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2012.01.26 Thursday
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買い物
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財布がだいぶん傷んでいて、前から新調したいと思いつつしっくり来るものに出会えずにいた。ANNA SUIの超好みの柄はジッパーが固すぎて使いづらいし、Anya HindmarchのJOSSはデザインが出すぎて選べないし、Vivienneのシューズ展限定財布は売り切れているし。

で、買いましたBALENCIAGA!
よく考えると昔っから白の財布というのはずっと欲しくて、そのたびに、汚れるから…と自粛してきた。でもまあよく考えるとそれほど汚れた手で財布を触ることもないし、そもそも手ってそんなに汚さないし、気をつければいいかな、っていうかどうせ一生使うものじゃないんだし欲しい色買えばよくね?ということで買いました。白!白い財布!かわいい!ポケットが一杯あるのでチケットも入れ放題!
ちなみに今持っている財布がくたびれた&派手すぎて困る、という友達と色違いで買ってみました。
よく考えるとこの友人とは大学時代にも同じ財布を持ったぞ。
Jane Marleのセール行ってきた。
あまり目当てもなくセールに行ったので、プロパーで買ったものがセールに出ていなくて安堵したり、人が手にしているものが異様に欲しくて売り場に返さないか伺ってみたりしつつ、パーティにも対応できそうなワンピース一枚お買い上げ。
黒にも見えるけれど紺地に濃紺のドット。普段は重ね着しないとちょっとフォーマルすぎるかな。スカートがバルーンになっているのがカワイイ。これで派手なタイツ履いて友人の結婚式に行くぞ…っ。
earth music&ecologyでカーディガン衝動買い。
何が凄いってセールのときに店員さんが「いらっしゃいませ」の間に「全点●●パーセントオフです」「今流行りの●●がXXXX円台で買えます」とかのフレーズを挟みながら終始声を出している。「トータルコーディネイト10000円以下も夢ではありません!!」って言ったのには噴出しそうになった。
近くにいたカップルは噴いてた。
そんなアースのセール終盤の夕方。50パーセントオフの商品が更にタイムセールで20パーセントオフになってて、結局元値の4割で買えてしまったカーディガン。元から安いので二枚で3000円しなかった…すごい…もっと色があればもっと買ったのに…。
袖が地味にふわっとしていて結構かわいいニクいやつ。
immanoelのピアス。京都の常設店舗が結構前になくなって以来久々に見たんだけれどやっぱり可愛いなー。リボン!きらきら!この色は自分では大人気ないと思いつつ買ったんだけれど、結構褒められたのでご満悦です。
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2012.01.25 Wednesday
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雨隠ギド「犬とつばめ」
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雨隠ギド「犬とつばめ」
高校生の楓は、海外留学に行った兄の不在を埋めるかのように一緒に遊んだ同い年の男の子・野呂と再会する。かつての復讐をするために楓に会いに来た野呂だったが、クラスメイトから、楓の兄が少し前に亡くなったことを聞かされる。
楓の兄・朝日はベランダで足を滑らせて亡くなった。まだ若いかれの死は誰が聞いても不幸な事故で、落ち込んでいる楓の心情を皆が慮り、悼んだ。
ちょうど朝日がいない時期にこの町に来ていた野呂は朝日を知らない。当然話題に出ていたので存在は知っているけれど、かれの死に特に思うところはない。ただ、かれにしてみれば、久々に会った楓が意気消沈しているのは予想外のことだった。
楓が自分にすごく懐いたことが原因で、11年前、野呂は休みが終わるぎりぎりまで実家に帰れなかった。帰ってもいいという祖母の言葉を拒みつづけ、休みの終わりに合わせて帰った家は、すでに崩壊していた。母は去り、父はまだ小さな楓に暴力を奮った。当然ながら何の非もない野呂はこの理不尽な生活に哀しみ、憤り、怒りの矛先を楓に向けた。楓に付き合っていなければもっと早く実家に帰れた。そうすれば両親の関係が決裂していなかったのではないか、自分は肉親から恒常的な暴力を受けずに済んだのではないか…それもまた理不尽な言いがかりだと、おそらく野呂は分かった上で、それでもこの町に戻ってきた。
けれど野呂は楓にそのことは告げない。代わりに「楓に会いたくてこの町に来たといったら気味悪いか?」と聞いた。それが楓を安心させようとした野呂の作戦だったのか、それとも何も考えていない言葉なのか、案外本心なのかは分からない。そのことを考える前に、野呂の言葉が楓の地雷を踏んだからだ。「気味悪い」「気持ち悪い」は、ぼろぼろになりながら何とか保っている楓の心を簡単に崩すキーワードだ。
いきなり兄の家に泊まりに行った楓は、着替えを借りようとクローゼットを開け、男性サイズの女性服を目にしてしまう。兄が必死で言った「忘年会」という言い訳が嘘だということは、震える声と、慌てた表情でわかってしまった。分かった上で、「気持ち悪いから捨てなよ」と話を流した。それが兄と会った最後になった。三日後にかれが死んだからだ。
そのことが楓を苦しめている。兄が楓の言葉を苦にしての自殺だったのか、それとも本当に足を滑らせたのかは分からない。けれど、どちらにせよ楓は兄を傷つけた。それが兄との最後の思い出になってしまった。
結局野呂は復讐を果たせず、そもそも果たす気が残っているのかもあやふやなまま、楓とその友人たちと普通の高校生活を送る。自分にやけにくっついてくる楓、あからさまに野呂を狙う女子を警戒する楓、そういうものを目にする中で、かれは本当は楓に会いたかったのだと思う。そして最低だと思いながらも、弱った楓につけこもうとする。
明確な物語、ドラマとして進んでいく兄の事件とは対照的に、楓と野呂の恋はぼんやりと進んでいく。恋なのか依存なのか優しさなのか卑怯なのか、自分にも相手にもわからないまま、徐々に恋人同士のようになっていく。作者の他の作品がこういう毛色じゃないので、おそらく故意なのだろう。ふわふわと、足元が覚束ない不安定な恋が育まれる。少しのきっかけでだめになってしまいそうな恋だ。
野呂の部屋で楓はナイフを見つける。一般的な男子高校生の部屋にはない生々しいそれを見た楓は驚き、何故そんなものを持っているのか問いただす。「護身用」という一言の返事では到底納得できずに責めるような口調になる楓に、野呂は怒り、無神経だと咎めた。
ナイフが野呂にとって簡単に打ち明けられない地雷であるように、その言葉は楓の心を抉った。兄の服を見つけて揶揄した時と同じことを自分はしているのだと、傷つけて、もしかしたら死に至らせてしまったかもしれないあの時と同じことをしているのだと気づく。そして泣きながら、「もし教えてくれるなら ナイフが護身用だと言う野呂のことを知りたい」と楓は言った。これは多分楓が兄の死後、もしくは兄と分かれた後まだかれが生きていたときから抱えていた気持ちなのだろう。どうして持っているのか、どうしてそれが必要なのか、教えてほしい。知りたい。大切な相手だからこそ。
兄の服を見た楓の中に生まれた感情は驚きや動揺であったけれど、おそらく本質的な嫌悪感ではなかったはずだ。瞬間的には異質なものに対する排除の気持ちが生じたかもしれないが、かれがもし不快感を抱いたとしたら、それは兄に自分の知らない(大きな)一面があったことに対してだろう。けれど慌ててなんとかやり過ごそうとする兄にそんなことは言えず、笑い話にして終わらせようとして、「気持ち悪い」と言った。言ってしまった。そして弁解も謝罪も永遠にできない。
けれど楓は野呂に弁解することができた。きちんと自分の本音を話すことができた。兄には出来なかったことが、野呂には出来た。
それを聞いた野呂はナイフを持つ理由を話しはしなかったけれど、ナイフを楓に預けた。ずっと持っていたもの、たぶんかれの精神安定剤のようなものを、楓に託した。それはそのまま、心の大きな部分を預けてくれたということだ。そしてようやく楓は、野呂がいかに自分を思っているのかを知る。
きっと同じように兄に言えていたとしても、兄ではこうはいかなかっただろう。かれは飽くまで兄で楓とは対等ではなかったし、楓を家族として愛していただろうけれど、心の一番奥にある重いものを渡してはくれなかっただろう。野呂だからできた。そのことを楓は実感する。
タイトル「犬とつばめ」の「犬」は野呂のことだ。11年前、楓の「犬」だった野呂。再会後、アニマルセラピーの動物のように楓の傍で楓の傷を癒した野呂。野呂は犬ではない、と楓がひとりの男として野呂を見るようになる経緯も含めて、「犬」は楓についてくる存在だ。
そして「つばめ」が象徴するもの、「つばめ」が導いてくれる物語は後半描かれる。兄に片思いしていた男に声を賭けられた楓は、兄の女装癖も兄自身が自分の性癖や性嗜好を掴みかねていたことも知っているかれに誘われて、兄のマンションに向かう。
野呂も誘って三人で向かったマンションには何も残っていなかった。警察が散々調べた後だし、賃貸である以上家具だってそのままにしておくわけにはいかない。少し前まで確かに兄がいた、けれどもう何もない場所はそれだけで楓を苦しめる。弟に女装がばれたこと、近所の子供達が自分を見て笑っているような気がすること、そんなことも兄はこの男に相談していた。けれど男は、兄が自殺じゃないと確信している。根拠はない。証拠もない。ただ「好きな人のことだから分かる」のだと言う。
兄が足を滑らせたベランダを見ていた三人は、向かいの家の子供達がこちらを見て笑っているのに気づく。おそらく兄も見たであろう光景。しかし彼女たちは女装している男を笑っているのでも、かれの痕跡を探す三人を笑っているのでもない。ベランダの下にできた、つばめの巣を見て騒いでいるのだ。
つばめが多いこの町で、マンションのベランダの下にできた巣。子供達の目線を追ったのか、それとも他の理由からか、もしかすると兄も気づいて確認しようとしたのではないか。そして足を滑らせてしまったのではないか。それらはすべて憶測の域を出ない、寧ろ自殺ではないと思うための無理やりの解釈にも見える。しかしその想像が生んだ選択肢がかれらを救う。「つばめ」が兄を死に導いたけれど、遺されたものの心を救った。
そのあと明らかになった兄の死の真相や、楓と野呂の心の動きと関係性の変化もすごく良い。曖昧なままの心、明かされないままの事柄も含めた雑多な感じ、絶望と救い、生と死が混ざり合っている感じが叙情的。取り返しのつかない喪失とか、補完できる空白の期間とか、おぼつかない恋とか、なにもかもが拙い子供たちが必死で生きているのが切なくていい。
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2012.01.24 Tuesday
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凪良ゆう「真夜中クロニクル」
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凪良ゆう「真夜中クロニクル」
太陽の光に当たれない病気のニーナは、ある夜公園で小学生の陽光と出会う。あからさまに冷たくしても気にした様子もなく懐いてくる陽光にペースを崩されつつも、拒みきれないニーナ。家庭の事情に振り回されてもう会えなくなると分かった二人は、車で遠くへ出かけようとする。
光線過敏症と言う、日光に当たると皮膚がひどくかぶれる病気のニーナは、小学校でも他の生徒と同じようには振舞えなかった。休み時間も体育の授業も参加できない。しかしある日病気をよく理解していない教師に誘われたことでクラスメイトと一緒に炎天下に出て、一気に発疹が出たニーナは、心無いクラスメイトたちから容姿のことで罵られる。緊急入院のあとの治療を終えて復学してからもそれは変わらず、かれにとって「あんこく」の時代が始まる。小1からずっと、不登校を決意する小5の時まで、ニーナは「妖怪」と言われ、苛められ続けた。
かれが陽光と出会ったのは18の時だった。小5から不登校を続け、通信制の高校に在籍しているニーナは、友達もなく、弟とは不仲の、ひねくれた18歳になっていた。実家が裕福なため生活に不便はなかったが、昼間出かけられないのは変わらない。夜になってからコンビニに出かけ、公園に寄って、人間にあまり懐かないぶさいくな猫を適当にあしらって帰る。
つっけんどんだけど本当は優しい、なんていう人間ではなく、態度同様に心もひねくれているニーナが野良猫に餌をやるのは、その猫が可愛くないからだ。皆にかわいいと言われるような、餌を貰いなれているような猫ではない。そのことが、散々容姿をからかわれてきたニーナにとって心地よい。かと言ってその猫に自分を重ねて可愛がるようなこともない。同じ立場の猫をいじめて優位に立つようなこともしない代わりに、相憐れむようなこともない。ほどほどの距離をおいておく。それがニーナという人間の性格をよく表していると思う。
そんな、かれの本質的な性格を見ている少年がいた。両親の喧嘩が原因で母親に連れられて祖父の家に遊びに来た11歳の陽光だ。子供ならではの図々しさと怖いもの知らずな態度でニーナに話しかけてくるかれを、子供に優しくするようなメンタリティを持ち合わせていないニーナは邪険に扱う。しかしニーナがひどいことを言おうとも陽光は嬉しそうに笑っている。そして公園にニーナが来ないと分かると、祖父や母親からニーナの家を聞いて遊びにくる。ニーナが拒もうが無視しようが家に来る陽光に、ニーナは呆れ、そして慣れて、誰にも言っていなかった作曲のことまで話すようになった。
陽光もまた、自動劇団に入っているけれどそれほど売れているわけでもないために、学校でからかわれたり苛められたりしていると、拍子抜けするほどあっさり言う。友達を持たないかれらにとって、家族以外の、毎日顔を合わせることが苦ではない・楽しい相手は初めてだったのだろう。
しかしその時間は長く続かない。両親が和解し、比較的大きな仕事が決まったこともあり、陽光は東京の実家へ戻ることになった。帰りたくないと言うかれの希望は当然通らない。家族に振り回されて、願いが叶わない子供の陽光と、病気に振り回されて、やりたいことが出来ないニーナ。小さな幸福も持続できないかれらはいきなり突きつけられた別れを前に、衝動的に二人で「逃げ」ようと決める。
人生は最低だ、とニーナは言う。陽光もまた、人生は最低だ、と言う。すべてに絶望した子供二人はかつて公園で拾ったぶさいくな猫を連れて、真夜中の旅に出る。
しかし夜は永遠に続かない。朝が来て日光に当たったニーナには病気の症状が出てしまう。かつて自分に症状が出た瞬間に手のひらを返し、汚いものを見るような目をしたクラスメイトの事を改めて思い出すニーナの不安をよそに、陽光は本気でニーナを心配している。動揺するニーナにキスをしたあと、子供ながらに救急車を呼んで貰おうと奔走するかれを見て、ニーナは気を失う。
ニーナがひどいことを言うとぞくぞくする、ニーナは美人だ、と言葉だけ見れば立派な口説き文句を陽光はこれまでも繰り返していた。まだかれがチビの小学生だったので相手にしていなかったけれど、その気持ちが決して嘘ではなかったこと、かれが本当に自分を好きなことはここへきてようやく実感できただろう。皆が逃げたニーナの姿を見ても陽光は戸惑わなかった。そして混乱したニーナには言葉が通じないとこれまでの経験から確信していたから、かぶれたかれの頬に触れて、キスをした。
ニーナ宛の陽光からの手紙がまた可愛い。それに動揺したニーナが、嬉しいくせにどうしていいのかわからず破っちゃうとこも可愛い。陽光が手紙に書いた一方的な約束、かれの目標であり夢の先にあるものが、「最低」だったかれとニーナの人生に灯りをともす。
五年後の二人もまた可愛い。
「元子役」の殻が破れない俳優の陽光は、地元で作曲家兼バーのアルバイトをしているニーナの元に通いつめている。背はニーナより高くなったけれど、陽光の気持ちも態度も子供の頃から変わらない。ニーナが好き、冷たくされても好き、のまま。昔と違うのは、あの時は友達がいないことも苛められていることも言えたけれど、今は仕事が奮わないことをニーナに言えない。事務所の後輩に抜かれていることも、ニーナが作曲家として徐々に仕事を増やしていくことに焦りを覚えていることも、言えない。
そんな時、陽光は友人の女優とでっち上げの熱愛報道を雑誌に載せられる。慌ててニーナのところへ向かい、ひと悶着あった後かれとようやく会うと、ニーナは当然機嫌を悪くしている。それが恋人の嫉妬のような単純なものならまだ話は簡単だった。けれどニーナはその報道を見て、不安に駆られてしまう。元々口数の多くないかれが陽光に告げたのは、セックスしたらずっとそばにいてくれるのか、というものだった。
陽光がくすぶっているのと同様に、ニーナもまたくすぶっていたようだ。陽光が本音を吐いたり愚痴ったりしてくれないことがニーナにとっては不満なのかもしれない。陽光が仕事で成功するニーナに焦るように、ニーナは仕事の話をしない要綱に焦っていたのかもしれない。そこへ同世代の綺麗な女性との熱愛報道を見て、陽光と他の人間との恋愛の可能性に気づく。けれどそれをすんなり受け入れられるわけもなくて、体と差し出して繋ぎとめるような事を言い出す。
11歳の時からずっと、好きだと言い続けてきた陽光は当然怒る。かれにしてみればニーナの提案は、自分の誠意も言葉も伝わっていなかったように聞こえるからだ。自分の病気のことを持ち出して、「俺はこんなんだから」と言うニーナに、陽光は自分の仕事の現状を話す。話した上で、『俺だって「こんなん」だよ』『でも「こんなん」同士慰めあうのは嫌だ』という陽光の台詞が凄く好きだ。それは多分ニーナがかつてあのぶさいくな猫、コニーナに抱いた気持ちと同じだと思う。自分を卑下して、同じレベルの相手と相憐れんで一緒にいるのではない。
そして更に、隣に並んで前を向いて進もうとしている。ここで「ちゃんと付き合おう 形が整うことで安心することもある」と言った陽光は凄く格好よかったと思うんだけど、なぜかニーナは受け入れない。それを自分の未熟さの所為だと感じた陽光は、永遠に縮まらない年齢差を補って余りあるすごい男になると誓う。
自分を「こんなん」と言ったニーナの問題は、もはや病気じゃなくて性格じゃないのかと思うんだけれど、この病気とそれによるいじめがかれの性格形成に大きく影響しているので同じことか…基本的に労わりの心が育っていない…。
このままずるずるいきそうだった関係を大きく変えるのは、ニーナが有名映画監督の新作の主題歌に抜擢されたこと、主人公の親友役の俳優を探しているとこぼした監督にニーナが陽光を推薦したこと、がきっかけだ。
これまで子供番組向けの曲を作っていたニーナの仕事にも、相変わらず大きな役がなかった陽光の仕事にも大きな変化を齎したこの一件によって、ニーナは大きく変化することになる。
辛くても腐らずに仕事をすること、嫌なことがあっても折れないこと、チャンスには食らいつくこと。既に落ちぶれた子役として地獄を見ている陽光はそのあたり胆が据わっている。だから、演技力の劣る主役が自分を目の敵にしてきても耐えられた。しかし、自分が憧れていた監督の映画に抜擢されたのがニーナの推薦のおかげだということと、自分では得られないマスコミの注目や世間の話題づくりのために、ニーナが顔を出す話が浮上しているということには流石に落ち込んだ。ニーナにつりあう男になること、ニーナが年齢差を気にしなくなるくらいすごい男になることを目標にしているかれにとって、自分の力不足でニーナを困らせるなどあってはならないことだったのだ。そしてかれは、しばらく会わないことを決めた。
それにニーナは大きなダメージを受けた。そして陽光と会わない日々の中で、かれは今まで陽光がどれくらい自分との関係を続けるために頑張ってくれていたのかを思い知る。返事をしない自分に根気強くメールを送ってくれたこと、仕事のあと電車で会いに来てくれたことを今になって実感する。このまま終わってしまうのではないかという不安、共演女優と仲良く話している姿を見てそちらの方がふさわしいのではないかという不安と戦いながら、それでもニーナは前を向く。以前のように卑屈になってくすぶらず、音楽と向き合い、自分の気持ちと向き合う。「こんなん」と自分を枠に収めて完結せずに、進もうとする。
そしてようやく、かれは陽光への気持ちを認め、それを示すための行動に出る。
二人が長い時間をかけて自分と仕事と相手に向き合って、どういう風に付き合っていくのかを見つけ出す。ここはゴールじゃないし、陽光がかつて描いた夢からはまだ程遠い。そこに果たして行き着けるのか、行き着けたとしても維持できるのかは分からない。けれど、浮き沈みしながら一緒に生きていく覚悟だけは、二人とも持っている。
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2012.01.22 Sunday
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COMIC CITY新刊
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1/8CC大阪新刊。冬コミで二冊新刊があって、更にシティまでにもう一冊出たってどういうこと…。
・一穂ミチ「2012 NEW YEAR」
「meet,again.」の番外編。タイトル表記がものすっごく可愛い…!
「hello,again.」の終盤で、嵐は父親からよそに行って修行するのはどうかという話を持ちかけられた。厳密には教えるのが下手だから、本気でやりたいのなら紹介してやるからバイトを辞めて修行させてもらえ、と言われたのだ。どうすべきか悩んでいる時に相談した志緒は、自分なら行くかもしれない、と言った。揺れていた嵐はその直後に栫と会うのをやめる決意をしたこともあり、修行に出る決心を少しずつ固めていく。
嵐が父親に返事するシーンはなかったけれど、「来年からのこと」を決めるために修行先の人が家に来るという話題や、嵐がいなくなったあとの家事の話題があったので、嵐が決意したことは分かっていた。
これはその「来年」の話。栫に言わなきゃいけないと思っているのに言えない嵐。志緒には言ってあるし、美夏も知っている。けれど栫にだけはまだ、言っていない。結局最終日のバイトを終え、志緒に連れてこられた美夏の可愛い餞別を受け取り、ようやく電話をかけて栫を呼び出す。
栫の反応が怖くて言えない嵐の想像とは裏腹に、栫はいつもの通りの様子で、まるで奇遇だとでも言うように、自身も就職でこの地を離れることを告げる。嵐が栫に話そうと決めた日に栫も嵐に話があり、嵐がこの地を離れるという話をすると栫もまたこの地を離れるのだと言う。
それらを「ほんとに、偶然?」と嵐が言いたくなるのも分かる。春は別れの時期だし、それに近づいている以上二人ともに変化が起こることもまた不思議ではないのだけれど、そこはそれ、栫だし。普通の恋人同士や友達同士なら、似た者同士の自分達を笑えばいいけれど、栫だし。この日に嵐がバイトを辞めることも、嵐がそれをきっかけに腹をくくって自分に打ち明けることも、全部分かっていたような気がする。動じないのはそのためで、なんかもう寧ろ就職決めたのもそのためなんじゃないの、と思えてくるから不思議。
どっちにせよ栫はネタばらしを全部はしてくれなくて、そういう全部明かさない栫を嵐はもう知っていて、振り回したり振り回されたりしながら多分同じ未来があるんだろうな。ね。
美夏は可愛くて、志緒ちゃんはちょっと大人で、平和です。
いっそ本編に収録してほしかった、救いのある掌編。
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2012.01.21 Saturday
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「90ミニッツ」@シアター・ドラマシティ 18時公演
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作・演出:三谷幸喜
西村雅彦
近藤芳正
三谷幸喜50周年大感謝祭のラストがこの舞台。結局「ベッジ・パードン」以外は見られて幸運だったけれど、そうなると「ベッジ・パードン」も見たかったなあ…これだけ地方公演がなかったので残念!
個人的には三本の中では「国民の映画」「90ミニッツ」「ろくでなし啄木」の順番で好き。
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医師が購入する家について携帯電話で喋っていると、内線電話が鳴る。おそらく不動産関係の相手に「10分ほどでかけ直す」と携帯電話の通話を切ったかれの元に、ひとりの男が訪れる。内線電話で予め説明されていたその男は、つい先ほど息子が交通事故にあってこの病院に搬送されてきたばかりで、一刻を争う状態なのだが、手術の同意書に頑なにサインをしない。現場の人間では説得することができず、上の立場にあるかれに話が回ってきたのだ。
手術をしないままだと、少年はもって90分。その間に、医師は父親を説得できるのか。
暗転したのち、スクリーンに「90ミニッツ」というタイトルが浮かび、続いて「この話は実際の事件を基にしているが、特定の団体などを非難(批判だったかな?)する意図はない」というような説明が出る。
舞台には医師が座っている椅子、その前にある机の上には黒電話、そして向かいあうかたちでソファがあるシンプルな舞台。そして舞台のまんなかで音もなく天井から床に流れ落ち続けている一筋の水。
医師は西村雅彦。年齢や立場的なこともあり、堂々とした振舞いの、かといって過分に威圧的であったり高慢であることのない、普通の医師という感じだ。緊張している父親を宥め、分かりやすい口調で説得し、時に激しく激昂する。今までこういった説得を何度も行ってきたのだろう、とすぐに分かる。知性も理性もある、自信もある、年相応の医師。
わたしがテレビで見る西村さんはまぬけな役だったので(というか今泉くん)、こういうクールな役は初めて見た。普段より低めに聞こえる声がとってもいい!
かれが説得をまかされた父親は近藤芳正。同窓会で息子ともどもこちらへ出てきたというかれは、普段は地方で塾講師をしている。本来は素朴で人の良い父、気の強い妻に苦笑しつつも幸せな家族生活を送っているのだろうという様子が滲んでいる。年を取ってからできた息子が可愛くて仕方がなく、携帯電話で撮った写真を嬉しそうに見せるあたりにもなんとなく人柄が出ている。
登場人物は二人だけ、出てきてから終わるまで90分間出ずっぱりの舞台。真面目すぎるシチュエーションだからこそ生まれる笑いをところどころに挟みつつも、基本的には二人の信念を賭けた駆け引きの攻防戦だ。90分間まったく緊張感が途切れない、息もつかせぬ戦いは、二人芝居の醍醐味を十二分に堪能させてくれる。すごかった!90分がすごく短く感じた。
父が手術を拒む理由はかれの、かれらの暮らす地方の風習にある。信仰ではない、宗教ではないと父親は主張したけれど、どこまでが風習や文化や伝統で、どこからが宗教なのかという線引きは難しいな、と思った。
ともかくかれらの「風習」では動物の命を奪って自分の命を繋ぐことを禁じているため、かれらは皆ベジタリアンなのだと言う。そして同じ理由で輸血も禁止している。つまり父親が承諾できないのは手術ではなく輸血なのだ。だから父親は何度も繰り返し頼む、「輸血なしで手術をしてください」と。勿論それは不可能な話だ。
かれらの風習では、人は肉体が死ねば土にかえり、また生まれ変わるのだと言う。つまりかれらの魂は永遠の命を持っている。その輪廻が、動物の命を取り込むことで途切れる。動物の肉を食べたり輸血をすれば、その人間は永遠の命を失ってしまう。
そしてもうひとつ大きいのが周囲の目だ。それはかれらの地域の風習なので、息子が輸血して命を取り留めたとしても、そのあと一生周囲から白い目で見られ続けることになる。輸血したという十字架を背負わされることになるのだ。
それらの理由から、父親は手術の承諾書にサインすることを拒む。
しかしだからと言って、助かる命を見過ごせないのが医師だ。まだ九歳の少年の怪我はそれほど思いものでもなく、今手術すれば確実に助かり、後遺症も出ないだろう。しかし今放っておけば確実に死ぬ。だからこそ一分一秒でも早く父親の承諾を得ることが必要なのだ。かれは論理と倫理の両方で父親を説得しようとする。攻防が始まる。
輸血する血は善意による献血で得たものなので、誰かの命を奪ってはいない。しかしその献血した人間がベジタリアンでなければ、間接的に動物の命を奪ったも同然だ。かと言ってベジタリアンを貫いてきた父親と息子の血液型は合わない。
周囲の人間の目が辛くてそこで生きてゆけないのならばこれまでの生活を捨てて新しく生活を始めればいい。それは地方で暮らしたことがないものだから言えるのだ。言及されなかったけれど、父親の仕事が学習塾っていうのもうまい枷だ。地元の子供に教えることで生計を立てているのだろうから、地元で白い目をむけられれば商売自体が立ち行かなくなる。
父親が何度も電話する、かれよりも掟に厳しい妻の主張もある。インフォームド・コンセントや輸血による感染症などを引き合いに出してくる妻の理論が凄い。よく調べているだけでなく、彼女はそれを夫の口から医師に伝えることで、輸血に傾いていた夫の気持ちを引き戻した。実際輸血に反対しているのは医療上のリスクの問題ではなく掟の問題なのに、妻はおそらく分かっていて畳みかけるようにそれらのことを話した。
理解を得ようと喋れば喋るほど話がもつれていく。最初は笑いを交えて、徐々に、深刻さを増してゆくのは、言い合いの最中、一階下にいる看護師などからかかってくる電話が息子の状況を伝えるからだ。血圧が70を切った、60を切った、腎臓に問題が出てきた、意識が朦朧としてきた…確実に過ぎてゆく時間が、何の処置も施されないままの少年の命を少しずつすり減らす。
息子は一人で外に出たときに事故にあったため、かれの持ち物から実家に連絡がゆき、そこから父親の携帯電話に連絡が入って、かれは病院に駆け付けた。その速さは奇跡的だったと他の医師たちが言っていたという。いっそ連絡がつかなければよかった、と父親が零したことから状況が変化する。かれが連絡を聞きつけた時点ですでに輸血されていれば、手術されていれば、承諾書にサインするかどうかで悩む必要はなかった。周囲の人間にも言い訳がたったし、息子自身が背負うものも最低限で済んだだろう、と都合のいいことを呟く父親の言葉からは、かれ自身の輸血への抵抗感がだいぶ弱まったように聞こえる。この時の父親の中にあったのは周囲の人間との軋轢だった。
もしかしたら父親が来るまでの間に、血液から作られた成分が現場の判断で少年に注がれていたかもしれない、と医師は考える。そうすればすでに輸血されているも同然なので、手術に踏み切れる。しかし確認した結果は空しく、父親が奇跡的な早さで来たためにその処置をしなくて済んだ、というものだった。
万策尽きた、と思った医師は、最後に強引な手段に出る。朦朧とする少年本人の意思を確認しよう、というものだ。本人の確認が取れないときに承諾するのが両親であるので、本人がここで輸血を含む手術を希望すれば承諾書のサインがなくても手術が結構できる。そして確認した結果、か細い声で少年が答えたのは「死にたくない」だった。
医師はそれを手術を希望する意味にとったが、父親はかれらの風習の輪廻の話を持ち出して、息子は肉体は死んでも構わないから永遠の死を迎えることを拒んだのだ、と受け取った。わずか九歳の子が手に入る生をみすみす逃して死を受け入れる決断をしたと確信した父親は、「やっぱり俺の息子だ」と泣いて喜んだ。ここが一番怖かった。父親は息子を心から愛している。愛しているからこそ、死を甘受するかれを誇りに思っている。これが価値観の違い・倫理観の違いであり、信仰(たとえかれが信仰でないと言っても、やはりわたしは信仰ないしはそれに酷似するものだと思う)の怖さだと思った。
しかしかれが発した一言がどちらの意味なのかは二人には分からない。だからこそ、今ここでかれの命を助けて、それから確認してはどうか、と医師は言った。本当は、そこでもし少年が父親の解釈した通りの意味だったと言えば悲劇なのだが、そこまで追い詰められた父親は思いつかない。というかかれ自身も、本当は息子を死なせたくない。息子が助かる方法がないか、それを模索しているのだ。
そして父親はとうとう「手術してください」と言った。しかし、承諾書にはサインできない、と。サインなしで手術してくれ、と。勝手に医師が暴走したかたちにしてほしいと言う父親に、当然医師は動揺し、呆れ、拒否する。もしそれで少年が助かったとしても、かれの妻が病院相手に訴訟を起こすだろうと分かっているからだ。そしてその時、父親は医師を庇う証言をしないであろうことも分かっている。父親本人がそう言っているのだ、間違いない。
そしてこの一笑にふして終わりそうな提案から形勢が逆転する。医師ならば助かる患者を見捨てるわけにはいかないだろう、自分は譲歩したのだからそちらも譲歩すべきだ、あんたが拒否することで息子は死ぬんだ、と父親が喚き散らす。呆気にとられつつも水掛け論だと気づいた医師は、「恥ずかしながら」と前置きをして、自分の事情を話す。今副部長であるかれは、もうすぐ教授になれるのだと言う。部長がもうすぐ退任するので、そうすれば外科部長になる。外科部長になることと、坂の上に家を建てることがかれの夢だった。そしてその二つの夢は今、眼の前にある。自分にだって家族があるのだから、ここで人生を棒に振ることはできない。
しかし父親だって折れない。かれら自身が言った通り、これはもはやお互いのエゴのぶつかり合いであり、どちらかが折れるしかない局面になった。
一人の少年が死にそうな状態で、意見の異なる二人の男がいる。どちらかが意見を曲げない限り、かれは助からない。何とかして相手に曲げてほしい二人は、関係性を語ることで説得に出る。医師は言う。「一人は少年の父親で、もうひとりは一時間前までかれのことを知らなかった男だ」と。どちらがかれのために折れるべきか、明白だろうと言いたげに。
しかし父親は言い返す。「一人は少年の父親で、もうひとりは医者だ」と。これで医師にも折れるだけの理由ができた。助かる命を助けることを「義務」だと言った医師ならば、簡単に突っぱねられない。
とうとう危篤状態に入った少年。サインをするか否か迷う父親と、GOサインを出すか否か迷う医師。先に動いたのは医師だった。かれは電話の受話器を上げると、「責任は私が取る」と言って、現場のスタッフに手術を開始させた。これで少年は助かるが、少年の母は訴訟を起こすだろう。そうなれば医師の教授・外科部長就任は確実になくなる。それでも、なぜか父親を憎んだり恨んだりする気持ちはない、とかれは言った。多少自棄のような口調だが、それはたぶん嘘ではないのだろう。30年間医師をやっていて一番すがすがしい気持ちだ、とまで言った。
願いが叶ったのに、父親の顔は浮かない。せめて嬉しそうな顔をしろと言う医師に、上着を手に持って部屋を出ようとするかれは言った。あと三秒遅ければ、私はサインをしていた、と。その三秒が結果をわけた。自分が息子を助けたいという気持ちより、医師が患者を助けたいという気持ちが三秒勝った。自分はその三秒を死ぬまで忘れられない、と。
いいや死んでも。肉体が死んで土にかえってもまた生まれてくるというかれらの風習(信仰)がかれを苦しめる。死んでもなお、かれはその三秒を永遠に背負い続けるのだ。その十字架は、掟を破って輸血を承諾したときに背負う十字架とどちらが重いのか。むしろ結果的に手術をしたことで二つ分の十字架を父は背負うことになった。
***
危篤状態という電話が鳴った直後の短い間だけ、流れ落ちている水が止まった。そのあとまた再び流れ出したその水は、90分を計る砂時計のようであり、ひとつ下の階で苦しむ少年の命のようであり、低下する血圧や心拍数のようでもある。
後方の席なので水がどうなっていたのかよくわからなかった。映像じゃなくて実際の水っぽいのだけれど、床はどういうふうになっていたのだろう。
***
重たい話だった。
助かる息子を見殺しにしようとした父親を非難することは簡単だけれど、物事はそれほど簡単でも単純でもない。親の数だけ子への愛情の示し方がある。信じていること、守ってきたことをどんなときでもまっとうするのがかれの最大限の愛情表現だった。かれ自身もようやく授かった息子を失うという苦悩を感じ、その悲しみを天秤にかけて、それでも息子の幸福・永遠の命を選択しようとしたのだ。
近藤さん演じる父親にはそういう人物としてのリアリティがあった。かれは確かに息子を愛している。だからこそ余計につらい。
本当に息子は助かったのだろうか、と思ってしまった。絶対に助かると医師は言っていたけれど、90分ギリギリの、危篤状態から手術をしてまったく問題ない状態になるのかなあ。その辺りはまったく知識がないので推測でしかないのだけれど。
それなら本当に救いがないのだけれど。
長い長い90分と、そのあとの全てを変えたわずか3秒。残酷で滑稽で生々しい、面白い舞台だった。
カーテンコール、二人が出てきてお辞儀、左右入れ替わってお辞儀、そのあと二人が中央に手を伸ばすと水が落ちてくる。三人目の出演者、ということかな。粋でした。
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2012.01.19 Thursday
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一穂ミチ「meet,again.」
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一穂ミチ「meet,again.」
大学生協で働く嵐は、学生である栫と飲み会で知り合い親しくなる。どこか他の人間とは違う印象の栫と過ごす時間は居心地がよく、嵐は次第にかれに心を許すようになる。しかし栫は、嵐が誰にも話したことのない母との会話を知っていた。
表題作「meet,again.」は雑誌掲載時に読んでいる。感想はこちら。
読み返してみてもこの時の感想と殆ど変わらない感想を持ったのだけれど、自分の過去と今の家庭事情を知った嵐に対して栫が言った「寝ようか」という言葉は、嵐が自分に向ける恋愛感情を知った上で引き裂くようなかれの悪意で、けれど同時に栫の無意識のSOSだったのではないか、とも思った。
栫は嵐が断らないことを確信していた。確信できるというのは(その事柄がどんな内容であれ)信頼していることだ。栫は嵐の愛情を信頼している。だから手を伸ばした。
だといいな、という多大なる願望も籠もっている。
続編「hello,again.」でも二人の関係は変わらない。栫が決めた時間に会って、寝る。単なる会話もあるし、遠出したら土産も買ってくる。だからと言って付き合っているのではなく、かつて友人の一人であったときや、嵐が一方的に栫を好きだったときと変わらないということだ。けれどあの頃と決定的に違うのは、嵐は栫の歪さを知っている。知っていて、変わらずかれを好きで、傍にいる。
栫がどんな男なのか分かっていて、それでも嵐は諦められない。かれを思うことも、かれの中に何かしらの情熱が存在しないかと探すことも。けれどいつだってそれは見つからない。
そういう嵐を見ている志緒は、かれの動物のような直感と洞察力、栫という男への理解からある程度の状況を察したのだろう、嵐に向かって「町村さんは変わった」という。かつてのように明るく笑っていた町村に好意を抱いていた志緒はそのことが哀しい。口にはしないけれど、栫に憤りを抱いている。
随所に出てくる、嵐の目を通した志緒がまたいい。妥協を許さない、なんとなくの常識を認めない、残酷なほどに冷徹な意志を持っているかれには栫と似た部分がある。志緒が主語を一切出さずに先生の話をするのもいい。「心底憎たらしくなるときもあるみたい」っていうのが凄く桂と志緒だなあ。志緒ちゃんの鉄の意志かわいい。
「meet,again.」で明かされた栫の過去と現在が、嵐にも深く関わってくる。栫の家に泊まった翌朝、嵐が眼を覚ますと既にかれは居らず、代わりに滅多に家にいない栫の母がいた。相変わらず家に留まることなく禄朗を探し続けている彼女は、ひとつの電話を受け、そのあと何かをメモに書き留めた。話の内容などは一切分からなかったものの、嵐は何か不穏な空気を感じ、彼女は分からないままのかれに口止めをした。
しかしそういうことに気づいてしまうのが栫だ。母の行動について何かしらのヒントを嵐が持っていると気づいたかれは、嵐に教えるように言う。そして嵐が拒むと湯を沸かし、そのまま迷いなく自分の腕に浴びせた。
嵐ではなく自分にかけるところ、言わないと湯をかけるというような脅しめいた前置きなくかけるところがどうしようもなく栫だ。嵐に大きなダメージを与えた上、話すかどうか迷う時間すら与えない。自分が嵐にどう思われているか知っていて、それを最大限に利用する。
少し前に、もっと馬鹿ならかわいがってあげたのに、と栫は嵐に言った。嵐は取り合わなかったけれど、それは栫の本音だっただろう。嵐は馬鹿じゃない。馬鹿じゃないから短い電話に異変を感じた。馬鹿じゃないから栫の母親の必死さを感じ取って黙っている。馬鹿じゃないからいつまでも栫が望むままのかたちでいられない。だから栫はかれをひたすらかわいがってやることができず、かと言ってかれの望むものも与えられず、こういう手段に出てしまう。
栫が去ったあと嵐は怒りと哀しみで混乱し、かれの家中のものに当り散らす。そうやってなんとか正気を保ち、ようやく決意する。「もう一生会わない」と。
しかし栫は嵐の前に現れる。栫と偶然道で会うこと、を嵐は驚かない。それが偶然じゃないことをかれはもう知っているだろう。栫ならば嵐が今どこにいるか、かなりの高確率で推測できる。現れたかれが「行こうか」と言ったとき、嵐はかれを責めるようなこともなく、目的地を聞くこともなく、「行く」と言った。嵐は自分を栫や志緒と比較して常識人で凡人だと思っているふしがあるけれど、かれだってなかなかのものだと思う。
栫の目指す場所へ二人でたどり着いたあと、栫に電話が入り、かれがかねてから懸念していた案件が片付いたことを知らされる。別に栫が直接行動したわけではないし、嵐に至っては初耳の事柄だ。ここに栫が来る必要があったのかも疑わしく、嵐は確実に必要ではなかった。
どうして連れてきたのかという嵐の問いかけに、栫はわからない、と答えた。非常にかれらしくない答だと思う。わからない振りをすることはあっても、本当にわからないことや、わからないままに行動するようなことがある男ではない。「見届けて欲しかったのかな」という言葉も推測の域を出ないうえ、「そういうタイプじゃねーよ」と嵐に一蹴されてしまう。この瞬間に関しては、栫自身よりも嵐の方が栫を理解している。それは一般的にはよくあることだけれど、栫に関して言えばありえないことだった。かれが13歳の時に病院内のあらゆる男女と手当たり次第に寝ていたことよりも、もっとありえない。
分かったら言う、と言う栫はどこか子供のようだ。
少年の頃の栫を知っている瞳子はかれを称して人工知能のようだと言った。相手が望む言葉をくれる人工知能。覚えているかと問えば、イエスでもノーでもなく「覚えてないと思うの?」と答える残酷な人工知能。
栫にとってそうあることは楽しい実験であると同時に、非常に楽だったのだろう。自分の意見を出さず生きること。けれどその一方で、かれはそれが通用しない相手を好ましく思っている。質問に質問で返すことを許さない志緒のような、傷ついても変わらずに自分を思い続ける嵐のような存在。
けれどそれは人工知能にしてみればバグの元なのかなあ、とも思う。事実この時の栫はうまく機能できず、不安そうに揺れている。
東京に帰り、雨で土砂崩れが起きたというニュースを見てから、かれの不安は更に増幅する。小さなウイルスが知らず知らずのうちに広がるように、かれ自身にも把握できない事態がかれの中で起きている。
そして機能停止。
かつてはおなじものだった、一つだった片割れが見つけられたころ、栫は深い眠りに入った。肉体に異変はないけれど、ただ眼を覚まさない。そして三日が過ぎた頃に目を開けて、「あなたが確実に存在する世界なら、まあ、起きてもいいかと思った」といつもの調子でしれっと答える。再起動したって生まれ変わったわけではない。けれど、なにか小さな絆みたいなものが生まれたような気がする。
あとがき代わりの掌編「come,again.」がいい。ようやく禄朗を探す旅を終えた翠子からの手紙を栫がバスの中で読む。生を意味する単語「LIFE」には終身刑の意味があるということについて、「生は刑ということ?ならば私は、せめて模範囚として務めたいと思います。」と彼女が書いたこの文章が、この物語の中で一番刺さった。
彼女に課せられた刑は、我が子を奪われるという刑だ。決して、一生戻ってこない禄朗。そんな罰を受けるような罪を彼女は犯していないけれど、課せられてしまった以上はその人生をまっとうしようと、ようやく思うことが出来たのだろう。
嵐も多分、母にひどい言葉を掛けた罪悪感という刑を生涯課せられるのだろう。反抗期の息子にありがちな言葉だし、実際かれの母親が絶えられないほど傷ついたわけではない。それによって母が死んだわけでもない。そのことを既に嵐は知っているけれど、かれは自分自身を生涯釈放しないだろう。終身刑を課せられたまま、自身の片割れ・半身を奪われるという終身刑に課せられた栫と生きてゆく。
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