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森薫「乙嫁語り」5

森薫「乙嫁語り」5
結婚が決まったライラとレイリの準備もいよいよ大詰め。花嫁を美しく、家庭的なものにしようとする女性たち。お祝いを少しでも多く得ようとする男性たち。婚礼の手伝いに訪れる親族たち。かれらにとって婚礼は特別なものであると同時に身近なものなのだろう。年齢と性別によってきっちり分けられためいめいの仕事を、楽しみながら手際よくこなしてゆく。文化祭の準備みたいな、手作りの楽しさがみえる。
そこには単なる作業分担以上のものがある。動物を捌く、料理をする、といった作業の伝承が存在する。年長者はかつて自分が教わったように、年下の者に作業を教える。以前は見ているだけだった子供たちは、実践の機会を与えられて、少し照れながらも嬉しそうに笑っている。年長者たちは厳しいけれど優しく根気よく指導する。引き継がれてゆく人間の営みが美しい。
初めて挑戦した少年を含めた男たちが裁いた動物を、おそらく今回初めてやるであろう少女を含めた女たちが料理する。力のあるものは力仕事を、子供たちは簡単なことを、老いたものはその経験が活かせることを行う。共同体で生きてゆくということは、分担と伝承の一員となるということだ。
通りがかった老人は、声をかけられて婚礼の宴会に参加する。誰の婚礼かも知らないというかれの「めでたい」「おめでとう」の言葉と笑顔が、双子の結婚を更に祝福された幸せなものにする。この老人が関わってきた婚礼に、双子の婚礼を催す者たちもこんなふうに参加してきたのかもしれない。着飾って花嫁のもとに向かう花婿たちも、道すがら、知らない人々の祝福を受ける。めでたければいいのだ。いいなーこういう文化たのしそう!

おてんば双子は、着飾って座るだけの花嫁業に早速飽きている。お腹がすいた、どこかへ行きたいと我儘を言う花嫁に、呆れつつも付き合ってくれる花婿たち。ふたりが食べたいと言ったものを手に入れようと、物陰に隠れて画策する兄弟がかわいい。文句を言いつつも言うことを聞いてくれるサーミと、呆れつつも文句を言う弟を窘めるサーム。
かと思えば双子が口を挟む間も与えないほど、興奮して舟について語る兄弟。結婚祝いに父からもらった自分たちの舟に、かれらは熱狂している。子供のように喜ぶ二人は、けれど仕事への意欲を語る。
家族との別れもありつつ、踊りながら叫んだふたりの乙嫁の「皆で楽しく暮らすのよ!!」という言葉が現実になりそうな予感。

物語は再び(婆様を挟みつつも)アミルとカルルク。
本当にこの夫妻はいじらしくてかわいい…徐々に育ってゆく恋の中で、思わず動物に嫉妬してしまうカルルクの可愛らしさと、アミルの代わりに辛い行動に出るカルルクの強さの両方が描かれている。アミルのほうも、何かに真剣になる彼女の真摯さ、「生きる」ことに対する揺るがない理念、そしてすこしの弱さが描かれていて、背筋が伸びる。
治安の悪さがほのめかされているのでこの先もたのしみ。


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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 11:44 | - | - |

2012年非BL漫画個人的ランキング(と振り返っていろいろ)

10位
穂積「式の前日」 <感想
久々にすっごい人が出てきたなーと思っていたら、すぐに有名になった感じ。おもしろかったし、新しい才能をまのあたりにしてどきどきした。

9位
つっこみどころや不満もあるのだけれど、それを補ってあまりあるくらい美しくて残酷で、何をしたいのかが伝わる本でした。モー様は対談集も面白かった!
 
8位
1・2巻が面白すぎてさすがに少し失速したかな、という印象もあるのだけれど続きが楽しみ。

7位
1巻も十分面白かったけれど、2巻で更に盛りあがった。

6位
面白いったら面白い。ドラマも映画もさっぱり関心がないけれど、それをきっかけに更に多くの人に読んで欲しい作品。「きのう何食べた?」も相変わらずハイクオリティ。

5位
前半と後半のギャップがすごいというか、一気に話が展開するところにぞくぞくする。

4位
三冊も出たとかどうなってるの。冨樫信仰を新たにつよめた一年であった。

3位
完結してしまって淋しいけれど、面白くてわくわくする素晴らしい作品だった。

2位
思わず目をそむけたくなるような生々しさと苛立ち、みんな知ってるのに誰も語らなかった話をさらっと描いたエグい話。新境地だと思う。

1位
この面白さと下品さと頭のよさのバランス。腹がたつけど面白い。

***
あとは「姉の結婚」を苛々しながら読んだり、「ヴィンランド・サガ」に昂揚したり、「暗殺教室」にニヤリとしたり、「キスよりも早く」にときめいたり、「さよなら絶望先生」のラストに絶句したり、「マジオチくん」にむかついたり、「人間仮免中」に魂を抜かれたり、「バクマン。」にニヤニヤしたりしました。
BL漫画がある種の閉塞的な空気を纏い始めて数年経過した(し続けている)一方で、一般漫画は相変わらず希望が持てる世界だなあと実感している。でもBLがないと生きてゆけないのです。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 16:12 | - | - |

よしながふみ「きのう何食べた?」7

よしながふみ「きのう何食べた?」7

かつてシロさんは母親から、恋人を連れてくるように、と言われたことがある。息子がゲイだと知ると(息子への愛情と善意から)宗教にまで走った母親の最大限の歩み寄りに、史朗も思うところがあったのだろう。もちろん単に両親に合わせたのではなく、年老いて大きな病気などもした両親の歩み寄りによって、かれも柔軟になることができた。望まないかたちであっても一人息子のことを思っている両親に、せめて幸福であること、二人が大切に思っている自分が不幸ではないことを示したくなったのだ。
史朗父に向けたケンジの話が好き。学生時代にゲイであることを自覚した史朗もケンジも、結婚や恋愛が影響しづらい職種に就くことを決意した。殆どの人間が結婚して子供を持つ、そういう一般的なサラリーマンになれないと早いうちに知ったからこそ、そうではない自分が生きてゆける場所を探したのだ。そのことをケンジと史朗が話しあったことはないけれど、かれと長らく暮らしてきたケンジにはわかるのだ。
よしながふみの作品「月とサンダル」に、通称ジャイアンという男がいる。高校時代から非常に優秀な成績だったかれは東大を卒業し、大蔵省に入った。顔が良くて仕事ができるかれは、妹の友人である男と高校時代からずっと付き合っている。同棲も始め、恋人の手料理を持って職場に行くジャイアンは、ある日上司の女性に自分がゲイだと告げる。そして、こっそり皆に知れ渡るようにリークして欲しいと頼む。「職場が針のムシロになる」と考えていたかれは、「さしたる理由もないのにずっと独身でいれば」どうせいつか噂されるようになると腹をくくったのだ。ゲイとして社会の中で/会社の中で生きることをさらっと描くのは昔からだなあ、と改めて思った。
こういう少しヘヴィーな話題の中に、ジルベールとケンジの張り合いを入れたり、お父さんの見当違いの思いこみを入れたりして話を緩和する。恋人の親と会うという、ある種の恋人たちの通過儀礼を経験できたことが嬉しくて泣きだすケンジと、それを罵倒する通りすがりの男たち。何もかもが幸せなわけではないと、飽くまでもマイノリティなのだと(寧ろまだ一般認識はこの程度なのだ・差別意識がはびこっているのだと)最後に窘めてくる読後感。すごいバランスで話が進む。

ケンジが自分の行きたいカフェに史朗を連れて行ったあと、家に帰って「今日はご…ありがとうね」と言うところも好き。行きたくないところに連れて行ってごめん、じゃなくて、行きたくないところに付き合ってくれてありがとう。その方がよっぽどいい。

お料理友達富永さんちにも変化あり。娘の身に起こったことはそれほど珍しいことでもないし、今のご時世人に話すのがそれほどはばかられるものでもない。それと同じようにさらっと、富永妻は夫妻の過去をうちあける。それはあとで妻が言うように時間が経過したからかもしれないし、史朗が自分がゲイであることや父の病のことなどをあっさりと打ち明けてくれていたからというのもあるだろう。「どこん家もみんな何かしらある」という筧の考えが真理だなあ。父親がろくでなしだったケンジの家、母親が宗教にハマった史朗の家、客と浮気するケンジの美容院の店長、息子の嫁とうまく言っていない弁護士事務所の所長。
でもまあ毎日のご飯は美味しいし。それだけで何とかなる。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 00:33 | - | - |

冨樫義博「HUNTER×HUNTER」31

 冨樫義博「HUNTER×HUNTER」31

ゾルディック家の子供たちの名前には法則がある。上から順番にイルミ、ミルキ、キルア…と見て行けば分かるとおり、三文字・真ん中の文字が「ル」・しりとり。旅団に入った和装のおかっぱがカルトなので、キルアとその子の間に、アルカという名前の人物が存在することは推測できる。かつて出ていたゾルディック家の子供たちの写真に顔の出ていない知らないシルエットの子がいたので、それがアルカであろうことも推測可能だ。
そしてそのアルカが登場する。

蟻たちとの戦いのために重体となったゴンを助けたい一心で、キルアはアルカに会う。厳密に言えば、アルカと会いたいと父に申し出る。アルカは通常では会えない状況にいるからだ。アルカはある理由から軟禁状態にある。
アルカのキャラクター設定というか特性については、いまいち理解しきれていないと思う。冨樫信者だという自覚はあるけれど、それを差し引いてもこの発想はおそるべし、と言うほかない。
アルカのおねだりを三つ聞いてあげると、目が真っ黒になる。そしてこちらのお願いを一つ聞いてくれ、元のアルカに戻る。アルカが叶えてくれる願いには限度がないが、その分次から始まるおねだりの規模が大きくなる。更におねだりを四回連続で断ると、断った者とある者が死んでしまう。その「ある者」の規則性はまだはっきり確定していない。
戦闘能力はほぼ皆無だが、ゾルディック家の人間に得体が知れないと思わせるだけの子供であるアルカ。キルアに懐いている子供のアルカと、そうではない「ナニカ」がアルカの中に存在するとキルアは考えている。アルカを可愛がっているキルアがアルカに対して楽観的なのか、それとも正しい理解なのかは分からない。キルアだけが知っているアルカの秘密は沢山あるが、それがかえってキルアの足を引っ張るかもしれない。
そしてキルアを愛するがゆえにキルアの行動を阻止するのはやっぱりイルミである。おねだりとお願いの法則に則って、ゴンの症状を治すようにキルアがアルカに頼んだ場合、そのあとのアルカからのおねだりの規模が大きくなりすぎるだろうとイルミは考える。それを引き受ければキルアはおろか、キルアの大切な存在であるゴンや、キルアと長い時間を共にしたイルミも巻き込まれて死んでしまう可能性がある。キルアが命がけでゴンを助けることは、ゴンを殺すことになる。ゴンをいつか自分の手で痛めつけたいと願うヒソカの狙いを知っているイルミは、キルアの計画を阻止する手助けを要請する。

「坊っちゃん」と呼ばれるアルカを、キルアは「女の子」だと言う。そんなことも含めて謎だらけのアルカを中心にした攻防、ネテロの後釜を決める選挙。レオリオが連絡をしようとしていることから、意識の戻らないゴンを中心にしてゴン・レオリオ・クラピカ・キルアというハンター試験のパーティが久々に戻ってくるのかな。そこにジンは顔を出すのか、否か。どちらにせよ、もう少し読まないことには先が見えてこない。頭がよくて性格が悪くて腹立つくらい面白い漫画である。くそう。

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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 09:46 | - | - |

西原理恵子「できるかなゴーゴー!」

西原理恵子「できるかなゴーゴー!」

「できるかな」も5冊目。相変わらず体張ったり人生を切り売りしたりしているものの、さすがに昔のような無茶苦茶さはない。ただ破天荒さが薄まった分、表現力とかテンドンの面白さは強まっているので、やっぱり面白い一冊だった。

バンド編では、ギター&ボーカルに挑戦。それはとにかく弾けない・駄目なまま終わるのでそれほどの広がりはないんだけれど、皆で作詞して秋元康に評価してもらうというのは面白かった。西原さんの似顔絵の似ていなさはいつものことだし(しまこちゃんは似てると思うけど)、再現性よりも描きやすさ・分かりやすさ・面白さを追求した結果なんだろうけれど、やすすの似顔絵には噴きだした。ひどい!似てない!でも超分かる!
やすすは本人がコメントしているように、いじられても構わない人で、西原理恵子の作家性を理解しているので、いじりやすい反面いじりがいのない人である。「4000曲作って三割残ってる」と自分で言ってしまうので、突っ込みがいのない人である。ただ三人の作った歌詞とか、それに対する的確な評価は巧くて面白かった。

芸術編は山口晃が登場。山口さんは最近色々なところで作品やお名前を見るのだけれど、自分の好みの作風ではないのであまり気にしていなかった。更にわたしにそもそも素地がなさすぎて、誰の絵が上手いとか上手くないとか分からないのだけれど、サイバラは山口晃の引く線を「神様の領分」だと言う。クラスで一番絵がうまくて、美大のための予備校で挫折して、美大で落ちこぼれだったサイバラは、「何万回引いても永遠に引けない線」を山口晃が引いていると語る。
ただせんとくんとかガンダムとかをさらさら書いてもらうと、さすがに格が違うことは分かる。素地のない人間、学問としての芸術になじみの薄い人間にもその上手さを伝える手段としては最良だ。こういう情報をさらっと組み込むところがサイバラの巧さだと思う。才能を褒めながら、家の小ささなどでいじって落とす。愛情のあるけなしが気持ちいい。
山口さんが井上雄彦の絵を「上手くなる前に変なクセがついた」と冷静に評価していたところに感心というか、感嘆。面白いなー。
あと山口さんからのリベンジ漫画が面白かった。本人が自画像の500倍くらい格好良いけどね!

魚肉ソーセージの話は本人が「ゆるくてやさしい」を目指したと言っていた通り、ゆるい内容。イタリア編もそんな感じで、別段何ということのない旅行記だった。このあたりは微妙かな。

最近交際宣言した高須のかっちゃんと行ったエベレストネタは面白かった。サイバラが買った山ガールの洋服にキレたかっちゃんが、その服で山に登ってみろとヘリをチャーターしてエベレストまで行く、というばかばかしい企画。取材で色々なところに行ってきたサイバラだけど、かっちゃんが使うお金は、出版社が割いてくれる取材費用の比じゃないだろうから面白い。ブラックカードを複数枚持ってるタニマチフーリガン彼氏のおかげで再び破天荒ネタが沢山出てくるといいな。
ネパールのサドゥーやマニ車の話も興味深い。作中で出てくる色とりどりの旗の事を少し前に知ったこともあって、とても面白かった。やっぱりサイバラはこういう国に行くのが、ネタ的にも抒情的な表現的にも向いていると思う。

ガーナに棺桶を作りに行く企画も心底ばかばかしくて好き。ガーナのイタコに鴨ちゃんを呼び戻してもらったり、カメラ型のお棺を見て鴨ちゃんを思い出したり。祈りの途中で鳴った携帯電話に出ちゃうような司祭に祝福されて、酒と引き換えに死者を呼ぶイタコに会わせてもらって、けれどサイバラはそれを否定しない。あらゆるものに噛みついて否定して疑ってかかりながら、それが金儲けのための嘘だとは言わない。信じているのか、礼儀なのか、信じたいのか。優しい人だと思う。
出来上がった棺桶の残念さもまたよし。

後半に収録されているたぬきランドは毒まみれで好きだなあ。淑子の「あそこの家はしつけがなっておらんねえ 英国王室」に笑いすぎてお腹痛い。





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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 11:23 | - | - |

週刊少年ジャンプ2013年1号・2号

WJを買ったのは「DEATH NOTE」連載終了後の読み切り掲載の時以来なので4年ぶり。来年1月に公開される映画「劇場版HUNTER×HUNTER 緋色の幻影」で、入場者特典として先着配布される「HUNTER×HUNTER」0巻に収録されるクラピカの物語が掲載されている。アニメはまったく見ていないし、正直冨樫義博本人がつくったわけではない物語を0巻のために見に行く気にはなれないし、いずれ何かに掲載されるのかもしれないけどとりあえずWJ買ってお茶を濁そう、という心づもりです。我ながら愛情の度合いが中途半端。

「HUNTER×HUNTER」開始初期はどうしてもクラピカのことが気になった。名前も顔立ちも立ち居振る舞いも含めて、かれが最も「蔵馬っぽい」からだ。まだ幼さの残る見た目とアンバランスな口のききかた、かれが打ち明けた「緋の目」と「幻影旅団」にまつわる残酷で後味が悪くてどきどきするエピソード。今後描かれるであろう過去と、旅団との戦いを楽しみに、物語を読んでいた。
クラピカの物語はその後長い間描かれなかった。ゴンが主人公なので、かれと行動を共にしていない人間についての描写が少なくなるのは当然なのだが、面白い物語に興奮しながらどこかでクラピカの話を待っていた。その後ヨークシンのオークションの物語でクラピカはゴンやキルアと再び接触し、一時期行動をともにする。旅団と対峙したクラピカは、痛手を負わせることに成功するも、殲滅はかなわなかった。
あまり後味のいい話ではなかった。「HUNTER×HUNTER」にそもそも後味のいいエピソードがどれほどあったのか、というところではあるが。当初からほのめかされていた復讐劇がすっきりしないのは、旅団の殲滅に至っていないこと・クラピカが必死に封印したクロロの能力すら戻ってしまったこと・団員の間に人間的な絆や思いやりがあるのをクラピカが知ってしまったこと・団員のキャラが魅力的であったこと、などいくらでも理由があげられる。けれど何よりも、旅団を終わらせたところで何も戻ってこない、という大前提があるからだろう。
そういうことも相俟って、クラピカの話はまだ本当の意味で描かれていないと思うし、何を描いてもどうすることもできないとも思う。とはいえ過去の話、と言われれば喰いつくしかない。一本オリジナル映画が出来るくらい、魅力的なエピソードなんだもの。

***
「HUNTER×HUNTER クラピカ追憶編」前後編
クルタ族の少年クラピカが、頑固な長老に生意気な口をきいているところから物語は始まる。「論理的整合性」なんて子供らしくない単語も出てくるけれど、基本的には普通の子供だ。クラピカの主張も非常に子供らしい。差別や偏見に満ちていて危険だと言われる「森の外」に出たい、というものだ。大人になれば外へ出る試験を受ける許可が出るらしいのだが、血気盛んな少年はそれを待てない。
他の子供たちはクラピカの主張をあまり理解していないし、かれの気性や性格をよく知る親友のパイロも、ただ見守るだけだ。けれどかれはクラピカが外に固執する理由を知っている。一年前、怪我をしてクルタ族の森に迷い込んだ女性・シーラが、ふたりに外のことを沢山教えてくれたのだ。彼女の話と置き土産の本がクラピカに外の世界へ飛び出す夢を与え、現実のものとするための勇気や諦めない粘り強さを与えた。
このあたりのクラピカは、物語当初のゴンに似たものを感じる。明るくて前向きでやんちゃな少年。並はずれた好奇心や諦めない心を見た周囲は、呆れつつも憎めないでいる。知らない世界・冒険に胸を焦がす屈託のない少年の様子からは、今のクラピカの持つとっつきにくさや心を閉ざした様子は感じられない。
普段冷めているように見せて実は非常に沸点が低く、キレやすいクラピカなので、そのあたりはこのころから一緒だな。感情が非常に豊か。

とうとうクラピカは外出試験を受ける許可を得、実際にそれをクリアしていく。かれに与えられた最後の試験は、人前で緋の目を晒すことのないように自己抑制ができるかというものだった。連絡係兼連帯責任となるパートナーにパイロを選んだクラピカは、かれとふたり、試験を兼ねた買い物のために「外」に出ることとなる。足と目が不自由なパイロを選ぶことに長老は驚くが、クラピカの決意は固い。
そもそもクラピカが外の世界に固執するのは、パイロの存在があるからだ。自分を庇って眼と足を怪我したパイロに、外の世界の立派な治療を受けさせたいとクラピカは願っている。
このあたりはレオリオのエピソードとかぶる。金がなくて治療が受けられず死んだ友人を思い、医師になることを志したレオリオ。閉鎖された森で暮らすために最新の治療が受けられず、次第に悪化していく友人を思って外に出ようとするクラピカ。

外の世界に出て、頼まれた買い物のために町についたふたりはデパートで厄介な三人組の連中に因縁をつけて絡まれる。激昂しようとするクラピカを抑え、パイロがその場をとりなして事なきを得るも、帰り道再びその連中に出くわしてしまう。というよりも、大勢の前で恥をかかされた連中が二人を待ち伏せていたのだ。
パイロの温厚かつ冷静な判断と、居合わせた町の人々によって再び何事もなく終わりそうになるが、連中の一人が呟いた言葉がいけなかった。足が悪いパイロを「ポンコツ」だと言ったのだ。その瞬間クラピカは我を忘れて激怒する。眼が緋色に代わり、男たちを容赦なく攻撃する。謝罪も聞き入れず、ただ殺意を持って行動する。慌てた男たちは、長老に頼まれていたのだと明かす。
クラピカを怒らせるためにわざわざ人を雇っていたのは、かれの自己抑制能力のテストであると同時に、かれが失敗する可能性を上げて外の世界へ行かせたくなかったのだろう。あとは多分見張りも兼ねていたんじゃないかな。何か予想外の危険な目に巻き込まれそうになったときは、強面の三人が助けるなり連絡するなりしてくれる、という目論見があったように思う。
あと男のひとりが言っていたように、最初はクラピカのパートナーに大人がつく予定だった模様。予め話がわかっている大人を三人が罵り、クラピカが怒るかどうかの試験をするつもりだったようだ。それもクラピカの安全保護の意味合いがあるんだろう。

緋の眼になって男たちに暴力をふるうクラピカに、町の人々は態度を変える。さっきまで優しくしてくれていた大人たちが、恐怖に満ちた目でこちらを見つめ、化物だと罵ってくる。
落ち込んだクラピカだが、パイロの機転に助けられ、自己抑制試験をクリアする。
クラピカの腹づもりが分かっていた長老の配慮、行動的な母親と穏やかだが理解のある父親の見送り、パイロの友情を背にクラピカは、森を出る。

そしてクラピカが発ったあと、クルタ族は虐殺される。最後のページの描写がさすがというほかない。ただ衝撃だったのは、十年以上前から明らかだった幻影旅団によるクルタ族の陰惨な最期ではなく、そこに残されたという「我々は何ものも拒まない だから我々から何も奪うな」のメッセージだ。流星街の人間が使うメッセージ。旅団のメンバーに流星街出身者がいるのでそこはおかしくないのだが、この言い方だとクルタ族が先に何かを奪ったということになる。
旅団には快楽殺人者が複数存在するし、珍しい緋の目のこともあるし、何の罪もないクルタ族が一方的に消されたのだと思っていた。けれど、どうやらそんな単純な物語ではないように思う。となると一番怪しいのは、プロハンターを目指していたシーラかな。怪我をしてクルタ族の森に迷い込んだ彼女は、怪我が治ってくると何度も転んで、滞在期間を延ばしていたという。そこまでしていたかと思えば、ハンターについて書かれたD・ハンターの本と一枚の書きおきをのこして、ふらっといなくなった。更にクラピカとパイロ二人だけの秘密の場所に隠しておいたD・ハンターの本は、ほどなく長老に没収されてしまった。あやしい。ただ、そのあやしいところに何も潜んでおらず、想像もつかないところに答えが設置されていることもあるので、はたしてどうなのか。そもそも答えが出る日はくるのか。期待せずに、でもやっぱり待とうと思う。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 08:05 | - | - |

ヤマシタトモコ「BUTTER!!!」5

ヤマシタトモコ「BUTTER!!!」5

高岡に提案された大会に出ることを、二宮は決めた。けれど彼女の気持ちは変わらない。勉強しなくて成績が悪い状況を特に気にせずやりすごしているように、彼女の中には「ダメかもしれないことに尽くす」のが「不毛」だという考えが根付いている。これまで固辞してきた大会に出ることを渋々決めたところで、その考えは変わらない。
けれどこれまでのようにそれに合わせる高岡ではない。何かと「明日」に回そうとする二宮の提案を、かれは理詰めで否定して譲らない。二宮は変わらないけれど、高岡は変わった。

それによってぎこちなくなる先輩たちの空気に、一年生達も引きずられる。しかし二人きりではないことがいいのか、単純に友人関係であるから言いたいことが言えるのがいいのか、かれらの仲はこじれない。寧ろそれぞれの立場からの意見を出し合って、今後のことを考えるようになる。まだなんとなく、勧誘されて入った新人、の意識があるかれらだけれど、いつまでもそう言ってはいられない。
覚えが早い人間とそうではない人間、色々なことが出来る人間、仕切るのが上手い人間、アイディアはあるけれどまとめることが不得意な人間、色んな子がいるからこそ揉めるけれど、だからこそ一人では思いつかない新しい解決策が見つかる。

二宮の鬱屈した気持ちはどんどん追い詰められる。くすぶっている彼女は不満げな顔をして、何かと消極的な発言をする。大会に出ることを撤回はしないものの、やりたくないという態度が全面に出ている。
帰ろうとする二宮を引き止めて、夏は「先輩たちが勝つとこ見たいです」と言った。単純でまっすぐで計算のできない彼女特有の、思いついたまま取った行動だ。けれどそれは結果的に、他の一年メンバーの中にあった気持ちの代弁でもあった。
しかしそれは二宮の感情を逆撫でする。勝ち負けを考えること、競うこと、結果が見えないものに対して挑むことは、彼女がもっとも避けてきたことだ。彼女にとって「負け」はイコール「損」なのだ。努力した結果負けたら損をする。だから努力せず、戦いを放棄する。それが二宮のスタンスだった。そのことを一番理解して、なんとか改善させたいというのが高岡の願いだったはずだ。
二宮はわがままだ。損をしたくない、だから負けるかもしれない戦い(殆どの戦いは負けるかもしれない戦いである)に出たくない、そのために頑張りたくない。でも高岡が頼んだ大会参加を撤回はしない。どころか、高岡が強引に押し切るのではなくて最終的に二宮の判断に委ねることを「ずるい」「優しくない」と言う。
高岡の本気が二宮にはわかる。これまで全てにおいて自分を優先してくれた高岡の最初の願いをかなえてやりたいと思ってもいるだろう。そしてたぶん、ずっと自分がこのままではいけないという気持ちも、皆無ではないはずだ。
けれどこれまで長い間無気力というスタンスを保ち続けてきた二宮には、いきなり始まった新しい在り方に対応できない。二宮にとって一番つらいことは、同じレッスンを繰り返すことや、苦手なところを重点的にやり直すことではなく、それらの努力を「自分が選んだ」という現状だろう。目の前に突きつけられた決死の二者択一だったとはいえ、大会に出ることを決めたのは二宮なのだ。それが彼女の負担になっている。
クラスメイトに「(高岡に)告白されたら付き合うしょ?」と聞かれた二宮は、戸惑いつつも、「されたら…そりゃ…」と返事した。彼女の基本的なスタンスはここに帰結するのだろう。無理やり出さされた試合ではなく、自分で決めて出る試合。それは二宮にとっては大きなプレッシャーになっている。

しかしとうとう二宮は覚悟を決める。まだ遠慮のある高岡や後輩たちと違い、異性である宇塚とも違い、宇塚のダンスパートナーである理佐は二宮に躊躇いなくダメだしをする。彼女の傲慢さ、卑怯さを言い当てる。痛いところをつかれた二宮が逃げ出さなかったのは、それが真実であることと、何より彼女自身がどこかで変わりたいと思っていたからだろう。彼女が苛立っているのは、彼女に「損」するかもしれないことを持ちかける連中ではなく、それを「損」だと思ってしまう自分なのだ。
二宮のその考えには、独善的な彼女の父親の影響が大きい。何をしても決して二宮を褒めず、自分の思うがままに扱おうとする父の重圧を受け続けてきた彼女は、努力しないことで褒められない哀しみを感じないようにした。頑張らなかった、挑まなかった、だから結果は出ない。褒められないけれど、期待していないから悲しくない。自分がやったことを褒めないなら、父親が褒めるようなことも一切やらない。それが彼女の自己防衛だった。
けれど高岡の存在によって二宮は一歩を踏み出す。損すするかもしれない挑戦も、決して一人でやるわけではない、と知ったからだ。高岡が一緒にいてくれる。だから彼女は自分がやりたいと思ったダンスを「マジでやる」と決めた。

とはいえすぐに何もかもが楽しくなるわけではない。けれどぶすっとした顔で、それでも自分が不得意なところを繰り返し練習する彼女はふっきれたのだ。
そして二宮は知る。一生懸命やると、緊張すること。怖い、と感じて手が震えてしまうこと。それでも全部が楽しいこと。
宇塚がかつて二宮について語った「納得してないのに反抗しないなんて 何やっても楽しいわけない」がここで利いてくる。父親に反抗して、死に物狂いでダンスの練習をして、楽しいことを彼女は知ったのだ。
正直高岡でなければここに至るまでに投げ出してしまいそうな二宮の面倒くささ、わがままさだ。それをかれがゆっくり、けれど確実に変えた。彼女がこのままではいけないという、周囲の大人が持っていた意見もあるのだろうけれど、やっぱり恋の力じゃないのかな。頑なな二宮のコンプレックスも、踊って廻って、バターのように溶けた。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 20:06 | - | - |

清水玲子「秘密-トップ・シークレット-」12

清水玲子「秘密-トップ・シークレット-」12
追い詰められていた薪のもとに青木が現れる。子供のような顔をする薪を抱きしめて、青木は「あなたが好きです」と繰り返す。「自分を赦してあげてください」と。その単純な抱擁と言葉が、薪を現実に連れ戻す。
姉夫妻を失った青木にとって、薪は唯一の光・希望だった。狂ってしまった青木の世界の中で、薪と薪が指揮する「第九」の存在が、かれに正気を保たせていた。そして今、薪にとって青木がその存在になっている。青木の言葉、青木から向けられる純粋な好意が、薪をとどめている。

青木の姉夫妻惨殺事件、何度となく描かれたチメンザールの反政府軍リーダーの報道、「カニバリズム事件」、かつて小学校で少年が亡くなったときに話題に出た根室沖大地震、度重なる薪への脅し、滝沢幹生、石丸大臣の死の真相、薪が一人で見せられたレベル5の「秘密」。それらがようやく繋がった。無関係に見えた事件も、たしかに関係していたのだ。
絡まっていた糸が解けて、真相が明らかになっていく。岡部の解説というかたちで非常に分かりやすく順を追って語られるので、多少拍子抜けというか、想像以上に親切だった。黒幕でもっと引っ張るかと思ったらそうでもなかったし。こいつだったのか!みたいな展開になるのかと思ったら、さくっと説明されていた。
ただそこに含まれるドラマは非常に秀逸。

「第九」について世論の評価が高まる一方で、滝沢の脳を破壊した薪への処分が必要だと警察局長は考える。薪が大事な手がかりを壊しただけでなく、これまで自分が心血を注いできた第九の仕事を否定したことにかれは憤りを感じている。滝沢にも情をかけてしまった薪を「甘い」と局長は評価する。
薪のあのきれすぎるほどにきれる頭と辛辣な口調、人の裏をかく策略からは想像できないけれど、かれは確かに「甘い」のだ。優しさ、弱さとも言い換えられる薪の甘さは、捜査の上では命取りになる。けれどその薪の「甘い」部分があったからこそ、情を重んじるところがあったからこそ、今の第九があるのだ、と岡部は確信している。

ひと段落ついたあと、雪子と青木はお茶をしている。薪が好きだったと素直に打ち明ける雪子と、鈴木という大きすぎる存在に焦って早々にプロポーズをしたのだと打ち明ける青木。付き合っている当時はいえなかったことをさらっと語れるのは、かれらが恋人同士じゃないからだ。けれど、これから恋人同士になること、はできる。「最初からやり直そう」と雪子は微笑む。

薪の辞表届は受理されず、かれはNYに異動となった。空港まで車で送る青木に、薪は「結婚して家族を持て」と言った。結婚できない仕事であるのはおかしい、「終わりにしなくては」と。
まだ若い青木が結婚して子供を持てば、他のメンバーの刺激にもなる。そういう意味でも、薪にとって青木は希望なんだろう。鈴木が果たせなかったことを、青木に果たしてほしいと、そして他の第九のメンバーに果たして欲しいと願っている。
薪が最後に言った言葉は、青木には聞こえなかった。薪がNYに持っていく「秘密」だ。

薪は第九を家族のようなところだった、と後に語る。だからこそ離れても皆の様子が気になるのだろう。家族が距離や時間にその絆を左右されないように、第九が全国展開したあとも、かれらは繋がっている。
九州に異動になった青木のデスクには、最低でも三枚の写真が飾られている。「第九」の面々の写真、薪にも送った舞と自分と猫の写真、そして、黒田洋と旧姓三好雪子の(おそらく)結婚写真。最初からやり直した二人は、結局違う道を選んだようだ。
最終ページにおそらく黒田洋と思われる相手と雪子の結婚式姿、そこに参加している薪と青木のイラストがある。この推定黒田洋が、11巻冒頭で薪に倒されていた警備員に似ているんだけれど、メインキャラ以外の顔が結構雑な清水さんなので何とも言えない。
どういう過程を経て二人が別れ、雪子が黒田と結婚したのかは分からない。けれど、一時期は婚約までしていた女性の結婚写真を飾っていて嫌味な感じがしないのは青木ならではだなあ。素直に幸せを祈っているんだろうな、と思わせてくれる。
薪さんにチャンスが!とも思わせてくれ…なくはない。

「秘密」はわたしが読んでいる作品の中で一二を争う傑作だ。そして、一二を争うくらい落ち込む作品でもある。気軽に読めない。読んだあとは数日引きずって落ち込む、それでも続きを熱望してしまう作品だった。面白かったー!
スピンオフもたのしみ。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 21:18 | - | - |

清水玲子「秘密-トップ・シークレット-」11

清水玲子「秘密-トップ・シークレット-」11

警備員を倒して傷を負わせ、持ち出し不可のデータを複数持ち出して、薪が姿を消した。防犯カメラには、ご丁寧にカメラ目線の薪が映っており、指紋もべたべたと残されている。疑いようのない行動に、本部内手配ならびに拳銃使用許可が出る。部下の家族が殺されたことで、以前からの脅迫に屈したのだろう、と警察内部は推察する。つまり青木の姉夫妻が殺されたことで、薪は警察を、「第九」を裏切ったのだ、と。
動揺する第九の面々の中に滝沢がいないことに気づいた青木は、薪を探しに行く。かつて鈴木と雪子と三人で出かけて写真を撮った場所。薪がいるのは全国展開する第九の施設が建設される予定地にちがいない、と青木は考える。

青木の予想は正解だった。青木がたまに見せる鋭さや、薪のことを思うあまりのひらめきだった。けれどその反面、ある程度薪のことを知っていれば想像できる場所を薪が選んだ、ともとれる。薪が本気になれば、青木に永遠に見つからないように逃げることは可能だろうから。
実際、薪の失踪は本気ではなかった。それは、常日頃からかれを脅し、ついには青木の家族を奪った相手をあぶりだすための囮捜査だったのだ。相手は即日拳銃使用許可を出し、SATまで投入してデータごと薪を消し去ろうとしている。つまり黒幕は、警察内部、それもかなり高位にいる。

薪と顔をあわせた滝沢は、レベル5のデータならびにそのデータを見た鈴木の脳のデータを要求してくる。薪がデータチップを差し出すと、かれは既に完成された施設の中でそれが本物であるか確認を始める。コピーでもとられていては意味がない。
それは薪の敗北に見えた。どれほどの脅しにも屈せず、己の正義に従って「第九」での仕事を続けてきた薪。弱点となる家族を敢えて作らず、仕事に全てを捧げてきた薪が、暴力の前で正義を曲げた。
しかしそれは誤解だった。滝沢が確認のために再生したレベル5のデータは。薪の指示した細工のせいで、機密情報匿名告発サイトに動画として上げられた。薪が命がけで守ってきた「秘密」、黒幕たちが手を血で染めながら奪おうとしてきた「秘密」は、世界中の誰もが見られるかたちになった。

滝沢は絶望する。もはや薪を殺しても何の意味もない。レベル5のデータを見た薪の脳を壊しても、取り返しがつかない。そしてかれは、青木の姉夫妻を殺したスキンヘッドの男の銃弾を受ける。
滝沢の最期は興味深かった。かつて薪が鈴木を撃った日、不要だという薪に拳銃を渡したのは滝沢だった。その銃にそもそも細工をしていた、薪が鈴木の足を打てば上半身に弾が行くような仕掛けをいれておいた、と滝沢は自白する。鈴木の命を奪った弾を撃ったのは薪に変わりないが、薪もまた滝沢に嵌められた被害者だったのだ。
薪自身も後で語るように、それが真実なのかは今となっては分からない。どちらにせよ鈴木はかえらないし、薪は一生鈴木殺しの責を背負って生きてゆくだろう。けれど滝沢の言葉によって、ほんの僅かな救いを与えられたのかもしれない。
実際滝沢は薪を殺すことができた。たとえかれの狙いが外れても、騙しうちにあった怒りや悔しさから薪を痛めつけることは、かれの体格と所持している銃があれば簡単なことだった。むしろもはや何の駆け引きも必要ない分、薪を思うがままに傷つけられると言える。けれど滝沢はそうしなかった。できなかったのだろう。貝沼が歪んだ愛情を薪に向けたように、滝沢も薪に、何ともいえない情を持っていたはずだ。

「第九から殉死者は出さない」という薪の願いは股叶わなかった。さらに、胸のあたりを撃たれた滝沢の最期願いを受け、薪はかれの頭を撃ち抜く。第九の責任者が、これまでに多くの犯罪に加担してきた男の脳を、故意に破壊した。
薪が破壊したのは、既に絶命した男の脳、というだけではない。沢山の犯罪に関与し、そのすべてが明らかになったわけではない男の脳だ。謎の多い事件の解決への手掛かりを、証拠を、かれは破壊したのだ。警察の人間として、何より色々なバッシングにあいながらも続けてきた「第九」の人間として、かれはやってはいけないことをした。滝沢への情と、混乱がかれを追い詰めた。
かねてから精神状態が非常に危うかった薪だが、もはや限界寸前まで追い詰められている。そこに現れるのは、勿論青木だ。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 20:51 | - | - |

えすとえむ「Golondrina-ゴロンドリーナ-」2

えすとえむ「Golondrina-ゴロンドリーナ-」2

いきなり家を訪れて「闘牛を教えてくれ」と言い出した見習い闘牛士・ヴィセンテの申し出を、アントニオは受けた。有名な闘牛士の息子であり、既に人気者のかれは、偉大な父を越えるために父以外の人間の意見を取り入れたいと考えたのだ。その気持ちを知ってか知らずか、アントニオはかれのフォームを見て色々とアドバイスする。
チカにはそれが面白くない。自分にはろくに教えてくれないアントニオが、よそものの願いをすぐに叶えてやることが彼女を苛立たせる。
チカは経験どころか知識もろくにない素人で、ヴィセンテは見習いとはいえ場数を踏んでいるのだから、そもそも同じ土俵に立って比較すること事態がおかしい。けれどチカは怒りを露にする。
チカの衝動はいつだって、たったひとつの事柄に起因している。「私を見て」だ。
出て行ったまま戻らない母、気分にむらがあってたびたび暴力をふるう父、優しかったけれどある事故の後手のひらを返すような態度をとり続けた義母。そしてマリア。決して満たされないチカの欲求が、アントニオの態度に過剰に反応する。

闘牛場で死ぬために闘牛士になるというチカに、ヴィセンテは静かに怒る。そこはかれらが「生きる場所」であり、不純な考えてその場に立つチカの血で汚されていい場所ではない、というのがかれの考えだ。
そういわれて黙ってしまうのが、自殺しきれずに死に場所を探している、いわば死ぬまでの期間を自主的に延長し続けているチカの限界だな。本当に死にたいのなら、本当にマリアにあてつけてやりたいのなら、いくらでも他に方法はあるのだ。それを選ばないのは、降ってわいたアイディアに酔いしれているのもあるだろうが、今すぐ死ぬだけの思い切りがないのだろう。
そのことを多分みんな分かっている。わかっているから、物騒なことを言うチカを止めない。叱りつけたあと、自分の闘牛のチケットを渡す。自分のことで頭がいっぱいの彼女の視野を広げてやろうとしている。彼女はまだどうしようもないほど子供なのだ。

表紙のあらすじでは「恋人」と紹介されているマリアだが、チカが一方的に好きなだけで友人にしか見えない、と1巻の感想で書いた。2巻を読むと、ふたりが単なる友人ではなかったことが明らかになる。
牛と相対するかたちで描かれる、チカの深淵に入り込んでいくモノローグが好き。彼女が「チカ」と名乗ったとき、わたしは何の違和感も感じなかった。日本ではよくある女性の名前だし、遠くはなれたスペインでも偶然女性の名前として使われているのか、彼女が日系人か何かなのか分からないけれど、とくに疑問を抱かなかった。けれど「チカ」は彼女の名前ではなかった。「女の子」を意味するその名前は通称でしかなく、本当の名前はマリアと言う。そう、マリアだ。チカを捨てて男と恋をした少女と同じ名前。そして、父親の再婚で義理の姉になった少女とも、同じ名前。
それぞれ少女の連れ子がいる男女の再婚は、偶然にも同じ名前の姉妹を作ることになった。義母になる女性が最初に会ったときに「あなたもマリアなのね」と言っていたので、もしかしたらそんな話題から二人は距離を縮めたのかもしれない。年下だからという理由でチカは「マリア・チカ(小さいマリア)」、そして「チカ」と呼ばれるようになった。姉のマリアが病弱であること、妻となる女性への気遣いから父が機転を利かせたのであろう。
このときから、マリアはチカ、すなわち「女の子」と呼ばれる漠然としたものになった。他意はなかっただろうが、マリアは消されてしまった。
そして消されたマリアの代わりにその家で「マリア」と呼ばれる娘になった少女も、数年ののちにいなくなってしまった。家にいた二人のマリアが、両方ともいなくなったのだ。

家を出てクラブに出入りするようになったチカは、そこでもチカと名乗り続けた。もうマリアはいないのに、彼女はマリアに戻らなかった。もういないからこそ、戻れなかったのかもしれない。マリアを自分の過失でなくしてしまった彼女にとって、「マリア」と呼ばれ続けることは耐え難い罰になったはずだ。
そしてチカは新しい「マリア」に出会う。姉と間違えて呼び止めた少女が、偶然にも「マリア」という名前だったのだ。チカと名乗ると、マリアは「誰だか分かんない感じでかっこいい」と笑った。それはチカにとって、長らく受けてこなかった好意であり、肯定であり、賞賛だった。
同じような年齢ですぐに意気投合したふたりは、いつも一緒に行動するようになる。まだ子供の彼女たちは特異な場所に出入りする中で男というものを嫌悪するようになり、友達以上の関係になった。愛情を受けてこなかった子供が慰めあうような、恋愛というよりはもっと幼くて、それだけに必死な関係にみえる。
「ずっと一緒」と言ったマリアは、チカの知らない男と恋に落ちた。マリアはまた裏切られ、捨てられた。
牛の仮面を被った人間達がマリアの周りを囲みながら、めいめいに発言するシーンも凄く好き。

ヴィセンテの闘牛を見たチカは、それまでの自問もあり、ようやく闘牛そのものに向き合いはじめる。まだ周囲の人間に言わせると「勇気」がないらしいが、それでも彼女は前を向き始めた。感情の起伏が激しく、すぐに行動にうつす彼女がうるさいから、アントニオは闘牛場で映える名前をつけてくれた。「ゴロンドリーナ」、つばめの意だ。
今となっては色々な思い入れがありすぎて使えないであろう本名と、それをかつて消してしまった「女の子」という通称。そんな彼女に、アントニオが新しい名前をくれた。彼女という存在を見て、よくもわるくも認めてくれた。屈託のない嬉しそうな顔が微笑ましい。
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posted by: mngn1012 | 本の感想 | 08:52 | - | - |