すも無視される良知くん。最後はちょっと小走りでかけよって、無理やり気味に肩に腕をまわして二人でハケていった。

***
「超人」とか「力への意志」が言葉のままで受け取られすぎている、ということへの突っ込みはおいておく。その解釈も含めて「彼」は愚かで未熟で高慢であったのだ。

劇場内のバーではキャラクターごとのイメージカクテルが販売されていた。あと、缶バッジのガチャガチャが一回300円で販売されていたあたり、客層マーケティングが完璧だと思いました…おたくは缶バッジがだいすき…。
それはそれでいいので、せめて日本語の戯曲を出してください。英語の脚本はさすがにハードルがたかい!

ちょうど二日ほど前に、twitterで話題になっていた「クズ彼☆スキャンダル」という、攻略対象キャラがクズ男ばかりの乙女ゲーム妄想をたのしく読んだばかりだったので、ときどきそのことが頭をよぎってしまった。「彼」はクズ彼なんだよ!でもそんなクズ彼がクズだと分かっていて、それでも別れられない「私」もまたクズなんだよ!
Togetter クズ彼☆スキャンダル
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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 00:17 | - | - |

ロックオペラ モーツァルト@東急シアターオーブ 13時公演

脚本・歌詞・作曲:ドーヴ・アチア
脚本:フランソワ・シュケ
演出:フィリップ・マッキンリー

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト:山本耕史
アントニオ・サリエリ:中川晃教
コンスタンツェ・ウェーバー:秋元才加
セシリア・ウェーバー:キムラ緑子
レオポルト・モーツァルト:高橋ジョージ

***
モーツァルトとサリエリが相互Wキャストで話題の作品。この回は山本耕史がモーツァルト、中川晃教がサリエリを演じるインディゴバージョン。特にこちらを選んだのではなく、行ける公演が偶然こちらのバージョンだったというだけ。しかし、中川晃教のモーツァルトは想像ができすぎる&他のモーツァルトが出てくるし、サリエリからは程遠いところにいるかれがどんなサリエリを演じるのか想像ができなかったのでこちらで良かったと思う。山本耕史は、「新撰組!」の土方のイメージが強すぎてどちらかと言えばサリエリの芝居のほうが想像しやすいのでそういう意味でも。

父やコロレド大司教の反対によってやりたいことが出来なかったモーツァルトは、母の協力を得て家を出て作曲家としての道を進む。母との死別、コンスタンツェとの結婚などを経て、謎の男に依頼されたレクイエムを書きながら死んでゆくまでの半生を描く。サリエリは常にモーツァルトの人生を見つめ苦悩する男として、またある時は同時代を生きる作曲家としてモーツァルトの人生に関わり続ける。

曲はすごくいいけれど脚本が微妙な作品だった。
曲はキャッチーで魅力的だし、時には自信に満ち、ときには絶望の中で歌う山本耕史のモーツァルトは非常に素敵だった。二幕構成のうち一幕では殆ど歌のシーンがなかった中川晃教のサリエリも、二幕では豊かすぎるほどの感情表現で作品を彩っていた。秋元才加のコンスタンツェは、もちろん未熟だけれども可愛らしくて今後の彼女の舞台に期待できるものだった。ソプラノ歌手北原瑠美さんの歌声も豪華だったし、キャストは良かったのだ。歌が良くて、キャストが良くて、でも決定的に話が弱い。
秀才サリエリが天才モーツァルトに向けるあらゆる感情を描いた美しくおそろしい「アマデウス」という作品が存在し、天才で下品で愚かで愛すべきヴォルフガングの半生を描いた「モーツァルト!」という作品が存在する中で、この「ロックオペラ モーツァルト」が新しく切り開いたもの、はなかった。そして前述の二作を見ていなかったら、おそらくサリエリがどういう人物なのか分からず、モーツァルトの性格と行動が矛盾しているように見えたのではないかと思う。歌と歌と歌の間を埋めるストーリーが弱いまま、モーツァルトが死んでしまった。
サリエリの出番が少なくて、いっそサリエリなしでモーツァルトの波乱万丈な立身出世とふたつの恋、そして死を描いたほうがスムーズなのではないかと思った。半端にサリエリを出すことで、話が半端に複雑になっている…モーツァルトとサリエリの名前につられて見に行ったので文句は言えないが…。

キャストが良かったと書いたけれど、レオポルト役の高橋ジョージは個人的には微妙だった。歌は巧いんだけれど、何をやっても高橋ジョージである。高橋ジョージが舞台で歌っていた。歌手とミュージカル俳優はイコールではない、ということを改めて実感できるという意味では価値があった、と思いたい。
AKB48本体ではなかなか選抜にあがらず、その一方でリクアワで「虫のバラード」(秋元才加のソロ曲)が超上位に選ばれるなど、人気の根強さを実感させてくれるオカロは好演。AKBにいるとしばしばギャグキャラ扱いされているけれど、実物は超綺麗でかわいいなーピンク似合う!この作品のコンスタンツェはひたすらけなげな良妻だったのが意外だったが、オカロにはそのほうが似合ってると思う。
ローゼンベルク伯爵の湯澤さんは白タイツの堂に入りっぷりがさすが。コミカルなルックスと喋り方で物語を緩和させつつ(ある意味ずっと緩和してる物語だったけどな!)、機知にとんだ意地悪が効いててよかった。

キャストと曲はすごく良かったのだ、という結論。
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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 20:10 | - | - |

9GOATS BLACK OUT - Last live - " Silence " @赤坂BLITZ

どうしても外せない仕事があったために遅れて参加。最後の1曲だけでも聴けたらいいな、と思っていたのだが、3時間超の長丁場だったので、半分くらい見られました。本編2曲と数回のアンコールを見た。

取り敢えずakayaさんが出ていて驚いた。一応シークレットゲストというていで最初から出ていたのね。サポート終了時のライヴで、「いつか戻ってくる」と言った手前、今日を逃せば約束を破ってしまうことになるから、とMCで言っていた。漾さんからは「マニュピレーターの席はずっと空けてあるから」と言われたそう。お元気そうで何よりです。

後半だったから余計になのか、ほぼ一曲ごとにMCで説明というか曲にまつわるMCをしていたのに驚いた。最後だと思うと言いたいことが沢山出てくるだろうし、最後だからこそ語弊のないようにきちんと伝えたいとも思うだろう。それは曲を愛しているファンへの誠意だと知っている反面、それも含めて曲で伝えて欲しいとも思う。
しかもそのMCが「現在は生や死が軽んじられている」「父の死をきっかけに、死と向かい合うことについて考えるようになった」って言うフォーク歌手のような内容なので、肩を落とすしかあるまい。漾さんがその手の内容について「重い」と苦笑していたけれど、そうじゃないんだ…。
正直ここ数年の9Gの、というか漾さんの方向性には賛同できなかった。身近な人の死や3・11が影響していると思うと文句を言いづらいのだけれど、どれほど死を歌っても、生はうたってほしくなかったのだ。生・光・希望という比較対象なしで、絶対的な死・闇・絶望、孤独や嘆きをひたすら聴かせてほしかった。一条の光もない闇こそが、わたしの欲しい「重い」世界だった。「ライヴが好きか!」と笑顔で客席に問う姿をみたいわけではなかったのだ。わがままだとは分かっているけれど。
この日のライヴも結局は、ここ数年疑問に思い続けていたスタンスの延長線上にあるものだった。それでもやっぱり、嫌いにはなれなかった。

わたしが行く前に既にベーストラブルがあった模様。漾さんが後半のMCで何回もhatiさんに「大丈夫?」と聞いていた。
弦楽器隊についてはもう最初の半年で言葉を失ったので何も言うまい。同郷の絆というか業のようなものを痛感させられた。

解散発表をしたときのコメントにあった、「公式コメントは控える」と明言した姿勢がとても好きだった。解散ってよっぽどでない限りは大きなひとつの理由で起こるものではないし、言えないことも沢山あるだろうし、言葉にすればするほど嘘になるというか、事実から乖離していく感じがあるので、言わないという選択肢が最も誠実に思える。
解散ライヴについて「どういうふうにすれば腑に落ちるものになるか考えていた」と漾さんのMC。発表したときからずっと、どういうふうに終わらせるのかを考えているんだろうなとは思っていたが案の定、その道を探していたんだな。
一部のメンバーの暴走や、健康上などの抗えない理由によって無理やり終わらされてしまうのではなく、一丸となってバンド自身の手でエンドマークを付けるのは非常に難しいことなんだろう。そういう意味では、きちんと提示された終わりがあり、そこに向かって全員で走りぬけてゴールしたことはバンドとして幸福なことだったのだろう。ファンとしても、幸福なのだ。
前回の終わりを思うたびに今回の9Gの終わりは幸福なものだったと思うし、終わりに向けて前進する9Gを見るたびに前回の終わりの酷さを思い知らされる。無理やり力任せに引きちぎられたような終わりを共有できたことは幸福だったと思うけれど。とにかく、前回の反省と後悔を全力で活かしたような終わりであった。
9Gとしての5年間ではなく、バンドマン活動の、ひいては人生の集大成を作り上げると言うような口ぶりだった。同時代を共有して、同じものを美しいとかおぞましいとか思えてよかった。出会えてよかった、と漾さん。ああこの人はやっぱり、いなくなってしまうんだなあ。

終演後に流れる映像の最後にメンバーからのコメントとして、音楽をきけば「そこにいます」というものがあった。MCでも漾さんは、音楽と思い出があれば「俺達(バンドとファン)の絆は切れない」と言っていた。それは解散を悲しむファンへの慰めであると同時に、自分たちの支柱だったのだろう。
もっと悲痛なものになるかと思っていた。フロア前方は実際悲痛だったらしいし、泣いている人も沢山いたけれど、晴れがましさも少しばかりあったように思う。Farewell感のつよいお別れでした。少なくとも「葬儀」と名前を付けるような解散ライヴではなかった。
葬儀って最高のタイトルだとおもうけどね…!

ライヴについての言及が我ながら殆どないな。
おつかれさまでした。バンドが始まって音源を聴いたとき、ライヴを見たときの「これだ!」という感じはまだ心の中に残っている。荘厳なSE、殆どないMC、一気に場の空気をかっさらって入れ替える重厚な世界観。そこから道はだいぶん外れてしまったけれど、大好きでした。
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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 19:09 | - | - |

OUT OF CONTROL Vol.2@新宿BLAZE

DuelJewelのShun(2/3誕生日)とばる(2/4誕生日)のお祝い主催イベント。

・DuelJewel featuring Wal
デュエルのパートチェンジバンド。楽器隊が登場したあと、本日お誕生日のばるさんがサタデーナイトフィーバーみたいな格好で客席をかきわけてステージへ。30秒くらいで終わる曲と、まともにうたわない曲の2曲演奏。2曲目はAKB48「ヘビーローテーション」のマイクパフォーマンスをやりながらの熱唱。曲とダンスのリズムが全然合ってないのに踊りきっててすごかった。
「Happy Birthday!Happy Birthday!Happy Wedding!」というなぞの煽り。しかもHappy Birthdayなのは自分、という無茶苦茶なMCだった。
「全部いいバンドだから目当てのバンドだけ見て途中で廊下に出たらぶっとばす」的なことを言ってたのだが、廊下って…廊下って…。

・ν[NEU]
久々にみた。元々こんなバンドだったのか、結構方向性が変わったのかすら定かではないくらい久々に見た。最近とみに多い光る物販だけど、ν[NEU]の物販はちゃんとバンドロゴが入ったオリジナルでした。
前奏AパートBパートサビ間奏…とひたすら振付を用意されていて忙しい。単に体力がなくてしんどいって言うのもあるけれど、曲を知らない身としては、このライヴ中のいつ曲聞けばいいのか分からない。もしかしたら好きになるかもしれない、という出会いを期待して対バンを見ているのに、モッシュの曲が3曲あった、みたいな記憶しか残らないのは勿体ない。動きながら曲聴く余裕はないよ!(まあ本当に好みなら動いてても分かるんだろうけどね…)
下手ギターがギターを外してマイク持って、センターに現れてラップを始めたときにはびっくりした。
「二人の誕生日を祝うためだけに来た。だからワンマン来いとか音源買えとか言わない」というMCに、おそらくDuelファンから拍手が起こっていた。ただこれ素で言ってるのか、「十分言ってるじゃないか!」というツッコミ待ちなのかわからなかった。どちらにせよ、そういう気持ちでやってるから自分たちのファン以外も一緒に盛り上げてね、という話。

・Moran
気づいたら長らく見ていなくて、一年以上経過していた…勿論5人になってからのMoranを見るのは初めて。
楽器隊が出てきて、そのまま「Escort」へ。Escortはじまり大好き!結局のところ歌詞にある「I'll escort you to my darkness」はひとつのスローガンのようになっていると思う。Hitomiさんがワンマンの告知MCで言っていた「この世の果てに連れていく」ということと、同義だと思う。
Hitomiさんは紫ベロアのナポレオンジャケットの中に、ブログでアップしていたいただきもののマックイーンのカットソー。案の定首元リメイクしてた。「Eclipse」のあとの「Vegaの花」は、Ivy前だけ折りたたまれているのが美しい。登場した時からずっと奇妙な動きをしている人で、瞬間移動してるのかと思えるような感じもあるが、ベーシストらしいベーシストだなあ。結構硬質なベース。
「嫌いだ」で始まる語り。距離が。距離があると思われていることが。手を伸ばせば届くのに届かないと思って伸ばされないことが。「決めるのは誰だ」決めるのは君か。俺はそう思っていない、というところから「rub」へ。この曲好きなんだけど、物凄く好きなんだけど、音源になっていない・おそらく今後もならないであろう、脱退したメンバーの曲を敢えてイベントでやらなくても、とは思う。しかもアウェイな環境の中で。マイクスタンドを使っての歌自体はとてもよかった。
「今夜、月の無い海岸で」は四人でのフォーメーションチェンジ。直前にネックストラップが取れたSiznaさんが、端を口で咥えつつ左右に移動していた。移動するときのviviのおすまし顔がちょっと面白い。もうちょっと普通の表情でいいんだよ!しかしこの日全然ギターが聞こえなくて、センターでギターソロ弾いたときも殆ど音がしなくて不安に思ってたんだけど、調子が悪かったみたい。「いつもはもうちょっと鳴ってる」と友達に聞いて、ほっ。
そこから「Cello suite」「Party Monster」と流れる。全体でみれば凄く悪くも凄く良くもない妥当なライヴだったと思うのだが、トータルアートは虫の息だな、というのが正直な感想。五人になったアー写を見たときに想像したことが、大体そのまま現実になっていた。とても楽しそうで、前向きで上昇志向があって、だけど普通のバンドになってしまった。淋しさとか孤独とかやりきれなさとか、そういう淡いけれど心をしめつけるものが薄くなってしまった。さすがに一回で決めつけるのは尚早だと思うが、雪が解けて春が来ようとしている感じ。
とか文句いいつつ、しばらく見ます。

・Kra
これまた久々のKra。舞っちょが脱退すると聞いた時点で、数年見ていないなーと思っていた。それが2年前か。2年経っているので、もはや新メンバーと呼ぶのも失礼な新しいギターは、当然ながらKraに馴染んでいた。ゾロの人だよね?
すっぴん黒髪の結良さんが一瞬誰なのか分からなかったものの、2013年に見るKraは非常に格好良いバンドになっていた。人の三分の一くらいのスピードでしか年をとらないのではないかと思わせる景夕の歌もいいし、パフォーマンスにも余裕がある。歌を、曲を魅せることを第一にして、その上でファンもそうでない人間も楽しめるようなガイドがある。バンド全体として非常に質がたかい。ものすごく真面目に見て、真面目に聴いてたのしかった。
MCでは「Hitomiさんから話しかけてくれた!」と興奮する景夕たん…。10年以上対バンで顔を合わせているのにまともに話したことがないと年末に話したことがきっかけで、Hitomiさんから本日話しかけてくれたらしい。「調子にのってTwitterフォローしちゃった!Hitomiさんフォロー返してくれるかな〜Hitomiさん〜」と天井を見続けていた。後で確認したらフォローされてて、なんだかほっとしてしまった。ヨカッタネ。

・GOTCHAROCKA
ガチャロッカというバンド名とロゴを最初に見たときに感じたこと、が初めてライヴを見た感想とイコールだった…。今更言わなくても皆知ってると思うけど歌上手いんだよ!ベースなんかむちゃくちゃ上手いんだよ!他だって場馴れしてるし、結成してそれほど経っていないバンドには思えないクオリティがあるんだよ!人気もあるし、客席からの「(バンド復帰を)待ってた」熱が全メンバーに注がれていて、非常にいい空間だった。
ただ…その…。
真悟さんが出てきた瞬間からものすごい楽しそうで、多少のわざとらしさは感じつつも、かれが本当にやりたかったのはこういうことなのだ、というのは痛感した。おじゅいの衣装が後ろ身頃が赤メッシュのインナーに、背面がベルト三本のみというびんぼっちゃま形式のショート丈革ジャンですごかった。ヴィドのコテコテ衣装の時の記憶しかないんだけど、後半はもともとの私服は以前からこんな感じだと知って納得しました…。
主催のデュエルについて「こういう特別な日に呼んでもらえてうれしい」的コメントのあと、「一時期同じ事務所だったこともあったので、お互いに辛さは分かっているというか」「辛かったよね、って」と連呼していたのに笑った。
「Poisonous berry」という曲を、「Poisonous dollって歌ってるよね?」と言う友人と見られて幸せでした…2013年だよ…。












DuelJewel / GOTCHAROCKA / Kra / 
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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 15:15 | - | - |

ミュージカル・ミーツ・シンフォニー 15時公演@サントリーホール

この花はすごいと思った。

生オケをバックにミュージカルの曲をやりましょうコンサート。
こういう「クラシックをやる場所」はウィーンでオペラ座に行ったのが唯一の経験だったのだが、日本でも楽しいなー。正装したスタッフに迎えられて、クロークがあって、ホワイエで飲食して。非日常感がつよい!

ステージがホールの中央付近にあり、正面だけでなく両サイドと背面にも客席がある。オーケストラの「サンドオブミュージック」で幕が開く。エーデルワイスとドレミの歌はわかった。

ラミンを除く出演者が登場。石丸さんは黒カッターに濃厚なピンクのネクタイ、黒地に細かい白ドットのベスト、シルバーのスーツ。万里生くんは白カッターに白スーツ、濱田さんはブルーのドレス、玲奈ちゃんは淡いピンクと濃厚なピンクのグラデーションになったドレスで、「Seasons Of Love」を披露。
わたしはバカ耳なのでオケの良しあしとかホールの音響とかよくわからないんだけど、この曲だけではなく全体的に、オケの音で歌が聞こえない・全部が吸いこまれてしまってよく聞こえないというところがあった。座席が端っこだったのも関係あるのかな。うーん。
四人が持ち回りというか、おそらく予め設定されている台本に添って司会をしながらプログラムは進む。一応メインでまわしているのが石丸さん、という立ち位置だと思う。石丸さんのにこにこスベリっぷりを流してくれるのが濱田さんで、苦笑してフォローしきれないのが若者二人。いいのよそれで!

一部二部はそれぞれ一部が「永遠なる愛と夢」、二部が「情熱的な夢と音楽」というテーマが設定されており、それに合うような選曲がされていると説明がある。
メドレーのように「マンマ・ミーア!」の二曲が歌われたあと、去年は「エリザベート」20周年を記念した色々な講演が行われた、という話へ。エリザはテーマに添わないのではないかという濱田さんに、トートはルドルフに「悪夢」というとっておきの夢を見せた、と説明する。濱田さんの(おそらく故意に)わざとらしい息を飲む芝居も含めていかにも台本!という感じではあったが、こじつけにしてはいい説明。すーべーてあーくーむ!
濱田さんが去って、石丸さんひとりが残されたステージで音楽が始まる。そして万里生くんが登場。前奏の途中で石丸さんの目がすっと変わって、鋭い光が入った瞬間がたまらなく良かった。
石丸さんのおもしろいところは、衣装をまとっていないときのトートが公演中のトートとは全く違うところだ。CDに収録されていた「愛と死の輪舞」に近い、力強いんだけど非常にまっすぐなトートだった。粘着質な感じはまったくしない。
「未来の皇帝陛下」のところを「未来の皇帝へいかァッ!」と歌い上げておいででした。万里生くんのルドルフは2年ぶり。弱々しさや迷いがない分、非常にクリアで力強いルドルフだった。

そしてここでラミン・カリムルーが紹介される。どこだったか万里生くんがラミンのプロフィールを紹介する流れで「オペラ座の25周年に出演」と言うと、石丸さんが「DVDになってますね!」とカットイン。更に「ご覧になられた方おられますか?」と客席に質問すると、圧倒的な挙手率であった。そりゃな…。
一曲目はレミゼの「I Dreamed A Dream」!第一声を発した瞬間からさすがにすごい。うっとりする。ドラマが見える。玲奈ちゃんが英語に挑戦した「Last Night Of The World」も良かった。4Stars行きたくなっちゃう!

そのあとは石丸さんソロで「ノッティングヒルの恋人」の主題歌「SHE」の日本語バージョン。濱田さんは「タイタニック」より「My Heart Will Go On」を披露。ミュージカル…?
どちらも決して悪くはないんだけれど、どうせならミュージカルの曲をもっと聞きたかったなー。持ち曲も二人ともたくさんあるし、これまで歌っていない曲を挑戦したり、デュエットなんかもせっかくだし聞きたかった!
アラジンの「A Whole New World」も日本語。映画を日本語で見たことないので不思議な気分だった。

20分休憩を経たのち、「コーラスライン」の「One」と「シカゴ」の「All I Care About」のメドレーで始まった第二部。生オケで聞くオペラ座のovertureからのラミンの「Music Of The Night」は贅沢だなー!オペラ座の怪人のovertureって頭おかしいくらいときめくよね…人間から生まれたとは思えぬ…。
キャストからの質問に、「オペラ座の怪人」は特別な作品だ、とラミンが言っていた。

濱田さんが、自分の背中を押してくれる曲、と紹介した「Wicked」の「Defying gravity」は英語だった。わたしが見たエルファバは濱田さんじゃなかったのだが、彼女のウィキッドへの思いはテレビの特集で見て知っていたので、生で聴けて感慨深かった。英語だとは思わなかったけれど、英語ちょっとぎこちなかったけれど、とっても良かった。
曲に入る前に万里生くんが「非常にオーケストラとしても難しい曲で、皆苦労している」と紹介すると、指揮者をはじめとしたオケの面々が大きく頷いていた。でしょうね…。
そのあとは同じく「五拍子なのですごく難しい」という解説にオケがうなだれる「サンセット大通り」を万里生くんが披露。ルドルフのときは、役柄の所為もあって非常に頼りなげな青年だった。歌は一番うまいのに、それが陽の目を見ないような感じがあった。「アリス・イン・ワンダーランド」のウサギはほとんど歌わないし、ルイス・キャロルは穏やかな歌を担当していたし、万里生くんのこういう力強い歌は初めて聴いたのだが、とてもいい。男くさいとまではいかないが、等身大・年齢相応の感じがする。
玲奈エポの「On My Own」もすばらしかった!レミゼ10年目になる彼女だけれど、演じる年齢によって感じ方が異なるので、いつも新鮮なのだと語っていた。映画を見たばかりだからかもしれないけれど、銀色に光る「雨の舗道」が見えるような「On My Own」だった。本人が涙目になって歌っていて、こちらもつられてしまいそう。
石丸さんは、前向きな曲として「時が来た」を披露。このあとジキルがとる行動を思えば必ずしもいい意味での前向きさではないのだが、この曲好きだ。石丸さんはわざとらしさというか、いかにもミュージカル歌唱法、みたいな感じが出る「SHE」みたいなバラードより、こういう力強い曲を歌っているほうが好き。
最後は四人で「ブロードウェイの子守唄」を披露。石丸さんはずっと「ララバイ・オブ・ブロードウェイ」と原題で呼んでた。

カーテンコールのあとはアンコール。大多数のアンコール予定調和であることは知っているが、こういう場だと大人数のオケはハケることをしないので、もはやアンコールですらないな…。水飲んで帰ってきましたくらいの感じ。
ラミンと濱田さんの「All I Ask Of You」は両方英語。濱田さん、殆ど顔を上げている時間がないくらい歌詞を見ていた。いいけれど、ちょっと危ういというか、たどたどしさがある。
途中四人の今後のスケジュール情報を紹介。ホリプロが入るとこのコンテンツが増えるのかな。いいことだと思う。石丸さんは「スマイル・オブ・チャップリン」と7月のコンサートについて。6月にアルバムを出すのでレコーディングをしている、今日うたった曲も入るよ、とのこと。闇が広がってくれるといいのだが無理かな…。濱田さんはコンサートの話、玲奈ちゃんはレミゼの話、万里生くんはエスコルタのコンサートの話。
最後は四人で「The Best Of Time」でおわかれ。

こういう形式の「コンサート」に行ったことがないため、いちいちキャストがゆっくり出てきたりハケたり、何かと拍手があったりする進行がもどかしいというかもったいない気がした。解説も嬉しいけれど、同じ時間でももう少し曲詰められたんじゃないのかな。いやそもそも、きちきちに巻きで歌を披露する企画じゃないんだろうけれど。聴きたい持ち歌、聴きたいデュエット、聴いてみたい他作品の曲がたくさんあるので、あと5時間くらいやってください…。


***

第一部
Eternal Love&Dream〜永遠なる愛と夢〜

・Overture 『サウンドオブミュージック』(読売日本交響楽団)
・Seasons Of Love 『RENT』(石丸幹二、濱田めぐみ、笹本玲奈、田代万里生)
・Mamma Mia 『マンマ・ミーア!』(濱田めぐみ、笹本玲奈、田代万里生)
・Dancing Queen 『マンマ・ミーア!』(濱田めぐみ、笹本玲奈、田代万里生)
・闇が広がる 『エリザベート』(石丸幹二、田代万里生)
・I Dreamed A Dream 『レ・ミゼラブル』(ラミン・カリムルー)
・Last Night Of The World 『ミス・サイゴン』(ラミン・カリムルー、笹本玲奈)
・SHE 『ノッティングヒルの恋人』(石丸幹二)
・My Heart Will Go On 『タイタニック』(濱田めぐみ)
・A Whole New World 『アラジン』(石丸幹二、濱田めぐみ、笹本玲奈、田代万里生)

第二部
Passionate Dream&Music〜情熱的な夢と音楽〜

・One 『コーラスライン』(石丸幹二、濱田めぐみ、笹本玲奈、田代万里生)
・All I Care About 『シカゴ』(石丸幹二、濱田めぐみ、笹本玲奈、田代万里生)
・Phantom Of The Opera Overture 『オペラ座の怪人』(読売日本交響楽団)
・Music Of The Night 『オペラ座の怪人』(ラミン・カリムルー)
・Defying gravity 『Wicked』(濱田めぐみ)
・サンセット大通り 『サンセット大通り』(田代万里生)
・On My Own 『レ・ミゼラブル』(笹本玲奈)
・時が来た 『ジキル&ハイド』(石丸幹二)
・ブロードウェイの子守唄 『42nd Street』(石丸幹二、濱田めぐみ、笹本玲奈、田代万里生)

アンコール
・All I Ask Of You 『オペラ座の怪人』(ラミン・カリムルー、濱田めぐみ)
・The Best Of Time 『ラ・カージュ・オ・フォール』(石丸幹二、濱田めぐみ、笹本玲奈、田代万里生)
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「祈りと怪物 ウィルヴィルの三姉妹」Ninagawa version

作:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
演出:蜷川幸雄

トビーアス:森田剛
ドン・ガラス:勝村政信
バララ:原田美枝子
ヤン:染谷将太
テン:中嶋朋子
パキオテ:三宅弘城
マチケ:宮本裕子
レティーシャ:野々すみ花
アリスト:大石継太
エレミヤ:渡辺真起子
ペラーヨ:村杉蝉之介
パブロ:満島真之介
合唱隊長:富岡弘
ローケ:新川將人
ヤルゲン:石井愃一
ダンダブール:橋本さとし
ジャムジャムジャーラ/ドンドンダーラ:三田和代
メメ:伊藤蘭
グンナル:古谷一行

***

ケラリーノ・サンドロヴィッチの新作を、ケラ本人が演出したバージョンと蜷川幸雄が演出したバージョンで二種類上演しましょう、という企画。キャストも異なるこの芝居、可能ならばどちらも見たかったんだけれど予定上叶わず。見られたのが蜷川さんのみになったのも単純に日程が理由です。
しかし片方見ると、「ここの演出はどういうふうにやったんだろう」「この役はどういうふうにやったんだろう」と余計に気になるね。生瀬さんの評判が物凄く良いので気になる。
15分休憩が二回の三部構成で、4時間10分。18:30に開演して、会場を出たら23時だった。

***

架空の国、架空の町・ウィルヴィル。そこに暮らす人々の群像劇。
足が悪く気弱なトビーアスは、動物園で働いている心優しい青年。エゴイスティックな祖母ドンドンダーラと二人暮らしをしている。ドンドンダーラには双子の姉・ジャムジャムジャーラがいる。かつてドンドンダーラと結婚を誓った裕福な恋人と結婚したジャムジャムジャーラは、町一番の権力者エイモス家で暮らしている。ドンドンダーラはそれから80年以上、姉への恨み言を繰り返しながら生きている。
トビーアスには、教会で働く友人パブロがいる。明るく勝気なパブロは若者らしい軽率さを持ち合わせている。エイモス家の三姉妹の末娘マチケがトビーアスに好意を抱いているのをいいことに、トビーアスを説得し、かれは自分も一緒にエイモス家を訪れることに成功する。
それがかれらの人生を大きく変える。ドン・ガラスはトビーアスを気に入り、パブロとかれを自分のもとで働かせる。祖母が憎む祖母の姉の屋敷でトビーアスは働くことになった。

屋敷には元料理人現執事のアリストとメイドのメメの夫妻がつとめている。数年前に息子を亡くして以来、二人の気は晴れない。町を訪れた道化に「息子が見えるおまじない」をかけてもらった嫁は、息子の幻影と会話しはじめる。最初は妻を必死に制していた夫だが、おなじまじないをかけられ、ついに夫妻は幻覚の息子と三人で生活するようになる。

三姉妹の長女バララは、年上の司祭グンナルと両思いなのになかなかうまくいかない。生活に憂いた人々が信仰心を捨て教会に行かなくなったことに絶望し、バララともうまくいかないことに自棄になったグンナルは酒に走っていたが、久々に町を訪れた錬金術師と組んで計画を練る。金で雇ったエキストラを利用して奇跡を起こしたように見せ、神への信仰と自身への信頼を取り戻したのだ。
そしてとうとう行動にうつしたバララのおかげで、グンナルとバララは両思いになる。
錬金術師ダンダブールは、道化の格好をした白痴の相棒パキオテと組んで一発当てようとする。グンナルの一件で神の力を人々に示したあと、「願いが叶う薬」としてライ麦粉を高く売りつけたのだ。実際白痴のパキオテには人知を超えた能力があり、かれの力が込められているその粉はある程度の効果をもたらす。しかし後年パキオテの体調悪化が原因で効力は歪み、飲んだ人々を恐ろしい死に導くことになる。

次女で大酒飲みのテンは、町に流れ着いたヤンという男に夢中だ。溺れていたジャムジャムジャーラを偶然通りがかって助けたことでエイモス家の客人として迎え入れられたヤンは、テンと結ばれる。自分と母を捨てた顔も名も知らぬ父への復讐心を抱いているかれの背中には、被差別民「ヒヨリ」であるという焼き印があった。
三姉妹の父ドン・ガラスの言葉から推察すれば、ヒヨリは疑わしき者、裏切ったかどうかの証拠はないものの疑惑があるもの、のことのようだ。裏切り者は必ず殺すというドンは、疑惑があるが証拠がないもの・今後も疑い続けなければならないものをヒヨリだと読んだ。ヒヨリは個人の問題ではなく、ヒヨリの子供は生まれながらにヒヨリとして扱われ、差別され続ける。背中の焼き印だけでなく、外出の際には腕章をつけることが義務付けられている。エイモス家がしばしば利用する仕立て屋もヒヨリだ。何年も外に出ていない父ローケが社会の仕組みを諦めて受け入れているのとは反対に、年頃の娘レティーシャは疑問や不満で一杯だ。

パブロとトビーアスが「先生」と呼ぶペラーヨは、地下組織の一員としてエイモス家の失墜を狙っている。ドン・ガラスの後妻エレミヤと通じているペラーヨは、彼女からドンの情報を聞き出している。
ドン・ガラスに憧れ、かれのような強者になりたいと願ったパブロの密告によってエイモス家に捕らえられたペラーヨは、拷問を受けるも仲間のことは一切話さなかった。しかしその後何者かにパブロが襲撃された事件の犯人であると考えられ、処刑の対象となる。下手人に立候補したトビーアスによって逃がされるも、再び町に戻ってくる。

***

和装の合唱隊(コロス)たちが、パッヘルベルのカノンを背景に一気にうたいだすところから物語は始まる。左右に設置されたモニターには、コロスがうたう歌詞が表示される。コロスたちが出てこないシーンでは、あらすじや場所の説明、場面転換のト書きが表示されている。(「エイモス邸、リビング」「汽笛の音がする港」など)コロスが一糸乱れぬ歌、寸分たがわぬ発声、という感じではなかったので歌詞が出たのは助かる。状況説明が多いので、歌だけではおそらく把握しきれなかったのでは。
寺山修司を彷彿させるような風体のコロス、途中から使われる鏡の背景、一本ずつ火をつける蝋燭で埋められたシャンデリアあたりはまさに蜷川さんの得意分野。森田剛の芝居も非常に蜷川さんの好きそうな感じだった。蜷川演出を見に行くと「あ〜幸雄こういう子好きだよね〜分かる!」と脳内で一方的女子会が始まります。
ギリシア悲劇あり、カラマーゾフあり、おとぎ話あり、猿の惑星あり、の群像劇。4時間超は長いんだけど、ふしぎと蛇足や冗長気味に感じられるところもなかった。ひとつの無駄もない!というのではなく、ここ要らないだろ…と思うところがなかった、という感じかな。眠いとかだるいとか思わなかった。

トビーアス森田剛。気弱な19歳少年を好演。森田剛の知識が剛健コンビで大人気ジュニア→バレーボールに合わせたドラマ「Vの炎」出演、の時点で長らく止まっていて、気づいたら「金閣寺」とかに出てたのだが、舞台はかれにとっていい場所なんだろうな。失礼なことを言えば、身長が低くて30歳越えると、ドラマの仕事って限られてしまうのではないかと思うので、舞台があって良かった。存在とマッチング両方の意味の「あって」で。
動物園で働いていたトビーアスにとっては、何の見返りもなく食べ物をひたすら要求する祖母は、ある意味で動物だったのだろう。更に今の自分が存在するのは祖母のおかげであることも分かっている。だからかれは祖母に食事を与え続けた。
トビーアスが何を考えていたのかははっきり分からない。かれは横暴なところのある強引な友人パブロが好きで、動物が好きで、祖母を大切にしていた。寂しそうなガラスより、自分を信じて優しく接してくれるガラスより、悪態をつくだけの祖母が大切だった。おそらくガラスはトビーアスが祖母のために食料を持ち出していることに気づいていたのだろう。それでもかれはずっと黙っていた。しかしジャムジャムジャーラの宝石を盗んだことは許さなかった。それは生きるためではないから。それが何度も口にしながら、内容については語られなかったガラスの「倫理」なのではないか。

トビーアスを慕う三女マチケ。傲慢で我儘な父親そっくりだと二人の姉に言われる末っ子は、可愛くて傲慢でとってもかわいい。若さならではの愚かさも魅力だ。
マチケのシーンで一番好きなのは、自分の制止も聞かずに食料や宝石を持ち出したトビーアスがガラスに処刑されようとしているところに彼女が現れるシーンだ。娘がトビーアスの命乞いをするであろうと考えたガラスは、マチケに家の中に戻るよう命令する。しかしマチケはそれに従わず、トビーアスを父親の前の地面に叩きつけて「殺して」と言う。それがエイモスの「倫理」であり、彼女の生き方だ。
そしてマチケの目の前で、トビーアスはガラスの撃った弾によって死ぬ。息絶えたトビーアスに駆け寄った彼女は「死んだの?」と繰り返し、泣き喚く。そこに矛盾はない。愚かで美しい、傲慢で馬鹿で愛すべき三女。
宮本さんは写真よりだいぶかわいらしかった。声もかわいい。

トビーアスの友人パブロ。
大きな声と空回る配慮、意味をなさない積極性。トビーアスより何倍も気を使っているのに、すべてトビーアスに持っていかれる男。バカだけどいい奴だったかれは、エイモス家で次第に狂い始める。力で全てを手に入れ支配してきたドン・ガラスに憧れてしまう。不器用だった男が、次第に狂って行く。
パブロの笑顔の卑屈さが秀逸だった。大きく剥かれた目は笑っておらず、むきだしになった歯とつりあげられた口の端からは何の感情も伝わってこない。あの笑顔はどんな冷たい目よりも怖い。
襲撃され失明したあと、パブロはドン・ガラスにトビーアスの解放を願い出る。いつでも動物園に戻せると最初に約束したガラスに、そうしてやってほしいと言う。結局トビーアス自身が拒んで終わったのだが、パブロはどういうつもりだったのだろう。酷い目にあったから、友人には二の轍を踏ませたくないという優しさか。出世できないから、トビーアスだけ成功してたまるかという嫉妬か。

次女テン。大酒飲みで物事を斜めから見ている彼女は意地悪で奔放で、けれど優しい恋人・姉の部分も持っている。頭がきれる彼女は、最初からヤンの正体をある程度見破っていた。ヤンがわざとジャムジャムジャーラを溺れさせ、そこを助けることでエイモス家の庇護を得たのだと知っていた。知っていて、それでも惹かれた。
流れついた男、ヤン。他のキャラの濃さにかれが割を食ってしまったというか、薄味になっている印象。自分と母を捨てた父への復讐を狙っている、ということがいまひとつ押し出されてこなかった。ヤンがこそこそしていることと、常に重そうな茶色の袋を持ち歩いていることから、かれがウィルヴィルの町を騒がせている連続殺人の犯人であることは明らかだった。そもそもこの連続殺人自体もインパクトが薄かったんだけど。
ヤンが復讐のために連続殺人を犯していること、「もうすこし」で成就すると言うかれが何かを狙っていることは分かっていた。自分の子を身ごもったテンに「誰かに妊娠を打ち明けたか」と確認していたので、胎児や嬰児を生贄に使うのかと思っていたら、必要なのは町一番の老人の臓器だった。
復讐を願っていた父はガラスだった、テンとヤンは血のつながったきょうだいだった、と明らかになるあたりはギリシア感満載!祖母の内臓を手にして、祖母の血にまみれた男は真実を知る、なんてできすぎていていい。

アリストとメメ。幻覚の息子と三人で暮らしはじめてからの二人の、幸福な狂気がとてもよかった。夫妻が見つけ出した、息子が集めていたサナギの缶の蓋をあけると、無数のきれいな蝶が出てくる。サナギはとっくに死んでいるのに、蝶が見える。現実を見ないふたりの目に映るものが、この芝居で一番きれいなものだ。
幻覚の息子が反抗期になって、アリストに暴力をふるうようになる。幻覚に首を絞められて死にそうになる夫を見て、夫妻は自分たちにかけられていたまじないの終了を願う。現実に戻れなくなる両親への、それくらい自分を愛していた両親への、息子の最後の孝行だったのかもしれない。

ローケとレティーシャ。ナチス政権下のユダヤ人を彷彿させる「ヒヨリ」の親子。レティーシャに向かってマチケが言った、「(何の罪もないのに生まれながらに差別される人生を)理不尽だと思っているんでしょう。でも理不尽なのはあなたの父親よ。普通そういう生まれの人は子供をつくらないのよ」という台詞が印象的。自分にはつれないトビーアスが親切にしたレティーシャへの苛立ちからくる悪意も十分に存在しているが、その言葉はある意味で、マチケの本心なのかもしれない。圧倒的に理不尽なシステムを目の前にして、同じ思いをさせると分かっていて子供をつくったレティーシャの親、システムに対応できない親に本気で驚いている。辛い思いをさせるだけなのに何故、と。それはマチケの優しさだ。狂った町でいちばん狂った家に生まれた彼女の倫理だ。

錬金術師ダンダブールと、白痴パキオテ。橋本さとしさんの濃いお顔でみる、長髪+帽子+濃いメイク+怪しげな衣装のすばらしさ!ダンダブールは一二を争う気楽な役どころというか、それほどしがらみのない軽快な立ち位置だった。しかしパキオテが死んだとき、「一人ぼっちだ」とかれに駆け寄るダンダブールにも闇があるのだろう。会話のうまく成立しない相棒と二人で旅をする日々は楽しかったのだろう。
白痴の道化パキオテ。白痴で聖人、というのはよくあるネタだけれど、コミカルで切なくていいキャラだった。パキオテの体調悪化にともなって、かれが力をかけていた粉が悪いものに転じたので、アリストとメメの幻覚の息子が暴力をふるいはじめたのもその影響かな。

長女バララ。予知夢の能力を持つ女性。しっかり者で貞淑でおくてに見えた彼女だけれど、三姉妹揃って会話をするシーンあたりからそうではない一面が見えてくる。長いドレスに隠れた太腿に銃を常備している彼女の、あっけらかんとした生死観がいい。
司祭グンナルと一時の恋愛の成就がかわいらしかった。

ペラーヨ。グループ魂のバイト君だ!朴訥とした優しい先生は、じとっとした陰気さと粘着っぷりを持っている。自分に恋している女を利用し、頭ごなしに怒鳴りつける。豹変っぷりがこわい。

ドン・ガラス。何もかも力で手に入れてきた権力者。病で死んだ妻を愛し、祈ったけれど助けてくれなかった神と教会を怨み続けている情のつよい男。自分の帰宅をいつも待っていてくれた犬を溺愛していた男。略奪してきた女を後妻にし、使用人に片っ端から手を付ける男。裏切り者を次々始末するかれの顔は、トビーアス曰くつらそうでやりたくないことをやっている表情をしている。
傲慢で愚かなのに憎み切れない魅力がある。強奪殺戮を繰り返してきたかれは、ウィルヴィルの怪物だ。恐怖政治を敷き、暴力で何もかも意のままにして、けれどかれの中には確かに「倫理」がある。狂った都合のよい倫理だけれど、筋が通っているように思えてしまう。

三姉妹がリビングできゃあきゃあ会話しているシーンがとても好き。「女なら惚れた男を何人か殺しているもの」という彼女たちの狂った感じが華やかでかわいらしいの何の。めいめいに持っている銃を部屋の中でぶっぱなし、ガラスが割れる音を聞いて笑っている。生命力に満ちた美しい狂人たち。
ドン・ガラスよりよっぽど、この三姉妹のほうが狂っている。彼女たちの良心は傷まず、狂った善悪の中で生きている。

架空の町ウィルヴィルは荒廃していく。エイモス家の没落を狙っていたはずの地下組織の人間たちは思想を捨てて暴徒と化し、「願いがかなう薬」の効力が歪んで人は殺し合いをはじめた。エイモス家からも人が少しずついなくなる。
それぞれ恋人を失った三姉妹と、母を失ったドン・ガラスは、ウィルヴィルの町を去ることを決意する。荷物をまとめ、真っ白なドレスを着て彼女たちは旅立つ。しかし彼女たちが生きてウィルヴィルから出ることはなかった。コロスによって語られる顛末は、彼女たちの凄惨な死ではなく、「宝石になって九つの国の女王に使われた」というような寓話めいたもの。三姉妹に惨めな死は似合わないから、それでいいのだろう。

数年後。ウィルヴィルの町にある教会に、老いた乞食が訪れる。「どこかで会った」気がするけれど思い出せない司祭(ローケ)からパンと毛布と灯りをもらった男は、一人夜の街をさまよう。見る影もない男は、「俺はドン・ガラスだぞ」と虚空に向かって呟く。男がステージの奥に向かうと背景セットが開き、そのままサイレンの音がする、夜の渋谷に男は消えてゆく。
ウィルヴィルは架空の町だ。作品冒頭で、きちんと「架空の町」と注釈がつけられている。けれどウィルヴィルの町を歩くと、渋谷につながる。ウィルヴィルは渋谷だ。ウィルヴィルは東京だ。大阪でやればウィルヴィルは大阪に、梅田になるだろう。ウィルヴィルは現代日本だ。
「猿の惑星」のようなラストだなーと思ったけれど、それまでのエピソードが、かつて現実にあったことのオマージュだったので納得。ウィルヴィル=東京や大阪ひいては日本を、荒廃から立ち直った町と考えることも可能なんだろうけれど、あらゆる残酷なことが起こっている怪物だらけの町と考えたほうがしっくりくるな。怪物は潜んでいるし、限界を越えた祈りもまた、沢山潜んでいるのだ。
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posted by: mngn1012 | ライヴ・舞台など | 12:31 | - | - |