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2013.05.10 Friday
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三大ミュージカルプリンスコンサート StarS@東急シアターオーブ 14時公演
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見てきましたStarS。全員がドットのシャツ着てるこの服が一番かわいいと思います。この衣装で出てくると思ってたのに、実際の衣装は黒・グレー・シルバーあたりの色合いの比較的まっとうな衣装だった。残念。げきぴあの公開リハーサルレポートに載ってる写真が当日の衣装。山崎くんのブログで予告があったように、販売されていたサイリウム。これは折る前の色で、折ると白くなります。300円。***開演時間直前、メンバー三人によるアナウンス。
自己紹介のあと、「サイリウムやペンライトはお持ちですか」「ご準備できていますか」「turn on light」「さあ光らせて」「この会場を星たちで満たして」「さあ暗くなりますよ」「enjoy StarS show」「3、2、1、go」の声とともに、暗転。
多分英語を挟んでるのは山崎くん。この時点でもうわたしの血管が切れそうだった。恥ずかしい!なにこれ!これから始まる世界を正気で直視できない!ロビーに出てハートランドを流し込みたい!
そして三人が登場し、「Gleam」へ。ダンスきた!微笑みきた!さわやか!あああもうだめ絶対顔がにやけてる!
ちなみに井上・山崎両名がワイパーを客席に誘導している中、浦井健治さんは一人超ハイテンションで手拍子をし続けておられました。特に推しがいないので満遍なく三人を見ているんだけど、ウラケン見てる間だけノリが周囲とずれてしまう…。
そのあとは「HAIRSPRAY」より「You can't stop the beat(日本語版)」へ。「ハート」という歌詞の部分では腕でハートを作ったり、間奏で「リーダー!」「いっくん!」「健ちゃん!」というメンバー紹介あり。ここがわたしの恥じらいのピークでした。このあとゆるやかに慣れてゆき、最終的には笑顔でペンライトを振っている自分がいた…。
「StarSです!」で始まったMCは物凄く自由。途中で浦井くんが水を飲みに行って「自由!」だといじられていた。ちなみに本人を識別するためにドリンクにカラーテープ?が貼られているんだけれど、浦井くん赤・芳雄さん青・山崎くん黄色でした。
アルバムのオリコンデイリーチャートの話。この日出た結果がデイリー6位だったのかな。その結果に対して客席に井上・山崎が感謝を述べる中、「数は問題ではなくて、ハートが大事」みたいなことを言い出す浦井健治さん…。
あとは「皆さんの感性でペンライトを振ってください、決まりはありません」と芳雄さん。「育三郎先生が煽り担当です。浦井くんのはあまり参考にしないでください」と付け足していて笑った。ですよねー。
このあと自分たちが出演したミュージカルの曲を披露する、という話。その前に初めて自分たちを見たという人は拍手して、という山崎くんの問いかけに、二人くらいの拍手が起こる。そのうちの一人を散々いじる芳雄さん。このあと披露する「闇が広がる」の説明の際に、「まあ初めて見る人は『闇が広がる』って言われても何のことかわかりませんよね、暗い歌だな演歌かよ、みたいな」とか、「トートって言われても誰だって感じですよね」「トートって人…まあ人なのかもわかりませんが」「トートってドイツ語で死神っていう意味なんですよお客様!」とか喋る喋る。
TdVの「さあ招待しよう」「今招待しよう」「真っ赤に流れる血が欲しい モラルもルールもまっぴら」から、山崎ロミオと浦井マーキューシオでR&Jの「世界の王」へ。この曲大好き!!嬉しい反面、再演には二人とも出演しないことを思うと少し淋しい。
スマホとかフェイスブック演出は気の毒だったけれど、(何が気の毒って、浦井くんが滑ったみたいな空気になるのが気の毒だったのだ…)曲は本当に素晴らしいミュージカルだと思う。
そのあとは井上・山崎でレミゼの「I dreamed a dream」を英語で。切なくてすごくよかった!
WアルフレートによるTdVの「サラへ」も懐かしい。TdVって他のウィーンミュージカルと比べてちょっと印象が薄いというか、あまり話題にならない印象があるんだけれど、楽しくて不条理で好き。しかしM!もTdVも主演の男性が赤ジャケットなので、一瞬誰がどっちに出ていたか(出ていないか)混乱してしまうな。
そのあとは井上トートでエリザの「最後のダンス」。ステージの二階からゆっくり階段を下りてステージへ、そして客席へ。大きな影を連れてのトート。「あなたの愛を巡って」のところから。爬虫類的なんだけれど王道。王道なんだけど一筋縄ではいかない感じ。コンサートでこれなんだから、実際の芝居になったらどうなるんだろう。いつ芳雄さんトートやるの!!
「闇の中から〜」のコーラスを浦井・山崎が担当していて、豪華さに倒れそう。
そこから芳雄トートと浦井ルドルフで「闇が広がる」へ。浦井ルドルフの第一声に眩暈がする。浦井くんのルドルフは本当に「不安で壊れそう」でたまらない。
「世界が沈む時」から浦井トートと山崎ルドルフ。「CHESS in concert」でも思ったけれど、浦井くんのこういう役って実はものすごくハマっている。低音でちょっと艶っぽくてすごくいい。いつ浦井くんトートやるの!!山崎ルドルフは想像通りの健気さと、隠しきれない我の強さのバランスが好き。我慢できなさそう。
「見過ごすのか」から山崎トートと井上ルドルフ。山崎トートは情が薄そうでいいな。以前のウィーンミュージカルコンサートで、山崎くんの「闇が広がる」が聞けなかったことを物凄く後悔していたので、すこし補完で来たかな。いつ山崎くんトートやるの!!
でも個人的には山崎くんはトートよりもルキーニのほうが好きだった。三人でのサビも相俟って、頭の血管切れそうな豪華さ。何これ夢?幻?わたし死ぬのかな?
そのあとは三人でM!の「影を逃れて」へ。「たおやかなシンフォニー」のあたりからのコーラスがものすごく豪華で幸せだった。
汗だくになった山崎くんに、「顔に汗かかない」と言って「女優か」「女優きどりか」と突っ込まれる浦井くん。
「影を逃れて」をうたうと腕が痛くなる、と山崎くん。アマデが子役なので、何度かペンを実際に刺されて血を流しながらうたったこともあるそう。その話に対して「中川晃教くんは鼻血を流しながらうたったことある」と芳雄さん。更にモノマネを振られた浦井くんが、アッキーと芳雄さんのモノマネをしていた。井上ヴォルフの真似として「影〜か〜ら〜♪」の部分をものすごいコブシまわしながら歌うんだけど超似てる。山崎くんはえなりくんのモノマネで「僕だってStarSに入りたいんだ」と言ってた。結構似てる。
この後は自分たちがやっていないミュージカル曲を披露する、という流れ。「defying gravity」は「重力に逆らう」という意味だという話から、浦井くんは重力に逆らっている・重力を感じていないという話へ。浦井くんは裏でもそのままだと言う山崎くんが、「いっくんおつかれー!ハハハー!」と帰っていく浦井くんの真似をしたり、「闇が広がる」を練習中に「いきなり『となりのトート』って言いだした」と芳雄さんがバラしたり。何年もルドルフやってたのに何故今…。
井上・浦井でWICKEDの「Defying Gravity(英語版)」!元々この曲好きなんだけど、男性二人バージョンもすごくいい。さわやかで自由でちょっとさみしい。
山崎くんのRENTの「Today 4 U(日本語)」はファンキーで可愛らしい。ショキピンのパンツでクネクネしててナイスオネエ!
「バーレスク」を見たことがない芳雄さんが想像でやるという「Welcome To Burlesque(日本語)」も淫靡な感じで良かった。膝丈のパンツに中網タイツ。脚ほっそい!この曲をやるにあたって、映画を見たことがないと言って演出家に驚かれた、というエピソードを芳雄さんが話してたんだけど、誰の選曲なんだろう。映画を見ていないけれど曲だけ知っている・好き・やりたいということも勿論あるだろうけれど、そのあたり気になる。defying gravityを選んでくれた人本当にありがとう!
そしてロングコートを着た浦井くんで、Hedwig and the Angry Inchの「Midnight Radio(日本語)」へ。曲紹介の時に「大切に歌います」と言っていた通り、メッセージがそのまま伝わってくるような歌だった。「Lift up your hands」のところでは二人も出てきて、一緒に手を挙げながら歌っていた。
そのあとは楽器陣の紹介。音楽監督カミムラ周平さんの紹介とコメントもあり。
山崎くんの足が細いという話から、加圧トレーニングをしているという芳雄さん、「若いうちは代謝がいい」けれど徐々にそうじゃなくなる、という話。同窓会に行って同級生に驚くそう。
同じく30歳を超えた浦井くん、「30超えて何か変わったか」と聞かれて「中身が伴ってない…どこに行っても31歳と言うと驚かれる」と返事。山崎くんに「失礼ですけど14歳くらい」と言われていた。
そのあとはミュージカルナンバー以外の曲。
浦井くんのFunの「We Are Young」を日本語で。この隙に二人が着替えるんだと思ったら、普通にステージの二階に居てコーラスしたり、客席のノリを煽動したりしていた。
そのあとは山崎くんがLADY GAGAの「Born This Way」を披露。「盛り上がって行きましょう!」という掛け声で登場するも客席の反応が鈍く、「そうでもなーい!」と叫んでいた。このあたりの返しが巧いなー。盛り上がっていないというよりは、普段コンサートに行かないのでどうしていいのか分からない、という反応だと思う。あと曲自体をよく知らなくてどうしていいやら、という反応かな。
そしてダンサーの個人紹介のあと、ダンス披露。ここが着替えタイムだった。
そしてStarSの「Blue Fish」へ。
CDをつくるにあたって色々な話をした、という話題から、比較的意見が合ったのでそれほど譲り合うこともなかった、話す井上・浦井。山崎くんが反論があると手を挙げる。
衣装を決めるときに、三種類のデザインが出たら「どれを着たいか」と皆で順番をつけていたそう。すると大体全員の順番が同じになり、「一番順位が低かったものは、基本的に僕が着せて頂いています」と言っていた。がんばれ最年少。しかも「一番着たいっていうのは必ず芳雄さんが着ています」と浦井くんがばらしてしまう。
「僕はこれが着たいんだよね、これじゃなくてもいいんだけど、これが着たいなー」と穏やかに言うそうで、芳雄さんマジ歌のうまいジャイアンです…。芳雄さんも「お前分かってるよな的な空気を出しました」と自分で言ってた。
「これ女優がいたら大変…「私はこれしか着ません!」とか」って芳雄さんが言うと、二人が「ああー…」と黙ってしまった。それ以上はだめ!
次もオリジナルで「今ここにいること」へ。略して「今ここ」だと言う三人から、客席に「略してー?」とレスポンスの要求。微妙なことをさせて、とても嬉しそうな三人でした。
そのあとはCDに収録されていないオリジナル曲「Shake It Out」へ。「皆さん心の中に悪魔がいらっしゃるでしょう」「でも劇場にいる間だけは振り払おう、という曲です」という芳雄さんに「悪魔いませんよ!!」と慌てる二人。
「あと2曲です」のアナウンスに、「ええー!」と観客から声が上がる。それが嬉しかったようで、もう一回「あと、2曲です!」と言っていた。更に声を挙げる客席に、満足そうな三人。コンサートっぽいこと、がいちいち楽しいみたい。
今日はてっきり土曜日だと思っていた芳雄さん。平日の昼に客席が満員なことに今更驚き、「皆さん何されているんですか」「有給?」「家事手伝い?」と毒づく。それを聞いた山崎くんが「最近芳雄さんのトーク見てるときみまろさんを思い出す」と呟き、「ちょっとずつそっちに移行しようと思って」と芳雄さん。「事情はどうあれ満員で嬉しい」と仰るプリンス…。
芳雄さんが帝劇100周年の特番で誰と対談したいかと言われたときに、「ミュージカルについて語るのはこの二人しかいない」と二人を指名したことから始まった関係だ、という話。そのあと、「他のところで他の人に対して同じこと言ってたらすみません」「この二人しかいない、ってことはないね」「この二人「何かやりたいね」という話が上がるのは普通だが、それが実現したのが嬉しい、舞台を見に来てくれるみなさんのおかげ、とのこと。舞台俳優はそんなに誰でも知っているものではないけれど、デビューの時から可愛がってもらえて今がある、と芳雄さん。まあ舞台俳優であなたのようなデビューをして、そのままやってきた人はそんなにいないですけどね…!
この帝劇特番は実際に見ていたのだけど、それほどテレビでは三人の話を大きく扱っていたわけでもないので(ものすっごいレミゼ中心だった記憶)、これがきっかけだというのは意外だった。
そのあとはサイモン&ガーファンクルで「Bridge Over The Water」の日本語版へ。StarSの複数形の中にはファンも入っている、出会えた奇跡を大切にして、橋をかけて生きてゆこうというようなメッセージが込められているのだとか。
原曲が好きなので原曲で聞きたかったけれど、これはこれでいいね。というか曲が美しい。
本編最後はジキル&ハイドの「This Is The Moment(日本語版)」でおしまい。
アンコールは全員黒のStarSロゴTシャツで。ちなみにこの日既に黒のTシャツは売り切れていた模様。他の色がパステルっぽかったので仕方がないけれど、売り切れてる日は他の色着ればより売れるのではないかしら、などと下世話なことを考えた。
「StarSのあの一番星の曲」という山崎くんの謎の紹介から、「Gleam」へ。最初は戸惑っていたこの曲なのに、最後は余裕でペンライトを振っているわたしがいました…染まった…。ちなみにこの曲だけ皆立ってたので立ちました。
きらきらしてて楽しかった!アンチエイジング!笑い皺でむしろ老ける?
DVDにならないのかなー。
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2013.04.19 Friday
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「ノンフィクションW 蜷川幸雄〜それでも演劇は希望を探す」「トロイアの女たち」
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「ノンフィクションW 蜷川幸雄〜それでも演劇は希望を探す」WOWOWで放送された45分のドキュメンタリー番組。蜷川幸雄が演出し、日本とイスラエルで上演された舞台「トロイアの女たち」の製作風景や稽古のようすなど。「トロイアの女たち」は敗戦後、さまざまな困難を味わう女たちについて描かれた、エウリピデスのギリシア悲劇だ。その舞台を演出するに際して蜷川は、日本人・イスラエルに暮らすユダヤ人とパレスチナ人という異なる民族・言語の俳優たちの共演を実施した。日本とイスラエルの国交60周年を記念した政策に参加する条件に、火種の絶えないユダヤ系とパレスチナ系の共演を掲げたのだという。日本に来たときから、刺激的な試みだと嬉しそうに興奮しているユダヤ系と、仲間から非難されるかもしれないと複雑そうに笑うパレスチナ系の俳優の間には何とも言えない溝がある。ワークショップではちょっとした会話で論争が起こってしまったり、ガザ地区への襲撃が起きたりする。しかし、大きなプロジェクトに参加し、それを成功させようとする俳優としてのかれらの意識と、傍から見れば少し過剰なまでに気を使っている蜷川の手腕によって、次第に三つのグループは大きなひとつのカンパニーになっていく。三つの言語が登場する舞台のため、それぞれの言語を別の人物が翻訳したものが台本になっている。日本人の日本語、ユダヤ人のヘブライ語、パレスチナ人のアラビア語。ヘブライとアラビアの両方を理解する俳優から見ると、同じ台詞でも訳し方に大きな差があるのだと言う。俳優たちが揃って本を読み合わせて初めて、そのままの台本ではだめだと明らかになる。そしてパレスチナ俳優たち自らが、本を書きなおすことになった。言葉がばらばらなら感情表現もばらばら。蜷川さんが外国から来た俳優たちにことさら「自由に」と言っていたのには、おそらくいくつかの理由があるのだろう。本人が言っていたように、些細な一言で信頼を失ってしまうことを恐れていたから。「自由に」動いてもらうことで、日本人があまり多く接したことのないかれらの自然な姿、日常的なふるまい、感情から素直に出る動作を知ることができるから。それらを統一せずに一つの舞台に乗せることこそが、狙いだったのだろう。蜷川が自分たちの芝居について何も言わなかったことが淋しかった、とあとで日本人以外の俳優たちが語っていた。それは上述の通り信頼を失うことを恐れていたという理由もあるだろうが(こういうところがよくもわるくも非常に「普通の」「真っ当な」人であるところだと思う)、日本の演劇を見続け・作り続けてきた蜷川の意見によって、かれららしさを消すことを恐れた部分もあったのだろう。稽古中、日本人俳優たちには厳しく指導し、それを必ず毎回翻訳して他の国の俳優たちにも伝えさせたと言う。それによって蜷川幸雄の狙い、舞台についての意気込みや解釈を、他のふたつの国の人々にも伝えることができる。演劇によって何かが変わるとは思わない、と蜷川は言う。ただ、最初の気まずい状況のときでもガザの襲撃のときでも、芝居を作るということ・演劇をするということについて謙虚であったかれらの姿に、希望はある。***「トロイアの女たち」作:エウリピデス演出:蜷川幸雄こちらもWOWOWで放映されたもの。先に上述のドキュメンタリーを見ていたので、話のおおまかな筋も、三つの言語からなるコロス(合唱舞踏団)が同じ台詞を三回ずつ繰り返すことも知っていた。面白い試みだと思う反面、全部の台詞を三回ずつ聞かされるのは辛いのでは・中だるみしてしまうのではないかとも考えていたのだが、全くそんなことはなかった。面白かった。蜷川さんが演出した舞台で、トータルで見てこの作品以上に好きなものは沢山あるけれど、この作品は演出に関して全く文句がない。ギリシアのメネラオスの妻ヘレネが、トロイアの王子パリスと駆け落ちしたことで始まった戦争は、トロイアの敗北というかたちで幕を閉じる。老いた王妃ヘカベを始めとして、夫や子供を失った女性たちは、奴隷としてギリシアに連行されようとしている。あらすじと写真付き相関図の記載された公式ページがとても便利。トロイの木馬とかそういうことは知っていると更に楽しめると思いますが、取り敢えず終戦直後の敗戦国、ということだけ分かっていればいいと思う。ひとことで言えば、冒頭にあった「死んだものも生き延びたものも哀れ」という台詞が全てを物語っている作品だった。戦場に赴いたまま帰ってこない、遺体を回収されることも弔われることもなく、浄められることもなく彷徨い続ける父や夫や息子。夫を殺したギリシアに、嫁ぐことを命じられた寡婦。神に誓った独身・純潔を否定され、慰み者になる巫女と、それをどうしてやることもできない母親。ただ勇敢な男の息子だと言うだけで、終戦後にも関わらず、無残な死を与えられる子供とその亡骸を十分に弔うこともできないまま連行される母、そしてなけなしの持ちものでせめて飾り立ててやろうとする祖母。戦争は終わったのに、女たちの地獄はまだ続く。寧ろ、母国を追われ、知らない土地にばらばらに連れてゆかれ、ここからまた地獄が始まるのだ。そしてそれは、彼女たちの父や夫や息子が奪われ、母国が破壊されてしまった以上、終わることがない。ほぼ出ずっぱりのトロイア王妃ヘカベ(日本語とヘブライ語では「ヘカベ」だけどアラビア語では「ヘコバ」に近い音なのもおもしろかった!)は白石加代子。白石さんの出ているお芝居見るときは大体白石さんの調子がいまひとつだったんだけど、これは素晴らしかった。王妃の気迫や誇り、母や祖母としての慈しみと悲哀、杖なしで歩くこともつらい老いた身の物悲しさなど、色々なものが交ざり合っている。そのヘカベを囲むのが、大勢のコロスだ。日本人、ユダヤ人、パレスチナ人と三つの民族に分かれたコロスは順番に同じ台詞を繰り返す。映像で見ていると、日本人が話したあと、ふたつの民族が順番に話すときに字幕が出る。なので日本人コロスが言った聞きとれない部分が(数名で声をそろえて叫ぶので、どうも聞きとれないところが出てくる)あとの二回で補われる。次々繰り返される耳慣れないふたつの言語は、音楽と合わさって、蜷川が言ったように「祈り」めいてくる。戦争の発端となったヘレネに和央ようか。散々話題だけ・名前だけが出ていて後半ようやく登場するヘレネは、この舞台で異質なまでに着飾っている。つややかな黒い髪はまっすぐのびているし、きちんと化粧をして真っ赤な口紅をひいている。露出度の高い真っ赤なドレスも相俟って、彼女がいかに場違いであるかを雄弁に語る。メネラオスに弁解をする彼女の言葉がどこまで本当なのか。トロイアの女たちは元凶であるヘレネを心底憎んでいるので当然全てを嘘だと断定するし、裏切られたメネラオスも信じない。けれど彼女の言葉が保身と快楽のためだけの嘘だと決めつける証拠も、見ている我々にはないのである。和央さんだけずっとドスの聞いた口調で話していてすごく違和感があったんだけど、彼女はいつもこうなの…?それとも敢えて選択した芝居なの…?この芝居で唯一腑に落ちなかったのが彼女のヘレネだった。出番少なくてほっとした…。コロスの台詞には、トロイアやギリシアの土地についての台詞がたくさん含まれている。どこの山がきれいとか、どこの水がいいとか。ギリシア神話の話も混ざって、彼女たちは朗々と謳いあげる。普段あまりこういう本筋と関わらない台詞には興味が持てないんだけれど、台本の言葉が(翻訳された言葉が)美しい所為もあってか、とても魅力的だった。残酷なまでに言葉がきれい。「哀れな祖国」に別れを告げ、哀れな女たちの地獄が始まる。非常に興味深い芝居だった。
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2013.04.14 Sunday
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おのれナポレオン@東京芸術劇場プレイハウス 14時開演
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作・演出:三谷幸喜ナポレオン・ボナパルト:野田秀樹アルヴィーヌ・モントロン:天海祐希シャルル・モントロン:山本耕史マルシャン:浅利陽介アントンマルキ:今井朋彦ハドソン・ロウ:内野聖陽***セントヘレナ島に幽閉されたナポレオンは、パリに戻ることなく胃癌で生涯を終えた。それから20年後、かれの死に疑問を抱く人間が、かれと晩年を過ごした人間たちに話を聞いて回る。かれらによって語られる英雄ナポレオンの真実の物語。ステージシートという、ステージ横(実際ステージ上になりうる場所と高さ)の席だったため、むちゃくちゃ近いけれど正面からは見られなかった。その代わりに舞台脇に演者が来たときや、正面から顔を隠して何かをしようとしている様子はとてもよく見える。正面とサイドの両方を見られたらとても良さそう。日程が合えばライブビューイングで補完したいところだけれど、叶わず。ナポレオンの死を調べる人物は実際には出てこない。その人物がそこにいるていで、代わる代わる出てくる人物はナポレオンについて語る。セントヘレナを出たあとばらばらになった自分たちを探し当てた人物に対して、みなそれなりに好意的だ。飲み物を出してやり、ナポレオンと過ごした孤島での思い出を語りだす。かれらが実際に語っている現在と、その会話によって振りかえられるかつてのセントヘレナでの出来事が入り組んで語られ、次第にナポレオンの死の真相が明らかになる。今は独身で酒場の女主人をしているというアルヴィーヌは、かつて夫のシャルルと共にナポレオンのセントヘレナ行きに同行した。もともと社交界で浮名を流していた彼女は、ナポレオンと懇意にしていたようだ。枕元で本を朗読し、ピアノを演奏し、彼女はセントヘレネでナポレオンの子を出産した。アルヴィーヌは天海さん。やっぱり超絶きれい。格好良いし美しい彼女だけれど、すてきなコメディエンヌでもある。というかあの美貌で面白いことやると、普通の容姿でやるより数倍インパクトがあってギャップがあって面白いんだよな…。ナポレオンに「でかい!!」と罵られたアルヴィーヌが、かれが居なくなってから「自分が小さいんじゃない!!」と叫んでいたところが好き。夫シャルルはナポレオンから譲られた高額の遺産も賭博で使い果たし、今は女に食わせてもらっているジゴロだと言う。多くの臣下が去っていく中、最後までナポレオンの傍に残ったかれは、妻を寝取った皇帝陛下について怒りや憎しみを抱いていたわけではないと言う。シャルルは山本耕史。こういうひとくせもふたくせもある、頭はいいけれどひねくれすぎているような役が本当に似合う。皮肉屋で、どこまでが本当で嘘なのか分からない。誰のことも好きじゃないような目をして笑っている。ナポレオンの主治医であったアントンマルキは、現在も医師として活動しているようだ。一時期ナポレオンの不興を買って屋敷への立ち入りを禁じられていたこともあるかれだが、ナポレオンの死因については胃癌であったと確信を抱いている。そう、疑われているのはナポレオンの死因だ。病死であったと公表されたものの、かれの生前の状況や死後の状態から、ヒ素中毒の可能性が囁かれているのだ。アントンマルキは今井朋彦。けちな男というか、どこか小物感が見え隠れする医師っぷりがすごくよかった。自意識の強さと脅えが共存しているような感じ。イギリスに命じられて、セントヘレナでの全権を掌握していた男ハドソン・ロウは、ナポレオンの死後帰国してからの風当たりが強く、今は貯蓄を少しずつ減らしている日々だという。かつては栄華を極めた男が老いて、貧しさの中で生きている。訪ねてきた人物に妙に優しいのは、あまり人と接していないからだろう。そんな嬉しそうな姿さえ哀れでならない。内野聖陽のハドソン・ロウがすばらしかった!今は凄くだめな見苦しい老人だが、かつてのかれは自信に満ちていた。自信があるからこそナポレオンに反発し、対立さえした。人間くさい意地とか見栄とか、常識とか倫理とか。秀才な凡人であったかれの人となりがよく見える。ナポレオンは本当に殺されたのか。そうだとすれば一体誰が、どのように、何の理由で殺したのか。砒素で殺されたという疑念を持った人物は、その三つを徐々に解き明かそうとする。同じようにナポレオンが砒素を盛られているのではないか、と疑った人物がいた。主治医であるアントンマルキだ。ナポレオンが食事に毒を盛られているのではないかと考えた彼はいくつかの事象から、誰かが毒薬辞典を使ってナポレオンのワインに砒素が入れたことを突き止めた。では一体、誰が?皆がナポレオンへの憎しみを抱いていた。同性愛者(両性愛者?)であることを従僕のマルシャンに密告されて、ナポレオンに一時期出禁にされた医師アントンマルキ。ナポレオンに妻を奪われたシャルル。幽閉されている捕虜だという自覚が皆無のナポレオンに振り回され、更にはチェスで大敗して恥をかかされたハドソン・ロウ。誰にでも理由はあった。しかしそれは決して殺すほどのことではなかった。アントンマルキに下された罰は期間限定のものだったし、シャルルは次第に狂ってゆくナポレオンに憐れみすら覚えていた。ハドソン・ロウは軍人として、天才ナポレオンをある意味では尊敬していた。ナポレオンを殺そうとしていたのは、いつからかかれを本気で愛し、かれと永遠にこの島にいたいと願うようになったアルヴィーヌだ。彼女はナポレオンのセントヘレナ脱出計画が実現しそうだという話を聞き、独占欲のためにかれを殺そうとした。パリに戻って大勢の女のうちのひとりになるくらいなら、かれを殺してしまいたかったのだ。しかしその計画はナポレオンの命を奪う前に終了した。彼女の犯行を見抜いた人々が、彼女を島から追い出したのだ。ではナポレオンはやはり病死だったのか。それも少し違う。体調を崩したナポレオンに、医師としての能力があまり高くないアントンマルキが、数回にわたって誤った薬を出したのだ。ナポレオンの体に、かつてアルヴィーヌに飲まされた砒素が残っている可能性があることを考えれば、決して正しい選択ではなかった。しかしアントンマルキはその薬を最善だと考え、ナポレオンに飲ませた。医療ミスがナポレオンを殺したのだ。アルヴィーヌが飲ませた砒素の残っていたナポレオンに、アントンマルキが誤った薬を処方し、それを(そうとは知らないにせよ)シャルルが飲ませた。三人の行為が重なって起きた死亡事故を、全て知った上でハドソン・ロウが揉み消した。セントヘレナ総督だったかれは、敵国の英雄を手違いで死なせたと言うわけにはいかなかったのだ。このくだりが明かされる前、シャルルやアルヴィーヌが首を必死で絞めてもナポレオンの筋力が鍛えられすぎててびくともしない、というドタバタのやりとりが長く続く。もともとそこまでコメディが好きではないということもあってか、ちょっと冗長に感じた。シリアスと笑いの割合がもう少しシリアス多めだと嬉しい。完全に個人的な趣味だけどさ。ナポレオンの死にまつわる真実にたどり着いた人物は、最後のひとりを訪ねる。ナポレオンの忠実なるしもべ、マルシャンだ。ナポレオン以外の人物とは最低限しか口を利かず、常にかれのために行動し続けた男。ナポレオンの紹介で得た仕事に就いているかれは、人物にカフェオレをすすめ、全てを話した。ナポレオンに恋したアルヴィーヌの暴走。いつも同じ処方をするアントンマルキ。かつて自分の遺産を狙ってセントヘレナについてきたシャルル。名誉を重んじるハドソン・ロウ。それら全てを、天才ナポレオン・ボナパルトは知っていた。かれらがどう行動するか知っていて、マルシャンに狙いを打ち明けた。幽閉された島で安全ながらも不自由で不名誉な生涯を送ることは、かれにとっては「緩慢な死」だ。それよりも「一瞬の死」を選ぶ、と。しかしナポレオンにとって自殺は惨めなものであったし、かれはカトリック教徒でもあった。そのかれが思いついたのは、マルシャンにいくつかの手助けをして貰い、周囲の人々の連携によって自分を殺させる、という一世一代の作戦であった。それはすべて、ナポレオンの想像の通りに進んだ。そう、ナポレオン暗殺の犯人はナポレオンなのだ。躊躇うことなく全てを語るマルシャン、そして四人。かれらの話には続きがある。アルヴィーヌが使った砒素は、セントヘレナに残っていた。だからかれらはそれを五等分し、ナポレオンの死に疑問を持って自分たちに辿り着いた人物がいたら、少しずつ砒素を与えて消してしまおうと誓ったのだ。ある人物が訪ねた先で飲まされたワイン、お茶、カフェオレ。それらがすべて、砒素入りだったのだ。真実に至った人物は、そうして息を引き取る。ナポレオンの名誉は、ナポレオンの死後も、ナポレオン自身の計画によって守られるのだ。ナポレオンは野田秀樹。さすがに当て書きしただけあって、せっかちな小男だったというナポレオンはぴったりだった。甲高い声をあげ、ちょこまかと走り回り、自分で自分に笑ってしまうところもある。ものすごく頭がきれて、奇妙な人望があって、自尊心が高い。我儘を言っても、女にでれでれしていても、どこかにいつでも底知れないものを持っている。ハドソン・ロウとナポレオンは一度だけチェスをした。数手先のロウの手まで読んだナポレオンの圧勝だった。しかしチェスと同時並行で行われた舌戦の時に激昂したナポレオンのある態度がルール違反に当たるとして、ロウは負けを認めなかった。それはチェスの試合内容には関係のないルール違反であることはロウが一番良く知っていて、それでもかれは「勝者」として振舞い、席をたった。その時ナポレオンはロウに言葉をかける。これが本物の戦場じゃなくてよかった。そうだったら君の軍は既に、殆どを失っていただろう、と。情けないロウの態度に怒る臣下たちの中でナポレオンだけが冷静だった。冷静で冷酷で、何よりもロウを苦しめた。このうすら寒いまでの知性と、嫌味。おのれナポレオン、である。途中から明らかにマルシャンがあやしかったし、訪ねてきた相手に二度も「カフェオレを飲みながらゆっくり話をきいてください」というようなことを繰り返していたので砒素が盛られているのだろうということも分かった。その先にナポレオンがいることも、かれがナポレオンの忠実なるしもべであるということを考えればそれほど難しい答えではない。なによりこれは「おのれナポレオン」なのだ。ナポレオンに悔しさと憎しみをにじませつつ、それでも感嘆してしまうのだ。よくもやってくれたな!と、笑いながら怒るしかない。ミステリではあるものの、犯人が誰であるのかはそれほど大きな問題ではない。そういう意味でこのオチに不満はないけれど、そこまでのガイドが親切すぎる気がした。そこまで一から十まで言わなくても察することができるよ、わかるよ、と言いたくなる。噛み砕きすぎて、こちらに想像の余地がない。きっちり話を伝える、広い間口に向かって見せる、という意味では正しいんだろうけれど(そしてこの舞台はその話題性や今後ライブビューイングされることなどを鑑みてそういう舞台なんだけれど)、ちょっと淋しかったな。十分面白かったんだけどドラマ的というか、あんまり舞台見た!という感じではなかった。***ロビーには舞台の模型が展示されている。美術は勿論堀尾さん!この試みとても好きだなーすべてのお芝居でやってほしいくらい。特筆すべきは物販の素晴らしさです。王冠。トートバッグが1000円なので二つ買ってしまった。可愛いんだもん…。同じデザインでTシャツも出ていたんだけれど、色がトートバックに比べて淡いというか好みじゃなかったので断念した。携帯ストラップもあったけれど付けるところないし、ね!がまん!
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2013.04.05 Friday
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「私のダーリン」@シアタークリエ
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作・演出・振付:玉野和紀
音楽・歌唱指導:NASA
黒木瞳
玉野和紀
石川禅
坂元健児
愛音羽麗
町田慎悟
古川雄大
村井良太
大河元気
愛花実花
出会ってもうすぐ10年になる夢子と虎衛門夫妻は、ちょうど10年目になる日、両隣に暮らす人々を招いてのパーティを計画している。
奇妙な出会いから付き合って結婚し、引っ越してきたこの家でご近所さんと仲良く過ごす日々を思い返す夢子。そして10年目のパーティの朝が来る。
二幕で二時間半くらいのミュージカル。
ネタバレを避けるあまり、HPのあらすじなどもちゃんと読まずに舞台を見ることが多い。そのため、この話も黒木瞳がいろんな男にちやほやされる乙女ゲのような話だと勝手に思っていた…全然そんな話じゃないよ!
明らかに不慣れな占い師の夢子は、偶然通りがかった男に声をかけ、なんとか占いをしようとする。煩わしそうに応対する男だったが、二人で揉み合って池に落ちたことが原因で、二人は付き合い始める。
取り敢えず黒木瞳のかわいさがすごかった…。顔小さい!足細い!顔が可愛い!あれやこれやそれを(お察しください)帳消しにする、とは言わないが、補えるくらいの可愛さ。素材の良さに維持するための努力が加わっているのだろう。歌も芝居も気にならない!!
こともないけど。
二人が池に落ちると舞台中央くらいにある幕が閉まり、鯉の着ぐるみを来た男女が現れる。この瞬間、この舞台を見に来たのは失敗だったかもしれない、と思った。最終的にはその気持ちは払拭されたのだが、とにかく徹頭徹尾曲が冴えない。ふた昔前くらいの曲に何とも言えない歌詞が乗っていて、歌のたびにトホホな気分になった。
ちなみに鯉の男性は古川町田村井大河の四人です…かれらをクリエで見ることになるとは。しかも鯉。
その後夢子は従業員三名の便利屋会社の社長になり、夫の虎衛門(PN)はなんとか細々と小説家を続けている。数年前に引っ越した家の隣に暮らす人見知りの獣医や、反対側の隣に暮らすヤクザの娘とチンピラの仲良し夫妻との関係も良好だ。
ご近所さんとの過去のエピソードも振り返って語られる。無理やりお見合いさせられることになった獣医と夢子の笑い話、隣の夫妻が父親に引き裂かれそうになった関係を夢子が取り持った話。夢子の明るさや行動力に、皆が救われている。
この気の弱い獣医が禅さん。白衣を着ておどおどし、人間より動物のほうが付き合いやすいであろう姿がかわいらしい。ちょっと夢子に気があるというか、ほのかな好意を抱いていそうでもある。ちなみにヤンキー夫妻の妻の父、ヤクザの組長も禅さん。牛柄のスーツ。
更に便利屋のスタッフが古川村井大河の三人。夢子の指示のもと色々なことをこなすかれらは、遊園地のアトラクションのためにショッカーに紛したり、ホストクラブの応援スタッフになったりと大忙しだ。 「どうして僕たちがショッカーなんですか!」「むしろどっちかと言えば、こっちです!」で特撮のポーズを決める古川&村井、という中の人ネタもあり。更には待機中の三人に向かって虎衛門が「みな同じテニスサークルの出身だったんだって?」と無茶振りして、三人がテニミュの持ち役の得意技でエアテニスラリーをしていた。不二先輩がトリプルカウンター大放出でした。
そしてパーティを翌日に迎えた夜。夢子と虎衛門は言い争いになる。内容は、夢子がアイディアを出して虎衛門がついに書きあげた小説「夢子の秘密」についてだ。自分たちや隣人たちを元にしたキャラクターが登場し、実際に起こった出来事をヒントにした物語だというそれを、今になって夢子はなかったことにしたいと言うのだ。しかし当然虎衛門は聞き入れない。物別れに終わった口論のあと、虎衛門は散歩に出る。
翌朝。パーティの用意をして真っ赤なドレスに着替えた夢子は、いつものように虎衛門を起こす。次第に集まってくる隣人や従業員、虎衛門の担当編集。隣人たちがおかしな表情をしているのに気付かないまま、幸せの絶頂にいる桃子。
獣医のカメラで記念写真が撮られ、ようやく桃子はそこに虎衛門がいないことを確認する。かれは昨夜、亡くなったのだ。
おもむろに立ち上がった夢子はポケットからタブレットを出して口に入れ、「今、行くわ」と虎衛門に語りかけ、乾杯用の酒で流し込む。
ここで一幕終了。これはさすがにびっくりした。虎衛門と桃子の日課で、朝なかなか起きない虎衛門に対して桃子が、かれが死んでしまったような芝居をする、というものがある。「ひどい」「置いていかないで」とベッド突っ伏して泣いたふりをすると、むくりと虎衛門が起きるのだ。それがある意味伏線だったのかな。すごくいいヒキで休憩に突入することになる。
二幕は打って変わって、「LOVE FATE」という看板が吊るされた派手なキャバレーのような舞台。そこの三人の女性に、男たちがプレゼントを持って現れ求婚するという物語。二人の男に口説かれた女性は両方と付き合うことを決め、三人から告白された女性は店のスタッフを選び、最後に残った女性は宝石を持参した貴族を拒んで貧しい青年を選んだ。この最後の女性が黒木瞳で、青年が玉野和紀。夢子と虎衛門ではなく、他の人物である。
いきなり何の話かと思えば、この舞台の登場人物が脚本に沿って行動しているのだと言う。天から下ってきた脚本はかれらにとって絶対であり、変更できないのだ。そのことに不満を持ちつつも、脚本通り進めていく女性。しかし彼女の不満は募り、脚本を変更させたいと考えるようになる。そこで彼女は、脚本を書いたペンでなくては脚本を書き変えられないと知り、白いタブレットを飲んで夢子や虎衛門がいる世界へ行く。
宝石を持ってきたのに振られた伯爵が禅さん。高慢な伯爵を演じるかれは、脚本に疑問を抱く夢子に対して「脚本は絶対だ」と厳しい態度で反論する。禅さんだけに限らず、一人三役四役しているので、それぞれの色が見られて面白い。
二人目の女性を射とめたスタッフの男が坂元さん。若者たちの告白のあと、歌で割りこんで結局美味しいところを持っていく。ドヤ顔で高らかに歌い上げる歌が素晴らしいのが腹立たしい、みたいなキャラ。
再びペンを持って世界を移動する女性=夢子。このLOVE FATEの世界は、虎衛門が書いた小説「夢子の秘密」の世界なのだ。虎衛門が書いたペンで脚本を訂正しようとするけれど、書いた本人でないと直せないのだと知る。その後貧しい青年=虎衛門に訂正させようとするもかなわず、夢子は元の世界に戻る。
そこはパーティが行われている夢子と虎衛門の家だった。虎衛門は昨日散歩の途中に亡くなっており、夢子が酒と一緒に飲んだのは睡眠薬だった。彼女は死にきれず、物語の世界で現実を変更することもできず、戻ってきた。
前述の通り虎衛門が死んだふりをするのが日課だったり、物語の中に入り込むような何でもありの世界なので、最後は虎衛門が生き返るのだと思った。かれが死なないルートに軌道修正されるのだ、と。しかし現実はそううまくいかない。夢子は最初に虎衛門と出会い、池に落ちた場所でかれの幻と会話をする。書きなおせるならどんな話がいいか。子供が出来て、その子の結婚式を見て、最後は公園で一緒に安らかに息を引き取る。嬉しそうに話す夢子をいとおしそうに見つめる虎衛門。しかし、それは夢でしかない。ふたりは離れ離れになってしまった。
虎衛門はかつて、夢子をたんぽぽに喩えた。綿帽子を飛ばして花を咲かせる、色々なところに幸福を届ける花。夢子がたんぽぽでいる限り、自分は風になる、とかれの幻が囁く。そして夢子は一人で、心優しい隣人や従業員に囲まれて生きてゆく決意をする。
最後はちょっとほろっと来る良い話だった。生き返ると思ったのに…!玉野さんがタップダンスの第一人者だということもあって、非常にタップの多い舞台だった。そんなにタップふまなくても!と思いつつも、面白かった。
しかしわたし抜きんでてリズム感がないので、音楽をバックにして披露されるタップダンスのリズムが合ってるのか合ってないのか、さっぱりわかりません…。
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2013.03.29 Friday
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「国家 偽伝、桓武と最澄とその時代」@新国立劇場小劇場 13時公演
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作・演出:松枝佳紀
広野のちの最澄:遠藤雄弥
山部のちの桓武天皇:河合龍之介
陽射/泰範:本仮屋リイナ
信念:山田悠介
安殿のちの平城天皇:真山明大
その名の通り、桓武天皇や最澄が生きていた時代についての舞台。チラシのインパクトと、日本人以外の血が入った天皇と高僧という異端の二人についての物語、という説明に惹かれて見に行った。
休憩なしで三時間ほどの物語。会場の中央に舞台を設置し、前と後ろというよりは右と左から見られるようになっている。舞台のところ狭しと沢山の出演者がいくつもの役で出たり入ったり。
白い衣装をまとった出演者たちがほぼ勢ぞろいで登場し、めいめいに話だす。異端の天皇、異端の僧の物語。過去のかれらの判断が、行動が正しかったのか、それを「ここにおられる八百万の神々に判断して頂きたいのです」とかれらは言う。観客であるわれわれは、歴史を見つめ・判断する「神」に役割を与えられる。おおお期待できそう。
と思ったところで、歴ドル小日向えりが、ショートパンツにネイビーのジャケット姿でiPadを抱えて登場。彼女は現代に生きる「小日向えり」自身として舞台に上り、色々なシーンに現れては舞台の説明をする役。「このあと○年後に、XX事件が起こりました」「この行動がきっかけで▼▼はXXを成功しました」というような、本当のナレーション役。バスガイドみたいな立ち位置。
歴史的な出来事への理解、という意味では非常に効果的な役どころだが、物語の余韻をぶち壊してしまうので良いのか悪いのか微妙なところ。当然ながら彼女の知識でアドリブで話すわけではないので、普通に役者さんが担当したほうが聞きやすかったとは思う。
この小日向えりの役どころと、物語の進行具合が相俟って、なんというかNHKの歴史番組のような舞台だった。再現ドラマ多めでお送りする歴史の学習、という感じ。
ひとつひとつのドラマは非常に魅力的なんだけれど、それらを繋いで一本の糸で結ぶために、司会者を入れてしまった。勉強にはなると思うよ…。
朝鮮人の妾を母に持つため、兄でありながら弟・他戸に皇位継承権で負けている青年、山部。かれに「臭き血」が流れているため、他戸に媚びへつらう人間たちは山部を見えないものとして扱うことも多い。しかし他戸は自分にはない強さと明るさ、視野の広さを持つ兄を慕っており、山部も他戸を可愛がっている。いずれ弟が天皇になった時に良い政治をしてほしいと、世間を教えているのだ。
しかし息子たちの気持ちなど、両者の母親は無視する。天皇の正妻である他戸の母は、愚かな部下たちの意見を真に受けて、戸籍のない人間の首をはねることで他戸の目を覚まさせようとする。日本人ではないことで辛い目に会い続けている山部の母は、なんとかして皇后を出し抜いて自分の息子を次の天皇にしようと画策している。
結果、朝廷の権力者である藤原百川にすり寄った山部の母が勝利し、「臭き血」のものだと非難され続けた、混血の山部が桓武天皇となる。
死期が近いことを察している百川には、混血の天皇であれば、腐敗しきった朝廷と奈良の貴族との癒着を断ち切れるのではないか、という希望があった。実際に桓武は朝廷をまともに機能させるべく、長岡京へ、そして平安京へと都を遷す。
先祖に中国・唐の人物を持つ青年・広野は、戸籍のない少女・陽射と出会ったことで人生が変わる。広野は陽射を「救ってやりたい」と考え、彼女とその家族に戸籍を作ってやろうとする。しかし戸籍を目の前にした陽射の母が実の娘である陽射を利用しようとしたり、陽射の暮らす集落が朝廷から派遣された兵士たちによって襲撃される様子を見たことでかれは絶望する。
絶望した広野は行表という僧のもとへ行く。「救ってやりたい」と思いながら、自分が陽射の存在に救われていたことを知った広野は、行表に弟子入りする。この腐敗した世界で「最も澄んだもの」であるようにと「最澄」という名前を貰ったかれは、俗世を離れて修行に励む。
史実がどうなのかは知らないが、この「混血の天皇」と「外国の血を引く有名な僧」という設定はセンセーショナルで面白い。そういう立場だから出来ること、出来ないことがある。そういう立場の人たちが後々に繋がる大きな事柄を為した、というのもシニカルで良い。
ただ前半大々的に繰り返されていた、かれらが混血であるという話が後半に行くと一切話題にならなくなる・問題視されなくなるのは拍子抜け。結局桓武の古くからの部下はかれと同じく混血であり、かれの息子たちも当然混血になるので、桓武が珍しい存在ではなくなってしまうのだ。
桓武と最澄。
最初の出会いのとき、人々と芋掘りをしていた最澄に向かって桓武は、自分も芋を掘ると言った。やったことがないからどうしたらいいかと聞くと、最澄は「芋の気持ちになれ」と言う。その抽象的な言いまわしに周囲の人間は笑ったが、桓武は真面目に芋の事を考え、優しく土を触って芋を無傷で獲りだした。
正体を隠して、有名な僧侶最澄のもとを訪ねた桓武。その男が帝だと知りながら、一般の客人のように扱う最澄。二人はすぐに意気投合した。桓武は最澄を気に入り、最澄も桓武を慕った。最期の瞬間まで、その友情は変わらなかった。死期の近い桓武は最澄の元に現れ、体調がすこぶる悪いと言ったうえで、「だがまだこの芋、食えるぞ」と笑うシーンが好き。
久々に河合さん見たけど、屈折した部分と子供みたいに純粋な部分、カリスマ性のあるいい桓武天皇だった。こんなにいい声だったっけ、と思った。
D-BOYSを卒業して以来初めて見る遠藤は坊主頭で舞台をかけずり回っていて、こういうお芝居がしたかったんだろうなあ、楽しいんだろうなあ、というのがひしひし伝わってくる。くせのある話し方と籠ったような滑舌が元々あまり得意ではないんだけど、最澄ではあまり感じなかったな。これからも頑張ってほしいなー。
(余談だけど遠藤たちの卒業、柳下のD☆DATE加入によって、結構長い間会員だったDボのFCをとうとう継続しませんでした。芝居を見たい人がどんどんいなくなる・芝居の頻度が下がるんだもん!)
桓武が即位したのち、信念という僧が中国から帰国する。他戸の配下にいたかれは、他戸が排斥されて山部が天皇となったことに深い憤りを感じる。そしてかれは、色々なところで暗躍し、歴史を大きく変えてゆく。
笑顔で人を騙し、残酷な手口で人を追いやる復讐鬼と化した信念に山田悠介。やっぱり巧いなー。声がいいのと、極端な役どころが似合う。信念が種継夫妻を殺し、薬子の心身にに一生消えない傷を残したシーンのインパクトがとても強い。
信念に目の前で父母を殺され、親指を切り落されたことで藤原薬子は心を閉ざしてしまう。元々幼さが残るというか、知的障害があるような感じも匂わせて描かれていた彼女は、天真爛漫で裏表のない少女だった。しかし父母の一件以降、彼女は心から笑うことがなくなった。
そんな彼女の変化を最も嘆いたのが、桓武の長男である安殿だ。薬子が好きだった安殿は彼女をなんとか笑わせたいと願い、彼女の幸福や平穏のために動くようになる。安殿からは、感情の起伏が激しく暴力的な気質が垣間見える。(もう一人の息子・神野はお人よしの平和主義だけど、馬鹿ではない青年で、桓武の性質が二つに別れて息子に遺伝したような感じがする。)
薬子の絶望に引きずられたか、急激な変化に対応できなかったのか、安殿の精神も次第に破綻し始める。特に父の桓武亡き後は絶対に不可能な命令を下したり、むやみに部下を処刑したり、自身が処刑したばかりの部下を呼びつけようとする。常軌を逸していく安殿と薬子の夫妻がたまに見せる冷静な言葉や判断に背筋が冷やされる。
アテルイたち蝦夷の物語も切ない。アテルイ役の藤波心ちゃんがちょっと特徴的な話し方なんだけど、それが年の若い少女であり首長である、という役にマッチしていて魅力的だった。自分の親ぐらいの年齢の人々に「お前たち」「〜しなさい」と指導する口調が優しくていい。アテルイを少女にした、というのも「偽伝」らしくて面白い。
最澄については後半ちょっと説教くさくなってしまった印象。そもそも陽射一人を救いたかった最澄は、行表に弟子入りしたことでそれだけではいけない、と感じる。かれは自分の暮らす寺を訪れるわずかな人々に教えを伝えて、修行の中で生きていくことを望む。
しかし師匠に世間を見るように指導されたことで、最澄は都を見る。そこでは大勢の人が貧困や病に苦しんでおり、自分や仲間の僧侶だけではどうしようもないということにかれは気づく。貴族と懇意にしている僧侶からは、どうせ全員は救えないのだから権力のあるものを優先すべきだ。かれらが救われることが政治に影響を及ぼし、いずれ一般の人々も救われるようになる、と言われるも、最澄は納得できない。
最澄は納得しなかったし、決して正しい意見ではないのだろうけれど、この都の僧の言葉は興味深かった。かれが悪人なわけではない。かれだって全ての人間を救えるのならば救いたいだろう。けれどそれは物理的に無理なのだ。無理なことに挑戦して誰も救えないより、救う相手を絞って集中したほうがまだましだ。誰に絞るのか。勿論かれの中に保身や立身出世への欲がないわけではないだろうが、どうせ絞らざるを得ないなら、貧しい者でも富んだ者でも同じことだ、とも思う。富んだものを救うことが世界全体への救済につながる、というのはある意味間違っていない理屈だろう。
更に最澄は後年、招かれて行った田舎の集落で、人々は「すぐに救われる」ことを願っていると知る。そのために人々が欲したのは、意味を理解しないまま唱えられるお経だった。これを唱えればいいのだ、という精神状態がかれらを生かす。それは最澄が望んだ在り方ではなかった。絶望の中で最澄は実感する。自分が二人いれば、三人いればもっと多くの人が救えるのに、と。そこでかれは、かつて師匠が零していた言葉を思い出す。「人が足りない」
最澄よりも大分若く、センセーショナルな登場をした空海もまた、同じことを考えていたのかもしれない。かれは自分と同じ「空海」を弟子に名乗らせ、各地に派遣した。各地で空海伝説があるのは、そのためだと言われている。最澄が人の足りなさを嘆いているように、空海も同じことに気づき、自分の分身たる弟子の空海たちを生んだのではないだろうか。
空海がチャラい天才として書かれていて面白かった。
ひとつひとつのドラマ自体は面白かった。ただ最初に「八百万の神々」みたいなことまで言われたのに、特にそれについては触れられないまま、小日向さんの「これにて一巻の終わりです」という口上で終わってしまったのには驚いた。教育番組みたいだ…。
本編のあとはトークイベント。
自由席なので空いてるところにつめていいよ、というアナウンスが入って驚いた。自由!
小日向えり司会で、河合龍之介(桓武天皇)・真山明大(安殿)・坂口りょう(坂上田村麻呂)・神木優(神野)・平子哲充(藤原種継)という桓武サイドの五名によるもの。
安殿が薬子を笑わせるシーンはアドリブだとか、この日の朝急遽変更になった演出があって皆がその確認にわたわたしていたとか、そういう話。
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2013.03.26 Tuesday
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2月ごはん
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・たるたるホルモン わ西原理恵子の作品によく出てくる吉祥寺のホルモン屋、「わ」。ずっと気になっていたので連れて行ってもらった!壁中に漫画家やミュージシャンのサイン・イラストが描かれている。ホルモンも肉も、机の前の七輪で焼いて食べる。大体全部塩味なのかな。たれなどもなく、塩でひたすら。美味しいけれど、塩だけで全てが賄えるほどずば抜けて美味しい!ということでもなかった。雰囲気込みでの満足感はある。・一芯二葉店内がとってもかわいい。アリスとクラフトエヴィング商會とプラネタリウムと…かわいらしいもので出来上がっている。スコーンもハート型!紅茶も美味しかった。・ポムドテールベーグルすきすき。・ライヴの前にともだちとランチ。ラフォーレに行くために原宿で待ち合わせをしたらラフォーレが休館日で、何のために原宿へ…と途方にくれた日であった。ランチはふつうです。・本陣もんじゃが食べたくなってライヴ後にもんじゃ。もんじゃは撮影をはばかられますね。・バレンタイン前だったので、新宿駅の地下でブラックサンダーの無料自動販売機(なので販売機ではない)が設置されていた。スタッフが持っているQRコードにその場でアクセスしてアンケートに答え、その画面を見せると無料で自販機のボタンを押させてもらえる。そしてブラックサンダーが3個入ったこの缶がもらえる、というシステム。味はいつものブラックサンダー。おいしい。・星乃珈琲店ずっと食べたかったスフレパンケーキに挑戦。分厚い!こんなの。でも案外ぺろっといけてしまい、上品ぶってシングルにせずダブルにすればよかった、と反省。ふわふわで、見た目よりかなりソフトというか軽い。美味しいけれどパンケーキというか名前の通りのスフレだ。メニューに記載されている上、オーダーした時にも改めて言われるのでスフレパンケーキが20分かかるのは構わないのだが、先にコーヒーが出てきてパンケーキが来ることには冷えているのは腑に落ちない…一緒に出して…。・オーケストラジャズと紅茶とカレーのお店。結構しっかりスパイスがきいていて辛め。ペーパーナプキンでつくられた踊り子たち。すごい。・ワイアードカフェ友人と0歳児と三人でランチ。子供に食べ物アレルギーが出ているため、母乳で育てている友人も食事制限があるとのこと。ワイアードは表記や対応が比較的しっかりしているので、という彼女のリクエストで行ったのだが、確かに。いくつかアレルギーが出ているそうなのだが(そのうちのいくつかは治ったらしいが)、小麦が一番つらいと言っていた。パンアウト、麺類アウト、だもんなあ。「一番問題のない外食は牛丼」と笑いながら言う彼女の目がしっかり母親で感動した。写真はバナナアーモンドトーストのアーモンド抜き。抜いてすいません。・はらドーナッツ久々に食べた。シュガーコーティングされたドーナツがあまり得意ではないのでこういう素朴なドーナツがすき。「おとぎ話のゆくえ」を思い出すね。・クロワッサンのチョココーティングお菓子。見た目の通りの味であった。クロワッサンはぽろぽろこぼれますね。・物豆奇屋号やばい!外観やばい!入ってみたら内装もやばい!な喫茶店。サブカル!コーヒーは普通においしく、ケーキは特筆することのないケーキであった。・つばめグリル友人ふたりと三人でランチ。越してきたわたしの要望を聞いてくれるのはありがたいのだが、新宿で何が食べたいか聞かれても浮かばない…ひねりにひねってつばめグリル(新宿以外にもある)…でも行ってみたかったんだもん。つばめグリルって、つばめの平仮名とグリルのカタカナのバランスが絶妙にかわいいよね。名物ハンバーグではなくサーモン。ぷりぷり。・赤坂ブリッツのあと、直近のお店で。世界のビールが色々あるお店。日本のビールも好きだけど、海外のビールも大好き!そしてビールと言えばソーセージです。・パパパパパインパイン入りスープ、パイン味で煮込んだ半熟卵、缶づめパイン。パインだらけのラーメン。ソースもチャーシューも美味しいんだけど、何故パインを入れたのだろう…。誰かが行きたいと言えば同行するが、自ら率先して再び行こうとは思わないかな。パインだらけの内装がすごい。・JUHA静かで流れてる時間が外よりだいぶゆっくり、な気にさせてくれる。雰囲気が良い。・カンラン広島焼き中心の鉄板焼き店。何度か混んでいて諦めたんだけどようやく行けた。美味しかったー!そして自分が牡蠣が食べられることが判明した。生はまだ挑戦していないが、怖いので特に積極的にはチャレンジしないつもり。・にぎにぎ立ち食い寿司のお店。立ってると酒もまわるし早くお腹が膨れる気がする。お寿司おいしい。・spoonフレンチカレー。まろやかでスパイシーでこりゃ美味しい。お肉もとろとろ!・立吉新宿の串カツ屋。嫌いな食材を先に聞いて、それ以外を揚げていくおまかせ串カツ。座ったら問答無用で展開される感じだったが単品もあったのかなー。でもあれもこれも美味しかった。串カツって場末のものばっかり食べていたので、こういう洗練されたものは新鮮。おいしかった。・表参道ヒルズ7周年パーティに行ってきた。招待制。どういう条件かは分からないが、ヒルズのポイントカードを持っている&それなりに使ってポイントを貯めたからなのかな。開始時間からしばらく経過してから行ったので、お酒も食べ物も殆どなくて、微妙なビアガーデンの終盤のようだった。こんなの。・オステリア吉田パスタバー昔「ダウンタウンDX」で高嶋兄が絶賛していたパスタが食べたくて行ってきた。これ!超!おいしかった!!パスタの量が少ないなーと思っていたのだが、ソースが濃厚で具だくさんなのでお腹が膨れる。ハヤシライスに生麺が入れられているような感じ。クレームブリュレ。机に運ばれてから火をつけられてぼわっ。パフォーマンスとしては良かったけれど、このブリュレ自体はそんなに好きでもなかった。パスタとサイドメニューは凄い美味しかったよ!店員の説明の押しつけがましさも許せるくらい美味しかった。・ヴィレッジヴァンガードダイナー食べづらいんだけど美味しかった!オシャレすぎない程度にオシャレ。・amar出張にきた友人とご飯。クスクスたぶん初めて食べた。こういう奇妙なメニューがすきである。美味しかった。ブランコの席があったので、久々にブランコなど堪能してきました。酒飲んで乗るものじゃないと思います。
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2013.03.15 Friday
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ミュージカル「スリル・ミー」14時公演@銀河劇場
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原作・音楽・脚本:ステファン・ドルギノフ
演出:栗山民也
私:良知真次
彼:小西遼生
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ピアノ一台、演者ふたりのミュージカル。沢山うたっているのだけれど、なぜかストレートプレイのような匂いもする濃厚な心理劇だった。
1924年にアメリカで起きた、恋愛関係にある二人の男性が犯した少年誘拐殺人事件「レオポルド&ローブ事件」をもとにしたフィクション。
無期懲役刑を宣告され、30年以上牢獄で過ごしている50代の男。もう五度目になる仮釈放を申請する場で、男はかつての犯行について語る。何故、恐ろしい事件を起こしたのか。現在の男の吐露と回想を交えて物語は進んでいく。
同じ学校に通い、同じく成績優秀で飛び級して高校を卒業し同じ大学に通っていた二人の男。しかし「彼」は「私」に黙って、いきなり別の大学に移ってしまう。
その後再会した二人。大学でニーチェの超人思想に傾倒した彼は、自分が「超人」であることを確信する。その証明のため、そしてスリルを味わいたいという欲求のため、完全犯罪の実行を考えるようになる。そして彼にどれほど冷たくされても好意を抱き続ける私の気持ちを利用して、彼は私に犯罪の手伝いを強いる。
彼に見放されるのが嫌だという一心で悪に手を染める私だが、犯罪の悪質さが増すに連れて躊躇するようになる。そこで彼は、お互いの要求に全て応じるという誓約書を交わすことを提案する。彼の愛を求めるあまり、応じる私。
そしてとうとう二人は殺人を計画する。何の関わりもない少年を誘拐し殺人と死体遺棄を実行した二人だが、これまでの事件と異なり、警察に犯行を暴かれてしまう。そのきっかけは、犯行現場に残された私の眼鏡だった。
役名が「彼」と「私」なので感想が書きにくい!いちいちカギカッコつけると読みづらいかな、と思ったのでそのまま書きます。なので男性の代名詞としての「彼」や、ブログエントリ筆者の一人称としての「私」はここでは使わってない。はず。
彼に恋をしている私と、その好意を知った上ですげなくあしらったり、適当に相手をしてやったりと態度を変えて私を弄ぶ彼。自分に手を伸ばしてくる私の手を無視したり、近付いてくる私を押しのけたりするのはまだ良いほうで、心理的にも揺さぶってくる。いきなり熱烈なキスをしてくるのに、驚いた私がそっと体に手をかけるとすぐに離れて「これで満足か」「こうしてほしかったんだろ」と冷たく言う。それなりに親しげに会話している中で私が手を伸ばして「触って」と言えば、伸ばされた手を冷たく一瞥したあとで「ちゃんとお願いしろよ」と支配・被支配関係を示してくる。読書をしている彼に私が何を読んでいるのかと問えば、もう読み終わったからと本を閉じて手渡そうとし、すんでのところで床に落とす。手渡しはしない、床から拾え、と暗に言っているのだ。
サディスティックな態度、意地悪な行為と言うよりは、調教に近いと思う。コンスタントにそういう態度を見せることで、二人の関係性を何度も私に再認識させるのだ。対等ではない、と繰り返し刷りこもうとする。恐怖で支配し、自分に従順な私を作り上げようとしているという意味ではDVに近いのかな。その辺りは疎いのでうまくカテゴライズできないが。
私を抱きしめるときもキスするときも命令するときも、彼は煩わしそうだ。神経質そうな顔には少しの煩わしさ意外の表情がない。そんな、何も感じていないかのような彼の顔が、放火をした時に変化する。
ひどく昂揚した彼は、歪んだ笑みを浮かべている。一方で歌詞にあるように、気持ちが落ち着いているようにも見える。久々に見たこにたんは顔つきが変わったように思ったのだが、単なる経年変化ではなく、役柄の所為なのだろう。何とも言えない、けれどどこか違和感を感じる顔は「彼」の顔なのだ。美しいのに美しくない、ねじの外れた男の顔をしている。
こにたんは黙っているとマネキンのような造形だからこその恐ろしさ、残酷さがある。それに存在感が強まり、持ち物である肉体を使いこなす術も増えてきている。独特の歌声も健在で魅力的だった。
彼は弟に何らかの劣等感ないしは嫌悪感みたいなものを抱いていた。最初は、金と引き替えに自分の情報を私に売ってしまうことへの憤りだと思っていたが、どうやらそれだけではないようだ。最近「ケチになってきた」父の金庫の暗証番号は「どうせ弟の誕生日だろう」と吐き捨てるように言う彼。単に父の経済観念が変化したというよりは、彼に金を使わなくなった・お気に入りである彼の弟に使うようになった、という感じがする。父の中で兄である彼よりも弟のほうが優先順位が上のようだ。実際にそういう態度に出ているのか、彼の思いこみかは分からないが。
だからこそ彼は最初に殺人を口にしたとき、自分の弟を殺そうと言った。しかもそれによって父がショックを受けること、父が死ぬことも喜ばしい、という。弟が亡くなることで父のものが全て自分のものになるという狙いもあったようだが、単に弟を消したいという願いがあるようだ。彼と弟の間に、もしくはそこに父を入れた三人の間に何があったのか。語られないままだ。
一方私は名家の息子で、非常に可愛がられて育ったようだ。三人しか持っていない眼鏡フレームを買い与えてくれた父は、息子の裁判に際して非常に腕利きの弁護士を雇ってくれた。そのおかげで二人は絞首刑を免れたようなものだ。
しかし皮肉にも、その父親の愛情が犯人特定につながった。彼にとっては残念なことに、しかし私にとっては幸いなことに、だ。
裁判が終わり、99年の懲役を科せられた二人は護送車で刑務所へと送られる。その中で私は真実を明かす。わざと眼鏡を犯行現場に落とし、これまでの事件も含めてあらゆる指紋を拭き取らず証拠を残してきたこと。その理由は、彼と一緒にいたかったから。彼と二人で絞首刑になっても、彼と二人で懲役刑になっても、私はどちらでもよかったのだ。いや、本当はかれと生きてゆきたかっただけだろうけれど、大学の時みたいにいきなりいなくなってしまうかもしれない、不特定多数の(ないしはたった一人の)女の子と遊んでいる彼を見るよりも、あらゆる自由のない場所で二人きりになることを願った。
そのことを告げる私の顔は歪んでいる。嬉しそうに打ち明ける口元は歪み、目もうまく笑えずにひきつっている。けれどこれまでのどんなシーンよりも強気で、自信に満ちている。誇らしげだと言ってもいい。全てを手にしたかれは、それが失われないことを知っている。移動の自由を制限されているし、本当はとても弱い彼が、知らない人間ばかりの刑務所で唯一知っている私をむげにできないことも、死を選ぶようなことができないことも、既に私は知っているのだ。
彼は本当は情けない男だ。自分に警察の容疑が向くといきなり脅え始めたり、助かるために私に縋ってくるような男だ。裁判の判決が出る前日、一人きりの拘置所で怖いと言って泣いていたような男だ。それでも私は彼が好きだった。彼の本質を知った上で好きだからこそ、こういう方法に出たのだろう。
再会したあと最初の犯行、放火の現場で、彼は私を久々に呼び名で呼んで「昔のレイのままだ、幼い」とからかった。さっきまで脅えながらガソリンをまいていた私は炎を見て落ち着いたのか、冷静なトーンで「どれだけ成長したか見せてやるよ」と返す。このシーンだけ、妙に私が彼に対して対等というか普通の口を聞いている。
そのあと「触って」「ちゃんとお願いしろよ」「…触ってください」という調教にうつるのでそれほど気にしていなかったけれど、あとで思えばこれは、私の計画の布石だったのではないだろうか。かつて彼にいきなり置いて行かれた私が「どれだけ成長したのか」を、護送車の中で彼は知ったのだ。
これはラストを見た上で、もう一度最初に巻き戻って私の行動を見直したいなー。犯行に脅え、彼の命令に従い、何度も彼の計画を辞めさせようとした。眼鏡を失くしたかもしれないと不安がって彼に何度も電話をかけたりした。そういう全てが、彼の自尊心を高めて注意力を散漫にさせるための、裏切るための、そして手に入れるための芝居だった。
純朴で臆病で気弱(に見えていた)私が、一気に本性を見せる。野暮ったさすら感じる良知くんの私が開花する瞬間の歪み方がとてもよかった。それまでが物凄く健気だったので、余計に一瞬の変化が映える。
刑務所で「99年」一緒にいることが確約されたことについて「奇妙な鳥が2羽、籠の中で飼われているみたいに」と私は言う。バード・ウォッチングが好きな私ならではの言いまわしだろう。永遠に出られない「籠」に、彼を連れて飛び込んだ私。羽根をもがれて永遠に飛べなくても、幸せなのだ。
己の優秀さを証明するため、そしてスリルを求めて、彼は犯行を繰り返した。私は彼を愛していたからこそ犯行を手助けした。彼こそが、私にスリルを与えてくれる、Thrill me=ぞくぞくさせてくれる相手だったからだろう。更に、自分の優位に立っていると確信している彼を裏切るための算段を立てて、気づかれないようにじわじわと追い詰めていく行為も、きっと私にスリルを与えたはずだ。
でもそれと同じくらい、私にはそのことそのものが悲しかっただろうとも思える。ただ彼が好きで、彼を手に入れたくて協力しただけの私は、彼に愛される道を探していただけだ。彼を裏切りたかったのでも、貶めたかったのでもない。けれど他に道がなかったのだ。彼を諦める、という選択肢を選ばない以上、こうするしかなかった。その結果私は彼よりも一歩上を行き、彼よりも「超人」と呼ばれるにふさわしい人間になってしまった。
自分を超人だと信じて疑わなかった男がはめられ、その男と共に生きたかっただけの男が超人となった。自分の人生をすべて賭けて、通りすがりの子供を「犠牲の仔羊」にして、凡人の男を手に入れた。
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カテコは3回?かな。最後、良知くんが右隣にいるこにたんに手を出すも無視される。そのままハケようと移動したこにたんがちょうど自分の左側に来たときに、再び手を出すも無視される良知くん。最後はちょっと小走りでかけよって、無理やり気味に肩に腕をまわして二人でハケていった。
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「超人」とか「力への意志」が言葉のままで受け取られすぎている、ということへの突っ込みはおいておく。その解釈も含めて「彼」は愚かで未熟で高慢であったのだ。
劇場内のバーではキャラクターごとのイメージカクテルが販売されていた。あと、缶バッジのガチャガチャが一回300円で販売されていたあたり、客層マーケティングが完璧だと思いました…おたくは缶バッジがだいすき…。
それはそれでいいので、せめて日本語の戯曲を出してください。英語の脚本はさすがにハードルがたかい!
ちょうど二日ほど前に、twitterで話題になっていた「クズ彼☆スキャンダル」という、攻略対象キャラがクズ男ばかりの乙女ゲーム妄想をたのしく読んだばかりだったので、ときどきそのことが頭をよぎってしまった。「彼」はクズ彼なんだよ!でもそんなクズ彼がクズだと分かっていて、それでも別れられない「私」もまたクズなんだよ!
Togetter クズ彼☆スキャンダル
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