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2013.02.10 Sunday
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北上れん「よそはよそ、ウチはウチ」初回限定版
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北上れん「よそはよそ、ウチはウチ」初回限定版両親の海外赴任に伴い、近所に暮らす叔父の家に頻繁に足を運ぶことになったフミ。仕事はできるが生活能力が極端に低い叔父のため、バイト代を貰って家事の一切をこなすことになったフミと叔父の関係は次第に変化していく。北上さんは好きな作家さんで、なかなか新作が出ないことに焦れていたし、本誌でこの話を読んでどう展開されるのか楽しみにもしていた。しかしナンバリングなしの状態で、恋愛が始まる前の段階でコミックスになるとは思わなかった。しかもこのあくどい小冊子付きで…。叔父とは言え昴之は母親の再婚相手の弟なので、血のつながりは一切ない。ただ、両親が海外へ引っ越し、弟が高校の寮に入ることで近くに頼れる大人がいなくなったフミを心配して、義父が口をきいてくれた相手である。二人は別に一緒に暮らしているわけではない。ただフミは大学から叔父の家へ向かってひとまず掃除や洗濯をすませ、料理をつくり、叔父と一緒にご飯を食べてから家に帰る。お節介気味で、何かと生活に口を出してくるフミを少々鬱陶しく思わないでもないけれど、なんだかんだで叔父はフミの意見を飲むこともある。最初は頭ごなしに色々非難していたフミも、叔父とのちょうどいい距離の取り方を覚えてきた。学校の友人や弟が言う通り、二人の生活はぎこちない新婚生活のようだ。お見合いで出会ってそのまま結婚した、と言う感じ。お互いのことをよく知らないし、色々な意見が正反対にもかかわらず、なんとなくうまくいっている。スキンシップが異様に多い叔父の行動に、フミは疑いを持たない。血縁関係ではないと言うものの「親戚」であることや、年齢差があることを理由に、フミはそれを受け入れている。叔父もまた、フミを「家族」とカテゴライズすることで自分の行動を無意識のうちに正当化している。周囲の皆がからかっても、二人の天然はまじめなのだ。しかしその関係も次第に変化しはじめる。さすがに家族でもそんなことしないんじゃないか、家族だと自分に必死に言い聞かせているのは何故なんだ、抱きつかれて嬉しいのは・抱きつきたいのは・他の誰かと近付いていて嫉妬するのは、何故なんだ。理由は一つだ。そのことにようやく気付き始めたふたり、何の関門もないような気がするのだが、この先ははたして。一話がかなり短く、大きなエピソードがないままなかなか話が進まないのでちょっともどかしい。いつか2巻が出て結ばれたときに、まとめて読むと楽しいかな。初回限定版の小冊子は「ホネぬきにされたい」など、これまでの作品のコミックス未収録短篇が数本。コミックス発売後に雑誌に掲載されたものなど。「よそはよそ、〜」はぬいぐるみのたろうさんが描かれているパラパラマンガが見開きであるのみ…。雑誌掲載されたものはどこかに収録されてほしいと思うけれど、やり方が好きじゃないなー。他のシリーズも好きならいいけれど、いきなりこれだけ読んだら何が何だか。
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2013.02.09 Saturday
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SHOOWA「縄がなくてもだいじょうぶ」
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SHOOWA「縄がなくてもだいじょうぶ」活動していないオカルト部に籍を置く佐々木は、おとなしい謎の後輩幾三と二人で行動した夜をきっかけに、かれに懐かれてしまう。本筋に関係あるようなないような、とりあえず唯一無二であることは間違いない設定の組み合わせ。ひとつひとつも珍しいのだが、それを何故組み合わせた…と問いただしたくなる。活動したことのないオカルト部、縛ることが好きな内気な後輩、到底BLマンガの主人公とは思えない適当な顔の先輩、妙にシリアスな(けれど妙に簡単に解決する)家庭内不和。さほど大事ではないカエルのぬいぐるみが表紙に出張っているし、裏表紙の「描き下ろし憑き」のドヤ感も見逃せない。折角ようやく注目され始めて、絶版状態だった本も新装版で出し直して、満を持した新刊がこの表紙かよ、とか言いたいことは多々あるんだけれど、それも含めてSHOOWA作品という感じ。SHOOWAさんの作品の中で順位をつけるなら個人的には下から数えて1番目か2番目だけど、それでもなんだかんだで読ませるところやぐっとくるところが押さえられている。お人よしで頼まれ事を断れない佐々木は、オカルト部に何の興味もないのに籍を置いている。内申点のために夜の学校でミッションをクリアすることになった部員一同は、手分けして行動することになった。その時に佐々木と組まされたのが、ぬいぐるみを抱えて行動し、何を考えているのか分からないと教師にまで言われる後輩・幾三である。不思議ちゃんな幾三が何を考えているのかよく分からないが、どうもかれは以前から佐々木に関心を示していたらしい。「センパイを縛りたい」と言うかれは、どこからともなく現れた縄で佐々木を縛る。そしてかれらの中には、「ほんの少しだけ」なにかが「芽生えた」のだ。ええい自分で書いていて全くあらすじが伝わらない自信がある!でも本当に幾三が「縛りたい」と願いを口にすると、するすると縄が現れるんだ…。そんなきっかけではあったけれど、ともかく物事が少し動いた。最初の第一歩が、非常に奇妙なかたちではあるけれど、踏み出されてしまった。そうなると、思春期の学生たちの繊細で不器用な恋が始まりだすので不思議。オカルトも縄も消えたわけではないのに、何を考えているのか分かりづらい後輩に迫られて戸惑ったり、自分の考えすぎではないのかと思ってみたりしながらも、その後輩のことばかり考えてしまうひとりの男の話になる。見るからに裕福そうな家に暮らしている幾三は、夫を悪しざまに言う母と二人で暮らしている。夫が許せない母は、息子である幾三にも「ロクデナシの血」が流れていると言い放つ。おそらく普段から母子関係はないに等しいのだろう。狭いけれど仲のいい、いわゆる一般的な家庭で育ってきた佐々木とは正反対だ。まだ幼さの残る弟と二段ベッドで寝ている佐々木の日常から、かれの性格が見える。複雑な家庭で育った、一人遊びが得意でおとなしい幾三。にぎやかな家庭で育った、人に譲ることや願いをきくことに慣れた長男の佐々木。ありふれた二人のありふれたエピソードは、オカルト部の後では安心して読める。ぎこちない恋愛も、その後は非常に順調。自分のことが好きな幾三に、最初は流されているような感じがあった佐々木も、次第に自分の感情が恋愛であることを自覚する。自覚して、向き合って、恋愛が始まる。二人の恋自体はほぼ起承転結がないというか、順序良くステップアップしていっただけである。その「だけ」の話をここまで独創的なものにするのはさすが。
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2013.01.30 Wednesday
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冬コミ新刊
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一穂ミチ「Overtour」「Is in you」「Off you go」の番外編。仕事で東京本社に出張することになった一束は、社内を案内してくれた良時の善意から佐伯との再会を果たし、偶然会社を訪れていた十和子と出かけることになる。隠しきれない嫉妬に自己嫌悪しながら一束を送りだした圭輔は、急な仕事でドバイに向かう。圭輔の佐伯への嫉妬には、恋人の以前の恋人への嫉妬、仕事ができる上司への嫉妬の二種類が絡み合っているので非常に複雑だ。仕事に関しては圭輔は佐伯に到底叶わないと思っているだろう。口や態度の悪さを補って余りある洞察力や発想力の持ち主である佐伯は、豪快で破天荒で、なんというか色々な意味で非常に特別な男だ。その男が一束と付き合っていた。一束は単に現在の圭輔の恋人だというだけでなく、かつて圭輔が独占していた友人で、それ以上の関係になろうとして拒まれてしまった相手なのだ。自分を拒んだのに佐伯と付き合っている(実際は付き合っていたわけではないが)、というのは圭輔にとって色々な意味で複雑な心境だっただろう。その嫉妬を隠しきれず、以前圭輔は一束を傷つけてしまった。その反省があるから何とかして晴れやかに送りだしたいのだろうが、なかなかできない。できないけれどやろうとしている、そういう不器用さも含めて一束は圭輔が好きなんだろうけれど。佐伯との離婚について十和子がどう考えていたのか、ということがようやくここで語られる。一方的に離婚を言い渡した十和子、佐伯が良時を好きなことを知っていた十和子は何を考えていたのか。単に「良時の妹」として紹介された十和子が佐伯の元妻であること、憎しみあって別れたわけではないことを一束は察した。この察しの良さこそが、佐伯が評価した一束の魅力なのだろう。なぜ別れたのかと問われた十和子は「身体は分けられないから」「半分が過ぎて、私の番は終わった」と言った。佐伯という一人の男を自分と良時で共有することはできない。佐伯が二人にならない限りは無理だ。だから十和子は佐伯を時間で割り、先に所有し、兄に渡した。泣きながら、つらい思いをして、それでも優しい兄に譲った。十和子と良時が佐伯を共有することは同時に、佐伯と良時が十和子という宝物のような少女を共有することであり、佐伯と十和子というひねくれものの二人が良時という光のような男を共有することでもあった。それは佐伯曰く「ずっと遊んで」いることだ。そのために佐伯は十和子との結婚を決めた。けれど三人は長い年月の中で知った。「身体は分けられない」と。十和子の「半分が過ぎて」という言葉が非常に印象的。分ける対象である佐伯が40代なので、一般的な寿命からみて半分が過ぎたというのは決して大げさな言いぶんではない。しかし十和子が口にすると、なんだかひやっとする。飛田新地の壁を「嘆きの壁」と呼ぶ同僚に呆れつつも、納得している佐伯。結局どこにいったって、何を見たって、良時と十和子のことを考えている。一穂ミチ「すべての日は灯」「街の灯ひとつ」の番外編。初鹿野さんは一穂作品随一のお色気キャラだなあと毎回思っている。妹が片喰の家に忘れて行ったマニキュアでひと盛り上がりする初鹿野さん。家にあるちょっとしたアイテムでいちいち盛り上がれて楽しそう…この二人は落ち着いちゃって変化や事件がないかわりに、いつまでも楽しそう。一穂ミチ「ちょうちょ結び」「雪よ林檎の香のごとく」番外編。最近先生との関係も落ち着いてきたな、昔みたいなときめきが欲しいな、なんて思っていた矢先に、着物姿の桂に惚れ直す志緒ちゃん。落ち着いてきたと思ってるのは本人だけだろうけれど。付き合いの長さに比例して、これまで特別だったことが日常になっていくのはどうしようもないことだ。それが手に入らなかったときは辛かったのに、いざ手に入って落ち着くと少し不満に思ってしまうのも、どうしようもないことだ。和装しただけで真っ赤になって目も見られなくなる自分に驚いたり、恥ずかしくなったり、うろたえたり。そのリアクションを可愛いと思いつつ、ちょっと気恥ずかしい桂も含めて一生こんな感じなんだろう。平和。一穂ミチ「Ninna Nanna」こちらはコミックシティ新刊。冬コミ終わった→新刊通販ぽちっ→早く届かないかな〜→シティ新刊のお知らせ、の流れは二回目かな。一冊でも多いとうれしいので送料気にしない。「Off you go」番外編。クリスマスに酔っ払って大きなクマのぬいぐるみを連れてきた佐伯と、すてきな棒こと良時の平和な日常。佐伯が良時に、あらゆる意味でものすごく甘えているのがかわいらしい。佐伯は比較的いろんな人に我を通しているほうだが、良時の前に出ると佐伯の我はかわいくなる。良時にかわいい自分を出しているというよりは、良時といるとかわいくなってしまう。でも口が悪くて態度がでかいので、それを他の人がかわいいと思えるかはまた別だな。片思い時代の佐伯の話も切なくていい。自分の出産後体調を崩して亡くなってしまった母を思い、「もしも十和子が出産なんかで死んでしまったら赤子であろうと憎んで殺す」と考える佐伯のモノローグがいちばん好きだ。それはたぶん一般的な過半数の父親の考えとは異なるだろうし、佐伯もそれを自覚している。佐伯の十和子への愛はほんもので、だけどたぶんそれは夫婦間とは異なる。佐伯が十和子を愛すれば愛するほど、遠ざかる。だからかれらの結婚生活は非常に円満で、仲良し夫妻でいられたのだろう。良時に「ままならない」と佐伯が言ったのは、もともと十和子が口にした言葉を覚えていたのだろう。勿論それまでも知っていた言葉だが、十和子が話すのを聞いてぴんときたのではないだろうか。十和子の言葉が良時を煽り、二人が恋人になるきっかけの事件を招いたのだ。佐伯祭り!満足。
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2012.10.27 Saturday
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カサイウカ「いつか友達じゃなくなるとしても」
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カサイウカ「いつか友達じゃなくなるとしても」
一人暮らしをしているトモは、幼馴染みの柊平の家に頻繁に世話になっている。家族同然に接してくれる柊平一家だからこそ、トモは柊平への恋愛感情を決して打ち明けないと決めている。
この表紙から溢れるセンシティブBL感そのままの作品だった。青くて繊細で切なくて恥ずかしくて、こういうの好き!!!
トモが高校生になった年に母親が蒸発、兄は住み込みの仕事に就いていたため、トモは独り暮らしを余儀なくされた。兄のわずかな仕送りと自分のバイト代でなんとか生活しているトモが、心身ともに困らずに済んでいるのは、ひとえに柊平一家のおかげだろう。トモと同い年の柊平以外に祖父母両親兄夫妻とその子供に妹が二人いるという大家族はいつもにぎやかで、あらゆる客人に親切だ。中でもトモのことは本当の家族のように接している。トモを含めた「家族旅行」が毎年恒例だし、トモが家に来るとかれらはみんな「おかえり」と声をかける。トモは柊平の家に頻繁に寝泊まりし、面倒見がよくて器用な柊平が作った弁当を持って学校に行く。
トモの孤独を満たすその日々には何の問題もない。唯一あるとすれば、あまりに幸福で深く繋がっているがゆえに、トモが決して恋愛感情を打ち明けられない、ということだろう。成就するか否かという問題ではなく、柊平を好きだという気持ちをそのものを悟られてはいけないのだ。
そういう日々をこれまでにもずっと過ごしてきたであろうトモに、小さな変化が起こる。幼稚園の同級生の「彼氏」が出来た柊平の妹が、トモに恋愛話を持ちかけたのだ。突然の話題への反応から、トモに片思いしている相手がいることが柊平に知られてしまう。毎日かれといる柊平にとっては驚くべき出来事であったし、相手を明かそうとしないことに心配もしているけれど、別段踏み込んでくるわけでもない。むしろトモ自身の方が、思い続けてきた柊平への思いがここへきて加速しはじめ、次第に持てあますようになる。隠し続けるのは大変で、頻度が増えた恋愛話にいちいち動揺するから、どんどん辛くなる。
いつものように柊平の部屋で一緒に寝ているトモは、かけたまま眠ってしまった柊平の眼鏡を外してやろうとかれに近づいて、そのままキスをする。目を閉じている柊平の目元には、うっすらと傷が残っている。幼いころ、トモとの喧嘩が原因でついた傷だろう。それに触れたあと、トモは衝動的に柊平にキスをして、かれがまだ眠っている間に家に帰った。
柊平は起きていた。起きていたけれど、あまりにトモが真剣で、震えていたから、寝たふりをするしかなかった。言葉がなくても、トモの気持ちはすぐに分かっただろう。トモが隠している「好きな相手」が自分であることを、柊平は知ってしまった。
抑えがきかなくなりつつある自分に焦るトモの元に、兄が久々に顔を出す。口の悪い兄は柊平とその家族が嫌いだと言う。なにも、トモのいないところでひどく当たられたり、嫌なことを言われたりしたわけではない。むしろそういうことが一切ないことが兄の気にさわる。本人は決してそうは言わないけれど、ばらばらになった自分の家との違いを見せつけられるから、というのもあるんじゃないのかなあ。
親友だった二人の仲を決定的に混乱させるのがこの兄だ。弟可愛さに生来の性格の歪みが合わさって、兄は柊平に余計なことばかり言う。トモには、柊平だって腹の中では何を考えているか分からない・柊平はお前のことを重いと言っていた、と嘘をつく。柊平には、トモはお前と居たいために無理をして体を壊している、と誇張した話をする。関係をこじらせて、トモを引っ越しさせようとしているのだろう。
何でも出来る柊平は、実は左目が見えていない。子供のころのトモとのケンカ中に起こった事故が原因で、かれは堅めの視力を失ってしまった。そしてそれに引きずられるように、残った右目の視力も徐々に落ちている。そのことを柊平は気にしていない。子供の頃のことだし、自分にだって非はあった、と医者に言うかれは、おそらく本気でそう思っている。だけでなく、息子の片目をだめにされた家族も、同じように思っている。更に、そのことをトモが負い目に感じないように、明るく振る舞ったりかれの前でその話題を出さないように配慮している。
それは非常に大きなエピソードだと思うのだが、かれらの恋愛にこの事件は影響しておらず、そのことがとても好きだと思った。勿論事故にあってもなお寛大な柊平というのは、トモの抱く好意を強くしているはずだ。けれどそれはあくまで追加要素であって、トモが長い間柊平を好きでいたことと一切関係がない。そのバランスがいい。
一番好きだったエピソードは、兄がトモの恋愛感情を見抜いたシーンだ。友情ではない感情を指摘した兄は、トモの中に根付いている「怪我させた罪悪感」がそうさせたのか、と言う。償いきれないことへの謝罪の気持ち、それでも優しく接してくれることへの感謝の気持ち、幼いころからの孤独を埋めてくれることへの依存心。それらが混同して自己犠牲の精神になり、恋愛感情だとトモが思っている献身的なものになったのではないか、と。そう言われたトモは「ちがう」「ちゃんと柊平が好きだよ」と顔を手で覆いながら言う。色々なことがありすぎたけれど、それでもトモの中にあるのは純粋で単純な恋愛感情だ。意地悪なことばかり言う兄に、縋るような目で「柊平にバレてないよね大丈夫だよね」と確認するところがかわいそうでやりきれない。
そこまで柊平のことしか考えていないトモの姿も、兄としてはやりきれないだろうけれど。
キスされてトモの気持ちを知った柊平は、兄の介入もあり、自分の気持ちに向き合うことになる。失明しても泣かなかったかれは、トモが引っ越すかもしれないと聞いて泣いた。トモの飯は「ずっとおれが作ってやる」と言い、トモが泣いているとどうしていいのか分からない気持ちになる。トモが体を壊しそうになってもなお、自分と一緒にいたいと努力してくれていることが嬉しい。それらの理由を、賢明な柊平は知っている。
二人きりになったトモに、柊平は言う。おれ「も」友達以上にトモが特別なんだ、気づくのがおそくてごめんな、と。一度も自分の気持ちを告げていないトモだけれど、柊平はトモの気持ちを知っていることを隠さないし、疑わない。全て自分の気持ちを明かした上で、トモの我慢しない本音を知りたい、と聞いてくれる。そうでもしないとトモは絶対に素直に告げないと、長い付き合いのかれは知っているのだろう。そしてトモは一番欲しいものを口にして、手に入れる。
柊平がさっさと家族にカムアウトしちゃって、それをなんだかんだで家族が受け入れるところもいい。妹の、二人のことはキモいけど、誰かがキモいって言ってきたらブン殴る、という立ち位置が分かりやすくて好きだな。元々家族同然の付き合いをしていたトモは、とうとう本当に柊平の家の一員になった。友達じゃなくなって、恋人に、家族になった。
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2012.10.23 Tuesday
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J.GARDEN 33新刊
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一穂ミチ「please,Mr.Lostman」「meet,again.」番外編。「G」から始まる都道府県での就職が決まった栫と、同じく「G」から始まる都道府県に修行に出ることになった嵐。かれらの「G」が同じ場所か否かについては、結局語られなかった。この話においても言及はされていない。嵐の部屋に栫の置いて行った本がある程度には会っているし、栫が今どこに何をしに出ているかを把握している程度には連絡を取っているようだけれど、同じ県に住んでいるのか離れているのかを絞れるほどの情報ではない。栫のことなのでちゃっかり同じ都道府県に就職するくらいの超常現象が起こせても驚かないぞ。大雨の熱帯夜、ひとり寝ている嵐のもとにかかってくる謎の電話。交通規制されているはずなのに現れた栫。みたことのないかたちの果物、傘を持ってきていないのに濡れていない栫の体は冷え切っている。そしてお盆。自分を訪ねてきた男が栫なのか、それとも会ったことのない(会えない)もう一人の栫なのか、嵐はわからなくなってしまう。不謹慎で無神経で人を食ったことをやるのが好きな栫らしい、身を削った悪乗りギャグ。自分自身も数日間眠りこんだりしたのに、それでもかれはこういうしょうもないことをやってしまうんだよな。好きになった栫が本当はろくでなしだと知って、それでもそのろくでなしと付き合っている嵐は、呆れるし怒るけれど後を引かない。ある意味諦めているんだろう。そういう栫にため息をつきながら、たぶんずっと一緒にいるんだろう。大雨や停電という異常なシチュエーションの中、嵐といられる栫はテンションが上がっているように思える。そもそもかれは最初から驚かすために、死んだきょうだいのふりをして嵐を怖がらせるために来たわけではない。その時ちょうどピークだった雨やいたずら電話に嵐がすこし不安になっていたからつけこんだだけで、普通に嵐が寝ていたらこんな芝居はしなかっただろう。となると結局、栫はただ出張帰りに、土産を持って恋人の家に直行しただけだ。時刻が少々非常識で、かれが買ってきた飴が輪をかけて非常識だったものの、一刻も早く嵐に会いたかった、のかな。珍しい桃もらった!恋人がそれを見て嫌な顔をするであろうお土産見つけたから買ってきた!って栫さん浮かれすぎじゃないですか。嵐より栫の方がはしゃいでいるような気が、しないでも、ない。
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2012.09.30 Sunday
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一穂ミチ「ムーンライトマイル」
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一穂ミチ「ムーンライトマイル」
「オールトの雲」のスピンオフ。
太陽の弟の大地と、流星の高校の部活の先輩で、太陽とも合宿先で話したことがある昴の話。これ単体でも読めるけれど、大地と流星が結構出てくるので「オールトの雲」から読んだ方がいいと思う。というか良い作品だから読むべき!
みたいなことばかり言っているな。
女にだらしなく、居酒屋でアルバイトしているフリーターの大地と、科学館で働く昴が出会ったのは、その科学館の中にあるプラネタリウムだった。デートで入ったプラネタリウムが始まった瞬間、女と修羅場を繰り広げた大地。神聖なる仕事を汚されて憤っていた昴が職場の飲み会で足を踏み入れたのが、大地のバイト先の居酒屋だったのだ。
「オールトの雲」ではどこにでもいる普通の子供だった大地が、まさかこんなふうに成長するとは思わなかった。昴が一瞬で「ヤリチン」と見抜いた大地は、バイト先でも「その日会った女とホテル行ったりしてる」という認識を持たれている。それはあながち間違いではないようで、実際昴と一緒に飲みに来た美樹を初対面で口説こうとしたりしている。大地が…歪んだ大人になってしまった…。
しかしあの両親と兄の家族である。下半身がだらしなかろうと、それ以外は非常にまっとうな青年であった。居酒屋でひとり酔い潰れた昴を自宅までおぶって連れて帰り、代金もひとまず立て替えた。金額など分かるはずもない昴から、多くとってやろうというような気もない。とても誠実で、まともな人間だ。
翌朝大地の家で朝食をもらい、かれが流星の友人である太陽の弟だと知った昴は、科学館でのアルバイトを持ちかけてきた。大地のそういう性格を一気に見抜いたのだろう。これまで全く関心のなかった科学館でのアルバイトを、辛辣で遠慮のない昴から提案される。そんな状況なのに、なぜか大地はそれを引き受ける。かれ自身でも不思議に思うその行動の理由を、昴という人間に興味を引かれたからだ、と大地自身は分析している。
頭が良く仕事ができる昴からの指導は厳しく、大地は叱られてばかりいる。けれど本気で不満に思わないのは、昴が誰よりも自分に厳しく働き続けているからだ。その姿を見ると、不平も飲み込んでしまう。大食いで、未成年みたいな容姿で、彼女がいたことのない、職員からの信頼が厚い、28歳の昴。かれは地元の科学館とは比べ物にならない規模の話を断って、この職場にとどまり続けているらしい。
大地は兄と流星がただの幼馴染みじゃないことに薄々気づいている。気づいていて、いつか告げられる日がきたら絶対に賛同しようと思っている。ふたりについて語る「互いの骨をひとかけら交換したような余人には立ち入れない結びつきがあった」というモノローグが、この作品の中でいちばん好き。他人じゃない、けれど他人だからこそ築ける確固たる絆がふたりの間には存在する。
その要素が一切この本では描かれないこともいい。太陽は大地の良き兄として、流星はすこし不思議なところのある幼馴染み(あるいは昴の後輩)としてのみ描かれる。ふたりの関係はほのめかされないし、ふたりの会話もいたって単純なものだ。けれど確かにそこには結びつきがある。誰が知らなくても、大地が知っている。おそらく昴も、早くから気づいていただろう。
ちっとも気があわないはずなのに、昴と大地は時間をともにする。七夕に科学館の中で飲み会をするというお約束があるからと言って、昴はわざわざその日アルバイトのシフトに入っていない大地の予定が空くのを待って、二人きりで飲み直してくれる。べつにまた今度飲みに行こうね、で済む話なのに、わざわざその日に実施してくれる。
それは、昴が心を許している証拠だと思う。そのことに少し浮かれた大地は、かれが書いた七夕の短冊に打ちのめされる。「元気でいますように」という抽象的な言葉には、特定の誰かが存在するような感じがある。それを隠す昴の態度にかっとなった大地はかれにキスをしようとして、当然拒まれる。なぜそんなことをするのか、という昴の問いに「言ってもいいわけ?」と大地は問いで返した。どんな答えよりも雄弁な返事に、昴は「聞きたくない」と言った。自分から聞いておいて、聞きたくない、と。それは昴が我がままなのか、それとも昴が聞きたくないような気持ちをいきなり捻じ込んできた大地が我がままなのか。
そしてなぜ昴が「聞きたくない」のか、を大地はすぐに知ることになる。アメリカから一時帰国した幼馴染み、恒の存在だ。恒といるときの昴の声には甘えが含まれ、この上なく楽しそうに振舞う。昴のことばかり見ている大地には、その理由がすぐに分かった。
指摘したときの昴の反応が残酷だ。関係ないとつっぱねたり、黙っていてくれと縋られるくらいならよかった。なんでわかるんだ、とかれは本気で焦っている。初めて見た大地に分かるなら恒にも気づかれてしまうのではないかと恐れ、改善しようと思っている。大地の気持ちのことは念頭から消し去られている。
宇宙飛行士になる、と普通に言ってのける恒はくせがあるけれど魅力的な人物だった。元々は二人がそれぞれ抱いている共通の夢だった宇宙飛行士だが、生まれつき視力が弱い昴はスタートラインに立つことすらできなかった。その事実を二人が知ったときから、恒が宇宙飛行士になることが二人の夢になった。かつて少年だった恒が言った「お前のぶんまで見てきてやる」ということばは、傲慢で無神経にもとられかねないが、昴をずっと支えてきた希望の星なのだろう。
自分から「聞きたくない」と言ったくせに、昴は大地に「僕のこと好きなの?」と聞いた。知っているはずの答えを実際に大地の口から聞いた昴は、嬉しさと苦しさの両方を味わう。誰かに思われている喜び、そこには少なからず、好意的に見ている大地だからという加算もあるだろう。けれど自分は恒がずっと好きで、答えられるはずもない。報われない恋の辛さをずっと味わってきた昴は、好意を抱いている・更に自分を好きだと言ってくれる大地にその思いを味わわせるのが心苦しい。でも答えてやれない。
どうしたらいい?と昴は聞いた。大地が望むものはやれないと知っていて、他に何かできることはないか、と聞いてきた。残酷な質問だけれど、それは恒への片思い以外に恋愛らしいものを全くしてこなかった昴の、精いっぱいの誠意だったのだろう。百戦錬磨の大地が出した答えは「一発やらせて」だった。どんなふうに退けばスマートなのか知っていて、どんなふうに言えば昴の気が楽になるのかもおそらく想像できるだろう大地の捨て身の願いを、昴はあっさり受け入れた。
心を大地にくれない昴は、肉体をひととき差し出してくれる。状況だけ見れば惨めだとも残酷だとも取れるけれど、実際そのことで昴の心は少し動いた。愛されるということを身をもって知ったかれは、少し強くなった。
アメリカで仕事をしないかという恒の誘いを、迷った末、科学館を愛する昴は断った。やりたい仕事を捨ててでも、恒の傍にいる道を選ぶこともできた。恋は報われなくとも、今よりずっと一緒にいられる。けれどそうせずに済んだのは、かれが一人の人間として・職業人として矜持を保つことができたのは、大地の存在があったからだ。
宇宙飛行士は少しの私物を持って宇宙に行ける。その私物の中に、恒は昴の眼鏡を入れることにした。子供の頃の約束を昴が大事に持っていたように、かれもまた忘れてはいなかったのだ。「愛してるぞ、昴」という言葉がつらい。恒は昴が自分に抱く気持ちを知っている。その上で同じ愛をかれに返すことはできないことを仕方ないと思う反面、心苦しくも感じている。けれど恒もまた、昴を愛しているのだ。かたちは違うけれど、その愛が昴からの愛よりも小さいとか薄いとか、誰が言えるだろう。敢えて「愛」という、友情ではそれほど使わない言葉を口にした恒の優しさがかなしい。
その言葉を昴は受け止めた。受け止めて、恒のいない日本でこれからも働く決意をした。そして大地は、本当の意味で失恋した昴を諦めない。
そして二人は三か月ほどの「試用期間」にはいる。
昴の視点で描かれることもあってか、色々慌てているのは昴のほうだ。大地が昴に片思いをしていて、答えを出すのは昴の方なのに、昴が色々気をもんでいる。よからぬ心配をさせたくないからと嘘をついたり、デートの後のことを考えて食べるメニューを制限したり、自分の行きたいところばかり行ってるのではないかと不安になったり。大地以外の相手との会話がおざなりになったり集中できなかったりすることも含めて、それらは全て恋をしている人間の症状だと思うけれど、かれにはそれがわからない。
職場の既婚女性に、今まで気にしていなかった結婚のきっかけを今更聞いたりするあたり、恥ずかしいくらい恋愛モードである。
最初から同じテンションで、同じ気持ちでスタートする恋愛はそう多くない。他の相手を好きだった昴は、大地と出会って少しずつ変化した。前の恋に決別して、新しい恋にはまっていく。そのことにかれは気づけない。「オッカムのかみそり」のように、最初の状態から変化したことに対応できない。
けれどそういう昴の融通のきかなさや鈍さが大地を傷つけるわけではない。大地を落ち込ませるのは、答えが出ていない癖に無理やり結論を出そうとしてする、投げやりな昴の態度だ。たぶん煮え切らない「試用期間」に焦っているのは昴の方で、大地はそれでも構わないと思っている。いつか答えが出れば、今はこの半端な保留状態でもいいと思っているのだ。その間にかれは出来ることをやり、少しずつ大人の男に変化してきている。惚れた弱みの理屈で言えばアドバンテージがあるのは昴のはずなのに、昴ばかりが焦っている。その焦りもまた恋愛の要素だと、かれは遠回りの果てにようやく知ることができる。
めんどくさい昴とチャラめの大地。店員と話しこむ大地に嫉妬した昴が、割り込むために買おうと選んだポストカードは非売品の見本だった。話を遮るきっかけであればよかったので、別にどうしても欲しかったわけではない。けれど昴が欲しいものを手に入れられなかったと思った大地は、わざわざ店舗に確認して、後日入荷したものを買いに行った。大地はチャラいけれど、そりゃみんな好きになっちゃうよね、と思わせてくれるエピソードがたくさんあった。
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2012.09.25 Tuesday
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原作:木原音瀬・漫画:小椋ムク「キャッスルマンゴー」2
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原作:木原音瀬・漫画:小椋ムク「キャッスルマンゴー」2
ゲイの十亀が年端も行かない弟に手を出すかもしれないという危機感から、嘘をついて十亀が自分と付き合うように仕向けた万。記憶はないものの、恋愛経験のない万に手を出した責任を取るために万と付き合い始めた十亀。にせもの同士の、どちらにも恋心のない恋人関係は、しかしなかなか順調だった。恋心がないからこそ順調だったのかもしれない。フォローしようとする十亀と、弟に興味を沸かせないために必死になる万。端から見ればお互いを思い合う・気遣い合う関係に見え…なくもない。
しかし所詮はにせものの関係だ。
友人に誘われた万は十亀に黙って女の子と一緒に花火を見に行く。かれの気持ちの上では十亀と恋人同士なわけではないから断らないし、そのことに罪悪感を覚えることもない。
そのことを知ってしまった十亀は、責めることも確認することもせずに万に冷たく接する。かれだって万と両思いの恋人であるつもりは毛頭ないから、裏切ったのなんのと言ったりはしない。けれど、面倒な相手から解放されて良かった、とも思えない。好きでもないし付き合いたくて付き合い始めた相手ではないけれど、相手が戸惑うくらい素っ気ない態度をとってやる程度には、十亀は面白くないと感じている。もっと言えば、傷ついている。
そんな十亀の態度に万は傷つく。けれどそのことについて考えて、行動している時間はなかった。父亡きあと一人で息子二人を育ててくれた母が倒れ、そのまま入院したのだ。
母親の見舞い、家事、家計を考慮してのホテル運営。それらを一気に引き受けることになってしまった万は思いつめ、苛立ち、余裕をなくす。親戚は頼れないし、弟はまだ子供だ。十亀とは連絡がとれないし、学校の友人にも話せない。
万の弟・悟から十亀はかれらの母親の状況を知る。そこで素直に万に連絡をしないのは、花火のことを引きずっているというよりは、花火のことで冷静になってしまったからだろう。自分といる以外の道があること、そのほうがかれにとって明るい道であること。
かれがかつて非常に貧しい生活をしていて、誰にも助けてもらえずここまで生きてきたことも関係しているかもしれない。未成年が困っているなら大人は手を差し伸べるものだ、なんて十亀は絶対に思えないだろう。十亀の過去は壮絶で、今食べるものに困らなくても、今生活できていても、昇華しきれるものではない。
けれど切り捨てることもできなかった。十亀は悟に自分からだということを隠すように告げて食べ物を差し入れし、金のためにゲイAVに出ようとする万を助けるために大きな仕事のチャンスを捨て、更にはホテルの修復費用を出そうとした。
お互いがお互いを意識している。なのに徹底的に噛み合わない。弱っている万が欲しかったものは十亀からの連絡だった。けれど十亀は悟には「自分は嫌われている」などと言い、一切連絡しないまま、隠れてサポートしてくれる。会ったら頭ごなしに罵られる。
万が思いつめたのは、十亀から連絡が来なかったのも理由の一つだ。冷静な判断ができなくなったかれが金のためにAV男優になろうとしたとき、十亀は怒った。一切連絡をしてこなかった、悟には会っていた十亀の干渉に腹を立てた万は「関係ない」と言う。それに更に腹を立てた十亀は、出たいなら成人してからにしろ、と言う。
それを聞いた万は、自分がはねのけたくせに、十亀は自分が他の相手と寝ても構わないのか、と傷つく。その傷ついたところを見せればまだしも、表面的に投げつけた言葉は「死ねっ」である。気性が荒いうえに事情を話すことをしないふたりが、そのままで分かり合えるはずがない。
そのくせ、離れているときはお互いのことばかり思っている。連絡がこないのに・連絡をしないのに、ひどいことを言ったのに・酷いことをいわれたのに、相手のことばかり考えている。二人そろって恋愛下手!
十亀の過去をぼんやりと聞いた万のモノローグが好きだ。話を聞いてあげたかった、ご飯を食べさせてあげたかった、泊まらせてあげることもできたのに。恋愛に疎いかれは、自分がどれほど十亀を思っているか分かっているだろうか。貧しいけれど家族仲は良好である万の持つ、家族愛を含んだ愛情がせつない。それは十亀がとうに手離したもので、そして今後持つことを諦めているものだ。
十亀と離れた万は、生活が次第に元通りになったことも影響してか、少しずつ平静さを取り戻し、自分の気持ちに向き合うことになる。そしてかれは自分が十亀を好きなことに気づく。自覚して、かれに告白する。
けれど十亀は万を突き放した。「十年経っても同じ事言ってたら考えてやる」という返事は、拒絶も同然だ。まだ高校生のかれの十年は十亀の十年よりもひどく長い。しかも、実際に経っても「考えてやる」でしかないのだ。
だから万はそれ以上の告白を止めた。礼を言って、引き下がった。恋愛経験がなくても、自分がふられたことくらいは分かる。
十亀が万をはねのけたのは吉田が推測するとおり、まだ高校生で根っからのゲイというわけでもないかれの将来を考えたからだ。そしておそらく、既に決意していた海外での長期的な撮影のことがあったから。更に言えば、高校生は面倒くさい、という拒絶の言葉も多少は真実だっただろう。面倒なのは高校生全般というより万だという気もするが。
ともあれそのあと二人は一年強の間会わなかったし、連絡もとらなかった。十亀は万が届けた御守りを持って海外に発ち、万は高校を卒業して大学生になった。
環境が変わっても、声を聞くことがなくても変わらず十亀を好きでいつづけた万の気持ちに、ついに十亀が折れた。
再会しても万が十亀を好きだったのは分かるし、そんなことを路上で言い出すかれを「面倒」と十亀が跳ね除けるのも分かる。それに万がキレて去ろうとするのも、心配していたと泣くのも分かるんだけど、その涙で十亀の箍が外れたのはよく分からなかった。そんな単純なことでいいのか、とこれまでの複雑にひっからまった関係を思えば驚かざるを得ない。
これまで一貫して万と恋愛をすることを拒んでいた十亀である。十年後ならまだしも、一年数ヶ月で何がどうなったのだろう。かれがケニアで何を考えていたのかとか、何がかれのスイッチを押したのかとか、引っ張るだけ引っ張ってその最後の部分がはっきりしない話だった。
これだけやきもきさせられて、一喜一憂して、焦れて焦れて、…あれ?みたいな。散々苦くて最後の甘さはちょっとだけ、ってあたりは木原さんらしいけれど、ちょっと拍子抜け。ううう伏線を見逃してるのかしら。
オビの「リバーズエンド」紹介を読む限り、小説で多少は明かされるのかな。けれどそれぞれ単独の作品である以上、もしそうだとしてももやもやする。
終盤まで超絶盛り上がっていただけに、肩透かしをくらったような印象のラストだった。うーん。
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2012.09.12 Wednesday
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渡海奈穂「小説家とカレ」
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渡海奈穂「小説家とカレ」
小説家の芦原は、面倒見はいいけれど、口が悪くて自分の仕事を一切理解しない幼馴染みの高槻に、長い間片思いをしている。ある時作品のドラマ化がきっかけで人気俳優四方堂と知り合いになった芦原は、四方堂から好意を寄せられる。
性格が良くて自分の仕事や性格を理解してくれる当て馬より、口が悪くて態度が横柄で自分の仕事や行動を否定してばかりの本命がいい、という話だった。
腑に落ちないというか、鬱憤をためまくってカタルシスできずに終わってしまうのは、ひとえにわたしがこの高槻を好きになれないからだ。
昔から小説を書くことに高槻は否定的だった。プロになっても、それなりに売れて映像化されても、その態度は変わらない。「おまえの小説なんて読まない」と断言し、早朝まで仕事をしていた芦原が寝ていると怠惰であるかのように責める。執筆中にも部屋に入ってきて邪魔をする。
かれにとって芦原は、何もせずに昼夜逆転生活を送り、外にも出ず、実家で親のすねを齧ってゴロゴロしているろくでなしの引きこもりに見えているのではないか、と思う。高槻の言葉は到底対等な友人からのものではない。優しさとか労わりとか思いやりとか、そういうものが感じられない。
けれど芦原はそんな高槻がずっと好きで、その気持ちを知られてはならないと必死に隠しながら片思いを続けている。でも芦原は高槻の態度や言葉に幸福を感じているわけではない。かれが自分や仕事を頭ごなしに否定することに傷つき、なぜこんな男をずっと好きなのかと何度も考えながら、それでも好きでいることをやめられない。
それは、芦原の人間関係が非常に希薄だから、高槻以外に親しい人間が数えるほどしかいないから、ではなかった。皮肉にもそれを証明することになるのが、芦原の熱心な読者であり、芦原本人の人柄にも好意を抱いた俳優・四方堂の存在だ。
映像化される芦原の作品で、主役を演じるのが人気俳優の四方堂だ。元々原作を読んでいたというかれは、最初から芦原に興味と好意を示していた。そして実際会ったことでその気持ちが更に増し、恋愛感情に発展した。
芦原を理解している四方堂からのアプローチは非常に熱心で、決してプレッシャーにならない。かれが送ってくれる本や写真は面白く、芦原に新しい世界を見せてくれる。押し付けがましくないメールのやりとりも、芦原は戸惑いつつ楽しんでいるように見える。作品を、創作を、性格を重んじてくれる四方堂との時間は芦原を楽にしてくれる。
けれど芦原は高槻を選ぶ。四方堂に優しくされても、積極的にこられても、同じことだ。恋愛感情が理屈ではない以上、そういうことはおおいにありうることだ。頭で考えればどう考えたって四方堂なのに、そのことを分かったうえで芦原は高槻への思いを止められない。
携帯電話のメールの話が非常に象徴的にふたりの男を表していると思う。不慣れな芦原のメールの文章が老人のようだと笑ってメールそのものへの意欲を削ぐ高槻と、無理のない範囲で返事すればいいと気負いを与えない程度のやりとりをすすめてくる四方堂。何がいいんだ高槻の!!!
高槻にもいいところはある。ぼんやりしていて危機感の薄い芦原はかつてストーカー被害にあったことがある。それを覚えている高槻は、芦原が再びそのような事件に巻き込まれないように、かれを守ろうと裏で色々行動する。心配するあまり、危機感のない芦原に苛立つこともある。
その過程や事情を話さないのが高槻で、そのためにかれは芦原に誤解されている。誤解しているにも関わらず、芦原は傷つきながら高槻を好きでいる。何なんだこの二人は…。
高槻はてっきり最初から芦原が好きなのだと思っていた。それゆえに芦原を独り占めしようとしたり、何もできない芦原のままで可愛がろうとしたりしているのだ、と思っていた。そういう言えない事情があるからこそ、黙って裏で働くのだ、と。
けれどそうではなかった。高槻は四方堂という存在によって初めて、自分が芦原をどう思っていたのかに気づく。つまりそれまでは気づかずに独占しようとしていたのだ。高槻こわい!
最初に好きだと思った相手との恋が成就する、のがBLを含めた一巻完結恋愛もののスタンダードだと思うので、芦原が高槻を選ぶことは分かっていた。もともとそのつもりで読んでいたので、そのことについて不満はない。四方堂に勝る要素が家の近さ以外に見つけられないけれど、不満はない。ことにする。
ただ、一回くらい芦原が溜め込んでいる傷をぶつけるシーン、爆発するシーンが欲しかったな。それで高槻が反省する、という経緯があるともう少し許せる気がする。
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2012.09.04 Tuesday
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藤たまき「蛇崩、交差点で」
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藤たまき「蛇崩、交差点で」
裕福な家庭に育った龍一は、幼稚園の時に道ですれ違った相手にずっと恋をしている。「マド」というあだ名しか知らないかれとすれ違うことが喜びだった龍一は、あるきっかけでかれと話すようになる。
印象的なうえに意味が分からなくて気になるタイトルだなあと思っていたら普通に実在の地名だった…。
父親は仕事の関係で海外で暮らしており、ヨットの道に進むという妹と暮らすために母も家を出る。龍一は受験を控えた高校生にして、大きな実家に一人暮らしをすることになった。ひとえにかれがまっとうで、特に心配ごとのない息子だからだ。
そんなかれには秘密がある。幼稚園の頃に見かけて気になったのをきっかけに、十年以上思い続けている相手がいる。意識してから数年後、かわいい少女だとばかり思っていた相手が男だと知ったときも、気持ちは変わらなかった。寧ろ、かれが犬に笑いかけている姿に恋をしたのだ。
それ以降龍一は「マド」という名前しか知らないかれの半ストーカーとして日々を過ごしている。かれが交差点を通る曜日や時間を割り出して待機する。続けていた隠し撮りは罪悪感に負けてやめてしまった。マドのことは龍一の秘密であり、最大の幸福だった。
そんなマドが落としたオレンジを拾ったことがきっかけで、龍一は初めてかれと話す。儚げな見た目をよそにきつい口調の、普通の青年だったけれど、龍一は舞い上がる。龍一がマドをずっと意識していたように、マドもまた、何年間もすれ違い続ける龍一を知っていた。
必死になるあまり血の気が引いてしまう龍一に、マドは水をくれる。公園に設置されている水飲み場の水。それを飲ませてもらった龍一は、これほど美味い水を飲んだことがあったろうか、と思う。
当然ながら随所に藤さんらしさが滲んでいる。かわった名前の交差点。「マド」というあだな。きっかけになった落し物はオレンジ。与えられた水によって一方的な思いは本当の恋に変わる。そのみずみずしさや純文っぽさが好き。
実際は円という名前だった青年と、龍一は話すようになる。家が厳しいと何かにつけて繰り返す円を龍一は家に呼び、気楽で穏やかな時間を過ごすようになる。
リラックスして楽しんでいる円とは異なり、龍一は円を意識し続けている。ゲイ映画を流してかれの反応を見ようとしたところ、円は想像以上の嫌悪感を表に出した。そこで折れてしまうかと思っていたら、龍一は「恋愛映画」だとくくった上で、円をずっと好きだったと打ち明ける。へたれなのにこういうところで勢いが良い・暴走してしまうあたりが、ストーカー時代の名残かな。こういう性格だからストーカーだったのか。
その告白に円は「好きかもしれない」と答える。いらいらしていたから龍一の顔が見たくて家に来た円。自分とやりたいなら「していい」と言う円。円の行動と言葉はちぐはぐで、かれが龍一と同じつよさの気持ちを持っているとは到底思えない。けれど目の前にいる、ずっと好きだった相手の、誘惑とも呼べないへたくそな誘いを断れる龍一ではなかった。
「じゃあ又」と円は言った。この夜が一度きりの過ちではないこと、次があることを円の方から示してきた。けれどそのまま二ヶ月近く、龍一は円と会えなかった。
いつもの交差点におらず、近所の人に聞いても手がかりはない。円を探していた龍一は、かれに偶然再会する。空白の期間について「色々あった」という円から具体的な話は聞き出せなかったけれど、ともあれ二人は夏休みの間、龍一の家の別荘で二人きりで過ごすことにする。
それは幸福な時間だった。円と二人きりで過ごす「アバンチュール」に浮かれている龍一の隣で、円も幸せそうに見えた。しかし円宛にかかってきた電話を機に、かれは別荘を出て行く。この幸せな時間を「正気じゃなかった」と言い、何度も抱き合った龍一を「好きなわけない」と罵る。
そして数年間、かれらは音信不通になる。
再会した円が語る、あの夜の電話の件、かれが嫌いだといっていた叔父と父親の件が非常に印象的。これまで何度となく匂わされていた「厳しい」家、家事を円がしなければならない理由、ゲイ映画に対する円の抵抗などが明らかになる。
寧ろこっちの、重くて暗くて救いようがないエピソードに意識が向いてしまった。円がさらっと語るので必要以上に重苦しくならないように描かれているのは意図的なものなのだろう。飽くまでこれは龍一と円の恋の成就の物語なのだ。けれどこの叔父と父のどうしようもない話が…気になってならない…!
円と龍一は運命のように何度も再会する。そしてこの出会いが最後になる。もうかれらは離れないだろう。
しかし円の家の問題、それに影響するかれの精神的な問題は、結局円がひとりで解決してしまった感じがする。円が逃げずに龍一に打ち明けていれば/龍一が円の異変にもっと細かく気付いて聞き出していれば、何か変わっていたのだろうか。まだ高校生の龍一に何かが出来たとは思えないが、心の支えくらいにはなっていたかもしれない。けれど円はそれを拒んだし、龍一はそれになり得なかった。
龍一の家が大変だったときも円は傍にいなかったし。
全てが終わったあと状況を吐露することで救われるのならいいのだが、大事なときにお互い蚊帳の外にいるふたりだなあ。
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2012.09.01 Saturday
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夏コミ新刊
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一穂ミチ「Summer Tune」
「雪よ林檎の香のごとく」の番外編。
夏休み、両親が法事で外出している数日間だけ、美夏とふたりきりの生活をすることになった志緒。子供がふたりで生活していることに桂は心配するけれど、志緒はその心配をそれほど真面目に聞いていない。本人は妹とひとまとめに子ども扱いされることを怒っていたけれど、桂の心配をきちんと受け止めることも理解することもできていないあたりがすでに、志緒がまだ子どもである証拠なのだと思う。
先生も恋人への心配である前に、教師として生徒への・年長者(大人)として子供への心配が出てしまってるからお互い様だとは思うが。
庭でビニールプールに入っている美夏の誘いをうけて、幼馴染みであるりかもプールに入る。志緒が大学生ということはりかも大学生だ。当然ながら水着を着ているし、関係が友人であれ恋人であれ、男とプールや海に遊びに行くことくらいあるだろう。けれど、海・プールに行って水着になることと、家の庭で水着姿でビニールプールで遊ぶことには大きな差があるように思う。その親しさは友人や恋人の親しさとは異なる、親戚や幼馴染みの親密さだ。たぶんりかは恋人が出来ても、かれの家の庭で(たとえ家人が旅行中でも)ビニールプールには入らないだろう。そういうりかと志緒の誰にも入れない関係は、これからもずっと続いていくんだろう。
盗撮の予感を覚えたりかは美夏を連れて部屋に入る。そのりかの直感を聞いた志緒は家を飛び出した。何の考えも、何の勝算もなく飛び出して犯人らしき男に声をかけ、追いかけたけれど逃げられてしまった。
志緒が家に帰るとりかの連絡を受けた桂がいて、無計画に飛び出したままなかなか戻ってこなかったかれを叱りつける。けれど志緒は反省しない。美夏とりかという、かれにとって非常に大切で、おそらく守るべきだと思っている数すくないふたりの女が一方的に犯罪の被害にあった。そのことについて、二人にも志緒にも非はない。だからこそそのまま放置できるかれではない。りかがどれほど心配していても、桂が胸を痛めていても、だ。こういうところが志緒が「子ども」なところで、それだけでなく志緒たる所以なのだろう。
なんというか相変わらず成長しない、変わらない、暴走特急のような志緒ちゃんである。しかも理屈としては正義で、本人がつよい意志を持ったうえで行動しているのでたちが悪い。けれど美夏が一時期行方不明になったことで、置いていかれるものの心情を知った。桂を見送るときに、どうしようもないことを心配してしまう気持ちを知った。ちょっとは大人になった、のかな。
一穂ミチ「オルタナボーイフレンド」
「街の灯ひとつ」の番外編。
片喰の誕生日について書かれた同人誌「愛情生活」で話題に出ていた、初鹿野の誕生日話。
一月末の片喰の誕生日プレゼントは、初鹿野からの「券」だった。初鹿野が出来る範囲のことなら何でもする、その代わりに片喰自身が内容を考えなくてはいけない券。何を希望するか考えた挙句、片喰はそれを「来年もこの券をもらえる券」にした。笑いながら初鹿野は、自分の誕生日にも券がほしい、と言った。数か月後も一緒に過ごせる約束をもらった片喰は、初鹿野が褒めてくれた小さな折り鶴を添えて券を贈ることを心に誓う。
そして初鹿野の誕生日。片喰はその誓いを実行した。瓶一杯に入った折り鶴と、希望が書きこめる「券」を差し出す。おそらく以前から、もしかしたら片喰の誕生日の時点から初鹿野は何を希望するか考えていたのだろう。迷わず「傍聴」と記入した。初鹿野の過去の恋愛について聞ける券。
初鹿野は基本的にはふつうの、一般的な、年齢相応の、社会人男性だと思うのだが、こういうところがちょっとおかしい。友人同士での初体験話とか、猥談とか、そういうのを恋人同士の間に持ってくるのは相手が男だからであり、もっと言えば「ふつう」から遠い生き方をしてきたことが推測される片喰だからだろう。他の男友達と比べて、片喰のそういう過去は全く想像がつかない分、興味を抱いてしまうのだろう。だからって実際に権利を行使してまで聞くあたりはふつうじゃない。
片喰が「実はちょっと変わってる」と評した初鹿野と、自他共に「頭がおかしい」と認める片喰。なんだかんだでお似合い。
一穂ミチ「you belong to me」
「is in you」「off you go」「ステノグラフィカ」の番外編。
付き合ったあと一番平穏で、末永く地味に幸せに生きていく絵が見えるのは西口と碧だ。碧がごはんを作って、西口が美味しそうに食べる。でも一方的に尽くされることに西口は焦りや罪悪感をおぼえるタイプなので、きっとバランスよく生きていくだろう。
田舎に「飛ばされ」たすみれは、その田舎で奮闘中。東京で起きた一件についての噂は高校生にまで広がっているけれど、嫌がらせをされるわけでも冷ややかな対応をされるわけでもない。口にしない人も皆知っているのだろうと分かった上で、普通に仕事を続ける彼女は「肝が据わっとる」のだろう。東京の男社会の中で、女だから優遇されたり女だから冷遇されたりしながら生きてきた彼女の強さがある。一度は折れてしまった強さだけれど、彼女は再び立ち上がる。男の中で男と同じ仕事をしようとして葛藤するすみれは、一歩間違えると面倒なキャラになっていたと思うのだけれど、本編動揺ちょうどいいところで踏みとどまっている。がんばれ、と素直に応援したくなる。
取材を兼ねて、圭輔は海での水泳レースに出ることになった。かつて水泳部に所属していた圭輔は、故障を理由に水泳の道を退いた過去がある。そのことを知っている一束は、圭輔が泳いでいる映像を見て泣きだしたこともある一束は色々と複雑な心境を抱くけれど、どれも言葉にならない。
圭輔が故障について語ったとき、自分がそれに共鳴できるような経験を持たない一束はただ黙って聞いている。こういうときに慰めや気休めを口にしないのが一束で、一部の人間にしてみれば気がきかないと思われるであろうかれの対応の真意を見抜けるのが圭輔だろう。
レースを終えたことで、圭輔は泳ぐことの楽しさを思い出した。故障した直後はもちろん、競技として泳いでいたときも知らなかった感覚だ。大人になったことで、当時は想像もつかなかったような変化や楽しさがある。それは、かつて自分の体にコンプレックスを抱えており、それによって素直にふるまえず恋を失った過去のある一束も同じ気持ちでいる。
「香港に来てよかった」と圭輔は言っていた。でもいつかは佐伯のように帰国ないしは他の国に異動するんだよねえ。その時一束はどうするのだろうか、とたまに考える。
表題作「you belong to me」は佐伯と良時と十和子のはなし。
久々に帰宅した佐伯に対する十和子の第一声が、出かけたときには家になかったレコードプレイヤーに気づいた佐伯の無言の反応に対する「父のよ」という説明だというあたりからして凄く好き。ただいま、おかえり、これは何、という会話が全部ない。言わなくても通じてしまうから。それは二人の親密さや付き合いの長さを象徴していると同時に、恋からあまりに遠いことを証明している。
十和子の父がコレクションしていたレコードの中に、カーペンターズのものがあった。年代的にも知名度的にも、十和子の父がカーペンターズを好んだことは何ら不自然ではない。けれどそこに、兄と妹・早逝した妹の構図を見出してしまうところで背筋がぞわっとした。体の弱い娘を持っていた父は、カーペンターズだけではなく、何かを見るたびに十和子と重ねていたのかもしれないと思わされる。親がつねに子供のことを思っているのは珍しくないが、十和子の健康状態という、かれ自身ではどうすることもできない懸念がつねに頭の中にある暮らしは、誰のせいでもないけれどさぞかし大変だっただろう。
カーペンターズを聞いていた父。使用したレコードは傷がつくから、保存用と二枚買っていた父。保存用は保存するためのものなので、そこに保たれている一番きれいな音は永遠に聞くことができない。それでも父は無傷の二枚目を求めた。そんな父が抱えていた思いに気づいてしまう聡明な十和子と、佐伯。これもまた「ままならねえ」ことだ。
十和子と佐伯の結婚は解消され、佐伯は良時のそばにいる。良時と夜を過ごしながら十和子の話をして、抱き合う準備をしながら「あいつが死んだら俺も死ぬ」と言う。もし良時が先に死んでも、佐伯は死なないだろう。佐伯が先に死んでも、良時も十和子も死なないだろう。十和子が死んだって良時は死なない。けれど佐伯は。佐伯のどうしようもなさと、それを知った上で呆れたり腹を立てたりしながらも一緒にいる良時のどうしようもなさ。最後の一文まで、美しくて残酷な話だった。「off you go」関連はどこか神がかっているというか、ぞくっとする。
それぞれの過去「オールディーズ(OLD DAYS)」もいい。西口と佐伯と菊池と良時。西口と菊池がこのあと恋に落ちていくようすがはっきり想像できてしまって、そのあとの別れを知っているのに微笑ましくなる。子供たちは可愛く、大人になりたての男たちは馬鹿で、やっぱりかわいい。***9/3追記最初に更新したときに「カーペンターズの『you belong to me』」と表記していたのですが、ご指摘頂いてカーペンターズの作品ではありませんでした。読み返したら「you belong to me」をしまって、代わりにカーペンターズのレコードを取り出したときちんと書いてあった…失礼しました。ご指摘ありがとうございました!
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